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んんん?! 口の中でいったい何が起きたのだろう? 味覚障害? こんなに突然にやってくるものなのかー!! 歯を磨く口の中の泡はいつもどおりなのに、とにかく舌の上のものがまずくて妙な味がするのだ。 喉の奥からこみ上げてくる。 妊娠? そんなはずは絶対にない。 それじゃぁ、この深い不快感はなんなのよーーーー! 寝ぼけ眼のわたしの目に突然入ってきたのは、洗顔フォームのチューブだった。 まさか、まさか、これではないよね。 匂いを嗅いだ。 紛れもない、この匂いが口中をあわあわ…にしているのだった。 げーげー吐いた。 いったい何をしているんだろう。 少し情けなくなってきた。 ねぇ、今朝さぁ。 歯磨き粉と間違えたのよね。 ぼつりと言うと、「やっぱり?あたしも間違えた。置いてる場所が悪いよね。でもさ、あたしたちは未遂だけどねぇ。母さんはやっちゃったんだ」 二人でニヤリと笑った。 あわてものの証拠を提出したような気分である。
2004年06月30日
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次女とけんかをした。 つい余計な一言を言ってしまった。 寝顔を見てると、幼いときの次女の面影が、まだまだたっぷりと残っている。 ごめんね。母さんが悪かったわ。 頭をなでながら、そっとつぶやくと、彼女は寝返りを打った。 じゃぁね、行ってくるからね。 外に出ると、思いのほか日差しが強かった。 今日も暑くなりそう。 わたしは、テーブルの上に、やってもらいことを列挙しておいた。 銀行に入金すること。 掃除機をかけておくこと。 洗濯物を取り込んでたたんでおくこと。 その中で、銀行の部分を赤く丸をつけておいた。 後は期待していないけれど、銀行だけは必須事項ということである。 それでも心配だったから、昼休みに携帯電話をかけた。「うん。もう全部やってこれから出かけるの」「デート?」「そう」「夜は遅い?」「うん、遅い。蛍を見に行くかも」「そう、気をつけてね」「了解!」 夕べのけんかは、少しも残っていなかった。 内心ほっとした。 今夜は深夜までひとりきり。 先日赤レンガで買ってきた金魚のお香立てに、父の好きだった沈香をたいてみよう。 そういえば、冷蔵庫には少し甘めの白ワインがあったっけ。
2004年06月29日
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さっきまで最高に仲良しだった長女とその恋人の雲行きは、急に悪くなった。 一緒に手巻き寿司を食べて、ワインを飲んで、本当に和気藹々とした空気に包まれていたのに、である。 原因は、長女が睡眠不足の身体に酒を流し込んだからだった。いつもならそれくらいの量では酔わないのに、早々と酔ってしまったのだ。 最初は甘えから始まった。それからハイになった気持ちが急に落ち込んで、別れようという彼女の軽い冗談が通用しなくなっていた。 長女は、何事も無かったように軽いいびきをかいて、ねむっている。 世間ではよくある話で、どうってことはないと思いながらも、小さな落とし穴にはまった、と思った。 何ごとも紙一重なのだ。胸がすこしざわついて、わたしは落ち着かなかった。 その寝顔に、明日は仲直りしてね、とわたしは思わずつぶやいていた。
2004年06月28日
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少し贅沢な日曜日の午後。 掃除の後の汗だくを流すために、風呂に入った。 窓から入る光がなんだか優しい。 埃だらけの身体をくまなく洗い流すと、今朝からの得たいの知れないいらだたしさが、あぶくと一緒に流れ落ちたのか、嘘のように気持ちが楽になった。 ぬるめのお湯は、ゆっくりと身体を温めたらしい。じわじわと身体が熱くなって、顔から汗が滴り落ちた。それを潮時に、わたしは湯船を出た。拭っても、ぬぐっても汗は止まらない。 火照った身体を鎮めるために、冷蔵庫の中からよく冷えた缶ビールを取り出して、一気に三分の一ほど飲んだ。 うまい! ふーっと大きく息を吐いたとき、わたしは一週間の疲れが飛び、新たに次の週へとリセットされたのを感じた。 お気に入りのロッキングチェアに身体をあずけて、残りのビールを飲み干した。埃の無い、拭き清められた部屋を見渡し、これがわたしの至福なのだと悦に入った。 長女はトーイックの試験場へ、次女は友人達とバーベキューしに湘南海岸へと出かけた。