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font size="3">〇10月28日に図書館に寄って、新たな5冊を借りて来ました。1)「柔らかな犀の角」山崎努著(文芸春秋) 父が演劇を愛したように、そのDNAなのか俳優 という仕事に憧れます。出前ガイドは紙芝居風に 演じるのですが、色んな人物になりきる俳優業。 山崎さんの演技の深さは豊富な読書量に拠ってい のでしょう。2)「フォトリーディング超速読術」 フォトリーディング成功者の声には、リストラさ れ失業中の1年間に300冊以上読み、本も出版。 講演依頼も多々の人。或るいは物事を見る目や考 え方が鋭敏化とか、未経験の分野でも対応できる 知識が身についた人達。3)「おもしろ見出しを探せ!」師岡達一著 森羅万象を言葉で遊ぶ、地獄の果ての地獄絵図。 明治・大正・軍国にみる怪奇・新鮮な見出し。死 亡記事にみる人間ドラマ、おかしな見出し、怖い 言葉の魔性。七五調、スポーツ紙や関西弁。4)「大人の学校 卒業編」橋本治ほか(静山社文庫) 行間の読み方。江戸前の食文化・ファッション・ 色と恋。生と死の間。おかしみは何処から?など 頭脳を新鮮に保てそうな書。5)「親子で遊ぼう!!おもしろ博物館、関西版」 三重を含む近畿圏の施設、例えば市立科学館や民族 博物館、上方演芸資料館、神戸らんぷミュージアム 明石天文博物館、世界凧博物館などの紹介書。いつも詳しくは読んではいませんが、いろんな情報で脳の劣化を食い止めたいと思う次第です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<お願い>大阪と隣り合わせになる大山崎地区は天下分け目の戦いでご存知の天王山を初め、歴史的なものが一杯詰まった観光地です。私が所属する「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページを是非ともご覧ください。http://www.kyoto-ofg.org/
2015.10.31
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〇最近疲れ気味で、日記の更新意欲が漸減しつつあります。すでに一度掲載した記事・ビックリハウス版「大語海」のコの部から抜粋したものを。 国会欺員=国会のために国民がだまされて選ん でしまった人。(注)欺の代りに疑・ 戯・偽が入る場合も。 紅白観念=大みそかが近づくと歌手が陥る心理 状態を言う。 腰淡々=味気のない女のこと。 極落往生=とことん落ちぶれて死ぬこと。 合性写真=ホモorレズの写真を言う。 校歌敵面=母校の校歌を敵校の前で歌うこと。 校名声大=面接などで自分の出身校を大きな声 で言うこと。 国定公演=もちろん国定忠治の公演のこと。 光頭無毛=ハゲ、完璧な禿頭。 酷民所得=人民をこき使ってもうけた金。 国産者=イザナギ命、イザナミ命のこと。 好紀信=写真家・篠山紀信のファンだよ。 高価適面=顔にぴったりに作ってある面は高い ということ。 語裏夢中=言葉の裏、つまりパロディに夢中に なること。 格子園=刑務所の俗称。野球賭博者用の刑務所。 五十三次=五十四のこと。 今回はこ辺で~。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<お願い>大阪と隣り合わせになる大山崎地区は天下分け目の戦いでご存知の天王山を初め、歴史的なものが一杯詰まった観光地です。私が所属する「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページを是非ともご覧ください。http://www.kyoto-ofg.org/
2015.10.30
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〇四条河原町のバス停で待っていると、清水寺方面へ行く人の多いこと。川柳では 清水はついえな銭にたとへられと揶揄しています。清水寺の舞台は高さが十一メートル余りある懸崖造。百三十九本の柱に支えられ、横に貫柱を組んでいます。これを地獄止めと言うそうな。さて「宇治拾遺物語」には、検非違使の忠明が登場します。かの境内で無頼の若者らと口論に及びましたが、相手が刀を抜いたので、彼も刀を抜き構えたものの、多勢に無勢、本堂の方へ逃げ延びました。しかしそこにも相手側が立ち塞んでいました。進退窮まった忠明は、堂の内にあった板張りの衝立を脇に挟むと、えい!とばかりに舞台から飛び降りました。携えた衝立のお蔭で、鳥のように飛翔しながら、谷底にふんわり着陸したとの記述が残っています。 他に舞台の欄干を蹴鞠をしながら往復した超人が藤原北家の大納言成通で、稀代の蹴鞠名人の面目躍如たる行いが詳細に記述されています。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<お願い>大阪と隣り合わせになる大山崎地区は天下分け目の戦いでご存知の天王山を初め、歴史的なものが一杯詰まった観光地です。私が所属する「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページを是非ともご覧ください。http://www.kyoto-ofg.org/
2015.10.29
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〇ご周知のように京都は古来より宮処(ミヤコ)のあったところ。都ながら覇権争いの渦中にあって戦火の絶えないところでした。だから京の人々は或る意味戦慣れしていたし、積立金を扱う信用金庫が今も根強いのは一大事に備える京町人の知恵だとも推測しています。 <文久2、3年のころは勤王、佐幕入り乱れての大混戦。京の街は毎日のように首や手足がころがり、三条大橋西詰めには青竹に突き刺した生首が、捨て札という罪状板とともに陳列されていたのだが、市民は老若男女を問わず、平気で見物に行った。 「きょうの首は男前どしたエ。かわいそうになァ、切り口が三太刀半どした」などと先斗町の舞妓がさえずりあった>ようです。あの有名な「池田屋の変」は元治元年6月5日(新暦では7月16日)の宵宮、午後10時すぎから2時間要したとか。当時の元日の四条大橋を古文書から再現すると、<橋幅わずかに4間と2尺(7.878メートル)。それでも東詰には南座もあり、まっすぐ突き当りには、現在のと全く同じ八坂神社の西門があり、途中南側の「一力」も今と同じもの。西の方へ足をめぐらすと木屋町(車が1台も通らない)に高瀬川(今より少し深かった)。バーもネオンもない。四条河原町まで来たが、これは恐ろしくさびしい。河原町通は幅2間半(4.545メートル)。北へ曲がると右は各藩邸、左はお寺としもたやとわずかな商店ばかり。すべて灰色と茶色でなんとも殺風景である。>洋装の薩摩兵の1小隊が通ります。士官は靴で兵は草鞋。それらを羨ましそうに見るのは、討幕運動に挺身した筈の浪人たち。彼らは大詰めの晴れ舞台になった途端に除け者にされた総髪の貧乏武士。女性はと言えば、ひっつめた束髪姿がほとんどで、一方、高島田の粋なのは芸妓たちで、髪にめでたい稲穂を垂らせ、黒紋付きの抜き衣紋姿がさっそうと歩いていたと思われます。(参考文献・「百年前のお正月」明田鉄男著)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<お願い>大阪と隣り合わせになる大山崎地区は天下分け目の戦いでご存知の天王山を初め、歴史的なものが一杯詰まった観光地です。私が所属する「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページを是非ともご覧ください。http://www.kyoto-ofg.org/
