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純粋に音を楽しみたい言葉や会話もいらない世界社会や家族や家庭も存在しない世界あるのは、目の前に拡がる音空間だけの世界苦痛や暗闇を人に知らせようと思わない苦痛や暗闇をもっと楽しみたい他者と交流しようとは思わない自分だけの宇宙に浸っていたい他者は怖くはない怖いのは言いきれてしまう、自分の宇宙悲しんだり怒ったりすることがない全てを許せてしまう世界血が通っているものに対しての嫌悪感そんな世界が私の心の中を支配するDARK SIDE OF THE MOON
2003.05.31
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昨日の旅情編#1は青春シリーズの『飛び出せ青春』で終わりました。見たことのある人は、そういないと思うけど、この番組は『3年B組金八先生』の元祖的番組なのです。映画でも上映されたシリーズでしたので、かなりの人気があったことは確かです。中村雅俊が主演になってからは、私も見なくなりました。宿はニセコ東山プリンスホテルでした。冬はスキー客で賑わうのでしょうね。バスガイドさんから、車中で注意事項が一点「ホテルの露天風呂の前に池があります。池には鯉がいます。間違って池に入らないようにしてください。実際入った人がいて、大事な所を鯉にかじられた人がいます。」まぁ、これは冗談だろうと思っていたけど………ニセコ東山プリンスホテルは、プリンスらしく、レストランはスリッパ禁止・部屋の外では浴衣禁止でした。しかし、いたよな浴衣で廊下歩いていたおじさん、オバサンが、困るな常識のない人海外では恥さらさないでね。夕食後一息して、大浴場へそして露天風呂へ向かう。なるほど、前には大きな池が、あたりは薄暗いしこれは、間違う人もいるかもしれない。鯉は露天風呂に近い方に集まっていた。きっと、暖かいほうを好んでいるのだろうか。池に間違えて入ってしまったら、美味しそうなものがブラブラしていると勘違いして大事な所を鯉にカッポリとやられてしまうかもしれない。どんな感じなのかな?(想像するなって)二日目の最初の行き先は、積丹半島にある神威岬。積丹半島は、道路工事の箇所が多かったせいもあったけど、ごく普通の半島でした。伊豆半島と比べて見ても、違いは見られませんでした。バスから降りて、道の駅神恵内から神威岬まで徒歩で行くことになりました。万里の長城のミニチュア版のような遊歩道が素晴らしかった。往復で30分程のコースです。海が透明で綺麗。奇岩怪石の美に見とれました。駐車場まで戻ってみるとなんと、キタキツネに遭遇。逃げる様子もなく、痩せていてお腹を空かせている様子だったので、煎餅をあげました。美味しそうに食べていました。ついでに、ちょっと体を撫でてあげました。他の観光客も寄ってきて、餌をあげたり写真を撮ったりしていました。そこへ、他のツアーのバスガイドさんが寄ってきて「餌をやってもいいですが、体には触らないでください、病気が移りますから」おいおい、病気?もっと早く言ってよ。お触りしちゃったじゃん。(今のところ発病していないから、大丈夫だろう、しかし、病気って何の病気なのだろう。)積丹半島を後にして、次は小樽へ向かう。小樽でお昼、ちらし寿司を食べる。地元の鮨ねたは新鮮で旨い!ここで自由時間が、1時間30分近く。小樽運河を渡り小樽駅方面に向かうことにした。途中で商店街を見つけフラフラとそっちへ。どこといって違いのない商店街、中古レンタルショップGEOを見つけ中に入る。辻仁成の小説『ピアニシモ』を見つける。100円だったのと、ここは北海道だから(函館出身の作家)ここで買うのもいいだろうと思って購入した。レジの二十歳くらいのお姉さん、にこやかで感じ良かったです。東京あたりだとツンとした感じの子も多いのだけど、小樽だと違うのか、それとも思い込みすぎ?商店街を抜け、北海道最古の鉄道後「手宮線」の線路を歩く。続いてバス駐車場近くの、北一硝子店でガラスのランプ・オルゴール・香りにうっとり。小樽公園にも行ってみたかったけど、時間がなくて行けませんでした。他の人達は、石原裕次郎記念館とか、三角市場でおみやげを買っていたみたいです。小樽から、新千歳空港へ向かい帰路につきました。往復の飛行機に、一泊3食付き、しかも添乗員・バスガイド付きで19800円、この価格設定は破格だ。どうなってるんだろう。まぁいっか、無事に帰ってこれたんだし、サービスだって良かったし添乗員・バスガイドさんも真面目で親切でした。添乗員さんとお話が出来なかったのが心残り。あと、ツアーメンバーの中で一組のカップルがいたのが気になった。20代前半ぐらいで、新婚さんではなさそう。いいなぁ、仲良さそうだったし、二人っきりでホテルで楽しい事しちゃったのだろうか?いいないいな。普通のオジサンに戻ってしまったPerman6293でした。チャンチャン。(別ページで近々北海道の画像アップします。)なお、北海道は本州からやってきた、網走刑務所に入れられた犯罪者達が、開発した(働かさせられた)土地だそうです。弱ってしまって使い物にならなくなった受刑者は、生きたまま木に縛られてしまったとか。
2003.05.29
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5月25日 朝5時50分起床トースト一枚にコーヒー一杯で軽く朝食をすませ、6時14分初バスに乗り込む。行き先は宮前平。宮前平で、田園都市線に乗り継ぎたまプラーザへ。ここで下車し、羽田行きの直行バスへ乗り込む。7時40分渋滞にも巻き込まれず予定どおり、羽田に到着。まずは第一関門突破。9時の集合時間まで、時間はたっぷり、まだだれも集合していない。どうやら一番だったようだ。ここは、時間までのあいだMDでも聞いて時間を潰すことにしよう。空いていたロビーの椅子に座りヘッドホーンを耳にセット……あれれ、ボタンを押しても無表示、音が出ない。なんと、バッテリー切れなんてこった。持ってきたストーンズがシカゴが聞けないじゃないか。そういや、最近CDウォークマンばかり聞いていてMDは聞いてなかった。放電してしまったようだ。トホホ。8時ごろから会社の同僚が少しづつ集まりだす。今回は11人の職場旅行だ。9時全員揃ったところで、搭乗手続き、行き先が新千歳空港と判明する。やはり、北海道だったのだ。添乗員は新千歳空港で待っている。10時発ANAで羽田を発つ。11時45分新千歳空港着。ここでツアーバスに乗り込む。我々は1号車、3号車までが同じツアー。お客さんは、やはりオバチャンが圧倒的に多い。