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何か記事書こうと、パソコンに向き合ったはいいけども、ご生憎様何を書こうか、頭にちっとも浮かぶものがありません。というか、整理し切れません。 今、家でワープロ叩いて「社会人野球名勝負」と「小説」は書き進めていますが、政治に関してが中々。今世間では「普天間」の事か「小沢民主党幹事長」の問題が、多々取り上げられていますが、どうにも世間のニュースばんでは…という事で、自己流でまとめられればな、と考えています。 どうにもニュースが、目をひきつけるためかは知りませんが、やたらキツイ表現が目立つ、目に付くんですね。いわゆる“辛口コメンテーター”というのが持て囃されている。 でも、正直どうなんだか。 毒というのは、上手い具合に使えば“美味”になりますが、扱い方間違うと文字通り“毒”になるもの。もう少し言葉というのを、自分自身もそうだけど舐めて考えないほうがいい。人間は当たり前に使っているけど、もう少し言葉を大事にしてほしい。 そうでなかったら「偽善派遣村」などという言葉を使って、そこに追い込まれた人をさらに追い込むような事はしませんよね。言葉扱う会社の人が。 てな呟きばかり書かせていただいて、今日の制作終わります。
2010年01月28日
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今日は、リンクつないでいるブロガーの方の記事から2つ。 まずは野球の方で。 東芝野球部の平馬淳内野手が、09年度限りで現役を退くことになりました。12年間おつかれさま - momi051の野球日記。東芝野球部ホームページ・トピックス「退部者紹介」。 多くの方がこの平馬君のプレーを思い浮かべる際思い出すのは、1999年のオリンピック予選、チャイニーズタイペイ戦でのサヨナラヒット、ではなかったでしょうか。 とにかく、試合を決定付ける場に居合わせることが多かった。 横浜高校→法政大学とエリートコースを歩み、何処にいても、チームの一人としていなければならない貴重な選手として活躍されてきました。当初入部した東芝府中チームが東芝チームと併合してからも役割の重さと、それに応えてきた様子は変わりませんでしたね。 何にしても12年。野球部での活動お疲れ様でした。 “もう一つの主題”では、あとう和之さんのブログから。 ここで手を緩めてはいけない - あとう和之のホームページ 私も昨日の記事でも書きましたが、選挙戦で勝ったとはいえ、実は僅差での結果となっています。八ツ場ダムでもそうですが、ここまで長年一つの問題で揺さぶられつづけ、人間関係も生活もズタズタにされ、すっかり疲弊しているという現状もあります。中には心ならずも思いを捻じ曲げなければ生きていけなかった方もいた事でしょう。 そのことは、私ごときがこれ以上何も言う事は出来ません。 ただ、この沖縄で起きている事態が、いずれはめぐりめぐって私達の生活にも影響を及ぼす。アメリカの圧力、“戦争にすがって寄生している”連中からの圧力に負けてしまえばどうなるか。俺ら庶民は、それこそゴミ同然の扱いにされてしまう。そういう思いがあるから動いてきた人も多いはずです。 積極的に人殺すのが好きで戦争賛成だ、という人は多くないでしょう。 でも「色々困る事あるから今の体制で仕方がない」と思う人もまた多い。 そういう事を考えている方にどうアプローチするか。 いわゆる“護憲派”にも、科される課題は多いです。 英知集めてがんばらな、ですね。 と、いう事で2編書かせていただきました。 今日も拙文お読みいただきありがとうございました。
2010年01月26日
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今週行われた地方議員選挙で日本共産党は、11人中7人の当選。 沖縄の名護市長選挙では「基地を置かせない」「一部の人だけの振興策はやめる」などを掲げてたたかった稲嶺進さんが当選しました。 政治も人生も、いわゆる流れというものもありまして。 しかし、その流れに乗る事ばんがいい事ではない、人生道は切り開くものだ、という事のひとつの証明が、今回の名護での政治戦勝利だと思います。 今朝、フジテレビの番組で高校生が基地の問題に関して闊達に議論している様子が移っていました。ここでは詳しく書きませんが、それぞれにおかれた立場というのは尊重して話しないと、簡単にこじれる。かえって問題の解決難しくするというのは気をつけていかんとな、と考えさせられました。 自民党大会。 正直、何で自分らが選挙で負けたかわかってないな、というのが感想。 2010年1月25日(月)「しんぶん赤旗」反省なく“復活宣言”自民党大会 新綱領を採択 いくら小泉進次郎さんや藤川優里さん前面に打ち出しても、彼らが進めてきたのは「国民全体の生活壊して、大きい所だけもうける収奪社会」。この道進める限りは、この党に対して厳しい視線で臨まなければならない事には変わりません。 ただし、一つだけこの党の大会から学ぶことがあります。 この大会にゲスト後援された野村克也さんの一言。 「負ければ反省するが、勝つと反省しない。そこに落とし穴があった」 この言葉は自分たちも省みて、この先のたたかいに臨んでいかな、ですね。 最後に花巻市長選挙。 高橋こうきさんは1万1448票獲得したものの、残念ながら落選。 当選した大石氏には約1万8500票の差をつけられてしまいました。 しかし、高橋さんが政治戦に参戦した事が、いわゆる“改革派”と目される大石氏の政治の進め方に「果たしてどうなんだか」という問題点を突きつけ、市政の点検になった事が、今回の選挙で押えてほしい点ではないでしょうか。 先頃、某首長によって「共産党が選挙に出なきゃお金使わないですむ」という趣旨の発言をされましたが、そのお金を使って点検をしない分、余計なお金を使わせてしまう、というのもありえます。私も話を聞いて、花巻地域に公立の病院が多く消えている事に気づかされました。大迫地域の方は、遠野の方に行くとか。これ一つとっても「うーむ」ですね。 何にしても、花巻市政に一石投じがんばられた高橋さん、お疲れ様でした。 と、記事3編書かせていただきました。 今日の製作はここまで。お読みいただきありがとうございました。
2010年01月25日
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こんにちは。伊東です。 一度病院などの用事で大船渡行って来たのですが、どうもそれ以降調子悪くて。 で、昨日の記事でも語ったとおり新年会をお休み。 今日も調子悪くて昼まで寝ていました。何たらまず。 只今、記事制作を自分のワープロで進めていますが、中身は主に「野球」「小説制作」の2つで進めています。政治に関しては作るのに色々力がいるので、そこはちょっと…という事で勘弁していただければ、です。ホンにすみません。 ただ、そう言っててからいわゆる『差別主義』が見えて取れたものに対しては前号みたいにとーとつに記事起こす事もありますが。 小説作り。昨日だけでエントリ2つ分作りましたが、それでも原稿用紙の枚数で言えば、進んだのはわずかに6ページ。 「あんだけ書いてこんだけか!」 本職の小説家の方に「700枚書いた事はすごい」といわれたのも、納得です。 いずれ、集団投稿日にガガンとアップできるように頑張ります。 野球に関しては社会人野球は2003年に関しての記事を作っています。 先日の集団投稿ではその中の「クラブ選手権の赤崎-駒形」を書かせていただきましたが、今現在書いているのは、その試合も含んだ「10日間で11試合」を今記述しています。何分、仕事もしながら、勝ち進めば1日2試合は当たり前、という極限状況をたたかった様子を記せれば、と今机に向かっています。 野球といえば…しばらく何も書いていなかった「大船渡農高野球部」に関しての記述も再開する予定です。前回…と言っても4年前ですか、そこで制作を中断してしまったので、今回は何とか完成をみたいという事で取り組んでいますが、資料が散発的にしかないので、とりあえずは制作も散発的に、ですね。エントリがいつになるかは確定的にいえませんが、アップできる状況になれば何か予告いれることにします。 と、いう事で、今日は記事の制作日誌という感じでお送りしました。 今週は各地で多くの政治戦が行われています。 その全てで、好結果が出せれば、と願いまして、今日の記事制作終わらせていただきます。
2010年01月24日
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しばらく、無気力状態と、それから抜けた状態とを行ったり来たりしていましたが、今日はなんぼかマシな状態でいます。ま、風邪も加わって、昨日行われた新年会を欠席する様になったのばん残念です。 赤旗や「前衛」(共産党発行の政治理論誌)「議会と自治体」(地方政治と共産党議員団の活動を紹介している雑誌)をようやく読める状況になり、ここしばらくのをずっと読み返していますが、これに実践がついていけないのが悔しい所で。ただ、この3誌以外にも、周辺のブロガーの記事を読んでいると気付かされる面が。 まずは、現状の不満を「味噌も××も一緒にしてふっ飛ばせば良くなる」ような行動が多くみられる事。これは先月来特に扱っている竹原・阿久根市長もそうですし、河村たかし名古屋市長の行動にもそういう一面が見えて取れます。 共産党名古屋市議団の河村市政に関しての見解を紹介しておきます。河村市政の「中期戦略ビジョン(仮称)中間案」について2010年1月4日 日本共産党名古屋市会議員団名古屋市の「地域委員会(仮称)」構想を考える住民自治の仕組みに関する日本共産党の基本的見解2009年11月16日 日本共産党名古屋市会議員団・河村市長の『議員ボランティア化』についての考察として2009年11月定例会 議案質疑(11月27日)田口かずと議員 「政治ボランティア化」について政治の職業化が、住民の政治参画を阻んでいるのか 今日届いた「議会と自治体」で名古屋市政がおかれている状態のレポートを読ませていただきました。また、さらに細かい所に関しては今回取り上げた3つの記事が参考になるか、と思います。 問題ってのは、表層的に現れる部分と、その根っ子に現れる部分があります。 中学時代の恩師の一人(担任は2人いましたが、ともに故人)は、数学の苦手な生徒に対して、どこが苦手か遡って調べるために、小学生の算数の問題を解かせたという、その例にあげられた生徒は5年生の問題でつまづいていたという事で、中学2年生に小学5年生の勉強をさせ、そこから見違えるようになった、という話をされていました。 で、なんでそれを話したか、というと…。 現在の労働者の苦難、特に派遣労働者・非正規労働者の苦境解決をどういう立場で測るか、という部分みて、思い出したんですね。 自分の立場では「力を持っている企業、あるいは高額所得者の税金による社会還元で問題の解決図る基とすべき」。ですが、一方ではこんな意見も出されているんですね。 「労働者の中でも正規労働者や、中高年の労働者のほうがより多く給与をもらっている。彼らに負担を求めるのが筋ではないか」と。 そういう立場に立つ論文を拝見させていただきましたが、何の事はない、労働者同士で配分を分捕りあえ、と。でも、そうすれば決して傷つかないのは「金持ちの方々」なんですね。 労働者同士でいがみ合え、あるいは立場様々いる人同士でいがみ合え、というのは、この間進められていた「生活者・労働者の環境悪化」とともに進められてきた「潤滑油」でもあります。 「環境悪化」に対する反撃も始まっていますが、その「再反撃」も始まっています。何々詐欺ではありませんが、その手段も狡猾に、手を選ばないものに変わりつつありますが、様々な物に踊らされないで、根本は何か、という部分でたたかっていただければ、と願います。 今日は久しぶりに政治に関してモノ語らせていただきました。 政策的なものに関しては、ほかにごまんと優れた方がいるので、彼ら、彼女らにお任せする事としまして、私は今回の記事のように別な角度から物事掘り下げて行く事にします。どうせ欲張ったって借り物の文章しか作れないのなら、この方がマシなので。 と、いう事で、今日の記事制作終わらせていただきます。 拙文お読みいただきありがとうございました。ご感想はこちらにお願いします。
2010年01月23日
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一月中は毎日の記事更新は出来ない状況ですが、さすがに借りた本は返さないといけないので、そのついでPCに向き合っています。 今、小説で読んでいるのが今野敏さんの「ST警視庁科学特捜班シリーズ」。 ここまで読んだのは「赤ファイル」「黄ファイル」の2つ。 そのうちの「黄ファイル」には、この章の主人公・山吹才蔵がどうメンタル面を鍛えたかというのが書かさっていました。 詳しいことは本を買って読んでいただく事としまして、自分自身で当てはまる言葉探せば「自分に頼む」事ではないでしょうか。 それは分かるようになっていますが、一方でゴチャゴチャの精神状態いまだ落ち着かずで、就職する事すら怖がっているというのが今の現状ですから、正直この一文も読んでいて頭がビリビリと。 一時期は家事もする気力もなくし、昼夜逆転になりかけましたが、最近はその部分は解消しています。何にしても、復活は簡単ではないな、と思わされる日々が続いています。 今週末また冷えますね。 皆さん、お気をつけてお過ごしください。 今日はここで失礼します。
2010年01月21日
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11月に、毎日(1時間限定ですが)無料で使える場所があったので、そこで記事を更新してきましたが、体調がいまいちなのと、その中で家事などでやることが多くなってしまった事を鑑みて、1月中は毎日の記事更新はしない事にしました。 状況許せば『集団投稿』の記事は書いていきますが、リアルタイムでの書く幅が狭くなる事になります。どうかお許し願いたいと思います。 寒さは厳しくなっています。 皆様、お体ばかりお気をつけてお過ごしください。(追記) ファイターズコーチ、現役時代はジャイアンツ、タイガースで活躍された小林繁さんが急逝された、というニュースを聞きました。 私は、ファンだったチームで2人、現役のままなくなる選手がいた事もあり、こういう事には敏感に考えてしまいます。梨田監督とは、今年よりレベルアップしようと決意されていたと。その途中でこういう形でなくなられる事が非常に残念でなりません。 小林さんの逝去に、心よりお悔やみ申し上げます。
2010年01月17日
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先日は、多大な拙文をお読みいただき、真にありがとうございました。 というか、読んでて大変じゃなかったでしょうか。 「あ゛ー、もー飽きたー」てな感じで。 そういう所申しわけありませんが、今日もブログ、作っていきます。 派遣村に対してのバッシングは「よう飽きんわ」というぐらい続いています。 そのバッシングの中身見てみると、一つの意見として出て来たのは「まじめに働いている労働者の出した税金がこんなのに使われるのがムカつく」という類の意見です。 集められた税金がどういう風に使われるかは、有権者の意思を集めて選ばれた国政担う人たちが決める事。つまり、その時その時の多数派の意見が反映されることが多くあります。ほんでも、近年貧困の問題が表面化している事もあり、その貧困解決のための手立てが必要だ、という事で集められた税金の中から手立てを打っているわけです。 もちろん「出資者」としては、自分の思うように…と考えるとは思いますが、日本という国は、自国国民だけでも一億三千万もの人間が住む大国。その人たちの「最大公約数」で税金が動くのです。 で、貧困問題が何でおきているかといえば、原因は「特に大手の企業が、自分らの利益を得るために、労働者を『使う時だけ使って後捨てる』」形にしたのが大きいのかと思います。 労働者の生活には、何年で~という区切りはありません。 ところが、その飯の種-言い換えれば仕事-を何年かでころころ変えられてしまう状況作られたのでは、安定した暮らしなぞ、また夢。それでも継続的に仕事ができればいいのでしょうが、実態は仕事ができない=収入がなくなるという事態も多々起きているわけです。 飯食うために必死で働いている人、そこに食らいついている人から見たら、仕事するのに難儀している人たち、あるいは適職が見つからないで苦しむ人は「甘えている」だの「ぜいたく言うな」だのといいたくなるとは思いますが、今の状況で失業者が全部求職とかみ合っても、失業者が多い(※1)わけですし、本人の性質、家族の状況、住む所などもあるから、マッチアップはさらに少ないはず。そこを見ないと、乱暴な言い方にしかならないのです。※1 2009年11月時点の求人数127万1332に対し、求職数は269万1889。厚生労働省の資料より。 それにもう一つ引っかかったのが「仕事選ぶな」ですが、先にも書いたとおり、仕事は本人の資質、生活、向き不向きがあります。不向きな所選んだって、結局は仕事にならず、関わった人全てに影響与えるのだから、簡単にそんな事言ってくれるな、というのがその言葉に対する感想。 その言葉も持つもう一つの「勘弁してくれよ」的意味ですが、結局その言葉は、労働者に対して、どんな悪条件でもだまってのめというに等しい事。労働者を守る仕組みが弱い日本の状況は、こういう言葉を簡単に許してしまう事からも作られるのですね。 あまり「社畜」なる言葉使いたくないのですが、社会全体として、労働者が守られる施策というのが形成されないと、結局は、使用者側の堕落、というのも生むと思います。仕事でも請けるという奉公でなく、労働者を削れば、利益は確保できるという考えが、仕事にいい影響与えられるとお思いでしょうか。その部分をまとめの言葉として、派遣村バッシングに関しての書き方をやめます。 で、日本共産党の党大会は今日が最終日です。 日本共産党第25回大会特集ページ 多数の労働者、生活者が生きる社会作るには、どうしても資本家側の行動の制御が必要。その道進むためにはカベが多々ありますが、それを乗り越えて先の社会への展望つかむためにがんばらなきゃならない、ということを、現場には立てないまでも、日々心して臨みたい所です。 話が右より左より…でしたが、今日も拙文お読みいただきありがとうございました。
