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歴史は繰り返すというが、電通の過労死事件に対するネットなどのコメントをみると、氷山の一角という書き込みがあるのに及んで、この国の住人の奴隷化が深刻で、まるで小説「蟹工船」さながらの、日本列島全体が蟹工船のように思えてきた。 さて、どうしてこの国の住人はあまりにお人好しで、洗脳されやすい奴隷なのか、というと、それはいまだに似非日本史を信じ込まされているせいであることに気づかされる。 というわけで、ネットで歴史を検索していたら、面白い以下の話がでてきたので、紹介してみる。 ★ ★ ★ 廣橋興光氏の証言 筆者(鹿島昇氏)が三〇年来親しくした廣橋興光氏という友人がいる。廣橋家は藤原氏名家の一族で幕末には武家伝奏、明治以降は伯爵家であった。父君はもと内務省のエリート官僚で、東條内閣の秘書官、のちに千葉県最後の官選知事を勤めた廣橋眞光氏、母方の祖父は中川宮の孫、もと梨本宮守正殿下であり、母君は李方子さんの妹に当る。 その廣橋氏から伝来口伝の日本史を色々と教えて貰った。要約すると、 一、天皇家は北支から満州、朝鮮をへて日本にやって来た。 二、藤原氏は中国系と朝鮮系に分かれていて中国系の方が威張っていた。 三、南朝とか北朝とかいってもわれわれの祖先はどちらにも行ったから、いま明治天皇が南朝といってもまごついたりしない。 四、戦争によって日本のおかれた惨状は家康の鎖国がもたらしたものである。 五、孝明天皇は伊藤と岩倉が殺した一但しこのことは興光氏でなく、その父君眞光氏の言である。 六、鳥羽伏見の戦い以後の明治天皇は睦仁ではない。すり替えた天皇である。 七、伊藤の爵位ばらまきは天皇すり代えの口止め料という性格があった。 八、シンガポール陥落のときルーズベルトが特使を以て講和を申入れた。東條はそれを受けようとしたがヒロヒトは二、二六事件の体験から、軍の叛乱を恐れて継戦を命じた。この時天皇に継戦を迫った親独派の将校グループがあった。 (恐らく、ハウスホーファー-緑龍会-世界紅卍会だろう。悪魔を召還していたようで、原爆入手もここにあるらしい。原爆は「天皇のスパイ」で有名なベラスコが証言しているが、ナチスが開発し、米国に渡り、日本に落とされた。原爆を売り、悪魔が原爆で恐怖支配するためである。) というのである。 これらの各項目を体系化することが出来れば日本史の程造はほぼ明らかになるのに、およそ歴史学者は無視している。 明治以降、この国の歴史学、そしてその延長上にある日本の文化は『記紀』の虚構を盲信する天皇教の狂信者によって極めて不合理な体系に堕し、あえていえばオウム教の教義論の如くであった。 狂信者といっても天皇を敬愛するからではなく、国民をすべて奴隷化し、それによって自己をカポとして権威づけたいだけであった。 (天皇を利用して自分を選民にしたい悪魔の発想である。偽キリストの悪魔の発想。もちろん、こういう輩は死後そのまま地獄行きである。) かくして歴史学の歩みは、白文の史書を読むことができないニセ学者たちによって、教条主義的な誤読をつづけた不合理なる前期水戸学から一歩も抜け出すことが出来なかったのである。 まず廣橋氏がいうような藤原氏の出自は公表された系図からは出てこないから、これは系図の方がイカサマだったのである。 廣橋説を検証する そもそも藤原氏の祖である不比等の名の初見は『書紀』の持統称制三年(六八九)二月の条に、「藤原朝臣史が従五位下の判事(ことわるのつかさ)になった」とあるもので、時に不比等は三十一才であった。 そのあと、文武元年(六九七)から桓武一0年(七九一)までの『続日本記』でもわずかに十三ケ所、簡略な記録だけである。 『藤氏家伝』には「(鎌足に)二子、貞慧と史(ふびと)あり。史は別に伝あり」とあるが、「史(ふびと)伝」はなくして「貞慧伝」のみがある。 これを以ていえば、三十才までの不比等は経歴の空白な人物であり、そののち賀茂比売との間に生まれた宮子を文武天皇の妃とし、ついで美努王の妻、県犬養三千代を奪って彼女に生ませた安宿媛が、宮子とともに今でいう混血美女だったから、娘二人の縁故で権力を手にしたというのが実相である。 あとで述べるように、藤原鎌足とは新羅の英雄金庾信であったから、その次子であるという不比等の人生前半のこのような粗末な扱いは実に不可思議であり、もし不比等になんらかの重大な失策があったならば、その事実も記録されて然るべきである。 藤原鎌足は金庾信であると同時に、百済の降人郭務悰(かくむそう)(『善憐国宝記』には一ヶ所だけ唐務悰とある)でもあるが、『紀』六七一年六月の条には、「唐の捕虜となった沙門道久ら四人が十一月二日、唐から對島に到着して、唐使郭務悰ら六百人と唐に仕える百済の送使沙宅孫登ら千四百人が、船四十七隻で来朝するといったとある。 百済に囚えられ、さらに新羅に収容された郭務悰はカクムソウ→唐務悰→藤鎌足(トウ・.カマソウ)として、畿内の秦王国、またはそれから出来上った新しい日本国の内政に参与したものであろう。 『尊卑分脈』には「公(不比等)、避くる所の事あり、すなわち山科の田辺史大隅らの家に養う。それを以て史と名づくるなり」とある。この田辺史氏は百済系渡来人であり、もと新羅の王朝に囚えられた降人であった。してみると、不比等は実は名もなき百済の降人の子で、同じ降人の田辺史家に拾われたものではないか。 そういう立場の不比等が生長してから、降人のなかのヒーローであった郭務悰の子であるといい出したとしても、決して不思議ではあるまい。 鎌足臨終の前日に藤原の姓が贈られたというが、それは鎌足を郭務悰と金庾信に擬したもので、実は不比等の時代のことであった。 文武天皇二年八月十九日の詔に「藤原朝臣(鎌足)に賜うところの姓は、宜しくその子不比等等をして之を承けしむべし。ただし意美麻呂らは神事に供するによりて旧姓(中臣)に復すべし」とある。これは中臣氏―金官国の遣臣が「自分たちも金庾信の子孫だから藤原の姓が欲しい」といったものを、不比等だけを郭務悰と金庾信を合成した創作人間であった藤原鎌足の子であるとして文武天皇が認めたものであった。それが皇妃宮子の実家に対する天皇の勝手気まヽな権威付けであることはいうまでもない。 七〇七年、文武天皇の没後阿閇皇女が元明として即位したとあり、和銅元年(七〇八)には不比等が右大臣になったが、これよりさき、郭務悰を鎌足にしただけでは足りないとして、文武天皇とのお声がかりで新羅の英雄金庾信を舎人(とねり)親王に頼んで郭務悰と合成し、この両名を不比等の父としたのである。こののちの歴史を考えると、捕虜の娘が美貌なのを気にいって皇后にしたために、新羅系天皇家の衰退が始まったのであった。 さて、江戸幕府のもとで賎民社会を支配した弾左衛門の子孫弾直樹氏の『弾左衛門由緒書』のなかの「江戸町方の制度」によれば、弾左衛門の家系並びに由緒は次の通りである。 【弾左衛門はいはば穢多の君主なり。ただに同族問に威権を弄したるのみならず、前にも述ぶるが如く、良民社会のある部分へさへ裏面の勢力を逞し(たくまし)ふしたりき。さるにてもかく迄に強大の勢力を養ひたるは如何なる家系、如何なる由緒ありての事か。これらを探究せんは、けだし穢多の族制を記するに当たりて第一の順序なるべし。 浅草区亀岡町(往時は新町と云ふ)に住む弾直樹と云ふ人なん、往昔より穢多の君主と仰がれたる弾左衛門の後窩なりける。抑も弾家の粗先は鎌倉の長吏藤原弾左衛門頼兼(弾左衛門を単名と思ふは誤りにて弾は氏、名は左衛門その姓は藤原なりとぞいふなる)にて、その先は秦(しん)より帰化し世々秦(はた)を以て氏とせり。 抑もわが国に於て秦の帰化人と称するものは始皇の子扶蘇(ふそ)の後なり、史を按ずるに、秦皇の崩後扶蘇逃れて穢狛に入り、居ること五世にして韓に遷りしが、その裔弓月君なるもの応神天皇の一四年を以て一二七県の民を率い金銀玉帛を齋して帰化し、大和国朝津沼腋上地を賜ひてその民を諸郡に分置し養蚕織絹のことに従はしめるに、献ずる処の絹帛柔軟にしてよく肌膚に適ふを以て、天皇特に波多君の姓を賜へりと。これ秦の字に「はだ」の訓を付したる所以也。 その後この一族より秦左衛門尉武虎といふもの出て、武勇を以て平正盛に事へたりしが、たまたま正盛の女の姿色艶麗いと謁丈(ろうた)けてたをやかなるに掛想し、筆に想ひを匂はしてほのめかしけれども、翠帳のうち春なほ浅くて高嶺の花のえも折られず。いよいよ想ひ余りて、寧ろ奪ひ去りてもと謀りけることの端なく洩れて正盛の怒りに触れ、日頃股肱としも頼む武虎にかゝる不義の振舞あらんとは奇怪なり。いで物見せんとて討手を差向けたるよし、武虎いち早くも聞きて夜に紛れて跡を暗まし、関東は源氏の根拠なれば屈意の隠れ処なりとて、鎌倉さして落ち延びぬ。 これより武虎は鎌倉長史(穢多の古称)の頭領と成りて秦氏を弾氏と改め、自ら韜晦しけるとなん。 その後治承年間、頼朝兵を関東に挙ぐるに及びて、弾左衛門尉頼兼、事に預かりて功あり、左の御朱印を下されける・・・・】 また宝永四年四月、弾左衛門が肥前長吏助左衛門に送った文書にも、「相州鎌倉の住人、弾左衛門尉藤原頼兼在判、但し藤原を弾に改称す」とある。 このことが事実であるならば、弾左衛門は元来は秦氏であってのちに藤原氏に変り、さらに弾氏に変ったのである。ということは、藤原不比等は藤原四家が同一の先祖を持つというためのシンボルにすぎず、四家のなかには当然秦氏もいたのである。あるいは式家の宇合(うまあい)と広嗣らがそれであろうか。 『秀眞伝』に「われは伊勢の祖猿田彦」とあって、奈良盆地はもと秦王国の本拠で秦氏の領地であった。だから藤原四家のなかには秦氏が混じったとしても決っしておかしくはない。 秦氏は元来始皇帝の秦帝国の亡命者で、『北史』倭伝の秦王国、または『桓檀古記』の伊国、ないし伊勢国の支配者であった。『書紀』はこの人びとを別倭と書いて九州や南鮮の倭人と区別している。 学者は秦王国の所在地を吉備地方に望ているものもあるが、それすらも「畿内には大和王朝があった」という『記紀』の創作に引きずられた誤まりであり、吉備はかれらの通過点にすぎない。これは握造した史書を盲信する奴隷根性のもたらした重大な過誤である。 百済の降将郭務悰が唐務悰となり、その唐が藤になったとすれば、当時のわが国では唐人と秦人の区別が容易につかず、両者をともにシナ系豪族ということで藤氏としたのであろう。そしてさらに不比等をかざるために、鎌足を郭務悰と金庾信の合成人物として幻の英雄伝説を作ったのである。今でいえば、美智子さんや雅子さんの祖父をアメリカ大統領とイギリス王の娘だったとなどといい出すようなものであるが、実際、歴史家は明治天皇を孝明の子だといい張って替え玉の天皇を擁護した。こんな系図の偽造を認めれば国家の将来は暗い。 藤原氏の台頭と反比例して秦氏の一族が急速に歴史の舞台から消え、同じように、百済王(くだらのこにしき)敬福の時に隆盛を誇った百済王氏が、道鏡、光仁の即位以降突然消えてしまう。このへんに歴史の謎が隠されていた。今まで、なぜこんなことに思いが至らなかったのだろう。すべては国民の奴隷化を強制した史書程造に始まったのである。 拙著『日本ユダヤ王朝の謎』および『秦始皇帝とユダヤ人』で述べたように、始皇帝の実父であった呂不韋はユダヤ人であったらしく、川瀬勇は「左衛門という名はユダヤ人に多いシモンの訳である」といっている(『日本民族秘史』)。してみると、「弾」はユダヤ人支族のダン族のことであろうか。朝鮮で白丁姓の一つとされる蛮氏が日本の弾氏と同姓であろう。朝鮮の車氏と池氏は日本の車氏と池田氏になったという。 マネトの『エジプト史』は、 「エジブト脱出以前のユダヤ人はエジプトに囚えられていたヒクソスの残党であった。かれらは屠殺などの賎業に従事させられていた」と述べる。その子孫が屠殺カーストの長の弾左衛門になったことは説得力がある。 のちに江戸幕府をたてた徳川家康は静岡市馬淵のささら遊女の私生子であって、幼くして奴隷商人の酒井家に買われたという。すなわち被差別部落の出身者だったから、かつては弾左衛門体制の支配下にあったことになる。 江戸時代の部落の人びとは、「弾左衛門さまには及びもせぬが、せめてなりたや将軍に」と唱ったという。それは弾家が秦王国の末裔という血統によって維持されたことと、家康が弾家の支配下から将軍になったことをいったのであろう。 (八切氏によると、家康は、桶狭間のときの混乱で、松平元康を謀殺し、成り代わり、信長と同盟し、信長のせいにして、元康の子信康と正室の築山を殺し、松平家を継いで、徳川家にする。家康の幼少時の人質とは、今川家ではなく、ささら衆の弾家の人質ということ。) このように望ると、奈良時代以降朝鮮からやって来た新羅系及び百済系天皇家の支配のもとで、秦王国の人びとは賎民社会という形態で長期にわたってゲットーを維持していたと考えられる。 複合社会だった日本 思うに、弥生農民の中にはインドから来たカーシ族、その支派であるクメール族と仾族のほかに、揚子江流域の苗(毛)族ではなく海南島の搖(やお)族がいて、かれらをアラビア海とインド洋からやって来たフェニキア系の海人が東表(豊日)国に至るタルシシ船で九州に運んで来たのである。東表国はのちに駕洛国になって半島にも進出した。新羅帝国はこの分派である。 日本語に「呉服」「呉庭(これは)」など呉音の影響が多いのはそのためであろう。日本をにっぽんと読むのも呉音であり、漢音ではじゃほんである。一月、二月を、いちがつ、にがつ、と、読むのも呉音で漢音では、月は、げつ、である。 駕洛国または金官加羅の支配が奥州までのびたために、『東日流外三郡誌』は「荒吐族がアソベ族とツボケ族を支配した」といっている。すなわち荒吐族とは駕洛国の金氏と狗奴国の朴氏の子孫であった。 『書紀』を盲信して『三郡誌』を偽書であるとする無知なやからが多いが、本来、日本にはかれらが理解し、さまざまにあげっらうべき史書などは存在しなかった。日本の史書は常に政治的理由によって恣に握造されたものであった。 さて、奈良時代以前に富士周辺までがすでに秦王国の勢力圏で、その中には手工業の徒が多かった。この秦氏の国を「秦王国」といったのであるが、『晋書』によれば、金官加羅は秦王国をも間接に支配していたという。 その秦王国にはもともと先住民族のオロッコと苗族系の毛人がいた。オロッコは自称ウエツタ、またはウイッタといい、半地下の家屋に住んで独白の文化を有していた。このウエツタが稜多(ヱタ)の語源となり、のちに別所、院地などに住んで結束したが、道鏡、文鏡らの百済系王朝ができると新羅人のグループもウエッタの地に流れ込み、のちにはドロップ・アウトしたものも受け入れて構成が変化した。 語は戻って、五三二年に金官加羅が新羅に投降すると、倭の大王は駕洛または金官加羅の王から邪馬壱国または安羅国の王に移った。しかし、「秦王国」の人びとは依然畿内においてチャイナタウンとして二重社会という独自性を守って、六六三年、白村江(はくすきのえ)の戦いのときに「秦王国」は新羅に味方した。 戦後、新羅の占領軍は「秦王国」を中心として倭国と合体させ、「秦王国」は手工業者を、「新羅」は農民と農奴を、それぞれ支配するという二重体制を続けた。 インドでは賎民とはスーダラとハリジャンをいうが、日本の弾左衛門体制はバラモンの伝統をひく殷人系の白丁を頂点とし、商業カーストであるヴァイシャ、そしてスーダラとハリジャンをもその下に包摂した。白丁はいにしえの殷の祭祀カースト、すなわちバラモンの子孫であり、また殷文化の担い手でもあったが、やがて少数派になって祭祀官または書記として権力に奉仕した。この人びとが新羅系の、のちには百済系の天皇家によるクシャトリアの農奴支配という社会形態の中で、かつての「秦王国」をゲツトー化して支配したのであろう。一種のカースト制であった。 のちに南朝が地方に四散した時、その逃亡者たちを庇ったのはこの「秦王国」の後裔にあたる木地師や万歳師など被差別部落の人びとであった。また睦仁親王の生母であるという中山慶子も、天皇家の葬列を司るべき、差別された八瀬部落で育った人であった。 またこれに関連して源平二氏についていえば、武家という存在も天皇家と同じく系図偽造の産物であって、日本の権力は常に系図偽造によって生まれたといってよい。武家はもともと朝鮮から熊本に渡来したニギハヤヒの兵団が分裂して、一はアヤタチのもとで山窩になり、一は白丁隼人を中心として皇室を祖とする系図を作って源氏武士団に転じた。すなわち、公卿たちの家事奴隷となった白丁が立身してご主人の子孫だと自称したのである。勿論もとのご主人たちもその方が都合がいいからこの系図程造を承認した。 これよりさき、道鏡が自ら天皇になるために変造した『書紀』は、始めは新羅の武烈王を天智天皇としていたのに、道鏡の先祖を天皇にすれば自分も天皇になる資格があるという理屈で、百済王子豊璋をも天智天皇にして二人一役の天皇を作った。この系図偽造によって、道鏡の兄文鏡、のちの光仁天皇も天皇になり上る資格が出来たのであるが、万世一系の理念はイカサマになり、一方では秦王国のままという二重社会も温存させた。 だからこのような先例こそ、殺された睦仁と天皇に化けた大室寅之祐という二人の人物を一人の明治天皇にするという系図の偽造、二人一役の創作を成功させたのであるが、それ位で驚いてはいけない。日本史は実は建国の始めから一貫して同じようなことをなし続けていたのである。 すなわち明治天皇は睦仁と大室寅之祐の二人を一役に化した合成人問であって、有史以来、帰化人たちが脈々として行ってきた系図偽造によって作られた天皇の替え玉であった。 だからこそ明治天皇は終生写真を撮らせなかったし、外国人が撮った一枚を宮内省が大金を出して買いとったこともあった。順序は逆になるが、ここから考えると殆んどの矛盾が理解できよう。 武家と軍閥の日本史(一) 1、始めに源氏である。桓武天皇の子の嵯峨天皇の子供たちが新羅の源花を慕って、源信、源常、源定、源潔姫など源姓を称したことは事実であろう。 明治の末に発見された『石清水八幡宮回願文』には「源頼信は陽成天皇四世の孫である」とあり、「先人新発(満仲)、その先、経基、その先、元平親王、その先、陽成天皇……」となっている。従来、源氏は頼朝によって清和天皇の皇子貞純親王から出て清和源氏になったといわれていたから、この願文はそれと矛盾している。二つの系図が矛盾しているというのでは、その系図は共にいかさまだといわれてもしかたないであろう。 これと同じように、『吾妻鏡』では「義経は自害した」とあり、また「戦死した」ともあって矛盾している。ともに握造であることが推測される。 また源頼光の四天王の一人渡辺綱の系図だが、嵯峨天皇の子源融のあと昇、任、充となっていて、この三人は史書に残っていない架空の存在であり、綱は被差別部落になる渡辺村、のちの神戸長田村の出身であった。 源氏の祖の満仲は経基王の子ではなくその家事奴隷で、のちに力を得た為に猶子を自称し、養子となりさらに実子と称したものであろう。 日本史ではこういう時に屡々始めに猶子としておき、あとで養子から実子とする手法を行っていた。 のちに源氏の系図をとにかく天皇の系図にくっつけようとする努力が、色々な形で試みられたのであろう。源氏(源家)とはその名の通り、新羅の武士である源花花郎の子孫を自称したものである。源義家の弟の新羅三郎という名前は、真偽はともあれ、源氏が新羅花郎の子孫であることを自ら主張したものである。 2、次に平家である。 『尊卑分脈』によれば、桓武天皇の曾孫が高望王で平姓を賜り、高望王の子が国香、良兼、良将、良広、良文、良持、良茂で、国香の子が貞盛、良持の子が将門であるという。高望王は藤原不比等と同じく、平氏の一族を桓武天皇に結びつける役目を担ったものである。 平氏といってもこれももと賎民であった。 『今昔物語』には「紀伊国伊都郡に平維時の郎党で坂上晴澄という武士がいた。京で乗馬の公卿に会って土下座したところ、実は強盗で身ぐるみはがされた」という話が書かれている。このとき平家のものは公卿に土下座すべき存在であった。天皇の血脈ならこんなことはしない。 『海東雑録』申命仁の条に「平山人、字は栄仲、号を亀峯という」とあり、新羅末期には花郎道がすたれて花郎が回寺とも居下ともいわれた。踊り子をつれて村々を巡業し、昼は踊り夜は売春させた。このような女を花嫁とも『トポクモリ』ともいったと述べる。 「トポク」散乱すること、「モリ」は頭の毛で、合わせて乱髪のことである。これが清盛、重盛、宗盛などの「盛」になる。すなわち新羅花郎の平山人の子孫を自称するものが平家になったのである。 『大乗院寺社雑事記』に「熊野に上陸した人びとが古来のしきたりに従って平姓を称した」とある。 高望王の子孫になっている国香たちはこのような朝鮮からの新しい渡来者で、今でいうキョッポウであつて、高望王の家事奴隷もしくは下僕となり、のちにその権威を借りて猶子となり、さらに養子から実子と称したものであろう。 このような源平武士団を天皇系図とつないだのは系図偽造を天職とした公卿たちで、源平両氏はのちに鉢屋族の忍者から秀吉や元就が出てその系図を美化して偽造したように、実は公卿の家事奴隷から立身したものである。 1、2は拙著『国史正義』に詳しい。 3、義経は衣川から北海道に逃げ、さらに十数名の部下とともに高麗船で海を渡ってウラジオストックの安東城、または蘇城(スーチャン)に入城した。しかし先行した平家の落人たちとうまく行かずに、吉林省のイーキントンで馬賊を平げて村長の娘をめとり、さらに熱河省の平泉から満州里に進んだ。そのとき義経を慕うもの約百人がひそかに安東城に渡って合流したが、やがてその数は他の亡命者も加えて数百人に達した。 しかし日本の歴史家は朝敵となった義経が成功したのでは困るし、また元冠のとき神風が吹いたといいたい為に、あえてこの事実を否認した。これこそ奴隷根性に染まった学者の発想であった。 筆者がかつてソウルで某国会議員に、「扶余王仇台が九州を侵略して神武になった。あなたたちも昔は日本を侵略したんだ」といったところ、「国を捨てたものが外国で何をやっても関知するところではない」といった。よくいうよ全く。あいた口がふさがらないとはこの事である。 とにかく、即位以前のジンギス汗とその周辺の歴史はすべて義経の伝記を書きかえたものである一。 4、ジンギス汗が契丹の王族であった耶律楚材に対して、「オレはお前たちの仇である金国を亡ぼした」といった時、楚材は「私はすでに金国の臣である」と答えたというが、ジンギス汗を出した蒙瓦室章はもともと契丹の従属部であったから、この対話はおかしい。蒙古族は契丹に従属した蒙瓦室章の子孫であるが、ジンギス汗がもともと室章人ではなくて日本人であったことを知ればこそ、楚材は日本人より金人の方がまだしも身近だとして、このようにいったのであろう。 3、4は拙著『義経=ジンギス汗新証拠』に詳しい。 5、北朝一〇〇代の後小松天皇と足利貞成こと伏見宮貞成親王は共に皇妃を奪った足利義満のかくし子であり、従って貞成の子の一〇二代後花園天皇もその孫であった。公卿たちは全員このことを承知していたが、後小松天皇におどかされて鶴の一声で沈黙し、共同して国民をあざむくことにする。同じことは明治維新にも行われた。 道鏡と光仁が新羅王家の女たちをたらしこんで、色仕掛けで作った天皇家はこの時すでに義満の色じかけで滅亡して、それ以降の天皇家は国民の無知と奴隷根性に寄生した虚構の民族宗教になった。 ニセの王朝が続いたのである。。 公卿たちが先に皇統ではないといわれた道鏡の兄の文鏡、のちの光仁の即位を認めたことでも判るように、もともとかれらの社会は日本的な忠義という観念に乏しく、強い権力には黙って屈伏するしくみであった。いわば亡命朝鮮人、今でいえばキョッポーの相互扶助機関であった。 いにしえの朝鮮連盟といったところか。 だからのちに大室寅之祐が睦仁にすり替った時も、公卿たちは義満の時と同じように沈黙してしまった。この沈黙はいわば国民に対する天皇サギ、万世一系サギともいうべきもので、公卿たちの卑劣さは許すべきではないが、水戸学の水戸光圀の無能さを始めとして、今だこの事にふれない歴史家たちの無気力も責められなければならない。 5は拙著『日本王朝興亡史』に詳しい。 6、伊勢湾台風のとき旧家の土蔵から発見された『前野文書(武功夜話)』は原本から書きかえた写本であるといわれるが、木下藤吉郎については、「この人…色々と不審の儀これあらんより乱波(忍者)の類にて候はずや。その人は無頼(ぶらい)の輩の如く小身なれども武芸者にて、なりに似合わず兵法の嗜み深く、初めは得体知りがたし」と述べている。こんなところはわざわざ捏造したものではないであろう。日本では写本を否定したら歴史の研究は不可能である。 秀吉は鉢屋出身の軒轅という下忍であり、毛利元就もまた鉢屋出身の上忍であった。