2015.10.28
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〇大山崎の観音寺では、七月七夕の日に乞巧奠という催事が昨今まで続けられて来ましたが、冷泉家では今なお古式豊かに厳かに行われているようです。荒俣宏さんの「陰陽師ロード」では、「星と稲荷」の章に、大陸文化を伝えた帰化人には、秦氏ともう一派、百済王一族を上げておられます。桓武天皇が交野ケ原に築いた星祭の為の祭壇「郊祀壇」には秦氏と百済王の人々も関わっていたと推察の上、星祭の次第を陰陽師に伝えたと唱えておられます。また、稲荷信仰や星まんだらに因む星神像として、京都一条通りにある大将軍八神社を紹介。吟行のの場を含めて私は、過去数回参拝していますが、他社では見られない古いご神像などが、祀られています。怨霊思想にも関わる伏見稲荷大社、安倍晴明のルーツを辿る為、中国・朝鮮を初め、日本の至るところを探求された名著は一読されるのも良し。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<お願い>大阪と隣り合わせになる大山崎地区は天下分け目の戦いでご存知の天王山を初め、歴史的なものが一杯詰まった観光地です。私が所属する「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページを是非ともご覧ください。http://www.kyoto-ofg.org/
2015.10.28
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〇先日ガイドに携わる人向けの英会話の講習を受けましたが、8年前の日記を見ますと、今は在籍しておられない同じ斑の、英語が堪能なN女史のご協力を得て、大津からお越しになった英会話教室の8名さまのガイドの記事がありました。 先生はまだうら若き方で生徒さん達との呼吸もぴったりの素敵なお客様。広報委員のI氏のカメラも同行して戴きました。 Nさんが流暢な英語で挨拶なさり、面白可笑しく私を紹介して戴いたので最初から笑いの渦の中、JRの開かずの踏切では上り線下り線、都合4台の列車が通り抜けるのを気長に待ちました。宗鑑句碑の説明などしながら爪先上がりの道をゆっくりとしたペースで上り、大山崎山荘に到着しました。山荘でゆっくりしたいとのご希望でしたので、二階のオルゴールの音色、東のベランダから眺める絶景を充分に楽しんで戴き、加賀正太郎さんの美的センスの良さを丁寧にガイドしてゆきました。宝積寺の閻魔堂では桂枝雀さんの「茶漬け閻魔」の中身を紹介しますと皆さん大喜びでした。恋が叶うという待宵の鐘や秀吉公の三重塔なども明るくガイドさせて戴きました。 Nさんの同時通訳的な英語によるガイドの二本建てでしたから、英会話の生徒さんたちは二重に楽しんで戴けたのではないでしょうか。 皆さんの感謝のお言葉と素敵な笑顔。先輩のN女史とふたり、固い握手を交わしながら、今日という一日の締めを行った次第でした。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<お願い>大阪と隣り合わせになる大山崎地区は天下分け目の戦いでご存知の天王山を初め、歴史的なものが一杯詰まった観光地です。私が所属する「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページを是非ともご覧ください。http://www.kyoto-ofg.org/
2015.10.27
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〇江国滋さんは同じエッセイの中で、”カラオケ異聞”に続けて、”やつあたり”と見出しを変え、今度はカラオケのマイナス部分について触れておられます。要は美人の侍るスナックで一杯やりたいという欲はあっても、結果としては早々に自宅に引き上げて仕舞われるのだそうです。その原因と言えば、そこそこ高級クラブの深椅子に寛いでいても、まるで申し合わせたようにマイクロホンその他の歌謡設備を備えていて、”次から次へと”歌いまくる。あの歌を聴きたくないばっかりに、次第にそういう場所に足が向かわなくなった旨述べておられます。江国氏はカラオケはお好きでしたが、自宅でひっそり愉しまれていたようです。 実は私も拡声器を通したようなダミ声で歌われる輩には辟易してしまいます。本当に歌の上手な方は、率先して歌おうとはなさらないように思います。マイクを独占して辺り憚らず歌われる御仁は、恰も宮本武蔵に挑む中途半端な刀の遣い手のように思えないでもありません。私は歌がそれほど得意でない方の歌も熱心に拝聴します。その人の真剣な表情に魅力を感じますし、採り入れたい歌い方にも出遇えるからです。カラオケは、周りの方に聴いて戴くという敬虔な姿勢が大切ですね。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<お願い>大阪と隣り合わせになる大山崎地区は天下分け目の戦いでご存知の天王山を初め、歴史的なものが一杯詰まった観光地です。私が所属する「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページを是非ともご覧ください。http://www.kyoto-ofg.org/
2015.10.26
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〇サントリーの”洋酒天国54号(1962年発刊)”にはおつまみ特集記事があります。 作家の安岡章太郎の「おつまみニ題」という小文があって、彼の父親は酒豪だったそうで、連日の晩酌には奇妙なものを作らせていたそうな。リンゴの輪切りの醤油漬けやら、一寸角の大根に梅干を漬けた汁をかけたものなど一風変ったものだったようです。一方、酒の料理を自ら行う人の代表に、きだ・みのる氏を挙げ、開高健氏と一緒に訪問した折、洗面器で煮た豚のあばら肉をご馳走された由。アルマイトの洗面器にバターを4分の1ほど溶かし、そこへ豚のあばらの片方をまるのまま放り込み、ぐつぐつ煮、更にニンニクを加えられたそうな。文豪たるものかくも豪快な暮らしをなさるものだと感心しながら読みました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<お願い>大阪と隣り合わせになる大山崎地区は天下分け目の戦いでご存知の天王山を初め、歴史的なものが一杯詰まった観光地です。私が所属する「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページを是非ともご覧ください。http://www.kyoto-ofg.org/
