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ちょっと前の話になるが、私たちが盆休みに関東の妻の実家に帰省した際、義母の提案で寿司を食べに行くことになった。義母もたまに足を運ぶというお店に行ってみると、そこは駅前の商業ビルの中に位置する『三崎丸』という名の寿司屋だ。後で調べてみるとそれは、あの『京樽』がチェーン展開している店だと分かったが、なにぶん関東にしか無いようなので、私はまったく知らなかったのだ。中に入ると、カウンターとテーブル席の両方があり、もちろんカウンターは回っていない(笑)。席に着くとテーブル上に備え付けられている注文票にオーダーの個数を書き入れ、後で店員が寿司を持ってくるというシステムだ。ちなみに寿司の単価は、一部の高級品を除いてすべて1カン@100円、つまり標準的な回転寿司の2倍だ。ここまで書いてお分かりのように、ここは雰囲気や価格も含めた総合的な位置付けにおいて、回転寿司よりも上で巷の“普通の”寿司屋よりも下、そういう存在だ。しかしながらこういうところへ来てみて、改めて寿司屋という形態がいかに極端な二極分化の状態にあるのか、ということを感じさせられた。私は寿司を食べに行く場合、回転寿司に行くことがほとんどだが、それはもちろんあの形態が好きで行くわけではない。私だって出来ればあんな安っぽい雰囲気の無味乾燥なところでは食べたくない(悪いけど)。それはひとえに、フトコロ具合が不安だから否応なしに、ということに他ならない。他方、なぜか“普通の”寿司屋というのは、相変わらず一般庶民にとっては敷居が高い。金額だってハッキリしているようでハッキリしていないところが多いし、いまだに「時価」なんていうワケの分からない表記もある。そういうわけで、自分ひとりならともかく、家族総出で食べに行くというときに、“普通の”寿司屋に足を踏み入れるのは、清水の舞台から飛び降りるようなものだ。他の業態もたいてい二極分化しているが、寿司屋ほどその格差が大きいのもあまり無いように思う。回転寿司ほどの“バカ安”値段で食べようと思わなくても、ある程度納得できる金額で収めようとしたとき、それに適う受け皿というのがなかなか無いのが実情だ。よく一般的に「二極分化」の話題になると、その中間的な存在というのは“中途半端”なものとしてかえってメリットを蒙ることが出来ないと言われている。しかしこと寿司屋の業界においては、私と同じような考えのお客も少なく無いだろうし、そういった中間的な受け皿があって然るべきだ。この『三崎丸』という店は、そんな私の疑問にストレートに応えうるお店だった。金額はハッキリしていて、そこそこリーズナブル。運んでくる店員こそアルバイトのようだが、握っているのはロボットではなく、ちゃんとした職人さん。味の方も、本格的な店には敵わないかもしれないが、コストパフォーマンスが決して低いとは思わない。店内も落ち着いていて、回転寿司のようなセカセカした雰囲気は無い。私は総合的にみて、充分に満足できた。こういった寿司屋が今まで目に付かなかったのが、本当に不思議なくらいだ。
2010年08月29日
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仕事中に愛用している2色ボールペンを失くしてしまった。たかだか2色ボールペンと思われるかもしれないが、実はこのボールペン、私が非常に気に入っているものなのだ。失くしたりするたびに同じモノを買いなおして、今回ので4代目か5代目になるが、もうかれこれ同じモノを14~15年愛用している。で、今回もまた同じ文具店に行って、同じモノを買おうとしたところ、これが無い!ボールペンのコーナーを隅から隅まで探したが、どこにも無い。店員さんに言って取寄せてもらおうとしたが、店員さんが持ってきたカタログのどこを探しても載っていない。ということは、とうとう生産終了になったということだ。永年愛用していただけに、かなりのショックを感じた。こんなふうに書いていると、どんな高価なボールペンなのか、などと思われるかもしれないが、モノ自体はさほど大したことはない。市価で800円程度のもので、全身ステンレスのボディでツイスト式のありふれたボールペンだ。しかし私にはしっくり馴染んでるし、何よりスリムな形状が、私の日常のアクティブな業務のジャマにならない、あるいはステンレスボディが私の過酷な使用に耐えうる、という点でとても好都合だったのだ。しかし今その店にある限りでは、それに代わるようなものは見当たらない。途方にくれているとお店の方が、カタログによく似たのがあるという。よく見ると確かに私の使っていたモノとはディテールにいくらか違いが見られるし、素材自体もまったく違うものだが、一目見てこれがいわゆる「後継商品」なのだろう、と確信した。まあ替芯もまだそこそこ残っていたから、ここはこれを選ぶのが妥当かな、ということでその商品を取寄せてもらうよう依頼した。今度からこれ(↓)が私のスタンダードとして、私の仕事を支えてくれることになるだろう。携帯に便利なショートサイズパイロット・多色ボールペン・回転2色【黒・赤】価格:840円(税込、送料別)
