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(続き)では現在、あえて「甘口」だと名乗っている日本酒はどれくらいあるだろうか?すべての商品を把握しているわけではないが、私の知っている限りでは、「四段仕込」とか「貴醸酒」等のような特殊な造りのものを除けば、ほとんど無いに等しい。不本意ながら「日本酒度」の数値を参考にしても、今市販されている中で日本酒度が「マイナス」を示しているものも、それほど多くはないだろう。ということは、そういう面で見た場合、現在市販されている日本酒は、そのほとんどが「辛口」だということになってしまうし、それでは「甘辛」の尺度自体、何の意味も持たないことになってしまう。だから今、普通に市販されているお酒を前に、「辛口はどれ、甘口はどれ」なんて言っていても、あまり意味がないように思う。そういうことだから、そろそろ「辛口」「甘口」の世界から抜け出してもいいんじゃないだろうか。「辛口」「甘口」という言葉自体は否定しないが、すべてがそれで決まるような安易な状況を、少しでも変えていきたいと思うのだ。もっともお客さんの側には、長い期間にわたって刷り込まれたイメージが根強く残っているから、まずは提供する側、つまりメーカーと我々売り手の方から、発想を変えていったほうがいいだろう。味の表現方法もいろいろあるが、端的にひとことで済ませるのであれば、「軽い」「重い」という尺度を用いるのが無難かと思う。ちょっと語感が悪いかもしれないが、それならば「スッキリ」「コクのある」と置き換えてもいい。お客さんにとっても決して分かりにくい表現ではないと思うし、ある程度数字を見ても現実との乖離は少ないと思う(少なくとも「日本酒度」よりは)。数字というと具体的には「アルコール度数」「酸度」「アミノ酸度」になるが、日本酒をそれなりに扱う酒店店主なら、これらの数値を見たら、ある程度の「軽重」の状態は判断できるはずだ。店頭での説明と数字的なイメージ、そして実際に封を開けて飲んだときの印象、これらがバラバラでは、結果的に日本酒に対してマイナスイメージを植え付けかねない。逆にこれらがピッタリと符合すると、またさらに新しい楽しみが生まれるかもしれない。だからこそこれからは、より味の実態に即した言い回しが求められるだろうし、私に言わせれば、それは「辛口」「甘口」ではなく、「軽い」「重い」なのだ。もちろん他の案も有って然るべきだが、要は現状でいいのかどうか、業界を挙げて考える時ではないだろうか、ということが言いたいのだ。p.s.ところで今になって思い出したのだが、以前も同じようなネタでこのブログに書いたことがあった(→『甘辛一辺倒からの脱却』)。よかったらそちらもご覧ください。
2010年10月31日
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「三増酒」という言葉はご存知だろうか?正確には「三倍増醸酒」といって、戦後の米不足の時代に何とか酒を造ろうとして、仕込んだもろみにアルコールを添加し、それをさらに水で延ばしたもので、本来の3倍の量が造られることから、このような名が付いた。ところが米の流通が正常に戻っても、一度こんなデタラメな造りで旨味を知った製造業者は、その後もこの方法で造り続けたのだ。ところでこの「三増酒」を造る場合、アルコールを大量に添加することで味が偏ってしまうので、味を整えるためにそこに「醸造用糖類」といったものを添加する。「糖類」だから当然甘い、ということで、戦後から一貫して日本酒業界で大量に売られていたものは、いわゆる「甘口」だったと言えるのだ。そうなると「醸造用糖類」を入れていない“まっとうな酒”は、相対的に「辛口」となる。つまりある時期までは、「醸造用糖類を入れていない酒」=「いい酒」は辛口、と相場が決まっていたきらいがある。それがいつの間にか日本人の頭の中に刷り込まれて、「いい酒」=「辛口」といった安直なイメージが横行した、と私はみている。メディアでも「本格辛口」などといったように、辛口を礼賛するようなコピーを連発したので(菊正宗のCMなんかもこれに当る)、余計にそのイメージが膨らんでいって、もはや「甘口の酒が好き」などと言おうものなら、「オマエは酒飲みじゃねえな!」