職場旅行は我々だけのようだ。添乗員は25歳ぐらいのお姉さん、おかめ顔の可愛い感じの人、太すぎず痩せすぎず、うーんタイプです◎こりゃ楽しくなりそう。一方ガイドさんは40歳~45歳くらいの女性で、四角い顔でいかにも道産子原住民ぽい顔立ち、こちらは△以下か。ミステリーツアーなので、これから何処へ行くか分からない、到着するまでは。第一の行き先、ヒントとして『時計台』とガイドさんが告げた。時計台?札幌まで行っちゃうのね。と思ったら15分後、着いたのが『千歳道産市場』確かに、市場の屋根の上には時計台がある。やってくれますね。ここで昼食です。2番目の行き先、ヒントは『富士山』ん?北海道に富士山なんかあったかしらん。何処だろう。着いたのは『支笏湖』日本一深い湖だそうです。雄大な感じのする湖でした。湖から見えた富士山に似た山は『羊蹄山』ホントなだらかな山の形はそっくりでした。3番目の行き先、ヒントは『ペットボトル』着いたのは、京極ふきだし公園で、極上の水がわき出ている公園。ポリタンクを買えばわき水を持っていき放題。まろやかな水でとても美味しかったです。今夜の宴会用の水割りに持ち帰りました。次はいよいよ今日の宿へ行きます。ここもミステリーで到着まで場所は分かりません。ここまで私が一番気に入ったのは、支笏湖からホテルまでの間の田園風景です。バスの中からだったのが残念、このあたりを散策したかったです。その昔、TVドラマでやっていた青春シリーズの『飛び出せ青春』の中の北海道ロケはこんな風景だったような気がします。サッカー部だったかラグビー部だかの、夏合宿で部員と女子マネージャーが合宿所に向かうシーンの風景です。彼らは何かしらの理由(記憶にない)で徒歩で合宿所に向かっていたのだけど、その時の雄大な北海道の自然の風景が強烈に印象に残っていました。ちなみに私は、この青春シリーズが大好きで『青春とは何だ』『これが青春だ』もよく見ていました。 次回へ続く
2003.05.27
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単調なリフの繰り返し、オルガンがシャアシャア鳴っている。シンセもピコピコで、ホニャホニャ。ドラムも単調なリズムをかもし出している。でも、とても気持ちがいいテクノポップ。眠くなってしまうくらいに気持ちいい。ボーカルは低い声の女性、これがまた眠気を誘う。本当は【ステレオフォニックス】の新譜が気になっていて、聞きたいと思っていた。同じステレオつながりで、ステレオラブを想い出してしまったのだ。ステレオラブのCDを持っていたので、どんなロックだったのか聞いてみたくなったのだ。旅行帰りでもあるし、今日はステレオラブをBGMにして寝ることにしよう。
2003.05.26
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著作について考えてみました。音楽などに発生する著作権、簡単にいうと、音楽を生活の手段にしているアーチストを保護する法律といえばいいのか。作者の作成した音楽をコピーしたりして、人に譲渡あるいは安く転売などの行為をすると、正規のルートで発売している音楽(CD等)が売れなくなってしまい、アーチストの生活が脅かされることになります。また、音楽を生み出す源がなくなってしまい、音楽産業が衰退するといったところでしょうか。音楽の再生機器がデジタル化されてきてから、問題が大きくなっている。原音と比べて質の低下の少ない複製品。それに対応して、子供の世代まではデジタル録音が可能で孫の世代になるとコピー不可になったり(つまり個人で楽しむぶんには合法)、パソコンからCDRにコピーができなくなるCDの記録方式(名前は忘れました。)それから、ネット上にあるMD並の音質といわれるMP3ファイルにアップロードしてしまう問題、それをダウンロードしてしまう問題。でも、どうなのだろう。オーディエンスも商品を選ぶ権利もあるわけで、聞いてみないと価値が分からない音楽は、(中身の分からない商品を買わされるのは詐欺にちかい)試聴機で選んだり人づての評価や音楽雑誌の評価で選んだりする。ウェブ上の音楽も、そういった意味では商品を選ぶ権利であって音楽を流す行為は違法ではないと私は考えます。録音してしまい、商品を買う必要がなくなってしまうのは、機器側(メーカー)の問題であってオーディエンスの責任ではないと思います。だれだって、そんな機能がついてれば、使いたくなります。MIDIについては、著作権上では曲の一部を短くする等改変や編曲をした場合に当てはまるようで、著作者の同意と翻案権を有する著作権者の許諾を得る必要があるということらしいです。MIDIの場合、オリジナルではなく、元に原曲がある場合です。著作者が原曲の作曲者で翻案権を有する著作権者がMIDIの作成者です。MIDIのページを見てみると、フリー使用可と書いてあって、著作を放棄しているのがあったり、使用するHPのURLを報告するような(許諾を得る)ことが書かれてます。ただし、著作者の同意を得たのかどうかは書かれてはいません。MIDIを音楽的に考えてみると、音楽として楽しめることは確かですが、それで満足して、原曲を買わないという感覚になるような音楽ではないと思いますし、原曲の価値を壊すしろものでもない。原曲とは別物です。イメージを飾る程度のものです。著作を侵害するものではないと考えています。私がページ上で流しているのは、著作を放棄しているMIDIもしくは、不明な物ですが、けして著作を放棄していないと明示してあるMIDIは使用していません。最近私は、ある人から、ページ上でMIDIを流していることに対して、激しく誹謗をうけました。その人が言うには、著作を侵害しているMIDIを流す行為は罪でとんでもないことをしていると言うのです。話が一方的でとても、議論する気にはなれませんでした。当人のページを見てみると、初期の楽天のページそのままで、画像も壁紙も何もなく素っ気ない物でした。きっと著作権の観念に縛られて、何も出来ない状態なのでしょう。過去の日記を見てみると、私以外にも他の人のHPを批判しているものがありました。きっと、きらびやかな他の人のページを見ると妬ましくなって誹謗してしまうのでしょうね。
2003.05.24