2015.10.25
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〇去る二十二日は近くの会館にて、栗木ひさ子さんのご指導で、ガイドにおける英会話を教授願いました。 第一に大切なことはアクセント、抑揚、目や表情身振り、手ぶりも交え、物怖じせずに真摯に向かうことだと思います。また、一にも二にも、相手さんのスピードと発声を聞き取ることが肝心で、Could you speak more slowly, please?これを最初に伝えて応対するのが賢明なのかも知れません。レジメでは次の六項目に分けて、順よく教えて戴きました。〇おもてなしの心をあらわす基本フレーズ〇敬語や心づかいが伝わる基本表現 お願いする/申し出る/お勧めする/了承を得る〇誠意の伝わるお詫びのことば〇聞き取れない →困ったときの対策〇道案内〇館内のご案内/時間のご案内〇心遣いが伝わるプラスαの表現など、一時間半で多くのフレーズを頭に詰め込みました。カセットテープを持参して、録音しましたので、資料と対比しながら発音練習を続けたいと思っています。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<お願い>大阪と隣り合わせになる大山崎地区は天下分け目の戦いでご存知の天王山を初め、歴史的なものが一杯詰まった観光地です。私が所属する「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページを是非ともご覧ください。http://www.kyoto-ofg.org/
2015.10.24
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〇ブログでは政治的な話題は極力避けるよう努めていますが、戦時中の沖縄の逸話について触れておきます。 結城昌治さんの「俳句つれづれ」(朝日文庫)は結城氏の昭和私史ノートの副題が添えてあり、戦争への回顧があって、竹下しづの女の 征く吾子に月明の茄子もぎ炊ぐを180頁の筆頭に据え、昭和19年12月16日付け「細川日記」(近衛文麿の側近・細川護貞)に於ける沖縄視察の一文を掲載しています。日本軍は民家の防空壕を占領して、那覇市民に二十五里も先の自治生活不可能な山中に退去を命じた上、<焼け残りたる家は軍で徴発し、島民と雑居し、物は勝手に使用し、婦女子は凌辱せらるゝ等、恰も占領地に在るが如き振舞ひにて、軍紀は全く乱れ居れり(以下略)>これは米軍が上陸してくる三か月半も前からこんな状態でした。立派な兵士も多かったでしょうが、米軍上陸後の日本軍部の残虐さは同じ日本人に対する所業とは思えなかったようです。筆者結城氏は最初で最後の海軍特幹練に受験、合格された青年でした。しづの女の句を更に掲載、 tuma tane ことごとく夫の遺筆や種子袋 まつくらき部屋の障子に凭れ居し 緑陰や矢を獲ては鳴る白き的 hadani ni 人膚に肖てあたたかき枯木かなこういう悲惨な戦争被害を経験された沖縄民、親たちから聞かされてきた沖縄民が、過敏に反応されることを根底から理解した上で、誠心誠意を以て基地路線の説得に努めていただきたいと願う次第です。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<お願い>大阪と隣り合わせになる大山崎地区は天下分け目の戦いでご存知の天王山を初め、歴史的なものが一杯詰まった観光地です。私が所属する「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページを是非ともご覧ください。http://www.kyoto-ofg.org/
2015.10.23
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〇近所の孝之君の家には大豆(黄な粉)やコーヒー豆を粉にする手動の器具が有りました。珍しくって彼の家に遊びに行った都度、その器具を見ていました。当時、一帯には電気・水道とガスは供給されていましたが、我が家の門を入ってすぐ玄関口のそばには井戸のポンプが有りました。このポンプはゴムが磨り減ったのかよく壊れたし、吸い上げる力が弱かったように思います。 私たちはお八つを自分たちで拵えました。お玉杓子に砂糖を入れ、ガス火に当ててかき混ぜていると、砂糖が次第に茶色になります。そこへ重曹を少し加えて更にかき混ぜながら、或るタイミングで乳棒をまっすぐ上にあげて火を消します。すると砂糖汁がプクプクと盛り上がり、お玉の形になりカルメラが出来上がります。また、パンや煎餅も自分たちで拵えました。近所の青麦を摘んで口に入れ噛んでいるとねばねばになります。これをガムと称していましたし、蝗を何匹も捕まえて焼き、醤油をかけて食べていました。 物資の少ない時代には野に生える草も口にしましたし、筍を剥いた竹の皮に梅干の梅肉を押し込んで、押し出しながら食べるなど、それなりに食生活の工夫があったように思えるのでした。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<お願い>大阪と隣り合わせになる大山崎地区は天下分け目の戦いでご存知の天王山を初め、歴史的なものが一杯詰まった観光地です。私が所属する「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページを是非ともご覧ください。http://www.kyoto-ofg.org/
2015.10.22
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〇シリーズ「桂の思い出 その3」の前に休憩を挟みます。清水義範さんの某書を参考に書いてみました。 一富士二鷹三茄子はよく知られたセットものですが、一金二押三男 → 女性を口説く三要素一に雲二に腰三に拍子 → 相場師に必要な要素簡単なものは一に楽、二に萩、三に唐津 → 茶碗同様に 調子・振り・男 → 歌舞伎役者一姫二若三老人 → 危険なドライバー三大美景なら宮島・天橋立・松島で、三名園なら後楽園・偕楽園・兼六園と相場が決まっているようです。京都三大祭なら葵祭・祇園祭・時代祭大和三山なら畝傍山・耳成山・香久山世界三大美人は言わずと知れた クレオパトラ・楊貴妃・小野小町で選挙の三バン → 地盤・看板・鞄女性の憧れ三高なら 高身長・高学歴・高収入とまぁ欲の深いことですな。このほか、御三家や四天王、五人男、六歌仙や七賢人など、いろいろ考えるのは脳への刺激になりますね。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<お願い>大阪と隣り合わせになる大山崎地区は天下分け目の戦いでご存知の天王山を初め、歴史的なものが一杯詰まった観光地です。私が所属する「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページを是非ともご覧ください。http://www.kyoto-ofg.org/
2015.10.21
