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子供たちから、元夫の様子を聞いた。 携帯で撮ってきた画像も見せられた。 わたしが最後に見たときより、十歳はふけて見えた。 髪は抜け、眉毛もない。 全く別の顔をしていた。 思わず、わたしの中の記憶が塗り変ったのを感じた。 必死で、元気な頃の、仲が良かった家族だった頃の顔を思い浮かべたが、間に合わなかった。 別人のような顔が、記憶に上書き保存されていた。 「また来てねって言われた?」 「うん、今度はいつって」 「そう」 「これ買ってもらったの」 長女は、銀のピアスを二個手のひらに乗せて、わたしに見せた。 「おじいちゃんみたいになっていたから、少し可哀相だった」 「うん。驚いたね」 短い時間に、父親としての役割を果たそうとしたのだろう。 短い時間に、娘としての役割を果たそうとして来たのだろう。 さっき、二人で出かけて行った。 長女はピアスをつけて。 次女はビキニを着て。 一駅先のプールへ行った。
2004年07月31日
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窓を開けると、蝉時雨が飛び込んで来た。 耳を澄ますと、ミンミン蝉とアブラ蝉の大合唱である。 エアコンにするか、このまま窓を開けただけで、明け方の寝苦しさから解放されるか、しばし考えて、大合唱の方を選んだ。 夏は暑いもの、なるべく自然を受け入れたいし、下の道路に沿った桜並木の枝が、少しそよいでいたからである。 冷たい水をコップ一杯飲んでから、コーヒーメーカーに豆と水をセットした。今朝の豆は、しげとし珈琲のマイルドブレンド。 ミルで豆を挽くとたちまち辺りは、コーヒーの香りで充満する。 この瞬間に、わたしは限りない至福を感じるのだ。 夕べ遅い時間に、別れた夫の元へ遊びに行っていた子供達が帰って来た。 二人共すごく表情が柔和だった。 きっと素敵な時間を過ごせたのだろう。「父さんはどうだった?元気だった?」「うん、少し肥ってた。退院時より5キロ増えたんだって」「そう。良かったね」 元夫は末期がんである。 余命を言い渡されていた。 離婚した数ヶ月後に、それがわかったのだ。 病気を知ったとき、わたしの中には大嵐が吹いた。 でも、離婚をした経緯を考え、苦渋の選択を出した。 非情かも知れないけど、看病はしない、と。 そうしなければ、わたし自身が生きていけなくなるから。 今は、離れていることで、ようやく互いを思いやれるようになっていた。 やはり時間という妙薬と、二人の子供のおかげだと思っている。 まだ眠っている子供たちが起きてきたら、父親がどうだったのか、もっと詳しく聞いてあげよう。 そう言えば、夕べ水着のファッションショーをしていたっけ。 白地に黒のストライプのビキニを着た次女は、わたしの枕もとで嬉しそうに披露してくれたけど、元夫はどんな気持ちで買いものに付き合ったのだろう。 そう思うと、少し笑えてきた。 同時に、とても嬉しかった。 わたしとは違う場所で過ごす子供達と父親の時間を、愛しく思った。 今日も暑い一日になるのだろうか。 止むことを知らない蝉時雨が、一段とにぎやかに開け放たれた窓から入ってきた。
2004年07月30日
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こんなに気が進まないときは、何かある。 灰色の不確かな思いが、胸の奥でふすふすと細い煙をくゆらせていた。 先日、近くに住む姉から両親の墓参りを誘われた。 今年は諸々の理由から、勘弁してもらおうと思っていたので、返事に躊躇している。 生前の母は口癖のように「死に仏より生き仏。生きて行く方が大事なんだから最優先は生き仏」と言い、仏壇に朝晩のお供えは欠かさないまでも、無頓着だった。 親元に長く居たわたしは、きっと無理をしないで今を大事に生きろ、という意味に解釈している。 母とわたしには、さまざまな因縁があった。 死ぬ直前には夢枕に立ったし、死んだ後にもいろんなことを伝えてきた。 同じ夢を続けて三度見たとき、わたしははっと気づくのだ。 これは現状打破の糸口や示唆なのだ、と。 実際、それらを実行すると何度か役に立ったのであった。 脳裏にその母の言葉が浮かんだ。 「無理しなくていいからね。死に仏より生き仏だよ。お墓は逃げないから」 そうだよね。無理をしたら、きっとどこかにひずみが出て来るよね。自問自答しながら、わたしはまだ決めかねている。 この居心地の悪い胸騒ぎは、一体なんだろう。 たいていは、良くないことの前触れなのだけれど。
2004年07月29日
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時折、嵐が訪れる。 不安と言う嵐。 これで良いのだろうか? これで良いはず。 本当に? 本当だとも。 だけど確証がつかめない。 ただ今、嵐が頭上に停滞中。
2004年07月28日
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結婚する直前まで住んでいた街を、一人で歩いた。 偶然、その街で友人と待ち合わせをしたから……。 一時間も早く着いてしまったので、駅前商店街の坂道をゆっくりと下った。 通りはほとんどの店が様変わりしていて、辛うじて古本屋とホカベン屋が元のままで残っていた。 手狭な台所で作るよりずっと手軽なホカベン屋は、よく通ったものである。 老人が一人ぽつんと、弁当ができるのを待っていた。 駅から徒歩七分のふれ込みで、実際には11分もかかった安アパートは、大家の母屋に吸収されて跡形もなかったし、当時を懐かしむすべてのものが、あたかも元から存在しなかったように、面影を残していなかった。 わたしが生まれて初めて、たった一人で暮らした街なのに……。 アパートのあった辺りから、通勤経路をたどってみた。 記憶の欠落なのか、路地も微妙に変わっていて、本当にこの道で合っているのかと不安になってくる。 あったはずのレストランも、喫茶店も、少しの野菜でも気持ちよく売ってくれた八百屋さえも、すでにそこには存在しなかった。 わたしは目を閉じた。 この角を曲がると、いきなり大通りに出るはず……。 そっと薄目を開けると、わずかにそこだけが記憶と一致した。 でも、いろんな思い出が、全部消えていた。 わずか八ヶ月住んだ街。 通りすがっただけの街。
