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〇私は生まれて此の方、若い独身女性の住まいに潜り込んだ経験など有りません。スナックのカウンター越しや駅の構内、通勤の電車内で像として捉えた印象で歌詞にしたものです。この曲は我ながら大好きな曲の一つで、前奏部分、メロディ、間奏などどれをとっても良い出来映えだと思っている自信作です。 若い頃の失敗を乗り越えて・・・素敵な大人の女性へと磨きをかけて欲しいと願って止みません。1)ひとりになって 初めてわかった 人の温もり 見た目だけで選んだ 過去の男 不誠実と屈辱と そして悲しさだけを 残して行った 会いたくなんかない 道ですれ違っても 知らん顔しよう だけど淋しさだけは どうしよう2)家庭を捨てて 初めて感じた 親の気づかい 喧嘩ごしで通した 過去の対話 愚かさと幼さと そして気まずさだけを 残して去った 謝りたくはない 心すれ違っても 歩み寄りは無理 だけど親子の絆 どうしよう3)社会に触れて 初めて気づいた 世間の常識 自分だけの自由は ほんの少し 身勝手さと気ままさと そして優越感を 手にしただけ 独立したけれど 思ったほど良くない 将来性ゼロ こころ傷める不安 どうしようーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<お願い>大阪と隣り合わせになる大山崎地区は天下分け目の戦いでご存知の天王山を初め、歴史的なものが一杯詰まった観光地です。 私が所属する「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページを是非ともご覧ください。http://www.kyoto-ofg.org/
2015.05.31
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〇いつもお元気そうで 嬉しいです 貴女をこの世に生み出して下さった ご両親に感謝しています 清らかさと素直さと好奇心いっぱいの 少女のまま 大人になった貴女を祝して 乾杯しましょう 揺れ動く心の葛藤の中 貴女はいつもしなやかに そのハードルを越えて行く そして 貴女は今日も 輝いているのだ <果たしてこの詩?はいつごろ作ったものなのか、どなたをモデルに詠んだのか、今となっては皆目見当がつきません。でも、偶には・・・。昨日は大阪俳人クラブの理事会・総会にて司会進行役を担当。時々舌がもつれましたが、無事終了。宴会以降の運営はは運河のみなさんとなりましたので、ほっと一息、肩の荷が降ろせました。父すばるの教え子さんを茨木和生先生が紹介して下さいました。ずっと年賀状だけのお付き合い。お会いする機会を得て良かった。 本日は今月2度目の歴史資料館当番です。その後、一旦帰宅して、今夜は加茂さくらさんと一緒に語ったり、歌ったり致します。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<お願い>大阪と隣り合わせになる大山崎地区は天下分け目の戦いでご存知の天王山を初め、歴史的なものが一杯詰まった観光地です。 私が所属する「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページを是非ともご覧ください。http://www.kyoto-ofg.org/
2015.05.30
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〇随分前に図書館で借りた書物で、各社の辞書の一長一短を比較しながら、いったいどの辞書が優れているかを纏めたものがありました。辞書には、日本国語大辞典、大辞林、広辞苑、大辞泉、日本語大辞典、新選、講談社、三省堂、現代例解、学研国語大辞典、集英社、旺文社、新潮現代、角川新、新明解、福武など多々あります。 例えば「御用達」の読み方、”ごようたし”ではなく”ごようたつ”を認める辞典があったり、「他人事」は本来”ひとごと”の当て字であるのに、”たにんごと”を併記する辞書が多くなっているし、現にアナウンサーにはそう読むヤカラも少なくありません。 次なる当て字はインターネット情報から一部です。沈菜=キムチ、火酒=ウォッカ、肉汁=スープ、浮石糖=カルメラ、混合酒=カクテル、卵糖=カステラ、自鳴琴=オルゴール、風琴=アコーディオン、伊達男=ダンディ、直昇飛機=ヘリコプター、小熊猫=レッサーパンダ、恐怖分子=テロリスト因特網=インターネット、保齢球=ボーリング、一物有人=モーツァルト(笑い)、義徳瓦=エドワード、査理=チャールズ、尼格来=ニコライ墨瓦蘭=マゼラン、諾貝爾=ノーベル、火斗=アイロン、復古趣味=レトロ、単軌鉄道=モノレール、子守熊=コアラ、輪盤賭=ルーレット(笑い)、孑然=ひとりぼっち口令=パスワード、鹿十=シカト(笑い)、 我が国独自のものと、どうやら中国で使われている当て字が混在していますが、ちょっとした情報を安易に、手軽に拾えるのがインターネットの至便な長所ですね。