2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全31件 (31件中 1-31件目)
1

息切れするなー(笑)今日はとばっちりで3時間半残業になってへとへとなので一回休み。 俺を作った40枚、今半分を過ぎたところだけど、結構当初の予定と変わってきてる。XTCやレネゲイズ、ゴダイゴあたりは構想にはなかったし、逆に予定はしてたけど落ちてるのがロジャー・ダルトリーやロバート・プラントのソロなど。思い入れは凄く強くても「俺を作った」かどうかで微妙だったから、ってのが理由。それでも流れで言うと22枚目がVitaminの予定だったから、意外に予定通りに時代を追っていると言えそうだ。 本当は音楽に絞って話を進めるつもりだったけど、予定より遙かに周辺の情報が出てきてしまったのは誤算。でも、自分の変な記憶力には驚いたな。思い入れの強い、大事なレコードはいつどこでかったのか良く覚えている。 例えば、今回は書かなかったけど、QuoのHello!なんか、レコード屋で見つけた時点ではお金を持って無くて、急いで自転車で家に帰って金を持って、すぐに飛び出してレコード屋に戻って、片道20分ちょっと。とにかく買わなきゃ!っていう。どうしても欲しい!ってね。ダイクマの中古コーナーでカンボジア難民救済コンサートのLP見つけたときとか、横浜のオンステージヤマノでウェラー先生復帰シングルInto Tomorrow見つけたときとか。蘇るもんね。 ネットで買うようになってからはそういうのは無いのだろうな。20年後に「このアルバムはあの時Amazonで・・・」なんて、語るとは思えないな。仕事から帰ったら届いてた、なんて想い出にもならない。 明日もちょっと忙しいし、土曜ももしかしたら違うこと書くかも知れないから次回は日曜かな?土曜の午前かも。
2011.03.31
コメント(1)

全然90年代から抜け出せる気配が無いんだけど、でも「俺を作った」と言えるような要素って考えてみれば20代前半くらいまでで出揃っていて当然だと思う。30過ぎると流石に、良くも悪くも自己が完成してしまう。 そんなワケでまだエレクトロ。 なんたって一時はロックを、ドラムをやめようと思ったくらいテクノには思い入れたわけで、とにかくこの分野は衝撃だった。そして、ビートUKや、シスコ、ヴァージンの店頭で出会った以外に俺にこの分野の扉を、しかもかなり大きく開いたアーティストがいる。 電気グルーヴは最初、テレビ神奈川かなんかでライヴ映像を見て興味を持った。多分UFOの頃で、曲はモンキーに警告。卓球の「センチメンタル・ゴリライモ・タイム!」のコールから始まったのが忘れられない。瀧はゴリライモのTシャツ(「ゴ」ってヤツ)を着ていた。勿論その頃の認識は、と言うかその頃の電気自体が完全に「おもしろテクノラップ」だったわけで、俺もそういうバンドとして興味を持った。最初に買ったのはカラテカ。そこから初期のアルバムに遡って、その馬鹿ラップをおもしろがって聴いていた。 そんな頃にFlash Papa Mentholeが出る。1stをその頃の最新サウンドでリメイクしたもので、俺も最初は更にハイパーになって、歌詞も一部変わって、まあ単にパワーアップしただけ、と言う認識で聴いていた。でも、ここではじめて「サウンドが格好いい」という認識が現れる。歌詞は馬鹿なままだが明らかにシリアスな「音楽」として作られている。それは理解、と言うより、徐々に俺の中に浸透していたんだと思う。 そして決定打、このVitaminのリリースとなるわけだ。Happy Birthdayの「おめでとう自分」というフレーズをおもしろ歌詞として理解しよう、と思った記憶がある。だがそれは明らかに違った。おもしろ歌詞に最も近いと思われるニセモノフーリガンや富士山でさえ、面白いと言うよりは単にアッパーだったり、むしろスピリチュアル(!)だったりする面さえあるのだ。 しかも、俺はそれに失望しなかった。明らかに新しい音楽世界が開けている、そんな興奮が。「面白くなくてもいい電気」そんな下地が「メンソール」によって作られていたことに気付くのはもう少し先だ。 その新しい世界はアルバム後半にもっと明確な形で示されていた。まりんのStingrayから始まる後半4曲(ラストのボーナス曲、N.O.を除く)は全てインスト曲であり、歌詞もラップも一切登場しない。瀧の叫びさえない。まりんと卓球の紡ぎ出す、もはやストイックとさえ言えるサウンド世界。後のソロ世界に通じるStingray、キャッチーなPopcorn、ひたすらアッパーかつ荘厳に盛り上げていく「303の奇跡」こと新幹線、そして最高のチル・アウトSnow and Dove。事実上この一連の流れで一曲、と解釈してもいいのではないかと思う。それだけ完璧だ。 この頃からラジオでも最新のテクノを紹介しまくり、ソニーから「電気グルーヴのテクノ専門学校」なるコンピレーションをリリースし(Vol.2は最高!)、野田努と組んでワープやR&Sの国内リリースを推進したりして、俺も当時買いまくった。勿論ハードフロアやエイフェックス・ツインはここで知った。そういう意味でもこの頃の電気は、俺を導く存在だったと言えると思うな。
2011.03.30
コメント(0)

ロージズと並んでこの時代で避けて通ることが不可能な名盤、と言えばコレ。あともう一枚は言うまでもなくマイブラのLovelessだが、正直「俺を作った」とまでは言えないのでここで紹介するに留める。勿論「聴くor Die」なアルバムであることは言うまでもなさ過ぎて病気になりそうな程だが。 さて、コレをいつどこで知っていつ買ったのか、というのは実は良く覚えていない。リリースと同時ではなかったような気がする。それに、アルバム以前にLoadedやCome Togetherを聴いていたわけではなかったことも覚えている。微妙なのはDon't Fight It, Feel It。どうもこの曲を切っ掛けにプライマルにはまったような気がしているのだけど。 口笛とベース。この二つのトランシーなサウンドにノックアウトされた。7分に及ぶ曲なんだけど、この20年でこの曲を長いと感じたことは一度もない。むしろ7インチヴァージョンが短すぎると感じるくらいだ。更に言えば「Ramma Ramma Fa Fa Fa・・・」で始まる(勿論MC5の引用!)シングルヴァージョンはあまり好きではない。俺にとって大事なのは最初から飛び出す口笛とベース。 それにやっぱり誰がなんと言おうと90年代最高に美しい曲であるHigher Than the Sun。この曲を聴かずに90年代を通過したというのは音楽的に言えば死んでいたと言っても過言ではないわけで、これまた俺はアルバム後半に入っていたDub Symphony Of Two Partsの方が好き。まず何が大事だって俺に「ダビーなサウンド」そして「ジャー・ウォブルのベース」という認識を与えたこと。 このアルバムの凄いところは、これらの曲に代表されるハウス/テクノ/ダブ的なサウンドと、Movin' On UpやDamagedの様なアーシーなサウンドの曲が、アンドリュー・ウェザーオールとジミー・ミラーが、一切の違和感を感じさせずに一つの流れとして、ロックンロール=ダンスミュージックとして同居している、というコト。13th Floor ElevatorsのSlip Inside This Houseのカヴァーも60年代的サイケデリアを完璧に90年代に(その名の通り)「スリップ」させている。まさに、1st→2nd Summer of Loveの橋渡しだ。 何が残念だって、この文章を20周年ヴァージョン聴きながら書けないところだ・・・店ではもう売ってるのに。Amazon何やってやがんだ。
2011.03.29
コメント(0)

やらんでもいい余計なことやって体力を著しく消耗した。一回休み。 ことの始まりは去年の鎌倉行きの時。友人Nが参加を希望したのは彼が新しくクロスバイクを買ったため。ソレを見た俺は簡単に影響を受けた。「よし、俺も来年は買うぞ」その時に宣言したのが記憶に新しい。 そういうものを買う良い言い訳として「自分に誕生日プレゼント」という言葉がある。思えば去年、PEN Liteを買ったのもその言い訳だった。それにその時「来年は」と言ったのはPENを買ってしまったが故に今年はもう無理だ、と言う意味であり、要するに何をグダグダ書いてるかと言えば、間もなくその時期が来る、という話である。 そう、昨日横浜で出会ってしまったのだ。ソレに。 と、書くと既に買ってしまったのかと思われるだろうがそうではない。まだ買ってない。でも、買う決意はした。そこで買わなかったのは店が遠くて乗って帰れない、と言うだけの理由である。近場で同じモデルを探そうと思ってるのだけど、果たしてあるかどうか・・・。最悪の場合横浜に買いに行くようだと思っている。それだけの覚悟はある。それだけ惚れ込んだのだ。 勿論値段は決して安くないけど、俺はもうすっかりその気だ。誰も止められねえのだ。
2011.03.28
コメント(2)

