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ときどき、会話の経過で相手がキレる場合がありますね。キレた人って、その場の状況とか、相手の気持ちとか、なんにも判断つかなくなって、激しく相手を攻撃してしまう。私は滅多にキレたことがありません。キられたことは結構あるけど、最近はないなあ。キレちゃったら楽だろうなあー、と、キレてる人を見ながらよく思ったりしています。キレちゃったもん勝ち。自分の感覚的には、これと似たようなのに、酔っ払っちゃったもん勝ち、というのがありますね。あとは野となれ山となれ、っていう感じ。これは過去にはありましたね。そのときのことはよく憶えてない。何をしたのだろう、オレ・・・?? 見たいな感じ。で、ところどころ断片的に記憶が残ってて、それがとんでもない醜態だったりすると「ギャー!!」って思ったりね(笑)。思い出すのも怖いので、最近はそんなになるまで酔っ払わないよう注意しているつもり(笑)。って、そもそも今は医者から呑んじゃいけないって云われてるんだけどね。ナイショナイショ・・・。キレちゃうほうの話に戻りましょうか。キレちゃってるときって、その人は、たまりにたまった己の思いのたけをぶっちゃけて、いわば本音を吐き出して、スッキリしたいときなんじゃないですかね。浄化(カタルシス)ってヤツです。たまに、そうでもないこともある。キレたフリをする人とか(笑)。私はこれはやったことがあります。相手の反応をうかがいながら、キレる。相手がびびってるのを確認しながら、だんだんと声を和らげて話を優位に進めたりとか。クレームのときにたまに使いますね。またまた横道にそれかかりましたので、マジでキレちゃってるときの話。ある意味、相手の語調とかを堪えて聞いていると、話が脈絡なくなって、あれもこれもくっつけてぶつけてくることが結構ある。それを整理して聞いてあげて、キレてる相手の話を肯定的に受け止めると、キレた状態が収まることもありますね。相手をなだめつつ、通じる言葉に直してオウム返しする感じ。カウンセリングなんかだと、相手(クライエント)がキレてる場合のほうが、相手の本音とか心の奥底からの声が聞けるから、うまくいく場合が多いような気もします。それで、それを肯定的に受け止めてあげることによって、クライエントとの信頼(ラポール)を築き易い気もします。まあ、そうとばかりも云えませんし、そんなに楽じゃないでしょうけどね。怒りの度合いにもよりますし。怒りの対象が自分になってるときなどは特に。仮にそうなったときでも、自分と相手を客観視できるための練習、というのもやったけど、いざ実践となるとやはりビビってしまうのかなー。ただ、そういう場面も乗り越える必要はありますね。あと、「ネット上の会話でキレてる」とか「メール上でキレてる」というのがイマイチよくわからない。文章を見ると、怒りの気持ちを綴ってる。だけど、その感情って、いつまで続くのでしょう?いつ、どこでキレてるのか、またはそうじゃないのか。あとで実際に会うとひょうひょうとしてたりする場合もあるし。まだそこで遺恨残しているのかどうかとかね。チャット会話でキレちゃった子の事件の話はこの前あったけど、そうなる経緯って、見えないからやっぱりわからないのかもなあ。実際に会ってみたときに、別のサインが見えればいいんだけどなあ、などと思います。ちなみに、そういう怒りの文章を書いてスッキリするの? というのもよくわからない。書いてる人が、書いてるうちに気分が昂揚してきて、不満なんぞをドンドコドンドコ書いちゃってる、というのは見たことがあるけど、そんなに書かなくても電話で話したほうがスッキリするんじゃないのかなあ。って、その頃は自分がケイタイ持ってなかったのが悪いんだけど。これとは別に、以前、「機嫌悪いでしょ?」とか「怒ってるでしょ?」という質問を、こういう「ブログ」だとかBBSの文章を読まれて質問を受けたことがあるんだけど、そのときの自分の気持ちを振り返ってみたら、そうでもなかったりしたこともあったりするわけでして、質問をくださった方の分析はちょっと外れていたんですね。感情というのは、そのときそのときで違いますからねえ。ただ、面倒臭くて文章がガサツだったりトゲトゲしくなることはあるかもね。もし「トゲのある文章」だった場合は、あるいは書いたとき機嫌悪かったりしたかもしれない。だから、そう読まれた方にはお詫び&訂正するしかないのですが。あ、そっか!!こんなふうに、ウダウダ文章で長ったらしく、起承転結もはっきりしない、オチもへったくれもない文章を読んで、「結局何がいいたいんだよテメーはよ!!」みたいな感じで、イライラして怒る気持ちはわかるかもね(笑)。
June 30, 2004
NHK大河ドラマ「新撰組!」は、はじめのうち「なあんだ」という感じであったが、回を追うにつれ、見所も多くなってきて、自分の中では「意外とやるじゃん」的な、「なかなか好きなドラマ」になってきつつある。とりわけ、この話の中での近藤勇役を演じている香取慎吾は、何年か前は「しんごママ」だったりするわけで、ナヨナヨっとしたしゃべり方が「いさみちゃん」と呼びたくなるほどで、全然近藤勇っぽくなかったりするんだけど、キャスティングを除けば、脚本自体はなかなか面白い。前回は、新撰組の前身「壬生浪士組」筆頭局長の芹沢鴨を、内紛で暗殺する話だったのであるが、そこにいたるまでの、近藤とその仲間達の葛藤が手に取るように見える。有能ではあるが無頼の徒でもある芹沢を筆頭局長に立てておくことは、支援を乞うべき幕府や会津藩等とのパイプ役として有効だが、組員からの人望という点で近藤勇のほうが勝っている。扶持を得るための力は、それまでの実績で十分得ていると判断できる。独立する段階になって芹沢を廃するのがよいことなのか、残しておくべきか。さてどうする?当初、将軍家を擁護するために、清河八郎率いる「浪士組」に加わった近藤らだったが、長州藩の唱える尊皇攘夷の思想などにより、いつしかその目的が「天皇家を守る」にすり返られ、清河の「浪士組」は天皇に伴って江戸へ戻ることを決める。そこから近藤勇、土方歳三、水戸藩出身の芹沢鴨らが、当初の目的であった「将軍家を守る」ことに固執し、清河らと別れて京に残り、会津藩の支援を受けて「壬生浪士組」と自ら名乗って新たに旗揚げするのであるが、それまでにも近藤、土方らは常に、どの道を選択すべきかで論議を重ね続けるのである。ドラマの中では、人を斬ることひとつに対してすら、延々話しあうシーンが見受けられる。そもそも多摩の農民出身の彼らにとっては、人を斬ることに対しての抵抗がなかったかといえば、それは生まれながらにして武士であった者と比較すれば、あったのに違いない。その心理描写は、ある意味リアルであるといってもよいかもしれない。もしくは現代人の意識に合わせて綿密に作り上げられた脚本なのかもしれない。けれど、これから先の新撰組の歴史の中で、人を斬ることは使命であり生業にもなっていく。その葛藤との戦いが、長州、薩摩など倒幕派との戦いと同時に、繰り広げられるのである。「武士道」と己の魂との戦い、とでもいいましょうか。そういう目で見ていくと、このドラマは、なかなか面白いのでありますね。京都に残ると決めた近藤ら「壬生浪士組」が組員を募集している最中、水戸出身の筆頭局長・芹沢鴨を監視する役回りとして組に入った殿内義雄を、芹沢が斬った。このことからも、局長である近藤の葛藤と苦しみがはじまる。仲間をそんなに簡単に切り捨ててよいのか、と、近藤は芹沢に詰め寄るが、水戸という、武道盛んな地に生まれ育った芹沢に、罪の意識は希薄だった(んだと思う)。やがて、近藤と芹沢の確執が深まり、近藤を筆頭局長にするために、彼と相容れない芹沢を斬る、という結論に達するまでに、またしても近藤は思い悩む。同志を斬ることが、果たして「武士道」に従ったやり方なのかと。あるいは「武士道」にもとるやり方なのではあるまいかと。結果、近藤の不在時に、土方歳三らが、芹沢の懐刀であった新見錦を切腹せしめ、次いで、近藤合意の上で、芹沢鴨を暗殺する。というのが、前回までのストーリー。時代劇ファンには物足りないドラマではあると思う一方、近藤勇ら登場人物の人となりや人間模様がむき出しになっていて、サッと流して見るのがもったいない、というところが、ある意味このドラマの最大の魅力ではあると思う。近藤勇は、熟慮断行派の、常に自問自答を繰り返す、激動の時代のリーダーとしては、いささか煮え切らないところのある、「武士道」を重んじ、将軍を重んじることに固執するが、それによって生じる矛盾をなかなか乗り越えられない(結果、一歩一歩乗り越えていく)。これまでのこの物語の中ではそんな役どころの人物として描かれている。それが今後、どのように変容を遂げていくのか、が楽しみなドラマではある。
June 29, 2004
通勤電車で、オッサンが座ってスポーツ新聞をデカデカと広げて読んでいた。隣に座ってる若い女性は、文庫本を読んでいた。女性の本を読む目線に、オッサンの新聞がガバッとかぶさった。女性は、オッサンのほうをキッと見た。オッサンは気がつかない。女性は、「ちょっとすいません」とオッサンに声をかけた。オッサン「なんだよ」女性「その新聞、もうちょっと狭めて読んでもらえます?」オッサン「うるせえ!!」女性「うるせえとはなんですか!?」オッサン「どう読もうが、オレの勝手だろうが!!」女性は、たまらず席を立って、次の駅を降りていった。オッサン「なんだ、降りるんじゃねえかよ」女性、降り際に「乗ってる間ずっとガマンしてたんだから!!」どう見ても、オッサンのほうが悪い。女性は、その駅で下車するつもりだったのかどうかわからない。もしかすると、オッサンと同じ車両に乗ってるのもイヤになっちまったのかもしれない。痴漢とともに、こういうのは「迷惑行為」としてポスターになって貼られているわけでもあり。朝の、その女性の心地よい通勤タイムを台無しの気分にしてしまった。ザンネン!!オッサン、「チッ、アンタ、よくねえ顔だぜ」と、捨てゼリフを吐いたけど、車両に乗る周りの全員から冷酷な視線を浴びて、新聞に顔をうずめた。まことに残念だが、オッサンには切腹を申し渡したい。会社のトイレに入ると、「ウギャー」と、叫びはしなかったけど、心の中で叫んでしまった。小便器の下に、「オシッコの水たまり」が。。。犯人はわかっている。年配の男性社員。これまでも、この「犯人」の使ったあとにトイレに入ると、100%の確率でこの水溜りができておった。いないときはこういうことは、まずない。社内で、社員向けに注意メールを何度も送っているのだが、彼はメールを読まない主義らしい。ちょっと注意を向ければそういうのは自分で処理できるだろうが!!この水たまり、いつも後始末してるのはオレなのだ。この会社は、社員の下の世話も必要なのかな?来客もあるし、男女共用便所だし、総務の人は女の子だから、そんなメール自分では遠慮して送れないし・・・、ザンネン!!というわけで、このオッサンにも、切腹を申し渡したい。
June 28, 2004
今日の試合の結果から先に云うと、3-14でコールド負けでございました。セカンドという、あまり(というか殆ど)馴染みのないポジションに戸惑いまくって、ポテン、ポロリ、ドテッ(転んだ音)の連続でございました。なかなかねー、今回は、初ポジションにもポジティブに臨めなかったね。ファインプレー決めたろ! とか、全然考えるココロの余裕なし。これではいけませんな。もっとその場の緊張感なり、ランナーとの駆け引きなどなど、エキサイティングな空気をもっと楽しまないと、上達は望めない気がします。バッティングは向上のあとが見られ、レフト前にリンカーン!と一発かまし、個人的には意地を見せたつもりでありましたが、その前の失点が痛かったね。悔しい気持ちが前面に残る試合だったですね。ただ、最終回に相手が送り込んだ豪腕速球派を、ウチの上位打線が難なく打ち崩してたのは、ちょっと気分よかったですね。ヒットは結構出たみたい。課題は守備全般、という試合となりました。試合前の情報では「おっさんチーム」とのことだったのだが、おっさんはおっさんでも、「よく走るおっさん」たちだった。そのあとの宝塚記念にもこれは響き、おっさん馬のタップダンスシチーが大駆けしました。我がリンカーン! は、ウチのチームの得点にちなんで3着。そういうオチがついてたのかよ。。。