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ちょっと大げさなタイトルだけど、最近悩んでいる事を少し話します。日記もちょうど100件目で区切りもいいので、そろそろ日記のペースも緩やかにして、週末だけにしようかなと思っています。正直、平日は仕事が終わって、楽天の日記と返事に時間がとられてしまって、一日が終わってしまうようです。最初のころは夢中でそれでも良かったのですけど最近段々としんどくなってきました。元々、冗談半分で始めたような感じもあって、楽しければいいじゃない的な感覚でやってたんですけど、時には、度が過ぎてふざけすぎたり、ハレンチになってしまったようにも思えます。それと、ホッポリ放しのもう一つのHPを充実させたい気もあります。楽天のほうは、確かに入門篇的感覚で始めたのだし、気楽さもよかったのだけど、作品として充実させたいという感覚もあります。そんなに硬く考えずに気楽に考えてやっていけばいいじゃないとも思いますが、毎日こまめに訪問してくださる方々がいると思うと、何か書かなきゃと思ってしまうし、悪いなという気持ちで、気楽にはなれないです。色々言ってみても、一番感じるのは自分の無能さです。他人に向けてしまうのはいけないなと想いながらも、マンネリやイライラで、感情が不安定になってしまうのを押さえきることが出来なくなってしまうのも、要は自分自身の未熟さ、才能のなさです。これからは、これまでより、返事がすぐ書けなかったり反応が鈍くなるかと思います。これまで嫌な気持ちにさせてしまったBBSもあったかと思います。まとめて、反省したいと思います。100の区切り、また新たな気持ちでやっていきます。
2003.05.23
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1986年の日本のヒットチャート86/01/13-86/01/27[ 3]冬のオペラグラス _ 新田恵利 86/02/03.........[ 1]バナナの涙 _ うしろゆびさされ組 86/02/10.........[ 1]くちびるNetwork _ 岡田有希子 86/02/17.........[ 1]DESIRE _ 中森明菜86/02/24.........[ 1]Broken Sunset _ 菊池桃子 86/03/03.........[ 1]じゃあね _ おニャン子クラブ 86/03/10-86/03/17[ 2]季節はずれの恋 _ 吉沢秋絵 86/03/24.........[ 1]My Revolution _ 渡辺美里86/03/31-86/04/07[ 2]青いスタスィオン _ 河合その子 86/04/14.........[ 1]私は里歌ちゃん _ ニャンギラス 86/04/21-86/04/28[ 2]恋のロープをほどかないで _ 新田恵利261 86/05/05.........[ 1]おっとCHIKAN! _ おニャン子クラブ262 86/05/12.........[ 1]象さんのすきゃんてぃ _ うしろゆびさされ組263 86/05/19.........[ 1]夏を待てない _ 国生さゆり 86/05/26.........[ 1]夏色片想い _ 菊池桃子 86/06/02.........[ 1]風のInvitation _ 福永恵規 86/06/09.........[ 1]ジプシー・クイーン _ 中森明菜 86/06/16.........[ 1]Song for U.S.A. _ チェッカーズ 86/06/23.........[ 1]あじさい橋 _ 城之内早苗 86/06/30.........[ 1]自分でゆーのもなんですけれど _ ニャンギラス86/07/07.........[ 1]シンデレラたちへの伝言 _ 高井麻巳子 86/07/14.........[ 1]再会のラビリンス _ 河合その子 86/07/21.........[ 1]ダイヤモンド・アイズ _ 少年隊 86/07/28.........[ 1]瞳に約束 _ 渡辺美奈代 86/08/04.........[ 1]お先に失礼 _ おニャン子クラブ 86/08/11.........[ 1]不思議な手品のように _ 新田恵利 86/08/18.........[ 1]スキップ・ビート _ Kuwata Band 86/08/25.........[ 1]ノーブルレッドの瞬間 _ 国生さゆり 86/09/01.........[ 1]青空のかけら _ 斉藤由貴 86/09/08.........[ 1]渚の『・・・・・』 _ うしろゆびさされ組86/09/15.........[ 1]Say Yes! _ 菊池桃子 86/09/22.........[ 1]鏡の中の私 _ 吉沢秋絵 86/09/29.........[ 1]メロディ _ 高井麻巳子 86/10/06.........[ 1]Fin _ 中森明菜86/10/13.........[ 1]CHA-CHA-CHA _ 石井明美 86/10/20.........[ 1]深呼吸して _ 渡辺満里奈 86/10/27.........[ 1]雪の帰り道 _ 渡辺美奈代 86/11/03.........[ 1]哀しい夜を止めて _ 河合その子 86/11/10.........[ 1]恋はくえすちょん _ おニャン子クラブ289 86/11/17.........[ 1]ONE DAY _ Kuwata Band 86/11/24.........[ 1]内緒で浪漫映画 _ 新田恵利 86/12/01.........[ 1]技ありっ! _ うしろゆびさされ組 86/12/08.........[ 1]バラードのように眠れ _ 少年隊 86/12/15.........[ 1]あの夏のバイク _ 国生さゆり 86/12/22.........[ 1]ないものねだりのI Want You _ C-C-B 86/12/29.........[ 1]約束 _ 高井麻巳子なんじゃこれは、この年のNO1ヒットチャート。36週もおニャン子勢が占めている。しかも、新田恵利の冬のオペラグラスが最高の3週で他の曲は1週間ぽっきりでたち代わりだ。ひどすぎます。うしろゆびさされ組?ああ、高井麻巳子とゆうゆ二人の組ね。この二人実は仲は良くなかったという噂があったような。アニメの主題歌になったやつね。吉沢秋絵?これもドラマで浅香唯とスケバンデカに出演していた。ニャンギラス?立見リカという年長のおニャン子中心の組み。オールナイトフジに掛け持ちで出ていた人。城之内早苗? おニャン子で唯一演歌を歌っていた人。新田恵利?今は地方のラジオ曲のDJをやっているらしい。渡辺満里奈?バラエティー番組の司会で活躍してますね。渡辺美奈代?バラエティー番組でみかける。実業家と結婚したらしい。国生さゆり?女優業に転身した。歌は超下手だった。あれ、工藤静香がない。次の年に出てくるのだろう。おニャン子では最後のほうのソロデビューだったから。(熊)「おいおい、猪さん、ひどすぎるとか言って、随分おニャン子に詳しいんじゃないのかい?」(猪)「おっと、藪から棒に誰かと思ったら、熊さんじゃあねえかい。いったいどこから出てきたんですたい。」(熊)「岩(ロック)と岩の隙間からだよ」(猪)「おっと、こりゃ失敬。ここはロックの部屋だってことすっかり忘れてやした。」(熊)「ロックの部屋におニャン子ネタ、もうすぐ日記も100目前てゆうのに何考えてんだい。少しは気合いいれて日記書きなさい。」(猪)「てやんでい。おニャン子といえば、モーニング娘の元祖みてえなもんでさぁ。あたしゃねぇ、これでも会社終わって速攻で夕ニャンつけてチェックしてたんでさぁ」(熊)「何だって、おニャン子のファンだったなんて、聞き捨てならねぇ。噛みついてやらぁ」(猪)「うるせえい。こっちこそ。」
