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別れた夫の不用品が届いた。 粗大ゴミに出して欲しいとのこと。 こたつセットだの、ハロゲンヒーターだの、わたし達にとっても不用なものばかり。狭いマンションの玄関からリビングに抜ける廊下は、通り抜けられない状態になった。 収納場所はすでに満杯で、元々しまう余力などはなかったけれど、粗大ゴミに出す日まで隠せばいいのだ。昨日のみどりの日は、ない知恵を絞って、一人で黙々とそれらと闘った。まるで、難解なパズルを解くような時間が過ぎた。ほぼ目処がついた頃窓外に目をやると、すでにどっぷりと闇の中だった。そういえば、昼も食べ損ねていたんだっけ……。 まずは、喉の渇きから、と発泡酒のプルトップを勢いよく引いたところに、長女と恋人がやってきた。彼女はほとんど片付けが終わった部屋を見て「母さんは片付けの天才!」などと大仰に叫び、わたしをおだてた。いつものことである。そしてペロリと舌を出し、手伝わなかったことを口先だけでわびた。 わたしは、やっとありついた発泡酒を一口だけ飲んで、休む間もなく食事の仕度に取りかかった。「残りの掃除機かけはあたしがやるから、何か食べさせて」という長女たって頼みのせいである。 大慌てでハンバーグにポテトサラダ、茄子のピリ辛炒めの手順を頭に浮かべた。どれも彼女のリクエストに応えたメニューである。 恋人に向かって「母さんのは天下一品だよ」 と、自分の得意料理のような顔をした。「どこんちのも、自分の母親のが一番だと思って育つわけだから、そんなこと言わないでよ。恥ずかしいから」 ほんとうに、突然変なことを言い出すから、こちらも緊張するではないか。冷や汗をかいた。 出来上がるまでの時間を、二人は発泡酒を飲みながら、オセロやチェスでつぶしている。 冷蔵庫を覗き込んだ彼は、「お母さん、ビールがないみたいですね。買ってきましょうか?」と言った。「間に合わない?全部飲んでもいいわよ」「いえ、申し訳ないから買ってきます」 彼は、まだ半ダースはあったのに、向かいのスーパーまで買いに走った。その後を、「待ってぇ」と長女が追った。 小一時間でテーブルに並んだ料理を、何度も何度も美味しいという言葉を重ね、二人は見事に平らげてくれた。 こんなに早く、こういうひと時がやって来ようとは……。 去る人もいれば来る人いるのだ。 わたしは戸惑いながらも、気持ちがほっこりと和んでいるのを感じた。
2004年04月30日
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今日は亡くなった母の誕生日だ。 通勤電車の中で、ふと思い出した。 天皇誕生日(現在はみどりの日)の前日、というので我々は忘れなかった。 母は75歳まで後もう少しという4月2日に、あの世へ旅立った。晩年は三年くらい病院へ入ったきりだった。 当時、わたしは遠くへ住んでいてなかなか母を見舞うことができなかったのだけれど、三日三晩夢枕に母が立つので、何かを感じて帰郷した。一週間ずっと付き添って嫁ぎ先まで戻ってみると、訃報が入っていた。母は、あの時、わたしに会いに来ていたのだと思った。 わたしは両親に一番心配をかけた娘だったから、気がかりだったに違いない。そのうえ甘え上手で、父なぞは、目の中に入れても痛くないといった溺愛ぶりだった。 父が先に亡くなって、母は五年後に後を追った。ちゃんと妻としての役割を果たしている。父が亡くなった時、母は号泣し、父を心から愛していたのだと言った光景が目に浮かんだ。わたしは、その両親の教えに添えなかった。残念だけれど。 母は草花や動物をこよなく愛する人だった。母の愛した草花は、義姉が意思を継いで管理しているので、今も実家の庭で枯れることなく咲いている。 この季節は、泰山木の根元で濃い紫の牡丹が艶やかに咲いているだろう。 目を閉じると、母と過ごした日々がめまぐるしくフィードバックした。それは、今のわたしと同い年の母の姿だった。
2004年04月28日