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〇桂に居た時分、妹が家で生まれました。近所に住んで居たお祖母ちゃんの大活躍の日でした。お湯を一杯沸かし盥にそれを何杯も注ぎ足します。水を足して二の腕まで浸けて湯加減をみていました。出産の現場は男子禁制。やがてオギャ~と威勢の良い産声が聞こえたかと思うと、布地に包kuruまれた赤黒い赤ちゃんの初湯です。生まれたての赤ん坊は、猿のような皺くちゃな顔に、お臍が飛び出て居て、何とも不可解な生き物に見えたのでした。・・・やがて赤ちゃんと並んで寝た母の顔は大きな仕事を済ませた安堵感に満ちていました。歳が離れていましたので、人気を攫うこの赤ん坊には私は嫉妬を感じることも無く、大切にして居たのだろうと思います。 ご近所に堀井さんのお婆ちゃんが独り住んでいらして、その家の二階には真っ暗な板の間の倉庫が有り、次姉と二人してその部屋に夥しく散逸していたレッテルを好きなだけ貰って来ました。何かの商品の商標だったに違いなく、子供の目には色鮮やかなそのレッテルが、宝物に思えて何枚も集めていました。飴やキャラメルの包装紙も華やか。皺伸ばしては大切に保存していました。 家から200メートルほど先に芝生の生えた白いブランコのある金網の塀のお家が有りました。そこのお嬢さんは綺麗な洋服を着ていて、白い大きなリボンを着けて居ました。庶民の私たちと明らかに異なった階級の人だと思い、遊ぶことは有りませんでした。何せこちらは正月以外は、着の身着のままのぼろを纏っていましたからね。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<お願い>大阪と隣り合わせになる大山崎地区は天下分け目の戦いでご存知の天王山を初め、歴史的なものが一杯詰まった観光地です。私が所属する「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページを是非ともご覧ください。http://www.kyoto-ofg.org/
2015.10.20
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〇私は京都市内の産院で生まれたそうな。戦争末期の物資乏しい時代で母の乳が出なかったそうな。日の当たらない京町家の暗い部屋に置かれていたそうな。栄養失調になって皺くちゃな赤ん坊だったそうな。医者がこの子は残念ながら・・・と見放して居たそうな。3歳まで歩行できず、風呂屋で立たせようとすると、脚を引っ込めていたそうな・・・。だから大人になるまで階段を怖がり、高いところに立つと足が竦む感じでした。しかし乍ら、持って生まれた生命力が功を奏したのでしょうか、現に私は生きています。・・・もの心がついたのは「桂」という町に住んでから。亡父が子供好きで近所の子供を集めては遊んでくれていました。父は子供劇団「ひまわり」を結成。姉二人ともそれに属していたようです。置いてけ堀にされた私は寂しい思いをしました。ところで桂時代と言えば、片足で漕ぐスケートを一日中乗りまわしていたような記憶があります。秋になると自分の姿が地面に長く伸びて映っていました。お隣りの藤田のお爺ちゃんが石膏で車の型を作り、その中に、虫を容れて走らせる玩具を下さいました。虫が右往左往するまま、石膏の小さな車がひょろひょろと動きました。春は近くのキャベツ畑に群がる紋白蝶を捕まえていました。小川を堰き止め小魚を捕らえていました。夏の夕は子参院は父について桂川を散歩。太田胃散の缶から匙でひと掬いの砂糖を順に舐めさせたり、望遠鏡を持ち出し、星や月を覗かせてくれました。不思議なことに私が見たのは、よそのお家、人が逆さまに写っていました。抱っこされた時、身体の一部が望遠鏡に触れ、角度が変わってしまったのでしょうね? ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<お願い>大阪と隣り合わせになる大山崎地区は天下分け目の戦いでご存知の天王山を初め、歴史的なものが一杯詰まった観光地です。私が所属する「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページを是非ともご覧ください。http://www.kyoto-ofg.org/
2015.10.19
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〇山崎合戦では人数面でひけを取ったものの、善戦の末敗れた明智軍の大将・光秀は一旦勝竜寺城に戻り、夜陰に乗じて淀川右岸、久我縄手から伏見に抜け、大亀谷、桃山北部から小栗栖へと逃走。26Kgに及ぶ兜、鎧を脱ぎ、軽い蓑笠で覆う恰好に姿を変えました。馬一頭がやっと通れる細い道、後に明智藪と呼ばれる道に差し掛かったところ、落人狙いが先頭の村越三十郎に一番槍。村人長兵衛の二番槍が光秀を襲いました。4、5丁ほどは馬にて遁れたものの、出血がひどく、落馬。溝尾茂朝に介錯させて自害。これが世に言う「三日天下」の明智光秀の最期で、本能寺の変から十一日目の出来事でした。 先述したように光秀を刺した男は長兵衛と言い、小栗栖には長兵衛屋敷として残っているとか。この日長兵衛は懸賞金付きの光秀の首を狙っていて、その立て札の地を「金ケ辻町」と言い、また光秀が刺された竹藪は「明智藪」、刺された地点を「わた出」(内臓が飛び出したの意)、光秀が溝尾茂朝に首を切らせた場所には「胴塚」が、そして首を葬った左京区東川端三条下がるには「首塚」が残っています。(参考文献・「秘められた史跡」京都新聞社編)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<お願い>大阪と隣り合わせになる大山崎地区は天下分け目の戦いでご存知の天王山を初め、歴史的なものが一杯詰まった観光地です。私が所属する「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページを是非ともご覧ください。http://www.kyoto-ofg.org/
2015.10.18
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〇ビックリハウス版「大語海」のコの部から適宜えらびました。国会欺員=国会のために国民がだまされて選んでし まった人。(注)欺の代りに疑・戯・偽 が入る場合も。紅白観念=大みそかが近づくと歌手が陥る心理状態 を言う。腰淡々=味気のない女のこと。極落往生=とことん落ちぶれて死ぬこと。合性写真=ホモorレズの写真を言う。校歌敵面=母校の校歌を敵校の前で歌うこと。校名声大=面接などで自分の出身校を大きな声で言 うこと。国定公演=もちろん国定忠治の公演のこと。光頭無毛=ハゲ、完璧な禿頭。酷民所得=人民をこき使ってもうけた金。国産者=イザナギ命、イザナミ命のこと。好紀信=写真家・篠山紀信のファンだよ。高価適面=顔にぴったりに作ってある面は高いとい うこと。語裏夢中=言葉の裏、つまりパロディに夢中になる こと。拘束道路=無理やり、右折左折を強いられたり、反 対方向へ行かされたり、おいそれとは目 的地に行けない道路。 また極端なラッシュで車が動けない状態の道路。格子園=刑務所の俗称。野球賭博者用の刑務所。五十三次=五十四のこと。今回はこ辺で~。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<お願い>大阪と隣り合わせになる大山崎地区は天下分け目の戦いでご存知の天王山を初め、歴史的なものが一杯詰まった観光地です。私が所属する「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページを是非ともご覧ください。http://www.kyoto-ofg.org/