2003.05.21
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シックスペンス・ノン・ザ・リッチャーのセルフタイトルアルバムは、確か去年新譜で買ったと記憶していたと思っていたのに、4年前にリリースされていたらしいから、どうなっているのだろう。私の脳みそがぐちゃぐちゃになっているのか、それとも……しかも、去年の11月にニューアルバム『Divine Discontent』が発売になっていたというから、うっかりしていた。この情報は頭の片隅にはあったのだけど、すっかり忘れていた。彼らは、テキサス州出身というから、アメリカのバンドになるの?こんなポップでキュートなバンドがアメリカ出身というから、私のなかではアメリカのバンドのイメージがくつがえされた感じです。女性ヴォーカルのリー・ナッシュがともかく、甘味でキュート。サウンドもバイオリンやアコースティックギターによる演奏もあって、シンプルで聞きやすい。「Puedo Escribir」という曲はスペイン語(?)で歌っているし、センスの良さはなかなかの物です。「There She Goes」もいいし、けれども、やはり「キス・ミー」は最高です。一度でいいから甘い声で「キス・ミー」って言われてみたいです。ハイ。遅ればせながら、『Divine Discontent』をチェックすることにします。
2003.05.20
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今日、『北京ヴァイオリン』を見に行ってきました。今日は、その簡単な感想です。簡単なストーリーを紹介すると、中国の田舎町で、父と二人で暮らす少年リウ。彼は母の形見であるヴァイオリンを幼い頃から弾き続けている。父も、彼がヴァイオリニストとして成功することを夢見ている。息子の成功を夢見ている父は、息子と北京へ旅立つ。北京では、音楽会に嫌気がさした一人の堕落した教師に付く。そこでは、堕落した教師の家の、猫の世話や家事などをやらされるハメに。それに危惧した父は、新しい教師に変えようと考える。それに気づいた教師は、リウへのレッスンを本気で行おうとする。リウの才能には高く評価していた教師、けれども、才能だけでは成功しないことをリウにさとすが、いつしか二人の関係は、切っては切れない関係になっていた。しかし、父は二人を引き離し、新しい中央の音楽会に通じている教師のもとに送ってしまう。反発したリウは、形見のヴァイオリンを売り飛ばしてしまう。新しい教師のもとには、少女のレッスン生がいた。コンクールには、一人しか出場できないと言われるが、教師はリウの才能を評価し彼をコンクールに出そうと考える。危惧した少女は、教師の欺瞞をあばく。父は息子のコンクールでの動揺を考えて、田舎町へ帰ることを決意する。コンクールは少女が出場するべきだと考えたリウは、父を追って駅まで駆け出す。駅の構内には、その父とかつての堕落した教師がリウを待ち受けていた。駅の構内で抱擁する父と子、その二人に構内にいた人々の暖かい拍手が鳴りやまない。 THE END下手な説明で、映画の感動が伝わっていないと思いますが、ヴァイオリニストとしての成功物語というよりは、父と子の愛情物語になっている。あえて、辛口の批評をさせてもらうと、リウの表情に変化が乏しく役不足を感じてしまいました。涙を流すシーンも、わざとらしく写ってしまって物足りなかった。他の役者は、名演でした。特に父役は。テーマが素晴らしかっただけにそこが残念です。それから、ラストシーンも美しすぎて、これで良かったのかという印象が残ってしまいました。リウの才能はこれから、何処に行ってしまうのかという、消化不良の感情が残ってしまいました。アメリカ映画だったら、成功物語が完結して、爽やかな風が心に残るんだろうけど、中国映画はちょっと違う感じ。詰めがもうちょっと良かったら、かなりの名画になっていたと思われるだけに残念。父と子の関係としては、父の夢を子供に託す感情は痛いほど分かります。でも、思春期に我が子の口から、僕はヴァイオリニスト(ミュージシャン他スポーツ選手でもいいです)にはなりたくない、なんて言われてしまったらショックは大きい。小学生あたりまでは、親がやらせている習いごととかは、素直にやってくれるんですけど………
2003.05.19
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再結成して欲しいグループの1つが、スウェーデンのポップグループ【アバ】、私は、前身のビョルンとベニーの時代、つまり二人の女性シンガーが加わる前の頃の曲「木枯らしの少女」が日本で大ヒットした時に、シングル盤を買い聞いていた。1972年頃の話です。アバとなってからの垢抜けたポップソングを初めて聞いたときは、やはり驚いた。あのビョルンとベニーがバックにいるのかと。ビョルンとベニーは60年代から活躍している。ビョルンはフォークロックバンド【フーテナニー・シンガーズ】で、フォークギター・タンバリン・ベース・ハーモニカ・コンガのシンプルな構成のバンドです。「THOSE ARE THE RULES」という曲はビデオ映像で見ることが出来ますがとても良い曲です。ベニーは【ヘップスターズ】というビートバンドに在籍していたが、「サニー・ガール」という曲ではビートではなくポップソングを歌っている。二人の女性、ブリーダとアニエッタも既にソロで活躍していた。そんな4人の出会いは、ビョルンとベニーがレコーディング中に女性シンガーの必要性を感じたため、「ピープル・ニード・ラブ」という曲で彼女達が参加したことに始まる。