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ウチの店は例年通り、大晦日の深夜までみっちり営業し正月3が日は休む、というパターンで今年もいく。かつてはこの3日間を、妻の実家への帰省に利用していたが、一昨年からそれもなくなり、3が日を自宅で過ごすようになって来た。そして明日からの3が日は、まったく何の予定も無い、空白の3日間だ。元来、休みのたびに何らかの予定を入れて、あちこち出歩かないと気が済まないタイプの私としては、これは非常に珍しいことだ。でも滅多にない機会だから、のんびりさせてもらおうと思っている。とは言っても結局は、撮り溜めたテレビ番組(映画を含む)と“積読”の本の消化で終わってしまうことだろう。ま、そういうのもたまにはいいかな。というわけで、3が日はこのブログからも離れようと思っている。コメントを頂いてもすぐにはお返しできないかもしれないが、このような事情を拝察していただければ幸いです。この1年、このブログを通していろんな方といろんな形でお付き合いいただきました。本当に感謝の念に堪えません。明日からの1年が皆様にとって良い年でありますように.....。
2010年12月31日
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ウチの店では、お得意先から中元や歳暮の発送のオーダーを受けると、提携しているギフト会社に依頼し、そこの発送センターから先様へ送ってもらっている。言ってみれば「アウトソーシング」だ。そんな中で起こったトラブルだ。一昨日そのギフト会社から連絡があり、ウチの店から依頼したお歳暮の品が、お届け先(仮に“Aさん”とする)で「受取拒否」を食らったが、どうしましょうか、という内容だった。「受取拒否」ということは今までに無いわけではない。それは「あの人からこんなものを受け取るわけには行かない」といった、遠慮の気持ちからのことが多いのだが、今回はちょっと様子が違う。ギフト会社から送られてきた連絡FAXに、その「受取拒否」の理由が書かれていたが、それを見て不謹慎にも少々笑ってしまった。そのギフト会社からの配送は、某大手のSという宅配便会社が一手に請け負っているのだが、このAさんは「Sの荷物は受け取りたくない」と言っているらしいのだ。文脈から見る限り、この方はよほど「S」がお嫌いなように見える。あるいは過去にこの「S」の対応に対し、かなりご立腹された経験があるか、そんなところだろう。しかし困ったことにAさんは、別の宅配会社で再度送り直すことを要求しているのだ。しかも依頼主に分からないように、という条件付きで、だ。このギフト会社には他の運送会社を使うという選択肢は無いというので、ウチに対して、どうしたらいいものか、と泣き付いて来たわけだ。そこでギフト会社との相談の結果、たまたまAさん宅がウチの店からさほど遠くなかったので、「S」で留まっている荷物をウチの店に転送してもらい、それを私がお届けするのがベストであろう、という結論に達した。当然ながら荷物には「S」の伝票が貼られているので、まずそれを引き剥がし、その際に破れてしまった包装紙もウチの包装紙で包み替えた。そうやってその荷物をお届けしたのが昨日だった。お届けしたときに出られたAさんは、ただ無愛想に荷物を受け取っただけだったが、それからが大変。今日になってAさんがわざわざウチの店まで来られ、「S」で拒否した荷物をどうしてお宅が運んでくるのか、その経緯を知りたいとおっしゃる。どうもAさんは、発送元から再度「S」以外の宅配便で来ると思っていたようで、それが地元の一介の酒屋から来たものだから、不審に思ったのだろう。私はこれまでの顛末をひととおりお話し、ギフト会社の方で「S」以外の手段がなかったこと、発送元からの出荷が終了してしまっていて、再出荷が出来ないこともご説明し、この暮れも押し迫ったときにいち早くお届けするためには苦肉の策であったことを付け加えた。これで納得していただけるかと思いきや、Aさんはそれだけでは済まなかった。まずは発送元から受取先に至るまでの間に配送主体が変わるというのは、責任の所在も曖昧になりよろしくない(包装紙を包み変えたことも引っ掛かったのだろう)、そしてそういう対応を取るに至る経緯で、一切の説明がなかったのはどういうことか、とご立腹だ。