2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全26件 (26件中 1-26件目)
1
こんにちは。伊東です。 まず、本文に入る前にお詫びがあります。 3月3日記載の「四十九の巻 2月の地方議員選挙の結果+身近な政治戦の雑感。」の記事内において、8年前の山口県上関町議選で現職の町議会議員が落選していたかのように書きましたが、実際は当選していました。当時の町議の小柳昭さんと、今回の上関町の政治戦でたたかった田中照久さんはじめとした皆様にご迷惑をおかけしてしまい、本当にすみませんでした。 いつもの月なら、そろそろ“集団投稿日”となる所ですが、今月はさまざま用事が重なりまして、集団投稿と言える程の原稿ができていません。小説もストーリー部分は作れず裏話一つ載せるのみとなってしまいました。六十四の巻 3月27日。青年キャラバンに帯同して。 六十五の巻 「潰される異議申し立て」跳ね返す!堀越さん、高裁で無罪!4月1日号 ここまで書いた部分での『裏伊東日記』 なので、今回の集団投稿は物足りない(伊東の作品全体がそうだよ、と言われれば何とも言えませんが)かも知れませんが、その部分どうかご勘弁いただければ、と思います。 さて、今日は一つ、悲しいことがありまして。 私の一つ年上の先輩が交通事故でなくなられました。 その先輩とは小、中学で一緒で、接点は小学生時代の児童会。 児童会選挙は会長、副会長、書記、議長が選挙の対象となり、3年生以上に投票権、4年生以上が被選挙権。会長職のみ6年から、他は4年生以上の各クラスから立候補していましたが、大体当選は6年生がしめていました。 で、86年前期の児童会選挙のとき何がどう間違ったのか7人の役員の内1人だけ5年生が当選するという事態。しかもその一人が能無し(伊東)だったもので、86年前期児童会役員の皆さんには大変お世話になったし、ご迷惑もおかけしました。その中の一番の責任者・会長職にあったのが、今回なくなられた方でした。 手間のかかる後輩だったにも関わらず、いろいろと面倒みていただき、児童会メンバーを自宅に集めて遊んだときにも学年が違うにもかかわらず積極的に誘っていただいた事にうれしい思いをした思い出もあります。残念ながら高校以降、近況聞くことはありましたが没交渉となり、どうしていたかと思う中で悲報を聞きました。 早いお別れになったことが非常に残念です。 このブログで中々扱えませんでしたが、年末にかけて一関でお世話になった方が相次いでなくなるという話が飛び込んで来ました。一人は長く病気をもっていての末、もう一人は急性的になくなられたとの事です。 春というのは、別れと出会いの季節となります。 まだ次がある出会いというのならいいのでしょうが、人の死というのは「永遠の別れ」です。次のない別れほどつらいものはありません。 この年になるとそういう別れというのも出て来ます。 去年は自分自身がそうなる所だったので人の事言えた義理ではないけども、生きている限りは精一杯で生きていきたいものですし、不条理な別れを生まないように体に気をつけていかなきゃな、と思う次第です。 今回の記事制作はここまでにしますが、4月中には一度、集団投稿ができればとは考えています。最近心の余裕を失っているので、その部分が相次ぐミスを生んでいるので、その部分気をつけて、物事にあたります。 では、拙いものですが拙稿どうぞご覧ください。 加えて…今日から新年度。新たな気分でがんばって生きていきまっしょい。
2010年03月31日
コメント(0)
3月27日。本当に唐突ではありましたが、わたしはある行動に参加していました。 「日本共産党かえるネット・青年キャラバン」 その行事がある事を知らされたのは前々日の寄り合いの事でした。 心筋梗塞を起こして以来、“身内”の集まり、あるいは裏方作業などには加わる事はできていたものの、こういう「人との関わりを持つイベント」に関しては今まで参加することができずにいました。 それでも最近になってようやく就職に対する意欲が出るとともに、こういう「人との関わりを持つイベント」に対しての参加意欲も出るようになりました。 そんな中で話されたこの「キャラバン」に、正直言えば瞬間的に反応しました。 「就職の面接次第だけど参加する」と。 翌日。めでたく(自虐)6度目の“敗戦”を迎えた私は次の日のキャラバン参加を決めました…が、服がロクにないので、何とかまともに着られそうな服を用意しましたが、それでもまだそういう場に着て行けるような状態ではありません。なので、あわてて母と2人がかりでアイロンをジュージューかけて、ようやく人並みの状態にしてキャラバン当日を迎えました。 で、当日。 この日は早朝に東芝工場前での宣伝もありましたが、私は10時からの北上市・アメリカンウェーブ前の宣伝から合流しました。盛岡からも中軸的メンバー2人もやって来て、緑と黄色で彩られた宣伝カーにはK君、K君、Kさん(イニシャル同じだというツッコミは受け付けません-苦笑-)に“KETUATU-血圧-に不安を持つ伊東”、略してKが(それはイニシャルではない)乗り込み、キャラバン327(勝手に名前つけんな)はスタートしました。◇朝10時 アメリカンウェーブ前。 ・司会 K君 ・弁士 K君、伊東。 ・応援弁士 鈴木健二郎北上市議。 まだ開店直前、という事もあって車の中で開店を待っている方々を前に宣伝をスタートしました。後で詳しく述べますが、ある程度頭の中で言う事はまとめて来たのですが、やはりマイク持って舞台の上に立つと緊張するものでして。ま、よく語れたものだと。 聞いていただいている方は多くいましたが、敷地内に入ることはできなかったので多くの会話にできなかったのが残念でした。◇11時 江刺・サンエイスーパー前 ・司会 Kさん ・弁士 K君、伊東。 移動途中のアナウンスをK君、Kさん、伊東で交代しながら行いました。原稿を勝手に変えてアドリブで語るバカ(伊東)一名。和気あいあいと語りながら着いた江刺は…雪が降りはじめていました。地元の方いわく「今日のサンエイは週末にかけての安売りで、いつも結構客来るんだ」と。やはり郊外型ストアの宿命?か、敷地に入れない、移動は車が多いで中々接触の機会は多くできないのばかり残念ですが、店外販売で待っていたお客さんが最後まで話を聞いていただいていた様子がうれしく思いました。◇11時半過ぎ 水沢・コープ前 ・司会 K君 ・弁士 若い人大集合、伊東。 ・応援弁士 千田みつ子奥州市議。 10時頃の晴天はどこへ行ったやら、この時間あたりは雪が降るどころか風まで激しく吹き荒れて来まして。この荒天で高速道路が閉鎖されたほどでした。そんな中荒天をものともせず舞台に若人3人に伊東、千田さんに司会のK君と6人乗りました。この場は5人のリレートーク。就職難の事、平和の事、地元での暮らしで気にかかった事、農業のことなどの思いを語らせていただきました。結構若い子、若すぎる子達の反応がよかったです。◇13時半ころ 水沢・アテルイ前 ・司会 Kさん ・弁士 若人2人、伊東。 ・応援弁士 千田みつ子奥州市議。 昼食を挟んで、天気がよくなるかな、と思いましたが全然天気は回復せず、雨に近い雪が降る中での宣伝となりました。アテルイは街中の中軸的店舗。春休みともあいまって、若い人も結構歩いていた様子がありました。 この場所では帯同がここで最後になる2人と私が弁士となりました。2人とも「あまりしゃべりうまくないですよ」とは言ってましたが自分の思いを素直に出せていたのだからそれで二十分。いろいろ考え過ぎて話がゴッチャになった私が見習うことは多いです。中部地域での活動はここで終了。ここまで帯同していたたいたメンバーに感謝しつつ、引き継ぎの一関に移動し始めました。◇15時ころ 一関・コープ前 ・司会K君 ・弁士 伊東 ・応援弁士 高田一郎さん。◇16時ころ 一関・関が丘団地 ・司会K君 ・弁士 若人1人 伊東 ・応援弁士 高田一郎さん。◇16時半ころ 一関・中田団地 ・司会Kさん ・弁士 伊東 ・応援弁士 高田一郎さん。◇17時ころ 一関・サティ前 ・司会Kさん ・弁士 若人1人 伊東 ・応援弁士 高田一郎さん。 一緒に歩いてくれた仲間との別れを乗り越え(言う事大袈裟なんだよ)約40分かけて一関に到着しましたが、ここで予想外の事態が。私と交代で入るメンバーが来られないと。なので腹くくって「よし、最後まで」という事で帯同しました。 一関の新幹線の東側にある、複数の店舗が集まる郊外型のショッピング街で1カ所、住宅街で2カ所、最後は夕方のお買い物で賑わうショッピングセンターで宣伝をしました。 一関に入ってからは天気も好転し、宣伝に道路際に出て来て、話を聞いていただいている方も多くありました。天気がよくなったとは言え、気温は低い状況の中10何分もの話を聞いていただいたことに深く感謝します。 よくよく考えると、一日4時間も5時間も緊張状態の中活動するのも久しぶりで、最後の方は何とか気持ちだけで持たせたのですが、結果から言えば他のメンバーにフォロー入れられていたのが実際でした。いやはや。 それでも何とか完走し、お世話になった2人のスタッフとはここでお別れ。地元メンバーも電車でそれぞれ帰宅の徒につきました。 結果から言うと、私は全箇所で弁士を務めることとなりました。 アンケート持って個人と対話する、という事がまだ不得手な事もありましたが、それでも「自分が何で共産党応援するか」という思いを、聞いた人が自分の身にも染みるような事を言わなきゃな、という思いで、足りない頭で言葉えらびながら語らせていただきました。話していて混線したりして、後の弁士、又は司会のメンバーにフォローしてもらう、という場面多々ありましたが、それでも一つのイベントを完走できたというのは、「失っていた自信を回復」するものになりました。 今回のイベントには、多くの若い「共産党強くすることによって、世の中変えたい」という同じ思いを持った人が多く集まって活動しました。その中では年齢だけは一番上ですが、足りないところが多い点でも一番上の私にとって、彼ら、彼女らと一緒に行動できたことが一番貴いものでありました。 私が抜けた班でも、残ったメンバーが頑張って、新しいメンバーも加えて積極的に活動している話も聞きます。まだ“国をとる”には少ないメンバーですが、それでも「世の中変えんべ」というメンバーが多くつながり始めているのがうれしい限りです。 最後に。 これは同じ岩手のメンバーの受け売りで、それに自分なりのアレンジを加えましたが「ただ単にある特定の個人を、共産党を勝たせたいというだけでない。世の中を“労働者や生活者など、活きている人のため”の社会に変えるために歩き続ける。その旗手としての共産党を伸ばす」ために、これからもどういう役割であれ道歩かせていただきます。 今回一緒に行動していただいたすべてのメンバーの皆さん。 つたない私の話を聞いていただいたすべての皆さん。 大変お世話になりました。
2010年03月31日
コメント(0)
昨日は一つ、嬉しい事がありました。 仕事が休みの日にビラを配布していた堀越明男さんが「国家公務員法違反」に問われ、一審では「執行猶予つきも罰金10万円」とされた控訴審判決が東京高裁で行われ、無罪を言い渡されました。2010年3月30日(火)「しんぶん赤旗」ビラ配布 逆転無罪 勤務外活動 処罰は違憲公務員の政治活動禁止「広すぎる」 堀越事件で東京高裁 私はブログを開設して以来、「ある勢力だけ権利が認められない」という不平等・不条理に対しては、厳しい態度をとって来ました。 2001年の小泉政権が発足後、「イラクに対する戦争への協力」が推し進められました。しかし、イラクに爆弾たたき込む事が、アメリカで起きたテロを解決する手段ではないのでは、という疑問はつきまとっていました。 そういう反対意見を抱えたまま「“反テロ”への協力」に突っ走った小泉政権。当然、その反対派に対しては煩わしい、と思ったのでしょう。さまざまな事由つけての“弾圧”が行われました。 移住地域を幅広く解釈して、ポストにビラを投げ込むだけで「不法侵入」と逮捕。公務員が以後との休みの日に、仕事と関係ないプライベートな時間でビラをまいただけで「国家公務員法違反」と逮捕。屋外での宣伝もさまざまな理由くっつけられて「宣伝をし続けたら逮捕する」という圧力をかけられた事も一度や二度ではありません。 さらに加えれば、実態はこういう弾圧を「いや、宣伝する側の方が不法行為をしていたんだ」という理屈で押し通し、幅広く宣伝する、物事を伝えるという行為を狭くさせてしまった事が「強者が発信する限られた強い宣伝手段を用いて思いどおりの状態を作り上げる」一方で「強者でないものが手軽な手段で物事を問う事を制限する」状態を生み出しました。 裁判ではこれら一連の「ビラ配布」の行為に対して「表現の自由は認める」が「配布方法は間違いだ」とか「公務員が政治活動をする事は違法だ」という認識で有罪を突き付けられました。確かに一見「“居住地域”に入り込む事すればダメだろう」「公平であるべき公務員がその立場逸脱してはダメだろう」という理屈が成り立ちます。 しかし、それは違うだろうと言うのは、いつも声高に上記のような言い分を聞くにつれて思うことです。 「住居侵入」…ですか。確かに、家の中に入って「俺たちゃ共産党だ、このビラ読め!」なんてやれば、それはもちろん逮捕されてもいいでしょう。でも、これらの事件で対象になった「住居侵入」なるものは、居住地の廊下とか、集団郵便ポストを入れる場所にまで「不法侵入」の対象かぶせていい場所なのでしょうか。 「公務員の政治活動」。公務員の中立性、と言うのは確かに考えられなければならないものではありますが、それはあくまでも『一公務員として、その職務に臨むにあたって』考えられるべきものではないでしょうか。そりゃ「赤旗取らなければまともな年金業務しないぞ」なんてやれば批判されて当然ですが、仕事を離れて、一人間として、業務をカサにきてする訳でもない行動に関しては、批判される覚えはないのでは。 一部マスコミでは「共産党であること自体が業務に障る」事におわせた様な書き方をした所(※1)もありましたが、それはどの仕事取っても、共産党であろうが自民党であろうが、公明党であろうがそれぞれの業務はそれぞれ真面目に行う事は当然の話であって、どの党に入っているからこの仕事ダメだ(ま、共産党員が自民党勤務員になることはあり得ませんがそういう類のぞけば)なんてのは言うべきじゃありません。※1 とは言え、いつもの書き方に比べれば抑制的ではありましたが。↑打ち消し線引いた根拠は最後に。 先に、チラシの各個配布を不法侵入とされ、最高裁で有罪が確定されてしまった「荒川庸生さん弾圧事件」の後で、どういう採決がなされるか、気にかかった所ですが、先進各国と比べての日本の「政治的自由」の立ち遅れを指摘した運動が実っての今回の結果となった事にうれしいものはありましたが、一つだけ、この裁判で不満に思うものがありました。 それは堀越さんを有罪にせんとした公安警察の行動に関してです。 堀越さんの行動を逐一監視する。居酒屋での語らいや、演劇鑑賞などプライベートな時間にも尾行し、カメラにおさめる。こうして取ったテープは33本に及ぶとか。 やること他にありません? 堀越さんは裁判の後に「裁かれるのは私ではなく公安警察です」と語りました。 どこそこが相手だからそれをやっていい、なんては思わない事です。 私がブログで「宣伝に対しての弾圧」を厳しく問い続けて6年、やっと高裁段階で無罪という記事を書くことができました。 それは、政府や一部論壇が一体となって、アメリカでの“9.11”テロからはじまった『問題の解決には役に立たない報復戦争』に異議を申し立てた勢力に対して冷たい視線を浴びせて来ました。そのためにさまざまな理由くっつけての「犯罪行為」をでっちあげて。 「一時の熱狂的な暴風」が過ぎ去り、素に戻った時に「この行動はしてはわんないものだった」という思いをすることは多々あります。今回の「チラシを配布しただけで罪人」というのも、それにあたるのではないでしょうか。 最後に。言論の自由ってのは、ただ単に言うのが自由というだけでなく、伝える手段も確保されてこそそれが保証されるものです。その中でチラシという形態は、一番手軽にできるもの。誰もがマスコミで情報を発信できるわけでももなく、かといってコンピューター・インターネットに関してもまだ全国民がそれを使える、というわけではありません。それを考えれば、今でもチラシが、配布手段さえ確保できれば確実に幅広く情報を伝えられる手段として重要なもの。 その反面、紙を使うもので資源に関して優しいかどうか、と言うのは問われるものだとは思いますが、それに関しては再生紙等手段はあるでしょう。 「ある手段が有効」だからと「それ以外の手段」を排除することは、結果として「情報を伝える手段(=言論の自由)を狭めるもの」だ、という事をご理解いただければ、と思います。 今回は無罪勝ち取りましたが、それに対する“反撃”も当然行われることでしょう。それでも人権を維持・発展させるのは『憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない』(※2)のです。そのことを心して、これからの問題に当たれれば、と考えます。※2 日本国憲法第12条。※1の補足。 31日にこの事件を扱ったウェブ記事を見て回っていたら、次の記事に突き当たりました。【主張】公務員の赤旗配布 適正さ欠く逆転無罪判決 - MSN産経ニュース3月30日配信 この部分に関しては、拙稿の中でも『公務員の中立性、と言うのは確かに考えられなければならないものではありますが、それはあくまでも『一公務員として、その職務に臨むにあたって』考えられるべきもの』ではないか、という形で、この手の話には?マークつけています。それでは、公務員の方々は、すべからく現政権を支持しなければならないのでしょうか。それは違うでしょう。 仕事は仕事、プライベートはプライベート。 それで考えないと、行き着く先は「無条件の“国家への屈服”」ではないでしょうか。チト言葉が大げさかもしれませんが。 この問題の扱い方に不安を持っていた2紙が、予想通りの行動(無視する読売、正当化する産経)を示したことに、残念な思いでいます。
