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森博嗣『フラッタ・リンツ・ライフ』~中央公論新社、2006年~ 『スカイ・クロラ』シリーズの第四作。今回は、大尉となったクサナギ・スイトさんの部下であるクリタ・ジンロウさんによる一人称。クサナギさんのように、飛ぶことが好きで、地上の生活に閉塞感を感じるクリタさん。ときどき、フーコさんのところへ行っても、安心することはあっても、満たされることはない。愛情とはなんだろう…。思索。 今回は、キルドレ(ずっと子どものまま)が、そうでなくなるという秘密を知った研究者がからんできて、そこが盛り上がるところかな、と思います。飛行シーン、戦闘シーンはあいかわらず分かりません…。 このシリーズの感想では何度も書いていますが、詩的な印象を感じます。ふっとした言葉に感動を覚えたり。そして本作では、クリタさんの思索の描写が割と多いのですが、そこでも考えさせられました。クリタさんの夢の描写も多く、地上での生活もどこか実態がなく、クリタさんたちは空では楽しんでいるものの、一読者である私には非日常で。…というんで、どこか夢のような物語でした。
2006.07.30
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黒田清『会えて、よかった』~三五館、1993年~ 著者の黒田さんは、読売新聞社の記者だった方です(2000年に亡くなっておられます)。社会部長をつとめていたとき、「窓」という欄を作り、そこに寄せられる手紙をもとにして記事を書いていらしたそうです。本書に収められた全部の25の物語も、黒田さんが記者生活の中で知り合った方々のことをもとにした実話がもとになっているそうです。 本書は、5章構成になっています。 第一章 勇気のうた 第二章 母のうた 第三章 平和のうた 第四章 生命のうた 第五章 別れのうた 全部紹介するのは大変なので、印象に残ったお話をいくつか。 第一章の最初のお話「道の真ん中を歩いた日」。先天性の小児マヒがあった少女が、二度の大きな手術の後、松葉杖で歩けるようになります。ところが、近所の子供たちが、そんな彼女の歩き方をはやし立てたり、まねしたりしました。ある日、子供たちのボスが彼女の歩き方をまねて、彼女のうしろをついていきました。他の子たちもまねをします。少女はふいに後ろを振り向き、「あんたたち、真似するの下手ねぇ。ほら、こうするのよ、見てごらん」と言って、子供たちの方へ歩き出したのです。そこで、遠巻きに見ていた子供たちが少女に近づき、歩き方の理由を尋ねます。小児マヒという病気なんよ、変やろ、という彼女に、子供たちは首を横にふりました。彼女はそれまで、他の子供たちに馬鹿にされるのが怖くて、道のはじっこを歩いていました。この日から、彼女は道の真ん中を歩けるようになったのです。 この少女はやがて、片足を失った男性と結婚します。母親、父親になった二人が子供と海水浴に行く日。彼女は、昔を思い出すのでした。 第二章の四つ目のお話は、「そんなに可愛く笑わないで」。ある女性が、三男を産みました。ところが、まもなく、その子がダウン症候群だと告げられます。それが治らないと知り、彼女は一瞬、その子が死ねばよいのに、と考えます。ところが、そのとき6歳だった長男の言葉で、彼女は考え直すことになります。この子は病気だからそんなに長くは生きられないと言った彼女に、長男は言います。それじゃ、この子はうちの宝物だから、大事にしなければいけないね―。三男の可愛い笑顔に、彼女は胸を痛めます。一瞬とはいえ、恐ろしいことを考えてしまったから。一年も経たない内に、三男は入院することになります。死に行く間際の子どもの手を握りしめ、彼女は必死に話しかけるのでした。やがて、子どもの手から、力が抜けるのがわかりました。彼女は、「死んじゃだめよ!」と叫びます。 女性からの手記をもとに書かれたそうです。最後には、女性の手記からの引用もあります。紹介を書くのに読み返すだけでぼろぼろ泣いてしまいました。 第三章の三つ目にして最後のお話、「原爆の悲惨伝えて 幸せロッジ」。第二次世界大戦中。夫が広島に召集されたのを機会に、妻は広島県のある町の実家に暮らし始めました。そして、原爆。翌日、彼女の家に、しばらく誰だかわからないほどに傷だらけになった夫が帰ってきました。生命力があったのか、彼は死を免れます。やがて、夫婦と交流があったイタリアの人類学者が、二人を軽井沢に招きます。二人は、彼に原爆について怒りを示します。その人類学者はマッカーサーとも交流があり、そのころ軽井沢にいたマッカーサーと二人は面会もしたそうです。二人は療養のため、温泉のある田舎に移りました。そこで、夫の病状は落ち着き、二人はおみやげ屋を開きます。若者たちに気軽に話しかける夫のことが有名になり、おみやげ屋は若者たちの人気のスポットになります。そして二人は、ユースホステルを開きます。