しかし、携帯電話に夢中になり過ぎて、交通事故に遭ったり、加害者になってしまうことは、器械に人間が使われ、毒されている惨事であるという認識を忘れないで居ましょう。 本日は大阪俳人クラブの総会、4年間の最後のご奉公、仕上げの日です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<お願い>大阪と隣り合わせになる大山崎地区は天下分け目の戦いでご存知の天王山を初め、歴史的なものが一杯詰まった観光地です。 私が所属する「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページを是非ともご覧ください。http://www.kyoto-ofg.org/
2015.05.29
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〇山崎地区は中世期、荏ゴマ油を大量生産することが出来る”長木”という絞り道具を考案したことから急速に発展し、一時嵯峨天皇の別荘であった離宮八幡宮に至っては”西の日光”と呼ばれるほど大きな規模を有した時代がありました。山崎の油売り商人たちは関所往来賃免除の特権を持っていて、石清水八幡宮や離宮八幡宮を守る神人と共に裕福になっていきました。東は円明教寺から、西はサントリー蒸留所・水無瀬近くまでの地域は、守護(知事)の権力も及ばない程の厚遇を得ていました。江戸中期に菜種油が出回るにつれ衰退して行きましたが、それでも明治政府までは自治権が認められていて、有名な「従是東山城国」の碑が京都府側に建てられていますが、ご維新までは山城(京都府側)の”大山崎”と攝津(大阪府)側の”山崎”双方は分断されていませんでした。維新後現在に至るまで、関戸明神そばの西谷川(別名:明神川・関戸川)が行政の境界線になっています。 そして、JR山崎駅の大阪方面に向かうプラットホームには茶色の十字架のような形をした木製の標識が西谷川の真上に建っていて、京都側大阪側双方の表示をしています。
2015.05.28
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〇もう間もなく梅雨の時季にさしかかりますが、雨の気配に敏いのはカタツムリかも知れません。NHKテレビ番組だった「日本人の質問」その第1巻にカタツムリをでんでん虫というのは何故?という問いがあって、正解役の大桃さんは、<殻の中にに入って出て来ない。そこで「早く出よ出よ」と声をかけます。そのでよでよ虫からでんでん虫へ。>と解説されました。 でんでん虫が活動するのは雨の日か夜。晴れた日は殻の中に閉じこもったり、草の根元に隠れて、水分が失われるのを防いでいます。 生まれた時から殻がついていて最初は1巻き半しかありませんが、貝殻は体と共に成長して大人になると4、5巻きの渦になるとか。 朽臼をめぐりめぐるや蝸牛 泊雲 詩仙堂雨の扉の蝸牛 王城 でゞ虫に滝なす芭蕉広葉かな 茅舎 蝸牛や降りしらみては降り冥み 青畝 こうして先人たちの名句を並べると、俳句とは実に簡潔にして奥深いものを詠んでいますね。
2015.05.27
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〇明治中期すでに書生唱歌、明治唱歌、日本唱歌などの歌詞を詠んでいた大和田建樹は<汽笛一声新橋を~>で始まる接道唱歌を作詞していましたが、作曲家を誰にするか、版元の三木佐助の押す無名の者と、建樹の推薦する作曲家<年の始めの例しとて終わりなき世のめでたさを>の作者とのどちらにするか、張り合っていました。そこで明治33年5月の或る日、新橋駅前にて派手な服装に身をやつした20名ほどの音楽隊と女学生姿の美女3名ができたばかりの鉄道唱歌を歌いました。新橋から横浜、名古屋、京都、大阪、神戸の終点までの歌詞に2つのメロディーを交互に演奏したのでした。と同時に、歌詞が印刷されたビラを駅前に集まった群衆に配り、どちらの曲が馴染むか試しました。そして66曲全部刷り込んだ小冊子を大々的に売ったのでした。作曲家は第1、2集は多梅稚と上眞行、第3が多梅稚と田村虎蔵、第4集が納所辨次郎と吉田信太と言った具合に、いずれのメロディでも可としました。中村建治さんの著「鉄道唱歌」の謎にはいろんな逸話や明治以前の類似した歌詞も紹介されています。「都路往来」(別名「東海道往来」)には江戸から京都までの宿場を韻ぶくみの七五調の尻取り歌♪都路は五十次余りに三ツの宿時得て咲くや江戸の花なみ静かなる品川ややがて越えくる河崎(川崎)ののきば並ぶる神奈川ははや程谷(保土ヶ谷)のほどもなくほかには、「お江戸日本橋」はみなさんよくご存知ですよね。
2015.05.26