2015.10.17
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〇林直道氏著の「百人一首の世界」には百首を、縦(1~10)横(a~j)それぞれ十づつ並べた”歌織物」が提示され、1のaは順徳院の百敷や~2のaは文屋康秀の吹 くからに~1のbは紀友則の久方の~、1の8は小野小町の 花の色は~と言った具合に並べて居られます。6のa僧正遍照の天つ風~、6bの小式部の大江 山~、7b安倍仲麻呂の天の原~と続き、これが”天王山”を暗示している説かれ、また右端3列分の2段目から6段目に大山崎・山崎の名所が配列されていると指摘されています。 友則の<久方の光のどけき>→さか+(光)+ どけ=酒解神社 小町の<わが身世にふるながめ>→ふるのる 光孝天皇の御名と<雪はふりつつ>→ふりのりこれらが近くの瑠璃光山を匂わせているし、1d紀貫之の<花ぞ昔の香に匂ひける>の香2d持統天皇<白たへの・・・天の香具山>→た +香3d公任の<滝の音はたへて>のた1eの行尊の<あはれと思へ山ざくら→山+ら2e三條右大臣<逢坂山のさねかづら>→や+ら3e清少納言<鳥のそら音・・・逢坂の関>と +あふ+ら+関これらから宝積寺コト”宝寺”と油屋(定家の定宿)や油の神様である河陽離宮コト”離宮八幡”が織り込まれ、1f伊勢大輔<八重ざくらけふ九重に>や+ら2f恵慶法師<八重むぐら>や+ら3f源兼昌<かよふ千鳥・・・関守>とりのと +関>九重は御所を指す言葉であるから離宮、関+と(戸)で摂津と山城の境目の”関戸院”も絵図として描かれていると言われてます。まとめますと、酒解神社、瑠璃光山(勝幡寺)、宝寺(宝積寺)、河陽離宮(離宮八幡)、関戸院(関大明神)が織られた歌織物という訳です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<お願い>大阪と隣り合わせになる大山崎地区は天下分け目の戦いでご存知の天王山を初め、歴史的なものが一杯詰まった観光地です。私が所属する「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページを是非ともご覧ください。http://www.kyoto-ofg.org/
2015.10.16
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〇いつもとは方向転換して本日はクイズに挑戦していただきます。出典は鬼瓦宇太郎著(絵:水野良太郎)「パズル中毒本」。 <昨夜の課長のお相手は?> 某社の鬼瓦課長はもうかなりの年だが、こと女性に関するかぎり、まだまだ元気いっぱい。昨夜も課のA子を誘い、ホテルで一夜をあかした。そのせいか、今日はどうも仕事が手につかず、ときどき思い出し笑いをしていた。鬼瓦氏の課には、A子のほかに女性は、B子、C子、D子、E子が居て、左から1~5人並んでいると想像願い、1番左端と4番目の女性が眼鏡をかけているとすれば、A子は1~5のどの娘でしょうか?下のヒントから割り出して下さい。イ)D子はA子ともE子ともとなりあっていないロ)C子はD子ともE子ともとなりあっていないハ)B子はA子ともE子ともとなりあっていない二)B子はメガネをかけていないメモ用紙に図をかけば、きっと解りますよ。 <女スパイの秘密指令を探れ!> 彼女はお手伝いさんに化けて某大企業の社長宅へ潜入しているスパイである。いま、組織からの指令の手紙が送られてきた。絵は右から”にわとり””チリトリ”そして”栓抜き”。鶏の絵の下には、ニキンワニコワノ塵取の絵の下には、ナリチンリバチー栓抜きの絵の下には、セヲサンセングレとなっています。a)会議録をコピーせよb)印鑑を盗めc)金庫の番号を調べろ手紙の指令はどれだった?
2015.10.15
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〇昭和11年当時、亡父は京都帝大の学生でしたが、野村銀行、東洋紡、三菱財閥、第一銀行、そして住友財閥の面接すべてに合格、住友を除く4社に辞退の手紙を送っていました。住友財閥の合格を選び採用通知の受諾を書留便で送り、現住友生命の配属になったようです。10月15日はこの他、凡そ10通の手紙を書いた旨、日記に記録してあります。 ところで京鹿子創始者:鈴鹿野風呂翁との興味ある日記はこれより4カ月前の6月12日のもので、<午前中、農大グランドで教練、帰宅して午食を摂り、信州みやげ「くるみ羊羹」を携えて神麓居訪問。一番東のゆすらうめはもうすっかり熟れてゐる。 親ゆすら熟れ子ゆすらは色づきぬ 昴・・・(注)当時すばるは漢字の昴を号していました。野風呂翁の俳階の域を熟すと言い、慕う立場の子ゆすら=すばるは少々色づいた(師の影響で少し俳句が理解できたの意)と詠んでいます。<先生が信州の短冊に記された ゆすらうめ学校ざかりの五人の子 野風呂を戴き、三時辞す。(姫路羽子板をたのむ) 会計学五時まで聴講、夜は因幡薬師の縁日にゆく>・・・(注)父の生家は高辻通烏丸を西に入った場所にあって木綿問屋を営んで居り、因幡薬師は烏丸通を隔てて東側にあります。 <帰って水野さん>(注)水野男爵のことで白川と号し、京鹿子に属し、京大生を自宅に呼んであれこれ支援していました。わが家には水野男爵から頂いた品々や短冊・葉書などが沢山あります。<から電話あり、「これから郡山の金魚を持ってゆくから」と駅からかけられたのである。間もなく安太郎さんと二人が来られる。三年のりうきん(流金)、他オランダ、出目金、朱文金など六匹もらふ。二十分ほどして帰らる。 来信 小泉氏>と書かれていました。亡父は平成12年(2000年)85歳で亡くなる直前まで、凡そ70年もの間日記を欠かさなかったものと思われます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<お願い>大阪と隣り合わせになる大山崎地区は天下分け目の戦いでご存知の天王山を初め、歴史的なものが一杯詰まった観光地です。私が所属する「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページを是非ともご覧ください。http://www.kyoto-ofg.org/
2015.10.14