とバカにされかねないような状況になってしまった。そして時は流れて、今やよほどの安物パック酒以外に「三増酒」を見かけることは、かなり少なくなった。それでも「いい酒」=「辛口」というイメージは、相変わらず日本人の頭の中に染み付いたままだ。誤解の無いように断っておくが、もちろん中には自分の舌に絶対の自信を持った上で、あえて辛口を嗜好する方も居られると思うが、それはそれでもちろん何の問題も無い。またそうでなく、ただ単に盲信的に「いい酒」=「辛口」と思っている方が居られたとしても、別にそれを責めるわけでは無い。ひとえに今までの経過(↑参照)が不幸だったというだけのことに過ぎない。でもとりあえず「三増酒」が激減し、造りの良いいわゆる「特定名称酒」(この言い方も嫌いなのだが)が市民権を得てきた今の時代、「甘・辛」をこのままにしてていいのか、もっと他の尺度は無いのか、というところが焦点になってくる、かもしれない、いいや、そうしなければいけないと思う(続く)。
2010年10月28日
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私はお酒の「辛口」というのがよく分からない。というかもっと具体的に言うと、お客さんが「辛口のお酒ください」とか、「やっぱり日本酒は辛口に限るね~」などと言われるときの「辛口」という表現が、一体どういうものを指すのか、どうもよく分からない。同時に、私が通常日本酒を飲むときに、「コレは巷の方にとっては、辛口になるのか甘口になるのか....?」ということも考えたりするが、そういう時も明確にどちらとは言い難い。実際に私がお客さんから辛口のお酒をリクエストされたときに、選んだ銘柄をお客さんが飲んで、「全然辛くなかったよ」と言われたことも2度や3度ではない。一般的に日本酒の甘辛は、「日本酒度」が指標になっていることが多い。これは日本酒に含まれる「エキス分」の濃淡を示すもので、「エキス分」とは具体的には糖分とかアミノ酸などだ。水と同等の状態を「1」とし、それよりもエキス分が多い=甘口であれば「マイナス」、エキス分が少ない=辛口であれば「プラス」、という数値が得られるわけだ。今のところコレが「甘辛判定」の唯一の拠り所となっているようだが、だからといって、日本酒度が「プラス4」の酒が、「プラス2」の酒の2倍の辛さである、などということではない。私たちもお客さんとの会話の中で、この日本酒度の数値を持ち出すこともあるが、決してコレが絶対的な基準だとは思っていない。例えば「アルコール度数」や「酸度」といった数値にしても、それが高ければその分「辛口」に感じやすい要因にはなりうる。またすべて数値通りの味になるかといえば、それもまた何とも言えないハナシで、例えば日本酒度が「プラス10」といった「大辛口」に区分される様な酒を飲んでも、それほど辛さを感じなかったり、逆に日本酒度がマイナスの酒を飲んでも、それほど甘く感じなかった、などという声はよく聞かれる。要するに「甘・辛」という味覚の基準も極めて主観的なもので、客観的に計ることは難しいのだ。そういう前提に立てば、お客さんの言われる「辛口」が私にとって分かりづらい、という私の悩みもあるいは理解していただけるかと思う。ではどうして皆さん、そう「甘・辛」にこだわるのか?その背景にはこれまで日本酒が歩んできた歴史が深く関わっていると思われる(続く)。
2010年10月26日
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先日ちょっとカラオケのことに触れたので、そのついでに以前からどうしても気になっていたことを書く。最近のカラオケはだいたいどこのものでも「キーチャンジャー」が付いていて、歌う人の音域によって、人為的に曲のキーを上げたり落としたりすることが出来る。ところで、最近のシンガーは押しなべて高音がよく出ているので、素人が歌おうにも、そのままではトップの音が出ないことが多い。それならばキーを落とせばいいだけのことなのだが、話によると特に若い人たちなどは、あまりキーをいじりたがらないようなのだ。キーをオリジナルのままにして、「声が出る人」=「歌が上手い」という観点で判断するフシもあるようだ(もちろんそれがすべてではないだろうが)。