夫が亡くなってからも、妻はユースホステルの経営を続けます。彼女は夫がしていたように、戦争のような馬鹿なことをしてはいけない、平和を大事にしようと伝えていくのです。 第四章からは、二つめの「こわれたお鍋がなおるまで」を紹介しましょう。ある女性が30年以上使っていた御成婚記念プリンス鍋とかかれた鍋が、ある日、壊れてしまいました。それは、昭和天皇の結婚を記念して売り出された鍋でした。彼女は、わずかに読み取れた会社の名前を手がかりに、同じ字のつく会社にかたっぱしから電話をしました。そして、ついに鍋の製造会社にたどりつきます。電話に出た社員が、直るかもしれないと伝えたことから、彼女は娘とともに会社へ訪れます。若い社員が対応してくれたところへ通りがかった年配の社員が、鍋を見て懐かしい思いに打たれ、そしてこれまで大事に使ってくれたことに感謝します。「大丈夫ですよ、なおります」。後日、鍋が直ったという連絡が入ります。彼女は、会社にもう一度行ってみたいと思い、直接訪れます。鍋はきれいになおっていました。 ただ、純粋にほのぼのできました。 第五章の中では、著者の黒田さんのお知り合いの方についての話が二つあって感動したのですが、ここでは省略します。ーーー 目次からうかがえるテーマからか、重たいお話が多いのかな、と思って読み始めました。もちろん、本書の中には様々な苦しみが描かれています。ですが、読んだ後に残るのは、前向きな気持ちなのでした。 本書は、ある方からいただきました。感謝しています。
2006.07.26
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京極夏彦『文庫版 今昔続百鬼―雲【多々良先生行状記】』~講談社文庫、2006年~ 自称妖怪研究家・多々良勝五郎センセイと、伝説好きで、センセイの旅の供でありツッコミ役である沼上蓮次さんが、妖怪・伝説探訪の旅の際に関わった四つの事件が収録された短編集(?)です。中編集というべきでしょうか。物語は沼上さんの軽快な一人称で進みます。以下、それぞれ内容紹介と感想を。「岸涯小僧」昭和25年初夏。俺は多々良センセイとともに、伝説巡りのために山梨県に訪れていた。夜中に山で遭難しまい、さらには山から滑り落ちてしまうのだが、そこはもう川沿いの村だった。川で、なにやら人間がとっくみあうような音がして、さらに悲鳴、「カッパか」といった声が聞こえた。事件かと思いあたりを探したが、人は見あたらず、センセイは夜遅いというのに大きな農家に宿を請うた。その家の主人―村木作左衛門老人が無類の妖怪好きで、センセイと二人で長々と河童について語った。翌日、昨夜の物音が何だったのか、川に確認しに行くと、そこには死体があった。 * 今回、文庫版で再読したのですが、例によってほとんど話を覚えていませんでした。沼上さんは多々良先生のツッコミ役と思っていましたが、彼自身も伝説好きだったのですね。 …そうでないと、多々良先生と行動をともになんてできないでしょうけれど。とまれ、村木老人の養女、富美さんが登場したとき、そういえば富美さんが重要な役割を果たすのだった、と思い出しました。物語のまとめ役ですね。古い文献も読んでいて、妖怪についても的確な指摘をします。 妖怪や伝承の話となると、語呂が重要な役割を果たしますが、本作では岸涯(がんぎ)と雁木(がんぎ)のつながりにおーっとなりました。雁木については、新潟出身の友人から聞いていたことがあり、川端康成『雪国』(感想はこちら)でふれられていたので懐かしい気分になったのですが、ここでも雁木にでくわすとは…。新潟のは、商店街のアーケードのようなものなのですが、雁木ってもっと一般的な用法だったのですね。「泥田坊」昭和26年の二月。俺と多々良センセイは、信州の山奥にいた。やはり迷っていた。やがて村にたどり着いたが、空気が異様だった。あらゆる家が、魔除けのようなものを出し、戸口をかたく閉ざしていた。物忌みをしているようだった。ただし、ひっそりとした村の中で、一人だけ怪しげに動く人物がいた。「タオカエセ」と聞こえる言葉を叫びながら。俺たちは、村中で物忌みをしているのに泊めてくれるところはないと思っていたが、男性がとめてくれた。そこで、村の習俗を聞いたのだが、各家の運勢を知ることができるという占いのために、まさにその男性の父親が出ているというのだった。神社へ行き、その日のうちに帰るはずのその父親は帰ってこず、翌日、死体で見つかった。死体が見つかった神社への足跡は、一人分しかなかった。 * あえて殺人事件の方に力点をおいて紹介を書いています。妖怪の話は面白いので、読み返していたらどつぼにはまってしまうので…。 それにしても、いわゆる「雪の密室」の状況が出てきて、テンション上がりました。もちろん、泥田坊をめぐる解釈も面白く読みました。「手の目」昭和26年、「泥田坊」事件から東京へ帰る途中、俺たちは、金銭面で困ったところに助けに来てくれた富美さんとともに、上州(群馬県)に立ち寄った。ところが、三人がとまった宿の主人が失踪したという。