2010年01月16日
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こんにちは、伊東です。 さて、いよいよ皆様お待ちかねの…びー:待ってねーよ。 前にも言っただろ。「拷問タイム」ってな。伊東:(びーの首を羽交い締めにしながら)ほっ・と・け・よ。 一日一時間じゃ腰据えた記事も作れないからな。 こういう形にするしかないんだよ。びー:分かった、分かった。 仕方がないな、そういう事なら。 では、今から「地獄タイム」スタートしますぜ。 そこのお兄さん、お姉さん。 ちょっとよってけらっせん。伊東:何げに昔のタイトル入っているぞ。 それに「地獄タイム」って意味同じくないか?ベン:こんなやり取り続けたんじゃいつまでたっても始まらないのでさっさと始めていきましょう! びー子:では、9。ベン:それ言うなら「キュー」ね。伊東:今日は以下の記事を用意しました。ブログの「DIARY」でご覧いただければ、一気に見ることができると思いますが、タイトル見てピンポイントでこの記事が…という方もいる事と思いますので、いつも通りインデックスページを用意します。 どうぞ、お好きな用法で拙稿をお楽しみください。《日本共産党・政治活動》2009年扱いCK179 赤旗読み始めてから16年。09年に起きた政治の激動を根っこから振り返る。2009年扱いCK180 11月、12月に行われた地方議会選挙の結果。《社会人野球》2009年扱いCK181 2009年岩手県社会人野球ランキング。2009年扱いCK182 2000年代岩手県社会人野球ランキング。2009年扱いCK183 社会人野球制度改革に対応して…拙ないものではありますが一つの提案を。2009年扱いCK184 2000年代岩手県社会人野球・個人表彰回数紹介。十一の巻 社会人野球・伊東版名勝負『2003年クラブ野球選手権岩手予選準々決勝・赤崎野球クラブ-水沢駒形倶楽部。』《小説》第1号 大船渡人生物語27歳の夏。「プロローグ」第2号 大船渡人生物語27歳の夏。「レポート1・それは突然やって来た。(1)」《その他》十二の巻 小説「勢いに任せた『刈り取り』が生んだもの。」前編。十二の巻 小説「勢いに任せた『刈り取り』が生んだもの。」後編。十三の巻 タイトル変更・その理由。十四の巻 本日集中投稿日。それぞれの原稿の編集日誌。
2010年01月14日
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2009年という年は、一つの政治の変わり目になった年として皆さんの記憶に刻まれた年となりました。 長年「アメリカの植民地的支配」の下「利益をむさぼり続けて来た財界」のための政治をおしすすめ、とうとう市井に住む人々の暮らしをぶっ壊してくれた自民党、それに協力して来た公明党の政権が、総選挙で有権者からの反撃を受け、敗れ去りました。 この思いを吸収したのは民主党。 選挙が終わってみれば、民主党単独でも307議席を獲得する圧倒的大勝。 でも、私自身はこの選挙でだれが勝ったか、といえば「今まで自民党政権に翻弄され、苦しめられ続けた市井に住み、生きる人々」と言いたいし、そう言ってきた。 それまでは自民党政治が生み出した諸々の事に「仕方がない」と、「その中で生きていかなきゃならない」と。苦汁の思いで唯々諾々と従わされた「市井に住む人」たち。今までも、反抗を試み、時には自民党を驚かし、一度は政権から引きずり下ろしたときもあったけど、すぐに取り返されてしまいました。 私が赤旗読むようになったのは1993年5月18日。 一度、自民党を引きずり下ろした選挙があった年でした。 確かに、勢いは「新党日本」や「新生党」、「さきがけ」にありましたが、どう見ても政策は自民党型の政治と対して変わらない。もっと言ってしまえば、自民党のゴタクサから生まれて、それが「非自民」に流れたぐらいだ、と思っていました。この時に思った事はただ一つ。 「共産党が吹っ飛ばされないでほしい。」 正直、マスコミのどこ探しても共産党のキの字もみつからなかった。 それだけに不安だった。 こんな読みごたえのある新聞を作っている所がなくなってしまう事の恐怖が。 結果、共産党はほぼ維持。 この“維持”が、その後の国会内外の活動に結び付き、90年代後半からの伸長につながりましたが、同時に反撃も始まり、その“反撃”の前に勢いを止めてしまった。おびただしくまかれたビラがもとで、共産党と有権者の接近が双方から止まってしまい、その後は“自由主義経済”という名の「もうけのためなら何してもいい、必要なら政治も動かせ」という政治が暴走しはじめました。 こういう政治に対しての反撃の力は、10年前を見ると強い思いとは別に弱かったのが実情でした。個々人では思いももっていたのでしょうが、それが大きな力にはならず、させられず、下手すりゃ反撃力は壊滅させられる事態にまでなってしまいました。 それではわんない、という思いが芽生えはじめました。 「このままでは殺される、生きていても奴隷にされてしまう!」 この時期、共産党でも一つの行動提起がなされました。 「一つ一つの戦いの先導(扇動)者、行動者になろう」と。 大規模の労組が組織としてはたたかう力になれない、それを守る力が弱いというなら、気づいた人から立ち上がるしかない。 既に始まった小選挙区、二大政党主義。 この扱いには文句もあったけど、文句言うヒマがあったら走り続けなきゃ…という思いで走り続けました。 「どうせなくなる所が」 「何あがいてんだか。」 文句ってのは何どうやっても出てくるものですし、活動の方向に関して「ん?」という思いを持ち、激しい議論になる事も多々。 ただ、言える事は、今ある問題~俺ら労働者、生活者の生きる道を塞いでいるのは誰だ!~その打破に向けて愚直に歩き続けた、そのために行動し続けたことです。 これは、共産党であろうが、物事に気づいた人だろうが、関係なく。 歩き続けた。行動し続けた。 それでも、無情な結果というのを突き付けられる時がある。 05年の“小泉旋風”による大勝。 何もしていなければ、そこでくじけてしまってもいい場面だった。 だけども、常に問いかけていた事、そして、新自由主義が暴走するもとで生きる事、ただそれだけで難儀させられている現状が「くじけさせる事も許さなかった」。 圧勝したはずの政権が、段々市民にかける言葉がなくなってきた。 あれだけの支持がある所が、それにふさわしい行動を取ることができなくなってしまった。 言ってしまえば、根っこのない所でいくら支持を集めた所で、語るものがなくなれば、あるいは生きる事を許さない政治をし続ければ、やがて人は見放す。 圧倒的な数に任せて、これまではよほどの事がないと使われなかった「3分の2再議決」が、通常の光景となった。が、それを持ってしても~それで通された法案が市井の人々を苦しめる事はあっても~疑問を持ち続け、行動し続ける人を止める事はできなかった。 で、2009年8月31日。 今までの政治の推進者だった自民党、協力者の公明党は見事にぶっ飛んだ。 何度でも言ったる。今まで自民党が進めて来た政治が生んだ「ゆるぐねぇ暮らし」をぶっ飛ばしたのは今までの政治に怒りを持ち、その打破のために行動し続けた人達だ。あり、最初と微妙に言い方違ったかな?ま、いいや。 で、共産党は、といえば残念ながら、現状維持するのが精一杯だった。 でも、二大政党制という圧力がかかり、それ以外は…という下でたたかわれた中の選挙で、現状維持できたことは、先ずいい事じゃないの、と思った。 もっと延ばせたはずたろ、という意見もあったりしたけど、それはこの後の行動次第でしょ。思いどおりの結果にならないからと、誰かにわめき散らす事は伸ばす力にはならないよ、と言いたい。 話を戻して…この10年間も、大勢力とまでは言えないけど、政治の流れを変える場面では、現場の思いをくみ取り国政の場で一つの見識を示し続けた、あるいは変な方向に行きかける所にクサビを打ち込んだ。そういう行動をし続けた一つの勢力として共産党も見ていただきたいと思っています。 自民党を政権から引きずり降ろしたはいいけども、まだ政治の中、この日本の世の中で残っている「今まで自民党政治が残してしまった負の財産」は残っています。それは、今政権についている民主党にも。 だから…共産党が今の日本から、どういう形でもなくなっていい状態にはありません。むしろ、責任と出番は重く、多くなって来ます。その「負の財産」に立ち向かう人達と一緒に、どう道切り開くか。 ちとね、重苦しく感じられるようなモノの書き方してきたけど、10年前から考えても大分道、変わって来たんじゃないの、と思うんですよ。 確かに、10年前は共産党の議員だけ見れば衆院に20あって、参院に23あって。今ではそれぞれ9と7になってしまったけど、ほんでも国民全体でいえば「ゆるくない時に『ゆるぐない!』」っていえる力も、それを支える体制もできはじめて来たんじゃないでしょうか? おそらく、たたかっていく中では、逆流も起きると思う。 アメリカの圧力は、普天間の問題でも既に見ることができる。 財界の圧力も…恐れてもいけないけど、甘く見てはいけない。 彼らはこうも言い出した。 偽装請負の裁判の中で、一人の労働者の裁判の中で「こういうやり方が認められなければ海外に出て行く」と。 力をもったものが、その力をもって「おまえの生は俺のために使え」と屈服を迫っている。冗談じゃない、誰がそんなモノに付き合うか。 今年の夏には、参院選も控えています。 「おまえの生は俺のために使え」と屈服迫る連中と対峙するために。 自分の力を棒的に奮う連中と対峙するために。 自分らが生きる道を切り開くため。 そのためにたたかう人とともに…日本共産党も。 近くにお寄りの際には、ぜひ接近してください。 そして、ちょこ----っとでもいい、いっしょに 「ゆるぐねぇごだゆるぐねぇ!」 って思いで、共に歩いてみましょ。 一日一日だけ見てしまうと、なかなか「変わんねぇなー」って思うけど 10年間だけでも、こんなん変わるんですよ。 共に刻んでみましょう。凄絶に。違うか。 てな感じで、この一文で10年間、の政治の流れを書かせていただきました。10年前の共産党躍進のとき、これで政治は変わるぞと思いましたが、一つ「実を伴った」ものではない。票こそ入っていたけど、その票の分だけ「生きるのを邪魔する連中とたたかう人」が増えたかと言えば、それは疑問だった。今からしてみれば。 だから「生きるのを邪魔する連中」の存在に気づき始めた今、そういう思いを抱いた人の力を集めて、変わり始めた政治の流れを…少なくとも「アメリカの思いどおりのまま」「財界の思うがまま」と言うのを許さない流れに持って行くために、気づいた人達は力を尽くす必要あるか、と思って、この一文、生意気書かせていただきました。 この一文語れば「一日一日の積み重ねが流れを生む」よって事ですか。 何にしても、ある意味グタグダの一文にもしてしまいました。 その部分お見苦しかったと思います。すみません。 長文お読みいただき、ありがとうございました。 ご意見、ご感想はこちらにお願いします。
2010年01月14日
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この項では、11月第二週からおこなわれた地方議員選挙の日本共産党立候補者の結果をお知らせします。◇山形県酒田市30-4減-34 市原 栄子さん 1940票 14位当選 斉藤 周さん 1823票 17位当選◇千葉県栄市22-4減-26 太田 将範さん 1378票 16位当選◇東京都葛飾区40-54 中村 伸吾さん 4228票 6位当選 三小田准一さん 3730票 11位当選 渡辺キヨ子さん(元)3695票 13位当選 中江 秀夫さん 3132票 30位当選 折笠 明美さん(新)2552票 40位当選 仙波 稔さん(新)2043票 45位落選 →区議団のホームページはこちらから。◇山梨県甲州市18-2減-19 川口 信子さん(元) 1274票 5位当選 →前回比259%で議会空白を克服しました。 山梨県委員会の結果報告はここから。◇富山県射水市26-9減-31 津本二三男さん 2541票 3位当選◇富山県滑川市16-16 古沢 利之さん 無投票当選。◇三重県伊勢市28-6減-33 黒木騎代春さん 2088票 19位当選 向井 慶和さん(新)1736票 29位落選 →前回より124%得票は延ばしましたが、向井さんが あと7票及ばず2議席獲得がなりませんでした。◇三重県いなべ市20-4減-21 石原 瞭さん 1075票 12位当選 衣笠 民子さん 941票 19位当選◇奈良県五條市15-6減-18 大谷 龍雄さん 1222票 -位当選◇和歌山県紀の川市24-6減-29 石井 仁さん 1546票 10位当選 岡田 勉さん 1289票 15位当選 吉田隆三郎さん 1184票 21位当選 →前回比420票増で3議席を維持しました。 和歌山県委員会の報告はここから。◇山口県柳井市18-5減-21 東 泰雄さん 796票 13位当選 光野恵美子さん 725票 17位当選 ◇愛媛県観音寺市24-6減-26 安藤 清高さん 2055票 1位当選 →選挙直前に前職の津田さんが病気で出馬不可能に。 安藤さんがそのまま一人で立候補、 トップ当選を果たしました。◇徳島県鳴門市22-24 上田 公司さん 1047票 20位当選◇徳島県阿南市28-9減-34 井坂 重広さん 1029票 27位当選 保岡 正広さん 996票 28位当選 加林 武さん 865票 31位落選◇佐賀県鳥栖市22-2減-26 成富 牧男さん 1136票 15位当選 尼寺 省吾さん 1037票 19位当選 三栖 一紘さん 818票 23位落選 市議団のページはこちらから。◇長崎県雲仙市26-4減-30 上田 篤さん 1049票 10位当選 矢崎 勝巳さん(元)647票 29位落選 →前回比164%の得票を得ましたが、 矢崎さんが届かず、念願の複数化は なりませんでした。 長崎県委員会の報告はここから。◇鹿児島県いちき串木野市18-4減-20 東 勝巳さん 923票 16位当選 →82歳での当選。私が知る限りでは、 日本最高齢の日本共産党議員です。◇鹿児島県霧島市34-14減-35 宮内 博さん 2058票 8位当選 前川原正人さん 1813票 20位当選 →前回は4人が立候補し4026票。 今回は2人に絞り発言権の確保しました。◇鹿児島県曽於市22-4減-25 五位塚 剛さん 1496票 2位当選 徳峰 一成さん 1172票 5位当選◇鹿児島県南さつま市22-5減-26 清水 春男さん 1065票 5位当選 鳥居 亮幸さん 863票 17位当選◇沖縄県糸満市24-30 浦崎 暁さん(元)1343票 2位当選 菊地 君子さん 780票 27位落選 玉城 英明さん 733票 28位落選 →前回で惜敗した浦崎さんは高位当選で復活しましたが、 現職の2人を落としてしまいました。◇沖縄県宮古島市26-2減-38 上里 樹さん 786票 26位当選◇岩手県一戸町16-20 菅野 敦子さん 676票 3位当選 →85年に初当選以来7回目の当選。ここ4回は高位の当選です。◇長野県木曽町18-19 上田とめ子さん 572票 3位当選 青山 秀夫さん(新)316票 17位当選 →田中町長を支える与党メンバーとして2人当選。 複数議席を回復しました。◇長野県長和町12-2減-14 栗原 暁史さん 525票 1位当選 河野 啓治さん 322票 8位当選◇三重県御浜町12-16 世古 正さん 407票 8位当選◇京都府京丹波町16-2減-21 山田 均さん 637票 5位当選 東 まさ子さん 588票 7位当選 坂本美智代さん 495票 13位当選◇兵庫県新温泉町16-4減-20 中井 次郎さん(元)736票 4位当選 谷口 功さん 649票 9位当選◇兵庫県多可町14-4減-17 辻 誠一さん 1048票 6位当選◇福島県福島市補欠1-3 野口 徹郎さん(新)11328票 3位落選◇福島県泉崎村補欠3-4 白石 正雄さん(元)766票 4位落選◇広島県広島市南区補欠1-3 長妻 亮さん(新) 5743票 3位落選◆立候補見送り自治体 北海道利尻富士町9 →それまで議員をされていた方が高齢で立候補断念。 北海道湧別町16-19 北海道剣淵町10 鳥取県美朝町12 山口県阿武町8◇木曽町長1-2 田中勝巳さん 4994票 当選 と、いう事で、ここ2カ月の政治戦の結果を記録させていただきました。 合併自治体の選挙も二期目をむかえました。 最初の選挙では、旧自治体議員が積極的に立候補し、発言権をかけた厳しいたたかいをしました。それで一定の結果が出まして4年。再起を目指す人も多くいますが、一回目の選挙に比べると、立候補者数は大きく減るのも実情です。その中で最初の別々でたたかった陣営が連合して力を増す事もあります。 共産党の側も、最初の選挙で多数の共倒れ落選者を出しました。その落選の仕方がショックで、党を離れた方もいた、との話も聞きます。 岩手の合併選挙では05年に1市4町2村合併の一関で6人、06年に2市2町1村合併の奥州で5人、2町1村合併の八幡平で3人、07年に1町1村合併の西和賀町で2人、1市1町合併の二戸市で2人、県都と1村合併の盛岡市では5人…とほぼ全員が当選。 1町1村合併の洋野町では、両自治体とも共産党空白の中1人当選。 1市1村合併の遠野で2議席目を狙った新人が及ばず、1市1町1村合併の宮古市で3議席目が惜敗(09年に補選で獲得)という結果が岩手での合併自治体の選挙の結果です。 これから先、2回目の選挙を迎える自治体が多くあります。 去年の一関では、5人全員が当選を果たしましたが、やはり定数プラス1の選挙では、立候補した全員が“有力候補”。誰が落ちても不思議ではないのです。(事実、共産党の5議席目が最下位当選。) そのこと考えると、今年迎える『合併後2度目の選挙』は、どこも大変な様相をみせています。3月に行われる奥州市での予定候補者はまだ分かりませんが、岩手日日、胆江日日ともにこの選挙は少数激戦の様相を見せています。何としても勝ち抜いて、力を維持・伸長していただきたい。 どのカテゴリの政治戦でも、苛政とたたかう力を伸ばしていただきたい。 今となっては、体をやられ積極的に前線でたたかえない身としてはそれを強く思うものでございます。 選挙に関して他にも書きたい事はありますが、それらはそれぞれの事象にあわせて独自にエントリをあげる事とします。拙文お読みいただき、ありがとうごさいました。
