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コロンブスが西インド諸島の一つの島に上陸したとき、原住民から友好の印として「香り高い乾燥した葉」を贈られた。これが、ヨーロッパ人が初めて煙草に接した瞬間である。タバコは、儀式・薬用・嗜好のために使われ、吸う・噛む・嗅ぐなどの方法によって用いられてきた。トマト・ジャガイモ・ピーマン・ナスと同じナス科の植物で、ナス科の多くの植物と同じように有毒物質があり、タバコの場合は植物アルカロイドのニコチンを含有している。ニコチンは、毒物及び劇物取締法で毒物に指定されている物質である。揮発性があり極めて強い神経毒として作用する物質で、LD50(半数致死量)は青酸カリの2倍の強さである。ほぼ全ての動物に対して毒性があるので、殺虫剤としても利用される。ニコチン自体には発がん性は無い。タバコの栽培は、酪農や養蚕業などへの影響被害などがあり、人間にも特異体臭や呼吸困難などの被害がでる。喫煙の健康被害が言われて久しいが、我が国の喫煙状況を見てみると、平成24年では、成人男性の喫煙率は32.7%である。44年間で51ポイント減少した。年代別にみると、急激な喫煙率の減少傾向が見られる60歳以上は23.5%で、50ポイント以上も激減した。 成人女性の平均喫煙率は10.4%であり、ほぼ横ばいである。※「平成24年全国たばこ喫煙者率調査」たばこ産業煙草の健康に及ぼす影響としては、長期喫煙で各種臓器組織に障害を起こし、がん、虚血性心疾患(狭心症、心筋梗塞)、慢性閉塞性肺疾患(肺気腫、慢性気管支炎)は、喫煙関連三大疾患と呼ばれている。受動喫煙による影響では、肺がんとの関係が疫学調査によって早くから報告されている。夫が喫煙する非喫煙女性の肺がん相対危険度は、夫が1日20本以上吸う場合では非喫煙の1.9倍にもなる。 わが国でも古くから、全ての階層の人にタバコが嗜まれてきた結果、煙草に関する箴言(いましめとなる短い句)・俚諺(俗間に 伝わってきた諺)が多い。最も人口に膾炙しているのが犬棒かるたの「三遍廻ってたばこにしょ」だろう。夜回りの際、念を入れて三回見廻ってから一休みにしようということから、念には念を入れて手落ちが無いように気をつけようと言う戒めを込めた言葉だ。「えへんたら煙草盆」というのもある。相手が咳払いしたら、すぐ煙草盆を出すくらいの機転がほしいという意味である。「火事場に煙草の火無く大水に飲む水無し」は、火事場の火には近寄れないので、幾ら火があってもたばこの火種にならないし、洪水の水は飲み水にならないということわざである。近くに幾ら多くあっても、使えなくて約に立たないものもあることの譬えだ。「酒と煙草は飲んで通る」は、次に「飲まぬとて銀(かね)が延びもせず」と続き、旨くも無い酒や煙草に使う金を貯めたら、一生のうちには相当の貯金が貯まると思われるだろうが、酒や煙草に金を使わない人全てに、それほど金が貯まるわけでもない。民謡会津磐梯山の、おはら庄助さんは「朝寝 朝酒 朝湯が大好きで身上潰した」そうだが、たばこで身上を潰したという話は聞かない。「人と煙草の良し悪しは 煙になって後の良し悪しを知る。」と言うのもある。旨い煙草かどうかは、吸った後でないと判断できない。人の真価も死んで灰になって初めて評価されると言うことだ。せめて親族からだけでも、死んだ後に評価されるような人間になりたいものだと思う。 私も、社会人となってからほぼ30年間喫煙した。何回も禁煙に挑戦した努力の甲斐あってついに卒煙して15年になる。今ではタバコが夢に出て来ることは無く、レストラン・列車の禁煙席やホテルでは禁煙の部屋を希望する。喫煙者がいる宴会では帰宅後、店内の煙を吸った背広の臭いが耐えられないほどだ。以前愛煙家であったことはすっかり忘れ、今ではいっぱしの嫌煙家の仲間に入ってしまった。
2012年11月30日
太田南畝は、天明期を代表する文人・狂歌師である。号を蜀山人と言った。この太田蜀山人が作ったという狂歌の一節に「恐れ入谷の鬼子母神…。」と言うのがある。江戸の三大鬼子母神は下谷の真源寺、雑司ヶ谷の法明寺、本所本佛寺(現在は千葉県市川市へ移転し、中山法華経寺)である。先の蜀山人の狂歌は入谷でないと、雑司ヶ谷や本所の鬼子母神では収まりが付かない。鬼子母神をキシボジンと濁って言っているが、本来はボではなくモが正しい。それは、可梨帝母からきているからである。子供を取って食う邪神可梨帝母(カリテイモ)を諌めるために、釈迦は帝母(テイモ)の千人(万人とも)もいる子供のうちの末の子供を隠してしまった。子供を探して嘆き悲しむ帝母にザクロの実を与え、人肉を食べないように約束させた。そこで帝母(テイモ)は、今までの過ちを悟り釈迦に帰依した。安産・子育の神となることを誓い「以後、鬼子母神として子育ての神になって人々に尊崇されるようになった」と言い伝えられている。日蓮聖人が鬼子母神を法華経の守護神として大曼陀羅の中に勧請したことにより、日蓮宗が鬼子母神を祀ることになった。 参考:宮崎英修 著 『日蓮宗の守護神』 影山堯雄 著 『日蓮宗の祈祷法』 釈迦が可梨帝母に、人肉の代わりに食べることを勧めたザクロは、種が多いことから豊穣のシンボルとされている。虫がつかないので、ユダヤ教で神殿の至聖所へ持ち込むことを許された唯一の果物であった。 ザクロという名前は、石榴あるいは柘榴の字音からきていると考えられており、呉音では「ジャク・ル」、漢音では「セキ・リュウ」となる。ザクロは、花・果実、茎皮、根とも有用な植物である。ザクロの根や皮は、古来から民間薬として駆虫に使われている。果実は生食やジュースになる他、淡いピンクのザクロ酒としても利用できるし、ザクロ酢を昔は銅鏡の曇り止めに広く利用し、743年から始まった東大寺大仏にメッキをする際の、仏体を磨くのにも用いられた。ザクロの名前がついたものに、「柘榴口」がある。これは江戸時代の銭湯の湯温が覚めない工夫として浴槽と洗い場の間にあった、低い高さの出入り口の名前である。この名前の由来は「屈み入る」と「鏡鋳る」(鏡を磨くこと)から出た言葉と言われる。(川柳)抱いた児をふたにして出る柘榴口 柘榴口を出る際、子供を抱いていると前を隠すことが出来ない。そこで子供を前にぶら下げて隠すという意味。 古代ローマ時代には、果皮は皮のなめしに使われていた。ザクロの木は硬く曲がりくねっていて、床柱にすると見栄えがする。梅雨空の濃い緑の葉の中に朱色の花を咲かせるのだが、花が集合して咲くので見応えがある。大好きな花の一つだ。かつては庭に植えてあったが、駐車場を広げるのに邪魔となって抜いてしまった。その後、山小屋の畑の隅に何回植えても鉄砲虫が入って枯れてしまうので、10年経った今になっても未だ花も見ていない。今年は近くの民家の庭先のザクロが沢山の実を着けた。家内の実家の庭にはザクロの古木があって、私も毎年花と実を楽しませてもらっていた。家内は、ザクロが沢山実を着ける年は台風が多くやって来るという昔からの言い伝えがあると言う。しかし家内の占いに反して、今年は大した風は吹かなかった。ザクロと天気を結びつけた言い伝えを調べて見ても、そのような言い伝えが見つからないから、家内の生い立ちの中だけで言われていたことなのかも知れない。
2012年11月29日
現在の黒一色の東大寺大仏を見て、黄金色に輝いていたであろう姿を想像するとき、建立からいかに多くの時が流れたのかがわかる。『東大寺要録』の「大仏殿碑文」「延暦僧録」によると、58.5kgの金を使ってメッキされたことが記されている。745年から建設が始まり、752年に開眼供養を行ったのだが、光背など全てが完成したのは、それより19年も後の771年とされている。この巨大な仏像を作ったのは、渡来してきた百済人である。延べ423,000人の技術者と人夫218万人が作業に従事し、全ての完成までには実に26年の歳月を要した。大仏のメッキには、水銀と金5対1のアマルガム(水銀合金)が使用された。当時の百済人は優れた知識と技術を持っていて、すでに金メッキの方法を開発していた。鋳造した仏体を砂や砥石で磨いた後の仕上げを、ザクロ酢で行ったと言う。その後、金アマルガムを均等に塗り、白く乾燥したところで炭火を使用して水銀を蒸発させながら磨くと金だけが蒸着する。この作業にも多くの年月を要した。水銀を使ったメッキが可能であった原因の一つとして、作業現場から至近の三重県に水銀鉱山があって、原料としての水銀が近場で大量に手に入ったことが挙げられる。わが国には、1956年に確認された有機水銀による中毒事件の歴史があって、水銀は全て有害との意識が植えつけられたが、無機水銀は保管や用法を誤らなければ、それほどの毒性はない。体温計や血圧計に使用されている金属水銀は、誤嚥しても消化器で吸収されないまま排泄されるので、巷間騒がれる程の毒性はない。水銀の毒性が言われ、使用されることが少なくなるまで、歯の欠損部の補填用に「水銀・スズアマルガム」が使用されていた。無機水銀は消化管で吸収されないから、歯科材料として口腔内にアマルガムを使用しても人体に有害ではないのである。昭和五十年代、ある区の区議会で「体温計測中に子供が誤って体温計を噛み、中の水銀を飲み込んでしまった。有毒有害な水銀を体温計に使用させないよう指導して欲しい。」という質問をされたことがあるが、危険性の大きいのは水銀よりむしろ破損したガラス片の方なのだ。飲み込んでも有害ではないが、金属で唯一液体である金属水銀は、常温で容易に蒸散する。この水銀蒸気を吸入した場合は、呼吸器から吸収され猛毒に作用する。大仏建立では、閉鎖空間の建屋内で、大仏に塗布したアマルガムの水銀を飛ばす作業が5年以上も続けられた結果、作業に従事し水銀蒸気を吸った多くの人が、水銀中毒によって死亡することとなった。東大寺中門を入った庭に並ぶ500立像は、犠牲者を供養した像とされている。水俣病を遡ること1200年前、すでにわが国では大規模水銀中毒が発生していたのである。