2010年08月26日
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私の家では朝、テレビはフジ系の「とくダネ!」を観ることが多い。別に意識しているわけではないが、長年観てると習慣になってしまい、他のチャンネルに替える気がしないということもあるが、花王の生CMに出ているタレントさんが、実は最近ミョーに気になるのである(笑)。まあそれはともかくとして、この世知辛い世相を反映してか、全般的に暗いニュースが占める割合が多いような気がする。もっともこれは「とくダネ!」に限らず、各民放の朝のワイド番組全部に対して言えることだとは思う。ただ、これから一日が始まるぞ!という時間帯に、あまりにネガティブな話題ばかりに触れるのも、精神衛生上あまり良いとは言えまい。やっぱり一日の始まりは、明るい気分で迎えたいものだ。考えてみれば、殺人、事故、不祥事、などといった、朝のワイドショーなどでよく取り上げられる話題というのは、誰が望んだものなんだろうか?局としては視聴率を取るために、否応なしに食らいつくものなのだろうが、はたしてそれが真に視聴率に直結しているのかどうかも疑わしい。ここはひとつ、どこかの局が実験的にでもいいから、明るく前向きなニュースに特化したニュース・情報番組を作ってみてはどうだろう?世間的に大ニュース(もちろん暗いの)があっても、無理にでもそれに抗って楽しいニュースを流す、そんなのがひとつくらいあってもいいではないか。で、個人的にはその番組はフジが手掛け、ぜひ高島彩を起用して欲しい、と思っていた矢先、突然降って湧いたようなフジ退社宣言で、朝っぱらから大きな衝撃を受けてしまった。彼女が今後どうするのか分からないが、引退なんて寂しいことは言わずに、是非フリーになって、どこかでこの「能天気番組」に関わって欲しいものである。
2010年08月23日
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テレビで高校野球を観ていると、「ジャンケンで勝った●●高校が後攻めです」と言っているのを耳にする。そうだ、プロ野球と違って、高校野球は先攻後攻をジャンケンで決めるんだったな、ということに気付いたとき、ある思い出が頭の中に蘇ってきた。ムスコが小学校の学童野球をやっていた頃、先攻後攻をキャプテン同士のジャンケンで決めていたが、実はこのジャンケンに強いか弱いか、というのが極めて重要で、極端な場合だと、ジャンケンの勝敗が決勝トーナメント(以下、決勝T)進出を左右するケースもあったりした。にわかに信じ難い話かもしれないが、実際に息子のいたチームがそれで決勝T行きを決めたことがあったのだから、本当のハナシだ。話は少々ややこしくなるが、当時のこの地区の学童野球の大会では、8~9チームで総当りの予選リーグ戦を戦い、その中から上位4チームが決勝Tに進む。その順位の決め手となるのが、(1)勝ち点、(2)勝利数、(3)直接対決の結果、(4)得失点差、(5)総得点、という順番だ。ちなみに「勝ち点」は、勝ち=2点、引き分け=1点、負け=0点で計算する。だいたいは勝ち点だけで決まるが、例えば4位と5位が全く同じ星取り状態なら、(1)と(2)の数では全く並ぶことになるので、当該チームの直接対決で勝った方が4位になる。しかしこれも「引き分け」というケースがある。そうなった場合に「得失点差」の出番が来る。さてここでちょっと話は変わるが、学童野球というのは通常7回までで終わる。コールドゲームの適用もあり、最も早いのでは「3回で10点差」というケースがある。そして両チームの実力差がかなり開いてる場合は、当然その「3回コールド」になる場合が多いが、その時強い方のチームが仮に1イニングに5点ずつ取って、相手には1点も与えない、と想定しよう。もし強い方のチームが先攻ならば、5点×3回=15点取れる。しかしもし後攻ならば、3回表に弱い方のチームが0点に終わった時点で「コールド成立」となるので、強い方のチームには3回の裏の攻撃は回ってこなくなり、得点も5点×2回=10点どまりになる。この差は大きい。得失点差で他チームとの比較になった場合、これが決め手になることも往々にしてある。私たちのチームも、あるとき3回コールドで勝った試合で、3回表に一挙12点を取った。もし後攻めならこの12点が丸々無かったことになるわけだが、結局これが決め手となってギリギリで4位に滑り込んだのだ。ちなみに得失点差で5位に甘んじたチームは、私たちがコールド勝ちしたのと同じ相手に対し、同じく3回コールドで勝ったものの、後攻めだったために得点が少なかったのだ。だから自分たちよりも著しく格下のチームと試合をするときには、必ず先攻を取れ、というのは鉄則になっているのだ。それにはジャンケンに強くないといけない、というわけだ。さて翻って当時キャプテンを拝命していたわが長男だが、これがジャンケンにはからしき弱く、先攻後攻を決めるジャンケンには結構プレッシャーが掛かっていた、とも後から聞いた。ときにはジャンケンをするときだけ他の者に変わってもらったりしたこともあるらしいから、まったくたかがジャンケンと言って侮ってはいけないのである。
