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明日、長女の初出勤である。 長かったような、瞬く間であったような。 ねぇ、二年前にこうして笑える日が来るって思った? 思えなかったねぇ、当時は…。 で、今の感想は? うん、よくここまで来られたなーだね。 本当だね。 わたしは長女と顔を見合わせた。 長女は嬉しそうに、わたしがこさえた夕飯を食べている。 何か気の利いたはなむけの言葉を探したけど、見つからない。 二十歳のお祝いに贈った詩を思い出して、声に出して読んだ。 『二十歳に寄せて』 時間はこんなにも経ってしまったのか。 まだ、よちよち歩きの君の顔が浮かぶのに……。 思い切り打ってはれた君の太ももには、わたしの手形が残っていた。 じんじんと痛む右手を見て、思わず君を抱きしめた。 どうして打つの? あたしが可愛くないの? 可愛くないのなら産まなければ良かったのに。 君のつぶらなひとみがわたしを刺した。 それでもわたしはこう叫ぶ。 君が世界で一番よ。 わたしの血と肉を分けた大事な娘だもの。 しかし、もう一人で歩くが良い。 君の前に広がる未来という大地を目指して……。
2004年08月31日
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天気がはっきりしない日は、美容院に限る。 というわけで、昨日はカラーリング&カットに出かけた。 実は、長女とその彼氏の三人で、東京国立近代美術館で開催中の『琳派RIMPA』展を見に行く予定にしていたのだけれど、あいにくの空模様に方向を変えたのだ。 およそ二時間半を、近所の行きつけの美容院へゆだねることにした。 そこへはもう4~5回通っているので、何も言わなくても思い通りに仕上がるようになっていた。 美容院でおしゃべりするのは大嫌いだから、わたしはひたすら眠っている。 たっぷり眠って目が覚めた頃、仕上がっているというのは、ある種ものすごい快感である。 難を言わせてもらうと、シャンプー後のマッサージが甘すぎる。 もう少し痒いところに手が届くくらいのマッサージを、ほんの5~6分でも施してくれたなら、最高なのだと心から思う。 そうすれば、きっと客の入りが倍増するような気がするのは、わたしだけだろうか。 形だけの甘いマッサージなら、むしろなくても良い気がするが。 まぁ、それ以外で特に不満はないので、良しとする。 カットした分、頭も軽~くなって、気分は爽快となった。 美容院は時として、最高の気分転換の場所である。
2004年08月30日
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今夜はわたしが長女と彼を招待して、夕飯をご馳走した。 作って出すものすべてを、美味しい、おいしいと言っては平らげてくれた。 料理人冥利に尽きるとは、まさにこのことだろう。 時々、作り方を長女に教えながら、宴を進めていった。 長女の彼は、わたしの手際良さとかをことごとく誉めてくれるけど、年の功だから実は当然のことなのだ。 その辺りの要領のようなものを、わたしは長女に伝授する。「海の魚は身から焼き、川の魚は皮から焼くんだよ」「へぇ、そんなの初めて聞いたよ」「そりゃあ、初めてでしょう。教えたことないからね。 レタスはね、芯をくりぬいてから、ティッシュをぬらして突っ込んでおくと長持ちするからね」 わたしは思いつくことを、一つずつ教えたけれど、どうせ頭の片隅にも入ってないだろう。 それでも本格的に料理をやり始めたら、そういうことが嘘のように思い出されるから、大丈夫なものである。 わたしがそうであったように……。 いつも客の顔を見てから料理を始める。 まず、ビールを出しておいて、柿の種とチーズ。 それからおぼろ豆腐に、茗荷、青じそ、あさつき、生姜、すり胡麻をトッピングし、出汁をかけた、紫苑風の冷奴。 そして茄子の塩漬けを並べた。 一緒にビールで乾杯をしながら、キンメダイの粕漬けを焼いた。 それから、次女の小豆粥を作るために炊いておいた、おこわを出した(本来は最後に出したいところ、彼の大好物で食べたいと所望されたので)。 次にピーマンと茄子のピリ辛味噌炒め、タコのサラダ、冷やししゃぶしゃぶ。 最後によく冷やした無花果をデザートでお終い。 見事に平らげてくれた。 おかげで今日も、素敵な一日となった。
2004年08月29日
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別れた夫の病気のことで、少し気分が滅入っていた。 そんな時、長女から食事のお誘いを受けた。 長女と彼、次女とわたしの四人で久しぶりに集った。 彼は、わたしに色々と気遣ってくれた。 それが少しも嫌味ではなく「僕、こうしてお義母さんと飲んで話すの好きですよ」と、オリンピックに始まって、話題をどんどん提供してくれた。 ああだこうだと話しているうちに、いつのまにか滅入っていた気分が吹っ飛んでいた。 幸せそうな長女を見ていると、本当に好い人に出会ってくれたものと、わたしは嬉しくなる。「親はなくとも子は育つ、だよね」「なんてことを言うんですか、お義母さん。今は別々になっているけれど、お二人がちゃんと育てた結果、今の彼女がここにいるんですよ。感謝してますよ。こんな風に教育された彼女と出会えて」 などと、胸が熱くなるようなことを言ってくれた。 長女の彼からこういう言葉をもらうということは、わたしの子育ては完結したと言って良いのだろう。「とにかく、喧嘩をしても良いから、お互いを思い合って素敵に暮らしなさいよ」 目が覚めたら、床に四人で転がっていた。 わたしはそれを見て、一人減ったけど家族の隙間は埋まったのだと感じた。 久しぶりの二日酔いだ。 頭がずきずき痛い。 ビールから始まって、カルバドスだのズブロッカだの、冷蔵庫に入っているすべてのアルコール類を飲んだのだから無理もない。 さぁ、明日へ向かって歩くぞー。 大きく伸びをして、わたしは立ち上がった。