June 27, 2004
明日は、大事な大事な秋の大会1回戦でございます(まだ夏にもなってないのに、なぜか秋の大会)。これが終わると、今年の大会は、区民大会を残すのみ。すでに1回雨で延びているので、明日はぜひ晴れて欲しい(=人=)!!身体の準備は万端でございます。ガツンガツン売って、外野フライもバシバシ取り巻くってやるのだ(ガオー)。宝塚記念は、やっぱりリンカーンが勝つ、という前提の予想にしました。あとは武豊騎手の手腕に期待するばかりだね。これでダメならしようがないね。シンボリクリスエス引退後、今年の4歳世代がイマイチ評価されていないだけに、ここで現役最強馬であることを証明して欲しいね。けど、秋以降、たちまちキングカメハメハ等の3歳世代にやられてしまいそうな感じもするけどね。
June 26, 2004
というわけで、モチベーションのはなはだ低い僕は、今日はコンタクトレンズを買って、不動産屋さんめぐりパート2に行ってきました。で、引越し先も決めちった。現じうしょのすんげー近く。つーか、いつも行ってる本屋さんの上の部屋。階段しかなくて最上階だから空いていたのかな。どっちにしてもラッキーである。引越しなんていふほどのものは何もしなくてよさげな感じ。衣類と布団類と本を少々運んで、向こうは空調もついてるし、インターネット回線もついてるし、うひょひょのひょ、だね。早い話が、仕事をサボったわけであります。コンタクトは、日曜日に試合があるので、メガネオンリーの生活からちょっと使い分け生活にシフトした、といふわけなのねん。これでちょっとしたクロスプレーだとか、ズッコケたとしても安心だぞよ。コンタクトは、つけるのより外すのがメンドくさい。がんきうを自分でグリグリいじくるのが怖い感じ。コンタクト簡単つけはずしの道具として、「プッチンコンタクト」というのを特許申請しようと以前思ったんだけど、外すほうの方法がまだ思いつかないので、そのまま特許に出すのは止めておこうっと。日曜日は宝塚記念もあるからなあ。なんとか天気、もってほしいものである。今度こそ、武豊・リンカーンで、ズコーンとお焼香ポーズでしめくくってもらいたいね。
June 25, 2004
給与は今月出ないようだ。当たり前だ。何にも収入がないんだから。収入に貢献しようというモチベーションも我々にはないんだから。30日には、会社からなんらかの伝達事項があるらしい。憂鬱ではあるけど、さっさと斬るなら斬れ!! てな感じでもある。そもそも、「働かざるもの食うべからず」なのである。なのであるが、ここで働くことをどうしても前向きに考えられない。同様の者が何人もいる。「何人も」といいながら、全社員しめて10名弱のうちの「何名も」だから、これは大変な割合である。皆、次を考えて動いているのか否かは知らない。あるいは、息をひそめて何か始めてるのかもしれない。わからないけど、会社存続のためのアクションでないことはわかる。自分は、静かに爪を研いでいる。けど、邪魔が入る。突然のやっつけ仕事やら、「会社とは、社屋にきてナンボのものである」という、今どき流行らぬ風潮やら。ボスは、なけなしの銭で、あろうことかビールを2ケースも買った。現実逃避か憂さ晴らしか。自分にも、確率は低いが、あるとすれば納めるべき仕事はあるので、その準備だけは怠らない。だが、ビールに酔いしれたボスが、残業の邪魔をしにやってくるからはかどらない。来週、「まだ請け負えるかどうか決まらない」というクライアント企業に確認をする。その結果次第で、ダメならそのままおさらばだ。引き継ぐことなど何もない。学ぶべきことは、会社の外に山ほどある。今がまさしく転機である。こんな戯言を書いていられる余裕があるのは、うつが治りきらない自分にとっては好都合なのかもしれない。けど、日銭は稼がなければならない。他の場所で。仕事のことなど放り投げて、どこかへ旅にでも出ようか?あるいはしばらく、ダラーンとして暮すか?溜め込んだ戯文をこそげ集めて、どこか出版社にでも持ち込んでみるか?なんかドカンとワンクッション挟んでから、カウンセリングについて、動き始めてみたいと思う。
June 24, 2004
思わず「ウェッ!!」となった。電車の中づり広告で「ViVi」という女性向け雑誌の広告があったんだけど、そこに載ってた浜崎あゆみの顔写真。濃い化粧のせいもあるのだが、人間の顔じゃないよあれは。つーか、こんなこと書く前に、浜崎あゆみさんご本人&ファンの皆さんごめんなさい。m(_ _)mつくりがキレイだとは思うけど、なんという無機質で無表情の顔なのだろう。それともどっか具合でも悪いのだろうか。「人間失格」の書き出しで、大庭葉造の顔写真を見て筆者がガクゼンとするシーンがあるけど、そんな感じ。なんかいろんな余計なお世話的発想をしてしまいました。でも見ていたくない、って感じ。それでもああいう写真って、どうしても目に入ってしまうのが私の困ったところ。怖いもの見たさというのもあるしね。そんで、被写体というのはカメラのほうを見てるから、目が合うような感じになっちゃうよね。そんなわけで、「お面恐怖症」の私は、ブルブル震えておったよ。どうも、最近の「アイドル」って、CGでできた「ヴァーチャル・アイドル」みたいな人を多く見かけるような気がして仕方ないんだけど、気のせいか。浜崎あゆみも、そうはいいながらも、山田洋二監督の「学校2」とかに出てたから、その人そのものは違うんだろうけどねえ。グラビア撮影などは、現代の科学技術のレベルではCG合成でできちゃうんじゃないだろうか。あと、CMだとかTV番組とかも、うまくすればCGとスタジオで会話とかできちゃうような気もする。ロボットは、人間の微妙な表情の動きなどを機械で出すのは難しいから、まださすがに無理だと思うけど、CGでデータを読み込んでしまえば、可能なような気がするよ。それで、多忙を極める国民的アイドルは、本物は別のところで仕事してるのに、CGが被写体になって「このスケジュールの合間にいつ撮ったんだ」みたいな映像ができてしまう、というわけ。ありえないか(笑)。もし、このCG技術がTVのみならず、リアルにできたりすると、政治家なんか、その手を使うと随分助かるかもしれないね。SPもそんなに厳重に張り込まなくても済むし。講演会とか街頭演説とか、タウンミーティングなどに登場するコイズミ首相なんかがCGだったりしても、参加する人たちはあまり怪しまなさそうな感じもする。なんてったって、彼らは同じことしか話さない人たちだからね。質疑応答のときだって、いくつかパターンだけ決めておいて、それを使い分ければ済んでしまうわけだからね。だけど、せめて国会の席ではそれはやめといてもらいたいものだね。後ろのほうの、寝てる議員さんたちは別だけどね(笑)。
June 23, 2004
台風一過で、今日は暑いですなー。湿気がないのが救いですが。今朝の朝刊の訃報記事で、早坂重三氏が亡くなったそうで。田中角栄・元首相の秘書で、引退後の週刊誌などへの今日の政界に対する批評記事の執筆も面白かったのだが、肺がんで逝ってしまったらしい。ご冥福をお祈りします。死んでしまったわけではないのだけれど、近鉄球団がオリックスとの合併が決定してしまったニュースは、バファローズファンにとっては辛い話題でしたねえ。藤田まこと氏は最近このことに対して発言してたみたいだけど、古くは探偵小説の故・横溝正史氏も生前は熱心な猛牛ファンだったそうで。まだ予断は許されず、赤字を抱えた球団は油断禁物である。福岡ダイエーホークスと千葉ロッテマリーンズの合併説もあるらしいし。セ・リーグでも、我がヤクルトスワローズの球団社長の、ちょっとなげやりな発言が気にかかる。選手の契約金だの年俸ってやつが、チームの足を引っ張っているのも事実だけど、そろそろそのへんの仕組みの見直し、という発想はできないのか。できないんだろうなあ、今の段階だと。まあこのへんの話は、もっと膨らんでくるだろうから、またお話することにしましょうか。死んだはずの会社が復活してきた、というのもあったりして(笑)。東鳩製菓。確か去年、民事再生法適用となって倒産したような。そのあと、破産管財人が見つかったんだろうけど、ここのところ新製品がバカに売りこみに力を入れている。「ハバネロ」という、なんでも世界一辛い、といわれているメキシコ産の唐辛子を使ったスナック菓子「暴君ハバネロ」というの。同社で人気商品だった、今までの「キャラメルコーン」などのやわらかな甘味とはあまりにも対照的、商品名も攻撃的である。この「ハバネロ」のイメージマスコットも商品化されたり、CDも売り出しているらしい。JRの改札で、この「ハバネロ」のステッカーが貼ってあるのを見た。結構な力の入れようであるネ。なんとなく、ハロウィンのカボチャのお化けが赤くなって怒ってるみたいな感じのマスコットで、見た目怖いのと、そもそも「激辛」というのは苦手でもあるので、このお菓子には手を出していない。そもそもこういうお菓子は滅多に食べないけどね。このハバネロ、今度はハウス食品が、レトルトカレーの香辛料に使うらしい。コンビニ限定発売されるらしいけど、いったいどれほど辛いんだろうね。バーボンのストレートを水と一緒に飲むがごとく、この「ハバネロカレー」と「ボンカレー」を両方出して、交互に食べるのがいいのか、そのへんはよく知らないけど。暑い夏は、辛いカレーを食べてドバドバ汗かいてスッキリ、といきたいものですが、こちらもやや勇気が必要かも(^^;;)。オチがなんだかはっきりしない話だけど、それはともかくとして、東鳩がこの「ハバネロ」のヒットで一躍復活を遂げてくれることを、祈っておきましょうかね。
June 22, 2004
仲良い友達同士なんだけど、なんか一緒に呑んでると、必ずといってよいほど言い争いになってるコンビがおりまして。仮に片方の人をA君、もう一方をB君としましょう。2人が音楽の話をしていたときのこと。A君が、Wという日本の歌手について語りだしたらしい。A:「Wってさあ、この前テレビで歌ってるの聞いたけど、やっぱすげーよなあ、日本のリズム&ブルース(以下R&B)の女王だよー」それを聞いたB君、音楽については、学生時代にバンド組んだりして本格的に音楽やったり、今も聞いたりしてるので、ちょっとA君の今のコメントが面白くない。B:「オマエなあ、R&Bのこととか、ちゃんと知ってて話してるのかよ、Wなんて、所詮は歌謡界の人間だろうが!!」A:「そんなことないよ、ポピュラーなところでR&Bを広めた功績はでかいんだぞ」B:「あのさあ、根本的なところから話すとさあ、R&Bってのはさあ、※☆▲×◇・・・(以下、あまりに専門的過ぎるので判らないので省略)」・・・てな感じで、そのあと2人は延々1時間余りも言い争っていましたとさ。話の詳細は違うかもしれないんだけど、聞くところによると、大まかにはそんな感じのことだったらしい。横で聞いてたC君いわく、「2人とも、たぶん話の理論は素晴らしいと思うけど、話の焦点が全く噛み合ってないんだよね。それで、お互いの話を聞かないで、いいたいことを語り合って、最後は仲良くなって終わるんだよね。不思議だよなあ」って、たぶんこいつも話の内容についてはパッパラパーだったらしい(笑)。この2人のいる席に、私も同席したことはあるのですが、やはりどうも言い争う傾向にあるようです。お互いそういう展開が好きなのかもしれないので、周りは割り込むこともなく、放置プレイを楽しんで、おのおの別の会話を楽しんでいるらしいです。これでOKならばそれでよいと思うので、引き続きこういう展開になるものと思われますが、もし何かこれが2人にとってストレスになったり、遺恨を残す形になったりすると、2人の仲がひび割れたりするかもしれないので(たぶん95%の確率でないと思われますが)、あらかじめ、こういう言い争いの展開にならないための方法というか、コツというか、そんなようなことが実際にあるので、2人の会話を振り返りつつ、ちょこっとだけ書いてみたいと思います。