2012年11月28日
垣根替わりに植えてある久留米ツツジの一本に、今年も花が咲いた。寒さが増してきた11月下旬に、紅葉した葉の中で数十のピンクの花が頑張っている。このツツジは毎年、初冬のこの季節に二度目の開花をするので、いわゆる「狂い咲き」とは違うような気がする。狂い咲きとは、気候などの条件が重なって、春や初夏に咲く花木がたまたま秋や初冬にも咲くことを指して言い、一年に二度咲くことから「二度咲き」、「返り咲き」とも言われる。植物に対して使う場合は、狂い咲きと返り咲きは同じ意味で使われる。しかし、人間社会において返り咲きと言う言葉は、一度失った地位に再び就くことを指し、カムバックすると言う意味で使われる。また狂い咲きは、熟女が再び恋に血道を上げる様を見て言う場合がある。二度咲きをする花の多くは、夏に花芽が分化し花芽の完成が早いサクラやフジに多く見られる現象である。狂い咲きをする原因は夏の旱魃、高温、病害虫、台風などによって落葉し、その後の気候が温暖で穏やかであった場合に発現しやすいことが解明されている。返り咲きの花は時季に咲いた花と比較して、一般に花形が小さく、異常花弁、淡色であることが多い。花芽が成長して開花するには、一定の環境条件に遇うことが必要であるとされている。種子や花芽が成長を止めていることを休眠と言うが、休眠は花芽だけに限らず動物、植物、細菌にもあって、ある一定の環境刺激が無いと芽を出したり、花を咲かせたりの活動を開始しない。休眠中の生物が一定の環境条件に曝され、活動や成長を始めることを「休眠打破」と言っている。春に開花する花木の多くは、低温に曝された後に暖かさが続くと、成長抑制ホルモンが減少し逆に成長ホルモンのジベレリンが増えて、花芽が成長を始め開花に至る。この場合、低温が休眠打破の引き金になっている。 常緑のツツジも、二度咲きすることが多い。我が家のツツジは落葉しなかったのでこの場合、葉を落としたことが「休眠打破」の引き金になっていないのは明らかだ。並べて植えてある他の久留米ツツジには花が咲かない。この一本だけが毎年花を咲かせるので、二度咲きの性質を持っているのではないかと思う。 家内は、かつて荒川区尾久の待合旅館「満佐喜」があった同じ場所に、父親から相続した土地を持っていた。「満佐喜」は、昭和の妖婦とも呼ばれた阿部定が、昭和11年に希代の猟奇事件を起こした場所である。事件を起こした時は、31歳であった。現代の30歳は「若い女性」である。しかし、昭和10年頃には年増と言われていたかもしれない。この事件は伝聞以外には知らないのだが、土地との関係でかなり興味を持った。 「狂い咲き」と聞くと、花の二度咲きより先に、阿部定の性に狂った様子が目に浮かぶ。美貌の故に、15歳で慶応義塾の学生に乱暴されたことが引き金となって、殺人事件によって恩赦になるまでの5年程を塀の中で過ごした期間を除いて、一生を芸妓・娼妓、仲居と水商売の道で過ごした。その間、絶えず男性遍歴を繰り返した彼女の場合は狂い咲きでは無く、咲きっ放しの生涯であったのかも知れない。
2012年11月27日
マレーシアにククップヴィレジという海上村がある。海外旅行のマニアででもなければ、旅行者が頻繁に訪れるような町では無い。海に打ち込んだ細い杭の上に家があり、かなりの規模の村を形成していて、板張りの道路が家を繋いで縦横に走っている。観光客は、まるで家の中の様な所を遠慮がちに見て歩くのだが、村人は他所者をあまり意識していないようだ。電気も来ていて、窓もドアも無いような家の中で、寝転がってテレビを見ている人もいる。杭についた色の具合から、満潮時には床下真下まで海水に浸かると思われるが、訪れたのが丁度干潮の時刻で、干潟には虹色を煌めかせながら無数のムツゴロウが蠢いていた。有明海では、ムツゴロウの減少が問題視されているが、こんなに無数の個体が家の下に動いていても誰も捕らないようだ。村には水道管が引かれていて水は供給されているようだが、どうもし尿や汚水は直接海へ垂れ流ししているようだ。公衆衛生を推進している身にとっては誠に非衛生極まりなく見えた。ヒトの最もポピュラーな寄生虫として、回虫が挙げられる。回虫は虫卵が口から入って腸で孵化した後、幼虫は腸壁へ侵入し、血液やリンパに乗って肺から再び食道を通り小腸に達する。回虫という名前は、このように体内を回る所から付けられたものである。回虫感染の一番大きな原因は、し尿を畑の肥しに用いていたことである。戦後から昭和40年代を経験した多くの人は、回虫が寄生した経験をもっていると思われる。現在の日本では、集団で駆虫しなければならないほど、回虫が多くの人に寄生していることは無くなった。しかし世界的に見ると、今なお10億を超す人が感染していて、年間6万人以上の人が回虫症で死亡しているとの統計がある。ククップヴィレッジのように、し尿が処理されないで垂れ流されていると、回虫の感染拡大につながる恐れもある。回虫寄生の多い国でもほとんどの国では、し尿を野菜の肥料として用いていないが、日本では多くの生の食品が海外から輸入されているので注意を要する所だ。現代の日本では衛生思想が行き渡り、衣食住の何れもが清潔になった結果、ヒトへの寄生虫の感染がほとんど無くなった。近年花粉症などのアレルギー患者が激増している。確かに自分の幼時には、スギ花粉症などと言うことを聞いたことは無かった。寄生虫学者の藤田紘一氏は「衛生教育が行きわたって、ヒトが清潔になるとともに回虫などの寄生が無くなり、寄生虫の出す毒素で中和され抑止されていた各種抗原に対するアレルギーの防壁が破れた結果、アレルギー患者が増加した。」との説を唱え、自ら条虫を飲み込んで実験しているらしい。とは言っても、今更腹の中に回虫を飼育する気にはなれない。いつもむしゃくしゃしているのは、回虫にとって代わった別の虫が、自分の腹を占拠しているせいかもしれない。
2012年11月26日
日本で確認される鳩にはアオバト、カラスバト、キジバト、カワラバトなどが知られている。このうちカワラバトはヨーロッパ、中央アジア、北アフリカなどに棲んでおり、すでに奈良時代に日本へ持ち込まれたと言われている。食用にされたほか伝書鳩、レース鳩、あるいは愛玩用としても飼育されてきた。神社・仏閣、公園、駅舎などに住み着いているドバトは、カワラバトと種(しゅ)が同じである。最初、神社仏閣に住み着いたことから、だうばと(堂鳩)と呼ばれたのが語源ではないかとも言われている。食物は主に植物性で、種子・果実・液果などを食べる。平均2個の卵を産み雌雄交代で、抱卵・育雛し、雛は初めのうちはそ嚢(そのう)から分泌される栄養価の高い、ピジョンミルクで育てられる。ミルクとは言っても液状ではなく、そのう内膜の細胞が剥離したものである。乳児の哺乳瓶などのメーカーが、ピジョンを社名にしているが鳩が平和の象徴であることと、鳩の親がミルクを与えると言うことからのイメージも考えたからではないだろうか。ミルクは抱卵後10日目ごろから作られ始め雛が孵化する頃には、そのう内壁の厚さは通常の20倍となり雌雄の親鳥が数日間ヒナに与える。鳩の餌は植物性なので、繁殖期が昆虫の発生する時期でなくてもよく一年を通じて繁殖が可能である。性成熟は孵化後6カ月で、10年ほど繁殖能力がある。寿命は10~20年と比較的長い。ドバトは広場や遊園地、寺社などで餌付けしたこともあって、大きな群れとなってヒトの近くに群がって来る。平和の象徴と言われる鳩だが、鳩の排せつ物が飛散して肺炎を起こすオーム病をヒトに感染させることがある。ドバトほどは馴染みがないが、近頃は都会地でも良く目にする鳩にキジバトがいる。キジバトはドバトと違って、大きな群れを作らないし、別名をヤマバトと言い、本来山地に生息しヒトに対して臆病な鳥である。1960年代に、都市部での銃猟使用が規制されてからあまり人間を恐れなくなり、1970年代に街路樹や建造物でも営巣するようになった。 狩猟法では、ドバトは狩猟が禁止されているが、キジバトは狩猟対象鳥である。ドバトの場合は、レース鳩との区別が全くつかないため狩猟を禁止されているのだ。 カワラバトは、「ククルクク」と鳴くがキジバトの鳴き声は独特で、「デデポポー」の繰り返しだ。しかし、家内には「ポポーデデ」と聞こえるようだ。 今春、高さ634メートルの東京スカイツリーが開業した。世界一の独立塔だそうだ。1時間も並んで、ミーハー気分で最上階まで登って見たがそれほどの感動は無かった。この塔の近くに永井荷風の小説「濹東綺譚」に出てくる「鳩の巣」があった。ここは、私娼窟があったところで窓から顔を出し客を呼ぶ姿が、巣箱から顔を出し入れする鳩に似ているところからついた名前だそうである。 突然の出来事に、驚いて目を見張る様を「鳩に豆鉄砲」と言うが、どこかの前首相の言動には目を見張りっ放しで、最後まで正に鳩豆であった。