2004年08月28日
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8月21日から、東京国立近代美術館で「琳派RIMPA」展(http://www.tokyo-np.co.jp/event/rimpa/)が始まった。 見に行きたくて仕方がないのに、現在まで時間の調整がつかないで、少々あせっている。 思い立った日に、ひょいと行けばいいのだけれど、長女と一緒に行く約束をしたばっかりに、二人の都合がかみ合わない。 「琳派RIMPA」展に行けるのは、一体いつのことやら……。 まぁ、10月3日までの開催なので、なんとか最終日までには行けるだろう。 十代から三十代の半ばまで、わたしはいけばなの世界に、かなりのめりこんでいた。 その流派の様式に「琳派」というのがあって、少々かじったことがあるのだ。 現在は全くいけばなの世界から離れてしまったので、様式は大きく変貌しているかもしれないが、当時、その様式・琳派が一番好きだったことを記憶している。 様式、時代背景等を熟知した上で、盤面に再現する琳派の世界は、わたしにとって大自然と芸術の融合というか、そのような気分であった。 さて琳派とは、江戸時代初期、本阿弥光悦と俵屋宗達に始まった画風の一派である。 江戸時代中期に尾形光琳によってその名が高まり、江戸時代後期には、酒井抱一らが活躍をした。 光悦、宗達から光琳、乾山、抱一、さらに現代へと続く琳派は、絵画だけではなく、蒔絵、陶磁器、染織、など純日本的な装飾美を展開し、多くの作品を生み出したのである。 これらの作品を鑑賞することが、いけばな「琳派」を理解する近道とばかりに、美術館、展覧会めぐりをしたことも、今では懐かしい思い出であるが、その作品群が今回の展覧会で一堂に会す(すべてという訳ではないが)のだから、心が逸るのも無理もない。 中でも、酒井抱一『夏秋草図屏風』と尾形光琳の『燕子花図』は、今からどきどきしている。
2004年08月27日
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時折、涙ぐむことがある。 夏の終わりに遭遇した、目くるめく思いの終焉……。 真実を、本当のことを知りたいけど。 それが怖いから、逃げ出すわたし。 傷つけたくないけど。 いつも傷つけてしまうから。 たった一つの真実のために。 多くのものを捨ててきた。 でも、どこにも真実はないことを。 誰よりも知っていたから。 だから、時折涙を流すことがある。 すべて、未完の途中下車。
2004年08月26日
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随分重いタイトルであるが、最近思うことがある。 本当に思いがけない試練が舞い込んで、その波は何度も何度もわたしの人生を押し流した。 最初の一度目だけでも、かなり厳しいものであったのに、神様はそれでは足りなかったらしい。 友人知人たちは、「あなたにかける言葉が見つからない」と、わたしより落胆してくれたほどである。 今はそれらを乗り越えて、多くの方々のサポートをいただいた結果、わたしはこうして元気に笑っている。 遭遇した当時、確かにパニックに陥ったり、人生に絶望した事実は否めないけれど、頭の片隅には、きっとこの現実は、やがて過去になる、そして再び穏やかな普段通りの日常がやってくるのだ、と信じていたふしがあった。 でも、頑張らなきゃとか、子供を一人前にしなきゃ、とかそういう思惑のようなすべての枠を取り払ったときのわたし個人は、本当はそこでヘタってしまう人生だってあったはずでは、と思うのだ。 実は、その方が数倍も精神的には楽だったかもしれないのでは?とか。 乗り越えることが当然とは言えば当然だったし、それしかほかに選択肢はなかったことも事実なのだけれど、これが本来のわたしの希望や姿だったかどうか、とふと思ってしまうことがあるのだ。 ただ、そういう評価をしているだろう周囲に対して、報いようとする自分が見えて、期待に応える形で踏ん張ってきた結果は、ものすごく良かった。 だから、この道しかなかったのだと信じていながら、ふと『待てよ。本当にこの道しかなかったのか』と立ち止まり、考えてみたりする正体が、分からないのである。 要は、今後こそが、真のわたしの人生なのだということに、ほぼ間違いないのだろう。
2004年08月25日
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あのね。 植え込みの中から首を伸ばしたえのころ草がね。 風になびいているの。 それがね。 とっても可愛いの。 何本も、何本も首を伸ばして、必死で風に耐えているのよ。 ただそれだけのことだけど。 可愛くて、可愛くて。 爆音で空を仰ぐと、あなたの会社の飛行機。 手を伸ばせば届きそうだった。 もしかしたら、あなたが操縦してるのかなーって。 最近、メールもくれないけど、元気にしてる? ただ、それだけのことだけど。 あなたを思い出したから。
