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その昔「独立国ブーム」というものがあった。きっかけは井上ひさしの「吉里吉里国」という小説だったが、あちこちの自治体が独立国を名乗り始めた。もっとも独立といっても一種の遊びで多くは観光誘致が目的だったように思う。この独立国を扱った小説は吉里吉里国が最初ではなく、星新一のマイ国家というものがあった。ただこちらは一軒の家が国家を宣言するという話で、吉里吉里国のオリジナリティを否定するものではない。こうした観光誘致の独立国で一番話題になったのがニコニコ共和国だろう。この間、このニコニコ共和国があった岳温泉の街をみてきた。小川が真ん中を流れる坂道はなかなかよい感じで、共和国を偲ぶものを探したのだが、国会議事堂であった観光会館には時計の後があり、日本時間とニコニコ時間の二つの表示がそのまま残っていた。ニコニコ時間は日本時間よりも一時間遅く経済効果を狙ったのだろう。坂道の方はそれほど寂れている感じはなかったのだが、坂下にある大きなホテルは二つあるうちの一つは廃業していた。社員旅行などの大人数の旅行の衰退だけでなく、東日本大震災やコロナも打撃だったのかもしれない。こうした町おこしというか観光客誘致のための独立国というのは、これからはうまれないだろう。いまさらやっても二番せんじのようであるし、そういうものを面白がるという感覚もなくなっている。全体に高齢化していて、子供連れの家族旅行というのも少なくなっていることもある。最近にぎわっている観光地というのは、外国人が多く来ているところで、寺院仏閣や古民家などの日本的景観のあるところや富士山や火山性の地形などの外国にはない自然景観のあるところが人気のようだ。ただ温泉というだけでは、外国人をよびこむのは難しいのかもしれない。そういえば、温泉地に行っても、大浴場に欧米人が入っているのはほとんどみかけない。どうも、むこうには、入浴はトイレ同様にプライベート空間という意識があって、他人と共同の空間で入浴することには抵抗があるのだろう。仕切りのないトイレに抵抗を感じるのと同じようなものなのかもしれない。ただこれも逆にいえば、温泉だけの観光地というのは、インバウンド需要ではなく、静かで情緒あふれるところとして人気を博するのかもしれない。そうしてみると小川を真ん中にした坂道の温泉街はよい雰囲気であるし、下の鏡が池もなかなかである。今回は、ほとんど通り過ぎただけであるが、いつかは泊まってみたい気がする。
2026年06月30日
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政府は皇室典範の改正を急いでいる。女性皇族が結婚後の皇族の身分を維持できることと、旧皇族の15歳以上の独身男性を養子にできることが骨子なのであるが、未婚の女性皇族も、旧皇族の15歳以上の独身男性もそれほど大勢いるとは思えない。皇族の身分に残るにしても、皇族の養子になるにしても、本人の意思に反してはできないだろう。典範の改正でそれができるにしても、本人が望まなければ現状と変わらない。この少数の方々の意向はどのようなものなのだろうか。そこのところにまったくふれないで、政治家をはじめ、多くの人が議論しているのが不思議な気がする。もう一つ、政府は憲法改正にも積極的なようだ。憲法改正には発議の後に、国民投票という手続きがある。最終的には国民の意思によるものなので、発議すらも阻止しようとするのが一種の愚民視だと思う。環境権が規定されていないとか、被疑者の権利は多々規定されているのに被害者の権利がないとかいろいろな議論があるが、実質的な問題は九条の改正につきるだろう。九条があるから平和が維持されてきたのではないし、九条があったからといって、ミサイルが飛んでくるのを阻止できるわけもない。ただ、九条があったから、そして今もあるから、自衛隊を戦場に送ることを拒否できる。九条がなかったらベトナムやイラクに多くの若者が派兵されていたかもしれない。もし、九条が改正されれば、今後は同盟国の一員として「血を流す」普通の国になるわけであるが、国民はそれを選択するのであろうか。
2026年06月29日
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テレビの平均視聴時間が減少傾向にあり、2023年度上半期にはゴールデンタイムの視聴率が49.2%まで低下し、民放キー局も10%を下回る局が増えているという。さらに、テレビを置かない世帯も増えているという。そうだろうなと思う。今はスマホやパソコンで好きなものをみることができるし、ニュースもスマホで十分である。それになにより、番組がつまらない。視聴率が取れないから製作費が減る、製作費が減るからますますつまらなくなるの悪循環に入っているのではないか。特に目立つのはグルメ番組とか食べ物店を紹介する番組である。だいたい人がものを食べているのをみて何が面白いのだろうか。テレビで視覚や聴覚は伝えることができるが、味覚は伝えることができない。画面の向こうでうまいのなんのと騒いでいるのをみたってねえ…と思う。次によくあるのは、一般人の私生活を報道する番組だ。こういうのはテレビにとにかく出たいという人が一定数いるのでなりたつのかもしれないが、多くは世間一般にはどうでもよい話である。どうでもよいのならよいのだが、一軒家に住む人の紹介が犯罪を誘発するとなると問題である。人間には、人の人生を覗き見たいという欲望もあるので、一定の視聴率はとれるのかもしれないけど、安易な感じもする。ただ、テレビ番組の中にも力の入ったドラマなどもあるし、映像や音楽でながら視聴に最適のものもある。そしてまた、一つのテーマに沿ってわかりやすく解説したものも面白い。YouTubeには、歴史、科学、数学、事件など様々な分野についてわかりやすく解説したものが数多くあげられている。製作は素人で金もかけていないだろう。もし、テレビ局が、専門家と資金力をつかってこうした様々なテーマについて解説したものを作ればよいものになるだろう。未解決事件シリーズや映像の世紀などはかなりこれに近いと思う。テレビにはつまらないものが多いと思いながら、一方で、テレビに期待するものもある。