2010年01月14日
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この項では2009年の岩手社会人野球のポイントランキングを基にして、この年の野球を振り返ってみます。1位 水沢駒形倶楽部 139.5P(24-8)2位 フェズント岩手 96.5P(15-6)3位 オール江刺 87P (16-7・1分)4位 JR盛岡 79P (13-9)5位 赤崎野球クラブ 48P (8-5・1分)びー:さて、心筋梗塞起こし途中で戦線離脱していい所見逃した伊東君、今回もポイント上位5チームから振り返って行きます。伊東:一言余計だ。 まずは累積ポイント最上位の水沢駒形からです。 都市対抗ではベスト8で、選手権は第二代表決定戦で敗退と、企業チームに及ばない結果になりましたがクラブ選手権では岩手県、東北を制覇、全国でも1勝。さらに東北連盟会長大会でも県、東北を制覇するなど、今年はクラブ相手では松山と赤崎に敗れただけの圧倒的な差を見せました。ベン:今年は新田投手がとうとう登板しませんでしたが、佐藤功也、佐藤雄亮両投手が柱となって各大会を勝ち進む様子が見えました。5月のクラブ大会でも見ましたが、先の塁をねらう厳しさは相変わらずで、それは主軸をはる深井、新渡戸両選手が復調してもそれは変わらず。クラブの東北大会では各県代表に軒並み2ケタ得点という結果で力強さを示しました。びー:続いてはフェズント岩手。 県知事旗ではまさかの初戦敗退、選手権でもJRに初の優勝をさらわれましたが、都市対抗、定期戦で優勝。アマ王座決定戦でも富士大も破り優勝しました。伊東:シーズン前に捕手2人が入れ替わり、シーズン途中にはエースの豊田投手が「次の道」に進みました。選手の中には職を失う選手も出た中で、岩手の中で結果を出し続けたことはさすが、というべきです。 ただ、東北の舞台では宮城県勢にはねかえされる事も多く、その部分悔しい思いする事も多いのではないでしょうか。びー:経験値は多く積んできているだけに、ここから上行くためにはどうするか。ここまで道を切り開いて来た豊田、大坊両中心選手が、後を託し身を引きました。残された選手、新たに入ってくる選手がどう頑張るか、ですね。びー子:続いては3位のオール江刺です。 今年はクラブ選手権ベスト4、都市対抗、選手権が4位と三大大会ではあと一歩という結果でしたが、一関、北上両大会で優勝を果たしました。伊東:去年のクラブ全国で2勝経験した事、さらに他の全国大会でも東北進出を狙い、二遊間、捕手、投手に強力な新人選手も加入しましたが、経験値の高いチームに跳ね返されたという形でしょうか。 それでも秘められた地力は相当のものがあるのは、2つの大会の優勝で思い知らされました。後は、仕事しながら、安定的に力を出す事ができるかが、特に新人選手に課された課題と思います。ベン:ポイント4位のJR盛岡。 今年は県知事旗大会、選手権で優勝。都市対抗でも岩手第二代表と、ここ数年見せていた成長を結果として残すことができました。伊東:97年の復活後、翌年からは全般的に若手の編成に切り替えて約10年。02、05年と東北の舞台に立ったときもある一方、逆に十分に力を出せず苦杯を喫する事もあり、もったいないなとずっと言い続けて来ました。 ほんだども、そうして築いて来たモノってのは、東北の舞台では各県の代表チームに跳ね返された部分があったとは言え、ムダではなかった事が今回の結果につながったものと思います。びー:では、5位の赤崎。 今年は一関大会、大槌大会で準優勝。クラブ選手権はベスト4、都市対抗では江刺と延長16回再試合になる激闘を見せましたが、結果ベスト8。東北の舞台でたたかう事が出来ずシーズンを終えました。伊東:東北のたたかいが出来なかったのは02年以来7年ぶり、ですね。 今年は新入部員が一人。育ち盛りの若手こそいますが、まだ成長過程の部分もあり、さらに個々の大会では日程が他の大会とバッティングする事が多く、ベストとは言えない状態で強豪チームと相対する事もありました。 一関大会ではこの後の大会を見越しベストで臨んだ水沢駒形とNTT東北マークス(クラブ東北大会優勝、準優勝)を立て続けに破るなど、底力ある所も見せただけに、都市対抗直後から「このままではわんない」と、野球に対する取り組みを見直し始めた動きが実を結ぶ様に願うのみです。びー子:では、続きまして以下のチーム6位 高田クラブ 34.5P(6-6)7位 宮古クラブ 31P (6-4)8位 遠野クラブ 30P (6-4)9位 黒陵クラブ 21P (3-5)10位 久慈クラブ 20P (3-5)伊東:6位の高田は県知事旗でフェズントを破る大殊勲。クラブ大会では駒形と接戦を演じ、都市対抗では東北行きまで後一歩と迫るたたかいを演じました。若手野手の台頭、課題とされていた投手陣も山田、伊藤勝巳両選手が支え手に入りました。更なる成長に期待。びー:宮古は大槌大会を二連覇。クラブ大会でもベスト4まで勝ち上がり、チーム改革3年計画の一つの成果を出しました。投手陣の層が多様で厚く、大崩れはしないたたかいができるように。次年度以降も注意すべきチームです。ベン:遠野はここ数年の成長がきついマークを生み、苦しんだ部分も見せましたが、秋の毎日旗大会では4勝し決勝にまで勝ち上がりました。苦しみながらも1勝はできるチームでもあり、4本柱の投手陣を軸に堅い試合ができるチームと言えそうです。びー子:黒陵はベテランの三鬼選手が江刺から加入。今までチームを強化していたメンバーとの化学反応で上昇狙いましたが、組み合わせの不運も重なり結果を残すことはできませんでした。その中の課題どう乗り越えるか、見物です。伊東:久慈は全体通じては納得できないたたかいが続きましたが、クラブ大会では赤崎、江刺と前年上位大会に進出したチームを破り決勝進出&東北行きを決めました。紆余曲折を経ての成果は見事。若手も続きたいところです。11位 北上レッズ 19P(4-4)12位 盛岡倶楽部 18P(4-4)13位 矢巾硬式クラブ16P(3-4)14位 一戸桜陵クラブ14P(3-3)15位 福高クラブ 13P(2-4)16位 前沢野球倶楽部12P(2-5)17位 釜石野球団 10P(2-3)18位 盛友クラブ 9P(1-5)19位 花巻硬友倶楽部 7P(1-3)20位 オール不来方 6P(1-3)21位 一関BBC 5P(0-4)22位 住田硬式野球ク 3P(0-3)23位 九戸クラブ 2P(0-2) 大槌倶楽部 2P(0-2) 盛岡市立クラブ 2P(0-2・1棄権) 雫石クラブ 2P(0-2)びー:と、いう事で11位以降のチームのポイント数は以上の通りです。 この中で目立った所では…まずは前所属(12年前)の北上。 投手登録が少なかった所にエース本城君が岩手を離れましたが、北上大会で2勝を上げるまでにチームを組み立て直して来ました。元々北上の硬式チームはここが長年支えて来ました。そのリベンジに期待です。ベン:一戸は選手権で1勝をあげると、地元で開催された毎日旗では2勝しベスト4にまで勝ち残りました。前年には痛い目にもあっているだけに「やはり気ぃつけなあかんな」という思いをあらためて持ちました。伊東:その一戸に延長タイブレークで惜敗しましたが、盛岡もこの大会で2勝、派遣された福島大会でも1勝を上げ、矢巾も大会出れば安定的に1勝できる力を持ちました。ただ、気になるのが例年2~3チームに収まっていた未勝利チームが今年は6チームも出てしまいました。 別項にも譲りますが、さまざまな事象が重なって、社会人野球を継続して活動して行くのも大変だ、という事。加えて言えば、トーナメントは勝ち上がればそれなりの試合数をこなす事はできる、最悪でも一勝すれば勝率5割以上だけど、負けてしまったら一試合しか経験する事ができない。その事が本当の実力以下に物事見られてしまう原因となるのなら、本当に残念なことだとしか言いようがありません。 その部分に関しては、稿を改めて書かせていただくことにします。ベン:さて、何とかかんとかまとめて来たこの一文いかがでしたでしょうか。もうちょっと濃い味風味に書ければよかったのでしょうが、何分途中で離れてしまったので勘がにぶったというか、何というか。びー:ま、いつぞやみたいに自チームの選手の名前間違わなきゃいいこった。伊東:あの時はどうもすみませんでした。 ま、今つきつけられている問題と、それに関連しての日本野球連盟の提案に連動した記事を今製作していますが、やはり、この連盟に参加したってのは硬式ボール握って野球したいって思いからなんだよね。元々は。 そのために球場確保して、ボールなど道具用意して、審判員や記録員や放送員など支えるスタッフに協力していただいて、試合をしている。そのための費用ってのもバカにはならない。 ほんだども、今の世相が「生きることで精一杯」の状態になっていて、それ以外の行動や出費に関して冷たい視線が浴びせられている。それは会社や公共体の予算支出だけでなく、あらゆる部門に及んでいると思います。だから、スポーツの危機というのは、トップスポーツや企業スポーツだけでなく、私達の様な社会人・労働者スポーツもそう言われる部分、てのはあります。 だども、それを乗り越える手立てというのは、あると思います。 それは「強者への譲歩」だけでなく。 同じ目的のために持てる力を出せる能力で、と書けばヒントになるでしょうか。びー:ヒントじゃなくて、ただ単に書く言葉思いつかなんだだけだろうが。 ま、何にしても2009年のたたかいはすべて終わり、年も変わります。 新しいキャンバスには、どういう絵を書く事ができるか。ベン:シーズンの始まる4月までどう力をつけるか。 楽しみにすることにします。びー子:社会人野球特集第一弾は終わりまーす。 次は「2000年代ランキング」を作らせていただきますね。 この項はここで失礼します。ご意見、ご感想はこちらにおねがいします。
2010年01月14日
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この項では2000年代(以下“00年代”)の社会人野球をまとめる、という事で00年代に参加したチームの勝敗、及びポイントランキングを発表させていただきます。 00年代は期間中に宮城建設、太平洋セメント、JAいわてといった岩手を代表するチーム、アイワ岩手、岩手東芝、平泉クラブ、水工クラブといった、地域に野球をする場を与え続けたチームが活動停止しました。その一方で03年に矢巾硬式クラブ、06年にフェズント岩手、岩手21赤べこ野球軍団、盛工クラブが新たに岩手社会人球界に加わって来ました。 特に06年に加入した2チーム…フェズント、赤べこはその実力でそれまで岩手の社会人野球を支えて来たチームを圧倒し、席巻しました。赤べこはその勢いそのままに07年には岩手勢21年ぶり、企業チーム未経験のクラブチームとしては29年振りの都市対抗全国大会に進出しました。バックアップ体制が整わず、わずか2年で解散という憂き目を見ましたが、岩手球界に刺激を与えたチームだったことは間違いないでしょう。 その一方で、社会人が野球をする事そのものが大変な状況でも継続して活動し、岩手の代表チームという矜持をもってたたかい続けた水沢駒形、赤崎、江刺、久慈、JR盛岡…と言ったチームを筆頭とした各チームの頑張りもまた、忘れてならないものです。 では、一気にこの年代に参加した35チームのポイントと勝敗を紹介します。・00年代チーム勝敗、ポイントランキング表。1位 水沢駒形倶楽部 163勝88敗 1009.5P 優勝19回2位 赤崎野球クラブ 114勝58敗3分 637P 優勝13回3位 オール江刺 102勝72敗1分 541P 優勝7回4位 久慈クラブ 91勝66敗 538P 優勝4回※15位 JR盛岡 62勝83敗1分 459P 優勝2回※26位 宮城建設 64勝30敗1分 421P 優勝16回※1※37位 オール不来方 68勝61敗 410P 優勝2回8位 フェズント岩手 55勝32敗1分 345.5P 優勝13回※49位 JAいわて 40勝39敗3分 316P 優勝6回※510位 高田クラブ 54勝52敗 305.5P 優勝4回11位 岩手21赤べこ野球軍団 46勝13敗 259P 優勝6回※612位 太平洋セメント 31勝23敗 243P 優勝2回※713位 黒陵クラブ 40勝48敗 221P 優勝2回※814位 釜石野球団 36勝49敗 202P15位 宮古倶楽部 40勝39敗 199P 優勝2回※916位 北上レッズ 30勝45敗 183P 優勝1回※1017位 遠野クラブ 34勝44敗 182P18位 一関ベースボールクラブ 24勝42敗 174P ※1119位 盛友クラブ 26勝42敗 154P20位 盛岡倶楽部 25勝40敗 136P ※1221位 福高クラブ 18勝29敗 106P22位 盛岡市立クラブ 13勝27敗 84P23位 花巻硬友クラブ 13勝31敗 82P24位 前沢野球倶楽部 10勝45敗 82P25位 雫石クラブ 13勝27敗 80P26位 矢巾硬式クラブ 13勝25敗 77P ※1327位 一戸桜陵クラブ 10勝33敗 70P28位 大槌倶楽部 7勝37敗 62P ※1429位 アイワ岩手 7勝 9敗1分 51P ※1530位 住田硬式クラブ 4勝30敗 47P31位 九戸クラブ 2勝16敗 24P32位 水工クラブ 3勝 8敗 18P ※1633位 岩手東芝 0勝 4敗 13P ※1734位 盛工クラブ 0勝 4敗 3P ※1835位 平泉クラブ 0勝 3敗 3P ※19※1 90年まで宮城建設久慈ク。チームの歴史は宮城建設に。 久慈クラブは91年創設の新チーム。※2 元々は盛岡鉄道局。97年復活。※3 03年活動停止。※4 05年結成、06年から公式戦参加。※5 93年休部、95年復活し、04年活動停止。※6 06年結成、07年末解散。※7 03年活動停止。※8 00年参加。※9 00年まで宮高倶楽部。※10 03年まで佐藤組北上球友。※11 05年まで一関三星倶楽部。※12 87年に盛鉄局メンバーで岩手に残ったメンバーで結成。ウィキペディアによれば「岩手銀行の後継としての性格」も持つチームとの事。※13 02年結成。※14 大槌球友が99年に解散。00年に新体制で再出発。(扱いは別チーム)※15 00年活動停止。※16 05年にZ硬式野球倶楽部と改称するが、そのチーム名では一度も試合する事なく06年3月に解散。※17 00年末に解散。※18 06年に結成も、07年に活動停止。※19 01年で活動停止。 と、いう事で35チームのたたかいぶりをまとめて来ました。 大まかな所は、前段の部分でも語らせていただきましたが、累積ポイントは、10年間ずっと安定的に活動して来た“クラブを越えるクラブチーム”水沢駒形がダントツのトップ。