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ここ最近、信州の話題ばかりをして いるが、私はれっきとした岐阜県人だ たまには、岐阜県の紹介もせねば! 以前もこのブログで紹介をした事が あるのだが、岐阜の県歌では「岐阜は 木の国山の国」と歌われてもいる 紹介がかなり遅れたのだが、ゴールデン ウィークは、そんな岐阜の新緑を楽もうと 飛騨川沿いを、国道41号線で下呂に 向かう近場ドライブを、旦那の運転で 娘と共に存分に楽しんだ 戦国時代、飛騨の国主の金森長近は 幾つもの険しい峠を越えなければ ならない道が不便なので、飛騨川沿いの 難所を切り開き、新たに街道を開通 させ、中山七里となづけたそうだ 飛騨木曽川国定公園にも指定をされた 景勝地で、28kmにもわたって奇岩 怪石が続いている。これは中山七里で 最大の屏風岩で、 幅200メートル 高さ80メートルの巨岩である 市川雷蔵主演、ヒロイン中村玉緒による 股旅映画「中山七里」の舞台でもあり その主題歌は橋幸夫が歌っていたそうだ ちょうど木のフェステバルが行われており でかくなったピノキオが、子供たちに取り 囲まれ、昼時でお腹が空いていた娘は 地元の露店の牛丼にかぶりついていた そして、以前に紹介をした事もあるのだが その近くの加茂郡白川町と、東白川村を 中心に栽培をされているのが「白川茶」だ 世界遺産の白川郷とは、まったく関係ない 室町時代に、蟠龍寺(廃寺)の住職が 京都の宇治から茶の苗を持ち帰ったのが きっかけとなり、江戸時代より本格的に 栽培が始まった。なんでも、高山本線の 白川口駅で、乗客にお茶をふるまった 事から、その名が知れわたったそうだ 道の駅で、当然のように娘は白川茶の ソフトクリームをぺろり~ そんな訳で、週末は久しぶりにお泊りで 娘と二人旅。来週はそのご報告が出来ればと 思います。お天気がよいといいのだけど 皆様も、良い週末をお過ごしくださいませ 平成20年5月3日、岐阜県で撮影 車窓からの写真は、一部、映り込みが あり、お見苦しい点があります
2008年05月29日
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実の話、諏訪大社が4つもあるとは 御柱祭を取り上げたテレビ番組で 以前から知ってはいたが、上社が どこにあるのかは知らなかった 下社とは、諏訪湖の対岸に位置する 諏訪上社本宮に、今回は是非とも 参拝をしてみたいとひとっ走りした これが「本宮一之御柱」なのかぁ~ 立派なものだ 樅(もみ)の巨樹の御柱が、上社本宮 上社前宮、下社秋宮、下社春宮の それぞれの社殿の四隅に建てられて おり、七年目ごと御柱を更新する際の 御柱祭は勇壮で、全国にも名高い 古事記によれば、出雲の大国主命は 天孫の瓊瓊杵尊に国譲りを承諾したが 息子の建御名方命は反対をし、軍神の 建御雷神に力くらべを申し出たそうだ その力比べこそが、日本の国技の相撲の 起源ともいわれている 軍神の建御雷神の手を掴んだ途端に その手が氷や剣に変化したのを恐れ 建御名方命は逃げ出し、州羽の海 (諏訪湖)で追い詰められて、もう この地から出ないことを誓って許され その結界として、四隅を仕切ったのが 御柱の始まりだそうだ 境内には信州出身の江戸時代の最強の 大関、雷電爲右エ門の銅像もたっていた 江戸本場所36場所通算で黒星がわずか 10。勝率は9割2分2厘だったそうで 既に当時は横綱免許があったのに、雷電が なぜ横綱になれなかったのかは謎である 身長197センチ、体重172キロの 巨漢で、今の把瑠都と同じくらいらしい 諏訪明神(建御名方命)が、愛用された といと伝わる明神湯は、やはり温泉だ 一時は敗れはした諏訪明神だが、奮起し 信濃国の国造りを成し遂げたそうだ 勇猛な軍神としても武門の信仰は厚く 元寇の際には、龍神としてあらわれて 「神風」を引き起こし蒙古軍を蹴散らした とも言われている 江戸時代までは、最高位の祀官にあたる 大祝だけが、床に布を敷いて渡っていた 為に「布橋」と呼ばれる長い回廊 御神体は標高1650メートルの守屋山で あり、昔から観天望気(自然現象や生物の 行動の様子などから天気を予想する事)や 雨乞い祈願の山として崇められてきたそうだ こちらでも、人生の晴れの日を集いて 祝う姿が華やいでいた。うちの甥! 姪! 誰か披露宴に私を連れてって~ 5月も下旬であるというのに、信州の 標高千メートル近い有賀峠では、桜も まだ残っていた。もっとも諏訪湖でも 標高は、759メートルもあるそうだ 平成20年5月18日に信州、諏訪で撮影