2010年03月31日
コメント(2)
今晩は伊東です。 金曜、土曜と立て続けに用事ありまして。 まずは金曜日。めでたく(自虐)就職活動6連敗。 土曜日。久しぶりに「舞台」に立ちました。 その事を一時間でまとめきれるかどうかわかりませんが、記していく事にします。 ああ、アドレナリン出っぱなしで寝られん。 疲れているのに。 こればんですみません、失礼します。【28日追記】 いつも使っている場所が31日まで休業! 少し時間開きますが勘弁してください。
2010年03月27日
コメント(0)
名古屋市議会。 昨日夜遅くにまで及んだ「定数半減、報酬半減」の「議会“改革”案」審議と採決。結果から言えば、圧倒的多数で否決という事に相成りましたが、ま、ものすごい、ものすごい。何なのでしょうね。この書かれ様。議員定数・報酬半減案を否決=減税も1年限定に-名古屋市議会(時事通信)のコメント一覧-Yahoo!ニュース 書かれ様は書かれ様でいいのですが、それにしても…。 プロレスでもリンピオと呼ばれる“善玉レスラー”の活躍が一番の見所だといわれますが、その前に“悪玉レスラー”の蹂躙が、観客の“不満”をより高めるんですね。そうしてたまった“不満”を、リンピオの活躍で晴らす。 ほんだども、これを政治の場に持ってこられては、如何しようもありません。 ある立場にいる人間を“悪玉”だと追い込めば、それに対しては何言ってもいいと勘違いしている人、多くないですか。 確かに、議会にいる人たちは、有権者の一票で選ばれ、公費でその活動と生活を保障されている公人ではありますが、その人たちが相手であろうと、言っていい言葉とそうでない言葉の区別ぐらいはつくはずです。 議員定数見てみると、昔は1万人そこらの人口の自治体でも定数30なんて自治体ザラにありましたよ。人口4、5万人いれば定数36とか。市であれば30以上というのが当たり前でした。それが自治体合併、合理化などが進み、大分その数は減ったはずです。岩手県の、今年行われる市部(一関、奥州、宮古、八幡平、花巻)の選挙が行われる自治体だけでも582あった議員定数が154にまで減っているのですが、それでも今ある現状とどうしても比べてしまうものなんですね。 最近、ここの制作すっ飛ばして、何で私がずっと河村氏の策動から議員定数の事に関して言い続けているか、というと、今の政治が「多数主義」(造語)になりつつある、と思うんです。 確かに、最終的に多数決とって多数派の意見が採用される、というのが民主主義の決め方なのですが、その課程には、その地域を構成する多々多彩な立場の人たちの置かれた状況、あるいはその法律案に対するスタンスというのはくむ必要があるんです。 だども、小選挙区制度が広く浸透するようになってからは「勝つか負けるか」の勝負だけになってしまい、違う立場の意見を斟酌する余裕が強者の側になくなったように思います。 で、去年夏の総選挙の名古屋市での得票数です。 ・民主 約188万票 ・自民 約96万票 ・公明 約42万票 ・共産 約25万票 ・みんな 約18万票 ・社民 約13万票 …後は国民が約6万。新党日本が約4万、幸福が約3万ですか。で、これに「河村市長派」とも言われる約50万(他党派に投票した人とも絡むと思われますが、ここでは別勘定)足して考えてみると…。定数36の議会では大体以下の通りの勢力図になります。 ・民主 16議席 ・自民 8議席 ・河村派4議席 ・公明 3議席 ・共産 2議席 ・みんな1議席 ・社民 1議席 計算してみたらどこかで数字合わなくなってしまったので、ま、大体の図式というところでご勘弁ください。ただ、これは09年総選挙の票をそのまま全36議席比例配分?した結果出た数字でして、実際はここに選挙区が入りますから、民主、自民、今の“人気”が反映すれば河村派が余計に議席を得、共産、みんな、社民は議席を獲得することが難しい状態になります。 事実、今提案されている半減案の定数で、2007年の市議選得票数で選挙たたかったとしたら、共産党は全滅。社民党もかろうじて1人立候補し、当選していましたが、こちらも当選は無理。「無理無理言わないでそういう場でも当選できるように~」という言葉も聞こえてきそうですが、そういう風にたたかってきたとしても、何回たたかってもムリ、となると、一般的にはたたかう気力をなくしてしまいます。そうして、ひとつの意見を発するという行為そのものができなくなってしまうのです。 で、これが何生むかというと…議会の中にその意見を語れる人がいないと、その意見ってのは軽く見られるんですね。愛知県の議会、共産党は残念ながら議員を持っていません。今までなら共産党の議員通じて議会に問題点を提起し、法律案の審議に最低でもその意見をぶつける事が出来たのですが、議員が出せなくなってしまい、やむを得ず他党派の議員に話を持っていっても「そんなのしらねえ」でハイおしまい(※)です。※参考・2007年第56号 愛知県の政治の状況/たたかう人の姿勢~こういう省み方をしていました/論戦再開。まずやる事は…。 の文中内で、愛知県委員会の報告を紹介しています。 03年5月臨時議会~06年2月議会、知事提出議案643件のうち、641件が全員一致で成立しました。とくに予算案は、その中に生活予算の削減や県民増税が含まれていても、すべて全員一致で決定されました。 日本共産党県議団が存在した99年から02年の4年間には請願件数は247件ありました。しかし、党議員団が不在となった3年半はわずか21件(06年9月議会まで)に減りました。県議会与党が、社会保障改悪・庶民増税路線の変更や、福祉、医療、介護の充実を求める請願の紹介を拒否したので、請願件数は激減しました。 自分がいる所だから共産党を例に出していますが、一定程度の力を持つを持つ共産党が発言権を議会に出せないとなると、それより力のない勢力も議会に発言権、審議権を出せない事になります。生き残りのうまい所は、大きいところと力をあわせて発言権は残すのでしょうが、大方はその力を大きい所に吸い込まれるのがオチです。 “リーダーシップ”を持ち“改革派”を僭称している人たちにとって、議会というのもわずわらしい存在でしょう。何分、自分の思い通りにはならないから。 しかし、世の中ってのは全てが「自分の思い通りにはならない」ものではないですか。その中でどうやって「最大公約数」作るかってのが議会だけでなく、生きている人に問われている事です。自分自身の生きる目的もありますが。 本当にしつこいぐらい私がこの件に関して語り続けているのは、これが共産党だ社民党だ、民主、自民だ、の問題ではなく、勢いに任せて「リーダー」の思惑だけで暴走する事態に関して、そこに色々な立場の想いを乗せなくてもいいのか、という疑問を感じ「このままでは『時勢の波に乗れない---は---しまえ』という社会が来てしまう」という危機感を持った上で、この半減問題を見ている所です。 さて、えらそな事ルル語ってはきましたが、目下就職活動5連敗中の自分。今週は場所はまだ未定ですが、1ヶ所の面接は受ける予定でいます。生きていくのに必死なのは誰でもだけど、その糧を「八つ当たりに求めるのはいかがか」というのも、ずっとこのブログで言い続けてきたことです。 明日以降、今月中は記事かけるかどうか不安定になりましたが、せいぜいしぶとく生きていくことにします。今日も拙文、お読みいただきありがとうございました。
2010年03月25日
コメント(0)
まずは選抜高校野球大会から。 東北地区代表として選抜されていた盛岡大附属高校は、前年に花巻東を破り、全国を制していたメンバーも何人か残っている中京大中京高校と対戦。終始食らいついていたようですが、文字通りあと一歩及ばず4-5で敗退しました。 盛岡大附属というと、私の印象としては「普段はスキのない野球で強さを見せるが、いざ甲子園という場所では実力を発揮しきれていない」という印象があるチーム。完成度の高さが、イコールとして高校生が持つ爆発的な成長力と結びつかない事に残念な思いしながら見ていたこのチームでしたが、一つの結果は出たことであとをどういう風につなげるか。 メンバー個々を見ると、カープに行った伊東昴大投手や熊谷童夢選手、金沢投手など粒ぞろいだった前年チームに比べると、劣る部分もあります(この年代での試合は圧倒的な差がついていたという)が、その悔しさをバネとして、今のチームが持てる力を出した結果が、この接戦につながったものと思います。 これからの精進に期待。関口君には、その導き手として頑張っていただければ、と思います。 さて、繰り返ししつこく取り上げている「名古屋での河村市政」。 いつも通り、同じ問題を取り上げている人がどの位いるか、あるいはどういう意見が多くをしめているかを確認するために、ヤフーの『ブログサーチ』のお世話になりましたが、積極的・消極的問わず賛同する人が圧倒的に多く、これだけしつこく「違うのではないか」と言い続けているのは、共産党名古屋市議団や、一部名古屋市議除けば、私ぐらいのものでした。 どうにも「無駄を無くせ」というのが、マジックワードとなりつつある世の中で、この名古屋での事態を受けて他の自治体でも「議会を半減しろ」と言い出す所もでてきました。尾張旭市では一市民の陳情として「定数24から12に」という案も出されています。 これだけ強く「議員の人数減らせ、歳費減らせ、権限減らせ」とやられると、何か引っかかるものも多くありまして。日本の議会は二元代表制で、首長はその場での民意を『集約』した形で表れるものですが、その市長をはじめとした行政が出す案を、幅広い民意を受けた議会が審議し、その結果出された案が市民を拘束するというのが、法の流れなはずですが、どうにも一部の目立つ首長の影響か『パワーのある首長の行動を、“既得権益”のある議会が邪魔している』という図式が書かれてしまっているのも、やはり引っかかります。 共産党名古屋市議団HPによれば今日にも採決、状況によっては再議権の行使もありうるという話。さらには議会解散や住民投票で押し通す様相も見せています。 一つの方向が強力におされている現状の中、その中で見えてきた“疑問”は見逃さずに問題に相対して行く事にします。 という事で、今日も2題お送りしてきました。 そろそろ就職活動も5連敗で止めたいな、と思いますが、道中々険し、という所で。 そんでも「生きることに対してのしつこさ」だけは私の武器なので、それだけ発揮して生きて行く事にしますか。 今日も拙文お読みいただきまして、ありがとうございました。 コメント欄は開放していますのでお気軽に。 (上手く返せるかはともかくとして。)
2010年03月24日
コメント(0)
こんにちは。伊東です。 今日は家族と水沢に行きまして、いろいろリラックマ、じゃなくリラックスしてきた所です。祖母もまずまず元気でいるので一安心。あと、北上に行って以来没交渉だった方とも会えた事ばかりホッとしています。 さて、今日の記事本題。 ここ数日「名古屋市の議員定数半減案」を取り上げてきましたが、この議会、あるいは『自治体の意思決定機関のあり方』に関して、気になる記事がありました。五木村議会・能力給導入可決 全国初の試み注目 なお課題残る / 西日本新聞 福島県矢祭町の日当制といい、各地で様々な取り組みがなされている状況はうかがえますが、正直、効果という面においてはどうかと首をひねる思いでいます。 第三者機関を…といいますが、彼らがどういう基準で議員の仕事を図るのか。あるいは執行部の進める事に賛同する議員は好評価で、そうでない議員に対しては低評価、なんて事になったら目もあてられません。 そもそも同じ報酬にしているのは「市町村政に対しての平等な責任」があるから、ではないでしょうか。その評価は、選挙で行われればいいことだと考えますが。 最近、一部首長の“強力なリーダーシップ”を目の当たりにして「今の現状を変えるには強力な力が必要だ」と考える人が多くなっているように思えます。それが、一部首長に対しての熱烈な支持にもつながっているし、それに対しての「リーダーシップを発揮する首長を邪魔する機関」として、議会に対して冷たい視線があびせられている現状もあります。 さらに、ここ数年強まっている「空気」として…少人数選挙区での選挙が多くなってきたせいか「その時々で一番多数派の意見をより強くする」こと、そして「多数派でなく、実行がすぐには難しい意見は、その立法府(議会)の議論の上にものせない」事が正当化されつつある雰囲気も感じます。 ま、たしかに。多数派は多数派なのでしょうが、議会で決める事は全構成員を拘束するわけでして。それ考えたら「議会で決める事」の現場には、より多くの意見がその場所(議会)に集う事が必要ではないかと。そうして、それぞれの立場、意見などを考慮に入れた上で物事決めるのが本当の議会なはずですが、それをすることは非常に手間がかかるのも事実。 強力なリーダーシップを武器とする人にとって、邪魔なのは『それを邪魔する人』…まんまでしたね。そういう存在が、例え少数いても目障りに思うものです。大体の「リーダーシップ強力形首長」と、共産党との間で大荒れになった事は幾度もあった事は一つの証明でしょうか。 “リーダーシップ”に対して、議会が対等の立場で無くしたら、あるいは“反対派”がその足場すらも立てないような機関にされてしまったら。議会という機関を置いてでも、その機能を事実上停止する事(翼賛議会化)もできるのです。 議会、首長ともに選挙で選ぶ「二元代表制度」にしているのは、そういうお互いの“暴走”を防ぐ安全装置ではないかと思いますが、いかがでしょうか。 この問題は、しばらく取り上げつづける事にします。 何故かといえば、自分の信条でもある『多数派ならば何をしてもいい空気への抵抗』もありまして。しばらくは、諸々の法律案や現象ではなく、この問題点に関して掘り下げていく予定でいます。 今日も拙文お読みいただきありがとうございました。
2010年03月21日
コメント(0)
どうにもこの3、4日調子がおかしかったけど、何とかそれも通過し、通常の生活に戻っています。ここで記事書いた後は、家帰って休んどくとしますか。 今月はじめに医者行ったときに貰った薬が3週間分しかなくて、このままだと去年のようにエライ目(心筋梗塞の原因の一つが、血圧の薬をきちんと飲まなかったから。当時担当されていた前吉浜診療所のK先生、すみません)にあうので、兄に頭下げて医者代と移動費をもらい、急遽大船渡に行ってきました。また、命日の当日に手を合わせられない分、叔父に手を合わせても来ました。 どうにも「一人にしてくれ」状態がひどかったけど、何とかそれも過ぎて、今は割合気軽な状態でいます。その代わりに、花粉+黄砂がひどくて難儀していますが。 ただ、一昨日ものすごい天気が良かったのですが、そのときに奇妙な現象が起きまして。 普段は遠くにある焼石連峰の山々が、やけに大きく見えたんですね。 普段はもっと遠く見えるはずなのに、この日に限ってやけに近くに見えましたが…こういう現象ってなんと言うのでしょうか?教えていただければ幸いです。 プロ野球もいよいよ開幕。 イーグルスはってというと、3時15分現在で5回裏、0-1とリード許しています。あぴゃー。中村紀洋選手がレギュラー取り返したようですね。バファローズ見てみると、トレードで加入した赤田選手がスタメンですか。元々は小瀬さんが目指した場所であったのでしょうが、急逝でそれが果たせず、赤田選手のトレードの原因にもなりました。何にしても、どういう絵を書くか。楽しみに見ていくとしましょう。 今日も拙稿お読みいただきありがとうございました。
2010年03月20日
コメント(0)
