全21件 (21件中 1-21件目)
1
桜の開花宣言が話題となっているが、これが季節が進み、秋から冬になると今度は富士山の初冠雪が話題になる。桜と富士山…この二つだけはどうやら特別の花であり、山であるということだろう。祭神は共通してともに日本神話上の最高の美神となっている。東京の桜には標本木というものがあり、靖国神社にある一本の樹で観測する。各地にもそれぞれの標本木があるのだろう。富士山の方はどうであろうか。山は360度方向からみることができ、こちらからは冠雪がみえても反対からは見えないということがある。調べてみると、これも、決まった地点があって、甲府地方気象台で観測するのだという。富士山といって思い浮かべる姿は生まれ育った地域によって違うといわれ、東京育ちだと丹沢の稜線上の富士山になる。ただ、それを離れて一般的な富士山というと、静岡側の海から見た富士山の写真や絵が多いようである。表富士、裏富士という言葉があり、これも一般には静岡側を表富士、山梨側を裏富士というらしい。もっとも山梨では特別な呼び方があるのかもしれないが。そう思うと初冠雪の観測地点が甲府地方気象台というのは意外な気がする。
2026年03月31日
コメント(0)
最近、女性天皇や女系天皇についての議論をよくみかける。ただ、いつも疑問に思うのは、世の中には愛子天皇を待望する声が圧倒的に多いというが、その根拠は何なのだろうか。おそらく女性天皇を認めるべきかという世論調査で肯定的な回答が多かったということがそれであろう。実際に、そうした世論調査なら何度も行われている。ただこれも質問文に誘導があって「安定的な皇位継承のためには」という語が入っている。安定的というなら皇位継承者の範囲は広い方がよい。そうなると、女性天皇も認めるという回答が多くなるのも当然だろう。この場合の女性天皇は皇位を継承する女性であって、今いる愛子様を指しているわけではない。そのつもりで回答した人もいれば、そうでない人もいるだろう。現在のところ、皇嗣殿下もいらっしゃるし、現行の皇室典範での皇位継承の可能性のある方の中には悠仁様もいる。女性天皇という場合には皇嗣殿下の娘の場合もあるし、悠仁親王の娘の場合もある。そうしたものを念頭において回答した人もいると思う。現行の皇室典範を改正して、皇位継承の順位を天皇の直系長子にするとしたら、その改正の理由が必要となる。現実に皇嗣殿下がいらして、その男子もいる中で、現天皇の直系長子を第一順位とする改正となると、どうしても現実の人間を比較する議論になってしまう。ネット上では、ある方を絶賛したり、逆にバッシングしたりするものがあふれているが、その絶賛の理由もバッシングの理由もよく見ると些細なものが多い。天皇制は日本の伝統というが、皇室外交や、妃が前面に出ることは、必ずしも伝統ではない。世襲制と能力主義はもともと相いれない。女系天皇についてはさらによくわからない。女性天皇が結婚して、その間の子供が天皇になるというのが、女系天皇なのであるが、皇族の女性方が今後どなたと結婚されるかなど誰にもわからない。天皇家や旧皇族かもしれないし、そうでないかもしれない。いずれにしても、誰と結婚するかによって、国民の側の受け止め方は違ってくるように思う。外国の王室にも女系継承はあるが、その場合の伴侶は他の国の王族や貴族など限られた相手になっているようにみうけられる。
2026年03月30日
コメント(5)
子供についてほしくない職業という調査がある。中学生の親200人に聞いたということでこの200人という数字、また、調査対象の選定など気になるところなのだが、とにかく、一位がyoutuberで以下、芸能人、自衛隊、政治家、介護士、医師、看護師という順になっている。https://dra-blo.hatenablog.com/entry/2022/03/29/195953このうちyoutuber、芸能人、政治家、医師、看護師については、なりたい職業、子供につかせたい職業でもランキングに入るので、本当に意味で子供につかせたくない職業というのは自衛隊と介護士ということなのだろう。介護士についてはなり手のいないことが喧伝され、外国人も奪い合いという状況らしい。しかし、なりたくない職業についた人が幸福とも思えないし、幸福でない人に介護される側もまた幸福ではないだろう。自衛隊について、つかせたくない理由を見ると、危ないとか自由がないということが挙げてある。消防士や警察官以上に自衛隊については「危ない」というイメージがあるのだろうか。また、自衛隊については退職の自由はないのであるが、こうしたことも世間一般には知られているのだろう。自衛隊法第40条(退職の承認)第四十条 第三十一条第一項の規定により隊員の退職について権限を有する者は、隊員が退職することを申し出た場合において、これを承認することが自衛隊の任務の遂行に著しい支障を及ぼすと認めるときは、その退職について政令で定める特別の事由がある場合を除いては、任用期間を定めて任用されている陸士長等、海士長等又は空士長等にあつてはその任用期間内において必要な期間、その他の隊員にあつては自衛隊の任務を遂行するため最少限度必要とされる期間その退職を承認しないことができる。