あまりに出来が良かったために、それ以来メンバーとなって、アバとして活動することになる。ビョルンとアニエッタ、ベニーとブリーダはそれぞれ結婚・同棲をしたのもこの頃です。1974年「ウォータールー」でユーロビジョンコンテストに出場し、優勝してしまう。この曲で世界的に話題になった彼らは、それ以来ヨーロッパを中心に日本でもスーパー・ポップス・グループとしての地位を確立する。アバサウンドの魅力とは何か1.メロディーが際だっている。2.コーラスの素晴らしさ、二人の女性ボーカルを引き立てるビョルンとベニーの裏の声。3.明るく幸せな気持ちにさせてくれる曲の高揚感。4.歌っているときの4人の明るい表情。そして、最大の魅力は、5.ブリーダとアニエッタの声の美しさ伸びやかさです。「ダンシング・クイーン」は、スウェーデンの国王の結婚祝賀会で歌われている。貴族をも、陽気にさせてしまう、アバの曲。「アイ・ハブ・ア・ドリーム」はカーペンターズの「シング」を思い起こさせるような、子供たちのコーラスをバックに歌われる曲。1979年の「ザ・ウイナー」あたりになると、悲しげなメロディーで涙がでそうになる。1978年にビョルンとアニエッタは別居しているから、個人の葛藤の中から生まれた曲なのだろう。グループが終焉に向かうとき、必ず物悲しい名曲が生まれる。1978年の「ブーレ・ブー」「ギミー・ギミー・ギミー」あたりのダンスナンバーも初期の明るさは影を潜めている。1980年には、すでに2組のカップルは離婚してしまい、ビョルンとベニーは別の女性と再婚してしまう。1981年グループ最後のオリジナルアルバム『ビジターズ』発表。1982年には、アバ結成10周年として最後のシングル「THANKYOU FOR THE MUSIC」をレコーディングしている。ここでは、メンバー4人の吹っ切れたかのような明るい表情が見られます。もう、これで最後という……名曲の数々を残してくれた彼らに「THANK YOU FOR THE MUSIC!」いつかきっと、アバが再結成されることを願いつつ。
2003.05.18
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ドキドキ!!ワクワク!!ミステリーツアー今年の春の職場旅行はこれに決定です。行き先も宿も不明なまさにミステリー。集合場所だけは明らかになっている。羽田空港2階ロビー全日空カウンター集合9時です。羽田だから飛行機で行くことは間違いないようだ。ツアー案内に行き先のヒントが書かれている。 ヒント1 平均気温12度C(5月) ヒント2 特産物 かになんだこれは、北海道なんじゃない。12度Cこりゃ寒すぎじゃん。もしかして、道北かな。それとも函館?バスで観光付きとある。二日間で19800円安い!しかし、会社的に行き先、連絡先が分からないのはまずいわけで、幹事さんは分かった時点で会社へ連絡をいれると言っていた。北海道への企画は初めてではなく、4年前だったか函館旅行の企画があって、行くことになっていた。直行バスで家の近くの駅から羽田へ向かったのだけど、高速道路が事故で大渋滞、10分遅刻で飛行機は飛び立ってしまった。空港ロビーで途方にくれた私、後から追っていこうかと思ったけど、倍飛行機代払うのも馬鹿らしいと思って、断念、しよぼくれて家路についたのでした。今回は1時間半前には羽田に着くようにはしょっと。早めについたら羽田で朝食が基本だね。シナプス♪さん5月25日26日北海道におじゃまします。(たぶん)
2003.05.17
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会社のMB(モーニング・ボード)にもSARS関連の話が出ている。要は中国・台湾方面の旅行は自粛するようにという内容なんだけど。厚生課も会社としての対策を考えているようだ。毎年、韓国への職場旅行が企画されているけど、今年は通らないだろうな。ニュースでも、日本で行う予定の国際会議は中止になるような話だった。そういや、大リーグの日本での開幕試合も中止になったし、サッカーもどこの国だったか来日中止になったような。ここ3年風邪をひいてないな。なんでかな。微熱程度でも、喉が少しでも痛くなったら風邪薬をすぐ飲んでしまいます、最近は。もう、この歳になると、風邪程度でも、かなりつらいものですから。ウイルスといえば、パソコンのウイルス。一度パソコン雑誌についている付録のゲームをインストールしまくって楽しんでたら、ある日突然パソコンが起動しなくなり、ハードディスクフォーマットし直して、OSを入れ直しました。いやもう、設定し直しで大変な労力、発狂しました。それ以来、ソフトのインストールは慎重になりました。パソコンソフトに書いてある、必要システム環境とかのスペックですが、自分のパソコン性能がギリギリで大丈夫だと思って使用していても、フリーズすることがおおいです。やはり、ケチらずに高めのスペックのパソコンを買ったほうが後々よいようです。近頃、エイズってあまり騒がなくなったようですが、自分がエイズだと好評した人沢山いたけど、死んでしまったという話はあまり聞かないな。潜伏期間のかなり長い病気なんだろうか。プロバスケットボールのあの人もまだ死んでないよね。クイーンのフレディー・マーキュリーはエイズって公表されてからすぐ死んでしまった気はするけど……今のところ日本ではSARSにかかった人いないようだけど、なったら隔離されるの間違いなさそう。街中マスクをした人だらけになりそうだ。今頃マスクを大量に製造して、金儲けしようなんて考えている人一人位いそうだ。(私だけ)中古のブラジャーで代用するのも悪くはなさそうだけど(え‥ いや‥エッチな意味でいっているのでは………)
2003.05.15