2012年11月25日
採卵用の鶏は、毎日同じ時間に産卵する。鶏の体内では、成熟した卵胞が卵巣から放出されて漏斗から卵管に入る。この時漏斗内に精子があると受精して卵管に入り、卵管で卵白と卵殻が形成された後産卵され受精卵となる。漏斗内で受精が行われなかった場合は、無精卵が産卵される。だから、同じ鶏舎内で雌雄の鶏が飼養されていても、必ずしも受精卵のみを産卵するわけではない。産卵直後には無性卵か有精卵かの判断はつかない。熟練者になれば、産卵6日後の卵に光を当てると、発育していれば尖端部に影があり、卵黄の影から細い血管が周囲に伸びている様子で胚の発育が判断できる。しかし、無精卵には卵黄の影しか無くまた、尖端部には影を認めない。雌雄鶏が同一鶏舎で飼養されている養鶏場から有精卵として買って来ても、その中に無精卵が混ざっていれば雛を孵そうとしても孵らない卵もあるのだ。 今日も新聞の折り込みで、「栄養価の高い有精卵の格安販売」のチラシが入った。時々、有精卵の方が無精卵より栄養価が高いと宣伝している場合がある。はたして「有精卵」と「無精卵」では、栄養価や味などに違いがあるのだろうか。有精卵などはその字を見るといかにも栄養がありそうな印象を受ける。しかし同一条件で飼養した鶏が産んだ卵では、栄養学的にはどちらも全く変わりがない。卵の栄養や味は鶏の品種の違いと、鶏の飼育環境や飼料によって大きく影響してくる。有精卵であれば平飼いであると判断がつくが、有精卵だから栄養価が高く味が良いと考えるのは間違いである。平飼いの場合は、飼料にも気を配る生産者が多いので、味や栄養価に違いが出る場合があるということなのだ。 卵殻の内側の膜を卵殻膜といい、外部からの細菌の侵入を防止する二層構造となっている。卵の保存性から言えば、有精卵では産卵前の卵管内ですでに胚の発育が始まるため、無精卵に比べて卵殻膜が弱くなる。 離乳期に誰でもが与えた経験のある菓子に、たまごボーロがある。この菓子を作っている竹田製菓の社長竹田和平氏は、「ボーロ作りには一貫して有精卵を使い、ヒヨコが孵らない悪質な無精卵は使用しない。」といっている。無精卵だから悪質と決めつけるのは大きな間違いなのである。
2012年11月24日
京都土産で頂くものには「千枚漬」、「紫漬」、「すぐき」などの漬けものが多い。この三種を京都の三大漬けものと言っているらしい。私は千枚漬が好きだ。あの独特の歯触りと昆布の滑りが出た甘酸っぱい味が良い。漬けもののうちでも絶品と言える部類に入るのではないだろうか。あれだけ上品な味を出している食品であるにも関わらず、千枚漬けの原料は聖護院蕪と調味料、だし昆布、鷹の爪だけのシンプルなものだ。日本の多くの漬けものが細菌の乳酸発酵を利用しているのに、現在の千枚漬けは乳酸発酵の代わりに酢で代用した酢漬けである。千枚漬けの千は、野菜の千切りの「せん」とは違うらしい。聖護院蕪を薄く切り、樽に漬け込む枚数が千枚以上もの枚数で漬けこむことから出たとか、蕪を千枚と言えるほど薄く切って作るからだとかが名前の由来とされている。野菜の刻み方に、千切りと言う言葉がある。これは、食材の切り方の一つで「繊切り」とも表示されるとおり、野菜を細長く刻むことまたは細かい状態を指している。大根のみに限って、千六本という使われ方があるが、中国語で「繊蘿蔔」は、「センローポ」と読み、「蘿蔔」は大根のことである。大根の細切りのことが「センロッポン」なのだ。だから千六本という言葉は、大根以外の野菜には使わない。北杜市にある自分の菜園に播種した聖護院蕪は、夏の干天と猿の襲撃で全滅してしまった。毎年保険のために、信州で栽培して貰っている聖護院蕪が、今年も見事な大きさになった。昨日収穫して来たので、今日は朝から自家製千枚漬け作りに大忙しだ。作り方はいたって簡単である。蕪は良く洗って、皮を厚く剥く。それをスライサーで3~4mm程の輪切りにする。調味液は蕪1キログラムに対して、砂糖100g、酢75ml、塩25gを標準とする。容器に順番に並べ、一段毎に全てを混ぜて溶かした調味液を振りかけ、輪切りの鷹の爪3~5個と5センチほどにカットした昆布をいれ重石をする。間もなく水が上がってくるので、一番上の蕪が常に調味液に漬いているように、重石の重さを調節する。4日ほどすれば食べられるようになる。冷蔵庫保存で、10日は保存がきく。塩で一次漬けすることが基本らしいが、手抜きして塩も一緒に漬けこんでも大して味に変わりは無いので、毎回この方法で漬けて美味しく食べている。ただ、関東地方ではあまり聖護院蕪にお目にかかれないので、どうしても自分で漬けたい場合は、自家栽培する以外にない。形は似ているが、聖護院大根では本来の美味しさが出ないので間違えないように注意が必要だ。
2012年11月23日
聖護院蕪は、300年前の享保年間に京都左京区聖護院の農家が、近江蕪の種子から改良したと言われている。京都名産の漬けもの、千枚漬けはこの蕪を原料として酢・砂糖・塩で漬けて加工したものである。聖護院蕪の葉は広く滑らかで、下部に切れ込みがあり、根は腰高円形で、葉の付け根に窪みがある。聖護院大根は、江戸時代後期の文政年間に聖護院の東、金戒光明寺に尾張から奉納された大根を貰い受けた農家が、何年も育てている間に丸い形なったと言われる。現在大根とも呼ばれている丸く蕪の様な丸い大根が、聖護院大根といわれるもので、青首大根の倍の値がするという。京都の冬には欠かせない野菜だそうだ。関東地方でも、八百屋の店頭に普通に並ぶ。煮ものに使うと柔らかで、味が染みやすいのが特徴である。蕪も大根もほとんど同じ形をしているので、慣れないと葉を取られた姿の外見からはハッキリ見分けがつけ難い。ただ、葉を見ると大根は明らかにギザギザで大根の葉で有り、蕪は正に蕪の葉だから誰にでも見分けがつく。
2012年11月22日
病気を治すために昔から植物、鉱物、動物が「くすり」として用いられてきた。 藥の字は「樂」、つまり体を安楽にする艸(くさ)を表わし、それを即ち薬であるとしてできた言葉である。鉱物のように無機質のものもあるが、これらが「生薬」といわれる薬の始まりで、現代でも多くの薬は生薬から作られている。一方、生命活動に対して有害な作用を現す物質を毒物という。毒の字は、元は毋の上に艸(そう=くさ)が乗った字であったらしい。毋は副と同じで「添える」の意味があり、草が身を守るために副えたものが毒ということなのだろうか。英語では全ての毒の事をpoisonといい、例えばフグ毒をテトロドトキン、スズランの毒はコンバラトキシンというように、生物由来の毒はtoxinと言っている。 全ての物質は、量によっては生体に対して薬にもなりまた毒にもなる。物質の量が生体に及ぼす影響には、次の4つの段階が考えられる。 無作用量 生体に全く影響を与えない範囲の量 ↓ 作用量 生体に何らかの影響を与える量 ↓ 中毒量 生体に重篤な影響を与える量 ↓ 致死量 生体を死に至らしめる量 医薬品でもっともポピュラーなアスピリンを例にとってみると、通常服用量の10分の1を服用してもその効果を現さない。規定量飲むことで本来の鎮痛や解熱の作用が現れ、10倍も飲むと中毒を起こし、さらに100倍も飲むと死に至ることになる。毒物には、無作用量と作用量の範囲が極めて狭く、ほんの僅かでも中毒あるいは死に至る物質が多い。殺虫剤や殺鼠剤、殺菌剤などは、ほんの少しの量で中毒→死に至る物質が優れたものとされる。医薬品の場合は、ほんの少しの量で本来の期待した効果を現し、多くを用いても中毒量に達しない、作用量の幅が広いものが優れた医薬品と言える。日常消費者が気にする食品添加物も薬品で有るが、添加物の場合無作用量の幅が広く少量で効果を現し、多く摂取しても中毒に至らない物質、つまり使用で無害・無毒であるほど優れた添加物と言える。 ヒトには無害で有益なものでも、他の生物にとっては毒となる物がある。例としてネギやニンニクに含まれるアリル化合物は、ネコ・イヌ・ウサギでは僅かな量でも中毒し死亡することもあり、これらの動物にとっては毒物である。高血圧、糖尿病、心臓病、動脈硬化などは、加齢とともに多くの人がかかる疾病だが、これらは成人病とか生活習慣病とか言われている。若壮年時の生活や食習慣が、年を経るとともに健康状態に現れてくるのだ。現役の頃不摂生した報いから、ご多分にもれず高血圧、痛風、高脂血症などで毎月薬のお世話になっている。沢山の薬を飲む様を見て健康体の人からは、そんな美味くないものに金を使うより、美味い食べ物を食べた方が良いのにと言われるが、今になってはもう遅すぎる。