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〇NHKテレビで流行った「日本人の質問」から3問紹介します。文章は私なりに変えています。1)つまらないことを表現する「下らない」 の語源は?2)忠臣蔵の松の廊下の場面でお馴染みの長 袴で登城する場合、雨が降っていたらど う対処したのでしょうか?3)「こけら落とし」の由来。何故こけら落 としと言うの?<解答>1)江戸時代、米や消費するものは上方から 江戸に運んでいました。いわゆる「下り 物」と呼ばれていましたが、江戸周辺の 商品は粗悪品が多かったので、「下らな い」と称していました。2)雨の日は裏につけてある細いひもを使っ て、たくし上げていました。3)こけらとは材木の削り屑のことで、それ を工事の最終に落としたことから。次回は、4つの答えから選択する問題を取り上げたいと思っています。
2015.05.25
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〇「俳句四季」でお馴染みの東京四季出版社から現代俳句”列島春秋”欄として抽出した大津絵の句への補説の依頼を受けましたので、先日送付しました。<『大津絵の筆のはじめは何仏』という芭蕉の著名な句が、大津絵という名称の使い初めと言われ、寛永十四年の島原の乱勃発を契機に、江戸幕府のキリスト教への制圧弾圧が激化して行った時代背景を考慮すれば、約五十年後の芭蕉の句がその証拠になるとの論議も肯える。踏み絵によるキリシタンの選別法を逆手にとって、大津絵の仏画を床の間にかけ、身の保全を図ったと想像するに如くはない。釈迦来迎図などの仏画以外には馬乗り狐や白無垢美人、藤娘、天神、牛若丸、若衆、弁慶の立ち往生、為朝のほか、鬼の念仏、鬼の三味線などユーモラスな作品も特色の一つである。>
2015.05.24
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〇今月のたかんな句会の兼題は先月、当番に当たっていた私の思い付きで「繭」「朴の花」にしましたが、少年期2年間暮らした佐賀では、姉が繭を百匹ほど飼ったり、赤ちゃん雀を飼ったりしていました。 糸取の繭をどりては銀放つ 星子 勤isoしむの一語を極め繭となる 〃 繭一つ山神さまのご落胤 〃雀は近所の上級生が屋根瓦の隙間から奪ってきたものですが、箸で餌をやって手乗り雀に仕立てていました。 ところで、鳥の名前には後ろにメのつくものが多々あるようで、つばめ、すずめ、かもめ、やまがらも最後にメをつけてやまがらめと呼んでいたようです。拾遺集には紅葉葉に衣の色は沁みにけり 秋の山雀女めぐり来しまに木の葉雨木の実食ひ飽きやまがらめ 日も傾きて何思ひゐる山家集にもならびゐて友をはなれぬこがらめの ねぐらにたのむ椎の下枝などの例があります。 金田一春彦先生の「ことばの歳時記」には、<サ行の子音は古くはチャ行の音だったという学説がある。そうすると、チューチューと鳴く鳥がチュジュメすなわち雀で、その鳴き声からツパッツパッと鳴くやつが燕と言われるようになったということになる。>また<栃木県、茨城県の農村や福井県の山村では鳥だけではなく獣や虫にまでメをつけて呼ぶ。牛はウシメ、蚊はカメという伝であるが、「先生」にまでメをつけて「センセイメが来た!」と叫んだ生徒がいたのには驚いた。>とも書かれています。
2015.05.23
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〇大阪城天守閣に蔵されている宝物に混じって、浪速のことも夢のまた夢と詠まれた太閤殿下の手紙が保存されています。宛名はまんところ殿つまり正妻のねね様。 <返々、久しく御訪れなく候まゝ、心もとなく候て申しまいらせ候。懇ろに返事待ち申し候。こなたは、再々雨降り候て、道悪く候。敵八州に持ち申す城五つまではこれなく、早、城々百ばかり取り申し候。五つの城も大たわら(小田原)はじめて城を渡し申すべく間、命を助け候へと申し候へども、なかなかとりつき候物も曲事(者)の由申しつけ候間、誰々もけよう申さず候。いよいよとめでたき左右申すべく候。この間は、文にても申しうけ給はり候はず、御ゆかしく候まゝ、申しまいらせ候。そなたより御訪れなく候まゝ、御心もとなく思ひまいらせ候て、わざと筆を染め申し候。又申し候。大政所殿・そもじ・若君・小姫・金吾息災に候や。大さか殿も久しく。 政所殿 てんか最後の4行を解り易く直すと、<このところ、そちからの手紙が来ておりません。そなたの手紙が久しくないものですから、心配になって筆を染めました。 母上大政所様、そなた、鶴松君、養女の豪姫、小早川秀秋(のちに関が原の戦で西軍から東軍へと裏切った人物)も達者でいますか?この小田原の戦でも先に城を建てておきながら、前面にある林を伐り取って、一夜の内に出来たと思わせたり、一晩の間に白壁が出来ていたと思わせたけれど、それは白い和紙を貼り付けた秘策とも。 遥か大坂に居る正妻へ宛てた手紙には家族への秀吉の気遣い、優しさが感じられますね。
2015.05.22