「藤吉郎さりとてはの者なれば」と書いた『安国寺文書』は、秀吉は毛利と同じ鉢屋族だから秀吉を助けろといったものであろう。もちろん毛利氏の先祖を大江氏につなげた系図は偽作で、天皇家の系図と同じく血はつながっていない。元就が系図握造の利得者であり、そして忍者の支配者だったからこそ、長州忍者の吉田松陰は寅之祐を睦仁とすり替えるという忍法を考えついたのである。足利義満の血系を天皇にしていたのだから、誰が天皇になってもこれ以上悪くならない。 これに対して、家康はささら遊女お大の私生子で長じて弾左衛門体制に属する願人になったが、たまたま松平家の当主にすり代った。この手口が慶喜によって明治天皇すり替えプランとなったのである。国家非常の時こそ忍者たちの出番であった。 7、戊辰の戦い以後の明治天皇は孝明天皇の子の睦仁ではない。孝明天皇は岩倉の義妹の堀河紀子邸で、ひそかに便所の床下にひそんでいた伊藤によって刺殺された。岩倉が厠番(かわやばん)の非人を買収しておいたのである。ついで、その子の睦仁も岩倉に買収された朝廷の医者によって毒殺された。そのあと南朝の子孫と自称する長州麻郷の「饅頭職人」だった大室寅之祐が睦仁とすり替った。まさに長州忍法「変身の術」であった。 松下村塾ははちや忍者の養成所であった。日本全国を隠密として廻り、あげくの果てにアメリカを見てこようとした吉田松陰も、もちろん長州の中忍であった。もと石見銀山を支配していた筆頭家老の益田家に毛利家から養子が入って上忍となり、幕末、益田家老が松陰を中忍として利用したのである。 しかし、始めに天皇暗殺とすり替えをいい出したのは「成破の約」を守らんとした慶喜であった。生麦事件の前から薩摩は長州の撰夷論に反対して開国論に変わっていたが、将軍となるには幼稚すぎた家茂は、「薩摩のいいなりになるのはいやだ」といい出して慶喜を服従させ、横浜鎖港などとバカなことをいい出したから、松平慶永らはやむなく慶喜を唆かして家茂を毒殺させる。 これよりさき慶喜はひそかに「成破の約」を守って、第一次征長戦のあと長州を東北に移そうといった西郷を、勝海舟によって説得させ、勝は「幕府は人材がないから雄藩会議で共和制をやろう」と西郷に教えた。さらに勝は念を入れて、慶応元年三月、西郷、坂本と共に長崎に有志を集めて、オランダ系アメリカ人フルベッキをして大政奉還後の政体を講じさせた。そして第二次征長戦を終結する準備として、あらかじめ勝によって坂本竜馬(才谷梅太郎)を動かせて薩長同盟を結ばせる。勿論これも慶喜のさしがねであった。 (このとき撮られたのが上野彦馬のフルベッキ写真である。慶喜が証拠とするために撮らせたようである。だから後年写真好きで有名だった慶喜は写っていない。 ちなみに西郷の写真の多くが残っていないが、西郷が暗殺を恐れ、写真を焼いたためや、西郷への裏切りを明治の元凶たちがもみ消したかったのだろう。慶喜や勝などは逆に写真を公開して、明治政府に圧力をかけたようである。 西郷の銅像などがつくられたのも、裏切りへの罪滅ぼしか、記憶を消したいのだろう。岩倉や桂などは晩年、罪悪感に悩まされたようで、当然の報いだろう。) だから慶喜の第二次征長戦は長州を手なずけて寅之祐を手に入れ、同時に幕臣をなだめる為の〈失敗した〉マッチポンプであった。慶喜はあらかじめ慶永を通じて久光に対して、家茂の暗殺とそれによる解兵を告知し、このことは高杉ら毛利藩の有力者にもひそかに伝えられていた。 欧米海軍に対する薩長の敗北後、公卿たちもようやく孝明天皇の攘夷論はとても実行不可能だと判ったし、もともと北朝の天皇家が足利義満の子孫だということも承知だったから、結局、孝明天皇と睦仁の暗殺、天皇すり替えもやむなしとして、協力して国民をあざむくことになる。 ところで、慶喜が自ら望んだように雄藩会議の議長になる為には、少くとも薩長を従わせるだけの武力が必要であり、それで慶喜は借金までしてフランス式軍装を取り入れた。しかし肝心の幕軍はフランスの軍事教官が匙を投げたほどのイクジナシであった。かくして慶喜も、命惜しさに敗戦を一日延ばしにしたヒロヒトと同じ運命になった。 ところが、さきにインドの内戦を巧みに利用してインドを植民地化したイギリスは、パークスが中国領事のとき、再びマッチポンプの内乱によって巧妙に中国を支配することに成功した。 これに味を占めて、パークスはフランスに傾斜した慶喜の下では日本がフランスの植民地になる、それならいっそイギリスの植民地にしようと思案して、「開国を認める天皇の下で薩長の政府を作れ」といって巧みに西郷、大久保をそそのかした。実は内戦による薩長と幕府の共倒れを狙ったのである。柳の下の泥鱒が三匹いると思ったのは、差別主義者イギリス人のさがであった。 長州は倒幕のためひそかにためこんだ金塊を取り出して、パークスの肝入りでグラバーから一万四千挺の新式鉄砲を買って四境の戦いで幕府を撃退した。そのあと大坂城に退いた慶喜は、数の上では官軍に三倍する兵力を持っていたから、よもや烏羽伏見では負けることはない、いいところで講和できるというハラであった。しかし慶喜には金もなかったし十分なブレーンもなく腹心の手兵もなかった。ないないずくしの裸の王様だったから、情報も乏しくてこの戦いに大敗した。たのみとするナッパ隊も横浜にいたのである。 戊辰の戦いは薩長の下級武士たちが自らの私欲の為に薩長同盟を利用して、雄藩同盟の議長になることが決まっていた慶喜を排除したもので、これはのちに西郷のいう通り、「私戦」でしかなかった。 8、薩長同盟には口頭の密約があった。家茂をやめさせて慶喜が代る、孝明天皇もやめさせて大室寅之祐に代えるというもので、この条項は締結のとき極秘の口約として書かれなかったが、のちに木戸が竜馬に頼んで支障のない部分だけを文書化した。 その寅之祐は南朝の子孫と自称しているが学問的には証明できない。日本の歴史学者のいい方では、熊沢天皇と同じくニセモノになる。勿論万世一系なんてとんでもないサギであった。 6乃至8は拙著『裏切られた三人の天皇』に詳しい。 9、睦仁は女の子のように育てられて禁門の変では大砲の音で気絶してしまったが、明治天皇は鳥羽伏見の戦いでは馬上から官軍を閲兵したといい、またのちに佐賀の乱をおこす古武士の如き鳥義男と腕相撲をしても、左手では必ず勝ち右手では島が勝った。勝ったり負けたりだから八百長ではない。天皇は左利きだったが睦仁はそうではない。この種の話はいくらでもあって、誰が考えても二人は別人であった。 ある国家公務員の読者が、「明治天皇の人相は孝明天皇までの天皇とは全く異質である。これを親子関係ありとするのは信じられない」といってきた。国民が政治に無関心な、奴隷的存在であるからこそ、常識で考えられないような「天皇すり替え」も可能だったのである。あとで述べるが、前十二世紀、イエメンの王女ビルキースは長兄エニを殺害して自らエニになりすましてエハスエ王のあとをついで女王になった。これも明治天皇の替え玉事件と同じで、雲の上の出来事だから成功したのである。 10、家茂が孝明天皇にいわれて攘夷を約束しその期限を定めた為、長州はその期限に攘夷戦を始めて下関で敗北する。そのあとの薩長同盟は、「成破の約」を履行しようとする慶喜と勝海舟の命を受けて、坂本竜馬(才谷梅太郎)と中岡慎太郎(石川清之介)が周旋したものであるが、そのとき久光は慶喜を雄藩会議の議長(筆頭大老)にすることに同意していた。久光がのちに廃藩置県に反対して慶喜に政治を委せろといったのはこのためであった。 ところがイギリスは日本に内乱がおきることを狙ったから、慶喜をやめさせなければフランスの日本支配がやまないとして、「薩長だけでいう通りになる天皇を擁立して政府を作れ」といった。連合赤軍やオウムの麻原と同じ位のレベルの頭だった西郷、大久保、木戸らは舞い上ってその気になる。だからこの三人を明治の元老(元凶)という。竜馬はそんなこととはつゆ知らずに、慶喜が望んでいた大老というエサで慶喜に大政を奉還させる。 (薩長が土佐藩が大政奉還で新政府に台頭するのを毛嫌いし、龍馬と慎太郎を殺して、慶喜を騙す。薩長の裏切りで、慶喜は当てが外れ、土佐藩も失脚するが、藩主を隠居させ、討幕に旗色を変えて、薩長に従い巻き返す。関ケ原の小早川のような役割。) 慶喜も口先では攘夷といっても、「朕の本心は戦争はいやだ」などという二枚舌の孝明天皇にホトホト見切りをつけ、伊藤の天皇暗殺を見て見ぬふりをしてひそかに「成破の約」による南朝革命を実行していた。 すなわち薩長同盟の真の黒幕は天皇暗殺を許し、自らは家茂暗殺にふみ切った慶喜だった。賊将とされた慶喜がのちに薩長藩主と並んで公爵となるのはこの功績による。 しかし慶喜の奇策は慶永、久光というパイプで藩主レベルでは認められたが、当然、下級武士たちには十分説明されなかったし、岩倉は「慶喜なんか石田三成と同じ役割をやらせてから殺してしまえ」といった。三成が関ケ原で戦ったから徳川の天下ができたことをいうのである。 幕府が鎖国したとき長崎だけを開港したため、朝鮮との貿易を担った長州と、沖縄の密貿易でかせいだ薩摩の他、長崎を担当した肥前、肥後などは集中的に先進文明を吸収した。薩摩の実力は一藩で幕府と拮抗していたし、長州もためこんだ黄金で洋式武装が可能であった。 しかしこういう状勢ですんなり慶喜を新政権の親玉にしたのでは、尊王反幕で一貫した長州はともかく薩摩藩士には出る幕がない。そこで西郷はパークスの指令に従って慶喜を追放することに決して江戸では御用盗を働かせ、関東地方ではあの国定忠治の子供までも動員して幕府を挑発する。 慶喜の大政奉還を悦んだ案や三条べったりの中岡は薩摩と岩倉の邪魔になった。のちに西郷のいった通り、戊辰の戦いはイギリスの兵器供与を当にして薩摩の手柄を作る為に慶喜を裏切った「私戦」であり、東北戦争は長州の私怨と土佐の功名の為の「私戦」であった。 かくて維新政府は封建制度のシンボルであった慶喜を排除して薩長が支配する軍閥と藩閥の政権になったが、行政能力なき下級武士を登用した為に大混乱が生じて、農民一揆の絶え間がなかった。 11、鳥羽伏見の戦いも東北戦争も官軍に錦旗が翻った為に幕軍が敗れたというが、そんなことはのちの世の作り語で東北連合にも錦旗はあった。慶喜が官軍を恐れたのは錦旗のためではなくてユニオンジャック(英国)のためであった。錦旗をいうなら、先に長州は賊軍であったが四境の戦いで勝って官軍に変ったではないか。勿論そのためには天皇のすり替えが必要であった。 (ちなみにユニオンジャックとは、バックミンスターフラーがその著で明かしているが、「乗っ取り協会」のことで、ドリールの書から、その祖先が第10番惑星の蛇人であることがわかる。地球を乗っ取るということである。宇宙の寄生種というべき存在である。連中が指導者に成り代わり、人類を度々奴隷化してきたことは、ドリールの書に書かれている。) そうはいつても、幕軍は命惜しさの烏合の衆であり、長州奇兵隊は寅嘉の為には全員が命を捨てようとする決死隊であつた。幕軍は官軍の十倍もいたが殆どが刀槍の兵だったから、イギリスから買った銃器で武装した長州には敵しえない。 長州はここで敗れればあとはない。しかもイギリスの通訳アーネスト・サトウは大政奉還の時に「これで慶喜は終りだ」といっていた。イギリスは倒幕戦のプログラムを承知して支援することにしていた。 彰護の戦いの時も、幕軍は遠くからアームストロング砲を発射されただけで全員潰走した。 大砲で攻撃されるのは判っていたのにそれに対する備えをしない。水鳥の羽ばたきで逃亡した平家と同じであり、ソロモン海戦でアメリカの爆雷で全滅したとき、どうして沈没したか判らなかった日本海軍と同じであった。しかしヒロヒトの海軍とちがって、慶喜、大久保一翁、勝などは、こんなことを知っていたからこそ、始めから天皇すり代えしかないとしたのである。 だいたいこの時代の天下戦といっても、数千人の決死隊とすぐれた洋式装備があれば勝てた。 長州の奇兵隊も始めは百人単位のものであった。慶喜はかつて三千人の天狗党を見殺しにして処刑させ、わがものにすべき唯一の戦力を解体した。それはのちのヒロヒトの二・二六事件における青年将校の処刑に始まる皇道派の一掃と同じものであった。 しかし慶喜も勝も天皇すり代えの発案者だったから、それをもち出してシャベらないと約束すれば命だけは助かる。西郷が横浜のイギリス公使パークスにいわれて降伏を受け入れたという。 (江戸無血開城の真相。