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〇テレビ放映の中で何度も使われている言葉の一つに「して呉れる」があります。若者に限らず、教養のありそうな、或いは何らかの肩書のある人でさえ、世話になった人々や目上の人々から受けた親切等に「して呉れた」という用法を使っておられる。東京オリンピック招致が決定した折の、「おもてなし」の気遣いが世界から評価されたのですから、綺麗な日本語を大切に守って行きたいものですね。「して呉れる」の丁寧な表現は「して下さる」と自然に口から出る様に、心の底から感謝し、丁寧に表現して第三者に伝えるべきでしょうね。 去る七月、主宰は一昼夜にして突然亡くなわれたのですが、去年十一月の大祭の席では、「表現のあれこれ」と題して講演して下さいました。「屈折語」や「単音節語」とは異なる「膠着語」としての日本語を説明され、加うるに日本語の特徴ha”主語を省ける”と述べられ、英語ではIにはam、Heならis、Youならareが必ず規則的に付いて文章を成しますが、日本語は主語が無くても成り立ち、何故それが第三者に通じるのかと言えば、(源氏物語を読んでいても解る様に)敬語が発達したからとも言及されました。 落語では幼い頃から宮家にご奉公して女性としての嗜みをつけた人を長屋の若者が嫁に取って難儀する出しものがありますが、丁寧すぎない程度の、程よい敬語・丁寧語を私達年老いた者が先輩として範を示さなければと思った次第です。
2015.10.13
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〇明治28年4月26日付の報知新聞によれば、<東京と京都間、汽車で馳すれば1日ほどなり。長さを問えば329.25マイル、汽車の賃金は下等にて3円29銭、中等はこれに倍す。上等はこれに3倍す。朝6時20分に新橋停車場を発すれば、午後10時47分には京都七条の停車場に着くを得べし。さても便利の世の中とやいわん。さりながら便利はとかく無風流、一日中に直行しては音に名高き東海道の名所旧蹟も電光石火と過ぎ行きて、五十三次の走馬灯を見る如し。殊に直行列車は上等に乗りても退屈でたまらず、中等にては腰が痛み、下等にてはまことに一日の辛抱とや申すべし。京都に着きてホッとひと息するほどならば、旅行の楽しみにあらで苦しみなり。急ぐ人は詮方なし。(中略)名古屋あたりに1泊するをよしとす。泊らば翌日も途上の風景を眺めつつ行かるべし。泊らずして夜に入れば呎尺も千里、近江八景を闇夜に通る無風流となるべし。1泊の利やかくの如し。それよりも余裕ありて2泊3泊ゆるゆる途中を見物することのできる身はいよいよ興味多からん。>(以下略) 東海道線の新橋ー神戸までの全線が開通したのは6年前の明治22年7月1日。当初は1日1往復の運行で、片道20時間を要した。明治29年から上下各3本に増やし、その翌年から急行列車が走った。所要時間は、17時間22分、明治39年4月からは13時間40分に短縮された。(以上、参考図書は「新聞と写真にみる京都百年」岡満男著)しかし永らく鎖国をしていた島国の日本が、明治維新から僅か数年で自前の鉄道を完成させたということには、当時の欧米諸国は無論のこと、現代の日本人である私たちも、その国力、情熱、技術力に敬意を払うべきでしょうね。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<お願い>大阪と隣り合わせになる大山崎地区は天下分け目の戦いでご存知の天王山を初め、歴史的なものが一杯詰まった観光地です。私が所属する「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページを是非ともご覧ください。http://www.kyoto-ofg.org/
2015.10.12
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〇行楽のシーズンで最近はガイド面でも多忙です。資料館を出て離宮八幡や妙喜庵へ行く途中、銭原山宝寺の大きな石碑のある角家が野村家。大山崎に名を残す名家・井尻家の屋敷跡を一部保存、母屋を改築された野村医院の先代さんが大のクラシックファンで、これぞとお選びになったレコードを精度の高い装置で地元の皆さんに聴いていただこうと始められたのが昭和29年の春。それから毎月1回(ほぼ30名参加)、昼または夜にレコード鑑賞の集いを延々続けて来られ、先代没後も二人のお嬢さんがこの集いを最近まできちんと守って来られました。23年前の平成3年には、鑑賞者の延べ人数が1万人に達したと新聞にも掲載されています。私がお伺いしたのは半世紀も経た641回目でした。10年前の50周年には京都府民ホールALTIにて記念音楽会を催されました。時には皆さんで数泊の旅行にも出かけられています。愛好者は奈良や東大阪といった遠方から、時には東京から著名な方々も鑑賞に来られていたとか。ガイドの会同様、趣味の世界で培われた友情や絆は利害とは無縁の「素敵な人の和」まさにハーモニィの世界、もしこの集いが休止中なら、是非とも復活していただきたいと願う次第です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<お願い>大阪と隣り合わせになる大山崎地区は天下分け目の戦いでご存知の天王山を初め、歴史的なものが一杯詰まった観光地です。私が所属する「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページを是非ともご覧ください。http://www.kyoto-ofg.org/
2015.10.11
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〇書庫整理・ホームページ改編等で暫く閉鎖していた図書館から新たな5冊を借り出しました。1)「知られざる大英博物館」NHk編(同出版) ひとりの医師が約8万点の蒐集品を展示する為 設立したのが18世紀半ば。爾来250年間に 集めた各国の遺品。日本物は約3万点。2)「恋は強気な力が勝つ!」衿野未矢著(講談社) ブログの読者に若い女性も少なくないので、ご参 考までに、危険度の高い男性像、元カノにこだわ る男、ダメ男などを女性の目で捉えたもの。3)「陰陽師ロード」荒俣宏著(平凡社) 副題に安倍晴明名所案内とあるように、全国の晴 明スポットを紹介しながらミステリアスな世界を 惹きこむ文章力で纏めておられます。4)「幸運を呼ぶ家相と間取り」富塚祟史著(成美 堂出版) 9年前、この家をリフォームする際、前のイメー ジを保ちながら、家相・間取りを検討しました。5)「東日流外三郡誌」佐治芳彦著(徳間書店) 本書は、つがるそとさんぐんしと読み、古事記以 前の「竹内文書」等を検証、日本西部中心に書か れたものから一旦外れ、 日本の東部を検討、書名の古書を深く研究して得 た”日本はふたつの国だった”という新設と現代ま で続く縄文の怨念を著しています。どれも秋の夜長を楽しむのに相応しい書なのかな。
2015.10.10