選手権には参加しないものの、他の大会でドラマチックに勝ち進んだ赤崎が2位。向上心の強さで勝ち上がって来た江刺が3位となりました。ベン:ここからは“伊東4人衆”も加わります。 元々『クラブ王国』といわれる岩手県。 でも、それは一つのチームが強くて、生まれたものではありません。 90年代岩手を席巻した一関、釜石がそれぞれ勝ち続けることが大変な状況になった中、台頭して来たのが赤崎や江刺。しかし、その中でなお勝ち続けているのが水沢駒形。お互いがお互いを高め合う様相が見えます。びー:よく見てみりゃ、駒形はうまいギアチェンジしているよな。 レギュラーが巧い具合に若手に切り替わっている。 “新田(忠正投手)中心”の投手陣も、佐藤功也(投手)中心に遜色無い活躍しているし、な。伊東:赤崎は90年最終盤に台頭。その後、エース山本淳一君の大ケガもあったけど、佐野君、多田君、佐々木慶喜君といった好投手を中心に堅いディフェンスの一方で、大物打ちよりも“つないで、ためて、ぶちかます”チェーンプレス打線で並み居る強豪を撃破し、岩手有数のチームにのし上がりました。 特に都市対抗での「東北三強に2分」は、メンバーが持つ「矜持」がもたらしたものとおもいます。びー:約一名バカ(伊東勉)が混じっていますが、そいつ以外はみんなよく頑張っていると思います。江刺も90年代後半から徐々に台頭し始めて、03年にクラブ全国に。それ以降は激しいぶつかりあいの中で東北進出が届かない状況でしたが、08年にそれを突破すると、全国ベスト8に残りました。ベン:他にも上位大会に進出したのは久慈、高田、赤べこ。赤べこは後で触れるけど、久慈は01年にベスト4。一時足踏みしましたが、今年は復活の東北行き。高田は「菅野(貴行)馬場(敏次)」コンビで、波に乗れば企業チームも何の、という力を見せました。びー子:この他にも高いレベルでの野球経験者も覆い黒陵も“鉄腕”小山投手中心に手ごわい存在に。不来方も解散した企業チーム出身者が集まり、化学反応起こして都市対抗で東北1勝をあげた時も。宮古も堅い野球で2度優勝。北上レッズも地元の大会に花添える優勝を果たしました。伊東:続いては企業+アルファチーム。 まずは何と言っても東京ドームに進出した赤べこ軍団があげられます。 その資質は日本有数とも言われた前田投手、アメリカでの野球経験もある関、高倉両選手が軸となり、結成いきなりそれまで「岩手の強豪」といわれたチームをぶっ飛ばして優勝を果たしたのが印象的でした。それ以降も全国から猛者が集まり、その中に岩手・東北出身の有望株も飛び込み強化が進んだ結果が、ドーム行きとなりました。ベン:ただ、地元の方々の熱意とは別にバックアップ体制が肝心の部分で整わず2年でその歴史を終えてしまったのばかりが非常に残念でした。もっと残ってもらって「あのチームに…」と思わせるチームでいてほしかった。びー:今それを担っているのがフェズント岩手。複数の企業の協力を得て活動している「広域企業チーム」タイプのチーム。年数を経る毎に力も増して、今では岩手隋一のチームとなりつつあるぜ。 それを追いかけるのがかつての名門「盛岡鉄道局」の流れをくむJR盛岡。 フェズントが有望株の大学生を加入させることが多いチームなら、JRは地元の高卒選手を叩き上げてチームを作り上げて来た印象の強いチーム。時々東北の舞台に出ることもありましたが、確固たる強さを身につけたのは近年の事。この2チームの切磋琢磨はこれからも見物です。伊東:その一方で、岩手を引っ張って来たチームが活動を停止したのはこの年代の前半期に集中しました。積極的な戦力補強でチーム力を上げつつあった宮城建設が03年に、少人数ながらも結束良くたたかった太平洋セメントも03年に、後楽園にも進出した農協チーム「岩手4強」のJAいわても04年に…地元の野球人に活躍の場を与え続けたアイワ、東芝も00年に活動を停止しました。ベン:地域の企業がチームをもち、支えていくのが大変だというのを見せつけられてしまいましたね…。これは何か、いいやり方ないものでしょうか。伊東:04年に起きた“球界危機”そのときに侃々諤々やり合った結果が、翌年からの一定の改革に結び付きましたが、悲しい話「大人になった後に野球を続ける」と言う事自体一手間も二手間もいる状況になっているというのが、残念な事です。 それでも時間を作ってでも競技性の強い野球を続けたいという思いをそれぞれのプレーヤーが持ち、この10年も続いて来ました。中軸的チームの変動で勢力地図もだいぶ変わりましたが…今日書いた数字というもの、それだけ見れば無機質にああだこうだ言えますが、それぞれの試合の中につめられたもの、描かれたものというのは、個々に輝くものがあると思います。 現在、社会人野球の制度改革も言われていますが、何がどうであれ言えることは、一人一人の選手が生かせる、活きる。そういう野球や、野球連盟であってほしい。その立場から、生きている限り社会人野球を見続けていきます。びー、ベン、びー子:私たち4人も、伊東と同じ立場で社会人野球を見続けていきます。今日も拙文お読みいただきありがとうございました。 ご意見、ご感想はこちらにおねがいします。
2010年01月14日
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では、この項では社会人野球に関して、さまざま出されている提案を、岩手県のおかれている状況を加味して、私伊東が「この方式がいいんでないべか」という思いを持って作りました。何か案を作る際のたたき台、踏み台にしていただければ、と思います。1.日本野球連盟(以下JABA)が提出した提案についての私見。 JABAは去年秋に「社会人野球制度改革(案)」を発表。08年度で一度中断したクラブカップ大会の復活と、日本選手権大会予選のクラブチーム参加を限定する方針が発表されました。 この件に関しては、当初「クラブチームの参加を狭めるもので納得できない」という思いを持ちました。全チームオープン参加のはずの大会で排除か、と。 ただし、文章をよく読むと (1)日本選手権をその年度の単独チームチャンピオン、言わば「チャンピオン・オブ・チャンピオン」を決める性質をもつ大会にする。 (2)現状ではトップクラスの企業チームに太刀打ちできるクラブチームは少ない。 (3)その一方で上位大会進出という目標をもたせる意味で「クラブカップ大会復活」、試合参加機会を増やすという意味で「クラブリーグ計画」も同時に計画されている。 という考えが含まれていましたので、とりあえずは「クラブチームの多様な試合参加機会が保証されるなら同意」というスタイルをとります。 社会人野球も、多くの方の協力があって成り立っているのは承知しています。その中には財政的に大きな力をいたたいている企業もその中の一つです。ただ「政策仕分け作業」でもバッサリ切られてしまったように「生きるか死ぬか」という状況にされてしまった時には、直接は生き死にに関係しない部分がどうしても削られる傾向があります。 大会開催の合理化も、そういう面があった部分は否定できないと思います。 どの団体にしても、財政で頭が痛いことと思いますから。 今回の改革案は「金を節約する」のではなく「限られた力をフルに発揮するという方向性で物事が考えられた」事から出たものでないと…加盟するチームのもつ力を発揮するものであってほしい、と願います。2.現在提案されている「クラブリーグ5カ年計画」について。 さて、先のコーナーで触れた「クラブ野球リーグ5カ年計画」。 2009JABA年報では各県連盟の取り組みが掲載されていました。 岩手県連盟に関しては以下のような報告がされていました。(以下「日本野球連盟報2009」の、各県の取り組み・意見のページより要点を引用。) ・リーグ構築には賛成、前向きに検討。 ・岩手では11大会を実施。さらにリーグを行うには日程やチーム負担、球場、スタッフ の手配など現状では無理がある。 ・チーム数が多く、全チーム参加のリーグ戦は無理。 チーム所在地別あるいはチーム力クラス分にする方法が考えられる。 各チーム毎に練習試合などで試合数を補っている部分がある一方で、年間数試合で終 わるチームもある。 いずれにしても全チームの意見を最優先に考えたい。 ・自主運営については困難が多い。連盟主導での実施が意味がある。 ・参加大会が限られる企業チームの試合数不足が懸念される。(以上引用終了。) これに加えて、私が生活の現場見た限りでは… ・職場の人数がギリギリで、誰か代わりに出てもらう事も簡単ではない。 ・所得が多くはなく(最低賃金が低い岩手県、さらに若年労働者の給与の低さ)活動にかかわる支出が出しずらい。 ・職場が週末休みではない場所をも増えて来た。 (多くの人が…という事で、岩手県連盟さんには便宜はかっていただいています) ・軟式チームに登録している選手も多く、日程が重なった時にどちらの方で対応するか難儀する事もある。そうでなくとも、軟式大会も含めると、相当数の日程野球の大会が開催されている。 という現状。 その一方で、連盟の報告にもありましたが、加盟するチームの中での試合経験数には大きい差があります。 大会開催は月平均1つ、多くて2つですが、勝ち進むと数多くのたたかいに挑む事になります。09年度で一番試合をしたのは水沢駒形とフェズント岩手で27試合。 一方で4試合以下でシーズンを終えたチームは8チーム、加盟チームの約3分の1と多くあります。この8チームのうち、勝ち星を挙げたのは2チーム。6チームが1勝をあげる事なく、シーズンを終えています。 正直、この状態でいいのだろうか。 チームを組んだからには、試合をしたいべし、試合に臨んだ際には勝ちたいと思うのは、ここに書く以前の話でしょう。 ならば、以上に書かれた事を踏まえたうえで、できるだけ多くの試合経験を用意する、という事が今回「クラブリーグ5カ年計画」に示されたものではないでしょうか。 そこで、です。 どうしても野球のリーグ戦となると「全チーム総当たり」か「6チームのリーグ戦」というのが思い当たる形ではありますが、先にも触れた様に、軟式野球の大会も含めれば相当数の大会をこなす実態があることを踏まえたうえで、以下のような提案をさせていただきます。◇リーグ戦の形式(案)。 ・大体の日程が2日間で終わるようにする。 連日でもいいし、離してもOK。 ・一つのリーグ戦で形成するチームは4チーム。 ・一つの区分けに6チームある場合は実績別に2つに分ける。 その場合は1回戦総当たり×2。 どうしても全チームだと23日、6チームリーグでも5日は日程を取られます。広い岩手県土の事も考えるとそれに対応できるとは言いにくいでしょう。 大会を2日間で消化、という形にしたのは選手・役員にかかる日程的負担を最小限にしながら、それでも多くの試合を経験していただく、という事で考えた結果が「4チームリーグ&3チーム2回戦」です。《一例としての図表》◇4チームリーグ 第一試合 第二試合 第三試合 大会1日目 高田-駒形 赤崎-江刺 高田-江刺 大会2日目 駒形-赤崎 赤崎-高田 駒形-江刺◇3チームリーグ 大会1日目 第一試合 市立-大槌 第二試合 第一試合負け-雫石 第三試合 第一試合勝ち-雫石 大会2日目 第一試合 1日目2位-同3位 第二試合 1日目1位-第一試合敗者 第三試合 1日目1位-第一試合勝者 では、その形をどうするかに関しては、岩手連盟報告にもありましたが2パターン考えられます。「クラス別=実績別」と「地域別」です。そちらの方も下の方に思案を作ってみました。◇提案1◆リーグ戦の形式 地域毎に分ける。 ・県北地区 福高、一戸、九戸、久慈。 (開催候補:二戸、一戸、九戸、葛巻、軽米、久慈、野田) ・盛岡地区 盛岡、市立、盛友、不来方、雫石、矢巾。 (開催候補:県営、雫石、滝沢、紫波、八幡平西根、岩手) ・中部地区 駒形、江刺、前沢、北上、黒陵、花巻。 (開催候補:花巻、大迫、江釣子、錦秋湖、岩崎、森山、江刺、水沢、前沢) ・県南地区 赤崎、高田、住田、一関。 (開催候補:一関、東山、大東、花泉、高田松原、大船渡、新住田) ・沿岸地区 釜石、大槌、宮古、遠野。 (開催候補:釜石、遠野、大槌、山田、宮古、岩泉、普代) まず提案1は「地域別」。 という事で考えられるパターンいくつか考えたところ、上記のパターンでまとまりました。実は「4チームリーグ」にこだわっていた時は盛岡、中部地区でどう組分けするかで悩みましたが「6チームの組分け、入れ替えありの3チーム2回戦リーグ戦」でやれればどうでしょう、と考えた結果この形になったのでした。 この形の場合、遠征距離は少なくてすみますが、対戦相手のレベルの差がある組み合わせもあり、その部分が課題になるとおもいます。◇提案2◆実績別のリーグ戦。 ・一部 駒形、江刺、赤崎、高田 ・二部 宮古、遠野、黒陵、久慈 ・三部 北上、盛岡、矢巾、一戸 ・四部 福高、前沢、釜石、盛友 ・五部 花巻、不来方、一関、住田 ・六部 九戸、大槌、市立、雫石 各部の1位は上位リーグ4位と入れ替え。 続いてはクラス別、実績別のリーグ戦。 とりあえず09年のポイントランキングを元にして作ってみましたが、一般的に実力の近いチームとのたたかいが、一番楽しめるものではないでしょうか。中々全チーム組み合わせ抽選ではそうも行かないから、このリーグ戦ならそういうのは修正できるか、と思います。年度毎にチームの力も代わりますから、その部分はリーグの入れ替えで対応。 岩手県の場合は企業チームも試合数が多くはない、という報告も記載されていたので、その事を加味して改めて振り分けすると、以下の様になるでしょうか。 ・一部 F岩、JR、駒形、江刺(錦秋湖) ・二部 赤崎、高田、宮古、遠野(釜石平田) ・三部 黒陵、久慈、北上、盛岡(岩手or西根) ・四部 矢巾、一戸、福高、前沢(滝沢) ・五部 釜石、盛友、花巻、不来方(大迫) ・六部 一関、住田、九戸(紫波) ・七部 大槌、市立、雫石(遠野) 4チームずつ律義に分けると、七部が2チーム編成になるので、六部とあわせて3チームリーグ結成にしました。 括弧内は各チームのほぼ中間地点の野球場を当ててみましたが、当事者で決めるもよし、将来的には社会人野球チームのない自治体に出掛けて行き『〇〇町Day』として盛り上げるのも一つの策でしょう。 地域の中学生や高校生に協力していただき、そのお返しに技術などの交流するというのも一つの手ではないでしょうか。(その時間作るために試合7回制もあり。) と、いう事で一つのたたき台を書かせていただきました。 正直、自分のこの一文で完璧だなんて事は思っていません。 (思っていたら病院行きます) 何分、経費に関する事や運営に関する事は自分では見当がつかず、全然書けなかった訳ですから。(例えば、審判をのべ168人用意する、ボールの手配、球場利用料…etc)その部分、本当にすみません。 文中で岩手県連盟の報告にも書いていたとおり「全チームの意見」と言うのを詳細に集める必要はあると思います(※1)この際今の岩手県の社会人野球の実態がどうなっているかと言うのも併せて、アンケートなどを実施する事を提案します。 実は…一年間あたためていた「課題」でもあったんですね。この記事は。 ただ、これをどう扱うか難儀して、とうとう書く事もできず、危うく永遠に書く事ができない事態にもなる所でしたが、何とか世に出せた事でホッとしています。 このたたき台を元に、全チームが参加して、充実した議論、充実した大会が実施されることを願ってこの一文を閉じさせていただきます。ご意見・ご感想はこちらの掲示板にお願いします。※1 3日に下書きで書いていた時はここで文を閉じていましたが、後に「17日に意見交換会」という話を県連盟のブログで知りました。正直、その議論に耐えられる提案かどうか、という中身ですが、一つの「踏み台」として見ていただければ、と思います。
2010年01月14日
