全31件 (31件中 1-31件目)
1
とうとう最後の一日になった。 多くの人々の支えがあったから、こうして新しい年を望めるんだと、感謝の気持ちでいっぱいだ。 時には、色んな意味の束縛から逃れたいと思うこともあったけれど。 でも、それらがあったから、今のわたしがあるのだと、強く強く思う。 本当にありがとう。 来年もどうぞ、よろしく! 会った人も、会わない人の上にも、どうか素敵な一年がやってくることを、ただ祈ってやみません。 どうか良いお年を!
2004年12月31日
コメント(2)
昨日の天気とは打って変って、朝から暖かな陽射しが射し込んできた。 遠くに、冨士山の全景が見える。 そういえば、去年の暮れは引っ越して来たばかりで、冨士山を拝んでは感激したものである。 それだけで、何か得をした気分になれた。 今日は、次女のバイトがなかった。 折角だから、何もしないでのんびり過ごした。 夕方、百円ショップに行って、ゴミ袋だの日用品を調達した。 いつもながら、安い。 便利そうな小物を思いつくままに買い求めて、二千円に満たなかった。 大きな袋を抱えてビデオショップにより、数本のビデオを借りた。 それにしても、普段は見かけないのに、忙しそうに人々が行き交っている。 さすがに、年の瀬を感じた。
2004年12月30日
コメント(2)

若い頃、毎年この時季は、走り回っていた。お正月花のいけ込みをするためである。いけ込みは時間との闘いで、やっと我が家の設えに手をつける頃、どこからか除夜の鐘が聞こえたというのも、今では懐かしい思い出となった。今朝、クリスマスツリーを片付けた。ツリーに替えて、新年を迎えるための設えは、気分があらたまりシャキっとするものである。クリスマスにもらったカサブランカは、まだしっかりと蕾がついていて、これに千両と松を加えるだけで、りっぱに正月の花になる。あしらいに、稲穂と水引、獅子頭でできたミニお飾りを添えるつもり。でも、今日は止めて明日にしよう。九の字がつく日は、『苦』を拾うから避けた方が良いとは、亡き母から教わったことである。 この冬、初めて見た雪が、外を吹雪いているけれど、 今日はこれから最後の忘年会。「行ってきます。」
2004年12月29日
コメント(4)
明日から年末年始の休暇に入る。 どんな一年だったろうか。 初詣で次女が引いたおみくじは、大凶だった。 長女が小吉、わたしが大吉。 この鶴岡八幡宮で大凶を引いた年は、家族にとって良からぬ事が、過去には必ず起こった。 振り返ってみると、それは災難のてんこ盛りだった。 嫌だねぇ、と言いながら、それでも今年は次女の成人式を控えているし、そんなに悪い年ではないはずだ。 振袖姿の次女をわたしと長女は眺めて、気にしないで頑張ろう!と励ました。 ところが、やはり災難は待っていた。 離婚して数ヶ月という二月のことだった。 別れた夫が、肺がんで余命十ヶ月の宣告を受けたのだ。 これにはみんな、動揺を隠せなかった。 別れた相手は、どういう形であれ幸せで居て欲しかった。 それなのに、最悪ではないか。 やはり、おみくじは未来の示唆だったのだ。 過去の実績から、鶴岡八幡宮の大凶を引いた年は、本当にろくなことがなかった。 だから、初詣を止めようかと何度も思うのに、元日の朝になると、行かずには居られない。 これって何なのだろう。 でも、大波や小波を受けながら、それでもわたしと娘たちは、なんとかやってきた。 これって、大凶をはねつけたということなのかもしれない。 今現在、彼は小康状態を保っている。 これも有難いと思うことにすれば、いろんなことがあった一年だったけれど、概ね幸せだったと言えなくもない。 世界的にも災害や惨事の多い一年だった。 来年は、すべての人が安穏に暮らせる年だと良いのに、と切に願うばかりである。 少し冬らしくなった今日、少しだけ一年を振り返ってみた。
2004年12月28日
コメント(8)
最初に直面したのは、祖母の死だった。 わたしは祖母が大好きで、いつも祖母の布団に潜り込んでいた。 すでに二十歳を過ぎていたけれど、祖母の布団は暖かくて安堵感があったのだ。 ある日、祖母の布団の中から異様な臭いがするようになった。 祖母は、子宮ガンの末期だった。 十年くらい前に発症しているので、気づいた時には手遅れだった。 けれど、祖母は一言も痛いと音をあげなかった。 だから、祖母の苦痛は誰にも分からなかった。 次に迎えたのは、父の死だった。 父は糖尿病からくる多臓器不全で、苦しみながら死んだ。 美味しいものをたらふく食べて、飲んで、その挙句の死だった。 自分でも分かっていたのか、病院で死ぬのは嫌だとダダをこねていた。 仕方がないので、救急車を呼んだ。 担架の上に座り込んだまま、運ばれて行った。「もう、帰ってこれないなー」と、自分の部屋を何度も振り向いていた。 22歳の長女が、どうにか半年を迎えたばかりの時のことだった。 父は、自分の予言どおり、生きては帰ってこなかった。 三度目に、母の死に遭遇した。 母は、脳梗塞で三年近く入院した末に旅立った。 