2026年06月28日
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「新書世界現代史~なぜ力こそ正義はよみがえったのか」を読んだ。中国やロシアの最近の動向を「中華民族の復興」や「大ロシア復活」への野望で説くという見方はそのとおりだろう。ただ、そうしたものは指導者はそれに近い階層にあるだけで、民衆はとにかく日々の暮らしこそが最大の関心事だ。とにかく豊かになってきている中国はともかく、ウクライナ戦争で国内が疲弊してきているロシアは大ロシア復活と言ってみても民衆の不満は高まっていくのではないか。また、欧米の白人に見られる「人種置換」の不安も、筆写は批判的に描いているようだが、この要素も国際情勢を考えるときにはかかせない要因だろう。人種置換というのは、白人の地で異人種がやってきて入れ替わってしまうかもしれないということなのだが、欧州内での民族移動などは昔からある。小公女セーラは英仏混血の少女だし、家なき子レミはフランスの港に捨てられた英国貴族の子でイタリア人の親友とともにフランスを放浪する。欧州で排外主義が起きるようになったのは西アジア、ついでアフリカから大量の移民がやってくるようになってからだろう。こうした「人種置換」の不安を大衆の感情論と切って捨てるのではなく、こうした感情が世界のどこにでも存在するということは忘れてはならない。単純に言えば、周囲が見慣れない顔ばかりになっていくというのは人間の根源的な不安なのかもしれない。米国のトランプ支持者や欧州の極右や伝統回帰、そしてSNSにも筆者は批判的だし、筆写だけでなく、マスコミエリートは総じて批判的なのだが、そうしたものが、選挙民の多くを占める大衆の支持を得ているという現実には目をそらしてはならないだろう。グローバリズムで恩恵を受けているのはエリートだけという見方にも一面の真実はある。かつての右と左、資本主義対社会主義に代わり、今後はグローバリズム対アンチグローバリズムが対立の軸になっていくのではないか。そして各国が自国優先になっていくとき、世界の警察官役を果たす国家もなく、国連のような機関も形骸化していく実態があるのではないか。そんなことを考えさせられた。
2026年06月25日
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暗く陰惨な映画に違いないと題名からかってに想像していたのだが、見てみると思った以上に面白い。主観的にはこの間、ネットで見た「国宝」よりも良いかもしれないと思ったくらいだ。戦国時代、荒木村重が信長に反旗をひるがえして籠城し、使者としてやってきた黒田官兵衛も捕らえられる。これ自体は史実であるが、荒木村重の反乱の理由は今でも謎らしい。映画では、荒木村重と黒田官兵衛の心理戦が大変な緊張感とともに描かれる。このあたりはもちろんフィクションなのだが、籠城している荒木とそこにさらにとらわれている黒田の間に何が起きていたかは歴史好きの想像を刺激するところだろう。大量殺戮者の信長に対する生命尊重の荒木という見立ては現代的なのだが、実際、荒木村重の謀反の原因には、ついていけなくなったという動機があったのではないか。籠城を舞台にした心理劇として一見の価値のある映画だと思う。ところで、日本史を海外の歴史と比べた時、気づくのは権力者の途方もない贅沢や途方もない残虐な話が少ないことである。歴代天皇、歴代将軍の中で、とんでもない贅沢をした人や大量粛清をした人がいただろうか。日本史三大悪女(淀君、日野富子、北条政子)も三大悪人(道鏡、平将門、足利尊氏)も、どうもそんなに悪いという感じがしない。道鏡は下野に流された後、住民に慕われ、今も墓が守られている。そうした日本史の中で信長と秀吉は例外的にみえる。ところが日本史上人気のある人物もこの二人にかなり集中しているのも不思議である。
2026年06月24日
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自衛官についてのある議員の発言が問題視されているが、自衛官について貧しい家庭の子弟が多いというのは差別でもなんでもないのではないか。その職業に就くために支払う学費が少なければ統計的に貧しい家庭の子弟が多いのは当然想像できることで、戦前の師範学校や士官学校も旧制中学に比べて貧しい家庭の子弟が多かったという。ただそれは裕福な家庭の子弟がいなかったという意味でもないし、その職業の地位が低かったという意味でもない。ただ、その職業について貧しい家庭の子弟が仕方なく就いて、そして苦しんでいるとなると、これは一種のステレオタイプであり、差別だと言わざるを得ない。それにしても、普段からサベツ反対を声高に唱え、外国人労働者を送還するのはサベツだ、同性婚を認めないのはサベツだ、女子が数学の成績が悪いのはサベツだ…と言っている人々が、一方でこうした職業差別を平気でやらかすのは皮肉である。