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わたしには二人の娘がいる。 二十歳と二十一歳。 歳月の流れは早いものだと思う。 この連休のどこか一日を空けて欲しいと、長女の彼が言った。二組とわたしの五人でピクニックへ行かないかという提案である。 ずっと悲しいことがいっぱいあったから、わたしに笑顔をくれようとしているのだろう。 長女と彼が付き合い始めたころ、彼と大喧嘩をした。原因はわたしにゆとりがなかったからだ。もしかしたら、独り者のわたしが、嫉妬したのかもしれないなーと今はそう思う。 次女の彼は、付き合い始めて二年が過ぎた。すっかりわたしの中では家族になっていた。 「それじゃあ、お母さんが好きな鎌倉をみんなで歩こうか」、と次女の彼が提案をした。 場所はどこでも良い。 二組のカップルとわたしが、笑顔でお弁当をほおばっている姿を思い浮かべるだけで、とっても嬉しくなった。 一時は、誰からも見放されてしまったような孤独感を味わったけれど、わたしはちゃんと輪の中心にいる。 それだけで十分だった。 娘と三人で美味しいお弁当を作ろう。 だから、連休を心待ちしている。
2004年04月27日
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急に思い立って、宮ヶ瀬ダムの新緑を目指した。 秦野から矢櫃峠を越えて宮ヶ瀬へ向かう道を選んだ。道幅が狭くて、途中で対向車両と出会うと、なかなか大変なのだが、緑と光あふれるトンネルの素晴らしさには換え難い。木漏れ日が顔をくすぐり、あふれんばかりの緑のシャワーを浴びる快感といったらない。それなのに、九十九折の山道は、車酔いを誘う。何度も車を止めてもらい、思い切り空気を吸うと、どうにか収まるのだが……。 キャンプ場に車を止めて、川に下りた。 むせ返る緑を切り取った空は真っ青で目の栄養剤だし、せせらぎの音は耳、涼やかな風は肌に心地よく、どれを取っても最高の癒しとなった。 再び緑と光のトンネルに戻り、目的地へと向かう。 ここに来るのは十数年ぶりである。ダムができたばかりで、まだ水のない時に小学生だった娘を連れてきた記憶がよみがえった。あのときはしゃいで駈けていた彼女らは、もう成人してしまった。それほどの時間を感じないのに、もう一昔以上も経過しているのだ。 並々と水をたたえた水面を、展望台から眺めた。 山に湖に緑。たとえようのない充足感に、しばし浸った。 身体の内側に、何かがみなぎるのを感じる。勇気や決断や希望や夢なのかもしれない。 明日から、もう少しは頑張れる気がした。
2004年04月26日
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久しぶりに次女と買い物をした。 彼女は、シーズンに一度、わたしと買い物に行きたがった。 魂胆は分かっているのだけれど、たまには若い娘とデートするのも楽しいから、いそいそと同行するのだ。 初夏の衣類であふれるショーウィンドウを覗きこみながら、これはどう?あれはどう?と、横浜を彷徨った。 洋服の傾向は良く分かっているので、勧めたものを気に入ってくれる。ワンピース、インナー、パンツに靴を、大体予算内で収めて最後にスパゲッティを食べて、終了。 わたしも、靴とインナーとCDを購入した。 CDは中村善郎『レンブランサ、エスペランサ』。ボサノヴァである。明日の土曜日の昼下がり、じっくりと聴いてみるつもりだ。 日曜日のブランチを食べながら流すボサノヴァが好きだ。時には赤ワインを軽く飲みながらね。
2004年04月23日
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木曜日が好き。 金曜日ではなく、木曜日が好きなのだ。 週の半分が終わって、もう一日踏ん張ったら休みだよ、っていう感じが、ほっとする。 そこで誰かと飲みたくなるのだけれど、たいていの友人たちは、金曜日にしない?という。 金曜日は金曜日で好きだけれど、週における木曜日の位置が良い。 昨日はカサブランカを買おうと思って花屋に寄った。 元気が出るから、カサブランカが大好き。 なのに、母の日が近づくとカーネーションだらけ。 買う気が失せた。 カーネーションは大嫌い。 娘からのプレゼントはいつもカサブランカだから、もう少しの辛抱だ。母の日のお楽しみにとって置こう。 笑顔の素敵な男が好き。 はにかむ男もシャイで好き。 だけど、あつかましい男は大嫌い。 今朝の電車のあの男、久しぶりに腹が立った。 太目の身体で割り込んで、意味もなく身体を密着した。体温がゆっくりと近づいて、不愉快度全開。もう一駅の辛抱だから……。ガタン、着いた。降りようと身体を出口に向けた瞬間、「降ります」とわたしの足をぎゅっと踏んづけた。人ごみを掻き分けて、やつは先に降りて行った。ん、もうー。 だから、今日は木曜日なのに、少し嫌い。