2008年05月27日
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中山道六十九次の江戸から二十九番目に あたる下諏訪宿は、中山道随一の規模を 誇っていたらしい というのも中山道と同じように、五街道の 一つである甲州街道の三十九番目でもあり 下諏訪宿が、それの終点でもあるそうだ 交通の要所であるのは勿論、室町時代 には「湯之町」の名が見られ、中山道 唯一の温泉のある宿場は、諏訪大社の お膝元。旅人もここで寛いだ事だろう 日本でも数少ない本陣の建物が、ここ では公開をされている。明治維新後に 本家と分家に分かれ、本陣の屋敷や 敷地もまた二つになっている しかし、参勤交代の各藩のお殿様らが 寝泊りをしたお座敷や、そこから眺めた 中山道随一とも言われる庭園も当時の ままである 我が家の殿と姫も、しばし庭を楽しんだ 幕末には和宮様が嫁がれる際にも、この 本陣で宿泊をされ、使用をされたお道具 なども残されていた 宿代としてお公家さんは、こうゆうのも 置いていったみたいだ。うちの実家にも 尊皇攘夷派で五卿落ちをしたお公家さんが お金にする為に書いたであろう書の額が 100年程は、奥座敷に掲げられてある 下諏訪町立歴史民俗資料館で下諏訪宿に 関する資料などを、一人で見物する その間に、娘は高原ソフトクリームに ありついて、ぱくついていたようだ 平成20年5月18日に信州、下諏訪で撮影
2008年05月24日
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「芸術は爆発だ~!」と叫び、大阪万博の シンボルである太陽の塔でも有名な、世界に 誇る芸術家の岡本太郎氏が、諏訪大社の 御柱祭に来た際に、「世界中歩いているが こんな面白いものは見たことがない」と絶賛し 一躍有名になったのが「万治の石仏」だ その岡本太郎氏の筆による石碑も、近くに あるのだが、石仏はスピードのある世の流れの 中で忘れ去られていたのが、昨年の春に なんと石仏の首が伸びたというので、再び 世間の脚光を浴びるようになった そんな不思議な話題は、ほっとけない!と ばかりに「みのもんたの朝ズバッ!」でも 紹介され、沢山の観光客が押しかけるように なると、危険もあるのでと長くなった首も 直す改修工事もされて、今は元に戻った 伸びたのも科学的根拠があるらしい 明暦3年(1657年)、藩主の諏訪忠晴が 春宮に、石の大鳥居を寄進をしようと考え 大工が、大きな岩を刻んで材料にしようと ノミを入れた途端、岩から血が流れ出たそうだ 石工は恐れおののき、仕事をやめたのだが 石工の夢枕に諏訪明神がたたれ、お告げで 他に良材を見つける事が出来、大鳥居は 無事に完成をしたそうだ そのような霊力のある大きな岩に、石工は 阿弥陀如来を彫り祭ったそうで、背には その時のノミの跡という傷が残っている 太陽、月、雲などの模様と、逆さ卍などの 図柄に、南無阿弥陀仏と彫られ、脇には 万治3年(1660)の年号がある事から 「万治の石仏」と呼ばれている 諏訪大社は、諏訪湖をはさんで南に 上社、北には下社がある。更には 上社は本宮と前宮、下社は春宮と 秋宮と四社に分かれて鎮座している 春宮の大鳥居から続く参道には、神社内で 一番古い建造の下馬橋があり、この先は 殿様ですら、籠や馬から降りなければ ならなかったそうで、今ではこの橋を通る 事が出来るのは、ご神体の乗られた輿だけ であるそうだ 冬場などには、よく出かける秋宮にも 出かけてみた。ここの手水は温泉なので その熱さに、相変わらずびっくりだ♪ 季節の良い時期の、大安吉日の日曜日に 由緒ある神社での結婚式に、花嫁さんらが しずしずとご神前に向かわれていた この下諏訪の名物が秋宮のすぐ傍にある 創業明治6年の新鶴本店の塩羊羹で その日も、店内には観光客が溢れており 私は外から眺めるだけで、ご馳走様でした 平成20年5月18日に信州、諏訪湖で撮影
2008年05月22日