2004年08月24日
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耳をすますと、りーりーと虫の音が聞こえてきた。 今日は、すっかり秋になってしまった。 気温が十度も下がれば、虫も驚き慌てたのだろう。 秋はしのぎやすくていいのだけれど、わたしは段々と心細くなる。 だから、あまり好きじゃない。 両親が生きていた頃、毎年父が鈴虫を飼っていた。 飼うといっても、父は卵をもらってくるだけで、実際には母がすべて世話をしていた。 餌のきゅうりを与えたり、土を霧吹きで湿らせるなど結構手間ひまがかかるのだ。 父もわたしもただ遠巻きにして、おっかなびっくり見るだけの人だった。 それでも秋口に、涼やかな声で鳴き始めると、なんとなく心が躍ったものである。 父は目を閉じて、その虫の音を堪能しているのに、暑がりの母は傍らでうちわをせわしなく動かし、父の顰蹙を買ったりするのだ。 きっと、世話もしないで良いとこ取りの父に、母は文句のひとつも言いたかったに違いない。 tぽころが、当の鈴虫たちは、そんなことには我関せずで、りーんりーんと素敵な音色を奏でるのだった。 今夜は虫の音が、そんな懐かしい思い出をつれてきた。 心なしか虫の音に混じって、両親のいさかう声がふと聞こえたような気がした。
2004年08月23日
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唯一寝不足の解消ができる日曜の朝、わたしはいつもと同じ時間に目が覚める。 もう少しベッドに居ようと思うのだけれど、さっさと寝床を抜け出して、洗濯機を回し、トイレと洗面台の清掃、ベランダの清掃と余念がない。 よくよく貧乏性なのだろう。時間が惜しくてたまらない。 風呂場の掃除の前にコーヒーブレイクをし、パソコンを立ち上げてメールのチェックをすると、すでに午前八時を回っていた。 ついでに楽天のブログも巡すると、そのままお尻に根が生えたのか動けない。再び時計を見ると九時少し前だった。 まだ眠っている次女のために食事の支度をし、起きてくるのをさらに待った。 ところが彼女は、「母さん、バイトなのよ。何で起こしてくれなかったのー!」 半べそをかきながら飛び起きて、シャワーを浴びるや出かけてしまった。 せっかくの朝ごはんには目もくれなかった。 美味しいと評判のパン屋でわざわざ買って来た食パンは、厚切りトーストにするつもりでスタンバイさせ、ベーコンエッグにポテトサラダ、それに、すでに我が家の定番となったキーウィとヨーグルトと豆乳のジュースは、冷蔵庫で出番を待っていたのに……。 しようがないわ。 一人ごちて、コーヒー豆をミルに放り込んだ。 思い切り挽くと、辺りにコーヒーの香りが漂って、わたしだけの至福が始まった。 ゆっくりと食事を済ませてから、風呂場の掃除にかかった。 丁寧すぎるくらいにがんばって、次に掃除機を引き回し、硬く絞った雑巾で、床の埃をきれいにぬぐった。 フラワーベースに投げ入れた薔薇とスターチスは、すでに三日以上経っている。透明だった水が、わずかに黄ばみ濁りを見せていた。水が腐っているのだ。 わたしはベースから引っこ抜いて、根元のぬめりを水道で流し、ベランダの軒先に花束にしてぶら下げた。 ドライフラワーにするためである。 薔薇も、ドライフラワーも好きではないけれど、長女の頂き物であり、咲きっぷりがあまりに見事だったので、捨てることができなかった。 玄関にあった薔薇の代わりに、鉢植えの胡蝶蘭を置いた。 その白い花は、淡いピンクの薔薇の数倍、優雅で気品を感じさせた。これも長女がもらって来た、一週間遅れの誕生日プレゼントであった。 玄関のたたきを水で洗い流して振り向くと、ベランダから差し込む夏の陽はゆっくりと傾きかけていた。 汗ばんだ身体はシャワーで流し、おもむろに冷蔵庫から缶ビールを取り出して一気飲み。 ふぅー、うまい!極楽、極楽。 お気に入りのロッキングチェアにもたれて、その緩やかな時間を、わたしは思い切りむさぼるのである。 やがて身体の中を心地よい酔いが回り、わたしはとろりとまどろむのであった。 誰もいない部屋で味わう、最高のひとときとなって……。
2004年08月22日
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28歳で、母の元を去った。 もう誰とも結婚はしないと誓って……。 失恋の痛手に耐えかねたわたしは、逃げるように故郷の地を後にした。 それほど辛い恋だった。 彼が好きだけど、一緒にいると息苦しくてたまらなかった。 どきどきして食べ物が嚥下できないほど好きだった。 母の夢は、わたしがお嫁さんになることだった。 浮き沈みの無い、平和な結婚が夢だった。 だから、わたしの恋には反対だった。 あなたにはふさわしくないから、と。 わたしは都会の片隅で、彼に似た人と恋をした。 母は、彼を気に入ってくれた。 「あなたにはもったいない人」 そういって、誰よりも喜んでくれた。 背の高い彼のために、特注の布団を縫って待っていてくれた。 「わがままで気が利かない娘ですが、心根は可愛いですから」 精一杯の誉め言葉を添えて、わたしを彼に託した。 それなのに、わたしは今、一人になった。 時折、『あなたにはもったいない人』を思い出す。 心の中で、母にごめんなさいを繰り返している。
