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西尾維新『零崎軋識の人間ノック』~講談社ノベルス、2006年~ 人識さんが中学三年生です。若い! 前作『零崎双識の人間試験』よりも五年ほど前の設定だそうです。簡単に、それぞれのお話の紹介を。「零崎軋識の人間ノック1 狙撃手襲来」 双識さんのかたきをうつために、あるマンションの住民を皆殺ししにやってきた人識と軋識。二人が乗り込むことは何者かに悟られていたようだが、案の定、第三者から襲撃されることになる。「零崎軋識の人間ノック2 竹取山決戦」 赤神家の令嬢が、零埼になるかもしれない―。罠だと思いながらも、竹取山に乗り込んだ双識、軋識、人識の三人。竹取山の頂上に、その令嬢がいるというのだった。 三人は別行動で頂上を目指すが、軋識は仮面メイドと、双識は闇口と、人識は前回の狙撃手の事件の際に戦った少女と戦うことになる。…が、そこに思いがけない人物が登場する。「零崎軋識の人間ノック3 請負人伝説」 零崎としてではなく、もう一つの名前の人間として、軋識は、恋する14歳の少女『暴君』のために、あるハードディスクの入手を目指すことになる。セキュリティの高いビルに乗り込むのを下見の翌日にしようと考えていたとき、赤い請負人が現れた。 なんというか、ストーリーの紹介にあまり意味がないタイプの作品だと思います。戦いがメインですしね。いわゆる戯言シリーズに登場した人々がたくさん出てくるので、面白いのですが。 冒頭で、本作の設定はずいぶん前のことだということにふれましたが、第二話との関連でいえば、赤神イリアさんが『クビキリサイクル』の島に住むようになる前の頃ですね(なお、第二話は前編、後編に別れています)。 …それにしても、こんなにとんでもない人たちと普通にふれあっていた戯言使いのいーちゃんは、やっぱりただ者じゃないと思いました。(記事は28日に書いています)(追記) 本書購入時の記事にも書きましたが、付録のトレーディングカードが割合かっこよいです。(追記―訂正とお詫び)第一話で、双識さんの敵をうつためにマンションに乗り込んだのを、「人識と双識」と書いてしまっていましたが、「人識と軋識」の誤りでした。奈緒子さんからご指摘いただき、ミスに気付きましたので、記事の方は訂正しました。ご指摘ありがとうございました。
2006.11.27
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関田涙『時計仕掛けのイヴ』~小学館、2006年~ もともと、小学館eBOOKSで配信されていた作品だそうです。以下、簡単に内容紹介と感想を。 僕―深澤英都が、夜勤明けで帰宅している途中、奇妙なことが起こった。いつのまにか、女もののカーディガンが僕の頭に巻かれていた。その直後、僕の頭を衝撃が襲った。しかし、僕は、僕の頭にカーディガンを巻いてくれた女性を見ていた。そして、一目惚れしてしまっていた。酒屋のバイトをしている僕があるバーを訪れたとき、偶然にも彼女をそこで見かけることになり、なんとかして彼女と会いたいとしているうちに、あらためて話をする機会を得ることになる。 * ある能力を持ち、そのために友人を二人「殺して」しまっている私―里浦希莉絵は、ストーカーのようにやってくる深澤を恐れていた。二人がはっきりと話をする機会があったとき、彼は私を助けてくれていた。そして、ところどころに感じる彼の人柄の良さから、完全に嫌っているわけではなかった。しかし、彼まで自分の能力の犠牲にしてしまうのが嫌だった。 自分の能力について、深澤に話をした。もうつきまとわないように。しかし、彼はやって来た。頼みがあるという。 * 深澤のバイト先の友人―市村にあてられた二つのメール。彼が暮らしていた全寮制のフリースクールの何者からのもので、そこには殺人予告と自殺予告とおぼしき文面が記されていた。市村は、深澤に事件を未然に食い止めたいと依頼をする。