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高原でもないのに、何でここに ヒツジがいるんだ~と思うような 信州の諏訪湖に娘と旦那の車で 出かけてみた 諏訪湖の温泉といえば、豊富な湯量を 誇っており、サービスエリアも、駅にも 神社の手水も温泉という程に、日本でも 珍しい間欠泉も見る事が出来、ちょうど 終わりがけだったけど、最初は建物より 高く噴出すそうである 早速、買い食いの好きな娘にねだられて 旦那が温泉卵を買っていた。私の分は ないのかぁ~~。一口だけくれたけど 諏訪湖を眺めれる、無料の足湯なども あり、足元が真っ赤になるほど ぽかぽかになった 信州といえばお味噌も有名で、すぐ横に 工場もあり、個人でも気軽に、売店なども 利用が出来て、オリジナルのお味噌の ソフトクリームも販売をしている ソフトクリーム好きな娘なのに、今回は それよりも、魅力的なメニューがあった 100円で具沢山のトン汁だ。また二杯 かよ~(泣) 一口食べたが旨かった 味噌の試食も自由に出来て、お土産を 買うのにもいいかもしれない。こんな お饅頭も売っていた 諏訪湖といえば、風林火山でも有名な 諏訪御寮人(由布姫)を思い出すが 彼女は、長らくこの地方を治めてきた 諏訪氏の当主である諏訪頼重の子だ 諏訪頼重が武田信玄の謀略で自害し その叔父の諏訪満隣の家系が継承を したのだが、豊臣秀吉が天下を統一 すると、諏訪頼忠は武蔵に移され 秀吉配下の日根野高吉がこの地方を 治める事になった 日根野高吉は、これまでの茶臼山の 山城を廃し、諏訪湖畔に新しい城の 築城に着工をし、慶長3年に完成 したのが、この高島城だ 諏訪湖と河川が周囲を囲い込み、天然の 堀となり、水中から城郭が浮き出た様相 から、諏訪の浮城と呼ばれていたが、町の 整備で、湖水の水位を下げる工事により 湖畔からは遠くなっている 徳川時代になると、日根野高吉は下野に 転封をし、諏訪頼忠の子の諏訪頼水が 高島城主となり、明治維新の廃藩置県 まで諏訪氏が治めていた 天守などの建物は破却や移築がされて 石垣と堀のみが残されていたが、後に 天守、櫓、門、塀が復元されている 水をかけると願い事がかなうという 亀さん発見!! 暑いし涼んで下さい 平成20年5月18日に信州、諏訪湖で撮影
2008年05月20日
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高遠の桜に、千年桜と伊那の桜を楽しんだ 今春であったが、最後に紹介をどうしても しなければならないのが、伊那市に合併した 長谷にある、桑田薬師堂の枝垂桜である 勿論、今頃に咲いているはずがなく、4月下旬 千年桜などを見物した同日に、出かけてみたが 山里にひっそりとたたずむ桜は、樹齢400年で 以前は、県天然記念物に指定をされていたが 衰えによって枝が折れ、解除をされたそうだ すぐ脇には、若い桜が寄り添うように花を咲かす 夫婦桜だが、一説では南朝の後醍醐天皇の 皇子で、信濃の宮とも呼ばれた宗良親王が この桜をみて、うたを詠ったとも里人に 伝えられている 散らぬまに立ちかかるべき道ならば 都のつとに花も折らまじ 近くにある常福寺には、宗良親王像とされる 僧形座像の木像や、木像の体内から出てきた 古文書もあるそうだ 南朝の勢力回復の為に奮戦をした宗良親王の 終焉の地ともいわれ、寺の後方にある御山と 呼ばれる小高い丘には、親王の墓石と伝わる 無縫塔が祀られている 今が盛りの美しい桜が、父天皇の眠る奈良の 吉野山のように咲き誇っていた 戦国時代に、侵攻を進める武田軍から 里を守ろうと戦った武将らの八人衆が 処刑をされ、首をさらされていたのを 闇夜にまぎれて奪取し、葬った八人塚 鹿がいっぱいの南アルプス鹿公園もあって 何人か見物人もあり、有料でえさも与える ことが出来る 暑いのだろう。鹿もまた水浴びもしたいようだ 長谷地区の里人の産土神が祀る熱田神社の 本殿を彩る彫刻は、江戸時代の名匠の技を 伝える傑作で、国の重要文化財に指定を されており、日本武尊が東征の帰途に立ち 寄り、里人を苦しめていたオロチを退治を した事から、尾張国の熱田神宮をおむかえ したのが始まりだそうである 神に踊りや芝居などを、里人が奉納をする 際に、使用をする舞台も備えられており 映画「Beauty うつくしいもの」は伊那谷の 大鹿歌舞伎をテーマにしており、この 舞台も劇中で登場をするらしい 上方歌舞伎の名門、松嶋屋の片岡幸太郎や 片岡愛之助を主要キャストに迎え、昭和という 激動の時代に翻弄されながらも、村歌舞伎に 生涯をささげた二人の姿を、伊那谷において 秋、冬、春、初夏と、のべ3ヶ月にも及ぶ ロケを敢行したそうだ 映画ホームページ 平成20年4月22日に伊那市長谷で撮影