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この項では岩手県社会人野球の個人表彰に関しての記事を紹介します。 ま、何とか2000年代中に発表したかったものではありますが、やはり調査に手間取ってしまいまして、記事完成させるのが2010年代になってしまいました。2010年代には2019年中に発表できるように努力します。びー:生きていたらの話な。伊東:もういいよ、そのネタは! (気を取り直して)一カ月かけて何とかまとめてみましたが、どうしても以下の2大会に関しての集計がまとまらず今回の集計には入れていませんでした。・2004年、2009年ベストナイン、年間表彰 両年度とも記録はしていたのですが、その記録していた用紙をどこに行ったか分からなくなってしまい、今回の集計には含める事ができませんでした。びー:本当にすみません。あとで厳寒の北上川に放り投げ…伊東:たら死ぬわ!せっかく維持した命こんなん所で失いとうないわ。 と、いう事で、表彰回数の多い選手から紹介して行きます。 なお、文中は敬称略します。びー子:では、2000年代の岩手県社会人野球を代表するともいえる最多個人表彰選手は…(今の所)この2人でした。◇表彰15回 2人・新田忠正(水沢駒形)・山本淳一(赤崎) 岩手社会人野球を支え続けた「右の山本、左の新田」が個人表彰でも最多(タイ)記録となりました。伊東:この2人が投げあう所にドラマあり。 03年のクラブ選手権、04年の都市対抗県大会決勝。 「ライバル同士高めあって」作るドラマ、というのはまさにこの2人の対決の事をさすんだな、というのを感じさせられます。びー:県内外問わず他のクラブチームからも目標にされる2人。 もう30代半ばにもなり、家庭でも、仕事でもそれなりに任務任されるようになり、加えれば新田君は去年、投げられませんでしたが、グラウンドでの活躍もまだまだ期待したい2人でもあります。◇表彰11回 1人・豊田圭史(フェズント)◇表彰9回 2人・菅野貴行(秩父小野田→高田→都幾川倶)・徳田亨(ヨークベニマル→不来方)◇表彰8回 2人・大坊周司(JA→水沢駒形→フェズント)・新渡戸真(水沢駒形)びー子:表彰8回から11回の選手はこちらの4人。ベン:フェズントの創成期を支えた豊田君、太平洋セメントを支えた本格派エース菅野君、不来方の一時代を築いた徳田君、3チームで心身両面で中軸となった大坊君、海外での活動経験もある新渡戸君という名前がならびました。伊東:この中からは豊田君、大坊君が大学の指導者に、新渡戸君は養護学校の先生と、次世代を担う人達の“導き手”となって活動しています。◇表彰7回 6人・池端宏記(宮城建設)・小山哲朗(黒陵)・寺長根一真(江刺)・深井展広(水沢駒形)・藤村哲夫(宮城建設)・三鬼賢常(関東自工→江刺→黒陵)◇表彰6回 7人大沢学(宮城建設)加藤武(水沢駒形)加藤浩(水沢駒形)鈴木敦則(宮城建設→秋田ユーランド)関連太郎(赤べこ→新日本石油エネオス)玉城宏二(一光→田村コピー→お茶の水→赤べこ→水沢駒形)千田雄大(水沢駒形)松村朋宏(拓殖銀行→サンワード貿易→久慈)びー子:続いては表彰6、7回の選手です。びー:こちらも一時代を築いた選手の名前が多い。 注目はそれぞれ6回表彰の加藤武、浩両選手。 この2人は兄弟で、90年代はじめからともに主軸となって水沢駒形を支え続けました。伊東:関君、藤村君は集計実績2年で6回、7回の表彰はすごい。 関君は赤べこ解散のあと日石に移籍し、故障に苦しみはしたものの若い投手陣の支え手となり、今年で日石での野球部生活を終えました。ベン:その一方で三鬼さん、寺長根さん、小山哲朗君、千田君のように息長く活躍し、チームを支えている様子も見えます。びー子:ちょっと話ずれますが「小山選手」と言えば、黒陵の小山麻衣子さんが岩手初の女性社会人野球選手として躍動している様子も、県内の女子選手に一つの道しるべとなりました。◇表彰5回 11人石輪孝幸(アイワ→不来方→福高)小野寺聖人(フェズント)佐久間康幸(宮城建設)柴田朋弘(宮城建設→久慈)関口和磨(JR)高橋優禎(宮城建設)橋本祐輔(フェズント)馬場敏次(高田)藤野浩明(江刺)南容道(イタリアセリエA→赤べこ)村上修(赤崎)◇表彰4回 11人安部信二(久慈)伊藤昌幸(宮城建設)蛯名哲也(JR)大沢義時(久慈)川村憲幸(JA)越戸利幸(久慈)高倉啓司(中山製鋼→サムライベアーズ→赤べこ→TDK)多田圭三(赤崎)田中孝昌(宮城建設)前田勝宏(プリンスホテル→ライオンズ→アメリカリーグ→台湾リーグ→ドラゴンズ→アスピア学園→赤べこ→独立リーグ)村井邦彦(JR)渡辺潤也(フェズント)◇表彰3回 24人植松俊樹(フェズント)生形憲治(赤崎)及川将(水沢駒形)大沢晃彦(宮城建設)小山内大和(宮城建設→独立リーグ→阪神)小野寺孝則(宮城建設)上平勉(JA)金野寛(JR)今野匠(水沢駒形)佐々木力(水沢駒形)佐々木徹郎(JA→雫石)佐々木敬之(フェズント)佐藤功也(水沢駒形)大光一馬(JR)高橋幸児(前沢→水沢駒形)田代洋介(宮城建設)田中宏典(JR)千葉勝英(水沢駒形)千葉盛吉(水沢駒形)那須野秀(JR)新沼圭史郎(赤崎)堀崎豊(久慈)村岡康仁(江刺)森住竜太(宮城建設)びー子:ここでは表彰3~5回の選手を紹介しています。伊東:前田さんや南君、高倉君はプロ野球経験者。彼らをはじめとした高いレベルでもまれて来た選手達が岩手の野球レベルをアップさせたのも事実。逆に岩手での野球経験を踏み台にして独立リーグで活躍した選手(小山内君)もいました。びー:その一方でレギュラーか、そうでないかかかわらず、チームに欠かせない存在の選手というのが多くこの項に記載されています。なかなかチームが強くないと、表彰の対象にならないもので、ここに記載された方は「自らの活躍で多くチームを勝利に導いた」方と言えます。◇表彰2回 32人安達哲郎(赤べこ)阿部貴明(JA)荒川大輔(赤べこ)飯塚雄宇(フェズント)小田嶋修(岩手銀行→不来方)小沢浩喜(太平洋)柿澤成憲(花巻→フェズント)菊池善明(江刺)木村一哉(JA)熊谷享(盛岡鉄道局→JA→盛岡市立)今野秀世司(宮城建設)坂本淳(盛友ク)佐々木宏也(小野田→赤崎)佐藤匡(JA)佐藤雄亮(水沢駒形)佐野清隆(赤崎)信太則人(アイワ→不来方)志田勇人(太平洋)菅原悟(太平洋)菅原利満(フェズント)高橋司(JA→盛岡市立)高橋充(フェズント)高林孝志(江刺)西村琢磨(JA)長谷川剛(宮城建設)平野誠(赤崎)平間徹(釜石)府金正樹(富士大→NTT東北マークス)星恵太(水沢駒形)八重樫進(水沢駒形)山本武(赤崎)若狭靖徳(JR)◇表彰1回 67人浅沼龍太(黒陵)荒井将旭(江刺)荒川崇(水沢駒形)荒木郁男(赤崎)伊東敦(盛岡大→?→高田)岩泉悠樹(江刺)及川義彦(JT→釜石野球団)大谷龍太(水沢駒形)大川隆治(JR)大倉康信(岩手銀行→釜石)尾形幸治(宮城建設→三菱製紙八戸ク)奥勝利(宮古)小野智(久慈)小野寺淳(東京製鋼→水沢駒形)川代朋彦(宮城建設久慈ク→久慈)川内洋平(太平洋)菊池郁也(遠野ク)菊池大輔(釜石)菊池貴光(日本IBM→不来方)木下清吾(赤崎)金野貴志(JR)斉藤直樹(太平洋)佐々木翔(不来方)佐々木英之(宮古倶)佐々木慶喜(赤崎)佐藤琢哉(赤崎)佐藤辰哉(水沢駒形)佐藤春樹(高田ク)佐藤幸文(江刺)志田直行(TDK→フェズント)下村五五男(釜石)杉田裕樹(江刺)鈴木淳(JA)高木誠一郎(赤べこ→矢巾)高橋力(水沢駒形)竹下洋平(フェズント)竹長淳(水沢駒形)武元直樹(宮城建設)谷口純(黒陵)千葉智仁(江刺)千葉隼(水沢駒形)千葉光輝(水沢駒形)中鉢洋平(赤べこ→江刺)寺田翼(JR)照井勝巳(遠野)土岐謙太(フェズント)戸羽洋(高田)中村尚道(宮古)野々村真樹(太平洋)野元克哉(久慈)畠山晃男(高田)林下勤(アイワ)日向端悠太(JR)平野亮(釜石)福地大祐(宮城建設→NTT信越ク)本郷智之(水沢駒形)前川尊之(JR)真下徹(福高)実吉学(高田)村上忠仁(久慈)村上伸行(宮城建設→公式記録員)守安玲緒(富士大→三菱重工神戸)八重樫忠和(北上球友)山口雅也(福高)山田悟(赤崎→高田※旧姓大畑)吉濱辰也(宮古)六角洋樹(フェズント) びー:表彰を受けた選手は全部で165人。 中には大学時代の表彰で、卒業後は県外のチーム(府金、守安両選手)という選手もいますが、まずJABA登録経験のある選手で、JABAの大会で表彰された選手を取り上げて来ました。ベン:年平均で大体1000人(2008年は846人)が登録されている中で、試合に出るだけでもたいしたもの、さらに大会で活躍して、人から認められる=表彰される事は見事なもの、ではないでしょうか。びー子:都市対抗野球を除けば、一つの大会で表彰されるのは3人。決勝戦まで残らないとその対象にならないこと考えればチームが強くないと、表彰の対象にもならないのですから、チーム自体の力も問われるわけです。伊東:ま、何にしても最優先は「一つ一つのプレーをベスト尽くす」事。その上で試合に勝つというのは、言わずもがなの目標。その一つ一つのプレーが認められて、表彰という個人的な「栄冠」もつかむわけです。 どの行動取ってもそうですが「他の人から自分の存在が認められる」って事ほどうれしいものはないんですね。これから先のたたかいでもより多くの野球仲間が、チームの勝利とともに個人の部分の表彰も受けるか。楽しみにしてみて行きます。ご意見・ご感想はこちらにお願いします。
2010年01月14日
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あの日まで、01年毎日旗大会県予選優勝、01年都市対抗県大会4位、03年同3位と好結果を出していても、どうにも一歩引いてものを見ていた自分がいた。それは、他のチーム-殊に水沢駒形-が強いという結果を様々な場面で見せつけられていたからだ。 だけど、あのギラつくような暑い日のたたかいは、一つの大きい勝利という結果に収まらず、自分の心の中で「赤クは岩手のチームの中でトップクラスと認識していいんだ」という自信をも植え付けた、自分も、グラウンドでたたかった両チームもまさに燃えた大勝負となった-。1.2003年6月22日 FROM大迫。 前日から始まっていたクラブ野球選手権岩手県予選。 赤崎野球クラブは2日目からの登場となり、大迫球場で勝ち上がればダブルヘッダーでたたかう事になっていた。私はと言えば、コンビニの夜勤こそ休めはしたものの、新聞配達に思いの外手間取り(配達範囲は三陸町全体)大迫球場に着いた時には、既に第二試合が始まっていました。 第一試合は水沢駒形と隣町の高田が対戦。 試合が終わったばかりの知り合いの選手から「惜しくも負けたよ。対戦できなくて残念だ」という言葉を交わしながらスタンドに。スコアボードには「MS」の方に3の数字が早々と乗っていた。対戦相手は盛友クラブ。元プロの猪久保吾一さん加入後、力を伸ばして来たチーム。簡単に勝てるとは思っていなかったが、初回から苦戦を強いられるとは思っても見なかった。 この試合登板した佐野清隆君は、都市対抗時に爪に変調を来し、そこから投球のペースを乱していた。1回裏に佐藤琢哉君、磯谷長栄さん、泉邦幸君の適時打で逆転するものの、4回にも2安打2四球で同点に。5回から佐々木慶喜君がリリーフし、その裏に村上修君とルーキー倉本君の適時打でするものの、6回にまた追いつかれる試合に。 しかし、この試合赤崎は打ち負けない。取られたら取り返す試合ができたのが最後に効きました。8回に盛友・松本直樹さんの本塁打で勝ち越しを許しましたが、その裏に平野誠君の三塁打+1エラーで追いつくと、さらに連打で畳み掛け、最後は木下清吾さんが後10センチでホームランという強打で11-9。山本淳一君が9回の盛友の反撃を0に。 試合状況が7変する試合を制し、第三試合の進出、水沢駒形とのたたかいに進出しました。2.電光石火のツーランスクイズ。 しばしのインターバルをおいて行われる準々決勝。 先発投手は、赤崎がエース山本淳一君、駒形もエース新田忠正君。 クラブチームの中では実績NO1、2年前の全国大会では準優勝という強力すぎるライバルチーム。しかし、赤崎も都市対抗では3度この駒形を破っている実績もあった。 でも…文頭にも書きましたが、この時はまだ、私の心の中では「まだ駒形が上」という意識がありまして。試合には勝っていても、駒形に対する“恐れ”はまだ消えていませんでした。 この2人の投げ合いとくれば、ただでは終わらないのがこのカード。 お互いに“簡単には点は取れない”というビリビリとした意識が充満していました。 初回、2回と駒形は1安打放つものの0。そして2回、試合は思わぬ所から動きはじめました。 新田君は体を投げ出すようなフォームから勢いよく腕を振り、居合切りの様にボールを繰り出す本格派投手。この特徴あるボールを「ファルコンダイブ」と勝手に異名作っているのは私ですが、打ちにくいことこの上ない投手です。 ただ、弱点もありまして、時折コントロールが効かなくなる場面もあります。この2回のときもそう。修君には死球、長栄さんには四球、倉本君はライト前にヒットを放ち、満塁の好機を作りました。 打者は泉君。 攻守に渋い動きを見せる“職人”が、ここで仕掛けた策はスクイズでした。 修君ホームイン、一塁で泉君がアウト…で済まなかったのがこのプレー。 長栄さんも一気にホームに突っ込んで来ました。 高校時代から一番を打っていた三拍子そろう好打者。特に走塁や守備などで、一時のスキを見逃さずチームに効果的な動きができる選手。その動きは、相手が駒形でも鈍る事がありませんでした。一気にホームを陥れ、2点目をあげました。 一点を争う試合で大きい先制の2点。 流れをまず、つかむ事には成功しました。3.このままでは、終わらない。 赤崎は4回にも4番の木下さんの安打、5番の村上修君の二塁打、さらに長栄さんの死球で満塁と責め立てたものの、ランダウンプレーで三塁ベースに二人がいてしまい、対処をあやまり2人共アウト。以降は好機らしい好機も作らせてもらえません。 一方で駒形は毎回のように一人以上はランナーを出し-打線の上位、下位は関係なく-誰もが必死にプレッシャーをかけ続けた。 6日前の都市対抗予選。駒形は淳一君の前に4安打に抑えられ敗れていた。同じ相手に、二度も負ける訳には行かない、という気合が、試合の流れを変えつつあった。 それでも何とか勢いを押し止どめていた淳一君と赤崎ナインだったが、9回、それまで0に抑えられていた駒形の逆襲がはじまってしまいました。 先頭の佐々木力さんが安打後、4番の深井君のタイムリー二塁打。高橋君の凡打で一息つくかとも思われたが、加藤武さんの二塁打で同点。さらに千葉光輝さんの安打でランナーを進めたものの、及川君は凡打でツーアウト。 9番の加藤充敏君は、登録は投手。野手としての彼を認識していなかったので「よし、これで何とか…」と思ったが、野球は甘くなかった。打球はサード。ルーキーの倉本君が必死にさばきましたが、充敏君の足が一歩勝りました。 この間に武さんはホームイン。3-2。 とうとう駒形に逆転を許してしまいました。 5回以降は好機は作れなかった赤崎。とうとう逆転も許し、ペースを駒形に握られてしまいました。そして、9回裏。 先頭は“クラッチヒッター”佐藤琢哉君。 勝負を決める場面で、ことごとく期待に応えてきた琢哉君が2ストライク後にライトへ打球を飛ばし二塁打に…しかし、この日のライトはこれまで一塁を守ることが多かった力さん、セカンドは経験は多くない充敏君。このわずかな「付け入るスキ」を見逃しませんでした。 結果から言えば、この2人のダブルエラーで琢哉君は一気にホームに帰って来ました。3-3、同点。しかし、次の試合に進むには、あと一点取ることが必要。さらに修君、長栄さんの安打、泉君の四球で満塁にまで追い詰めますが、新田君は踏ん張り、平野君のセカンドゴロでチェンジに。 エラーした二人が、その回の内にすぐリベンジ(打球を処理)した事で、エラーをしたという負い目をリセットできた事で、もともと簡単に勝てるとは思っていない相手でしたが、まだ長いたたかいは続くな、と思いました。4.決着。 試合は延長戦に。両チームともにこの日は一試合たたかって、その上でこの熾烈な試合をたたかっている。1時半に始まった試合、一日で一番暑い時間帯での試合。スタンドにいる自分でさえ、選手の消耗と、それに反比例する情熱は見えて~特にこの試合は~とれました。 10回表、駒形の攻撃は三者凡退。 10回裏、赤崎の攻撃も三者凡退。 11回表、武さんの安打は出たものの、得点0。 「このままじゃ、決着つかないんじゃ…。」 11回裏。先頭の木下さんがライトフライ。 チーム一の打者-木下さんは甲子園で「大高旋風」が起こした時のレギュラー、法政大学でもレギュラー-でも、打開策が築けない。このままいつまで続くか、と思われた時に透き通るような音が聞こえました。 カキ------ン 修君が思いっきりぶっ叩いた打球は、レフトスタンドにぶっ飛んで行きました。 ついに決着の…サヨナラホームラン。 この一週間、都市対抗野球も合わせると、10日間で11試合をたたかうという強行軍。私も大声の声援を送っていましたが、この日の中盤にとうとう声をつぶしてしまい…しかし、自分の事はどうでもいい。グラウンドにいる選手たちは、その何倍ものダメージを負いながらたたかい続けました。 殊に、修君は淳一君、佐野君という本格派投手の球を受け続け、とうとう左手親指の付け根を痛めてしまっていました。それでいて「何、大丈夫ですよ」と平然とマスクをかぶり続け、たたかい続けた。同じ捕手として、代わってやれないのが見ていて辛かったけど、そうしてたたかい続けて来た結果、岩手最大のライバル・水沢駒形を互角のたたかいでやぶった。 この激烈なたたかいを制した喜び。 より上のたたかいに挑める事ができる喜び。 そのうれしさを、両手を突き上げて、声にならない叫び声を上げて表現してました。 5.その後。 あの壮絶な試合のリサルトは以下の通り。水沢駒形倶楽部 00000000300 3赤崎野球クラブ 02000000101 4◇二塁打 高橋、加藤武、深井(駒形) 村上修、佐藤琢(赤崎)◇本塁打 村上修(赤崎)【水沢駒形倶】8加藤浩 6千葉盛 9佐々木力 3深井 D高橋 2加藤武 7千葉光 5及川将 4加藤充 1新田 (途中交代)佐藤辰(佐々木力・8回代打)千田長(佐藤辰・9回から9)【赤崎野球ク】9→11回8大畑 6生形 8佐藤琢 7木下 2村上修 D磯谷長 5倉本 3泉 4平野 1山本淳 (途中交代)磯谷幸(佐藤琢・11回から9) このたたかいの後、赤崎は県予選で宮古、江刺を破り、県大会初制覇。東北大会で白山、羽柴、福島硬友を破り、東北大会も制しました。全国大会こそ新潟コンマーシャルに敗れたものの、以降は岩手を代表するチームとして『クラブ全国ベスト8』『七十七、TDKと引き分け』『クラブカップ優勝』という成果をあげた、そのきっかけとなったのがあの大迫での試合だった、と私は勝手に思っています。 あれから7年が経ちました。 この試合の前までに積み重ねて来たものが火薬だとすれば、その火薬に火をつけたのがこの試合…そこから数年、見せ所は作り続けた赤崎でしたが、2009年は全体的に苦戦を強いられました。中軸選手こそ強力なパワーをもった選手がいるものの、基本はチームとしてまとまりの力でたたかう、時に敗れても、一つ一つの試合の経験を生かすというのがチームのスタイル。これを良き伝統としてこれからも刻んでいただければ、と思います。