その依頼を、深澤は希莉絵に持ちかけた。彼女の能力をいかして、事件を食い止めるために。深澤と希莉絵は、兄妹を装い、体験入学をする。いじめ、家庭の事情など、様々な背景を抱えて入学している生徒たち。同じく、つらい過去をもつ経営者側の人々。メールの差出人が誰か、特定するのは容易ではなかった。 そして、差出人を特定する前に、伏線ともいうべき事件が起こる。女子学生が、山の斜面に落ちてしまった。彼女は、誰かに突き落とされたらしいと言う。 第一部は深澤さんのストーカーみたいな行動が印象的です。希莉絵さんが、割と容易に彼に心をひらくのが、私にはあまり理解できませんでした。 第二部の、ミステリ部分の展開はわくわくしました。しかし、本作は別段ミステリとしてどうこう、というより、不思議な能力をもつ女性と、彼女に恋いこがれる男性の恋の物語、としての性格が一番だと思います。ミステリ部分の人間模様を通じて描かれたものも素敵な要素でありますが、物語終盤で深澤さんと希莉絵さんのつながりが深くなっていく過程の方が印象に残りました。 全体的に、特に希莉絵さん視点から見た深澤さんはとても軽薄そうな人間ですし、先にも書いたように物語序盤の彼の行動は行き過ぎたところもあるように感じますが、それでもラストではかっこよいと感じました。 すみません、今日もまだ風邪でしんどくて、感想など書くのもいささか疲れ気味です…。 昨日は筒井さんの小説を読む以外はほとんど寝ていたことを考えると、今日は本書もあわせ二冊読んだ分、少しは回復していますが、まだいささかしんどいです。今日はもう、家で作業をはじめるつもりだったのですが、こんな体調なので横になって本を読むことにしたのでした。
2006.11.27
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筒井康隆『時をかける少女』~角川文庫、2002年(初版、1976年)~ 中編(?)の表題作他、二つの短編が収録された作品集です。以下、それぞれの内容紹介と感想を。「時をかける少女」 ある日の放課後。仲の良い深町一夫、朝倉吾郎と三人で理科室の掃除をしていた芳山和子が理科実験室に掃除道具を片付けに行くと、不審な物音が聞こえた。おそるおそる実験室に入ると、ガシャーンとガラスの割れる音がした。机の上に並べてあった試験管の一本が床に落ちて割れており、そこから白い湯気のようなものがたっていた。何者かの影を見たにもかかわらず、結局誰かが部屋から外に出たのを確認していないのに、そこには誰もいなくなっていた。 それから和子は、体がふわふわと浮いてしまうような、奇妙な感覚を感じるようになる。そして、実験室の事件から数日後の夜、地震が起きた。間もなく、朝倉吾郎の家の隣家で火事が起こる。その火事の現場で、吾郎を心配して見に行った和子は、吾郎と一夫に出会っていた。 翌朝。地震や火事のことで寝坊してしまった和子は、横断歩道のところで同じく寝坊したらしい吾郎と出会う。そして信号が変わり、急いで二人が渡ろうとしたとき、そこに暴走トラックが突っ込んできて……。 気付いたら、和子は自室での眠りから覚めたところだった。学校への時間は間に合う。朝のトラックのことは夢と考え、学校へ行った和子が、一夫に昨夜の火事の話をすると、一夫は火事など知らないという。吾郎も火事のことを知らなかった。違和感を感じ始めた和子が決定的に異変に気付いたのは、数学の教師が昨日やった問題を授業中に出したときである。友達に確認すると、それは、その夜に火事が起こったはずの日であった。 * そして、和子さんは、自分に起こっている奇妙な現象を一夫くんたちや理科教師の福島先生と相談し、実験室の事件があった日に戻ることにします。そこで、奇妙な薬を作った人物と出会い、彼女に奇妙な現象が起こるのをやめさせるためです。 異なる時間に戻ると、その同じ時間に自分が二人いることになるのではないか。疑問に思いながら読みましたが、もちろんそのあたりのことはすぐに解説されました。 