やっぱりこの辺、90年から93年くらいの比率が高くなるのはどうすることも出来ない。多分「音楽を聴く」という行為に一番貪欲だった時代じゃないかな。今の方が沢山聴いてるけど、濃度は明らかにあの頃の方が高い。 テクノおよびその周辺についてもう少し。 この頃の俺は、フジテレビの深夜に放送していたBeat UKを見て、翌週学校の帰り新宿で最新のシングルを買って帰る、というコトを繰り返していた。基本はヴァージン・メガストア。Beat UKはこの店と連動していたから、放送された曲は手に入りやすかった。あとはアルタにあったシスコ。渋谷のシスコにはあまり行かなかったんじゃないかな。新宿シスコの方が少しマニアックなのが手に入った。特にダンス系は。シェイメンの12インチとか良く買った記憶がある。 Beat UKで知ったテクノ系のアーティストはEMFやシェイメン、ユタ・セインツ、Alten 8、2Unlimited、Bizzare Inc.、Human Resourse、Moby、Oceanicなどなど、とにかく色々聴いたし、今挙げた連中は相当好きで、特にシェイメンやAltern 8、それから以前から聴いてはいたけど集め始めたのはこの時期の808 Stateやプロディジーなんかは相当一生懸命追いかけた。 でもやっぱり、凄かったのはKLF。 はったりの利かせ方がもう桁違いだった。他の連中は、まあ変なことやっててもそれなりにストイックというか。真面目に音楽演ってる感じだったけど、KLFはとりあえずインパクト与えといて、でもって良く聴くと音楽的にも凄い、っていう。 最初のヒット、What Time Is Love?の時はまだ「ん?」という程度だったんだけど、3AM Eternal、Last Train to Trancentralとリリースを重ねるに従ってその「ん?」が大きくなる。なんだこいつら、と。ちなみにこの3曲は「スタジアム・ハウス3部作」なる大仰なタイトルが付いていたのだけどソレにもまた納得の。 そして俺が最初に「ガツン!」と来てしまったのがJustified and Ancientだった。カントリー歌手のタミー・ワイネットをシンガーに迎え、バックのリフにヘンドリクスのVoodoo Chile(のイントロ)を引用、というサウンド面もさることながら、ワイネット(ムーの女王!?)を中心に、ムー帝国の神殿でラッパーと神官と動物の頭蓋骨を着けたギタリストが踊り狂う、という文章で書いても一切意味不明のPVのインパクトたるや。コレを見てシングルを買いに行かない、なんて無神経な行為は不可能だった。 次のシングルAmerica What Time Is Love?はグレン・ヒューズがヴォーカルで、リフにモーターヘッドのAce Of Spades、更にAge of Aquariusからの引用フレーズという、前作を踏襲しつつもはったり度を更に増したスタイル。PVも荒海を航海する船(ムーから新大陸アメリカに向かう船だ!)の上でヒューズが波と雨に打たれながらシャウトするという壮絶なもの。 Last Train to TrancentralのPVでもパーカを着てシタールを持った二人の男がヘッドバンギングするという壮絶な姿が見れたが、KLFはとにかく、こういう「キャッチーなインパクト」には非常に長けていた。しかも前述の通り、曲も凄く覚えやすくて踊れて、はったりだけかと思ってるうちに癖になっている、と言うなかなかの罠っぷり。 若い頃にこういうのに触れてしまうと、変な影響を受けてどうにもコンセプト先行の活動になってしまう。センムズはそれで失敗したともいえるし、それ以後もだいぶこういう部分を引きずってしまったけど、それでもやっぱり今でも俺にとっては大事な存在だったし、そうだな、リアルタイムでのインパクトって意味ではやっぱり俺にとってのセックス・ピストルズだったかもね。
2011.03.27
コメント(0)

多分最初に聴いたのは従弟のテープに入っていたMove Mountains。でも俺にとって決定的だったのはアルバムDoubtと、シングルのInternational Blight Young Thing。 音楽学校時代の仲間と組んだバンド、センシティヴ・センムズはリーダーの「専務」脱退に伴い自然消滅しかかっていた。が、ギターのKが連れてきた、彼の旧友をヴォーカルに迎えて再始動したのがSIN Creationである。バンド名はEcho Back Terror→EB Noijectionなどを経て、俺とKの案を合体させたSIN Creationに決定した。 このバンドを始動させるときに、サウンドのひな形になったのがジーザス・ジョーンズだった。大雑把に言えば彼らのエピゴーネンだった、と言ってしまってもいいかもしれない。ただ、ヴォーカルのJが持ち込んだセンスが適度にずれていたからそこに留まらず、それなりにオリジナリティのあるバンドになっていたと思っている。 後に「デジロック」なるムーブメントが登場したとき「そんなの、要するにジーザス・ジョーンズじゃん」と思ったのだけど、要するにそういう音だ。多分、根っこはパンクなんだけど、ポップなメロディ(但し引き出しは少ない)と、サウンドの味付けとしての打ち込みやサンプリングのバランスが凄く良くて、先駆者だったポップ・ウィル・イート・イットセルフや後輩格に当たるがそのサウンドを嫌々やっていたというEMFよりも、コンセプトとしては成功していたと思う。アメリカではEMFの方が売れちゃったんだけどね(笑)。 そのバランスが頂点に達したのがこの2ndアルバム。ビートルズのBirthdayを引用したようなドラムから始まるInternational Blight Young Thingのキャッチーさにはもういきなりやられた。そうだ、コレも大貫憲章がかけてたんじゃないかな。シングルのReal Real RealやWho? Where? Why?、そして最大のヒットになったソフトなRight Here Right Now。どれも凄くポップで、しかもダンサブル。 アルバムトラックも(稚拙な)テクノジャズといった味わいのWelcome Back VictoriaやパンキッシュなTrust Me、そしてスピリチュアルなBlissed(ライヴでは必ずエンディングだった)など、全曲の粒が揃っていて、何度聴いても飽きなかった。 SIN Creationのメンバー揃ってライヴを見に行ったこともあった。3rdアルバムの時のツアーで、このアルバムはテクノサウンドに偏っていてバランス的にはイマイチ(特に今聴くと)なんだけど、当時は「ジーザスが凄いことやってる」と興奮したと思う。ライヴは思ったよりパンクだったけど(笑)。 うん、やっぱ20代の頃一番影響受けたバンドなんじゃないかな。
2011.03.26
コメント(0)

偽浪人生生活を終えた俺は、音楽学校へ通うことにした。非常に小規模で、学校法人でさえない学校だったがここで得たものは大きい。ドラムをほぼ一から鍛え直したのは勿論、やはりここで出会った仲間達も俺にとって、その後長きにわたって重要な存在になっていく。 ただ、居心地が悪い面もあった。周囲の連中は、はじめこそ多彩な趣味を持っていたのだけど、ミュージシャンとしてテクニックを磨くにつれ、やはりテクニカルな音楽主体になっていく。メタル好きだった奴らがどんどんフュージョンやジャズの話ばかりする様になっていくのはなんとなく、気持ち悪かった。今考えれば決して悪くはないのだけど、なんか俺は反発したくなっていた。 気がつくと周囲には似たような嗜好の音楽性を持つ連中が集まる。テクニックよりコンセプト、テクノロジーを愛する仲間だ。彼らと共にYMOや、80年代のニューウェーヴなどを聴きまくる日々。「嫌いなミュージシャンは?」「ディープ・パープルとエリック・クラプトン」これもまた、所詮は中二病である。 そんな頃に、なんとなく手に入れたのがこのコンピレーションだった。XLは今ではレディオヘッドやベック、ホワイト・ストライプスなども在籍する(した)総合的なレーベルだが、当時はテクノの代表的なレーベルだった。しかもここで謳われたキャッチフレーズは「ハードコア・テクノ」である。そりゃあもう、衝撃だった。 YMOをテクノだと思っていた俺たちには「ハードコア」の攻撃的なサウンドは凄く新しかった。収録されていたのはプロディジー、SL2、T99、ホーリー・ノイズ、プラガ・カーン、キュービック22など・・・鋭角的なドラムのビートに歪んだ(勿論TB-303も多用されていた!)ベース。しかもキャッチーな上物フレーズやヴォイスサンプル。聴いて良し踊って良し。とにかく俺は思ったね。「テクニックなんか磨いてる場合じゃねえ、打ち込みだ」 ともかく、俺にとって本格的なテクノ・ミュージックへの入り口はここだった。この後。電気グルーヴを経由してもっとディープな世界へ足を踏み入れるが、まあソレはまた次回以降・・・
2011.03.25
コメント(0)