人の心理は、P(Parent:親の性)、A(Adult:大人の性)、C(Child:子どもの性)を持っているといわれています。さらにPには父性と母性、Cには奔放な性格といい子ちゃんの性格に分かれるんですけど、ここでは省略します。人それぞれ、これらの「P」「A」「C」の強弱の度合いが違います。遺伝による傾向もあるかもしれませんし、今まで生きてきた環境の中で培われてきたものもあるかもしれません。はじめ、A君は、自分の中の「A」を使ってB君の「A」に向かって、対等な大人の会話をしようとして音楽の話をもちかけたはずです。ところが、B君は、音楽の話に関してはA君よりはるかに知ってる、詳しいという自負がある。そこで、その返事はB君の「P」からA君の「C」に向けて返されたわけですね。で、ちょっと会話のバランスが崩れてきた。A君は、「そんなことないよ」とたしなめるために、逆に「P」をB君の「C」に向けて発した。そのあと、互いの会話の応酬では「P」→「C」がしばし繰り広げられていたのではないかなあ、と想像します。で、次第に気持ちが落ち着いて(もしくは疲れて)きて、どちらか(もしくは双方)が再び話のバランスを保つために、もう一度「A」→「A」に持ちかけ、話が落ち着いたのではないかいなあ、なんて思います。趣味の会話だと、結構互いに思い入れなりプライドがありますからねえ。譲れない気持ちもあるでしょう。そこでの侃々諤々と激論する、というのはいいかな、と思います。気が済むまでやっちゃえば、っていう感じかな。ただ、これがそれぞれの信ずるイデオロギーだとか、宗教とか、互いの人格に関する話になったりするとそうもいきませんわね。それで「絶交」とかになっちまったりする。どっちかが、「わりい、オレ酔っ払っておかしなこと云っちゃった」とか云って謝って和解するのならば別なんですが。このA君とB君の場合、それ以前に長く培われてきたつきあいというのがあって、新密度が高いのを、周りの人たちも私も知っていたので、たかがR&Bの話ひとつでこの「友情」が壊れることはないのを知ってた、つーことで、あとでこれは笑い話として聞いた話なんですけどね(笑)。会話の交流というのは、必ずしもそうでない場合のほうが多いので、そこでしこりを残してしまったり、気まずくなったりするのを抑えるのには、互いの存在を尊重する姿勢が大切なんですね。つまり、それは互いから発せられる言葉を、まずは肯定的に受け止められることにも結びつきますし、そこから会話を円滑に進めるための返答の仕方ができることにもつながっていきます。そこでさっきの「A」→「A」の会話が成り立っていくわけで。もし「P」→「C」の会話の場合でも、「C」→「P」と返すことができるのなら、それも上手くいってることになるのではないかと。さっきの会話でいけば、A君が「へえ、やっぱりBは俺よかずっと音楽詳しいね、もっと教えてよ」みたいな感じ。2人の会話を「P」「A」「C」をタテに並べてイメージして見て、会話の矢印が交差してるか、平行になっているか、イメージしてみるとよいかもしれません。また会話の中でムッとしたときは、「私は貴方の今の言葉にムッとした」ということをはっきり相手に伝えることも本当は重要なんですね。なかなかこれは、実社会の中でタテ関係の中にあると難しいことなんだけどね。それでもなお、それができる関係というのは素晴らしいと思います。“I am OK,You are OK.”の関係。私の会社ではこれがなかなかうまくいかなくて、ムッとした気持ちを押し殺したまま、それがストレスためる原因になることもしばしばありますけど。互いが尊重しあえる関係・環境にあれば、できることではあると思うんですけどねー。
June 21, 2004
コンタクトレンズを試着しに行ってきました。どうしても、着けようとするとき、目を閉じてしまうんだよね。着けたあとも、異物が入ったみたいでなんしっくりこない。取るのもこわかった。値段も高いしなあ。いろいろカネがかかるね。これからは、毎日朝晩、あれを着けたり取ったりするのかあ、それもメンドくさい感じー。なんか店から出てきて頭がフラフラしちったよ。まだまだ克服すべきことはいっぱいあるなー。なんか、アルカイダのヌースがここ数日テレビで話題になってるね。こないだアメリカでつかまったアルカイダの人も、フツーの欧米の人と似た感じの人だったしね。でもこれに関しては、怖がったところで仕方ないので傍観することにするのだ。クラスメイトの山田くんのパパの職業がよくわかんなくて、近頃海外出張が続いてたりしても、別に気にしなくていいのだよ。。。アルカイダ以外にもわりー人は世の中にいっぱいおるだがね(爆)。
June 20, 2004
ボスの野郎 & 弱いオレのからだめぃ。。。今日は、ボスとサシで転職の話をするつもりでいたのだが・・・。例によって、3日に1度訪れる、朝のうつ状態。だいたい、ボスの野郎は休日のどっちかに出てるから、明日に対決できることを祈ろう。アポをとったりすると、「いつでもいい」とかいわれてしまったり、ホゴにされたりするから、飛び込みになっちまうのよね。ボスのきげんが いいときぃ~♪オレはボスに こういった♪なあボス もっときうりょうあげてくれ~♪なんていう話ではないからねー。ただ、奴のスタッフに対する態度が、「わーしがいなければ、仕事のひとつもまともにとれないんだからのう、おまーらバカばっかりだけー」などと、甘く見ているところがあり、なおかつ、「わしが養ってやってるんだけー」みたいな奴隷扱いで、さらに、オレに対しては、「半身不随のボロじゃから」みたいなことをぬかしあがるから、もうカンベンできない。あーもとはといへば、コイツの無理難題をカバーしているうつにおかしくなった「労災」みたいなもんなのを、こっちが許してあげてたといふのに。しかも今までの未払い給与も、黙ってたらいつまでも払う意志はなさそうだし。もうそろそろ、てんちうを下さねばならぬ。別に命をいただくわけではなくて、こっちを解き放ってくれ!! と云いたいだけなんだけどね。明日、なんとかぶちかませればいいんだけどねー。
June 19, 2004
今度、DVD化されて、圧倒的売り上げが予測されてる「ファインディング・ニモ」。なかなか映画のほうも評判よかったらしいですね。子どもだけでなく、大人も楽しめそうだとのこと。見てみたいですねー。・・・って、それはいいんだけど、ちゃんと内容をよーく吟味して楽しまないと、「バト・ロワ」並に勘違いする人が出てきそうな、「諸刃の刃」的映画になりそうな予感がしちゃったりしてます(^^;;)。ダウンタウンのマッちゃんか誰かが、雑誌だかスポーツ新聞かどっかで云ってた話なんだけどね。「ファインディング・ニモ」の映画が人気になったので、ニモとおんなじ魚(カクレクマノミというのかな)が、ペットとしてブームになって、その仕入れのために乱獲が心配されそうな話。映画キャラとおんなじ生き物を飼いたい欲求。○○だよねー。かつ、ありがちでもあるよねー。以下、そういう○○親子がいかにもやりそうな行動パターン。映画を見終わってからの帰り道、間もなくして、ぼうずがお母さんに、「ママ、ニモかわいかったー、ぼくもニモ欲しいー」なんておねだりしちゃったりして、お母さんも、「はいはい、じゃあ帰りに見に行って見ましょうね」かなんか云って、帰り道に熱帯魚屋さんに立ち寄って、「あっいたいたー、ニモだニモだーほらほらぁ!!」かなんか云って、その日のうちに子どもに買い与えちゃうのでございます。とりわけ日本には、こーゆー人たちがいかにもいっぱいいそうな予感。こういうの買ってく人って、買う行為自体オレは○○だと思ってるから、買って帰って、金魚鉢に入れて、とりあえず金魚のエサとかあげちゃうんじゃなかろうか? とか、余計な心配しちゃうんだよね。飼い方知ってるの? 金魚と違いますですよ、あいつらは。サンゴ礁の、イソギンチャクのいっぱいいるところに住んでるんですよ。だから、もし飼うんだったら、金魚鉢じゃ駄目だがね。海水と同じ濃度の塩水張って、水の温度だとか、ちゃんと熱帯のサンゴ礁と同じにしないと駄目だろうがよ。そのくせ、こういう奴らに限って、即金で高級熱帯魚とかパッと買えるだけの小金は持ってたりするわけで。売るほうも売るほうだけど、買いたいって奴のニーズがあるから売るのだ。で、弱ってきたら、すでに飼ってたアロワナだとか、ワニガメなんかのエサにしちゃったりとかね。あー、すんごい、ワクワクしちゃうような○○親子だよね。そもそも、自然と生き物を大切にしましょう、ってのが、この映画のテーマだったわけなのに、今さっき見てきた映画で、作者が訴えたいことが、伝わらない、もしくは理解できない、つー人たち。これは家庭の、子どもに対する道徳教育のひとつでもあるんだよねー。堅苦しいこというようだけどさ。親子で映画見たら、親も映画のストーリーぐらい見とけっていう感じです。全国のちびっ子諸君は、映画を見て、ニモみたいなクマノミさんを守ってあげたいよね。せめて、ぬいぐるみでガマンしときましょう。ニモもそのほうが喜びますですよ(^^)。
June 18, 2004
長崎の女子殺傷事件の、解明だとか審判に向けた経過が報道を通じて流されているけれど、「2ちゃん」など裏の世界では、加害者の女の子の家庭環境のことだとか、ネット上で交わされていた会話の内容だとか、顔の写真だとか、いろんなことを引っ掻き回しては面白がっているみたいですね。もう、いい加減ほうっておいてやれよ!! 精神鑑定は専門家がやることであり、もう我々の出る幕はないの。直接的になんら関係ないの。それと、この事件から私たちが学んだことっていうのは、親子なんだから、お父さんお母さん、いないのならばご近所さん親戚兄弟など身近な人は、不満があるなら直接的に受け止めて、「この子は不満であるんだなあ」と、そのときそのときの気持ちをわかってあげることでしょう。それで、本人たちが「この人なら本音でなんでもうちあけられる」って、思ってもらえるような「家族」になりましょうよ。そういうふうになるための会話をするようにしましょうよ。チャットとか、殺人シーンがある映像を禁止することなんかよりもさ。チャット会話だとかドラマだとか映画のDVDなんかより、そういうリアルの会話のほうが大事だって思えるようにね。そうなれば、チャットだのDVDなんて、所詮はおもちゃなんだから、って、子どもたちにもその相対的な価値観の低さがわかってもらえるわけさ。大人なら、この事件を語りたいならもっと本質を見ようよ!!などと書くと、これを真に受ける人がいるほど私は影響力などなんにもないから大丈夫だと思うけど、とかく子どもに過干渉になりがちな場合もあるわけで、それはそういう意味ではないの。子どもが心でSOSを出しているときに、それが見破れれば一番いいのかもしれないけど、そこまで修練するには訓練も必要だろうけどね。ただ、困ってるときとか、ストレス感じてるときに、それを発しやすい環境を作ってあげられることが大事なんだと私は思います。つまりそれが、何か云ってきたときの受け止め方になるのかなあ。子:「ねえ、どっか連れてってよー」親:「だめだめ、今日は仕事なんだから。そのかわり来週遊園地へ行こうな。」子:「ちぇっ、つまんねえの」って、のっけから子どもの願望をぶっ潰しちゃいかんのよね。子:「ねえ、どっか連れてってよー」親:「うーん、どっか遊びに行きたいのか。いい天気だもんなあ」子:「ねえねえ」親:「うーん、今日父さんな、会社の会議資料を今日中に作らないといけないんだよー、どうしようか?」子:「なんだよー、どれぐらいかかるの?」親:「そうだなー、午後3時ぐらいには終わるかもな。そのあと、どっか買い物にでも行くか」子:「ホント? わかった。じゃあ、午前中オレも宿題やっちゃうよ」てな感じですかねー。そううまくいくといいけどね。つまり、一度は子どもの訴えかけを、頭ごなしにつっぱねないで、受け止めてやる。で、子どもに、どうすれば心地よく納得できるかを一緒に考えさせる。こういうの、習慣づけるだけで、そうでなかった家庭はものすごく変わるのではないかい?昔の、ガンコ親父の家庭って、確かに親父は怖くて、頭ごなしに怒られることは多かったけど、そのままほったらかしにされることもそんなにはなかったでしょう。子どもが尊敬できる「親父像」を、子どもなりにちゃんと作ってたわけさ。親父がやらなくとも、周りの大人たちがフォローしてたりとかさ。お母ちゃんが、「お父ちゃんはあんたたちのことをホントは物凄く心配してるんだよ、だからあんなこというんだよ」とかいったりね。なんとなく、今日というのは、親が愛のない体罰を加えたりだとか、子どもが親を尊敬しなくなったりだとかいうのが多い。それで、その背景をたどるとホントに尊敬に値しない場合だったりすることも。別に「尊敬される親」にならなくとも、せめて子どもとの会話を大切にし、子どもが困ったり心配事があるときは進んで本音で相談してくれるような親になりたいものだと思います。まだおのが身にそういうことはないので、それはそれで問題なのですが~(泣)。それはおいといてぇ~。。。