2012年11月21日
脊椎動物の多くは、歯を持っている。歯の形と用途は、動物の種類によってさまざまに異なっている。切歯、犬歯、臼歯と歯の形が異なるのは哺乳類の特徴であり、食物を噛み潰したり切り裂いたりすることが可能となっている。このように頑丈に固定された歯を持つ代償としてほとんどの哺乳類では、永久歯を失うと再び歯が生えることは無い。哺乳類の例外としてウサギやネズミでは歯が一生伸び続けるので、硬いものを噛んで歯を削らなくてはならない。哺乳類の中のあるものは、切歯が長く伸びて牙を形成する。高価な細工物や印材に使われる像牙が例である。サメ類の歯は、鱗から進化した歯が皮膚に埋もれて何列も並んでいて剥がれ易く、欠けると直ぐ次列から補充される。サメは、歯を獲物に引掛けて全身を使って食いちぎるように使う。小さな獲物は、歯を使わないで丸飲みにする。爬虫類の一部には歯根があって、固定された歯を持つものもある。毒蛇の多くの歯牙は、毒液の注入器となっている。亀や鳥では、口の縁が固くなって嘴を作り、歯を持たない。人の永久歯が生え始めるのは6歳頃からであり、13歳頃には全ての永久歯が生えそろう。永久歯は上下合わせて28本で、成人してから生えてくる第3大臼歯(親知らず、知歯、智歯とも言われる。)を含めると32本である。この第3大臼歯は、人によっては萌牙しない場合もある。人の歯はエナメル質、象牙質、セメント質で強固に出来ているのだが、口腔内常在菌のストレプトコッカスミュータンスというバクテリアが、口腔内に残った食物滓の糖質を分解して作った酸がエナメル質を溶かし、いわゆるむし歯が発生する。むし歯が進行すると、歯を失うことになる。 25年ほど前までは歯がなくなる原因として、20歳以下の若年者ではむし歯、40歳からは歯周病が多かった。こんなことから、80歳になっても自分の歯を20本残そうという8020 運動が1989年愛知県から始まった。そのころ、この運動を推進する行政の中に居たのだが、歯牙の大切さを人にはさんざん説いて来たのに、自分自身の歯は全くむし歯が無いにもかかわらず、歯周病で次々と抜け落ちたのである。まさに「紺屋の白袴」の譬え通りである。 歯痛や腹痛は時と場所を選ばず、得てして夜間や診療時間外に発症することが多い。私の場合も、土曜の午後突然歯が痛くなり、電車を乗り継いで1時間30分かけてかかり付け歯科医まで出掛けたのだが、生憎の休診で已むを得ず自宅近くの診療所で治療を受けた。相当炎症がひどく歯もぐらついているというので、麻酔をかけて抜歯した。麻酔で痛みは引いたのだが、家に帰って暫らくして麻酔が切れるとまた痛みがやって来た。手鏡で口腔内を見てみるとなんと患歯は残っていて、奥の何でもない歯が無くなっているのだ。翌日食事もしないで一日我慢して、月曜日になってかかり付けの歯科診療所へ行き、結局痛みの有る歯も抜歯した。喪失歯補填の方法にインプラントがあるが、一本50万円も必要だそうだ。サメの歯のように次々と歯が出てくれば、こんな良いことは無いのだが…。私は歯科医師の不注意でこのとき、50万円分の歯を失ってしまったということだ。そんなこともあって、80歳になる前なのに、抜けずに残った歯の数は、既に20本以下となってしまった。残った歯は大事にしたいが、今からでは少々遅すぎた感じがしないでもない。
2012年11月20日
今年の日本の山里は、過去に例が無いほど熊の出現が多かった。里への出現が多かった分、農作物の被害に止まらず人や家畜への被害も多かった。外気温が0度を下回り、山に雪が来る頃になると例年熊の出没情報を聞くことが少なくなってくる。良く知られているように、外気温が低下してくると熊は活動を止めて冬籠りに入るからだ。昔から「熊の冬眠」と言われているが、これは冬籠りであって真の冬眠ではない。穴籠り時の熊の身体機能は睡眠に近い状態を維持している。冬眠も休眠の一種であるが、熊のそれは昆虫や爬虫類のいわゆる冬眠とは明らかに違う。熊は、冬籠り中であっても簡単に目を覚ますことがあって、時として餌捕りをすることもある。冬季にも熊の姿を目撃することがあるのはそのためである。妊娠中のメス熊は、冬季に出産し授乳の後再度仔と共に睡眠に入る。熊は温度の低下とともに、自らにとってやがて不利な環境条件になることを感知し、環境が厳しくなる前に冬籠りに入るのである。餌の採捕が困難な冬季の厳しい環境条件を乗り切るために、体に蓄えたエネルギーの消費を、生命維持に必要な最低限に抑えるための仕組みである。同じ哺乳類でも、シマリスの休眠は劇的である。その間は、38度の体温は4度ほどになり、呼吸は2~30秒に一回に低下する。食事と排泄をするため、10日に一回程度目を覚ます以外は年間150日以上も眠っている。氷が張る零下の気温の朝、高下駄に素足で高校通学をいつまで続けることができるか、足の指や耳朶に霜焼けを作りながら、学友と寒さの我慢比べをしたものだ。当時は寒さをそれほど苦にしないで、10代までを冬の信州の厳寒の中で過ごした。大学へ入ってから暖かい東京で暮らして50年、当初は東京の夏の暑さに辟易していたのに、今では東京の冬の寒さ程度であってさえも身に堪えるようになった。加齢とともに寒さが身にしみるようになって、炬燵に入ると動くのも面倒になってくる。年と共に熊の生態に近づいて来た様に感じる。今年も短い秋が過ぎてあっという間に冬空となってしまった。もう暫くしたら今年もまた、頭だけを炬燵から出して休眠期間に入ることになるのだろう。
2012年11月19日
今から300年も昔、山口素堂が「目には青葉 山ホトトギス 初鰹」と言う句を詠んだ。この句は字余りの上季語が「青葉・ホトトギス・初鰹」と、俳句の常識を破って3つ重ねで悪い句作の例にされるほどだ。俳句の指導書には「句の中で季語の果たす役割は大変重要で、季語が複数あると俳句で最も大切な季節感があいまいになってしまう。また、季語は句の要なので、季語が二つあると焦点が二つあるのと同じで、力の無い呆けた句になって切れ味を失う。最初のうちは季重なりの句は絶対に作らないという気構えで訓練することが重要だ。」と書いてある。季重りで焦点呆けならば三つ重なったら何と言うのだろうか。それにも拘わらず、この「目には…」の句は、300年以上を経た今日でも、季節になるとカツオと一緒に必ずどこかのテレビに取り上げられる名句である。この句の意味は「初夏には、目にはみずみずしい青葉若葉が映り、耳にはほととぎすの鳴く声が聞こえ、味覚としてはおいしい初鰹が賞味できる。」という意味で、夏という素晴らしい季節の到来を視覚と聴覚と味覚で感じている様子を詠んだものであろう。カツオは温帯から熱帯海域の世界中に生息している魚で、日本近海では春には黒潮に乗って太平洋側を鹿児島から北上し、秋には北海道南部辺りまで達するのだが、そこで黒潮と親潮とぶつかるためUターンして、今度は南下するという季節的回遊を、全く休むことなく泳ぎながら続けている。カツオやマグロなどは鰓蓋を動かして酸素を取り込むことが出来ないので、泳ぐことで口から取り込んだ新鮮な水を強制的に鰓に送って、酸素を取り込んでいる。したがって泳ぎ続けないと窒息して死んでしまうのだ。句に詠まれているように、江戸の庶民にとっては4~5月のカツオが旬であったのだろう。初夏の頃のカツオは、脂が無くさっぱりとした赤身である。一方8~9月になって三陸沖で獲れる鰹には、脂が十分に乗っていて戻り鰹と呼ばれる。戻り鰹の方が旨いと言う人も多い。従来は冬の間には漁が無かったのに、近年は一年中鰹の水揚げがあって魚屋の店頭に並ぶ。句で鮮やかに切り裂いた旬の季節が、現代ではあいまいになって来てしまっている。この鰹だが、目には青葉の頃の鰹の筋肉にはかなりの確率で、筋肉内部に白い米粒程の虫を見ることがある。3枚におろした時の腹側の薄い膜を剥がすと、時としてくねくねと動く幼虫を確認できる。カツオの寄生虫でテンタクラリアという。カツオは刺身やタタキで食べることが多く、3枚におろした時の、腹側の筋肉に寄生しているのを見ることがある。この寄生虫は、アニサキスと異なり生きた幼虫を食べても人に害を及ぼすことは無い。しかし、赤身の中に白くうごめく虫は大いに食欲を減ずるのだ。鰹の厚切りの刺身をづけにし、大葉の細切りとユカリ、チリメンジャコを混ぜた寿司飯に、炒り胡麻とづけ鰹をたっぷり乗せて食べる丼は旨いが、赤身にうごめく虫を見てから、我が家では40年以上鰹の刺身やタタキは食卓に上らない。たまに作るづけ丼の魚は、今では専らマグロの赤身が鰹の代役を務めている。
