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今年は、もうこれにて日記も書かないと、今は思いますので、今のうちに年末のご挨拶を兼ねて。(とはいいつつ、また大晦日あたりにぶらりとやってくる可能性はありますが・笑)今年も一年間、ありがとうございました。m(_ _)m 来年も引き続きよろしくお願いします。以上!!今年は、自分自身はいろいろ「転機」を具体的に実感した一年ではありました。勤めてきた会社は倒産し、引越しがあったりしたわけで。けれど就職活動は途中で断念・保留とし、大学院進学を決心して今勉強をはじめたところです。その卒業の先に本当の目標のスタートラインがあるので、そこに到達するまではまだまだ時間がかかりそうです。まあ、今から来年の目標を立てるのは野暮なのでやめときますけど、年内に大学院合格したいですね。一見バタバタしていたようにも思えるんだけど、実際物理的にはあまり動いていない一年でもあったわけですね(笑)。来年以降はそうもいってられないわけだけど、冷静に周りを見回すと、皆ものすごく忙しそう、大変そうに見える。自分一人に関しては、皆に比べるとどってことはないのかなあ、と思ったりもします。んーとそれで、周りを見渡すと、仕事を変えるとかやめるといった話を、びっくりするほどよく耳にしました。自分だけじゃないんだなあ。転機を迎えている人たちってのは。知ってる人だけでも転機の人がずいぶんいるわけだから、世間一般にはかなり大勢いるのかなあ、と想像してしまいます。それで、もうひとつよく耳にしたのが、「せっかく安定企業にいるんだから、少々つらくても辞めないほうがいい」という言葉(もちろん自分に向けられた言葉ではありません・笑)。これは、ちょっと隔世の感がありますね。少し前までは、真逆のことをみんな異口同音に云ってたわけです。バブル期の、仕事をえりごのみできた時代、そしてそのあとのベンチャー起業ブームの時代が、それぞれひと区切りした、ということでしょうか。これは面白い現象だなあ、と思いましたね。同時に、閉塞感みたいなものも感じました。奇しくも、先週末に、居酒屋チェーンのワタミフードの特集番組をやってて、そこで創業者である渡邉美樹氏の言葉で、「若い人たちは、やりたい仕事とか、なりたい夢みたいなものを持って就職活動して欲しい」という言葉が胸に沁みました。景気がよかろうと悪かろうと、やっぱり夢とか目標といったものは、生きていく上、仕事をしていく上での、エネルギーの源になるもののようです。-----------------------------------------------------<KEIRINグランプリ・予想>さて、以下はここまでの話とは全く関係ない話題ですけど、「KEIRINグランプリ04」が、明日、立川競輪場で行われますので、その予想だす。私、いちおう「競輪ファン」という、どマイナーな公営ギャンブル愛好家ですので、予想だけしとこうかと(明日は見れませんけどね)。とってもマニアックなので、興味ない人は「---------」の上まででサヨナラ、興味ある人は読んでくだされ。(出場選手)1(白) 神山 雄一郎(栃木・S1・36歳・捲追)2(黒) 佐藤 慎太郎(福島・S1・28歳・追込)3(赤) 村上 義弘 (京都・S1・30歳・逃捲)4(青) 斎藤 登志信(山形・S1・32歳・自在)5(黄) 小橋 正義 (新潟・S1・37歳・追込)6(緑) 内林 久徳 (滋賀・S1・41歳・追込)7(橙) 伏見 俊昭 (福島・S1・28歳・逃捲)8(桃) 岡部 芳幸 (福島・S1・34歳・自在)9(紫) 小野 俊之 (大分・S1・28歳・追込)(周回・展開予想) ※数字はゼッケン[4]・8 ← [1]・5 ← [7]・2 ← [3]・6・9ということであるね。自力で先行するタイプなのは、今回は村上と伏見、それと自在型の斎藤ですね。今回はちと難しいですね。毎回難しいけど。ここ数年グランプリを賑わせてきた山田裕仁(岐阜)、吉岡稔真(福岡)、児玉広志(香川)といった強豪が出場せず、勢力分布が変わってきたように感じます。(注目選手)今年の競争成績が一番いいのは1番の神山。吉岡とともに一時代を築いてきたかつての王者ですが、なぜかグランプリは無冠。今年は、逃げ主体から先行マーク、追込み型に切り替えたのが功を奏しているのか、好成績を残しています。今年こそ初グランプリ制覇なるか。最近特に好調といわれているのが9番の小野。初出場だった昨年のグランプリは、落車失格という苦い結果となってしまったため、雪辱を期しています。あと、オリンピックで銀メダルを獲得した7番の伏見。肝心の競輪では、決勝まで駒を進めるも、捲りが不発、という結果が続いていて、3年ぶり2度目のグランプリを狙っています。(予想)展開は、読めないですね。グランプリって一発勝負だけに、非常にわかりにくいし、誰もが勝ちにくるんですよ(普通のレースでは、地元の若手が先輩を勝たせるために玉砕することが間々ある)。とはいえ、基本的には地域別でラインを形成することには違いないので、それをもとに考えると・・・。小野は、基本的には単騎で、どこかのラインに取りつく。今のところ、3番・村上が引っ張る近畿ラインの3番手を主張していますけど、場合によっては番手(ラインの2番手。マーク・追込選手の中では一番有利な位置どり)を競ることも考えられる。臨機応変に切り替えもあるだろうし、ラストは捲って出ることでしょう。神山も、単純に自力ではいけない年齢ではあるので、誰かの後ろに取りついて、番手を競り合うかもしれない。村上は基本的にはキップよく、とことん逃げ一本やりで行くことでしょうけど、それが明日どこまで通用するかが、今回の勝負のカギ。伏見は今回、村上ら近畿ライン(最後尾に小野がいる)に突っ張って、最終周回でハナを取りに行くのか、または捲り勝負に出るのか、がまだ見えないですね。またそれらの作戦がピタリと決まるのか。それによって展開が大きく左右されます(好調でも失敗することがあるからね)。場合によっては伏見の台頭もありうるかもしれないな。村上自身は後ろが内林という大ベテランで脚力に疑問あり、小野にも捲られる可能性が高いため、ラストちと厳しいかも。というわけで、読んでいてわかるとおり、予想はぐちゃぐちゃなわけですが(爆)、強いて予想するとするならば、直線で9番・小野、1番・神山の一騎打ちで小野が勝つ、という予想をベースとして、これに神山の後ろを回ってきた5番・小橋、それとラスト周回がハマったときの伏見、佐藤の福島ラインの2選手のなだれ込みを予想しますね。買い目はまだわからん。◎9 小野 俊之○1 神山 雄一郎▲7 伏見 俊昭注5 小橋 正義△2 佐藤 慎太郎たぶん、2着以内に入線できるのはこれら5選手のいずれかに絞られるんじゃないかな。3着まで検討するとすれば、その他の選手が割って入る可能性も考えられるけど。願望とか思い入れが入っちゃうと、外すことが結構多いから、今回はドライに予想したいと思います。
December 29, 2004
まあ、今年はギター侍がヒットした年だけに、著名人はじめいろんな人たちが、いつにも増して汚点を世にさらしまくった年だったのかもしれないね。キーワードは「自己チュー」かもね。「自己チュー」そのものは悪くないと、近頃私は思うのです。利己主義というのは、自分を大切にし、人をも大切にするための原動力だから。自己チューになるな、などと公言する人の話を聞いてると、どうも浅はかでウソっぽいものを感じてしまいます。本当は自己チューと思われるようなことだってやりたいくせに、全くそんなことしたくない、と言い切る。本当の自分の気持ちに気づけよ、てな感じ。なんつーか、「自己チューはいかんいかん」と思い続けて、自分の欲求に対して我慢し、抑制をかけすぎているうちに、その我慢や抑制によってある日突然パンクしてしまうかもしれないし。「自己チュー」という言葉があまりに悪意に満ちた言葉だから、ちょっとソフトに言いかえれば、それは「自分の欲求に正直(素直)」という感じですかね。大事なのは、自己チューでありながらも、周りのこと、他人のことを気遣ってあげられるかどうか、ということではないのかな。近頃、ストーカーとか痴漢とか、わいせつ行為で捕まる若い人だとかオッサンが増えているけど、あれには、ストレスだとか、情報の氾濫によって人の心がおかしくなったとか、いろんな原因があるようにも思うけど、いちばん問題なのは、やられた人がどれほど嫌な思いをするか、考えられないことだと思う。これっぽいことを、テレビだか新聞だかで、あるジャーナリストが云っていたけど、簡単に云うと・・・。たとえば、被害に遭った人たちというのは、クリスマスとかお正月を、家族や愛する人たちと、気分よく過ごしたいと思っていたに違いないわけです。「こうして今年も、平和にあなたと過ごせるなんて、幸せ」なんて思ったりなんかしちゃったりするのね(まあ、おのおの勝手にやってもらいたいわけだけど、そんな感じ)。ところが、痴漢されたりストーカーされたりわいせつ行為を受けたとする、はたまた誘拐されちゃったりしたとする。そんな目に遭ったあとで、幸せな気持ちでクリスマスとか正月を迎えられると思うか!?そういうことを、痴漢とかストーカーとかわいせつ犯は、考えてないわけだ。自分の欲望のことばっかり考えちゃってる(そういうプレイの場合を除いて・爆)。それで気分がいいなら、好きにすればいいけど、世間からまともな人間として認められると思ったら大間違いである。「変質者」とか「バカ」のレッテルを貼られて生きていかなくてはならないのだ。そういう性癖を自分で治せない限り。過去の履歴も、世間の記憶に残されるし、被害者にとっては一生残る。そういうのが平気で、そののち自分が受ける制裁に対する覚悟ができているというのならば、勝手にするがよい。そうはいっても、「わかっちゃいるけど、やりたい衝動を抑えられなくなってしまう」という人がいたりしますね。「出来心」の制御がきかなくなっちゃう場合。性衝動に限らない。強盗殺人だとか、放火なんていうのもあるかもしれないしね。これが現代モラルに照らしあわせてあきらかに「悪」であり、相手が好まない結果を呼ぶようなことである場合、それはおそらく病理現象だったりするわけで、その人は社会不適合者といわざるを得ないでしょう。自分ひとりで解決できないのならば、解決に力を貸してくれる協力者をさがすべきでしょう。これから改善しようと思えば、すべてが払拭できることはないにせよ、改善できる部分はあるんだから。警察につかまらないように、とか、法律を守らなきゃ、とかそういうこと考えなくたってさ。相手が何事もなく、またはお互いに気分よく過ごせるにはどうしたらよいか、何をしたらいけないか、ということを一人一人が考えたら、それだけで治安というのは、ずいぶん今より守れるようになっていくのではないのかなあ、などと思ったりします。案外簡単に改善できることも少なくないと思うのです。