ところでその危ないという理由であるが、自衛隊が戦場に行ったという例は戦後は例がない。中には自衛隊のいくところは戦場ではないというふざけたことを言った政治家もいたのだが、憲法が自衛隊の戦場派遣を防いだことは事実だろう。憲法には戦争を防ぐ力もないし、北からのミサイルを止める力もない。憲法9条があったから平和だというのは倒錯した議論としかいえないのだが、9条の存在が、自衛隊という集団が戦場に派遣されることを防いできたし、これからも防ぐ力があるのも事実だろう。そこのところはよく認識しておいた方がよい。
2026年03月27日
コメント(18)
昨日は高校無償化について書いたので、今日は国立理工系大学の女子枠について書いてみる。これは夫婦別姓と同様、関心ある人には関心あるが、多くの人にはどうでもよいことだろう。しかし、それにしても、どう考えても変な制度がじわじわと浸透しつつあるのはやはりおかしい。そもそも女子枠の導入の理由はなんなのだろうか。国連のジェンダー平等の指標になっている理工系大学における女子の割合が低いこと多様性を確保すること女子は理工系進学で不利となっているので優遇する必要があることこんなところだろうか。最初の国連におけるジェンダー平等であるが、文化も生活背景も全く異なる国を数値で順位づけるのでそれ自体それほどふりまわされるほどのものではないし、指標はあくまでも指標である。その指標を小手先でいじったところで本体の平等が変化するわけでないことは、温度計の目盛りを操作しても実際の温度が変わらないのと同様である。また、多様性であるが、多様性というとなぜ男女なのかという疑問はさておくにしても、理工系という分野において多様性というものはそれほど念頭におかなければならないものなのだろうか。今話題となっている買春の罰則の是非のような法制度の議論、あるいは製品開発やマーケティングでは女性の意見、感性というものも尊重すべきだろう。しかし、理工系については、考える人が男であろうが女であろうが、結論が変わることは決してない。最後に女子は理工系進学で不利というのだが、その不利がはたして地方在住の男子、貧困家庭の男子に比べてそれほど大きいものなのだろうか。女の子は数学ができると可愛くないよ…などという人はどこにでもいるのかもしれないけど、それで好きな数学の勉強をやめるなんていう人はいないのではないか。女子には向かないという思い込みで理科系の勉強をしないという人がいたとしても、それはもともとそうした勉強に向かなかったからだけのように思う。この国立理工系の女子枠導入は、どうも女性の側で望んだというよりも、別のところで導入が進められているように見える。ある種の男性にとっては、女性を優遇しようという議論は非常にかっこいいのではないか。俺は女性を優遇したところでそんなものを気にしない程度に優秀なんだぞ…というわけである。真面目な女子受験生は女子枠導入など望んでいない。別に合格後に女子枠で合格したといわれるのが嫌だなどというだけの理由ではない。入学試験などはしょせん通過点で、理工系難関大学は入ってからがむしろ大変である。それを考えると女子枠など百害あって一利なしのように思う。そしてまた、目をすべての学部学科に転じれば。外国語学部のように女子が多数のところもある。国立の外国語大学については男子枠導入という議論もあってもよいと思うのだが、なぜないのだろうか。さらに目を世間一般に広げると、フィジカルな分野でもないのに男性が占拠している分野がある。将棋界である。この世界も多様性を確保するために女子を入れれば、女性ならではの視点から新戦法や妙手が生まれるのだろうか。将棋界に女性がいないのは、女の子は将棋などするものではないという社会の思い込みがあるのだろうか。いずれもそんなわけないだろう。理工系分野も同じではないか。
2026年03月25日
コメント(16)
所得制限なしで高校授業料が実質無償化されるという。すでに実質無償化を行っている大阪府では公立校離れが加速しているという。全部が全部とはいわないが、私立の方が生徒集めに必死になっており、その分、公立校よりも魅力的なところが多いのだから、当然といえば当然だろう。だいたい今後、子供の数が減っていけば、幼稚園や塾産業同様に、私立高校も不況業種となり、ほっておけば多くの学校がつぶれる。うがった見方かもしれないけど、高校授業料無償化というのは、子育て支援というよりも、私立高校の救済策ではないのだろうか。公立高校が廃校になっても、教員や職員は別の部署に振り替えることができるし、多くは一等地にある学校の敷地は売却したり貸与したりすれば相当な収入になる。これに対して私立高校の廃校は教職員の再就職など問題が多い。