さて、そろそろこのアルバムに出会ってもいい頃だと思わないか? あれだけロッキン・オンが推していて、リリース当時に知らずにいられるわけもなく。89年の段階ではまず記事として、名前だけ知った。当時ガンズン・ロージズに夢中な高校生は馬鹿なので「名前からしてストーンズとガンズに影響受けたようなロックンロールバンドに違いない。きっと格好良いぞ」と思っていた。あのルックス見てどうしてそう思ったのかは知らないが。 ある日、テレビ神奈川のミュージック・トマト・ワールドを見た。水曜日は伊藤政則が横浜そごうの地下から生放送でVJをやっていて、当時自分がヘヴィメタル好きだと思い込んでいた俺はこの番組をよく見て、「なんでメタル好きなのにあんまり楽しくないんだろうな」などと、死ぬほど頭の悪そうなことを考えていたのだが。馬鹿なのはやむを得ない。 水曜日はそういう形式なのだけど、たまに政則が休むと代理として大貫憲章がVJを担当していた。ところが、大貫は正則目当ての客層に全く配慮することなく自分好みの、当時の最新UKシーンの楽曲を流しまくっていたのだ。勿論俺も、気付けば大貫が代理で出る回を楽しみにするようになっていた。当然だ。こっちの方が遙かにセンスいいんだから。 さて「ある日」に戻ろうか。そのある日、大貫がこのバンドを紹介した。聴いてみたかった俺は即座に反応、ビデオをセットしたね。そこでプレイされたのがShe Bangs The Drums。 「おおっ!・・・?」 勘違いした頭の悪い高校生なので仕方あるまい。想像していたストーンズ風のR&Rは影も形もなく、そのサウンドはむしろビートルズの系統。そして淡い画像と呼応するようなベールのかかったような音像。俺が期待していた音とは違ったこと、そしてソレは俺が今まで聴いたことの無いようなサウンドだったこと。正直、コレをすぐに受け入れたとは言えなかった。だから俺は89年にはロージズのアルバムを買うことはなかった。 しかし、大貫はその後もI Wanna Be AdoredやFools Goldを番組でかけた。どちらもすぐにはピンと来なかったが、ビデオに撮って繰り返し見るうちに、いつの間にか俺の内側にすっかり入り込んでいたのだ。 結局、アルバムを買ったのは多分翌年の後半くらいだったと思う。多分中古で、アメリカ盤を手に入れたんじゃないかな。 「おおっ!・・・!!」 遂に来た。アルバムを通して聴いたら遂に来た。US盤はUKオリジナルに2曲が追加されたヴァージョンで、ロージズ側の意向とは違った曲順ではあったが、重要なのは俺がこの13曲を聴いた、という事実だ。 勿論、Made Of StoneやA Am The Resurrection、Sugar Spun Sister、Bye Bye Badmanなど、アルバム全曲の素晴らしさをここで一気に語ってしまってもいいのだけど、やはりどうしても言っておかなければならないのは、本来ここに収まっていないはずの曲のことだ。 そう、このUS盤にはあの永遠のアンセム、Fools Goldも含まれていたのだ。しかも大貫がテレビでかけたエディットヴァージョンの倍近い長さ、9分53秒の恍惚の時。あなたの命は残り9分53秒です、といわれたら多分この曲を聴くだろう。 いや、いくらなんでもソレは多分嘘だろう。
2011.03.24
コメント(0)

今日から仕事再開。いざ始まってみればだるいもんだ。 再開するって知ってれば、ってワケでもないが。昨日は昼から停電で、家で「電気も止まってるしやることないし本でも読んで寝ようかな」と思っていたら急に職場の友人から電話。連絡網が来る相手でもないので何だろ、と思ったら「D♂kaさんどうせヒマでしょ?今みんなでカラオケやってるから来ない?」と来た。 なんだソレは、と思ったし、俺は基本的にカラオケというのがあまり好きじゃなくて、だってアレって演奏がこっちのテンションに合わせてくれないしサウンドの質凄く悪いし・・・。 行くことにした。二つ返事で。 カラオケが嫌いというのは少しだけ嘘で、基本的に歌うのは好きだし、だけどバンドでは俺の歌はクォリティ的にとても使えるレベルじゃないし。そういう気分の解消には悪くないかもなあ、と言う一面もありつつ、しかしカラオケの最大の欠点は「かっこわるい」というコトで・・・。 などと言い訳はさっき考えたことで。 カラオケ云々以上に、ヒマ云々以上に、正直なところ奴らに会いたかったんだな。実際、仲間には岩手出身の奴もいて(身内は無事だったそう)彼らの気持ちを(勝手に)心配してる部分があって、要するに彼らの元気な姿を見ることで自分の気分の解消にさせて貰おう、と、要するに弱気なのは俺の方なのだがソレはやむを得まい。安心したかったんだよ。日曜の呑みと同じだな。どれだけ弱気なんだ俺は。 翌日から仕事だなんて思ってなかったし。無いって連絡昼にあったし。 幸いみんな元気で、元気というかまあ、折角なので仕込んでいった俺のパーカッション類(玉子マラカス、クラヴェス、ボンゴ+店にあったタンバリン)で子供のようにはしゃいじゃってたから元気なんだろう。良かった。俺も楽しんだしね。雨の中自転車で40分かけて行った甲斐はあったと思うよ。 で、夜みんなで飯喰ってたら「訂正、明日仕事です」の連絡網。
2011.03.23
コメント(0)

B級シュルレアリスム、について考察してみる。 ダリやマグリット、ミロあたりをZep、パープル、サバスあたりと考えると、エルンストがユーライア・ヒープかパイあたりになるんだろうか。キリコは位置づけ的にクリーム?知名度今一だけど、って意味でタンギーはQuoとかね。 マッソンやブローネルを「B級」って言い切ったのはどうか、って思ったんだけど、B級って言っても多分位置づけ的にはアトミック・ルースターとかスプーキー・トゥースってあたりなんじゃないか、って思ったんだよね。 アンドレ・ブルトンをジミ・ヘンドリクス扱いしてしまうのはどうか、とも思ったが別にジミはハードロック宣言したわけじゃないしなぁ。 むしろ作風の感じからプログレに当てはめた方がいいかもしれない。 エルンストがクリムゾン、マグリットがイエス、ダリがEL&P、ミロがフロイド、とか言うとソレっぽくないか。この4人を「四大シュルレアリスト」扱いしていいのか知らないが。タンギーをどうしてもこの付近に置きたい俺は彼をジェネシスととして位置づけする。そーするとキリコは当然アート・ロックってコトになって丁度いいところにプロコル・ハルムあたりの名前が空いているのだ。 プログレはB級まで詳しくない。そーいやスプーキー・トゥースの前身バンドは「アート」だったな。
2011.03.22
コメント(1)

さて、六本木からしばらく歩いて国会議事堂前から千代田線に乗り、新御茶ノ水で楽器屋を冷やかし、ってーかやっぱり楽器見るのはいいね。後の予定さえなければ買っちゃう、ってレベルのシンバルが一枚あったのはちょっとアレだが・・・まあ、逆言えば「後の予定があるなら買わない」ってレベルだからいいんだけど・・・。 えーと、そう、15時に鎌倉で待ち合わせをしていたのだ。Ko-Ryuと相談し、先週の練習を中止にしたとき俺が「気晴らししたいから呑もうぜ」と誘った。奴が鎌倉でいつか呑みたいって言ってたのを覚えてたしね。で、昨日は丁度停電もしないというので鎌倉で呑むことにしたのだ。どうも俺が「気晴らし」と言ったのを奴は「また失恋でもしたのか」とか拡大解釈してたみたいだけど・・・(笑) 店は17:30開店なので、それまで少し鎌倉観光をする。観光って程じゃないか。実は俺、鶴ッ八には一度も行ったことがなかったので今回初体験。空いているのは地震の影響か時間が若干遅めのせいか。散歩がてらに神社中心で幾つか回っていると、だいたい17時。本屋で少し潰して、ほぼ開店同時にお店へ。 昼はベジタリアンフードの店、というコトで最初はつまみが野菜しかなかったのだけど、とりあえずソレで始める。Ko-Ryuがもう一人の友人を呼んでくれたので、そいつが来るまでは軽いつまみで。ってーかそういうのしかなかったのだけど。なんか常連率が高い感じで、どうも小心者の俺には序盤微妙に居心地悪い、と言うか慣れない(笑)。バーっぽいトコって行かないしさぁ。 友人Oが合流して、ピザとかホウボウの煮付けとか色々料理も頼んで、ぐだぐだと色々話すことで俺の一週間の不安定な気分は大幅に解消された。「別に失恋とかでなくて心細かったんだよ」と平気な面で言い放つ豪快な繊細ぶりがニューD♂kaさんのウリである。結局店に四時間ほどいたのかな。料理が安くって、美味くって。ホウボウの煮付け500円は驚いたなぁ。3人で大喜び。 かくして俺の日常は回復された、と思ってるのだが、今日は雨で全然家出てないし、明日も仕事復帰できないしなあ・・・週末また誰か遊んでくれ。
2011.03.21
コメント(0)