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〇愛煙国家と言えばロシアという国。イギリスやドイツ、ポーランド経由でロシアにタバコが移入された17世紀初めは、ロシア人は1日分のパンを提供してでもタバコとの交換を辞さなかったというくらいの愛煙者ばかり。ところが吸い殻の始末には無頓着で、モスクワでは大火が頻発。時の大公ミハイル・ロマノフが使用売買を禁じたのが1634年のこと。それでも懲りない連中には、鼻を削がれたり、鞭で叩かれたり、財産没収の上シベリア送りになる罪人が続出したようです。 同様に中近東のオスマン・トルコのアムラート4世(1611-40)は、タバコによる火災を恐れる余り、喫煙者を捕えて極刑に処しました。彼の晩年の5年間だけで、2万5千人が死刑になったという凄まじさ。しかし、トルコは古くから巻タバコの名産地で、サンティやカヴァラは葉巻のハヴァナに匹敵する上質な葉です。(参考:たばこ小百科辞典<専売公社刊行書>) なお、明日から3日間、本部の記念館にて開催する第九回企画展、結社創刊95周年記念の飾りつけに出かけます。
2015.05.21
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〇大山崎の観音寺には聖天さんが祀られています。ご利益と違反者への罰の話の他に、わたし達ガイドは、聖天(ガネーシャ)さんが元は乱暴者で困っていたところ、十一面観音さまが女性に姿を変え、一目惚れした彼が乱暴狼藉をしないと約束して夫婦になったと説明しています。ところが、本場のインドでは、ガネーシャの誕生には幾つもの話が残されているようです。(1)シヴァ神の妻パールヴァティが自分専用の召使が欲しくなり、自らの垢に香油を混ぜて作った人形にガンジス河の水を注いで命を吹き込んで生まれたのがガネーシャ。 入浴中に夫シヴァ神が覗きに来るのを嫌った彼女がガネーシャを門番にして見張らせました。父シヴァ神の侵入を拒んだ息子に腹を立て一刀のもとに首を刎ねてしまいました。それを悲しんだ妻の訴えに応えて一番先に見た動物の首を据えつけるという約束の結果、折しも通った象の首が据付られたという話や、(2)見られた者はすべて灰になるという悪魔に生まれたてのガネーシャが祝福された瞬間、首から上が灰に帰した。そこでヴィシュヌ神が空を飛び、河畔で寝ている象の首を運んできて据えたという話。(3)シヴァ神が妻パールヴァティを見つめていると、その美しさに感動したシヴァ神の頭からまばゆく輝いたガネーシャが生まれ出た。自分よりも美しい者を認めない妻は、その子に呪いをかけ、象の首そして醜い出っ腹にしてしまったという話も。この他にもいろんな説があるガネーシャはインドでは人気抜群の神様ですが、日本では歓喜天という男女合体の秘仏も多く、なかなかその実態、お姿を見ることができず、残念に思っています。
2015.05.20
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〇我慢にがまんを重ねてきた甲斐あって、4月になると漸く温暖な日々が続きました。今や夏日の気温になる5月。こうして先日までのことがどんどん遠ざかって行くのです。 さて辛うじて残しておける4月の拙句は?〇若草や袖布流きみを野守は見 <万葉集から一部拝借して詠みました。>〇言の葉は心のかたち花筏 <言葉は他人を傷つけることも癒すことも。> 終活をそろそろしやう春夕焼 <父の夢の跡を本腰入れて整理、併せて自分の 過去の身辺整理も。>〇みちのくの紀行の謎や蜷の道 <蛍の餌となる小さな貝。田や川の泥土にラン ダムにつける足跡と芭蕉の不可思議を重ねて みました。>〇長閑さや在五どのやら式部やら <在五というのは在原業平のこと。清少納言や 紫式部なども、花の季節を日記や歌に遺して います。> 祢ざめ屋の鯖鮨食んで句座につく <伏見稲荷大社の前に、古くから商っている店 に”祢ざめ屋”さんがあります。稲荷寿司や鯖 鮨はお高いけれど納得のいくレベルです。> 初夏や寿限無じゆげむの丹の鳥居 <落語にある寿限無。めでたいものを全部寄せ あつめた名づけ。鳥居の多さを詠みました。>〇新緑や百基百相狛ぎつね <伏見稲荷大社の境内、各参道の至る所に狛犬な らぬ狛きつねの石造。どれひとつ同じ表情や姿 がありません。> 竹皮を脱ぐふところや羅漢寺 <稲荷の近くにある石峰寺には若冲図案の石羅漢 が幾体もあって、表情ゆたか。風化に伴い幽玄 さも深まるばかり>五月に入るとガイドが多忙になり、俳句の行事も多々あって、手帳は所用満載です。
2015.05.19
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〇わが国は中国から貰った漢字をベースに、意味のある国字を生み出し、紀貫之の<男もすなる・・・>で始まる土佐日記で採用したひらがな文字入りの読み下し文、オランダ、ポルトガル、独仏、米英語などの外来語を含めると、おそらく世界一語彙を多く持つ国家と思われ、故に四季折々の風物とそれに鋭敏な民族性、それを文字に現わす手段が豊富にあることを忘れてはなりません。一部の若者が言葉をどんどん詰めて言い合う符牒のような言葉は、日本古来の崇高な芸術性を失うことにもつながりそうで、先行きを不安に思います。1)「大津絵の美」鈴木仁一著(芳賀書店) 現代俳句協会の月刊誌から依頼された記事の参 考書として。2)「これは骨董ではない」尾久彰三著(晶文社) 真偽を見抜く目を持つために・・・。3)「<鉄道唱歌>の謎」中村建治著(交通新聞社) ガイドに利用できそうな記事を訪ねて・・・。4)「日本人の質問」NHK編 昔人気を博したクイズ番組から5)「知っておくべき日本人の底力」渡部昇一著 (海竜社) 日本人としての誇りを失わない為にも・・・。