2004年07月27日
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娘たちが別れた父親に会いに行った。 彼はわたしに『ありがとう』のコメントを添えて、旅費を送ってきていた。 『ありがとう』には、いろんな意味があったのだろう。 気を遣って娘たちを寄越してくれて、とか、二度と会えないと思っていたのに会えて、とか。 娘たちは、わたしに気遣いながら、どこか嬉しそうに仕度をしている。 「ねぇ、何かお土産がいるでしょ?買いにいかない?」 わたしが誘うと、 「わたし達の身体が土産だから手ぶらで良いよ」 と言いながらもついてきた。 デパートを散々歩いて選んだのは、お煎餅だった。 彼の大好物である。 嬉しそうに食べる顔が浮かんで、不覚にも涙がこみ上げてきた。 入退院を繰り返す彼の容態は、ここにきて少し落ち着いていた。 元気な姿で娘たちに会えるのがなにより嬉しい、とそのコメントは結んであった。 夫婦は別れてしまえばそれで終るけれど、親子の関係は命が果てた後にも続く。 心が通った父と娘たちだっただけに、結果は不憫であった。 その彼へのお土産を探す、わたしと娘たち。 「父さんはこんなのが好きだったね」 「違うわよ。こっちよ」 きゃっきゃとはしゃぐ姿を、わたしはとても不思議な気持ちで見ていた。 何も変わってないのに、姿だけがない。 どこまで時間を巻き戻せば、元に戻れるのだろうか? 到底、戻れもしないのに、そんなことをぼんやりと思った。 「じゃぁね。行ってくるから」 「うん。よろしく伝えてね」 改札の向こうで手を振って、くるりと背中を見せた。 二人の背中は、とっても嬉しそうだった。
2004年07月26日
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開け放した窓から、涼風が入って来た。 白いレースのカーテンが、風をはらんで大きく宙を泳いだ。 まだこんなに日が高いのに、わたしはもう片手に缶ビールを持ち、ロッキングチェアに身をゆだねている。 先ほどから、心地よい風が足元にまとわりついては、すーっと離れていく。 西日は射すけど、思ったほどひどくは無い。 ここへ越して来て、初めての夏である。 でも、すっかりここが気に入って、わたしは大切な日々を、それこそ丁寧に暮らしている。 遠くで花火の空砲が上がった。 どこかで花火大会が催されるのだろうか。 少し回ってきたアルコールの力を借りて、わたしは彷徨っている。 胸の辺りがもやもやして、何かが晴れてない。 なんだろう。 さっきからずっと嚥下できないでいる何か……。 わたしは突然思い出した。 そうか、今日は別れた夫婦の結婚記念日なのだ。 こんなはずじゃなかった。 ちゃんと、本当にちゃんと最後まで添い遂げるつもりで嫁いだのに、結果は離婚。 それなのに、こうして記念日を記憶しているわたしは、一体なんだろう。 後悔? ううん、もう悔いてはいない。 だって、悔いても何も戻りはしないもの。 だけど、幸せだった日々に嘘はないから、わたしと娘の住まいには、その家族写真を飾っている。 若い夫婦と小さな子供達。 その笑顔が今日はやけに眩しいけど……。 今日より明日が、ほんの少しでも良い日でありますように。 わたしのささやか祈りが、届くと良いな……。
2004年07月25日
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爪を見た。 じっと見た。 きちんと短く切りそろえた爪。 何も細工のない爪だ。 ある日突然、わたしは身を飾ることがとても厭になった。 「そんなものを使わなくても、内面が輝いていれば人はきれいに見えるものよ」 なんて強気で、思い上がったセリフを吐いて……。 ☆ 嫁入り前、父はわたしが飾り立てること好まなかった。 シャンプーの匂いに顔をしかめ、化粧の匂いに嫌悪した。 わたしはせめてもの抵抗に、両手の指先を赤く染めたことがあったのだけれど、父は案の定、激怒した。 「いかがわしい。おまえは銀行員なんだぞ」 「それが何よ。おしゃれしてどこが悪いの?」 「わしのように、そういうものを嫌う客だっているんだ。お前たち行員には、それらしい品位のある格好を要求されるはずだ。すぐ落としなさい」 「厭よ。絶対に落とさないから」 それまでは、なんでもはいはいと素直に聞いたのに、わたしは譲らなかった。 わたしのささやかな、初めての抵抗だったのだ。 父は目を丸くして驚き、明らかに失望の眼でわたしを見ていた。 「そんなことをして嬉しいか?」 わたしに訊いた。 「嬉しいわよ。とっても」 「そうか、嬉しいのか。それじゃ仕方がないよ。でもね、内面が輝いていれば、人は何もしなくても美しいものだよ」 その日以来、父は、わたしに何も言わなくなった。 父が死んで十数年後。 わたしの指先からマニキュアは消えた。 ピアスの穴も塞がったし、指輪も外したし。 アクセサリィも一切合財、身に付けることをやめた。 わたしはじっと爪を見ている 父は天国で笑っているだろうか。 「それで良いんだよ」って……。
2004年07月24日