つまり、イギリスにいわれて明治帝をすり替えて、日本をイギリスの植民地にする薩長の悪事のこと。 勝はイギリス公使館に行き、イギリスが内政干渉をしていることを国際法で問いただし、イギリスがその気なら、慶喜をフランスに亡命させ、フランスを味方にして、イギリスと交戦すると脅したと同時に、もし薩長軍が江戸を総攻撃するなら、薩長軍が江戸に侵入したとたんに、江戸の各地を焦土と化すようにするが、それではイギリスの貿易にも支障が出るだろうし、また清国と組んで、イギリスのアジア支配の経済拠点とする目を摘むと脅した。 そして、西郷には、あらかじめ、幕軍を江戸の郊外に集めておくので、そこを攻撃し、江戸の経済拠点を攻撃しないように促し、土地を買い占めて、後の徳川家の資産にしたようである。その資産で、徳川家は貴族に復帰する。しかし、勝のせいで、このときから、土地が税金になり、土地成金が生まれた。 この戦で、後の経済について考えていたのは、勝海舟だけである。) それもあったろうが、慶喜の沈黙の約束を信じたからこそであった。 武家と軍閥の歴史(二) 12、明治維新は成功したがその始めは多くの路線対立があった。岩倉ミッションはもともと木戸と岩倉がいっていた征韓論を主張して、国民皆兵による帝国主義的侵略戦争に参入することに決して帰国した。さきに西郷と薩摩の軍隊は廃藩置県で旧領主たちに恨まれていたから、西郷らをその毒にすることは、伊藤や岩倉だけでなく権力志向の大久保たちも一致して賛成した。 (征韓論を西郷らに押し付け、仲間を裏切った連中が明治の悪の元凶たち。いまは地獄にいる。) 明治天皇もかつて岩倉や伊藤らのいうまヽに、自分を天皇にした慶喜を裏切ったのと同じように、西郷を裏切った。天皇はこののちも伊藤に従って大隈を裏切った。常に臣下を裏切る王であった。これこそパペットの宿命であろう。 かねて西郷は戊辰の私戦を反省してこの国の未来を危倶していたが、自ら入れ込んだ明治天皇が二枚舌を使って、岩倉や伊藤たちの謀略に賛成して自分を裏切るのをみて、天皇の資質に絶望して下野した。自分がやめれば天皇が反省するとでも思ったのか。オー・ノーである!パペットの天皇が反省するわけはない。 13、大久保が川路大警視に命じて西郷暗殺団を送りこみ、かれらが逮捕されて白状した為に私学校兵団の叛乱がおこった。このとき木戸はしめたとばかり、大久保に対して「私学校の兵力を失うのは国の損失だ。バカなことをやった」といって怒ってみせた。川路は木戸にあやまったらしいが大久保はあやまらなかった。 かくて木戸は「大久保を排除しなければ国が危ない」といって、伊藤にそのことを命じた。 伊藤は陸奥にまず大久保暗殺を計画させたらしいが、陸奥が失敗したあと、川路に命じて大久保の警備をさせなかったと思われる。恐らく伊藤はかれの完壁な情報網によって島田一郎らの動向を知っていたのであろう。伊藤の情報網に綻びが見えるのは跡目になれなかった伊東巳代治が反逆したあとである。 14、明治十四年、大隈重信は薩長専制を嫌ってイギリス型憲法の刷定を主張したが、伊藤は大隈から憲法制定の功を奪うために、あえてプロセイン型憲法を主張して、岩倉と明治天皇をまきこんで大隈を追放した。幕末から日英同盟に至る英国モノマネ路線を一八○度変えてこの国の奴隷制度を確立したのは一人の伊藤の功名心のためであった。 15、そして伊藤は内政の失敗を戦争で糊塗しようとした。陸奥がイギリスと不平等条約の改訂を交渉した時、イギリスは「日清戦争と引換えなら改訂する」といい、伊藤はそれを承諾した。イギリスはかつて薩長と幕府の共倒れを狙ったが、この時も重ねて日本と清国の共倒れを狙ったのである。バカの一つ覚えであったが、伊藤はそれを承知して条約改訂と同時に日清戦争を行った。 その結果、日本が倒れなかったから、イギリスはさらに日露戦争によって日露の共倒れを策す。 しかし、戦後、明治天皇は猿山のボスのようになった将軍たちとともに、火力重視をやめて肉弾主義を採用した。兵隊の生命はサル並というのである。これは陸軍の弱体化、ことに天皇直属の参謀本部腐敗の原因となり、ついにヒロヒトに至って陸軍を全滅させる。 伊藤博文を暗殺したのはのちに朝鮮の英雄となった安重根ではなく、ロシア陸軍の狙撃兵であった。伊藤とその仲間たちに対する弾痕を合計すると十二発で、七連発の安のピストルの弾丸よりも多かった。かつて閔姫虐殺のとき、伊藤は真犯人をかくして関係ない朝鮮人を犯人にしたてて処刑させたが、安重根もこの手で犯人に仕立てられた。このことをいうと朝鮮人の間では評判が悪いが、事実を事実として認めなければ真の友好はない。 (後にMI6から、ケネディの暗殺に使われた。悪魔は利用価値が薄れると平然と殺しをやってのける。利用者は悪魔に魂を売って人類支配に手を貸したのだから自業自得で、死後もその罪悪は地獄で苦しむ。だから、悪魔に魂を売るなかれ、とキリストは何度も戒めている。) 9乃至14は拙著『日本王朝興亡史』『日本侵略興亡史』に詳しい。 17、天皇ヒロヒトの皇后になった良子は実は学習院の上級生だった難波大助の愛人であった。人前で口がきけないような弱虫だったヒロヒトに、良子の一族が良子をおしつけたために、「オレの女を取りやがった」と怒った大助が虎ノ門でヒロヒトを襲った。その時大助は伊藤がイギリスで買って来た空気銃を天に向けて撃っておどしただけであった。 しかし真相の暴露を恐れた政府は、大助は共産党の秘密党員だなどというデッチアゲをやって大助の経歴まで抹殺して、すみやかに処刑してしまった。 さきに大久保が江藤新平をさらし首にしたことといい、のちに下田歌子のスキャンダルをあばかれた腹いせに、歌子と情交した山県が幸徳秋水、堺利彦らを処刑させたことといい、日本の司法はしばしば不法なる権力の忠実なる番犬であった。 18、二、二六事件で命をとられそうになったヒロヒトは、そののち常に自分の身の安全を第一に考えるようになった。 ノモンハン戦争で小松原師団配属の砲兵旅団にいた鷹司中佐が敵前逃亡し、さらに東中尉こと、ヒロヒトの長女の婚約者であった東久迩宮盛厚がソ連軍の捕虜になったため、これらの事実を秘匿すべく、大敗のまゝでソ連と和睦して盛厚をとりかえし、さらにその秘匿を完全にするため、そのとき戻された捕虜の将校をすべて自決させた。作戦の拙劣を非難されることを恐れた参謀本部もこれに同調して、捕虜抹殺に協力する。こののちヒロヒトを長として聖域化された参謀本部の腐敗によって国軍の弱体化は眼をおおうばかりになった。 どんな組織でも頭が腐敗すれば何もできない、いま日本の警察もグリコ事件以後失敗ばかりだが、聖域ができたためにキャリアの部分が機能しないからである。ちなみにグリコ事件の迷官入りは被害者側の佐賀コネクションが、公安審査会にいた同じ系統のボスMなるものにもみ消しを頼んだからだという。またグリコのあとでおどかされた某社はひそかに十億円を払ったという。権力の内部にひとたび聖域ができるとそれは無限に増殖する。国松孝次警察庁長官が狙撃された事件でも、早川某というオウムの幹部が「アッチから頼まれているヤツラの世話をしないといけない」といって、某国の手先が狙撃したことを仄めかしたが、今やこの某国もまた聖域なのである。オウムが自衛隊にもぐりこんで情報をあさっている目的は何のためか。 19、これも廣橋興光氏の言であるが、日本軍が第二次世界大戦でシンガポールを陥落させた時、ルーズベルトはひそかに日本に講和を申し込んだという。 東條は陸軍の撤退を準備して天皇ヒロヒトに終戦をすすめたが、ヒロヒトは二、二六事件の時の生命の恐怖から、軍人のテロを恐れて継戦を命じた。このとき東條はすでに戦線の縮少を考えて兵力の撤退を計画していたが、ヒロヒトの命令で逆に戦線を拡大しそれがやがて命取りになる。これが東條の敗戦責任のポイントである。 20、さらに硫黄島を失ったときでさえ、アメリカは「日本が降服すれば満州は日本に任せる」といったが、ヒロヒトは軍人のテロを恐れて何の決断もできなかった。 クラウゼウィッツは「一頭の羊が率いる百頭のライオンは、一頭のライオンが率いる百頭の羊に敗れる」といったが、この時のヒロヒトは恐怖心だけに支配された羊であった。こんな臆病者が最高権力者では国家は亡びるに決まっている。こう考えると、維新の時に「玉を取る」といって天皇を替玉としてすり替えたのは一時逃れの失敗策であった。 もちろん天皇ヒロヒトでなくてジンギス汗、せめて信長程度の指導者がいれば、日本は勝てはしなくとも負けはしなかった。天皇制こそ差別の体制であり、一億の日本人が十億のシナ人を差別しながら支配することなんか出来はしない。天皇をかついで侵略戦争をやっても敗北するにきまっていた。しかし、仮にジンギス汗のような指導者がいても、日本のアジア支配はジンギス汗の元と同じように、長くは続かなかったであろう。 戦後の日本は家康の鎖国令を再びとり戻したような政治をやってきた。 21、マサチューセッツエ大教授のジョン・Dダワーは米国の公文書館で天皇ヒロヒトの発言を見出した。 1.天皇は「日本人の心にはいまだに封建制の残澤がたくさん残っている。それも根こそぎにするには長い時間がかかるから占領は短かすぎない方がいい」といった。 2.「神道を奉じる分子とその同調書は反米的だから警戒を要する」といった、というものである。 ヒロヒトの発言は決して日本国の象徴たるものにふさわしいといえない。まさに偽帝の言というべきである。 イギリス人スターリング・シーグレツプは『The Yamato Dynasty』の「第十章、汚れた手」の中で、「敗戦直前、昭和天皇の側近たちがひそかにスイス銀行に財産を隠匿した」と述べている。じじつ、横浜正金銀行の株式の二二%はヒロヒトの名義であった。 かれはいう。 「膨大な戦利品の一部は潜水艦によって南米に運ばれ、スイス銀行ブエノスアイレス支店から入金された……マッカーサーはこのことを知っていたが敢えて知らないふりをした。計算するとその財産は四千億ドルであった」と。 マッカーサーが承知して知らないふりをしたというのは汚職である。 ヒロヒトがマッカーサーを買収したという噂の真偽は、今となっては調べようがないが、火の無いところに煙は立たないという。 ★ ★ ★ 後半の部分はイギリスの二枚舌外交をみれば、イギリスの情報リークだろうから半分半分で聞いておくのがよい。昭和帝だけでなく、戦争に関わって儲けたロスチャイルドやロックフェラーなども同類である。皆地獄にいって人間を一からやり直しさせられる。 しかし、日本史だけみていてもわからない。世界史をみて、日本史をみないと真相はみえてこない。ついでに宇宙史もみないとね。信じるか信じないかはあなた次第!
2016年10月21日