2004年08月21日
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店頭に並んだ無花果を見つけた。 ああ、もうそんな季節なのかと、懐かしい思いで手にとった。 わたしの大好きな無花果には、いろんな思い出があった。 実家の新築祝いに、父の友人である歌人のKさんは、自転車に苗木を三本括りつけて駆けつけた。 庭に実のなる木があれば、それが実ったとき楽しいものだからと植樹してくださったのだ。 もう三十年以上も昔の話である。 やがてその無花果は、ものすごく甘い実をつけるようになり、熟れた実は、皮が薄くてきれいにつるりとむけた。 思い切り大きな口をあけて頬張ると、柔らかい果肉からじゅわーっと出た甘味が、口中に広がる。 わたしは、苗木を下さったKさんの言葉を思い出し、存分に実のなる木を楽しんだものである。 家を出た後にも、里帰りの時季をなるべく無花果の実りにあわせた。 いつしか木は実家の平屋の屋根を越え、上の方の実はほとんどヒヨドリに横取りされた。 それでも手の届く辺りで熟れた実は母が丁寧にもいで、「ほら、あなたの大好物でしょ。取って置いたからね」 と籠一杯の無花果の実を、到着したばかりのわたしに寄越すのだった。 母から籠を受け取ると、ボストンバッグを放り出したまま、その場に座り込んで、わたしは二個も三個も頬張った。「ああ、帰ってきてよかったー」 美味しいものを食べるとき、人はなぜ幸福になるのだろうと、思い切り笑って母を見た。 母も顔をくしゃくしゃにして、これ以上幸せな顔はないといった面持ちで、わたしを嬉しそうに眺めていた。 わたしは六個で三百九十九円の無花果を、頬張っている。 実家の無花果のように甘くはなかったが、それなりの甘さが口の中に広がった。 この季節はとりわけ母を思い出す。 指を折ってみると、亡くなってもう十五年の歳月が過ぎていた。
2004年08月20日
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一年以上も眠らせていたパソコンを覗いてみたら、秘密の画像が出てくる出てくる。 パンドラの箱のよう。 妖しげなツーショット…。 全部捨てちゃうのも、なんだかなー。 それらの画像は日付がついているので、まるで過去のわたしの日記帳のようだ。 悪女だったんだわ、わたし…。 隣で笑っている人は、もう居ないし…。 だから、この現実はしかたがないか…。 昨日より少しでもましなら良しとしよう。 明日はどんなましが待っているのだろう。
2004年08月19日
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予期せぬ出来事の目白押しだったけれど、ここにきて少し和らいできた。 そんなひとつが、長女の卒業と就職内定である。 長女から朗報を聞いたとき、喜びが体内からふつふつわいてきた。 あー、嬉しい。 神様は居たんだー。 わたしは、安堵の吐息を思い切りほーっとはいた。 あまりに嬉しくて、友人の携帯にメールを送った。『神様さまなんて居ないと思っていたけど、やっぱり居たよ』 友人の返事がまもなく届いた。『神の力じゃないでしょ。人間本人の力だって』 その一言が、妙に心に染入った。 その通りだ。 長女もがんばったのだ。 わたしの上にも、彼女の上にも、禍は平等に降ってきたのだから。 よくやったなー。 本当に。 わたしは嬉しくて、うれしくて。 その場で飛び上がっていた。 この喜びは、彼女が自分で出した結果なのだ。 やっぱり別れた夫にも、この喜びを少しだけ分けてあげよう。
2004年08月18日
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緑のラメ入りカナブンが飛んできた。 実に美しい甲羅(わたしには、そう見える)を持っている。 美しいといえば、小学生の夏休み。 初めて出遭った玉虫の美しさには驚かされた。 それまで、昆虫はすべて嫌いだった。 仰向けにしたときの、あのもじゃもじゃ動く六本の足が厭だった。 父に連れられて法事に訪れた親戚の家は、バス停からさらに一時間近く歩いて、ようやく辿り着くような山の頂上にあった。 法事が終るや、父は一人で山を下りていった。 わたしはどういう理由でか記憶にないのだけれど、大きな城の様な家に、一人残されていた。 「玉虫を見たことがあるか?」 無愛想なその城の主は言った。 怪訝な面持ちで返事をしかねているわたしに、ついて来いと頭で促した。 仕方なくとぼとぼと、主の後をついて行った。 そこを覗いてみろ、と又頭で促した。 何の木だか分からない大木の根元に、小さな祠が祀ってあった。どうやらそこを指しているらしい。 わたしが恐る恐るその祠を覗いてみると、ごそっと何かが動いた。 無言で、主の顔を見た。 「触ってみろ」 もう一度目を凝らして覗き込んだ。 カナブンのような虫がいた。 「カナブン?」 主に訊いた。 「それが玉虫じゃあ。親父に見せてやってくれと頼まれた」 にこりともしないで、そういうなり玉虫を手にとって、わたしの手のひらに乗せた。 