2012年11月18日
8月お盆過ぎの干天酷暑の中で蒔いた大根だったが、撒水の甲斐あって順調に発芽し11月に入ったら急に太って来て、収穫の時期を迎えた。2週間振りに、収穫を目的に畑を訪れたところ、心配したように折角の収穫期を迎えた大根が全て猿の軍団に収奪された後だった。50本程の大根を畑の中だけでなく、家の玄関前まで持ち出して少しだけ齧って味見をしただけで散らかして行った。全てを食べないのは、未だ大根より旨い食べ物が他にあるからなのだろう。仕方ないので首を千切られ、畑に残った猿のおこぼれ大根を集めて来た。大根は収穫した泥付きのままラップで包み、さらに新聞紙を巻いて物置で保管する。2月頃になると肉質が硬くなってしまうが、それさえ我慢すれば来年の4月末頃まで長期の保存に耐え、利用できる優れた野菜なのだ。幸い今年も信州で、別口で栽培してもらっているので、冬中食べる分は確保できるだろう。畑から抜きたての新鮮大根は軟らかく煮え、とりわけ味も良く染み込んで誠に旨い。おでんや鰤は大根との相性が良い。毎年、これからの寒い間は月に2~3回も、大根と鰤を使った定番の鰤大根を作る。作り方は簡単だ。大根を3~4センチ程の輪切りにする。切り口を見ると皮の内側0.3mm程の所に層が見えるのでそこまで皮を厚く剥く。皮を剥いた大根は、4本指で摘まんだ位の量の米と鷹の爪2~3本を入れ、たっぷりのお湯で柔らかくなるまで30分ほど下茹でをする。鰤のアラと身は、沸騰したお湯をかけて血を洗って処理し、魚の生臭さを消すのだ。ここまでの処理は、誰でもが行う作業である。一番重要なのは味付けだ。砂糖、醤油、日本酒で味付けする人が多いが、私の場合砂糖は使わず味醂を使用する。味醂は甘さが程良く、くどくないので良い味に仕上がる。処理済みの鰤切り身4切れと、1本分大根の下茹で処理したものを深めの鍋に入れ、日本酒150ml、味醂150ml、醤油75mlの調味料を入れ、大根が被るくらいの水を足す。2:2:1の割合だから、加える量を間違えたり忘れたりすることは無い。これが鰤大根を作る際の、自分流調味料の黄金比率だ。後は味の濃い薄いの好みによって、少しずつその量を調整すればよい。このまま中火で20~30分煮れば、素晴らしい味の鰤大根が簡単にできる。この秋初めての鰤大根が、いつも通りの程良い味に仕上がった。猿が盗って行った大根の事を思いながら、残されて鍋の中に入った大根に感謝しつつ、土砂降りの雨音を聞いての晩酌のお供にするのだ。
2012年11月17日
ほとんど全ての魚は寄生虫を持っている。魚にとってはどんな寄生虫であっても害虫である。しかし、宿主が人でない魚の寄生虫は、譬え魚に寄生しているものを食べたとしても、人体に影響を与えないものがほとんどである。例外として、サンマ・アジ・サバ・ニシン・イカなどに寄生するアニサキスという線虫は、生きたまま食べた場合、時として胃や腸壁などに迷入して虫垂炎と間違えるほどの腹痛を起こすことがある。サンマは正に今が旬で食べ頃であり、丸々と太って秋刀魚の字のごとく青く輝く魚体には食欲をそそられる。サンマは焼いたり、煮たり、刺身でも食べるが、やっぱりこんがり焼いて熱いうちに大根下ろしで食べるのが最も旨い。皮が薄く脆いので焼くと表皮が剥がれてしまうことがしばしばである。また、サンマを購入する際にも、まして食べる時にも黒く皮が焼けてしまっていて気がつか無いのだが、多くの魚体に直径4~6ミリの円形の黒いくぼみを見ることがある。これはサンマの魚体に吸着して体液や血液を吸う、サンマウオジラミという寄生虫の剥がれ落ちた跡で、見たところは悪いが食べても問題が無い。サンマウオジラミは、漁獲されると自然に剥がれ落ちてしまうので、虫体を見ることは殆どない。寄生していた、痕跡だけが残るのである。野菜でも、ナメクジが這ったり青虫に食われたり、アブラムシがたかったりするが、虫そのものを見なければ案外気にしないで食べてしまう。サンマウオジラミも同じだ。今日のプログの添付写真のために、魚屋へ出掛けたがサンマウオジラミの食み後の付いた魚体は案外少なかった。 今日は殿さま気分で、目黒の秋刀魚を思い出しながら、新サンマを辛味大根で食べる予定だ。
2012年11月16日
街中では早くも、来年の年賀状発売の幟が風にはためくようになった。来年は干支の6番目に当たる巳年である。早々と年賀状印刷の新聞折り込みチラシが届くようになった。どの図柄を見ても、ヘビの写真やイラストが多い。巳は包と同じで、胎児が育ち始める時に子宮が胎児を包み込む様を示している。自然界では、草木が十分に成長した状態の時期を現しているという。 西暦を12で割って、余りが9になる年が巳年にあたる。巳の月というのは旧暦の4月のことで、種が実る頃を現している。巳の刻といえば、午前10時を中心とする2時間である。方角で巳の方と言えば、南南東より僅か北寄りを示す言葉だ。十二支で何故、巳に動物の蛇が割り当てられたのかについて、その謂われは定かでない。無学な庶民に対して、十二支を広め季節を覚えやすくするために巳を蛇と結びつけたとする説もある。蛇は我が国においても、太古から信仰の対象とされてきた。有名なものは八岐大蛇があり、三輪山が御神体の大神神社には「大物主神の妻となった倭迹迹日百襲姫が、夜しか訪れぬ夫の姿を垣間見たら実態は「小蛇」であった。」という箸墓伝説があり、(『日本書紀』崇神天皇条)蛇が祀られている。言い伝えで蛇が金と結びついたのは何故なのか、良く分からない。蛇皮の財布を持つと金が貯まるとか、蛇の抜け殻を財布に入れておくと金が貯まるなどは特定の地方だけの迷信では無く、全国的に言われていることである。古来蛇の出てくる言葉も多い。蜿蜒長蛇、蛇の道は蛇、蛇足、蛇蠍、蛇に睨まれた蛙、藪を突いて蛇を出す、竜頭蛇尾など。蛇のあの姿は、どうしても好きになれない。蛇を、ペットにする人の気が知れない。蛇に咬まれて朽ち縄に怖じるの言葉も有る。蛇嫌いな人にとっては、千切れた縄も蛇に見えるのだ。蛇にはオロチ、ウワバミ、クチナワなどの別のよび方がある。せめて来年からは、ウワバミにはならないように注意したいところだ。
2012年11月15日
昨年の大震災では、養鶏施設も大きな打撃を受けて、常に物価の優等生とされていた鶏卵の価格が倍以上にも跳ね上がった。この所漸く価格も落ち着いて来て、スーパーストアの目玉商品としてワンパック10個入りを、100円以下で販売するところも出てきた。何時の時代でも、卵は栄養に富んだ素晴らしい食材であり、庶民にはありがたい存在だ。卵は生鮮食品ではあるが、一般に考えられているより以上に日持ちのする食材である。摂氏10度以下で冷蔵保存すれば、産卵後2週間は鮮度が維持できる。 欧米の数カ国が、優良鶏の原種鶏、種鶏を独占的に産出して世界に供給している。わが国でも原種鶏、種鶏はそのほとんど全てが欧米からの輸入に依存している。昔から鶏や卵が原因となって、ゲルトネル腸炎菌による食中毒が発生することは分かっていた。この輸出元の原種鶏、種鶏が1980年代にサルモネラ・エンテリティディス(ゲルトネル腸炎菌の新しい名前、S・E)に汚染されたことにより欧米で、1985~1986年に鶏卵によるS・E食中毒が大流行を始めた。その数年後の1989年頃からわが国でも、欧米と同じ血清型S・E菌の汚染が原因となって、卵の食中毒が多発し始めた。世界のS・E食中毒の発生のほとんどが、この優良原種鶏・種鶏の輸入によって広まったと言える。日本において、欧米の発生と時期的に開きがあるのは、汚染原種鶏、種鶏が輸入されてから汚染卵が産出されるまでに、2~4年のタイムラグがあるためである。鳥類は、総排泄孔といって卵、尿、糞が同じ孔から排泄される。鶏の場合、消化器に感染増殖したS・Eが、輸卵管を遡って卵殻が形成される前に卵の中に入り込むことがある。そのようにしてS・Eは低率ながら卵を汚染し、次世代雛に介卵感染する。こうして汚染した卵は、食中毒の原因となる。卵の中身自体が汚染しているため、卵殻を消毒したり洗ったりするだけでは、サルモネラ食中毒を防げない場合もあるのだ。わが国でのS・E食中毒の多発で、パンデミックな流行が起きるのではないかと心配され、行政により消費者の衛生教育に力が注がれ、鶏卵生産者に対しては飼養管理に対する注意喚起と指導にも力を入れてきた。その結果、我が国においては1996年のS・Eの分離株数を100とした時、2005年では17に激減した。しかし、ニューヨーク州のように、飲食店での生卵の提供を禁じた州もあるのに、アメリカでは49.1、イギリスでは37.4で、まだまだ食中毒が多発していて、卵の生食を常としている日本の方が激減している。わが国においては、消費者の衛生思想の高まりと、鶏卵生産者への衛生的飼養管理が如何に行き渡ったかの証左ではないだろうか。 米が主食の日本人にとって、炊きたての熱いご飯に生卵を懸けて食べる卵かけごはんは、食卓から消すことが出来ない食文化であろう。鮮卵を選び割卵後は速やかに食べるなど、細心の注意を払えば生卵は決して怖いものでは無い。