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最近この国の巷の出来事をみているとは、この国がゾンビ化しているように感じる。 で、「ゾンビ」をウィキで調べてみる。 ★ ★ ★ 伝統的な施術 この術はヴードゥーの司祭の一つであるボコにより行われる。ボコの生業は依頼を受けて人を貶める事である。ボコは死体が腐り始める前に墓から掘り出し、幾度も死体の名前を呼び続ける。やがて死体が墓から起き上がったところを、両手を縛り、使用人として農園に売り出す。死体の魂は壷の中に封じ込まれ、以後ゾンビは永劫に奴隷として働き続ける。 ★ ★ ★ どこかのブラック企業の100時間残業を彷彿とさせる。奴隷の如く働かせることを称賛するような発言をした非情なゾンビ化を推奨する教授もいた。 この国の国民は政府がしでかした1000兆円もの借金を返すためにゾンビのように奴隷として働かせられている。 「何も考えるな。働け」が連中の言い草である。 ブルースリーは「考えるな、感じろ」といったが、ブラッキーは、「考えるな、働け」である。 この国の惨状を表す話をお馴染みのサイトから紹介する。 ★ ★ ★ 渾沌堂主人雑記{大日本国終焉日記} http://tyuubukou.blog.shinobi.jp/%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%90%91%E3%81%91/%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%83%BB%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%80%80%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%98%BF%E5%91%86%E5%8C%96%E8%A3%85%E7%BD%AE%E3%80%82%E3%80%80%E3%80%80 学校・会社・・ 日本人阿呆化装置。 酔生夢人のブログ より 上記文抜粋・・・・・・・・・ 集団悪と、集団悪を肯定する思想 まあ、会社の気風と会社モラルの問題だよね。 新入社員に花見の席取りを強要するとか、いろいろな会社でいろいろな理不尽がまかり通っている。部活で、先輩が新人を奴隷扱いする、とか、そういう「組織のモラル」という点で、日本はおそろしく野蛮な国ではないだろうか。 怖いのは、奴隷的存在の人間まで、それが当然だ、とか、それが自分を鍛えてくれるから受け入れるべきだ、と思い込むことである。 99人が肯定し許容するなら、1人の犠牲者は問題なし、という思想。 しばしば、犠牲者のほうが「問題が水面上に出たことで組織に迷惑をかけた」悪だ、と見做されさえする。 (夢人追記) なるほど。日本の企業はそういうゾンビ社員によって動いていたのか。そりゃあ赤字でも経営し続けるゾンビ企業が増えるのも当然だ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 抜粋終わり 「体育会系でなく、軍隊系。」という話を見る。 体育会なら、「実力・結果の出た奴は、後輩でも新入りでも、評価され上位につけれる。」 軍隊も、実はほぼ同じ。 でも日本では違います。 「先輩は神様です。上司は神さま以上です。」 これは軍隊ですらありません。 牢屋や、やくざです。 で、体育会系でなく「やくざ系」が今の日本です。 で、やくざ系ゾンビが従業員の日本企業の生産力が上がらないのは当然です。 お読みくださりありがとうございます。 ★ ★ ★ ゾンビ企業に国を乗っ取られ、ゾンビ国家になっているのが、この国の現状である。 さて、ゾンビといえば、従来の概念が通用せずに、世の中どこかおかしい、という現象が多発していることに誰もが気づくはずである。 世の中どこかおかしい、のを端的に気づかせてくれるのが、最近話題の以下の「ピコ太郎」である。 ★ ★ ★ ピコ太郎の本当の年齢は43歳 http://my.shadowcity.jp/2016/10/43-2.html https://youtu.be/0E00Zuayv9Q ピコ太郎が大ブレイク、というんだが、どっから湧いて来たんだ、と思ったら、実は芸歴25年、芸人仲間では「天才」と呼ばれるお笑い芸人だそうで。もっとも仲の良い爆笑問題の田中に言わせると、「楽屋真打」だそうでw 楽屋では誰よりみんなを笑わせるが、舞台に上がるとそれを一切発揮できない、というタイプw ほとんど売れてないので、一時はお笑いを諦め、クラブのDJをやっていたw なので、今までのリズム芸人と違って、音も自作です。 ピコ太郎 ガルアワ出演はややウケ パンチパーマにヒョウ柄に失笑も 意味不明な動画「ペンパイナッポーアッポーペン」が世界で2億回以上再生され、7日に134カ国での配信がスタートした謎のシンガーソングライター・ピコ太郎(53)が8日、東京・代々木第一体育館で行われた「ガールズアワード2016」にシークレットゲストとして出演した。 ヒョウ柄のジャケットにパンチパーマ姿でステージに上がると、会場からは失笑が。 「ガールズアワードのみなさん、こんにちは。ありがたまきこうじ。PPAPをやりに来ました」とあいさつし、話題曲をダンスとともに披露したが、約3分間の"ショー"は"やや受け"だった。 7日に有料配信を開始し、レコチョクほか10の音楽配信デイリーチャートで1位を獲得している。 もともとは8月25日にYouTubeでひっそりアップされた約1分の動画が、9月末にカナダ人歌手ジャスティン・ビーバーが「お気に入り」とツイッターで紹介したことで大ブレーク。 初の"大規模ライブ"を成功させ、ピコ太郎自身「世の中おかしいですよね」と、自らの人気の爆発ぶりに戸惑いを隠せなかった。 まぁ、当然、仕掛けがあるわけです。こんなもんが突然、ブレイクするのには。エーベックスだし。ただ、下積みが長く、実力もある人だし、アタマも悪くないので、売れれば生き残るかも知れない。ちなみに、この人の兄は銀行員、弟は東大卒の学者です。 ★ ★ ★ 第2のカンナムスタイルと海外では呼ばれているらしいが、国内では、ネズミ先輩、ハードゲイのHGならぬ、どこかホモっぽいのでソフトなホモを彷彿とさせ、一発屋の匂いもするが、巧くいけば、音楽にお笑いを融合したテクノラップという新しい分野を切り開く可能性もなきにしもあらずか。 ミュージシャンのボブディランが、ノーベル文学賞を受賞したのだから、芥川賞を受賞した芸人もいるのだし、文学と音楽とお笑いが融合して新分野を切り開くこともありえる。 このピコ太郎なんか、千葉出身の設定のようだが、ルックスは大阪によくいるオバサンで、男か女かよくわからない得体の知れないものなので、なんだかわからないので、笑うしかないというキャラが恐らく受けているのだろう。 あえて哲学的に解釈するなら、ペンを陽に、アップルを陰に置き換え、陰と陽を合わせて、新しいペンアップルという現実が生まれる、というような、ヘーゲルの弁証論の正反合の新しいパフォーマンスともいえなくもない。それを続けると、陰陽五行や易経が出てくるという解釈もできなくもないがちょっと無理がある。 アメリカ大統領選挙が話題だが、ヒラリーとトランプを合わせて、ヒラリートランプになっても、ババ抜きしかできないトランプじゃ、ジャックが恋しいアメリカではいずれにしろ飽きられ賞味期限切れも時間の問題だ! 全くいまの落ちぶれた米国大統領選挙ほど意味不明な、理解不能なものはない。北の独りよがりな放送を見ていた方がまだ笑えてマシである。 意味不明な、理解不能なものに出くわすと、人は笑うしかなくなる。 ピコ太郎は、現代が意味不明な、理解不能な変革の時代であることを気づかせてくれる。 現代が意味不明で、理解不能なことをよくわかりやすく解説してくれるエッセイストが、毎日TVでみかける、男か女かよくわからない、マツコデラックス氏であると、最近理解できるようになった。 池上彰氏は一見わかりやすいように解説しているが、あれは古いやりかたなので、かえって時代を見えにくくしている。建前や詐術に近い。結局、困ったときは専門家に聞けというスタイルを通している。現代は専門家の理論など通用しないことがわかっていない。 対照的に、マツコ氏が、現代を的確に表現していることは、次に紹介する本でよくわかる。 ★ ★ ★ マツコ・デラックス著 〝続・世迷いごと” http://kinue-m.cocolog-nifty.com/17/2014/03/post-3234.html 内容紹介 女性タレントを“愛ある毒舌"で語りまくった前作『世迷いごと』。続編である本書では、新たに男性タレントも追加。木村拓哉やをはじめ、ダルビッシュ有や斎藤佑樹といったスポーツ選手、橋下徹大阪市長をマツコ独特の観点と感性で激語り。世の中を斜めに見ているだけの毒舌や、通り一遍の悪口では決してなく、一本筋の通った理屈と多くの人が共鳴するであろう感性が詰まった、マツコ・デラックスの真骨頂というべき「タレント論」の傑作! テレビに彼女(彼?)が出てくると、私はいつも、観てしまう。頭のいい人だなぁ、、、って尊敬しています。少し古い本なので、話題もやや古いのですが、それはそれで、また面白かった、、、 やっぱり、さすがです、マツコさん、、、 ★★★☆☆ 以下に本文より、心に残った一文を転記します。 日本では大震災が起きて、欧米も経済危機で国が潰れそうな状況の中、私たちがしなきゃいけないのは、この先、自分の生活スタイルや考え方を見つめ直して、どうやって生きていくか、を決める作業だと思ってる。 (専門家の意見などに従っていてはダメと断定している。) 自分の生活で、正さなきゃいけないところは正し、頑張らなきゃいけないところは頑張り、我慢しなきゃいけないところは我慢する。 国や市町村の長に「何とかしてくれ」と文句をタレたって仕方ないの。 (国や市町村の長は単なるお飾りで、無能の存在で、ただ国民の税金にタカルしか能がない地獄行きの連中。) どっちにしろ、今は強いリーダーなんて必要ないと思う。 ひとりの人間にすべてを委ねるのって、ホント、危険。 (無能のくせに有能ぶるから、益々世の中がダメになる。) 今、求められているのは、皆がそれぞれ知恵を出し合う中、それをうまくまとめられる人なのよ。 (人心をまとめる能力。日本史でいえば、西郷さんのような存在。西郷さんは強いリーダーではなかった。大久保は強いリーダーだったが、結局ついていくものはいなかった。) そもそも、今の時代、責任を持ってる人たちが、それぞれ自分の仕事さえちゃんとできれば、リーダーなんか必要ないとも思う。 (西郷さんのような人物は現代では無理。) 一人にすべてを委ねるんじゃなくて、各々がどうするかって考えて、それぞれの個人の主義主張と言うものの集合体で国を動かしていくしかないのよ。 「ハイ、右に行きます」「左に行きます」とかってかじ取りをだれかに任せて、どうこうなる状況ではないんだよね。これ以上、おかしくならないように、ひとり一人頑張って、最低限、社会保障だけ国にやってもらえればいい。 働けない人や苦しい人たちを助ける作業を国にやってもらい、自分で生きられる人は、頑張って生きようって話よ。 でもこういった論調というのは、票集めにはとっても不利なのね。勇ましいことを話したり、仮想敵を作って戦う姿勢をみせたほうが、わかりやすくて頭にスンナリ入るもんね。 でも誰かがこのことを言い出さないとダメ。 皆、何か超劇的大変革みたいなことが起きるって、まだ信じているからね。 人間だれしも、長い闘病生活なんかしたくないのよね。体を壊したとき、医師から「治るのに五年かかるか、十年かかるかもわからない。もしかしたら、病気とは一生のつき合いになるかもしれないけど、地道に頑張っていきましょう」と言われるのは嫌だよね。 一方、目の前に薬を置かれて、「まだ許可されていない劇薬ですが、勇気をもって飲みましょう。そうしたらすぐ元気になります」と言われたら、飛びつきたくなるでしょ。 でも、今の日本と世界は、劇的な特効薬とか天才医師の外科手術で治るような症状ではないんだよ。 漢方薬でじっくり体質改善をしていかなきゃならないの。そんな特効薬ないんだよ。 みなさん、冷静に考えようよ。 ★ ★ ★ いまのこの国はガンの状態で、このガンに劇薬は必要ない、巧くガンと付き合って死んでいくしかない。あんな馬鹿を連続して総理にしてしまった責任は国民皆にのしかからずを得ない。日本人でいる以上は、この負債を請け負わないといけない。 この本には、また、「選挙のとき、『誰がやったって一緒だよ』といい放つ人が多いけど、誰がやっても同じなら、誰の意見でもきちんと聞く人を選ぼうという発想にならなきゃダメだよ」と、なるほどその通り、と言いたいことが書かれてある。 そもそも「誰がやっても同じ」なら、選挙する意味すらないのではないのか? 誰がやっても同じなら、一番、貧しい人を総理にして、ホームレスを政治家にして食わせてあげればいいのではないのか? 誰がやっても同じではなく、選んだ人が多くの人に幸福を与えるような選挙を考えないと人類は益々ダメになるだけである。 誰がやっても同じなんて言ってる暇があったら、いまのバカ政治家を批判して、国民の声に耳を傾け、マトモな人間になるようにしないと、この国はどんどん奈落の底に堕ちていくことだけは確かなんである。
2016年10月15日
