全4件 (4件中 1-4件目)
1
この国の住人はどこかせわしく生き急いでいる気がする。ずいぶん前に、「狭いニッポンそんなに急いでどこへ行く」という標語らしきものが流行った。 明治以来、欧米に追い付け追い越せで、乗り遅れるなで、生き急ぐ、慌てる乞食は貰いが少ない感がある。幕末は欧米の植民地政策主義、いまは偽物ユダヤのグローバリズムである。 偽物ユダヤ人はなぜ国家を失ったのか? キリスト風にいうなら、神殿で商売をしたからである。簡単にいえば売国したからである。法の代わりに金儲けや利益を優先したから、国が亡ぶときに利益を当て込んで、何もせずに逃げだしたのである。 だから、偽物ユダヤ人は国の代わりに企業をつくって、国を略奪し、それは国家の基本となる法を逃れいまでも大企業をつくっている。 さしずめ、この大企業は現代のバブルの塔といえるだろう。 一部の所有者が8割を所有するというのは、その所有の分布図を描くなら、裾野が広い正規分布ではなく、一部が突出した塔となるからである。 さて、この国の住人は、この連中に騙され、この国を売ってきた。バブルの塔はもうすぐ倒れるだろう。 夏目漱石が坊ちゃんかなんかの本に、この国は亡ぶと言わせていたように、外見ばかりの幸福を求めて、肝心要の精神を失っている気がしてならない。 外面の幸福とは幻想にすぎない。それは確かに一時的に幸福や栄誉をもたらしてはくれても、永遠ではない。だから、偽物ユダヤは永遠に彷徨うのである。 昨今、生き急ぎで、象徴的なのが、早期の英語教育である。確かに英語をしゃべれるのは見栄えがいいかもしれない。しかし、それは重要な精神、この国に古くから流れる、わびさびの精神を失わせていることに気づいてない。 このようなことを書くと、勘違い似非愛国者が、教育勅語のような虚言妄想を持ち出すが、教育勅語は徳川時代の朱子学のサル真似にすぎない。徳川家への忠誠を明治帝に変えただけである。 そもそも朱子学は、中国の儒教、それも悪しき上流支配階級の偽物を輸入した体系で、当時は東洋で流行だったのかもしれないが、この国に古くから流れる、わびさびではない代物である。 わびさびは勘違いされやすいが、八切史観から明らかになるが、先祖を偲ぶの侘びる寂びるからきている。なかなか理解しにくいだろうが、先祖の苦労があるから、現在の栄華があり、前世の苦労の蓄積が、現世で花を咲かせるという、意味である。 単純にいえば、ローマは一日にしてならず、もしくは温故知新に通じる。 確かに現在の最先端の流行思想を取り入れるのも変革になり、子供が英語をしゃべれるようになれば、見栄えはよく便利だろうが、親子のつながりがその分薄くなり、そのうち子供にバカにされるようになるだろう。それは所詮利害関係でしかないからである。 愛情をモノに変えると、親子関係が、単なる利害関係になる。格好良い恰好悪いの外面は所詮好き嫌いでしかないからである。だから格好悪い親は親でないと否定するようになるだろう。 流行を身に着けることは、家系に古くから流れてきた精神ではなく、とってつけたアクセサリーのようなものだからである。 つまり、わびさびの精神とは、外面の幸福ではなく、内面の幸福のことなのだ! 例えば、内面の幸福とは親子の関係から築かれるものである。オカルトでいえば、親子の関係は霊魂の契約だからである。外面でいえば遺伝にみえるかもしれないが、それは霊魂において同じ課題に直面しているからである。 親子の関係が最も近しいが、同時に遠い人間関係といえるだろう。親子の関係を通して内面の幸福がつくられる。 それはキリストの隣人愛と同じものである。キリストの隣人愛を成し遂げるには、自己を永遠と愛せなければいけない。誰も自分を相手にしなくても自分だけは自分を見捨てない愛である。 どんな苦境に立とうと、地獄の奥地に堕ちようと、自分だけは自分を見捨てない強靭な自己愛がないと、隣人愛は成り立たない。 たとえ隣人に裏切られ捨てられても、自分を見捨てないことである。キリストは弟子に裏切られ、弟子に見捨てられても、自分と同等以上に弟子を深く愛した。 この国の住人は外面の幸福を求め、生き急いでいるうちに、ブラック企業だらけの社会で奴隷化され、自殺者が急増という惨憺たる現状をゾンビのように半分死んだ機械のように生きている。 ついには、人類の思考力を、AIに移植し、AIの手足となり、AIに支配されるようになるだろう。 そのような警告の話を以下に紹介する。 ★ ★ ★ 思想を持たないエンジニアは日本を潰す http://my.shadowcity.jp/2016/11/post-10179.html ドワンゴの川上が、AI使ってCG動かすというのを宮崎駿の前でやって見せるんだが、脳性マヒみたいなのが出て来て「ゾンビに使ったらどうでしょう」とか言って、宮崎駿がブチ切れる、というんだが、おいらも見てました、NHK。ドワンゴは宮崎アニメの著作権を狙ってるらしいねw 5年間も「自称・弟子」というので通っているらしいw カネだけは持っているので、投資先と考えているのかw 宮崎駿監督にガチギレされるドワンゴ会長川上氏 宮崎駿が怒ったのは、クリエイターというのは、自分の脳の中にある「世界」を、画面にどうやって再構成するか、という作業であり、コンピュータいじったら、こんなん出来ちゃいました、というような、世界観のないデタラメじゃない、という事だろう。 ★ ★ ★ さて、明治以来、この国の教育は非常に歪んだものになってきたことがわかる話をみつけたので、以下に紹介する。親子の関係が精神でなく、物質的な主従関係となってしまっている地獄の関係である。 ★ ★ ★ 教育勅語はどこがダメか http://vergil.hateblo.jp/entry/20140507/1399469208 天皇制 というか、こんな簡単な問題すら理解できない者たちが政治家をやり、しかも政権中枢で政策決定に関与しているのだから、まったくお話にならない。 たとえば下村博文文科相はこんなことを言っている。