最後の方は、全く意識のない情況だったけれど、本当は何もかも分かっていたみたいだった。 亡くなる前日、わたしは小康状態の母に、別れを告げた。 嫁ぎ先に戻るためである。 その夜、ほとんど言葉を理解できなかった母が、号泣をしたそうである。 後に看護師さんが教えてくれた。「娘さんが帰った後、本当に悲しそうに泣かれてましたよ。きっと娘さんが帰っていくのが、よほど辛かったんでしょうね」 身内の死に遭遇すると、確かに悲しい。 二度と吹き返さない命を失った悲しさは、埋めようがないほどの打撃をこうむるものである。 でも、どんなに悲しんでも、それは永遠ではなく、必ずどこかで癒されていくものらしい。 今では、そのと時の悲しみは、蘇ってこない。 死というものは、誰にでも平等に訪れる。 どんなに金持ちでもどんなに貧乏でも、全く同じにやってくる。 自分だけは、と思ってみても免れることがない。 オギャーと生まれた瞬間から、人は皆、死ぬために生きている。 その時が、今日か明日か、もっと先か、うんとうんと先か、ただそれだけの違いなのである。 そう考えたら、少し楽になった。 娘達も、別れた父親のその日を、わたしと同じ心境で迎えてくれるだろうか。 いえ、そうであって欲しいと願っている。
2004年12月27日
コメント(2)
目覚めたら昼前だった。 頭は痛いし、気分は最悪。 それでも一度目が覚めてしまうと、寝ては居られない。 冷蔵庫から冷たい緑茶を出して、一気に飲んだ。 食道から胃に落ちるまでの道順を、冷たさが教えてくれる。 少し身震いをした。 外は、すでに上がったお日様が、ガラス越しにきらめいていた。 ぼんやりした頭で、夕べから今までの記憶を辿った。 ところどころが欠落していたが、ジグソーパズルのように、欠片を集めてはめてみる。 やはり数個足りない。 まぁ、わたしなら、こんなものか。 そういえば、日記のことを話題にした気がする。 当初より、わたし自身のスタンスが変わってしまったことは、否めない。 少し軌道修正をしなければ……。 次女が「お腹すいた」と訴えている。 慌てて、冷蔵庫を覗き込んだ。 手巻きの酢飯が残っていた。 レンジでチンして、青紫蘇と叩き梅、茗荷の微塵切りで細まきにした。 なかなかうまい。 辛子明太とイクラも巻いたら、日曜日のブランチには最高の一品ができた。 次女の外出を見送って、動き始めた。 丁寧に片付けて掃除機をかけたら、外はすでに夜の帳が……。 最後の仕上げの拭き掃除を終えた頃には、すっかりアルコールは抜けていた。
2004年12月26日
コメント(0)
12月に入ってからというもの、飲み会ばかりが続く。 でも、そのほとんどが楽しいメンバーなので、文句をいうつもりは更々ない。 本当に楽しくて、楽しくて…なのだから。 わたしは意思が弱いから、つい度を越してしまう。 それで二日酔いに、泣いているのである。 今日こそは、正体を失わないぞ!と、強い気持ちで臨むのだけれど、同じことの繰り返し。 本当に、反省ばかりの日々が続く。 最後は、29日。 こちらも楽しいメンバーなので、やはり今から楽しみだ。 でも、今度こそ、控えめに飲もう!と、自分に言い聞かせているのだけれど……。
2004年12月25日
コメント(2)
次女は本当に嬉しそうにその指輪を眺めては、ふと笑みをこぼしている。 「ねぇ、見せて」 素直に手のひらに乗せて、差し出した。「素材は何?」「シルバーだって。手作りだよ」「へぇ、彼にはそういう才能があったの?」「ううん。キットを買ってそのとおりに作ると、誰にでも手作りの指輪ができるらしい。けど、あたしは嬉しいの。見て、彼が言葉を刻んでくれているでしょう?」 わたしは指輪の中に刻まれた文字を読んだ。「to be with you…って、未来には君と一緒って示唆かなぁ?」「別に、そんなことでもないんだと思うけど。指輪が嬉しいの。出あってから三年になるけど、一番嬉しかった。前の彼女の時は、ティファニィの指輪を贈ったらしいけど別れたから、指輪には良い思い出がないらしい。だから今まで指輪の話は禁句だったのよね、あたしたち」「へぇ。そう?」 そうか、もう三年が過ぎたのか。 彼は当時、次女が今の大学を受験するために通っていた塾の講師だった。 次女が初めて恋をした相手なのである。 紆余曲折はあったけれど、ようやく恋人と呼べるようになったのだろう。 「ねぇ、母さん。あの指輪にはとっても素敵な思いが込められてるんだって。母さんが未来への示唆って言ってくれたけど、実際、彼の気持ちもそうだったのよ。これからは、そういう気持ちを持って、わたしときちんと付き合いたいって。うれしかったわ」「そうだったの?良かったじゃない。でも、世の中にはまだ一杯男はいるよ。決めちゃって後悔しないの?」「そりゃそうだけど。今は良いの。とっても幸せだもの」 次女はわたしの布団に潜り込んできて、幼子のように身体を絡めた。 わたしはぎゅっと抱きしめてやった。 彼女は、直に寝息を立て始めた。 その寝顔は、穏やかで本当に幸せそうだ。 良かったね。 わたしは頬ずりをして、灯りを消した。