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〇ビックリハウス版の「大語海」は全国から寄せられた言葉遊びの本です。本日はラ以降。落石注意=成績の悪い者への警告。楽天家=秀才、つまり簡単に優をとれる人のこと。〇乱数分解=キャンディーズ解散の折、こうも言わ れたとか?〇ライブラリー=生存競争。リキュール=茶の湯を楽しむこと。利不尽=ぼろ儲けのこと。〇両親敵=思春期の子供の家出の原因はここだ!料裁嫌母=料理・裁縫が嫌いなお母さん。零歳企業=発足したばかりの企業。ロン誤=マージャンでいうところのチョンボ。労賃と海=「蟹工船」以来の、船員と船主との葛 藤を描いたプロレタリア小説。「わかってください」=NHK受信料支払いの呼 びかけソング。「吾輩はねこんでいる」=病気がちな作者の自伝 小説。はい、お疲れさま。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<お願い>大阪と隣り合わせになる大山崎地区は天下分け目の戦いでご存知の天王山を初め、歴史的なものが一杯詰まった観光地です。私が所属する「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページを是非ともご覧ください。http://www.kyoto-ofg.org/
2015.10.09
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〇童謡「かごめ かごめ」を検証すると、幾つもの不思議に出遭います。先ず”かごめ”って何のこと?”夜明けの晩”っていう歌詞も矛盾しています。めでたい時に使う”鶴・亀”が滑って転ぶもの変。todo止めが”うしろの正面だぁれ”の収め方。 わらべ唄の遊びは幾つかのジャンルに分けられますが、この唄は”箪笥長持ちどの子が欲しい?”と同様、「子取り遊び」の一つ。千葉県野田市の古社である愛宕神社には、「籠の中の鳥」の彫刻があって、”籠の中の鳥は、いついつ出やる”という訳で、籠には破れ目まで拵えてあるようです。野田は江戸初期から醤油の産地として知られ、江戸川伝いに堀川へ、その水門を通る時には低い余り身をかがめる必要性があったので、屈む=かごめに転じたと推察されます。鬼役の子供は霊媒師・呪術師のひとつで、屈みなさいと唱えつつ、霊力を高める為、ぐるりを廻ったとも考えられます。かがめではなく、囲むの命令形から転じたとも言われ、霊を外に逃がさない為に囲んだとも。後ろの正面、つまり真後ろで見えない人を霊力で当てる遊び、いや神事の例かも知れません。安永8(1779)年発刊の黄表紙「かごめ かごめ 籠の中の鳥」の書き出しは、<むかしむかしより 言ひ伝へし 籠女籠女 物語は・・・>籠は大門で塞がれた遊郭の女、そして見受けされた囲い女・妾という事で、遊女や妾を指す言葉とも解釈できます。<いついつ出やる 夜のうちやりし、つるつる つはいれ・・・>かなり内容が異なりますね。後ろの正面だぁれの部分も黄表紙にはありませんでした。まだまだ意味不可解な童謡、わらべ唄ではありますね。詳しくは、かごめかごめ - Wikipediaを初め、いろんなサイトを参照して下さい。(参考図書:合田道人著「童謡の謎」)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<お願い>大阪と隣り合わせになる大山崎地区は天下分け目の戦いでご存知の天王山を初め、歴史的なものが一杯詰まった観光地です。私が所属する「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページを是非ともご覧ください。http://www.kyoto-ofg.org/
2015.10.08
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〇清水義範さんの「日本語がもっと面白くなるパズルの本」の問題8は<・・・「無人自動契約機」とは、サラ金の貸出し係と面と向かわなくても、機械を操作するだけでお金が借りられるという機械だが、次のうち、実際にないものはどれだろう。1)いらっしゃいましーん2)まかしと機3)お自動さん4)ポントカス5)¥enむすびです。>わかりますか?テレビ番組でも、他のチャンネルに視聴者の目が奪われないようネーミングに様々な工夫の跡が。一時期は刑事もの、殺人事件ものの表題で、番組欄に数行跨る長ったらしいネーミングもありました。本問の答は、4のポントカス でした。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<お願い>大阪と隣り合わせになる大山崎地区は天下分け目の戦いでご存知の天王山を初め、歴史的なものが一杯詰まった観光地です。私が所属する「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページを是非ともご覧ください。http://www.kyoto-ofg.org/
2015.10.07
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〇ふつか前に9月の拙句と庭の近況を書きましたが、何と冬の足音の速いこと。早咲きの椿・西王母が愛らしいピンク色の花をつけ、また、冬の到来を予告する石蕗が黄色い明かりを灯し始めているのです。 今月の第4日曜の吟行は恒例の「系露忌」。昨秋から今夏にかけて亡くなった句友を弔う結社の法要句会。例年、円山公園野外音楽堂の真向いにある「龍池山大雲院」に於いて、私の司会進行で粛々と法要の儀が執り行われます。大正14年10月25日、深草、元政庵に於ける縁故者の追悼句会が最初の記録のようです。昭和に入っては、戦後復刊した昭和23年9月に長楽寺での追悼会開催以降、去来忌・子規忌等含め、34年から結社の3大行事の1つとなっています。 ところで今年は現主宰の奥様、加うるに前主宰も系露仏になって居られ、つわぶきの冷ややかな黄色の明かりをわが庭一面に見ることになる晩秋は、一入、もの悲しく思う次第です。
2015.10.06
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〇大山崎の名刹:宝積寺の仁王門を少し上った処には”待宵の鐘”がありますが、大晦日の晩には善男善女が並んで除夜の鐘を撞きます。この梵鐘の願文は、「天下泰平、国土安穏、特庄内安全、十方旦那諸人快楽也」と小文字で彫られていますが、鐘の名の謂れは石清水八幡宮別当の娘:待宵の小侍従に因んでつけられました。彼女は平安末期の近衛天皇の皇后多子に仕えた女流歌人で、恋人が来るのを”待つ宵”と、”後朝の別れ"とのいずれに趣が深いかを問われた時の歌が 待つ宵に更行くかねの声きけば あかぬわかれの鳥は物かは(新古今)と詠んだことから、恋う男性の訪れを待ちわびる女性の恋情をこの鐘に託して後々、待宵の鐘と呼ばれるようになったとか。 小侍従は恋歌の名手だったので、恋の成就に効果がありますよと私達ガイドが説明しますと、女性の皆様は悉くワァーと歓声を上げて下さいます。長岡京の図書館で小侍従の詠んだ歌集の資料を入手しました。百首を超えますが、 君こふとうきぬる玉のさよ更けて いかなるつまに結はれぬ覧(千載) 朝ごとにかはる鏡の影みれば 思はぬかけのかひもなきかな(千載) 思ふあまりみつのかしはにとふことの 沈むにうくは涙成けり(続古) 今こそは逢夜にあふと見し夢を いはぬにいむと思ふあはすれ なからへはさりともとこそ思ふつれ けふを我身の限成けり 今こそは絶はてぬとも君ゆへに とまる心は身をもはなれし こうして一部を鑑賞してみますとかなり一途な性格で、手紙を返して貰った男も、或る時は嬉しく、或る時は重すぎて辟易していたのではないかとも愚考する次第です。しかし一般的に色恋沙汰は女性の方がお上手で、思わせ振りな詠み方に徹した小侍従に人気が集まったのはご尤も。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<お願い>大阪と隣り合わせになる大山崎地区は天下分け目の戦いでご存知の天王山を初め、歴史的なものが一杯詰まった観光地です。私が所属する「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページを是非ともご覧ください。http://www.kyoto-ofg.org/