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人には堅実派と冒険家タイプというのがあるとしたら、堅実派は、毎日コツコツ仕事をして、それなりの生活レベルができていて、貯金とかも少しずつ蓄えていて、社会的にも安定している。冒険家タイプは、お金はあるだけ使ってしまい、人に使われるのが苦手で、借金してまでも商売をしたりする。自己中心でないとすまないタイプ。一般的には堅実派が多いはずで、サラリーマンはこのタイプでないと務まらない、社会の底辺を支える働き蟻。冒険家タイプは、毎日の生活にも四苦八苦する芸術家、劇団員、芸能、発明家、実業家の卵など底辺にいる人達。が、一発当たると飛んでもない長者になる人達。で、自分を含めて周辺の親族・家族を見てみると、堅実派ばかりで冒険家タイプもいないから、身近に学習する対象がいなかったために、それにはなり得なかったのは何の不思議でもない。ごく普通に当たり前のように堅実派になっていってしまったようだ。フリーターというのもあるが、彼らが本当に冒険家を目指しているのか、ただ単に定職が見つからないのか、組織の歯車のなかで働くことよりも、金がなくなったら働き、自由な時間を過ごすために時間を費やすのか、それは分からない。人は人生の分岐点にたつときがある。私の場合は第一希望の高校受験に失敗した時、家庭の都合もあって、進路を変えざるをえなかった。反発してまでも意志を貫けなかった自分がいた。そして、行きたくもなかった希望外の学校へ行くことになる。そして、就職、運が良かったのか某大手企業の試験に一発で合格。仕事で選んだというよりも、企業の安定性と初任給もそこそこ良かったことと、休暇もたくさんあるし、自由に休みがとれそうだ、といったお気楽な発想で就職を決めてしまった。『堅実』という言葉が頭をかすめる、自分には『冒険』ができない。先が不安という想いが先にたつ。自分ができないから『冒険』にたいしての憧憬は、人一倍強い。かつて、冒険家の《植村直己さん》に強く憧れた事があった。でも、ある人達に言わせると、彼に対しては「とんでもないよ、そんな生活、俺は嫌だね」という答えが圧倒的であった。そんなものだろうか。これが一般的な考え方なのか。身の回りが自分の環境に合っていないと感じた時、人はどう行動するか。馬鹿になってその環境にとけ込んでしまうか(とけ込んだふりをするか)、自ら飛び込んでその環境を変えてしまおうとするか。後者はかなりハードで苦しい行動パターン)前者は、ありがちで私はそれに近いとも言える。そしてもう一つ、その環境とも、思い切って変えてしまう方向、つまり外側に飛び出していくパターン。海外に留学して、ホームステイというのは、今時は珍しくないだろうけど、その地で、永住、結婚となれば『冒険』の部類にはいるのではないでしょうか。まして、その地でまた違った人種の方と知り合いさらに遠くの地へ旅立つなんて。でも、ネットの世界では、そんな溝も感じさせません。いつも同時進行で力強く生きている、《あなた》を感じる事ができます。RIKAさん、こちらでも待っていますよ。
2003.05.13
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確かライブ・エイドの時、ステージにトップバッターで出演したのは【Status Quo】だと思った。(違うかもしれません)TVで見ていたのだけど、司会は何故か南こうせつだった。初っぱなに相応しいバンドの登場だと思った。明るい気分でノリノリになるには、彼らが最適でしょう。ステイタス・クゥォーは1967年にデビューしているから、35年になるのだろうか。ハードブギーバンドの王者と呼ばれている彼ら、しかし68年ごろの曲「アイス・イン・ザ・サン」あたりは割とメロディアスでアイドル路線だったらしい。いつからブギーバンドになったのだろうか。73年の曲「ペイパー・レイン」では、ギンギンのブギーサウンドになっている。同じく73年の人気曲「キャロライン」では、ギターの掛け合いとコーラスののりが素晴らしくて完璧で隙がない。縦乗りのリズムで、自然に頭が上下してしまうのです。本国では絶大な人気なのに、アメリカでは、まるで人気がない彼ら。ライブ・エイドでの客の熱狂ぶりに驚いた日本のロックファンも多いのではないだろうか。そういう私も彼らの大ファン。むさ苦しいヘビメタ系のバンドは、どちらかというと好きではないのだけど、ステイタス・クゥオーには、そういった感覚はない。むしろ、可愛らしく親しみを覚えてしまうから不思議だ。日本での来日は、確か70年代だったと思ったけど、行きました。中野サンプラザに。ともかく凄く楽しいコンサートでした。私は前から5番目ぐらいの席で好位置をキープ。1曲目音が出始めて3秒も経たないうちに全員総立ち、縦のりでロックしまくったのでした。時間でいったら1時間あまりの短いライブだったのだけど大満足、心地よい汗をかいたなぁといった感じで気持ち良かったです。他に好きな曲は「ROCKIN’ALL OVER THE WORLD」とかドアーズの「ROADHOUSE BLUES」タイトルは「ロックン・ロール」なのにバラードな曲もあったりします。86年作の「IN THE ARMY」は、物悲しくて美しい曲です。知らず知らずのうちにクゥオーも進化しているのを感じてしまいます。「バーニング・ブリッジス」はポップで楽しい、ブギーは昔に比べると控えめになっています。【Status Quo】なんか聞いたことないという若いファンの方々、試しに聞いてみてはいかが、自然に体が動いて、クォーズブギーの虜になりますよ、きっと。
2003.05.12
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昨日「テイク・オン・ミー」だったから今日はナックの「マイ・シャローナ」でしょう。誰でも知っているでしょうね、この曲、そうです。♪マ・マ・マ・マ・マイシャローナDaDaDaDa.Da.Daマイ・マイ・マイ♪でお馴染みのカッコイイ、ロックナンバーです。彼らは80年代のビートルズというキャッチフレーズで紹介されていたバンドだったけど、何かが欠けていた。そう、ルックスのしょぼさです。ボーカルはまだ良かったものの、他のメンバーがどうにも地味で冴えなかったのです。そして、ファースト・アルバム『Get The Knack』、私も買いました。ところが、「マイ・シャローナ」以外の曲は全然記憶にない。つまり「マイ・シャローナ」が良すぎて、他の曲がつまらなかったのです。その後数枚アルバムを出したようですがさほど話題にはなりませんでした。私も聞いていません。で、話は飛びます。よくTVのバラエティ番組で良くやる「あの人は今何処に」といった類の番組。昔活躍していた芸能人が音沙汰なくなって今何をしているかといった内容のバラエティです。双子の「リンリンランラン」当時はアイドルで可愛かったのに、結婚してぶくぶく幸せ太りで、すっかりおばちゃんになってました。あれは、犯罪ですね、昔ファンだった私たちの夢はどうしてくれるのか。ねぇ、そこの腿の太さ気にしているあなた。音楽でもある、一発屋。久保田早紀もよく登場します。「異邦人」名曲です。なにせ私のカラオケで唄える好きなナンバーなのですから、先に唄われちゃったりすると気分悪いです。私は「異邦人」も久保田早紀も大好きで、「異邦人」が入っているアルバム『夢語り』を愛聴していました。