いつもなら、置いてけぼり感に打ちひしがれるところであるが、今日はそれが逆に好都合だった。なぜなら、あちこちの部屋の汚れが我慢できなかったからである。 身支度もしないで、起き抜けの小汚い格好で、わたしはひたすら掃除に精を出した。トイレも風呂場もキッチンもどこもかしこも、ピカピカに磨いた。身体の奥底に澱んだ滓を一掃するようにである。風呂場の目地には、少量の黴がへばりついていたが、歯ブラシでこするとあっけないほどきれいに落ちた。 一週間に一度、わたしにはこの時間が必要なのである。 娘達に言わせると、ほとんどわたしは病気らしいが、次の週が快適に過ごせないのだった。 だからこそ、風呂上りのこのビールが、ことのほかうまいのだ。 こうして、明日からの一週間を楽しむゆとりのようなものが生まれるのだし、よっし!頑張るぞーって、力が漲るのだ。 ロッキングチェアを揺らしていると、玄関のチャイムが鳴った。 娘達のご帰還らしい。 「母さん、また一人で頑張ったんだ。しょうがないねぇ」 ドアの向こうの笑顔が見える。
2004年06月27日
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いろんな愛があると思う。 あって良いのだとも思う。 今、我が家の年子の娘たちは、恋愛花盛りである。 わたしは、縁が切れてこの年で一人身になった。 また、新たな縁があれば、結婚だって夢じゃない。 山ほど恋をして、川ほど涙を流した。 でも今は、自分の恋に関心がない。 娘たちの恋愛を、はらはらしながら見守っている。 母さんなら、こうするよ。 危うく口が滑りそうになるけれど、じっとこらえている。 それはあくまで、わたしであって、当人ではない。 わたしが正しいという保障も無い。 だって、わたしは恋愛下手で、失敗者なのだ。 だから、ぐっと言葉を飲み込んでしまう。 わたしがもっと寛大であれば、失敗はしなかったのだろうか、とふと思うことがある。 でも、そういうことではなかった。 心の奥深い部分で、どうしても妥協できない何かが存在したのだ。 百歩譲って、わたしが堪えたとしても、いつかは破綻したであろう、と思う。 人の気持ちは永遠ではない。 たった昨日まで、何十回となくささやいた『愛してる』が、凍てつくこともある。 眠るとき、その指先に必ずあった優しい手が、突然見知らぬ人の手に変わる場合だってあるのだ。 そんなことを思いながら、わたしは恋愛に臆病になっている。 もう二度と誰も愛せないと思っている。 今はただ、娘たちの恋の行く末を、ただはらはらしながら見守っている。 これも愛のかたちではないだろうか。 見返りを求めない、永遠の母の愛……。
2004年06月25日
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雑然としていたり、埃やごみがうず高くたまった空間では絶対に癒されないのが、わたしの癖である。 簡素でも質素でも、とにかく清潔で塵ひとつない空間が、わたしの唯一の暮らしを楽しむ条件である。 そういう環境が整った後には、ほんの少しの変化を楽しみたいと思い、最近では涼しそうなアイテムに眼を凝らしている。 玄関を入った瞬間の涼感は、この季節にはかかせない。 今我が家では、金魚鉢に水を張ってグリーンを浮かせているのだけれど、これが結構和むからうれしい。 以前、花屋の店先に、陶器の大鉢が置いてあった。その中には、これも陶器でできた大小の玉が浮かび、ホテイ草やコウホネ、睡蓮に水草の中で涼しそうにおさまっていた。ただ、ここまで大きな鉢では、狭いマンションにはやはり邪魔である。 そこで、わたしはこじんまりとした金魚鉢に辿り着いた。 金額にして、たった数千円のものであったが、これが不思議な空間を作り出している。水を見ただけで、なんとなく心は癒されるし、簡素な室内に涼やかな風を感じさせてくれた。一瞬でも、深山に分け入り見つけた沼地に紛れ込んだような、そんな涼感を与えてくれるのだ。 ほかに、生の花を生けるのも、わたしがかかさないことのひとつである。高価な家具や調度には見向きもしないけれど、ささやかな路傍の草花、侘びさびの茶花には、目がないのだ。それをいけるための竹篭や小さな花瓶で、しつらえる空間こそが、わたしのお気に入りの暮らし方なのである。 同居の娘たちは、ちらりと見て「良いねぇ。さすが、いけばなの師匠!」 と、おだてはするけど、半分は揶揄が混じっている。 それでも、わたしの価値観とかなり近い。 この先の暮らしは、せめて同じ価値観を持つ人と空間をシェアして過ごせたら楽しいだろうが、その前に、まずは恋人募集中かな?