要するに声が出ないからといって、キーチェンジャーでキーを変えることを良しとしない、そういう考え方があるようなのだ。しかしコレはとんでもないことで、勘違いも甚だしい。音域のレンジがそのまま歌の「上手い・下手」に直結するなど、乱暴な理屈だ。そんな理屈が通るなら、思いっきり低音の私などは「ド下手」ということになる(笑)。もちろんちょっとでも広い音域を出せるようにと努力すること自体は、認められて然るべきだろう。しかしクラシックならともかく、ポピュラーミュージックであれば基本的に自分に最も合ったキーで歌えばいいだけのことだ。それが証拠に、たとえプロの歌手でも他人の歌をカヴァーする際には、そのオリジナルのキーに固執すること無く、自分に合ったキーで歌っているではないか。彼らを誰が非難できよう。歌なんて、無理をしてまで歌ったってしょうがないのだ。
2010年10月22日
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この間ラジオを聴いていたら、最近のJ-POPのヒット曲に関して意見しているのが聞こえてきた。曰く、「最近の曲は、とかく『Bメロ』を入れたがる」ということだ。実はちょうど私も、以前から痛烈に感じていたことだったが、その前に「『Bメロ』とは何ぞや?」という方も多いと思うので、ここでちょっと解説。通常ポピュラーソングは、基本的に『テーマ』(『Aメロ』など、他の呼び方もある)と『サビ』から構成されていて、この組み合わせを2回転ほどして、あとは『サビ』の繰り返し、というのがよくあるパターンだ。 | A | サビ | A | サビ |(間奏)| サビ |事実ひと昔前のヒットソングは、ほとんどがこのパターンだったと思う。ただこのパターンを良しとしない人が増えてきたのかどうか、いつのころからか、2回転からサビの繰り返しに入る間に、まったく別のメロディを挿入するパターンが出始めてきた。これが『Bメロ』と呼ばれるものだ。 | A | サビ | A | サビ | B |(間奏)| サビ |言葉だけでは何とも分かりづらいので、絢香の『三日月』という曲を例に挙げる。歌い出しの「ずっと一緒にいた~」というところが『テーマ』(『Aメロ』)で、1分3秒地点の「君がいない夜だって~」からが『サビ』となる。この組み合わせを2回繰り返した後の3分3秒地点から始まる、「今度いつ会えるんだろう~」からの部分が『Bメロ』だ。こういえばだいたい分かって頂けると思うし、最近のヒットソングに『Bメロ』を入れたものがやたら目立つということも、理解して頂けると思う。『Bメロ』の中には、全体の流れの中にしっくりとハマる、秀逸なものもあるかもしれないが、前後の流れをまったく無視して、ただ取って付けたような『Bメロ』が多いのも事実だ。確かに『Bメロ』を挿入することで、楽曲自体の幅というか、広がりは出るかもしれない。しかしかつてのヒット曲のほとんどに『Bメロ』が無かったことを考えると、今『Bメロ』を加えることが、あたかも楽曲を作る上での必須になっているかのような妙な風潮には、少々疑問を感じてしまう。いや、疑問だけならまだいいが、時としてそれは弊害となる場合もある。では『Bメロ』の弊害はどこに現れるのか?それはひとつには、「歌えない」ということだ。例えばこういった曲をラジオなどで繰り返し聴いて、すっかり耳に馴染んだとしよう。しかしラジオのオンエアでは、曲の途中でブツ切りにするケースが多く、そういうときには決まって『Bメロ』の部分がカットされることが多い。そうするとカラオケなどで、「あ、この曲知ってる!」と言っていざ歌おうとしても、『Bメロ』の部分で「あれぇ、こんなメロディあったっけ?」とつっかえてしまって、そこから進まなくなってしまうのだ。これに対して昔のヒット曲なら、1コーラス分歌えれば、たいてい最後まで歌うことが出来る。この差は大きい。また『Bメロ』を加えることが、曲全体が長くなりがちになるになる原因のひとつになっていないだろうか?私はポピュラーミュージックなら、3分くらいが適当だと考えているが、最近のヒット曲は(細かく調べたわけではないが)4~5分くらいのものが主流のようだ。もちろん、呆気ないくらいに短いもの物足りないが、かといって長けりゃいいというものでもない。曲の長さとともに、構成自体もだんだん凝ったものになってきているようだが、それがアーティストの自己満足で終わってなければいいのだが、とも思う。所詮は「軽音楽」なんだから、もっとシンプルで良いと思うんだが。