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最近、携帯メールなどで生じた小さな誤解が、大きくなってしまうことに危惧を覚えるのだけれど、わたしだけなのだろうか。 わたしの場合、文字を交換すればするほど、深みにはまってしまう傾向にあった。 これは、わたし自身が微妙なずれ(誤解)の修正を、ことごとく行わない不精者のせいなのだろうと推測するが、後味が悪くて仕方がない。 特に携帯電話のメールにおいては、十分な推敲をしないまま短文でポイと送ってしまうのがいけないのだと思う。 少し意味合いが違うんだけど誤解されたかなぁ、とか、そんなに深い意味はなく冗談なんだけど気を悪くしたのかしら、などと送信した後で、悶々としてしまうことがこの頃増えた。 今日もひとつの小さな誤解に、わたしは苦慮しているところである。 派遣元社長から、仕事の伝言が届いた。 同じ派遣先にいるA子は、背後からそのコメントを読んでいたが、急に顔色が変わった。 自分への伝言が、他人のパソコンの中にあったからだ。 その文面は、取り方によればA子に好意的ではなかったから、そこに引っかかってしまったのだろう。 事情を把握しているわたしは、必死になって弁明をしながら、割の合わないことにいら立ってきた。 この場合、わたしというフィルターを通したことが間違いの元であり、わたしの中にある何らかの微妙なニュアンスが相手に伝わってしまったのだろう。 結局、間に入り、知りうる限りの情報を駆使して、誤解を解いたのだけれど、ものすごいエネルギーを消費した。 『大事な話は、第三者を媒体(もしくは介入)にしないで、目を見て話すべき』だというわたしの持論は、まんざら間違ってはいないようだ。 携帯電話もパソコンも優れたアイテムではあるけれど、意思の疎通を図るためには、今少しの気遣いが必要ではないのだろうか。 文字だけの伝達に、どこか一抹の危うさを感じずにはいられない。 かくいうわたしも、大の文字ファンであることには、違いないのだけれど。
2004年07月23日
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これまで、単色の半巾帯で浴衣を着せていたのだけれど、昨今のおしゃれな帯を見るにつけ、娘たちの背中をもう少し華やかにしてやりたくなった。 そこで、八月に予定している花火大会に間に合うように、呉服屋を数軒覗いて歩いた。 すでに買い手の時季を逃した感のある品薄な店先で、辛うじて許せる範疇の、黄色と赤の帯を二本買った。 わたしは文庫結びが大好きだから、特に布地がしっかりしたものを選んだ。 二人とも紺地に白の柄なので、これくらい華やかでも、派手すぎるということはないだろう。 本当は、当事者である娘たちを同伴したかったのであるが、あいにく二人とも試験の真っ只中であった。 ☆ 呉服屋の店先に並んだ数々の帯や着物を、わたしは懐かしい目で眺めていた。 時間はうんと遡り、そこには母とわたしがたたずんでいる。 一段と高い場所に展示してあった、黒地に金銀七色の糸で松を刺繍した袋帯に、母は目を細めているのだ。「これは素晴らしいわ。きっとあなたに良く似合うよ」 値段をみると安くはなかった。「でも、高いから無理だよ」 母は、わたしの答えをみなまで聞かないで、すたすたと店の中へ入って行った。「それ見せてくれますか」「あ、これですね。さすがお目が高い。この帯は…」 もみ手の男性店員が薀蓄をはじめたが、結局、母はすでに買うことに決めていて、わたしが気づいた時には、もう帯の仕立てを頼んでいた。「悪かったね、母さん。高かったのに」「これが母さんの喜びなのよ。あなたはなんにも気にしなくていいのよ」 決して安くない帯の値段は、きっと家計を逼迫させるに違いないのに、母は嬉しそうだった。 わたしがそれを締めている姿でも、思い描いているのだろうか。 後に、その帯を締めて着た訪問着の写真は、町の写真館に長い間飾ってあって、母の自慢の一つとなった。 そんな母の背中が、見えてきた。 わたしが買ったのは浴衣の帯で、当時の値段の十分の一にも満たなかった。 でも、母の喜びだけは、じんじんと伝わってきた。 思わず、わたしは買ったばかりの帯をぎゅっと抱きしめていた。 当時のわたしに、娘たちの姿が重なった。
2004年07月22日
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祖母の家は池の畔にあった。 自分の田んぼの中に、小さな家を建てて、たった一人で住んでいた。 祖母は、娘婿であるわたしの父が嫌いだったから、あえて電気も引けない、井戸も掘れない場所で、寂しい老後生活を始めたのだった。 数百メートル離れた隣家でもらい水をし、電気の代わりにランプをともして、明かりをとっていた。 娘である母は、やはり放って置けなくて、休みになるとわたし達子供を、祖母の家の水汲み要員に送り込むのだった。 小さな身体で、天秤棒の先にそれぞれバケツをぶら下げて歩くのは、容易ではなかった。 だから、数百メートルの距離が、果てしない距離に感じられたものだ。 水瓶に水を満たすには、当時小学生だったわたしには、何往復も必要だった。 それがどんなに辛くても、二つに腰が折れてしまった祖母をみると、口が裂けても泣き言など言えなかった。 夏休みが待ち遠しい半面、祖母の家の水汲みは億劫でもあり、わたし達は複雑な心境だった。 それでも祖母の家に行くことは、嬉しいことには違いなく、終業式が終るやディゼルカーに飛び乗った。 池の畔を辿って祖母の家に近づくと、足元から草いきれが立ち上ってくる。 祖母は縁側で、わたしと妹を待ちわびて、首を長くしていた。もぎたてのトマトを、麦藁帽子の中から取り出して、食べろと渡した。それが気難しい祖母の、精一杯の歓迎の挨拶なのだった。 生ぬるいトマトに、草いきれ。 夏が来ると、いくつになっても思い出す懐かしい風景である。
2004年07月21日