2004年12月24日
コメント(0)

なかなかうまい具合に時間を調整できなくて、結局、23日の天皇誕生日の休日に、クリスマスイブの更にイブをすることになった。 メンバーは長女とその彼氏、そして次女とその彼氏とわたしの五人である。 五月のハイキング以来、久しぶりの勢ぞろいとなった。 手折ってみると、一堂に会したのは、なんと七ヶ月振りのことだった。 デパート勤務の長女の仕事が上がる時間に合わせて、パーティは夜の十時から始まった。 メインディッシュは、ローストビーフにローストチキンと決まっていたのだけれど、若者の食欲にどう応えようかと悩んだ挙句、手巻き寿司が材料を切るだけで簡単なことに気がついた。 全員が集合する十時に照準を合わせ、下ごしらえを始めたのは、午後八時を回ったところであった。 丸ごとのチキンには、フォークでぶすぶすと穴をあけ、全体にバターを塗り、塩コショウをすり込んだ。オーブンの皿に、アルミホイルを敷いて、輪切りにした玉葱とニンジンを敷き詰めた。次にローストビーフには、塩コショウだけを丹念にすり込んで、常温に戻しておいた。 手巻寿司の酢飯を作り、ネタを大皿に盛った。 ローストチキンは一時間半前にオーブンに突っ込み、ローストビーフは、三十分前に焼き始めた。 これで全員の顔が揃った時、一番美味しく食べられるだろう。 サラダを盛り付け、ローストチキン用にブロッコリー、オクラ、ミニキャロットを彩りよく並べた。ローストビーフ用の皿には、クレソンを二束こんもりと盛り付けて、焼き上がりを待った。 焼きあがった肉料理ニ品の肉汁を、敷いた野菜ごとフライパンに移し、コンソメキューブを数個入れて、グレイビーソースを作る。 このソースは、ローストビーフでクレソンを巻き、その上にかけて食べると絶品なのである。本当はここで西洋わさびが欲しいところなのであるが、手に入らなかったので諦めた。 更にセロリ、ニンジン、キュウリの野菜スティックに、チーズを準備しておいた。 全員が揃ってシャンパンで乾杯。 イブのイブに、メリクリの宴が始まった。 愛情を目一杯振り注いだわたしの料理に、「美味しい」を連発してくれる。 それだけで、わたしは大感激なのだったが、殆ど平らげた後、カラオケに流れ、気づいたら夜が明けようとしていた。 わたしは、本当に嬉しくて、年甲斐もなく朝までカラオケに付き合っていたのである。 クリスマスを寂しくないようにと気遣ってくれる娘や、その彼氏たちの思いやりが溢れ返っていた。 わたしは、世界中の人々に自慢したいくらい幸せだった。
2004年12月23日
コメント(4)
訃報が届いたとき、あなたの顔が浮かびました。 泣き笑いの、あなたの顔が浮かびました。 よく頑張ったと思います。 よく耐えたと思います。 わたしの想像を絶する闘いだったろうと、胸が痛みました。 でも、本当の闘いは今からだと思います。 本当に辛いのは、これからだと思います。 ちょっと愚痴をこぼしたくなったら、 わたしを思い出してください。 わたしは何もできないけれど。 あなたの吐息に耳を傾けたいと思います。 明日のあなたが、ほんの少し楽になるように。 未来のあなたが、ほんの少しだけ幸せになれるように。 わたしはそんな役割を、喜んで引き受けます。 未来のあなたのために。 未来のあなただけの幸せのために。 だからここに書いておきます。 今日の日を、忘れないために……。 今日の日を、あなたが早く忘れるために……。 合掌
2004年12月22日
コメント(1)
大きな柚子をたったひとつ、湯船に浮かべた。 袋に入れた柚子をそっと押してみると、懐かしい母の匂いが広がった。 冬至の夜。 亡き母が手拭で縫った袋には、いつも四~五個の柚子が入っていた。 袋の外からぎゅっと抑えると、中から優しい香りが辺りに散らばった。 それでようやく、ああ、今日は冬至なのか、とわたし達は気づかされた。 昔の人は、そのまた昔の人に教わった通りを黙々と踏襲してきた。 それを、記憶の中で更にわたしは確かめる。 母はどんな風に、四季を生きてきたのだろう、と…。 寒い冬の朝。 目が覚めると、母はもう居なかった。 朝暗いうちに起きだして家族分の食事を用意し、一番列車に乗るためだった。 当時、母は最寄駅から七つ先のT市まで仕事に通っていた。 真っ暗で凍てついた駅までの道は、母の足で悠に三十分はかかる。 わたしは温い布団の中で、ピシャンと閉まる玄関の引き戸の音を聞いていた。 早く楽をさせてあげたい、と思いながら。 柚子の匂いで、もうひとつ思い出した。 故郷の秋祭り。 我が家の、祭定番の鯖寿司は柚子の香りがした。 母の十八番だった。 今では何処の家庭でも生姜や柚子を入れて作るけど、当時は母だけのオリジナルだった。 大嫌いだった鯖寿司は、いつしかわたしの大好物となっていた。 浮かんだ柚子を眺めて思った。 これからも母を鑑に素敵に生きていけたら……と。
2004年12月21日
コメント(2)