2010年10月20日
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最近よく空を見上げるようになった。昼となく夜となく、晴れの日も曇りの日も(さすがに雨の日はあまり見上げないが)、暑い日も寒い日も、同じように見上げている。何となく気持ちがいいのだ。特に晴れた日に青空にぽっかり浮かぶ雲、特にこういうのはイイ。雲の形の変わっていく様は、見ているとホントに飽きない。実際には長時間ぼんやりと雲を見つめているような時間的余裕などないのだが、心のどこかでそんな安寧を求めているのかもしれない。また同じような天気でも、日が違えば空気感も微妙に違う。そのあたりが面白い。このように感じながら、毎日新鮮な気持ちで朝を迎えられるのは、朝の極端に弱い私には丁度良い。別に気象予報士顔負けの予報能力を身に付けようなどとは思っていないが、言ってみればわれわれの仕事も、ある程度季節感を前面に出さなければいけないものだから、そういった感覚をもっと研ぎ澄まして生きたいと思っている。いや、今までがあまりにも鈍感だったわけだから.....(苦笑)。
2010年10月17日
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チリの鉱山落盤事故で閉じ込められた33人の救出作業は、さしたるトラブルも無くつつがなく終了した。このところ嫌なニュースばかりが日本を世界を席巻する中では、ひときわ気持ちの良いニュースだった。テレビは相変わらず過剰な演出に走りがちになっていたが、今回は何の演出も必要無い、リアルな画像だけで充分だった。とにもかくにもこのプロジェクトの成功を、世界の皆さんと喜び合いたいと思う。今回この33人が無事生還できたのが、ひとえに彼らの結束の強さの賜物だというところは、万人の認めるところだろう。しかもそれは私の予想をはるかに超えるものだった。思い起こせば阪神・淡路大震災のときのこと、あの時は被災された方々の、互いに助け合い励まし合う精神と行動こそが、被害を最小限に食い止め、ひいては復興の礎につながったと言ってもいいと思う。そしてそのモラルの高さは、確か海外メディアも極めて高く評価していたように記憶しており、自分のことでも無いのに大変誇らしく思ったものだ。ただ自国のモラルの高さを過大に評価してしまうことは、相対的に他国を過小評価してしまう、という副作用も伴うことがある。特に近年、中米の方で起きた大地震の際には、救援物資を奪い合うシーンなども報道されたりして、私の中ではその気持ちがより強固になっていったものだ。そういうわけで今回の落盤事故の第一報を耳にしたときも、最初は「そんなに長期の間、これだけの人数がみんな正常な神経でいられるはずが無い。助け出す前に内部から崩壊してしまわないか?」という思いを禁じえなかった。ところがその思いに反して彼らは、69日間の長きに渡って鉄壁の連帯を崩すことは無かった。もちろんリーダーたる立場の方の的確な指示があったとか、いろんな面でのエキスパートが集まっていた、といった要因もあったのだろうが、つまるところ全員のモラルが高かった、ということに他ならない。私も大変失礼なことを考えていたものだと、その見識の至らなさを大いに恥じた。日本人に負けず劣らず、素晴らしい国民性を有した人たちだった。またこのニュースを連日各国のメディアが報道し、それを全世界の人々が見守る中で、いつしかテレビの画面を越えてみんなの想いがひとつになる、そんな錯覚すら覚えた。民間レベルの「平和」なんて、案外こんなところで図らずも気付かされるものなのかもしれない。ただ今回は、日本とは特に敵対感情を持たないチリという国での出来事だったが、これがもし近隣の某国のように、国民的な感情のしこりが残る国での救出劇だったら、私たちはどのように受け止めていただろうか?そんなこともちょっと頭をよぎった。
2010年10月14日