December 28, 2004
今年はアテネ五輪のメダリスト、イチローの年間安打新記録、サッカー日本代表の活躍など、日本のスポーツ界では数々の目覚しい活躍があったわけですけど、個人的には、もっとびっくりするような人たちがいたわけですね。2人の男性スポーツマンに、私は度肝を抜かれました。どっちもとんでもないおじいちゃんです。だが、「老害」という言葉の枠に、彼らは当てはまらないように、私には思えるのです。<鉄棒爺い>セゾンカードのCMで、「1年間で、人類皆平等に歳をとります」というナレーションとともに、鉄棒にしがみついたと思うや、大車輪でグルングルン回りだすおじいちゃん。どう見ても80歳は超えていると思うのだけど、何者だろう? 日本人ではあるまい、中国人かな、などと思っていたのですが、実はこの人、「日比谷鉄棒倶楽部」という、日曜日に日比谷公園に集まってみんなで鉄棒をやる中高年のクラブ活動に参加している人だそうで。なんでも、50歳過ぎてから鉄棒をはじめたらしいから、思わぬところから才能が晩成開花したわけですね。私が高校時代一生懸命練習してもあんなにはできなかったというのに、びっくり仰天でありました。<5分59秒>これ、今年どこかで行われたマスターズ陸上の大会で、80歳代の部かなにかの1500m走の世界新記録だそうです。実はこのタイム、私の学生時代の体力テストでのベストタイムと同じなんですね(爆)。80歳過ぎでも出せてしまうところに、わが身の情けなさと、このじいさんの底力を垣間見た次第です。・・・というわけで、歳くってからも、頑張りようによってはまだまだ健康・体力は回復・維持できるもののようですね。見習わないといけないかもしれないです。よく「スポーツえらい人グランプリ」なんてのをやってますけど、インパクトの点においては、私にはこの人たちが一番ですね。
December 27, 2004
コスモバルク惨敗だったですねー。やっぱり今はまだ、逃げ・先行しないと持ち味は引き出せないのかもしれないなあ。まあ、今年1年活躍して、楽しませてくれたということで、お疲れ様という感じですかね。来年からは、応援する馬とレース予想(購入馬券)は分けて考えたほうがいいね。なんでこんな簡単なことに気がつかなかったんだろう(爆)。ゼンノロブロイが強いのはもうここに書くまでもないけど、タップダンスシチーが強いレースをしましたね。これにはビックリ。凱旋門賞でコケたのは、ただの調整の失敗だったということでしょうか。7歳にしてこんなに走っちゃうというのはもの凄くタフだね。せん馬というわけでもないから、引退後は種牡馬になるんだろうけど、引退させるのは当分先のような元気さ。陣営もよく走らせますね。今年のG1予想は結局、NHKマイルカップ、マイルチャンピオンシップという、マイルの2レースだけしか予想が的中しないというトホホな結果に終わったですな。なんでマイルなのか、理由はよくわかりませんけど。今日は、有馬記念はともかく、朝、近所の公園をジョギングしてたら、大東文化大学の陸上部とおぼしき連中に5周も追い抜かれたのでちとへこんでおります(爆)。昨日、浦和レッズが負けた試合を見ました。ジュビロ磐田の試合は、全盛期に上り詰めていく頃からずっと見ているけど、フィニッシュまでのプロセスが丁寧で、確実にシュートまでもっていくサッカーは相変わらずで、見ていて面白いね。中山、藤田、名波のベテランが健在というのも心強いし、グラウの「ジュビロ命」みたいなハートも好感もてる。まあ、前に挙げたみたいなベテラン陣の後継者が確実に育ってくれれば、まだまだこのチームは面白いかもね。レッズは、今年1年よくがんばった。豪華選手を外から引っこ抜いてこれるのも、大勢のサポーターの力があってこそ。彼らの入場チケット代の積み重ねが、高い年俸や厚待遇につながるんだぞってな感じ(どうなのかよくわかりませんが)で、他のチームも、悔しければレッズを見習ってサポーター集めて欲しいような気がする。まあ、今年はあと一歩だったけど、ファン待望のレッズ黄金時代が到来したかもしれないね。おなじ流れで、新潟と仙台も強くなればいいんだけど、すぐには難しいか。元旦はどうなるのかな。最近あんまり思い入れがないだけに、よくわかりません。・・・と、ページをふと見たら、「新撰組」の話を書いたブログがトラックバックされとる!?トラックバックって、いまだによくわかってなくて、全然関心ないんだけど、見てくれるのはありがたいことでございます(^^)。でも、私のページは、基本的には好き勝手に、気分転換に書いてるだけで、読んでてそんなに面白いもんでもないと思いますから、自分から皆様のページにトラックバックに行ったりはしませんので(というより、トラックバックの方法もいまだにわからない)、その旨ご了承ください。m(_ _)m
December 26, 2004
中央競馬は明日が今年最後の日。それでもって、最後はガッポリなのかちょこっとなのかわかりませんけど、笑って終わりたいものですね。馬場も例年になくいいらしい今年の中山競馬場。どんな結果になるのでしょうかね(^^)。今年はなんだかんだと自分のほうでもガタガタしてまして、あんまり馬券を買ってない。なので、当然的中もしてないため、独自予想はアテにはならない。まあ、強豪ぞろいの有馬記念のことだから、割合堅く決着するような気がすると思うんだけど、人気馬の大崩れがまったくないかというと、可能性はあるかもしれない。<有馬記念・ヘタレ予想>◎ 4 コスモバルク(五十嵐冬)○ 1 ゼンノロブロイ(ペリエ)▲ 5 ハーツクライ(横山典)注10 デルタブルース(ボニヤ)☆13 ツルマルボーイ(蛯名)△ 6 シルクフェイマス(四位)△11 ヒシミラクル(角田)△ 8 ダイタクバートラム(武豊)・・・って、出走馬の半分以上印つけてどうすんだ、というのが「ヘタレ予想」たるゆえん。◎○▲注☆は、この中のどれか2頭は必ず3着以内に来るだろうという予想なんだけど、軸がわからないからボックスですな。3連複にするか2連複にするかは未定。連単は恐ろしいのでやめとく。△は、「くるかもね」という予想。武豊は、こういうときに軸にして失敗したことが幾度にもわたってあるので、今回は△印。オグリキャップやマーベラスサンデーなんかと比べても、今回の馬は明らかに格下。来たら大したもんだけどね。逆に、いつも前評判を裏切って、あっさりと勝ってしまうヒシミラクルとか、奇跡の逃げ馬タップダンスシチーや、東京大賞典を捨ててこっちにきたアドマイヤドンのほうが怖い。タップかドンが来たら笑ってあきらめようっと。◎は、強さともろさをあわせもつ、非常にリスクを背負う馬なので、取捨が難しいんだけど、彼の中央G1制覇は、今や日本中の競馬ファンの願望ですな。勝てば、久しぶりに「バルクコール」とか「冬樹コール」が起こるような気がする。北海道ブームに沸いた今年の棹尾を飾れ!!
December 25, 2004
の、脳みそがぁ。。。なんだか「受験生」みたいな頭の使い方って、やったのは久しぶりすぎて、「脳がひきつけを起こしてる」感じ。早く炭水化物をとらないと。・・・って、こ、米がにゃーい(泣)!!
December 22, 2004
函館の大火災。月並みながら、現地の皆様にはお見舞い申し上げます。今年は災害に見舞われた地域があとを絶たない年でしたね。自然災害にいたっては、理由なんてないから、被災地の方は「なんで私たちだけ?」と頭を抱えてしまっているのではないでしょうか。めっきり寒くなってまいりましたのに、今年の冬を災害の傷も癒えぬ被災地の人々には、さぞかし寒さが身にしみる冬になっていることでしょう。こういう寒い日には、コタツでみかん食べながらテレビやラジオで落語でも聞いてるのが気持ちいいですね。なんかそういう、噺家さんが「チャリティー寄席」みたいなイベントなんか、新潟まで直接やりに行ったりしてないんですかね。さて先日、とある駅構内の売店で、安売りしてた落語のCDを買いまして、ときどき気晴らしに聞いたりしております。中でも泣ける噺ってのが、最近結構好きですね。以下の「芝浜」ってのも、個人的には、今好きな噺です。------------------------------------------------「芝浜」のあらすじ(登場人物の話し文句は違うと思います)酒好きの魚屋の「かつ」が芝浜の河岸で四十二両もの大金が入った革財布を拾う。「かつ」は大喜びで酒を飲んで散財し、酩酊してしまう。ふと気づくと財布がない。女房は財布を隠してしまい、「拾った財布? 知らないよ。夢でもみたんじゃないの」ととぼけてみせる。反省した「かつ」は、酒を断ち仕事に精進する。そしてついに3年後には自分の店を持つまでになった。そこで女房があの時の財布を出して告白する。「あんた、ゆるしておくれ。実はあんたの酒癖を治すために、私があんたの拾った財布をかくしておいたのさ」だけど、改心した亭主は快く女房を許す。「お前があのとき財布を隠してくれなかったら、俺はあのまま呑んだくれのままだった。謝らなくちゃならねえのは俺のほうだ。ありがとうよ」「あんた・・・、さあ、もう好きなお酒を我慢しないで、好きなだけ呑んどくれ」「いや、また夢になるといけねぇ」------------------------------------------------いやー、セリフをそんなによく覚える人間じゃないもので、ちょっとヤボったい記述になってしまいました。m(_ _)mでも著作権法に引っかからないからいいでしょ(爆)。前は、どっちかというと人情もので笑い話じゃないし、教訓じみててあんまり好きな噺じゃなかったんだけど、今年はなんでだか、心があたたまるものを感じる気がするんですよ。なんか、ツボにはまるシチュエーションなんだと思います。今年は。
December 20, 2004