力尽くで日常を取り戻してきた、の巻。 ウェブサイトを見たらこの三連休は開館している、とあったので六本木まで行って来た。勿論、国立新美術館、シュルレアリスム展である。 路線検索も何も電車の時間は当然一個も当てにならないので目分量で出かけたらほぼぴったり10時に到着。俺なかなかのナイスっぷり。六本木という土地は初めてであり、立場上「立派なお上りさん」を演じる必要があったので館内の写真を撮ったりしつつ、会場へ。休日だけど、こういう状況だしな、と思って行ったら案の定さほど込んでいない。空いてる、と言っていいレベルだろうな。先に行っていた(平日)職場の同僚が「日本だと印象派以外は込まないよ」と言っていたが、どっちなんだろうな? ある程度の情報は先に持っていたのだけど、今回始めてみるアーティストの作品も数多く、なかなか興味深い。多かったのはアンドレ・マッソンとヴィクトル・ブローネル。どちらも殆ど知らない画家だったが、まあ、正直凄く感銘を受けるという感じではなかった。同時に、ミロ、ダリ、エルンスト、タンギー、マグリットらの所謂「ビッグネーム」は、やはりその名声に価する作品を描いてるんだな、と実感。やっぱり、惹き込まれ感とか違うんだよな。 ちなみに前述の同僚は「中二病っぽい絵がいっぱいあった」と言っていたが、ソレって多分、ブローネルの作品について言ってんじゃないかな。まさしく、そういう感じ。あと一時期のキリコのエピゴーネンぶりには、むしろ笑いが。 そう、キリコが二点あったのも嬉しかったなぁ。キリコはシュルレアリスム以前の人だけど、やっぱり影響を与えたという意味では重要だし。去年の諸橋近代美術館でも一点見てるから、これで三つだ。なんか嬉しい。 いつも思うのは、俺も自分の写真にこういう世界観を求めてる部分がある(全然思ったように撮れてないけど)ってのと、あとやっぱり、ヒプノシスはシュルレアリスムの影響受けてるなぁ、って当たり前だけど、っての。地平線とか水平線の好きさ加減、遠近法の感じとか。俺ももう少しセンス磨かなくちゃなぁ。 美術館を出て、実は担々麺を食おうと思って店を調べていたのだけど実はもう無くなっていたりとか、腹立ち紛れに入った店の担々麺が中途半端でがっかりとか、都心で停電もしねえくせに電池買ってる奴馬鹿じゃねえの、とか、まあ色々むかつきつつ気付けばお茶の水。何となく楽器を眺め、時間を調整して今度は鎌倉に・・・ってトコで、長くなったしテーマも違うから「続く!」ってコトで(笑)。
2011.03.20
コメント(2)

次は当然ポール・・・とはしないのよ。ストーンズの話で代表させて貰います。 90年、俺は浪人という名の遊び人、ある意味で正しく浪人(笑)していた。実際にはこの1年の大半は、音楽を演っていたと思う。浪人も、この年の活動も、両方とも実を結ばなかったけど、なんとなく重要な1年だったことは間違いない。 従弟の家は厚木の山の方だ。今ではだいぶ家が増えた気がするけど、当時は周囲には殆ど家がなかった。しかも、彼のうちは当時同じ敷地内にお祖父さん夫婦の家と従弟一家の家が建っていたのだけど、丁度その頃お祖父さんの家を建て増して同居するようになっていた。結果、なんと「家が一軒丸ごと空いている」という状態だったのだ。 そこで、俺と従弟は俺のドラムセットをその家に持ち込み、そこでバンドをやり始めた。二階の一室を「スタジオ魚」と名付け(理由は、まああるんだけど)、結局俺はその一年、ずっとそこに入り浸っていた。 そこで丁度その頃従弟が気に入ってた音楽(主に布袋寅泰のラジオ番組の影響だった)を一緒に聴いたり、演奏したり。この頃知った音楽は彼に教えて貰ったものとロッキン・オンで採り上げられていたものに集約されるんじゃないかな。 懸命に聴いたのは主に80年代のパンクやニューウェーヴ。XTC、エルヴィス・コステロ、スクィーズ、ダムド、イアン・デューリー、ギャング・オブ・フォー、チューブウェイ・アーミー、エコバニ、プリテンダーズ等々・・・ やっぱり、影響というか、存在感があったのはXTC。新譜として買って、思い入れが強いのはNonsvchだけどコレのリリースはもう少し後。この頃はまだ旧譜を聴いていた。従弟はOranges and LemonsやBlack Seaを持っていたけど俺が最初に買ったのはDrums and Wires。ジャケが良かったのかな。コレとOranges~でしょ、見た目キャッチーなのは。俺、XTCにそういうものを求めてるらしい、ってのは今気付いて、Mummerが一番最後だからね、買った順番。派手なジャケから買ってる。Big Expressも後。当時紙ジャケが出てればねえ(笑)。 既に大好きだったGenerals and MajorsやSergent Rockなんかと比べても、Drums~は非常にポップでキャッチだった。もう一気に気に入ったな。とにかくMaking Plans For Nigelの素晴らしいこと!ポップでキャッチーでクールでキュートでしょ(信用できない文体)。しかも演奏してみると凄く難しいという。当時のドラマーも結構変態だったからねえ。 あと好きだったのはHelicopter。「ごーへり!」って馬鹿っぽさが「キューバ」にも通じて。Limelightの変さも良かったし、Life Begins at the Hopは今でもうっかり口ずさみ率の高い曲だし。 とにかくここから得た「変なことを演りたい!」という気持ちはその2年後の活動に繋がっていく。その頃にはもっと変なもの一杯聴いてたけど。
2011.03.19
コメント(4)

1989年というのも、ある意味で重要な年だった。この年、英国ではJesus JonesやStone Rosesの1stがリリースされているが、俺がちゃんと聴くのはもう少し後の話。この年は正直、大物に夢中だった。 勿論、ストーンズとポールだ。 どちらも翌年初来日を果たし、俺はストーンズ3回、ポール1回見に行った。今にして思えば2回ずつにしておけば良かった、とも思うけど。チケット入手にも苦労したな。ポールはBCCに入ってる友人が取ってくれたけど、ストーンズは電話かけまくったり、挙げ句に本厚木のチケットぴあに徹夜で並んだり。懐かしいけどね、そういう行為自体。今ではネットで取れちゃうからね。 当時はDirty WorkやUndercoverの出来が悪いというコトになっていたかし、キースとミックの不仲で事実上の解散状態と思われていたから、ストーンズ側もその辺を意識的にセールスポイントとして「キースとミックの仲の回復」をいろんな形で見せつけてくれた。Mixed Emotionsのビデオで二人が一つのマイクに向かうシーンや、曲作りのために先行して二人でスタジオ入りしたという話題、そしてブライアンまで話題に絡めたContinental Driftなど。 実際、Steel Wheelsは充分期待に応えたアルバムだったと思う。俺はコレ以降のどのアルバムより好きだ。名盤の名に恥じない出来だと思う。ただ、当時日本では「来日」というおまけのせいで、ファン以外にも無駄に売れてしまった。ソレで中古屋投げ売りアイテムになってしまったのは不幸だったと思う。 とにかくMixed~やSad Sad Sadの「ストーンズ節」にはしびれたし、Terrifyingのファンキーさ、Break the Spellのスピード感など、今でも聴くと興奮する曲は沢山ある。でもその中でも、特別なのがAlmost Hear You Sigh、そしてRock and Hard Placeだ。ミックのバラード(作者はキースとスティーヴ・ジョーダン)最後の名唱と言える前者、そして充分ストーンズクラシックの一つになり得る後者(実際、以降のステージでも時折登場する)。リリース当時から大好きで、ライヴでも最高に盛り上がったけど(俺はね)、時が経つにつれてどんどん好きになる。 そういえば、3回中1回は当時ワリと仲間内で人気のあった女の子と一緒に見に行ったんだ。セットリストに合わせたテープ作ってあげてさ。でも、俺はストーンズに興奮しすぎて食事もせずにかえって来ちゃったんだぜ・・・ってのもまたいい想い出であろう!(いや、別に惚れてたって程ではなかったんですけどね)
2011.03.18
コメント(2)

まだ半分に達してないけど40枚で収まるか不安になってきたなぁ。俺まだ二十歳になってないんだぜ。 スティーヴ・ホワイトって人は俺のドラミングに、多分最も影響を与えた人だと思う。ホワイティのスタイルを基本に、リンゴとボンゾのグルーヴを目指し、キース・ムーンのフレーズをひとつまみ振りかけた、と言うのが俺のスタイルの土台だ。どこまで近づけているかと言えばかなり心許ないと言わざるを得ない面はあるけど。 吹奏楽部でパーカッションパートを演る人というのは、特にドラマーとしての影響元などを持っていない場合が多い。変な話、彼らにとって「影響を受けたドラマー」は彼らの先輩であって、従って彼らが叩けるフレーズには限りがある。譜面に添って演奏したものか、それこそ先輩に教えて貰ったフレーズに偏ってくるのだ。多いのは16分音符で単純にタムを上から下に流すパターンなど。 ところが、俺たち(当時の高校の打楽器パートのメンバー)は違った。俺は勿論のこと、後輩(むしろ友人であり、後輩と呼ぶのには違和感がある)のTTはスクエアやYMOが好きで、その辺からのいただきと思えるパターンを叩いていたし、友人TN(昨日のサックスTとも別人。Tばっかりでややこしい)。はドラム自体初体験のところに周囲がコレで、しかも彼は彼で独自の音楽趣味を持っていたし、更に左利きというコトで独特のプレイをしていた。つまり俺たちは「吹奏楽らしくないプレイをするドラマー達」と思われていたのだ。 ホワイティのフレーズを最初に意識したのは高校の頃。あるときCome to Milton Keynesのイントロのフレーズに気付き、コレを吹奏楽のなかで生かせないか、とまでは考えずにつまり「このフレーズかっこいいから真似しよう」と思って無闇に叩き始めた。ハイハットを絡めたフレーズなんか叩く奴は周囲に一人もいなかったし、そもそもアドリブを入れる奴さえ少なかったのだからそりゃあ個性的に聞こえるだろう。例えもらい物のフレーズでも、知らない人にはオリジナルだ。 後輩TTも「それいいね」とばかりに「ハイハットの小技」を取り入れ始めた。俺はHomebreakerやInternationalistsも参考にその手のフレーズをどんどん使っていった。ただ如何せん、当時のセンスでは演っていた吹奏楽の楽曲に溶け込ませられていたかは大いに疑問だけど・・・。 そういうコト以外にもこのアルバムは俺にとって凄く大事な作品だし、ポール・ウェラー全キャリアを通しても一番好きなアルバムだと思うけど、ドラマーとしての俺の「目覚め」に近い部分は、ここが原点なんじゃないかな。 ホワイティからの影響はその後(彼のスタイルの変化に伴う部分を含め)も続いていく。その辺は、またウェラーのソロ作も紹介するからその時にでも・・・。
2011.03.17
コメント(0)