June 17, 2004
・・・といっても、ドラッグの話ではありません(^^;;)。“Long Slow Distanse”の頭文字。マラソン・トレーニングで用いる言葉。文字どおり、「長時間、のんびり、距離を走る(もしくは歩く)」の意味。1~2時間かけて、テレテレと、話などしながら走れるペースで走る(歩く)。普通、練習最後の仕上げとかクーリングダウンに使うんだけど、もっぱらワタシがマラソン・トレーニングする場合はこれに終始しますね。最近はウォーキングになってるし(笑)。ちょっと、今後の人生に対して焦り加減の気持ちが、今の自分の頭の片隅にあります。けれど、目の前の成果ばかりに注意がいってしまうと、将来のことが想像つかない。どっちも大事なんだけど、今焦っても何もできない自分には、結局のところ将来のことが大事。それも、ごく近い将来。臨床心理士の勉強を、どこぞの大学院ではじめようかと思っています。これは、いろんなカウンセリングの仕事の情報を、ここのところずっと見てきて感じることだけど、持っておこうと思いました。その前に仕事の経験はしておきたいと思って動いているんだけれど、並行してできればなおいいですね。こっちはまだなんとも云い難いものがありますけど。そのほか「産業カウンセラー」というのもあるんだけど、どうもこちらは今まで学んできたこととストレートにマッチしてこない感じもするんですね。根本は同じだと思うけど。ただ、そもそもの発想の素は、自分のような悩めるサラリーマンの助けになりたい、ってことだったから、機会があればこっちの勉強もしてみたいです。ということで、まだまだ勉強しっぱなしになるわけですね。終点はありません。LSDの人生です。スピーディに結果は出ないだろうけれど、のんびりと、着実に、って感じ。「40過ぎたら独立して」とか、固定的な思考はせずに、自分の領域での仕事では、人の相談を受けて経験を重ねつつ、この世界をもっとさらに深く勉強して、アメリカなんかの心理学の人と交流でも勉強でもできたらうれしいですね。
June 16, 2004
有事関連7法が成立した。してしまった。ついに。とうとう。これまでさんざん野党議員が食い下がり、左翼系活動団体、マスコミらが反対を唱え続けて戦後間もなく60年。思えば長い議論であった。同時に今回の決議は、単に新聞を読み流すだけで済まされる話ではない。もっと、これまでの日本の戦中戦後の歴史の様々な経緯が刻まれた、深い内容の話であることを、我々国民も認識しておかねばなるまい。決まってしまった以上、日本はこれまでのような、アメリカの「核の傘」に雨宿りさせてもらって、その下で理屈ばかり述べてばかりいられない状況になっていく。自衛隊が武力行使に出ることが許されるようになった以上、降りかかる火の粉はおのが手で払わなければならないってことでもあるんだから。なんとなく、現・小泉政権はノリとかその場の勢いで、なんでも決めちゃってるように見える。イラク「派兵」もしかり、先日の北朝鮮訪問もしかりである。けれど、いざ我が身が戦火にさらされることになったとき、これまで映像で目に焼き付けられてきたパレスチナやイラクの惨状に等しい出来事が目の前に勃発する可能性だって、ことと次第によってはあるのだ。そうなれば、今まで見過ごしてきた、あるいは目をおおってきたこれらの惨状のフィルムによる記録を、今一度もっとつぶさに、目に焼き付けておかなければならないだろう。さらに、このような惨劇を我が国で繰り返さぬための努力を、国民全体がしなければならないだろうと思う。小泉さん自身は、官邸に地下シェルターがあるのかもしれないけど、いざテロが起きたとき、自分がそこに入れると思ったら大間違いだぞ(笑)。上記の「しなければならない」的記述、発言は、心理学的には「死の回避」を意味する言葉であり、あまり使いたくなかったのだが、内容上、あえてこの表現を使わせてもらう。とにかく、これまでのような、曖昧・優柔不断は許されなくなったってことです。政治を見る目もシビアになっていく。いつまでも国民を馬鹿にしてると痛い目に遭うぞ。政治家諸氏も、それを念頭においといてもらいたいものだ。* * * * * * * * * * * * * * * *プロ野球の近鉄、オリックス球団の合併話が進みつつある。球団にしてみれば死活問題だと思うが、プロ野球全体を見渡して、そのあとに続く「1リーグ化」→「さらなる球団削減」の話が進むにあたり、物心ついた頃から、今の体制での2リーグ制に馴染んできた当方としては、物悲しいことこの上ない。近鉄、オリックス両球団のファンや、それぞれの球団の地元への影響も懸念される。それぞれ伝統を背負ってきているわけだし。あるいは新チーム結成の話などはないのか?なんとか現状維持の方法はないものか?さらに、「球団の削減」となったときのことについて、我が愛するヤクルトスワローズがなんか球団の合併に関する協力みたいな意見を云ってるらしいのが気に食わない。この球団がいきなり合併されるわけではないけれど、ただ嫌な予感はしていたんだよなー。ヤクルトって、ハウエル、広沢、ペタジーニと、チームの主力を次々と巨人軍に放出してしまい、球界のアンバランスを助長してしまった、陰の犯人でもあるからねー。ファンが淡白な体質になってしまうのは、何も在京で巨人のお膝元にいるからだけではないと思う。チームの演出にも大いに問題があるだろうと思うけどな。個々のファンのハートは、他のチームに負けないぐらい熱いぞ。ナ○ツネにへつらったわけでもないんだろうけど、先を見据えた発言としてはいささかポリシーがなさすぎる気がする。なんのための古田選手会長在任か。選手の首を絞めるような発言は好ましいとは思えないね。朝日新聞の社説で、「全員4番打者でつまらない野球やってる巨人を分割してチームを増やしちゃえばいいんだ」なんて書いてたな(笑)。これは読売新聞では書けない話題だろう(爆)けど、頓知としては面白いと思ったね。この提案に笑えない人もいるだろうけどね。
June 15, 2004
<求職登録>探せばあるもので、福祉関係の求人・求職サイトを見つけました!!そこに「セラピスト」という選択肢があったので登録してみることにしました(*^^*)。果たしてキャリアもない私に対して、どんな情報がもらえるのか、期待と不安で頭がいっぱいです。その前に面接の心構えも必要ですね。履歴書も書かないといけないし。今回が駄目でもあきらめずにトライしてみたいと思います。本来なら心理系の大学院出てないとアウト、ですからね。とりあえず、今回果たしてどうなることやら、ですね。<旧友との「邂逅」>高校時代の同級生6人と、「近況報告」などなどやりつつ2日連続で呑みました、って先週土曜日にチラリと書いたけど、別角度からもう一度その話。彼らは、心身ともに健康そのものなので、酒も強い強い。ドクターストップかけられている私は、彼らのパワーにたちまち圧倒されてしまいました。久しぶりに会った人が、うち4人なんだけど、学生時代から「気のおけない仲」だっただけに、たちまち昔のままの会話に戻っておりましたね。はじめのうち、緊張してしまうのではないか、という心配もあったんだけど、ほんの少しばかり互いに気を遣う時間帯があったのは確かですね。ノッケの会話でちょっとそれが出ました。「今仕事何やってんの?」と聞かれて、どうもはっきりそれを説明しにくい私は、なんだかつっけんどんに「うーん今仕事がないんだ、今の会社やめるんだー」などと、質問と別の、いきなり不穏な言葉を吐きました。自分の身の上話になると、尾ひれをつけないと格好がつかない、だとか、本筋をそらしちゃおうとする行動傾向が自分にはあるようです。これはあるいは、「オレ今の人生に失敗しているよなあ」という潜在意識がコンプレックスを生み出しているのかな、と思ったりします。するとおのずと、自分を卑下してしまう。この癖、直したつもりでいたんだけど、よりによってこんな場で、おのずと出てしまったなあ。相手の表情が、あきらかに「はあ?」という顔になってから、うつむき加減に変わるのがわかりました。次に「質問の答えと違うだろ?」と、的確なツッコミが入りました(笑)。こりゃあごもっとも。「いやいやいや、ノッケで大失敗」と思ったけど、だんだんビールが身体に回ってくると、お互いそんなことは頭の隅に追いやられて、楽しい話に変わっていきました。まあ、今の互いの身の上とか思うこと、などなどは結構それなりに話したり聞いたりできたかな、と。また、こういう機会をどんどん作って、旧交をあたためていきたいと思います。<早朝覚性で何見てんだか・・・>どうも、予定していた野球が流れてしまったためか、日曜日は身体が心地よく疲れを感じることもなく1日を過ごしてしまい、11時頃に床についたあと、1時に目が覚めてしまいました。目がギンギンのギラ目状態になってしまって、しばらく眠れそうにない。とりあえず、素振り50回やって、布団の上で本を読んでみたりしたけど一向に睡魔はやってきません。こういうときに、サッカーのヨーロッパ選手権などタイミングよく放送してればいいんだが、そうは都合よくいかんのよね。使ってるTVはBSつないでないし。けれど、やることもなくなって、しょーがないからTVをつけたら、「着エロ」の話をやってた(爆)。「着エロ」って、よく耳にするけどなんだかよく知らなかった。ケータイなんかで、よく、ヘンテコなお誘いメールがやってくるけど、あれのことかなー、とかね。「今晩おヒマ? わたくしとってもヒマなのよ、主人が海外に単身赴任してるし。よろしければここにアクセスしてね、『玲』で登録してま~す、ウフ(ハート) http://~」とかいう奴。そうじゃないんだね。いやーこりゃおじさん一本とられた。「着たまま(=脱いでない)けどエロい写真とかDVD」という意味らしい。その「着エロの女王」という人が出てきて、いろいろインタビュー受けてたけど、なんだかその世界でのプロ意識が随分と強いらしい。ウーム。。。「着エロ」といっても、エロはエロなわけで、脱いでないといいつつも「全裸じゃない」だけで、かなりエロいポーズをとらされたりとかコスチュームを着せられるらしい。そのとき、恥ずかしい気持ちとか屈辱的な気持ちになったら、わざと恥ずかしい表情とか、屈辱的な顔を作るんだそーです。確かに、エロいポーズとりながら嬉しそうに笑ってたら、我慢してやってることになるわけだからねえ。とまあ、そのへんが「昔のエロ」との違いだとかなんだとか、よくわからないけど、人気の秘訣でもあったりするらしい。市場は間違いなく男だから、早い話が販促に結びつくよーですわ。その仕事をはじめてから、彼女は、かつての優柔不断な性格から、喜怒哀楽をはっきり出せる自分に成長していることに気がついたそーです。なるほどねえ、などと妙に感心してしまいました(って、こんなことに感心してる暇があったら他にやることあるだろ、って感じですが)。願わくば、こういうコたちが、いずれ芸能界を引退するまでに、いかがわしい方向に転向してしまい、仕事で悲しい思いをしないことを願うばかりですな。本人がやりたいというならそれでいいけどさ(笑)。なんか、そんなよーなリアリティのない映像を見ても何も感じなくなってしまった自分は、この「新しいエロの世界」の話を20分ほど、かようなアホなことを考えつつ見てるうちに、気がついたら眠ってしまいましたとさ。