そして最終的には、せっかくお届けした品(冷凍保存の食品)も、とても口にする気にはなれないからと、突き返してきたのだった。まあ確かにAさんの言われることも正論かもしれないし、私やギフト会社の取った対応も必ずしもベストではなかったかもしれない。私もとにかく丁重にお詫びしたが、しかしその一方で、結果的にAさんの「S嫌い」に何故そこまで振り回されなきゃいけないのか、という思いも無いではない(決して口にはしないが)。多様な考えを持つ人間が複雑に絡まりあって生きているこの日本の社会においては、「正論」と「わがまま」は紙一重であるとも言えるのではないだろうか。
2010年12月29日
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晩酌で飲む分には問題ないことだが、いわゆる「つまみ」のハナシ。私は夕食後も店に赴かなければいけない都合上、ほぼ毎日「晩酌」ができないでいる。じゃあほとんど酒を飲まないのか、というと実は逆で、ほぼ毎日何かしら飲んでいる。飲む場所は、閉店後の店内だ。もっとも“試飲”も兼ねているので、仕事の延長上ともいえるのだが、まあそんなことはこの際どうでも良い。ここで問題になるのが、何をつまみにして飲むかということ。これが自宅なら、夕飯の残り物とか、冷蔵庫に入っている惣菜類とか、いろいろ選択肢はある。しかし店にはそんなものは無い。まあビールの場合なら、「柿ピー」があれば充分だ。焼酎やウィスキーなどの蒸留酒でも、基本的にピーナッツ系でOK。ワインの場合も、チーズ&クラッカーなどでお茶を濁している。一番問題になるのが、日本酒だ。特に私自身、「日本酒は究極の“食中酒”だ」とブチ上げてる以上、「食事と日本酒の相性」ということに関しても研究していかなければいけない立場なのだが、それが出来ない状況なのだ。もっとも「つまみ」と呼べる商品も無いことはないのだが、ほとんどが“乾き物”の類ばかりで飽きてくる。しかし最近、こういったケースでの強~い味方を発見した。「スモークチーズ」がそれだ。それも専門店で売ってるような本格的なものではなく、そこいら辺のスーパーで売ってるような、ごく普通のものだ。これが日本酒によく合う。元々チーズというものは「発酵食品」だから、同じように発酵によって造られる日本酒との相性は、悪くないはずだ。ただチーズのクセが強すぎたり、日本酒の方が繊細すぎたりすると、どうしてもチーズの風味の方が勝ってしまうのだが、私が日頃好んで飲んでいるのが、熟成系の純米酒だったりするので、そのあたりは心配ない。それに「燻製された」スモークチーズだと、日本酒の中でも熟成の深みを持つものを選べば、自ずとバランスは取りやすいだろう。逆にちょっと軽めの純米酒ならば、カマンベールチーズを合わせる、という選択肢もある。こうなると、チーズと日本酒の相性は無限大に思えてくる。皆さんもどうぞ一度お試しあれ。
2010年12月25日
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先日ウチの店に、普段から懇意にしている近所の奥様が、血相を変えて飛び込んできた。何事かと思ったら、「おばあさん(私の母)いらっしゃる?どうしてもお詫びせんとアカンことがあって....」と言われる。ワケの分からないまま母を呼んできて、聞くともなしに二人の会話を聞いていると、ようやく事態が飲み込めた。先日私の妹が女児を出産したが、この奥様はそのお祝いを持ってきてくださった。それが奥様が飛び込んできた前日のことだった。この奥様(結構ご年配の方)のお家は普段から「日柄」を重視しているらしく、お祝いを持っていくのは当然「大安」と決めておられるとのことだ。奥様は「大安」の日にお祝いを持っていったつもりだったのが、明けて今日が大安だったことが判明、つまり「仏滅」の日にお祝いを持ってきていただいたことになる。さあ大変だ!奥様としてはこの上ない不始末をしでかしてしまった、ということで、取るものもとりあえずお詫びに来た、ということだ。ただ私のウチ、いや、わが親戚一同まで見渡しても、日柄などにはトンと無頓着な者ばかりだから、その点はまったく問題は無い。恐縮しきりの奥様を前に、私の母はそのことを申し上げて、どうかお気になさらぬように、と重ねて念を押した。私たちにとっては、「何でそんなにこだわるかなぁ?」という気がするが、当のご本人たちにとっては、それこそ一大事なのだろう。ただその「一大事」ぶりが、我々の想定の範囲をはるかに超えていたことで、少々面食らってしまったのだ。しかしそうなると逆に、もしこちらからあちらのお家に何かして差し上げるようなことがあれば、よっぽど気を付けないといけないな。