主が恐くて悲鳴も上げられない。 仰向けにならないように、背中から両脇をぎゅっとつかんだ。指先にうごめく足が触った。思わず投げ捨てそうになるのを、必死でこらえた。 でも、その背中の模様の美しいこと。 生まれて初めて、大嫌いだった昆虫を、美しいと思った。 緑や青、赤の縦縞が整然と並び、燦然と光輝いている。 わたしは我を忘れて、じっと見入った。 いつの間にか、足のもじゃもじゃも気にならなくなった。 「これに入れて持って帰ると良い」 主は、竹の虫かごをぬーっと差し出した。 わたしは、虫かごを大事に抱えて、山を下りた。 虫かごの中には、さらに二匹を加えてもらった。 後に分かったことは、城の主は父の従兄であり、父はわたしにその幻のような玉虫を見せてやりたかったのだ。 その夏、わたしはクラスの人気者だった。 母に薬を注射してもらって、玉虫は標本にしたのだ。 今でも、玉虫はあの祠にいるのだろうか。 不器用な父の愛情は、そんなことでわたしの記憶に留まっている。
2004年08月17日
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22歳の誕生日の記念に、長女と映画(ハリー・ポッター)を見て、プリクラを撮った。 あまり好きではないのでためらっていたら、さっさと入っていくので、仕方なく後をついて…。 操作もしらないし、どこを見れば良いのかも分からないので、きょとんとしてたら、あっという間に終わったみたい。「なぁに?母さんったらぁ。全部きょとんとしてるじゃん。ま、良い記念になったけど」 一人でくっくと笑っている。 まだ中学生だった頃は、よく付き合わされた。 その娘がもう22歳。 なんだか嬉しいような、こそばゆいような、妙な気持ち。 勝手に育ちました、って顔をしているけど、その通りだよなぁ。 親がしてやれることなんて大したことじゃないのだし。 わたしからのプレゼントは、こうして一日デートと、ラルフ・ローレンのタオルケットと、彼と二人暮しを始めたので夫婦茶碗。 そして次女と合流して、バーで乾杯! 長女は、ずっと微笑んでいた。 その笑顔が何より、わたしは嬉しかった。 プリクラは、そんな思い出の大切な一品となった。
2004年08月16日
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夢を見た。 夢を見たけど、思い出せない。 目覚めた瞬間、とても厭な気分になった。 一体、どんな夢? 昨日も見た。 一昨日も見た。 全く同じ夢なのに、内容だけが定かでない。 変な夢。 あ、この夢……。 確かに、見たことがある。 でも、夢じゃなくって。 目の前の現実。 やっぱり厭な夢だった。 現実なのに、夢みたい。 否、夢であって欲しいのに……。 だけど、現実になった。
2004年08月15日
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引越しで飼う事ができなくなったかつてのペットを、知人にもらって頂いてすでに二年が経過していた。 ところがそのペットに、久しぶりに再会できたのである。 長女の、わたしへの『生んでくれてありがとう』のプレゼントであった。 毎年、彼女は自分の誕生日に、わたしに何かプレゼントしてくれるのだけれど、今年は可愛がっていたペットのポメラニアンに再会させてくれるという企画であった。 一泊二日で、我が家にやってきたポメは、全く時間の経過も感じさせず、普段どおりで元の家族に飛びついてきた。 何もかも変っていなくて、おかいしいくらいである。 現在の飼い主に、愛されている彼女は充分に幸せなはずであるけれど、お腹を撫でてくれと仰向けになった。 無防備で元の家族に、愛を振舞っている。 文句なしに可愛かった。 今、わたしがキーボードを打つ脇で、安心したように寝そべっている。こんなに嬉しいひとときに、わたしは思い切り癒されている。 ありがとう、と長女に言うと 「喜んでくれた?ありがとう。あたしを生んでくれて」 嬉しそうに笑った。 後、一時間したら、ポメは飼い主の元に帰って行く。
2004年08月14日
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楽天でCDを買った。 冬のソナタのサントラ盤である。 わたしもはまった一人ではあるけれど、少し前のブームではまったので、再放送は、それほど真剣に見てはない。 でも、このドラマを盛り上げているRyuの声にほれて、今回CDを購入したが、やはりドラマのワンシーンが浮かんでしまい、切なさが伝わってきては、胸を突かれてしまうのは否めない。 わたしがはまるのは、世代的なものだと認めるが、二十代、三十代ではまるというのは、少し不思議な気がする。 おばさん世代にとっての冬ソナは、どこかに忘れてきた不完全燃焼な恋に対する思い入れだと思うのは、あながち間違いではない気がするが、いかがなものだろう。
2004年08月13日
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泣くのをこらえる時の、あの感覚って分かる? 必死で、下をむいて、じっと耐えるあの感じ。 喉が盛り上がって、痛くって、えぐりとられるような……。 それでも我慢してきたんだ。 泣いちゃうと、とめどなくって、収集がつかなくなっちゃうから。 それだって、自分のことを不幸だとは思わないけど。 それだって、幸せはいっぱいあるから、大丈夫なんだけど。 時々ね、喉元が膨れ上がっちゃう。 あの感覚がね。 辛いんだ。 だから、旅に出ようかと思うんだ。 たった一人で、旅にね。 思い切り、泣いて泣いて、涙を捨ててこようかって。