ここ数日来、記事にしている「名古屋市議会の議員定数半減」の問題に関して、共産党の愛知県委員会が出したアピールと、名古屋市議団が何を問題点にしているかを示したページをそれぞれ紹介します。2010年3月19日(金)「しんぶん赤旗」 憲法にそむく「名古屋市議半減」に反対し、民主主義を守りましょう 日本共産党愛知県委員会日本共産党名古屋市議団 - 市政情報3023月9日 本会議・個人質議 田口一登議員議員定数半減(75→38)の3つの問題を質す「死票」「指定席増加」「1票の格差拡大」 さらに、市民有志によるアピールが、愛知労連のブログに記載されていたので、そちらもあわせて紹介します。2010年1月16日 「議員定数半減に反対」アピール-愛労連(ブログ) 拙稿でも度々触れてきましたが、河村市長のしようとしている事は「余計な特権持ってる議員を減らして節約できる。ああよかった」で済まされるようなものではありません。庶民の味方装って、実は市井向けの施策を削ってでも「『お金を落としてくれる人』に尽くす」政治をしようとしているだけです。そこの所厳しく見ないと、最悪のパターンとしては「河村市長と、与党の力の巨大化」と「それに対する“チェック能力”の大激減」を生んでしまいます。ぜひ一つ、考えていただきたい事です。・拙稿での関連記事 五十七の巻 (15日2時更新)奥州市議選挙結果。/この数字が何を示す。 五十五の巻 『立場弱い人には“居場所”も作らない。ただ虐げられればいい』ってか。 ぶり返しに関してですが…。 前回、大船渡行った時の行動で一つだけ引っかかった、てな事がありましたが、それがちと尾を引いています。結果、今週に予定していた一つの面接を中断し、病院に。 党活動で一つ復帰できた“仕事”もあり、外に出る部分では何とかカンとかできるようになりましたが、それにしても…厄介ですわ。今の私の状態は。ちょこっとした事ですぐブルーになる。いい時は、外の場所に顔出すこともできるけど、そうでなければ「一人にしてくれ」状態に。辛い。何とか来週までには一つどうにか、とは思っています。 最後に。水沢駒形倶楽部がホームページ作っていました(気付くの遅い)。 さらに。駒形に在籍していた大谷龍太君が、四国・九州独立リーグのプロ選手になっていました! 一気に2つ、びっくりしましたね。 選手の動向がどうなるか、大谷君以外は全く知らない岩手県社会人野球界ですが、4月、5月になれば、いつも通り見えてくるはずです。多くの人の『社会人野球参戦』待ってます! 今日は3つばかりの題目でお送りしました。 拙稿お読みいただき、ありがとうございました。
2010年03月19日
コメント(0)
こんばんは。伊東です。 14日に投開票が行われた奥州市議会議員選挙ですが、日本共産党は5人を擁立してたたかいましたが、1人が残念ながら及ばず、4人の当選という結果となりました。◇岩手県奥州市34-7減-36 及川善男さん 2820票 3位当選 千田みつ子さん2635票 6位当選 菅原明さん 2212票 16位当選 今野裕文さん 1987票 25位当選 千葉敦さん(新)1482票 35位落選 前回は旧自治体ごとの小選挙区。立候補6人、当選者5人で1万84票(得票11.93%)。今回は全市一区の大選挙区となり、前回より1052票伸ばし1万1136票(得票13.84%)獲得しましたが、千葉さんがあと61票足りず、1議席の後退という結果となりました。 11時半過ぎには、33人目までの当確が出ていましたが、最後の最後の1議席が混戦となりました。私も用事を終えた後に水沢の事務所に入りましたが、そこから約1時間半、最終の結果が出るまで待ちましたが『わずか60票で届かず』の結果を知り、今記事を書いているところです。 色々思う事は、後程書かせていただきますが、昼間に出した「なぞかけ」。 最近、名古屋市長・河村たかし氏が「議会半減」を叫んでいますか、遠い昔から見てみた場合、こういう定数の変動があった、ということばかりは示させていただきます。なお、数字は私が持っている資料の中で最大値の数字で書いていることをお断りします。・奥州市 旧水沢市30 旧江刺市24 旧胆沢町22 旧衣川村18 旧前沢町22 最大定数116→現行定数34・花巻市 旧花巻市36 旧東和町26 旧大迫町26 旧石鳥谷町26 最大114→現行34・八幡平市 旧西根町26 旧安代町22 旧松尾村26 最大74→現行26、次期24・宮古市 旧宮古市36 旧田老町22 旧新里村18 旧川井村26 最大102→現行40(川井村の10人含む)、次期28・一関市 旧一関市36 旧花泉町26 旧大東町26 旧東山町22 旧千厩町26 旧川崎村18 旧室根村22 最大176→現行34 今、各地で「議員定数が多すぎる」という声があり、調べてみたら、すでに多くの自治体で議員定数を減らし、さらに自治体合併で大幅に定数は減っています。上記記事では大規模な合併の地域を挙げ、表に示しましたが、これでもまだ「多すぎる、少ない」なのでしょうか。 議会の役割のとらえ方が違う地域(大方がアメリカ)の例を持ってきて「日本はそれに比べたら多い」という声が多くあります。議会の在り様や、報酬などに関しては考える余地はありますが、少なくとも1.複雑多岐にわたる数々のルールや予算審議、あるいは市制に関わる行動に対してじっくり取り組める体制であること。2.一定程度幅広い意見を、ルールや予算の使い方を決める際に取り入れられるような体制を作ること。3.それらを決める時に、行政、あるいは首長と対等な権限を持つ人(この場合議員)であること。 これらは必要ではないでしょうか。前の記事に「ボランティア」に関してるる語りましたが「人のために行動する事」は大事だども、その行動が実を結べる体制になっているかどうかは見ておかないと「意見を聞き置く」事につながったり、「首長(多数派)の暴走を止められない」という事につながったりする危険性もあるわけです。 しつこいようでなんですが、先に赤字で書いた「定数の変異」。どういうふうにとらえるかはお任せしますが、少なくとも幅広い声を集めるチャンネルは減っているな、と見ました。 合併して、3つから7つの自治体が合併したところで“広い守備範囲の中でする仕事は同じ”事には変わりありません。現に08年の地震でも、奥州市の被害状況を把握するのにだいぶ手間取ったという話を聞きます。これから合併による「負の側面」も多く出てきます。その部分気を付けてみていきたいものです。 という事で、奥州市の選挙と、議員定数の話で話を進めてきました。 最近、記事を書くのに苦痛覚える事も多々あり、制作が思うように進まないのが現状ですが、それでもモノを書くのはやめられないのも私の性格です。 最近、野球で昔の試合を振り返るシリーズを書いていますが、今度はこっちの方(政治・生活)でも一定の方向性定めたシリーズ記事を作ろうかな、なんて考えています。あんまり形式ばってもどうせ書けないから、気を軽くして(文には責任もって)書いていこうと考えています。たぶん、登場するのは「集団投稿日」になるとは思いますが。 なんにしても、今日も拙文、お読みいただきましてありがとうございました。ご感想はこちらにお願いします。
2010年03月14日
コメント(0)
能田達規さんの作品、サッカー漫画の「ORENGE」。 はるか以前にもこの漫画から記事を作ったときもあるが、今回は別な話から。 応援している横浜FC、第一節に勝ち、第二節の岡山戦も16時20分現在1-0とリードしている、という話ですが、スターティングメンバーが去年と大幅に変わっているんですね。去年のメンバーで今年の2戦、スタメンで入っているのはDFの田中選手とMFの小野選手だけ。去年主軸でたたかった選手の多くが、今年はベンチスタートとなっています。 確かに、前年は15位のチーム。いわば「結果を出せなかった」チーム、選手であり、そこからの脱却図るために「試されずみ」の選手、あるいは昇格争いに加わっていた選手たちを多数獲得した。ホンじゃ、そのメンバーで一年たたかいきれるかといえば、そんなの無理。長いシーズンには何かが起こるもの。 先の「ORENGE」の作品内で、新戦力を中心に躍進しつつあるチームの中で、前年までの主軸選手たちが自分たちの不遇を嘆いているシーンがあった。 「監督は俺たちよりも新メンバーをひいきしている」 「俺たちの存在は一体何なんだ」 と。そこに、自らも正ゴールキーパーを奪われた選手が居合わせた。 「何いってんだ。オレンジがなくなるかどうかって時期にいっていい言葉じゃないだろ」「俺たちが抜けてオレンジが強くなるなら…それでいいじゃないか!」 それでも、一年通じてたたかえば、出場停止やケガなどで選手は欠ける。 事実、そのキーバーは、幾度か変わって入ったキーパーの退場・出場停止などで得た出番には、的確にその期待に応え、チームの昇格の一翼をになった。先のぼやきのミーティングの前までは自らも自分の存在価値に悩み、監督と1対1の面接をするか、という状況であったにもかかわらず。 存在価値。 これをどういう意味でとらえるかは、それぞれの人次第だけど、少なくとも自分自身に対しては存在価値を失わないでほしい。 横浜FCの控えに回ったメンバーも「去年はレギュラーだったのに今年は…」で大変な思いもするのだろうけど、どうかそれを乗り越えてほしい。今のレギュラー越えるベ、という取り組みは、やがて血になるのだから。 しばらくブログボーっとしている間に、社会人野球で一つの取り組みが。 気仙地区3チーム(赤崎、高田、住田)の部長と主将、あるいはそれに順ずるメンバーが集まって、座談会をしていたのを東海新報が報じていました。その様子は岩手県連盟のブログにも記載していますが、私のブログでも後ほど紹介しようと思います。 共産党・政治活動。 明日はいよいよ、奥州市議選・市長選挙の投票日となります。 今回も前線には出はれませんでしたが、それ以外の部分で党活動で一つ復帰できたものもありました。政策チラシを各種読ませていただきましたが、それぞれの自治体で抱えている問題を知る事が出来たので、その解決にどう頑張れるか。億分の一でもそれを支えれれば、と思います。 「労働問題」「核密約」など、政策関係に関しては、一時間の制作時間で書くのが苦痛なので、その“苦痛”が取れてから書きます。核密約に関して、一日か二日で報道が大人しくなったのが不気味ではありますが。 明日は昼に一つ、夜に一つの記事制作になります。 夜に関しては、疲れてくたばっていなければ「結果速報」を入れる予定。 文章レベルが下がっていますが、明日もよかったらお越しください。 今日も拙文お読みいただきありがとうございました。
2010年03月13日
コメント(0)
最近の選挙。国政、都道府県政だけでなく、最近は基礎自治体の選挙でも少人数の選挙区が多くなりまして。「ある程度」の力量をもつだけでは、立法府での意見表明、態度表明すらママならなくなっています。 信金中央金庫 総合研究所の調査-資料はPDF方式になっています。資料14ページです-によると、議員2万3820人、報酬約681億円の削減。このリポートは2006年のものですので、さらに数字は変わると思いますが、どうにも議員定数の問題が『無駄づかい』として扱われている所にどーにも疑問が湧くんですね。 今朝も名古屋市の議員定数半減を語る河村たかし氏がテレビに出演し、怪気炎を上げていましたが、議員の半減『ボランティア化』、無報酬議員とも言うべき『地域委員会』が何を生むのか。ボランティアそのものはいい事ではありますが、その使い方を間違うと「結果ただでこき使われた」という事や「一部の声のでかい人に引きずりまわされる」という事態も生みかねません。 こういう風に言うと「改革に対する抵抗勢力」という言い方されますが、ゴチャゴチャ難しい事語れない今の頭で最大限ひねって言うと「“改革”という名前の暴力で、それについていけない人を苦しめる」やり方が嫌い、という事で、この手のやり方には「?」マークつけさせていただきます。ホントなら議会の意味から話せればいいのですが…。 そうかと思えば、今度は大阪府知事ですか。 asahi.com(朝日新聞社):だめな高校は退場してもらう 橋下知事の改革始動 この記事を知ったのは、非国民通信さんの記事ですが、競争、競争、競争、か。そんなに早く老成したいですか。競争そのものが悪いとは言いませんが、何を身に付けるか、というのが教育では必要なはずですし、まずは「その社会に自らが存在していい」というのが一番ではないでしょうか。 これがどういう意味か言いますと、自分自身の環境ですね。 以前にも書きましたが、私は教室の整備があと一年遅れていれば「あんた学校来なくていいよ」という扱いの人間だったんです。それが私の障害に対応する教室が出来たから、辛うじて小学校への進学が出来た、いわば居場所が出来たわけで、そうでなければ一体どうなっていたんでしょうね。怖くて仕方がありません。 それ考えると橋下氏のいう「競争」についていけた人たちは居場所作れるけど、そうでない人に対しては居場所はないというふうにも読めます。自分自身が努力して、今の地位しめたのはいい事なんでしょうが、相手の状況考えずに押し付けるのは勘弁してくださいよ、といいたくなるし、ましてや居場所を失わせるような行動には、厳しい目でモノ見ていこうと考えています。 話戻って、河村氏のとる「議会半減」という態度も、いわば少なくなった定数の元で生き残れない“意見”は必要ないというふうに取れます。立場が弱い人にはそこから這い上がる足場も、その人が存在する足場も認めない。こういう風な政治が、やがて「立場の弱い人」を人間扱いしなくなる政治をも生みます。少々の金が浮くからと、少々の活力が得られるからと、一定の人間の居場所を失わせていいとは、私は絶対思いません。 そんなの思うくらいなら、共産党やめるし、野球もやめるし、横浜FCのファンもやめる。ついでに自分自身をやめてもいいくらいだ。 なので、この手の意見には徹底的に食らいつかせていただきます。 今日も拙文お読みいただきありがとうございました。※いつもですが今日の分を書くのに貴重な一文を書いていただいた非国民通信管理人さんに、改めてお礼申し上げます。今日の記事の参考になった記事は2点です。ムラ社会化が進むような気がする-非国民通信管理人さんブログ。経営者目線の改革-非国民通信管理人さんブログ。
2010年03月10日
コメント(0)
表題が何を示しているかというと、コメント欄の開放。 一つ書かれた?コメントが掲示板になっていたのが何故か考えてみたら、コメント欄の開放の操作を見事に間違っていたんですね。自分が開放していたと思ったのは「掲示板」の方で、コメント欄は「楽天ユーザー」のみ。あったぁー言いながら、自分の頭拳骨で殴りたいですね。 今度こそ開放しましたが、わけの分からない文字の羅列だけなんてのは来なければいいんですが。自分だけでない、つないでしまった人にも影響しますから。
2010年03月09日
コメント(0)
春になって『スタート』真っ盛り。 先日の記事で『事実上新チーム0』と書いてきましたが、各地で新チーム発足の記事が出ています。 まずは、いつもお世話になっているmomi051さんの記事から4チームが紹介されています。新しいチーム - momi051の野球日記 東京都の『東京スポーツレクリエーション専門学校』。 埼玉県の『川口ゴールデンドリームス』。 愛知県の『ルーキーズ』。 そして三菱重工名古屋が『航空自衛隊小牧』と練習試合をしていたとの話ですが、このチームもJABA加盟申請中だとすると、ここまでで4チーム。さらにニュースになった『警視庁機動隊』や、日産自動車九州チームを母体として結成された『苅田ビクトリーズ』があげられています。 ニュースで多く扱われているルーキーズやビクトリーズはさておきまして、私としては川口ゴールデンドリームスの結成に「おおっ」と思いました。川口市には、かつて『川口球友クラブ』がありましたが、先年解散しまして、川口市に硬式野球チームがない状態になっていましたが、その解消が図られた事で「野球やる道できてよかった」と安堵しているとこです。 岩手ではチーム数変わらず26チームで今年も活動します。 公式戦開始まであと一か月半。 どう腕磨いてるか…その成果楽しみです。 昨日の横浜FC。北九州に2-0で勝ちました。 運良く去年の試合を3か月ばかり見ていましたが、その時よりも「ボールが動いていた」印象を持ちました。ただ、その時見ていた中軸メンバーのほとんどがベンチスタート(カズさんとか、難波選手とか、エデル選手とか、八角選手とか)。ゴールキーパーがシュナイダー潤之介選手だったのには驚きました。(どーした大久保選手?) メンバーががらりと変わったのには…ですが、去年のチームは16位。そのメンバーですからね。そんでも、新しく入ってきた選手と化学反応起して、いい面が目覚めれば、いい形でたたかえるかもしれない。今年は宝くじでも当たらない限り月一でのテレビ観戦が関の山ですが、このチームを熱く見つめていこうと思います。Jリーグ公式記録 横浜FC-ギラヴァンツ北九州 そして、“ゴン”中山雅史選手も初出場。惜しいゴールもあったんですが決めたかったでしょうね。大宮アルディージャは骨肉種で闘病に入る塚本選手を励ます快勝。たたかう人の様々な思いを乗せて、今年もリーグ戦は始まりました。 と、いう所で、今日の記事制作終わらせていただきます。 今日も拙文お読みいただきありがとうございました。
2010年03月08日
コメント(0)