2010年12月21日
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ベストセラーになっている『デフレの正体』という本を読んだ。人口構成の変化から社会経済の変化を読み取るという、誰もが気付きそうでいながら、実際あまり提唱されていない視点は非常に斬新で、興味深く読んでいった。ただ敢えて難を言えば、この本のタイトルは『デフレの正体』ではなく、『不景気の正体』にした方が良かったのではないかと思う。というのも私の見た限りでは、不況時に小売販売額が伸びていたり、その反対があったり、という矛盾についての解説がなされてはいるものの、肝心の「デフレの発生」に関しての本質的な説明がなされていないように感じたからだ。もっとも私もその分野に関しては門外漢だからエラそうなことは言えないが、「デフレの要因」に関して、多少思うところはある。そのひとつが、「数量至上主義」だ。「数量至上主義」など、所詮私の思いつきで書いた言葉だから、世間的にはまったく浸透しているとは思えないが(笑)、要は得てしてメーカーが陥りやすい考え方だ。商社をはじめとする中小の流通業者や、サービス業者などの業界シェアなどを判定する基準は、「売上高」だったりする一方で、製造業者のシェアというのは、その「生産高」、つまり製品の「数量」で判定されることが多いかと思う。リカーマンらしく酒類業界にその例を求めると、例えばビール会社のシェア争いは、常にその「数量」が判断基準になっている。しかもそれは「大ビン換算」などという、いかにも時代遅れな単位がいまだに用いられている。さらに清酒業界に目を転じれば、ここでは「石(こく)」という、さらに時代遅れの単位がまかり通っている(ちなみに「1石」は一升瓶100本分)。まあ単位そのものの是非はさておくとして、こういった業界で「生産量」が会社規模の優劣をつける唯一の指標となっているとすると、一体どういうことになるだろう?そう、各メーカーはシェアをアップさせるために、“数多く”売らなければいけなくなる。「品質」よりも「数量」の方が優先されるというわけだ。ところが昨今のように消費者の財布の紐が限りなく固くなっている状況下では、何とか買ってもらう為にやることはただひとつ、値を下げることだ。それを、「どんな手を使ってでも」やるわけだ。ビール業界でいうならば、「発泡酒」や「第3のビール」などが、そんなミッションを受けて生まれてきたものなのだ。常に業界内で比較の対象になるのが「数量」であって「金額」ではないので、どんなに高額なものを売った者も、たとえ単価が低くても「たくさん」売った者より評価は低い。極端な見方かもしれないが、あながち間違いではあるまい。これがエスカレートすると、商品の品質などは二の次で、とにかく数多く売るためにやたらと単価を下げたがる。そんな企業行動の成れの果てが、今のこのデフレではないか、と私は見る。もしこの仮説が当っているならば、デフレを加速させている原因の一端には、そういった低価格商品をありがたがる我々消費者の存在も無視できない。とすると、このデフレから脱却するためには、低価格で低品質な商品を市場から駆逐する必要があるが、これもまた難しいことだ。というのも、消費者がいやいや低価格商品に手を出しているのならいざ知らず、今のこの低価格商品の「質の低さ」が、ある意味“スタンダード”になってしまっているからだ。「第3のビール」を飲んで、「スッキリとして美味しい」という人もいたりするが、こういう人達が例えば「キリンラガー」を飲んだりすると、苦くてイヤだということになるらしい。言うまでもなく、「第3のビール」は“まがい物”でしかない。デフレが進行する、という現象にプラスして、「“まがい物”がスタンダードになりつつある」ということまでが既成事実化しつつあると思うと、暗澹たる気持ちになってくるのだ。