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今日NHK-FMの特番の中で、4枚のアナログLPを丸々1枚分ずつオンエアする、という企画があった。その4枚とは、 『つづれおり』キャロル・キング 『ソングス』シュガー・ベイブ 『ゲッツ/ジルベルト』スタン・ゲッツ&ジョアン・ジルベルト 『ダニー・ハサウェイ・ライブ』ダニー・ハサウェイという、いずれも泣く子も黙る歴史的名盤ばかりだ。まあそれぞれの内容については今は触れないが、このようにLP1枚分を丸々オンエアするということ自体、近年ではまずありえないことだ。しかし私たちがまだ10代くらいの頃、つまり30年程前には、そういう番組がわりとあったように思う。もっともレコード会社への配慮からか、こっそりと1曲分抜かれていたりもしたが、それでもなかなかレコードを買うカネの無いティーンエイジャーとしては、充分に目を瞑れるレベルで、せっせと録音に励んだものだ。今はもうとっくに死語になってしまっている「エア・チェック」という言葉も存在した。おそらく現在40歳以下の方には聞きなれない単語かとは思うが、温度や湿度、気圧に風力などを測ったりするようなこととは、もちろん違う(笑)。語源はよく分からないが、単にFM放送をカセットテープに録画する行為を、こう呼んでいたのである。呼んでいた、といっても、実は私たちはあまり使ったことがなく(単に「録音」と言っていた)、もうちょっとオーディオマニアっぽい方々が愛用していた言葉のようにも思える。まあどちらにしても、「i-Pod」や「YouTube」どころか、レンタルCDすらほとんど無かった頃の話だ、レコードを買う以外に音源の取得手段としてはFM放送しかなかったわけで、それをカセットテープに録音することがどれほど重要だったか、というのは推して知るべしだろう。今はもうまったく無くなってしまった、いわゆる「FM雑誌」を毎号買って、タイムテーブルをつぶさにチェックし、気になるプログラムにはマーカーで印をつける。放送時間になるとカセットテープを装着して、「REC」ボタンに掛けた指先に全身系を集中させる。そんなまるで儀式めいたことひとつひとつも、今となっては楽しみのひとつだったのかもしれない。冷蔵庫のサーモスタットが作動するときにノイズが入るからと、録音時間の前には冷蔵庫のプラグを抜いていたこともあったが、一度録音後にプラグを差し忘れていたこともあった。暑い夏の日で、その顛末にはあえて触れるまい(笑)。そうこうして苦労して録り溜めたカセットテープがごっそりと残っているのだが、カセットテープを再生する機器のなくなった我が家では、半永久的に眠り続ける「押入れの肥やし」と化しつつある。
2010年10月11日
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今度の日曜日から、高2の長男が修学旅行に出かける。ところで長男が普段通学する際、高校の最寄り駅ではアクセスが極めて悪いので、2番目に近い別の路線の駅から自転車で通っている。ただ旅行当日は荷物が半端でなく多いし、天気予報も良くなさそうなので、学校までクルマで送っていくつもりにしていた。しかしここへきて肝心なことに気が付いてしまった。「F1」である。どういうことかというと、長男の高校はF1の開催される鈴鹿サーキットと同じ方向で、今度の日曜日は奇しくも決勝に当っている。ということは、そちら方面に朝クルマで行くというのは、渋滞の真っ只中に突っ込んでいくという可能性が、極めて高いのである。万が一、集合時間に遅れでもしたらエライことだ。というわけでクルマで送っていくことは諦め、アクセスの悪い最寄り駅に行くルートに変更させた。F1の渋滞、というのには、以前から悩まされていた。もっとも90年代の最盛期に比べれば、かなりマシになってきてはいるが、それでも今日あたりから国道1号や23号は、かなりクルマが多くなってきている。これで通るクルマがなにかしらお金を落としていってくれれば嬉しいが、残念ながら開催されるのは隣の市で、わが町はホントにただ「通り過ぎるだけ」なのだ。誤解の無いように行っておくと、私はF1が嫌いだとか、鈴鹿サーキットでのF1の開催に否定的だというわけではない。それどころか三重県全体の活性化につながるのなら、むしろ喜ばしいことだと思っている。ただ何事においても、メリットがあればデメリットがあるというのは、この世のすべての事柄に共通していることであり、それが今回の我々にとってはたまたま、デメリットの方を多く享受しているということなのだ。まあ、単なる“恨み節”でしかないということで、どうかお気になされぬように。