もしかしたら、こうした差別意識はリベラルという人々の宿痾なのではないか。自分たちは意識が高く(アウォーク)一般大衆はそうではない、自分たちは前衛で大衆は後ろにいる。自分たちは賢く、大衆は導いてやらねばならぬ存在と考える。そういえば昔、死刑廃止論者の書いた本を読んだことがある。刑務官の苦悩にふれた内容などには共感する部分もあったのだが、刑務官という職業に対する侮蔑ともとれる記述が気になった。この本は今でも版を重ねているようなのだが、このあたりは修正されたのだろうか。死刑廃止論もまた、世論調査の結果はどうであれ、廃止すべきだといった大衆蔑視の独善がついてまわるように思える。政治的な話になると、右とか左とかといった区分が幅をきかせ、ネットでもネトウヨ対パヨクといった罵りあいがある。そして往々にしてリベラルと左翼は同一視される。しかし、左翼というのは経済的弱者、もっといえば大衆の側に立つ勢力をいうはずである。そうであるならば、大衆を蔑視し、大衆の利益に無関心なリベラルは左翼とは別物のように思う。欧米では移民の無制限な導入に反対する勢力が大衆の支持を得ている。マスコミ人士はこうした政治勢力を極右と呼び、いわゆるリベラル勢力もこうした政治勢力には批判的である。しかし、低賃金の移民流入による失業、治安悪化、社会の変容で被害を受けるのはまさに大衆である。だからリベラルを左翼と呼び、移民の無制限な流入に反対する勢力を極右と呼ぶ…そうした呼称には非常に違和感がある。
2026年06月22日
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自衛隊に入るのは貧しい家の子弟が多いという国会議員の発言が叩かれている。たしかに職業にとって裕福な家庭の子弟の比率が高いものもあれば貧しい家庭の子弟の比率が高いものもあるだろう。ただ、そんな統計はないので、推測するしかないのであるが。はっきりいえることは、その職業に就くために多額の費用がかかるものは裕福な家庭の子弟が多い。私大医学部や法科大学院の学費は高いので、そういうところを出た人は親も高所得と思われる。ただし、一方では、国公立の医学部や法科大学院以外のルートもあるので、別に裕福な家庭出身でなくても、医者や法曹になっている人々もいる。また、教育費がかかるだけでなく、その後の収入も不安定というものは、裕福な家庭の子女の比率が高いのではないか。音楽関係の学校などはそれにあたるし、アニメや声優などの夢追い型の専門学校もそうかもしれない。しかしそうした分野でも貧しさを克服して夢をかなえる人々がいないわけでもない。ネット情報でみると、芸能人の出身はなぜか超富裕層か超貧困層(いわゆる壮絶な生い立ち)に偏っているようだ。多少はネタもあるのかもしれないけど、こうした世界で活躍する人々は両極端という傾向もあるのかもしれない。逆に貧しい家庭の子弟のつく職業を考えてみる。そこに至る教育に金がかからず、就職の固い職業ということになる。公立の学校から公務員というのは、その典型であるし、統計をとってみると高卒で公務員というのは貧しい家庭出身が多いのかもしれない。ただ、もしそんな統計があったとしても、統計は全体の傾向を説明するもので、個々の事情は説明しない。大学卒業後、就職もせずに親のスネをかじっているのと、高卒で手堅く就職するのとどっちが賢いのだろうかは一目瞭然だろう。自衛官も高校を出てすぐに任官するという場合には高卒の公務員に近いものがあるのだろう。全体としては、貧しい家庭の子弟が多いと推測するにしても、そして「自衛隊員には貧しい家庭の子弟が多い」と言ってみたとしても、それは別に自衛隊員を貶めていることにはならないだろう。むしろ、それよりも同じ発言で「いっぱい苦しんでいますよ」という表現が問題なのではないかと思う。たしかに自衛隊の仕事は楽でない。けれども、それは、警察官や消防官も同じであり、安全を守る職種というものはそういうものだろう。だからといって、警察官や消防官について、苦しんでいるなんていう表現をしたら問題になる。自衛官も当然に問題になるわけである。もちろんこうした職種について、大変な仕事なので、もっと待遇を良くしようという文脈で語るのならよいのだが、苦しんでいる…というのはちょっと違うように思う。要するにかの議員の発言で一番違和感を感じるのは災害救助などでなくてはならない職業である自衛隊員について「いっぱい苦しんでいる」という表現をしていることである。※昨日ある商業施設のイベントで見た踊りと歌です。宣伝してみたくなりました。team清門 - うつくしま宝物 [2026.03.29 草加さくら祭り] - YouTube
2026年06月21日
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国旗損壊罪がどうやら成立しそうである。これについてどういう言うつもりはないのだが、これからはマラソン応援などの際、沿道で国旗を配っていたとしても、受け取るのはやめようと思う。昔は、祝日の際に国旗を掲げる家もあり、今でも物置には国旗があるかもしれないけど、そういうものもいらない。自分のものであっても、故意に棄損したら犯罪になる…なんていう面倒くさいものは持っていたくない。まさかこの法律ができたからといって、沿道で配っていた日の丸をゴミにすてた人が逮捕されるなんてことはないのだろうけど、そういうことをすることが非常に気分の悪いものになることは間違いない。今でも日本で一番売れている国旗はイタリア国旗だというのだが、そのうち日本で見る個人所有の国旗はイタリア料理やフランス料理の店の前に掲げられる旗だけになるのかもしれない。