ガラス越しの朝日が、顔を温めた。 外に向いたカウンターに頬杖を着き、わたしはさっきから飽きることなく遠くの建物を眺めている。 若者が好んで集うその建物の屋根は、巨大な芋虫を連想させた。 時折、目の前を慌しく行き交う通行人に視線を戻すのだが、ガラスに乱反射するまばゆい光に顔を顰めたわたしになど、誰一人関心を示さなかった。 毎朝ここで、モーニングコーヒーを飲むようになって、すでに十ヶ月が過ぎていた。 見慣れたウェイトレスは、ドアの前に立っただけで「いらっしゃいませ。ブレンド、レギュラーですね」 と心得た態度で迎えてくれるのだった。 今朝も、いつも通りで少しも変わらなかったけれど、どこかわたしの居心地はすこぶる悪かった。 何かおかしい。無性に腹立たしいのだ。 胸の内側がざわざわと、奇妙な音を立てていた。 さっき、地下鉄の風圧で乱れた短めの髪が、頬にへばりついている。 それが拍車をかけるように、むずむずとして不愉快だった。 収まりの悪い箪笥の引出を思い切り引っ張った時の、あの木と木がこすれあう、わたしの大嫌いな音に似た不快感が、身体の奥からどくどくと溢れ出しそうだった。 それを塞ぐかのように、コーヒーをごくりと流し込んだ。 淹れたてのコーヒーは、瞬間、美味しい香りで鼻腔を抜けたが、直に胃の中でヒリヒリと広がっていった。 うっ。思わず呻いて、大きく深呼吸をした。 痛みとも熱さともつかぬ感覚が、そのまますーっと消えるのがわかった。 今朝は、次女が帰ってこなかった。 このところ、彼女の生活は粗雑だった。 ざらざらしたものが、心の中に滓のように澱んでいく。 信じなくてどうする? 今までしてきたように、信じていれば大丈夫なのだから…。 何度も自分に言い聞かせて、メールを打った。 「最近、少し雑になってるよ。どうしたの?」 「分かってるってば。ちゃんと学校には行くから」 すぐに戻ってきた返信を確認して、高い椅子から滑り下りた。 夕べからつかえたものが、少しだけ落ちていった。 甘いなー。わたし。 下腹部がチリチリと痛んだ。 ああ、生理が近いんだな。 視界に、目的地行きのバスが入ってきた。
2004年12月20日
コメント(2)
毎年、この季節になると思い出す。 あの年の、お腹を抱えて大笑いをしたクリスマスの夜を…。 「サンタさんに何をお願いしたの?」 「言わないんだもん。サンタさんは言わなくても欲しいものは分かってくれてるから」 「でもさ、もしかして忘れちゃうと困るでしょう?母さんだけにそっと内緒で教えてくれない?」 それでも次女は、わたしの誘いに乗らなかった。 困った挙句、長女とお揃いの洋服をラッピングして、なかなか眠らない次女の寝息を確認してから、枕元へそっと置いたのであった。 ところがその夜のことである。 ものすごく悲しそうな泣き声がした。 驚いて子供部屋を覗いてみると、ラッピングした洋服は散乱し、次女が突っ伏して泣いていた。 「サンタさんのバカー、嘘つきー。こんなもん欲しくないよー。洋服は母さんが買ってくれるんだもーん」 鼻汁と涙でぐじゃぐじゃの顔を上げて、わたしに訴えるのだった。 傍らで長女は、妹の様子に匙を投げていた。 「多羅ちゃんの欲しいものじゃなかったみたいよ。母さん」 薄々サンタの存在には疑問を抱いていた年子の姉は、それでも妹の夢を壊すまいと何も言ってないらしい。 わたしは言葉を捜しながら、この場をどう対処しようかと、ない知恵を絞ったのである。 「多羅ちゃん。いつも、いつも欲しいものばかり貰えるとは限らないんだよ。たまには違うものでも、ありがとうって感謝の気持ちを言えるかどうか、サンタさんだってテストするんだから。でも、一体何が欲しかったの?」 わたしの言葉に、次女は泣くのを止めた。 「ゲームのやつだもん」 「そう?だったらお年玉に父さんにお願いしたら?サンタさんをバカって言うと、来年は来ないからね」 その答えに納得したのかどうか不明であるけれど、その場は収まったのである。 実は大人たちは、子供が本当に寝静まった夜、お腹を抱えて笑っていた。 あまりに可愛かったから。 そんなことがあった翌年も、そしてそのまた翌年も、次女は、頑なにサンタクロースの存在を信じていた。 でも、本当はその振りをしていたのだった。 中学生になってから、本人が舌をペロリと出して明かしのである。 その次女も、もう二十歳になった。 恒例のわたしの思い出話に、決まり悪そうに苦笑をしている。
2004年12月19日
コメント(4)
段々と今年も終わりに近付いてきた。 家事には、日頃からかなり気をつけているのだが、やはり年末になると、気になってしまう。 今から一つずつ手をつければ、慌てることもないだろう、と換気扇のステンレスフィルター掃除に取り掛かった。 頑固でしつこい油汚れである。 うっかりしてその手の洗剤を用意していなかった。 まぁ、なんとかなるだろうと始めたところ、ゴム手にくっついて、あっちにベタリ、こっちにベタリと困ったシロモノである。 それでも磨き粉を駆使し、ガスレンジも流しもピカピカに磨いた。 普段から肩こり症のわたしには、磨くという行為はかなりハードなのである。 でも、とにかく黙々と磨いた。 今年のわたしにこびり付いた、すべての汚れを一緒に流したくて、これでもかぁと磨くのであった。 お蔭で台所は、ピッカピカになった。 首を大きく回したり、拳で左右交互にとんとんと肩を叩きながら、もうすっかり気分は大晦日である。 気候はいつまでも小春日和で、冬を忘れてしまったようだけれど、二週間後には確実に新年が訪れる。 どんな一年が待っているのだろうか……。