2012年11月14日
地方の屋敷の庭先には、よくカリンの木が植えてある。我が家にも、二代目のカリンの木があり、大きな実が黄色になって来た。一代目は車庫を作る際、かなり大きくなっていて移植が難しかったので伐採してしまった。高校PTAの会長を引退する際、役員交代の記念樹としてカリン一本を寄贈した。申し合わせで、歴代会長が記念樹を寄贈することになっていたのだが、教職員の異動などで申し合わせがいつの間にか反故となり、カリンの木も来歴を知らないままいつの間にか伐採されてしまったと聞く。我が家の二代目の花梨はその際に植えた、娘の高校卒業記念樹でもある。カリンの樹高が8メートルを超えるようになり、二階の屋根樋に落ち葉が詰まることもあって、数年前地際3メートル程から切断した。一時は7~8百個もの実を付けたが、現在は毎年剪定してしまうので、十数個しか実を付けない。やがて落葉して梢に黄色の実だけが残るようになると、これを見た人の中には、リンゴと間違える人もいる。外見と香りは良いのだがカリンの生は、堅くて歯が立たずまた渋いので生食はできない。見た目より案外利用が限定されるのだ。硬くて中々腐らないので、沢山実った時には処分に困る。利用の方法として、カリン酒や砂糖煮にすることを知っている人は多いが、ジャムにもなることを知る人は少ない。カリンと同量の砂糖で作るジャムは、加熱とともに綺麗な深紅の色をした香りの良いジャムとなる。長野県諏訪湖畔の街路樹に沢山植えられているのは、果実の大きさ、色、形、香りが一見カリンに見えるが、果実に白色短毛が密生しており、マルメロといわれる果実である。果実の用途は殆どカリンと同じである。中央道諏訪湖サービスエリアには日帰り温泉入浴施設があり、季節になると諏訪湖を眺めながら、このマルメロの実を入れたマルメロ風呂を楽しむことができる。昔から、「金は貸しても借りない」ようにとの縁起を担いで、家の表にカリンを植えて裏に樫の木を植える風習がある。樫(かし)ても花梨(かりん)と言うことから出たものだ。中には逆に表に樫の木を、裏にカリンの木を植えると言う人がいるが、樫の木はカリンと異なり横に傘状に枝を伸ばし、また常緑樹であることから冬も葉を落とさず、日照を遮るので南側への植樹は不向きで有ろう。樫の木を庭に何回植えても、とうとう根付かなかった。我が家には幸い借金もローンも無いかわりに、人に貸す程の金も無い。樫の木が育たなかったせいかも知れない。
2012年11月13日
秋が深まってくると、庭の植え込みの下で存在を主張し始める植物がある。夏の間は目立たなかった、センリョウやマンリョウの実が赤く色づいて来るのだ。地上を這うように伸びていたヤブコウジにも、いつの間にか実が付いている。ヤブコウジは別名を十両と言われている。落語の「寿限無寿限無…。」に出てくる藪柑子(やぶこうじ)はこれの事で、生命力豊かなところから縁起の良い木とされている。文学では、徳田秋声の処女作の題名にもなった。この木の葉や赤い実が千両や万両のものに似ている所から、同じヤブコウジ科の背の高い方のカラタチバナが百両、低い方のヤブコウジを十両と呼ぶようになった。縁起が良い木とされるものに十両(ヤブコウジ)、百両(カラタチバナ)、千両(センリョウ)、万両(マンリョウ)があることは多くの人が知っているが、一両と億両と呼ぶ木もあることを知る人は少ない。一両はアカネ科のアリドオシ(蟻通し)の別名で、葉の付け根の鋭い棘は蟻も突き刺すほど鋭い、とされるところから付けられた名前である。千両や万両と同じように赤い実を付ける。正月には千両、万両と一緒にこの一両を飾らないとご利益がないとされている。一両の正式名称の「アリドオシ」は、「有りどおし=常にある」と聞くことができ千両、万両の金がいつも有るようにとの願いを込めたものだと言う。江戸時代の人はさすがに、洒落とユーモアに富んでいたものだと感心する。億両はミヤマシキミの別名で、この木は亜高山帯の山野に自生しており、冬季は赤い比較的大きな実を付けるので目立つが、全草に毒を持っている。この木の果実は他のものより大きいので、億両と名付けたのだろうか。我が家の庭に十両、千両、万両は植えてあるが、一両が無い。金が無いのは、そのせいかも知れない。
2012年11月12日
非常に好きなものの譬えで「猫にまたたび、お女郎に小判」という言葉がある。ほとんどの猫はマタタビの木、実に対して、狂ったような恍惚状態になるのだ。個体により差はあるものの、猫はまたたびに限らずキウイに対しても、興味を示すことがある。キウイは、マタタビと同じマタタビ科の植物である。猫が興奮状態を示すのは、どちらにもマタタビラクトンという芳香成分が含まれていることによるとされている。我が国で現在、キウイを知らない人は恐らくいない。しかし、この果実は作りだされてから百二十年ほどしか経っていない新しい果物である。キウイは、小指の先ほどの実をつけるシナサルナシが、中国中部からニュージーランドへ移入され、1900年の初めに改良されたものである。よく知られているように、果実の色と果皮に短毛が密植している姿が、国鳥のキウイに似ている所から、商社が輸出に際して愛称として付けた「キウイフルーツ」が名称となったものである。世に出てから僅かの間に非常に多くの品種が作られた。キウイは当初南半球で作られ、栽培されたこともあって、暖地植物と思われがちだが耐寒性があって、冬期零下10度の低温地帯でも栽培が可能である。山間部には、多くの種類のカミキリムシが生息していて、この幼虫がキウイの幹を好んで食害する。白色の親指の頭程もある幼虫が羽化した後の幹や枝には、鉄砲で開けられたような穴が開くことから、テッポウムシとも言われる。知らない間に、この虫が幹に入ると木が弱ったり、場合によっては枯死してしまうこともあるので厄介な虫である。この蔓性の植物は銀杏、ヤマモモなどと同じ雌雄異株であり、雌雄の株がないと結実しない。我が家のキウイは黄色種のゴールドだが、雌木は順調に生育したものの雄木が何回植えても枯れてしまって、雄木がない。したがって、人工授粉をしないと結実しないのだ。キウイの開花は、大体5月下旬である。昨年は6月初めまでずれ込んだのに、今年はそれより2週間も早い開花であった。結果的に開花と授粉の時期が合わなくて、結実したのは昨年の四分の一程だった。授粉用には緑色種のヘイワードと黄色種のゴールデンキングの花粉を使った。先日収穫して追熟していたものが食べごろになり、皮をむいて見ると果肉が黄色、緑色、中間色のものがあって誠に面白い。食味は、雌木の性質を受け継いでおり、酸味が少なくゴールドキウイそのものである。誠に甘いのだ。人工交雑種のキウイを食べる度に毎回、遺伝と進化について思いを馳せている。
2012年11月11日
「兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川 夢は今もめぐりて 忘れがたきふるさと」と歌われる尋常小学唱歌の「故郷」は、大正3年に発表されたものだが、発表から98年の一世紀近く経ってもなお多くの人の心にあって、歌い継がれている。この歌の歌詞の2番に「恙なしや友垣」とある。学生時代の公衆衛生学か細菌学か、どちらの講義で聞いたか記憶が定かではないが、ここでいう恙なきやの「恙」は、ツツガムシを指しており、「ツツガムシに刺されて病気になったりしてはいないでしょうね」という意味だと聞いた。以来そのように信じて、社会に出てから講演会などでこの話を種に使ったことがある。タマムシの玉は宝石のことで、玉虫という名前は、羽が宝石のように綺麗な虫であることから付けられた名前である。玉(ギョク)が玉虫から出た言葉でないと同じように、恙なしがツツガムシから出た言葉だというのは逆であって、後からこじつけた俗説に過ぎないらしい。調べて見ると「恙なき」の言葉は、本来ツツガムシとは関係がなく、「息災であって憂うべきことが何もない」という意味で、後世になってダニが原因となる病気が判明してから、病気の原因となるダニに対してツツガムシの名前を当てたものであるという。ツツガムシはツツガムシ科のダニの総称で、日本においては凡そ100種が同定されている。このダニは一生の間に一度、哺乳類に寄生して組織液を吸引する。約3パーセントの割合で、ツツガムシ病の原因リケッチアを保有しており、吸着された際に感染する。患者の発生は、ダニの幼虫の活動時期に一致している。戦前は主として山形、新潟、秋田などの3県で、このダニに吸着されて発生する重篤な風土病であったが、戦後は新型ツツガムシ病の出現により、北海道以外の全国で発生が見られるようになった。5月と11月に患者発生のピークがある。ツツガムシ病の全国への拡大は、高速道路網が発達したことで病原菌の拡散に繋がったとする指摘もある。統計によると、1999年588人、2000年754人、2001年460人が報告されていて、毎年死者も出ており今なお、命にかかわる疾病である。主要3徴候と言われる発熱、発疹、刺し口が90パーセント以上に現れ、これを確認することで容易に診断ができる。感染予防としては、屋外の藪や草むらで活動する際には、ダニの吸着を防ぐ服装をし、活動後は入浴、衣服の洗濯、天日干しをすることが有効とされている。かつて、私から間違った話を聞いた人が、現在もそのまま人に伝えているのだろうか。あるいは昔間違ったことを教えられたと、笑いながら正しい話しているのだろうか。