んー。12月23日に、☆組さんの試合の助っ人に呼ばれてしまった。でもって、正月気分も醒めたころ、1月10日はまたまたグラウンドが取れてしまった。「しまった」というのは、ちょっと後ろめたさが混じってるみたいで良い表現とはいえないね。「仕事もしないで勉強もほったらかしで野球かよ」という、まだ来ない世間からの批判の声に対する防御姿勢を、ついとってる感じ。だってみんな忙しそうで申し訳ないなあ、という気持ちを「とりあえず」表しときたいと思ったんだもの。結構打算的な行動パターンだよね。私の正体は、そういう、善人の革をかぶった、計算高くてこズルい人間なのであります。といふような話からちょっとはずれて、自分の性格分析をカミングアウトするような話。あんまり人に話したこともないような話だし、話さずにおいてもよかったかもしれないと思えるような話でもあるのです。けれど、このタイミングで自分を見つめ直して言語化してみることも大事かな、と思って。そのへん、見苦しい点はご了承ください。m(_ _)m自分の行動や思考傾向というのが、心の底にひそんでいる潜在的欲求だとか「本来の自分」とウラハラであることに、実は10年ぐらい前から気づいていました。ふとときどき、自分ってウラオモテがある人間だなあ、と感じることがしばしば。私は、元来ものすごく怠け者で、また根気もない人間です。何事にもすぐに無気力になりがちで、普通に生きていく力が弱い人間だと自分では常々思っています。ただ、関心のあることに対しては物凄く熱心に取り組む、というより「凝ってしまう」性格でもあります。なので、社会に適合できるかどうか、ということがものすごく不安だったんですね。そう、常に「社会」に対しておびえながら生活してきたところがあったのです。それで、はみ出さないように勉強はそこそこやった。スポーツにしても同じ。「仲間はずれ」だとか「おいてけぼり」と戦っていたようなところがあったんです。結果、勉強にせよ運動にせよ、やっただけの結果は成績として出てきたりしたように思います。だけど、それは当時「本当の自分」の姿ではなかったような気がする。ユングの本に出てくる「ペルソナ(仮面)」っていう奴かもしれない。無理してきた日常の反動で、休みの日とか羽目を外していいときなんかは、疲れて何もやる気がおきなかったりすることはしばしばありました。まあ、つきあいで余暇に何かやってみたりしているうちに、それが昂じて趣味に転じたことはあったかもしれない。だけど、あまり主体的じゃなかったですね。自分にとって面倒くさくないのが、好きな本を読むとか、コツコツ自分でやれるようなこと。それが趣味になったり、特技になったりしてきたような気がします。ときどき、プツンと糸が切れたように高校の部活動をサボって、高校の英語の副読本を一冊分和訳してみたり、社会に出てからも、折を見ては仕事を休んで図書館に通いつめて本を読みふけったりしていました。あるいはそこで、仮面を脱いで「本当の自分」を取り戻すためのガス抜きをしていたのかもしれません。しばしば抑うつ的な気分に陥ってしまったり、それがたまりにたまって「うつ病」と診断されてしまったり、それでも仕事を休めなくて無理をしてた結果入院してしまったりしたのは、あるいはそういう、社会適合のための「仮面をかぶったままで頑張ろうとする自分」に対する、「本来の自分」の抵抗だったのかな、などと、今でもときどき思います。だけどそのように「本当の自分」ばかり前面に出して、好きなことばかりに目を向けていたのでは、実社会を生きていく最低限のことさえもできない。社会規範やモラルからは、「甘え」ととられてしまいかねない。だから、これからは、仮面と「本当の自分」とをある程度バランスよく出して生きていければよいのかな、などと思います。仮面をかぶってだけ生きていくのには、ちょっと限界がきてしまっているのかもしれません。「本当の自分」をもっと出すことを、自分に対して許してやってもいいのかもしれない。
December 19, 2004
昨日、街中はサンタさんのコスチュームを着た人たちでいっぱいでした。クリクマスキャンペーンって奴ですかね。なんか、ティッシュとか、チラシとか、ちょっとした試供品みたいなものとか、いろんなものを配っていました。まあ、街頭でのPRというのは、よく警察とのあつれき(?)がつきもの。駅周辺では、やはり数名のおまわりさんとサンタさんが「やりあって」いました。「通行人の邪魔にならないように」とか「あんたたちは強引な勧誘セールスの人たちではないのか」とか、そんなことを話してたんですかね。一人のサンタさんが結構エキサイトして、口角泡を飛ばしておまわりさんに詰め寄っていました。でもなあ、もしサンタの格好をした強引な勧誘セールスというのがあるとしたら、ちょっとヤだなあ。せっかくの夢のある格好をしているのに、それでサンタに法外に高い商品を無理やり買わされてしまったりしたら、クリスマスがトラウマになってしまうじゃねーか(笑)。ただ、かくいう私も、クリスマスイブの夜に、見込み客候補の自宅へおしかけセールスをしたことはある。ターゲットは学生とその母親。だから「これはクリスマスプレゼントだと思ってお母さんひとつ・・・」などという、夢をぶちこわす真似をしてしまったのです。この一家にとってクリスマスはトラウマになってしまったかもしれないなあ。。。さて、今日は、大井埠頭海浜公園で、野球の自主トレの日。同行してもらった☆組ベイスターズさんは、23日にも試合を予定していたので、その直前練習という感じになりました。昨日の忘年会でイマイチ胃腸の調子がよろしくない中、基本のプレーを、3時間じっくりと「おさらい」させてもらいました。はじめ肌寒いから、お腹が大丈夫かな、と不安に思っていたのですが、時間を追うにつれ、ちょうどよい按配になって、身体も良く動くようになってきたね。なかなかいい感じで練習を終わることができたと思います。公園の、野球場の隣に、「ドッグラン広場」という、ワンコたちを放し飼いできるスペースがあって、びっくりするほどたくさんのワンコ連れの人たちが訪れていました。そうかそうか、犬くんたちは冬はあんまり寒くないんだな。天気もよかったから、奴らは元気いっぱい走り回っておりましたな(^^)。
December 18, 2004
キョービ、社会のあらゆるところで情報がこれだけ氾濫してくると、いらぬことまで耳や目に飛び込んでくるから、こっちも余計なことまで考えちゃって、ぬか喜びしたり、わけもなく悲しくなったり、腹立たしくなっちゃったりしちゃうんだよね。マス・メディアやインターネットというのも、そういう意味では功もあれば罪もある、と思うわけです。喜々として日々思いっきりこれらの情報を活用している分際でこんなこというのもなんなんですけど。たとえば「ナベツネにムカつく」という話があって、私も近年は少なからず彼の言動にはムカついていたけれど、なんでムカつくかといえば、マス・メディアが我々に、ムカつく材料を提供し、ムカつくように報じてくれたからにほかならない。別にナベツネなんて、自分の身の周りには直接関係ない、一小市民にとっては、まったく取るに足らない輩なんだよね(ん? 日本語がちと変だけどまあいいか)。「ナベツネに汚名を背負わされ、それを苦に両親が焼身自殺をしてしまった、これがホントの傷心自殺だ(ダハハ・涙)、おのれにっくきナベツネめ、12月14日の夜にオマエの邸に仇討ちに行ってやるぞ、どりゃあー!!」とか、そんなことはミジンコのウンコのかけらほどもないわけさ。強いて実害をあげれば、テレビで見るプロ野球がつまらなくなったことぐらいか。まあ、「たかが選手が」などと云われた古田ほか、直接関係があって怨みつらみがある人たちにとっては、腹立たしかったに違いないだろうから、大いに腹を立ててもらっていいと思うけど。世論に乗じてムカついた姿勢をとっていたけど、ワタクシ、その実そんなにムカついてたわけではないのです。ごめんなさい。m(_ _)mNHKがどーたらこーたら、などという話にしても、今のところ、NHKのせいで自分の生活に支障が生じたわけでもなんでもないわけなので、つーか我が家はなんでNHKが集金にこないのだろう、なんで入居時からNHKのシールが表札に貼ってあるんだろう。もしや家賃にコミで入ってるのか、とか、むしろそういうことに興味がいっちゃってるんだよね。別に受信料で幹部連中が遊んでようがナニしてようが、わしらにはあんまり関係ないわけで、そんなことバレないようにやっとけば、こんなに世論に叩かれなくてすんだのにアホだよなあ、職員はかえってかわいそうだよなあ、などと思ったりする程度なのが本音のところなのね。結構、余計なことで怒ったりイライラしたりしているところが、私たちには多いのではなかろうか。以前、年がら年中何かに腹を立てていて、世の中のことや会社や仕事に対して文句ばかり並べている人が身の回りにいたんだけど、どうにも共感できなかったというか、云ってることがピンとこなかった。だけど仲の良い人だったので、あまり掘り下げることをせずに、共感しようと努めて、一緒に腹を立てていたような気がする、今にして思えば。そういうのはすごく疲れる。当時は客観的に聞き流すという術を知らなくて、はじめはサザンオールスターズ風にいうところの「C調口調」だったのが、いつしか自分も知らず知らず主観的になって、真面目に腹を立てていたのだ。怒るのには、相応のエネルギーを消費されるし、ストレスを作る源にもなる。無用のエネルギー消費やストレスの生産は、うつ気味の私には、ムダに健康を害することだった。こういうことというのは、今後改善したい自分の中の課題ではある。世の中の問題点に関心を持ち、そのことについてのより詳しい知識を得るために、いろんな情報に目や耳を傾けるのは大切なことだとは思うけれど、それらひとつひとつに対して、本当に自分にとって必要な情報かどうか、よく見極めた上で、自分の胸の中で丁寧に消化していく必要はあるね。でないと、ともすればこれらうろ覚えの情報に溺れ、流されてしまう。そうすると、正しい判断ができなくなって、上記のごとく余計なところで腹を立てたり、ほかには、たとえば無用の「差別」とか「ひがみ」のような感情を生むことに結びついてしまうような気がするのだ。以上は自分を律する意味での話なんだけど、もしも世の中の「差別」や「ひがみ」といったものの根源が、そんなつまらんことから生まれるものばかりだとしたら、ちょっと悲しいというか情けない気がする。たとえばね。「あいつはNHKの職員だからつきあうのやめた」とか、「オマエ社会保険庁の職員だろ、ボーナスいくらもらえるの? へーえ、いいなあ、ウチみたいな民間企業と違ってよー」とか、そんな了見のせまーい話を聞いてると、うんざりする。そんな会話に俺を誘うなよ・・・と思っちゃう。云ったそいつは、野球に例えるなら(例えなくてもいいけど)5点先制したあとで100点取られて100-5で惨敗するような、相撲に例えるなら(同上)朝青龍につり落としで土俵に叩きつけられる高見盛のような、超みじめな敗戦を喫することは明白なので、できればそいつには、云った時点で自分の負けに気づいて態度を改めて欲しいところなんだけど、そいつが自分の発言に酔って悦に入ってしまう場合、始末に困る。こっちも逆切れしちゃって、「そういうことばかりぬかすヤツに限って、大した仕事やってねーんじゃねえのかよ」などと反論したりすると、人間関係はさらに泥沼化してしまう。サイアクの悪循環だ。話がだいぶわき道にそれたけど、基本的に情報が豊富にあることはいいことだとは思う。「ペンは剣より強し」ともいうし、世論を高めて悪を律することは世の中を変えていく上で、とても大事なことなので、情報源であるマスコミ関係の方々には、単にウケ狙いで世論をあおるような報道からは卒業して、真面目に伝えるべき事件に関しては、極力「真実」を追求し、視聴者や読者に伝えるよう、つとめて欲しいところである。とくに週刊G、週刊P、H道ステーションにはそれを強く要望したい。ニセキヨハラのインタビューとか、川平慈英のオーバーアクションんて、もう面白くない(爆)。ただちょっと気がかりなのが、肝心のマスコミ側が、近頃自らそういう世論の批判の矢面に立たされているところ。これはちょっと皮肉なことではありますわなあ。