そしてまた、大学ほどではないにしても、私立高校も役人の天下り先になっている。そんな私立高校も含めた高校授業料の無償化なのだが、結果的に公立校の廃校につながるとなればそれはそれで問題があるように思う。授業料そのものは無償化されても、私立校の場合は制服や校外学習などそれ以外の出費は公立校に比べて大きい。近くて安い公立校が消えれば結果的に教育費は増えるという家庭もでてくるだろう。子育て支援とは逆の結果になるわけである。そしてまた、商業高校、工業高校などの職業科は公立高校が中心なのだが、生徒が私立高校に流れることによって、こうした職業科公立高校の廃止の動きは加速していくのではないか。しかし、今後のインフラのメンテなどを担う技術者の需要を考えると、公立高校工業科の必要というものはやはり大きいのではないか。基本は工業科を出た技術者の待遇向上が重要であるにしても、社会を支える地味な技術職というものの存在をもっと考える必要がある。子育て支援といえば、なんでもとおるようにもみうけられるが、こと教育政策に関しては、社会全体としてどういう人材が必要であるかという視点からも考えなければならないのではないか。ちなみに高校授業料無償化だけではなく、三人以上の子供のいる場合の大学授業料の無償化というのも全くの愚策であると思う。
2026年03月24日
コメント(0)
今、話題の本で、あっという間に読み終えた。著者は医師なのだが、歩くといっても整形外科の本ではなく、終活の本といった方がよい。人は「おめでとう」と言われて生まれてきて、「ありがとう」と言って死んでいく。本書で紹介されているように、家族などの人とのつながりの中で死んでいく人は幸福なのだろう。そういえば映画「最高の人生の見つけ方」でも、余命いくばくもない富豪の救いは失われた家族の絆の再構築だった。まあ、それはそうなのだけれども、今後ますます人との縁の希薄な人が増えていく。宗教の役割には共同体の中での居場所提供ということがあるのだが、高齢社会、無縁社会の中でそうした宗教が伝統宗教も含めて特に活発化しているとも思えない。本書で紹介されたような幸福な終末ももしかしたら贅沢になってくるのかもしれない。棺桶まで歩くというタイトルは秀逸だが、考えてみれば歩くことは生活の基本だ。歩くのがおっくうになってくると消極的になり、付き合いも減り、認知症もすすんでいくのだろう。本書では、いつまでも元気で歩くためのノウハウが紹介されているわけではないのだが、いつまでも元気に歩こうという目標だけは持ちたいと思う。
2026年03月23日
コメント(0)
宇治拾遺物語を読んでいる。成立は鎌倉時代前期とされ、拾遺であるが本編の方は散逸している。お伽話、説話、伝説、艶笑話と多岐にわたっており、どの話も興味深い。ただ中にはなぜこういう話が説話として採取されたのか違和感のあるものもある。例えば、お寺で僧侶たちが餅を食べるのだが、稚児はすぐ起きてくると意地汚くみられるとおもって狸寝入りをする。そうすると僧侶たちは、子供を起こすのも気の毒だといって稚児には声をかけずに皆で餅を食べてしまうので、稚児もあわてて起きてきたという。僧侶たちは起きてきた稚児を見て大笑いしたとあるので、狸寝入りにはうすうす気づいていたのであろう。いずれにしても、これなどは日常的な話で説話としては普通のこらない。宇治拾遺物語の作者は不詳なのであるが、広く世に伝わる話にまぜて身近にあった話題となった出来事なども残したのかもしれない。収録された話の中には瘤取り爺さんや舌きり雀の原型のようなお伽話もあれば、芋粥、鼻、地獄変など芥川の小説の元になった話もある。ただ、以下のような話は怪異を見るのが特定の人(霊感のある人?)に限られ、その結果も日常で起こりうる幸福(身分に応じた幸福な結婚)となっているあたり、現代にも通じるような気がするがどうであろうか。蛇という動物報恩譚の部分を変えれば、今でもこういう話はあるのではないか。近き話とあるので、古くからの伝承というよりも、日常のコミュニティで語られていた怪談のようである。雲林院の菩提講に行く途中に石橋があり、ある女Aが石を踏み返したところ、その下に蛇がとぐろを巻いていた。蛇は女Aの後についていくのだが、女Aは気づく様子もない。後に行く女Bは蛇に気づき、気になって女Aと蛇の後をつける。女Aはそのまま講話を聴くのだが、蛇もその傍にとぐろを巻いている。不思議なことに蛇の姿は女B以外には見えないらしい。講話が終わると女Aは宿を借り、気になる女Bも同じ宿に泊まる。翌朝女Aは宿の主に不思議な夢を見たという。石を踏み返したおかげで石に押し付けられる苦痛から逃れた蛇が御礼を言おうとしてついていったところ、ありがたい法話まできくことになり、おかげで人間に生まれ変われそうだと言って、御礼に幸せを授けようとしているのだという。その話を聞いた女Bは自分の見た蛇の話をしたことによって、女Aとはよき友人になる。その後、女Aは身分の高い人の下家司の妻になって幸福を得たという。