タイトルは聞いたことがありましたが、初めて読みました。とても面白かったです。意外な「犯人」との会話にも泣きそうになりましたし、そしてそれを受けたラストシーンも素敵でした。思い返すとうるっときてしまいます。 登場人物でいえば、福島先生がかっこよかったです。「悪夢の正体」 友人の森本文一の家に遊びに行った昌子は、かつて、その文一の部屋で「怖い」ものを見たことを思い出し、不安にかられる。その「怖い」ものを片付けたという文一の部屋に入るところで、昌子は文一に「怖いもの」で驚かされてしまう。 昌子の弟も、恐がりだった。夜のトイレにははさみを持った女がいると信じて、夜トイレに行くことができない。あることがきっかけでそれを克服した後は、廊下に血まみれのクビが落ちていると訴えることがあった。 自分の恐怖心(文一の部屋で見た「怖いもの」や高所恐怖症)にも原因があると考えた昌子は、その恐怖の正体がなんなのか突き止めようと行動する。その過程の中で、彼女は弟の恐怖心も解消することに成功する。 彼女自身の恐怖心の源は、6歳頃まで住んでいたいなかでの体験に原因があるらしい。気付いた昌子は、文一とともにいなかを訪れる。 * 表題作の温かいラストの後だったので、恐怖心を描いた本作の最初の方は、少し怖いと感じながら読みました。恐怖心の原因を探っていって、それを解決することで、いまの恐怖心を解消するというのは、フロイトの活躍などを連想しました。そうそううまくいくものでもないと思っていますが、それはさておいても、恐怖心の原因を探っていくという冒険的な要素はわくわくします。どこか、ミステリの謎解きと通じるものがありますし。弟の恐怖心の原因を暴く過程も面白かったです。 少し感じたのは、あらゆる恐怖心に、本作のようになにかしらの原因があり、しかしその原因は無意識下に抑圧されていたらどうだろう、ということ。私も高所恐怖症などの傾向がありますが、それらに幼少時の体験が影響しているとすると、とてもその体験のことを考えたくないというか、その体験を思い出してしまったらすごく怖いだろう、と思ったのでした。そんな想像も交えながら読んだので、基本的に怖いと感じながら読み進めたのでした。 クライマックスも怖いですが、ラストは温かいです。「果てしなき多元宇宙」 帰りがけの道でよく出会う他校の不良学生。彼らに怒りを抱いていた暢子が、少し憧れていた史郎と、そこを通ることがあった。そのときも、不良学生たちが待ちかまえていて、暢子たちを中傷し、史郎に殴りかかったりするが、史郎は決して抵抗しようとしなかった。ケンカするのはよくないと分かっていても、それでもそんな史郎に対して暢子は不満を感じた。……帰宅して、史郎に謝ろうと電話しようとした矢先、暢子はパラレルワールドに飛んでしまう。そこでの史郎は、今までの世界の史郎ほど頭はよくなかったが、力が強く、暴力的な性格だった。 * 多元宇宙の説明など、興味深く読みました。この手のSF作品はほとんど読まないのですが、大体その設定は、いままでに自分自身想像したりしたことがある世界です。SF的な要素はともかく、本作はどこか教訓話に通じるものがあると思いました。童話のような世界ですね。ーーー 「時をかける少女」が、やはり面白かったです。ふとしたときに読み返すと良いかもしれません。 ところで、昨日風邪をひいてしまい、今日も体調はかんばしくありません。頭痛、鼻づまり、喉の痛み…。ときどき風邪をひくと、やたら慌ててしまいます。 今日は本来、関田涙さんの『時計仕掛けのイヴ』を読むつもりでしたが、ミステリを読めるほど頭がはたらかなかったので、本作を読むことにしました。とても面白く読めたので、良かったです。
2006.11.26