December 17, 2004
<カッコわるいふられかた>昨日、駅構内にあるさぬきうどん屋で昼飯を食ってたら、有線で大江千里のこの歌が流れてきたので、思わずうどんの汁を吹き出してしまったぜ。大江千里の顔を思い浮かべると、俺はどういうわけか笑ってしまう。トンボみたいな顔しながら、けっこう当時の若造の間では「トレンディ」と思われてるような曲を歌ってたので、そのギャップが笑える理由なのかもしれない。なんでテレビに出演しちゃったんだろうとか思っちゃう。昔、こいつは「おれたちひょうきん族」にゲスト出演して、さんまに、さんま:「なんやお前、若手芸人のくせに楽屋へ挨拶にもけえへんで」大 江:「いえ、私これでもいちおうミュージシャンでして・・・」さんま:「うそこけ、どう見てもお笑いの顔やないかい!!」とか云われてたからな。あれは、さんまも無礼千万だけど、大江千里も失敗だったね。お笑いも俳優もミュージシャンもごっちゃまぜの現代ならオイシイ話ではあるけど、当時は出ただけ損だったかもなあと思う。引き合いに出して悪いけど槙原紀之もそうだね(爆)。昔は、フォークの人たちの中には、テレビに出ない主義の人たちが多かったから、そういう魂を引き継げば、恥かかなくてよかったのに、と「余計なお世話」的に思っちゃったりしたもんだ。m(_ _)mそれにしても今どきこんな曲をリクエストする人がいるんだねえ。つーか、有線でリクエストするという行為そのものも懐かしいね。カラオケがそんなに普及してない時代、学生時代の俺たちの間では、喫茶店や居酒屋で、有線放送に電話かけてリクエストするのが流行ってた。本当は、ラジオとかテレビの音楽番組にリクエストハガキを出して選んでもらったり名前呼ばれたりするのが嬉しかったりしたもんだけど、有線だと割とヒットする確率が高いんだよね。それで、「これオレがリクエストしたんだぜい」「へえこんなの聴くんだ」とか、本当に自分のリクエストが通ったかどうかなんてわからないんだけど、とにかくそういう話題で盛り上がるのが、お茶うけとか、ゴハンのオカズとか、酒の肴だったりしたわけだね。時代をもう少しさかのぼるとジュークボックスになるのかねえ。これはカッコイイなあとは思うけど経験がないんだよね。今逆に、レトロな店なんかで流行ってるのだろうか(ひとりごとなんで、別に情報募集してないですから、「以前僕の日記にも書きましたが」というような書き込みは不要です)?<つぼね>僕らと同年代の女の人たちというのが、もし今でも皆さんのオフィスに残っているのだとしたら、その大部分は「おつぼねさま」になっていることでしょう(アメリカの心理学の論文的書き出し)。忙しいキャリアウーマンで、周りに気を配る余裕がない人など、例外はあると思うけど。この年代に限っていうと、バブル時代の遺物みたいな存在だね。結婚してりゃあまだいいんだけど、未婚だったりバツイチだったりすると、これがさらに強力なんだよね。かつて働いていた会社に「辞めさせ屋」と呼ばれた「つぼね」がいて、彼女と折合いが悪くて(というか嫌われて)、しまいに消されたOLを何人も見たし、つぼねがついに、自分の課の課長を辞めさせてしまったのも知ってるし、自分も若い頃、つぼねによる迫害を受けた経験(つぼねに辞めさせられたわけではない)があるので、よく身にしみてわかっちゃったりするんだよね。つぼねの口から「あの子消すから」という言葉を聞いたこともある。背筋が凍りつく思いだったね。松下由紀って、「大奥」で春日の局になってるらしいけど、ピッタリだね。あまりにピッタリすぎて感心してしまうというか、あきれてしまうよ。逆に、つぼね以外の役は全く似合わなさそうで、「ポスト・ピン子」のにおいがプンプン漂ってくるね。「つぼね」の習性としては、まずオフィス内に派閥を作りたがるね。爺いたちの会社の派閥とか、クラスのいじめグループなんかとおんなじ。はじめは群れたがる。それで、はじめはとっても親切で人なつこい、いい人だったりする。それになついてくる人たちを「つぼね派」に入れて、派閥はだんだんでかくなっていく。そこでなつかない人で、仲良くしてても自分のメリットにならないとつぼねが思う人(上司含む)は、まずはじめの犠牲者となって、お茶に鼻くそ入れられたり、無視されたり、若い子にいたっては仕事にかこつけて恫喝されたりする。次に「つぼね派」の中で、つぼねと距離をせばめていくうちに、どうもやっぱり折合いがつかない人とか、つぼねが使えないと思う人が、第二の犠牲者。こうして、第三、第四と、犠牲者はどんどん増えていき、そのたびにつぼねは恐ろしさを増していくね。この恐ろしさは諸刃の刃であり、孤立と背中あわせのリスクを常にはらんでいるから、このへんがいわゆる「つぼねの正念場」ともいえるんだよね(どこが「いわゆる」なのかは不明)。だがそこで、頭のいいつぼねは自分の「お気に入り」の中からちゃんと後継者(というか腰巾着)を作り、自分が万が一カリスマ性を失ったときにフォローしてもらったり、失脚(=退職)したあとに「2代目」がオフィスを仕切ったりしてもらう、などの「つぼねの種まき」をしているかもしれない。だけど、大概のつぼねは、自分さえよければそれでいい人が多いから、飛んだあとを濁していくね。よくわかんないけど、たぶんそうだと思うよ。だがここで、「反つぼね派」が出てきてクーデターを起こしたり、「つぼね一目惚れ事件」が起きるなど、つぼねのシナリオに描かれていない出来事が起きると、劇的な変化が起きることだろう。つぼねがつぼねという地位を失う瞬間が見れるわけで、シェークスピアの悲劇とか、プロレス団体の下克上を見るような気持ちで見ると、もしかしたら一見の価値はあるかもしれないけど、その瞬間を見るためだけに、もう一度どこかの会社に就職する気持ちは私にはさらさらないし、そんな物好きは世の中にはいないに違いない。ライターが、戦場のルポを書くためにイラクに滞在しつづけて、帰れなくなるような話だよ。つーか、なんでこんなアホのような話が、こんなに長くなってしまったのかは不明である。
December 16, 2004
よく、小説なんかを読んでいると、その場の様子を巧みに伝えていて、臨場感あふれる話になっているものが、やっぱり読んでいて面白い小説だと思うのでありますね。とくに、これは動詞や形容詞にあたる熟語、日本の小説の場合は、とくに漢字の2字熟語の巧い使い方をしているものが、よく雰囲気や様子が伝わるんだよね。小説全体も、うまい文なあ、と思っちゃう。逆に、内容はいいんだけど、2字熟語の使い方が拙いと、ちょっと興ざめしてしまったりする。どうでもよさそうでいて、結構微妙なところではあるんだよね。ふと、巧い言葉遣いの小説を呼んでいて、それを自分でも、書いてる場面での気持ちや状況を表現する言葉として、使ってみたくなるような気持ちになったりすることがたまにあるんだけど、なかなかそういう言葉がピタッと当てはまる機会ってないんだよなあ。てなわけで、いろいろそんな2字熟語たちの中で、自分がとくに文字を読んだだけで感情移入しちゃいそうな言葉を並べてみました。☆「逆上」この言葉を見ると、激しく怒ったり、興奮したり、とにかく気持ちが激してる、って感じがしますね。気持ちがさかさまになったり転がったり、こみ上げたりしてる感じ。そういう意味かどうかは知りませんが。高杉良の小説の一節で「彼は怒りのあまり吐き気を覚えた」という表現がありましたけど、そんな感じを連想してしまいました。「逆ギレ」の逆の字もこれと同じなんでしょうか。☆「鬱屈」「うっくつ」という読み方だと思うんだけど、いかにも気持ちが「地獄の底でたまってる」って感じがします。ひざを抱えて地べたにたたずんでいる感じ。ウキウキとした、天にも昇るような気持ちとはあまりにも対照的です。天は果てしなく遠い、動けばそんなことないのに、動きたくない、って感じの言葉だよなあ。☆「陵辱」これは、官能小説なんかの、とくに「レイプされた話」なんかに出てきそう。いや違うな。そういう小説の帯に書かれているキャッチコピーに使われてる感じかな。本文中では具体的になにをしたか書かれているんだろうけど、それらをうんとまとめて、一言に凝縮した言葉が「陵辱」。とてつもなくひどい目に遭った女性を連想してしまいます。トラウマになりそうなほど。自分の恋人が「陵辱」されたら、血の涙を流して泣いて、その次に加害者に殺意を抱くことでしょう。☆「嘲笑」あからさまにけなし(けなされ)ている感じ。やられてるほうは顔から火が出てる感じ。いかにも無神経なヤツの笑い顔が目に浮かぶようです。集団で笑ってる光景が思い浮かびますね。やられちゃ嫌なことはやらないほうがいいよね。だけど無意識だとか、出来心でやっちゃったりするのが人間でもあるんだよね。困るよね。☆「虐殺」「殺す」という言葉の中ではとくに残酷な印象を抱くのが、私にとってはこの言葉です。ほかに「惨殺」という言葉もありますね。むごいなー、って目を覆う感じ。どんなふうにむごいかは、いろんな想像ができるけどあんまりここでは書きたくない。昔、「キリングフィールド」って映画があったでしょう。あんな感じかな。☆「焦燥」あせりと不安でジリジリしてる感じ。追い詰められて、逃げ場を失って、半分死を覚悟しそうになってるんだけど、辛うじて生き延びよう、と思ってて、今日だけ助かったら明日からは真面目に生きよう、とか頭の中で、その場しのぎに思ったりしちゃうような気持ち。借金苦のときなんかがこれに近いかな。だけど、実際にその場を逃れたら、喉もと過ぎればなんとやらで、忘れてしまうんだよね。☆「恍惚」ここまで書いてきた中で、喜びとか楽しみを表す2字熟語というのがどうも思い浮かばない。「歓喜」とか「爆笑」なんていうのは、ベタすぎてどうも当てはまらないんだよねえ。もしかすると、喜び、楽しみのセンスが自分にはないのかもしれない。けれど、あえて書くとすればこれかね。ただ、これって究極というか、死に限りなく近づいた、意識もなくてもうろうとしている状態のようにもとれるので、だけど本人は気持ちいいに違いないからいいか(笑)。
December 14, 2004