背景には、村の貧しさと、そこへ訪れた金持ちのばくち好きな座頭の存在があった。村の男たちは、村の財政をたてなおすために、座頭と博打をしていたのである。富美さんの言葉におされ、多々良センセイと俺は村人たちのために、座頭と博打をうつことになる。 * この作品集の中では、一番読後感がよかったです。村の方々は、それは大変な思いをされていたでしょうし、過去に村から追放されたという一家もそれはつらいと思います。けれど、それらを吹き飛ばすくらいに多々良先生が無茶苦茶で、事件(?)の解決もかなりしょうもない形でした。いや、いろんな意味で面白かったですが。「古庫裏婆」昭和26年秋、俺たちは山形へ向かった。東京で開かれた「衛生展覧会」で木乃伊を見て、その出所でもあった山形へ行くこととなったのである。しばらく順調に行っていた旅も、宿で一人の男と相部屋になってから、悲惨な事態へとつながっていった。その男に、荷物一切を盗まれたのである。その男から聞いていた、旅人を無料でとめてくれるという寺のようなところへ行くことにした二人だが、そこはまさに展覧会に木乃伊を「出品」したところであった。また、「出品」された木乃伊に不審な点があったことから、東京から刑事もやってきたのだった。 * 最初に読んだとき、ものすごく怖かったのを覚えています。木乃伊の解剖に里村先生が来るのが嬉しいですね。そして、やっぱり京極堂さんはかっこいいです。ああ、やはり書くうちに感想が適当になっていく…。ーーー 全体を通して。ノベルス版で読んだときは、正直京極堂シリーズと比べてぱっとしないなぁと思ったのですが、今回は楽しく読めました。なにってかにって、沼上さんのツッコミが素敵です。それにしても、『百器徒然袋』シリーズの本島俊夫さんくらい、沼上蓮次さんの名前が覚えられません…。(追記) 文庫版の帯の文句がしょうもないですよね…。表紙も裏表紙も。ノベルス版も読んでいるし、私はどちらかというとノベルスの表紙の方が好きなのでそちらも載せてしまいます。
2006.07.23
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ジャック・ル=ゴフ(池田健二・菅沼潤訳)『中世の身体』(Jacques Le Goff et Nicolas Truong, Une Histoire du Corps Au Moyen Age, Editions, Liana Levi, 2003)~藤原書店、2006年~ フランスの歴史家、中世史の大家であるジャック・ル=ゴフの著作の最新の邦訳書です。表紙に名前はありませんが、文化ジャーナリストのニコラ・トリュオンの協力を得て、ル=ゴフがまとめた著書だそうです。「身体には歴史がある」ということで、本書はタイトル通り、身体を中心に描かれています。結びで、「身体は、ゆるやかな歴史に例証を与え、これを豊かにしてくれる」とル=ゴフは言います。性の歴史も、食の歴史も、医学・病の歴史も、決して目新しいものではないと思いますが、本書はそれらの研究を身体という観点から整理している、といえるでしょう。 さて、本書の目次は以下の通り。ーーーはじめに――出来事としての身体序――身体史の先駆者たち1 四旬節と謝肉祭の闘い――西洋のダイナミズム2 生と死3 身体の文明化4 メタファーとしての身体結び――ゆるやかな歴史ーーー 順番は前後しますが、「序章」は、身体史についての研究史です。ミシュレ、フーコー、アナール学派第一世代であるマルク・ブロックなど、著名な方々の研究が整理されていて、これは興味深かったです。 さて、以下は目次に沿っていきましょう。 「はじめに」で、中世文明のダイナミズムはさまざまな緊張関係に起因しているとして、その中で、魂/身体の緊張関係、あるいは身体自体の内部にある緊張関係が挙げられます。身体は一方では非難され、キリスト教における救済は身体の贖罪を通してえられます。たとえば、食道楽と邪淫は大罪であり、節制と禁欲が大きな美徳とされました。他方で、身体には肯定的な価値も与えられます。13世紀のトマス・アクィナスは、「身体的快楽は人間に欠くことのできない善」と言っているそうです。 この身体そのものの内部にある緊張関係についてさらに深めているのが、1章です。四旬節は、人々が禁欲と悔悛のうちに生きるべき期間であり、謝肉祭ははめをはずせる時期―大食が賛美される時期です。身体の抑圧が四旬節に、身体の解放(抵抗)が、謝肉祭になぞらえられています。 血液などはタブーとされ、邪淫は大罪です。教会がそれらをいかに抑圧したか、ということが紹介されますが、大事なのは、教会の聖職者たちが非難した慣行が実際にあったかどうかではなく、そこから多くうかがえるのは「神学者たちの妄想」だということです。 1章の後半では、労働観、涙、笑い、夢など、ル=ゴフが既に論文を発表しているテーマが紹介されています。といって、私は中世の涙についてはほとんど読んだことがないので、興味深く読みました。