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次女の学校には、魔女と呼ばれる講師がいるそうだ。 いつも黒装束に真紅の口紅なので、そう呼ばれるらしい。「母さんとかぶるんだけどね」 可笑しそうに、次女は長女へ報告をした。「その講師の顔が浮かぶね」 長女も笑みを返した。 それを聞きながら、わたしには返す言葉が無かった。 だって、その通りなのだから。 わたしのほとんどの洋服は黒である。 短いのも長いのも、冬のもの夏のもの、とにかくオールシーズンすべて黒一色なのだ。 せめて夏物には、ストライプとか水玉模様とか、ほんの少しばかり白色は混ざっているけれど、基本は黒である。 色物といえば、唯一口紅の真紅だけだった。 昨日の日曜日のことである。 長女と、夏物のバーゲンをあさりに、デパートへ出かけた。 わたしは、通りすがりにめぼしい洋服を見つけてあったのだ。 付き合ってくれた彼女は、その洋服を見て笑い出した。「今持ってるのと一体どこが違うの?全く同じじゃないの。あたしが見てあげなくても、買ってくればいいじゃん」「よく見てよ、ここのビーズが違うでしょ?母さんに似合う?」「似合う、似合う。大丈夫」 長女は、今更いうこともない、という顔をした。「たまには違う色でも買ったらどう?」「だって、買ってみてもほとんど着ないから無駄なのよね。黒じゃないと落ち着かないんだもの」 わたしは、独り言のようにつぶやいていた。 その講師が魔女と呼ばれるのであれば、わたしは条件にぴったりと当て嵌まる。 黒い洋服に、真紅の口紅。 わたしこそが、魔女スタイルなのだった。 でも、わたしは魔女じゃないよ。 魔法はかけられないもの。 魔法がかけられたらなーって何べんも思ったけれど、ちゃんと現実を見据えて、歩いてきたよ。 呪文じゃなくて、みんなの幸福を祈りながらね。
2004年07月20日
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四ヶ月と少しで、百話に辿り着いた。 わたしの日記のことである。 ここ二年くらいは、わたしは言葉の難産だった。 以前は、水道の蛇口をひねれば、ほとばしるほど言葉があふれ出たのに、苦しくて何も書けなかった。 書いても、書いても薄ら寒い文章に、我ながら辟易するばかりだった。 別なサイトで、花にちなんだエッセィ百話(タイトル『百花繚乱』)を書き始めたが、たったの五話しか書けなかった。 それがここへ来て、以前のその感覚のようなものを取り戻せた気がしている。 わたしは、花と百という言葉がなぜか好き。 千より万より、百が好きなのだ。 目標を掲げたとき、なんとなく達成できなくない数字だからかもしれない。 この場所で書けた百話をきっかけに、また次の百話に挑戦しよう、と今朝思った。 だから、気負わず、あせらず、急がずに、百の花にちなんだエッセィに再挑戦してみようと思う。
2004年07月19日
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洋服感覚で着る浴衣というか、着物なのだろうとかなり割り引いて見ているのだけれど、相当ひどい浴衣にであった。 それも一人や二人ではないのだ。 これだけ浴衣が普及しているのだから、その業界にとっては喜ばしい限りであろう。 でも、その浴衣姿をみていて、少し寂しい気持ちにさせられるのは、何故なのだろうか? 浴衣を着ることによって、普段より可愛く見えたり、素敵になるのであれば何も言うことは無い。 胸がはだけてだらしない。 帯が崩れて、今にも解けてしまいそう。 衣紋が抜けてないから、姿が少しも美しくない。 和洋折衷もいいけれど、それはないでしょう。 などなど。 つい直してあげたくなってしまう。 どうせ普及させるのなら、安価で誰にでも簡単に着用できて、見た目もきれいなものを、提供できないものだろうか。 それよりも、従来の感覚をなくして、我々が浴衣に対する意識改革する方が早いということなのだろうか。 時折、はっとするほど涼やかな浴衣姿に出会うこともあったけれど、ほんのわずかである。 花火会場に向かう浴衣姿を、何組も目でやりすごしながら、余計なお世話だろうけれど、少し考えてしまった。
2004年07月18日
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外で飲んできたけれど、もう少しだけ欲しかった。 ビールはもういいや。 冷凍庫を開けると、凍ったズブロッカの壜がごろんと転がった。 数日前に、長女の恋人が置いていったのだ。「お母さん、ズブロッカが好きなんですってね」 彼の好物のトマトを分けていると、紙袋から自分のために買って来た、数本のうちの一本を取り出した。「うん、大好きよ」「じゃあどうぞ。トマトのお礼です。僕も大好きなんですよ」 彼は、高級輸入食材のスーパーを歩くのが好きなのだと言う。 珍しいものを見つけては、わたしにも買って届けてくれるのだ。 きっと、ズブロッカは長女が話したに違いない。 凍ってトロトロのズブロッカを、口に含んだ。 甘いハーブの香りが口中に広がって、冷たさと共に喉の奥へと沈んでいった。 わたしは思わず、何年か前のズブロッカの記憶を辿っていた。 お気に入りの、ロッキングチェアに身をゆだねて、ゆっくりとその記憶を引き寄せた。 繁華街の中ほどにある、古いバーカウンターで、わたし達はよくズブロッカを飲んでいた。「ズブロッカをロックで。チェイサーは水」 初めて耳にしたとき、わたしはその得体を知らなかった。「飲んでみる?」 まん丸の氷が浮かんだタンブラーを、彼はわたしの前に滑らせた。 恐る恐る口にした液体の、なんと香しいこと。 たちまちとりこになっていた。「お客様、チェイサーにビールっていうのも、結構ありですよ」 バーテンダーの言葉に、ノルウェーのビールも試してみた。 その取り合わせは、禁断の味だった。 人はいくつになっても恋をする。 未婚既婚、問わずに恋はするだろう。 でも、大事な恋は、一線を越えないのが良い。 きれいなままで心の奥にしまっておくのが良い。 だって、いつまでも、素敵な思い出を届けてくれるから……。 ズブロッカは、そんな恋の記憶を届けてくれた。 甘く切ない恋の余韻を。
2004年07月17日
