【5 月】
20 )長嶋茂雄氏と松井秀樹氏に国民栄誉賞
国民栄誉賞は時の政権の人気取り政策です(実際に人気取りになっているかどうかは疑問ですが)。
王貞治が第1回国民栄誉賞を受賞(1977年)してから、人気の双璧をなしていた長嶋茂雄はなかなか受賞のきっかけがありませんでした。
王貞治には本塁打世界記録と言う数字があったのですが、長嶋は他を圧倒するような数字を残せませんでした。
それでも派手さ明るさを持つ長嶋は、TVの普及と共に国民的スポーツに巨大化したプロ野球にとって、絶対的に必要なシンボルでした。
読売巨人軍の躍進と、日本の高度成長は重なり合ったものでした。
王長嶋の活躍は、敗戦のどん底から立ち上がるための、若き世代を後押しする役割を果たしていました。
一方松井は成長を遂げた日本の集大成であり、日本人メジャーリーガーとしてはパイオニアではないのですが、日本の巨人軍とアメリカのヤンキースという二大人気チームで4番をまかせられたということと、ワールドシリーズ(世界一決定戦、といってもアメリカのチームだけのことですが)でMVPを受賞したということが、比類ない実績でした。
松井秀樹に国民栄誉賞を授与するタイミングで、師匠である長嶋茂雄にも忘れ物を取り戻しすように授与することが出来ました。
21 )維新・橋下共同代表の「慰安婦」発言
いわゆる「従軍慰安婦」については、男女差や、どんなプロパガンダで知識を得たかによって、多少意見が違ってきます。
僕は、橋下徹の言動は、品がなかったり過激だったりはしますが、そんなに間違ってはいないと思います。
問題となった「慰安婦」発言は次の通り。
「銃弾の飛び交う場で命かけて走っていく時に、猛者集団、精神的に高ぶる集団をやっぱりどこかで休息じゃないけど、そういうことをさせてあげようと思ったら、慰安婦制度、必要なのは分かるわけです」
「歴史をひもといたら、いろんな戦争で、勝った側が負けた側をレイプするだのなんだのっていうのは、山ほどある。そういうのを抑えていくためには、一定の慰安婦みたいな制度が必要だったのも厳然たる事実だ」
「(慰安婦制度は)朝鮮戦争の時もあった」
「日本国が、韓国とかいろんなところの宣伝の効果があって、レイプ国家だと見られてしまっている。ここが一番問題。証拠が出てくれば認めなきゃいけないが、今のところ2007年の(第1次安倍内閣の)閣議決定ではそういう証拠がないとなっている」
女性が聞いたら嫌悪感を抱くかもしれませんが、「慰安婦」=「売春婦」というものは有史以前から全世界に存在したもので、現在も世界中に存在します。
なぜなのかと言うと、「売春」は「職業」だからです。
問題となっている「慰安婦」も、当時の大卒初任給の10倍の稼ぎがありました。
その金で実家に仕送りをしたり、貯金で悠々自適の生活を送った人も多くいます。
日本の遊郭制度はしっかりしていたので、職業として認められていたものですが(他に女性の仕事が少なかったこともあり)、韓国の妓生(キーセン)はそれこそ性奴隷の扱いで、訴えているのは韓国業者に騙された人たちです。
今回橋下と面談を要請してドタキャンした慰安婦・金福童は、発言の内容から年時を計算すると朝鮮戦争時代なので、日本軍とは関係ないのです。
それなのにアメリカのグレンデール市の「従軍慰安婦像」除幕式に出席して日本批判をしていたりします。
橋下との面談をドタキャンしたのは、そこを突っ込まれるとまずいと気がついたからでしょう。
慰安婦像問題について、アメリカ人歴史家のマックス・フォン・シュラー小林さんが、グレンデール市に抗議の手紙を書きました。
これが韓国慰安婦の真実です。
22 )原子力規制委が敦賀原発に活断層と断定
日本最古の商用炉の原発「敦賀原子力発電所」の施設内に活断層(最近まで地殻運動を繰り返していて、今後も活動しそうな断層)が、少なくとも160本あることが調査の結果判明しました。
最古と言うのはいつかというと、1970年、大阪万博にあわせて開業されました。
もともと40年で廃炉にするということが決まっていたので、活断層があろうとなかろうと、とっくに廃炉にされなければならないものでした。