2004年04月22日
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苦しい二年間だった。 そのことが終わったわけではないけれど、わたしの中で一区切りつけることにした。 まさか……。何でわたしの頭上に?? こういう思いから長いこと抜け出せなかった。 でも、昨日でわたしは、新しく生き直す決意を固めたのだ。 だから、もう過去は振り向かない。 従来の少々おっちょこちょいで、それでいて底抜けに明るかったわたしに戻るのだ。どんなことでもプラス思考へと発想の転換が得意だった赤毛のアンのように。 眉間のしわには、夕べアイロンをかけて、丁寧に伸ばした。あまりに深かったので、完全に取りきれないのが、少々難だけれど、まぁよしとしよう。 これからは、小鳥のさえずりに耳を澄ませ、木々の緑に心を癒される、そんな日々を送ろうと思う。幸いわたしには、ずっと昔に鋏を置いたままの、いけばなという得意芸もある。 わたしの身に降りかかった災難は、春の海に漂う小船に落とされた爆弾のようなものだった。それにもめげず、大海に出てさまよう事を余儀なくされたけれど、沈没はしなかった。だからこうして、生きている。 多くの友人知人が力や知恵を貸してくれた。その恩返しは、わたしがもっともっと素敵に生きることなのだ。 ようやく、そこへ辿りついた。 『しなやかに、そしてしたたかに』生きろ、とは友人が贈ってくれたエールである。まだまだ、遠い気はするけれど、欲張らないで一歩ずつ、確実に近づけたらと思う。
2004年04月21日
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日曜日、夕方の上り東海道の乗客は極端に少なかった。 わたしは二宮駅から乗車し、がらがらのボックス席に、一人で座って、ぼんやりと窓外に視線を泳がせていた。頭の中では、別のことを考えていたので、次の大磯に止まったことすら、思考の外であった。 酒臭い臭いに辟易しながら、向かいに座った男に目をやった。片手に缶ビールを持った男が、なにやらしきりと話しかけてきたからだ。「ねえちゃん、渡辺真知子?俺、大ファン。何か歌って」 無視をして、窓外へ再び視線を移した。「ねえちゃんは、別嬪さんだねぇ。ラブミーテンダーラブミーツー」 呂律の回らない舌は、すでにもつれまくっていた。「ねえちゃん、キスして良い?」「馬鹿いってんじゃないわよ」 思わずわたしが気色ばんだ。「おー、恐い。冗談、冗談」 そう言いながらも、また同じセリフを繰り返す。 うるさくて耐えられなくなった。 わたしは、空いていた隣のボックス席へ移った。 それでも、彼は回らない舌で、下品な言葉を投げてきた。 実際のわたしは、悩み事で頭がはちきれんばかりであった。怒りが湧いてきて、喧嘩を吹っかけてしまいそうになった。それを必死でこらえて、無視をし続けた。 わたしが先に下車したのだけれど、彼は背中に言葉を投げてよこした。「ねえちゃんのために人生が狂った」 とか、なんとか。 狂うわけないだろ、初めて遭ったばかりなんだから。 ぐっと言葉を飲み込んで、わたしは降りた。 馬鹿なセクハラオヤジ。 わたしはこういう手合いが、一番嫌いなのだ。 不愉快さを、冷たいビールの液体で流し込んだ。
2004年04月19日