2026年03月19日
コメント(0)
戦後の日本には戦死者はいないということになっている。ただ、現実には、朝鮮戦争下で日本に掃海舞台の派遣が要請され、元山での掃海作業中に一人が死亡し、18名が重軽傷を負っている。この事実は当時は秘匿されていたために、あまり知られていない事実ではないか。こうした掃海作業の危険性は現代でもあまり変わっていない。今回の首相訪米で機雷除去に対する協力要請が行われれば、その対応が気になるところである。ウクライナやガザだけではなく、米国のイラン攻撃、パキスタンのアフガニスタン空爆、イスラエルのレバノン侵攻など世界は騒がしさを増している。こうした中で石油の供給が滞ることによる壊滅的な影響など日本の経済にとっても不安定要因は多い。せめてあと十数年は平穏な時代が続いてほしい。大変な時代というがいつだって大変な時代…という言葉がある。そりゃそうだろう。上の世代は戦争とその後の社会の激変を経験しているし、その前の世代だって絶え間ない戦争があった。近代化に向けて邁進していったような印象のある明治の時代だって、地租改正反対、義務教育反対の農民一揆は何度も起きている。士族の反乱に比べてとりあげられていないだけだろう。コレラ、赤痢といった伝染病の脅威は大きく、結核やハンセン氏病も不治の病として十分人に畏れられていた。そういう世代に比べれば、去年なかった家電が今年は家にある、だんだん豊かになっていって肉も普通に食べられるようになった、右肩上がりが当たり前、みんながより豊かになっていくのが当たり前、そんな時代に子供時代、青年時代を過ごした世代はずっと幸運なのだろう。長い歴史の中でも珍しいくらいに。
2026年03月18日
コメント(7)
わけあって家族がネットフリックスに加入したので、期限が切れる来月まで視聴できることになった。ネットフリックスは話題のドラマも多いのだが、韓国の財閥令嬢と北朝鮮軍人のラブストーリーである「愛の不時着」はちょっと見る気がしない。11歳の子供が独立運動の百戦百勝の霊将だったという建国神話を持つ圧政国家の軍人が主人公というのもどうもね…とも思う。おそらくドラマとしてはすごくよくできているのだろうと思うのだが。「李泰院クラス」も面白そうなのだが、全16話というのがちょっと微妙で、もう少し短い方がよい。そこでやはり前々からみたかった「イカゲーム」を見ることにした。子供の遊びをしながら負ければ殺されるというリアルゲームものなのだが、ばかばかしさを通り越した人間ドラマが面白い。第一話で大人二人が地下鉄の駅でメンコ遊びをするのには笑えるが、見ているうちに、だんたんこの過酷なゲームが競争激しい現代社会を象徴しているように見えてくる。風刺、人間模様など単なるゲームの勝敗を超えたメッセージがあり、一話の時間があっという間に過ぎる。ギャンブル狂のダメ人間、病気持ちの独居老人、転落した元エリート、脱北者、外国人など、社会の中で阻害された人々が人生の一発逆転をゲームに託す。全話視聴したら再度感想を書いてみる。
2026年03月17日
コメント(0)
ホラー短編なのだが、ホラーの本質は様々である。「よもつひらさか」は実際にこんな場所があるのかもしれないという神話や伝承がないまぜになった土俗的恐怖で、民俗学博士が活躍するジャンルにもよくあるテーマだ。実際に、山陰には神話にでてくる現世と来世の境である黄泉平坂という場所があるという。「見知らぬあなた」は最後まで結末が予想できなかった。やはり一番怖いものは…なのかもしれない。「ささやく鏡」は鏡というものの神秘性は誰でも感じるもので、ホラー小説の小道具として鏡がでてくるうことは珍しくない。夜中などには鏡はあまりみたくないものである。そしてその鏡に未来、それも不吉な未来が写るとしたらそれはそれで怖いものだ。「双頭の影」は天井の影にまつわるホラーである。子供の頃、天井の染みを眺めながら怪物の形を想像することはよくある。それは大人になると、子供らしい空想で片づけてしまうのであるが、もしそれが空想ではなかったとすれば、どうなのだろうか。日常から少しはみ出したことなのだが、もしかしたら、そういうこともあるのかもしれないということが世の中にはある。気のせいだとか、一瞬の目の錯覚だとか、見間違いだとか、そういった形で合理化してしまうようなことを、膨らませて非日常的な物語を紡いでいく。そういうふうにしてホラーは生まれるのかもしれない。
2026年03月16日
コメント(0)