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ホームに降り立つと、鼻腔に懐かしいニオイがなだれ込んできた。近くの牧場から流れ出た、この地域独特の臭いである。これを嗅ぐと、紛れもなくH駅だと身体が認識してくれた。 二年前、このホームからわたしは旅立った。 ここで過ごした夥しい歳月を、ボタンひとつでリセットしてしまったような、そんな区切り方をして……。 それは、まるで非力な赤子の腕をわけなくへし折ってしまうような、想像を絶する力が働いて、家族を崩壊へといざなった。 原因は、人間の驕りや虚栄や尽きることのない欲望の数々だったに違いない。 それらがまさに、怒涛のように押し寄せて、絆も何もかもずたずたに断ち切って逃げていった。 途方にくれるわずかな時間さえも与えずに……。 今では、辛かったのか楽しかったのか、そういう記憶すら希薄になってしまったけれど、現実は、崩壊した家族の欠片をかき集めることで精一杯だったし、とにかくわたしは前方しか見なかった。 そんな試練に耐えたからなのか、今日こうして、このホームに降り立つことができた。 その場の空気を、思い切り吸い込んだ。 そして胸の中でゆっくりと味わって、再び体外へ押し出した。 人間は生きていて何ぼなのだと、思い知った。 だから、わたしは前へと歩いたのだ。 ただ、ひたすらに……。 懐かしい臭いはやがて、匂いへと変わっていた。
2004年07月16日
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長女が遅ればせながら、就職活動を始めた。 それが、腹立たしいくらいに泥縄式で、本日送付しないと間に合わない履歴書の写真を、これから撮るのだという。 その上、スーツの下に着る白いブラウスを貸して欲しいとメールが届いた。 あいにく持ち合わせていないわたしは、妹ので代用させたのだけれど……。 撮った写真を携帯メールで送って来て、これで良いかと訊ねる。 なんだか安易過ぎて、少し腹立たしい気持ちになってきた。 本気で仕事を探しているのかと疑いたくなった。 それでつい語気を荒げてしまった後で、初めてのことなのだから、もう少し優しくアドバイスしてやれば良かった、と悔いた。 用意周到なわたしは、何事も安易で泥縄式の長女が時々理解できなくなるのだ。 余裕を持ってあたれば、うまくいく事を、彼女はみすみす何度も逃してきた。 遠回りばかりする。 それでも、就職活動を始めたのだから、もっと丁寧に対応してやれば良いのに、わたしもつい向きになってしまう。 いけない、いけない。 太平洋のような広い心を持たなくちゃ……。
2004年07月15日
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実家の隣は、かなり大きな臨済宗の寺である。 子供の頃は、日がな一日そこで過ごした。 桜の花が咲けば、境内の毘沙門堂の前で花見をし、夏は墓場で肝試し。 秋の祭りには、寺の裏にしつらえた土俵で相撲大会……、と子供心にもお楽しみの目白押しだった。 その境内に、鮮やかなオレンジ色の凌霄花(のうぜんかずら)が、夏の象徴のような存在感で咲いていた。 女の子たちは、木の周りに落下した花を拾って、レイを作った。 耳や頭にも飾っては、フラダンスの真似をした。 誰かが、急に言い出した。「この花には毒があるんだよ。だから触ると死んじゃうよ」 皆は、驚いて出来上がったばかりのレイを放り出した。 慌てて家へ帰って、何度も何度も手をこすって洗った。 死ぬのが恐かったのだ。 でも、夜が明けても、また次の夜が来ても、身体にはなんの変化も訪れなかった。 そんな経験から、わたしはずっと毒花だと信じて疑わなかったけれど、本当は何の根拠もないのだそうだ。 大人になってそれを知ったとき、あのときのドキドキした気持ちがよみがえって、凌霄花に謝りたくなった。 この花が、数ある花の中で一番好きなのだ、という友達と鎌倉を歩いたことがある。 彼女は凌霄花の花色のように、明るくて華やかな人である。 長谷寺で、かろうじて残っていた凌霄花を見つけたとき、そのひとつを髪に飾った。 そして、やはりフラダンスの真似をした。 凌霄花は、もう咲いているのだろうか。 あれから二回目の夏が来た。 疎遠になってしまった彼女を、また誘ってみようかな……。
2004年07月14日
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最近とんとご無沙汰なのは、恋の話である。 切れ目なくあった恋愛劇も今は昔、の話となった。 実際には、娘たち演じる恋のドラマで、結構、擬似恋愛にはまってしまうからだろう。 だけど、わたしだって、まだ捨てたものではない。(と、本人は思っている) 職場の送迎バスの運転手さんも「まだまだイケテル方だよ」と慰めてくれるし。 でもなー、本当のところは、わたし自身がときめかなくなった。 寝ても冷めても、その男のことで胸がいっぱいになるような、熱い思いで息絶え絶えになるような、そんな胸のときめきをもう一度味わってみたいとは思うのだけれど。 ふと見下ろしたプランターの、サルビアの赤い花を見ていたら、急にそんな恋がしたくなった。 これはもしかして、恋の予感? ふふ、ふふふ。 だって、サルビア(赤)の花言葉は、”燃ゆる思い”なんだもの。
2004年07月13日
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笑いたくなるくらいささやかな幸せが、たまの日曜日の中に転がっている。 目覚まし時計が鳴らない朝。 すっぴんと怠惰。 真昼のお風呂。 何もない冷蔵庫の中を満たさなければ、と思うこと。 昼間のビール。 などなど。 それなのに、いつもように五時半には目がさめた。 もう一眠りができなくて、ごそごそと寝床を抜けだした。 シャワーを浴びにバスルームに入った。 身体を洗う前に、タイルを小一時間かけて磨いた。 でも、まだ誰も起きてこないから、洗濯機を回して、ベランダに洗濯物を干した。 ベランダの汚れが気になって、せっせと掃除を始めた頃に、時計をみるとまだ八時台。 ねぇ、ねぇ、起きないの? まだ、眠いよー。 だって、つまんないもん。一人じゃ退屈だよ。 日曜日くらい寝かせてよー。 そうだよねぇ。眠いよねぇ。 結局、わたしは納得して、今度はトイレをごしごし。 