2004年06月24日
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こう暑くては、ついエアコンに頼りきってしまう。 室外機は、大きくうなってじりじりと地球を脅かすが、そんなのはお構いなしで、今のわたしの問題は、滴り落ちる汗を一刻も早く引かせることである。 しばらくすると汗は引き、さっきまでのベタベタした不快感は解消した。 その心地よさに安堵しながら、わたしはおもむろに、香ばしい匂いで湯気を放つ珈琲をすするのであるが、後日の電気代の請求書で、直に真っ青になるはずである。 毎度、もう少しだけ、ほんの少しだけの我慢や工夫で、地球の環境破壊や汚染を防げるのに、と思う。 もっと身近でいうならば、経費の節減は、苦しい家計費をも助けてくれるのだ。 わがままに、個の欲望をのさばらせておくと、それがどういう結果を招くのか、百も承知している。 それなのに、現実はこの不快指数に負けている。 背筋がぞくっとした。 同時に、アリとキリギリスの話が、頭をよぎった。 もちろん、寒い冬を越せない惨めなキリギリスがわたしと重なるのだ。 ほんの少しから、節約を始めよう。 日本の夏は、昔から湿度が高く暑いと相場は決まっているのだから。
2004年06月23日
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ある若い時期、わたしはたったひとつの恋に執着していた。 その恋が破れたとき、心身ともに爪を立ててかきむしった。 幾筋もの傷口からは、赤い血が滲み、滴り落ちた。 苦しくて、苦しくて、もがきあがいた。 でも、それくらいのことでは、どうにもならなかった。 いっそ、心臓を取り出して、自分の手で握りつぶしたいほど、切ない恋の喪失であった。 人は、それでも前向きに生きていけるけれど、代わりうる何かが欲しくてたまらなかった。別れた彼にほんの少しでも似た人をみると近づいて、非なるものと気がつくや逃げ出した。 そんなことを繰り返しているうちに、わたしは卑怯にも安寧が欲しくなった。 精神がほんの少しでも癒されるそういう場所を求めたのだ。 己の内から発したものは、どういう形であれ、すべて己に返ってくる。辛い恋は、再会という形で数十年後に成就したけれど、それと引き換えに、かけがえのないものを失った。 ここ数年の、わが身に起きた過酷なできごとを、わたしはこのように捉えている。 だから、誰のせいでもない。 わたし自身の犯した罪のせいなのだ、と。
2004年06月22日
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電車を降りて、エスカレータに乗った。 今まで上半身しか見えなかった女性の、下半身までが視界に入ってきた。 黒のロングスカートは、ミニスカート丈あたりまで、スケスケだった。シースルーな生地ではなく、ニットでかなり大胆な透かし編みなのだ。 へぇ、すごいなー。 これが正直な感想で、彼女がエスカレータを上りきるまで、目を離せなかった。女のわたしがこうなのだから、男性は推して知るべしである。スリットがあるなまめかしいものより、もっとエロスを感じる透かし編みに、脱帽しました。 わたしの年齢では、透けて見えてしまうことが、おしゃれではなく、みっともない、と顰蹙を買ったものである。それを逆手にとって、おしゃれ感覚へと持って行く辺りが今様なのであろう。 同世代の女性に話題を向けると、大体同じ意見であった。そうそう、ブラの紐だっていまや見せるためのものだし、などなど。 でも、こういう話題を一所懸命論じてるのって、おばさんチックじゃない?の一言に、一同、はっと我に返るのであった。 でも、発想の転換なのか、時代の流れなのか、それは良いとしても、わたしは少し違う気がしている。 過度な露出は、下品に見える。 やはり上品な色気こそが、女性をより魅力的に見せるのではないだろうか? 若い世代の娘たちとも、おしゃれ感覚はまったく異なり、しばしば『古いなー』を連発されるけど、恋人の一言で、彼女らの露出はおさまった。 何はともあれ、サービス過剰の必要はない。 今朝の彼女は、朝のラッシュの中で、皆の視線を集めたことは確かであるが。
2004年06月21日
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自分に甘いくせに、娘の行動には人百倍くらい厳しい人。 それが父だった。 クラブに娘を同行して、鼻の下を伸ばす人。 それが父だった。 「お孫さん?」 「娘じゃあ」 と、相好を崩す人。 それも父だった。 愛情をストレートに表せない不器用な人。 それが、父の一番の称号だった。 そんな父が、わたしに望んだ一番は、幸せになることだった。 わたしの名誉を守るために、彼は様々なことをしてくれた。 わたしはやっと、人並みの笑顔を手に入れたよ。 だから、安心してね。 父の日の朝。 感謝の思いを、そっと天に向かって祈った。
2004年06月20日