3日にブログを集団投稿してから3日。 この3日間は大船渡に戻って用事を足していました。 今かかっている病気の診察に約一日、三陸の家と、元の車の掃除に約一日。 昔乗っていたワゴンRですが、ようやく状況整い、車を廃車にする事に。 で、来週には車もさようなら、という事で最後の掃除をしました。 2004年7月に新車で買って以来、丁度5年。 約20万キロ、野球の遠征、新聞配達、デート等など、私の生活に欠かせない“相棒”として、運転席だけで約100キログラムの負荷を受けながら、走りきってくれました。 最後はとうとう座席も、足回りもガタガタ、ギアも2、4のギアが入らなくなりました。運転席側のドアは、いわゆるゲリラ豪雨の影響で、穴が開いてしまいました。とにかく、車の持ち主には恵まれない車でしたが、今最後の時を迎えるか、と思うと感慨深いものがあります。 あとの一日を使って、街中に出ての用事と、7月以来しっかりとは会う事ができなかった友人や知人に会ってきました。6月に退院してからは、あわただしく大船渡からいなくなったので、しばらくぶり、と話し込みました。 私の状況は、近い人は知っているのでその部分では「自分の事わかった」上で、色々な諌言聞きました。一般的な35歳から言えばずっと遅れているのが今の私。その部分で自分に自身に対し悔しい思いしてきました。 たまたま会った人がいたのですが、自分が気にしすぎているのか知りませんが、どうにも『蔑視』受けましてね。表面は普通に話していましたが、そういう部分が見え見えで、今の自分では仕方がないけど、面白くはない思いをしてきました。 先にも書きましたが、今の状況『一般的・平均的』な視点から見れば、私は赤点的な存在です。そういう『蔑視』食らった所で、言い返せる立場ではないのは承知ですが、それでもあんまりそういうのを出されると…。 ブログの世界でも、残念ながら一時期とっていた態度や、コメントなどにすぐ対応できないことが原因となって一部ブロガーからは信頼を失っているのが現実。やってしまった事は仕方ないし、その現実踏まえて道歩くのが筋なのでしょうが『蔑視されている現場』を目にすると『………』という思いをするのも事実です。 正直その部分に関してだけは納得がいかないまま、北上に帰る事になります。 帰ったらすぐ就職試験にかかんないば、ね。 今日からJリーグサッカーが開幕しました。 私がJリーグチームで応援する横浜FCは、いよいよ明日ギラヴァンツ北九州と対戦します。丁度CS放送の無料放映日にも重なったので、午前体調よく手伝いに行く事ができたらその後で、それが無理でも…どっちみちですね。テレビの前で張り付いていようと思います。その一方で、東北リーグの兼ね合いもあって、岩手社会人リーグの構成がまだわかりません。 なんにしても、たたかいの舞台に立つ人にはがんばってほしいです。 今日はこればん書かせていただきまして、記事製作終わりにします。
2010年03月06日
コメント(1)
さて。やっと雌伏の時を経まして、集団投稿を実施する事ができました。今回も政治、野球織り混ぜて記事をたくさん(あるいは「性懲りもなく」)作りましたので、いいなと思うものからお読みいただければ、と思います。《社会人野球》四十三の巻 熱き11日間。2003年6月の10試合 パート1四十四の巻 熱き11日間。2003年6月の10試合 パート2四十五の巻 熱き11日間。2003年6月の10試合 パート3四十六の巻 熱き11日間。2003年6月の10試合 パート4《高校野球》四十七の巻 一筋の光を手繰り寄せる頑張り~大農野球部の戦い(3)《共産党・政治活動》四十八の巻 1月の地方議員選挙の結果+東国原知事発言を基にして、共産党の立候補に関しての雑感。四十九の巻 2月の地方議員選挙の結果+身近な政治戦の雑感。五十の巻 小沢氏はじめとした民主党の「お金の問題」に関しての雑感。《まとめ》五十一の巻 3月3日しゅーだんとーこーのはんせーにっき。《小説》船渡人生物語 元気27歳ただ今初夏~レポート1 それは突然やって来た(2)船渡人生物語 元気27歳ただ今初夏~レポート1 それは突然やって来た(3)船渡人生物語 元気27歳ただ今初夏~レポート1 それは突然やって来た(4)船渡人生物語 元気27歳ただ今初夏~レポート2 一年前(1)船渡人生物語 元気27歳ただ今初夏~レポート2 一年前(2)船渡人生物語 元気27歳ただ今初夏~レポート3 救援依頼(1)船渡人生物語 元気27歳ただ今初夏~レポート3 救援依頼(2)船渡人生物語 番外編『裏伊東日記』(2)
2010年03月03日
コメント(0)
思えば、あのときのたたかいは “熾烈”なんて言葉じゃ済まないぐらいの激しいたたかいを展開していた。 ふだんの仕事もキッチリしながらも、10日間で11試合。 企業チームには勝てなかったけど、並み居る強豪クラブチームに勝ち切った経験があったからこそ、より上のたたかいに挑む資格ができたのだと思う。 その10日間を振り返ります。前章・最後の「県クラブ予選」。 今は都市対抗の岩手県予選は一つのトーナメントで行われていますが、2003年までは二つの段階に分かれていまして、企業チームや前年に好成績を残したクラブチームをシードと、その他のチームでまずトーナメントし、4~5チームにしぼり(この部分で『クラブ予選』)、そのチームとシードチームで『県本予選』が行われていました。 企業チームの減少によって2004年から一つのトーナメントとして行われるようになっています。 2003年の『クラブ予選』は、一関地域で行われました。 この年は大体3~4チーム毎に5ブロックに分けて行われ、2試合勝てば本予選に進出できる組み合わせになっていました。赤崎は前年の都市対抗予選はシードで本予選から出場しましたが、緒戦で敗退。この年はクラブ予選からスタートしていました。 5月24日に花泉球場で行われた一回戦。 相手は北上市・黒陵クラブ。大学野球の経験者も多い結成4年目のチーム。 前年緒戦で敗れているだけに「しっかりとした形で入るぞ」と気合を入れて試合に臨みました。初回に相手エラーに付け込んで2点先制、3回に修君の二塁打と泉君の適時打で3点、4回にも満塁から琢哉君の三塁打で3点、5回に幸喜さんの適時打、6回に宏也さん、豊君の適時打で4点と6回までで13点奪取。この日先発した山本君は初回にいきなり2連打を浴びますが、その後は危なげない投球を見せ、6回まで0封。7回に後一人で完封という所で、途中リリーフした高橋貴教投手にタイムりーを浴びましたが、まずは完勝の好スタートを切りました。大船渡市・赤崎野球ク2033140 13北上市・黒陵クラブ 0000001 1◇三塁打 千葉(北)佐藤琢(大)◇二塁打 大畑、生形、村上修、磯谷幸(大)【大船渡市】 9大畑 6生形 7佐々木宏 8佐藤琢 2村上修 D出羽 3泉 4平野 5磯谷幸 →磯谷長5回代走・5 →金野豊6回代打・5 1山本淳【北上市】 7高橋優 4菊池 5篠原 8佐藤一 2千葉 9菅原正 3木村 →7回代打高橋和 1高橋拓 →5回から1高橋栄→7回から1高橋貴 6照井 続く相手はこの時期力を伸ばしつつあった盛友クラブ。緒戦をスキのない守備とチャンスに畳み掛ける攻勢をかけて大槌に勝ってこの試合に臨んで来ました。 赤崎はダブルエースの一人、佐野清隆投手。 左上手からの140キロ近いボールで相手を攻める本格派タイプの投手。やや制球に課題を残していましたが、佐野君、山本君という存在が、ほかのチームに「侮れないチーム」という思いを抱かせるものがありました。相手の帷子君もていねいにコースを突き、打たせて取る投手。点をとるには簡単な投手ではありません。 ようやく状況を打破したのは7回。 ヒットの生形君を三塁に送り、ツーアウトから佐々木宏也さんがセンターオーバーの二塁打を放ちまず1点。さらに続く村上修君も右中間にツーベースと続き、この回2点を先制しました。 試合が終わるにつれて気になったのは「佐野君のノーヒットノーラン」なるかどうか。何ぷん四死球10のピッチングだったもので気がつきませんでしたが、8回まで相手にヒットを許さない投球を見せていました。 「いよいよノーヒットノーランか」と思われた9回。 しかしその夢はあっさりと坂本選手に打ち砕かれてしまいました。糸を引くような打球はああいうものか、という具合のセンター前ヒット。さらに代打で出て来た藤沢選手にもヒットを打たれ、一気に勝利すら消える危機にも立たされましたが何とか後続2打者を打ち取り、2-0の僅差で盛友に勝ち、本予選大会に進出しました。大船渡市・赤崎野球ク000000200 2盛岡市・盛友クラブ 000000000 0◇二塁打 生形、木下、佐々木宏、村上修(大)【大船渡市】 9大畑 6生形 8佐藤琢 7木下 5佐々木宏 2村上修 D出羽 →7回代打鈴木博 3泉 4平野 1佐野【盛岡市】 6→8→6伊藤 8→7藤原 4田端 3松本 2横山 5坂本 D志和 9佐々木大 →8回から9上平→9回代打藤沢→投手の佐々木健が代走に 7箱石 →2回代走川村→8→6 1帷子→9回から1佐々木健・藤沢の代走でDH放棄 1.6月13日、初戦。 2年前の大会で、東北進出まで後一歩まで迫った赤崎。東北大会進出へ向けたたたかいが幕を開けました。とはいえ、開催日が金曜日とあって、選手の集合に難儀した部分もあり、山本君と打線の軸2人(宏也さん、木下さん)が欠場。スタメン表には新人が3人並ぶ状況になりました。 初回、固くなったのかいきなり生形君が2エラーし、先制を許しました。苦しいスタートになりましたが、この日先発した佐野君が3回までで7奪三振と踏ん張ると、3回に生形君の汚名返上のタイムリーで同点。4回にこの日は7番を打つ平野誠君が適時打を放ち勝ち越しに成功。6回には幸喜さんの適時打後、8番に入ったルーキーの志田太郎君が強烈な弾道をレフトスタンドに放つ3ランホームラン。勝負はほとんど決まった…か、に見えました。 8回まで15奪三振、このまま完投するかに思われた佐野君でしたが、9回に大異変が。先頭から2人に連続安打、送りバントの後さらにヒットをくらい、満塁に。暴投で1点、押し出しで1点、併殺崩れの間に1点、さらに宮沢選手に適時打を食らい、あっと言う間に1点差。水沢駒形から戻って来た(出身地)田代選手を打ち取ってやっと試合を終えましたが、この不調の原因(爪を割る)が、後々佐野君を苦しめることになってしまいました。後から考えれば、この1勝の代償は大きかったのかもしれません…。遠野市・遠野クラブ 100000004 5大船渡市・赤崎野球ク 00110400X 6◇二塁打 村上修(大)◇本塁打 志田太(大・左翼席3ラン)【遠野市】6松田 4菊池弘 7阿部 5宮澤 2田代 8菊池哲 3関根 D佐々木康 9倉内 1井手 (交代選手)小笠原(佐々木康・7回代打→D)佐々木一(倉内・9回代打)【大船渡市】9大畑 D生形 8佐藤琢 2村上修 3出羽 6磯谷幸 4平野 7志田太 5佐々木淳 1佐野 (交代選手)吉田忠(生形・7回代打→D)2.6月14日 難敵を乗り越えて。 オール不来方とは前年に2度対戦し2敗。 しかもその内の1試合は7回コールド、しかも完全試合で敗退という、これ以上ない悔しい敗退をきっしました。そんなものでちょっと苦手意識を持っていまして…そんでもこういうライバルを越えない事には次に進めない、と前向きに意識を立て直して、応援に臨む事にしました。 不来方はエース徳田君が先発。赤崎もエース山本君が先発のマウンドに立ちます。この徳田君に、前年完全試合を食らったわけでその雪辱戦。 徳田君は調子の波に乗せると、切れのあるストレートと多彩な変化球で簡単に打てる投手ではありません。赤崎は2回に2安打で好機を作りますが無得点に抑えられると、4回に不来方の三浦選手の三塁打後、暴投で1点を許してしまいました。 点をとられた直後の4回裏に、先頭の4番の木下さんが左中間に二塁打。5番の修君が送りバントを決め、さらに続く幸喜さんのショートゴロの間に木下さんが返り同点。さらに5回には平野君が敵失で出塁後、ツーアウトからこの試合はDHに入っている生形君がライト声の三塁打で1点を奪い、勝ち越しに成功。 5回にエラーとフィルダースチョイスで2人、6回にも三浦、小田嶋両選手の連続ヒット、7回にも深沢、菊地両選手の連打で赤崎のピンチが続きますが、5、6回はていねいに打たせ取り、7回には山本君の好守備と、修君の盗塁刺でピンチを切り抜けました。赤崎も6回以降はランナーも出せませんでしたが、不来方の反撃も許さず、2-1という僅少差ではありましたが、難敵を破り、準決勝戦に進出しました。盛岡市・オール不来方 000100000 1大船渡市・赤崎野球ク 00011000X 2◇二塁打 三浦郁(盛)木下(大)◇三塁打 三浦郁(盛)生形(大)【盛岡市】6藤村 5三浦大 7三浦郁 D小田嶋 3信太 8小田中 9深沢 2菊地伸 4新山 1徳田亨 (交代選手)なし。【大船渡市】6大畑 D生形 8佐藤琢 7→9木下 2村上修 5磯谷幸 3泉 4平野 9佐々木淳 1山本淳 (交代選手)志田太(佐々木淳・7回代打→7) 今回の記事部分では「クラブ予選」「本予選の1、2回戦」を扱って来ました。次の記事では本予選…第一代表決定トーナメントの準決勝、決勝が行われた『6月15日』と、第二代表決定トーナメントが行われた『6月16日』を扱っていきます。「パート2」はこちらからどうぞ。
2010年03月03日
コメント(0)
「パート1」はこちらからどうぞ。 社会人野球に14年関わっていますが、一番間隔キツいたたかいはどれか、と言われれば、迷わずこの11日間をあげます。ただの『11日間で10試合』ではない、都市対抗とクラブ選手権という、より上を目指すたたかいを『11日間で10試合』たたかったのですから、キツいなんて言葉が生ぬるい、しかし、充実という言葉でも語りつくせないたたかいをして来ました。 今回は記事は都市対抗の第一代表決定、そして敗者復活から第二代表を目指すたたかいを記していきます。3.6月15日。宮城建設の前に…大船渡市代表2連敗。 この大会は、フルに参戦すれば5日間日程をとられます。私もこの時はコンビニの夜勤をしていましたが、さすがに5日間連続で休む、という訳にいかず、前日の試合後花巻から大船渡に帰り、夜勤に就いた後5時に交代と変わり次第すぐに盛岡に行きましたが、試合開始には惜しくも間に合いませんでした。 予定では8時半の開始で、その8時半には間に合ったのですが、試合はその10分前に始まってました。なので、一回表の木下さんの先制タイムリーは直接見ていません。一回裏の宮城建設の攻撃からスタンドで見ていました。 2回裏、宮城建設の反撃も始まり、佐久間捕手の適時打で1点先制後、エラーでその佐久間選手も三塁まで進めてしまい、打者転向ウン年経過していた田代選手の適時打で逆転を許しますが、3回表赤崎もすかさず食らいつき大畑悟君のヒット後、生形君の進塁打でランナーを進め、佐藤琢哉君の汚名返上の適時打で追いつき、木下さんの二塁打でランナー二、三塁として村上修君の犠牲フライで勝ち越しに成功、一進一退の攻防を見せていました…が、互角の展開はここまででした。 3回裏、ここまで2イニング試合を作っていた佐々木慶喜君でしたが、大沢晃彦さん、伊藤さん、鈴木選手と三連打を食らい、KOを食らいました。佐野君が本調子でなく、山本君が前日完投という事もありまして、慶喜君の先発となりました。「勢いに乗って行ける所まで頑張れ」という事で奮投していましたが、残念な結果にしてしまいました。 ただ、代わった佐野君も暴投で1点、2つアウトを取りましたが、佐久間選手に2点適時打を食らい、さらに田代選手にも適時打…でこの回5失点。 佐野君はその後4、5回こそ0に抑えますが、6回に6安打4四死球、10連続の出塁を許し8失点。8番の佐久間選手に5打点、9番の田代選手に3打点と下位打線にも痛打を食い、最後は二塁ベースに当たった打球が平野君の正面に飛び、そのまま二塁ベースに駆け込んでスリーアウトになりましたが…当時「岩手でドームに一番近いチーム」宮城建設打線のすごさを思い知らされたものとなってしまいました。 それでも赤崎は最後まで試合を投げる動きは見せず(山本君ブルペン待機)、何とかせんとはしていましたが、宮城建設投手陣を長く支えて来た尾形さんが、4回からはすっかり落ち着き、3人ずつ切って取り、最終回に登板した長谷川投手も3人で抑え試合終了。宮城建設は決勝進出。赤崎は第二代表トーナメントに回る事になってしまいました。大船渡市・赤崎野球ク 1020000 3久慈市・宮城建設 025008X 15◇二塁打 木下(大)大沢晃、中野、佐久間(久)◇三塁打 池端(久)【大船渡市】9大畑 6生形 8佐藤琢 7木下 2村上修 5磯谷幸 D出羽 3泉 4平野 1佐々木慶(交代選手)佐野(佐々木慶・3回途中から1)鈴木博(出羽・7回代打)磯谷長(泉・7回代打)【久慈市】9福地 4大沢晃 8伊藤 9鈴木敦 3池端 5田中 6大沢学 2佐久間 D田代 1尾形(交代選手)中野(大沢晃・4回代走→4)新田(佐久間・7回から2)長谷川(尾形・7回から1) 第二試合。準決勝第二試合も「久慈市-大船渡市」。久慈クラブと太平洋セメントが対戦しましたが、今度は「大船渡市」が「久慈市」を圧倒。前年の高校野球で小規模校を3回勝たせる原動力になった松平隆投手が登板した久慈でしたが、太平洋打線にめった打ちを食らいKO。こちらも若手投手が鍛練積んだ企業チームに攻略される展開でコールドゲーム。太平洋が決勝戦に進出。 第三試合も「大船渡市-久慈市」。 県大会の優勝と、東北大会進出一番手をかけたたたかいは、太平洋・菅野貴行投手、宮城・小山内大和投手が先発。熾烈な投手戦となりました。 初回、3年ぶりの優勝をめざす太平洋は、相手エラー出塁、送りバント後、三番の村上浩規君のタイムリーヒットで先制。その後は、菅野君はランナーを出さない、出しても併殺や盗塁刺で3人でずつで片付けていきました。小山内君も4回こそ連打で二塁にランナーを持って行かれましたが、それ以上を許さずこらえていました。 この2人の投球には鬼気せまるものがありました。 特に、菅野君の投球には…。その投球が、赤崎投手陣から15点取った宮城建設打線を0に封じていたのだと思います。 しかし、その危機迫る投球も8回…この8回だけは宮城建設に通用しませんでした。と言うより、宮城建設の執念が、菅野君を捕らえた。そう言ってもいいのではないでしょうか。 池端選手の安打後、田中選手の犠打、大沢学選手の犠飛でツーアウトランナー三塁。この回あと一人、という所で佐久間選手のタイムリーで同点。田代選手の安打後、さらに福地選手の打球は…痛烈に沈みはじめた夕日に向かって飛んで行きました。打球は左中間を抜け二塁打、2点追加、3-1。 9回、長年太平洋を支えた小沢浩喜さんの安打は出ますが、後を抑えられ3-1で宮城建設が勝利。