なんかこういう状況でこんな半生記の出来損ないみたいの書いてるとちょっとアレだけど別に俺なんか一個も死ぬような目にさえ遭ってないし。昨日の揺れは怖かったけど。ここで40枚、その後30枚くらいは、有るんじゃないかな、きっとね。 18の頃に飛ぼうかな、と思ったけど一つ思い出した。ジャズだ。 吹奏楽部って奴はよくジャズの出来損ないを演奏する。ジャズの曲を魂抜いてやる、って言うか(笑)。それでもガキの頃の俺たちには充分楽しかった。主に選曲されるのはスウィングジャズ。まあ、モダンジャズは無理だよな。フリーとかね。フリー吹奏楽とか見たい気もするけどね。ベニー・グッドマンとか、グレン・ミラーとか。演ってて楽しかったのはSing Sing Singだけど、流石に難しくて演奏会では出来なかった。凄く残念だけど、俺自身叩きこなせていなかったしね。 サックス吹きだった友人Tは、スウィングジャズが大好きだった。こいつと良く一緒に聴いたのが、ちょうどこの頃、TSCから一時離脱していたスティーヴ・ホワイトが始めたジャズバンド、ジャズ・レネゲイズだ。 雑誌で知ったのかな?ホワイティがジャズバンドを演ると聞いて、早速CDを手に入れた。藤沢で買ったような朧気な記憶があるけどよく解らない。アルバムの半数ちょっとがモダンジャズのスタンダードのカヴァーで、あとがオリジナル。 勿論スウィングではないんだけど、本格的なモダンジャズの長時間のアドリブなどはなく、全ての曲が3~4分程度の、コンパクトな演奏だったので俺たちのようなジャズ初心者にはとても楽に聴けて、しかもホワイティも、サックスのアラン・バーンズもそれなりに名手だったからクォリティも充分。長いアドリブは嫌いと公言していたTも、コレを聴かせたらすぐ気に入った。ふたりで良く真似事をしていたな。 結局ここからすぐにモダンジャズに嵌ったわけではないんだけど、数年経ってから「ジャズを聴いてみよう」と思ったときにレネゲイズの原曲を探るところから始めたのは本当。ハンク・モブレーやアート・ブレイキー、キャノンボール・アダレイ、チャーリー・パーカー、そしてマイルス。そういった「巨人達」への道を開いた小さな入り口。それから、間接的ではあるけど後にアシッドジャズへの興味に至る道でもあった、というコトも重要。誰も知らない一枚のアルバムだけど、俺には凄く重要な一枚なんだよ。
2011.03.16
コメント(0)

高校時代に良く聴いたレコード、というかテープかな。沢山あるんだけど、思い入れが強いのはRobert Plant / Now and Zen, Roger Daltrey / Under a Raging Moon, Jimmy Page / Outrider, Keith Richards / Talk is Cheap, Guns and Roses / Appetite for Destruction、なんてあたりが思い出される。殆どがレンタルか、友達にテープにとって貰ったものだったと思う。 やっぱり高校生にはレコードは高くて、そうしょっちゅうは買ってなかった。CDプレイヤーは持っていた(祖父からの入学祝い)けど、まだアナログしか出ないものもあったし、CD化されてない旧譜も多かった。ZepとかCD出てたんだっけなぁ。確か4枚目とCoda以外はアナログで買った記憶がある。 そんな時に出たジョージの新譜、Cloud NineはCDで買った。日本盤はアナログ出たのか、記憶がないんだけど、Got My Mind Set On YouとWhen We Was Fabのシングルはアナログで買ったから、出てたのかな。 とにかく、Set On YouはベストヒットUSAやソニーミュージックTVで良く流れて、当時はジョージ(当然吹き替え)のバク宙がやたら話題になった。曲もカヴァーだったけど、キャッチーで凄く楽しかったし、アルバムを楽しみに待ってたんじゃないかな。うん、シングル先に買ってたはずだけど。でもB面のLay His Headをあんまり一生懸命聴いた記憶がないんだ。地味だったからかな? アルバムは、全然地味じゃなかった。重ためのタイトル曲には一瞬驚いたけどすぐに好きになったし、とにかくポップな曲が多くて良かったな。Wreck of the Hesperusとか前述のFabとか、Fish on the Sandとか。勿論例によってJust for TodayやSomeplace Elseにはまるのはだいぶ後である。でもはまらなかっただけで、基本的には最初から全曲好きだったな。 そんななかでも一番好きだったのはDevil's Radio。キャッチーな上に、なんかTaxmanみたいな悪気のある、ってーか所謂皮肉の効いた歌詞。うわぁ~、ジョージだぁ!って感じで。好きなだけじゃなくて嬉しいんだこの曲は。来日公演(感動!見て良かった)で演ったのは本当に嬉しかったなぁ。 少し話は変わる。というか最初に戻る感じなんだけど。 トラベリング・ウィルベリーズのVolume 1は、リリースは勿論コレより後だけど、あえてアナログで買ったんだ。なんか「アナログで聴きたい!」って音楽だったじゃん。あの頃はまだそういう買い方してたんだよな。コレクションとしてアナログ「も」買うっていう傾向は、決して良くはないよね・・・。
2011.03.15
コメント(0)

さて・・・あ、もう高校時代に入ってたんだっけ。まあ日本最大の危機にこんなもん吹っ飛んで当たり前だけどねぇ。来年コレ読み返して「いやぁ、あそこから良く立ち直ったねえ」って思いたいねぇ。 高校時代に聴き始めた音楽、って言えばやっぱりZepは最重要の一つだろうな。確か最初は、4枚目までの代表曲がおざなりに収録された駅売りの千円ベストから入ったんじゃないかな。多分Good Times Bad Timesあたりから始まって、Stairway to Heavenまでしか入っていない、ってな感じの。 その後、確か誕生日に母に無理言って、ニュージーランドのアトランティックが出してたシングルボックスを買って貰ったんだ。その頃には多分初期のアルバムは数枚持ってたけど、ある意味ベスト盤として欲しかったのかな。それとも俺としては初期の「レアアイテム」への目覚めか・・・。 でも俺が本当にレッド・ゼペリンに目覚めたのはやっぱり、アトランティックレコードの40周年コンサートだ。ジェイスン・ボーナムを迎えての再結成ステージ。演奏されたのは、そう、いきなりKashmir。 この時はサウンドに問題を抱えてて、ジョンジーのキーボードがちゃんと出てなかったりとかしたんだけど、この8分以上に及ぶ壮大な曲に、俺はStairway to Heaven以上の感動を覚えたんだ。 で、早速Physical Graffitiを買いに走ったんだ。コレも覚えてるぞ。茅ヶ崎の新星堂で買ったはず。確かどこかの高校の吹奏楽の演奏家なんか聴きにいったときについでに買ったんじゃないかな。茅ヶ崎市民文化会館のロビーあたりでLPを抱えて、友達と興奮気味に話してた記憶があるんだ。 最初は1枚目ばかり聴いていた。Kashmirも最高だったけど、俺が特にハマったのがThe Rover。あのドラムのイントロは今でも「うっかり叩いてしまう」フレーズの一つだ。それからCustard Pieも好きだったな。2枚目の方はNight FlightとかBoogie with Stuみたいなシンプルな曲が好きだった。Ten Years GoneやSick Againの凄さに気付くのはまだだいぶ時間がかかる。In My Time of Dyingが最初から好きだったのは不思議なんだけど。
2011.03.14
コメント(0)

さて、通常営業・・・と言いつつも「生誕40周年」に戻るには多少リハビリも必要なので。 やっぱあのおじさんのキャラ的にも、「熱い男」で有るが故に前向きっぽいタイトルの曲は非常に多くて、今回Twitterでも幾つかYouTubeの映像を紹介したんだけども、まあ実際こういう時こそ熱くて前向きでパワフルな曲を!って気分には実にぴったり。 何度か書いたけど(多分また書くけど)俺が人生で最初に出会った「聴くと元気が出る曲」がウェラーのFrom the Floorboards Upで、今回も最初の大揺れの直後を含め数回聴いた。この曲は特に(今回的な意味で)前向きなタイトルじゃないけど、Come On / Let's GoとかHere's The Good Newsとか、って3曲ともAs Is Nowの曲だ。やっぱそういうアルバムなんだよなぁ。行方不明者の無事を確認なんてニュースこそまさしくさ、Here's Good Newsですよ。 あと気分的には(カヴァーだけど)Wishing on the Starとかもね、Here's The Good NewsをWishing on the Star、って気分じゃん?それこそこのブログのタイトル、Into Tomorrowとかさ。Wake Up the Nationもね。Twitter見てた人たちはThat's Spiritual Feelingを感じてなかったかい? そういうワケで、まあそんな流れもあるんで来週あたりStrange MuseumでAll the Pictures on the Wallでも見てこようかな、なんて思ってるんでるんですが?
2011.03.13
コメント(0)
もう何を読んでも見ても聴いても泣きそうだ。俺は弱い。だけど目を背けるにはあまりにも他人事じゃない。偽善でもいいや、と思いつつ募金をした。偽善でもいいや、と思いつつ献血に行ったらたまたま昨朝使った気管支拡張剤のおかげで出来なかった。偽善でも役立たずでもいいや、と思いつつTwitterで情報を広める手伝いをした。気持ちを収めたくて仕方がない。色々やってるのは全部俺のためだ。被災者の為じゃない。彼らの命より自分の気持ちを救いたいんだってコトに気付いてしまった。俺は偽善者だ。せいいっぱいの偽善を続けたいと思う。悪にはなりたくない。 せめてヤフーの情報がまとまってるページのリンクを張っておこう。 あとNHKのU-Stream。俺の部屋にはテレビがないからこれでニュース見てる。 深夜の追記:明日からは通常営業にします。無理にでも!
2011.03.12
コメント(5)