2004年08月12日
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光る海。 走る風。 寄せる、白い波。 ビルが切り取った四角い景色に、吐息をひとつ。 埋立地の海岸は、磯の香りを運ばない。 無機質で目に見えない憂鬱だけを、つれて来た。 今夜あのBarで、一人傾けるカクテルは、ジャックター。 お気に入りのオールド・ファッションド・グラスはバカラのパルメ。 物憂げに飲んでいる女がいたら、それはわたし紫苑です。
2004年08月11日
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四角くて、青い壜に入った匂い水。 どんな香りがするんだろう、って。 左手首に吹き付けた。 ふーん。 それほどやな匂いじゃないじゃん。 右手首とこすり合わせた。 辺りにほのかな匂いが漂った。 ________________________________________________________________________________________ 見切り発車してしまった楽天の日記なのですが、一体何ができるのか、まだまだ不明です。 ちょっと遊んでみましたが、アフェリエイトってこういう使い方でいいのかな~? ただでHPを使わせていただいているので、何かでお返ししたいという気持ちはあるんですが、何よりデザインセンスに乏しいので、お恥ずかしい限りですが……。
2004年08月10日
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懐かしいCDを見つけた。 ここ何年間で撮りためた、デジカメの画像を焼いたCDである。 再生してみると、懐かしい出来事や人々がたくさんつまっていた。 現在まで切れずに続いている人、当時はこんなに濃い関係だったのに、今ではすっかり疎遠になっている人。 その変化に、あらためて時間の経過を感じ入った。 中でも、娘たちのイベント画像には、胸が詰まった。 まだまだあどけない顔をしていた。 別れた夫も、嬉しそうにそこに収まっていた。 当時は家族が分解してしまうなんて、誰も疑いもしなかった。 わたしは、時々、原因が知りたくなる。 何が、どうして、こうなったのか…。 本当の怒りの矛先を知りたいのだ。 知ったところで、ああ、そうなんだ、ふーん、で納得するだけのことなのだけれど、時折、わたしは現実を嚥下できないでいた。 それさえ納得できたら、階段を十段くらい一気に上れそうな気がする。
2004年08月09日
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昨日から暦の上では秋になり、暑中お見舞いから残暑お見舞いへと変った。 日本のこういう決め事は、かなり好きな方である。 暦上の形式と承知しながらも、わたし自身はすごく涼しくなった気がする。 外気は30度を越えるというのに、8階という住まいの条件からなのか、開け放した窓から入る風は、かなり涼味を帯びてきた。 相変わらず蝉時雨は衰えをしらないし、実際にはまだまだ猛暑であることに違いないのだけれど、今日は特に湿度が低いせいかとても心地よい。 夕べは、NHKの『思い出のメロディ』に泣かされた。 若いころ、両親の世代が好んだナツメロを小ばかにしていたのに、いつの間にかその気持ちがわかるようになっていて、思わず苦笑する。 懐かしい歌の数々には、色んな思いが詰まっていて、情景が浮かんだ。 殆どが、家族を持つ以前の恋人時代の思い出だったりで、尚更胸が詰まってしまう。 あの頃は、今のわたしを想像できなかった。 永遠の愛を誓って、家族を丁寧に営み始めたのに……。 やはり、秋のせいなのか。 変にセンチメンタルな夜だった。________________________________________________________ 急に思い立って、鎌倉へ秋探しに出かけた。 でも時間が遅かったので、小一時間で引きあげてきたのだけれど、すでに小さな秋は確実に忍び寄っていた。 鎌倉駅前の大巧寺(だいぎょうじ:通称おんめさま;安産祈願の寺で有名)を通り抜けて、本覚寺の百日紅をデジカメに収めてきた。 大巧寺には、鉢植えの蓮がいま正に開こうとしている状態に遭遇した。あすの朝には、確実に開くであろう。程よいふくらみをもった蕾は、なんとも気高くてしばし見とれてしまった。 その大巧寺では、秋明菊が一輪咲いていたし、秋の七草である女郎花にも出会うことが出来た。 秋には紫色になる予定のムラサキシキブは、青い玉をつけて涼しくなるのを待っていたし、赤い実になる予定のつるうめもどきも、これまた青い実をつけていた。 みんな、秋の気配をそっと、耳をすまして待っているのだ。 夕方の風は、もうすっかり秋の風だった。 ボタンクサギ秋明菊女郎花 蔓梅もどき撮影:2004/08/08@大巧寺 photo by sion
2004年08月08日