2010年12月18日
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母の「育休」取得に伴って、私が1ヶ月以上の「休日&早番なし」というシフトを強いられるようになってから、半月が経った。何せウチの店の営業は、朝は9時から夜は深夜0時にまで及ぶから、休み時間を省くと拘束時間はだいたい13時間、これを連日、ということになるとさすがにシンドイ。ところが、体が疲れているから帰宅後すぐにバタンキュー......というわけではない。実は私には「夜更かし癖」という、難儀な習性があるのだ。基本的に若い頃から夜更かしが好きで、あまり早く寝るのは勿体無い、という感覚がわけもなく染み付いてしまっている。だからいくら疲れて帰ってきても、すぐに寝るということはなく、しばらくの間は起きていて、テレビや読書など何かしらしている。我ながら困った習性だとも思うのだが、これがなかなか改まらないのだ。さて、夜更かしをして睡眠時間が短くなれば、どこかにしわ寄せが来るものだ。私の場合は、昼と夜の1日2回ずつの食事休憩の時間、食べ終わると同時にベッドへ直行して気絶、というパターンがこのところ続いている。そんなことなら夜サッサと寝ればいいじゃないか、と言われそうだが、そう、確かに仰るとおりだ。しかし分かってはいても、ついつい夜更かしをしてしまう........これはもはや理屈では説明のつかない、現代社会の七不思議のひとつとでも言っておこうか(笑)。
2010年12月15日
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私はこの「楽天ブログ」のほかに、ブログをもうひとつと「ツイッター」を情報発信のツールとして活用している。で、そのふたつはそれぞれ自分の素性を明かした上で書いているが、この楽天ブログに関しては、いまだに素性を隠したままで書いている。その理由は以前にも書いたことがあるが、やはり「リカーマン」は正義の味方ゆえに、スーパーマンやウルトラマンなど他の正義の味方と同じく、むやみに素性を明かすべきではない、ということではまるでなく、単に他人に気を遣って書きたくない、というだけのことだ。もうひとつのブログとツイッターは、私の素性が割れてるので、知った人が見ていることも多いと思われることから、あまりヘンなことは書けない。だからこの両者は、とてもおとなしい。その反動だからかどうか知らないが、最近この「楽天ブログ」がちょっと荒れているのではないか、ということに気がついた。もっともここで言う「荒れている」状態というのは、私の精神状態のことであって、世に言う「炎上」だとかそういうことでは無いので念のため。そう、もうひとつのブログとツイッターでおとなしくしている分、「楽天ブログ」は基本的に書きたい放題なので、どうも歯止めが利かない。例えば何かに対して「批判的」だったり、「ネガティブ」な心持ちになったり、ということが図らずも表面化していないだろうか?もっともリアルで私を知る人々なら、そんな風には思われることも無いかとは思うが、そこはやっぱりネット上のこと、完全に印象が固定化してしまう恐れもある。気を付けないとね。
2010年12月12日
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少々前の話になるが、先々週の日曜日に、名古屋へ映画を観に行ってきた。たまたまこの辺りでは名古屋でしか上映されていない作品だったのだ。向かった先は、私も初めて行く映画館で、いまどき風のシネコンなどではなく、いわゆる単館映画館というヤツだ。上映開始15分ほど前に到着すると、狭いロビーにはもうたくさんのお客が来ていて、受付が始まるのを待っている。とりあえずチケットを買って、整理券を手渡された。この番号順に入場するのだ。やがて整理券順に客席に導かれたのだが、一歩足を踏み入れてビックリした。......とにかく狭いのである。どのくらいかというと、昔私たちが通っていた公立の小中学校の教室、あのハコを縦に3分の2に縮めたくらいかと思う。キャパはせいぜい60~70人程度だろうか。いまだかつて、そこまで小さな映画館というのに、お目に掛かったことは無い。