今日このタイトルでブログを書く人は凄く多いだろうな、と思いつつ。 とにかく、神経をすり減らした。自分がこれだけ脆いとは思ってなかった。もの凄く動揺したし、今もなんか気分が悪い。3時以降基本的に何もしてないのに、帰宅したらへとへとだった。気が抜けたら脱力感で倒れそうになった。なんて弱いんだ俺の神経。でも、自分の弱さが解ったのは教訓になるな。 ウチの職場には何人か東北出身の奴がいて、しかもいつも仲良くしている仲間に二人岩手の奴がいて、勿論実家に身内がいたりするわけで、そういうのもだし、同じ仲間内の子が東北に住んでる友達に連絡が付かず安否を気にしていたり、そういう奴の心中を気にしながら俺に何が言えるんだ、何が出来るんだ、と思いつつも周囲の奴が半ばお祭り気分で(いや、俺もだったかも知れない)笑ってたりするのがまたその友人達の気持ち考えるとどうなんだ、とか思いながらも俺も不謹慎なギャグが思い浮かんでしまったり、挙げ句に情報収集のつもりで見たTwitterでデマを流す糞野郎に遭遇し要らぬ神経をすり減らし、もはや精神力は全て使い果たした。 この辺は無事だろうな、と思ったので、回線の消耗を避けるためあえて家への連絡は止めたのだが、元気とはいえ老人所帯の自宅が心配じゃないわけもなく、それに俺の部屋のCDラックが倒壊し3000枚が床にばらまかれている状況が予想されたので、出来るだけ早く帰ろうするのだがやはり帰れない連中には申し訳ない気分だし、でも精神力も限界だし。 幸か不幸か、俺の部屋で最大の被害は見事に3分割されたQuoのDVD、Inside Status Quo。殆ど見ない奴だし。 ラックの最上段だったボックスセット類は全て落下していたけど、勿論その程度のことはどうでもいい。俺は帰宅も出来たし電気も通っている。幸運だ。関東圏でも酷い目に遭っている人はたくさんいるし、ましてや東北では。職場の仲間の友人の安否は結局聞けずじまいで帰ってしまった。人ごとなのが申し訳ない気分だったり、そういうコトを言うのも申し訳ないって言うか、要するにあんまり脳みその整理が出来ない状況なんだな。当たり前か。 ごめん、こんなコトやってる場合じゃないことは解ってんだよ。でも、なんか落ちつかねえし・・・
2011.03.11
コメント(6)

高校時代には既に聴いてたのは間違いないけど、どのタイミングでストーンズに出会ったのかが今一朧気になっている。でも入り口がどこだったかは間違いない。何度か書いているけど、映画Let's Spend The Night Togetherだ。テレビで深夜やってた奴を録画してみたんだ。しかもコマーシャルが入らない番組だったんだよね。あのテンポのいい映画をちゃんとフルで通して見れたのは幸運だった。 だから俺にとってストーンズはロニーが入ってからなのだ。ロニーとキースのラフなコンビネーションにマイペースなチャーリーとワイマンのリズムセクション。その上で自由自在に踊りまくるミック。カラフルな色彩とダーティーでラフなロックンロールのミスマッチ。それがローリング・ストーンズだった。 最初に買ったレコードは何だったか、ソレも微妙だ。多分Sticky FingersのCDかアナログのA Rolling Stone Gathers No Moss(日本編集の2枚組レアトラック集)、じゃなかったらこのTattoo Youだと思う。 映画になったツアーはTattoo Youのアルバムをサポートするもので、このアルバムからの曲が多く含まれている。入り口にはもってこいだ。キースのLittle T&Aがとにかくお気に入り。子供の頃は「しばれるろけんろ~」とか歌ってたな(正しくは勿論She's my little rock and roll)。それにBlack Limousine、Hang Fireとか・・・やっぱり映画にも含まれてたアップテンポなR&Rナンバーが最初のお気に入り。例によってアルバム後半(アナログ時代のB面)の良さに気付くのはだいぶ経ってからだ。今じゃTopsとかHeavenとか大好きだもんね。 いつものパターンで、じゃあコレの何が「俺を作った」かなんだけど、だってコレ、ストーンズだぜ。ストーンズはストーンズ。作るも作らないもここを通らずにどこに進むのか、ってさ。ここがメインストリートだぜ。ならず者だけどな。
2011.03.10
コメント(0)

茅ヶ崎の高校に通うようになって、当たり前だけど茅ヶ崎によく行くようになって、そうすると茅ヶ崎駅前にはダイクマのレコード店とか先述の中古店ゴールドディスクとかそのすぐそばのチガサキミュージックとか南口のチヤマとか貸しレコ屋のリズムボックスとか色々あったので音楽に触れる機会も多くなる。 友人も、ディープ・パープルを教えてくれたN滝とか、パンクやハードロック聴いてたN上とか、スウィングジャズが好きなTとか、そして今でも一緒にバンドを組んでしまっている某ヴォーカリストとか、そういう連中と知り合い、影響を受け、レコードを借りたり彼らの家で聴いたり、そうやって俺の世界は広がっていく。 話は幼少時に遡る。俺が小さな頃、日本テレビでやっていた「西遊記」お馴染み、夏目雅子、堺正章、岸部シロー、西田敏行のアレだ。勿論主題歌はMonkey Magic。そしてガンダーラ。ご幼少の俺は全く解らない英語の歌詞を出鱈目に歌っていた。英語なのに大好きだった。モンキーズは歌のコーナーは「英語の歌で解らないから」といって見ていなかったのに、Monkey Magicは大好きだった。 高校に入る頃になると俺の中二病は悪化の一途をたどり、当時流行っていたボウイやブルーハーツなどを馬鹿にしつつ「洋楽しか認めない」という非常に恥ずかしい、しかしロックへの目覚めが洋楽だった子供が通りがちな時期を送っていた。 そんな時期に、高校で同じクラスだった奴が「ゴダイゴが好きだ」という。「洋楽かぶれ」だった俺だが、やはり幼少時に好きだった歌、と言う事実は曲げられず、懐かしさもあって「ソレは聴いてみたい」と思う。そして彼の家で聴いたゴダイゴの格好良さ。だが悲しいことにゴダイゴの曲は(ヒット曲以外)英語だった。中二病の子供に言い訳を与えてしまったのである。「ゴダイゴは英語で歌ってるから洋楽に近い。だからいいのだ」まったく、100億年前の内田裕也より恥ずかしい。 まあ、そういったことの大半は実は既に書いたんだけど(笑)。うん、Dead Endは衝撃だった。ゴダイゴってバンドのイメージが全然変わったもん。まさかこんなに格好良くて、こんなにロックだなんて。 まあ、そういった事情で「俺の邦楽への目覚め」とはとても言えない。でもここでゴダイゴを聴いていなかったら、俺の「音楽全体への偏見」ってもっと酷かったんじゃないかな。おかげで今では「洋楽、邦楽」という区別の仕方をしないようになることが出来た。感謝、すべきなんだろうな。まあ、3月9日はサンキューの日、とか抜かしやがって馬鹿じゃねえの!(と言いつつ今のBGM:"Yes, I Thank You" by Godiego)
2011.03.09
コメント(0)