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筒井康隆『串刺し教授』~新潮文庫、1991年(初版1988年)~ ショートショートや短編、あわせて17編が収録されています。印象に残った話をいくつか紹介します。 最初に収録された「旦那さま留守」は、人間のお世話をするロボットたちが、留守にしている人の家に集まり、それぞれのご主人さまの真似をして遊ぶ、というお話。子供のいたずらを思い浮かべながら読みました。 次に収録された「日本古代SF考」も良かったです。未来の人間が、SF作家が集まっていたというお店について、史料に基づいて考察するというスタイルで話が進みます。最初に「日本沈没の日」という作品を書いたというサキョー・コマツという人物が登場し、さらにはヤスタカ・ツツイさんの名前も出てきます。それだけでわくわくしますね。大笑いしたのが、論考を書いている人物が一部小説風に書いているところで、担当編集者から原稿の依頼を受けたサキョー・コマツさんの言葉。「面倒くせえ」。…それを言ってしまうとは。驚きました。 「句点と読点」は、文庫で1頁ながら面白く読みました。句点や読点、そして改行のあり方について、実験的というか独特の趣向をこらした作品が、この本の中には他にもいくつか収録されています。 大笑いしたのが、「きつねのお浜」です。最後に、作者注で、「この作品に対する一切の批評を拒否します」とあるので、あまり書くわけにはいかない気もしますが、思い切っているなぁ、と感じました。京極夏彦さんの『どすこい。』や、秋本治さんの『こち亀』のいくつかの話を連想しながら読みました。 痛烈な社会批判や風刺を感じたのが、「春」です。先にも少し書きましたが、句点、読点、改行などが型破りな作品の一つです。冒頭でとっつきにくいように感じたのですが、読み進めるうちにその風刺や批判の鋭さを興味深く読めるようになりました。 独特の作品が多い中、もちろん独特の仕上がりなのですが、それでも比較的オーソドックスな作品として読めたのが「点景論」と「風」です。「点景論」は、「おれ」が「尾行者」から逃れようとする話なのですが、「おれ」は多くの人々に、そのときどきのその人の位置づけを示すレッテルをはっていきます。「学生」「劇団員」「ウェイトレス」などなど。「おれ」自身のことも、「歴史書を買いに都心へ出てきた男」から「尾行される男」になった、などと考えています。終盤の、観覧車での出来事ははらはらしながら読みました。ラストでの「おれ」の心境の変化など、現代文の問題に出されそうな雰囲気ですが、残念ながら私にはその理由がうまく説明できません。ですが、これも印象的な作品でした。 「風」は、全て会話文だけで構成されています。夜中に門の戸がどうんどうんと鳴るのですが、誰かお客さんがきたのか、それとも男が言うように風に過ぎないのか。寝る前に読んでいたのもあってか、いろいろ考えすぎると怖くなりましたが、同時に泣きそうにもなりました。不思議な読後感でした。 表題作「串刺し教授」も、独特の文体で描かれています。事故で串刺しになった教授の、死亡の前後の写真が週刊誌に掲載されたことをめぐり、私は動きます。行く先々で私にかかってくる電話は、誰からなのか。過激な言葉が使われているわけではありませんが、静かな風刺がされていると感じました。 久々に、印象に残った言葉をメモしておきます。文字色は反転させておきます。「「不条理」というものは当事者が想像した最も忌まわしい状況の顕現という観点に立てば「不条理」ではない。すべての「条理」は予測可能なのだから予測し得たその「不条理」は予測可能な「条理」の中に組み込まれてしまう」(128頁。「点景論」からの引用)。「点景論」は、こんな感じで全体的に理屈っぽいです。それが興味深く読めた一つの理由になっているとも思います。「今は尖端的なのはむしろ反動と呼ばれようが何と言われようが中心へ切り込むことではなかろうか厭だなあ真面目なことを言うと必ず嘲笑され悪口を言われる社会見よう見まねの右へならえ他人指向の気くばりの恥の文化の長いものに巻かれろの独走許さぬ株式会社日本」(184頁。「春」より引用)。ここは比較的意味がとりやすい文章ですが、全体的にすごいです。ある種の「狂気」を感じさせられる文章でした。
2006.11.19