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近くに住む姉の家の襖張りを手伝った。 というよりも、職人(?)として依頼されたのだ。 以前、我が家が一軒家だった頃、わたしは壁紙も襖も障子も全部自分でやったものである。それを知っている姉が、日当を出すから是非教えて欲しいというので、金曜の夜から出向いたのだ。 そうは言われても、もうずっと昔のことであり、果たしてわたしにできるだろうか、と自信は全くなかったが、両親の元で仕込まれた技は、そう簡単に忘れるはずはないだろうと高をくくり挑戦してきた。 案の定手順など、まだまだしっかりと記憶の襞の中にあった。実際に襖を外し、外枠を外し始めると、作業は嘘のようによどみがなかった。 義兄は、冗談交じりで「匠」だの「師匠」だのとおだてまくるのであるが、実際には相当驚いたようであった。 天袋二枚、襖四枚を半日で処理し、残りの四枚は姉夫婦が後日挑戦するということで、今日のわたしは無罪放免となった。 わたしの襖張り職人暦は、意外と長い。 実家に年中出入りしていた幼い甥や姪が、張りなおしたかと思えば、すぐに穴を空けるといった具合だったので、まだ独身だったわたしは、母の手伝いにしょっちゅう借り出されたからである。 そんなわけで、いつしか見よう見真似で身についていた。 年の離れた姉の手伝いをしながら、わたしはこんな風にして母を手伝ったっけ……と、懐かしく母を思い出していた。 姉は日当を、と差し出したのだけれど、わたしは断った。 もちろん最初から頂くつもりはなかったし、何より、母と一緒に張った思い出に浸れただけでも、ものすごい収穫であった。 梅雨の中休み。 わたしには、とっても素敵な出来事だった。
2004年06月19日
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修羅を抜けてきたから、弱者の気持ちが分かる。 いえ、分かるつもりでいた。 なのに、今のわたしは、少しおごっている。 と、思う。 おごっているときは、目に見えない大小無数の落とし穴があって、そこへ落ちていくのだ、とそんな風に思う。 今度の落とし穴は、できれば小さな穴であって欲しい。 だから、そのためには、気を引き締めて、自分を厳しく戒めなければ、と思っている。
2004年06月18日
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相手と同じ速度で、めくるめくような恋がしたい。 胸がときめいて、そのまま心臓が破裂するようなのが、特にいい。 なんて思っているうちは、たいした恋にめぐり合えないのが、わたしの恋愛事情である。 些細な言葉が棘のようでもあり、麻薬のようでもある。 恋をすると、誰もがほとんど病気の世界をさまようものだ。 だけど、恋をしてないと女(わたしの場合に限定)は、美しくなれない。 ぶくぶく太っても「ま、いっかー」で流し、髪の乱れも気にならない。 あの、めくるめくような切なさが、女をなまめかしく作るのではないだろうか、とわたしは思うのだけれど……。 過去少し好きだった男から、携帯にメールが入った。「あなたを思って円形脱毛症になったよ。お願いだから電話に出てくれないか」 女々しいのは、だめ。その気になれないもの。もう終わったのよ、わたしたち。 別な男から「人生に望みを失った。君より先に死ぬかもしれない。その前にもう一度会いたい」 と、これまたメールが届いた。 ごめんなさい。強くない男には興味がないの。自分でしっかり前を向いて歩きなさいよ。 これじゃずいぶん鼻持ちなら無い女だけれど、わたしと同じ速度でなきゃ燃えないんだもの。ごめんあそばせ、ね。 中途半端な恋は、いつしか疎遠になってしまうけれど、めくるめくような恋をした男とは、どういうわけだか、最高の友達になってしまうのが、わたしの悪い癖なのよ、ねぇ。 ふぅ……紫苑の吐息、でした。
2004年06月17日
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人と待ち合わせをするとき、わたしは待つほうが好き。 どんなに待たされても腹が立たない。 待っている間が、とっても楽しいからだ。 行き交う人々をじっと眺めたり、とにかく人間ウォッチングが大好きなのである。 ところが、昨日はほんの少しの行き違いで、友を待たせる羽目になった。電車の中を走っていたいほど、落ち着かなかったが、こんなときもたまにはあるだろう。 横浜で待ち合わせをするとき、わたしはたいてい、そごうデパートの正面玄関左側にある、人形時計の下にする。わかり易いし、ここでぼーっと行き交う人を眺めているのが好きなのだ。さまざまな人々が歩いている。それぞれが、それぞれの人生を背負っているんだろうなー。 そして、わたしはいつしか空想の世界に入って、多くの物語を勝手に作っている。 だから、待つ時間は瞬く間に過ぎてしまうのだった。 先に到着したと携帯電話をもらって、すでに二十分が過ぎている。わたしは、電車を降りるとあわててその場所へ急いだ。 どこにいるのだろう。近視なのにコンタクトレンズをはずして早数ヶ月のわたしの目には、茫洋として姿を確認できない。目をうんと細めて、似通った外観の人を探した。のっぺらぼうの顔がこちらを向いて、わずかに体が動いた。あ、彼だ。わたしが足早に近づくと、読んでいた本をバッグにしまうところだった。「ごめんなさい。遅くなっちゃって」 彼は素敵な笑顔で、首を振った。「さて、どこへ行きましょうか?」 二ヶ月ぶりの再会である。 今夜の酒は、とってもうまそうだ。
2004年06月16日