ライヴ・エイドから一気に世界が開けてしまって(ここで知ったミュージシャンは多いが、大きく影響受けるのはもう少し後、というのもいる)、だいたいこの時期から色々なものを聴き始める。テレビでも当時は(所謂)洋楽番組も結構やってたんじゃないかな。 この年見たもので大きく興味を惹いたのはグラミー賞。ヒューイ・ルイスやスターシップ、A~ha、スティーヴィー・ワンダーらのパフォーマンスを見たのはこの時で、この辺から一気に「80年代洋楽ヒット」の時代に入る。ベストヒットUSAとか、ソニーミュージックTVとか、よく見たでしょ? そんな中で中学~高校時代に特に好きだったのはヴァン・ヘイレンだった。 俺の世界が開ける前にデイヴ・リー・ロスは脱退しており、俺がリアルタイムで聴いたのはサミー・ヘイガーを迎えた名作5150からだ。だから世間一般の意見は俺には通用しない。ロスはヴァン・ヘイレン史上2位の存在であり、圧倒的に素晴らしかったのはヘイガー在籍期、特にこの5150とOU812の時期だ。これは俺史観では常識であり、この考えを疑うものは重罰に処されることもあり得るので気をつけた方がいい。反逆罪、ってなもんである。 勿論処罰は巨大な球体を延々担ぎ続けるというものである。 余談が酷い。この頃中学の友人がヴァン・ヘイレンを好きであり、よく二人で一緒に聴いた。吹奏楽部のドラムでDreamsをコピーしようと試みたけど当時の俺にはあの手足をコンビネーションするフレーズはあまりにも難しかったな。最近何気なく試したら簡単にできてびっくりしたけど。25年も経てば成長するもんだねえ。 確か、俺がコピーしようとした最初の曲じゃないかな。「原点」って意味では非常に重要、ってワケだ。高校時代にも(主にロスがいた頃の曲だけど)ヴァン・ヘイレンは結構コピーしたし、実は「ロックドラマー」に目覚めたのはこの辺が切っ掛けだったかも知れん。 はじめの頃はシングルになったようなポップなハードロックナンバーが好きで、Insideなんか「変な曲」としか思えなかった。今ではこのアルバム全曲が好きで、一番好きなのはタイトル曲5150。今ではゲイリー・シェローンがいた時代を除いて全部のアルバム持ってるけど、全曲好き、とまで言えるのはこのアルバムだけだな。「完璧」ってのはこのことなんじゃないかな。
2011.03.08
コメント(0)

順番から行けばブームタウン・ラッツ、ウルトラヴォックス・・・と来るところだけど、「俺を作った」とまで言い切るには少しだけ弱い。わずかに弱いだけで、俺にとって凄く重要なアーティストであることは間違いないけど、「これ!」という一枚はないんじゃないかと思う。 そういう意味で、ライヴ・エイドからもうひと組、となると勿論The Whoの登場となるわけだ。 フーのレコードを最初に買ったのも、何で俺はこういうこと覚えてるんだろうな。藤沢の西武百貨店。店の名前は忘れた(山野楽器だと思い込んでたけど違うみたい)けど、ここも例によって今では(西武ごと)存在しない。この店は輸入盤も扱ってて、後にNMEの付録シングル(TSCのライヴヴァージョン含む)や、QuoのFresh Quotaを買ったことでも思い出深いのだけど、ここで最初に買ったのは輸入盤のベスト、The Who Greatest Hitsだ。ピートのユニオンジャックのジャケットがジャケットになってる(ややこしいな)奴で、選曲とデザインが気に入ったんじゃないかな。Won't Get Fooled Againがショートヴァージョンで入ってるのが、今では逆にレア。 だけどやっぱり、フーを語る上では一般的にもそうだし、俺にとってもLive at Leedsを外すワケにはいかないのだ。 最初レコード店で見たときは、B面に2曲ってのがはっきり言って意味がわからなかった。My Generationが14分って、どういう意味なんだろう。10分のWon't Get Fooled Againは既に聴き慣れていたけど、本来3分ほどのMy Generationがどうやって14分になるのか。Magic Busも7分とはいったい?ワケがわからない当時中学生の俺はまだインプロビゼイションという言葉を知らない。 興味と不安と期待と、色々入り交じった気持ちでこのレコードを買って、最初に聴いたときの感想は、と言えば実は良く覚えていない。ただはっきりしているのは俺がこのレコードを何度も何度も聴いた、というコトで、嫌いだったり退屈したりしたら何度も聴くわけが無く、その証拠にRubber Soulと並んで「本当に擦り切れるまで聴いた」レコードの一つという栄誉を得ることになる。 リーズはアナログで聴き続けていたのでCDは25周年記念盤まで買わなかった。オリジナルのLPも死ぬほど聴いたが、この25周年盤も良く聴いた。なんせ、オープニング(Heaven and Hell)前にキースがウォームアップでバスドラを踏みならす音が、俺にそのまま伝染ってしまったくらいだ。 その後もデラックス・エディション、紙ジャケボックス、そして去年出た40周年記念ボックス(アナログもオリジナルミックスで復活!)まで、このアルバムを何度も買い換えている。ある意味俺の「こういう買い方」の原点でもある・・・ってのはいいのか悪いのか。
2011.03.07
コメント(4)

ライヴ・エイドで出会ったミュージシャンで、特に重要なのはポール・ウェラー。勿論この時はThe Style Councilでの出演で、今でも結局TSC時代が一番好き、って言うか思い入れがある。ポール・ウェラーが好き、って言うよりTSCが好きなワケで。 ライヴ・エイドを見てすぐに買ったのが、日本で放送した2曲を収録した12インチシングル「ユー・アー・ザ・ベスト」。勿論今ならGroovin' EPという正式名称で呼ぶんだけど、中学生の俺が買ったのはこの12インチだった。どっちもライヴとはノリも曲の構成も違って、ちょっと違和感有ったけどすぐに馴染んだし、こっちも大好きになったな。 この頃、確か俺は主に12インチで集めていたと思う。LPを買ったのは結構遅かったんじゃないかな。例によって従弟がLPを買っていたからそれをテープに録って、俺は12インチを買う。本厚木の輸入&ブートレッグの店「魔方陣」でMoney -Go-Roundの12インチ(日本盤は出て無かった)を見つけたときは嬉しかったっけ・・・。 そんなワケで、TSCで「俺を作った」と思えるレコードは、そりゃあOur Favourite Shopもそうなんだけどここは会えて12インチ。しかもライヴ・エイドとほぼ同じアレンジで件の2曲のライヴヴァージョンが収録されていたThe Lodgers、ってコトになる。 アルバムとは全く違ったアレンジのタイトルトラックも、オリジナルヴァージョン異常にソリッドで格好良かったけど、B面の、85年リヴァプールのライヴヴァージョン(実は収録地は違うらしい)が秀逸。Groovin' EPの2曲(The Big Boss GrooveとYou're the Best Thing)に加え、カーティス・メイフィールドのMove on Up(勿論当時はオリジナルは知らない)に、Money- Go-Round~Soul Deep~Strength of Your Natureのメドレー。 特にSoul Deepはシングル持ってなかったからこの時最初に聴いたんじゃないかな。今でもスタジオヴァージョンより好きだ。ウェラーは「Soul」って単語には気合い入れるんじゃないかな。Heavy Soulもだし。まあ、アティテュード、ってコトでもあるんでしょう。勿論俺も自分のサイトの名前に採ってるわけで、それだけの意味はあるのよ。 まあ、TSCに関しては全曲解説もしてるし、詳しくはそっちで、ってコトで。 そう、俺を作った、って意味では大事な部分。俺の心の師匠、スティーヴ・ホワイトとの出会いだな。この頃はCome to Milton Keynes的なハイハット使ったフィルとか、そういう細かい部分での影響だったけど、ウェラーがソロになってからも含め、ホワイティのドラミングは俺のスタイルのかなり大きな部分を占め続けている。そういう意味でも、この時に全てが始まったんだと言えるな。
2011.03.06
コメント(0)

運命の時1985年。 ざっくりと言えばビートルズしか聴いてこなかった俺がこの年の7/13日、もう散々語ったがLive Aidを見たことによって世界が凄い勢いで広がっていったのだ。ここで出会ったミュージシャン達は今でも俺の中の重要な位置を占めているものが多い。Live Aidそのものについてはここを参照して貰うとして、しばらくここで出会ったレコード達について触れていこうと思う。 このイベントのトップバッターだったのがStatus Quo。こんなシンプルなロックンロールバンドがなんであの時ここまで俺(と従弟)の心を捉えたのだろう。それから25年以上にわたって、どうしてここまでこのバンドを愛し続けてきたのだろう。どうして長い間このバンドのコピーをすることを夢見続けてきたのだろう(遂に叶った!)。 勿論、インパクトではあったんだと思う。ある意味、ビートルズ(とソロ)意外で始めてちゃんと聴いた「ほかの音楽」だったわけだ。インプリンティングみたいなもので、音楽的にはひよっこだった俺だから、うっかりお母さんと勘違いしてついて行ってしまったのかも知れない。うん、間違いなくその選択は正解だった。もしかしたら実のお母さんだったかも知れない。 音楽のことなんかまるで知らない中学生は、ウェンブリーのオープニングを飾った凄いバンドなんだからさぞかしメジャーなんだろう、と思って、当然手に入ると信じてレコード店へ足を運ぶ。貧乏な中学生は真っ先に中古レコード店、茅ヶ崎のゴールド・ディスクからチェックだ。 はたして、メジャーなバンドたるQuoのレコードはそこにあった。1枚だけ。そのアルバム、Just Supposin'にはLive Aidで演った曲は入っていなかったけど、迷わずそのレコードを買った。とにかく何でもいいから聴きたかった。Status Quoをレコードで聴きたかった。 全く知らない曲ばかりで、とか、不安とか一切無かったんじゃないかな。新しい音楽を聴くときはわくわくするけど、あの頃程じゃなくなっている自分が悲しい。不安じゃなかったからわくわくして聴いたらJust Supposin'は最高だったのだ。それから26年、最高だと思い続けている。 最初はWhat You're Propossin'やLiesみたいなアップテンポの曲から気に入って、徐々にDon't Drive My CarやOver The Edgeのようなヘヴィーな曲に気持ちが移り、その後はThe Wild OnesやName Of The Game、そしていまや俺ランキング上位を占め続けるComing and Goingへ。うん、今聴いても全曲が最高だ。 その中古店ももうだいぶ昔に無くなってしまった。あそこのおばちゃんにはお世話になったんだよな。ストーンズのステッカー貰ったり、俺が買うと思って入荷したレコードキープしてくれてたり。中学生だったのに、大学生くらいと思われてたんだ。「中学生がStatus Quo買うなんて思わなかった」だって。懐かしいなぁ。このシリーズノスタルジーに浸りっぱなし。多分前半20枚くらいはこんなノリだぞ。
2011.03.05
コメント(0)