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最近、巷では水素水なるものが流行っているが、水素についてシュタイナーは以下のように語っているので、紹介する。 http://1861steiner.blogspot.jp/2016/02/3.html 以下抜き書きし、改変した。 ★ ★ ★ ■水素 物質界は、霊界から完全に孤立し、分離してしまっては存在不可能で、物質界と霊界をつなげるものがある。地上で物質として生きるものすべては、霊界に還り、言わば霊界で純化され、浄化されなくてはならない。 生物の繊細な構造は、単に地球上だけでなく、宇宙においても再び消滅できなくてはならない。 霊は消滅しないが、霊が引き寄せた生命維持のための酸素、霊が構築した炭素は消滅する。 物質に対しても、霊に対しても、水素とその化合物が、その消失を仲介する。 (物質科学的状況証拠:水素の原子量が最も小さいことや星間物質として知られている。) 霊は炭素、窒素、酸素を用いて物質化し、その物質体の中のアストラル領域で生き、さらにアストラル領域に自我(意識=意志)を投影し、物質の形で、物質に変容した霊として生きている。 しばらくすると、霊にとって、物質体は、居心地が悪くなり、霊は自らを物質から解放しようとする。このとき霊は、イオウを利用しつつ、霊にも、物質にも非常に近い水素を必要とする。水素内では霊はあらゆる規定や構造から離れ、渾然一体たるカオスの宇宙空間に入り込む。 形態を与えるもの、命を吹き込むもの、アストラルな(輝く星)もの、すべてを水素は霊界=宇宙の彼方の高みにまで運ぶ。これによって、霊界から再びアストラル(輝く星)が取り込まれるように作用する。このように水素はすべてを解消する。 五つの元素、イオウ、炭素、水素、酸素、窒素は、生や死の領域で作用し動き回っている。これらはある特定の種類の霊と内的につながり、通常の化学的知見とはまったく違う。 ★ ★ ★ 次に、元素について、人智学的医術を再度紹介する。 ★ ★ ★ これまで述べてきた注意事項は、地球や宇宙(霊界)の環境への人間の適応について基礎とすべきものだったが、どちらかといえば時間というより、空間の性質のものだった。この空間の性質を、時間と結びつける必要がある。 なぜなら、人間を、時間的に、人生全体において観察すべきで、すなわち、人生には、いわば、子供期、成人期、老人期があり、この3期間が、人体の個々の器官組織と関係し、人生を形成するからである。 これまで獲得してきた知見を、更に超感覚(霊)的な事象と結び付ける必要がある。そうすることではじめて、個別の観察にアプローチできる。 特に注意を喚起しておきたい事項は、子供の教育において、誕生から歯の生え変わり(大体7歳)までの期間と、歯の生え変わりから性的成熟期までの期間といった年齢差の考慮や、医療の診断に、人生全体を考えること、つまり誕生から死までを考慮に入れることである。 既に述べたような人智学者の慣用表現を用いる。その後、最終的には、一般人にもわかるような易しい表現にまで到達できればよいだろう。 子供の観察の際に、明確に知っておくべき事項とは、幼児期(7歳あたり)を過ぎてから、人智学の表現でいう自我やアストラル体内の機能が加えられる事実である。この機能は、幼児期を過ぎたあたりから器官組織のなかに加えられた後、弾力性に富ませ、柔軟にするとともに実際に活動していく。 従って、幼児期を過ぎた頃から、高次の機能が低次の機能に加わることに関係した障害が現われてくる。この障害は特に7歳から14、15、16歳にかけての年代で、性的成熟を目指してエーテル体が物質体に対して優位な立場を獲得する時期に相当する。 このとき、物質体とエーテル体の弾性力が噛み合わない可能性が様々な形で出現する。実際、本質的な意味で、アストラル体の課題は、物質体とエーテル体の両者の弾性力に均衡をもたらすべく働きかけることなのである。 物質体とエーテル体が共同して働かないときは、アストラル体の力を強化する必要が生じる。その際に、アストラル体が十分な力を持たないと、外科(物質)的な処置等が必要な症状が現われてくる。従って、7歳以降に、例えば舞踏病[Chorea]のような、物質的に、弾性力を放出するような症状が現われてくることがわかる。 舞踏病 http://100.yahoo.co.jp/detail/%E8%88%9E%E8%B8%8F%E7%97%85/ ハンチントン病 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E7%97%85 以上のような、器官内で起こる症状の他に、心的な障害を伴う疾患全般は、物質体とエーテル体の弾性力の調停という、アストラル体が通常行なうべき活動に関係する。 更に、妊婦にも、舞踏病と同様の症状が現れることから、その原因がわかる。というのは、妊娠によって、物質体とエーテル体の弾性力の調和が妨げられ、7歳以降の成長に必要なアストラル体の調和力を、妊婦が必要とするからである。 (誕生~7歳までが物質体形成期、7歳から14歳までがエーテル体形成期、14歳から21歳までがアストラル形成期なので、7歳から21歳までの時期に、アストラル体の調和力が問題となる。) 従って、14歳頃の子供や、妊娠に付随するような病気には、アストラル体の力を強め、アストラル体の機能が、物質体とエーテル体の弾性力に均衡をもたらせるような薬を探す必要がある。 このため、年齢を考慮に入れるのが大切で、例えば、多発性関節炎[Polyarthritis]やそれに類する症状を呈する疾患の本質的な発病時期が、14、15、16歳から20歳の終わりであることが、アストラル体の調整力との関係からわかる。 多発性関節炎 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E7%99%BA%E6%80%A7%E9%96%A2%E7%AF%80%E7%82%8E この時期にはアストラル体が、物質体とエーテル体に対して正しい関係に位置づけられる必要があるため、例えば、14歳を過ぎても、アストラル体の準備が不十分なら、正しい関係を構築できない結果として、この時期から症状が現われてくる。 重要なのは、時間の概念を、病気の研究のなかに取り入れることである。一面的な表現だが、治療法を容易に発見できるように、自然は、人体を構築したような前提などは存在しない。 人体は、治療法を楽に発見できるように構築されてはいない。現代では、あまりに容易な治療法の発見が期待されすぎている。 (例えば、がん細胞を除けば、がんを治療できるという思い込み。) 「類似の疾患は類似の治療法により治癒される」という原則は、ある意味では正しい。しかし、治療法が発見された病気に対して、類似の病気は、別の年齢では、また別の病気となる。 例えば、20歳以前に、ある病気を引き起こした薬が、20歳以降では、治療薬にもなることがある。従って、しばしば主張される「類似の疾患は類似の治療法で治癒できる」という説では、年齢を考慮にいれないといけない。 しかし、健康や病気を問わず、人生全体に注目するなら、重要なのは、人間は、いわば過去と未来という2つの互いに対極から成る現在という時間に生きる事実にある。若い頃は、中年とは全く別の影響に曝されている。 中年以降(42歳から)になると、以前述べた事実に従って表現すれば、太陽より上位の惑星(火星、木星、土星)の影響を多く受け、若い頃(21歳まで)には、太陽より下位の惑星(月、水星、金星)の影響が大きくなる。そのなかでも、月の影響は比較的早く、明確に現われてくる。 (シュタイナーの教えたこと32 http://www.megaegg.ne.jp/~moon/steiner25.html) 人生の考察にあたり、上記の影響から、常に空間を時間に結びつける必要性が示される。空間を時間に結びつけることではじめて、人生に現われてくる様々な現象を正しい光のなかで見れるようになる。そして、正しい光のなかで人生を認識するための個別な治療法についても少しずつ触れていく。 人間に作用する天体の影響は、実際には、根本において誕生前、つまり受胎前から既にはじまっている。例えば、私(シュタイナー)が、受胎前の人間の霊魂を研究していた際に、「医学書のなかでよく用いられている”原因不明の”という表現の『原因』を正しく指摘できない病気が多いのは、なぜなのか」と自問したことがあった。 原因が不明なのは、次のようなことに全く注意が払われていないためである。 以前示した地球外の様々な天体力による複合作用は、誕生後だけでなく、受胎(受肉)にも影響を与え、誕生後と誕生前で、その影響が逆転に転じ、反対の作用を生み出す。すなわち、受胎前から本質的(遺伝的)な影響を与えた作用は、受胎後、特に誕生後に反対の作用を生み出す。 従って、人生のなかに観察できる誕生後に現われてくる作用は、受胎前の自然との関係のなかで既にあった作用に対する反作用となる。 (つまり、誕生前の作用と、人生の作用は相反する。また、死後、この世で行った行為や築いた関係のうち、天に受け取られなかったものは、天に持ち込むことはできないので、あの世においていき、再び、転生したときに、受け取ることになる。 端的にいえば、欲望を全て捨てていかないと、天にはいけない。非道徳的行為や関係は、死後、天に持ち込むことはできずに、あの世の欲界にて、捨て去らなければいけない。捨て去るのが非常に困難なので、欲界が、地獄と化すわけである。 再び、転生したときに、捨て去った行為や関係を拾うことで、逆転した行為や関係を背負う。例えば、人生で誰かを殴ったなら、死後、殴られたその誰かの痛みを大体三倍味わい、殴りたい欲望を捨てないと、天にはいけない。 捨てられない場合は、次の人生において、殴られる立場を経験しに生まれる。だから、人間は、過去の自分の行為や関係、つまりカルマを解消するために生まれてくる。基本的に、霊魂の能力とは、自分のためではなく、誰かを幸せにするためにある。だから、金持ちは、自分ではなく、多くの人に金を分け与えないと天にはいけない。) 上記の内容は、特に骨化[Ossifikation]や硬化症[Sklerose]との関係にも大いに関わり合っている。骨化や硬化の作用も、本質的には、その反対の作用を受胎前に既に(遺伝的に)宿している。 骨化及び硬化の作用は、受胎前の、いわゆる肉化(破骨)や軟化の作用に対して、調和のとれた正常な器官を形成するために、人間のなかで、対極的な(反対の)作用を及ぼす。 上記の事実に注目することが非常に重要である。骨化や硬化の作用を、誕生、もしくは受胎以後に現われてくる地球外の力や、更に、受胎前の地球外の作用と関係づけられなければ、骨化や硬化の作用を制することはできない。 多発性硬化症 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E7%99%BA%E6%80%A7%E7%A1%AC%E5%8C%96%E7%97%87 さて、骨化や硬化症として現れてくる作用が、均衡を破り、ある限界を超える可能性もある。骨化や硬化のような作用は、いわば波動の中心へと向かう法則から、度を超す、つまり強くなりすぎることがある。 また更に、骨化や硬化の作用が、全く異なる反対の形で現われることもある。全く異なった反対の形で、最初に現われる。この反対の作用のなかに、その作用の本質を探究すべきである。 (ホメオパシーの原理で陰陽転換のこと) 骨化や硬化として度を超えて異常として現れるのではなく、反対の対極へと転化すると、つまり、骨化、もしくは硬化症の経過がそのまま進むのではなく、他の器官のなかで逆に進むと、受胎前の反対像が病的な形で、つまり、肉化(破骨)や軟化症という形で、様々な種類の癌腫(腫瘍)形成[Karzinombildung]として現われてくる。 (骨や硬化症として進むべき力が、他の器官の腫瘍として出現する。陰から陽に転じるホメオパシーの原理である。ホメオパシーの原理を考察するには、3次元空間でなく、4次元をイメージするとよい。) 以上のような事実に注視するには、人生全体を、真に包括的に洞察する必要がある。でなければ、癌腫(腫瘍)形成のような作用の要因を、未知な遺伝に由来するものとしてしまう。 癌腫(腫瘍)の要因を、本来は骨化や硬化で作用すべき力が変容させられ、逆転され、別の器官組織に転じられた経過として関係づけるべきである。 更に、別の病気も、同様に観察できる。幼年期の水頭症や脳水腫[Hydrozphalus]として現われる影響を、同様に観察できる。 脳水腫 http://www.naoru.com/nousuisyu.htm http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E9%A0%AD%E7%97%87 本質的に、人間は皆、水頭症の素質をもち、水頭症でなくてはならない。もし、水頭症の素質をもたなければ、人間の脳や神経組織を正常に形成できなくなる。