<「新撰組!」最終回>いやー、いろいろと評価の分かれた大河ドラマであったけど、個人的には好きなドラマだったですね。昨日は、「トヨタカップ」の出だしを見て、ゲームがなかなか動かないので、チャンネルをNHKに切り替えて、そっくり最終回全部見てしまいました。このドラマは、「新撰組」というよりも、「三谷幸喜組」という感じであったですね。近藤勇を中心に、というより三谷幸喜氏を中心に物語が面白く進行していく、という感じで、登場人物たちが、みんな楽しそうに芝居やってるなあ、という印象を受けました。三谷幸喜氏ってのは、なんか不思議な人ですねえ。「新撰組!」もバリバリ時代劇!って感じではなかったし、以前の「古畑任三郎」もバリバリ刑事モノ!って感じではなかった。それぞれ、そういう「バリバリの世界」のカラーが色濃く出るのが、今までの時代劇や刑事モノというジャンルだったから、「新鮮味」みたいなモンはあったですね、新撰組だけに(すいません)。三谷氏の手にかかると、そういう、物語の設定に対する強い執着があっさり捨て去られていて、「作った脚本の舞台がたまたま時代劇(刑事モノ)だった」っていう感じに仕上がっちゃう。よくわかんないけど、そんな感じ。それでいて「三谷カラー」やキャスティングにはあくまで執着し、十分吟味する、ってな感じなんでしょうかね。香取慎吾、中村獅童、戸田恵子なんて「HR」の組み合わせそのまんまだし。三谷氏のほかの作品についてあまり深く見てないから、こんなコメントになってしまうけど。そういう、自分の世界へのこだわりが強いがゆえに、視聴者側でもたぶん好き嫌いが分かれるんだろうな、という気はしました。で、たまたま私は「好き」の側に入ったということでしょう。トラディショナルな時代劇のファンには、ちと受け入れられにくいというか、もしかすると怒りを買うドラマではあったかもね。NHKの、大河ドラマに対する思い入れとかトーンに合ってたかどうかがちと疑問。予告編のナレーションを聞いちゃうと、あまりに仰々しいからね。思わず身構えてしまうね。あれは邪魔だったように思ったなあ。やはり、思ってたとおり「感動的」っていう終わり方ではなかったけど、重いシーンもなるべく軽薄に流して、サラリと笑って終わるような感じ。近藤が斬首される寸前のシーンでの、山本太郎のおちゃらけが、それを象徴していたように思いました。<PK>んで、急いで「トヨタカップ」にチャンネル変えたら、スコア0-0のまま、まだ終わらないばかりか、そのあと1時間以上も続いたのね。結局PK合戦で、ポルトが勝利。PKって、ボール蹴ってる選手やキーパーにとっては、本当に胃が痛い瞬間だろうね。手に汗握ってしまいました。「トヨタカップ」も今年でおしまいになってしまうんだね。ちょっと寂しいね。PKといえば、土曜日のJリーグチャンピオンシップもPK戦で決着がついたね。浦和にとっては悔しい結果になっただろうけど、結果は結果として仕方ない。よく頑張ったと思う。レッズのディド・ブッフバルト監督が、試合後のインタビューで「PKによる敗戦は、私の中では敗戦ととらえていない」とかなんとか云ったらしい。悪いけど負け惜しみも甚だしいね。そんなこと、プロチームの監督が自分でいうことじゃないよ。レッズを気遣う周りの人がリップサービスで云うのならまだわかるけどさ。サポーターになりかわって云うならば、「そんなこと云ってるから、ナビスコ杯もPKで負けるんだよ!!」てな感じである。シーズンの積み重ねの結果が、PKの数分間で決まるのは悔しいだろうし、今までのチームの苦労の積み重ねなんかも考えたら、気持ちはわからなくもないけど、「PKで決める」ってルールを承知の上でやってきてるわけだから、その発言は勝った相手にも失礼だよな。ただ、他のサッカー関係者の中でも、似たような考えの人が多いらしいのがちと気にかかる。「PK戦は、ふだんそれだけ練習してるわけじゃないのだからしょうがない」とかね。でもあんたら、アジアカップの準々決勝、準決勝で日本がPK勝ちしたとき「勝った勝った」って喜んで、川口の判断のよさとかハートの強さを賞賛してたじゃねえか(笑)。昨日のトヨタカップとか、アメリカワールドカップの決勝みたいな、世界一を決める試合だってPKで白黒つけるルールになってるわけで、それで負けたら栄光が奪われることになるし、あのロベルト・バッジオだってそれで泣いたわけなんだからさ。それだけ重い時間帯だってことを考えて、PKだってもっとしっかり練習しようとか考えるのが次への重要課題なんじゃないの、なんてどしろうとの私なんかは思ったりしちゃうんだけど、違うのかねえ。まあ、よくわからないけど。あんまりグダグダ云ってると、石つぶての20個や30個飛んできそうなのでこのへんで退散することにします。
December 13, 2004
・・・って、別に今年の「クリソツ大賞」ってわけでもなくて、前々からそう思ってたのも含めて、どうぶつ、妖怪、マンガキャラクターなど、いろんな「実在の人々」じゃないものに対する「クリソツ度」にもとづいて、8部門を決定。各部門において、厳選されたセレブの中から、栄えある(?)「クリソツ大賞」を選び、発表いたします。<シーズー部門>シーズーに限らず、チン、ペキニーズ、パグ系の「ひしゃげた顔のワンちゃん」全般にもあてはまる部門ですな。日本には、前々からこの手の顔はいっぱいいるので、候補者は大勢いたのですが、その中から、厳正なる審査の結果、「シーズー部門・クリソツ大賞」は作家の内舘牧子さんに決定。ちなみに、準大賞はプロ野球解説者の金村義明さん、次点は野村佐知代さんでした。<ペルシャネコ部門>猫顔の有名人というのもいっぱいいると思うのですが、とくに「顔がでかい」「顔が中心部に集中している」という点に着目しました。ということで、「ペルシャネコ部門・クリソツ大賞」は、圧倒的大差をつけて女優の藤原紀香さんに決定、他の追随を許しませんでした。以上!!<ねずみ部門>ちょっと頭の上に耳を伸ばせば「うさぎ部門」、タッパをでかくすれば「ビーバー部門」ともいえるのですが、まああの手の「かじり系」の顔ですな。巷をさがせばねずみだけにたくさんおるわけですが、有名人に絞った結果、ねずみ似というハンディに負けず、トップアイドルとして活躍している、という点を評価して、「ねずみ部門・クリソツ大賞」はMEGUMIさんに決定。イエローキャブがピンチのようですが、これからもねずみ似アイドルとして芸能界のおいしいところをかじり続けてください。<コロボックル部門>「冒険コロボックル」を見たことのある人にはおわかりいただけると思いますが、耳がでかくて、顔の横に広がってる人ですな。子どもの頃は、「コロボックル」「ダンボ」などとあだ名されて辛い思いをしたことでしょうが、こういう人というのはえてして目鼻立ちがはっきりしていて、大人になってから女優やキャスターとして成功を収めている人が多いようです。過去には、女優の故・夏目雅子さんが受賞した、由緒正しき賞でございます。今回の「コロボックル部門・クリソツ大賞」は、女優の佐藤藍子さんに決定。準大賞は、僅差で日テレアナウンサーの松本志のぶさんでした。江川卓さんは落選。<うま部門>これは非常に難しいというか、「うまに似てる人」と「単に顔が長いだけの人」のカテゴライズが大変でした。また、「うまに似ているが、うま以外のものにも似ている人」とか、「カモフラージュしている人」も世の中には多いのでありまして、審査は難航を極めました。今回の大賞受賞者は、これらの幾多の障壁を乗り越えた上での大賞ということで、価値のあるものであります。「うま部門・クリソツ大賞」は、おおかたの予想をくつがえして、落語家の桂歌丸師匠です。「えっ円楽師匠じゃないの!?」と思った皆さん、まだまだですな(^^)。<ドラえもん部門>この賞は、別名「ドラえもんメモリアル」といいます。この部門では、顔的に近い人というのもそうはおりませんでしたので、とくに「体型、声色、親しみやすさ」という3点に焦点を絞って選出いたしました。声優の大山のぶ代さんは当の本人なので今回は辞退。プレゼンターに回ることに。「ドラえもん部門・クリソツ大賞」は、まさしく「リアルドラえもん」と呼ぶにふさわしい、占い師の細木数子さん。準大賞は、石塚英彦さんでした。なお、「風貌が似ているのでこのまま落とすのはもったいない」という審査員の声から、特別賞には、きたろうさんが選ばれました。<ねずみ男部門>これは、見た目そのまんま、あまりにも似ているので、ほぼ満場一致で決定。サッカーのフランスW杯最終予選のイラン戦で、着ていたフードつきポンチョが決め手となりましたな。「ねずみ男部門・クリソツ大賞」は、横浜F・マリノスの岡田武史監督です。個人的には、ピッチに立てるうちに、1度でいいので、できればジェフ市原か柏レイソルの監督に就任してもらって、黄色いポンチョを着て「ねずみ男度」をもっと世間にアピールして欲しいと願っています。あと、ねずみ男には似ていませんが、キャラクターがねずみ男そのものである、という点から、特別賞に小泉純一郎首相が選ばれました。<あひる部門>これも満場一致。「あひる顔」というのはけっこう世の中にいるものですが、「人気者のあひる」というのはこの人をおいて他にいないでしょう。「あひる部門・クリソツ大賞」タレント・井上和香さん。「あひる似」というより「あひる」そのものではないかと思うほどです。巨乳と、その人気のほどの陰に隠れて、露出度が高くなってきた昨今はさほど話題になってない模様ですが、テレビで見れば見るほど、「この人は、あひるが人間界に入り込んできたのに違いない」と思ってしまいます。以上8部門の受賞者のみなさん、おめでとうございました(とはいえ、めでたいかどうかは不明)。今後も、そのクリソツ度を保って、楽しいできごとが少ない現代の世の中で、茶の間のみんなを楽しませてください(月並みだなあ)。
December 12, 2004
久しぶりに山手線沿線をぶらり。はてさてどんな街が待っているのでしょう?つーか、ちょっと目新しいものが出来ちゃって、変わったなあ、という印象が強いのね。早い話が、自分が知らなかっただけなんだけど(笑)。<「いけふくろう」雑踏の目印に今宵も鳴く(池袋)>この街は、昔から慣れ親しんだ場所でもあるのですが、最近とみに足を運ぶようになりましたね。というのもここには「ハローワーク」があるからではあるのですが。駅を拠点とする街というのは、えてして「東口、西口」または「南口、北口」とあれば、どっちかがビジネス街で反対側が歓楽街、という感じの街並になっている場合が多いのですが、池袋の場合は、どっち口から降りても、駅周辺は歓楽街、その外側がビルが立ち並ぶ、という感じになっております。まあほかの駅でもそういうところが多いのかもしれないけどね。昔は、待ち合わせ場所としては、東口の「手の像」(手のひらで子ども達が遊んでいる彫刻、別の正式名称があるらしいがわれわれは「手のところ7時ね」などといっていた)だったのですが、近頃は、東口の地下に「いけふくろう」というふくろうの像が出来て、そっちのほうが有名らしい。まあ、たしかに地下のほうが今の季節はあたたかくていいのかもしれないですね。けれど、来週末に開く旧友との忘年会、ガンコに反主流をゆく私たちの待ち合わせ場所は「手の像」なんだな。<パンダ橋ブルース(上野)> 上野の森を 抜けて見上げりゃ 橋の向こうは 入谷浅草 街の木枯らし この身にしみて にじむ涙が 目の隅濡らす 嗚呼 街を見おろす パンダ橋 足元見れば しおれタンポポ 踏みそこないて 胸なでおろす なんの因果や ドヤ街暮らし 人混み尻目に 向かうは家路 嗚呼 冬の日落つる パンダ橋 「パンダ橋ブルース」(オリジナル)・・・まあ、↑の駄作はおいといて。