一部で好評。 ビートルズが一通り揃ったら流れとしてはソロに向かう。当時買った「ビートルズ・グラフィティ」という文庫本(なぜかコバルト文庫から出ていた)に載っていたディスコグラフィに興味を喚起され、気になっていたのはMorse Moose and Gray Goose。そういったワケで当然買うのはLondon Town、ということになる。 といいつつ、最初に買ったのは当時の新譜Give My Regards To Broad Street。確か父にクリスマスプレゼントとして買ってもらったんじゃないかな。ビートルズのリメイクに惹かれていたのは言うまでもないが、ここでのThe Long and Winding Roadの酷いアレンジについては以前も書いたはずだ。 Sgt. Pepperもそうだったけど、何故かこのLondon Townもどこで買ったのか覚えている。本厚木のダックシティのレコード店で買って、エスカレーター上で我慢できずにライナーノーツ取り出してたのまで覚えている。ダックシティはその後ビブレになってサティになって、今月イオンになった。 入り口がここなものだから、俺は「ポール・マッカートニー」よりも「ウイングス」の方が好きになってしまった。なにせ真っ先に好きになったのはデニー・レインのDeliver Your Children。だいたいビートルズから入って「バンドというモノはメンバーがヴォーカルを分け合うもの」という常識が身についていたのだから、ポールのバンドのアルバムを聴いてデニーが歌っていても当たり前なのだ。その「当たり前」に決定打を与えたのがウイングスであり、つまりマードックス結成へ繋がっていく道のりの小さな一歩、と言ったら、まあやっぱり過言だろうけど。 肝心のMorse Moose~は、やっぱり最初からピンと来るタイプの曲ではなかった。とらえどころのない長い曲、と言う印象。その後徐々に好きになっていくが、ウイングスのトップソングに迫る存在になったのは実はこの数年くらいである。でも、こういう「ウイングスの変な部分」って凄い俺の好みに影響与えたと思う。さらりと流れるだけの曲じゃ嫌なんだ。なんかフックがないと。 でもやっぱ「ポール節」満開のポップナンバーが魅力だな。タイトル曲のロンドンっぷりもそうだし、やっぱりWith a Little Luckの、ポップなメロディとキャッチーなコーラスと、ソウルフルなシャウトまでうっかり同居してしまう奇跡的な素晴らしさ。これに尽きるね。
2011.03.04
コメント(0)

始めて自分で買ったレコードはSgt. Pepper'sだった。レッドカラーのモノ盤。地元唯一のレコード店で、友人と店長さんに「買っちゃえ~」とかそそのかされて買った。あのノリは何だったんだろう。もうその友人もいないし、その店も無いし、最初に買ったレコードを聴くことも殆ど無い。 ただ、ペパーが「俺を作った」レコードか、と言うと少し違う気もする。今でもビートルズのアルバムで一番好きなのはRevolverだし、よく聴くのはWhite Albumだけど、思い入れが強いのはFor SaleかRubber Soulだ。 ビートルズは最初の頃、従弟と手分けしてお互い持ってないのを買って、テープに録って聴くと言うことをしていた。For Saleは従弟が買って、俺も大好きで良く聴いていたのだけど、自分で買ったのはRubber Soulだった。 このアルバムからは赤盤への収録率が異様に高くて、最初買ったときはその辺まで気にしたかは覚えてないけど、とにかく良く聴いた。最初の頃はDrive My CarやI'm Looking Through You、それから当時は「ビートルズで一番好きな曲」とまで言っていたYou Won't See Meがお気に入りだったな。この曲のコーラス部分は楽しくて良く真似して歌った。小学校6年生くらいの頃だよ。Nowhere Manのエンディングははじめて俺がハモって歌った曲(勿論従弟と)。やっぱり想い出深いアルバムだな。だって、俺このレコード本当に擦り切れるまで聴いたんだぜ。 子供の頃の想い出も重要だけど、後にこのアルバムを再発見することになる。今のマードックスのメンバーと出会って、スモール・フェイシズなどのモッズ系の音楽にハマリ出してからだ。 つまり、このアルバムはビートルズで最もモッドな気配がする作品だ、というコト。ポールがモータウン(ジェイムズ・ジェマースン)に影響を受け始め、黒っぽいベースを弾くようになってリズムが格段に跳ね出した。Drive My Carや(同時期のシングル)Day Tripper、You Won't See Meなんかにもその気配はあるけど、やっぱり「モッドなビートルズ」の最高峰はThe Wordだ。今では俺が「ビートルズで一番好きな曲」とまで言う曲で、やっぱり新旧の俺トップソングが居並ぶこのアルバムが「俺を作った」ビートルズの一つなのは間違いなさそうだな。
2011.03.03
コメント(0)

40歳になるまでおよそ40日(には少し早い。43日くらいか)なので「俺を作った40枚」を選んでみることにした。今日から40日かけて紹介していくのではなく、多分更新は40歳になった後も続くと思われるので目標は「途中で飽きないこと」である。途中で飽きてるネタがいっぱいあるからなぁ。 そうなるとやっぱり「最初」を語るところから始めたい。それは、多分11歳の頃、1982年ってコトになるのかな。多分デビュー20周年って話で盛り上がってた時期とシンクロしてる気がしたから。 それは叔母の車の中で聴いたカセットテープ。そのテープには英語の曲ばかり入っていたのだけど、例えばポンキッキで使われていた曲や、父の車にあったイージーリスニングのテープで聴き覚えのある曲が沢山入っていて凄く聴きやすかった。そして、どうしたわけだか「英語の曲」なんか興味がなかったはずの小学生はすぐにその「聴き慣れた曲」以外の楽曲群にも惹かれていく。人生が狂い始めた瞬間だがそのことに気付くのは更に10年以上を要する。 最初はLove Me Do~She Loves Youまでの4曲ばかり繰り返し聴いていた。そのうち「抱きしめたい」、そしてcan't Buy Me Love、A Hard Day's Night、それからアルバムの最後まで・・・繰り返しコレばかり聴いていた時期は随分長かったのか、子供の頃の記憶だから実は意外に短かったのかも知れない。青盤を聴くようになったのはいつ頃だったか。実は一年と違わない筈なんだけど。とにかくガキの頃は、よりポップで解りやすい赤盤の方が圧倒的に好きだった。 「エビの中には~」とか、「これエレキだ!」とか、まあ俺と妹と従兄妹にしか解らない想い出は沢山あるのだけど。「俺を作った」という意味ではこれ以上に「俺を作った」レコード、いや、テープはないんだよ。
2011.03.02
コメント(4)

なんか無茶振り的なブログのテーマを与えられた気がしたが、忘れた。 色々とストレスが溜まり気味になってきた。どうにも自分の立ち位置が嫌いだ。そりゃあある意味では他の連中に比べれば恵まれてる一面もあるだろうが他人と比べていいから自分を良しとするほど大人でもねえのだ。いらいらするのでさっさと帰ってきた。仕事は残ってたがやむを得まい。 いらいらしているときは人の気持ちなんか考えていられない。こういう時は、相手の気持ちなんか考えずに、どれだけ大切なものだろうとバラバラに引き裂いてやるのだ。 そんなワケで、アーティストの意向を無視してLovesexyを曲ごとに分割してiTunesに取り込む。リリース当時から変わらずのアルバム丸ごと1トラック。「通して聴いて欲しい」などいう意向に従ってなんかいられない。だいたいバラで聴くことを否定するくせにシングルカットはするのだから図々しい。Alphabet Streetの12インチ欲しいなぁ。 どんな聴き方しようとプリンスの大傑作アルバムの一つであることには変わりないのだ。こんな造りと凄い(笑)ジャケのせいで、つい遠ざけてしまうアルバムかも知れないがそれはあまりに勿体ない。まあ、今見てもやっぱジャケットには絶句するけどな。アナログで欲しくないアルバムだなぁ。 ファンクであることにかけてはトップクラスなんじゃ無かろうか。ごめん、言い切れるほどプリンス聴いてないんだけど。オリジナルアルバム4枚くらいしか持ってないし。でも、この辺なんだよね、俺がプリンスとファンカの類似性に気付いたの。類似、って言うか影響だな。土俗的異教の祭り風世界→謎のセックス教団、っていう変換ですか。よく解らんけど、あんまり変わってない気もするがまあ、ソレは結局雰囲気は近い、って意味か。整理はされてるんだけどね。やっぱそれはコントロールの仕方の違いなんじゃないかな。
2011.03.01
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1