2015.05.18
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〇都市銀行の子会社である某リース会社に移った頃、出勤時の満員電車のあおりでへとへとになって戦力を落とすぐらいなら数台早くの電車を選び、座って出勤する方が会社の為になるという愛社精神?に基づき、鈍行に座って出勤した時代に作った歌詞と曲です。昨年の正月まではVOONというサイトを利用して100曲ほどこのブログで公開しましたが、閉鎖されて以来、悪戦苦闘中でございます。マリーのことば♪(平成14年頃の詞・曲)1)好きになる前に 分っておいてね 私の性格 好みを 自慢できるのは ウジウジしないこと 好き嫌いが はっきりしてるから 付き合い易いと 思うよ 愛してくれただけ 愛してあげるわ2)あらゆる出来事に いろんな男に 興味尽きない 浮気性 自慢できるのは 尻込みしないこと 振り振られて 全然平気なの 兎に角退屈 させない 愛してくれただけ 愛してあげるわ3)もしも傷ついて 落ち込んでいても 知らない顔して おいてね 自慢できるのは 七転八起人 嘘じゃないよ しっかりしてるから いつでも相手に なるわよ 愛してくれただけ 愛してあげるわ この詞と曲は韓国系のスナック嬢、個性豊かな彼女を傍から見ているだけで、歌詞と曲想が浮かびました。
2015.05.17
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〇ほぼ連日この日記を更新し続けるにつけ、直球や変化球を駆使する訳ですが、数日先を見据えた計画的な段取りが必要でないでもありません。とどのつまりは、抱腹笑辞典シリーズに逃げ道を求めざるを得ない場合も御座います。例によって、ビックリハウス版国語辞典”大語海”のツとテの部からアレンジしますと、ツマヅク=妻らしくなる。ツキトバス=ロケットを打ち上げる。或は運が 逃げてゆく。痛心母=問題児を抱える母。ツキデル=日が暮れる。〇ツーピース=蟹転移無法=ガン細胞のこと転地無用=転勤などあり得ない零細企業の宣伝 文句。亭主淡白=夜分元気のないご主人。天津乱饅=天津甘栗が売れすぎて隣の饅頭屋が 困ること。低額処分=バーゲンセールテノール=文鳥愛好家臀波=おなら。電気スタンド=電気自動車の為の充電所てぬきそば=かけそば。テニス=手の艶出しクリームのことここいら辺で。
2015.05.16
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〇入学したての1年生にとって最初に喜ぶ行事と言えば、遠足に違いありません。「あしたてんきになぁ~れ」と窓際に吊るすのがテルテル坊主。なかなか寝付けない夜が明けたら真っ青な快晴に心もうきうき。元気の良い「行ってきま~す」を残して子は学校へ。 ところで折角天気にしてくれたテルテル坊主を用済み後はクズ籠にポイっと捨てるのは気が引けますね。テルテル坊主は昔からあったようで、もともとは「あまがつ」と呼ばれ、西洋で言う天使のようなもので、こけし、ひな人形、テルテル坊主これら3つは同じ仲間だから、テルテル坊主はこけしに似ています。だから天気をもたらせたテルテル坊主は流し雛のように川に流すのが本筋ということになります。天気をもたらせなかったテルテル坊主。童謡歌詞のように首ちょん切られるのは余りにも可哀そうですね。
2015.05.15
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〇大村しげさんと言えば、京のしきたりや風俗を綴った三人の女性の一人ですが、父が遺した新聞の切り抜きから引用します。 <女の子が大勢集まって、つかまえやら陣取りをして遊んでいると、きまってかまいに来る男の子がいた。ちょかちょかと女の子のねき(傍)へきて、知らん間に仲間入りをしてしまう。つかまえは鬼ごっとのこと。鬼になったもんは、だれかれを追いかけてつかまえる。こんどはつかまえられたもんが鬼で、また追いかける。そんなとき、足の遅い鬼さんにあたると、みんなは半分逃げながら”ネコがネズミとる、イタチが追いかける、チョイチョイ”と手をたたいて、鬼をからこうたりした。それをまっ先にやりだすのは男の子で、いままで遊びに夢中やった女の子も、初めて男の子がまじっていることに気がつく。すると、みんなで大声あげて”おんなの中に男が一人”とはやしたてる。そのときの、男の子のてれくさそうな顔というたら。