「パンダ橋」なんていうのがあるのを、こないだはじめて知りました。上野公園側の出口から、反対側の浅草、入谷方面の出口を、駅の上から橋渡しする形で、やたらでかいのでありますね。まさしく「街を見下ろしてる」感じ。上野公園の西郷どんとか、首都高なんかと目線が揃ってたりして(そんなことはないか)。冬がはじまってるだけに、日中は上野のホームレスさんたちもチラホラと、橋の上でひなたぼっこしてるようなんだけど、新しい橋だけに小奇麗な感じで、わたりゆくビジネスマン風も多いためか、なんとなく居心地悪そうにも見えました。<電器街からオタク街へ??(秋葉原)>なんすか、ってな感じ。「アキバ系」とかいう言葉が流行ってるみたいだけど、よくその実態がわからないのでありますな。ネットで見る限りでは、なんか気持ち悪い印象を受けるんだけど。。。「オタク」については、世の中にはいろんなオタクがいて、会話をしたことはあるんだが、ちと話が通じない感じがするんだよね。別に差別してるわけじゃなくて。ただ、10年前に「これからのビジネス市場において、オタクがトレンドになるだろう」と冗談めかして話してたら、マジでそういう感じになってきて、予言が的中しつつあるのでちとビビってはいたのであるね。たまたま、秋葉原の近くまでくる用事があったので、ちょっと界隈を歩きまわってみたのです。とはいえ、以前はパソコンとか周辺機器を買ったり見たりしにきたことがある街でもあるので、そんなに「知らない街」というわけでもない。しばし歩き回ったが、やはりそんなに大きく様変わりしたという感じではなかったですねー。が、しかし・・・。おったがな。変なコスプレしてるねーちゃんがおったがな。ピンクのかつらしてヘンテコなセーラー服のようなの着たのとか、そういうのが。なんか配ったりマイクもってしゃべってたりしてたがな。で、何気なく近寄ってふと周りをみたら、おりましたなあ、紙袋さげたオタッキー系らしき奴らが。結構いっぱいいる。おっとあっちでは行列ができてるよ。。。最近は、パソコン屋さんや携帯電話屋さんよろしく、ゲーム機屋さんとかゲームソフト屋さんみたいなのがドカンと店構えちゃってるんだねえ。昔のように、サトームセンの何階とか、ラオックスの何階とか、そんな感じをさらに発展させて、専門店ふうになってたりするわけだ。もしくは、ゲームのフロアが1階だったりしてる、というわけらしいのだ。わたくしは、そそくさと逃げました。それ以来、秋葉原には足を踏み入れていません。まあ、近場のコジマとビックカメラで十分カバーできるからねえ。・・・とまあ、これぐらいにしときますかね。ちっとも「ぶらり旅」じゃないところが気になりますが(爆)、これにてお開きということにいたしましょう(^^)。
December 11, 2004
<ペンやえんぴつで書くこと>いやー、考えてみたら、社会に出てからこれまで、長い文章を手で書くということを殆どといってよいほどやってなかったもんだ。思い起こせば10数年前、私がはじめて就職した当初というのは、ワープロというヤツがちょうど巷で流行りだした頃なんだが、オフィスには、パナソニックのワープロが1台だけあったのだ。したがって、それを活用できる先輩も全社を通じて数名しかいなかったため、ヒマを見つけてはいじり続けて、その「数少ない1人」に加えてもらった。それがワープロとの出会いであるネ。それと同時に、あらゆる仕事をワープロ用いてやるようになっていったのだ。企画書、報告書、社内報、店舗で配布する会報、簡易チラシ、お客さんへのあいさつ文、会社の年賀状、などなど。なんだか回ってくる仕事も周りの他の人の数倍はあったように思うね。便利や扱い。だけどそれもその頃は意気に感じてやってたもんなんだけど。同時に、手でモノを書く、ということをどんどんしなくなっていった。思えば、大学の卒論以来、ペンなりえんぴつなりで1000字以上続けて文章で何か書いたことなどないのではあるまいか。せいぜい、作文の入社試験で400字詰め原稿用紙2枚、というのが限度だったように思う。あとは、手帳へのメモとか、書式にちょいちょいと書き込む程度。こういった、HPのブログのようなものは、チョイチョイと30分ぐらいで書けてしまうからね。ネタさえあればね。自慢じゃないし、自慢するほどのことでもない。キーボードさえあればね、カタカタ、スイスイっと書けてしまうわけ。なんでこんなこと書いてるかというと、ショック受けてるわけです。今週から、来年秋の大学院入試に向けて「心理学用語を200字で手で書いて説明する」というトレーニングをはじめたわけなんだけど、これがちっともスムーズに書けないのよ。15個の心理学用語の説明文をカリカリ書いてたら、夕方から夜明け近くまで、都合10時間近くかかってしまった。自分で書いたのを読んだら、ミミズが貼ったような小汚い字が並んでるだけだし、おまけに軽い腱鞘炎みたいのになってるし。でも、これしきのことで負けてるわけにはいかないのである。継続は力なりというからねえ。ちょっとずつでも前進を続けていくより、今のところ道はないのであるね。<しゃべること、きくこと>自分はまだ、カウンセリングをできる者ではないのだが、会話の中で、人の語りかけに対して、肯定的受容の姿勢をとるよう努めている。いつもそうしているわけではないけど、ときどき意識的に自分の話の聞き方、または受け答えのし方などに注意を向けるように努めているのね。すると、いろんなことが見えてくるのだ。会話している自分のことに対して。うなづく姿勢がオーバーアクションだったり、ときどき無理やり笑顔をつくろうとして、チック気味に顔がひきつったり。会話のときは当然鏡なんか見ていないけど、ビデオに撮ったら「アブない人」みたいなんじゃあるまいか。あと気づいたのは、自分は意外なほどにおしゃべりで、よく人の話の腰を折って割り込んでしまうこと。これは、自分では無口なほうで、人の話の腰を折ることなんか殆どないと思っていたのに、意識して見るとしょっちゅうやってることに気づいた。これはちょっとショック。なんか、話が途切れるのを恐れているか、話さなきゃと焦っている自分がいるわけね。その会話しているメンバーの中で。たぶん、腰を折られる側は、嫌な思いをしてるんじゃなかろうかねえ。それで気を悪くした人がいたらごめんなさい。それで、話す相手の話す内容を聞いているかというと、あらすじはわかってるんだけど、こまかい言い回しだとか、話しているときの動きなんかにまで目がいってないのだ。しかもわかってないことに対して確認なんかしてないし。つまりこれって、話を「自分の言葉で(都合よく)解釈しちゃってる」ことになるんじゃないか。これじゃあ、このままカウンセリングを、サービスとして人に供することなどできるわけがない。重い話は、ある程度聞き流したほうがいいんだろうけど、基本的には一所懸命「聞く姿勢」を見せるのが大事なのだ。そういうもんが、今の自分には欠けているなあと思う。はやいうちに、自分の中で修正したり、スーパーバイザーに指摘してもらうべきだろう。
December 10, 2004
とはいえ、ロクでもない奴らってのはあとを絶たないもんでございますなあ。普遍的にロクでもないことに対して腹を立てるのは、人情ってもんでございますから(自己を正当化しようとしとるなあ)。「悪いこと」ってのは、やる行為はもちろんですが、筋を通せてない、ダンドリが悪い、責任能力がない、ってのもあるから目だってそう見えたりもするわけで。アホとも呼ぶべきなんですかな。<わかっちゃいたけど>めぐみさんの遺骨といわれた骨のDNA鑑定の結果が出て、やっぱり別の人の骨だったっていうのがわかったらしいですな。ちゃんと調べれば違うことはやっぱりわかっちゃうのに、それでもウソをつき通そうとするアッチの政府の浅はかさ。つじつまを通すために並べたてたウソ八百。日本は、どうするのかね。食料援助をストップするだけで終わりなのかね。まあ、それはそれだけでも向こうにとっては大変な痛手なのかもしれないけどね。イスラム過激派だったら「目には目を」で、おんなじことで報復しちゃうかもしれないね。折りしも、もうすぐクリスマス。向こうからは将軍さまの息子さんの「まさおさん」がディズニーリゾートへやってくるかもしんないし♪交換条件で「返してやるからそっちも返せ」と取引するという手もあるですわな。その前に、向こうで「まさおさん勘当」とか農民一揆などのクーデターなどが起きてなければの話だけどな。<集団婦女暴行未遂>大学生の間で、集団エロ症候群(?)が蔓延している模様だね。しかも、「相手の同意を得ていない」のばっか。普通は同意しないだろうけど。有名大学の体育会で集団でやったら目立つのは当たり前でしょうに。んー、これでこれらの大学の人気は向こう数年はがた落ちになってしまうことは間違いない。OB・OGさんたちにとってはいいメーワクなのだが、本人達が自覚してないんだったらグダグダ云っても意味なし。よってこれ以上掘り下げるつもりもなし。OBさんたちも、これを機に、出身大学の誇りばっかり心に抱いて生きていくのはやめちゃえばいいと思うけどどうなのかね。標榜しすぎて自分もアホ扱いされるのはつまらないように俺は思うけど。今もその大学に職員として勤めているんなら別だけどさ。社会に出ればみんな個人なわけだからさ。それでもいいんなら好きにすりゃあいいけどさ。俺には関係ないし。<ココロの隙間>これは一概に「ロクでもない奴ら」とも云い切れないんだけど、個人的な話。なんか、SOHOの会社から変なメールが週1ぐらいでやってくるのだが、どうもその内容がおかしい。読んでみても、仕事の内容が皆目わからない。そのかわり、抽象的な「夢のようなくらし」だの「広がるビジネスチャンスの可能性」、「独立して豊かな人生を送っている私」といったことばかり書いてある。こりゃあ、十中八九食わせモンとみて間違いないですわな。思い起こせば、1ヶ月前、就職のための求人情報をかきあつめるために、あちこちの職業紹介サイトに、闇雲に登録した記憶があって、その中に、SOHOのサイトもあったような記憶がありますね。たぶんそこからのメールでしょう。若い頃、よくわからない求人広告をみて応募したところ、強引に引きずり込まれて、有無をいわさず地獄のような職場で泣きをみた記憶があるので、こういう「ワケわからない広告」を見せられると引いちゃうんだよね。というわけでこの会社さん、今回は相手を間違えたようです。残念!!だけど、こういう、失業保険生活というのは心細いから、何かの情報にすがろうという気持ちになるのはある意味必然でもあるわけで、ヤツらはそのわずかなココロの隙間を突いて入り込んでくるわけだよね。で、こっちも仕事がない弱みがあるもんだから、ついつい乗ってしまう確率は高くなるわけだよね。巧妙だよなあ、「ニッチ産業」のそういうテクニックってのは。
December 9, 2004