2010年01月14日
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1.政府からのプレゼント。 親一人、子一人の親子が住む公営住宅に、市役所の職員がやって来た。 職員は無気質なまでの無表情な顔のまま、何事かを親に話しかける。 その親は驚いた顔をし、何でわたしが、と言う表情でその職員につめよったが、職員は突き放し、最後に何事か語り、冷酷にドアを閉めて立ち去った。 2日後、職員と話をしていた親と重い障害をしょっていた息子の遺体が、その公営住宅から運び去られていた。息子は薬物中毒で死亡、母親は首吊りの状態で発見された。 少し前の国会。 「日本国の財政は逼迫しており、国債残高は700兆円もある。この状況では日本国民に十分な施策をしてやれない。」 「社会保障の支出が硬直化している状態に、何かいい手はないか?」 そこに、西日本の首長出身で国政に転身した原武光が“持論”をぶった 「まともでない障害者や、後は死ぬしかない老人が、ただ生きるためだけに治療を受け続けている。こんなのにいつまでも金かけるわけにいかない」 しばらく前なら、こんな発言すれば袋叩きの目にあった。 しかし、生活する事、仕事する事、総じて言えば「生きている事」そのものに窮々としていた「世間」は、この言葉に喝采を浴びせた。言い代えれば「喝采をあびせてしまった」。 「俺たちがこんなに汗水垂らして稼いでいるのに、何もできないクセして税金だけは使う」だの「どうせ生きていたってムダ何だから死なせてやったら」とか。 時間が進むと、先に記した言葉が優しいぐらいの罵詈雑言が世の中を駆け巡るようになった。いい加減誰か止め入ってもいい様相になって来たが、それは世の中で主流派になることもなく-正確には止めに入った人はいたが、その意見は黙殺された-気が付いたらとんでもない法案ができてしまった。 「福祉活力化法案」 名前だけは立派だ。 だけどもその中身と言えば「役に立ちそうな社会保障を受ける人」に対してはお金をかける一方で、「何もできない社会保障を受ける人」に対して「人道的対応として自決を促す」対応を取るという法案ができあがってしまった。 当然、激しい反対運動は巻き起こったが、反対運動に対する激しいバッシングと、与党幹部の高圧的対応、分裂工作の前に運動は頓挫させられた。頼るべき世間は情報コントロールの前に「ほんの一部にしか適用しない」「適用される人からもこの法案を歓迎している」などという言い訳が通用し、むしろ反対派は「不人情だ」という烙印を貼られてしまった。2.守らねばならないものは何だろう? 国会での採決は二大政党を中心に圧倒的多数で賛成可決。 悪夢の法案は実際に実行されることとなってしまったのだ…。 最初のシーンはこの法案の実行された様子のひとコマ。 「だって、あそこの息子さんずっと意識なかった訳でしょう。もういいんじゃないですか?」 「お母さんも何も死ななくたっていいのにね。」 「でも私たちも、いずれ考えなきゃならないわよ。親がスパッと死んでくれればいいけど、だらだら生き延びると辛いだけだわ」 「人が死ぬのは嫌だけど、死ぬの望んでいるように見られるのも嫌だしねぇ。」 「何にしても“活力化法案”様々ね。辛い思い背負わなくてもいいんだから。」 …事件が起きた場所の近所を取材して回った高橋元気は、自宅に戻るなりドドォッとソファに倒れ込んだ。仕事自体も疲れたが、取材した人の誰もが「仕方がない」といい、積極的に良かったという人は1人だけだったものの、あの親子を悼む言葉はとうとう出なかった。それが非常に辛かったし、同時にイラつく原因になっていた。 「仕方がない、か。いつまでその言葉に甘えてりゃいいんだかな。」 元気とて、市井に住む人々が限界ギリギリで生きているのは分かっていた。だが、そこからの“解放”を、自分以外の人の窮状をおとしめる事で晴らそうとする、その態度には腹が立っていた。来ていたワイシャツを無造作に机に脱ぎ捨てる。 「生きて行くのにゆるくない、は分かるぜ。 だけどな、それをエキセントリックなモノの言い方で晴らそうってのは、何とか中毒者と何が違うんだ?」 ネクタイも机にたたきつけた。 「ゆるぐねぇ人の立場分かれってのも簡単じゃねぇ事ぐらい分かるわ。 だがな、自分自身がせめてよ『ゆるぐねぇ人を貶める事はしない』ってぐらいはできるだろうよ。結局、被るのは自分自身何だぜ。負の精神ってやつを。」 寝巻に着替えて、再びソファに身を投げ出し、小さな窓から満月を眺め始めた。 「一体、何が大事何だかな。 色々な意味で窮々としてしまい、自分自身を守るしかない状態においこまれる。 何とか自分自身は守ろうと考える。その事自体は間違っていない。 だが、その思いが、結果として“自分以外の、自分に利をもたらさない人の排除”を生む原因になってしまっては…。」 そこまで何か考えた後、もうこれ以上、物事を考えられない状態に…元気は、ガーガーいびきをかきながら睡眠をむさぼりはじめた。3.不寛容は、結局自分にかえってきてしまう。 あの取材の日から何日が経っただろう。 この法律を作るきっかけになった原武光が大威張りでテレビでご高説をぶちかましていた。次は公務員給与を月給一律10万円にするという法律を用意しているそうだ。 知らねぇぞ。それで食べて行けない公務員が、食べて行くために職務をねじ曲げるとんでもない行為に出ても…という意見は、例によって世に出ない。どこかの番組で食らいついたジャーナリストはいたが、CM明けにその席にはかわいい熊の人形がおかれ、3日後には過激な支持者によって全治6カ月の重症をおわされた。 「ちょこっとは立ち止まって考えられないんだべか、ね。その意見がいい事か、どうか見極めるのはよ。」 数日前に畑作業失敗してケガしていた元気がソファで愚痴っていた時、電話がなった。 「もしもし。ああ、真か。」 「どうだい、鹿に跳ね飛ばされた感想は。」 「いいわけねぇだろ。茂みから生きなり出てきたの避けれないよ。 で、用件なんだ?」 「そん時新聞に実名で投稿して来た人いただろ。酒飲めないおまえが、散々愚痴ってビール1ケース空けた原因になった。」 「ああ『活力化法案で救われる人は多い、先頃起きた事件だって、あれで本人が救われたんだ。自殺した母親は死ななくてもすんだ。これからもああいう人はみんなのために観念してどんどん処置してもらってください。武光様様々です。』って書いてくれた人な。」 辛うじて「奴な」と言うのだけは防いだ。 「その家の娘さんが交通事故にあったそうだ。今病院で大騒ぎになっている。」 「ちょい待ち、何が大騒ぎなんだ。」 「娘さん、むごい話絶望的だとよ。そう判明した瞬間父親が大暴れしてるって話だ。おまえは気が向かないだろうが、病院行ってみろよ。」 「確かに、先日のモノの言い方には納得してないさ。だけどもよ、それとこれは別だし、今苦しいのは娘さんだろ。俺はな、人の不幸で飯食いたくないんだ。」 「お前はそこらへんの時勢に流されてばっかの奴とは違うだろ。だったら、お前なりの視点で物事見てこい、そして書いて見ろよ! 自分は安全な場所にいて、人見下して自分維持している奴らの目ぇ覚まさせろ。」 と言うなり、真は電話を切る。 元気は友の励ましを受け、すぐに取材道具をもって地域総合病院に駆けて行った。4.惨劇。 総合病院。玄関前にはパトカーも止まっていた。 『活力化法案』では、この「自決」の実行を邪魔した者に対して「公務執行妨害(!)」で逮捕する事ができるようになっていた。まさか、あの投稿者が逮捕されたか…。 だが、病院の中に入って見たのは、予想とは別な光景。 たしか、投稿者は40代の男性だった。 そこには大体40歳ぐらいの男性が、刺されて倒れていた。 その横には、包丁をもった情緒不安定そうな若者が警察に押さえられている。 何事かつぶやいていた。 「もうあきらめろよ…見苦しい。 お前の子供に使う金あったら、俺らの方にもっと金使ってくれよ…。 そのための『活力化法案』だろ。」 一方の父親は、あえぎあえぎ何かを言っていた。 後の取材でこんなことを話していたと言う。 「自分の関係ないことで起きているから、他人のことを死んでもいいと言えたけど、自分の身内がああいう事になってわかった。他人が誰かを死ね、と追い詰める事をした自分を恥じている…」 と。 結局、父親は死亡、その娘も“処置”され、父親を刺した男も何日かした後に死亡した、と発表された。 話を聞くと、父親は「娘が重篤な状態でもはや助かる見込がない」と医者に宣告された。その時に「冗談じゃない、まだ何か打てる手があるはずだ。ほぼ即決じゃないか。納得できない!」と相当にくらいつくが、医師は『活性化法案』を楯にけんもほろろに「無理なのは無理です」と退席。父親は退席していた医師を追いかけ、なおも食い下がっていたが、その様子を見ていた男に先のような理由で刺されてしまった、との事だ。 取材を終えて、元気は一人、部屋にこもっていた。 原稿を明日までに書き終えなきゃ…。 現象書いて、ただ興味を沸き立てるだけなら、ある程度の文章を作る能力があればできる事だ。文章作る力がある物書きなら、元気の上に何千人といる。元気が物書きをしている理由は、立場が弱い人に寄り添い、その立場にいる人が存在してもいいよ、という事を示すためだ。そういう意味合いをもつ記事を書く気力は誰にも負けたくねぇ。そういう思いで、この日もワープロに向かっていた。 時折集中力欠いて、ソファの上で伸びるのはご愛嬌、という事で。後編はこちらからご覧いただきます。
2010年01月14日
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前編はこちらからご覧いただきます。7.思いの告白。<-月-日 岩手タイムス特別ページ> 『福祉活力化法案』 皆さんはこの言葉にどういう意味を込めているだろう。 より積極的に福祉に力を入れることか。 それとも福祉の対象になっている人が、生きる気力を活性化させることか。 あるいは他の理由もあるかとは思うが、その多くは「福祉の対象になる人が生き生きとできる社会」になってほしいという願いがこめられていたはずだ。 ところが、実際できあがった法律のもと、実行されたのは「重篤障害者の抹殺」ではなかったか。 たしかに、重篤障害者と言われる方たちは、病状にもよるが自分で起き上がる事もできなければ、何かものを考えてその実現のために行動できるわけではない。中には“高度な医療”によってやっとこ命をつないでいる人もいるのも事実。そして、彼らが生きている事、その事に対して税金が支えになっているのも、事実だ。 彼らに対して「金の無駄遣いだ」というのは簡単だが、さらにそれを突き抜けて「死んでくれ、その分浮いたお金は有効に使うから」という言葉さえ、平気で吐かれる世の中になってしまった。 最初は、一人のある程度権力をもった人間が語った“戯言”であったはずだ。 世の中に広く認められる言葉ではなかったはずだ。 本当にどうしようもない末期状態であるなら、本人の意思確認の上での事だが、治療行為をやめるという『尊厳死』というのは認められるようにもなって来たのだから、その適用で話は付くはずだが、それをなぜ、お上から死を強制されなければならないのか。 法案を審議していたとき、提案者は言った。 「その対象者の家族は生きていてほしいという気持ちは当然もつだろう。だがその一方でこれ以上苦しむのを見たくないと思うはずだ。そういう思いに立った場合、その本人を死なせてあげるという事をためらってしまう。だから、政治がその苦しみを解き放ってあげる。十分人道的な法案じゃないか」 笑わせるな、としか言えない。 そういう大変な思いをしているご家族の方々のご苦労は私ごときでは計り知れない。なかには大変な思いに押し潰され、とんでもない思いを抱く事もあるし、そういう事件も数多くあった。 だが、この提案者がやろうとしているのはただの殺人だ。 生きるか死ぬかを決めるのは、最終的に本人だ。 誰であろうと、誰かに対して「死ね」という事を命ずる事はあっていけない。 どんなに「善意」な理由であっても、政府が、何かの対象者に対して、死ぬ事を命ずる社会があってはならない。 いったんそういうのが認められたら、今度は別な理由をくっつけられて「死んでくれ」と言うのが認められてしまう。 何度でも繰り返して言う。 誰かに対して死ぬという事を、命じていい人はいてはいけない。 よくよく考えれば、こんな法律が簡単に通っていいはずではなかったが、拍子抜けするぐらい簡単に法案が通されてしまった。 それはなぜか。 世の中が、一部の人気者の指導者の過激な発言に喝采を送り「まともでない障害者や、後は死ぬしかない老人が、ただ生きるためだけに治療をうけつづけている。こんなのにいつまでも金かけるわけにいかない」という言葉にお墨付きを与えてしまった。そのお墨付きが、国会議員に悪魔の道を進ませる原動力にしてしまった。反対する人に対して様々なレッテルを張り、この件に関して検討することすら許してくれなかった。 その結果生み出したものは何か。 目一杯キリキリと生きている人が、より目一杯キリキリと生きている人を貶め、より目一杯キリキリと生きている人が、目一杯キリキリと生きている人のために死ぬ事を命じられる。 筆者の地元でも重い障害を背負った子供が、死ぬ事を命じられ、それを苦に思った母親が自殺した。その事件に対して「そんなの当然だ」と言っていた男性は、その娘が事故によって自決を命じられた際には徹底的に抵抗したが、その様を見た別な『活力化』支持者に刺し殺されてしまった。 これが何を意味する? 「だれそれを死んでいい」なんて事さえ、一時の興奮と巧みな世論誘導で決めてしまった結果が、これだ。 もういい加減気づくべきじゃないか? 一時の熱狂で、大事なものを吟味せず、議論もせずで勢いで物事を決めてしまう、正確には決める事を許してしまう結果が、一部の人を追い詰め、その追い詰められた人は無情な方法で、あるいは非情な方法で社会に対して報復する。彼らに対しての“攻撃”が激しければ、激しいほどだ。 これが失敗だ、間違いだ、けどもみんなが決めたことだから… 失敗だ、間違いだと気づいたら、それを素直に表せばいい。 人間は間違いや失敗から学ぶことができる。 ゆるくない人達につらい目に遭わせてしまった事に気づいたなら、こっからやり直そう。間違いを正すの遅いって事はないのだから。 (高橋 元気) 「…何とか書いて見たがどうかな。」 公園でキャッチボール-片方はイスに座って-をしていた元気は、親友の真に静かに語った。少しボールを往復させた後、真はボールだけでなく言葉も返した。 「さぁな。おまえぐらい言葉の使い方が悪い“ジャーナリスト”もいないからな。 でも、おまえの思いは十二分に書いたんだろ。 あとは、その言葉を受け取った人が、どう行動するか、だよ。」 しばらくして。 内陸地方の中心都市で 「これでいいの?本当の“福祉活性化”とは 偽りの“活性化”を許したことを反省し 本物の“活性化”を作り上げて行こう…の会」 という、タイトルの長い集会が行われた。 「河地さん、俺にパネリストだなんて…あいませんって、本当に。…せっかくの集会壊しますよ。…それてもお願いします、と。しゃべりが下手なのは分かっているから、フォローは入れますからって。…はぁ、分かりました。謹んでお受けします。」 元気は電話を切った。 「なんだなんだ?おまえが発言者なんてよ、ヒューヒュー。」 冷やかすように“三番目の男”奈木翔が声をかけた。これも元気の友人だ。 「おれがパネリストだと言うこと以外は、待ち望んでいた集会だからね。」 「妨害の懸念はあるっていうぞ。」 真が“どうせ答え決まってんだろ”というニュアンス漂わせながら元気に向き直った。 「妨害は困るけど、それでも後で気が付けばいいさ。 まずは一歩目、踏み出さないと、ね。」 近くなった野球の試合にむけて、外の庭でキャッチボールに駆け出す3人の姿があった。
2010年01月14日