「異邦人」に代表されるように、今までのニュー・ミュージックになかった、エスニックな香りが漂う東洋プラス、ポルトガルのファドのエッセンスを取り入れた曲風に魅了されてしまいました。『夢語り』以降のアルバムも、とても出来が良かったのですが、「異邦人」のビッグヒットが彼女の重荷になってしまったようでした。彼女のライブに行ったこともあります。新宿のライブハウス《ルイード》で見た彼女のステージは、とても素晴らしかった。しかし、ステージが進みラストに近くなるまで、「異邦人」を歌おうとしません。そして、ついに彼女の口から「次の曲が最後です」という言葉が出てきてしまいました。その時です、客席から「異邦人を歌うべきだ!」と声が発せられたのです。それは、その日の客のすべてのファンの意志を代弁したものだったのです。彼女は嫌そうな顔をしたもののしかたなく「異邦人」を歌い出しました。ミュージシャンにとって、最初の大成功が次の飛躍の妨げになる事はあるようだけど、それを超えるか超えられないかも才能次第と思えます。ビートルズがそうであったように。Knackがビートルズを超えられなかった、というのも才能と言ってしまえばそれまでだけど……「マイ・シャローナ」が飛びきりのロック・ナンバーであることは確かです。♪マ・マ・マ・マ・マイシャローナDaDaDaDa.Da.Daマイ・マイ・マイ♪
2003.05.10
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1985年といったら、自分にとって分岐点となった年だ。ロック・シーンにとっても、それはMTVにとっての大事件、そうアハの「テイク・オン・ミー」のビデオ・クリップ。メンバーが劇画風のキャラクターになって動き回る映像に衝撃をうけました。1985年前後というのは、サウンド面でもアナログとデジタルの分岐点になっている。私が初めてCDプレイヤーを買ったのが1985年で、確かCDプレイヤーが市場に出たのが1983年か1984年あたり。初めて買ったCDソフトが松任谷由実の『ダディダ』と中村あゆみのアルバムだったから間違いないはず。プレイヤーよりも一ヶ月先買いでこのソフトを買っているのを覚えている。当時はCDの音にたいしては、半信半疑で、音が硬い、高音域がシャカシャカしていてうるさい等々の噂があったり、デジタルなんだから、どのプレイヤーでも音はすべて同じなんて、でたらめな話もあったぐらいだ。実際アナログのプレイヤーで聞いたLPレコードの方が、音がよかったのだから、全面CD化できないでいた。しかし、CDの便利さに負けて徐々にCDを買うようになっていってしまった。アハの『ハンティング・ハイ・アンド・ロウ』はLPで持っていて1986年の『SCOUNDREL DAYS』はCDで持っている。私にとってのアナログ盤最後の名作と言ってもいい『ハンティング・ハイ・アンド・ロウ』オフ気味の音場感に美しいコーラスがとても素敵でした。『SCOUNDREL DAYS』は『ハンティング・ハイ・アンド・ロウ』に比べて地味に聞こえるが、「マンハッタン・スカイライン」のような美しさの中に、激情を感じさせる曲もあったりする。MTVとしては、ピーター・ガブリエルの「スレッジ・ハンマー」が芸術作品として最高傑作に思える。あと、印象に残っているのが、ドン・ヘンリーの曲だと思うけど、延々と続くケーブルだかゴムホースだかをカメラが追っていくビデオ・クリップです。しかしね、あれから18年も経ってるんですね。CDもかなり音が良くなったし、これからはDVDオーディオ・SACDの時代ですよ。あなた。あのころは、私も20代だったんだ。18年後は何歳になっているのでしょう。せめて、a-haを聞いて悲しくならないように……
2003.05.09
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本当にボケた話をひとつ。私鉄駅から私の自宅までは、通常は溝の口駅から川崎市営バスを利用しているが、同じ私鉄沿線の『あざみ野』駅から小田急バスで自宅へ向かうこともできる。その『あざみ野』駅で小田急バスに乗り込んだ後の出来事。先にバスに乗り込み席に座っていた私。80歳過ぎと思われる長老が乗ってきた。長老、運転手に向かって 「あざみ野行きはこのバスでいいのかい」運転手「お客さんここはあざみ野なんだよ」長老「…………………」まだわかっていない様子。少し間が空いて、 長老 「あざみ野に行きたいんだが」運転手「あざみ野に行きたいといっても、ここがあざみ野なんだからね。」長老 「ありゃー」やっとわかった様子運転手「ありゃーと言ったって、ここがあざみ野なんだからね、困るんだよ。そういう事聞かれても」長老、定期を新ためて見直す。運転手も定期をのぞき込んで運転手「どこに行きたいの。いずみが丘?このバスいずみが丘行かないんだよ。東急バスの運転手に聞いてみてよ」運転手も土地勘ないみたいだ。《いずみが丘?そんな地名あったかなぁ。百合ヶ丘や虹ヶ丘、桜ヶ丘、美くしが丘ならあるけど。この辺は丘のつく地名多いよな。》長老けげんそうな顔「…………………」運転手車内に向かって 「他のお客さん、いずみが丘行きのバス知ってますか?」客のオバサン 「おじさん、そこに交番あるから聞いてみたら」長老はバスを降りて交番の方へ向かっていきました。その後長老がいずみが丘に辿りついたのか、私は知らない。本気ボケと小ボケの会話って話が支離滅裂で滅茶苦茶。あざみ野駅で下車して、○○ヶ丘行きのバスに乗るという記憶が、脳から引き出す順番が狂ったのかもしれないなぁ。悪いけど笑いをこらえるのに大変でした。長老も話し方はしっかりしていてボケた風には見えなかったし……これが、30代40代でこんなボケがあったら、大笑いしたかも(いないか、そんな人)
2003.05.07