というのも、人間の脳や神経組織は人体のなかにある液体的な要素から引き出されるからである。 従って、幼年期には常に、水頭症への素質と、水頭症を克服する素質、つまり、水頭症を抑制する素質が現われ、その間の闘いが見られる。実際、水頭症だけでなく、その反対の脳内の脊髄液の欠乏(脳脊髄液減少症)も語らなくてはならない。 脳内の液体の減少についてはほとんど考慮されていないが、実際、考慮すべき、水頭症の対極にある疾患である。幼児期は、実際には、水頭症と、後に起こる反対の疾患、いわゆる脳脊髄液減少症との両極端の間を、均衡に向かって、常に一方から他方へと揺れ動く、動的平衡状態にある。 脳脊髄液減少症 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B3%E8%84%8A%E9%AB%84%E6%B6%B2%E6%B8%9B%E5%B0%91%E7%97%87 さて、臨床上の問題については今後、詳細に述べていくが、水頭症と、脳脊髄液減少症との間の動的平衡に関して見逃すことがある。 いわゆる水頭症が完全に終局を迎える正しい大体の時期を見逃してしまい、水頭症への傾向をもつ素質を、幼児期、特に乳児期の教育や食餌療法等の治療行為全般により、早期に取り除いてしまい、いわゆる水頭症の素質をあまりに早く消滅させてしまうような事態を招いてしまう。 以上のような事態のとき、特に、人生の経過全体を見ない弊害が生じる。というのも、このような事態に指摘できるが、幼児期の水頭症の経過と、梅毒[Syphilis]などの感染症との関係を、例えば、後に現われる梅毒になりやすい素質との探究を試みれば、医学の学位請求(博士)論文を多数提供することも可能となるだろう。 梅毒の際の微生物の探求からは実際には何も得られない。上述したような事柄の考慮だけ実際に何らかの治療法を獲得できる。 梅毒などの疾患には、後に現れ、耳にする様々な症状があるが、梅毒の予防には、梅毒など後に現れる様々な感染症の要因に対して、幼児期での機敏な対処(水頭症の適度な期間維持)を試みればよい。 (幼児期に適度な水頭症の時期が奪われると、おそらく、十分な液性免疫がつくられないのだろう。) 少なくとも診断の際に常に念頭に置くべきことは、人生全体をみて、本質的な原因へと遡ることにある。さて、この点に関して非常に重要なことは、次のような事実である。 「人体全体の経過、いわゆる人体上部、もしくは下部の経過も、下腹部を経て、共に心臓に移行する」という事実である。 つまり、「人体の形成過程全体が、上下の組織両方から、本質的な滞留(均衡)器官の心臓へと向かい、押し寄せる。」という事実である。 「しかし、この上下組織での経過の移行は、様々な年齢で生じる。移行の際の症状に肉薄すれば、少年少女期に現われる症状、例えば、肺炎[Pneumonie]、もしくは胸膜炎[Pleuritis]に通じる経過に関する症状全般の洞察力が習得でき、統合的にみれば、比較的早期の幼児期に、水頭症において行われた均衡作用が、胸部へと進行し、移行した経過となることがわかる。」 胸膜炎 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%B8%E8%86%9C%E7%82%8E 端的に言えば、幼児期の水頭症が一段階下へと移行した際、肺炎もしくは胸膜炎の症状になりやすい素質を形成する。少年少女期の肺炎や胸膜炎は、幼児期の水頭症の症状と関係し、元は水頭症になりやすい素質でもある。 しかし、幼児期の水頭症のような症状が、後の年齢になって、その反対の腫瘍の経過を辿ることもある。つまり、幼児期の水頭症の症状が、実際、後になって現れると、今度は、水頭症とは逆の対極にある(脳脊髄液減少症を経る)腫瘍の症状として現われる。 また例えば、急性も含めた心内膜炎[Endokarditis]に生じる症状全般に対する、次のような疑問についても、過去の軽度の疾患が、後の年齢になって重篤な疾患として現れる、とする見解が通用する。 感染症心内膜炎 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9F%E6%9F%93%E6%80%A7%E5%BF%83%E5%86%85%E8%86%9C%E7%82%8E 「肺炎、もしくは胸膜炎に関連する症状が、過去の年齢で、どのように現われたのか?」と言う疑問である。 心内膜炎は、結局、少年少女のとき(14歳以降)に、肺炎や胸膜炎の症状を早め、急速に追放したかどうかの事例に帰着することがわかる。当然だが、両親や教育者は、肺炎や胸膜炎の症状をできる限り急いで後退させようと望む。 成長に際し必然的に生じる状態に伴う症状を、それ自身の運命に委ね、後年になって、有害な作用を起こす可能性を避けるには、その場に医師として居あわせ、病気の経過を実際に見守ることが、非常に重要となる。 従って、他の症状でも当然だが、少年少女期の胸膜炎や肺炎の症状と関係する幼児期の水頭症のような特有の症状ほど、次のような治癒を必要とする。 今日で呼ばれる一種の自然治癒の適用、すなわち、できるだけその病気の本質に相応しい経過を辿らせ、病気の経過を早めたり、短縮させないようにすべきである。 幼児期の病気の経過があまりに早く短縮すると、後に、心臓に関係する疾患全般に比較的に罹り易い素質や、特に多発性関節炎全般に罹り易い素質を招く恐れがある。 従って、特に注意を払うべき点は、成長時に生じる必然的な症状に関しては、病気の経過を妨げないことである。少年少女のときの胸膜炎と肺炎が欲する症状を妨げなければ、後の心臓の不規則な活動のなかに生じる心臓疾患の素質が取り除かれる。 人間の全体の成長のなかの、あらゆる内部に、上記のような関係が見られる。実際、次のようなことがわかる。 後に現れた病気の深刻で極端に悪化した状態だけでなく、病気が過去に比較的軽度の場合、治癒も比較的容易なので、自然治癒との違いを明確に区別できないことがあり、「病気が比較的軽度なときに、早期の治療を望まなければ、病気は悪化しなかった」と、あえて患者に言わなくてはならない場合にも目を向ける必要がある。 なぜなら、本質的に、人間は容易に癒される存在ではない、という認識が非常に重要だからである。治療は結構だが、次のようなことも考慮に入れるのが本当の治療である。 人生のなかでは、治療に期待しすぎる、次のような「治療マニア」と呼ばれるような人物に出会うのもそう珍しくない。 「『私は、実際に、様々な病気を体験し、様々な治療法も薬も体験してきたので、高齢に達したときには(いずれにせよ、このような人物は常に病気なのだが)、もはや私を元気づけてくれる治療法を見つけるのは困難だ!』というような人物も珍しくない。」 上記のような人物には、次のような意識を呼び起こさせるべきである。 「本質的に、大抵の人間は、実際、当人が思うほどには病んではいない」、という意識を呼び起こさせるべきである。当然、この意識は、影の側面も持つが、上記のような人物に対しては、この意識を呼び起こさせるのが良い。 さて、以上の事柄全てを光(叡智)のなかで見なくてはならない。つまり、人間は、はじめに物質体をもち、エーテル体が7歳から14歳まで強く働いて物質体に加わり、また妊娠のような状態においては、エーテル体は再度追い出されるように、人間は非常に複雑な存在なのである。 更にまた、アストラル体が、統制をとりながら加わるのは、14歳以降になってからで、自我が加わるのは、それより更に後になってからだが、自我を、例えば、あたかも外にある組織体のように想定してはならない。 勿論、覚醒時に自我が人体の外にあるわけはなく、人体に加わっていて共同作用を高めている。従って、人体に障害があるときには、自我以外の他の組織体(アストラル体、エーテル体、物質体)に問題があり、自我が正しく機能するのに何らかの困難が生じていることになる。 実際、次のような結論に至る。 今日の医学は、自我の実体を知ることなしに、既に遙か前から、自我が他の3つの体、人智学で呼ぶ、アストラル体、エーテル体、物質体とともに、4つの完全体になる困難さについて、他の3つの体との、自我の闘いから現れる挙動を記述できる段階にまで来ている。 唯物論の時代に生きているので、勿論、人体内に、上記の闘いを直接見ることはないが、この闘いを、熱曲線として正確に描けば、この熱曲線のなかに、自我の闘い、を写しとれる。 従って、様々な病気について熱曲線を描く探求から、自我と他の3つの体の関係が明らかになる。熱曲線の探求は、確かに病理学よりも、治療については重要性に乏しいかもしれないが、3つの体との自我の闘いを熱曲線で描写すれば、その関係を、多少とも一般的に理解できるようになる。 というのも、例えば肺炎や、腸チフス[Typhus abdominalis]などに罹ったとき、熱曲線の経過から、自我に対する見解が獲得できるからである。 肺炎については、主な2つの熱曲線を研究すればわかる。例えば、危険な熱曲線と、危険でない熱曲線を比較すれば、他の3つの体への介入を妨げられた自我が反撃するときの、危険な経過と、危険でない経過が、全く異なる形で表れるのがわかる。 例えば、肺炎のときに、熱曲線を描く(下図)と、自我と他の3つの体の闘いが表れ、平熱よりも危機的に降下する際に、熱の反発が示される(図参照)。熱の反発は、その前に行われていた自我の反撃の結果として、遅れて現れてくる。 別の、自我の反撃がみられない消散性の熱曲線は、自我が反撃を加える力に乏しく、従って、異常な熱の降下は、危険な経過とみなせる。 特に、他の3つの体に対する自我の働きを洞察するには、チフスの熱曲線を観察すればよい。 チフス http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%95%E3%82%B9 チフスの熱曲線のなかに、実際の自我の闘いを描写できる。チフスの熱曲線の観察から、自然科学が医学に流入することで、人間の様々な体の考察が不可欠である事実が示せる。 医学上の混乱は、科学が唯物主義になり、物質体の観察に限定することで起こった。しかし、物質体での事象は、(他の3つから切り離され)決して独立したものではなく、何より物質体で起こる事象の性質は全く等価ではない(時間経過により異なる)。 なぜなら、エーテル体が物質体内部で働き、アストラル体、もしくは自我も、エーテル体内部で働くことで、物質体で起こる事象が左右されるからである。病気の症状等は確かに物質的な事象ではあるが、それを特徴づけるのは、物質のなかで働く高次の体で、それにより、全く別の性質も持つからである。 さて、地球外の力と地球の力に人間が依存する事実について、以前述べた事実と、これまで補足してきた時間的な経過を総括すれば、次のような結論に至る。この結論は、自我の闘いで述べたような熱曲線の観察等の探求を更に追求する途上の助けとなるだろう。 「人間に対しては絶えず様々な力が行使されている。これらの力は、人間の物質体やエーテル体を観察すれば、地球外の力と、その力に対して反対の作用をする地球の力であり、火星、木星、土星を起源とする力と、実際、既に地球の力として転化させられている、金星、水星、月を起源とする力(下図参照)である。」 地球と月との関係もまた安易な思い違いがなされている。現代人は、安易に、「月は、地球の上方にあり、月は上方から影響を及ぼしている。(下図参照)」と考える。 しかし、月の影響を、上方から考えるだけでは完全ではない。月は、地球の周りを回転する地球の衛星であるだけでなく、月の内部から、地球に作用する力と同じ力が、本質的に、地球内部にも含まれている。 地球のなかから外へと作用する、(転化された潜在的な)月の力も、地球は持っている(下図参照)。 物質現象でいう、潮の干満他の多くの現象、また例えば月経周期で示されるような出来事(事象)全般は、実際は地球の作用ではなく、月の作用なのだが、最近(1920年)の理論が主張するように上方の月の影響により起こるのではなく、地球のなかにある(転化され潜在化した)月の力により起こる。 従って、月経周期で示されるような出来事とは、外(物質)的にも対応してはいるが、少なくとも時間的には直接関係するわけではない。 (天にある月の周期とはズレている。) 