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夏ばて気味の次女のために、ゴーヤチャンプルわたし風を朝から調理した。 冷蔵庫を覗くと、先週末に買い込んだ食材がくたばりかけている。 三人揃って食事をする機会が減ってしまって、消化しきれていないのだった。 もったいないので買わずにいると、そういう時に限って、何かないかと探されるので、つい買い込んでしまうのだ。 キュウリもレタスもトマトも、生ゴミと化してしまったけれど、ゴーヤと茄子は、なんとか無事であった。 味噌を切らしていたので、XO醤、唐辛子、オイスターソースに味醂で手早く炒めて味をつけた。 出来上がった少しほろ苦いゴーヤチャンプルは、夏ばて対策にピッタリの味であった。 糠みそ(きゅうり、ダイコン、ニンジン、ナス)と、豆腐の冷奴すり胡麻乗せを並べて、美味しい炊きたてのご飯を添えた。 しかしながら、「ねぇ、食べられない?」「ごめん。入りそうも無いの」 パスされてしまった。 まずいかなー、と一箸つけてみた。 いえいえ、これなら夏ばてもすっ飛んじゃうはず…なのに。 全く食欲の衰えないわたしには、きっとなんでも美味しいのだろう。 そういえば、食事の三十分前に飲むと良いというダイエット飲料を、次女に飲ませたのを忘れていた。 キーウィ、ヨーグルト、無調整豆乳のジュース。 そう、例のテレビ放映のシロモノ。 これは本当に美味しいので、わたしが飲むときに、彼女も飲みたがるのだった。 どうやら彼女は、それだけでお腹がいっぱいになったらしい。 夏ばてで、次女は3キロも落ちていた。 それに比べ、わたしは増える一方である。
2004年08月07日
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リニューアルしてからというもの、落ち着かない。 わたしなりに以前のスタイルは、まぁまぁ満足していたのに、今度のは、なんだか今一違うんだ。 でも、嘆いても始まらないから、解説本を斜め読みしながら、どうにか頑張った。 これ以上時間をかけても進歩はしないだろうから、ひとまず終わり。 気が向いた時に、ゆっくりと直していけばいいや。 今日は夕方からデートだし(笑)。________________________________________________________≪閑話休題≫ 最近、わたしの周囲はB型で水瓶座の人か、みずがめ座かB型の人で固まっている。 なんでだか分からないけど、彼女もそうだった。 だからどこか憎めないのかな。 社長は気が合わなかったらしいけど、彼女のキャラクターをわたしは買ったのだ。 きっと周囲とうまくやれますからって。 わたしの思惑とおり、彼女は周囲から可愛がられている。 なくてはならない存在になっている。 だから、推した手前、わたしはほっとした。 そうして、わたしの職場に彼女は定着しつつある。
2004年08月06日
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ずっと昔。 仲良しの友人がホームページをこさえてくれたのに、URLが分からなくなっていた。 嬉しいことに、それが今日、見つかった。 1998年からずっと綴ってきたエッセィが百編以上あった。 面白くて、楽しんで書いていた時代の作品だ。 懐かしくて、むさぼるように読んでみた。 同じわたしに違いないのに、少し違った。 まだ、不幸をしらない頃の、それなりに愛しい、甘ったれたわたしがそこに居た。 人は丸くなる。 本当にまるくなる。 過去があるから今がある。
2004年08月05日
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ふらりと下車して、海沿いを歩いた。 鼻先を潮の匂いが掠すめる。 わたしの前世は海に関係のある、たとえばヤドカリとかヒドテとかなのかなぁ。 生まれも育ちも、山の中なのに……。 とにかく、潮の匂いにすごく心が落ち着く。 思い切り吸い込んで、ストレスを追い出しだ。
2004年08月04日
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電車の窓から外を眺めるのも、通勤の楽しみのひとつである。 今朝は座れなかったので、なにげなく外を眺めていると、薄紅色の百日紅の並木が見えた。 通りにほんの四、五本であったが、あちらこちらに点在している。 最近ではこういう木を街路樹に使うのだろうか。 建物の間を縫う緑の中で、薄紅色の花をつけた百日紅はいっそう愛らしく色を添えていた。 わたしの中にある百日紅の記憶は、神社や寺の境内で枝を自由に広げている姿であった。 木登り名人の猿ですら滑ってしまいそうな、どこか人工的でつるりんとした木肌からサルスベリという名前がついたのだろうことは、容易に想像がつく。 ☆ 旧盆近くになると、父は先祖の墓参りにわたしを誘った。 平地にある母方の墓地と違って、山の急斜面を登って行く父の実家は、子供たちの中でも特に人気がなかったのだが、断ると父に悪いと思い、いつもその役をわたしは買って出るのだった。 わたしは父のバイクの後部に座布団を敷いてまたがり、腰にしっかりとしがみついた。 まだアスファルトが敷かれてない時代の田舎の砂利道は、少しも快適ではなかった。特に荷物運搬用の荷台は、振動が諸にお腹に響いて、それはひどいものだったからである。 