June 14, 2004

まったくツイてないときというのはこういうもので、午後からは日差しが照りつけて暑いのなんのって。早起きでフラフラしつつ、スラパン履いてたら、ちうしの知らせが来た。サモchan、ありがとー(^^)。今日でJRAの東京開催もラストなので、ふちうに行った。ひさびさの芝生の競馬場は気持ちがいいですな。で、チマチマ馬券買ってたら全部はずれた(T T)。ふつー、どれか1つは当たるもんなのだが、つけ焼き刃はダメね。惜しいレースがひとつだけあったのだが、パドックで、オーラを放ってる馬が1頭(ゼッケン2番)だけいて、そいつのトモ(後脚)に銭型模様が浮き上がってる。こいつが絶対くるな! と思い、オッズ無視で、そいつと岡部ジョッキーの馬(ゼッケン6番)の1点勝負に出た。レースがはじまって、直線で岡部の馬と銭型模様が一騎打ちで勝負あり!! と思ったスキに、もう1頭、マークしてなかったゼッケン4番の馬が怒涛の脚を見せてズブズブと抜かれて2、3着。これは、我ながら自信があっただけにショックだったね。せっかくなので、返し馬の写真でも1枚つけときますかね。帰り道に立ち食いうどん2杯食ったら二日酔いが軽減したよ(爆)。まったくそれで頭にきたのはさー、帰り道、近所の野球場で、試合してんの。めぐりあわせというかなんというか。今年はなかなかお天気との折り合いが難しいようでございます。
June 13, 2004
ウワサによれば、アメリカでは「17年ゼミ」が大発生して、“ju-shichi,ju-shichi”って鳴きまくっているらしい。「17年ゼミ」は、にうよーくのまちじうに、セミ旋風を巻き起こしているらしいよ。セミで盛り上がれるなんて、ある意味新しいかもしれん。うー、久々に呑みすぎである。高校の同クラスの人たちで集まったのであるが、まあ飲むわ話すわで、あっという間に時間が過ぎさっていったです。その前日も別のメンバーで似たような集まりがあったので、2日連続。めずらしいこともあるもんだ。めずらしいけど、こんなことも滅多にないので、「禁」を破ってビールをガブ呑みしてしまった。互いの近況を聞いてたら、メンバー中で独身が自分だけになっちった~。こればかりはいたし方ない(爆)。今朝は目が覚めたのが10時だったのだが、結局12時過ぎまで部屋でぶっ倒れておった。あれほどセーブしてきたのだが、昨日とどめに飲んだワインがじんわり身体に残っているよ。アセトアルデヒドが身体の9割を侵しているよ。日が傾いてきて、なんとか身体が動くようになってきたので、あたりをウォーキングしてバッティングセンターで特打ちをしてきたけど、バッティングもヘロヘロでしたな。明日は試合だからね。なんとかしないとね。「あぶさん」はすごいね。ヒー・・・。
June 12, 2004
もうさすがに時効だと思うからしゃべっちゃうけど。。。「カウンセラー募集」という検索キーワードで、とある検索エンジンを見ていたら、俺っちが昔働いてたところに対して罵詈雑言してる掲示板がひっかかっていたので笑っちまったよ。結局のところ短期間で逃げ出してしまったわけなのであるが、なんで検索エンジンにひっかかってたかというと、そこの募集記事で、新聞広告の職種の欄には、どういうわけか「カウンセラー」と書いてあったりしたわけなのですネ。その頃、カウンセラーになろうなどと露ほども思ってなかった自分であったが、ちょうどプーだったこともあり、なんだか興味をそそられて、電話して出かけてみたわけね。そしたら「すぐ来なさい」って。ところが実際に訪れてみると、「馬鹿ヤロー!!」「申し訳ございません!!」「デス!!」などという恐ろしげな声が聞こえてくるのね。で、面接官に、来て早々、「体力と従順さがあれば誰でもOKです。じゃあちょうど今研修やってるから受けてきなよ」といわれて夕方まで、なにやらコピー紙に書かれた台本みたいなヤツを読まされてた。何やら、物を紹介したり、ライバル会社を暗に批判するようなセリフから、ハンコ押させるようなことに関するセリフにいたるまで。で、研修担当している人は、「ここの部分が大事だぞ!」とか「ちゃんとすらすらしゃべれるようにしとけよー」とかアドバイスしてるのね。そういうのが1週間ほど経ったある日、研修が終わって、「職場」に配置されたんだけど、そこで再びマニュアルの紙を渡された。「それがお前らのこれからのメシのタネになるんだからな、大切にしろよ」とか云われて。周りを見ると、みんなその紙を見ながら名簿みて電話かけまくってるわけさ。で、その紙に書いてあるのが電話のセリフ。1週間の研修で覚えさせられたのが、電話でアポとれた先へ行ってしゃべるデモのセリフなわけね。このデモのセリフ、全部しゃべり終えるまで2時間はかかる。それで、相手を納得させるのに補足だとか質問への切り返しだのがあるので、3時間はまるまるかかっちゃう。早い話が、電話と訪問による、出版物のセールスだったわけさ。それに附帯サービスがついて、会員制にしちゃうことによって、単なる本の押し売りじゃないぞ、ってアピールして、高いお金をいただいちゃう。その入会を増やすのが俺たちの仕事で、歩合で給与は支払われる仕組み。で、そうこうしてるうちに、俺たちも実際に電話かける段になって、なんだかしらないがその日のうちに2本アポが取れちゃって、でも一人でいきなり行くのは無理、ってことで、うち1本は他の先輩にお願いし、その日は、もう1本のアポの客のほうへ、先輩社員の人に随行して、横で黙って話を聞きながら「ウンウン」って、ニコニコしながらうなづいてる、ということになった。で、そのオウチにたどりついてデモがはじまった。そこで、見事契約取れたりしたら、そこでまた人生変わってたかもしれないね。だけど、こちらの先輩の話が終わっても、家の人は誰も首を縦に振らない。早い話が、失敗に終わっちゃったわけです。そもそもこの仕事、「カウンセラー」といいつつ、相手に質問とか相談の余地を与えない、つーところが面白い。しかも、ぶっちゃけ押し売りだしね。ただ、この商法は、会話しながらたえず相手の名前を親しげに呼び、実際の利用イメージを話の中で連想させる、ということで相手に暗示をかけることにはなってるらしい。それで、聞くところによると、アメリカで「カウンセリングビジネス」という悪名高い商法として知られるようになったんだとさ。本当かどうか知らないけど。売りつける商品は、40万円~130万円。それを、1戸の家庭で即日で買わせようとする商売。それとも「買うんseller」というダジャレっぽい意味なのか? よくしれないけど。フロイトとかカール・ロジャースに聞かせたら、激怒を買うことだろうね。「カウンセラーの職業の名を汚すな!!」「心理カウンセリングをやってる者たちが迷惑だ!!」とか云われて。俺も、3時間しゃべり倒して売れたことは、わずかながらだけどあったのね。で、そしたら会社で、顧客に確認の電話した上司がいうのさ。「よーし、今確認したけど、しっかり『落ちて』たぞ」だって。落とすのかよ!! 鴨かよ!! って感じである。自分がそのご家庭の人だったら、「それ、買うんせらー?」「ちょっと1週間考えさせらー」「なに、すぐ買えって? それなら買わないせらー」「バイバイせらー」みたいな感じになって、売りにきた人も、「ケ・セラ~セラ~♪」って唄いながら帰っていくところを想像しちゃう。だからダメだったんだろうね。そもそも根本のところで「自分はわりーことやって稼ごうとしてる」って思っちゃったんだから。ただ、上司たちの過去の輝かしい売上実績を見ると、「1ヶ月に1,000万円以上を10ヶ月以上連続」とか、カベに貼ってある。一草野球プレイヤーから見たイチロー並の記録であるよ。つーか、そこまで自分を殺して、テンション上げ続けて、いらない本を長期間にわたって高値で売り続ける根性。いやー見上げたもんだよ屋根やのフンドシ。そんなわけで、売れるイメージがちっとも湧かない私は、はじめのうちこそ周りのサポートを受けて大丈夫だったのだが、その後一人で売りに行くことになってからは、しばし辛酸を舐めたでござるよ。マジで飢え死にしそうになった。歩合で売り上げゼロってことは固定給がなくて、交通費等最低限の経費支給しかないからね。ただ、物を売る場合、何がしか人をその気にさせるためのインパクトとか、気合みたいなものが必要なことがあるでしょう。そういう部分で勉強にはなったね。デモの筋道は、よくよく見ると的を得てるし。商品販売のためのプレゼンとしてはよくできているとは思う。その後の人生であまり生かされてないけど(笑)。人を蹴落として上に上がる、ってことが、自分には向いてないわけで、自分が欲しくない商品は、相手も欲しくないだろう、って思っちゃう。自動車とかPCとか、そういうものとも違うし、そのくせそれらと同等の値段取られちゃうわけだしね。というわけで、自分宛にかかってくる知らない人からの電話にも、自分に結界張っちゃうというか、常にはじめに警戒心が強くなってしまったのね。軽度の強迫神経症に近いような感じもある。テンションが低いときなどは、居留守を使うこともある。情けないね。蛇の道はヘビというからねー。「だまし売り」の電話は、聞き分けてしまうんだよね。で、冒頭の掲示板の話に戻るけど。なんだか「被害者」じみた書き込みが連続しておった。今どき「クーリング・オフ」もあるわけだしさ、そんなにいつまでもグダグダ書いてるんじゃないよ、と、弁護するつもりもないけど思っちゃうぐらい、悪意に満ち満ちた文章が、何十件もつづられておったよ。被害者の会の果てしない雑談、って感じ。関係ないけど、これ見て「ああ自分はチャットって嫌いだな」と思ったりもした。読んでて、はじめはその会社に対して「ブハハ、いい気味」だとか思ってたけど、だんだん馬鹿げた会話に、無性に怒りを覚えてきたのはなぜだろう? 古巣へのいたわり? まさかね。「被害者」ヅラしてる彼ら全体への向上心のなさに対する苛立ちなのかもしれないし、自分を棚に上げて云いたい放題云ってる態度に腹が立ったのかもしれない。仮にもさ、そこで交わされてるのは、インターネットで世界中に公開されてる会話なわけだからね。何いつまでも建設的でない会話してんの? ってな感じ。騙されて欲しくもない品物を買わされそうになった経験は俺にもあるけど、冷静に考えれば、騙されるほうにも非はあるのさ。そのとき欲しくなっちゃったんだから。今もなお、支払期限におびやかされたり、生活もままならなくて苦しんでいるならまだしもさ。まだ、心も身体も元気で、けれどおつむがちょっと足りなくてお金も全然ないような、そんな若かりし時分のお話でした。
June 11, 2004