2004年12月18日
コメント(0)
玄関脇の本棚から、タイトルに惹かれて抜き出したのは、浅田次郎の『月のしずく』であった。 自分で買った記憶がなかったので次女に訊ねてみると、彼氏が持ち込んだ推奨の文庫本数冊の中の一冊だった。 金のない学生らしく、古本屋で購入したものなのだろう。 すでにカバーはなく食べこぼしのシミ付きで、裏表紙に鉛筆で二百円と書いてあった。 ぺらぺらとめくってみると、途中に毛髪や埃が詰まっていて、とても読みたくなる代物ではなかったのだけれど、浅田作品は、『蒼穹の昴』で何度もイカシテいただいたので、迷うことなく読み始めたのだ。 コンビナートの荷役を黙々と真面目に勤める中年の独身男性が、ある日銀座の売れっ子ホステスと出会う『月のしずく』は、イキナリわたしを捕まえて放さなかった。 続く『聖夜の肖像』『銀色の雨』『瑠璃想』『花や今宵』『ふくちゃんのジャック・ナイフ』『ピエタ』の七つの掌編が詰まっているのだが、どの掌編も本当にぐっとくる。 中でも最後の『ピエタ』は、涙を必死でこらえた。そこが電車の中だったからである。 幼い時に自分を捨てた母を見返してやりたい一心で努力した娘が、母に会いにやって来たローマでの一コマ。 その母娘の心理が、なぜか手に取るように伝わって来て、こみ上げてくるのだ。 娘を持つわたしは、完全に小説の中の人だった。 浅田次郎氏には『蒼穹の昴』で、すでに感銘を受けて虜になっているのだけれど、とにかくものすごい人である。 人の心の襞の、裏のまた裏まで知り尽くしていると感じた。 わたしは今、すべての彼の作品を、丁寧に丁寧に読破したい気持ちなのである。
2004年12月17日
コメント(12)
短い期間に3キロ増えたのだから、 短い期間で絶対に減る、と信じていた通り元に戻った。 でも実際にはかなり焦って、半分諦めモードだったのだ。 色々やった。 最初はびくともしなかった。 焦った、焦った。 で、何が効いたかって? 複式呼吸。 毎朝、毎晩。 大きく息を吸って、大きく吐く。 これを1セット5回やるだけ。 で、減った。 現在、始めて十日目。 元に戻った。 素直に嬉しい。 ほっとしている。 洋服の窮屈感から、解放! ふぅ~。 ついでに、あと3キロ。 そうなるとかなり体が軽くなる。
2004年12月16日
コメント(6)
「どうして離婚されたのですか?」 相手が一番聞きたいであろう質問だった。 なぜなら、その問いの主はお見合いの相手なのだから。 ストレートな問いに、答えられなかった。 なんでだろう? 自分の中で自問自答を繰り返し、しどろもどろする。 これといって明確な答えを出すことができないのだ。 渦中の人であった時の、辛さや苦しさ。 泣き叫びたくなるようなあの思い。 どうやって伝えて良いのか分からない。 というより、そういうものがすっかり過去になり、 現実味が失せてしまっていた。 「お金がなくなったからですか?お金があれば許せたのですか?」 「お金ではありません」 「じゃあ何です?」 なんだろう。 分からなくなった。 だったら今から元の鞘に戻れるのか? 戻れるはずがない。 身を引き裂かれるような、強烈な思いが蘇った。 わたしが心から尊敬の念を抱いていた元夫の、 見たこともない背中。 一度目の裏切りの後の、まさかの裏切り。 でも、彼は言った。 「何とかしようと思った」 きっとその言葉は正しかったのだろう。 自分のためではなく、家族のためだと言いたいのだろう。 だけど、望んではいなかった。 スタートラインに立ち、共に人生をやり直したかった。 それだけだったのに。 同じ過ちを繰り返した彼を、わたしは許せなかった。 尊敬の念が、砕け散った。 彼がくれたものは、もはや絶望だった。 暗闇の中で。 ようやく見つけた一条の光は、子供の将来だった。 彼女らを世の中に送り出すまでが、わたしの残された仕事。 それから思い切り顔を上げて、歩き始めたのだ。 涙の数だけ、笑顔を振りまいた。 まるで能天気な母親を演じるために。 でも、わたしの踏ん張りのゴールが見えてきた。 子供達の将来の目処がついた。 だから今、自分の道を模索している。 今度こそ、自分のために生きていきたい…と。
2004年12月15日
コメント(9)
絶え間なく誰かが住んでいた。 涙が出るほど、誰かのことを想ってみたいけど。 この頃は、誰ひとり住んでいない。 ただ一度だけ。 訳もなく涙が出る人が居た。 顔を見ると涙がにじんだ。 その人を想っても、もう涙は出ない。 想いは昇華したからだろう。 でも、もう一度。 ときめきをください。 生きる証にしたいから。