中世において、修道士は「涙を流す人」と定義されたのだとか。一方、「笑い」は本来悪魔の側にありましたが、聖書の中では、イエス・キリストが笑ったという記述も、笑わなかったという記述もないこともあって、次第に笑いに対する肯定的な見方が現れてきます。ある研究者は、アッシジのフランチェスコ(フランシスコ会という修道会の創始者)を、「笑う聖人」と言っています。修道士の「笑い」は、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』(私の感想はこちらです。上下巻のうち、上巻の感想ですが)の大きなテーマですね。 さて、2章にいきます。まず、「人生の道のり」という節で、人生の諸時期(人間の一生をいくつかの時期に分ける考え方があります)、性愛、子供、老人についてふれられます。この中だと、老人については、あまり読まないテーマなので、興味深く読みました。中世の平均寿命は長くなく、45歳でも「老人」とされたとか。とまれ、基本的に長生きできるのは健康的な食事のとれる人々、すなわち修道士たちで、「中世の間、老人たちはこの老いた修道士のイメージを享受」(151頁)したといいます。 「病と医」という節では、まず病としてペストとレプラについて言及され、それから中世の医学について言及されます。最後に死者について言及されるのですが、ここではジャン=クロード・シュミットによる幽霊についての研究も紹介されています。 さて、3章。「食道楽と美食」の節に続く、「身体の演出」の節が興味深かったです。裸体は禁じられていたようなイメージをもっていましたが、こちらもやはり肯定的な見方と否定的な見方の緊張関係があったということです。たとえば、先に名前を出したフランチェスコは、もともとは商人だったのですが、裕福な生活を捨てて伝道生活に入る際、裸になっています。「裸のキリストに、裸で従え」という、当時(12世紀から13世紀の変わり目)に無欲と清貧を信じる者たちが掲げていた標語にしたがったのですね。とまれ、ここで興味深かったのは、天国にいる、選ばれた者たちは裸体か着衣か、という問題です。 エダムとエバが禁断の実を食べるまでは、二人は裸でした。禁断の実を食べた結果、「衣服」が生まれるのですから、衣服は原罪の結果ということになります。天国に選ばれた者たちは、原罪がぬぐわれている以上、彼らは裸体である、というのが純粋な神学的解答だそうです。 その後、「身体の諸相」という節で、異形とスポーツ(?)が紹介されますが、中世には厳密な意味でのスポーツはなかった、という指摘が面白かったです。 最後、4章ですね。身体のメタファーということで、頭、手、臓器(心臓、肝臓…)が一般的にもったメタファーがまず紹介され、それから政治的メタファーとしての身体について言及されます。国家は一つの体である、とか、中世にあった三身分論の身体メタファー(祈る者=聖職者は頭、戦う者=世俗権力は腕や手、働く者=農民、庶民たちは足)といった考え方が紹介されます。 冒頭にも少しふれましたが、これはいろんな研究紹介の本です。注はそれなりについていますが、文献の何ページを参考にしたのか書かれていませんし、一次史料の引用も少ないです。だれそれという研究者はこう言っている、という表現が多いですね。 なかなか、専門書関連について一時間かそこらで記事に書こうというのが無茶なので、上での紹介はあいまいなものになってしまいましたが、いつか時間ができれば、少しずつ自分で整理して記事にしてみたいなぁ、と思っています。
2006.07.21
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島田荘司『展望塔の殺人』~光文社文庫、1991年~ 吉敷竹史さんが登場する作品も含む、六編の作品が収められた短編集です。それぞれ、内容紹介と感想を。「緑色の死」私は、緑色に激しい恐怖を感じる。野菜も食べられないほどだった。緑色への恐怖の原因に気づかないでいた私だが、亡くなった父親の友人から連絡を受ける。過去、母親が密室状況で死んでいた事件について、父が遺した手記があるというのだった。 * 数年ぶりの再読ですが、印象に残っている話でした。緑色恐怖の理由も、密室の謎もまったく覚えていませんでしたが。野菜も食べられず、虚弱体質の「私」と、妻が一緒にいる理由は怖いものを感じましたが、二人のなれそめが気になるところです(本編とは関係ありませんが…)「都市の声」火曜日、フランス語会話学校から帰る途中、店に寄り道をした私。すると、その店に、私宛の電話がかかってきた。知らない男からだった。その後、いく先々の店に電話がかかってくる。さらには、路上の公衆電話にさえもかかってきた。毎週火曜日にかかるようになった謎の電話。しかし、私がまっすぐに帰宅すると、電話はかかってこないのだった。年の離れた弟と二人暮らしの私に、電話の男は、弟の無事は自分にかかっていると脅迫する。