2010年08月19日
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3日間の夏休みを終え、今日から営業再開、また気合を入れて動き出している。さてこの休み、毎度お馴染みの妻の実家に今年もまた赴いたわけだが、毎年いろんなバリエーションをつけている。3日間の中日には、4年前にも行った九十九里浜へ海水浴に行った。台風の後遺症もあるのか、少々波が高く泳ぐのにはあまり適さないものの、波打ち際で波と戯れるにはちょうどいい塩梅だった。そして3日間の休みの初日だが、この日は前日未明からクルマで出かけたこともあり、わりと早い時間に関東に入っている。そこで今年立ち寄ったのは、さいたま市・大宮にある「ジョン・レノン・ミュージアム」だ。こういう施設が日本にある、ということは、実はだいぶ前から知っていた。しかし今まで特に足を運ぶ気は起こらなかった。というのも、私はいちミュージシャンとして、ジョンとビートルズを愛するものだが、世間的な認識はどうもちょっとずれていると感じているからだ。特に一時期、彼が平和運動に傾倒したことも大きく影響しているのか、何かにつけ「平和の象徴」的にシンボライズするような動きが感じられ、その度に私としてはちょっと引いてしまうところがあった。いや、私に限らず、純粋に彼の音楽を愛する者は、多かれ少なかれそのようなギャップを感じたことがあるのではないか、と思う。そういうわけで彼の博物館が日本にできるという話がでたときも、どうせそういったお決まりのカラーに彩られた代物でしかないのだろう、と思って、半ば斜に構えて見守っていたものだ。ところが先日、このミュージアムが今年の9月いっぱいで閉館になる、という話を耳にした。どうしても行きたい、というほどでもないが、無くなってしまうとなると一度くらいは足を運んでおきたいな、という気にもなって、今回行ってみることにしたのだ。「ジョン・レノン・ミュージアム」は、さいたま市の中心部、「さいたまスーパーアリーナ」の一角に設けられている。始めに彼の生涯をまとめた7分間のドキュメンタリーフィルムを見せられて、その後展示物を見て廻る、という段取りだ。彼の40年間の生涯については、今までに得た知識であらかた頭に入っているつもりだったので、今さらこれといって目新しいものはないかと思っていたが、今回特に目を引いたのが、彼が幼少のときに書いた様々な絵や文章などで、人間・ジョンの感受性がいかに豊かだったかというところを、何よりも雄弁に語っているようだ。また彼が作詞したあらゆる曲の歌詞の直筆メモなども多数あり、そういったものを目の当たりにすることで、その曲が生まれる瞬間に立ち会っているような感慨を覚えた。当初気にしていたような、彼の人間性を一定の方向に収めてしまうような安易な展示ではなかったことが、私をホッとさせ、それと同時にジョンという人物をより身近に感じさせてくれた。その一方で、彼の魅力というものが、こんなひとつのミュージアムに到底収まりきる様なものではないということも、改めて実感させられた。やはり彼は音楽家なのだ。つまり彼の遺した音源や歌詞そのものが、一人一人にとってのミュージアムそのものなのだ。
2010年08月16日
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明日から私にも待望の夏休みがやってくる。毎年の恒例ながら、関東の妻の実家に厄介になる予定だ。もうムスメ達は新幹線で先行している。私は、といえば、今日の仕事が終わり次第、妻と一緒に東名高速を東に向かって、クルマを走らせる(妻はひたすら横で寝てるだけ)。今回もただの帰省にプラス、どこかへ立ち寄りたいと思っているが、今のところはまだ未定。帰ってきてからこのブログで報告することになりそうだ。というわけで、3日間ほどネット環境から外れるので、コメントにレスを付けられません。なにとぞご了承くださいませ。
2010年08月12日