なんだか雰囲気としては、大学祭などで通常の教室を使って上映される映画を観ているノリだ。広い劇場もいいのだが、こういうのもまた悪くない。私の住んでる町には、大手のシネコンがひとつだけある。かつてはそのほかにも単館映画館があったが、3年前にひっそりと姿を消した。大手のシネコンは大作や話題作中心なので、私の好むいわゆる「ミニシアター系」の作品はほとんど上映されない。映画館ひとつ経営していくのも、なかなか容易でないというのはよく分かる。特にこういった「ミニシアター系」の作品は、なかなか採算が取れないとも聞く。しかしそれほど凝った作りでなくても、映写機と椅子があれば、とりあえず映画は観られる。別に常時フル稼働してなくても、1日2回程度、毎日じゃなくても、週に4~5日程度でもいいと思う。経営する側に無理が掛からない程度に、細く長く続けていける映画館が、近くにひとつでもあってくれたら、どんなにか良いだろうか、と思う。もっとも現実は、部外者の私たちが思うようにはいかないのかもしれないが.....。
2010年12月09日
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この12月から家電エコポイントが半減するということもあり、11月中の家電店のハイビジョンテレビの売り場は、それはもうごった返していた。で、ご多分に漏れずこの私も、駆け込み需要の一端を担った一人だ。メインのテレビは昨年買い換えたのだが、サブのテレビがこのところ映りが悪くなり―――――いや「悪い」なんてものじゃなく、ほとんど見るに耐えない状況になっていたので、いい機会だからということで11月末に、一番小さな19型のを購入した。そのテレビが入荷したという連絡を受け、今日それを取りに行った。しかし店内で私が見たものは、途端に私をひどく落胆させた。何と私が購入したのと同じテレビが、私の購入価格よりも3,300円も値を下げて売られていたのだ。ちなみにこのサイズのテレビのエコポイントの、12月以降の減少分は3,000ポイント、つまりエコポイントで3,000円分得をした気になっても、実質損をしたのも同じことだ。サブのテレビだから特別急ぐこともなかった(正月には間に合わせたかったが)から、そのあたりをよく推理して決めればよかったのだが、まんまとエコポイント商戦の煽り文句に引っ掛かってしまった。「慌てる乞食はもらいが少ない」とは、昔の人はよく言ったものだ。
2010年12月05日
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前々からあまり意味の無い賞だと思っていたが、今回の内容を見て、さらにその感を強くした。他でもない、『ユーキャン新語・流行語大賞』のことだ。今年の大賞は「ゲゲゲの○○○」。もちろん大ヒットしたドラマ『ゲゲゲの女房』から来ていることは誰でも分かるが、別にドラマがヒットしたからと言って、それが流行語になったという実感はまるで無い。どういう風に使うんだろう? 夕食のおかずが自分の嫌いなものだったときに発する「わぁ、ゲゲゲのおかずだな~」。 キャバクラに行ったときに、たまたまお目当ての子が別の客についていて、 代わりに来た女の子に向かって「わお、ゲゲゲの娘!」。 最悪の通知表を持って帰ってきた我が子を叱るときに、 「オマエはゲゲゲ(下下下)の成績だなぁ」。.....などという使い方をするはずもなく、要はドラマのヒットを持ち上げただけに過ぎない。所詮は「新語」とか「流行語」という概念を深く掘り下げるものではなく、単なるイベントとして騒いでいるだけ、と言われても仕方ないだろう。もっともこういうのを選ぶことが、最近はどんどん難しくなっているのも事実だろう。言葉の流行の範囲がセグメント化されて、昔みたいな“全世代的”に通用する言葉というものが、どんどんなくなってきているからだ。実際にノミネートされたものを見ても、私が理解不能のものもある。創成期の理念が通用しなくなってきているとすれば、そろそろこのあたりで賞そのものを見直してもいいのではないか。もっとも、そんなことすら生真面目に考える必要の無いイベントなのかもしれないけど。
2010年12月03日
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