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緑が美しい季節になった。 箱根のターンバイクを芦ノ湖まで走った。 途中の山の中に点在する桜がとてもきれいである。 車を止めて、その桜を眺めた。小さな小さな花びらが、風で舞い降りて来た。 姉が「コメザクラって言うんだよ」と教えてくれたけど、わたしは初めてだった。その花びらが米粒のように小さいので、その名がついたのだろうか?涼やかな咲き方をした桜だと思った。ソメイヨシノや少し送れて八重桜を見た後なので、花が一回り小さな一重のこの桜は、とっても新鮮で愛らしい。 新緑に点在する薄桃色がパステル画のようである。空気も殊のほか美味しい気がした。 鶯が鳴いた。 思い切り伸びをして、再び緑の風の中を走った。
2004年04月18日
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重くて沈んでしまいそうな身体を、かろうじて地球上に保っている。精神を統一して、気を引き締めてないと、ずぶずぶと深く沈んでしまいそうな、そんな感じなのである。 昨日は誘う相手が見つからず、それでいて誰も居ない部屋には帰りたくなくて、寄り道をしてしまった。 ずっと長いこと、物欲は失せていたのに、春の陽気も手伝ってか、ウインドゥに目を凝らしてみた。驚くことに、そこはすっかり初夏の装いであった。 それなのに、わたしは華やいだ洋服には目もくれず、相変わらず大好きな黒ばかりを探していた。消費することで今のモヤモヤから逃避できるような錯覚を起こし、一枚のインナーを手に取った。胸元が鋭くV字に開いたものである。普段だと買いもしないデザインだった。試着してみると、貧弱な胸が露になった。それでも構わなかった。少しだけ気が晴れた。 カフェバーのカウンターに座った。本当は海の見えるカウンターが素敵だと思ったけれど、そこは当たり前のようにカップルが占めている。一人者は邪魔をしてはいけない。生ビールをグラスで頼んで、一気に飲み干した。次にマティーニのロックをゆっくりとなめた。じゅわーっと酔いが訪れる。頭の芯が少しずつ痺れてきた。現実の辛さが、和らぐ瞬間である。このまま、明日が来なきゃ良いのになー、と浸っているとき、大事なことを思い出した。明日は、楽しみにしていたデートだ。勝手なものであるけれど、明日は来ても良い。否、来てくれないと困る。取り留めのないことが次々と浮かんでは消えた。 デートのことだけ残して、頭の中から、いやなことを追い出した。 少し気持ちが楽になってきた。 その勢いで、駅前に並ぶ占い師の中から、霊視とタロット占いというのを選んだ。 今は何をしても駄目な時期らしい。五千円も払ったのに、がっかり。もう少し明るい未来を与えてくれても、どうせバチはあたらないと思うけど、占い師はケチである。 こうして、一夜は明けた。 黒のロングジャケットの下には、昨日買ったインナーを身に着けている。 明日は何がやってこようが、構わない。 ひとまず今日は、楽しいデートとなりますように。
2004年04月16日
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気持ちが安定しない。 なんだかざわざわ落ち着かないのだ。 原因は、はっきりと分かっていた。事態の重さに不安が押し寄せてくる。打開策はなく、その大波に乗るしかない。乗り切る自信がないから、逃避を重ねる。安定したかのように見えても、またもや気持ちが大きく揺らぎ、不安定になってしまうのであろう。 一人で耐え切れないから、夕べは友人を誘って飲んだ。彼女とは何年ぶりだったろうか。三年?いえもっとかもしれない。取り留めのない会話を重ねても、わたしの胸をふさいでしまった黒雲は、晴れない。ただただ、時間だけが過ぎていった。 二時間ほど話して、雨の中を別れた。 それでも、明日という日は必ず訪れる。
2004年04月15日