2012年11月10日
日本人で、好みは別にして山の松茸と川魚のアユの名前を知らない人はいないだろう。松茸は栽培ができないが、アユは養殖が可能であり、天然ものにこだわらなければ時季外れに店頭に並んだり、比較的安価で購入することができる。アユ漁は昔から友釣りが有名だが餌釣り、転がし、投網, 簗、海鵜を飼い馴らして使う風流な鵜飼いなど多彩な漁の方法が知られている。漁期は大体6月1日からで、河川によって成長期と産卵期の禁漁期間が定められている。関東地方では1月から5月末と産卵期の概ね10月上中旬から11月末までである。アユは年魚とも言われ、川で孵化して海に下り幼魚となって川を遡上し、成魚となりやがて性成熟するとさび色の体色となって、河口近くに下りてきて産卵して一生を終える。産卵のために川を下るアユを、落ちアユと言っている。今が丁度産卵期で、三島市の柿田川では昼間産卵の様子を見ることができることで有名である。この川は、富士山の湧水を集めて流れる川で、年間を通じて水温がほぼ15度と一定しており、冷たくならないので性成熟が遅れ越年して産卵する個体が多数ある。年魚にもかかわらず一年で生涯を終わらないで、6月の解禁日頃体調25センチに達する越年アユが釣れることもある。性成熟が遅れて、当年に産卵に失敗したアユだともいわれていてほとんどがメスである。アユの最もポピュラーな食べ方は、「こいはささやき、あゆはしおやき」と言われるように、何といっても塩焼きが最高である。生食の伝統的な料理にはアユの鱗と鰭、頭を落とし、切り口から内臓を取り出し水洗いした後、氷水で締めてから辛子醤油や蓼酢で食べる「せごし」という料理もある。近頃は、アユの刺身が時々旅番組などで紹介されている。マスコミにはあまり紹介されないが、地下水で養殖されたものを除いてアユ、コイ、フナ、オイカワ、ウグイなどの淡水魚には、横川吸虫という寄生虫の幼生が鱗や筋肉に寄生していて人への感染源になっている。横川吸虫の終宿主は、川魚を食べる哺乳類と鳥類である。人に感染すると小腸に寄生して下痢、腹痛を起こし、慢性カタル性腸炎の原因にもなると言われている。少数感染では多くの場合、自覚症状がなく過ぎる場合もある。このため真剣に予防対策がとられていないのが現状である。О157を代表とする、腸管出血性大腸菌に汚染されているとして、レバ刺しや牛刺しが禁止されたが畜肉に限らず、食品原材料の多くは人体に有害な細菌や寄生虫に汚染されていることがあり、自己防衛対策として加熱または同じ程度の効力がある物理的、化学的な方法で処理してから食べるように心がけることが必要であろう。秋の静かな夜、子持ちの落ちアユの良く干したものをこんがりと焼いて、熱燗の酒に浸したアユの骨酒をチビチビと嗜むのも良いものだ。 なめらかに日のさす石のかげにゐて尾鰭さやけくおよぐ鮎の子 若山牧水
2012年11月09日
カテゴリ:カテゴリ未分類 仏教世界に、極楽という概念がある。これは阿弥陀仏の浄土の事をいい、「幸福」に満ち満ちていて身も心も安楽な、四苦八苦の対極にある世界を指していうのである。二つ並べて極楽浄土と使われるが、単独で使われる浄土の意味も、一切の苦がなくただ楽しみだけがある世界のことを指している。雄鳥の成鳥の飾り羽根が美しく、繁殖期には多彩なダンスで求愛する鳥に、その美しさからparadiseの鳥として名前が付いた、極楽鳥と呼ばれる鳥がいる。この鳥は、ニューギニアに多数の固有種が生息していることで知られている。雌の成鳥は雄の派手さに比べて、まことに地味な外見をしている。雄鳥の羽根が美しい故に多数が捕獲されて、16世紀ころに観賞用としてヨーロッパに輸出されたが、輸送に際して邪魔になった足を切断し、足が無い状態で運ばれていた。それを見て、この鳥は一生枝に止まらず風に乗って飛んでいる鳥だと考えられ、bird 0f paradise(天国の鳥)と呼ばれるようになった。極楽鳥と言われている所以である。また、風を餌にしていると思われたことから「風鳥」という名前が付けられた。羽根が美しい故に捕獲され、殺戮された鳥にとっては、名前に反してまさに地獄だったに違いない。南アフリカ原産で、明治5年ころに我が国へ入って来たストレリチアという花がある。葉と同じ位の長さの直立した花茎の先端に、硬くて鳥の嘴状の萼を持つ。全体が花のように見えるが、包の内部に6~8本の花がある。外花被はオレンジ色、内花被は青紫色の舌状でこれが良く目立つ。外花被は、次々と立ち上がって来て、まるで鳥の頭頂飾り羽根のように見える。この花の様子が、極楽鳥に似ているとして「極楽鳥花」と言う名前が付けられたが、正式にはストレリチアという。関東以西の海岸沿いでは、地植えのものを見るし初島の公園には群植されている。ストレリチアと同属の植物で姿形がそっくりな、マダガスカル原産のオオギバショウ(扇芭蕉)という植物がある。成長すると葉の落ちたところの茎が伸長して、椰子の木の幹のようになり、左右対称に伸びた長い葉柄の先に広がった芭蕉に似た葉は、巨大な柄のついた扇を開いたように見える。遠くから見ると、まるでクジャクが羽を広げたようにも見え豪華である。この植物は葉柄に水を蓄えることから別名旅人の木ともいうが、旅人が旅の途中、この木の葉柄を切って滴る水を飲み、喉の渇きを癒したことから付いた名前と言われている。ストレリチアはせいぜい大きくなっても2メートル弱だが、こちらは樹高7メートルを超え姿も良く見栄えがする。ただそっくりな蕾を持つが、図体は大きくてもストレリチアのように派手な花は咲かせず、小さくて目立たない。冬越しは5度以上を必要とすること、樹高が7メートルを超え、葉を広げると巨大になることから個人の家での植栽は困難であろう。15年も前に、パラオコロール島の日航ホテルへの入り口道路脇で、灌木の茂みの中に自生している旅人の木の見事な木姿を初めて見たが、1年後に再訪した際には惜しくも伐採されてしまっていた。サカタの種が指定管理者となって運営している公園の温室には、未だ若木だが旅人の木が植えられている。ストレリチアが我が家に来てから、3年になる。毎年一株ずつ増えて今年は5本花茎が出ている。花茎の先にほんのりと紅が差してきたので、年末までには開花し3月初めころまでの冬の間楽しめるものと期待している。
2012年11月08日
2012年11月07日
公園の桜の枝に、ヤドリギがあるのを見つけた。沢山の人が公園を訪れていたが、視線が上を向いている人は少なく、おそらくヤドリギを観察した人はほとんどいなかったのではないか。現役時代通勤で小田急線を48年間使ったが、沿線でヤドリギが見られるのは、鶴川駅のホーム新宿寄り右手に見えるケヤキの大木にあるヤドリギだ。葉が落ちた12月中旬頃からハッキリと見えるようになる。今日現在は、宿主のケヤキに紅葉前の葉があって、下からはケヤキとヤドリギが良く判別できない。中央道で見ることができるのは、東京に向かって談合坂サービスエリアの先、下り坂にかかった時に右手丘の上の数本のケヤキの大木に見ることができる。ヤドリギの中には、全く葉緑素(クロロフィル)を持たない種類のものもあって光合成と栄養素、水分の全てを宿主に依存している全寄生の種類もある。我が国で見られるヤドリギは、セイヨウヤドリギの亜種とされており、半寄生の植物で、葉や茎に葉緑素を持つので光合成は行うが、水分や栄養塩類は宿主から略奪しているのだ。細い枝に沢山のヤドリギが着いて繁茂すると、そのために成長が阻害されることもある。ヤドリギの果実は蝋細工を思わせる半透明の、黄色または橙色をしている。この果実にはカラクリがあって、果実の種子は、粘着性のねばねばしたビスチン(viscin)という物質に包まれている。ビスチンとは、ヤドリギの属名にもなった、とりもちに由来する言葉である。11月から5月にかけて、シベリアや中国から渡って来て日本で越冬する、キレンジャクやヒレンジャクといわれるレンジャク類の鳥がいる。これらの鳥に食べられたヤドリギの果実は、消化されないで糞として排泄されるので、ビスチンが種を抱いたまま樹皮の上で固化し、やがて発芽して寄生が始まる。