珈琲豆をミルでがーがー挽き、それからぼこぼことコーヒーメーカーが音を立てる。 日曜日の朝は、ボサノヴァが似合うから、お気に入りのCDを小さくかけた。 それからテレビをつけてニュースを拾う。 それでもまだ誰も起きてこない。 なんとなく、美容院のポイントカードを見たら、ちょうど一月目。 そうだ、眠っている間に、髪を切って来よう。 ゆっくり、ゆったりと時は流れた。 美容院に予約を入れたら、空いてなくて、三時過ぎに入ったのに、もう六時過ぎ。 ねぇ、まだ眠ってるの? 今、起きたよ。 じゃぁさ、買い物付き合ってくれない? 何か買ってくれる? そうねぇ、高くなければ考えても良いよ。 じゃぁ、付き合うよ。 それからスーパーマーケットを二軒はしごして、夕飯の買出しに成功した。 荷物は全部次女が持つ。 「母さんを放っておいたお詫びに、夕飯は手伝うよ」 次女は手際よく、一週間分の食料品を冷蔵庫に詰め込んだ。 今夜は煮物にお刺身に茄子と瓜のお漬物。 テーブルの上にすべてが並んだ頃、長女が彼氏とやってきた。 「わお、うまそう!」 それからささやかな宴会が始まって、終わった。 こんなことが、転がっている、たまの日曜日。 喧嘩をしながら、わたしはまた笑っている。
2004年07月12日
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背中を太陽がこれでもかと照りつけた。 四時を少し回っているというのに、その陽射しは全く衰えを見せなかった。拭っても拭っても汗が滴り落ちる。昨日買ったおニューのTシャツが、背中に張り付いた。 ホテルの回転ドアをゆっくりと押して、集合場所のロビーに辿り着くと、すでに約束の四時を十数分過ぎていた。まだ誰も来ていないようだ。こちらに向かう電車の中から、わたしが乗り遅れたことを、携帯電話のメールで知らせてあったから、どこかで時間をつぶしてくれているのだろう。 中央に配されたソファーに腰をおろした。少し身体が傾いだ。 座り心地が悪いのは、長居無用のためなのかもしれない。深く座りなおして、わたしはバッグから携帯電話を取り出した。到着したことを携帯メールで告げるためである。 利きすぎたエアコンの冷気で、先ほどの汗はすっかり引いたけれど、今度は背中に不快な冷たさが残っていた。 辺りを見回すと、到着したばかりの宿泊客が、受付に数人いるだけの閑散としたロビーであった。 実は、以前から混雑の少ないロビーだとわたしは知っていた。 だから、あえてこのホテルを選んだのだ。 何か面白いものはないか物色するために立ち上がり、数歩歩き出したところに、かつての同僚数人の姿が、ガラス越しに見えた。 わたしは回転ドアの傍へ、慌てて方向転換をした。 懐かしい顔がひとりずつ、ドアを押して入って来た。 みんな少しも変わっていなかった。 素敵な笑顔をたたえている。 きっと二本の足を大地につけて、きちんと生きている証であろう。 二年前、わたしは家庭の事情で退社して、遠くへ引っ越した。だからもう一度こうして、かつての同僚たちに再会できるとは、夢にも思わなかったのだ。 懐かしさと嬉しさが、ある種の気恥ずかしさを伴って、わたしの胸の中に奇妙なバランスで留まっていた。 幼い頃、わたしは女の子に苛められたことがあった。そのトラウマのせいかどうか、男性より女性との付き合いの方が下手だった。うまく距離が取れないのである。 それがこの年になって、会いたいと思える女友達ができた。その気持ちを、どう分析したものか分からないが、すごく自然に向き合えるようになっていた。「遅くなってごめんなさい」 中の一人が少し足を引いている。「どうしたの?」「履きなれない靴を履いたから、靴擦れしたの。痛くてここまでやっと辿り着いたのよ」 笑顔で答えた。 ソファーに座った足元を覗き込むと、赤く擦れたところや、水ぶくれが見えた。これは相当痛いはずである。「大丈夫?」「ええ、大丈夫です」 とはいうものの、少しも大丈夫ではなく、きっと足をもらった人魚姫の心境であろう、と思った。「ごめんね、わたしがそっちへ移動すればよかったわね」 時間をつぶすために彼女らが居たショッピングセンターが、これから向かうレストランのある場所なのだ。 わたしは心から申し訳なく思った。 再び、猛暑の中に出た。 今度は、ホテルが作った巨大な影に沿って、暑さから逃れるようにみんなで歩いた。 これから始まるささやかな宴の、飛び切り冷たいビールを想像すると、乾ききった喉の奥がぐぐっと鳴った。
2004年07月10日
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二年前に辞めた会社の同僚に会った。 楽しかった。 多分、誰の上にも大小の悩みや出来事が起こったに違いのだけれど、皆で笑いあった。女性ばかり、五人である。 そのことが、そこはかとなくわたしを幸せにしてくれた。 あっという間に、素敵な時間は去った。 でも、これをきっかけにまた会うことを約束した。 だから、わたしの楽しみがもうひとつ増えた。
2004年07月09日
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スープの冷めない距離へ引っ越して、まだ五日目の長女が戻ってきた。 「何?もうけんかしたの?」 「ううん。今夜は出張で帰ってこないから」 「へぇ、一人で寝られないんだ」 「そんなんじゃないよ。母さんの顔を見に来たんだよ」 嬉しそうに摺りよってきた。 「ちゃんと学校行ってる?」 「行ってるよ」 「遅刻は?」 「してないよー」 まだまだ幼稚な妻もどき。 わたしは彼に申し訳なさを覚えた。 でも、長女が唯一、素直になれる相手なのだから、助かっている。彼が軌道修正してくれたから、こんなに穏やかで幸せそうな顔をしているのだ。 「食事は?」 「まだ学生だから良いって。卒業したらちゃんと作る約束してるんだ」 「そう」 「勉強を最優先にしろって」 「それじゃ、彼にとってあなたは相当負担になってるわね」 「そんなことはないよ」 本音を言えば、同棲には抵抗があったけど、わたしはどこかほっとしている。 高校の後半から荒れて、やっと入った大学も二年近く休学した。生きている自分の存在を否定し、迷える子羊だった。 その彼女が、二本の足で大地を踏み、ちゃんと前向きに、ひたむきに生きようとしている。 よかった、本当によかった。 「どうする?横に寝る?」 「うん。寝る、ねる」 彼女は、わたしの隣に滑り込んできて、身体に長い足をからめた。 「わぉ。※みまりんの匂いだ」(※わたしへの愛称) 幼子のように、べったりと甘える。 「ねぇ、これって里帰り?」 「うん、そう」 そして、満面の笑みを返した。 でも、みんなみんなおままごとのようだ。 彼女にしても、わたしにしても。 だけどいいじゃない、と思う。 こんな小さな幸せが、再び頭上に舞い降りて来たのだから。 修羅を潜り抜けたからこその、喜びであった。