廃炉の工程に入ると、莫大な予算が必要になり、原発の電力が安いという話が消し飛んでしまい、嘘を広めていた推進派が責任を問われるため、ぐずぐず延長をしていました。
ここに至るまでも、数々の事故の隠蔽が暴露され、不信感を増幅させてきましたが、国民の目が覚めた今となっては、さすがに覚悟を決めてもらいたいものです。
23 )日経平均株価が1 万5600 円台を回復
昔、僕も株に興味を持っていたことがありました。
大金持ちになることが、人生の成功者になることだと信じていましたから。
事業を起こして成功することを基本的には目指していましたが、株式投資で資金を作ることも計画していました。
その時勤めていた会社で、複数の責任者をこなし、休みなしに働き続けていましたが、それも独立した時の予行演習のつもりで、安月給もまったく気にせず、毎日が勉強のつもりで頑張っていました。
それでもようやく300万円ぐらい資本ができ、いよいよ株式投資を始めようとしたその時、「投資ジャーナル事件」が起きました(1985年)。
投資コンサルタントによる投資詐欺なのですが、詐欺の宣伝に使っていた「投資ジャーナル」という雑誌は、僕の参考書だったのです。
この雑誌で投資のノウハウを学び、まさに会員登録して特別な情報を買おうとしていた矢先の出来事でした。
ということは、僕は損をする直前で助かったわけですが、この事件によって株式投資がトラウマになりました。
すると頭がおかしくなって、せっかくお金を溜めたんだから、結婚でもするかと、その時近くにいた女性と結婚してしまいました。
そしてご存知の通り(?)、展望なき決断の後始末に終われる人生を歩むことになりました。
24 )三浦雄一郎さんがエベレスト登頂に成功
プロスキーヤーで登山家の三浦雄一郎さんが、80歳で三度目のエベレスト登頂に成功し、ギネス記録を更新しました。
僕の子供の頃は、三浦雄一郎といえば冒険スキーヤーで、富士山で直滑降を成功させ(1966年34歳)、パラシュートで止まる写真が有名でした。
その前は、時速172.048キロの世界記録を樹立しました(1964年32歳)。
エベレストの8000メートル地点でスキーをする映画『The Man Who Skied Down Everest(エベレストを滑った男)』で、アカデミー賞記録映画部門賞もありました(1970年38歳)。
その後、世界七大陸最高峰からの滑降を成功させました(1986年54歳)。
ただ、その後目標を失い、不摂生な生活を続けるうちに、メタボ体型になり高血圧(200)・不整脈になるなど、不健康な身体になってしまいました。
それで、目標を持って身体作りを始めようと決心したのが65歳の時でした。
その目標と言うのが「エベレストのてっぺんに立つ」というのでしたから、常人にはほとんど妄想ですね。
足に重りをつけ(徐々に増やして最終的には片足10キロ)、重りを入れたリュックを背負い(同25キロ)、毎日ひたすら歩いてトレーニングを続けました。
そして2003年70歳でエベレスト登頂に成功するのです(当時世界最高齢)。
その後不整脈で心臓の手術を受け、75歳で再びエベレスト登頂に成功。
翌年、骨盤と大たい骨の付け根を骨折する全治6ヶ月の大怪我をして、医師から「運がよければ歩けるようになる」と言われたのですが、そこから3度目のエベレストを目指すのでした。
この成功の後、また心臓の手術をしたのですが、今度は85歳でエベレスト登頂を目指すといっていますから、肉体と精神の究極形態なのではないでしょうか。
ということで、僕も近々老境に足を踏み入れるにあたり、目標を持って励まなければ堕落の一途になるだろうことを感じております。
一日一日を幸せに過ごすというのが僕のポリシーですが、それにもエッセンスが必要です。
毎日がワクワクするような『夢』の設定が充実感を生み、同時に若さを保つ秘訣になるはずです。
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