2004年12月14日
コメント(4)
『喉元過ぎれば熱さ忘れる』の格言があるが、昔の人はうまい事を言う。 どんなにひどい目に遭ったとしても、人は時としてその痛みを忘れてしまったりするものなのである。 その当時は、この辛い情況をどのようにしたら乗り越えることができるのだろうかと、 ただひたすら、もがいたり苦しんだり、泣いたり叫んだりする。 でも運良く乗り越えられた暁には、日々の生活に追われているうちに、艱難辛苦は忘却のかなたへと葬り去られてしまうもののようである。 そして、再び遭遇したならば、ああ、この痛みは以前に襲われたことがあったと、地団太を踏んでみたりするのだけれど、それは後の祭りだったりすることが往々にしてある。 わたしも、こういう体験は多々あった。 だからこそ、このあたりで襟を正さないとひどい目に遭うぞ、と戒めている…。
2004年12月13日
コメント(0)
髪を切った。 ばっさりと。 すごく気持ちが良い。 少し若くなったみたいで、 なんだかワクワクする。 そういえば、 以前長い髪をばっさりと切ったのは、 失恋をしたときだった。 想いが重くて切ったのだった。 でも今は違う。 重いものは、とっくに切った。 だから今は、軽い軽い。
2004年12月12日
コメント(6)
何のきっかけからだったか、次女がふとこぼした。 「そういえば、布団の上げ下ろしは父さんの仕事だったよね」 「うん。律儀にね」 机の上に作りつけたベッドの位置が高く夏場は暑いので、当時布団を床に敷いて眠るようになっていた。 子供がそこへ布団を戻すには、少し困難であった。 だからその役は、背の高い父親の仕事になっていたのだ。 彼は少しも嫌がらず、子供を起したついでに毎朝、布団をベッドに戻していた。 そのことを思い出した次女が、つぶやいたのだった。 彼は、元々優しい父親だった。 怒鳴ったり、打ったりということなど、ただの一度もなかった。 二人の娘たちは、父親を尊敬し愛していた。 いつも、いつも父親を取りっこする、どこからみても仲良しな父と娘、そしてわたしがいた。 離婚してわたしと暮らしている娘たちは、父親のことを話題にするのが憚られるのか、あまり言わなくなった。 それが、互いが少しも気を遣うでもなく出た言葉から、ふとその光景が浮かんだのだ。 彼女たちの父親の病状が、実は良くなかった。 それを慮っているうちに、次女の口からつい出たのかもしれない。 会いに行きたいのだろう。 背中をそっと押してあげたい。 悔いのないように。 でも、現実は生活がかかっている。 それぞれのノルマをこなさないと、生活が厳しいのだ。 それでも、意思に反してそう仕向けてしまった父親を、恨むでもない。 かつて、わたしが父を憎みきれなかったように。 彼女らも、父親を捨てられないのだ。 わたしは今、亡き両親の気持ちがよく分かった。 そして、双方の気持ちがわかり過ぎて、ただ悶々とする。
2004年12月11日
コメント(0)
コートを脱ぎ捨てたくなるような、そんな小春日和の日。 わたし達は、上野駅に降り立った。 人の流れに身を任せていると、必然的に美術館の前に出た。 途中のアスファルトに浮かぶ白いシミは、踏み潰されて撤去された銀杏の跡だろう。 辺りには、まだ独特の臭いが漂っている。 見上げた森の木々の隙間から、真っ青な空が見えた。 「ああここ、MOMA展を見に来たよね」 「そうよ。マティスの『ダンス』よ。憶えてる?」 「そうそう。大きな絵の前に人だかりしてたわ」 それを見たのは、三年前の冬だった。 わたしと長女は、趣味趣向がどこか似通っている。 それで今日は『大兵馬俑展』を見に来たのだった。 会場をゆっくりと回った。 平均の高さが180センチという見上げる兵馬俑だから、なるほど大兵馬俑なのか、と妙に納得させられる。 「ねぇ、いつかやっぱり西安に行きたいね」 二人の意見が一致した。 以前、そこへ行ったことがある友人が、絶対に行くべきと推してくれたのが、今よく分かる。 これを目の当たりにしたら、と想像するだけで西安の都に立ってみたくなった。 「いつか行けたらいいね」 わたしは、ひとりごちていた。 予定では、マティスもピカソも見に行きたかったのだけれど、 陽射しはすでにオレンジ色に傾いていた。 少し寒くなった上野の森を後にして、二人は銀座に向かった。 長女は、彼氏御用達のブランド店で、クリスマスプレゼントにネクタイを見つけてあるらしい。 おぼつかない道案内の末に、ようやくその店に辿り着いた。 お目当てのストライプと水玉のネクタイをわたしに示して、どっち?という顔をした。 迷わずわたしは、ストライプの方を指差した。 「やっぱり?じゃこれにする」 二本とも買いたいけど、自分の予算では買えないから、と小さく笑った。 恋する乙女が、愛しい人に喜んでもらおうとする姿は、実にいいものである。 夜、イヴまで開封を待ちたいという彼氏に、 長女は半ば強引にプレゼントを開けさせた。 喜ぶ顔が早く見たいのだ。 「ヤバイ!これ僕も目をつけていたヤツです。僕の好みとぴったし。ありがとう!イヴはすべての予定を空けているので、このネクタイを締めます。パーティをしましょうよ」 本当に、彼氏は喜び上手である。 わたしが二人のために贈ったブルーツリーは、我が家のものより数段きれいな光を放って、 電気を消した天井や壁に、きれいな水玉模様をいくつも作っていた。 またまた一足早いクリスマスの夜は、幸せに過ぎて行った。 本番のイヴは、どうのように盛り上がるのだろう。