2026年06月18日
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小学校の頃、勉強が大嫌いだった。特にいやだったのは国語の漢字と算数の計算だったので、成績も悪かった。計算で指を使っているとよく叱られたが、せっかく指があるのになぜそれを使ってはいけないのか、それがさっぱりわからなかった。さすがに、10以上の数がでてくると、靴下を脱いで足の指まで動員するということはしなかったが、実際に、そうした子もいたという話も聞く。社会はなぜそんなことを覚えなければならないのか意味不明だったが、理科の方は何をきいても「へえ、そうだったのか、ちっとも知らなかった」と驚くばかりで、いちいち感動して覚えたので成績はよかった。いまにして思えば、無知ゆえに感動があり、感動ゆえに成績がよかったというわけである。体育、音楽、図工の実技教科は、図工以外はさっぱりだった。特に体育の授業は苦行以外のなにものでもなく、ドッジボールはボールが怖いのでさっさと外野になってぼおっとしていた。音楽は実技はできなかったが、あの頃の歌で記憶にのこっているものがある。最近、そういうサイトをみていて久しぶりに「星の界」を聞いた。小学生には難しい歌詞だったし、究理の舟が胡瓜の舟にしかきこえなくて、なんのことかと思っていたが、当時から好きな曲で印象に残っていた。今聞いてみると、讃美歌の楽曲に科学礼賛の歌詞で、それでいて崇高なるものへの敬意も感じられるすごい歌詞だと思う。無窮の果てに進歩していく人間の英知をたたえているようなのだが、はたして人間は賢くなっているのだろうか。
2026年06月17日
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たくさん来る詐欺メールを見ていると、欲でつるもの、脅すものと、よくこんな手口が思いつくものだと驚くばかりだ。息子が逮捕されたという警察からのメール、国勢調査不回答で罰則をかけるという総務省からのメールはかなり荒唐無けいなのだが、人事部の佐藤を名乗るメールなどは引っかかる人もいるのかもしれない。あまりにもひどいので最近では迷惑メールの少ない別のアドレスをもっぱら使っている。詐欺はメールだけではない。あるサイトを開くと突然警告音が鳴って「あなたのパソコンはロックされました。すぐに下の番号に電話をかけてください」と音声で案内する。強制終了するとことなきをえるのだが、そういう詐欺の手口も最近では増えているという。そういえばこんなのがあった。パソコン画面の右下にセキュリティの案内などがときどきでるのだが、いきなり「あなたのパソコンにはウィルスが侵入していて、銀行口座などがとられるおそれがある。すぐに下記のサブスクを利用するように」という案内が出る。これは表示そのものを消したのだが、気味が悪い。さっきなどはある通販サイトのページを開くと「このサイトは危険です。すぐに離れてください」という表示がでてきた。普通に検索サイトから入ったので、アドレスは間違っているはずはないのに。これも気持ち悪いのでログアウトした。いったいこれは何だったのだろうか。自分はしょせんは昭和生まれの旧人類。ネット上で金が動くのが気持ち悪くて仕方ない。けれども今はネット上の買い物もネット配信も必需品…知り合いにはネットにつながる口座とそれ以外を分けている人もいるがそろそろそうしたものを検討した方がよいのかもしれない。
2026年06月16日
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ネットサーフィンしていたらこんな記事があった。某新聞社の人生相談の記事で、相談者は40代の女性公務員で、夫との結婚生活に幸せを感じることができないというのが相談の内容である。そして、幸せを感じないのは、夫の学歴が低く給料が安いこと、ママ友との話題で夫の学歴や仕事の話が出ると嫌なこと、周りの人は注文住宅やタワーマンションなのにわが家は小さな建売住宅であることなのだといい、周りとの格差を感じる度に、夫のせいで私の価値が下がっていると思ってしまうと言っている。人生相談の回答者はまっとうな回答をしているのだが、ネットでは相談者の女性を非難するものが多い。そりゃそうだろう。周囲の人との比較で自分の幸福を確かめたり不満を持ったりするのも、他人のマウントに振り回されて不幸だと思い込むのも実にくだらない。自分の価値が夫のせいで下がるなんて言う前に、自分は価値を高めるためにどんな努力をしているのか。こんな相談を見ると、家庭に帰っても自分を軽蔑している妻と顔つきあわせなければならない夫、軽蔑している男との間の子だと思って内心自分を見下してる母、この相談女性と暮らしている家族が本当に気の毒になった。相談者も「私の気持ちを知った夫もつらいと思います」と書いている。ただ、さらに考えてみると、いくらくだらなくても、人間が身近な人々との比較の中で幸不幸を考えるのは仕方のないことなのではないか。相対的貧困率の重要性もそんなところにある。また、これもくだらないのだが、特に女性には、自分の夫や子供の学歴や職業でマウントを撮りたがる人がいる。高スペックの夫をゲットしたことを自分の「女の価値」と思っているのかもしれないけど。そんなマウントなどはほっておけばよいのに、そんなものに振り回されるのも、また、人間の哀しさなのだろう。