・・・つーても、他のスポーツとか、競馬のように話題にならないのが悲しい(T_T)。激震が走ったのでございますよッッ!!高松宮杯競輪(G1)決勝は、京都の松本 整(まつもと ひとし)選手(45歳。読みだけだと、ダウンタウンのマッちゃんと間違えられる)が優勝したのですが、な、なーんと、優勝インタビューの場で、そのまま「今日を限りに引退します!!」って、引退宣言してしまったのです。オグリキャップが引退レースで優勝したりだとか、中畑選手が引退の年の日本シリーズで優勝したりだとか、そういう話とはちと事情が異なる。引退という2文字は、その瞬間まで誰の耳にも入ってなかったのです。松本選手は、45歳にして未だ競輪界のトップスターとして君臨し続ける「鉄人」として、以前にも紹介したようなしなかったような、忘れちゃったけど、とにかく偉大な存在として尊敬していた。今、同じ京都の選手で、国内トップクラスの逃げを打つといわれている村上義弘選手も、「松本さんが後ろについてくれるから安心して逃げることができる」とかねがね話していた。松本が引退を口にする背景については、たしかに想像できるフシがありました。今年に入ってから、松本は落車・警告の数が多く、得点が落ちており、このままだとA級に降格する可能性が高かった(競輪は、03年からS級・A級の2階級のみになった)。ところが、彼を擁護すべき選手会のほうで、彼にある期間の「出走停止」を要請してきたというのです。これではますます降格は免れない。この停止期間に勝ち続ければ、降格を免れたり、あるいは再度復活のメドもたつというのに。長くS級にいた松本にとって、A級に落ちるというのは屈辱に等しかった。また、高いモチベーションを保ち続けるのに、A級という階級はふさわしい環境とは思えなかったのでしょう。A級には、自分よか年配の、低レベルの選手もいっぱいいたりするんだけど、彼らの練習内容を見て、これを反面教師に頑張ってきた松本にとっては、落ちたらもう這い上がれない、と考えたのかもしれない。年齢的な衰えもある。他にも原因はあるのかもしれないけど、今現在それは明らかではありません。やがてわかってくることと思いますが。で、選んだ結論が「現役引退」。落車とか接触というのは、先行選手の後ろを競り合うマーク・追い込み型の選手にとってはいたし方のないことで、フェアプレーにもとる行為ではないと思うのです。選手会のとった判断というのが、松本の相次ぐ落車・警告に対して「出走停止」を要請してきたということだったのだが、少なくとも、賞金で収入を得て生活している選手を守る行為ではなかったと思う。というより、選手会のあり方というのが、「安全遵守」とか、そういう勝負とか競技レベルアップに直接関係ないことに対するものだったのだとしたら、そのシステムに疑問を感じる。競技に、そして勝負に危険はつきもの。そのスリルが競輪を盛り上げることにつながるのに、ちょっとそのへんの意識づけが「おかしい」感じがする(よくわからないのだが)。前述の村上をはじめ、選手の間でも松本を尊敬し、慕う選手は多い。まだまだ現役をつづけて欲しいと思うファンも少なくないはず。それだけに、今回の松本の引退宣言が、体力の限界を感じたのではなく、競輪に対する不信感によるものだったのではないか、というのがちょっと悲しい今回の「事件」。 「松本のいない競輪なんてつまんねえよ!!」今年のオリンピック種目に「ケイリン」が加わって、これをてこに人気向上を図ろうとしていた矢先でもあっただけに、そういうこととは別の意味で、これから先の競輪人気への不安を呼ぶ前兆ともいうべき出来事ではありました。
June 10, 2004
スポーツ紙に載ってた記事なんだけどね。とかく物騒な世の中ではあるけれど、それでいてちょっと笑える話。つーか、逆に加害者側に「気をつけてね」と云ってあげたくなるような・・・。<高見盛関>大相撲中国公演の最中、土産物屋さんで、昔の戦争で使ってたみたいな剣だか槍だかを見つけて大興奮、ついつい手にとって振り回そうとしたら、下のほうがポッキリと折れてしまったとさ。それで、慌てて折れたところを手でくっつけて、お店から逃げ出しちゃったんだって。そのあと、お店のほうを見ながら「大丈夫かなー、大丈夫かなー」って、ずっと心配してたらしい。この人らしい、お茶目で可愛いといえばそれまでだけど、子どもじゃあるまいし、お店の人にちゃんと謝っとかないと。ひとこと謝れば済む話なんだからねえ。またはカネあるんだから買っちゃうとかね。よもやその土産物屋さんも、国際交流でやってきたお相撲さん相手に法外な損害賠償ふっかけたりしないと思うし。さしずめ、2002年の日韓サッカーW杯で、韓国のデパートで万引きしちゃったセネガルの選手もいたけど、なんとなくそれに匹敵するような話ではあるからして、高見盛関は、自分の行動を振り返る必要はあるかもね。この土産物を折っちゃった瞬間の高見盛関のまゆ毛は、目と何センチ離れてしまったのか、などなど、再現VTRがあれば見てみたいものです。<クルマドロボーを相撲部員が捕まえた話>話によると、近大相撲部員3人が、夜間トレーニングするために外に出ていたところ、クルマの盗難防止の警報が鳴り響いたらしい。それで、3人が警報の聞こえる駐車場に走っていくと、男の人がいたそうで、男はすばやくクルマに乗り込み、駆け寄る相撲部員1人をはねて逃走したらしい。だけど、はねられてもその部員に怪我はなく、なおも3人は逃げるクルマを約300mも追走して、取り押さえたらしい。取り押さえられた男は、部員1人に「正直に話せば警察には突き出さないから」と云われて、つい「盗もうと思いました」と、ホントのことをポロリ。「じゃあやっぱ出頭したほうがええやろ」つーことで、御用になったんだとさ。それにしても、不死身の巨漢3人を、1人を一度ははねたのに、なおも全速力で追いかけられてる男の心中はいかばかりであったろうか。「ターミネーター」のラストシーンを彷彿とさせますな。<ひったくった相手が悪かった>午前2時過ぎ頃、夜道を一人で歩いていて、荷物や洋服の入ったバックをひったくられた女性が、逃走する犯人を約100m猛ダッシュで追いかけて、とっ捕まえたらしい。この女性、実は元・インターハイの女子陸上短距離選手だったらしい。それで、ひったくられたあとで、やおらハイヒールを脱いで裸足で追走。犯人の襟首を押さえて捕まえたそうで。それにしても、ひったくった男も運が悪いというかなんというか。ひったくった相手が悪すぎましたな。追いかけた女性も、自力で犯人を取り押さえるなんぞは、剛毅というか、よっぽど大事なものが入っていたんだろうかね。それ以上追求する必要はないかな(アッハッハ)。
June 9, 2004
忌野清志郎が出てるグロンサンのCMで、「しあわせに~なりたいけど~ がんばりたくなぁ~い♪」っていう歌詞に、妙に共感を覚えている今日この頃です。がんばるってことは、生きてることだけだって十分「がんばってる」ってことだからねえ。「がんばる」の使い方には気をつけましょう。相手の身に自分を置き換えてみてね。先日の、小学生による同級生殺害事件のあと、校長が記者会見の席上で「今後はスクールカウンセラーによるフォローを強化して云々」とのたまわっていたけど、この事件の有無を問わず、スクールカウンセラーに対する社会的要請は高いと思っているんだけど、あまり表立って出てきませんね。だから、教育委員会で話題になる「スクールカウンセラー」が何やる人なのか、わかる人なんて、学校サイドでもあまり多くないんじゃないかと思う。昔の先生の意識で見ると、「そんな人がいなくてもいい、教師がしっかりしていればいいんだ」なんて頑なに拒んでしまうかもしれないね。スクールカウンセラーっていうのは、学校に配置されて、不登校だとかいじめに悩む子どもたちのケアを中心に、学校全体をケアするのが役目の仕事だと、たぶん一般的には思われていると思うけど、今、カウンセリングが必要になっているのは、必ずしも児童・生徒だけではなくて、むしろ学校の先生の側が随分増えてきているのではないのかなあ、などとよく思う。学校での生活に、昔と異なるストレス原因が増えてきているから、子どもが受けるストレスに着目するのは当然必要だと思う。そもそも子どもに着目して「スクールカウンセラー必要論」は持ち上がってきたのでしょう。問題なのは、昔の学校にあった「先生のステイタス」というのがなんとなく失われてきているんじゃないか、ということ。「先生が生徒たちと心を開き合って、子どもが学校に通うのが楽しくてしかたないようなクラスを作ること」が、昔ほどステイタスになってないんじゃあるまいか。そういうクラスがあるという話はよく耳にしますし、実在することでしょう。けれど、その前に先生が企業のサラリーマンのような評価主義に巻き込まれているような話もよく聞きます。「いかに生徒の学力をアップできるか」とか「名門校に何人進学させることができるか」によって、「学校にとっていかに有益な教師であるか」というようなことが重視されている。昔とは比べ物にならないほど。一方で、前述のような「いいクラス」づくり、というのも当然昔から云われ続けている大切な教育の大命題ではあるから、ふたつの課題を担うという意味で、今の先生は大変な重責を担わされている。また、反抗期、思春期を迎える年代の子どもたちは、子どもたちなりにいろんなことに関心を持って、またいろんなことに悩んだりもしている。そういうケアも学校に求められる。いじめや暴力といったこととか、そういうのも「学校」を舞台に繰り広げられたりするしね。それゆえに、先生のストレスというのは、先生自身だけでは解消できないわけで、彼らをケアしてあげること、というのも、児童・生徒に対してと同じぐらい、スクールカウンセラーには求められるんだと思います。学級運営で迷ったときとかね。教育知識も必要だと思うけど、先生に、自分と向き合わせるためのチャンスを提供することとかも必要になってくるかも。今の教育の現状を見て「教師失格」と自分を責める人も、いるんだろうなあ、中には。サラリーマン校長の先生が自殺してしまったのは昨年だったけれど、自分の思い描いていた学校像と、現実のギャップは、この先生にとって大きかったのに違いない。またその逆で、先生として、子どもたちの手本となるべきモラルとか、人間性を失ってしまいつつある先生もいるのかもしれないけれど、そのへんはその先生自身が自分をどうとらえているのかによって違うと思うので、なんともいえないけど。ほかにもいろいろあるんだろうなあ。生徒が好きになっちゃった先生とか、その逆とかねえ。それを相談されたときにも、サラリと聞ける人であらねばならぬでごじゃるよ。応援も反対もせずに。などと書きつつ、私はスクール・カウンセラーではないし、そうなった自分をイメージできているわけでもありません。いまだになかなか本格的に動き出せずに、そんな自分にイライラしている自分がいます。引越し先を探していて、自分の家の入り口に「カウンセリングルーム」という看板を出してもいいの? と質問したら、軒並み入居を断られてしまいました(←バカだね)。「じゃあ、オフィス兼居住物件」ってのはないの? と聞いたら、昔はあったけど今はないという。まあ、「オフィス兼居住物件」というのは、値段のこともあるので、もうしばらくしてから考えることとして、昨日行った不動産屋にはしばし行き辛い。「部屋借りて、コッソリ勝手に『あやしげな商売』はじめられたら困る」と思われるだろうからな。。。雨の日だったので、昨日はずっと気持ちがくしゃくしゃしていました。あーあ。。。
June 8, 2004

先日、病院のある池袋に行ったとき。帰り道、なにやら賑やかな音楽が聞こえてきました。西口の公園に、特設ステージがあって、バンドなどのミュージシャンたちに貸し出しているらしい。↓の写真のような感じです(ケータイのカメラなのでボヤけまくってますが)。 音響セットなども置いてあったり、彼らのCDを1枚100円ぐらいで販売したりしていました。なかなか本格的野外コンサート、って感じ。唄ったり演奏したりしてるのは、アマチュアバンドかプロの卵か、上手いっちゃあ上手いけど、ヘタっちゃあヘタでもある(よくわからんです)。土曜日の昼下がり。公園にはいろんな年代のたくさんの人たちが、立ち止まったり、おしゃべりを楽しんだり、バスを待ったり(バス停に隣接してる)、一休みしたりしていました。そんなところで、タダでステージでの音楽演奏を聞けちゃうなんてラッキー!! ってな感じですね。まあ、ヘタクソなハードロックの場合はちょっと閉口しますけど(笑)。横浜の伊勢崎町とか千葉の柏駅前あたりで、よくストリートミュージシャンに演奏の場を提供し、そこから「ゆず」とか「サムシングエルス」といった奴らが世に出てブレイクして行った例にならって、東京も音楽文化都市にしよう!! と石原都知事が云った、のかどうかしらないが、いかにも云いそうなことではありますわね。ちょっと斬新さには欠けるけどね(笑)。場所柄利用料ちょっと高そうでもあるしね(爆)。それはともかくとして、池袋って、近頃「コワい町」的イメージがちょっとばかり生まれつつあったりもしてたので、ここを遊び場のひとつにしていた小生としても、安心した、というか、嬉しい気持ちになりましたね。ここをスタートの地にして巣立っていくミュージシャンが、これから育ってくれるとうれしいなあ(^^)、とちょっとだけ思ったりしました。あとは、そんなにビッグネームを目指さなくても廉価で貸してくれるようなシステムならなおのこといいなあ、などとも思いましたね。たかが、もともとは昼休みのくつろぎ広場ですしねえ。