イラン情勢で目立つのは国連の存在感の低下ではないのだろうか。国連の安全保障理事会は11日、イランによる中東各国への攻撃を非難する決議を採択したというが、それ以前に小学校攻撃などを含む米国のイラン攻撃をなぜ非難しないのだろうか。今回の決議はその効果云々よりも国連に対する不信感を増したように思う。日本人は国連、オリンピック、ノーベル賞を過大評価しているなどという言葉もあるが、日本では国連の権威はまだまだ高い。戦後間もないころは国連加盟は日本外交の悲願だったというし、国連にさきがけて加盟を認められたユネスコについてはユネスコ村という施設までできて、小学校の遠足の定番になっていた。国連加盟の次は日本にも国連の機関を誘致しようということになり、国連大学の誘致のために猛烈な運動を行った。その国連であるが、米国は最近、国連に冷たく、計66の国際機関や条約から脱退すると表明しただけでなく、2025年分の分担金を支払っておらず、国連の財政悪化に拍車がかかっているという。そのうち、ニューヨークの国連本部についても移転の話が起きるのかもしれない。米国が国連本部の撤退を要求し、それに対して中国が破格の条件で国連本部を誘致する。そんな未来ももしかしたらあるのかも…。
2026年03月15日
コメント(12)
日本はいろいろな意味で減少局面に入っているなと感じること。ある川崎市の公的施設にいったのだが、そのパネルに川崎港の貨物量の推移があった。一瞬、左右を見間違えたのかと思ったのだが、そうではない。最近減少傾向にあるのだが、無意識のうちにそうしたグラフは自然と右肩上がりになっているものとばかり思っていたので、一瞬違和感があったのだった。何もかも増えて当たり前、上昇して当たり前という時代はとうに終わっている。結婚式場の広告はほとんどみないのに、葬儀の広告はどこに行っても目に付く。昔は葬儀の広告というのはなんとなくタブーのようなところもあったのに、テレビでも新聞でも小さなお葬式や樹木葬の広告ばかりだ。人口が減っているのだから、それに伴って様々な需要が減っていくのはごくごく当然のことだろう。世の中には商圏というものがあって、コンビニだと何世帯、デパートだと何世帯というのがあるらしい。地方都市の人口減少、それも、購買意欲の旺盛な年代層の減少によって、地方の賑わいの中心になっていたデパートがつぶれたといった話はよくきく。一戸建て志向の強い時代にできた瀟洒な住宅街も高齢化とともに、スーパーが撤退し、衰退に拍車がかかっているというのもよくみかける。老朽化にはまだ間のありそうな瀟洒な一戸建て群で空き家が目立つというのもたいていはこのパターンだ。そういうところではスーパーや店は撤退しているのに、介護センターとか医療機関はめだつ。そのうちそういうものもなくなったら、いよいよゴーストタウンになっていくのだろうか。これは地域にもよるのかと思うのだが、満員電車というのも随分と少なくなった。昔は山手線は混んでいる電車の代名詞で朝夕はぎゅうぎゅうだったが、昨今ではそうでもなく、区間にもよるが運が良ければ座れたりする。都内のマンションの値段だけは上昇が続いているというのだが、これも、人口減少や空き家の多さを考えるといつまで続く現象なのだろうかと思う。
2026年03月13日
コメント(4)
東日本大震災から15年がたった。大きく船が揺れるように地面が動き、ついに東京に大地震が襲ったのかと思い、建物が次々と崩れる情景を想像した。様子がわかるにつれ、東北地方の大震災で、津波被害が大きなことなどを知ったが、それでも、真偽不明の情報もあり、再度の地震の恐れもあった。交通機関が止まったので、歩いて帰ったのだが、同僚の中には20キロを歩きとおしたという人もいたという。道はそんな徒歩の人々の群れでいっぱいで中にはヘルメットをかぶっている人もいて、皆黙々と歩いているのが印象的だった。コンビニのパンや弁当類があっという間に消えていることと、途中の居酒屋がいやににぎわっていたのをよく覚えている。さすがに大声での談笑や笑い声はなく、静かだったように思ったが。家に帰ると耳慣れない電子音が聞こえる。何かと思ったら冷蔵庫のドアが揺れのはずみで開いたままになっていて、ピーピーと音をたてているのであった。揺れの方向によるのか。食器棚は幸い無事だったが、本棚の方が本が散乱していて、人間の力ではこれ以上散らかすのは無理だと思うほどで部屋中に本などが散らかっていた。被災地に比べると、比べるのも申し訳ないくらいの話だが、その日から震災後の日常が始まった。ティッシュなどの日用品の品薄と絶え間なく訪れる余震である。そして街からは外国人が消えた。今よりはずっと外国人は少なかったのだが、それでも、留学生の中には急遽帰国した人もいたし、大使館の中には臨時に関西に移ったところもあるという。今も、もしも大きな震災が起きれば。外国人はあっという間に姿を消すのだろう。その意味でも、外国人労働者なしでは社会が回らないような構造にしてしまうのは危険だと思う。長いようでも短い15年。あれほどの災害であっても、あの頃、暴動とか略奪とかいった災害の際によくあるニュースはきかなかった。だいたい暴動とか略奪などということを口にすること自体、被災地に失礼だろう。実際には被災地を狙った窃盗もあったという話も聞くのだが、大規模が窃盗団が大挙押し寄せたというものではなかった。震災などの自然災害はいつ襲ってくるかわからない。その場合に恐ろしいのは災害そのものの恐怖もさることながら、大規模な暴動の頻発などで社会そのものが崩壊していくことなのかもしれない。