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せせらぎが聞こえる。 ここはどこ? ここはわたしの職場で、せせらぎに聞こえるのは、水槽のろ過装置。 最近、職場に実験用水槽が設置されたのだけれど、水の音って、すごく心地よい。目を閉じると、まるでせせらぎのようだ。音だけでこんなに癒されるのか、と改めて感じ入った。 我が家では最近、金魚鉢を買った。 金魚を飼うためじゃなくて、水草を浮かべて涼感をかもし出すために、である。それがあるだけで、ずいぶんと気持ちが和むから不思議。 水に浮かんだ緑の水草の間から、赤い金魚がのぞいたら楽しいだろうなー、可愛いだろうなー。 ということで、近々金魚を飼うことも想定しているところだけど、ここに水の音が加わると、もっと清涼感があふれるだろう。 でも、狭いせまいマンションだから、大げさな装置は困ってしまう。 それにしても、せせらぎ。 山間の温泉旅館を彷彿させること……。
2004年06月15日
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週末は、ほとんど長女の彼氏と三人で過ごす。 いい加減、若いもんだけで過ごせよなーって、愚痴りたくなってくる。まだ結婚しているわけではないのに、まるで婿殿のような……。「ねぇ、何で毎週末、我が家なの?」「だって、彼がここがすきだって言うんだもん」「二人きりになりたくないの?」「大丈夫。母さんも混ぜて遊びたいんだって」「ふぅーん。そうですかねぇ」 気持ちは有難いとは思うけど、どこか承服しかねる。「母さんに恋人ができたら、離れてあげるから心配しないで良いわよ」 そうはいうものの、これでいいのかなー。 思い起こせば、わたしと元夫が恋人だった頃、亡き母を連れてよくドライブした。わたしと彼は熱々で、母の前でもベタベタと仲良しこよしだった。そんなわたし達を、母が嬉しそうに見ていたっけ。それと同じなのかもしれない。いえ、きっとそうに違いないけど。「母さんだって、おんなじだったんでしょ?」「え?うん、まぁね」 しどろ、もどろ。「同じ血が流れているんだから仕方がないのよ」「いいのよ。あなた達がよければ。ただね、母さんのことを可哀相に思ってくれるのは有難いけど、あんまり気を使われると、こちらも疲れちゃうからさ」 こんなセリフを吐きながら、まんざらでもなく、わたしはいそいそと台所に立って、何か旨いもんでも食べさせてやりたいと、包丁を握るのだ。 夕べは、特製散らし寿司、鰹のたたき、ゴーヤチャンプルに、茄子の漬物、納豆とオクラの和え物、など等。 おいしい、美味しいを連発し、テーブルの上のご馳走は、あっという間に平らげてくれた。 嬉しいんだよなー、これが。 その上彼の良いところは、飲み物は全部持参したりと、さりげない気遣いができるところだ。 こんなに素敵な未来の婿殿もいないだろう。 愚痴を言うなんて、罰が当たるよね、まったく……。 先日も、通販で買った下駄箱を組み立ててくれたし、金魚鉢が買いたいといえば、車でつれて行ってくれた。 玄関にいけたカサブランカの投げ入れを、センスが良いですね、ってほめてくれた。「彼女はね、お母さんがおばあちゃんから受け継いだものを、全部教わりたいらしいですよ。僕も、大賛成です」 と、そっと耳打ちした。 だからわたしは、そんな二人の幸せを、じっと見守ってやろうと改めて思うのだった。
2004年06月14日
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何十年ぶりだろう。 漆黒の闇を乱舞する蛍を見たのは…。 ひとつ、ふたつ、みっつ。 目で追うとすっと消えて、また、別な場所で黄色の光を放つ。 いつまでも、いつまでも飽きないで、じっと闇の中で目を凝らした。 幼い頃、竹箒を持って行った蛍狩り。 すっと空中を掃くと、無数の蛍が箒に止まる。湿らせたヨモギを入れた虫かごに、捕獲した蛍を何匹も押し込んだ。闇の中を、まるで懐中電灯のように照らしながら家路を急いだものだ。蚊帳をつった部屋に蛍を放し、ちかちかと光る蛍を見るのが、何より嬉しかった。でも、どんなに元気な蛍でも、翌日の夜までの命はなかったから、飽きもせずまた次の夜も箒を片手に蛍狩りへ行ったっけ…。 そんなことを思い出しながら、目の前の蛍に思いを馳せた。 しばらく佇んでいるうちに、蛍は眠ったのだろうか。 ひとつ、ふたつと消えて、辺りは再び漆黒の闇となった。 *************************** 梅雨空を見上げているうちに、急に紫陽花を見たくなった。 どうやら、雨は降らないらしいので、デジカメ片手に鎌倉へ行くことにした。 長女とその彼氏も同行するというので、三人で電車にとび乗った。 北鎌倉で下車。 彼は、この季節には初めてだと言うので、紫陽花寺で有名な、明月院へ向ったが、ものすごい人、ヒト、ひとである。 きっと紫陽花の数より多くの、人の頭を眺めることになるのだろう。よほど引き返そうかと思ったが、ひとまず山門をくぐった。「わおー」 彼が吠えた。「思った以上に素晴らしい。来て正解でしたよ。お母さん」「そう?」 わたしは、とりあえずほっと胸を撫で下ろした。 境内にある色トリドリの紫陽花や夏椿(沙羅双樹)を堪能し、もう一つの紫陽花寺、成就院へと向かった。 久しぶりの江ノ電、極楽寺で下車。 切り通しを横切って石段を頂上まで登ると、眼下に広がる由比ガ浜をバックに、カラフルな紫陽花が続いていた。「わおーわおー」 また、彼が吠えた。「素晴らしい!明月院も良かったけれど、こっちの方が僕の好みですよ」 しきりに、感嘆し娘と叫び合う。 案内人としては、嬉しい限りである。強制したわけではないけれど、こうして人が感動するとつい嬉しい気持ちになるものだ。 ついでにもう一つ紹介したくて、そのまま切り通しを下り、長谷寺方面へ向かったが、残念ながら、すでに閉門していた。 長谷寺の紫陽花も中々素晴らしいのである。 でも、二つの紫陽花寺を回って充分堪能できたので、長谷の紫陽花は来年のお楽しみ、ということで諦めてもらった。 家に戻って、お疲れ様のビールが旨かったのは、言うまでも無い。 成就院から望む由比ガ浜と紫陽花 6/13 撮影 by sion