(中略)そんなやさしい子は、ままごとのこども役で、おかあさんの女の子のねきで、ちゃんと行儀ようすわっている。それを見つけたわるさ連中は、うらやましいのかやきもちをやいて”おんなの中に男が一人”といやがらせをいう、そうなると、女の子たちはがぜん強うなって、母親きどりで一人の男の子をかばう。”ほっちっち、かもてなや”と。(以下略) 私の住むこの新興住宅街(と言っても既に50年以上経過)は、やや碁盤の目のように、竹藪を切り開いた傾斜地に道路が縦横に走り、それほど車が通らないから、近所の子供たちが暗闇になるまで、一生懸命に遊んでいます。高学年になると、挨拶するのも恥ずかしく気に、そそくさと逃げる子もやがて高校へ通いだすと立派に挨拶をするようになります。こうして歴史は繰り返され、人間社会は受け継がれゆくようです。
2015.05.14
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font size="3">〇上御霊神社を抜きにして怨霊のことは語れません。御霊神社の名が史書に出てくるのは貞観5(863)年のことで、六所明神、つまり怨霊神は六柱でした。それが此処では2体増え、早良親王、井上内親王、他戸(オサベ)親王、火雷神、吉備聖霊、藤大夫(藤原廣嗣)、文屋宮田麻呂、橘逸勢。いずれも恐ろしいお顔。 余談ですが、北野天満宮本殿の奥で、今も生きておられるといわれる菅原道真の御像も目を見開き、口を結ぶ憤怒顔とか。 井上内親王は聖武天皇の娘、孝謙女帝の異母妹で、白壁王(光仁天皇)の妃。お二人の皇子が他戸親王。ところが稀代の策略家・藤原百川の陰謀により、井上皇后と他戸皇太子は廃され、二人を亡き者にして山部親王(桓武帝)を皇太子に推した因縁があります。 祇園祭で有名な祇園社も怨霊鎮魂の神であり、牛頭天王を祀っています。スサノヲの命と習合された異国生まれの威力ある牛頭天王を祀り、より強固な怨霊の鎮魂を図り、やがて剣鉾が巨大化した為に車に乗せ、華美な装飾を施すに至ったものと思われます。(参考図書:梅原猛著「京都発見1地霊鎮魂」)
2015.05.13
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〇昨日のブログは珍しく休みましたが、これには訳がありまして、結社の大きい方の行事、夏季吟旅、石見銀山・松山城(堀めぐり)・玉造温泉での一拍。49名の大所帯でした。 さて梅雨の時期になるといたる所で見るカタツムリ。頭には2本のアンテナがあって、沈思黙考タイプの賢そうな虫ですが、さぁ~て、背負う貝殻は果たして右巻きか左巻きかそこまで考えてもいませんでした。関西地区のナミマイマイと関東のミスジマイマイは右巻きで、圧倒的に右巻きが多いのだそうです。左巻きのそれはヒダリマキマイマイのように頭に左のつく種類で少数派になります。蝸牛は海の貝と同じ仲間ですが、陸上生活に適応する為に原始的な肺を持っているとか。ただ水中生活の名残で体の表面をいつも湿らせていなくては生きてゆけないし、雌雄同体。子のカタツムリは8月に生まれ、直径4ミリ程ながら、貝殻を背負っています。(参考資料:樋口清之著「雑学おもしろ歳時記」)
2015.05.12
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〇童顔の大頭で裃をつけて座る福助人形は大抵の方はご存知でしょう。縁起物の人形で、一八〇二(享和二)年長寿で亡くなった摂州の百姓佐太郎は身長が大人の半分にも満たない小さな、頭でっかちの子ながら、幸運に恵まれた生涯を送ったのでその姿を福徳招来の縁起物として「叶福助」の人形として人気を博しました。 また一説には、京の大文字屋という大きな呉服屋の主人が頭の大きな人ながら大福長者となり、町内の貧しい人たちを援けたので後年貧民たちが彼の像を拵えて報恩したのが福助人形の初めとも。またお多福の面を被った紅前垂てのお福と対になって祝詞を述べる門付けも一時流行ったとか。福助足袋が開発した福助ミシン、それから歌舞伎役者の中にも、福助さんがおられ、7代目の福助さんは顎に特徴のある女形でしたが、そんなハンディを発条(バネ)に舞踊も演技も立派になさっていたのが、子供心にも印象的な方でした。
2015.05.10
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〇昭和48年11月に刊行された日本専売公社の「たばこ小百科辞典」から、著名な人物の横顔を拾ってみました。〇シェークスピアは大変な愛煙家でしたが、彼の 作品にはタバコを吸う人物は一人も登場してい ません。〇謹厳なる哲学者・カントは嗅ぎタバコの愛用者 でしたが、その害は性的な感情を興奮させるも のだと非難していました。〇音楽の父と称されたバッハは<タバコ飲みの反 省>という曲で、人生の無常感を歌ったとか。〇バルザックの門を叩いたフランスの詩人・ボー ドレールのタバコ観とは、喫煙は儀式でなくて はならない。かと言って形式に走るのではなく 自らと語り合い、瞑想に終始するもの。〇シャーロック・ホームズは或る事件を解決した 時<クッションを5つ集めて、その上に座り、 刻みタバコ1オンスを煙にして、やっと事件の 解決に到達したんですよ>と言ったと、 生みの親・アーサー・コナン・ドイルが作品の 中で書き残しています。付録ながら以前にも書きましたが、〇樋口一葉は貧しい暮らしの中、感動的な作品を 残して早世しましたが、重度の喫煙家でした。