従って、太陽より下位にある惑星(月、水星、金星)の影響(上図の緑円)について語るには、地球のなかの反映(転化)像(上図の青円)も探究すべきで、更には、物質への影響(上図の赤矢印)や、地上から発せられる物質的影響による反作用(上図の黄矢印)も考慮しないといけない。 ただし重要なことは、地球外の惑星の影響は、霊魂(機能)的に働きかけることである。例えば、月の場合、次のような感じとなる。 「月は地球にむかって、ある種の幻想力を投げかける。この事は、人間のファンタジー(幻想)を生み出すような創作活動を、月が高めることでわかる。月は、人間の魂にファンタジーを生み出すように多大な影響を及ぼす。」 上記のような惑星の霊魂的な働きも研究すべきである。 唯物主義の時代では確かに、惑星の霊魂的な働きのような事柄は、ほとんど考慮されていない。しかしながら、惑星の霊魂的な働きは明らかに存在する。月は、人間の霊魂のファンタジーの創出に関連し、非常に強い影響力を持つ。 (偉大なる月 http://www.moonsystem.to/moon.htm 「新月・満月には重大事故が多く、上弦下弦の半月にはうっかり事故が起りやすい」ともいわれている。また「満月には犯罪が増加する」などともいわれている。) 霊的な影響とは反対の物質的な影響、つまり人体への月の影響は、地球のなかの月から発せられる。物質として考慮すべき作用は、この地球のなかの月の作用なのである。この作用は、例えば、月よりも外にある、太陽の下位の惑星(水星、金星)にも当てはまる。 (「太陽より内」とか、「外」とかの呼び方は、天動説を基にしている。地動説からいえば、地球から、月、金星、水星、太陽に進む場合が、「太陽より内」、または「下位の惑星」となり、地球から、火星、木星、土星と、太陽系の外に進む場合が、「太陽より外」、または「上位の惑星」となる。 端的にいえば、天動説は、銀河の中心を基点に、太陽がそれを追いかけ、太陽を他の惑星が追いかける描像である。天体の運動の違いが、天空の音楽、つまりシンフォニーとして、高次の霊能力を獲得すると聞こえるそうである。つまり、天使の歌声である。) 以上のように、人間には様々な形で、つまり地球のなかに集約された(太陽より下位の惑星の)力の、いわゆる地球の力と、また地球の外から地球に集約される(太陽よりも上位の惑星の)力が働きかけている。 (地球には、月、水星、金星の地球の力に転化した力と、火星、木星、土星の力が作用している。) さて、惑星の力を研究するには、惑星の力が共同作用した全体的な結果を、人体に見る必要がある。 人体全体を見るのであって、何処か1部を見るのではない。惑星の力が共同作用した全体的結果に最も乏しいのは細胞である。共同作用の結果が最も少ないのが細胞だと注意すべきである。 では、一体細胞とは何なのか? 細胞とは、人体に対し、本質的に、細胞がもつ独自の成長力や生命力を、利己的(ワガママ)に通用させようとする生命体である。 そして、人間という生命形態全体において、人間を、地球の作用と地球外の作用の複合体とみなし、細胞を観察するなら、細胞とは、地球の作用のなかに密かに入り込み、地球外の作用を妨害する存在である。 実際、人体は、絶えず細胞がもつ独特の生命力に対して闘っている。従って、細胞病理学や細胞生理学により成立した見解はナンセンスも甚だしい。現代医学は細胞を基本に据え、人体組織を細胞の構築物と見なしている。 細胞の生命力とは対照的に、人体は全体の宇宙と関わり、その部分的な細胞本来の利己(ワガママ)に対して、常に闘う全体なのである。細胞とは、根本的に、人体を構築する要素ではなく、絶えず妨害する存在である。 細胞病理学や細胞生理学の基本的見解が、通常の思考全般に入り込めば、人間や生物全般に関して、本末転倒した考察に行き着くのも全く不思議ではない。 以上のように、いわゆる人間がもつ全体的な統合プロセスと、細胞がもつ利己的な部分プロセスにおいて、2つの対立する力が、人体のなかに複合体として現われてくる。 人体の様々な器官組織は、2つの対立する力の中間に位置し、どちらかが優勢によって、肝臓だったり、心臓だったりする。器官は終始、2つの対立する力の間で複合体として均衡をとっている。 ある器官は、細胞がもつ利己への傾向を多くもった後に、この利己の傾向が、宇宙の統合力により克服される。また、後に述べるが、宇宙全体(統合)の力が優勢で、細胞の部分(利己)の力が後退しているような器官もある。 生殖-排泄の通路と心臓との間に位置する下腹部の器官を、対立する2つの作用間の複合体としての観点から考察することは、非常に興味深い。 心臓より下部の器官は大抵、細胞が目指す独特(利己)の生命力と似たものとなっている。全身を通過しながら、器官を全て観察すれば、大凡、人間が目指す全体的な生命力から特徴づけられた器官と、細胞が目指す独特の生命力に類似する器官に大別できる。 しかし、人間全体の機能に彩られた器官と、細胞独特の機能に染まった器官に大別できた結果、次のような疑問が生じる。 それでは細胞自体はどうなのか? という疑問が生じる。 細胞は、均衡を破り、状態をいささか極端にするために、独特の生命力を利己的(ワガママ)に展開する。細胞は独自の生命力を展開する。細胞が、逐一展開する、いわば利己的(ワガママ)な生命に対抗し、絶えず別の、つまり外から反対の全体的な作用が及ぼされる。 そして、外から、この反対の作用を及ぼされることで、細胞独自の生命力から、利己的(ワガママ)な生命力を奪い、細胞にいわゆる滴の形状を与える(細胞を液化させる)。 細胞から、いわば独自の生命力を吸い取り、細胞に滴の形状を与える。 地球上の滴の形をもつ存在は全て、生体の内外問わず、そのなかに2つの力の合力、つまり、独特の生命を目指す力と、その独特の生命を吸い取る全体的な力との合力が働いている、という事実を、実際に知るべきである。 さて、興味深いことに、古代の医学では、「水銀」をどのように考えていたのか、追求すると、「水銀」とは、生命力を奪われ、滴の形状が与えられている存在という結論に辿り着く。 つまり、「水銀」のなかに、利己的(ワガママ)にも細胞になろうとする力が働いているが、水星に由来する逆の力により、細胞になるのを妨げられ、いわゆる細胞の死骸、つまり「水銀」の小滴となった経緯を読み取ることができる。 「水銀」のなかに観察できるのは、「塩」と「燐」との中間状態にあるのと同時に、惑星(天体)の全体的な作用が、地球上に現れる存在のなかで、どのように生かされているのか、を洞察するのに必要な実際複雑に入り組んだ経過(経緯)である。 水星という惑星が存在しなければ、「水銀」の滴はどれも細胞として利己的に生きるはずである。そして、上記に述べた生殖-排泄の通路と心臓との間に位置する全器官のなかで、概ね細胞になろうとするものは、水星という惑星の作用に曝されるのを想定している。 つまり、排泄器官と心臓との間に位置する下腹部の器官は特に、その器官特有の傾向、すなわち、細胞性を保持する傾向が妨げられずに、かといって独特の生命力によって、人体全体を覆い尽くすほどには至らないように、適度に生命力が麻痺させられ、死滅させられるように、水星の全体力に曝されたままでいるのに依っている。 水星により、この中間状態に維持されないと、下腹部の器官活動は、すぐに増長してしまう。 心臓より下部の組織において働く2つの相反した力を引き続き追求していくと、下腹部の器官と、水星により中間状態を表わす金属の水銀との間に成立する関係にまで到達できる。 これまで試行してきた探求法が、非常に合理的であることに納得するだろう。現在や将来の人類のためには超感覚的観察により発見できる事実を、物質的感覚でも知覚できる事実により証明する必要がある。 自然のなかの鉱物、もしくは金属、また動物のなかの鉱物や金属、更には植物のなかの鉱物や金属の作用などの各々の作用が、本質的に、人体組織に対して、どのように働くか、ということが、臨床的にも文献上でも追求されれば良い結果を生むだろう。 上記のような研究を、惑星と鉱物の特定の関係からはじめることができる。以前、受胎前の、ある傾向(肉化、軟化症)に対して、骨化、硬化症が、反対の働きかけを行っている事実を述べた。 この骨化、及び硬化症は、受胎前の傾向とは完全な反対像をもつ。骨化、硬化症を促進するには、人間に鉛毒を盛ればよい。 鉛毒を盛るといっても、動脈硬化の研究のために、実際に鉛中毒を引き起こしてしまっては元も子もない。重要なことは、自然が自ら実践する際に現れる現象のなかに、人間に鉛毒を盛る意味を追求し、自然現象のなかの鉛の作用から、人間と鉛との間に成立する内的親和性に辿り着くことである。 鉛のプロセスと、人体の骨化と硬化症プロセスの親和性は、綿密な研究により追求すべきものである。 同様に、錫のプロセスと、以前、水頭症やその反対の髄液減少症との相互作用として特徴づけた症状全般との間の相互関係も研究できる。 その際、頭部と腹部との正確な対極の関係とでも呼べる関係が生じる7歳以降の成長なかに、錫のプロセスと同じ作用が発見できる。 さて、7歳以降の水頭症への傾向が、後の年齢では、肺のほうへ押し進められるのは前に述べた。実際に自然現象を試行する必要もなく、数世紀来の医学文献の記述を正しく読み統合すれば、肺炎と胸膜炎に付随した症状全般に関係するプロセスと、鉄のプロセスとの関係について、内的な親和性が発見できる。 鉄と肺炎の関係を、更には、鉄と、健常時の血液に生じるプロセスとの親和性にまで追求できる。鉄と血液の相互作用と同じプロセスを、肺炎に伴う症状全般にまで追求できる。 鉄と血液の特別な関係から、水頭症とその反対の髄液減少症との相互作用が、肺にまで押し進められ、そのような相互作用における鉄の働きに対する見解が獲得できる。 以上のような関係は相互に影響し合っているので、相互に影響し合う作用を理解すれば、更には人間の外の自然との関係を通じて、薬の治癒作用に到達し、適切な薬を獲得できる。 人間を2つの相反する惑星力の複合(融合)体のように見れたなら、観察者に一種の神通力(直観力)が生じるのは疑いのないことである。この神通力(直観力)は、本質的には、どんな診断の際にも特に重要である。 診断の際に重要なのは、人間に関するより多くの作用を統合的に観ることだからである。いかなる診断の際にも、当人がどのように生きているのか、今までどのように生きてきたのか、今後どのように生きていく見込みがあるのか、ということに目を向けなくてはならない。 今後生きていく、といま述べたが、これは一体どういう意味なのか? 現在の人間のなかには、既に、ある意味で、残りの人生において特に消費する器官組織が、萌芽の形で素質として存在している。 更に、上記に述べた、鉛、錫、鉄の人体に対する作用や、金属という側面から発せられる作用との関係を探究するなら、鉛、錫、鉄のプロセスや作用と、いわば対極的に相対するのが、銀、水銀、銅のプロセスで、その作用である、という事実に辿り着く。 今述べた事実から、何らかの薬を特に奨励するわけではない。しかし、いま金属と人体の関係を述べるのは、これらの金属のなかの力が、これまで見てきたように他の物質のなかにも含まれ、物質がもつ構造と、人体内の力との間に、特定の性質を有する相互作用が成立する事実を指摘するためである。 従って、例えば銅のなかにある力は、特定の形で、鉄のなかにある力に対抗し、反対の作用を及ぼす。鉄に対する銅の反対の作用から、例えば、鉄の力が強すぎるときに、銅の反対の力を取り出し、用いることもできる。 例えば、人体内の鉄の力が明らかに強すぎる特定の症状がわかれば、銅、もしくは銅に似た作用を植物から獲得し、後に見ていくように、この症状に対して適用することが重要となる。 さて、以上のように、幾つかの方面にわたって見てきたが、読者に多くを要求しすぎたかもしれない。とはいえ、これまで述べてきた事実を正しく見ていくなら、そのような事実から、更にどのような研究を行っていくべきか、そして、そのような研究から、医学研究制度と医学制度全体の改革のために有効なものをいかに引き出すかなどが理解されることを期待したい。 ★ ★ ★ 人体は、天からの人間の霊魂により、地上の自然からつくられている。何を食べ、何を消費し、地に返し、天のために行動するかによって、人生が決められる。
2016年10月15日
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