2004年06月13日
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ふらふらとウインドゥショッピングのつもりが……。 長女の身長は、172センチ。 今までだと絶対に仕立てあがりは間に合わなかったし、振袖を作る時だって特注だったから、ほんの柄探しというか、冷やかしというか、軽い気持ちでデパートを歩いていた。 ところが、今ではトールサイズとかいうのがあって、どうやら長身の彼女にも間に合うようなのだ。 四枚ほど袖を通してみることになった。 藍色地に白単色の大輪の菊、薄墨色に色トリドリの花火、藍色地に萩や桔梗の秋草模様、クリーム地に藍色のカサブランカ等など。 どれも素敵だったけれど、わたしの中では最初から菊が良いと思っていた。昔ながらの浴衣で、とても涼しそうなのだ。 彼女は散々迷った挙句、「おばあちゃんだったら、菊を選ぶだろうねぇ」 と、しみじみというわたしの一言で、それに決めて買うことになった。「だって、お母さんの着物って全部おばあちゃんの見立てなんでしょ?どの着物も素敵だから、おばあちゃん好みなのが間違いないの」 わたしも母の見立てが好きだったから、異存はない。「ありがとう。前に母さんに買ってもらった浴衣を無くしたでしょ?自分で買ってみたけど、なんか落ち着かなくて嫌だったの。だからこの浴衣、とっても気に入ってるの。嬉しいわ」 彼女は、なんども何度も礼を言った。 ほんのウィンドゥショッピングのつもりが、かなり大きな出費となって、わたしの懐は一気に風邪を引いてしまった。 でも、わたしも嬉しかった。 遠い日、母とこうして着物を買いに歩いたっけ。 わたしの試着した姿に、目を細めて嬉しそうな顔をしていた母が浮かんだ。 あれから、ものすごい時間がわたしの上を通過して、今は、その母をわたしがやっているのだ。我侭を言いながらも、母は決して怒らなかった。一枚でも多くの着物を箪笥に入れてやりたいと、家計に余裕ができると、わたしの着物を増やしてくれた。嫁入り道具に着物の数を競った時代だから、特にそうだったのだろうけど、高価な買い物に、わたしはただ、はらはらとして見ていたものだ。 今、母の気持ちがよくわかった。 今夜から家計を締めて、やりくりをしなくちゃ……。 長女は、早速、彼氏にその包みを見せている。「うん。これは素敵だね。似合うよ、きっと。花火大会じゃなくても、デートのときに着てよ」 後から合流した彼氏は、びろーんと鼻の下を伸ばしている。 思いがけない出費だったけれど、わたしはすごく良い気持ちで目の前の若者達を眺めている。 この光景は、こうしていつまでも、母から娘に繰り返されるのだろう。 母さん、ありがとう。 わたしは心の中で、亡き母にそっとつぶやいた。
2004年06月12日
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四人家族が三人になって半年が過ぎた。 どうにか落ち着いた。 一人ぼっちになった彼は、癌で闘病中。 可哀相だと思うけど、それは単なる同情でもう愛情ではなかった。 ぎりぎりまで踏みとどまってみたけれど、お互いを尊重し合う気持ちが崩れたことが、別れる大きな要因だったと思う。相手を信じられない、または信じさせてくれない、という情況は、歯軋りをしても地団駄を踏んでも、どうにもなるものではなかった。 そして、彼と別れる日など予測できないくらい、充実した家族だったと思うのに、四人での生活は空中で分解した。 もうすぐ父の日だ。 子供たちが何かを贈りたいと相談を持ちかけてきた。「長いこと愛し合った夫婦なのだから、何を喜ぶかわかるでしょ?」「そうねぇ。健康であればわかるけど、病気だからねぇ」 とっさに浮かんだのは、子供たちが見舞ってあげることだった。 わたしは、子供たちと暮らせてる今を、幸せだと思う。 日々の暮らしの中には、些細な出来事でいさかったりするけれど、生きていけば永遠に続くことである。 どんなに口汚くののしりあっても、翌日にはケロリとして笑っていられる環境までの道のりは、確かにつらく険しいものだった。 でも、小さな小さな幸せの積み重ねこそが、真の幸せなのだろう。そのひとつひとつを大切に出きたら充分だ、とそんな風に思う。 だから、わたしは子供たちに言ってやろう。「プレゼントは二人の笑顔じゃないかしら?」って……。
2004年06月11日
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薄墨色に、薄紅色の枝垂桜柄の浴衣を、長女のためにあつらえた。長身の彼女によく映り、わが娘ながら美しいと、惚れ惚れ見とれたのは、今から三年前のことだった。 わたしの身長とほとんど変わらない次女には、わたしの娘時代のあやめ柄のを譲った。これがぴったりで、次女に実によく似合った。 ところが、この二枚の浴衣は引越しのドサクサで、不用品を運ぶトラックへと運ばれたようで、どこを探しても見当たらない。浴衣と共に、それに合わせた帯や下駄も消えてしまった。 次女に譲った浴衣は、亡き母がわたしのために手縫いしてくれた懐かしい品であり、長女のは、たった一度しか袖を通していない新品同様品であった。それだけに悔やまれて仕方がなかった。 あれから三年。 やはり浴衣がほしいと、長女は自分で安物を買ってきた。次女には、手元に残っているわたしのアザミ柄のを、譲った。 この夏、二人とも、久しぶりに浴衣を着るそうだ。 どうやら彼氏に見せたいらしい。 ついでに、わたしにも着てほしいという。 わたしは、母が縫ってくれた唐草模様のでもまとってみよう。見せる相手はいないけど……。 夏の夜空に咲く大輪の花を見上げて、わたしは娘のそばに居る幸せを、じっとかみ締めることだろう。