3年連続で岩手大会の優勝を果たすとともに、東北大会進出を決めました。太平洋セメントは第二代表決定戦に進出。しかし、この両チームが見せた危機迫るたたかいは、この時点で太平洋は『都市対抗後の活動停止』が決まっていた事、宮城建設も積極的な補強とは裏腹に、野球部の活動に対しての視線が必ずしも暖かくはなかった事。そういう状況の中で自分たちの存在価値を見せた試合となりました。大船渡市・太平洋セメント 100000000 0久慈市・宮城建設 00000003X 3【大船渡市】6小沢秀 4森 9村上浩 3菅原 2小沢浩 7川内 D斎藤 8大沢 5野々村 1菅野貴(交代選手)なし。【久慈市】9福地 4大沢晃 8伊藤 9鈴木敦 3池端 5田中 6大沢学 2佐久間 D田代 1小山内(交代選手)なし。4.6月16日その1。赤崎-駒形ライバル対決。 前日の激闘から1日。(そりゃそうだ) 舞台を花巻に移して、第二代表決定のトーナメントをたたかっていました。 この大会は本大会に残った全チームに敗者復活の権利が与えられていましたが、前日に企業チームのJR盛岡、JAいわてが敗退。 この一日で、前日準決勝で敗退した赤崎、久慈と、前日の敗者復活戦を、企業チーム相手に勝ち上がった駒形、不来方の4チームの中から太平洋セメントに挑むチームが決まります。 第一試合、対戦相手は水沢駒形です。 3チームとも、どこにあたっても簡単に勝たせてもらえる程甘いチームなんてありません。しかもその相手が水沢駒形と、一番手ごわい所が相手でしたから、後のことなんて考える余裕なんてありません。この日帯同していた投手陣は山本君と慶喜君の2人だけ。エース山本君が先発のマウンドに立ちました。 駒形の先発は高橋投手。駒形も金曜日から連日のたたかいを演じていたので選手起用も楽ではなかった様で、この時の投手陣の柱2人(新田忠正君、小野寺淳さん)をベンチスタートに。 先手を取ったのは赤崎。ツーアウトから琢哉君がデッドボール、木下さんはフォアボールでランナーをためた後、修君がレフトオーバーの二塁打で琢哉君が返り先制。4回にもツーアウトから磯谷幸喜さんの安打後、泉邦幸君の三塁打で2点目、さらに平野君のデッドボール後、ルーキーの佐々木淳一君のタイムリーで3点目をあげました。 駒形は「これ以上の失点は試合の行方に関わる」とばかり、二本柱の小野寺さんをマウンドにあげ、試合を落ち着かせましたが、打線の方が山本君を攻略できません。赤崎も全員がレギュラーではない(+負傷明け)打線でしたが、駒形も普段はつなぎ役の選手を「返す役」にするなど、オーダー編成に苦慮した様子がうかがえます。 駒形は5回裏に加藤武さん、及川将君の安打でツーアウトながら一、三塁としますが、山本君が後続を打たせ取り、ほかのイニングで二塁間でランナーを進めたのは1回だけ。駒形は5回から小野寺さん、8回から新田君を登板させ、赤崎打線も攻め手をつかむ事ができませんが、山本君も駒形打線を封じ込め、5安打完封。3-0で水沢駒形に勝つ事ができました。大船渡市・赤崎野球ク 100200000 3水沢市・水沢駒形倶 000000000 0◇二塁打 村上修(大)◇三塁打 泉(大)【大船渡市】5磯谷長 6生形 8佐藤琢 7木下 2村上修 9磯谷幸 3泉 4平野 D佐々木淳 1山本淳(交代選手)なし。【水沢市】8加藤浩 6千田雄 9佐々木力 3深井 7竹長 2加藤武 D八重樫 5及川将 4加藤充 1高橋利(交代選手)54小野寺淳(高橋利・5回途中から1)新田(54小野寺淳・8回から1)高橋幸(八重樫・5回代打→D)千葉盛(加藤充・8回代打→4)千葉勝(千田雄・9回代打)佐々木明(千葉勝・9回代走)※『54小野寺淳』→もう一人、野手で同姓同名の選手がいましたのでこういう標記にさせていただきました。 この後の試合ではオール不来方が久慈クラブに勝利。 6月14日に続いて、もう一度不来方と対戦する事になりましたが、ここで一つの“課題”が起きました。 この試合をどういうふうにたたかうか。 特に、投手をどう起用するかで難儀しました。 選択肢は2つ。 「山本君の同一日2連投」か、「慶喜君の先発」か。 勝つ事だけ考えれば、この当時の選択肢としては前者を…という声もありましたが、チームの総意としてとった選択肢は後者でした。 赤崎の…そして、慶喜君の運命をかけた一戦が始まりました。 と、いう事で紙幅が尽きてしまいました。 次の章では「6月16日その2」「6月17日」そして、紙幅が空けば「番外編 太平洋セメント・最後の試合」をお送りします。「パート3」はこちらからお願いします。
2010年03月03日
コメント(0)
「パート2」はこちらからどうぞ。5.6月16日その2・「不来方戦・二重の“運命の一戦”」 2003年都市対抗野球岩手県予選、第二代表決定トーナメント。 簡単に言えば、敗者復活戦。 その三回戦で赤崎が駒形を、不来方が久慈に接戦で競り勝ち、次の試合に勝ち抜けば太平洋セメントと第二代表の座を争う、という都市対抗の運命を決める試合。 第一試合で山本淳一投手を完投させた赤崎。平日の試合となったこの日、花巻球場に来る事ができた投手は淳一君と佐々木慶喜君の2人。以前ヒジを手術している淳一君に一日2試合投げさせるというわけにいきません。 前日にノックアウトされた慶喜君をマウンドに上げる事になりました。 その慶喜君を援護すべく赤崎打線は初回から積極的に攻めます。 この大会では一度勝っているとはいえ、簡単には打ち崩せる投手ではない徳田亨投手。赤崎打線はその立ち上がりを急襲しました。この日サードに入った磯谷長栄さんがフォアボールを選び、続く生形君がレフト前ヒット、さらに佐藤琢哉君の送りバントを徳田君がエラーし、ノーアウト満塁に。 ここで4番の木下清吾さんがセンターオーバーの二塁打。満塁のランナー一掃で一気に3点を先制しました。 しかし、不来方もそれで大人しくなるはずもなく、2回に三浦選手の犠飛、藤村選手の適時打で2点を返します。慶喜君は初回こそフォアボール一つで終わらせましたが、2回には2安打2四球とこの回は攻勢を食らい2-3と詰められます。 3回に赤崎は佐藤琢哉君が右中間三塁打後、“女房役”の村上修君がレフト犠牲フライを放ち、4-2に。これで慶喜君が波に乗るかと思いましたが、小田嶋選手に二塁打をくらい、ツーアウトこそ取りましたが、最初の打席で二塁打を放っている信太(しだ)選手に、再びレフトへ痛打を浴びました。しかし、ここで守備陣の連携が光ります。木下さん→生形君→修君と好中継を見せ、タッチアウト。2回、3回と打ち込まれていただけにこのプレーが試合の流れを赤崎に引き寄せました。 4回から不来方は右パワータイプの田村投手にスイッチ。 その裏の不来方は、ツーアウトながら満塁と攻め立てますが、3番の小田中選手を打ち取り慶喜君はこの回も0に。その後、6回に1点取られ、4-3とまた1点差に詰められますが、慶喜君はよく耐えていました。 8回。 赤崎は途中からライトに入っている佐々木淳一君が四球で出ると、盗塁とパスボールで三塁に進み。続く泉邦幸君も四球→ディレードスチールでランナー二、三塁とするとこの日DHに入っていた出羽直樹君がレフト前2点タイムリーヒット。貴重な追加点を上げました。 6-3。7回まででも115球投げて来た慶喜君なだけに、8回から淳一君か、とも思われましたが、そのまま慶喜君が続投。8回は四球一つで、9回はこのチームで一番気を使わなければならない打者2人に回る打順でしたがていねいに3人切って取り、完投で貴重な一勝をあげました。 慶喜君はこの前年から赤崎に加入していましたが、山本淳一君、佐野清隆君の二本柱の存在で自分の存在価値に苦しんだ、という話をしていたようです。(翌日の毎日新聞岩手版インタビューより)それでも、チームの一人として存在し続けようとしていたその努力が、ジグザグもありながらこの日の勝利に結び付き、さらに後年には赤崎の二番手投手としての地歩を築き、準全国大会(東日本クラブカップ)で最優秀選手を獲得するまでになったものと思います。 慶喜君にとっても、チームにとっても大きい一勝をあげ、いよいよ岩手代表の二つ目を決める試合は、文字通り「大船渡市代表決定戦」となりました。大船渡市・赤崎野球ク 301000020 6盛岡市・オール不来方 02000100X 3◇二塁打 木下、村上修(大)信太、小田嶋(盛)◇三塁打 佐藤琢(大)【大船渡市】5磯谷長 6生形 8佐藤琢 7木下 2村上修 9磯谷幸 3泉 D出羽 4平野 1佐々木慶(交代選手)吉田忠(磯谷幸・6回代打)佐々木淳(吉田忠・7回から9)【盛岡市】6藤村 9深沢 8小田中 D小田嶋 7三浦郁 4信太 3小川 2田中 5三浦大 1徳田亨(交代選手)田村(徳田亨・4回から1)北田(田村・8回途中から1)新山(深沢・9回代打)6.6月17日岩手最後のたたかい-大船渡市代表決定戦-。 都市対抗岩手予選の最終日。 岩手の第二代表を決めるこの一戦、しかし球場には独特の雰囲気が漂っていました。 一つは「どっちが負けても恨みっこなし」という雰囲気。 一つは「同じ大船渡市のチーム同士で最後の一枠を決める」事に対しての複雑な心境。 太平洋セメント野球部は、この都市対抗野球を最後に活動を終えることになっています。敗戦即休部。だけども、勝負の世界にいる以上手加減というのは許されません。それが、先に書いた「どっちが~」の一文に示されたものです。 何にしても、一種の独特な、そして厳粛な雰囲気を漂わせたまま、試合は始まりました。 先発投手は太平洋菅野貴行、赤崎山本淳一の両投手エース対決。 初回太平洋。フォアボール3つで満塁にするも、得点0。 1回、2回の赤崎。一安打ずつ放ったものの、得点0。 3回太平洋。小沢秀次さんの安打後送りバント、内野ゴロで三塁へ。4番菅原悟さんのとき暴投で1点先制。さらに菅原さん、小沢浩喜さんの安打で追撃するも、点には結び付けず。 3回裏に生形憲治君の二塁打、4回裏にも村上修君の二塁打で好機をつかむも、赤崎クラブ点を奪うことができず。 4、5、6回。両チームともにランナーこそ出すものの、0得点。 7回表。秀次さんの二塁打後、森英悦さんはサードゴロも、送球が暴投になり太平洋は2点目。 9回表。0-2と抑えられていた太平洋、円陣でゲキ。気合みなぎらせ奮闘する淳一君から4安打を集中。大澤正治さん、秀次さん、村上浩規君の適時打で一気に3点加え突き放す。 9回裏。赤崎も先頭の佐藤琢哉君がライト前ヒット。ツーアウトにまで追い込まれるも、6番の磯谷幸喜さんにもヒットが飛び出しますが、代打の佐野君が三振に倒れ、試合終了。 さて、この試合の書き方をここまでの試合と変えてお送りしました。 ホント言えば、この試合はこう書くだけでいい。 「両チームがそれぞれの思いを胸に全力でたたかい、その結果として太平洋セメントが次のたたかいに進む権利を得る勝利を得た」 これだけで、いい。 試合が終わった後、太平洋応援団と、赤崎の後援者との間でエール交換をし、試合終了後の表彰式後の記念写真には、両チームの選手が並んで写真に納まっていました。 応援する赤崎野球クラブがより上のたたかいに参戦できなかったのは残念。だけども、敗れたチームが自分たちの思いを託すに十二分に値するチーム。普段は同じ大船渡の同じ赤崎町(太平洋セメント工場は赤崎町にあります)に本拠を置くチームとの、切なくも、貴重なたたかいを経て、太平洋セメント野球部を東北大会に送り出し、赤崎クラブは一つのたたかいを終えました。大船渡市・太平洋セメント 001000103 5大船渡市・赤崎野球クラブ 000000000 0◇二塁打 小沢秀(太)生形、村上修(赤)◇三塁打 村上浩(太)【太平洋セメント】6小沢秀 4森 9村上浩 3菅原 2小沢浩 7志田勇 D斎藤 8大沢 5野々村 1菅野貴(交代選手)川内(小沢浩・4回より2)金野(斎藤・9回代走)【赤崎野球クラブ】5磯谷長 6生形 8佐藤琢 3木下 2村上修 9磯谷幸 D出羽 4平野 7金野豊 1山本淳(交代選手)佐野(出羽・9回代打)6のおまけ.太平洋セメント野球部、最後の日。 その日。私はどうしても仕事を休めず、太平洋の試合を気にしながらコンビニ&共産党の仕事をしていました。ここまで書いて来た試合で休みを融通していただき、さらに一週間後にはクラブ東北予選もあったので、それ以上の無茶を言う訳には行きませんでした。 それでも関係者の方から「都合良ければ、応援のバスは出ているから一声かけて」とは言われていたので、この鶴岡との試合に勝てば、もともと休みの日にあわせて、おそらくは山形しあわせ銀行(今は『きらやか銀行』)との試合には、応援に行くつもりでいました。 ところが…。鶴岡野球クラブに延長15回の末、惜敗。 鶴岡に先手を取られ、6回まで0-3とリードを許していましたが、7、9回の攻勢で同点に。そのまま延長戦に入り、太平洋は14回にサヨナラの好機を迎えましたが、それを生かす事ができず。逆に15回、佐藤選手のヒット、渋谷選手の犠打の後、甲島選手のヒットと守備の乱れで勝ち越され、そのままゲームセット。 太平洋セメント最後の大会は、好投手のいる秋田銀行には勝ったものの、七十七銀行と鶴岡クラブに敗れ、50年の活動に終止符を打ちました。鶴岡市・鶴岡野球クラブ 020100000000001 4大船渡市・太平洋セメント 000000201000000 3【鶴岡市】6佐藤浩 8成沢 3鈴木 5田村 D佐藤裕 9渋谷 4甲島 7松浦 2本間重 1吉田隼 (途中交代)五十嵐(吉田隼・8回から1)長谷川(鈴木・代打→3)【大船渡市】6小沢秀 4→5野々村 9村上浩 3菅原 2小沢浩 7志田勇 D川内 5金野裕 8大澤 1平田 (途中交代)村上章(平田・4回途中から1)菅野貴(村上章・10回から1)斉藤(川内・代打→D)森(金野裕・代打→4) チームの活動停止後、菅野貴行投手と村上浩規選手が高田クラブに(菅野投手は更に埼玉・都幾川倶楽部に)大澤選手が釜石野球団に、金澤投手は都幾川倶楽部に転籍しましたが、その他の選手は硬式のグラブを置きました。 とは言っても、やはり基本野球好きですから、野球の活動自体は「太平洋オールディーズ」として続け、幾度か全国大会に出場しています。 岩手の野球どころとも言われる気仙地域で、長年社会人野球での活動の場となっていた太平洋セメント。残念ながら東京ドームには届きませんでしたが、残した足跡は貴重なものがありました。 と、ここまでの3編だけでも「おなかいっぱい」だと思われますが、後から考えてみれば、この都市対抗第5日を終えた時点で「11日間で10試合」で言えば、まだ半分越えただけです。この後行われたクラブ大会の内、6月22日に行われた部分は既に記事起こしましたので、この4日間をどうたたかったかという視点で記事を作っていきます。「パート4」はこちらからどうぞ。
2010年03月03日
コメント(0)
「パート3」はこちらからお願いします。7.クラブ大会・最終日に勝ち残るまで さて「2003年2週間10連戦」の記述も、今回がラストとなりました。 都市対抗の6試合だけで3つも記事使っておいて、残り4試合を一つとは、というツッコミがきそうですが、実は6月22日の2試合は別な記事で紹介しましたので、後は最終日の2試合を記せば完成です。 ただ、その記事では「赤崎野球ク-盛友クラブ」の試合の出場選手の記載がなかったので、改めてここで記しておきます。盛友クラブ 300103020 9赤崎野球ク 40003103X 11◇二塁打 佐藤琢、村上修、磯谷長(赤)◇三塁打 平野(赤)◇本塁打 松本(盛)【盛友クラブ】8伊藤 4→6小沢 6→5川村 3松本 D→4田端 2横山 7坂本 9箱石 5瀬川 1帷子(交代選手)帷子(田端DH解除、瀬川に代わって打順に入る。)小原(箱石・5回から9)佐々木健(帷子・7回から1)小泉(小原・9回代打)【赤崎野球ク】9大畑 6生形 8佐藤琢 7木下 2村上修 D磯谷長 3泉 5倉本 4平野 1佐野(交代選手)金野豊(生形・6回から6)佐々木慶(佐野・5回から1)山本淳(佐々木慶・9回から1) 火曜日に都市対抗が終わって、日曜日の緒戦を迎えるまでの4日間。 わたしの記憶が定かなら、この間は選手達は休んでいた分の仕事をしながら、日曜日の試合に向けてコンディションを調える事を第一に動いていました。都市対抗の大会中も、図らずではありますが、試合が行われていた5日間中、多くの選手が一日か二日、仕事のために欠場。試合のある日も、終了後即大船渡に帰って仕事という選手も多く、仕事と野球との両立に腐心していた様子が伺えます。 コンディションを調え、大会2日目からの登場。 前述した記事で記述した様に、手ごわい盛友を、最大のライバル水沢駒形をやぶり、最終日に駒を進めた赤崎。 最終日は、都市対抗で戦力を消耗した久慈、不来方など強豪チームを破った、勢いのあるチームが勢揃い。東北に進出できる2つの枠をめぐってのたたかいが繰り広げられました。8.6月23日その1。VS宮古、打撃戦制し決勝&東北大会進出。 この間、わたしが勤めていた職場の同じ時間帯のメンバーには大変な負担をかけさせてしまいました。当然その分の穴埋めはしましたが、生活の感覚を狂わせてしまった事に関しては、本当に申し訳ない思いでいます。 このクラブ大会のあった週は、試合に関わる2日間は休ませていただきました。とは言っても、この頃から赤旗日刊紙の配達もわずかながら請け負っていたのでその分だけ大船渡からの出発が遅れ、遠野市営球場に着いたのは7時半。既に赤崎メンバーは練習を始めていました。 対戦相手の宮古倶楽部は、これまでも幾度もギリギリのたたかいをしてきたチーム。特に98年都市対抗では延長10回の息詰まる試合を展開。