[1] 「(教育勅語には)至極まっとうなことが書かれており、当時、英語などに翻訳されて他国が参考にした事例もある。ただしその後、軍国主義教育の推進の象徴のように使われたことが問題だ」 下村博文文科相は8日、教育勅語の原本が確認されたことと絡めてこう述べ、内容そのものには問題がないとの認識を示した。 教育行政のトップからしてこの体たらくである。 この下村の認識は二重三重に間違っているのだが、どこがどうおかしいのか、具体的に見ていくことにしよう。 まず教育勅語の全文を見てみる。リンク先の画像が示すように、各学校に「下賜」され、行事のたびに「奉読」が義務付けられたこの勅語には句読点も何もなく、べったりとした文語体である。さすがに読みにくいので、最小限の句読点と改行、振り仮名を加えると、次のようになる。 朕惟(おも)フニ、我ガ皇祖皇宗、國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠ニ、徳ヲ樹(た)ツルコト深厚ナリ。 我ガ臣民、克(よ)ク忠ニ克(よ)ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ世世厥(そ)ノ美ヲ濟(な)セルハ、此レ我ガ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦(また)實ニ此ニ存ス。 爾(なんじ)臣民、父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信ジ、恭儉(きょうけん)己(こ)レヲ持シ、博愛衆ニ及ボシ、學ヲ修メ業ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ、進デ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵(したが)ヒ、一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ。 是ノ如キハ獨リ朕ガ忠良ノ臣民タルノミナラズ、又以テ爾(なんじ)祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン。 斯ノ道ハ實ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ、子孫臣民ノ倶(とも)ニ遵守スベキ所、之ヲ古今ニ通ジテ謬(あやま)ラズ、之ヲ中外ニ施シテ悖(もと)ラズ。朕爾(なんじ)臣民ト倶(とも)ニ拳々服膺シテ、咸(みな)其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾(こいねが)フ。 明治二十三年十月三十日 御名御璽 教育勅語は、その冒頭の一句「我ガ皇祖皇宗、國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠ニ、徳ヲ樹(た)ツルコト深厚ナリ」からしてデタラメである。「皇祖」は天照大神または神武天皇を指すとされるが、古事記の記述によれば、神武は何の大義もなく九州から近畿に攻め込み、殺戮とだまし討ちを繰り返したあげく奈良盆地の一角を占拠した侵略者に過ぎない。神武が「徳ヲ樹ツル」など、冗談としか言いようがない。 もちろん「皇宗(歴代天皇)」がずっとこの国を治めてきたわけでもない。そんなことはこの「勅語」を起草した者たち自身、重々承知していた。なにしろこの「勅語」が発布されたわずか四半世紀前はまだ江戸時代であり、現に徳川家の将軍が天下を統治していたのだ。 幕末維新期の一般庶民にとって、そもそも「天皇」など知らないか、知っていても関心の対象外だった。だからこそ、明治の初めから10年代にかけて、民衆に天皇という存在を知らしめ、その権威を見せつける全国巡幸が必要だったのだ。いわば、天皇の顔見世興行である。[2] 「江戸末期から明治維新における天皇という存在は,新しく政治家,官僚になった武士やもともと地方の支配勢力と何らかの関係を有していた上層の民衆とは異なり,一般の民衆には未知なものであり,無関心なものであった」。「天皇という存在が民衆と隔絶していた」ので,「封建的権威にとってかわり,にわかに権力主体になった天皇はあまりに未知数であった」。この「天皇を行幸など様々な形で『見える権力』にしない限りは,必ずしも求心力になりえない状態であった」。 このように、教育勅語は嘘つきが道徳を説いてみせる典型例と言える。 このインチキな冒頭部に続いて、「勅語」は (1)親孝行しろ、(2)兄弟仲良く、(3)夫婦も仲良く、(4)友達は信じ合え…と、12項目にわたって「徳目」を説教する。これらの徳目は、時代背景を考えればまあ常識的な内容で、当時の感覚では当たり前の道徳と言っていいものだ。実際、同じような内容は江戸幕府も諸国に高札を立てて説教していたし、寺子屋でも社会生活上の常識として教えられていた。 下村が、教育勅語には「至極まっとうなこと」が書かれていると言うのも、このあたりの内容を意識してのことだろう。 だが、教育勅語においては、これらの「まっとうな」徳目は、例えてみれば毒薬を包む糖衣のようなものでしかない。教育勅語が何としても「臣民」の頭に植え付けたかったのは、これらの徳目の最後に置かれた「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」なのだ。お上がいったん戦争を始めたら、それがどのような戦争であれ、天皇(を頂点に頂く支配階級)の利益のために命を投げ出して戦え、ということだ。これに先立つ11項目は、これを「まっとうなこと」と錯覚させるために置かれていると言ってもいい。 (徳川家の御家人教育と同じである。徳川家は江戸本家と水戸家が争って潰れた。長州が将軍と明治帝を入れ替えて御家人教育をパクって脚色し色直ししただけである。幕=藩民が臣民になっただけ。) もちろん、自民党をはじめとする極右勢力が教育勅語を復活させたがるのも、この最後の「徳目」があればこそのことだ。 教育というものの威力は実に恐ろしい。