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弟から母方の実家のお伯母さんが亡くなったと連絡があった。専業農家で和裁のプロで上品な人だった。その上品さが自分の母と比べて羨ましく思っていた。他の人に紹介する時、母ではなく伯母さんだったら良かったのにと密かに思っていた。でも年をとって考えは変わってきた。母方の実家で従姉妹と当時仲良しでしょっちゅう泊まっていた。それを何となく疎ましく思われて棘のある態度や声掛けられていたと薄々感じながらも従姉妹と一緒が嬉しくて考えないようにしていたのだ。母にもあちらの家の都合もあるのだからあまり泊まるなと言われながらも、空気の読めない私は母の兄の妻の伯母さん始め、その家族の冷たい視線を感じながらも従姉妹と一緒を選んだのだ。私の母が亡くなった時、音信不通だった従姉妹から母の死を惜しむメールを貰った。もともと健康体で体の不調を訴えて入院10日目で亡くなったので従姉妹も驚いたそう。心からの惜しむ声だと思った。母は母の実家の甥、姪から好かれていたとその時実感した。実のところ伯母さんには従姉妹の私の母に対するような思い入れは無い。図々しい義理の姪の私を疎ましく思っていたのは確実だし、そう思われても仕方のない私だった。今思えば母の実家の人達には申し訳なかったし、苦い思い出を作ってしまった私が悪い。当時お世話になったことを感謝してお葬式に出席しよう。
2026.02.27
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2ヶ月毎の眼科通い。ドライアイとまだ軽症の白内障の薬を貰いに。 必ず視力検査がある。あと半年に一度の緑内障検査。実は気が重い。理由は視力検査。段々悪くなって運転免許に差し障るんじゃないかといつもドキドキ。取り敢えず今日も何とかパス。輪っかの空きを見えるかの検査、小さくなるとぼやけてわからない。なかなか答えられないと検査員が顔の位置をずらしてみて見えますか?と。ずらしてもいいんだ! 車の運転出来なくなるのでいつもドキドキ。でも通院して目の状況がわかるよう、これからも続ける。
2026.02.25
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すっかり出不精になった。理由は1年前に車をぶつけてしまったことによる運転に自信をなくしたこと。年齢のせいもあると思うので運転するのには細心の注意を払っているのでなるべく運転はさけている。 家の周囲1kmくらいなら運動も兼ねて歩いて行く。帰ってくると身体も暖かくなって達成感があり、気分的にも良い。なので普段の買い物は徒歩数分のスーパーを利用している。しかし数キロ離れた大きなスーパーは品揃えも値段も安いので本当はそちらで買い物したい。副鼻腔炎で耳鼻科へ通っていた時は帰りに寄っていたのであの頃が懐かしい。しかし症状が出ていないのは幸せなこと。これからも安全運転、健康にも気を付け生活していこう。
2026.02.22
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数年前から風邪をひくと副鼻腔炎の症状が同時に出るようになった。しつこい咳、鼻詰まりと量の多い濃い鼻汁、頭痛の症状で憂鬱な日常を過ごすことになる。頼みの綱のいつも行ってる耳鼻科は予約しても診察は1週間先なので風邪のひき始めで鼻の症状が出ていなくても予約をいれるようにしている。耳鼻科で治療と服薬をすれば徐々に症状は消えていく。現在は風邪が副鼻腔炎のきっかけになるので風邪予防をすることにした。 すでに実行はしているが外出時のマスク着用と帰宅時の、うがい、手洗い。そしてヨーグルトを意識して摂るようにした。無糖ヨーグルトにオリゴ糖をプラスしたもの。ドリンクタイプのR1を数日に1回飲む。これで昨年末から今まで風邪をひいていない。自分の大事な身体。日々の生活を工夫しながら健康な生活を続けたい。
2026.02.20
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新卒で入ったデパートで働いていた時のこと。スムーズに仕事の内容が覚えられない自分に嫌気がさしていた。全く興味の無い売り場に配置され、商品群を覚えるのが頭に入ってこない。自分でも愕然とした。こんな特性があることに。 苦手な先輩がいた。人見知り性格で苦手と認識すると相手を避けるようになり、その先輩からも嫌われてしまった。仲良しの同期達がその先輩と和やかにおしゃべりしているのを見て自分のこの特性を呪った。だからといって転職は頭に無かった。退職、再就職の煩わしさを天秤にかけ、この職場で頑張って行こうと心に決めた。人から好かれること、仕事を精一杯覚えることを努力しているのに、私の頭は私の理想とする性格と反対の行動をする。仕事を当たり前にスムーズにこなし、周りの人達との関係も良好にリスペクトもされて、と普通の当たり前の大人になってると信じて疑わなかったのにそれが手の届かない理想でしかなかったこと。現在の仕事をリタイヤして誰にも気を使わずに家にいられることに幸せを感じる。自分の特性を必死に隠して仕事をしていた当時、勿論周りの人は気付いていたはず。人と接することや仕事に関する本を読んで自分改造に努力していたこと。 周りの人に気を使いすぎて疲弊していたこと。もう自分は充分努力した。もう解放してあげようと思うようになった。周りに迷惑をかけないで自分ファーストでいくんだと思うようになった。