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霊感は強い方である。 現実を思い通りにする確立は、かなり高い。 というと、少々怪しげであるけれど、それを悪用しようとかいうのではないので、お許しいただきたい。 たとえば、普通なら考えられないようなことでも、頭の中で念じれば、叶ってしまうということが多々あったりするのだ。誰かを好きになって、顔を見たくなったとすると、そのシーンを思い描く。不思議なことに、それは偶然に過ぎないと思いながらも、何度も出くわしたりするから、われながら驚く。 先日も、三十年来の友の顔が浮かんだ。彼は時折、上京してくるので、「今度はいつ上京してくるのですか?」と、携帯電話にメールを送った。するとその深夜、彼から電話が入った。「今、会議で来てるんだけど、なんだか見てたようにグッドタイミングなメールで驚いたよ。連絡しようと思ったんだけど、今日は歓送迎会で遅くなるから連絡をしなかったんだ」 懐かしい声が、受話器の中で笑った。「ふふ、わたしは霊感女よ。侮らないでねー」などと、ふざけて返した。 だけど、以心伝心とはこのことだった。 久しぶりの長電話になった。 実は、わたしもストレスが飽和状態で、誰かに聞いて欲しかったのだ。ここ数年、わたしの身の上に起きた出来事のすべてを、親友である彼には話してあった。それ関連だったので、話は早い。かくかくしかじか、話しているうちに、薄皮を剥ぐようにではあったけれど、憂さが晴れだした。「親父の死は、今でも思うけど元気な死に際でよかったと思うよ。元気な死に際という言い方もおかしいけど、少しも苦しまないであの世に逝っちゃったんだ。でもね、そのために普段から健康には気をつけたり、ストレスを溜め込まないようにしたり、努力を怠らなかったんだ。そういう親父を俺は尊敬してるんだ」 近況から、最近亡くなられたお父上の話になったとき、彼はそう言った。彼のお父上は、ダンディな方で、わたしもよく存じ上げていた。それだけに、この父親にして息子あり、の素晴らしい関係だと思う。「その親父の年齢までまだ三十年はあるんだよ」 と彼は言い、「もう一度成人式をしても余る年を迎えた時、話題が豊富で良いじゃない。そう思って今を乗り越えなよ。一回りも二回りも人生が豊かになって、人に聞かせる話が多いほど楽しいと思うよ。君はその中心になって笑っていられるよ」 と、言葉を結んだ。 なんて素晴らしい助言なのだろう。 わたしは、つぶれそうになっていた、その大きな出来事が、急に軽くなった気がした。 やはり、彼に聞いてもらって正解だと思った。 知らず知らずのうちに、吐き出す相手をわたしはちゃんと選んでいたのだ。 長電話を終えた頃には、すっかり憂さが晴れていた。
2004年04月13日
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すごく落ち込んでいた。 どん底の底みたいな感じ。 どうすればこの状態から抜け出せるのだろうかと、ひとまず電車に乗って、なんとなく桜木町で下りて歩いた。鼻先を潮のにおいがかすめた。大きく吸い込むと、身体の中が清められた気がした。そしてどん底から少し浮かびあがった。 以前も同じことを感じたことがある。 潮のにおいは、郷愁を誘う。 だけれども、わたしの出身地は海辺ではない。 緑がむせ返る山の中だ。 だから、どうして落ち着くのか分からない。 海は羊水なのだろうか。時々そう思うことがある。
2004年04月12日
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わたしは本当に出不精だ。 ビールさえあれば、用事でもない限り、家にいる。 今日も一日中、家で片付け物をしていた。 娘たちは言う。 「母さんは掃除が趣味でしょう?」 おいおい、趣味ってことはないけどー、まぁ趣味と言えなくもないか。散らかっていたり、埃っぽいのが嫌いなだけである。 だから、今日は隅々まで掃除機をかけて、固く絞った雑巾できれいに埃を拭った。そのおかげで、空気はきれいだし、足の裏も汚れない。フローリングは、素足で歩くのが実は気持ちが良いのだ。余りにも汚いと、やはりスリッパを履いてしまうけれど、基本的には素足で歩くほうが、わたしは好き。 鬼のように、掃除をしていると、どうやら娘達には、趣味?と思えてくるのだろう。だったら、趣味でも良いけど。 窓を開け放して、思い切り空気の入れ替えをするのも、この季節の醍醐味である。昨日、今日と天気が良いので、出かけないでシーツの洗濯もできた。なんだか充実した週末だった。 昨日は、長女と次女の彼氏も混ぜて、ランチはわたしお手製の餃子パーティとなった。美味しいを連発してくれたので、招き手としては、とっても嬉しいものである。月に一度くらい、こんな風に過ごせたら最高だけど、そうも行くまい。 でも、こんな些細な幸せに心から手をあわせている。