電話の犯人を弟かと疑うこともあったが、やがて電話は自宅に、弟といるときにもかかるようになる。 * この話も、印象に残っていました。自分が行くあらゆる店に、自分宛の電話がかかってきたり、通りがかった場所の公衆電話が鳴ったりするのは、本当に恐怖でしょう。まだ携帯電話が(ほとんど、という方が正確でしょうか)なかった頃の話ですから公衆電話がメインですが、携帯電話への不審者からの電話よりもある意味では怖いような気もします。自分の居場所を、ずっと見られているわけですから。「発狂する重役」奇妙な事件について知るのが好きな私は、居酒屋で吉敷という刑事と知り合った。吉敷は、最近扱ったという奇妙な事件について話してくれた。ある会社の常務が、ハイヒールをデスクにおき、発狂していたというのだ。仕事はできるが、女好きのその常務が、 20年前に起こした女性への乱暴事件が、その背景にあった。 * この第三話以降は、まったく覚えていなかったので、新鮮な気持ちで読みました。 20年前の乱暴事件を理由に、無理矢理不倫関係を続けさせている女性が、失踪し、それから一年ほど経った後、20年前の姿で女性が現れる-。面白い設定でした。「展望塔の殺人」東京都郊外の展望塔に、二人の婦人客がやってきた。その中にある喫茶店は、セルフサービスが建前だったが、婦人は頼んだココアをテーブルまで持ってくるように頼んだ。周りからの評判もよいバイトの女性がココアを客たちのもとへ運んだ後、バイトの女性は突然婦人の一人をナイフで刺した。明らかに面識がなさそうな婦人を、なぜ彼女が刺したのか。しばらくしてから、事件を担当していた吉敷のもとに、被害者の夫から連絡があった。事件の背景を語っている手記が出てきたという。 * これは面白かったです。ネタにふれる部分もあるので、ご注意を。 昭和53年。受験戦争が白熱し、親たちは、有名大学に入らなければ大人になって飢え死にすると、子供にはげしい勉強を課している時代-だったそうです。小学生の自殺ブームがあったのだそうです。 手記に出てくる少女は、小学校でトップの成績で、教師も彼女の顔色をうかがうところがあるほどです。彼女のクラスで、0点をとった子が三人自殺します。これについて、少女は言います(文字色変えます)。「おばさんたちにとって、子供はいい点数とって、虚栄心を満足させるための道具でしょ?百点をとる子は最高の存在よ。八十点とる子は八十パーセントの存在。(中略)零点とる子はゼロじゃない? 存在しないも同然。死んでるも同然じゃない?」(220頁) 私が小学生の頃は、それほど受験戦争どうこうはありませんでした。隔週週休五日制が導入された頃です(年齢がばれますね)。勉強の内容は、いま思えばほとんど忘れてしまっているのであるいは「無駄」(かぎかっこは便利です)もあったのかもしれませんが、昨今の指導要領改訂での議論を鑑みると、まあちょうどよかったのでは、と思っています。「ゆとり教育」が導入されてからの方が、息苦しそうですね。私が聞いているのはマスコミからうかがえる一部の大人たちの声でしかなく、子供たちがどう感じているかは知りませんが。以前、授業内容が削減されたカリキュラムを経験している方々と話す機会がありましたが、その方々は指導要領改訂に不満を感じていたみたいですが。 とまれ、本作を読んで、そんなことをつらつらと考えました。先に引用した少女の言葉もありますが、親と子供のあり方も考えるところです。最近も、いろんなところで言われているようですが。「死聴率」21時からの連続ドラマの担当になったディレクター。スポンサーをはじめ、多くの人々の期待(そして予想)とは裏腹に、初回の視聴率が20%に届かなかった。そして視聴率は低迷を続ける。打開策として、ディレクターは一つの賭に出る。 * これも面白かったです。視聴率はどうやってはかるのか、という議論は印象に残っていましたけれど、話の流れは全く覚えていなかったので、新鮮な気持ちで読みました。俳優と、その役の境界がなくなっていく描写がよいですね。 ※解説を読んで知ったのですが、実際の出来事をモデルにした作品だそうです。最近も話題になった作品でしたか。私はまったく見ていなかったのですが、聞いたことがあるような、とは思っていました。勉強になりました。「D坂の密室殺人」知恵遅れの少女がすむ隣家に、毎週水曜日、三時間だけ滞在する紳士がいた。私は少女とともに、その紳士に関心をもっていたが、ある日、事件が起こる。紳士が、密室状況で死亡。同じ日に失踪していた少女が、水死体で見つかったのだ。 * これは、残念ながらしょうもない話でした。島田さん、こんなのも書いたんだ…。ラストがはかりかねました。とってつけた文章のような気もするし、逆に事件の内容のしょうもなさとの対比で、シリアスさを出しているのか。少女も婦人も気の毒でなりません。ーーー 全体を通して。私は御手洗さんシリーズが好きなので、他の作品を読むのは新鮮な感じです。最近は特に脳科学の知見を援用した衒学的な作品が目立つ島田さんですが、この頃はそれほど衒学的でもなく、ふつうに読み物として楽しめました。いわゆる「社会派」と形容されるほどメッセージ性のある作品も、「展望塔の殺人」くらいですね。 今日は具合が悪く、最近買った厚めの小説を読む気にもならず、本作を読んで少しのんびりできました。(追記) 読んでいる途中にも感じていましたが、解説にもやはりふれられていたので、一言。この短編集のキーワードは、「都市」です。「都市の声」と「展望塔の殺人」は、特にそれを感じさせます。先に、さほど「社会派」と形容するほどでもない、という趣旨のことを書きましたが、「都市」という視点から考え直すと、メッセージ性が感じられるように思いました。