2004年07月08日
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七夕が来ると思い出す。 今からどれくらい前になるのだろうか? 八年付き合った男が、唐突に結婚したのが、七夕だった。 いえ、わたしにとって唐突でも、彼にとってみれば用意周到に事は運ばれたのだろうけれど。 もちろん、結婚を約束していた訳ではないから、婚約不履行とかではない。 ただ、わたしが一方的に彼を猛烈に好きだったのだ。 七夕の短冊に書くことは、いつも決まっていた。 『どうぞ、彼と一緒になれますように』 毎年、毎年、しつこいくらいに、わたしは祈ることを止めなかった。 「ねぇ、彼を好きなのは分かるけど、将来の伴侶としてあなたを選ばないと思うよ。彼の周りには、華やかで美しい都会の女性が大勢いるんだから。好い加減に目を覚まして、他の男に目を向けたらどう?」 見かねた母が、ある日わたしにこう切り出して、お見合い写真をそっと目の前に置いた。 わたしは、それを押し返して、 「彼と結婚できないのなら、結婚なんかしないから」 頑なに拒絶するのだった。 それでも母の言葉は、あながち間違ってはいないだろう、とどこかで認めているわたしがいて、覚悟のようなものはできていた。 当日は、とにかく悲しくて、わたしは一晩中泣き明かした。 わたしの滂沱の涙は天の川に流れ込んだのか、爾来七夕は、わたしの悲しい恋を思い出す日となった。
2004年07月07日
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最近、少しだめ。 ブルーになったり、ピンクになったり。 起伏が激しすぎる。 これじゃあ駄目だから、なんとか士気を高めたいと思っても、やっぱりブルーになってしまうのだ。 憂鬱の原因は、分かっていた。 通勤の、車窓から見える紫陽花は、もう終わり。 色あせた残花がそれを物語っていた。 夾竹桃が、緑の中に、赤いルビーのような花をちりばめていた。 盛夏に向かって、確実に季節は移ろっている。 今朝の憂鬱は、次女のため息だった。「いつになったら、楽になれるのかなー」 もらったばかりのバイト代を袋ごとよこした。「ほんとうだね」 受け取りながら、一緒にため息も受け取った。 彼女は、最近彼氏とうまく行っていないのだ。 できることなら、普通の大学生のように、キャンパスライフを楽しませてやりたいのだけれど……。「ねぇ、彼氏と一度離れてみない?縁があるのなら、きっと元通りに収まるし、収まらないということは縁がないということなのよ」「でも、そうしたらきっと切れてしまうもの」「世の中には、もっともっとたくさんの男がいるんだよ。彼氏だけじゃないんだから、視野を広げなきゃだめだよ」「分かっているんだけど、初めて好きになった人だから、決心がつかないの」「でもさ、同じことを繰り返してるでしょ?あなたの非を許さないのでしょ?」「うん」 彼以外の人に心を奪われて、一度別れたことがあったのだ。そのことが、今も二人の間にくすぶっていて、何かの拍子に火の手があがるらしい。消しても、消してもまた嫉妬のほむらが燃え上がり、堂々巡りするのだった。「決心がつかない?」「うん。今更ほかの人と付き合うなんて考えられないのよ。自信がないっていうのかなぁ」「ねぇ。別れたら、もっと自由に心を開放すればいいじゃん。男の話じゃなくって、将来のことでも、仕事のことでもいいから、目線を遠くに向けるのよ。足元ばかり見てちゃ駄目よ」 わたしは、そっと抱きしめてやった。 恋に自信をなくした、少女のような儚さが、腕の中で身じろぎもしなかった。「ねぇ?旅に出ようか?」「旅って?」「心の旅よ。一駅でも二駅でもいいのよ。乗り物に乗って旅をするとね、気持ちが妙に落ち着くわよ」「うん。そのうちにね」 今朝の会話を、わたしは反芻した。 きっと、次女の『そのうち』はないだろう。 でもいつか、わたしは次女と旅をしようと思った。 そう思うだけで、ブルーな気持ちが、ほんのりとピンクに染まった。
2004年07月06日
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闇の中でじっと目を凝らすと、いろんなものが見えてきた。 せわしなく点滅するオーディオの、時刻表示部のLEDランプ。 カーテンの隙間から忍び込んだ外の灯り。 ノートパソコンのバッテリー充電中ランプ、などなど。 それらが、だんだんと暗闇を明るくしていった。 わたしはさっきから、何度も寝返りを打っていた。 目がさえて眠れなくなったのだ。 身体が、目が、耳が、物を感じるすべての感覚が、やっとこの部屋を認識したようだ。 暗闇に慣れた目で、わたしは一つずつ確かめた。 すべてを捨ててゼロから始めた生活のアイテムたち。 隣の部屋で眠っている娘達の存在。 そして、互いが互いを思いやる感情の交錯が、目を閉じると実体としてはっきり見えるのだった。 それらが、心の底からいとおしくて、いつのまにか熱いものが込み上げてきた。 わたしは、わたしが生きていくための、一番大切なものをすでに掌中に収めている。これ以上の幸せがあるだろうか。 それなのに、楽になりたいとか、美味しいものをほんの少しだけ食べたいとか、そんな欲望に負けている自分を薄明かりの闇の中で強く感じた。 目を凝らすと、そんな自分がよく見えた。 目を閉じると、もっとよく見えた。
