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諏訪湖の花火を娘と見物して、もう 2週間も経つというのに、まるで 昨夜の事のようだ。では旅の続きを! 8畳の娘のアパートに泊まり込んだ 旦那や、息子、娘に、私はドライブに 出かける事になった 子供の頃、大学に行っていた次兄が 夏休みに、温泉旅館に泊り込みでの バイトに出かけていた信州の白樺湖は 戦前に、農業用水の溜池として作られた 人造湖であるそうだ そのロマンチックな名から、どんな ところだろうと思いつつ、年月が経ち 二十歳過ぎにになって、旦那とデートで 出かけて以来、22年ぶりの2度目の 白樺湖に向かうことにした ドライブ好きな旦那でありながら、近い わりは無縁だったのは、蓼科有料道路や 霧ヶ峰有料道路等、通称ビーナスラインを 通行するのは、お金がかかり躊躇していた ところが20年程前から、順次に無料 開放をされ、数年前には全線無料開放と なり、蓼科高原、八ヶ岳山麓、白樺湖 車山高原、霧ヶ峰、美ヶ原といった高原 リゾートへの雲上ドライブコースとなった 今回は、下諏訪から中山道の和田峠を登り 合流するルートで、途中に水戸浪士の墓の 案内板があるのに素通りかよ~。せっかく ここまで来たというのに! 山の上からは、昨夜の花火大会が行われた 諏訪湖が遠くに見えた この色の濃い舗装道路は、道路の溝と タイヤの摩擦によって、メロディが 奏でられるというメロディーロードで 曲は「 スカボロー・フェア」だった ゆめみるよスカボローフェア ひかりかがやいて はなもきもふたりに かたりかけたのに サイモン&ガーファンクルで有名なのだが もともとは英国民謡で、中世に吟遊詩人が 町から町へ歌を伝え歩いた歌であったそうだ 空気が冷たい。空気がきれい。だから 車の窓を開けての、ドライブは快適 というしかなく、顔もほころんでくる 5月下旬にはコバイケイソウ、6月 中旬にはレンゲツツジ、7月中旬には ニッコウキスゲといった花が高原を彩る 霧ヶ峰は、フォッサマグナ沿いに噴出を した楯状火山で、その最高峰は1925 メートルの車山である。古くからカヤ類が 刈り取られて利用をされ、山頂部は草原と なっている また日本グライダーの発祥の地といわれ 大正時代からグライダーの飛行は行われ 一時寂れた時期もあったのだが、再興され グライダーの飛行を見物する事ができる さて、話は変わって今日の午後も突然の 暗雲が頭上に広がってのゲリラ雷雨だった 昨日のお昼には、大きな被害も出た愛知県 名古屋市内にいて、やはり激しい雷雨に 見まわれた 被害にあわれた皆さん、お見舞い申し上げます 昨日は「エステー」の招待で、奇抜なテレビ CMでお知りの方もいると思うが、島谷ひとみ 主演のTOURSミュージカル「赤毛のアン」を 今年も娘と観劇をしてきた 今年は、赤毛のアンの刊行100周年だそうで テレビなどで関連番組が放映されたので、作品の 背景などもわかり、より楽しむことが出来た 平成20年8月16日に信州で撮影 もう一つのブログ「塞翁が馬。なすがまま」の最新日記 「銀だった。オリンピックじゃなくって・・・」もよければご覧下さい
2008年08月29日
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ある花火サイトなどでは、打ち上げ数が 4万3千発と、日本一と認定をされた 世に名高い「諏訪湖祭湖上花火大会」に UCC珈琲の懸賞の招待で、今年も娘と 二人で参加をする事になった 昨年は午後1時半に出かけ、高速利用で 本来なら1時間程の諏訪湖には、5時間 近くもかかったのに、ガソリン高の影響か はたまた大渋滞に辟易しての電車利用が 増えたのか、スイスイと会場に着いた 湖岸の左寄りにある桟橋席は、湖上にせり 出して早く着いたお陰か最前列! 右側の 方に、尺玉花火を打ち上げる為に作られた 「初島」が見えているが、この島以外にも 何箇所も打ち上げられるので、視界全てが 花火。写真にはその全容が映らないくらいだ 昨年は渋滞した中、バスの座席で食べた峠の 釜飯で有名なおぎのやのお弁当だって、優雅に さざ波の音を聞きながら・・・・って、まだまだ 午後3時。早すぎ!!って訳で、会場の周辺を ぶらぶらと屋台を冷やかしてみようか 会場入りする前に立ち寄った、諏訪のおぎのやで 峠の釜飯そっくりのアイスクリームを発見 打ち上げ場所周辺の湖岸は、有料席で占められ 私が招待をしていただいた桟橋席も、1万円を ゆうに超えるらしい良席であるのだが、花火を 無料で楽しむ為には遠くからか、このように 空き地や歩道などに座り込むしかない のんびりと、変わりゆく諏訪湖の夕焼けを 楽しみながら打ち上げのその時を待つ かわいい鴨なども、人々の喧騒を笑うように 湖上を、右に左にと愛嬌を振りまいていた 午後7時。いよいよ2時間にわたる花火の スタートだ 前半の1時間は、尺玉と、スターマインの 競技会になっているので、普段は見る事の 無いような、新作花火も打ち上げられる 何が嬉しいかって、一番前の桟橋席だから 打ち上げ場所まで障害物がまったくないので 湖面に揺らめく花火が、とても幻想的だ ・・・って、横に走る線は仕掛け花火のもの 後半戦は、もう怒涛のスターマインの オンパレードとなった。娘いわく 地元の田舎街の花火大会のラストの 大スターマインですら、ここでは一番 地味なくらい 終戦後の混乱の中、人々が明るい希望を持ち 一日も早く立ち直る事を願って、終戦日の 8月15日に、諏訪湖で花火大会が始まって 今年は第60回大会。