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こんにちは、伊東です。 ここでは、今年からブログのタイトルを『“希”動力-袖番号96 伊東勉のページ』に変更しました。その反省文理由をここに記します。 まずは“希”動力。 何だよ、それはとお思いの方が大多数ですが、実はこの言葉、1993年の大船渡農業高校文化祭のポスターに書かれたキャッチフレーズです。 ま、そう書けばかっこいいのでしょうが、実際はそんなかっこいいものではありませんでして。この年からキャッチフレーズを生徒間で募集しましたが、どうにも集まりが悪く、締め切り前日になっても募集は0。困った表情をした生徒会長が、準備のために残っていた自分ら学校農業クラブの執行部の面々に「明日までに何か考えて出してくれないか」と頼みまして。 頼まれた身としては何か…あんまりひどいのだとダメだしな、でも、あまり堅いのでもらしくないし、そうだ、野球の要素の一つ、機動力の字を生かして、そうだ、これに希望の“希”をつければ行けるかも…てなわけで、次の日に生徒会に提出しました。他にその場にいたメンバー4、5人も提出。ま、俺のはただの笑い者に終わって、成績も人間性も俺より上のメンバーの誰が選出されるのかな、と発表の日を待ちました。 で、後日。 大賞は、私でした。 他に提出したメンバーも喜んでくれましたが、本人は「何でよ…」としか思えませんでして。しかも発表の際に審査をしていただいた校長先生から、自分がこのキャッチフレーズを作った理由に書かれていた一文まで紹介された始末で。何とも恥ずかしい思いもしましたが、それでもあの言葉にこめた「希望を動力にして、様々暗いと言われる世の中を切り開きたい」という当時のコメントは、今この時に移しても変わらない思いです。 続いては、袖番号96。 普通、スポーツするときにナンバーを表示する所は背中が一般的。 だから「背番号」(最近ハマっているアメフトには胸番号もありますが)は、ユニフォームにナンバリングするものではほぼ当たり前になっています。 で、何で「袖番号」なのか。 私は1998年から赤崎野球クラブに身を置き、長年の裏方としての働きが認められて2005年にスコアラーとして登録する事になりました。同時にチーム全体としてもグラウンドコートも新たに作る事になりまして、袖にはそれぞれの選手の背番号と同じ数字が貼られていました。 で、ベンチに入る現場組の中で、私だけが背番号がありません。 当時のマネージャーに「ベン、お前は番号何番にする?」と聞かれまして…すかさず思いついたのが、96番でした。 こせきこうじさん書く所の野球三部作「やまだたいちの奇跡」の主人公、山田太一の背番号は96。こせきさんの意図は分かりませんが、自分はこの96番という番号を背に負うという事は「苦労を背負う」事だと思った訳です。かなわぬ夢とは分かっていますが、ユニフォームを着ける際にはその背に負う背番号は96がいいと。そこから来た「96」でした。 でも、グラウンドコートには背番号はつけなかったんですね。 銀色に「AKASAKI」の筆記体はチームカラーのスカイブルー。で、番号は左袖につけたので、そこから「袖番号96」が出たのでした。 このグラウンドコートですが、次の年には学生のまま加入した選手に渡しました。結局、私は一年間で登録スタッフは外れまして(一年間安定的に活動できる心身の力がないのと、失業し部費が払えなくなったため)。 前年の10月にコンビニを休業してしまい、無職となり給料がなくなってしまいました。当然、厳しい冬の時期ではありますが灯油を買う事もままなりません。その時期をどういうふうに過ごしていたかは、今となっては振り返りたくもない「黒歴史」。あまりにも寒いときは、どんぶくとともにグラコンも着て寒さをしのいでいたのを思い出します。(そんなの俺に渡したのか!…って抗議来そうですね。) あれから4年、心臓の病気から再び職を失い、諸々の事情も重なり、現在は「家事手伝い」として生きています。あんまりだった前年の事もあり、タイトルを変更しましたが、そういう“他力懇願”に頼るのではなく、自分でできる所から何とかしていきます。(“自己責任”とは別よ) 以上、タイトル変更の弁解でした。
2010年01月14日
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と、いう事で今日も集団投稿となった拙稿をお読みいただきありがとうございました。果たして、皆様に満足いく文章が作れたかどうかははなはだ不安ですが、とりあえず、何か残れば、とか思っています。 では、早速それぞれの記事に対しての言い訳後書きも用意しましたので、どうぞご覧いただきます。《日本共産党・政治活動》2009年扱いCK179 赤旗読み始めてから16年。09年に起きた政治の激動を根っこから振り返る。2009年扱いCK180 11月、12月に行われた地方議会選挙の結果。 政治に関しては、根つめた記事が書けなくなって久しくなります。 以前に比べれば「前衛」も「議会と自治体」も読めるようになっただけまだマシではありますが、政治で一つのテーマ定めて、論理的に書く、と言うことは、まだ苦痛が伴うものです。 タイトルが示すとおり、今回政治面で扱った記事は両方とも年内に作るべきものでしたが、年末は師走で忙しいって事で完成がずれ込みました。 根詰めたものは作れなくても、赤旗本格的に読みはじめてもうじき17年、共産党に入ってからは15年が経ちました。その15年だけでも政治の流れは様々紆余曲折は経ても、進んで来た面があります。 でも、政治はただ待っているだけでは何も動きません。 「金持ちの人達の利益を優遇し過ぎるがゆえに、市井に住む人の生活を押し潰す」政治を、「アメリカの軍事主義、覇権主義に引きずられて、日本を再び『戦争も仕方がない』という態勢にもって行こうとした」政治を乗り越えないことには、日本の進歩も発展もないわけです。 去年は、選挙で今までの悪政を進めた勢力を、国政の執行部から追い出すという一つの足場を築きました。しかし、その後は一定程度政治を進めた面もありましたが、先に記載した2つの重要な課題を突破できていないのも事実。ならば、この問題で意識共有する人と一緒の運動で課題突破する事が必要となります。 長年その道でたたかい続けている日本共産党もその一翼として頑張らせていただきます。どうか、その活動を見て、触れてみてください。《社会人野球》2009年扱いCK181 2009年岩手県社会人野球ランキング。2009年扱いCK182 2000年代岩手県社会人野球ランキング。2009年扱いCK184 2000年代岩手県社会人野球・個人表彰回数紹介。2009年扱いCK183 社会人野球制度改革に対応して…拙なる者ではありますが一つの提案を。十一の巻 社会人野球・伊東版名勝負『2003年クラブ野球選手権岩手予選準々決勝・赤崎野球クラブ-水沢駒形倶楽部。』 今回は、社会人野球のまとめの記事をいくつか書きました。今年は2009年なので、2000年代のまとめもしておこうと思い、ちょうど自宅には2000年の試合からの記録が載っていた連盟報があったので、それを元に記録をまとめる事にしました。 一日一年記録しましたが、思ったよりも時間がかかりまして…さらに個人表彰となると、図書館のお世話になりました。最も、その図書館に行っても全然分からなかった大会もありまして(04年クラブ東北大会のMVP以外、09年東北連盟会長旗のクラブの部表彰選手)完全でないのが悔しい所です。 他にも新機軸の記事を2つ。 制度改革に関しての記事は文中でも書いた通り、大会にかかる経費や、記録員や放送員の手配といった所まで配慮した記事を書く事ができず、正直片手落ちの提案にしてしまったかな、という反省もしています。何にしても、17日に行われる「意見交換会」をきっかけとして「全チームが生きる活動」を「全チームの討議で築いて」いただければ、と思います。 また、過去の名勝負として2003年のクラブ選手権の試合を書かせていただきましたが、この後の「都市対抗初優勝」「東北三強2チームと引き分け」という大熱戦も、この試合で築いた経験と自信が元となって、作りあげた成果。この試合も、これまで2度の東北会長旗大会の出場、01年、03年都市対抗での東北行きまであと一歩というたたかいが築いたものです。 いずれ、これまでの節目節目の試合を振り返る記事を、時間はかかりますが、じっくり書いて行く予定にします。遠い昔にそう言っていた高校野球も何とかしなきゃ、ですね。《小説》第1号 大船渡人生物語27歳の夏。「プロローグ」第2号 大船渡人生物語27歳の夏。「レポート1・それは突然やって来た。(1)」 新機軸の一つです。 と、いうか、ここ5年暖めてきた作品です。 原作は、04年に腰痛めて二週間入院していた時に書き上げたものでした。それを05年の冬に、心身ともにおかしくなりかけていた中、自分がまともでいる事をつなぎとめるために原稿用紙740枚にまとめたのがこの作品です。 06年の記事あたりで「どこかに挑戦する」という書き方もしていましたが、結局それがかなわず、ファーストブログ(このブログ)で書くには他のカテゴリとゴチャゴチャにして書くのも…と考えまして、別なブログを小説・書き物専門にして、小説制作を実行する事にしました。 今回の制作で、原稿用紙の消化は11枚。 全部で740枚ですから、これを終わらすのははるかかなた、遠い道です。 そんでも一度取り掛かったからには何としても完走果たしたいと考えています。《その他》十二の巻 小説「勢いに任せた『刈り取り』が生んだもの。」前編。/A>十二の巻 小説「勢いに任せた『刈り取り』が生んだもの。」後編。十三の巻 タイトル変更・その理由。 まず、最初の小説ですが、ほんの一部とは言え、竹原氏の発言を積極的に支持する面々に向けた一文にしました。物事色々な部分で言えますが、できてしまった物事というのは、様々な方面で生きてくる、動いているんですよ。 これが「良い方に転がる」のなら良いのですが、残念ながら逆に転がる、という面もありえます。もっとはっきり言えば個々人でどう思おうが自由ですが、他人に対して死ね、という言葉を平然とかけるんじゃないよって事は、強く言わせていただきます。これは、権力者が相手だろうが、媒介者が相手だろうが、一介の生活者だろうが同じように考えていただきたいことです。 それに気づいていただきたいがために、あえて極端なものの書き方をしました。この点では私と竹原氏とあまり変わらない部分があるのかも知れません。この部分、気に障りましたら…どうかご勘弁ください。 タイトル変更に関しては、本文に記した通りです。 他に付け加える文はありません。 と、いう事で、今日も沢山の記事の集中投稿をさせていただきました。対論記事登場の「びー」には「沢山の長くてつまらない記事を読ませる“拷問”」と言わせましたが、そう取られても仕方がないぐらいの文量でしたね。 次回の集団投稿は、2月初旬を予定しています。 その時にむけて、多くの記事を用意できる様に頑張ります。 今日は沢山の拙文にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
2010年01月14日
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こんにちは。伊東です。 タイトルに書いた事が全てですが、今日の夜から朝にかけて、集団投稿を実施する予定でいます。ただし、セカンドブログですがどうにも使い勝手が良くないので、状況によっては機種変更する可能性あります。(元々はフリーメールアドレス取得が目的)。 どうぞお楽しみにしてください。
2010年01月14日
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最初に。 今日のブログ、当初は『北朝鮮のサッカー女子代表が東アジア大会不参加』というのを取り上げる予定でした。とうとう嫌気さしたんでしょうね。 かの国が色々問題抱えているのは事実ですが、この大会に関しては同じルールの元条件満たして、上位大会に進出してきた訳です。それに関していちゃもんつけて問題こじらせて…もう知らんよ。こういう所が、国際大会開催する資格ないよ。簡単にいや、度量狭い。 で、もう一つ。 度量狭いといえば東国原宮崎県知事。東国原氏「無投票なら5、6億円浮く」 宮崎県知事選で共産候補擁立けん制?-元記事は南日本新聞。阿修羅掲示板より。 素直に南日本新聞ページから拾えればよかったのですが、表示されません。なので、こちらから拾いました。 私のブログ…言い換えれば、私の政治活動生活において、最大のたたかいがこの「共産党立候補」論とのたたかいでした。曰く『反対票が分散する』曰く『余計な選挙戦を強いられる』…言い方探せば様々なバリエーションが見つかるぐらい、共産党の選挙立候補、ただそれだけで反発される事が多くありました。 共闘の未成立からの立候補などで大分反発浴びているのも事実。 でも、意見違う人が、その意見通すために活動するのも当然。 選挙というのは、その活動の集大成でもあるのです。 私は議論をコントロールできず、しまいには自分自身コントロールできなくなってこういう様になっていますが、共産党、あるいはその共闘団体が立候補する事が間違いだという事が間違いだとは全然思いません。今回の名護市みたいに、影響与えてより幅広い共闘に結びつけた例もあります。 ま、選挙しなければ、使うお金は減るでしょうね。 しかし、自分のやってきた政治を、多くの県民の皆さんから検証を受ける、という機会もまた減る訳です。 私は知っています。 “改革派”といわれた知事に、その知事が目を向けない部分、あるいはその“影”の部分を指摘して、選挙戦では(いわゆる“基礎票”を大幅に上回る得票は得ましたが)大差はつけられても、その訴えてきた事が県政にも影響を与えた選挙戦があった事を。 それを知っているから、今回の東国原氏の発言には納得できないものがあるのです。 そんなに自分の政策に自信あるなら、やってきた事に自信あるなら、共産党だろうがどこだろうが対抗馬受け入れて「私は県民の圧倒的な支持を受ける」って事で投票よびかけろよ。自分は前々から言ってきたが「投票率の低さで接戦」よりは「投票率が高くての大敗」を望みます。供託金痛いけど、それが結果なら仕方がない。 製作時間なくなったので唐突にしめますが、何でもかんでも効率化が全てじゃないよ、少しは影響考えてもの言ってください、とだけ語らせていただきまして、今日の拙文制作終わらせていただきます。ありがとうございました。
2010年01月13日
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こんにちは、伊東です。 ここん所2日ばんですか、午前は晴れてて「雪がやっこくなった午後に雪かきだ」と思っていたら午後にはサラサラと雪が降る。そういう日程が続いています。陽が落ちると、とたんに硬くなる降り積もった雪。そうでなくともやたら湿った雪は、かくのにも一苦労です。ただひとついい事は運動になる事ぐらい。でもそろそろガタが来そう。 で、今朝の赤旗。 2010年1月10日(日)「しんぶん赤旗」 公設派遣村 都知事の終了方針に怒り 「再起図る矢先」まじめに生きようとしていること理解を 石原氏は関連してこんな事も言ったとか。 石原知事:派遣村「あの程度の行事」 入所者「甘えた話」 - 毎日jp(毎日新聞) …疲れるわ、聞いているだけで。 しかし、こういう態度をとるのは、一部首長・権力者の資質だけを見るわけにはいきません。以下に産経新聞が派遣村に関しての記事を取り上げた際のタイトルを表記しますが、こういう風に書かれるような意見が、表に出てても、潜在的な物でもあるという事が、結果として石原氏のような発言をのさばらす因にもなっているのではないでしょうか。《産経新聞の派遣村に関する記事のタイトル一覧》※全部の記事を取り上げるわけではありません。「低モラルの派遣村、現金支給後に不明者続出」「派遣村 就活費で酒・たばこ 都、悪質入所者に返金要求へ」「“ごね得”許した「派遣村の品格」 費用は6千万円大幅超の見込み」 生活保護にしても、学校給食費にしても、何でもかんでもモラルに持っていく事にどうにも違和感感じざる得ません。ま、たしかに色々と足りない部分、未熟な部分があるから大変な状況が生まれてしまった事もあるのでしょうが、これをバッシングすれば何かか解決するのか? するのはバッシングでないだろ、バッシングはした所で気にする人には「プレッシャーと萎縮」しか感じないし、そうでない人は「無視」する。こういうやり方が社会的に支えなきゃならない人と、(今の所)普通に働いている労働者・生活者との分断を図っている事に気づかないと、結局政権代えた所で底辺にいる人たちは報われることはありません。労働者・生活者に対する「生贄」か「見せしめ」にしかならないでしょう。 だからこそ、今までの政治の流れ、言っててしまえば今の日本の空気を変えなければ、政権党が変わっただけではどうにもならないものです。 先日、日本共産党の次期参院選の立候補予定者がほぼ決まりました。2010年1月9日(土)「しんぶん赤旗」参院650万票獲得へ全力 46選挙区予定候補を発表市田書記局長が会見 現在のところ、51名の方が参院選で前面に立ってたたかう事が決まっています。 この“フロントランナー”の皆さんを中心に、ただ政権党が変わっただけではない、本当の政治転換を図るために、ただ選挙に勝つというだけでなく、日本の空気というのを変えに行くたたかいをしていきますので、近くに立ち寄ったときは是非共産党のメンバーと触れ合っていただければ、と思います。 今日も拙文お読みいただき、ありがとうございました。 ご意見・ご感想はこちらをクリックの上お願いします。
2010年01月10日