2026年03月11日
コメント(0)
原田マハの「たゆたえども沈まず」を読んだ。ジャポニズムなど日本趣味が流行するとともに、絵画では印象派といった新しい流れが起こった時代。そんな時代を背景にゴッホ兄弟と日本人画商との交友を描いた小説である。かなりの部分はフィクションにしても、ゴッホの日本への憧れを思うと、実際にこうした交友があっても不思議ではない。ゴッホは浮世絵を収集しているだけでなく、浮世絵を油絵に移した絵も描いている。斬新な構図作りなど浮世絵の示唆された作品も多いのかもしれない。小説を読んでいると、ゴッホの作品を改めて見たくなる。それぞれの作品に物語がある。ゴッホに限らず、これからは絵を見るときには、画家の人生にも思いをはせるようになりそうである。ジャポニズムの流行の背景は小説には描かれていないが、文化の中で新しいものが求められていた時代であり、その要求は欧米ではないどこかの文化に対する関心になったのかもしれない。また、そうしたものに商機あるとして、日本の浮世絵などを積極的に売り込んでいったこの小説の主人公林忠正のような人物の貢献もあったのかもしれない。また、浮世絵には枕絵というジャンルもあり、有名な浮世絵師もこうしたものを描いていた。こういうものも、ジャポニズムの中で海外に流出していったのだろうか。江戸末期から明治期における日本の文化財の流出とそれが海外の文化に与えた影響というものはそれだけで大きなテーマになるのだろう。お薦めの小説である。
2026年03月10日
コメント(0)
時々言われることなのだが、小さく白い犬と大き黒い犬の喩がある。小さく白い犬は同情を引きやすく助けも受けやすいのだが、大きく黒い犬となると同情は得にくい。同じ弱者支援でも子供とか女性ならすぐに援助の手が差し伸べられても、男性、それも中年以上の男性となるとほっておかれるということだろう。よく子供の貧困ということが言われるが、子供は孤立して存在しているわけではなく、親が貧困だから子供が貧困ということだろう。そしてその背後には子供を持たない、あるいは持てない人々の貧困もある。それなのにことさら子供の貧困が言われるのは、貧困の自己責任論だけではなく、子供がまさに手をさしのべたくなる小さくて白い犬だからだろう。そういえば、アフリカ支援のポスターでも幼児や赤ん坊の写真がよく使われている。しかし、いくら社会の同情がなくても、中年以上の男性の貧困がないわけではない。年収が少なく、未婚で、雇用も不安定という層である。中年以上のさしたる技能を要しない職種の場合、女性の方が選好される傾向もあり、生活不安は男性の方がより深刻なのかもしれない。こうしたいわゆる弱者男性は社会の中で声を上げにくく、支援も得にくいために注目されることも少ないが、実はけっこうなクラスターである。ただ、こうした弱者男性は、弱者男性としてのカテゴリーで団結するというのは無理であろうし、そもそも自分を弱者男性と認識したくないという人もいる。だから弱者男性としての何らかの意見や要求が社会の表にでてくることは少ないし、社会の側からは見えにくいクラスターだともいえる。ただ、それでも、購買力は少なくても消費者であることには変わりないし、選挙の際には有権者でもある。こうした層が次第に中年期から高齢期にさしかかったとき、社会にどんなインパクトがあるのか、そんなことも考えさせられる。
2026年03月09日
コメント(0)
あまり現代作家の本は読まない方なのだが、薦められて「たゆたえども沈まず」を読み始めた。ジャポニズム流行のパリを舞台に日本人画商とゴッホ兄弟のかかわりを中心に描いた小説なのだが、背景の知識の豊富さと言い、文章の確かさと言い、こんな小説家が同時代にいたのには驚きを感じる。ジャポニズムというのは言葉では知っていても、その背景には日本美術を売り込んだ人々がいた。主人公の画商は実在の人物なのだが、明治の初期に、欧州に渡り、多くの文化人と交友関係を持ったのだが、こうした人物はもっと知られてもよい。当時の日本人にとって欧州は今よりもはるかに遠かった。ゴッホは特に好きだというわけではないし、はっきりいって万人受けする画家ではないだろう。だからこそ、生前にはなかなか世にでなかった。しかし、この小説を通じて、ゴッホとジャポニズムのかかわりを知るにつれ、ゴッホの絵を見たくなる。浮世絵の美人画を油彩にした絵もあれば、浮世絵の並んだ壁を背景に人のよさそうな親父を描いた絵もある。それだけではなく、浮世絵の斬新な構図が、風景画に影響を与えたことも考えられる。そのあたりも小説にはでてくるのかもしれない。3分の2ほどを読み終えたところなのだが、全部読み終えた後で、あらためて全体の感想をかいてみたい。余談なのだが、ゴッホと宮沢賢治は似ているという話もある。生前には認められなかったこと、36歳で亡くなったこと、世に出るために弟が尽力したこと。
2026年03月08日