2006.07.18
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有栖川有栖『乱鴉の島』~新潮社、2006年~ 学年末を終え、疲労していた火村英生に、下宿のばあちゃんが、島にでも行ってリフレッシュしておいで、という。ばあちゃんの下宿の<卒業生>が三重県沖の島にひらいた民宿に行ってはどうか、というのだ。 有栖川とともに、火村は島へ向かう。しかし、船頭の手違いで、別の島へ行ってしまう。黒根島-通称「烏島」である。 ほとんど無人島のそこにある唯一の民家。そこは、英米文学者、作家、詩人である海老原瞬の別荘であった。そこへは、10人ほどの来客があった。全員が海老原の信奉者だというが、有栖川たちには奇妙な集まりに思えた。 島にきてくれる船がつかまらず、そこへ滞在を許してもらう有栖川たち。しかし、島へさらに珍妙な来客があった。日本のポップカルチャーを世界に広めようという若き起業家、初芝が、ヘリコプターで登場するのだ。海老原のもとへきていた藤井医師にお願いがあるというのだった。 海老原のもとにいる人々から非難される初芝。彼が有栖川たちに、人々の集いの理由を知らせるのでは、と、集まっていた人々は危惧していた。そして-。管理人の木崎の姿がみあたらなくなる。初芝が寝泊まりに利用する島の空き家で、その死体が見つかる。 いろんなところにかかれていることですが、久々の火村先生シリーズの長編にして、火村先生シリーズとしては初の孤島ものです。あとがきで有栖川さんも書かれていますが、孤島ものとしては地味な印象です。一人目の被害者が出るのもずいぶん物語が進んでからですし、被害者の数も少ないです(現実的にはよいことなのですが…)。そして、物語の中でもふれられていますが、事件の背景-海老原のもとに集まる人々をつなぐ理由が奇妙です。それだけとさえいえるかもしれません。 面白かったのは初芝さんです。愛称はハッシー。黄金の指をもつオタク、ですよ。彼が紹介するゲームやアニメ・漫画がどんどん流行るので、ギリシア神話に登場する、ふれたものを金に変えるミダス王になぞらえられています。企業吸収により、持ち株会社としての性格が強くなってきた会社社長で、彼への評価は好き嫌いに分かれるそうです。こころなしか、その物腰もH氏を連想させました。というか、有栖川さんも明確に意識しているのでは…。 今回はいつになく作中有栖川さんが感情的になって突っ走っているような印象を受けました。今回は、といって、以前の長編での有栖川さんの態度を覚えていませんが…。 犯人を指摘する場面で、ご多分に漏れず関係者の背景・信条などが語られるわけですが、それをふまえてのラストは感動でした。
2006.07.09
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小路幸也『キサトア』~理論社、2006年~ 読了後、さわやかに泣けた、素敵な物語でした。いつものように内容だけ別に、というようには書きづらいので、まとめてつらつらと書きたいと思います。 物語は、色がわからない少年アーチの一人称で進みます。しかしアーチは、すぐれた芸術作品を作ります。 キサとトアは、アーチの双子の妹。キサは日の出とともに起き、日の入りとともに眠ります。トアは、日の入りとともに起き、日の出とともに眠ります。だから、兄弟三人が会話をかわせる時間は、とてもわずかです。 三人の父親、フウガさんは、<風のエキスパート>。毎年夏になると吹くひどい風<夏向嵐(かこらし)>をしずめるため、町へやってきます。海に面しており、水平線から日の出と日没が見える町。この環境が、キサとトアにもよいのでは、と考えたこともありました。 フウガさんは海にいくつもの風車をたて、それから<夏向嵐>は吹かなくなります。しかし、風車のせいで、漁獲量が減ったという人々がでてきます。そこで、<水のエキスパート>ミズヤさんがやってきます。 フウガさんの家は、簡易宿泊所<カンクジョー>でもあります。フウガさんを慕っていたミズヤさんも、ここに泊まり、三人の子供たち、その友達たちとふれあいます。 アーチたちが去年の夏、町に伝わる伝説を調べるために起こした騒動。森の中に現れる幽霊。これらの情報から、ミズヤさんの調査は進んでいきます。 