職場に中国人の女性がいる。
休憩でふたりきりになったので、日中問題に少し触れる。
尖閣諸島沖漁船衝突事件以来、中国での反日運動が喧伝され、彼女の心にも陰がかかっているのではないかと心配したからだ。
彼女自体は日本が大好きで、たゆまぬ努力で異国の社会に解け込んでいる。
尊敬できる中国人の一人だ。
あれは、中国国内の勢力争いと、格差問題のはけ口になっているだけで、一時的なものであり、将来的には日本と中国はもっと親密に仲良くなっていくはずだ、と言うようなことを話した。
「僕が子どもの頃は、韓国と仲良くなれるなんて考えられなかった」
といった時、彼女の目が丸くなった。
「えっ、今はあんなに仲良しなのに?」
彼女は韓流ドラマが好きで、よくその話題で盛り上がっているのを聞いたことがある。
日本人は韓国が好きなのだと思っていただろう。
日本人の若い世代も、日韓が反目していたことを実感してないと思う。
職場に団塊の世代で国士舘高校出身の方がいて、よく朝鮮高校との喧嘩の話が出る。
沢尻エリカが出演していた、井筒和幸監督『パッチギ』(京都の府立高校と朝鮮高校の対立が背景になっている)を地でいくようなことをしていた。
あれはフィクションではなく、歴史的事実なのだ。
子どもは親の鏡であり、親世代の日韓の敵対心がああいう抗争を招いていた。
戦後の日本人の精神が折れてしまい、混乱の中、跋扈する三国人(朝鮮・台湾・中国人に対する軽蔑語。戦後闇市場を不法支配していた)を厭悪していた。
僕の兄も団塊の世代で、朝鮮人を蔑む歌をよく歌っていた。
小学・中学校のクラスにも在日韓国朝鮮の子どもがいて、学年が上がるにつれ深い溝が生まれていった。
子どもの頃は仲良く遊んでいたのに、次第に在日同士がつるむようになり、中三の時には不良グループに変貌し、学校で恐怖を振りまくようになった。
民族差別の他にも貧困差別もあり、部落問題とかいろいろ、差別と言う人間の心の負の部分があからさまな、未熟な社会だった。
僕としてもそんな環境だったせいで、よく考えもせず韓国を嫌っていた。
高校3年のとき、「金大中事件」が起きた。
後に大統領になる金大中という民主主義活動家の政治家が、東京のホテルでKCIA(韓国中央情報部)に拉致軟禁され本国へ連れ去られると言う事件だ。
このとき連れ去られた船の上で海上に錘をつけて捨てられそうになったのを、未然に防いだのは日本の自衛隊だったことはあまり知られていない。
僕は訳もわからないくせに、"主権侵害"とか言って、韓国政府を批判し、怒っていたのを覚えている。
政治的思想に触れ、傾斜していくきっかけだった。
国家主権などというとナショナリズムが燃え上がり、感情を何かにぶつけたい世代には興奮する材料となる。
中国の若者がデモをしたくなる心情はわかる。
金大中事件自体は、日韓双方の政府と暗黒社会との絡みもあり、うやむやに消えていった。
後に金大中が韓国大統領になり、このことに発言するも、いろいろ掘り返すとまずいことがあったようで、日本では忘れたことにしてしまった。
個人的在日朝鮮人に対する嫌悪感と、韓国政治の独裁性に反発、総じて韓国嫌いになっていた僕が、認識を改めることになるきっかけとなったのはサッカーだった。
日韓共催ワールドカップではない。
その8年前、1994年アメリカ大会のアジア予選決勝ラウンドでのことだ。
それまでの日本のサッカーはまるで弱く、ワールドカップ出場など夢のまた夢であった。
それが前年にプロサッカー・Jリーグが生まれたことで、大いに盛り上がると共に、マスコミの取り上げ方も変わり、もしかしたらという機運も高まっていた。
そして、予選終盤に訪れた宿敵韓国戦。
当時韓国はワールドカップ3回出場経験を持つ実力国で、日韓の実力差はプロとアマチュアレベルほどあった。
しかし、この時はカズとラモスと言う二人のブラジル仕込みのスターが活躍し、奇跡的に1-0の勝利を収め、グループ首位に立ち、ワールドカップ悲願の初出場へ王手を掛けることとなる。
日本は大騒ぎだった。
日韓反目の背景もあり、宿敵韓国を破ったことで舞い上がっていた。
一方、反対に韓国は3位に落ち(2位までが進出)、出場が厳しくなった。
韓国代表は日本に負けたことで、国内から罵倒の声を浴びせられる。
そんな中、一人の韓国代表選手が日本チームのロッカールームに訪れた。
「おめでとう」を言いにきたのだ。
Jリーグ・サンフレッチェ広島に在籍していたノ・ジュンユンだった。
ノは韓国大学サッカーのスター選手だったが、卒業後に韓国リーグのKリーグを選ばず、生まれたばかりのJリーグに入団した。
いまではJリーグに多くの韓国人選手が所属しているが、当時の日韓感情から非常にまれな選択だった。