この「勅語」がすべての学校に「下賜」され、無謬の道徳規範として強制されるようになってからアジア太平洋戦争の敗戦による破滅まで、たった55年しかかからなかったのだ。 【2015/6/20追記】 教育勅語は、天皇が臣民に守るべき「徳目」を教え、臣民はありがたくそれを押しいただく、という構造を持っている。 「天皇の赤子」が理想のあり方とされる臣民には、自ら何を守るべき道徳とすべきかを考え、議論し、選びとる自由はない。一見もっともらしい内容を含んでいようと、教育勅語はせいぜい、主人から与えられる奴隷の道徳でしかないのだ。 【2015/10/11追記】 教育勅語は睦仁(明治天皇)が臣民に与えたわけだが、ここで徳目として「夫婦相和シ」を説教している睦仁自身はといえば、正妻の他に側室(臣民であれば当時「妾」と呼ばれていた存在)を5人も持ち、計15人の子を産ませている。何が「夫婦相和シ」か。とんだお笑い種なのである。[1] 産経新聞 2014/4/9 教育勅語原本確認 「父母への孝行」「友情」「夫婦の和」…再評価の声[2] 社会科学者の随想 天皇製民主主義の根本問題(15)−悩む天皇・彷徨う天皇家・揺らがぬ天皇制− ★ ★ ★ 明治期以来の洗脳教育から、個人主義で目覚めなければならない。
2016年11月17日
コメント(0)
「隠れトランプ」なる用語が巷に蔓延っている昨今に、久しぶりに書きたい。 トランプがババ(ジョーカー)だと思って、トランプを隠して、ヒラリーを選んだ米国民は、実はヒラリーがババ(ジョーカー)だったと気づいた米大統領選挙だった。 どうやらトランプは、米国民のガス抜き票として機能してしまったようである。トランプに投票した人々は一時ガス抜きができたかもしれないが、ヒラリーに投票した人々は逆に鬱憤がたまってしまい、いまや暴動化しているそうである。 いまだに「アメリカがナンバーワン」の幻想を抱く米国民が多いということなのだろう。 米国がナンバーワンだったのは、それだけ他国から資源や資本を略奪してきた結果にすぎないことを自覚すべきだろう。 米大統領にヒラリーを予測していた、この国の売国奴たちもトランプに決まって泡を食っているようであるが、現状を冷静に分析すれば、新たなる経済戦争の時代に投入したということだろう。 多国籍企業と国家の戦いである。 唯物論は聖書の唯物解釈からはじまり、その申し子の植民地支配主義はイギリスの産業革命に端を発し、悪魔の誘惑や指導の下に、人類を機械化すべく奴隷化し続けてきた。 かつての植民地支配主義は、いまではグローバル主義と名前を変えているが、グローバル化は競争社会と格差社会を拡げただけである。そして国家を超える儲けのためなら法を無力化させる多国籍企業というモンスターを生み出してしまった。 多国籍企業はこの国にブラック企業を生み出している。幸せになるために、この世を天国にするために生まれてきた人々を金儲けの道具にし、奴隷にし、不幸せにし、家庭を破壊し、この世を逆に地獄化させている。 トランプに決まり、この国では米軍基地の思いやり予算が話題だが、そもそも沖縄に米軍基地を誘致したのは、誰の利益のためなのか? 朝鮮戦争を起こし、東西冷戦を演出し、東西に武器を売って金儲けし、ベトナム戦争などで、国家の税金を軍事費に変えて、大量の人殺しをして金儲けしてきた多国籍企業の利益はどこに消えたのか? そういう連中は地獄で自らの行いを後悔しているはずである。 いま多国籍企業は、上下をつないでいた社会中間層を下層奴隷化させ、トリクルダウンの幻想の下に、その上澄みを搾取、略奪したため、国家に上下の分断、分裂を起こさせている。 中間層が、上下の結びつきを巧くつなぎ、秩序立てていたスポンジとなっていたのだが、中間層が失われてしまった。 多国籍企業がやったことは、中間層の下層化で、海外から下層民を招き、法の秩序を破壊したのである。多国籍企業は法を守る必要がないから、法を破壊できる立場にある。 このモンスターは、国家という法を超え、法の制約を受けずにすむ。このモンスターは自由の名の下に、法に代わる貿易主義を掲げるが、それがもはや法ではないことを理解できないでいる。 法というのは生命維持の原則であり、貿易による利益というのはもはや生命維持とは無関係で、寄生、略奪、殺戮を意味するからである。 連中の掲げる利益主義というのは、マルクスの資本論に近い略奪理論である。 その結果が連中がもつ天文学的資産の蓄積である。それは単なる数字上の略奪してきた結果にすぎない。連中は地球を破壊してきたのである。つまり地獄に行くということである。 以上を人智学の人体論で語るなら、連中の自由貿易による利益主義というのは、人体が飽くなき欲望のために、贅沢な生活を求め、外界を侵略し、環境資源を略奪し、環境を破壊していくことを意味する。 このまま外界への侵略を続けると、腫瘍化するのは必然である。 この腫瘍化が、自国の利益だけを求める、トランプの発言に代表されている。 国家に寄生し、国家を略奪してきた多国籍企業の資本論=略奪論が、伝播され、トランプなどの腫瘍、つまりガンを生み出すことになったのである。 このガンは、多国籍企業を破壊していくだろう。自分が蒔いた種は刈り取らねばならない。 人智学の人体論でいうなら、外界ではなく、内界を高めないといけない。 端的にいえば、利益を社会福祉に還元することである。環境保護や教育、美術、芸術などの文化事業などの何の儲けにもならない、精神文化を高める事業に寄付することである。 かつては宗教がこの役割を担っていた。自らは質素で倹約の生活を実践しながら、弱者を救うために大金を寄付したのである。いまや宗教家は権力に屈する軟弱者ばかりで、なかには権力者に癒着する者までもいる退廃ぶりである。 宗教者が下層民となって弱者を救い、下から国家を支えなければ、国家などは人類には何の意味ももたない。御釈迦さんやキリストは下層民となり、下層から世界を変えた。 偉大な救世主は下層民となり、下層から人類の精神を高めるのである。 