コメント(0)
米国でトランプ大統領が当選したときには「アメリカファースト」ということがいわれた。これは、自国の経済を第一に考え、国際社会への関与を控えていこうということではなかったのだろうか。世界の警察官などはやめて、その資源を自分たちのために使ってほしい。そんな思いで多くの労働者らがトランプを支持したのではなかったのだろうか。いつの時代でも、どんな社会でも、戦争になれば最前線に行くのは恵まれない層である。イランへの軍事介入も長引けば米国の戦死者もでてきて、厭戦気分が蔓延することだろう。実際、米国ではトランプの息子をイランとの戦争に送り込めという声があがっているという。なんといっても世界を騒がしているのはイラン情勢なのだが、いつも見る朝のニュース番組では犬や猫の話題や、野球の練習風景、そして軽井沢に粉雪が舞うというニュースなど…わざとイラン情勢のニュースをさけているのかと思うほどだ。まさかとは思うけど。
2026年03月05日
コメント(23)
選挙で負けたからといって、あの選挙は推し活選挙だったの、人気投票感覚で投票しただのといった議論は散々聞いた。しかし、それだけにとどまらず、わざわざ街頭インタビューまで行って、深く考えずに投票をした人々を洗い出し、日本人は民主主義を血肉化していないと嘆くにいたってはどうなのだろうか。http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-11530.htmlありていにいえば、選挙に負けたのは愚民が多いからだということなのか。気持ちはわからんではないが、選挙とはそういうものではないのだろうか。愚民と見下している限りは共感は得られないし、選挙で勝つためにはその「愚民」に届くような訴えをするしかないのに。負けたということは、その訴えが届かなかっただけのことで、どうしても投票したい候補者がいれば、「何かやってくれそうだ」という気分で投票する対立候補などふっとんでしまう。各政党や候補者の政策を子細に検討し、熟慮の上で、投票する。こういう人は普段から政治に関心があり、それに関する情報にも深く接している人々であろう。そんな人はおそらくどこの国でも多数派ではない。それどころか国によっては字が読めない人々も相当数いるところもあるのだ。それでもどうしても「民主主義を血肉化したい」のであれば、選挙民に政治知識に対するテストでも行って制限選挙にすればよいのだが、それでは民主主義とは逆になってしまう。どうせ街頭インタビューをするのであれば、なぜ与党に投票したかではなく、なにを政治に望むのかという本音を子細に洗い出したらよい。夫婦別姓や同性婚は普通の国民にとっては関心事でないことも分かるだろう。選挙に惨敗したのは民主主義が血肉化していないからだという議論…どうもこんな古い諺を思い出す。 己の顔が醜いからとて鏡を責めてなんになる。
2026年03月04日
コメント(2)
先の選挙結果について推し活選挙と言って有権者がアイドルを選ぶような感覚で投票をしたように見る見方もある。また、初の女性総理だから「何かやってくれそうだ」という気分で投票をしたという有権者もいるという指摘もある。それを言うのなら、顔がよいとか、若いとか、新鮮だとか、人柄がよさそうだとかで投票行動が左右されることは昔からあった。細川総理、鳩山総理のように内閣発足直後に脅威的な支持率を得た総理はこうした要件にかなっていたのではないか。今に始まったことではない。それよりも、今回の選挙は、いわゆるリベラル勢力が惨敗消滅した選挙と位置づけた方がよい。推し活だのなんのと、有権者を愚民のように扱う言説は負けた側のリベラル勢力に目立つようなのだが、それよりもなぜ有権者の支持が離れたのかを分析しないと再生の見込みはない。もっとも、さっさと消えた方がよいと思っている有権者も多いのが現実なのだろうけど。リベラルの敗因はいろいろとあるのだろうけど、有権者の求めるものと主張するものとの乖離がめだってきたというのも大きいのだろう。そして最後の「ママ、戦争を止めてくるわ」という気持ちの悪いフレーズがとどめの一撃になった。選択的夫婦別姓や同性婚はあってもよいが、そもそも普通の国民にとってはどうでもよいテーマだ。こういうものを大問題と騒いでいるあたりで逆に不信感がわく。外国人の単純労働力の流入は西欧の現状を見ても、今後の日本社会の在り方を決める大きなテーマだと思うのだが、労働力流入の規制を唱える議論に対して、やみくもに差別反対だの共生だのと叫ぶリベラルさんには辟易とする。住環境の悪化や治安悪化に苦しむのは庶民である。そういえば、庶民派政治家というものについてもなにか勘違いがあるのではないか。庶民派政治家というのは庶民と同じような服を着て登院し、庶民並みのレベルの質問をすることをいうのではない。そういうのは、間違って国会議員になった単なる一般人であろう。庶民の生活感覚を理解し、庶民のための政策を提言する政治家こそを庶民派政治家という。リベラルは負けたけど、社会の中で不遇な人々の利益を代表する政治勢力が不要になったわけではない。リベラルのいう格差貧困をなくそうというのは選挙前の題目だけだったが、現実的にそのための提言を行う政治勢力はやはり必要であろう。そうしたものを必要とする層こそがまさにブルーオーシャンなのだろうけど。