2015.05.09
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〇歌舞伎の「楼門五三桐(通称山門)」は、南禅寺の山門から洛中を睥睨しつつ見得を切る五右衛門の芝居で、僅か15分ほどの出し物ですが、豪華絢爛な景色、大百日鬘姿の貫禄のある演技が楽しめます。 五右衛門は、真田蔵之進という名の遠州浜松の侍という説や、忍者百地三太夫の弟子で不義を働いた石川文吾説。他に河内の石川村生まれとか、丹後の伊久知山の山城に住んでいたという説も。その山城は秀吉の命で、細川幽斎の手によって落とされ、城主石川左衛門尉秀門の次男が五右衛門で、その叔母に当る菊寿さんの15代目の後裔が坂根久ニさん。坂根家系図には五右衛門の名も記されており、面長で色白、和歌と謡曲の名手とも伝えられているそうな。 さてガイドの立場で少し付け加えますと、後鳥羽上皇を祀る水無瀬神宮の境内の手前、参道正面の神門には社殿に飾られた名刀”菊一文字”を盗もうとするも神威に負け、止む無く残した五右衛門の手形がありますのでご覧下さい。また五右衛門の墓は京は円山、鉾の形をした祇園閣のある大雲院にあって、参拝者に削られた墓石もご覧下さい。この寺には織田信長公・信忠公の大きな墓石もあります。わが俳句結社では毎年ここで前年の故人の冥福を祈る句会を催しています。
2015.05.08
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〇解りやすいニュース解説でお馴染みの池上彰さんの「新聞勉強術」から適宜拾ってみました。一番最初に強調しておられるのは、<どの数字を使うかで、事実は正反対になる?>ということ。「吉野家、8月売上高27.8%”新定番”効果いまひとつ」(日経新聞)「吉野家の売上高 前月比7.4ポイント改善8月、来客数も」(朝日新聞)同じ日の新聞ながら、吉野家が発表した数値には、対前年同月比と対前月比のふたつがあって、日経は前者の数値を捉え、アメリカ産牛肉輸入禁止の影響の翳を強調、朝日は後者の数値を拾い、改善見込みに注力した記事になっています。できれば1つの新聞に頼らず読み比べたり、新聞を素材に、別角度から考える訓練をして欲しいとも。 また「成り行きが注目される」という表現は、業界では<ナリチュー>と言って、プロとして見通しの出来ない記事として蔑まれがちだとか、「いずれにしても」これは論旨を一貫させた記事を完成させる能力がないことを表明しているので、こんな記事は無視しも良ろしいと。他方、「話などでわかった」とあるのは、<単に関係者の意見を聞いただけでなく、それ以外の独自取材した結果、導き出した結論>と、胸を張る記者の自負が込められているとも記しておられます。
2015.05.07
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〇NHK大河ドラマでは吉田松陰が亡くなり、門下生が活躍する時代へと移りましたが、随分昔の新聞に掲載された「李風聞書」に掲題の項があります。慶応3年に神戸が開港され「専崎」という料理屋に居候していた伊藤俊助(後の博文公)は佐比江の遊郭で銀蝶という芸者と深い仲になっておられた。俊介の将来性を見抜いた銀蝶は彼に相当な額を貢いでいて、浮気は許さないと約束させていたのに浮気が発覚。専崎に乗り込んで散々文句を吐くのをヤクザが収めました。 明治維新となって博文公は兵庫の知事として赴任するや、銀蝶がやって来ては、本来はアンタの内室になっていた筈なのにと、再びゴネていましたが、何度も知事室に通ううち、警備の巡査と夫婦になり、博文公も安堵されていましたが、布引の奥山で全裸死体となって発見されました。夫の巡査が怪しいとされていましたが、明石の海岸に死体となって漂着。真相は判らぬまま決着した事件はオフリミットとなったようです。
2015.05.06
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〇昭和18年の父の日記を見て驚きました。5月1日、理髪店にゆき、理髪と髭剃り合わせて1円30銭。それに税3割が加算され支払いは1円69銭と明記してあります。神戸支店に転勤した頃で、故に住まいも住吉に引越しした直後。2日は購買部へ果物を買いに行くも、配給が無かった由。ホトトギスの俳人・阿部みどり女さんに手紙を書いています。3日未明、地響きとドスンという音がしたと母が父を起こし、用心のためモンペ姿で母は再度寝たようです。住友生命本社(大阪中之島)へ。新関氏(後年、芭蕉の執筆家)と昼食。生家・京都から荷物が続々到着。4日は2階の窓に暗幕を張っています。5日は防空訓練日で、国民服にゲートル巻きで会社に出かけた由。夜にホトトギス宛投句。 筆圧の弱い、小さな文字の日記は難読ながら、4月5月分の至る所に戦争の匂いがしてきます。長姉2歳半、次姉1歳真近。私はまだ誕生前。