2008年05月17日
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信州の真ん中に位置する諏訪湖を 発端にし、伊那谷を流れくだり 太平洋に注ぎ込むのが天竜川だ その激しい流れによって、侵食を された花崗岩の奇岩が、渓谷を彩る 天竜峡に、花桃&ソースカツ丼の 時に、家族で立ち寄ってみた 高いところが大好きな私でも、この 天竜川を遥かに見下ろす、つつじ橋は かなりハードだなぁ。だって幅の広い 鉄ワイヤー3本の柵だけだもん 息子! 揺らすなよ~~ そんな上の事情も知らず、川くだりの 舟客が楽しそうに、手を振ってきた そんな寿命も縮まりそうなつり橋の 脇には「開運・延命・若返り」の スタンプ~~? 更には幸せの鐘だって~~? もう がんがん鳴らしちゃいますよ! 更には、昇龍泉ですから!! なかなか 虎の尻尾を捕まえられないドラゴンズ 祈ってきましたよ。天竜川で昇龍祈願 山本昌さんも2勝! むちゃくちゃ嬉しい そんなドラゴンズのファンで有名なのが 近くの下伊那郡下條村出身の峰竜太! 天竜川の渕に住む龍が、天に昇った時 崖に突然に出来た、龍の化身とも伝わる 龍角峯からなんですかぁ~ 近くには信州から、愛知県の三河地方を つなぐ、JR東海の飯田線の天竜峡駅 しかも風光明媚な天竜峡を見下ろすように 単純放射能泉の天竜峡温泉もあるんだ~ 前日の雨による増水で、茶色になった川に こいのぼり。うちのあたりは旧暦で6月が 端午の節句なので、この時期もこいのぼりが 泳いでいるのだが、伊那谷はどうなんだろう 平成20年5月6日に天竜峡で撮影
2008年05月15日
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普段は都市部で、大きなビルに組み 込まれたり、古い建物などの美術館に 展示会で訪れると、なんだかなぁ~と 建物に不満足なことが多い しかし、一服の絵画のような庭園を 館内から楽しむような足立美術館の ように、美術館そのものが魅力的な 場合もある ニューヨーク現代美術館や、私の好きな 東京の葛西臨海水族園なども設計をした 谷口吉生による豊田市美術館は、市街地の 小高い山の上に位置し、自然に調和をした 心落ち着く美術館だった せっかく豊田に出かけたのだから、ここで ドイツの近代ポスター展や、日本の現代 美術家の展覧会を見物しようと思ったの だが、美術館自体の魅力に惹かれ、館内を うろうろしたり、庭園を散策したりした シニカルな目線で、琳派などの日本美術を パロディ化をした名古屋を拠点に活動する 同世代のフジイフランソワ嬢の展覧会では 来場者が石に落書きをする企画があった ドイツの近代ポスター展では、日本との かかわりが大きく、カルピスの広告を 大々的にドイツで公募をしたものだとか 時代の流れの中で、人種差別とされ今は 見られなくなった、かつての馴染みの シンボルマークも、その時に入選したものだ お腹も空いてきたので、館内にある レストランで、ミュージアムランチを 食べることにした ドイツの近代ポスター展をテーマにした ランチは、鶏肉と舌平目のメインがあり 私は舌平目をチョイス。デザートなども ついて、950円はお得のような気がする アイスクリームには、ソルト、胡椒 オリーブオイルをチョイスすると、また 違った味になるとか薦められて、少し ソルトをかけてみたが、エスプレッソを かけるのが私の好みだ 美術館のある小高い山は、かつては この一帯を治めた2万石の譜代大名の 挙母藩(ころもはん)の居城である 挙母城であった 三河国、尾張国、美濃国、信濃国 遠江国、伊勢国、近江国の七州が 見えるという高台に建っている事 から、別名を七州城とも呼ばれた 矢作川の東側に位置した、尾張藩士 渡辺家の領地、寺部領の陣屋にあった 書院の又日亭が移築をされていた こんなゴージャスな豊田市ではあるが 市役所は比較的、普通の建物なので ほっとした 平成20年5月9日に豊田市で撮影