2004年12月10日
コメント(0)
二度目の忘年会である。 場所は新橋。 メニューは、ふぐ料理。 美味しかった~~~~。 お蔭さまでまた増えた。 もちろん、体重のお話。 う~~~~~~~ん。 もう諦めようかな~。 食いしん坊なわたし。 節食は無理なのかも。 二次会に長女が参加して。 美味しいお酒も飲んだし。 今年はいい年だったから。 来年も頑張れちゃうなー。 今の職場は居心地満点だ。 とっても美味しい、ひとときだった。
2004年12月09日
コメント(8)
昨日の強運の最後の時間に、やっぱり、素敵なことがあった。 忘年会の帰りに買った紫芋のキンツバを持って、長女宅を訪れたのだけれど、 遅い時間にも関わらず、二人は大歓迎してくれた。 酒類は宴会で、しこたま飲んだのでパスをして、あえてアミノサプリなんぞをいただいた。 「ねぇ、母さん。渡したいものがあるんだけど」 長女は満面の笑みで、なぜかうずうずしている。 「なぁに?」 「本当に早いんだけどね、早く喜ぶ顔が見たいから、今夜渡しちゃうね」 そういってきれいに包装されて赤いリボンをかけた箱を、テーブルの上に置いた。 「早く、早く。開けてみてよ」 促されながら、わたしはもどかしくリボンを解いた。 「わぉ!欲しかったヤツじゃん」 わたしはにっこりと微笑んだ。 「でしょう?」 それは、ボビィブラウンの黒の化粧ポーチであった。 以前、彼女が使っていたのを見て、欲しいと言ったのを覚えていてくれたのだ。 ファスナーを開けると、中には更にもうひとつのプレゼントが潜んでいた。 真っ赤なルージュである。 名前は、まさに「レッド」。 ちょっと暗めの落ち着いた赤だ。 「わぉー、二度も美味しいプレゼントだね。ありがとう」 わたしは、今日のラッキーな出来事はこれだったのだ、と嬉しくてたまらなかった。 「大丈夫だから」というわたしを二人して、 「いや、お義母さん。仮にもレディですから夜道は危ないです」 と笑いながら、マンションの八階のドア前まで送ってくれた。 今朝は早速、赤いルージュをきりりと引いた。 昨日の憂鬱が嘘のように、今日はウキウキである。
2004年12月08日
コメント(4)
本日の水瓶座の運勢は、抜群だ。 なんでも強運の日になるのだとか。 ラブ運も、金運も仕事運も、何もかも良いらしい。 停滞中の関係なら、ステディな関係へと発展するするとか。 その停滞中もないわたしに、どんなラッキーなラブ運が待っているの? 今のわたしは、少しも気分が弾まない。 ああ、なんだか憂鬱。 今夜の忘年会も乗り気じゃないし。 せめて金運にかけて、宝くじでも買うとしましょうか? せめて、せめて、些細なせめて…。
2004年12月07日
コメント(6)
フジテレビの『ラストクリスマス』を見ていて、ふと思った。 これが韓国ドラマだと、織田裕ニは滂沱の涙のはずである。 ここで泣かないのが、国民性の違いなのだろうか? 一体、男に泣いて欲しいのか、そうじゃないのか、自分でもよく分からない。 でも、韓国ドラマと日本のドラマとを、どこかで都合よく切り分けて見ているのだろう。 そういえば過去の恋愛で、泣いた男に感動したことはない。 「けっ、女々しいやつ」 で、ますます嫌いになった経験はある。
2004年12月06日
コメント(4)
時々、どこにいるのだろう、と自分の位置を確認をすることがある。 それは、過去も現在も同じだった。 どうしてこの場所にいるのか、と不思議に思うことすらあった。 去年の今ごろは、どこでどうしていたのかが、時には物凄く重要だったりする。 夢か現(うつつ)か分からない。 今日もロッキングチェアにもたれ掛ったまま、ふとそんなことを思った。 こんな幸福はないと実感した時でさえ、わたしは確認せずにはいられなかった。 転覆してしまうかもしれないという不安からでは、決してない。 それなのに、指先を眺めておもむろに頬をつねってみる。 痛みを感じては、どこかで納得していた。 だから、それを確認するかのように、去年の今ごろは?一昨年は?と自分の過去を確かめている。 そんな不安定さが、わたしの中にはある。
2004年12月05日
コメント(4)