2015.05.05
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〇全国17の私鉄を総額4億円で国が買収する旨の鉄道国有法が明治39年に強硬採決される以前の国有鉄道と言えば、東海道・北陸・奥羽・中央本線の一部で、東北本線(当時は日本鉄道)、山陽本線(山陽鉄道)のほか北海道、関東、関西、四国、九州には私鉄の路線が走っていました。総長凡そ8千キロの内7割を私鉄が占めていました。国有化に熱心だったのは軍部で、物資や兵士の大量輸送の鍵を握るのが鉄道という手段でした。官鉄と鎬を削り張り合った例に関西鉄道があります。官鉄の名古屋ー大阪間の往復運賃の1等は6.86銭、2等4円、3トウ円に対し、関西鉄道では1等4円、2等3円、3等円という具合。ここから官鉄と関鉄との値段競争、土産競争が激化したようです。関西鉄道は現在でいう5、6千円相当の弁当を運賃に含めて販売、その容器も漆塗りの重箱だったとか。
2015.05.04
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〇もうすぐ図書館に返却しなければならないのに、どうしてもこの日記に残して置きたくて、引用が頻繁で恐縮ですが、荒俣宏さんの「木精狩り」からもう1章を紹介します。「大日比のなつみかん」は安永年間つまり1771年からちょうど10年の間に、山口県の青海島の西本秀雄さん宅にあります。実は70年後の弘化4年、家の改築に伴って伐られた切り株から新しく枝が生えた復活もので、昭和2年に国指定の天然記念物になっています。元はと言えば海岸に流れ着いた黄色い果実を植えたところ、大きく育ち、当初は自家用の酢として利用、後年、藩主毛利敬親の奨励政策もあって接木増殖されました。全国ネットに広まるのは明治維新後、小幡高政が失職した武士の生業として懸命に販路を広めたという経緯があります。 ただ不思議に思われるのは、この夏みかんも、あの南方熊楠が愛した紀州みかん(原種安藤みかん)も、八朔も温州みかんも、18世紀前半に西インド諸島のバルバドスで栽培されたグレープフルーツにしても、本来の原木が見つからず、実から派生したと言われる謎めいた事実。
2015.05.03
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〇テレビがお茶の間に土足で上るような時代は、たけし軍団が人気を博した頃から、その兆候が見え始めていました。各テレビ局は伝えなくてはならないニュースを提供し、一方では、高雅な日本の文化を損ねることのない娯楽番組を組む使命があります。他局が好評だからと、料理番組や美味いグルメ番組、クイズ番組、医療問題など、どのチャンネルにしても各局ほぼ同じ内容。 食生活を含め、もう一度、清貧ながらもゆったりとした日々を過せるようなモラルの向上に根差した番組を提供していただきたいものですね。1)日本の女が 消えて行く しおらしい 控え目な 優しい女が 消えて行く どんどん消えて 男と変わらぬ女が 増えて行く 日本の男が 消えて行く 我儘で 逞しい しっかり男が 消えて行く どんどん消えて 女と変わらぬ男が 増えて行く 自由も平等も いいけれど 何か忘れちゃ いませんか 本当の役割を 本当の魅力を 忘れちゃいませんか? 2)日本の子供が 消えて行く 腕白で 正直な 元気な子供が 消えて行く どんどん消えて 大人の振りした子供が 増えて行く 日本の親父が 消えて行く 厳しくて 温かい 頑固な親父が 消えて行く どんどん消えて 目先の大事な親父が 増えて行く 学歴社会も いいけれど 何か忘れちゃ いませんか 未来に伸びて行く 希望の星たちを 忘れちゃいませんか?
2015.05.02
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〇五味相生の譬えとは乳味・酪味・生酥味・熟生酥味・醍醐味という具合に牛乳を精製する過程での5つの味を言います。御釈迦様が一旦苦行林に入られ難行苦行を積まれましたが、悟りを得ず、苦行林から出てジョウバンザの岩に坐して再度試まれましたが、衰弱の極みまで行かれたので、少女が振舞ったのが一杯の醍醐という乳飲料。たちまち元気を取り戻されました。 奈良朝のわが国では、代々天皇に差し出す牛乳の量は3升以上だったとかで、そういえば、天智帝を初め、天武・持統・文武・光明皇后などどなたも元気な人だったのは牛乳や乳製品の効用だったのかも知れません。私事ながら私も、ピロリ菌対策のLGや風邪予防のR1ヨーグルトは毎朝戴いています。
2015.05.01
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