彼の本当の意図は知るよしもないが、彼の果たした日韓の橋渡しの功績は限りなく大きい。
彼の存在がなければ日韓の歩みよりはもっと時間がかかっただろうし、日韓共催のワールドカップの成功もおぼつかなかったかもしれない。
彼は韓国国内の感情を知りつつも、スポーツマンとして仲間である日本人に祝福を述べにきた。
当然本国では裏切り者と蔑まれ、敗戦の責任を着せられてしまう羽目になってしまう。
そうまでして、彼が伝えたかったメッセージに僕は感動したのだ。
僕はこの「おめでとう」のひとことが、僕の中の韓国に対する偏見に、大きなひびがはいって砕けていく様を実感した。
アメリカ大会自体は、この次のイラク戦を『ドーハの悲劇』と呼ばれる、ロスタイムの最後のプレーで引き分けになったことで、日本の初出場は果たせなかった。
代わりに韓国が出場することになるが、実力差から当然の結果ともいえる。
そして僕は、ノ・ジュンユンの一言から、韓国に対し恨みがましい思いもなくなったし、アメリカ大会で韓国をアジアの代表として応援することもできた。
それは、それまでの韓国に対する感情を考えれば、ありえないことだった。
アメリカ大会後韓国のスター選手が次々Jリーグにやってくる。
ホン・ミョンボ、ファン・ソンホン、ユ・サンチョル・・・それぞれ素晴らしい選手であり人格も備えた人物だった。
彼らの直接の目的は金銭的なことだったかもしれないが、本当に嫌っている国だったら来ないだろう。
案外韓国人は日本人を嫌っていないことが、徐々に解ってきた。
向こうが嫌っていないと解ると、こっちも嫌いではなくなる。
その下地があってこそ2002年日韓共催ワールドカップにつながり、両国の交流が一気に広がり、そして2003年『冬のソナタ』の爆発が生まれ、韓流ブームが現在も続いている。
ノ・ジュンユンはその後もJリーグで活躍していたが、心無いサポーターの野次に傷つき
日本を去っていった。
どの国にもバカはいて、一部のバカがしでかしたことが大きな波紋に広がってしまうことがある。
反日デモも中国の一部のバカの仕業だと信じたい。
蛇足ながら韓国映画についても映画評論家として少に述べると、2000年に『シュリ』を見たときにはビックリした。
ハリウッド並みに非常にレベルが高く、映像、脚本、役者、演出すべてがすぐれていた。
完全に日本映画は抜かれたと感じた。
さらに2003年『猟奇的な彼女』を見て、10年の差がついたと思った。
映画はトータルなものなので、この差は当分埋まらないと思う。
なぜこの差が生まれたかというと、「映画は文化」の号令のもと、政府が公的資金の援助を惜しまなかったことが大きい。
専門の学校にも多く援助が行われ、多くの才能を輩出している。
映画・テレビ共にトータルな底上げが成功し、よい作品を輩出できるようなしくみが出来上がった。
よい映画を作れる国は、信頼できる国であると世界に認められる。
黒澤明や溝口健二によって日本映画が認められ、日本の高度成長に繋がった過去をみれば歴然である。
翻って現在の日本は、北野武とアニメが辛くも頑張っているだけである。
麻生太郎の"アニメの殿堂"構想は、案外よかったかもしれない。
そんなこんなの日韓の雪解けと同じことが日中で始まっている。
韓国の場合とは違うこともあるだろうが(中国は戦争をした相手であり、韓国は仲間であった)、基本はお互いが歩み寄り、お互いをもっと知ることだと思う。
現在、都心部では中国人の人口シェアは10パーセントにも及ぶ。
もはや選択の余地はないのだ。
お互いの良いところを学び、尊敬しあっていかなければならない。
中国だけでなく、ベトナムやインドネシア、タイ、フィリピン・・・みんな仲間として暮らしていける道筋を作らなくてはいけない。
それを踏まえて現在の問題を考える事が重要で、当然TPP(環太平洋パートナーシップ協定・自由貿易協定)も加盟する必要があると思う。
明治維新で幕藩体制が崩れ、日本と言う一つの国が生まれたように、いずれ国の境も取りはずされ“地球人の国”が生まれることとなろう、100年か200年先には。
そのことを考えれば、尖閣諸島がどっちの物かなんてちっちゃな問題だ。
地球はみんなのものぜよ。
みんなにこにこ笑うて、仲よう暮せるような世界にならんといけんぞな。
『許されざる者』 その2 2013年11月15日
『許されざる者』 2013年11月08日
あけましておめでとうございます 駄歌凡… 2011年01月01日 コメント(2)
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