女性にとっての進学や就職の機会が増え、特別な人でなくともなんとか自立くらいはできるようになった、それはそれでよいことであるし、いまさら後には戻れないのだろうけど、それと同時に幸福な結婚のハードルも随分と上がってきているのではないか。内実は知らないが、こうした夫よりも妻の方が学歴(偏差値)も収入も明らかに上というカップルを何組か知っている。乏しい知見なのだが、こういうカップルは結婚をしてもその後別れる確率が非常に高いように思う。そうでなくても、妻が家庭内で学生時代の話などを避けているという例もきいたことがある。逆に夫の方が学歴も収入もはるかに上というカップルははた目にも幸福そのものという感じがする。こんなことをつらつら考えてみると、今という時代は、幸福な結婚が難しくなってきていて、これもまた、未婚化の要因になっているのかもしれない。※余談であるが、世界的に見ても少子化が急速に進んでいるのは東アジアの儒教文化圏である。儒教には男尊女卑という考えがある。これは男を尊敬しろ、男が偉いというよりも、今日では男が偉くなければならないという感覚に結び付きやすい。女性の上方婚志向は生物的本能が背景にあり、万国共通なのかもしれないが、東アジアでは特にこうした志向が強く、それが結婚を難しくしているのではないか。
2026年06月14日
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ある新聞のコラムにブログの終焉という記事が載ったという。いくつかのサイトでブログを終了したのがその根拠なのだそうだが、サイトの終焉など昔からあり、現に七詩も以前はライコスのブログを利用していたが、閉鎖されたため、楽天に移ってきた。したがってブログの終焉といっても実感はないのだが、ただ、ブログ内での意見交換は昔に比べて不活発になっているようで、これは少し残念である。全体にコメントがあまりなく、それで余計に書きにくくなっているという面もあるのかもしれない。また、これは考え方にもよるのだが、ブログは必ずしも市井の人が日常雑記を書いているというものばかりではない。むしろこうした媒体では人から見てどうでもよいことを書いても仕方ないのではないかと思っている。かといって政治テーマを書くとすぐに右だとか左だとかといった色分けが始まるのだが、教科書どおりのマルクス主義が支持を失った現在、従来の右とか左とかの色分けは意味をなさなくなっているようにもみえる。世界的に見ても、生活とはあまり関係のないきれいごとばかりのリベラルの主張を支持しているのは都市部のインテリで、労働者層は単純労働者の移民を排斥するいわゆる極右と呼ばれる政党を支持している現実がある。右左とかリベラルか保守化と言った枠にとらわれずもっと多くの政治的テーマについての議論がなされてもよい。ブログは、希望的観測かもしれないが、やはりすたれることはないと思う。人間にはどうも書きたいという欲求があるのではないか。そしてそれを誰かが読むことによってモチベーションがあがる。それがあるかぎりブログは廃れないと思うし、ブログサイトが消えれば、それに代わるものを必死で探すのではないか。
2026年06月12日
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ネット配信で見られるようになったのでさっそく鑑賞した。人気俳優のダブル主演のうえ、丁寧なつくりで、ストーリーのテンポもよい。ただ社会現象になるほどのヒットは、評判が評判を呼んだという面がかなりあるのではないか。将来、この映画が名画として残っていくのかどうかはわからない。主人公二人は一人は梨園の御曹司、一人は極道の家出身の養子と対照的である。実話とかモデル小説なら、こういう人もいるのかという興味関心でひきつけられるが、フィクションとなると、物語として起伏は少ないように思う。逆にこういう話だからモデルがいると思う人もいるのかもしれない。二人の主人公のうち、御曹司よりも養子の方が才能に恵まれているという話なのだが、世襲と才能は本来は両立しないものだろう。才能や能力を厳密に言い出したら世襲というものはなりたたなくなる。それでも梨園の世界に世襲がなりたっているのは、一夫一婦制が厳格ではなく、才能のある婚外子を後継にしたり、適宜、才能のある者を養子にしているからだろう。勝敗という形でもっと能力差が出る世界では世襲などまったくなりたたない。
2026年06月11日
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昭和40年代を舞台に財閥一族の人間模様と銀行合併の動きを描いた小説である。大昔というわけではないが、やはり一時代か二時代前の物語のように見える。万俵家という銀行のオーナー頭取の家庭が舞台であるが、当主の頭取は外では上品な紳士然としているが、家庭の中では妻妾同居どころか妻妾同衾の生活を送っている。妻の方はおとなしいだけの旧華族の女性なのだが、妾の方は家庭を仕切る才色兼備の女性で外面では女執事ということになっている。今なら組織の管理職やトップに女性がいても驚かないが、この時代ならこうした女性もいたのかもしれない。女子高等師範を出た後、留学し、米国人と結婚したら破綻して、帰国後に家庭教師として一家に入り込んだという設定になっている。現実にも、権力者の妾で辣腕を振るっていた女性もいたのかもしれないが、同居とか同衾は、小説の中だからだろう。政略結婚をした子供達もそれぞれ問題をかかえ、中でも長男には出生の秘密がある。こうした謎をもってきて、読者を引っ張っていく小説手法はさすがとしか思えない。ただ、閨閥結婚と言い、仕事をしていない女性達といい、核家族でもお手伝いがいることといい、こうした実態というのhどの程度あったのだろうか。ただ、思い返してみると、小学校(公立)の共働きの教師は家にお手伝いさんがいるといっていたし、東京建物園にも昭和30年代の家屋で女中部屋のあるものもあったので、ある時期までは家事使用人というのも珍しくなかったのかもしれない。