2004年04月11日
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二ヶ月前まで働いていた職場で、ガールフレンドができた。ここであえて、女友達といわないのは、わたしには女友達が少ないからだ。数少ない、これから生涯付き合っていけるだろう女友達ができたのだ。嬉しい。 昨日、その友達と久しぶりに飲んだ。 久しぶりといっても、高々二週間ぶりだから、どちらかというと頻繁な方だと思う。 彼女とはビールで始まって、ひれ酒を飲む。これだとどういうわけだか、量を飲まなくても酔っ払えるからだ。ある人が「ひれ酒は、アルコールを飛ばすから酔わないだろう」と言ったけれど、大体二杯くらいで酩酊するから、安上がり。 前の職場は、生まれて初めての女性の多いところだったから、目いっぱい戸惑った。若い頃、女性からいじめにあったことがあるので、男性が少ない職場は、どちらかというと苦手なのだ。 でも、わたしは一切気にしないので、いじめ甲斐がないらしい。いつしかいじめは終わったけれど、女性の友達を持たなくなった。親友と呼べる友達は、数人で一生間に合うと思ったからだ。 夕べの彼女はとても良い友達になれた。お互いが邪魔にならないし、どちらも酒を飲んで楽しくなれる。憂さ晴らしができるのだ。そして、他人の悪口を肴に飲みたくないから、話題は楽しいことばかり。二人が現在抱えている問題は、とてつもなく大きいのに、二人で明るい。 目いっぱい笑って、右と左に別れた。 「また飲もうねー」
2004年04月09日
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母の葬儀で帰郷したときだったから、すでに十五年くらい前になる。 山の上の開けた場所に、一本だけあった姥桜は、その姿を誇示するように、天に向かってそびえていた。 長い間住んでいた町なのに、残念ながらわたしは存在すら知らなかった。 苔の貼りついた老木に薄紅色の桜が満開だった。下から見上げた真っ青の空とのコントラストも鮮やかで、今でもはっきりと記憶している。母の亡くなった事と醍醐桜が、一つの忘れられない印象となって、心の奥深くに刻み込まれていた。だから、母を思い出すと必然的に、醍醐桜も浮かんでくるのだろうと思う。 昨年は、テレビの大河ドラマにも出てきて、懐かしさもひとしおだった。その手前にある塩滝は、学生時代のハイキングに欠かせない、思い出深い場所である。塩滝を知っているのに、そこからあまり遠くないその桜を、わたしは本当に知らなかった。今となっては悔やまれるが、地元の人というのは、案外行かないものなのかもしれない。 今年は暖冬だったので、きっと今頃はあの艶やかな姿をお披露目していることだろう。 電車から見える満開の桜並木を見ながら、今朝のわたしは遠くの醍醐桜に思いを馳せていた。
2004年04月08日
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わたしは、もう何年も書くことで自分の内面と対峙してきた。どんなに内面が怒り狂っていても、じっと己と向き合えば、いつしかそれが鎮まるのだ。 だから、書くことが大好きだった。 書くことで、悶え苦しんだ問題の答えが簡単に出たことも、一度や二度ではなかったと思う。 書くことは、ある種、わたしにとっての『癒し』であると言っても過言ではないだろう。 ところが最近は、その書くことがすごく億劫になっていた。書いても、書いても、言葉の羅列に過ぎなくて、少しも癒されなかった。むしろ、書くことで傷ついたり、居心地の悪さを思い知ったのだ。なぜだろう、どうしたのだろう。自問自答を繰り返しながら、わたしはひたすら立ち竦むばかりであった。一歩も前に進むことができなかった。 多分それは、心に遊びがなかったのだろう。柔軟に対応できる想像力も、現実を事実として体内に取り込むゆとりのようなものも、何もかも持ち合わせていなかった。ある日、突然、どこかに置き忘れてしまったような、まるでわたしの中を、わたしではない誰かに乗っ取られてしまったような、そんな居心地の悪さや、違和感を感じていたのだ。 あるがままに、何でも受け入れて、わたし流にアレンジして愉しむことをスタイルとして、生きてきたと思うのに、それが全くできなくなったとき、わたしは書けなくなっていた。いえ、書きたくなくなっていた。 でも、少しずつ、書いてみようとここに辿り着いた。 まだまだ、試行錯誤ではあるけれど、こうして書き始めたことで、何かが解け始めた気がする。 春という気候のなせる技なのか、心の奥深くに澱のようにたまっていたものが、少しずつ外へと流れ出している。 それをわたしはじっと待っていたのだろう。