これは、今までかじってきた勉強とか、他の方がおっしゃってたことをつなぎあわせたようなウケウリのような話なんだけど、なんかの参考になれはいいな、と思ったりしております。たまに、世の中のこととか周りの人たちに対して、わけもなく腹が立ったり、不満に思ったり、文句を云いたくなることってありますよね。私にもときどきあるんだけれど、そんなとき、ちょっと立ち止まって、自分の精神状態や自分の今のいろんな状況に目を向けてみる、ということが大切なように、近頃思ったりします。私の場合、そういう精神状態のときというのは、たとえば身体の具合が悪かったり、仕事がうまくいかなかったり、人間関係で嫌な思いをしてしまってたりするということが多いんですね。よく、そういうときの心の状態を指して「ムカつく」とかいいますね。胃の調子が悪いからムカつくわけで、確かに云いえて妙だと思います。要するに自分が不機嫌なときは、物事も面白くなく見えてしまうわけでして。だけどね、そこで誰かにガツンと攻撃をしかけてしまうのはいいけど、それが常に結果良い方向に向くのか、というと疑問がありますよね。いろんな、そういう機会がある中には、たまたまうまくいったこともあるかもしれないね。相手がそのマイナスの言葉をプラスに(ハッパをかけられた、などなど)転じて受け止めて、奮起するとか。けれども大半は、相手に不快な思いを与えたままそれを挽回できなかったり、なんとなく後味悪い思いを自分自身しちゃったりすることも多いのではないかな、などと思います。不調を原因とした不機嫌からくる他人や周囲への攻撃(ちと長いな)っていうのは、本来の自分が云いたい、やりたいことなどとは違う、いわば事故みたいなもの。八つ当たりなんていい例ですよね。「こんなこと云いたくなかったのについ云っちゃった」みたいなこと。じゃあ、なんで攻撃したくなっちゃったのか、っていうことをよく振り返って分析してみるっていう方法がひとつあります。攻撃した相手に対する不満って、もしかすると大したことではなかったのかもしれない。問題は、相手をよく見て、受け入れることができなかった自分のほうに、もしかするとあるのかもしれないぞ、ってね。ただ、いわずもがなのことを云っちゃって、後味悪い思いをする経験っていうのも、その場を通じて体感しておくことは大事だと思うんですよ。あとで同じことを繰り返さなくなることにつながりますし、そののち同じ思いをしている人に共感できたりするわけだしね。ちなみに、ちょっと話がそれるけど、他人を攻撃する大義名分っていうのが、その相手に「どこそこをこう変えて欲しい」とか、そういったことが多かったりしますよね。他人の人格を変えたり、変わってもらうのは並大抵なことではありませんからね。「自分にはそれができる」と思うのは、おごりだと思ったほうがいい。短時間で無理やり変えようとすると、その相手は、表面上ではあたかも「変わった」かのように振舞うかもしれない。だけど、その内面では、不満と反感の気持ちが渦巻いたまま、その後の日々を過ごすことになります。それがいつか弾けたりする危険性だってある。自分が心から変わりたい、って願う場合を除いてだけど、そんなことそうそうあるもんじゃない。新興宗教の勧誘の方とか、強引セールスの方などは特に注意して、時間をかけたほうがいい。そうしないとあとで、その場で云いたいことの云えなかった鬱憤をためにためた、その勧誘信者の復讐を受けますぞ。そして時間をかけているうちに、時間の無駄さ加減に気づくのです。だったらやめたほうがいいな、と。洗脳というのは危険な行為だと思っちゃうなあ。話をもとにもどしましょう。わけもなく人を攻撃してしまって、あとで後悔してしまう背景というのが、ひるがえって考えると、自分自身の不調やストレスに対して、十分に自分をいたわってあげられていない、ということが原因として大きく存在するということでもあるのではないでしょうか。おそらく、余裕がないということもあるのでしょうし、その術を知らずにいる方も少なくないようにも思います。方法は、いろいろあると思うんだけどね。自分が気分よく過ごせるための手段。趣味とか、美味しいものを食べるとか、リラックスタイムや気分転換の機会をこまめにとるとか。がんばってる自分にご褒美をあげるのです。自分は今「がんばれてない」「自分はダメなヤツだ」とか思っていませんか? だけどそんなことは決してない。あなたがこの世に生きていることこそ、まさしく一番尊い、「がんばっている」ということなのだと思うのです(^^)。そうは思いませんか? もっと自分をリスペクトしてもよいとは思いませんか?たぶん、冒頭に云ったような、人を攻撃してしまう人たちっていうのは、自分のことをいたわることがこれまでできなかったり、大切に思えないことが多い人たちなのかもしれないですね。自分も含めてだけど。常に自分を大切に思い、自分をいたわってあげる気持ちをもてれば、相手にもいたわりの心が芽生え、素直な目で見て受け入れることができるのではないかなあ。そうすれば、仮に自分が調子が悪かったとしたって、それが引き金となって相手を無意味に攻撃したくなる気持ちも、だいぶやわらぐのではないでしょうか。
December 7, 2004
今週から、再び「学生」になるわけですな。なんとも不思議な感覚であるが、机も買ったことなので、活用したいと思います。あまり夜はビール飲んだりして暢気に構えてなどおられなくなったわけですが、マイペースでやっていこうとは思っています。日曜日、カウンセリング協会の総会がありました。なんか、暮れの忙しさからか、あんまり参加してなかった感じがするな。同期卒業の女の人が、卒業と時期を同じくして「レディースクリニック」なるものを池袋に開業し、かなり活躍しているようで、表彰を受けていました。本人の意識と、準備の仕方とお金のやりくりのしようによっては、開業も夢ではないということですね。なんか希望がわいてきました(^^)。今週から行く予備校の先生は、大学院と卒業したカウンセリングスクールを「全くの別物」よばわりするのでちょっとカチンときたんだけど、いずれつながりも見えてきて、自分にとって、相互に役立つものになっていくことを願っています。当面は生活を質素にしないとだな。Fマリノスが1-0でレッズに勝ったね。予言が、両チームの得点ともにピタリと的中(^^)。第六感がはたらいたね。次は4-0でレッズが勝って、レッズが年間チャンピオン、Fマリノスもよく頑張った(拍手)、だけど今年はしょうがないよ、来年また頑張んな。・・・というキレイゴトで終わるというのが、私の予想シナリオになっている。だがこういう予想というのは、できれば競馬と競輪のほうで的中して欲しいものですわ(爆)。
December 6, 2004
K士舘大学のサッカー部員が、女子高校生を集団レイプしたという理由で、この大学は、対外試合の無期限出場停止になったそうで。まあ、類似した事件はこれまでにも起こっているし(注・申し訳ないけど「僕の大学でも以前に・・・」というコメントは却下です)、若者たちはこのほかにも、麻薬の販売だの殺人だのと、マスコミに取り上げられるほどの極悪なる事件を次から次へと起こしているね。まあ、若いうちは罪の意識が希薄なんだろうという理屈はわからなくもないけど、その犯した罪の悪質度が高くなりすぎていることと、タイホされたガキどもの高年齢化がちょっと気になるところではあります。個人的には、「ゆるせない犯罪ワースト3」ってのは、「殺人、輪姦、麻薬」なんだけど、最近の少年・若年層の事件を見てると、全部当てはまっちゃうじゃねえか。「ゆるせない」というのは個人の中での感情にすぎないし、世論としてこれを唱える根拠として「道徳」とか「法律」を引き合いに出してもあまり効果がないように思える。その重さが実感できていないから。「道徳」とか「法律」に関するもっと簡単な根拠を、少年・若者たちには直截的に伝えるしかないのかもね。なんでこんな簡単なこともわからないのかね。バカなのかねお前たちは、ってね。「アウトロー」っていうのが、少年や若者心としてはカッコイイ、という印象があるのかもしれない。だけど、これはそのまま「違法」ということである。法律ってのは、国家が決めた決まりごとだから、これに無駄に抗って、なおかつ目立っちゃう、ってことは、人生を快適に、かつ楽に生きていくための、この上ない足かせになるってこと。そればかりか、普通に生きていくことに対する阻害要因になるってこと。さらには、自分の子どもや孫たちにも影響を及ぼすことだってあるってこと。国ってのは、それほどまでに情け容赦ないことができるわけだよ。それに文句いう資格は、アウトローのガキどもにはないんだよ。道徳っていうのは、もっと厄介なものかもしれないね。世の中の人の心に沁みついた、普遍的な感覚だからね。たとえば、オマエたちが就職とかバイト探しをするとするでしょう。そのとき提出する履歴書の「学歴・職歴」の欄に「賞罰」を書くでしょう。これに「罰」を書かねばならないのだよ。書かないでもし履歴書の提出先の会社に就職したとしても、遅かれ早かれ、いずれはバレることなのだ。情報化社会の今日、これしきのことはすぐに捜索の手が迫ってくるのだ。そうなってからでは、ペナルティは「犯した罪に対する罰 + 自分の罪をごまかしたことに対する罰」となって倍返しになって帰ってくる。つまり、社会復帰とか再就職の門戸がますます閉ざされる、といったこと。ちょっとカネが欲しいからバイトする、っていったって、オマエらみたいな奴、アブなくて誰も採用しないよ。そういうことに対しても、いともたやすく介入できるんだよ、「法律」とか「道徳」ってヤツは。かりに逃げおおせたとしよう。だけど、自分が犯した罪への後ろめたい記憶は、自分自身の中から容易なことで拭い去れないのだ。被害者が感じたおぞましい気持ちは、返り血となってそっくりそりまま加害者であるオマエたちにも降りかかってくるのだ。これは紛れもない事実なのだ。このおぞましさと正面から向き合うのは、ものすごく辛いことだと思うぞ。自分の罪から逃げつづけることによって、社会復帰はどんどん困難になって、盗みだの詐欺なんかを繰り返すことになる。そうして重ねた罪や不正ってのは、懐の中も心もズタズタにしてしまうのだ。法を犯すってことは、そこまでの自分自身に対するひどい結末を十分に覚悟した上でないと、とてももたないのだ。年端もいかぬガキどもが、そこまで考えて罪のラインを踏み越える勇気があるのか!?親や先生たちが、口やかましくいう理由は、オマエらに楽な人生を歩ませるための方法を、タダで教えてやりたいがための、この上ない、ありがたいことなんだよ。そこのところをよく考えて、感謝して動けよな。・・・っていっても、伝わらないのだろうか。実際に体感しなければ理解できない、っていうのが人生のあらゆることだとは云っても、ちょっと内容と、その代償が厳しすぎるように思うんだよなあ。
December 5, 2004