2008年05月13日
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中東の笛で一躍、有名になった男子 ハンドボールは、アジア予選のやり 直しで、既に韓国が北京行きの切符を 手にしている しかし、世界最終予選を間近に控え 壮行試合(定期日韓戦)が、昨夜 愛知県豊田市にあるスカイホールで 開催をされたのだ ネット懸賞でペアチケットが当選を したので、甥と観戦に出かけたのだが う~む。普段は目にする事のない ウォーミングアップの様子なども 見物ができて面白い 作戦タイムなどで、円陣を組む選手や 監督の表情も真剣だ。ちなみに7番の 選手が、メディア露出ナンバー1の 宮崎選手で、昨夜も大活躍だった その円陣の選手の顔を捉えようとする カメラマンもまた必死だった 球を奪取したとたんに、一気に敵陣に なだれ込み、一気にシュートで得点を するようなスピーディな試合展開は とにかくスリリングで、目を離せない しかも選手の息遣いまでもが伝わる ような至近距離での観戦は、野球や サッカーでは味わうことはできず 屋内競技の醍醐味であろう 僅差で敗れはしたが、試合後に行われた 世界最終予選へ向けてのセレモニーでは キャプテンの9番、守りのかなめでもある 永島選手から、力強いコメントを聞く 事ができた ちなみに、選手家族席のそばでの観戦 だったのだが、永島選手の奥様は女子 レスリング世界チャンピオンであった 山本姉妹の妹の聖子さんで、応援に 駆けつけていた 日韓ワールドカップサッカーには使用を されなかったが、市制50周年の記念に 作られた、豊田スタジアムが近くにあり ジャパンラグビートップリーグのトヨタ 自動車ヴェルブリッツのホームスタジアムと なっている またサッカーJリーグの名古屋グランパス エイトの準ホームであり、以前、息子と 大阪ガンバ戦を観戦をした事があるのだが すごいゴージャスなスタジアムだった 試合前の時間潰しに、図書館で本を 読もうと、まるでシティホテルのような 吹き抜けホールもある参合館に向かった 豊田市民センター地区市街地再開発 事業で建てられ、コンサートホールや 能楽堂もあるそうだ 3階から6階までの図書館は半端じゃない 蔵書量で、本が好きな娘が行ったら目を 輝かしそうだ 無論、ハンドボールの試合もすごかったが 全国市町村で製造品出荷額がトップの 町だけあって、ゴージャスな公共施設に 圧倒をされた一日であった 平成20年5月9日、豊田市で撮影
2008年05月10日
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立春や春分などで、季節を表す 二十四節気よりも、より詳しく 気象の動きや、動植物の変化を 知らせるのが七十二候である その一つで早春の頃、旧暦では 3月中旬(新暦の4月中旬)に あるのが桃始笑。花が咲く事を 笑うといったらしく、桃が咲き 始める頃 かなり遅れて、信州の山里にも 桃始笑がやってきた。木曽から 伊那谷に抜ける清内路の街道には 観賞用の花桃が咲き乱れ、まるで 山里は桃源郷のようだ 清内路には一番から七番と清水が あり、旅人がのどを潤していたそう だが、そのうち一番清水は特に 水量も豊かで、今も大人気だ その水場の脇には、俳人の山頭火の 歌碑があった 「山しずかなれば笠をぬぐ」 木曽谷と伊那谷を隔てる3千メートル 級の山々が連なる中央アルプスの頂は まだ白く、眩しく輝くばかりだ 連日の好天で、初夏どころか真夏に なったかのような温度上昇で、車の 窓を全開にして吹き込む高原の風も すがすがしく感じるくらいだ 庶民の味方「B級グルメ」でも全国的 にも有名な、駒ヶ根のソースカツ丼を 食べに行列の出来る店に出かけた。店の 前で順番待ちをしているのは旦那や息子 相変わらずのボリュームは、見ただけで おなか一杯なのだが、やわらかい肉で さっぱりしてるので食も進む 平成20年5月6日に伊那谷で撮影
2008年05月07日
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