2026年06月10日
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大学の淘汰の議論が起きているという。いまさら感が半端ない。だいたい18歳人口が減少を始めた時点でも大学を増設しつづけたなど狂気の沙汰としか思えない。当時文部大臣であった田中氏が、秋田県の公立芸術系大学の増設に反対したとき、マスコミはちゃぶ台返しだの何のといって、さんざん大臣をぶったたいたのを記憶しているだろうか。当時は田中氏バッシングがトレンドで彼女に対して人格攻撃が行われ、あげくのはては性格の悪さの傍証として子弟の私事まで報じた週刊誌まであった。今にして思うと、田中氏の方がまともだったように思える。最近では私立大学の53%定員割れだという。大学生がヤンキーのような犯罪をやってもさほど驚かない時代だ。今時、学生の集まらないような大学を税金で維持する理由などはない。優秀層に税金を投入するのはよいのだが、そうでない層に、税金を投入して、4年間を無駄にさせるのは問題だろう。聞くところによると、奨学金という名の有利子ローンの利用率はどちらかというと偏差値低めの大学ほど高く、返還できない者の比率もそうした大学ほど高いという。卒業後の進学率をあげたい高校も学生あつめにやっきとなっている大学もこうした奨学金を薦めるのだが、それででてくるのは、思うような就職もできずにローンに苦しむ若者たちである。
2026年06月09日
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人口減少というものは一律に人口が減っていくのではなく、人口が集中しながら減っていくものらしい。だから過疎地における減少のスピードはそうでないところよりもはるかに速い。過疎化すればますます人は住めなくなる。スーパー、コンビニなど商圏に必要な人数というものがあり、店のないところでは人は暮らせない。これからの人口減少社会はなんでも一律ということではなく、選択と集中を考えた方がよい。都心にはどんどん高層マンションが建っているのに、少し郊外に出ると、さほど老朽化していないのに空き家になっている一戸建てが目立つ。さらに都市部を離れると、廃屋が目立ち、なかには自然にかえりつつあるようなものもある。都道府県単位でみると、人口100万人以下の県がいくつもあり、そうした県の一つ一つに県庁、県警、県教委、裁判所、大学等があるのも無理がある。道州制よりも前に小規模な県の統合という話がでてくるのだろう。人口減については、大変だという議論は多いが、働き手と同時に需要もまた減ってくる。需要減といえば、教育産業などその最たるもので、塾などは苦境だというし、今後は大学の淘汰も始まるだろう。少子化は対策するものというよりも、所与のものとして受け入れ、少子化、そして人口減でも社会がちゃんと回るような方策を構築した方がよい。
2026年06月08日
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死語になった言葉をいろいろと考えてみる。永久就職、三食昼寝付き、三高、寿退社一頃、女性の結婚について言われた言葉で、当時は仕事をせずに専業主婦を目指す女性が多かった。もうそんな時代でもないだろう。ただ、そんな時代に人生設計をし、自立する準備もしないまま、結婚の機会もなく年齢を重ねている女性たちもいる。いわば「女の子だから就職はあまり考えなくてよい、どうせお嫁さんになるのだから」というつもりでいたのに、梯子を外された感じの人々である。ロスジェネ世代の貧困だけでなく、こうした女性たちの貧困問題というのもあるのではないか。花嫁修業かっては家事は大変高度な作業で、なかでも裁縫は最難関であった。普段着や子供の服は家で作るのが普通で、婦人雑誌の付録は型紙、ミシンはたいていの家にあった。既製服の普及で、裁縫は必須ではなくなるとともに、花嫁修業のための洋裁学校は大学や専門学校に衣替えした。その後は花嫁修業と言えば料理教室になったのだが、料理も今では特別の技量を擁するというほどのものでもなくなってきている。生きていくうえで高度な家事が必要となくなったことも、未婚率の増加の背景にあるのではないか。大学出この言葉も最近では聞かない。大学を出たことが特別なことではなくなったというよりも、大学をでたかどうかということが、評価に影響しなくなっているのではないか。大学に行くことは家に金があることの証明ではあっても、どうでもよいことになっているのかもしれない。昨日、強盗致死で大学生だった女性に無期懲役の求刑がなされたが、この事件の報道を見る限り「大学生がこんな犯罪を」といった論調はあまりない。犯罪の内容も、ヤンキー集団がやりそうなもので、誰もこの女性が大学生としての学問を身に着けているようには思っていないだろう。こういう人でも大学に進学する時代になっているわけである。18歳人口が減少に転じてからも、どんどん大学は増えていった。そしてそれぞれの大学には膨大な補助金が給されている。どう考えてもおかしな話である。
2026年06月07日