宇宙が変わらず精神的に進化するために、地球を下層から物質的に変えてきたのである。キリストは死後も地球に残り、地獄の人々に教えを説き、活動しているという。 それでも地上に地獄が拡がるのは、人類がキリストの教えを守らないからである。 多国籍企業が勝つのか、国家が勝つのか、いま人類は進化の岐路に立たされている。 そのような話をお馴染みのサイトから紹介する。 ★ ★ ★ 当選祝いにポチがネギ背負ってやって来る http://my.shadowcity.jp/2016/11/post-10170.html 予想外のトランプ大統領誕生でアタフタ、という話なんだが、外務省の読みなんて、そんなもんだからw 政治家もジャパン・ハンドラーズの情報しか取ってないので、「予想外」になってしまう。また、アメリカにはちゃんと、アメリカ・ハンドラーズという存在がおりまして、アメリカの政界を動かすために巣食っている連中がいる。ヒラリーなんぞは、その飼い犬です。 「話が違うじゃないか!」。世界中が固唾(かたず)をのんで見守った大統領選の開票終盤、安倍首相のいら立ちが頂点に達した。脳裏に浮かんだのは、今年9月の訪米でのクリントン氏との会談。クリントン氏側の要請があったためだが、外務省はクリントン氏とだけ会談をセッティングし、トランプ氏を無視。次期大統領との顔合わせのつもりだったが、終わってみれば、全くの見当違い。安倍首相も、外務省に当たらずにはいられなかった。今となっては「トランプ氏軽視」と取られかねない。 政治経験のない異例の"素人大統領"に、これまで築いてきた日米間のパイプが通用するのか? そもそもパイプがほとんどないことに焦った政府筋は動いた。10日朝、電話会談を申し入れた。 銭儲けのために国家主権を売り渡す。日米ともに、そんな政治家ばかり。だから、ハンドラーズとは無縁のトランプみたいな素人が出て来る。トランプは共和党内部でも、孤立している。 ★ ★ ★ 精神性に目覚めるときがきているのに、落第者ばかりである。
2016年11月12日
コメント(0)
モーガンフリーマンの「時空を超えて」はほとんど毎週みているが、先日、「運命か、自由意志か」がテーマだった。 人間は自由意志で生きているのか? それとも、運命に従って生きているのか? オカルトでは既に答えは出ているのだが、その答えは置いておいて、面白い話を紹介する。 ★ ★ ★ なぜ能力の低い人ほど自分を「過大評価」するのか http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47416 気鋭の脳科学者が「ココロの盲点」を明かす 池谷 裕二 「自分は平均以上」と勘違い 先日電車に乗っていたら、隣に中学生くらいの女の子が座っていました。かわいい子だったので、手元のスマートフォンを操作している振りをしながら、横目でチラチラと見ていました。すると、あろうことか、彼女は席を立ってしまいました。 ジロジロ見過ぎてしまったことを反省しましたが、しかし、どうやら私の視線が気になって席を立ったわけではないようです。理由はすぐに明らかになりました。「どうぞ」と目の前のお年寄りに席を譲ったのです。 深く恥じ入りました。 気が利く、気が利かないとはなんでしょうか。 彼女は気が利く人です。一方、私は気が利かない人です。これは明らかです。でも、ここで問いたいのです(決して言い訳のためではなく)ーー気が利かない人は、その時、自分を「なんと気が利かない人間だ」と残念に感じているでしょうか。 きっと感じていないでしょう。なぜなら、そもそもそのお年寄りが困っているという事実に気づいていないからです。気づいていてわざと席を譲らなかったら、それは気が利かないとは言いません。単に意地悪なだけです。 つまり、人は「自分がいかに気の利かない人間か」を知ることができないのです。ところが、他人が気が利かないことはすぐに気づき、指摘したり憤慨したりすることができますーー私がこんなに気を利かせているのに君はけしからん! おそらく現実の自分は、自分に対して抱いている自己像よりも、気が利かない人間であることは間違いないでしょう。 これは気が利く気が利かないだけの話ではありません。日常生活全般において、似た状況は少なくありません。結局のところ人は実際のレベルよりも自分を高く評価することになります。 たとえば、日常的に車を運転する生活を送っている人に訊いた調査結果があります。 「あなたは平均よりも運転がうまい方ですか?」。この質問のポイントは「平均より」という点です。抜群に優れている必要はありません。あくまでも平均に比べたら「まあマシな方かどうか」という判断です。 このアンケートの結果は驚くべきもので、なんと70%の人が「私は平均以上です」と答えるのです。70%という値は平均値の概念にそぐいません。つまり、多くの人が「自分は平均以上にデキる」と勘違いしていることがわかります。 ただし注意してください。このデータは、正しく自己評価できている人がいないと主張しているわけではありません。 では、どのような人が正しく自己評価でき、またどのような人が自己評価を誤る傾向があるでしょうか。そんな研究をしているのが、コーネル大学のダニング博士とクルーガー博士です。 (思い込みが大きいと気がきかない。) 脳のクセを知らないと損をする たとえば博士らは、ジョークを楽しむ能力について調査しました。 ユーモアは洗練された知識と機知がないと理解できません。65名の大学生を対象に、30個のジョークを読ませ、どれほど面白かったかを評価してもらいました。この点数でユーモアの理解度がわかります。これと同時に「あなたのユーモアの理解度は同年代の中でどのくらいに位置していると思いますか」と訊きました。 調査の結果、ユーモア理解度の順位の低い人ほど自己評価の高い傾向があることがわかりました。 成績下位25%以内の人は、平均して「上位40%程度にいる」と自分を過大評価したのです。一方、成績上位25%以内の人は「上位30%程度にいる」と過小評価していました。 