佐藤組北上球友に在籍していたときは、96年にあと一回抑えれば都市対抗本大会進出という場面で、4点リードを引っ繰り返された相手。 赤崎の先発は、16時間前まで熾烈な投手戦を投げ抜いていた山本淳一君。打線がバックアップをと、初回から攻勢をかけます。先頭の大畑悟君が出塁後、2番の生形憲治君が送りバント。3番の佐藤琢哉君が、左中間ややセンターよりに大飛球。そのままホームランにし、2-0と先制。 が、初の東北大会進出を情熱をかけるのは、宮古も同じ。 2回に下位打線の3連打で3点をあげ逆転すると、3回表こそエラーで赤崎が追いつきますが、その裏にエラーと4連打で3点をあげ6-3に。 一気に盛り上がる宮古ととは対照的に、思うような投球ができずにイラついている淳一君の様子が印象に残っています。 しかし、赤崎はこの後猛反撃。 4回に泉邦幸君の二塁打後、平野誠君が返しまず1点返すと、5回には琢哉君のこの日2本目のホームランで同点にした後は5安打2四球でたたみかけ、泉君、平野君の適時打などで好投手・吉濱君をKO。代わった梅澤投手(本来捕手なはずですが…)からも6回に村上修君が2点本塁打。梅澤投手も7、8回はよく投げましたが、9回に大畑君の三塁打、生形君の二塁打、佐々木宏也さんの適時打で4点加え16-6。山本淳一君は4回以降、散発のヒットこそ許しましたが二塁を一度しか踏ませず、終わってみれば予想外の大勝ではじめての東北大会進出が決定しました。赤崎野球ク 201162004 14宮古倶楽部 033000000 6◇二塁打 泉、磯谷長、生形(赤)館崎(宮)◇三塁打 大畑(赤)◇本塁打 佐藤琢2、村上修(赤)【赤崎野球ク】9大畑 6生形 8佐藤琢 2村上修 7佐々木宏 5磯谷長 D金野豊 3泉 4平野 1山本淳(交代選手)佐々木淳(磯谷長・6回から5)出羽(金野豊・9回代打→D)【宮古倶楽部】6千葉 2昆 8宝代寺真 3山崎 7佐々木宏 D館崎 5佐々木智 4佐々木光 9高橋 1吉濱(交代選手)梅沢(吉濱・5回途中から1)小山(佐々木智・7回から5)北村(高橋・9回から8)9.6月23日その2・そして、優勝。 この日出場していたチームの中では唯一全国大会の経験をもつ釜石野球団と、近年力を伸ばしつつあったオール江刺が激突した準決勝第二試合。力の差は大きくなかったはずでしたが『10-9も10R積み重ねれば100-90』という格言が、あったかどうか知りませんが、結果としては釜石の若手投手陣を打ち込み、じわじわと差をつけた江刺が、7回コールド8-1という結果で、こちらもはじめての東北大会進出を決めました。 そして、はじめての「岩手王者」をかけた決勝戦。 赤崎は前日の試合でKOされたリベンジをねらう佐野清隆君が、江刺は様々な場面で登板できる渡部投手が先発しました。 やはり、早めの援護が求められる場面なだけに赤崎は積極的に攻めていきました。 初回、ワンアウト一、二塁から修君、宏也さんが適時打で2点先制。渡部投手の調子が今一と見るや、2回から佐々木章投手を投入しますが、3四球→修君の適時打→宏也さんの本塁打でこの回4点。2回ではや6-2とペースを握ります。 佐野君は初回に2バッテリーエラーから1点、2回に満塁から杉田選手の内野安打で1点失いますが、4回まで試合を作り、5回にピンチを迎え、後藤選手に犠飛を許した場面で佐々木慶喜君に交代します。 慶喜君はこの大会は2度目の登板。 ランナーこそ出しますが、大きい傷にはさせない投球を展開。8回こそ杉田選手の犠飛で1点返されますが、何とか踏ん張っていました。 江刺は佐々木章投手が3回以降は落ち着き、後は投球が慣れたと見極めるや、6回からリリーフした沼崎宏祥君(のち雫石ク)は『完全投球』で3回を抑え、9回は菊地良幸投手(のち水沢駒形)も3者凡退と後半は赤崎を封じ、じわりとムードをもってきましたが、赤崎は前半にあげた6点が大きくものをいい、逃げ切りに成功。 赤崎野球クラブは、84年に硬式に転換以来19年目にして、全国に進出できる大会としてははじめて、東北大会に進出する事ができました。赤崎野球ク 240000000 6オール江刺 110010010 4◇二塁打 杉田(江)◇本塁打 佐々木宏(赤)【赤崎野球ク】9大畑 6生形 8佐藤琢 2村上修 5佐々木宏 D出羽 7金野豊 3泉 4平野 1佐野 (交代選手)佐々木慶(佐野・5回途中から1)吉田忠(出羽・5回代打→D)佐々木淳(佐々木宏・9回から5)【オール江刺】8杉田 9荒井 5高林 3三鬼 4後藤 2沼崎光 D小沢 7計良-けいら- 6今松 1渡部(交代選手)佐々木章(渡部・2回から1)家子(小沢・4回代走→D)及川惇(計良・5回から7)沼崎宏(佐々木章・6回から1)菊池良(沼崎宏・9回から1)7年後のエピローグ。 11日間で10試合。 今から考えると、すごい無茶苦茶なスケジュールで試合したものだと思います。 この件が影響したのか、次の年から、大会日程を作る作業で、試合・大会の間隔というものもより重く見られるようにもなったようです。 トーナメントが主体の社会人野球において、多く試合をする、という事は多く勝ち進む、という事。 ただ単に勝つだけでもなく、ただ単に多くの試合をしただけでもない。毎試合がそうとはいえ、都市対抗、あるいはクラブ選手権は高校生で言えば「甲子園大会」に匹敵する一大大会。どの試合も気を抜けない、どの試合も勝たないと、次に進めないという中でつかんだ「8勝2敗」が、赤崎野球クラブを岩手トップクラスのチームに押し上げたものだと思います。 7年経ち、赤べこ軍団の破壊力にフェズント岩手の伸長、JR盛岡の逆襲、水沢駒形の変わらぬ強さ、オール江刺の執念、高田のライバル心。さらに赤崎に思い切ってぶつかって、結果を出そう、乗り越えようという強い思いをもった『視線』を受けながら、たたかってきました。 強くなるのも大変だけど、それを維持しようというのも大変です。 今年から応援に使用する「横断幕」を用意していますが、その文面には「挑戦者」という言葉を入れました。 どの試合を取っても、一つ一つの試合に対してはだれもが挑戦者。 あの時も、そういう思いでたたかって、結果をつかみ取った…その原動力は、無我夢中にそれぞれの試合に“挑戦”したから。その心をもう一度改めて持っていただきたいな、と就活中の分際ですが、思っています。 何にしても、暑い天気と熱い思い、ギリギリの状況下でたたかったあの日々は忘れられないものになりそうです。そのたたかいに居合わせた全ての皆様、ありがとうございました。 これにて『03年6月熱戦』シリーズを終わらせていただきます。
2010年03月03日
コメント(0)
1994年 “継続”かけた一年の成果。大船渡農 2-8 水沢一高 もともと3学年で部員が13人しかいなかった野球部。夏の大会が終わって3年5人が引退し8人。新人戦を前に一人柔道部から転籍して来た選手もいましたが、6高校総当たりのリーグ戦を1試合たたかった所で選手が病気にかかり、以降の試合を辞退する事に。私も夏の大会後からアドバイザーとして後輩の練習を手伝っていましたが、やはり一つの大会を完走できなかった事でモチベーションが下がり、さらに指導陣の先生もこの年の米の大不作もあり、忙しく練習を見られず…その年の冬の練習はもはやバラバラ。「この後一体どうなんだ」という不安を抱いたまま、私は高校を卒業し、北上に旅立ちました。 どうにも「頑張る人」と「頑張りが利かない人」との間にギャップが生まれ、それが統一した練習ができない要因になったようです。93年末に主軸選手2人が退部。この年の末には、監督も交代する事になりました。 4月、新入部員も入って練習試合もできるようになりましたが、スコアを見ると、ほとんど全部20点差をつけられていました。たまに10点差だと良く見えるくらい。 で、それが何故かを後で聞いてみたら、やはり冬の時期の“チームとして”の練習ができなかった事が陰を落とした事、それが元で当初エースと目された投手をはじめ、ケガ人が相次いだ事があげられました。それでも夏の大会までには一桁の試合もできるようになり、水沢一高との試合に臨む事になりました。私ははじめて、平日に仕事を休み、紫波町営球場に向かいました。 紫波町営球場。一年前を思わせる熱気がムンムンと伝わって来ました。ただ一つ違うのは天気。一年前は冷夏を象徴するような曇天でしたが、この日は雲一つない快晴でした。 この年の試合全敗で迎えた夏。選手達は気後れする事なく試合に臨み、初回には四球で出た一年生が盗塁を試みるなど、意気の高さを示しましたが、エースナンバーをつけて初の登板となる一年生投手が初回に犠飛で先制を食い、2回にもつなぎの攻撃で1点を奪われました。 大農は4回に反撃。3番に入った春までのエース(捕手にコンバート)がヒットと盗塁で二塁に進むと、一番の熱意を持っていた4番のキャプテンが左中間に適時打を放ち、1点を返します。その回の裏にディレードスチールから1点を失いますが、大農守備陣は踏ん張り、7回には四球2つから8番に入っていた3年セカンドがはなった打球が相手エラーを誘い、とうとう2-3と1点差に詰めました。 しかし、鍛練の差というのが終盤に出てしまいました。1年エースはこの日1試合4ボークとフォームに乱れを生じ、水沢一打線にも慣れられ7回に2点、8回にも3点失って降板。8回の大農の攻撃は一番の一年の四球、3番の捕手のこの日3本目の安打が飛び出し、好機を迎えましたが、この日一番ボールが見えていた4番が魔を差した三振で逸機。 その後は5番に入っていた三年がリリーフし、コールドを阻止。9回も反撃を期しましたが、3人で倒れ、結果終われば2-8。残念ながら一試合で甲子園の挑戦は終わることになってしまいました。 冬場見ていた限りでは「この後の活動次第では野球部は分解してしまう」という危機をも持っていましたが、それでもこのままではいけない、と気づいた後は頑張りも見せたようでした。伸び盛りだったソフト部に前年までの野球部監督が異動し、野球部の指導態勢が万全とは言いがたい(当時の指導陣で野球経験0)状態の中、それでも一番の熱意持った主将、ちょっとベクトル違ったけど、熱意は負けなかった捕手、冬場は崩れたときもあったけど、夏までに乗り越えたキーストーンコンビを先頭に、現場に居合わせた全員が工夫し挑んだこの年の野球部。頑張り抜いた結果、この後の後輩の『居場所』を残しました。1995年 増え始めた仲間を3人で支えた野球部。大船渡農 1-6 花巻南高 夏の大会終了後、13人いた部員の内4人が引退、1人が休部した後に2人が入部。9人ギリギリという事もあり、2人補強選手を加え、秋の新人戦に臨みましたが、捕手が経験1年、二番手投手はバスケ部補強組ではとても一年鍛えて来たチームに太刀打ちできません。この年もリーグ戦勝つ事ができずじまい。ただ、きまじめな選手も多くいたこの時の選手達は、まだまだ“ズッコケ”もあったりしましたが、成長の兆しも見せはじめていました。 4月になり、監督が前年3月まで務めていた方が復帰。新入生が6人入り、早々と4人がレギュラー格に名乗りをあげましたが、野球未経験が多い上級生も特徴生かし、レギュラー争いが展開。特に高校入学前は素人が2人という3年生3人がチームを引っ張り、夏の大会前には練習試合含めて2年ぶりの勝ち星をマーク。 夏の大会を前に2日間、練習に交じって来ましたが、秋の新チーム結成のころのイメージと違い、選手達が自信もってプレーしていたのに驚いた記憶があります。夏の大会は花巻南高校と対戦。早朝の第一試合。紫波町営にむかいました。 初回裏、花巻南に連打を食らった後に3番打者の三塁打で2-0。いきなりの先手でどうなるかと思いましたが、その後は2年生エースがランナーを出しながらも踏ん張ります。その間に3回、8番打者が敵失で出塁、続く9番打者が送った後、1番の一年でセカンドのレギュラーになっていた選手の左中間二塁打で1点を返します。前の回では同じ一年で5番に入っている選手が二塁打を放つなど、一年生が物おじしない活躍を見せます。 それにつられた上級生も頑張りを見せます。 5回、三連打で迎えたピンチに前年はエラーをしていた2年生ショートが好守備でランナーをホームで刺し、スクイズで1点こそ失ったものの、直後のプレーで3年生サード(3年で唯一経験者)のファインプレーで切り抜けました。 6回にそのサードのセンター前二塁打(センターのもたつき見逃さず)も飛び出しましたが、続く4番の三年生捕手以降がそれを生かせず0に終わると、その回の裏に二死満塁から花巻南主将にセンターオーバーの三塁打を打たれ、一気に1-6と突き放されました。 この後はバッテリーをそっくり一年生に切り替え、ムードを変えて追撃に出ましたが、7回の主将の安打、8回の二死満塁の好機を生かすことができず、試合はそのまま1-6で花巻南の逃げ切りを許す結果となりました。 下級生が成長を見せつつあった中、野球の経験がない2人を含めて、3人の3年生がよくチームをまとめ、頑張ってくれました。一年からレギュラーのサードは堅実な攻守で安定的に活躍し、4番捕手は最初捕手の構えを正座でしていた時期を乗り越え要として頑張り、この年の主将を任された選手は、当初主将にするには不安な所もありましたが、ほかの2人がフォローして行く中で成長を見せ、立派に主将としてふるまっていました。試合こそ負けはしたものの、こういう成長を見せた3人の踏ん張りを見て、1、2年ののちの大幅な成長に結び付いたものと思います。1996年 飛翔する後輩の踏み台となってくれた3年生の頑張り示す。大船渡農 0-5 宮古北高 この年はやっと補強選手も加えずに新人戦を戦い抜き、冬場のトレーニングもサボる人がだんだん減ってきました。そして迎えた4月。それまで部長でチームを支えていただいた先生が異動し、代わって県央部から異動されてきた先生が新監督に就任しました。 この先生はソフトボールの監督の経験もあり、さらに高レベルの競技に接して来た事もあり、現状の野球部メンバーの気質を理解した上でチームの強化を目指しました。加えて新入部員に中学時代一目置かれていた選手が何人か入部。裏方もマネジャー5人入部するなど、新しい風が吹き込まれようとしていました。 資質ある一年、経験を増した二年の陰で、野球経験者が多くはない三年生7人。夏の大会寸前には、その中核をなしていた選手が家庭の事情で退部するというアクシデントもありましたが、練習試合4勝は、92年以来4年ぶり。確実に地力をつけたメンバーは自信をもって夏の大会に挑みました。 試合開始早々、球場を沸かしたのは「素質ある一年」でした。この日2番に入っていたセンターがセフティーバントを決め、さらに盗塁。得点には結び付けなかったものの、明かに別次元の俊足を見せつけました。 この勢いを駆って、2回には二年生の中軸選手が二塁打を放って好機を作りましたが、執拗な牽制にじれてしまい、塁を飛び出しタッチアウト。相手投手が一年なだけに先手を取ってプレッシャーかけたかった所でしたがこの拙攻でムードを宮古北にもって行かれました。 3回に死球からペースを崩した3年エース。2番に入った「チーム髄一のセンス」の選手に先制打を食らうとこの回3失点。4回にも守備の乱れ、エースの暴投がもとで2失点を食らいます。 4回にはこの“変革期”を支えた主将の安打も出ましたが、やはり得点には結び付けず、とうとう5回には、一年からエースとしてチームを支えた投手がマウンドを降り、さらに先に二塁打を打った選手がリリーフしようとしましたが、投球練習中に足をケガしてしまい、一球も投げずに降板。(ここ20年で2例だけ)しかし、ここでリリーフのリリーフした一年生が、地肩の強さを生かした速球で以後宮古北打線を抑え込みます。 試合終盤、控えに回った3年生が登場し、意地を見せます。 途中、弓道部から転部して来た選手はミートを武器にレギュラーに後一歩まで迫ったもののケガで及ばず、やはり途中入部だった三塁手と一年次から続けていた選手は守備機会しか出場の機会を作れませんでしたが、その守備機会で見せ所を作り、応援に来ていた同窓を沸かせました。 この大会、ベンチ入りしたのは16人。この試合、既に14人を使っている総力戦の中、9回に最後に残っていた3年生が登場。強烈なライナーをぶっ飛ばしましたが、ショートのファインプレーに阻まれ、そのまま試合は終了。一年生投手に完封負けを食らい、この年の挑戦を終えました。 資質ある一年生がその才能を発揮した一方で、野球経験が多くなく、レギュラーには届かなかった三年生がそれでも腐らずに野球を続け、存在感を見せた。二年生の中にはいわゆる“中だるみ”もあって途中鍛練をつめなかった選手もいましたが、この年の三年生の頑張りというのが、この年の一、二年生が関わるのち2年間の“黄金期”を支えたものとなりました。 今回は94年からの3年間のたたかいを振り返りました。 この間の野球部は「ゆるくない状態からの脱却」を旨にたたかっていました。部員数は少ない、指導態勢も整わない、もともとが男子生徒も少なく部員確保には難儀していた野球部でしたが、それでも夏の大会までにそれぞれなりの頑張りを見せ、試合で全校応援の前で存在証明を見せた事に感激した思いがあります。 ただ、残念なことは、在学中に中軸選手2人が抜け、さらに94年入学生メンバーの中でも2人が野球部をやめた事には今でも残念な思いをしています。野球部を続けるかどうか、最終的には本人の責任になるのでしょうが、それでももう一つ、手を貸していれば(一人だけはそれの仕様もない状況でしたが)な、という思いが頭から消えないのも事実です。 当時の指導者の方の多くは野球未経験者でしたがそれでも工夫されて生徒の育成に力を尽くしていただきましたし、特に96年は実力の差がありながらも、チームとしてまとめ、3年生にも存在価値を与えたやり方には、安堵しました。 次号記事ではこうして踏ん張った先輩たちの思いを引き継いだ選手達が、どういうたたかいを見せたかを記録して行きます。もちろん、中3年、という長期の間隔は空けずに。