2004年04月07日
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本当に驚いた。 勤めを終えて帰宅してみると、テーブルの上に、長女と彼の名前を書いた書き損じの婚姻届が置いてあった。 昼間、所在を知りたくて携帯電話に入れた時、区役所にいるとのことだったから、わたしの頭の中は、ものすごい勢いで婚姻届の提出へと向かっていった。 順番が違うじゃないか、まず、親に報告があってしかるべき、否、もう二十歳を過ぎた大人なのだから、それもありだろう、とか支離滅裂でじっとしていられなかった。完全に血は頭へ上り、激しく逆流を始めていた。彼女はまだ学生である。彼を恋人として認めてはいるけれど、まだまだ先でも良いじゃない、親が手塩にかけて育てた娘の卒業式の余韻すら浸れていない。母娘旅行だってしたかった。もっと、もっとしたいことはいっぱいあったのに、良いとこ取りの彼に、憎しみが湧いてくる。着替えをするのも忘れて、わたしはロッキングチェアに張り付いたまま、ただ、ぼんやりと揺れていた。いつかは来る瞬間ではあるだろう。しかしながら、こんなに唐突に来なくて良いじゃない、ひどいよ、涙があふれてぽろぽろとこぼれ落ちた。 目を閉じると、幼かった日々が浮かび、現実の落差に戸惑った。それでも、ゆっくり、じっくり考えて、わたしはひとつの結論にたどり着いた。 「良いじゃないの、彼女が幸せなら。それが一番なのだから」 そう思った瞬間、身体が喉の渇きを訴えていた。混乱して朦朧とした意識は、完全に現実に戻った。椅子から立ち上がり、干からびた喉にビールを流し込んだ。冷たさとほろ苦さを伴った液体は、わたしの切ない思いに、じわじわと沁み込んで、まるで何事もなかったように、鎮まっていた。 ケ・セラセラ。 人生はなるようにしかならないんだ。 落ち着くにつれて、いろんなしがらみを断ち切った。 何でも来い、受けて立とうじゃないの、胸をどーんと叩きたい気持ちになった。 「あのさー、テーブルの上の紙、見たんだけど」 「あ、あれ?お守りよ」 「お守り?」 「うん。いつか結婚できますようにって」 「えーーーっ!うっそーーーーっ」 「親にも言わないで、二人だけで出すわけないじゃん。普通ー」 「そうね、そうだよねー」 わたしの眉間から一気にしわが消えて、目じりへと移っていった。
2004年04月06日
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由比(静岡)に、桜海老丼を食べに行ってきた。 からりと揚がった桜海老の美味しいこと。 朝飯を抜いて臨んで、大正解だった。 食後の腹ごなしに町を歩き、ずっと行きたいと思っていた東海道広重美術館も寄った。 丘の上から見下ろす春の海は、おだやかできらきらとまばゆい。 いつまでも飽きることのない、素敵なすてきな時間にどっぷり首までつかった。 まだまだ時間があったので、身延山まで足を伸ばすことになった。 道中の桜、山吹、桃に諸葛菜、色とりどりの花々に、心が躍った。わたしは歓声を上げ続けた。 この旅は、姉夫婦がわたしにプレゼントしてくれたのだ。 わたしが『わお!素敵』を連発するたびに、「誘ってよかったわ」と自分のことのように喜んでくれた。 辛いことがいっぱい続いた妹に浮かぶ笑顔に、二人は大満足のようだった。彼らの気持ちが、わたしも本当に嬉しかった。 青空が広がった夏日のような一日、久しぶりに心の底から笑った。
2004年04月05日
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