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とある得意先の飲食店主が、ウチの店の売掛債権を残したまま夜逃げした。ここしばらく連絡がつかないので店に行ってみたら、もう別の経営者が入っていて、前の店主の跡形はきれいサッパリ無くなっている。この店は賃貸物件だが、大家さんへの賃料をはじめ、他にもいろんなところに借金を残していたようだ。そこの債権はウチの店の屋台骨に響くような額ではないのだが、それでもそれなりに信用していた相手だけに、ショックは大きい。もっとも私にも甘いところがあったことは否めないから、お恥ずかしい話ではあるが、敢えてブログにアップすることで、自らへの戒めとしたいと思った。
2010年08月11日
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昨日は私の誕生日だった。この歳になると今さら誕生日だからといって特別なことは何も望まないが、妻が、今日の晩ごはんは私のリクエストに応えてくれるということだったので、ありがたくお言葉に甘えることにした。さんざん考えた挙句に私が下した答えは「ペペロンチーノ」。なんだ、と思われるかもしれないが、私にとってはこれはとても意義深いことなのだ。というのも、通常ペペロンチーノにはフライドガーリックが欠かせないから、そのあとで店番のある普段の夕食では食べられない。以前にも他の家族がペペロンチーノを食べたときに、私だけ別のものを食べた、という苦い思い出もある。ただ昨日はたまたま早番で、後の仕事のことを気にすることもなかったので、心置きなく食べられる、という気持ちが大きく沸き起こったのだ。その論法でいけば「餃子」という選択肢もあったかもしれないが、我が家の餃子は伝統的にニンニク抜きだし、昨日は気分的に「ビール」より「白ワイン」にしたかったので、そういう結果になった。特別手を掛けたわけでもない、出来合いのソースを使ったペペロンチーノに、決して高級とはいえない白ワインの夕食(プラスここに、なぜだか分からないが、残り物の揚げシュウマイも加わっていた)だったが、私には満足な夕食だった。余談ではあるが、私の意向とは関係なしに、ケーキまで用意されていた。もっとも要は私をダシにして、子どもが食べたいだけのことなのだが。ウチではいつも、5種類のショートケーキを買ってきて、各々好きなものを取るのだが、当然その日の主役が最初に取ることになる。しかし昨日は時間的な都合もあり、私が箱を開けたときには選択肢はふたつしか残っていなかった(私と妻の分)。マッタク、主役も何もあったもんじゃない(苦笑)。
2010年08月07日
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「ラッキーエビス」というのをご存知だろうか?「エビスビール」(瓶のみ)のラベルに描かれている恵比寿様が、手に抱えている鯛の他に、左後の魚篭の中にも鯛の尻尾が見えているものだ。これはひとえにサッポロビールの遊び心で、数百本に1本の割合でアトランダムに混ざっているらしい。もっともこれを見つけたからといって、メーカーからは何も出てこないが。先日もウチのお得意先の飲食店の女将さんが、ラッキーエビスを見つけたと言って喜んでいた。しかしながら、私自身はまだ1回もお目に掛かっていない。もっともその飲食店で見つかったものもウチの店が納入したものだし、ウチの店でも年間に数百本くらいは扱っているはずだから、私が目にしないほうがおかしい、という考え方もある。それは計算上はもっともな話だが、如何せん我々はケース単位で運んでいるので、配達のたびに1本1本、ラッキーエビスがないかと確認するほどマメでは無い。倉庫の在庫を1本1本調べたことも無いではないが、そんなことが続くわけも無い。そういうわけで私にとって「ラッキーエビス」は、ずっと遠い存在であったのだが、先日飛び込んできたニュースによると、サッポロビールがラッキーエビスをあしらったデザインの350ml缶を限定発売するという。メーカーによれば今回発売に踏み切った背景には、消費者からの強い要望があったそうだが、ただ、だからといって安易に商品化して良いモノではないようにも思う。まあ「瓶」と「缶」の違いこそあるものの、ある意味「“幻”化」もしくは「都市伝説化」すらしているようなものが、限定販売とはいえ「いつでも手に入る」状況になるということは、その価値を著しく低下させることにはならないだろうか?例えて言えば「四つ葉のクローバー」を商品として売り出すようなものだ。「ラッキーエビス」にはいつまでも“幻の”「ラッキーエビス」でいて欲しいものだ。【ちょっと縁起のいいビール!】<限定品> ”ラッキーエビス” エビスビール(YEBISU) 350...価格:5,880円(税込、送料別)
2010年08月02日
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