June 7, 2004
毎日、自分の手許には公私あわせて40件近いメールが届くのであるが、うちメールマガジンの占める比率が75%以上です。つまり30件はメルマガなんですねー。カンベンしてくれー(>_
June 6, 2004
近頃、軒並み「若手お笑いコンテスト」的番組が各局でオンパレードですね。知らぬ間に、こんなにあったのか!? と思うぐらいある。「お笑い金メダル」「エンタの神様」などが有名ですけど、NHKでもやってるし、その他ふとチャンネル回せば若手お笑い芸人たちがネタをバラまいている、って感じ。ちょっと前は、お金にまつわる、視聴者参加型番組がバラエティの主流だったように思ったけどね。今も「ミリオネア」なんかは根強いけどね。今までも「お笑い系番組」は確かにあったと思うけど、ちょっとアングラ的なにほひがしたような気がする。モノマネにせよコントにせよ、TVでもときどき特番をやることはやるけど、殆どは劇場でのライブ活動主体、という感じがあったんだよね。寄席なんかに行っても、若手落語家の中には40過ぎても前座とか二つ目の位置から上に上がれず、雀の涙のようなギャラで細々と生きながらえつつ修行している姿が、涙ぐましかったりしたんだけどね。お金持ってるビートたけし、ダウンタウン、とんねるず、ウッチャンナンチャンあたりなんか、コラム書いたり番組司会したり映画監督やったりと、「副業」やってたりするしね。もしかすると勘違いかもしれないが、なんとなく「お笑い一筋で生きていく」のが大変そう、というイメージがあったのがここ最近の私の抱くイメージではありました。記憶はおぼろげであったが、たしかバブル景気が訪れる直前の時期に「漫才ブーム」があったような気がするね。景気がいい → TVのお笑いが栄える、という公式が成り立つのなら、あるいは世の中羽振りがよくなってきたことの象徴、ってことで、嬉しいことなのかもしれない。わかんないけどね。で、くだんの「若手芸人」さんたちを見て思うんだけど、漫才だけで勝負するヤツらが、ガクンと減ってるね。これはここ最近から気になってたことでもあるんだけど。会話口調のしゃべりネタだけで笑いの渦に巻き込むのは難しいのかな。コントが結構多いのと、あと、漫談の中で、独特のパフォーマンスとか一発ギャグみたいなものを前面に出すヤツらが増えてきた。「まちがいない!」とかね。この人は流行語大賞を狙ってるのかな。それで、数あるお笑いの中で、個人的にハマってるのが、「ひろしです」っていう人と、ギターと浴衣姿で著名人をバサバサ「斬ってる」人(名前忘れちゃった)。「ひろしです」は、元ホストの人らしいのだが、悲しい顔をしてステージに出てきて、「ひろしです、~」って、九州弁で悲しげに言ったあとに、しようもない私生活の話を、何本も何本も続ける。「この前、部屋に野良犬が寝てました」とか「ちり紙交換から古雑誌を盗んだことがあります」みたいな、主に貧乏ネタを、泣き出しそうな声で話す。あまりにいろいろあるので、何度も繰り返されると笑えてくる。芸が上手いのかどうかは別として、観客に「ひろしです」の次に何話すんだろう? っていう期待感を持たせるのが上手い人だと思う。あと、浴衣ギター漫談のバサバサ斬り男。この人は、ギターに合わせて著名人の能書きのあらすじをたれたあと、オカマ口調で「・・・って、いうじゃなぁい?」という。そのあと、早口で「でも○○○○だからッ、残念!!」って、想像してない角度から悪口をかます。この意外性が答えられない。これを何本か繰り返す。(例)わったっしっ、キクカワレイ、トウダイソツの、才色兼備ニュースにドラマに頑張ってます、才色兼備で誰にも負けないわって、いうじゃなぁい?でもっ、あんたおでこテカテカだからッ、残念!!以上、おでこテカテカ斬りッ!!などなど、何人か、下積みの苦労と独自の工夫のあとが感じられる「ヒカリモノ」がいるわけですよ。お笑い界の若手にもね。まだまだ捨てたもんじゃあない。いただけないのが、「若手」と云われた時代からちょっと経過した中堅どころの芸人たちが、「オレたちゃもう重鎮だからよお」みたいな顔で、サブ司会みたいにノホホンとして、自分たちの芸をやってないところが気に食わん。「くりいむしちゅー」とか「ロンドンブーツ1号と2号」とか「オセロ」のネタなんて、殆ど見たことないぞ。今なんか、バラエティでさんまとかアイドルあたりとしゃべってるだけであるヨ。で、そもそもこいつらの芸って、今までも殆ど見たことないような気がする。なんか「タモリのボキャブラ天国」でチョイとだけ、つまらないネタを披露していただけじゃん、こいつら!?苦労知らずの芸人って感じ。で、今は先輩ヅラしてふんぞり返ってる。こいつらまとめて、さっきの浴衣ギター男に斬られちまえ!!
June 5, 2004
ネットを使って認知療法をすることで、うつなどの予防につながるストレスへの耐性を高める、というサービスがはじまったそうです(日経産業新聞04.06.04記事より)。これをはじめたのが、ライフバランスマネジメントという会社で、記事によれば、日々日記形式で自分の悩みや心配事などを書き続けていく、という作業を繰り返すことによって、考え方の偏りなど、自己洞察に効果をもたらすということで、専門カウンセラーがこのサイトをサポートするそうです。でもこんなこと、果たしてネットでやって、うまくいくのかなあ。どうも近頃、こういう「ネットで何とかしちゃおうとする」というビジネスモデルの発想が、ストレートに好きになれない。感覚が一緒くたでステレオタイプっぽいけど。といったことを、一時はネットベンチャーを目指したこともあり、「ネットは最強だー」などと叫んでいたくせに、今はこんなことを「ネット上で」うだうだ書いている、二律背反な自分です(笑)。この日記にしたって、究極は自己満足のために書いてるようなものだからね。そんな意識だから、これでカネをとれるつもりなんかこれっぽっちもない。今のオレはそれでいいのだ(ウンウン)。こんなことを書く伏線はあるのねん。この前紹介したメンタルサイトで、「カウンセリングを受けたい」といって書き込んできた相談者に対して、「回答者」なる人が、カウンセリングに対する「心構え」みたいなことを延々と並べ立てており、結局その相談者は「カウンセリングって、やっぱり普通の人には敷居が高いのね」ってあきらめて、自分の殻に閉じこもっちゃったんだよ。せっかくこっちが、「どんな相談だとしても気楽に受けられますよ、お話の内容を問わず、まずは肯定的に受容して話をよく聞きますよ、相談者のペースや希望する方法に合わせますよ」という「カウンセラーの基本姿勢」を標榜しているというのに、そういうことへの期待が、この相談者さんの中ではぶっつぶされてしまったわけだね。この「回答者」なる人は、こんな感じのことを云っていた。・「カウンセリングは、動機が明確な人でないと受けるのが難しいですよ」・「あなたは、カウンセリングを通じて具体的に何を目的としているのですか?」・「あなたは、精神分析についてどの程度認識していますか?」・「ただなんとなく、で受けるのはいかがなものでしょうか?」↑の4つのことは、いざカウンセリングをやる段階になってから、セラピストが介入することで、クライエントにも考えてもらうプロセス上のコメントであるとは思います。だけど、あるいはちょっと指示的な態度のセラピストが介入する場合に、クライエントが「責められている」と感じられるようなコメントになりがちだったりもするような気がする。それに「そういう態度で相談に来るのはいかがなものでしょうか?」なんてことは、プロのセラピストだったらよほどのことがない限り云わないでしょう。ノッケから自分で距離を広げちゃってどうするのさ?この回答者さんは、心理学の勉強途上で、自分が得た知識を述べたかった人なのかな。それとも、過去に実際にカウンセリング受けたときに、そういうふうにマイナスに受け止めちゃって、それがこの回答者さんの言葉に転移してしまっているのかな。もしそうなら、そんなふうに受け止めさせちゃったセラピスト側にも問題ありですね。回答者さんの詳しい事情はしらないが、それはそれです。別の人の真面目な相談を、よくわかりもせずに(いやよくわかっているというのならごめんなさい、でもわかってないようにオレには見えたけど)全否定されては困ります。ということで、たぶん読んではもらえないと思いますけど、この相談者さんへ。なんとなく、もやもやしている気持ちをどうにかしたい場合などに、それがなんなのか、一緒に考えるのがカウンセリングですし、「精神分析」なんて、どんな意味かわからなくてもカウンセリングは受けられるものなんですよ。カウンセリングを受けてみよう、って気持ちを持ったこと自体が、まずは大きな前進なんですよー。「精神分析」を心理臨床の手法として用いたりすることはあると思いますし、ただ、「精神分析」って、人それぞれで、徹底的にやるのは、ものすごく時間がかかる人もいるかもしれませんが。あるいは精神分析までやらなくても、自分の問題が解決してしまうのかもしれないしね。自分の過去の分析よりも、前向きにこれからどうやって生きていきたいか、ということにスポットを当てて、それに自分が気づいてもらえるように話が進められればいいのかなー、と個人的には考えます。目的が何か、ってのも、その場で一緒に考えればいいんですよ。話すことがなくなって黙り込んじゃっても、泣いちゃってもいいんですよ。話が再開できるまで待ちますし。まずは、あなたのお話を聞くところから、全てははじまるのですから。その上でどうやって自分の中の問題を解決していくか、一緒に考えましょうよー。まあ、セラピストはあなたの全てを担うわけではありませんけどね。あなたが自力で元気を取り戻すのをお手伝いするところまでは、カウンセリングでできることだと思います。・・・とはいっても、どうやってこの方にアプローチしていいのか、いいアイディアが浮かばないよー。とりあえずこのサイトの「質問」にこのことを投稿してみたら、管理者に削除されて、メールでイエローカード出されちゃった(泣)。「マナー違反」だってさ(どこが?)、トホホ。くだんの「回答者」さんのほうがよっぽどマナー違反だと思うけど、ちょっとモノサシが違うらしいよ。この、韓国vsイタリア戦の主審やったエクアドルの審判(ってたとえがわかりにく過ぎるっての)!!この相談者さん、大阪に住んでる人みたいだしー(T.T)。
June 4, 2004