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舞城王太郎『SPEEDBOY!』~講談社BOX、2006年~ 舞城王太郎さんの久々の新刊ですね。主人公は、成雄さん。 高校生の頃、100mを5秒で走れるようになり…どころか、間もなくそのスピードは音速を超え、走れる場所は陸上だけではなくなります。長じた成雄さんは、ランナーハンターとして活躍するようになります。成雄さんのように速く走る人々を追いかけ、つかまえる仕事ですね。過去に、音速を超えて調子に乗って、人を殺しまくったランナーがいたということで、ランナーを捕まえるためには手荒いこともします。そこで問題になるのが、倫理観、です。どこか、世間とずれた成雄さんの倫理観。そんな成雄さんに怒りを感じ、恐れを感じる周りの人々もいます。 長じた成雄さんと、過去の成雄さんが交互に描かれるようですが、どこか齟齬を感じるところがあります。その他の登場人物の名前も同じなのですが、かみあわない感じ。それが、本書の一つの主題を表しているのでしょう。 成雄さんの背中の鬣とか、走る速さとか、『山ん中の獅見朋成雄』に通じるものがありますが、どちらかといえば連想したのは『阿修羅ガール』でした。あるいは、他の作品のイメージです(おぼろげな記憶なのでどれとは言いにくいのですが…)。 本書に出てくる、多くの人を食べてしまう白玉。それはある人にとっては、人間の集中力であったりもします(人を食う白玉=人間の集中力を示す白玉、というわけでもないのでしょうが)。非現実的な要素がもつ比喩を、私は理解できたとは言えません。ですが、その白玉との戦いであるとか、白玉に住む女性を追いかける物語などは、それ自体として楽しめました。そして、物語終盤に出てくる森のイメージ。特にそのシーンが、私が『阿修羅ガール』を連想した一因になっていると感じています。 物語の性格上、いつものようにあらすじを紹介するのは難しいと思い、このような形で書いてみました。
2006.11.19
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このブログを開いて、二年が経ちました。よく遊びにきてくださっている方々へ、本当にありがとうございます。月日の流れは早いものです。具合を悪くして、療養を進める中で気張らしにと開いたものでした(当初はしんどさのはけ口みたいな意味合いもありましたね)。年度がかわってから大学院に入学して、そして今年度はもう修士論文の執筆に入っております。締め切りまでにきちんと書き終えて、無事に卒業したいものです。このブログの内容も、本購入のメモと本の感想の記事がメインになってきました。フリーページに載せている感想の中にはあってもなくても変わらないようなとても短いものもありますし、そういった場合はあらためて再読して感想を書きたいと思っているのですが、未読の本もたまってきていて、なかなか進められそうにありません…。もともと、もともと本の感想を書きためていたので、せっかくだから公開しよう、という思いでした。基本的には自分のためのメモですが、次第にスタンスも少し変えてきていますけれど…。とまれ、そんな中で、いろんな方々からコメントやTBをいただき、ときには思いがけない方からコメントをいただけたりして、励みになっています。基本的に無理することなく、これからもぼちぼちと続けていきたいと思っています。今後ともよろしくお願いします。
2006.11.14