つまり実際の能力の個人差は、人々がイメージする差よりも、はるかに大きいということになります。なお、この現象はユーモアだけでなく、論理的思考力や一般学力試験にまで、普遍的に見られます。 博士らは、この現象を次のように説明しています。1.能力の低い人は自分のレベルを正しく評価できない。2.能力の低い人は他人のスキルも正しく評価できない。3.だから、能力の低い人は自分を過大評価する。 もちろんこの結果だけでは「能力が低いから自分を客観視できない」のか「自分を客観視できないから能力が低い」のかはわかりません。しかし、この研究は心理学では広く認知され、博士らの名前にちなんで「ダニング=クルーガー効果」と呼ばれるようになりました。 (能力の低い人は思い込みが大きい) この効果の面白いところは、ダニング=クルーガー効果について初めて知った人の多くが「たしかに自分を勘違いしている人はいますね。身近な人の顔が具体的に思い浮かびますよ」と笑顔で答えてくれることです。つまり多くの人は「まさに自分が該当する」かもしれない可能性に思い至らず、自分を棚に上げて、他人に例を探し始めるのです。 これこそが冒頭で説明した「気が利かない人は自分の気の利かなさに気づいていない」ことに相当します。これもまたダニング=クルーガー効果の亜型で、とくに「バイアスの盲点」と呼ばれます。 いずれにしても、ここで見逃せないポイントは、脳が無意識のうちに判断をミスしてしまうという点です。決して「わざと」でなく、あくまでも自動的で反射的な思考として「そう思ってしまう」わけです。つまり、脳には特定の「思考癖」があるというわけです。 そうした脳のクセは「認知バイアス」と呼ばれます。認知バイアスは曲者で、しばしば奇妙で、ときに理不尽でさえあります。こうした心理のクセに気づいていないと、ふとしたところで判断を誤ったり、損したりしかねません。だとしたら、これをよく理解しておくことは、日常をよりよく生きることにつながります。 人間は心の多面体です。だから認知バイアスにはたくさんの項目があります。いくつか紹介しましょう。 どうすれば収入を増やせるか まず「おとり効果」から。たとえば、カレー店を経営しているとします。店のメニューは、 普通カレー ¥1000 特製カレー ¥1500 の二つです。すると客の多くは安価な普通カレーを注文するかもしれません。 そこで認知バイアスを利用して、特製カレーの注文を増やし、増収を図ることができます。どんな対処法が考えられるでしょうか。最もシンプルな方法は選択肢を一つ増やすことです。 普通カレー ¥1000 特製カレー ¥1500 極上カレー ¥3000 この選択肢から選ぶ場合、特製カレーへの選好が心理的に高まることが知られています。高額な極上カレーをオプション(おとり選択肢)に加えることで、相対的に特製カレーを安く感じさせることができるわけです。これが「おとり効果」と呼ばれる理由です。 おとり効果については、米マサチューセッツ工科大学のアリエリー博士らの面白い実験があります。経営学専攻の学生に英経済誌『エコノミスト』を定期購読してもらいました。 ウェブのみ購読 $59 冊子&ウェブ購読 $125 という選択肢では、冊子とウェブの同時購入を選んだ学生は32%だったのですが、選択肢を増やし、 ウェブのみ購読 $59 冊子のみ購読 $125 冊子&ウェブ購読 $125 としたら84%の学生が冊子とウェブの同時購入を選びました。冊子の値段を「冊子&ウェブ」と同一に設定することで、見かけ上のお得感を狙っているわけです。 実際、この効果は絶大で、おとり選択肢を一つ増やしただけで、40%以上の収入増となりました。 選択肢が多すぎると逆効果 ただし、やみくもに選択肢を増やせばよいというわけではありません。なぜなら「選択肢過多効果」と呼ばれる認知バイアスがあるからです。コロンビア大学のアイエンガー博士らのデータを紹介しましょう。 博士らは、ジャムの試食販売ブースで、6種のジャムを売る場合と、全24種を売る場合を比較しました。 立ち止まる人は24種のブースのほうが多かったのですが、実際に商品を買ってもらえる率は反対に6種のジャム売り場のほうが高くなりました。結果として、6種陳列のブースのほうが、7倍もの売り上げをあげたのです。 アイエンガー博士らはこの結果を「同時に処理できる情報には限界があり、許容量を超えると購買意欲そのものが低下する」と説明しています。 客のことを考えると「つい気を利かせて」たくさんの選択肢を用意してあげたくなりますが、選択肢が多いことは逆効果にもなるというわけです。言われてみれば、メニューが豊富なラーメン屋よりも、「うちは塩ラーメン一本だよ」と言ってもらったほうが、スカっと気持ち良いし、信頼できる気がします。 つづいては「コントラフリーローディング効果」について。これも選択肢過多効果に似て、直感に反する認知バイアスの一つです。 たとえば、こんな実験例があります。ある団体に所属するときに、希望すれば誰でも入会できる場合と、厳しい試練を経て仲間入りできる場合を設けます。すると、たとえ根拠のない無駄な儀式であっても何らかの入団基準があったほうが、入会後に、その団体への帰属感や愛着が強くなるのです。 脳は労せずに手に入れた(フリーローディング)ものよりも、何らかの対価を払って入手したものを好みます。これがコントラフリーローディング効果です。この効果が見られるのは人間だけではありません。私が研究室で飼育しているネズミを見てもよくわかります。 私は仕事柄、連日ネズミの行動を観察しています。通常、餌は皿に入れられていて、好きなときに食べられる状態にしてあります。もちろんネズミは十分に賢いので、レバーを押すと餌が出てくる仕掛けに変えても、すぐに学習し、上手にレバーを押して、餌を食べるようになります。 そこで、こんな実験をしてみましょう。2種の方法で、同時に与えてみるのです。一つは皿に入った餌、もう一つはレバーを押して出る餌。どちらの餌も同じものです。さて、ネズミはどちらの餌を選ぶでしょうか。 