2004年07月05日
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貸していたお金が戻ってきた。 ほとんど諦めていたので、飛び上がるくらい嬉しかった。 そのお金があれば、我が家は確かに今より少し楽になるのだ。 でも、以前わたしを助けてくれた人が困っているのを知った時、わたしは迷った。 一瞬、知らん振りしようか、と思った。 わたしは悪人になりきれない偽善者だ。 ちょっと疎遠になっていたその人に、メールを送った。 めったにメールボックスをチェックしない人だから、もしかしたら見落とすかもしれない。 ”良かったら是非お使いください”という文章は、相手を傷つけないように細心の注意をはらった。 「ありがとう。助かります。是非使わせてください」 メールは即日戻ってきた。 少しがっかりした。 やっと、やっと楽になれるのに……。 わたしは、やっぱり偽善者だ。 メールのすぐ後、電話がなった。 「ありがとう。本当にありがとう」 何度も何度もお礼を言われた。 良かったと思う気持ちと、あのお金があったらなーという気持ちが交錯し、少しがっかり感が勝っていた。 まぁ、いいか。 ケセラセラ。 お金は天下の回り物。
2004年07月04日
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長女の恋人は、なかなかいいヤツだけど、時々、マジでわたしと渡り合う。 でも、それって、結局、長女を思う母親対同恋人という、有り余る愛情の表現である。彼女がどうすれば幸せになれるのか、ということが大前提であった。 その恋人が近くに引っ越してきた。 スープの冷めない距離というやつだ。 結婚はまだまだ先になるけど、ひとまず同棲生活にはいるつもりらしい。荷物を全部運び出すかと訊いたら、今のままで、生活の基盤はやはり親元に置いておくのだという。 こういう選択で良いのかどうか分からない。 でも、なるようにしかならないのだから、良しとしよう。 普通が一番だと思うわたしの気持ちも、そういう風に育てたのだという自負もあるけれど、わたしに抗って彼女は色んな事をしでかしてくれた。 いつもいつも驚かされ、時には失望したことさえあった。 でも、それはある意味、最後まで平凡に家庭を守ってやることが出来なかった、わたしの責任でもあった。 厳しい亡父の、これでもかというくらいの教育を受けてきたわたしにとって、甚だ不本意は選択ではあったが、この事態を甘んじて受けようと思う。 今、目のまで笑う二人を見ていると、これ以外の方法は無いのだという気がする。もしかしたら、将来が決裂してしまうことだってあるかもしれないが、それをおそれていたら幸せは逃げてしまうだろう。 母親は、ただひたすら、子の幸せを願うものだ。 だからこそ、不本意であろうが、この選択をも受け入れることができるのだ。 やりあっても、やりあっても、彼はわたしを「お母さん」と呼び、わたしの一言に耳を傾けている。 そういう真摯な姿に、わたしは完全に脱帽していた。
2004年07月03日
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わたしの日記を中学生が読んでくれている。 履歴をたどってみて、分かった。 そのうえ、リンクしてくれているのだ。 でも、ずいぶんオトナなわたしの言い分を、どこまで理解してもらえるか不安なのと、少々過激なことも書いてしまうので、メールでその辺りを訊いてみた。 そしたら、理解できない部分もあるけれど、心が洗われるとのメールが届いた。 日々の雑感諸々を、ただいたずらに文章に乗せているわたしにとって、大変面映い反面、この上なくうれしい感想であった。書き手の気持ちがストレートに届いているんだと思った。 ごく普通なことが大好きで、ごく普通でありたいと願ってきたわたしの、ほんの少しでも伝わっているのなら、それは最高に幸せなことである。 このままのスタンスで、紫苑流でかまわなければ、わたしは、また一歩前へ進もうと思った。 誰のためでもなく、わたし自身の明日のために……。
2004年07月02日
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6月30日までの抽選券が三枚あった。 途中下車してまで抽選するメリットは? 運がよければ特賞のハワイ旅行、一等賞が五万円の商品券、二等賞が一万円、三等賞が千円。 当たりっこないじゃーん、と思いながらも、もしかしたらという欲が頭をもたげる。 次女に連絡を取って、結局は途中下車することになった。 とはいえ、たったの三枚。 確率的には非常に薄かった。 「何か当ててみようか」 「どうやって?」 「母さんね、いつもこういう風に祈るの。神様なんていないじゃない。本当にいるんだったらわたしの願いを聞いてみてよ。そうしたら信じてあげるから、ってね」 「ふーん。それで?」 「大体、願いが叶うのよ」 からーん、からーん。大当たり。 勢いよく鉦が鳴った 「大当たり。おめでとうございます三等賞があたりました」 そこには、赤い玉に混ざって、黄色が一個。 一体、何が当たったのかと思いきや、千円の商品券。 大袈裟である。 でも、なんでもいいや、当たっただけ。 「ね、当たるでしょう?」 「す、すごーい!母さんって何?霊感なの?」 「なんだろうね。いつもこうなのよ」 「へぇ、驚いた」 「でもね、当たったときはすぐ使うのよ。これでビール飲む?」 「飲むぅー」 結局、ギネスの黒生ビールの泡と消えたけれど、なんてさわやかだったこと! 途中下車は、かくのごとく大正解だったのである。 しかしながら、収支決算は、支払った方が多かったのは、いうまでも無い。
2004年07月01日
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