2015.10.05
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〇九月から結社の大祭にかけて忙しい日が続きます。それは俳句だけでなく、時節柄ボランティアガイドの方も忙しくなるから。俳句に触れる前に、今わが家の庭を彩っている植物と言えば、南庭のそこ彼処に咲くオキザリスや水引草、隣家との境に大きくある酔芙蓉、鉢植えのゼラニウム、赤紫蘇の花、この書斎前の金木犀の香と夕日に揺れる薄、裏鬼門の盗人萩、傍らに並ぶ花水木には無数の赤い実、幾種類もの椿には、冬から春にかけて咲くだろう緑の蕾など。記録にとどめる九月の拙句。 燻kusubuるは原発論議穴まどひ 穴まどひ草越しに見し空の青 風に乗る盆恋唄や坂暮るる 素顔から始まりし恋蕎麦の花 綿の花咲いて嬰児の子守歌 竹の春そも乙訓は終の里〇蝶形の花に蝶来る萩の宮(選者・花谷 清)・・・実際には5、60句ほど詠みました。あっそうそう、小学生の時からの御縁で、ずうっと尊敬して止まないきくよ俳姉から葉書一通いただきました。「俳句四季」10月号の”俳句の旅”シリーズに南禅寺界隈として写真入りで句会が載っていたので、取敢えず、本屋で購入され、自宅でそれを読まれたところ、私の書いた記事だったので、父すばるもさぞやあの世でお喜びでしょうとの応援メッセージをば。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<お願い>大阪と隣り合わせになる大山崎地区は天下分け目の戦いでご存知の天王山を初め、歴史的なものが一杯詰まった観光地です。私が所属する「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページを是非ともご覧ください。http://www.kyoto-ofg.org/
2015.10.04
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〇秋は回想の季節歳を重ねれば重ねるほど昔のことを懐かしむ 桂の居間の押入れにあった 姉のお古の積木たち 薄べったい正方形は学習用算数記号や数字の下地は深紫色÷のマークや+のマークは橙色抜きだったのだろう 少し蛍光色を帯びていて 真冬に灯る家庭の電燈色の 温か味のある色 枸杞の実の色に似ていた直方体の積木も温かい色だった幼いわたしはそれらの積木を連ね長い列車を模しては遊んでいた・・・・ あれから もう 数えきれないほど 時は流れてしまったけれど いつも 瞼の奥にある あの温か色の積木たち・・・・ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<お願い>大阪と隣り合わせになる大山崎地区は天下分け目の戦いでご存知の天王山を初め、歴史的なものが一杯詰まった観光地です。私が所属する「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページを是非ともご覧ください。http://www.kyoto-ofg.org/
2015.10.03
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〇「日本一心のこもった 恋文」という本から一例をご紹介。投稿時31歳、秋田県の主婦の作品を纏めますと、表題は「Mさんと亡きお父様へ」 小、中学生の時に芽生えた恋心で、彼女の友人のの兄が恋の対象の筈だったところ、後年思い返せば、彼の父親(つまり友人の父)に、憧れに似た恋心を抱いていたと気づいた様です。<友達のお兄さんだったとはいえ、ろくに話もしたことのないあなたを、どうしてあんなに好きだと思っていたのか、年齢を重ね、等身大の恋愛ができるようになった頃、お父様が亡くなったことを伝え聞き、ようやくわかりました。あなたに対する憧れは、そのままお父様に向けられていたのです。>投稿者の父は家族に対して愛情の薄い人だったので、反発心もあったようで、一方で、いつも穏やかで優しい彼の父を”お義父さん”と呼びたくて、彼を憧れていたと、漸くわかったと綴っておられます。 実家の母親と、故人となった彼の父について語ったこともあって、母親は理想の夫を、投稿者は理想の父親を、彼の父の中に見ていたと綴っておられます。最後は以下で締めてあります。<二人の子供の母親になった今でも、お父様のことは大切な思い出です。ずいぶん寒くなってきました。どうぞお母様を大事になさって下さい。>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<お願い>大阪と隣り合わせになる大山崎地区は天下分け目の戦いでご存知の天王山を初め、歴史的なものが一杯詰まった観光地です。私が所属する「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページを是非ともご覧ください。http://www.kyoto-ofg.org/
2015.10.02
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〇或る女性からお聞きした猫の話です。猫に優しい人は猫族にもわかるらしく、生み終えた仔猫も先ず一番目には彼女に託し、二匹目から順に彼女の友人宅に置いて行くのだそうです。高い塀の上からさも、”お願いします”とでも言ってそうな表情で挨拶するのだとか。また、死期を悟った老猫が飼い主から離れ、彼女の家に来て、老衰の状態で息を引き取るとか。 犬が人間の言葉を理解するのなら頷けるのですが、猫も同じレベルだとは知りませんでした。猫は猿同様、プライドが高く、序列を無視した態度で新参者の猫を主人が可愛がると拗ねて食事を摂らなかったり、猫自身が大失態をした時、主人やその家族に見られてでもしたら、やはり数日間、餌に飛びつかないのだそうです。飼い主の機微が解るだなんて、猫は賢いので小説の主人公にも抜擢されたのでしょう。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<お願い>大阪と隣り合わせになる大山崎地区は天下分け目の戦いでご存知の天王山を初め、歴史的なものが一杯詰まった観光地です。私が所属する「大山崎ふるさとガイドの会」のホームページを是非ともご覧ください。http://www.kyoto-ofg.org/
2015.10.01
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