試せばすぐにわかります。レバーを押す率が高いのです。苦労せずに得られる皿の餌よりも、労働をして得る餌のほうが、価値が高いのです。 コントラフリーローディング効果は、多くの動物たち、たとえばイヌやサルはもちろん、トリやサカナに至るまで、動物界にほぼ共通してみられる現象です。 ちなみに、同じ実験を就学前の幼児に対して行うと、ほぼ100%の確率でレバーを押すことがわかります。成長とともにレバーを押す確率は減っていき、大学生になると五分五分の選択率となりますが、やはり、完全に利益だけを追求することはありません。 こうした脳の本質的なクセを知ると、労働の価値について考えさせられます。贅沢三昧で悠々自適な生活は、誰もが憧れます。しかし仮にそんな夢のような生活が手に入ったとして、本当に幸せでしょうか。 定年で突然仕事を奪われた手持ち無沙汰さからストレスを溜めこんでしまう「定年症候群」が近年しばしば話題にのぼりますが、働いて得た給料と、労働せずにもらえる年金では、おなじ1円でも価値が異なるというわけです。 ちなみに、これまで調べられたなかで、コントラフリーローディング効果が生じない動物が、一種だけ知られています。飼いネコです。ネコは徹底的な現実主義です。レバー押しに精を出すことはありません。 (思い込みが大きいと選択ミスをしやすい) 社会的地位が高い人ほどモラルは低い? 最後に「上流階級バイアス」を紹介しましょう。簡単にいえば「金持ちはマナーが悪い」という傾向です。 意外にも思いますが、これもまた認知バイアスの一つです。これを証明したのがカリフォルニア大学のピフ博士らです。原著論文には、これを支持する実験証拠を七つ発表しています。ここでは三つ選んで紹介しましょう。 まずピフ博士らは運転マナーについて調査しました。車のレベルが社会的ステータスを反映していることはよく知られています。博士らは、車のランクを高級車から大衆車まで五つに分類し、階級別に交通規則をどれほど守っているかをモニターしました。 すると、横断歩道で手を上げている歩行者を待たずに通過してしまう確率は普通車35%のところ、高級車は47%であることがわかりました。また、交差点で相手の車を待たずに割り込む率は普通車12%のところ、高級車は30%と2.5倍にもなったのです。 次にピフ博士らはボランティア参加者を集めた実験を行いました。たとえば、参加者に面接官になってもらいます。就職希望者とうまく交渉しながら採用者の給料を決定するのです。この際、重要な事実があります。志願者は長期的で安定した職を求めていますが、実は、今回の採用ポジションは近々廃止予定なのです。さて、面接官は志願者にこの不都合な真実を告げるでしょうか。 実験の結果、下流階層の人は素直に事実を告げて志願者と交渉する傾向が強かったのですが、社会的ステータスの高い人は事実を隠したがることがわかりました。「あとから状況が変わったことにすればよい」という作戦でしょうか、ともかく騙してでもいいから、自分に有利に交渉を進めるわけです。 ピフ博士らが最後に行った実験が、もっとも象徴的です。「自分は社会的地位が高い」と思って行動をしてもらう実験です。すると、下流階級の人でも貪欲さが増し、非道徳的な態度になります。つまり、モラルの低さは生まれつきではなく、その地位が作ったものだと言えそうです。 さらに面白いことは、「金欲があることは悪いことでない」と付け加えると、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」はどこへやらで、下流階級者の尊大ぶりは、実際の上流階級よりもひどいものになりました。 単に有頂天で「天狗になっている」のか、あるいは、普段受けている仕打ちへの腹癒せなのかはわかりませんが、醜悪な心理を、見事に浮き彫りにした実験結果だと言えます。 (金や社会的地位が思い込みをつくり、選択ミスをしやすくし、能力を下げ、低くする。) 人間が好きになる脳のトリセツ いかがでしょうか。認知バイアスは、そうとわかっていても、つい落とし穴にはまり、なかなか修正することができないクセです。だからこそ認知バイアスなのです。 人は自分のクセに無自覚であるという事実に無自覚です。他人のクセには容易に気づくことができても、案外と、自分自身のクセに気づかないまま自信満々に生きているものです。最大の未知は自分自身です。 本当の自分の姿に気づかないまま一生を終えるなんてもったいないーー。せっかく人間に生まれてきたのですから、自分の認知バイアスについて知っておくのは、決して悪いことではありません。 こうした考えが、私も40代の後半に入り、ますます強くなってきました。これに押され、ついに認知バイアスについての初心者向け解説書『自分では気づかない、ココロの盲点 完全版』(講談社ブルーバックス)を上梓する運びになりました。この本は、心の盲点を知るための手引き、いわば「心の辞書」です。 ただし注意してください。脳に偏見があること自体は罪ではありません。クセは脳のデフォルトです。そして偏見はときに生きることを楽にしてくれます。 しかし、だからといって、その偏見は必ずしも礼賛されるとは限りません。もし全員が自分の「正しさ」を妄信したままコミュニケーションすると、不用意な摩擦が生じかねません。 傾向と対策ーー。脳のクセを知っていれば、余計な衝突を避ける予防策になります。それだけではありません。脳を知れば知るほど、自分に対しても他人に対しても優しくなります。そして、人間って案外とかわいいなと思えてくるはずです。 人間が好きになる脳のトリセツ。そんなふうに本書を役立ててもらえれば著者望外の喜びです。 ★ ★ ★ 以上の話をまとめると、誰しも自分は平均以上の能力がある、という思いこみをもち、その思い込みは、金銭を所有することや、地位が高くなるほど大きくなり、選択ミスや判断ミスを誘発し、能力を下げ、低くするというのである。 上の話では、「脳のクセ」としていたが、オカルトでは、脳ではなく、霊である。