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ゴールデン・ウイークも終わって皆様どうお過ごしですか。私は、昨日まで調子悪かった体が何故か快調。良くあるんだ、休みが続くと調子悪くして寝込んだりして、会社いくと治るの。仕事が好きってわけでもないのに。きっと体のリズムが休みになると狂って変になるのでしょう。だって、休みの日は8時起き。会社行くときは、6時15分起き、狂うはずだ。こんな時は、すっきりノリノリ、ハードロック聞きたくなりますねぇ。【ディープ・パープル】「ハッシュ」は彼らのなかでは2番目に好きな曲。ちなみに一番好きなのは「バーン」かな。「ハッシュ」は1968年の初期の曲でボーカリストがロッド・エバンスという人で、シャウトするタイプのボーカリストではなく、丸く流れるような歌い方をする人でまさにジョン・ロードのオルガンとフイットしている。第2期のイアン・ギランから聞き始めた人は多分聞いてズッコケたのではないだろうか。しかし、この第1期私は好きです。ハードロックというよりは、アートロックと初期は分類されていたと思う。冒頭の狼の遠吠えからしてカッコイイ。リッチー・ブラックモアのギターは、第2期に比べると控えめに聞こえる。なんといっても良いのは中間部のジョン・ロードのオルガンです。スリル満点です。クラシックが基本にある人は違う。一方、【クーラ・シェイカー】の「ハッシュ」。こちらも良いのです。驚きなのは、オルガンの音色がほぼ原曲を再現していること。1997年に再現できるなんて凄い、パクリというよりは、こだわりと考えたほうがいいと思う。ある種感動を覚えます。テクニックもジョン・ロードと比較しても差がない。違うのは、曲のテンポ、クーラ・シェイカーのほうが速くて、乗りがギンギンなのだ。ボーカルは、若干作為的に聞こえる、ロッド・エバンスの勝ちか。それから、気が付くのは曲の長さ、クーラ・シェイカーの方がスピード感があるせいか短く聞こえる。調べてみたら、やはりクーラ・シェイカーが2分54秒。ディープ・パープルは4分24秒でした。どちらの「ハッシュ」も素晴らしいロックナンバーです。あえて軍配をあげれば、要所要所の高揚感と構成力でDEEP PURPLEの勝ちかな。(あくまで私個人の趣味ですが。)(同曲比較別アーチストシリーズ、個人の趣味が出て面白そうなので定期的にやろうと思います。あなたの好みも教えてください。)
2003.05.06
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今日の日記は『20世紀少年』ではなくて、さくらももこの『ももこの21世紀日記』です。日曜日18時、フジTVで毎週放送されているちびまる子ちゃん。我が家ではちょうど夕食タイム。特別意識して見ているわけじゃないけど、なんとなく見ています。癒し系のアニメといっていいのでしょうか。で、『ももこの21世紀日記』は作者のさくらももこが日記を綴ったエッセイ集。ひろしのボケが最高、同調するももこのボケがこれまた最高。例をあげると《母がオナラをしたら、息子が「おばあちゃんのオナラ、どういう匂いか嗅いでみよう」と言って、母の尻の周辺をクンクン嗅いでいた。ヒロシが「おい、今度はおじいちゃんのも嗅いでくれよ」と申し出たが、息子は「誰がじじいのオナラなんて嗅ぐもんか」と悪態ついたので、私は「おじいちゃんがかわいそうじゃん。オナラも、嗅いでやりなよ」と息子をたしなめた。》キリストの平等の精神てやつですね。いいなぁ。こういうお馬鹿な家族。こんな調子のエッセイ集です。私は、ちびまる子ちゃんの額から汗の絵が可愛くて好きです。
2003.05.05
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テレビ東京系で日曜夜11時に放送されている音楽番組『そして音楽が始まる』。最近知ったこの番組、テレビ東京はたまに他の民放では出来ない、とんでもない良い番組をやってくれる。先週は、ロッド・スチュアートをやっていたけど見逃してしまった。今週のシンディ・ローパーはしっかりビデオにとりました。内容は、一曲にスポットを当て、名曲の誕生秘話がアーティストの口から語られます。シンディ・ローパーは、ニューヨークブルックリン生まれ。典型的なヤンキー娘に見えるけど、その実シャイな人のようだ。5歳の時に両親が離婚、貧しい家庭の中イタリア人の母親に育てられた。60年代にロックンロールに目覚めたシンディは、70年代中頃【ブルー・エンジェル】というバンドを結成するが、一般的な評価は高くなかった。そして、1983年最良のプロデューサーを得て、初ソロアルバム『SHE’S SO UNUSUAL』を発表。その中のバラード曲が「タイム・アフター・タイム」 ♪時を刻む時計の音を聞きながら あなたのことを考える 考えれば考えるほど泥沼にはまっていく 今に始まったことじゃないわ 突然甦る 愛に満ち溢れていた頃の夜の思い出 私は先を行きすぎていて あなたが声をかけてくれているのに 私には何を言ったか判らない そしてあなたは言うの もっとゆっくりと あなたが倒れそうになったら 私が受けとめてあげる 私は待っているわ 何度も何度も♪スターの道を急いでいたシンディ、私はシンディであるけど、あなたももう一人のシンディ自身。そして、『SHE’S SO UNUSUAL』は大ヒット。シンディ・ローパーは、スターになったのです。「ハイ・スクールはダンステリア」が大好きだった私。よく聞きましたこのアルバム。「タイム・アフター・タイム」は、良い曲だとは思っていたけど、シンディらしくないと思っていました。それは、違っていたようです。これからは、また別の気持ちで聞くことができると思います。明日は財津さん(チューリップ)の「サボテンの花」です。見なきゃ。
2003.05.03
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いよいよ始まりましたか。アテネオリンピックサッカー予選。思い起こせば、アトランタでのブラジル戦1対0で勝った試合。震えたなぁ。中田も川口も若かった。前園はその後パットしなかったなぁ、今はKリーグの選手ですか。前半は0対0。意外と苦戦している。予想では5対0ぐらいで勝てると読んだんだけど……スピードではミャンマーを圧倒している。ミャンマーの守りが予想以上に良い。日本の攻撃のバリエーションは今ひとつ少ないように思える。このチームに欠けているのは、リーダー。絶対的な選手がいない。ゴン中山や中田英のような、存在感のある選手が。若さと経験もあるかもしれない。しかし、なり得る可能性を秘めた選手はいる。松井に阿部、大久保、中山、特に阿部は面構えもいいし正確なフリーキックで攻撃の起点になる選手。カリスマになりそうな雰囲気を持った選手として中山かな。メンバー間の特徴をどこまで把握し、戦術に生かせるかが今後の鍵ですね。結果は3対0で日本の勝利でした。松井の1点目コーナーキックからこぼれ球を狭いスペースにぶち抜いたシュート見事でした。2点目大久保のゴール前3人かわしてシュート、なかなかやるなー。3点目中山の鋭いつっこみからのシュート、素早かった。次も期待してますよ。
2003.05.01
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