2026年03月03日
コメント(4)
怪奇小説仕立ての推理小説ということであるが、それほど怖くもないし、推理小説としてもそれほどの出来とも思えない。もちろん個人の感想であるが…。ただし、怖くもないし、うならせるトリックがないとしても、この小説がつまらないというわけではない。三人の女性の視点で書かれているのだが、それぞれにキャラが立っているし、特にインド系で同性愛者、そして親と同居している刑事が魅力的である。この女性刑事を主人公にした連作ものもあるらしい。他の二人は才色兼備の学校教師と闊達なその娘である。それぞれの視点で語られる部分は原作でも文体を変えてあるのだろうけど、日本語の翻訳も極めて読みやすい。物語は学校教師の日記(もちろん紙の日記)に他人の書き込みがあり、それが一種の殺人予告になるのであるが、そもそもこれがわかりにくい。中高生の頃、日記をつけていて、それを家族に読まれないために苦労した経験がある。誰にも絶対に読まれたくないものが日記であるはずなのに、本書の学校教師は他人の書き込みのある日記を警察に提出までする。それを女性刑事が興味津々に読む…全く考えられないシチュエーションだ。しかし、日記を書いたのは学校教師。それが日本でいえばどんなポジションにあたるのかよくわからないが、特定の作家の研究をしていて、研究成果が出版されることもありうるという設定なので、日記もいずれは出版される可能性も考えて書いていたのかもしれない。そうであるならば、中学生がこそこそ書く日記とは違うものだろう。それがわからないと、日記に見知らぬ他人が書き込みを入れるとか、その日記を警察にそっくり渡すといったことに対する違和感は最後まで消えない。もっとも、日記に書き込みをするのが幽霊でない以上、実際に書き込みをすることのできる人間は限られるはずなので、本当はもっと早く犯人が分かってもよいのではないかというつっこみがどうしても最後までのこるのだが。
2026年03月02日
コメント(0)
国会である野党議員が、本当に戦争に巻き込まれた時、最前線に行くのは誰なんですかという質問をしたという。続けて、母親は子どもを戦争に行かせるために産んだんじゃないとも述べている。議員の方はまだお若い方のようなのだが、こういう質問を聞くと、昭和30年代や40年代の頃に世に蔓延していた戦争はこりごりだという感覚を思い出す。この方の質問を一言でいえばこういうことだろう。国のために死ぬのはまっぴらだ…と。別にこれは珍しいものではない。昭和30年代には、まあ、冷戦体制当時の仮想敵国は共産圏だったのだが、戦争になったら赤旗と白旗を同時にもって降参するといっていた知識人もいた。そして現実にそう思っている人も多かった。戦争で亡くなった人は犠牲者であり、貧乏くじを引いた人々だった。戦争を引き起こした財閥や指導層は戦後も肥え太って暮らしている。そんな論説もずっと昔に読んだことがある。なにしろ、中学校の頃、理科室の机の上には某政党の機関紙がいつも置いて、読書好きの子は結構読んでいたのだから。時代は移り、さすがに赤旗と白旗はないにしても、それでも、多くの人は戦争になったら国家のために命をかけるなんて思っていないだろう。その昔、中国の兵隊はとても弱くて、銃を支給されると、さっさと逃げ出して銃を金にかえてしまったという話がある。頭数だけそろえればよいというものではないということだ。そこまではいかなくても、少なくとも、幼児からの愛国教育をしていない限り、戦争のできる国になどならないものである。昔の逃亡兵は一族の恥、村の恥で袋叩きになったというが、今の日本社会であれば人殺しが嫌で軍隊から逃げ出した優しい人ということになるのではないか。そもそも軍人は国家のために命を懸けるとともに、高い名誉で遇される職業であり、単なる武器をもった公務員は軍人ではない。国家と特別の関係にあり、逃亡や不服従は軍刑法という苛烈な法規で処断され、最前線で逃げるのは最重要の犯罪となる。そんな軍人は日本にはいないし、さすがに現憲法の下では無理であろう。今の政府が戦争を目指しているとも思えないし、どっかの国から武器を買うために防衛費が増えることが戦争の危険につながるとも思えない。一方で、戦争は相手があることなので、防衛費を減らし、憲法九条があれば起きないというものではない。ただ、その場合でも、日本はこちらからは戦争を起こせない国だということは現政権だってよくわかっていると思う。子供が血まみれになるといった国会質問はやはり時間の無駄というものだろう。
2026年03月01日
コメント(30)
全21件 (21件中 1-21件目)
1