規模もまた過去最大で 50万人もの人が花火に魅了された 終盤になって、諏訪湖花火の象徴である 水上花火のプログラムが始まった。花火の 中に揺らめく船 席もさることながら、なんといっても 今年は、花火の煙も留まる事が殆ど無く 何度となく諏訪湖花火を見ているような 添乗員さんですら、サイコーの花火だったと 話されていた 巨大な二尺玉の水上花火が、湖面に花開いた そのすぐ上部には、やはり二尺玉の花火が 夜空いっぱいに、膨れ上がるところだった そしてフィナーレを飾るのは、諏訪湖名物の 2キロにもわたる花火のナイアガラ瀑布だ バスの中でのビンゴ大会では、良い成績は 収められなかったが、じゃんけん大会の 賞品など、今年もお土産が盛りだくさんだった 平成20年8月15日に諏訪湖で撮影 もう一つの日常的ブログ「塞翁が馬。なすがまま」の日記 お肉を求めて数十キロ以上 ガソリン代は1500円(往復)も お暇があれば、お立ち寄りください 夢 穂
2008年08月20日
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いよいよ北京オリンピックも後半戦だ 柔道、競泳、体操などなど悲喜こもごもの ドラマを見せてくれる中で、いつもの年の 夏のように親戚も泊まりにくれば、地元の 夏祭りもある 8月13日は、中津川市で行われる おいでん祭で、苗木遠山家の土蔵の 虫干しをされた時に、畳2枚分はある ような、大きな絵図に描かれていた 雨乞いの踊りを、再現をしたという 「風流おどり」が名物である 西に、夕焼けの紅色を残した頃より 漆黒に変わる街中を、太鼓や鐘の音を 響かせながら、行列がすすんでいく 2008年8月13日に、中津川で撮影 そして、オリンピックの熱戦が行われて いる中でも、いつもの夏のように甲子園で 高校野球もあれば、プロ野球のペナント レースも続いている 日曜日には、懸賞の招待券で娘とナゴヤ ドームに出かけたのだが、お隣の大型 商業施設にドアラ神社があった。参拝の 記念品も沢山、販売されており大人気だ 中日ドラゴンズのマスコットは、この いけいけなドアラの他に、ドラゴンズの 頭文字Dとドラゴンがモチーフになった シャオロン(小龍)と、妹のパオロン (宝龍)もいるのだ そして今夜の登板は、42歳で200勝 達成。43歳の誕生日を迎えたばかりの 山本昌さんだ。いやぁ~~中年の星!! 今夜もまた、名古屋の暑さより、熱い 投球で、4連敗をして借金生活転落の 危機をきっときっと救ってくれるだろう 19歳にして、北京オリンピック体操男子 個人総合銀メダリストの内村航平選手の 大好物である、駄菓子のブラックサンダーで 気合注入。打線も奮起をしてくれるだろう ビョン様(イ・ビョンギュ)が打った~ ウッズが、ノリが、ナゴヤドームに打ち 上げ花火とばかりのホームランで、昌さん 今期9勝目で、史上最年長での2けた勝利 まで、あと1勝と王手をかけた そして、ドアラ。またバク転こける夏 2008年8月17日に、ナゴヤドームで撮影 こちらのブログが更新をされて無い場合でも、もう1つ 「塞翁が馬。なすがまま」は、更新をされている場合も あるので、お暇なときなどには是非お立寄り下さい
2008年08月19日
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娘が大学の夏休みで、家に引き上げてくると いうので、仕事が終わって帰宅をした旦那の 車で前日の夜には駆けつけて、次の日は朝から 上高地か美ヶ原にでも出かける予定でいたが 娘のレポート提出がはかどらず結局は、お昼 仕方がないから木曽福島の町並みでも、のんびり 歩いてみるか~という事になった 江戸時代の 五街道の一つであり、本州中部の内陸側を経由を する「中山道(なかせんどう)」は、東海道についで 江戸幕府にとって重要な道であった 江戸の日本橋を出発をし、琵琶湖の草津宿で 東海道に合流をし、京都の三条大橋が終着地で 江戸から草津まで129里、69箇所の宿場が 置かれていた 木曽の地酒、七笑 山越えの多い道ではあったが、東海道に比べて 川止めが無いのが利点とされ、女性は中山道を 利用することが多いといわれ、「姫街道」と 呼ばれたりもした 足湯も楽しむことができる 大河ドラマでもいよいよ登場をする、幕末に 和宮親子内親王が、徳川将軍へ御降嫁をされる 際にも中山道を使われて、そのゆかりの品々が 各宿場などに残されている こうゆう細い路をあてどなく 木曽路はすべて山の中である。あるところは 岨づたいに行く崖の道であり、あるところは 数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、 ある ところは山の尾をめぐる谷の入り口である 一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。 と、島崎藤村の夜明け前の書き出しにある 木曽路は長らく、木曽義仲の子孫ともいわれる 木曽氏の支配下にあり、江戸時代ともなると 徳川御三家の尾張藩の支配下におかれ、その 代官所は、現在の木曽福島宿に設けられていた また東海道の箱根と新居、中山道の碓氷と共に 天下の四大関所にあたる、福島関所が置かれる 木曽の行政中心地で、霊山である木曽の御嶽山の 玄関口であり、民謡「木曽節」の町でもある 平成20年8月1日に木曽町で撮影 ここのポストは、せいめいくん
2008年08月05日
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