夏のカーニバルにはアーチの作品のみならず、町のいろいろな作品が展示されますが、そこで盗難事件が起きてしまいます。<カンクジョー>にいた人が、容疑者として追われてしまう事態にもなります。 そして、秋には、二年に一度開かれる<マッチタワーコンクール>が開かれます。年齢制限があるのですが、特別にアーチも参加します。コンクールのあたり、特に素敵でした。 ああ、結局あらすじ風になってしまいました。兄と双子の妹を、町の人々は大切にしてくれます。そして三人も、自分なりに動き、人々に幸せを与える。ラストが、とても素敵でした。 新聞記者は、<Y・S>さんです。小路さんのイニシャルですね。そこにも、ほのぼのしました。*本購入の記事は書きませんでしたが、先日買っていたのでした。 先日小路さんからもうかがっていましたが、本書はふりがなも多く、子供さん向けでもあります。(追記) トラックバック用リンクです。でこぽんさんの記事はこちらです。
2006.07.09
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(記事は7月2日に書いています) 1日の夜、先日家に広告が届いていたので知っていたイベント「世界の絵本展」に行ってきました。近くの町民会館にて。開催期間が2日までで、2日はちょっと都合があわないため、30分ほどしかいられませんでしたが、行ってきました。 場所が場所ですので、規模はそんなでもないのですが、素敵な空間作りだと思いました。メインは、10枚ほど飾られた大きな絵のパネル。それぞれの国の絵本から、物語が一つずつ紹介されるかたちです。パネルには、その一つの物語の文章が書かれていて、背景はその物語をよく示している絵です。 最初のパネルは、タンザニアからのお話でした(流れを書いてしまいますね)。 ゾウの夫婦のもとを訪れたハエの夫婦。ゾウが絨毯(?)を敷いてもてなそうとしますが、ハエは二本の剣(?忘れました…)の方が都合がいいといいます。要は、そこにとまるのですね。ゾウはご飯を準備しますが、おかずがありません。そこで、ゾウの夫が自分の足の一部を焼いて、それをごちそうにしました。 さて、今度は、ハエの夫婦のもとへゾウの夫婦がやってきます。ハエたちは絨毯を用意しようとするのですが、ゾウたちは、ハエたちがしたように、剣(?)の方がよいのかと思い、用意してもらいます。そして、ハエたちがしたように乗ろうとしたのですが、刺さって死んでしまいます。さて、ハエの夫婦は気づかず、ご飯の準備です。ハエの夫は、ゾウの夫がしたように、足を焼いてごちそうしようとしました。ところが、燃えて死んでしまいます。それから、ハエの妻は一匹で飛ぶようになったとか…。 最初のお話がこれですからね。絵も綺麗だし、会場の空間も素敵なのですが、けっこうダメージでした。お、重い…。えてして童話や絵本にはそういう話が多いですが。 紹介されていたのは、このように、案外重たいお話が多かったように思います。 そして、各国の絵本実物も置いてありました。いろんな国から集めたものだなぁ、と思いながら、読める言語の絵本をぱらぱらと読んだだけ…。その場に絵と字があれば、私は字の方を好んで見る傾向があるなぁとあらためて感じました。イギリスの絵本でしたか、いろんな職業を紹介する内容のものがありましたが、これはほのぼのでした。ある程度たくさん取り寄せて、販売するようなかたちにしてくれていたらよかったかな、と思います。なんであれ本が欲しい私…。 *** 帰宅後、子どもを癒す聖人(?)として民衆に崇敬された聖ギヌフォールという犬に関して論じた本が届いていて、これも嬉しかったです。卒業後の楽しみがどんどん増えていきます。
2006.07.01
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島田荘司『溺れる人魚』~原書房、2006年~ 御手洗潔さんシリーズの短編集です。やっぱり島田さんの物語は面白いなぁ、と思いました。最近は脳科学の分野の比重が大きいですが、それはそれで勉強になるし、それをからめる設定もいいなぁと思います。 四つの短編が収録されています。簡単に紹介と感想を。「溺れる人魚」 ジャーナリストのハインリッヒ・フォン・レーンドルフ・シュタインオルトは、リスボンを訪れた。彼は、友人から紹介された血流統御内科の教授ナンシー・フーヴァーから、興味深い話を聞く。1972年のオリンピックで、水泳で驚異的な活躍をみせ、ポルトガルに四枚の金メダルをもたらした伝説のスウィマー、アディーノ・シルバについてである。 貧しい生活から一気に有名になったアディーノはその美貌もあり、映画などにも出演、その中で麻薬にもふれることになる。その頃から、性に対して激しい欲求を示すようになり、傷害事件を起こし、夫を傷つけることもあった。しかし、彼女へのポルトガルの医師の対応により、彼女は廃人同様になっていく。 そして、2001年6月、聖アントニオ祭の夜、彼女は遺書をのこし、拳銃で自殺した。