2010年03月03日
コメント(0)
この記事では、1月に行われた地方議員選挙に関しての結果を記していきます。◆秋田県潟上市20-2減-20 藤原のりおさん 794票 16位当選◆埼玉県本庄市22-8減-27 柿沼綾子さん 1839票 7位当選 鈴木常夫さん 1259票 19位当選 →定数が2/3になったため、候補者を絞りましたが、2人とも当選。議案提案権を維持しました。埼玉県委員会の記事はこちらから。◆三重県津市36-2減-43 藤本とも子さん 3138票 20位当選 長谷川ゆき子さん(新)2813票 25位当選 和田甲子雄さん 2770票 27位当選 豊田みつはるさん 2769票 28位当選 →悪夢の03年選挙(5人立候補も、1人が最下位当選のみ)から7年。大規模合併後2回の選挙は全員が当選し、議席占有1割を維持しました。 津市議団のホームページはこちらから。◆香川県三豊市26-4減-35 岩田秀樹さん 1129票 24位当選◆長崎県松浦市19-1減-21 安江ゆう子さん(新)919票 4位当選 →5年ぶりの発言権獲得です。 堀江ひとみ県議ブログでの紹介記事はこちらから。◆宮崎県都城市34-8減-47 来住一人さん 2469票 10位当選 有田辰二さん(新)1914票 23位当選 西ノ村清さん 1856票 24位当選 岩切正一さん 1494票 35位落選 →定数減の中、3人が当選し議案提案権は獲得しましたが、岩切さんが惜敗。惜しくも議席占有1割はなりませんでした。宮崎県委員会の記事はこちらから。◆鹿児島県志布志市24-9減-28 小園義行さん 880票 10位当選 →これまでの定数から3割減で生き残りかけて激しい選挙。その政治戦に生き残りました。◆宮城県美里町16-2減-18 福田淑子さん 826票 10位当選 梁川慶一さん 747票 13位当選 →前回比106票増で議席を維持しました。◆富山県立山町14-15 後藤智文さん 852票 14位当選◆和歌山県有田川町18-8減-20 堀江真智子さん 1297票 3位当選 増谷 憲さん 1054票 7位当選 →定数8減で立候補を絞りました。立候補した2人は高位当選を果たしました。◆鳥取県琴浦町19-1減-24 青亀寿宏さん 545票 10位当選 石賀 栄さん 374票 17位当選 →2人当選で議席占有1割は維持。石賀さんは81歳での当選で、共産党議員では多分全国ベスト5以内(鹿児島・いちき串木野市の東さんが82歳)にはなる人生のベテラン議員となります。頑張ってください。◆高知県中土佐町12-4減-13 山中英男さん(新)319票 11位当選 一カ月前まで予定候補だった清岡国男さんが出馬不可能に。急遽山中さんが出馬。わずかな準備期間で当選を果たしました。春名なお章さんの記事はこちらから。◆高知県仁淀川町12-14 伊藤武徳さん(元)202票 13位落選◆宮崎県美郷町12-14 小路文喜さん 324票 8位当選 宮崎県委員会ホームページ紹介はこちらから。◆福島県南相馬市原町区補欠3-4 荒木千恵子さん(新※) →合併前の原町市議会議員。◆福島県喜多方市補欠2-4 田中雅人さん(新※)6828票 4位落選 →合併前の喜多方市議。落選こそしましたが得票21.9%。来年通常選挙(前回は3人立候補、合計2135票も全員落選)の空白克服に向けての足掛かりはつかみました。◆長野県長野市信州新町区増員1-2 宮尾光子さん(新※)1322票 2位落選 →合併前の信州新町議。得票約42%と差を詰めましたが、あと500票及びませんでした。◆岩手県花巻市長 立候補2 高橋綱記さん(新)1万1448票 2位落選◆三重県津市 立候補2 岡野恵美さん(新)2万8575票 2位落選◆京都府綾部市長 立候補3 渡辺よう子さん(新)3789票 3位落選◆奈良県生駒市長 立候補3 溝川悠介さん(新)6772票 3位落選◆沖縄県名護市 立候補2 稲嶺 進さん(新)1万7950票 当選。 一月に行われた政治戦は以上に紹介した通りの結果となりました。 さて、1月は、日本共産党が選挙するにあたって一番の屈辱的な言葉を公の人から浴びせられた月でもありました。 そうですね。東国原英夫宮崎県知事の一言です。 「仮に、次の知事選に自分か誰かが立候補して無投票で選挙がなければ、経費が5、6億円浮く。過去、どんな選挙にも候補を出している共産党さんに(候補擁立を見送るよう)期待したい」 南日本新聞ホームページより。 今までも、色々な形で共産党が、あるいは共産党と共同で取り組むチームが選挙に立候補する際、様々な言われ方で「ジャマだ」と言われて来た事がありました。(1)『“強力な敵”が相手で、対抗票が分散する』 →07年東京都知事選、06年衆院補欠選挙をはじめとしたほとんど全ての定数1国政選挙区。(2)(1)の傍系で『共産党の立候補が「対抗する“組織”を壊した」』 →07年埼玉県知事選挙。(3)相手の候補が強力で、共産党とその共同では勝つのは難しい。『金のムダだから立候補やめろ』 →「オール与党で現職、あるいはその後継候補」対「共産党とその共同」がたたかうパターンの選挙。(4)例外として、法定得票者なしでの再選挙に立候補するも「これは『決選投票』」と“定義”づけられた。 →03年札幌市長選挙。この選挙では“定義”に基づいての抗議が殺到。共産党候補は選挙戦からの撤退を余儀なくされました。 近所の首長選挙でも「共産党と共同候補」と「知名度の高い現職オール与党」の選挙の時に、現職のサイドから「10倍差つけて勝つ」。選挙が終わった後は「あんな所」、一部マスコミからは「価値のない選挙」呼ばわりされたときもありました。 多分、皆さんが自分のブログ見て、一番面白くないな、と思われる記事は、この「共産党の選挙立候補」に関する話だと思います。 よく言われるのが『独善的』という言葉。 たしかに「現状の政治」に納得しないのなら、より大きい力、より大きな共同戦線を組んで立ち向かえば勝てる可能性は大きくなるのは当然。 しかし、政党、団体によってその政治に向き合うスタイルというのは千差万別。それぞれのスタイル踏まえたうえで、一致点で共同できればいいのでしょうが、その一致点の幅が狭い、あるいは一致していても、その当時者同士の関係が良くなく共同に至らない場面も多々あります(一例として07年愛知県知事選挙。石田氏と共産党の共闘の話を民主党が蹴飛ばす)。 選挙という場は、それぞれが持つ主張をたたかわし、その意見をどう政治の現場(この場合は議会・立法府)に反映させるかを争う戦いの場。だから、自分の意見を大きくしたいという思いで、どの立場の人も必死でたたかうわけだし、その戦いの場(この場合は選挙戦)で世間に広く意見を呼びかけ、雰囲気を変えようとするのです。 共産党の場合特に現在の資本主義下の状況に疑問を持ち、その改革をして行かなければ、という思いを持っているだけに、できるだけ多くの機会でそういう問題提起をしたい、世の中の雰囲気を変えたいという思いが強い。だから、多くの政治戦で主体的にたたかおうとするわけです。 もちろん、選挙は勝たないと自分の持つ意見を反映させる事ができないわけですし、より広い共同の作り方など、共産党サイドにも多く追求しなければならない課題は多いのですが、何にしても「ここまで言うか」という類の「共産党立候補するな論」には…と思っていた時に出たのがこの東国原知事の発言です。 はてなブックマーク - 東国原氏「無投票なら5、6億円浮く」 宮崎県知事選で共産候補擁立けん制? 正直、ここまで言うかよ、と激怒し、危うく去年6月のような発作起こす寸前でした。同じ失敗二度もしたらバカなので、しばらく何もかもシャットアウトして、冷静さ戻してからああいう記事書いたわけですが…随分なめられてるし、軽く見られているな、と思いました。 政治体系を二大政党中心主義にしたいと思う人にとって、一番ジャマなのは共産党。共産党の活動の源泉はそこに集まる人達。だから、共産党の力を削りたければ『そこに集まる人』たちのたたかう気力を殺げばいい。『戦闘不能』にすればいい。 目下『戦闘不能』にされている身で言うのも難ですが、俺が共産党勝たせたいと思っているのは、ただ単に自分がいる所だからではないし、偉くなっていい思いをしたいからでもない。ゆるくない思いをしている人をそのまま見殺しにする様な今の世を変えたいんだ、という思いで勝ちたいんだ、と思ってます。だから、その現場に立ち続ける仲間には、頑張ってほしい、ああいう発言はぶっ飛ばしてほしい、と心から願います。
2010年03月03日
コメント(0)
この項では、2月に行われた地方議会選挙の、日本共産党のたたかいの結果を紹介します。◇東京都町田市36-48 細野龍子さん(元)4028票 15位当選 殿村健一さん 4004票 16位当選 池川友一さん(新)3159票 28位当選 佐藤洋子さん 2940票 31位当選 佐々木智子さん 2754票 35位当選 →今回は16885票。06年16916票←02年17025票。高嶋均さんに代わって当選した池川さんは25歳。細野さんは前年都議選でたたかい、今回の当選で議会に復帰します。◇東京都日野市24-2減-29 奥野倫子さん 2595票 11位当選 中野昭人さん 2266票 18位当選 清水とし子さん2263票 19位当選 中谷好幸さん 2166票 20位当選 大高哲史さん 1849票 22位当選 →かつては共産党が与党だった自治体。合計得票は11139票で、前回が10746票で、定数減の中議席占有2割を達成しました。◇京都府南丹市22-4減-27 仲 絹枝さん 1052票 2位当選 高野美好さん 989票 4位当選 大西一三さん 695票 19位当選 →合計2736票。06年は2372票で364票増票。提案権を維持しました。◇鳥取県境港市16-17 定岡敏行さん 933票 12位当選 松尾好行さん(新)901票 13位当選 →前回は定岡さん1人の当選。補選で約3000票獲得した経験のある松尾さん当選し、2議席獲得、議案提案権を獲得しました。 定岡さんのブログはこちらから。◇福岡県糸島市24-◆減-36・旧前島市15-3減-18 伊藤千代子さん 2312票 2位当選 古川忠正さん 1923票 8位当選・旧二丈町4-9減-8 桧和田正子さん 993票 4位当選 →旧志摩町(5-10)は立候補なし。今回は3人計5228票。前回選挙の4653票から伸ばして3人当選。議案提案権を新議会で獲得しました。◇佐賀県小城市22-4減-24 松尾義幸さん 1322票 3位当選◇鹿児島県指宿市22-4減-29 前之園正和さん 926票 22位当選 吉村重則さん 925票 23位落選 →前回選挙1756票→今回1851票。21位当選者が931票。2人合計で13票足りず、議案提案権獲得なりませんでした。◇埼玉県ときがわ町13-3減-15 野原和夫さん 528票 7位当選◇滋賀県愛荘町16-17 滝すみえさん 697票 4位当選 辰巳 保さん 485票 11位当選 →前回選1484票→今回は1182票。◇鳥取県若桜町10-12 中尾理明さん 214票◇山口県上関町12-2減-17 田中照久さん(新)85票 17位落選 →8年前の選挙で現職議員が当選しましたが、前回選挙前に引退。田中さんが移住し立候補しましたが、残念ながら及びませんでした。◇福岡県宇美町14-2減-16 山野芳則さん 919票 9位当選 鳴海圭矢さん 622票 14位当選 →1541票は、前回1502票より微増。定数減の中複数議席を維持しました。◇佐賀県みやき町18-20 中尾純子さん(元)849票 8位当選 益田清さん 708票 15位当選 →07年参院選で候補者としてたたかった中尾さんが議会に戻って来ます。今回は1557票。230票伸ばしました。◇愛知県豊川市増員5-9 深井徳美さん 1484票 1位当選 →小坂井町時代の選挙では深井さん、仲村さんで1246票。さらに増票して、1位当選で豊川市3議席目を獲得。議案提案権を獲得しました。◇滋賀県長浜市増員6-13 旧湖北町1-2 杉本敏隆さん(新)2872票 1位当選 旧高月町1-3 井口賢一さん 1766票 2位落選 旧木之本町1-3 大石栄昭さん(新)1004票 3位落選 →湖北町は共産党が3議席を持っていた町。定数3の補欠選挙で、自治体合併の是非かけた理由もありましたが、2議席獲得かけて互角にたたかえた(結果は計1773票で1議席)自治体でもあります。湖北町で999票(通常選が無投票のため比較は補選)、高月町で約3倍(前回選595票)、木之本町でも元職が約3倍(前回選333票)伸ばし、存在感を示しました。◇福岡県八女市増員5 旧立花町5-7 森 茂生さん 957票 5位当選 →前回選では597票。そこから得票を大幅に伸ばし、わずか3票差ではありましたが次点者をかわし当選しました。◇茨城県阿見町補欠2-4 永井義一さん(新)3776票 4位落選◇埼玉県深谷市補欠1-3 鈴木三男さん(元)14671票 3位落選 →07年選挙では3人擁立も当選1人のみ。今回も復活なりませんでしたが、来年にむけてのリベンジの体制整ったことと思います。◇千葉県匝瑳市補欠3-5 日色昭浩さん(新)4919票 2位当選 →議案提案権を獲得しました。 集団投稿がずれた事もありまして、一つの集団投稿で二度の「月間選挙結果」を記載することになりました。それはそれでいいとして、3月1日の赤旗見てひっくりかえりましたね。 3月は今回紹介したのと同じくらいの選挙がありますが、4月は…“平成の大合併”に起因して、選挙の数が多くなっています。合併した自治体の多くはその自治体としては二度目の選挙となります。 岩手県関係では3自治体で選挙が行われます。 岩手県奥州市では現職の及川善男さん、千田美津子さん、今野裕文さん、菅原明さんに、新人の千葉敦さんの計5人がこの政治戦をたたかいます。しばらく前までは無投票か、とも言われていましたが、寸前で立候補者が出て、選挙戦になる事が確定しました。 2市2町1村合併という大規模合併で、広く大きな自治体となった奥州市。合併につきものの「負担は高い方、給付は低い方」に合わせる方式。さらに一昨年の地震に細かく対応できなかった行政の在り方が問われている選挙で、草の根から暮らしをもり立てる運動をしていた日本共産党と、その議員が、それぞれの地域で“存在”し、政治の最前線で活躍できる様に頑張っていただきたいです。 特に、江刺区は江刺市時代から2度の選挙で、それぞれ立候補した方は意気高くたたかいましたが、共産党の議員を送り込むことができずにいました。 今までの政治戦で得た得票の2倍が必要となる政治戦ですが、獣医として、民商の会長としても活動していた千葉さんにも、激戦突破して江刺区はじめとした市民のために頑張ってほしいです。(活動地域→千田さん、及川さんが水沢区、今野さんが胆沢区、千葉さんが江刺区、菅原さんが衣川区・前沢区・水沢区南部) 4月には宮古市、八幡平市でたたかいがあります。 八幡平市は現職の高橋悦郎さん、米田定男さん、山本栄さんの3人が、宮古市は同じく現職の田中尚さん、崎尾誠さん、落合久三さんの3人が立候補します。前回の選挙では八幡平では3人当選しましたが、2人が20位台での当選。宮古は3人とも20位台で、1人は落選の憂き目にもあいました。ともに現状の力を維持するには前回選挙以上の力を持たなければならないという大変な政治戦です。 一つ一つの政治戦がその地域、あるいは全国的な政治の流れをも決めるものとなっています。それは、一自治体の選挙とて同じ。私も近隣の奥州、あるいは12年前に手伝いに行った宮古に手伝いに行きたいのは山々ですが、悔しい話、体の調子と自分の生活を維持するので精一杯で手伝うことができないのが現状。それでも一連の政治戦に勝ってほしいという気持ちは変わりありません。 今回の記事製作では、38人が立候補し、31人の当選。4つの自治体で議案提案権も獲得しました。とくに千葉・匝瑳市では身体障害を持ちながらもたたかいに挑んだ日色さんが当選し、提案権を獲得しました。こうした一つ一つのたたかいが、全国でのたたかいを励ますものになるので、全国で最前線でたたかう方に、繰り返しになりますが、頑張っていただきたいと願って、この一文を閉じさせていただきます。
2010年03月03日
コメント(0)