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少子化の流れは依然として続き、ますます速度を増している感がある。ただし、夫婦の完結出生時数はさほどかわらず、むしろ三人以上の子供を持つ世帯は増えているという。こうなると、少子化というよりも、未婚化といった方が実態を表しているのではないか。既に結婚をしている人に子供を持つことを支援するのであれば、様々な支援政策が功を奏するであろう。しかし、そもそも結婚していない人を結婚に向かわせるについては、支援政策だけでは無理である。結婚という人生最大の決定は外から降ってくる金では左右できない。少子化、いや未婚化によって社会に何が起きるかを考えてみる。一つは分断である。万人にとって標準的だと考えられていらライフサイクルがなくなって、社会は結婚して家族を形成する人とそうでない人とに分けられる。独身者はいずれ結婚する人ではなく、独身を選んだ、あるいは選ばざるをえなかった人なので、両者の間の利害対立が次第に鮮明になってくるだろう。少子化だ、さあ大変だあ、子育て支援だと言えば、誰も文句をいわないという時代は過ぎつつある。子育て支援のための社会保険料の値上げが独身税だと批判されるのもその表れであるし、東京のある区で給付金を住民税非課税世帯と18歳未満の子供のいる世帯に限定したら大炎上したという話もある。そうでなくても、結婚という人生の根本のところで分断されるので、社会の一体感はますます消えていく。次には子育てが万人のものでなくなった結果、子供に対して厳しい社会になる。かつては電車の中で赤ちゃんが泣いても、公共の場で子供が騒いでも文句を言う人はいなかった。皆が子育てをしていたか、これからするかであったからである。しかし今では保育園や公園で子供の騒音が問題となっている。子供の遊戯施設の傍には、騒ぐな、大声を出すなという看板がやたらにたっているのも最近の傾向だろう。また、子育てが万人のものでなくなるということは、それだけ次の世代のことを考える人が減るということになる。国家とか民族とかといったものは、世代を超えて継承されていくものなのだが、その国家の未来を考える人が減り、自分の世代だけが逃げきれればいいと思う人が増えるだろう。そして家とか子孫といった感覚もなくなるので、お墓にこだわる人も減るし、そうした意識の変化はすでに起きているのではないか。このほか、孫の世話をする必要のない老人が増えるので、高齢労働力の供給という意味ではプラスであろうし、そこそこに資産のあるシングルシニアを狙った市場も拡大するであろう。今後は相続人なしの財産というものも増えていくので、これも、国家収入のかなりの部分をしめるようになるのかもしれない。係累のない老人が多額の国債を残してなくなれば、それももちろんチャラである。
2026年06月05日
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ニーダム・クエスチョンというものがある。「紙」「印刷術」「火薬」「羅針盤」といった人類の歴史を動かすような技術は最初に中国で発明され、15世紀くらいまでは、中国文明が西欧文明を凌駕していた。それなのに、なぜ近代以降になると、中国文明は西洋文明に圧倒されるようになったのか…という問いである。これはかつては中国文明の停滞と言われ、中国はこのまま半永久的に停滞するかのような見方がなされていたが、ニーダムの見方はそうではなく、西洋文明が興隆したのはいくつかの偶然の要因があったのではないかというものである。それではその要因はなんなのか。中国には豊富な人的資源があり機械による省力化の必要がなかった、欧州のようにいくつもの国が切磋琢磨する状況がなかった、英国のようにすぐに利用できる場所に石炭がなかった…などいろいろなことがいわれる。科挙制度が強固で、自然科学系に優秀人材がいかなかったという指摘もある。要因は何であれ、西洋文明の中国文明に対する優位は絶対的なものではないということであるし、このニーダム・クエスチョンが注目されてきたことも、中国の興隆といったことがあるのではないか。もうずっと以前になるが、中国に行く機会があり、本屋にも行ってみた。外国に行くと、その国の本屋に行くのは非常に面白い。そもそも本屋がどのくらいあるのか、そしてそこにはどういう本を売っているのかでその国がわかるような気がする。中国の本屋に行ったとき、上の方に科学史の年表がかかげられており、著名な西洋の科学者もあったが半分以上が中国史の人物であった。5世紀に円周率の近似値を求めた学者が16世紀に本草綱目を編纂した学者なども入っていたがそれでもすこし「もっている」という印象があった。しかし、ああいった年表を見て育った人の中から、今の科学技術をリードしている人材がでているのだろう。近代の科学技術文明を築いてきたのは西洋であり、西洋の優位はゆるがない…ということは、必ずしも絶対ではない。
2026年06月04日