2010年10月08日
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以前このブログで、新宿にある『ベルク』という喫茶店の店主の書いた本を紹介させていただいたが、先日たまたま東京に行く機会があったので、早速行ってみることにした。本の中で、「決して立地のいいところではない」というように書いてあったが、行ってみれば確かにそうで、立地が悪いというよりも、袋小路みたいなところだ。しかしこの界隈では異彩を放ってると言ってもいいこの独特な外観は、こういう少々アングラっぽいところの方が、何となく映えるように感じるから面白い。現にこの地下街、通りに面した他の店はもっとずっと小奇麗で小洒落たところばかりだから、そんな中にあればずいぶん浮いてしまいそうだ(笑)。行ったのは午後の3時台だったが、外から見るに中は満員!恐る恐る中に入ってカウンターに近づくと、ちょうどレジの近くの席が空きそうだったので、オーダーを済ませて無事に席を確保。ちょっと小腹が空いていたので、コーヒーと「ベルクドッグ」なるものを注文すると、10円のアップでサラダの付いたセットにできるというので、そうすることにした。間もなく出された「ベルクドッグ」を見ると、単にパンにソーセージが挟んであるだけで、何も掛かっていない。シンプルそのものだ。「このまま食べるのがオススメですが、トッピングもありますよ!」というレジのオニイサンの言葉に、そういえばこの店はコーヒーと並んで、パンとソーセージにも並々ならぬこだわりを持っているんだったな、ということを思い出した。そしてそれを勧めるオニイサンの顔にも絶対の自信がみなぎっていて、言い方にもまったく嫌味が無いのが嬉しい。それならオススメのまま食べるのみだ。席に着き、早速「ベルクドッグ」を頬張った。ウマイ!改めて店内を見回すと、壁一面に様々なメニューが張られている。どれも「手作り感」いっぱいだ。アルコールも充実していて、樽生ビールは「ギネス」など常時4種類、そのほかに日替わりのワインや純米酒がある。ちなみに私の隣のオジサンも、ソーセージをツマミにビールを煽っていたが、そういう光景にまったく違和感が感じられない。お客さんの層も老若男女、実に様々だ。この店はセルフサービスであり、そういう点で言えば、回転率重視の“ファーストフード”的な店で、経営にもそんな感覚が求められるところだろう。しかし実際には「効率」よりも「こだわり」を優先したような店内で、いわゆるファーストフードにありがちな、無味乾燥的な雰囲気はカケラも無い。店員さんの接客もドライ過ぎずフレンドリー過ぎずで、ちょうどいい塩梅に感じられた。それでいて少なくとも私が見ていた限り、お客の回転率は恐ろしく速い。それに店内の狭さに比してスタッフの数がわりに多いところなど、それだけキッチリと利益を出せている証明でもあるだろう。いや~、本当にスゴイお店だった。
2010年10月05日
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とりあえずはドラゴンズ、リーグ優勝おめでとう。というか、何だかイマイチ実感が湧かないのだ。まだポカンとしている。最近のDでは珍しい「試合の無い日の優勝決定」だということもあるかもしれない。しかしそれ以前に、オールスター前あたりまで5割ラインを行ったり来たりしている間、ジャイアンツやタイガースはどんどんと白星を積み重ねていたことで、正直なところ個人的には、早い段階で優勝は諦めていたのだ。まるで棚ボタのように、と言っては怒られるかもしれないが、いつの間にか転がり込んできた、というのが実感だ。でも冷静に考えると、やっぱりライバルチームに直接対決で勝ち越せたのが大きかったのは間違いない。でもホントに今年は、セ・パともに面白いペナントレースだった。これでまだクライマックス・シリーズをやらなきゃいけないのか、と思うと、ちょっと気が滅入ってしまう。まあでも、ここは何としても勝つしかあるまい。期待してまっせ!
2010年10月02日
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