2004年06月10日
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近所に行きつけの店を作った。 外観は怪しげなんだけど、その実はとっても気さくなバーである。 初めて入ってからすでに一年が過ぎた。 でも、最近はとんとご無沙汰で、最後にボトルを入れてから、もう半年になる。 大した食べ物はない。枝豆だったりピザトーストだったり、下手をすると、わたしの方がずっと上手かもしれない。 ただ、店内はマスターのお好みのジャズがやさしく流れているだけだ。そしてどんなにジャズおタクの人でも、薀蓄をたれないで、だまって静かに会話を楽しんでいるのが素敵。 わたしも頻繁に行くわけではないのだけれど、ふらりと立ち寄ると、何気なく話した些細なことを憶えていて、そっと会話に添えてくれるのが、何より嬉しいし、粋なのだ。 いつしか、わたしの行きつけの店は、娘たちと共有していた。ボトルを入れてから一度も顔を出してないのに、すでにジャック・ダニエルが底の方だとか。 行きつけの店ができると、つい毎日のように寄りたくなる。それをぐっと我慢していたら、足が遠のいてしまった。 ボトルキープの名前は『紫苑』。 マスターが娘に聞いたそうな。「紫苑さんは元気ですか?」って。 今度、娘やその恋人たちと寄ってみよう。「元気でしたよ。ほらね」って。 とびっきりの笑顔をお土産に!
2004年06月09日
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子育てをするとき、わたしの背後にはいつも母の姿があった。困ったとき、どうしても選ばなければならなくなったとき、そんな時は必ず、「母ならどうしてくれただろう」と思い起こしてみるのだった。脈々と受け継いだ母のDNAを、わたしは信じて疑わなかった。 母のすべてが正しかったわけではないだろう。 でも、わたしが尊敬してやまないのは、やはり母が七人の子供を健やかに育てたということである。わたしが、たった二人の娘の子育てに、四苦八苦したことを思うと、今のように豊かではない時代、想像を絶する苦労があったと推測できた。 母は、短歌を詠んだり、文章を書くことが得意だった。短歌などは、新聞の投稿欄に何度か載ったと喜んでいたのを思い出す。 わたしの学生時代の、ほとんどの作文、論文の宿題は、母がやってくれた。中学校の弁論大会に選ばれたとき、わたしは文章が書けなくて焦っていた。すると、翌朝、机の上には文字の埋まった原稿用紙がおいてあった。いけないことだけど、わたしは恥をかかずにすんだし、拍手喝さいを浴びた。教育上、よろしくないことはさておいても、わたしは母のDNAを受け継いだのか、文章を書くことが大好きになっていた。 そんな母を思い出しながら、二人の娘の宿題は、せっせせっせと手伝った。それなのに、彼女らはちゃんと文章が書けるから、祖母のDNAをこれまた、運良く受け継いだのだろう。 今、二人の娘は二十歳を過ぎた。 わたしが仕事に向かうとき、深夜のバイトの疲れでまだ夢の中にいる。わたしは職場に着くと、必ず電話で起こしてやるのだけれど、それを見て同僚が「過保護だなぁ」と笑う。 わたしは、学業とバイトを両立させながら、家計を助けてくれる彼女らに感謝の気持ちでいっぱいだ。周囲になんといわれようと、わたしがしてやれる過保護なことなど、高がしれている。これからも、できる限りのことはして、娘時代を甘やかせてやろうと思う。わたしの母がしてくれたように。 ちなみに、高校までは厳しく躾まくったのだから。
2004年06月08日
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何気なく見ていたテレビ番組から、韓国映画『シルミド』を知り、目が離せなくなった。 日曜日の予定を急遽変更して、インターネットで調べた一番近くの映画館へ足を運ぶと、まだ公開二日目だというのに、映画館はがら空きだった。関心の薄さに少々驚いたが、映画そのものの宣伝が、浸透していないということなのだろうか? 番組では、当時、実際にその事件に遭遇した人々のインタビューもあり、とても興味深かった。それにしても、内容が切なく重い。だからこそ、しっかりと見ておきたいとわたしは思ったのだけれど。 去年の1月、初めてソウルを訪れた。 もちろん、ただの旅行者としてである。 ガイドの女性は、上辺だけではない韓国を見て欲しいと、オプショナルツアーを用意してあった。三十八度線の見える統一展望台。 誰もがエステだのショッピングだのと駆け回ったフリーの時間に、わたしと同行者の4名は、そのオプショナルツアーに参加した。 ぬくぬくとした日本とはどこか違った真の厳しさを、わたしは痛いほど肌で感じた。何がどうだ、とうまくは言えないけれど、これが朝鮮半島の現実なのだと。 わたしの中に埋まっていたそういう気持ちが、この映画と重なって、映画が終わっても頬を伝う滂沱の涙を、しばらくは拭うことも忘れていた。
2004年06月07日