ああー、辛い事件。ネット社会になってから、ずっと憂慮していたことが、あまつさえ、純真な子どもたちの間で現実として起きてしまった、という感じです。長崎の佐世保で起きた、少女のカッターナイフによる同級生傷害致死事件。その、加害者となった少女の動機が「チャット会話」であった、と本人が自供したという。日常は、同じクラブ活動で仲良しだったのが、夜自宅でお互いチャット会話をしているうちにケンカになってしまったのでしょうか。それでそれが尾を引いて、殺意に及んでしまったのでしょうか。詳しいことは私にもよくわかりませんし、直接話を聞いたわけでもないのでなんとも云えませんが。この話をニュースで聞いて、首筋から背中にかけてゾクゾクと鳥肌が立つのを憶えました。殺意に及ぶ感情の動きは、おそらく警察官にもわかる人は少ないのではなかろうか?本人たちにしかわからないのかもしれない。もしかすると、カッターで同級生を切りつけた当の本人にしかわからないのかも。まあ、被害に遭った少女はこの世を去ってしまったわけだから、今となってはわからないのは当然ですが。声に出さない、文章で相手を「殺意」にまで追い込むチャットって、何だ?それを思いとどまらせることができないまでの怒りって、何だ?いろんなことを、周囲の、家族にさえ伝わる余地を与えないスピーディーな「犯行」。今までの数々の犯罪の枠を通り越している。それを周りの大人たちが守ってやることすらできない。怖い。本当に、怖い。小学校高学年という年代は、思春期・反抗期にさしかかる、非常に多感になりかかっている時期で、いろいろなことに関心を示しはじめる時期。大人には話せない、友達同士でしか話せないようなことも、もしかしたらいろいろたくさんあるのかもしれません。けれど、数々の会話、それもネット会話のひとつが、結果、人の命を奪うことに、いとも簡単に結びついてしまったことが、ものすごく残念です。チャットって、滅多にやったことがないからよくわからないけど、そんなに、「殺意」を助長するほどの毒を持てるのだろうか。そしてそれは、リアルの会話で和解の方向に持っていけないほどの毒なんだろうか。財団法人インターネット協会は、子ども向けに作った、チャットなどネット会話の「ルール&マナー集」をホームページに掲載しているそうです。 この中で、「文字を使うときは、声や表情が伝わらないので、話したい内容が正しく伝わるように十分に注意しなければなりません。じょうだんで書いたつもりの一言で、友だちがおこってしまうこともあるのです」と注意を呼びかけているそうです(“asahi.com”04.06.03記事より)。 この「正しく伝わる」というのが、ものすごく難しいことであって、メールやチャットで感情表現を伝え、読み取る、ということが、大人同士でも難しい。自分はここのところずっと、メール軽視派なので、サラリと用件以外は読み流すようにしているんだけど。子どもは、生まれてこのかたの人生の経験が浅い。だけに物事の判断力も「つたない」だろう。だけど今回の事件の背景はそれだけじゃないように思う。子ども時代の思い出というのを思い起こして欲しい。たぶん、今考えると「これっぽっち」みたいなことが「でっかい思い出」となって残っているんじゃないだろうか。個々の会話とか文章とか、日常の出来事の密度が大人の数倍も濃い、吸収力も高い子どもたちにとっては、大人にとっては「これっぽっち」ほどのチャットの言葉の重みが、殺意に結びつくほど大きかったのかもしれない、ということも、事件の背景に影響しているのではないだろうか。逆に考えるとね、こんなことも云える。大事な友だちを死なせてしまったこの「加害者」の女の子は、これから生きていく上で、ものすごくでっかい重荷を背負わされて生きていかなくてはいけない、ってこと。関係ないところで引き合いに出して悪いけど、前科もあるシミズケンタロウさんよりか、何十倍、何百倍のでっかい重荷をね。社会的制裁以上に、自分自身の忌わしい記憶としてね。このことについては、もう少し考えてみたいと思ってます。こうしてウェブログに書くかどうかは別としてね。
June 3, 2004
夢の話・長くなっちゃったけどこれで完結~♪昨日は板橋で開催される祭りの神輿をめぐる宮大工の「もとはし屋」と「さらと屋」のライバル関係についてお話したね。で、水戸の老公一行は「さらと屋」側をサポートすることにした、というところまでだった。その「もとはし屋」、実は裏で町の代官、志村兵衛にまいないを渡し、祭りの神輿の独占を企もうとしていたのである。その条件として、次の秋祭りまでに、「さらと屋」の一人娘、おたみを差し出し、さらに「さらと屋」の跡取り候補の平次を「もとはし屋」に引き抜くことを暗に約束していた。で、志村兵衛は一考を案じた。次の秋祭りでは、「もとはし屋」と「さらと屋」の二つの神輿を出して競わせ、その勝者に独占権を与えることにすることにしようと。それでまいないを受けている「もとはし屋」に勝ちを譲り、なおかつ「さらと屋」のおたみを妾に囲うということで、一件落着である。うっしっし。悪代官の考えることというのは、大体がこういうセコいことなんですな。なので、今回の秋祭りは、「もとはし屋」、「さらと屋」が競って神輿を作っているわけなのでありますね。そんな感じで夢の話はどんどこ進んで行くのであります。そして、水戸老公一行がことのなりゆき上「さらと屋」に寝泊りするようになって数日、祭りまで1ヶ月に迫ったある日、おたみが町へ使いに出たところを、「もとはし屋」が雇った強面の男数名によって、まんまとかどわかしに成功したのであった。だけど、そのへんの問題は、水戸黄門の話の中だと、由美かおるのすりかわり作戦とか、オフロ作戦などで大体片付いてしまう話でもあるので、小生としてはあまり面白くないというか、夢の中ではちっとも心配するところではなかったのであるけど、とにかく話は進んでいく。「さらと屋」に、「もとはし屋」から便りが届いたのは、おたみがかどわかされた翌日であった。内容は、「一人娘の命が惜しくば平次を『もとはし屋』によこせ、さもなくば・・・、」といったもの。どっちみちおたみを代官に囲わせるつもりのくせに条件まで提示してる。図々しいことこの上ないですな。許婚のおたみを人質にとられた平次は激しく動揺する。平次:「お嬢さんの命と引き換えに、私は『もとはし屋』に行きます。ただ、あと1日だけ時間が欲しい。だから私は明日『もとはし屋』へ行く。お前たち、あとは頼んだぞ」主人:「待て、お前、神輿のほうはどうする?」職人:「そうだそうだ!!」平次:「お前たちの腕があれば、あとは大丈夫だ。ただ、神輿の上に飾る鳳凰の飾りを完成させるのに、あと1日だけ必要なんだ」と、そこへ話に割って入る水戸老公。黄門:「ご心配には及びません。平次さんが行きたいとおっしゃるのだから、それにお任せすればよい。平次さんの、おたみさんとお店を思う心意気、しかと受止めましたぞ。あとは、この爺におまかせあれ」平次:「ご隠居さん、あなたはいったい・・・」黄門:「なあに、ただのとおりすがりの、おせっかい隠居の爺でございますよ。平次さん、『さらと屋』のことは職人さんたちに任せて、明日『もとはし屋』さんへ行っていらっしゃい」というわけで、平次は、1日かけて鳳凰の飾りを仕上げ、『もとはし屋』に出向いていくこととなった。で、おたみは前述のとおり、由美かおるの女忍者など、水戸老公の手の者たちがうまく助け出して、祭りの当日まで、とある場所にかくまうこととなった。さて、秋祭りの日、中仙道沿いの町では、「もとはし屋」「さらと屋」の作った2つの大きな神輿が舞う。「わっしょいわっしょい!!」「そいやそいや!!」と威勢のいい掛け声が響き渡っている。宮大工としての意地にかけて、また今回初めて2つの屋号が競い合い、今後の仕事の独占権も懸かっている、ということで、互いの神輿をアピールしようと懸命である。「もとはし屋」の神輿は、その頭に舞い踊る龍の飾り、また「さらと屋」の神輿は、大きく羽根を広げる鳳凰の飾りがそれぞれ取りつけられている。いつもと趣向を変え、それぞれの職人たちが自分たちの店の神輿を担ぐ、という形をとっている。やがて両者の神輿が、奉納されるべき氷川神社の前で鉢合わせる。祭り好きの気の荒い若者同士、おのずと競り合い、神輿同士がぶつかり合うような感じになってきた。「もとはし屋」の、龍の神輿が「さらと屋」の鳳凰の神輿に体当たりを食らわせる。2度、3度と神輿を担ぐもの同士が激しくぶつかり合い、「さらと屋」の神輿の鳳凰がグラグラと揺れてきた。さらに「もとはし屋」の神輿が体当たりを食らわせようとした瞬間。「さらと屋」の神輿の鳳凰が、その大きな翼を広げたままポロッと、宙に舞った。「ありゃあ、飾りが飛んじまったあ」「これは『もとはし屋』の神輿の勝ちだなあ」と観衆が思ったとき、「キェーッ!!」と甲高い声が響いた。神輿の鳳凰が、声高らかに鳴きながら、空を飛んでいる。観衆は唖然。中には腰を抜かしているものもいる。鳳凰は、そのまま神社の祠へと向かって飛んでいった。祠の扉をつつくと、扉が開いた。鳳凰は、中へと入っていった。そして、彼が背に乗せて出てきたものは・・・。職人たち:「お嬢様!!」主人:「おお、おたみ!!」そう、「もとはし屋」にかどわかされたあと、水戸老公一行によりかくまわれていた「さらと屋」の一人娘、おたみであった。おたみを下ろした鳳凰、再びもとどおり神輿の上に止まった(かなりでかい鳳凰だったのね)。平次:「大丈夫ですか、お嬢様」おたみ:「ありがとう、平次さん」ひしと抱き合う平次とおたみ。観衆のささやく声。「平次さんの、おたみさんへの思いが、鳳凰に命を吹き込んだんだよ」「こりゃあ、『さらと屋』の勝ちだな」(あーあ、見ちゃいられないけど、まあよかったよかった、てな感じ)・・・と、一部始終を見届けた代官の志村兵衛、声高らかに、「皆のもの、見ての通り、この神輿勝負、『もとはし屋』の勝ちとする!!」「ええっ!?」「『さらと屋』の神輿に乗せられし鳳凰は、脆弱にして飛んでしまったではないか。またそのまま宙を舞って娘をさらうなど、まさしく魔物の仕業に相違ない!!」「ちょっとお待ちください」と、ここで口をはさんだ水戸の老公。「この評定、これまでのいきさつをおもんばかるに、ちと解せぬところが多すぎるように思いますが、いかがですかな」てゆーか、そもそも夢の中の話ゆえ、解せぬことが多いのも無理からぬ話ではあるんだけどね(笑)。「ええいだまれだまれぃ、貴様、どこの爺だ!?」以下、ストーリーの詳細は省略します。いつもの展開になって、葵の紋の印籠が出てきて、代官と「もとはし屋」はこらしめられて、あらためて「さらと屋」さんはこの神輿くらべの勝利を水戸老公に云いわたされ、おたみさんにプロポーズした平次さんを筆頭に、宮大工として栄えていくようなオチになったみたいでございます。以上、長くなりましたが、私が見た「水戸黄門の夢」というのはこんな感じです。m(_ _)mちなみに、代官の名前は「しむらべえ」じゃなくて「しむら ひょうえ」と読みます(どくろべえじゃないんだから)。これも「志村」という地名から出てきたと思われる、歴史上全く登場しない人物でございます。(完)
June 2, 2004
昨日から話してた、前に見た夢の話のつづき~♪「板橋」にやってきた水戸老公一行、その日の宿を求めて町をさまよっていると、行く手の道でケンカの真っ最中。どうやら町人同士のケンカである。あわてて仲裁に入る助さんと格さん。例によって、分の悪いほうの町人たちに加勢しつつ、その場を無事おさめる。立ち去っていく、ケンカの強そうな連中の背中を見つめつつ、うずくまっているやせ細った職人風の男、ペッと血の混じったつばを吐きつつ口走る。「ちくしょう、『もとはし屋』の連中、きたねえマネしやがって」「どうしたんですかな、何かケンカのわけがおありのようですな」と水戸老公。とりあえず格さんが肩を貸してやり、職人の奉公先まで彼を連れていって話を聞くことにした。「おう、どうした平次!?」「しっかりして、平さん」「すいやせん親父さん、『もとはし屋』の連中に絡まれまして・・・」聞けば、この奉公先は「さらと屋」という宮大工を営んでおり、この傷ついた平次という男は、この店の中でも最も腕利きの職人で、店の一人娘、おたみと結婚して店の跡とりになる予定になっているという。氷川講を奉る「板橋」のこの界隈では、年に二度の祭りが盛大に行われ、その祭りの神輿を、春は「もとはし屋」、秋は「さらと屋」が毎年拵えては「氷川神社」に奉納するしきたりとなっていたのだが、毎年春より秋の祭りのほうが盛り上がるのが通例となっていた。それというのも、「さらと屋」の平次が拵える神輿が「もとはし屋」のそれよりはるかに出来栄えがよい、という評判が立ち、土地の代官もそれを認めており、祭りの神輿は全て「さらと屋」に任せてしまおうとまで思いつつあるとのことであった。※ 注1・歴史上、こんなことが本当なのかどうかなど、よく知りません。なんてったって夢ですから。※ 注2・ちなみにもとはしくん、さらとくんというのは、私の昔の友人の苗字です。とくに親友というわけでもありません。危機感を覚えた「もとはし屋」は、平次の引き抜きを何度も図ろうとしたが、それに屈することのない平次の態度に業を煮やし、嫌がらせを繰り返すばかりでなく、あわよくば彼の腕をへし折ったり、また婚約者のおたみをかどわかして、代官に献上することによって、シェアを取り戻そうとするなど、ろくでもないことを企んでいるのだった。さて、ここまでの一部始終を聞いた水戸老公は、ふとつぶやいた。「これはなんとか、平次さんのお力になって差し上げなければなりませんな」ということで、話を整理してたら意外と長くなってしまったので、この話はもう少しつづくのだ。 (つづく)
June 1, 2004
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