<納会>今日は、「三ツ沢ベアーズ」の納会でございます。なにやら、MVPの票が割れてるとか、編成会議を行うなどといった、NHKみたいなことを云っておるようですが、基本的にはただの飲み会だと思います(笑)。楽しくワイワイ騒いで盛り上がって、おしまいにしとけばよいと思うのだけど、アカンのかいねー。基本的に、アタマでっかちなお題目かかげて集まるとつまらんよ。主催者本位になってしまうから。おのおの、日常の忙しさだとか苦悩の合間を縫って、共通の、日常じゃできない「好きなこと」やるために集まったサークルなので、そこでえんえん理屈こいててもつまらん。というわけで、議論による犠牲者ゼロを目指して臨みたいと思う次第。かなわぬのならば、退席あるのみですな。ということで、ご出席の皆様、どうぞ議論は穏便によろしくお願いします。別に議論してもいいとも思うけどね。自分の云いたいことを云うことが、云われる相手に必ずしも快適を供給してない、むしろ不快を与えていることがえてして多い、ってことにも、酔っ払ってようがどうしてようが、議論しながら、とりあえず気づこう。こういうのは、対話の勉強でもありますからね(^^)。<甘党>どうも、酒を飲まなくなってから、めっきり甘党になってしまった。家にはアイスクリームを常備し、お饅頭だの、チョコレートだのといったものをよく口にする。ミカンもよく食べるなあ。ケーキはあんまり食わないかな。飲まなくなって体重が減るかと思ったけど、これでは減量という点ではあんまり意味ないじゃん(爆)。それでも、二日酔いの苦しみの日々よりかはだいぶマシだと思うので、まあこれも良いこととせねば。飲む日は限られているので、家計的には、家で酒を買い置きしなくなったぶん、お金がかからないね。そのかわり、歯磨きをしないと虫歯がコワいのだが、酔っ払った夜めんどくさくなって歯磨きがおろそかになったり、気がついたら眠ってたりして忘れてしまうこともあったので、むしろ良いことかもしれない。問題はタバコだね。やめるきっかけがあればよいのだが。。。<つみたて>実家が、過去に私の月々の給与からいくばくかを積み立てて郵便貯金に入れておいてくれた、というのを聞いて、いざというときはそいつを使っちゃおう、とか甘い計算を立てていたんだけど、こないだ電話したらそいつで株を買っちゃったらしい(爆)。郵貯だけに悠長に構えていたのが失敗だった(T T)。「この株は絶対下がらないから大丈夫だ、下ろしたいときは連絡くれればいつでも売ってやるから」と云われたが、そりゃないだろう(爆)。下がらないという言葉もなんの根拠もないし。何が「絶対」なんだか。こっちは、もし大学院に行くことになれば、いくばくかの少なからざるカネは出て行くからなあ。親も、定年退職後ということもあるし、入院したあとで、引越したばかりだったりでもあるから、資産運用についていろいろ計算しているらしい。まあ、来週にでもちょっと打診してみよう。
December 4, 2004
で、今日。性懲りもなく、またまたUFOのヤツが、夜空の同じあたりにやって来たのであるネ。おととい以来、別に気をつけて空を見ようと思ったわけではない。ただ、煙草を吸うために「ホタル族」のようにベランダに出たら、ちょうどその前方の角度が東の空、というだけのことだったのである。だが、再び遭遇すると、さすがにビビった。あいかわらずフラフラフラフラと、星と見紛うがごとき弱い光を放ちつつ、UFOは飛んでいる。なんで、そんなに執拗に俺の目の前に現れるのだろう?しばらく俺は、じっとUFOを凝視した。まあ、せっかくの記念であるし、自分が持ってる映像機器ではヤツを写すことができないわけであるから、あとで話の種にでもしようという、極めてミーハーな発想である。(オウ、何見とんねん自分)俺はハッとした。なにやら誰かに話しかけられたような気がしたからだ。だけど、家には俺一人しかいないのだ。(他に誰がおんねんな、お前やお前)ん? もしかして・・・。UFOが心なしか大きく見えてきたような気がする。どうやらコイツが俺の脳にテレパシーのような「声」で話しかけてきているらしい。UFOは、なぜか関西弁だった。俺は試しに返事の言葉を念じてみた。(そっちこそ、呼んでもいないのに何でわざわざ出てきてるんだよ)(呼んどったがなさっきから何度も何度も!!) 通じた。(ああ、じゃあそりゃ俺じゃねえよ、呼んだそいつのところに行けよさっさと!!)(クーッ、お前、巨人ファンやろ・・・)(何云ってんだよ急に)(東京モンはよそから来たモンにホンマつめたいゆうて、ウチとこのおかんこのまえ東京の浅草見物から帰ってきて泣いとったがな)(東京モンって、お前のかあちゃん浅草見物したら目立つだろがよ!! 東京モンつーか、地球モンつったほーがよくねーかよ!!)この「テレパシー会話」はまだ続く。(まあええがな、ほんでな、お前今ヒマやろ?)(余計な世話だよ、なんで他人の事情知ってるんだよ)(ええ年こいたアンちゃんがぶらぶらしとったらアカンがな、仕事せえ仕事)(だから余計なお世話だっていってんだよ)(ええか、おっちゃんがええバイト紹介したるがな)(何だよ、ええバイトって?)(おー、ちょうど今前任者がやめよってな、人手が欲しいところやねん)(・・・・・・??)(わしにお前の親しいゆう人を一人紹介してな、そいつをここに連れてきて欲しいねん)(それでどうするんだよ)(そいつの頭の後ろの部分に穴開けてな、マイクロチップを埋め込むの手つどうて欲しいねん。作業はほぼ全部わしがやるよってに、お前は助手として横におればええねん、ラックやでえー)(何云ってるんだよ、ヤだよそんなの、冗談云うんじゃねえよ)(UFOが冗談いうかアホー!!)(知るかよ!!)(そうか、わしがこんだけ頼んでもダメか)(ダメだよ、他に頼めよそんなこと)(さよか、残念やな。ほんならお前、何か欲しいもんあるか? ひとつだけ願いきいたるがな)(そうだな、じゃあ、阪神ジュベナイルフィリーズの予想情報が欲しいな)(なんや競馬かいな、しょうもないことしとんな自分)(うるせえよ)(知らん)(え?)(何度もいわすな、知らんゆうたら知らんのや!!)(UFOのくせに知らねえのか?)(そんな低俗なものには興味はございません、ほなさいなら)(待てよ、お前の名前は?)(へえ、中国から来た、「幽 鋒」いいますねん、ほな)(ええかげんにせえ!!)突然丁寧な口調になったかと思った刹那、フッと、UFOは消えた。こうして俺は、邪悪な宇宙人の野望から地球を救ったのだった。(おしまい)※ この物語はフィクションです(あたりめーだっての)。
December 3, 2004

えーと、一昨日の夜、10時過ぎ頃なんだけど、東の空の彼方に、光る星みたいのがあったんだけど、そいつを凝視していたら、星のくせにビミョーにユラユラ揺れてるのね。自分の頭が揺れてるのかと思ったんだけど、意識的に頭のゆらぎをピタッと止めて、じーっと見続けていたら、やっぱりユラユラ揺れている。で、そのうち、そいつはその位置をあちこちにひょい、ひょいと変えはじめたのだ。飛行機の旋回にしては動きが早すぎるし、フラフラし過ぎ。こやつは例の、ピンクレディーとか、矢追さんvs大槻教授の漫才ネタでおなじみの「UFO」ってヤツではないか!?せっかくだから、携帯電話で写真を撮ってみたけど(↓)、さすがに携帯電話の写真では星は写らないのですわ(真っ暗だしょ?)。 だいいち、夜とはいいながら、街灯などが明るすぎて、UFOの発する光の明るさが消されてるのね(逆光か?)。まあ、そういう程度の「現れ方」のほうが、地球の人々にあんまり騒がれたりしなくて、UFOどもにとっては具合がいいのかもね。とりあえず、今さっきまで、オレもすっかり忘れちゃってたからね。もしかしたら、UFOのヤツに記憶を消されたのかもしれないね(爆)。オレ、超能力者じゃないし、霊感も特に強くないし、ネッシーだのツチノコといった「幻の生き物」なんかも、とりたてて見たいとも思わない、万が一見れたらラッキー、と思う程度の人間だから、そんなわけで、これまでUFOを見たいと特に強く念じたこともないんで、そんなに驚くべきほどのことではなかったね。もうちょっと気合入れて見たほうがよかったかね(爆)?UFOは、なかなかどっかに行っちゃうこともなく、流れ星ならぬフラフラ星よろしく、東の空をしばらく彷徨っていたみたいだったよ。証拠なんて何もないんだけど、昨晩は東の空のその位置にはフラフラ星はなかった。UFOのヤツはいったい何しに来たんだろうね。地球なんか占領しようとしたってあんまり面白いことないと思うけどね。つぶれかけた会社を乗っ取って共倒れになる破産管財人じゃないんだから、乗っ取る星をよく考えて選んだほうがいいと思うな。まあ、強いていうならば、アメリカの大統領の脳に巣食うか、大統領府に職員として潜入する、というのは、一人の宇宙人の人生とすれば、もしかしたらやりがいあるかもね。個人的には、日本の政治家もしくは財界のフィクサーなんかに、寄生するか変装するかなんかしてもらえると、それで政治経済が劇的に変わるかもしれないから、それもまた一興かもしれない。あくまで、知らぬ間にこっそり入ってきてもらう、というのが前提。堂々と、「こんにちはーうちゅうじんですー日本の政治を変えにきたよ」といわれても、まずはじめに精神鑑定を要求されてしまうことだろう。
December 2, 2004
電車に乗ってて、オウチの最寄り駅も近くなってきた頃、ようやく座席が空いて、あーやっと座れたなあ、今日は疲れたなあ、と思って、ふと隣の人の読んでる本を見たら、その人の読んでるのが「電車男」だったわけですわ。それで、チラリと覗き見をしてしまったところ、あんれまー、ということに、インターネット掲示板の書き込みみたいなのが羅列してあるではありませぬか!?・・・って、「なに今頃さわいでんだよテメエ」といわれそうなのでこのへんにしとくが(何を?)、どうもこの本は、掲示板の書き込み風の本、なのであるらしい。そんな本、読んだことないので、ちと抵抗があるネ。読書家としては、ある意味、意識の中ではこういう本は「規格外」であるようだ。ただ、今までいきなりベストセラーになった本ってのは、少なからずこういう「規格外」とされて血の涙を呑んだ時期、みたいなものがあったのではあるまいかとも思う。だからこういう本があっても、とりあえずはたぶんいいのだ。僕がひところ好んで読んだ椎名誠さんの「面白悲しずむスーパーエッセイ」なんかも、出だしの頃は出版界から、おそらくものすごく「規格外」とか「異端」扱いされたのではないかなあ、と想像する。想像するだけだから、著作権も人権も何も影響ないのねん♪よくわからないけれど、こういう掲示板会話を連ねたような、私にとっては得体の知れないようなものも、フツーに本になる時代がくるのかもしれない。そういう意味では画期的な本なのかもしれない。なんかいろいろ書きたいことがあったようにも思うけど、今日は疲れたのでこれだけにするのだ。ちなみに今日の文体は、椎名誠さんの文体をそのまま真似ただけの文体なのだ。これでいいのだ。
December 1, 2004
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