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浦賀和宏『さよなら純菜、そして、不死の怪物』~講談社ノベルス、2006年~ 八木剛士&松浦純菜さんシリーズ第5作。 以下、簡単に内容紹介と感想を。内容紹介は備忘録の意味もこめて少し詳しく書くので、あまり内容を知りたくないという方はご注意ください。 前回の「史上最大の事件」で、純菜さんと会えなくなった八木さん。また、前回のひどいいじめで登校拒否にもなっていますので、学校に行かず、しかし外出はしばしばしながら、とにかく純菜さんのことを考え続けます。純菜さんの家にも行くのですが、お父さんに追い返されてしまいます(きつい言葉はありませんが…)。 そんなこんなで自室にいたとき、河野さんや小田さんがやって来ます。しかも彼らは、前回の「史上最大の事件」で大きな役割を果たしたドイツ人留学生のマリアさんと、マリアと同じ学科だという坂本ハルさんを連れてきていたのでした。 純菜さんがやってきたかと期待したのですが、彼らということに残念がる八木さん。しかし、四人が帰る頃になると寂しく思ったりするんですね…。ところで、このとき小田さんが選りすぐりのミステリを八木さんに貸すのですが、このミステリをめぐる話も後々面白かったです(また感想に書きます)。 さて、四人が家を出たとき―外からマリアさんの悲鳴が聞こえます。そして、河野さんが誰かともめるような音。八木さんのことをつけねらっている「スナイパー」が現れたのでした。「スナイパー」は、八木さんの部屋までやってきます。ここで八木さんと「スナイパー」はじりじりと向かい合っているわけですが、八木さんは窓から逃げます。そして家のまわりには八木さんと「友達」の四人、そして八木さんの叔母さんの六人がいて見張っていたはずなのですが、警察がやって来たとき、「スナイパー」はいなくなっていたのでした。 その後、純菜さんとあらためて話がしたいと、「雨男」南部さんの力を借りながら彼女の家を訪れたりもしますが、また挫折。いろいろ考えた八木さんは、ふっきれることになります。画廊の呼び込みの女性に怒鳴り返し、土手の鉄のポールを殴っても平気なことに気付いた彼は、完全に吹っ切れます。そして、「この恨みはらさでおくべきか」リストに載っている高校の同級生どもへの復讐を決行するのでした。 今回は、八木さんの一人称で話が進みました。だから、というべきか、妄想が長くて話が進まないこともしばしば。章の変わり目に、「私」の一人称が挿入されます。素直に本書を読めば、「私」が誰かはわかるのですが、しかし仕掛けがあるかもしれません、はてさて…。物語のラストに置かれた「通信記録」も謎に満ちていて、はたして続きがどうなるのか、気になるところです。『上手なミステリの書き方教えます』に挿入されていた「天国移送」へと至るプロセスの一端という文章もつながってきました。 本書の中で面白かったのは、上でも少し書きましたが、小田さんから借りたミステリを読んで八木さんが考えることです。ミステリと差別について、とでも言いましょうか。ミステリについて書く前に、『バトル・ロワイヤル』などについての感想もあって興味深かったです。(『バトル・ロワイヤル』は、私は未読なのですが…)。ミステリへの感想として、探偵側の人間は殺人者に対する差別はいけないと指摘しながら、決して自分(たち)が殺人を犯すことはない、と言います。それは結局、殺人者は探偵をする資格がないという一種の差別の現れである、というのですね。興味深く読みました。 同じく関連して、八木さんが読んだ物語に竜宮城之介さんなどが登場するようなのですが、これは清涼院流水さんの作品ですね。乙姫さんの経歴について、『カーニバル・イブ』の巻末リストで確認したところ、本書で言及されている乙姫さんと一緒ですし。気になりました。といって、清涼院さんの作品を再読する気にもなかなかなりません…。「川商殴り込み大作戦」はかなりスプラッターですが、いじめられ続けていた八木さんがクラスメートのくずどもをぼこぼこにしていくシーンは、どちらかといえば爽快でした。 さて、来春、『世界でいちばん醜い子供』が刊行予定だそうです。本作の続編でしょう。どうなるのでしょうか、楽しみです。
2006.11.11