2026.02.17
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中学生当時を思い出す。友人Hちゃんと話題の「小さな恋のメロディ」を見に行き、2本立てのもう一つが純愛日記だった。当時この映画は雑誌にも取り上げられて、珍しいスウェーデン映画で10代の少年少女が主人公とは知っていた。ラジオでもこのテーマ曲がよく流れていた。映画としては起承転結はなく、主人公達と周りの家族や友達との関わりとかをただ映画にしたというイメージでハラハラドキドキも痛快さもないそんな映画だった。ただ雑誌の写真でよく見ていたヒロインが動いているのを見られるのが心地よかった。まだ幼い雰囲気が残る彼女の愛らしさ。ブロンドヘアーを頭頂部で無造作に纏めて太い毛糸で結んだヘアスタイル。後れ毛がたくさんあってもフワフワで可愛らしい。日本人の黒髪では出来ないヘアスタイルだわと当時思った。ミニワンピースに革のジャケット。ワンピースといってもロングTシャツでそれがおしゃれ。板状の墨をマスカラにこすりつけてまつ毛に塗っていた。日本にもこんなマスカラあったのかな。その映画でしか見たことなかった。四角いクラッカー状のものに何か乗っけて食べてたな。とにかくヒロインが可愛いかった。シンプルなお金のかかってない格好をしてもサマになってると、自分もブロンドの西洋人に生まれたかったと思っていたあの頃。懐かしくてユーチューブでこのテーマ曲を聴いた。好きだった曲。Hちゃんはレコードを持っていて遊びに行って聴いた記憶がある。インストゥルメンタルでゆったりとした曲。女性のスキャット、フルート、ハープが印象的。ユーチューブで意外なコメントを見た。この曲は映画のイメージで日本人が作曲、演奏したものだと。これにはびっくりした。そう言えば映画の中では流れていなくてあれっ?とは思った記憶が。日本映画でもイメージで作られた曲がコマーシャルで流れていたことと同じなのだ。時々ユーチューブで昔の思い出の曲を聞いて当時を思い出している。
2026.02.13
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新築のタイミングで和式布団からベッドに変えた。両親も姑も晩年はベッドだったので布団の上げ下ろしの手間と身体のことを考えて高齢になったら当然ベッドと考えていた。和式布団の当時は布団を敷くのは私で畳んで押し入れにしまうのは夫の役目だった。ベッドだとその手間がないので楽と思われるが意外にそうではないと気付いた。寝起きのままのベッドは掛け布団が乱れているので見た目が悪く、結局掛け直しをするようになる。我が家では朝掛け布団を半分に畳んで足元に寄せている。これだと睡眠中の体から出た水分が乾燥ができるからと思って。週2のルンバをかけるときは敷きパッドを手箒で塵を掃き出す。この半分に折って午後には元に戻すのだけど、意外に羽毛布団がクシャクシャして首元に当たる場所に羽毛布団が無くなっている。その為もう一度(今の季節だと)綿毛布→羽毛布団→毛布を一から掛け直す事になる。そうすると羽毛布団は羽毛のよれも直って全体的に平均になってふっくらした見た目になる。和式布団ほどには手間ではないが、やはりベッドメイクというのは大事なのだと実感した。
2026.02.11
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昨日は朝方までうつらうつらしただけで眠れなかった。孫娘の歯医者通いも細心の注意で運転したので無事に帰ってこれた。 日中30分程お昼寝はできた。夕食後は不眠だったぶん身体に疲れが出、眠気が出て10時前にベットに入った。布団に入って直後に眠りに落ちた。まるで麻酔が効いたように。前日の不眠を挽回するような深い眠りだった。朝もいつもの時間に起きられた。やはり体は挽回する力があるのだなと思った。
2026.02.03
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時々ある眠れない時。今朝がそうだった。ずっと眠りに入らず、かといって起きて何かをする気力も無い。うつらうつらはしていた。同じような夢を何度も見た。不快になるような。でも眠った自覚は無い。最後に時計を見たのは朝方の3時半。今日は孫を歯医者に連れて行く予定なので、車の運転は万全にしたい。そうだこのまま起きて夫のお弁当を作ろうか。そのあとまたベッドに入れば良い。動いた後だからきっとスムーズに寝入りそう。しかし、 息子夫婦からの何か申し送りとか宅配便で起こされるかもしれない。そんな事を考えているうちにいつもの眠気が出てきて寝ることができた。かなり寝不足だから日中コタツで寝よう。それが無職専業主婦の良いところ。テレビのコマーシャルや新聞広告で眠れない人の為のサプリをよく見る。年を取ればよくあることなのかもしれないが、自分はそうなりたくないと思った。
2026.02.02
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