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来週から始まる表題のドラマ。同年代の坂口憲二さんが主演という事で気にはしているドラマですが、設定が「リストラ専門会社」という事で…。 去年、Jリーグカップを制覇したFC東京の城福監督も富士通時代にリストラの面接官だったという報道がされた。記事では「その時の経験が、その後のサッカーの指導にも生かされた」という書かれ方をされていたが、そんなんで語られていい言葉じゃないだろ、と不快に思ったのを思い出す。 以前の記事で「どうしても人間ってのは、慣れるという事を覚えていて、もうどうしようもない、という考えにいたってしまうと、その状況に慣れ、その中でどう生きるか、というのを考えがちになります。」と記しました。経営状態の悪化=リストラという名前のクビ切りも、今ではすっかり当たり前に。 でも、よくよく考えてみれば、クビを切られるという事はその人の存在を否定する事以外の何者でもありません。上の人たちの経営の仕方がまずって業績状態が下降する帳尻あわせかなんかのために、草を刈るようにクビ切られたのではたまったものではありません。逆にそういう行為が、それら企業の活力に影響するのでは、とも思っています。 今日、本屋で垣根涼介さん書くところの原作本を見かけました。 本文はまだ読む気にならないので、解説の所から見はじめましたが…確かにこういうものをテーマにし、世の中の人に影響を与えたという面ではいい作品を作ったのだと思います。 でも、残念ながら今の私には、読む力がありません。 先の城福監督の記事同様に「実際リストラでクビ切られた人の身なってみろ」と思うと、素直に頷いて読む力はありません。 以前紹介した「2012」や「ブラック会社に勤めているんだが、俺はもう限界かもしれない」みたいにあからさまなのは…ですが、どうにも「今の減少で仕方がないとひざまつけ」タイプの作品には、思いをよせられない。 作品としての面白さと、その扱った題材で、実際に起きている現象。 表面的なものにだけ引きずられず、じっくりみていただけたら、と思います。 今日も拙文お読みいただきありがとうございました。 ご意見・ご感想はこちらをクリックしてお願いします。
2010年01月09日
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こんにちは。伊東です。 今日の快天で雪もだいぶ解けました。 状況次第では酢昆布持ち出して、間違えたスコップ持ち出してガリガリ削ろうかとも考えていただけにホッとしました。天気予報はこの後2日間は雪は降らなそうかな、という表示でしたが、どうにも不安定な天気なのと、天気がブロック状態(気圧が一定の地域にてとどまる現象)が起きているとかで、まだまだ油断は禁物です。 さて、皆さんお楽しみの…びー:楽しみ?つまんない記事を大量に読まされる拷問タイムの間違いでは?伊東:誰が拷問だ。 ま、集団投稿日の原稿ですが、現在は「伊東版・社会人野球の名勝負」も書いています。その第一弾は…熱くて暑いあの日の試合を記します。 さて、タイトルに書いた『多数派の横暴』。 今、一部主張の過激な言葉が、多数派にされつつある状況に関してこれまで様々書かせていただきました。先日竹原氏に関しての記事紹介が不完全に終わりましたので、改めて紹介をさせていただきます。やる気に満ちた職員 - 非国民通信dr.stoneflyさん 「阿久根市長の間違い」…医療は生のなかの営みだろ dr-stoneflyさんの記事で注目していただきたいのは「病気を治す過程」の部分。 よくよく考えてみれば、どこかの誰かが言うまでもなく昔は簡単に死に至った病気でも、今は治療し、生産活動に望む事ができる状態にまで体を回復させる事が出来る様になった。伊東勉とかいうデブも一昔前なら呼吸苦しんで、心臓止まってそれきりだったが、今はこうして生きている事も出来るわけ。 だども、まだ「生きる」事は出来ても「活きる」までには至らない病気も多々あります。その状態にある人をどう見るか。ただの邪魔者と見るか、今現在様々な意味で病気とたたかっている人と見るべきか。 竹原氏は「活力ある社会をつくるため、生命の部分に踏み込まなきゃ駄目。表現として厳しいかもしれないが、刈り込む作業もしないと全体が失われる」とも発言したとか。 …この「刈り込む」発言が何を指すのか本人は煙に巻いているし、どういうものだという言葉もないので、勝手な事は言えないが、人の命を何かで選別して、必要ないものは刈り込む、という意味なら、こんなもの納得する気はありません。 多数派というのは、ただそれだけで少数者に対して激しい重圧をかけています。 それをさらに進めて「少数派はいらない」などという態度とればどうなるか。 追い詰められた人間の暴走、多数派の側についた人も人間性荒廃という事態が待っているのでは、という危惧を抱いているんです。 さらに「刈り込む」事が進めばどうなるか。 そうすれば、刈り込む対象が広がりかねない。 派遣村に集まった人に対して様々悪罵投げつけられていますが、ああいう場に来た所からスタートであって、いきなり「今までの態度」が改まるわけではないでしょう。一番残念な一文で「ああいう奴らは放っておけ、ただし犯罪者予備軍だからその面だけ対象にしてくれ」というものがありましたが、事態によっては、こういう方たちも「刈り込み」の対象になるのでしょうね。 自分は“多数派”にいるから大丈夫、とは思わない方がいいでしょう。 今まで「大丈夫」と思われていた人が、簡単にポイポイ“捨てられて”いるのが現状。 政治の流れ、大げさに言えば、この日本という社会の行方を何処持っていくか。 それを日々突きつけられている私達がどういう行動とるか。 一部の人間惨めにさせて他の人が利を得るというやり方をもうやめて、違うやり方に進めるべき。そのための運動に一部でも貢献できるようにしたいな、とも考えます。 今日も拙文お読みいただきありがとうございました。 ご意見はこの行をクリックしてお願いします。
2010年01月08日
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こんにちは。伊東です。 まずはタイトルに関連して。 今年は公営でも行われた派遣村ですが、この報道の中で引っかかるのを覚えまして。その引っかかった報道をここに表示させていただきます。“ごね得”許した「派遣村の品格」 費用は6千万円大幅超の見込み (リンク先は1/2ページ。リンク先から2/2ページに飛びます) - MSN産経ニュース こういう一面もあった、という事を言いたかったのでしょうが、この手のモノの言い方にはずっと引っかかるものがありまして。このブログを長年お読みの皆様には「またか」言われるのを承知すれば、こういうものの言い方ってのは問題の改善には全然役に立たないって事です。こういう言われ方を気にする方はより追い詰められ、萎縮するだけだし、気にしない方はこんな一文など気にしない。むしろこういう一文を出して、社会保障など、救いの手段に近寄らせない作用を起こさせているのではないか、という疑問すら感じています。 去年の派遣村の時も、数多くの批判的意見が出されていました。 その意見に対抗した方のご意見を(本来なら一年前に紹介すべきものでしたが)紹介します。非国民通信ブログ 09年1月6日記事「善人なをもて往生をとぐ」「いはんや悪人をや」(1月7日記事)「改革と痛み」(1月8日記事)「給与は派遣社員以下」(1月11日記事) 村野瀬玲奈さんの記事から。「年越し派遣村」への「批判」が日本を崩してゆく (1)(09年1月15日記事)「年越し派遣村」への「批判」が日本を崩してゆく (2)(1月18日記事) 花・髪切と思考の浮游空間ブログのこれお・ぷてらさん 『「派遣村」をなぜ支援するか。』(1月13日記事)『坂本哲志発言と新自由主義からの決別ということ』(1月7日記事) 大脇道場・友さんNO.889 「年越し派遣村」とはなんだったのか。1NO.891 「年越し派遣村」とはなんだったのか。2 アフガン・イラク・北朝鮮と日本ブログ・プレカリアートさん自己責任論の呪縛がようやく解けつつある(1月5日記事)派遣村バッシングに反論する(1月8日記事) 大津留公彦さん「年越し派遣村」への「批判」に対する批判(1月17日記事) dr.stoneflyの戯れ言ブログ 『「派遣村批判ってさぁ」…義務とか権利とか政治的とか』(1月9日記事) お玉おばさん「政治のお話 戦略的なコメント募集」(1月18日記事) 紹介した記事は、坂本哲志氏の発言(「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まっているのかという気もした」)を受けてのものも多かったけど、その背後にある「立場の弱い人に対する攻撃性」にも目を向けていた秀逸な記事です。 生活相談をしていると、その当事者も疲れる様な案件があるのは事実です。果たして、この一件乗り越えた所で次大丈夫か、という意味で。でも、そこで放ってしまえば、後は死ぬか、ひどい結果になるか、犯罪に走るか。それ考えたら放っておく事できないんですよ。そこから一歩目にしていきたいと考えて動くんですよ。 そりゃね、元気ピンピンで働いて一人前にすごしていければ一番いいのは誰もがそう思っているし、そうする事は大変だというのはわかりますけど、その状態維持するのに、何も「(自分に比べて)足りない人を貶める」必要は、ないでしょう。 コーゾーカイカクだかなんだか知りませんが、様々やってきた一連の“改革”で、私ら市井に住む人が生きていくという事自体がゆるぐねぇ今の事態、それを「より立場の弱い人」にしわ寄せ向かわせるのではなくて、違うやり方で解決しませんかって事は言いたいわけです。 だから、俺みたいな馬鹿に言われるまでもなく、モノ書く自由は誰にでもあるのですが、その自由を「八つ当たりのきっかけ」にされた日にはちょっと…ですね。派遣村の問題と、何とか一人前の生活をしているという事はこういう方面で(立場弱い人への八つ当たりで)関連付けられていい問題ではありません。その事だけは気づいていただけたらな、と願います。 と、いう事で記事製作の時間がつきました。 今日は久しぶりに晴れ。 思いっきり二酸化炭素を吐き出して雪かきするとしますか。 ただ、屋根の雪下ろしなど、危ない所やる時は十分に気をつけてくださいね。 今日も拙文お読みいただきありがとうございました。 ご意見・ご感想はここをクリックしてお願いします。
2010年01月07日
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こんにちは、伊東です。 今日政治方面で書く事はタイトルだけで全て終わりました…というと画面の前が大荒れになるのでやめておきますが、本当に大荒れなのがお天気。「いついつに山場を越えそうです」が、サッパと山場越えません。雪が固まると、徒歩や自転車、自動車のわだち等で踏み荒れ、ボコボコになるんですね。 私も右足が左足に比べると弱く(07年までの2年間、悪い所を放置していた)ちょこっとのわだちでもひざから下の右側がやたら痛みます。歩き方の強制でどうにかできそうですが、この足場だと…体の調子見ながら、雪かきに励みます。 12月分の支払いは大方が終了。 今日は家事も終わったので後は下手くそな小説作りにでも励みますか。 今日は記事製作の時間も多くはとれず、しばらくはあいさつ回りにうかがいますので、記事としては500文字程度の製作でしばらく過ごしていく予定です。 今日も拙稿ごらんいただきありがとうございました。 ご感想はこちらにお願いします。
2010年01月06日
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こんにちは。伊東です。 今日から通常記事制作に入らせていただきます。 最近は24時間営業やら、年中無休とやらで、店を使う人にとっては便利なものなんでしょうけど、どーにも正月の風情がな、と思うのは私ばんでしょうか。 私の家も新しいストーブが入り、温まる力が強くなって爆弾(もちろん本物のではないですよ)抱える私としては非常に助かっています。 で、年末年始にかけての大雪。 これにはほとほと参りましたね。 毎日雪かきしていないと、車止める事も、動かす事も、歩く事もできません。年末30日頃からでしょうか、ドドドと降っているので、もういい加減してくれよってぐらい降っていますが、豪雪地帯の方から比べれば、まだ甘い内なんでしょうね。積雪量がメートルにはなっていないわけですから。 年明け。年末年始のブログ作業はリニューアルに力注いだので全体見て回るという訳には行きませんでしたが…12月で扱った記事で2つばかり。阿久根市長「従わない職員辞めてもらう」(読売新聞) - Yahoo!ニュース 相変わらずですね。その姿勢。 12月に吐いた「障がい者の生存を否定」する発言。 それは仕方がない、賛同だという意見が結構多いのに驚いています。 様々な理由があるんでしょう。 「何もできないのに生きているのを見ているのが辛い」とかね。 竹原氏の発言に関しては、非国民通信さんが市長の市職員に対する態度で、dr.stoneflyさんが例の発言に関して好文を書いています。私みたいなパッパラーの記事見るよりお二方の一文を見た方がいいでしょう…が、。やる気に満ちた職員 - 非国民通信dr.stoneflyさんの記事は只今交渉中です。 もう一つ。サッカーの東アジア大会に参加する北朝鮮女子代表の入国が認められた、との事。安堵しました。政治の方では重大な問題抱えているのは事実。だからといって、共通のルールの元行った大会の、そのルールは守っているチームに対して「来るな」というのは、違うのではないか、と以前の記事で語りましたが…日本にとっても、北朝鮮女子代表にとっても、良かったです。 何にしても、今年も「多数派」といわれるものの暴走や「上から目線」でモノを語る人間に対しては厳しい態度で臨む事になりそうです。 家帰って…あの恥ずいタイトルの理由、書かなきゃですね。 今日はここで失礼します。 ご感想はここのクリックからでお願いします。
2010年01月05日
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こんにちは、伊東です。 2010年も開けまして、34年生きてきた中で一番大変な一年にしてしまったので、気分転換にブログのタイトルも変える事にしました。07年6月以来2年半ちょっとよってけらっせん-伊東勉のページ。というタイトルで記事を積み重ねてきましたが今日1月4日からタイトルを以下の通りにします。“希”動力-96番伊東勉のページ。 …画面の前で皆さんが呆れ返っているのは十分に分かっていますので、もう少しすみませんがお付き合いを。 なしてこのタイトルにしたかは、次回の集団登校日までにアップします。 なお、いっこど活動の兆しが見えないセカンドブログのタイトルは、そのままにします。どうかご勘弁ください。 そして、毎年恒例のナンバリングに関してですが、これまで5年間は以下の通り推移して来ました。2005年-「♯001」 2006年-「No001」 2007年-「第001号」 2008年-「その001」 2009年-「CK001」 そして、2010年の今年は上記に記したとおり「〇〇一の巻」。私のブログでははじめての漢字ナンバーで、これから一年間記事のタイトルをつけていく事にしました。 集団登校はただいま鋭意(?)製作中です。 という事で、運営に関してお知らせさせていただきました。 北上は大雪。以前住んでいた時含めて、こんなに降った時はありません。 皆様お気をつけてお過ごしください。 今日はここで失礼します。※4日21時追加 何となく語感が変なので「96番」の所を「袖番号96」に変更します。
2010年01月04日
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と、いう事で今年もブログをはじめますが、毎年おなじみ「ナンバリングのつけ方」が、今日までにまとまらなかったので、今日は単純に1号としておきました。つけ方が決まったら、次回は集団投稿日にするのでそちらの方で発表します。 野球と共産党活動を通じて世の中を見る事が中心のブログですが、今年もよろしくお付き合いお願いします。なお、次回はナンバリングと同時に何かが起きるかも?びー:こう言っててね、ロクな事起きたためしがないので。伊東:放っとけ。 おっと、次の集団投稿日までの間に書く投稿、野球に関してはすべて終わりましたが、発表は少し時間いただきます。政治に関しても一つは終わり。後は「スペシャル」ですか…。ベン、びー子:(合唱で)毎っ日がスペッシャール。伊東:何の歌だいそりゃ? という事で、新年第一号を書きました。 次回の記事色々驚く事が…びー:(オードリーの春日さん風に)ありませんよ。全くね。エヘ。伊東:(あきれ果て)新年から一年分のエネルギー使ったわ。 皆さん、今年もお世話になりました…ベン、びー子:まだ早い! 皆さん、今年も懲りずにお付き合いよろしくお願いします。伊東:今日の記事製作はここまで。 次回をお楽しみにしてください。 ではよいお年を。三人:その言葉違う!
2010年01月01日
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