だから霊のクセといえる。 つまり、霊のクセ=思い込みが大きいと、それは容易に金銭の所有や、地位が高くなることで、大きくなるが、これは俗にいう妄想のことだが、オカルトではルシファーの誘惑と呼ばれるが、様々な霊がもつ能力を下降させ、低くし、現実に適応できなくする。 だから、キリストは、金持ちが天国に行くのは縄を針の穴に通すよりも難しいと言ったわけで、金持ちや高い地位は、天国に進む道を選ぶのを困難にし、地獄へと導くというわけである。 さて、冒頭に述べた、人は運命で生きるのか、自由意志なのか、の問いだが、カルマという運命に従って、自分独自の、つまり自由意志で、何段階もある天国、もしくは地獄である未来を選択して生きるというのがオカルトの答えである。 物質的には、子供は必ず大人になるが、精神的には、子供が必ず大人となるわけではない。図体は大人でも、精神が子供なのは、いまのこの国の政治家や金持ちをみればわかる。 子供の方が精神が高いケースも多々ある。大人の肉体が、思い込みを大きくさせている。 つまり、金持ちや地位が高くなるにつれ、天国に進む道を踏み外し、地獄に堕ちることが多くなる。だから頻繁に軌道修正が必要になる。 だから、人間の霊魂は何度も輪廻転生を続け、天国に向けて精神を高めてきた。 物質界では過去から未来に時間が進むが、精神界では、未来から過去に時間が進む。だから最上の天国を選択するなら、その道を進むのは非常に困難になるわけである。 お釈迦さんやキリストが、ホームレスという地位を選択したのは、最上の天国を選択したためである。 つまりこの世は学校で、人生が学科、専門分野みたいなもんである。政治家や資産家は地獄の道を選択したわけである。この世を変えたいのなら、底辺から変えないとダメで、上部で現を抜かしているのではダメだからである。せいぜい看板の挿げ替えしかできない。 現代人のほとんど、つまり金持ちや地位の高い人が弱者を無視して、地獄の道を選択している、という現実に早く気づくべきである。
2016年11月05日
コメント(2)
久しぶりに書きたい。 先日、加藤の乱の解説をTVでやっていた。日本の政治を壊したのは、サメ脳の森であり、このバカがオブツ死後に、民主主義を無視して悪徳5人組で後継総理を決めて、総理になってから、日本の屋台骨が傾きだした。 そのバカをやめさせる最後の機会が加藤の乱だったが、私利私欲の悪徳野中が加藤の腹心の古賀を誑かし、日本の政治を壊した。 この連中は地獄でもがき苦しむだろう。なんせ日本のまかりなりにも機能してきた民主主義を破壊した連中なのだから。 その後の衰退をみればよくわかる。政治が単なる票読みのポピュリズムになってしまった。大学の文科系学者と改憲を巡ってポピュリズムで論争するのがいまのアホ総理である。 この国は本当に終わっているように思える。実際、少子化、高齢化、災害、長く続く不景気による雇用破壊と地方経済破壊、科学技術も衰退気味で、教育も戦前回帰している始末である。 さてこの国も深刻だが、お隣の韓国はもっと深刻で、FTAで、韓国経済は草刈り場と化した。国民のストレスがいま大統領に向けられているといえるだろう。この状況はかつての明治維新後を思い起こさせる。 というわけで、その話を紹介する。 ★ ★ ★ 支持率ゼロ http://my.shadowcity.jp/ パクネの支持率がゼロパーセントというんだが、まぁ、笑い者にするのはいいんだが、それだけ韓国は自浄能力を持っているという事でもある。日本会議とか統一協会とか創価学会とかのカルトに支配されて、自浄能力のない日本の方がよっぽど恥ずかしいんだけどねw 朴槿恵大統領の支持率、一部地域で0%に...ニュース視聴率は絶好調 「親友」の崔順実(チェ・スンシル)氏を国政に介入させていた疑惑で窮地に立たされている韓国・朴槿恵大統領の支持率が、史上最低の5%を記録した。韓国の各メディアが報じている。 韓国ギャラップが4日午前に発表した11月第1週(1?3日)の世論調査結果によると、朴槿恵大統領を支持すると答えた人はわずか5%に過ぎなかった。一方で支持しないと答えた人は89%に達した。 地域別に見ると、元々リベラルの強いソウルでは2%、与党の票田である大邱市と慶尚北道でも10%、反与党感情が強い光州市と全羅南道では0%を記録した。 そういや一次安倍内閣の頃にも、カルト教団とアベシンゾーの関係について、マスコミが騒いだよね。アベシンゾーが復活してからは、とんと表に出てこないがw よっぽど統制が効いているんだろうw ★ ★ ★ どこの国の政治家も私利私欲が極まって、国が崩壊寸前になっている。そもそも弱者を保護できない国は国とはいえない。国を超える企業がでてきているのを止めることができないのは、国がもはや崩壊しているからである。 国とはなにか? 端的にいうなら、生命と生活を保障するものである。 しかし、いまどの国も巨大企業により恐喝を受けている状態で、国は連合して巨大企業に立ち向かおうとしているが、自由貿易という名で、国を揺さぶっているのが現状である。 つまり人類は思考力を失い、崩壊に向かって進んでいる。 人工知能に思考力を受け渡し、人類は思考せずに、どんどんバカになっている。人工知能に人類は滅ぼされている。 このような激動の時代に重要なのは、個人主義である。 以前紹介したが、マツコデラックス氏の以下の話は、現代を生きるための的を得ているように思える。 ★ ★ ★ 日本では大震災が起きて、欧米も経済危機で国が潰れそうな状況の中、私たちがしなきゃいけないのは、この先、自分の生活スタイルや考え方を見つめ直して、どうやって生きていくか、を決める作業だと思ってる。 ★ ★ ★ 日本人に乏しい感性は、この「自分をみつめる」作業だと思われる。 ギリシア哲学では、「汝自身とは何か」が課題とされたように、己をみつめることが、基本なのを実は最も怠っている民族が、日本人ではないか、と思われる。 例えば、数十年前、いまでもそうだと思うが、「なぜ大学に行くのか?」