不可解なのは、それと「同時に」、彼女の担当をしていた医師が、アディーノの家から2キロは離れた自宅で、殺されていたのである。弾は、彼女のアパートにあった拳銃のものと一致していた。 * いつものことで、ミステリとしての要素を強調して書きましたが、天才スウィマー、アディーノとその夫(さらにいえば彼女らの娘)の悲劇の物語といえると思います。 自分たちに理解できない言動をする人間を、特別視する。どうしても陥りがちなことですが、それがどれだけある人たちを傷つけてしまうか。たしかにこのお話の場合、アディーノは何人も傷つけてしまっています。しかし、その真の原因をきちんと理解せずにいてよいのか、ということですね。知識がないので深入りしませんが、裁判の際の精神鑑定などとも通じていく問題かと思います。ある意味では、「魔女裁判」は今でもある、ということですね。 本作の中では、御手洗さんは名前がふれられるだけで、活躍はありません。ハインリッヒの一人称ですが、アディーノの生涯や、その夫についてふれるとき、人のセリフを字の文で書いていますし、それを考えているハインリッヒ自身のいまの行動もときどきまざりますから、多少読みずらい感はありました。その点、多少(?)うじうじ感はありますが、石岡さんの文章の方がよいかな、と思ったり。「人魚兵器」 2000年、御手洗潔がまだストックホルム大学にいた頃。彼の研究室で、彼と彼を訪れた人物が日本からヨーロッパに持ち帰られたという「人魚のミイラ」について話をした。その直後、そのミイラの実物を見た青年が、御手洗のもとを訪れる。自分は、頭から尻尾まで、骨がつながっている人魚のようなものの写真を見たことがあるという。その写真は、ベルリンのテンペルホフ空港の地下施設で撮られたものだという。 二次大戦下、ナチスのもとで進められた実験がその背景にあった。御手洗は、現場を訪れ、偶然知りえた当時の関係者に連絡をとる。 * こちらも重い話でした。感想は書きづらいですが、最近の島田さんの作品を連想しました。「耳の光る児」 中央アジアの広範囲の中で、紫外線で耳が光るという子どもがいることが分かった。知られている子どもの数は四人、その地域はばらばらで、子どもたちの母親たちに面識はなかった。ロシア政府の要請で、各地から研究者が集まり、その謎の解明にとりかかる。御手洗も、そのプロジェクトに参加したのだった。しかし、急にロシア政府から研究の中止が要請される。 ロシアや東欧、モンゴルとの関係について、分かりやすく整理されています。世界史を勉強しているときにこの話を読むと、流れが分かりやすいのかな、と思いました。 中世のキリスト教徒が東方にいると信じていた「プレスター・ジョン」についての話が長く紹介されていて、個人的には嬉しかったです。というのも、自分の研究対象である中世のある聖職者も、プレスター・ジョンについて言及しており、その関係でプレスター・ジョンについて少し勉強したからです。細かいところまでは覚えていませんでしたが、典拠までちゃんと挙げられていて、面白かったです。それに論文で読むより、やっぱり物語の方が面白いのは否めません(この記述は本当かな、と思いながら読む姿勢はもつようにしていますが)。 というんで、しばらくは世界史の話だったといえるでしょう。もちろん面白かったです。やはり遺伝子系の話が出てきて、これもやはり勉強になりました。「海と毒薬」 ボーナス・トラックですね。石岡さんから御手洗さんへの手紙です。内容は、石岡さんにある女性から届いた手紙の紹介です。だから、ほとんどは女性からの手紙となっています。 石岡さんが、過去の事件に関係するカフェをまわるのですが、それは女性からの手紙がきっかけでした。女性は、石岡さんの作品を読んで、生きるか死ぬか、犯罪者になるかどうかという頃に、それらのカフェをまわったというのでした。 冒頭で、石岡さんから御手洗さんへの手紙だと分かった途端、ああ、この話でも泣くかな、と思ったのですが、案外そんなでもなかったです。良子さんについてふれられているところでは、涙ぐみそうになりましたが。やはりあの事件について言及がある後日譚として感動するのは、『御手洗潔のメロディ』所収の「さらば、遠い輝き」です。 それから、アンデルセン童話の人魚姫への言及があり、あらためてアンデルセンを読み返したのですが、悲しいですが、綺麗な物語だなぁ、と思いました。本作中で女性が語っているような印象を私もいだきました。 *** 全体をとおして。タイトルもカバーも素敵で、そしてどの作品にも満足でした。ただ、誤植かな、と思うところがあったのが少し残念です。単に読み違いかもしれませんが。それにしても、これはおすすめです(あまり言わないようにしていますが、言ってしまいます)。…ある程度御手洗シリーズを読んでいないと、本書だけ読んでもどうかな、という気もしますが(特に「海と毒薬」は)。
2006.07.01
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