それでも、後ろに気遣いながら走ってくれる父の優しい気持ちが伝わってきて、わたしは案外そういうのを嫌いではなかった。 時々、わざとぎゅっと抱きついては父に怒られたけど。 なかなか帰るそぶりを見せない父に痺れを切らして、わたしはそっと親戚の家を抜け出した。 近くの神社の境内に忍び込むためである。 天狗でも宿っていそうな大木が聳え立つ境内は、いつもひんやりとしていた。 人の姿を見つけたからなのか、蝉がけたたましくいっせいに鳴きだした。 わたしは耳をふさいで、小さな社の脇の百日紅の木の下へと駆け出した。 いつかの夏、危ないからと注意をされていたのに、なんとなくその木に登りたくなった。 それほどの大木ではないので、小学生のわたしにも社の脇の石伝いに飛びつけそうだった。 ところが、あっけなく、わたしは落ちてしまったのだ。 木に飛びついたつもりが、まだそこに身体が届いていなかった。 落ちたショックで、しこたま身体を地面に打ちつけた。 膝小僧は、すりむけて血が滲んでいる。 急に心細くなって、わたしは思い切り声を上げて泣いた。 白い開襟シャツの父が、走って近づくのが見えた。 わたしを見るなり、大声で怒鳴った。 怒鳴りながらも大した怪我ではないことを確認し、安堵しているのが分かった。 ☆ 父はよく怒鳴っていたなぁ。 何かに苛立っていたのだろう。 生きることが苦しい時代だったから、それも仕方がなかった。 そんな父の姿を思い出した。 都会の街路樹の、百日紅と父。 なんだか不釣合いだけど、怒鳴った顔の父と重なって、あの神社のけたたましい蝉の声がした。
2004年08月03日
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空から火の粉が降ってきそうな、そんな場所から見る花火って……。 まだ、母に浴衣を着せてもらってた十代の、故郷の川土手で見上げて以来なのかもしれない。 京都の大学からNちゃんが帰省して、二人で歩いた学校裏の土手。 時には授業を抜け出してここを歩いたよね、担任に怒られたっけねぇ…なんて、そんな話を懐かしがって、どきどきしながら歩いた。 その土手の上にどーんと上がった花火は、今にも火の粉が落ちてきそうで、思わず寄り添った。 Nちゃんは、「キスしていい?」 って聞いたけど、わたしは聞こえない振りをして、雑踏の中に逃げ込んだ。 長女が母さんも浴衣を着て…っていうから、わたしも何年かぶりに箪笥から出して広げてみた。 Nちゃんと歩いた浴衣は、大のお気に入りのあやめの柄だったけど、まさか、それを着て歩こうって思うほど、図々しくないけど…。 でも本当に自分が浴衣を着るなんて久しぶり。 長女とその彼氏が招待してくれた席は、特等席。 どーんと真上に上がっては、大輪の菊が咲いた。 ああ、花火ってこんなだったんだ。 きれいだなー。 億劫だからって断ろうと思ったけど、来て良かった。 わたしの左隣に長女がすわり、そのまた左に彼氏が座った。 「ビールありますか?つまみは間に合ってますか?」 彼は、せわしなくわたしを気遣ってくれた。 「ありがとう。本当にありがとう。花火ってこんなにきれいだったのね」 「お母さんに喜んでいただいて、僕たちはそれだけで嬉しいっす」 長女の肩越しに、はにかんだ。 「母さんの浴衣姿、とっても素敵だよ」 そっと耳打ちしてくれた。 右目の端から、涙がすーっと落ちた。
2004年08月02日
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ライトアップされたベイブリッジを船がくぐる瞬間、船上はどよめき、歓声と拍手が沸き起こった。 まん丸な月が中空に上がり、絶好のシチュエーションである。 わたしは、横浜港・大桟橋からでるレストラン船ロイヤルウイングに初めて乗船した。 過去には、さくら丸で神戸港から香港往復10日間の旅、別府から川崎港まで一泊と船旅の経験をもつが、いずれも船酔いに悩まされ、二度と乗船はごめんという気分だった。 ところが、たまたま手に入れた乗船券の有効期限(7/31)に誘われて、乗ってしまったのである。 湾内だけなので波は静かだし、離岸が始まってもまるで揺れを感じない好調な滑り出しに、船酔いのことなどすっかり忘れるくらい快適であった。 同行した娘やその彼氏と、ビールジョッキ片手に盛り上がった。 まさか、こんな贅沢な夜を過ごせるなどと想像もしなかったので、一同大喜びである。 その影で、わたしはちゃんと食事を予約をしてあげれば良かったと悔いていた。中途半端にケチって、予約をしなかったのだけれど、当日では間に合わなかったのだ。 食事を予約しないと、サンデッキのみの乗船となる。 それでもデッキでビールは飲めるというので、安心はしたのだが。 夕べは雨の心配もなく、むしろデッキで大正解であった。 我々は最後尾のテーブルを陣取った。 遠ざかるMM地区の素晴らしい夜景を後にしながら、から揚げ、フライドポテトをおつまみに生ビールで乾杯。 ディナーにしたら少々寂しいけれど、何より潮風に夜景という最高のメニューを堪能したのであった。 みんなの笑顔がわたしにひとつの小さな幸せをくれ、楽しい二時間の乗船は、あっという間に過ぎて行った。 まるで真夏の夜の夢のように……。 ロイヤルウイング photo by sion
2004年08月01日
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