という問いに、「皆が行くから」とか、「大企業に就職できるから」、もしくは「特定の職業につけるから」と、漠然とした答えしかできないのが、没個性ともいわれる日本の若者の特徴であった。 その答えには、全く「自分」という言葉がない。唯一を求めない答えである。そうつまり、どこかの回答集に載っているうちの1つにすぎない。コピーなのである。 猿まねでオリジナリティがないのが日本人と海外ではいわれてきた。そして、使い古されて海外でも既に有名な、建前と本音の使い分けをいまだに持ち出すのも、日本人である。 いま流行なのが、海外からの日本旅行者や居住者に、「日本は素晴らしい」といわせることだが、これも体裁を気にする内向きの特徴といえる。 このような内向きの特徴をみていると、日本人って進歩がないのではないかと思わせられる。 かつては経済第2位ともてはやされたときに、エコノミックアニマルと蔑称された。海外では人間と思われていなかったのである。「日本人」という不可思議な生き物という感覚でとらえられている。 過労死という言葉が世界で認められるほど、日本の長時間労働は、その例で、海外での調査では、仕事が好きでないのに、生活費を稼ぐために、やむなく残業をしているという実態も明らかになっている。 つまり海外では、「日本人」とは不可思議な生物という感覚でとらわれているようで、日本でいうところのアニメキャラや、ゆるキャラのようなものらしい。不思議な国ニッポンというキャッチコピーで代表されるような、どこかコミカルという非日常的な感じを与えるようである。 つまり、「日本人」というキャラが独り歩きしている現象を起こしている。 このブログで何度も紹介されているが、日本人は多民族で、ただ明治期に「日本人」という単一民族かのように宣伝洗脳されただけなのに、つい最近も、大阪の無知な警官が、沖縄の住人を「土人」と表現したわけだが、この感覚は、大阪が江戸時代の差別感覚を色濃く残していることを顕わにした。 大阪は昔からかつて戎と呼ばれ、異民族扱いの堺の部落民の土地柄で、日清日露戦争で徴収された大阪兵が最弱だった、のは司馬遼太郎氏の本で有名である。大陸からきたお上に対して反抗的なのも大阪だったが、もはや米軍に飼いならされた犬になったようである。 江戸時代では、沖縄も、大阪も、京都や江戸からは土人(土着民、部落民)と呼ばれていたわけで、もっと古代にさかのぼれば、朝廷や坊主は大陸からきた渡来人なので、原住民は土人と呼ばれ、朝廷でなければ土人で、いまの表現でいえば、胤が不明なので、「庶民」である。英語でのサンオブビッチ、売春婦の子という言葉になる。 例えば、英語圏で、このような言葉を使えば侮辱罪になるだろう。敬語が発達した国とはいえぬ言葉使いである。 結局のところ、「日本人」という言葉と同時に画一化が行われていることに気づかないといけない。 この明治期につくりだされた「日本人」という言葉が、いまだに組織を拘束し、自由を奪っているように思える。「日本人」という呼び方が個性化を阻んでいる。 そう、これからの世界では、「日本人」という幻想を捨て去るのが基本となる。 日本語でさえ、明治期とは異なるのは、明治期の本が読みづらく、意味がつかみにくいことでもわかる。明治期にインチキな日本史がつくられ、それを宗教の経典のように信仰されてきた。 陰謀論において、その経典を書いたのが英国のフリーメーソンで、それに操られ、宣教師となった日本人が、長州の下忍出身の伊藤俊輔だったのは、前回紹介した。 この明治期につくられた欧米追従の宗教から改宗しないといけない。 日本人という言葉でもわかるが、日本が島国で閉鎖的で、内向きで、洗脳されやすく騙されやすいので、特に全体主義から脱却し、個人主義に目覚めるべきである。 個人主義というと、エゴと勘違いしやすい人もいるが、唯一という意味で、つまり宇宙に唯一、社会に唯一の存在になれば、それは欠かすことができない、ということである。 数年前に流行った「ナンバーワンにならなくてもいい、元々特別なオンリーワン」という歌が流行ったが、オンリーワンになること、しかし、そのオンリーワンとは、宇宙や社会に欠かせないオンリーワンであって、それをみつけるのは並大抵の努力では無理で、何度も何度も輪廻転生して磨いていく能力なのである。 オンリーワンというと、なかなか雲を掴むような話で、想像しがたいが、そこで、ある面白い本を紹介する。それは以下のように、論語を現代風に解釈したものである。 ★ ★ ★ あなたの悩みを晴らす論語 佐久 協 (著) https://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AE%E6%82%A9%E3%81%BF%E3%82%92%E6%99%B4%E3%82%89%E3%81%99-%E8%AB%96%E8%AA%9E-%E4%BD%90%E4%B9%85-%E5%8D%94/dp/4262155552 温故知新 既にある説に新解釈を加える。 ★ ★ ★ 以上のように、古典を現代風に、自分の人生経験のなかから、自分風に解釈すると考えれば、オンリーワンは掴みやすくなるだろう。 4次元世界では、過去は未来につながっている。我々が生きる物質界は、時間が過去から未来に流れているが、精神界と呼ばれるアストラル界は、未来から過去に時間が流れている。 つまり、個人の精神は、カルマの法則に沿って、未来を選択しているのである。それは、例えば、学校で数学を学びたいと思えば、数学の教科書を読むのと同じである。 例えば、自分には貧乏の経験が必要だから、その経験をするために、貧乏に生まれるわけである。 未来から何を選択するかは、個人の自由で、この選択は、既にある説に新解釈を加えるのと同じで、既に経験したことに、新しい体験を加えることなのである。 だから、自分というのが最も大切で、オンリーワンなので、それが唯一神といわれる存在に由来する。 誰かの人生を生きるのではなく、自分の人生を生きるべきである。
2016年11月05日
コメント(0)
全4件 (4件中 1-4件目)
1