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不安定な中東情勢と石油資源への懸念、食料品の値上げなどの生活不安と今の状況は課題山積みである。それなのになぜ、緊急の課題とも思えないことを国会で論議しているのか不思議でならない。国旗損壊を規制する法の制定と皇室典範の改正である。国旗損壊については、要件が曖昧なことはさておき、こうした法規が新設されると、かえって日の丸は面倒なものといった感覚が広がるのではないか。マラソンの沿道応援で日の丸が配られることがあるが、ああいったものも捨てる際の面倒を考えると受け取る気にはならなくなる。結果的に国民から国旗を遠ざけるのではないか。もっとわからないのは、皇室典範の改正である。女性皇族の結婚後の身分保持については皇族数の減少による公務の負担が問題だというのだが、現行の公務のほとんどは法律上の根拠のあるものではなく、行事に箔をつけるだけのものや、展覧会の鑑賞や観劇のようなものが多い。こうした公務なら減らして支障があるとも思えないし、そもそも、今の女性皇族の全員が全員について、それほど過重な公務が問題になっているのだろうか。旧皇族の養子についても、日本語の「養子」には、幼いうちに子供として受け入れる養子と、婿養子との二つの意味がある。婿養子という意味であれば、女性皇族の婚姻の自由を奪うわけにはいかないし、子供として迎えるというのであれば、少子化時代にそんな子供がいるのだろうか。そしてまた、もしいたとしても、本人がそうした養子縁組に同意するのだろうか。
2026年06月03日
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AIが数学者が60年かけても解けなかった難問を解いたという記事を見た。いずれ、数学の未解決問題もAIが解くという時代が来るのだろうか。数学だけではなく、自然科学系の発明や発見もAIが行うということも普通になるのかもしれない。自然科学というとわかりにくいのだが、もっと身近な分野で見てみる。YouTubeにはAIで作った歌や映像がいくつも出てくる。実写化した人物が様々な背景で歌を歌ったり歩いたりするものなのだが、人物はAI画像で、「不気味の谷」などとっくに超えて普通の人物と変わらない。歌手や俳優もそのうちAInいとって代わられるのではないか。歌の作詞作曲もAIであるが、これも、最近の印象に残らない人間の作った曲よりもよほど耳について親しみやすい。ロック調、演歌調と様々なのだが、いずれも、どこかで聞いたような、よくあるような曲なので覚えやすいのだろうか。特に気に入っているのは歴史シリーズと古典シリーズである。歴史シリーズでは竹崎季長の歌う「元寇」や中野竹子の歌う「散華」などがある。いずれも日本史の一コマなのだが、こういう映像を見ると、元寇や戊辰戦争が生き生きと想像でき、歴史好きがふえると思う。古典シリーズでは鴨長明の歌う「方丈記」、紀貫之の歌う「土佐日記」などだが、いずれも、冒頭の有名な文章を音楽にのせて歌にし、背景に文学世界の映像を入れる。これを聞いて方丈記を読みたくなり、実際に読んだくらいである。これなら有名な古典の文章を無理なく記憶できるだろう。特におすすめは平家一門の歌う「平家物語」であり、これは以前の日記にも書いた。平徳子が場末の歌手風でイメージと違う以外はとてもよくできていると思う。数学の未解決問題をAIが解くというのもすごいのだが、感動的な小説や映画、音楽、そうしたものもやがてはAIが作るという時代になるのだろうか。
2026年06月02日
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旭川の神居古潭殺人事件について書く。旭川と言えば、中学生の陰惨極まる性犯罪が「わるふざけのいじめ」とされたり、真面目そうな動物園職員が妻を殺害して、遺体を動物園の焼却炉に入れたりと事件の多いところである。たった31万人の町なのに信じられない。神居古潭殺人事件についても、主犯格の裁判が始まったのだが、殺人事件については主犯と舎弟と称する従犯で証言が対立している。主犯は殺人については「殺すつもりはなかった」として、全裸にした被害者を橋の欄干に座らせたまま、立ち去ったらしばらくして落ちる音がしたとしている。そこにいたる暴行等にについては、動画等があるので争えないが、実際に落とすところはやってはいないとするのだろうか。舎弟の女は主犯が肩甲骨のあたりを両手で押したとしている。さて、どちらの証言がとられるのだろうか。ところで、執拗な暴力を加え、全裸で橋の欄干に座らせれば、そのまま立ち去ったとしても、衰弱して混乱した被害者が橋から落ちること、あるいは立ち去ったようでも被害者が更なる酷い暴力に怯えて川にとびこむことはありそうなことである。こういう場合でも、最後の一押しがないと殺人にならないのだろうか。死ね死ねと言っているのは確認されているし、被害者は犯人の身元も知っている。「殺すつもりがなかった」とするためには、被害者をひきずって安全なところに置き、衣服も一緒に置かなければならないのではないか…と素人は思う。最後に両手で肩甲骨のあたりを推したのかどうかであるが、こうした墜落死の場合には物証が遺らない。刃物と違って手の跡が残るわけではないし、あのあたりには監視カメラもない。こうした知識は推理小説などをよく読んでいると想像つくのだが、警察関係に親しい人がいて耳学問で仕入れることもあったのかもしれない。もし、警官に親しい人がいれば、殺人事件はどんな方法で捜査するのか、逆に言えば、どんな方法でやれば証拠が残らないかくらいのことは聞いてみたくなるものである。この事件によく似た事件として千葉の生き埋め殺人がある。この犯人は19歳の女性であり、裁判では10年くらい服役してネイルサロンをやりたいといっていたらしいのだが、無期懲役刑が確定した。少年犯罪に対しては何度かの少年法の改正で厳罰化はすすみ、神居古潭殺人事件でも舎弟の19歳の少女にも23年の刑が確定している。
2026年06月01日
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