今、政治の一つの課題になっていますね。 政治活動に使うお金をどこからもってくるか、という事で。 現政権の一番の責任者・鳩山首相、民主党の軸とも言える小沢一郎幹事長ともに献金問題で騒がれていて…民主党、あるいはその支持者の方から言わせれば「検察の行動に問題あり」という意見も聞かれますが、まずこの問題に関して整頓しておく事は必要でないでしょうか。2010年1月30日(土)「しんぶん赤旗」公共事業を食い物に 小沢氏疑惑の核心2009年10月21日(水)「しんぶん赤旗」鳩山首相「偽装」献金問題 04年も虚偽記載の疑い 求められる説明責任 と、まずは共産党がどういう態度でこの一件を見ているかを赤旗の記事で紹介させていただきましたが、その赤旗で最近見かけた記事で気になるものがありました…の中身をウェブ紹介しようと思いましたが、残念ながらウェブでの紹介記事がありません(個人ブログの紹介のみ)。要は中身が何かというと、アメリカ連邦最高裁で「あらゆる団体が献金を規制した法律は言論の自由を制限する」という判決が出された、という中身の記事です。 この記事の中で見てほしいのは、オバマ大統領のコメントです。 「判決は新たな利益誘導型の政治を許可した」 「小口の献金で候補者を応援する庶民の影響力を害することになる」 オバマ大統領のコメントは、直接的にはこの裁判に対するものではありますが、この発せられた言葉というのは『企業献金がどういう性質をもつものか』というのを示したものになります。 企業献金は、いうまでもなくその原資は企業のお金です。 (↑この一文に限り『バカかあんた』という抗議受付けません) このお金を「利益を求めないで」献金すれば、背任行為です。 このお金を「利益を求めて」献金すれば、それは賄賂です。 こういう性質をもつ献金が、政策決定に影響する事になれば、オバマ大統領の言う「庶民の影響力を害する」事になるんです。 こういう「有権者の意思表示を妨害する行為」だから、共産党は自分たちで企業・団体献金を求めて来なかったし、いずれそれはヤメにすんべという事で動いて来た訳なんですよ。何がどうあれ、政治で決めることってのは、全国民を拘束する訳ですし。それが、その民意や政策の必要度以外の要素で決められたのではたまったものじゃないのです。 自民党はどういう視点でこの問題扱っているのか知りませんが、少なくとも私らは、以上にあげた影響という観点から、この問題を厳しく見ている訳です。 この問題を軽く見るとどういうことになるか。 結局は、税金の負担増、余分な支出という形で返ってきてしまう。 そういうことがあるから、検察の側の行動がどうこう、ではなくて当事者サイドの説明ってのが必要かつ重要になる。特に、国の施政者という責任あるポジションにある人なら、特にです。事実が報道されているのと違うのなら、そのこと語ればいいし、事実で、法に、あるいは政治的道義にふれるものであれば、それ認めたうえでやり直せばいい。ただそんだけでないでしょうか。 今回、一連の問題で民主党が取って来た態度には、疑問符つけざるを得ませんが、かといって自民党側の対応も『今まであなたがたが取って来た態度はどうなんですか』と思わせる部分もあり、31日の大島幹事長の記者会見でも「規制法」の中に企業献金の禁止を盛り込む事すら拒否しました。 先にも言いましたが、企業の献金は彼らにとっても「どっちに進んでも…」というものであり、個々の有権者の思いも押し潰すもの。政治にかかわるお金の使い方は様々な問題点もあり、切り口もあります。共産党も個人献金、あるいは個々人を対象にした財政活動で活動資金を捻出しています。最近ではネット献金というのもあるようですが何にしても言えるのは『有権者個々人の思いをジャマしない』やり方を追求していただきたいな、と切に願います。 と、いう事で、ボロが出る前に(もう出ているかもしれないけど)この項の記事製作終わらせていただきます。(2月17日追記) と、1月中に書かせていただきましたが、2月になり事態は発展。小沢氏は不起訴。石川氏ら小沢氏側近と呼ばれる方3人が起訴されたという情報が入りました。 この件に関しては、北海道5区選出の小林千代美氏の献金問題も含め、民主党が企業・団体献金に頼っている構図、あるいは、どのようなお金の出入りがなされているかのチェック体制の甘さが伺えるものとなっていますが、その一方で検察側の行動にも疑問が提起されているモノもあります。 一部報道が伝えているとおりに、家族あるいは周辺の人物を使った“脅し”が行われているとしたら、それは問題外の事ではありますが、その事と、政治献金の仕方に疑問があった事とは別の問題ではないのか、と言うのが一つ。 もう一つは共産党がこの問題で検察を批判しない事に対しての批判がなされている事が一つ、以上2点が2月以降気にかかっている部分です。 小沢氏たちの献金問題は(※問題点簡潔に)という部分で問題があるのです。上記に書いた「企業の金(=力)で政治で扱う金の使い方に影響」される政治がいいのかって事で、この問題、扱っている訳です。この点、同じ事をしてきた自民党なども、自らの失地回復狙って突っ込んでいますが、彼らもこの手の問題は数多く起こしています。一緒にされたくないものです。 検察の行動に関しても、一部週刊誌が書いているような取り調べがあるのだとすれば問題ですが、それはそれで対処すればいい話。その問題があったから、この問題全体がないんだという議論には「それは違うのでは」としか言い様ありません。 最後に。去年の総選挙で示された民意というのは、今までの自民党中心とした政権が長いこと続けて来た「企業団体献金による利益誘導」イコールして「一部の人にしか税金の恩恵を受けない社会」に対しての批判も含まれて来たものではなかったのでしょうか。 そういう点考えれば、企業団体献金からの卒業という道に踏み出す。今現在でも「影響力ある人に対しての“付け届け”で仕事をもらう」様な金の使い方をやめる必要があるのでは、と考えます。 公共事業は文字通り「公のものに対しての事業」。 それが「仕事のための仕事」を与えるような事があると、結果「公のもの」にならず「ムダ使い」になってしまうのです。そうでなくとも、橋など公の施設が老朽化し、これ以上放っとくのがムリにもなって来ます。そのときになって「お金ありませんでした、修繕できません」では通りません。 そういうのも防ぐためにも、回り回ってですが「むだな金を使う基」には敏感に対応しなければならないのです。 少し前の記事で(二十九の巻・アンチ扇状)ある勢力が嫌いだからと、その対象のやる事成す事全部嫌いだというような見方、書かれ方をされている事に関して勘弁して、という趣旨の書き方をした事がありました。具体的に一つあげれば、私のいる党のお金の集め方でしょうか。 個人献金もそうですが、ある団体に所属するという事は、その団体の行動を認めたからする行動。自分が応援している団体には強くなってもらいたいから、そのための行動のために必要な資金を、党費であれ、事業収入であれ、寄付・個人献金であれ、さまざまな形で行うものです。 そのための財政活動というのがどれほど大変かというのは、一応15年党活動しているもので、さまざまぶち当たる所がある訳ですが、食いぶちまで指し出せ、というよう苛酷な態度をとった事も、あるいはその場面を一度も見たことありません。 たしかに、共産党には金持ちが沢山入っている政党ではなく、むしろその逆で、そういう人達から金を集めるのはどうかという“善意”で言われる方もいるとは思いますが、その勢力を伸ばしたいと思う人が、それぞれの思いで工夫して集めたものでない限り、自分たちの意思ではない力を与えさせてしまう基にさせてしまう-たとえ、今現在がそういう状況許してしまっているとしても-のです。 だから、やせ我慢言われても政党助成金受け取らない、企業・団体献金受け取らないのはそのためなんです。それら受け取れば、財政は楽になるのでしょうが、その代わりに「市井に住む人々と結び付く力」が弱まるだけ。イコールすれば、それは共産党の“武器”を奪うことにもなります。 この記事では17日に書いた追記の方が多くなってしまいましたね。 この一文も参考にしていただければ、と思います。
2010年03月03日
コメント(0)
皆様、今回の集団投稿はいかがでしたでしょうか。 今回は野球が5つの共産党・政治活動が3つで書かせていただきました。ホントなら、後2つ3つ行きたかったのですが、やはり日常の生活も入りますからね。それでは、各記事の言い訳特集記事内では収まらなかった部分に関して一筆記しておきます。《社会人野球》四十三の巻 熱き11日間。2003年6月の10試合 パート1四十四の巻 熱き11日間。2003年6月の10試合 パート2四十五の巻 熱き11日間。2003年6月の10試合 パート3四十六の巻 熱き11日間。2003年6月の10試合 パート4 まず…社会人野球に関しては、ずっと気にかけていた『2003年6月のたたかい』に関して、まとめて記述することができました。試合そのものも、その後の野球に挑むスタンスも、勝者の重み、責任というのも、この一連の試合で感じる事ができました。一試合、あるいは一日単位で言えば、他にも思い出に残る試合はありますが、連戦連戦でのたたかいでは、この11日間に勝るものはありません。そして、この11日間のたたかいが、実は今書いている小説の原動力にもなっているのです。 2006年以降の試合はこのブログに記しているので、それ以前の『熱い勝負』を、順次記して行ければ、と考えています。《高校野球》四十七の巻 一筋の光を手繰り寄せる頑張り~大農野球部の戦い(3) 前回(2)を書いたのが2006年の8月4日。8月6日に「予告編」を記しましたが、この予告が実現されるまでに3年半の時を刻みました。 やっとこ完成させた「パート3」ですが、書き方を思い出すまでに時間がかかりました。この記事を書くために、過去の『大農野球部レコードブック』を引っ張り出し、そこに記したルポタージュを見ながら、頭の中のビデオテープをガシャコン動かして…で完成させたのが以上です。 どうしても個人保護の観点から、名前を出さずに記事を形成する必要があり、その部分どういうふうに書くかは難儀していますが、それでも大農野球部に在籍し、居場所を作り、今社会に飛び立っているメンバーの熱いたたかいばかりは記して行ければ、と考えています。状況許せば「ニックネーム」形式は考えますが…。 次回は『一番勝利に近かった』97年の試合を単独で記す予定にしています。《共産党・政治活動》四十八の巻 1月の地方議員選挙の結果+東国原知事発言を基にして、共産党の立候補に関しての雑感。四十九の巻 2月の地方議員選挙の結果+身近な政治戦の雑感。五十の巻 小沢氏はじめとした民主党の「お金の問題」に関しての雑感。 2月中に集団投稿ができず、毎月毎に書いている(←いつもまとめているくせに)地方議員選挙の結果を2カ月分書く事になってしまいました。付属で書いている記事は「あんたに何ぞ言われたくない」と言われても仕方がないものですが、それでも1月分に記した記事は私伊東定番の「立候補問題」、2月分には地元の政治戦もからめながら、一つ一つのたたかいを大事にしていただきたいというメッセージを込めて書かせていただきました。どうしても現場に立つには制約も多く、生活の糧も得なければならない状況でもあるので、週末には再びどこかの面接に挑まなければなりません。何とかクリアして、政治活動を手伝える状況作りたいというのが、偽らざる私の本音です。 小沢氏の問題。民主党の「乗り越えられない部分」の一つ「財界、アメリカの覇権主義に刃向かえない」部分が出ているものになっています。結局そういうお金をもらっている事が、必要性で言えば「?」の建築物を造らせている原動力になっているとしたら、結果「税金の私物化&無駄遣い」に手を貸しているのも同然。そういう点で厳しくモノ見ているわけです。後に北海道選出の議員の献金問題に関しても「ある団体に所属していれば、必ず一つの党を支持しなければならない」という強制が問題。政権は変わりましたが、まだまだ乗り越えなければならない事は山積しています。 あと、この記事制作で「名護選挙を通じた“安全保障”」「ILO条約を通じて見た“労働条件”」を記す事ができなかった事、あと一歩で完成というところで電源が切れ、2月の結果の記事でリンク記事をはれなかった事をお詫びします。《まとめ》五十一の巻 3月3日しゅーだんとーこーのはんせーにっき。 この記事だっちゅーの。《小説》船渡人生物語 元気27歳ただ今初夏~レポート1 それは突然やって来た(2)船渡人生物語 元気27歳ただ今初夏~レポート1 それは突然やって来た(3)船渡人生物語 元気27歳ただ今初夏~レポート1 それは突然やって来た(4)船渡人生物語 元気27歳ただ今初夏~レポート2 一年前(1)船渡人生物語 元気27歳ただ今初夏~レポート2 一年前(2)船渡人生物語 元気27歳ただ今初夏~レポート3 救援依頼(1)船渡人生物語 元気27歳ただ今初夏~レポート3 救援依頼(2)船渡人生物語 番外編『裏伊東日記』(2) この部分に関しては『裏伊東日記』にまとめて記します…と思いましたが、3月4日時点では制作することができませんでした。本当にすみません。 ここで書ける部分があれば…今回書いた部分で、原稿用紙消化は53ページになりまして、まだ物語は15分の1通過した、という所です。 というわけで、今日も沢山の記事を書かせていただきました。 次回の投稿は4月にでも、と考えています。 それまでは毎々日の投稿をお楽しみ(できるレベルではないのは承知で)いただきます。 たくさんの拙稿お読みいただきありがとうございました。
2010年03月03日
コメント(0)
日曜日のチリ地震を起因とした津波。岩手や宮城ではメートル単位で津波が押し寄せ、海岸に接した地域ではすっかり水に浸かりました。漁業施設などで被害が出たのが残念ですが、人的被害は日本では出ていませんでした。チリ地域の地震の被害とともに、総力あげて復興できるように政治も頑張らな、ですね。 先週末に受けた就職試験でしたが、残念ながら不合格、との事でした。 やはり、荷物積まさらなければ仕事にはならない、という判断ですか…。 結果は結果で仕方がないとして、また仕事探します。ハイ。 去年の末に、障がい者に対して妄言を吐いた竹原信一・阿久根市長の発言、行動に対する抗議集会が、阿久根市で行われました。竹原市がどういう文脈でモノしゃべったか、中々はっきりとは言わないせいでワヤワヤしていますが、この言葉で障がい者が「自分たちは生きていていいのか」というショックを受けたのは事実で、その思いを集団で形に表したのが、今回の集会です。 阿久根市長:差別記述問題 「障害者冒とく、許せない」--県民集会 /鹿児島(毎日新聞) - Yahoo!ニュース 所が…竹原氏自身がこの集会に関して何か話した、という話は聞きませんが、竹原氏の周辺でこの集会に対して毒を吐く記述を見かけました。 いわく『自治労とそのお仲間だけの集会で示威行為ならぬ自慰行為』 いわく『単なるわがまま』。 だから、市長はそこに出る必要はない、ヨコミネ式教育法の講演会の方が大事だからそちらへ行かれた、との事です。 なるほど。 市長の動向及び、ヨコミネ式教育法に関してまでどうこう言う気はありません(ヨコミネ式~がよく分からないのもありますが)が、集会に対しての言い様には感心できませんね。 よく、そこまで言えた、と思いますよ。 阿久根市の政治状況見ますと、どうにも「反対派」の居心地が悪くなる一方で。 ブログ市長:「妨害勢力は一掃」施政方針演説で - 毎日jp(毎日新聞) どうしてもね、人の集る場所ってのは、色々様々な人が集るわけですよ。集れば、色んな利害が絡む。それどうすりゃいいかって言うと『最大公約数でいい“集まり”にする』ってのが、とくにその“人の群”の頭に立つ人たちの考える事ではないでしょうか。 自分が直接知っている首長さんが1人、話を聞いた事がある首長さんが1人、同じく首長を経験されてきた方が1人いますが、3人ともその街をよぐすんべって合意形成するためにすげー骨折っている姿が見えるんですよ。それぞれ自分の立場もありますが、それでも細心の気使いしていますよ。だども、そうやってまちづくりをしている結果、少なくとも「住民がないがしろにされている政治」を減らす事が出来ているんです。 ところが、竹原氏とその周辺の人のとる行動は「反対派の排除」でしょう。 力ずくで押し通す、というのは一見いいように見えますよ。それまでの空気をがらっと変える。うーん、いいねぇ…とはならない。 その影には無理やり押し通された人の「怒り」があるんです。 その怒りに火がつけば、大変な事になる。だから、それ以上の“力”をもって、反対派を粛清する。そうすれば“キレイ”になったねチャンチャン、とはならない(し、なってたまるか)。 一回、大きな桶に水並々と注いで、歩いてみてください。 何も波が立たないうちはよく歩けますが、波が立つと持って歩くのに簡単でなくなるんですね。波を何とか平らにして持っていかなわんない。だからおっとっとと体を調整するけど、まず大抵の場合は水まかしておじゃんです。これと同じようなものですよ。力任せに政治するって事は。必要な事に力を注ぐのとは別です。 そうこうしている内に、今度は名古屋市議会の議員定数に関しての記事も。 先日は盛岡市議会(人口約30万人:42→38or36)に関して話しましたが、名古屋では現行75から38に減らすという案が出ています。(人口約225万人)日本共産党名古屋市議団 - 市政情報 市議定数の削減は民意の削減、民主主義の破壊強権政治ねらう河村市長の暴挙を阻止する緊急行動を 非国民通信さんのブログでは、市議会に変わっての“民意を吸い上げる機関”に関して触れています。ムラ社会化が進むような気がする - 非国民通信 力任せの政治で『嵐が過ぎ去ったらひどい様だった』という結果になるのはもう勘弁して、という気持ちもあります。議員定数38で、5万9210人に1人の議員。先の盛岡市の案でも約8300人に1人です。本当に市井の意見をくみ取る事が出来る議会になるのか…不安だらけです。 勢いに任せないで、考えてほしい事です。 とばかり語らせていただきまして、今日の記事制作終わらせていただきます。 今日も拙文お読みいただきまして、有難うございました。
2010年03月02日
コメント(0)
全26件 (26件中 1-26件目)
1