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ずっとお天気が続いているので、その花の存在をすっかり忘れていたけれど、本屋の入り口へ続く階段脇に、紫陽花の植え込みがあることに気づいた。青々と茂った緑の葉の中に、濃い紫の手毬のような塊を数個見つけたからである。 ああ、今年もまた紫陽花の季節がやってきたのだ、と妙に感動して、わたしは足を止めた。 紫陽花には様々な思い出がある。 中でも一番強烈なのが、信じて止まなかった夫との信頼が壊れてしまった日の朝、そぼふる雨に打たれていた庭の紫陽花だった。その時の光景が脳裏よぎり、少し寂しい気持ちになった。 二年前に家は処分したので、庭も紫陽花もすでに形はなかったけれど、わたしの脳裏には目の前の紫陽花と同じ色の花が、今も鮮やかに刻まれていた。 この年は何もかもが特別だった。 涙でかすんだ紫陽花のこと、ようやくこの頃風化した。 だから、来週あたり、鎌倉の紫陽花でも見てこようと思う。
2004年06月05日
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ベランダの、そこら中に小枝が散らばっていた。 汚らしいので、せっせと片付けていたら、今朝はそれがドーナツ状態にまとまっている。どうやら鳩の巣のようだ。 ただでさえ狭いベランダに鳩が舞い降りるので、洗濯物は糞害に悩まされていた。これで鳩の子育てでも始まったら、干し場がなくなってしまう。可哀相であるけれど、背に腹は替えられない。洗濯物を干す前に、箒ではいて片付けた。 何気なく窓越しに覗くと、巣のあった辺りに鳩が座っていた。ここに、巣は作らないでね、とわたしは声をかけた。鳩はフンとすまして横を向いた。なんとその足元には、すでに卵があるではないか。えー、そんなに急な話だったのー、知らなかったのよー。 申し訳ないと思ったけど、後の祭りだ。 冷たいコンクリートの上で、卵は雛にかえるんだろうか? わたしはせめてもの償いに、傍にタオルを置いてやった。 しばらくして外をみると、小さな白い卵が一個転んでいた。 きっと母鳥になるのを、放棄したのだろう。 残された卵を見て、わたしは途方にくれている。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<後日談> 一個の卵を囲むように、半周はタオルを取り込んで、残りの半周は小枝をまたもや運んで来て、巣らしくものにしている。思い出したようにそこへ座っているけど、こんなことで卵が本当に雛にかえるのだろうか? 気になるので、ついガラス越しに覗いている。 今日も変化なし。
2004年06月04日
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カラオケなんて何年振りだろう。 気持ちが沈んでいるときは、どんなに誘われても行く気になれなかったのに、二年ぶりにそろった仲間と、今、声を張り上げて歌っている。しかも心から愉しんでいた。 わたしは過去からやっと解放されたのだ。いろんなことがあったけど、またこうして仲間と再会できた。大袈裟な話だけれど、生きてて本当に良かったと思った。 おりしも、わたしが通信の世界に仲間入りして、八年の歳月が過ぎようとしていた。 ワープロ代わりに買ったパソコンは、家の片隅で埃をかぶり、すでに一年近くも置物化していた。そのパソコンに命を吹きこんだのが、このわたしなのであった。 当時すでにパソコンを自由自在に扱い、通信の世界に身を置いていた高校時代のボーイフレンドが、電話でメールアドレスを教えてくれて、「一週間でメールを送ってきたら、誉めてあげるよ」 といった。 わたしは誉められたい一心で本屋に走り、そこら中の解説本を手当たり次第購入した。そして寸暇を惜しんで解説本を読んだ挙句に、ついにメールを送ったのだ。「驚いた。大したもんだよ。誉めてあげるよ」 実際には、かなり驚いたらしい。まさかできるはずがないと思っていたのだろう。 そこからの八年なのであった。 恐る恐る覗いた世界は、ある種、大人のおもちゃ箱のようだった。わくわく、ドキドキが際限なかった。そんな中で袖すり合った人々は数知れない。去っていった人もまた、数知れなかったが。 目の前でマイクを握り締め歌っているのは、その当時に知り合った人たちである。 二年ぶりの再会なのに、間の空白はものともしなかった。そこには、嘘じゃない本物があった。 互いが抱えていた問題が解消されていることを知り、喜び合った。 これから死ぬまで付き合っていける人達だと確信した。 そのことが、ただそこはかとなく、わたしは嬉しかった。
2004年06月03日
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会社でパソコンにまで、お茶を飲ませてしまった。 三時のお茶を入れて席につき、おもむろにインターネットの『紫苑の吐息』を開いたところで、目の前の湯のみが転がって、ノートパソコンの上に全部こぼれてしまったのだ。 焦った、焦った。 でも「腹水盆に帰らず」、もとい「パソコンにこぼれた水は元に戻らず」……。いきなり、モニターが不穏な動きを始めたので、とっさに掃除機でこぼれたお茶を吸ったのだけれど、果たして効果はあるのだろうか?同僚が、ひとまず一日経ってから対策を考えようと言ってくれたので、そのままにして帰宅した。 バックアップしてないものもある。 明日復旧しなかったら、本当にどうしよう。 お茶なんか飲もうとしなければ良かった、とか、後悔がぐるぐる回るけど、仕方がないよなー。(シュン)
2004年06月01日
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