台所で、汚れた食器を洗っている。 何気なく外を見た。 灰色を水で薄めたような雲のフィルターから、少しだけ陽がさしている。 たよりないほど、薄日だった。 どうやら予報では、今夜あたりから雨らしい。 なるほど、それを予感させるような天気である。 それでも遠くのその景色が、わたしを幸せな気分にしてくれた。 うまく言えないのだけれど、そこはかとなく…。 夕べ、長女が勤めの帰りに泊まりに来た。 「ふわふわオムレツ作ろうか?」 少し優しい声で聞いた。 「うん。ふわふわでとろとろのヤツね」 出来上がったアツアツを、ふーふー言いながら口に運んで、 「美味しい!」を連発した。 長女の大好物なのだ。 そういえば、亡き母もこうして好物を並べてくれたっけ…。 そんなことを思いだした。 長女も次女に続いて、さっき慌しく出かけて行った。 電車にうまく乗れたのかなーと思っていたところに、電話が鳴った。 「余裕で間に合ったよ。今朝はありがとうね」 たったこれだけのことなのに……。
2004年12月04日
コメント(2)
つい無理をする。 だって、笑顔を想像しただけで、たまらなく喜んでもらいたくなるのが、わたしの困った性分なのだから。 わたしの生活は確かに人並みとはいえなかった。 数年前、何もかも失った。 ほとんどすべての有形無形の財産が、この手のひらから零れ落ちてしまった。 でも、それを恨んでもいなければ、貧しさに泣いたりもしていない。 割とさばさばしてるし、結構すっきりと暮らせて、まぁいいかーと笑っている。 だけど確かに余分な金はない。 今日は姉の誕生日。 ずっと考えて、悩んで、今年は贈らなかった。 それでお祝いの電話だけを入れた。 でもどこか落ち着かない。 絶対に無理はいけない。 どこかで必ず皺寄せが来るのだから、と自分に言い聞かせる。 なのに、贈らないことが、落ち着かない。 相手が事情を酌み、何もかも承知しているのに、 わたしの胸中は釈然としない。 あの開けた時の、嬉しそうな笑顔が浮かんでは消えた。 そうだ、額ではない。 気持ちなのだ。 ようやくそこに辿り着いた。 いつもの年の半分に満たないかもしれないけど、 絶対に喜んでくれるものを、実は見つけていたのだ。 早速、手配した。 姉の百万ドルの笑顔が見えたから。
2004年12月03日
コメント(4)
去年ツリーを購入した某デパートの近くまで出かける用があったので、迷った挙句、我が家のものと同じブルーのクリスマスツリーを、購入することにした。 別住まいの長女が、ものすごく欲しがっていたからである。 そもそも、クリスマスツリーが欲しいと言い出したのは、22歳の長女で、その願いを去年かなえてあげたのだった。 ところが今年の夏、彼女は彼女の理由で家を出た。 次女は勝手に出たのだから、ツリーは渡さないと言うのである。 それはそうだろう。 去年は、いろんな禍がいっぱい降りかかった、ここ数年の集大成とでも言うような年だったのである。 その上、四人家族が三人になった、特に思い入れ深いクリスマスだったのだから。 それを一人で持ち出すのは、もってのほかという次女の気持ちも良く分かる。 だから、わたしは長女に同じものをクリスマスプレゼントとして、贈ってあげようともくろんでいたのであった。 長女が喜ぶ顔を思い浮かべると、とても嬉しくなった。 だから、お札を握り締めて喜び勇んで、デパートを訪れたのであった。 ところが、ケチがついた。 店員の応対が悪かった。 さんざん待たせた挙句、こちらの希望に添うどころか、素っ気無い。 閉店間際に飛び込んだのだろうか。 思わず時計を見たけれど、結局待たされた時間で、そうなったのであった。 わたしは切れた。 結構です…と。 「ねぇ、母さんいけなかった?」 同行の次女に意見を求めた。 「怒っていいんじゃないの?態度が悪かったし、サービス業に従事する人のあるまじき行為だよ」 彼女は、日ごろホテルでバイトをしているので、差引しながらうなずいた。 あああ。 せっかく買うつもりで行ったのに…。 長女の残念そうな顔が浮かんだ。 どこか他のデパートにあるかなー。 もう二度と買うものか、あのデパートでは。 クレームを入れてやろうかと激昂したけれど、抑えた。 そんなことをしたら、せっかくの想い出がくすんでしまうから。 それにしても、わたしは短気だなぁ。
2004年12月02日
コメント(2)
毎朝、思う。 ちびた口紅を眺めて。 紅筆を容器に突っ込み、唇に乗せた。 滑らかさが劣って、少しだまが残った。 輝きもなくぼってりとした唇が、鏡の中で笑う。 その口紅は、すでにもったいないという域ではない。 いつものわたしなら、とっくに捨てるしろものだ。 なのに、なぜか容器を筆先でまさぐっている。 せめて新年まで我慢しようと…。 毎年、同じことが繰り返される年末、年始。 それで都合よく内面が更新されるわけでもない。 ただ、どこかで何かのリセットボタンを押せたらなーという願望めいた希望が、新旧を区切るのだ。 でも、毎朝思う。 新しい口紅に替えたって良いじゃないの…。 結局、何も変わりはしないのだから。 せめてルージュをキリリと引いて、後ずさりしそうな気持ちを、前に押し出したら…って。 いえいえ。 けじめ。 だから。 我慢。 わたしの掌で新年を待つのは、深紅のルージュ。 大好きな色だ。 きっと、燃えるような新年がやってくる。
2004年12月01日
コメント(2)
全31件 (31件中 1-31件目)
1


![]()