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小路幸也『東京公園』~新潮社、2006年~ カメラマンを目指している大学三年生の僕―志田圭司は、広い意味でのアーティストを目指すヒロと同居している。 僕は、東京の公園をいろいろと回って写真を撮っていた。小学二年生の頃に亡くなった母の形見のカメラで。母が撮っていたように―そして自分がはじめて自分の意志で撮った家族写真の影響もあり、家族の写真を撮りに。 もちろん、写真を撮られるのに抵抗をもつ人々もいる。僕は、きちんと身分を証明し、自分が今までに撮ってきた写真を見せながら、誠実にお願いをするのだった。 ある日、若い母親と二歳くらいの女の子を見つけた。素敵な二人だ、と思って遠目に何枚か写真を撮り、あらためて声をかけて写真を撮りたいと思ったとき、男に声をかけられた。それが、女性の夫の初島さんだった。 その日は、まだ写真を撮らないでほしいと言う初島さんに、後日お願いを受ける。二人を尾行して、写真を撮ってほしいというのだった。 それから、僕は女性と娘、百合香さんとかりんちゃんの写真を撮るようになった。しかし、百合香さんは、どうも僕に気付いているようだった。その推測が確信に変わってからも、僕は初島さんにお願いされて、二人の写真を撮る。撮影者と被写体の間の、独特の空気を感じながら。 …と、本書の中の大きな筋を中心に紹介を書きましたが、いろいろと足りないので感想も交えながら続けましょう。 具体的なエピソードなどについても触れるので、未読の方はご注意ください。 本書の中の中心的な人物は、僕、ヒロさん、そして僕の幼なじみの富永さんの三人です。そして、僕より一足先に北海道から東京にきていた、血のつながらないお姉さん。北海道に残る、お父さんと新しいお母さん。お姉さんに紹介されたバイト先のマスター。初島さんのご家族。 物語の最初の方で紹介される、ヒロさんにまつわるエピソードが素敵でした。中学生の頃、自分の勝手で、人に怪我をさせてしまったヒロさん。怪我をされた方のご家族は、ヒロさんに一つのことを課します。ヒロさんは、目盛りがマイナス100まである罪を犯した。その目盛りは、ヒロさんが社会復帰して、毎年年賀状と暑中見舞いを送れば減っていく、というのです。ヒロさんはその二つはもちろん、手紙も送りました。そして目盛りがゼロになったときに、ご家族は温かく迎えてくれたのです。 そんなヒロさんが言う言葉も、印象的でした。昔はワルかったということを売り物にするような奴は最低だと。反省して「普通」になったといっても、それはやっと「普通」の人に追いついたにすぎない。自分が迷惑をかけた人々がどういう思いでいるのか考えているのか、そういう人たち全員に許してもらってお前はそこにいるのか、と。すごく印象に残るシーンでした。 お母さんが入院することになって、お姉さんと北海道の実家に戻るときの話も、素敵でした。そこに描かれているのは、日常の風景です。再婚した理由。はじめて新しい家族に出会ったときの思い出。お酒を飲み、話して、DVDで映画を観る。「自分のために生きる」とか、「他人のために生きる」といったことを考える。何気ない日常ではありますが(僕たちにとっては、お母さんの病気のために、はじめて姉弟二人で飛行機に乗り、東京での生活から一時的に離れて実家に戻るという非日常でもあるわけですが)、このエピソードも、物語の後々まで生きてきます。 僕は、初島さんの妻に、少しずつ惹かれていきます。それが、被写体としての魅力をもつ百合香さんへの好意なのか、恋のような感情なのか、うまくつかめないままに。富永さんからの「爆弾発言」で、少なからず考えにふける僕。初島さん一家のために僕がすることは、とても素敵でした。そこをフォローするヒロさんと富永さんもかっこよかったです。その後の、初島さん一家へのつきあい方についても、富永さんがとった行動、彼女が言う言葉がとても良かったです。富永さんの判断が、とても素敵なラストの1ページにつながっていくのでした。 良い読書体験でした。
2006.11.05
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