発芽した種子から伸びた根は、樹皮を破って宿主の木質の中に入り込み、やがては一体化して同化してしまう。寄生する木は様々で、主なものにケヤキ・ヤナギ・ブナ・ミズナラ・サクラなどがある。サクラの木で特にソメイヨシノに、遠方からは一見ヤドリギと見える鳥の巣状の物をよく見かけるが、これは糸状菌(カビの一種)が感染したことによるサクラてんぐ巣病と言われる枝の病気で、ヤドリギの寄生ではない。ヤドリギは、単に楽をしようとして他の樹種に縋りついたのではなく、地上に比べて「寄らば大樹の上?」で、常に供給される水と栄養があって枯死することが無く、さらに目につきやすい樹上にあることで、鳥に食べて貰い、種を撒いてもえるようにと進化した結果なのだろう。フランスのロワール河畔のポプラ並木に、鳥の巣状態でぶら下がった数え切れないくらいのヤドリギを見たことがあるが、日本のヤドリギとは種類が異なるような気がした。寄生や寄生虫のことをパラサイト(parasite)というが、同じパラサイトであっても植物と動物では人の感じ方やその扱いが著しく異なる。どちらかと言えば、植物の場合は肯定的にとらえられていて歌に謳われたり、詩歌の題材、店舗の名称になっていたりする。古くは紫式部が源氏物語の第49帖で巻名として使っている。枕草子では37に、「宿り木といふ名、いとあわれなりと。」書いている。一方寄生虫が、歌に詠まれたり店舗の名前となったりしていることはほとんど知らない。人間社会ではパラサイトに似た言葉で、ヒモと居候と言う言葉がある。ヒモはほとんどの場合男が女性に生活を依存する意味に使われ、陰湿な暗いイメージがある。後者の、居候の本来の意味は、他人の家に同居して養ってもらう人のことで厄介者のことだが、「三杯目はそっと出し。」のように、むしろ滑稽な響きがある。何時までも親の脛をかじっていて独立できない者のことを新語でパラサイト・シングルとも言う。宿主に栄養(財力と体力)があるうちは良いが、居候にあまり養分を吸い取られると宿主もパラサイトも、共倒れになることもあるのは、植物の世界と同じだ。
2012年11月07日
庭の片隅に一本のピラカンサの木がある。20年ほど前、鉢植えの鉢を直接土の上に置いていたところ、いつの間にか鉢抜けをして土に根を下ろしてしまったものだ。今では幹の太さが15センチメートルを超える程にもなって、最初の住処の鉢は割ってしまい庭で堂々と存在を主張している。 わが国ではトキワサンザシ、タチバナモドキ、カザンデマリの3種類がピラカンサと呼ばれて栽培されている。よほど植物に詳しい人以外は、和名よりピラカンサと呼ぶ方が一般的で通りやすい。ところでピラカンサの事を、ピラカンサスと呼ぶ人が多くいる。植物辞典などを調べても全てピラカンサとしていて、スを付けているのはネットへの投稿者位である。英語ではpyracanthaでsは付いていない。一説では、トキワサンザシ、タチバナモドキ、カザンデマリ3属の植物をまとめて呼ぶので、複数形としてpyracanthasというのだとするものがあるが、どうもしっくりこない。6500万年前に絶滅したと言われる古代生物の恐竜が次々と発掘されて、現在400種類が特定されている。推定では6000種類もの恐竜がいたのではないかとされている。恐竜の語源はギリシャ語で、恐ろしい(deinos)トカゲ(sauros)から来ている。400種もある恐竜の名前は、…サウルスと最後にスの付く名前がほとんどであり、ピラカンサスと言う響きはどことなく恐竜の呼び名に似ていなくもない。また中学の教科書に必ず出てくる、ジャワ原人ピテカントロプス(pythecanthropus)や、魚の生きた化石の名前シーラカンス(coelacanthus)にも語尾にスが付く。耳に聞きなれたカタカナ語の似た表現であり、サで止めるよりもスを付けるとなんとなく語尾の収まりが良いことから、誤ってピラカンサスと言ったのではないだろうか。 10月の下旬ころから、小豆粒程の大きさでスズナリに生った実が急に色付き、赤色が鮮明になってきた。この所連日、実の熟れ具合を見に1~2羽のヒヨドリが斥候にやってくる。やがて12月に入る頃になると、人や車の通行が多い道路に面した場所にもかかわらず、ヒヨドリ実行部隊が群れて集まってくる。やがて木全体を覆っていた真っ赤な実が3日ほどで、あっという間に、赤く細い果柄を残すだけとなってしまう。ヒヨドリの旺盛な食欲には驚かされる。ヒヨドリが去った後には、お零れ頂戴とメジロやシジュウカラがやって来て食べ残しを掃除するので、年末近くなるとスズナリに実がついていたのが嘘のように、緑の葉のみとなってしまう。我が家の木と、同じように赤い実の付くピラカンサは近くの住宅の庭にも見かけるが、何故かヒヨドリの軍団は一番先に我が家にやってくるようだ。
2012年11月06日
日曜日の昨日は、日本晴れで風も無く、小春日和の言葉通りの絶好の行楽日和となった。一日、小学生の孫2人の相手をすることになり、手頃なところで、久しぶりに県立相模原公園・市立麻溝公園を訪ねた。この二つの公園は、面積23.8ヘクタールの県立相模原公園と計画面積45.3ヘクタールの市立麻溝公園が隣接している。しかも、自由に行き来でき小動物園、アスレチック、植物温室、噴水、芝生広場、展望塔などの各種公園施設が整備されていて至れり尽くせりである。入園料はポニー乗馬と温室入園(18歳未満と65歳以上は無料)を除いては、無料で利用できる。近場で金のかからない所として、考えることはだれも同じと見えて、5箇所1,265台収容の駐車場はどこも満車で、駐車するのに苦労した。園内を進むうちに、紅葉が始まった県立公園の芝生の端にある、葉をすっかり落とした8本ほどの桜の木に、小さい花が真っ白に咲いているのを見つけた。この花は、気候条件等で偶々狂い咲くことがある現象とは異なり、「冬桜」と呼ばれる2度咲き種の桜の花であった。2度咲き桜で有名なのは、群馬県藤岡市鬼石(おにし)の桜山公園である。明治41年に日露戦争の戦勝記念に桜樹1000本を植樹した中の400本が、偶然冬桜であったという。昭和12年には、国の名勝天然記念物の指定を受けたが、山火事で一部が消失した。その後7000本が植え直され、現在はソメイヨシノと併せて10,000本の桜が植えられている。県立相模原公園の桜は、一重の花であることから冬桜と言われる種類のものだと思われる。十月桜は、コヒガンとエドザクラの交雑種とされており、冬桜(フユザクラ)という品種とは別種であるが一般的にはまとめて冬桜といわれることがある。同じ桜でも、エドヒガンとオオシマザクラの交雑種とされるソメイヨシノは傷に弱く、深い選定や枝折れの傷から腐敗が進み枯死することもある。昔から「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」という諺がある。成長が早く、その分寿命は50~60年と短いことで知られる。桜は種類によっては、樹齢二千年を超えるとされる長寿の種類もある。北杜市の我が家の近くにある神代桜や、岐阜の薄墨桜はエドヒガンという種類で、エドヒガンには有名な古木の一本桜が数多く全国各地にあることが知られている。サクラの語源は、1.「咲く」に花が密生する状態を現す複数形の「ら」が付いた木全体の総称。2.「木花之開耶姫」のサクヤから。3.春に稲(さ)の神がやって来て座る座(クラ)からなど諸説がある。特にソメイヨシノは花を散らすとき一斉に落とすので、その様を桜吹雪または花吹雪と言う。乳母桜とか姥桜とか言う言葉があるが、前者は葉に先だって咲く桜の木の総称であり(歯が無い時に咲く)を意味し後者は、盛りを過ぎて容姿が衰えた女性という意味で使われることもあるが、本来は娘盛りを過ぎてもなお美しさが残っているという、女盛りの年増の容姿を褒めている言葉である。また、春の季語である。万人が携帯電話を持つようになり、ネット社会になる以前の大学入試の合格発表では、サクラが咲いたり散ったりしたものだ。今ではマグロのトロよりも高価な馬刺であるが、馬肉はサクラと言われる。その語源にも肉の色由来説、一年の間で脂が乗って食べ頃になる時期が、桜の開花時期に重なるとする説、馬が飼われていた千葉県の牧(まき)があった場所の地名からとする説、昔高価であった牛鍋に誤魔化して安価な(サクラとして)馬肉を入れたからとする説などがある。客寄せに仕込んだ客の事を「サクラ」というが、頼まれて景気づけに芝居小屋の役者に掛け声をかけた人が、威勢よく声をかけた後パッと消えたところから、桜の花に似ているとしてサクラと言われ、これが香具師(やし)の間で広まったものだとも言われている。11月に入って4月末頃の気候になり、紅葉と一緒に開花し始める冬桜だが、春の花は花色も濃くボリューム感があって生命の躍動感が感じられる。一方春と同じ花を咲かせる木であっても、深まりゆく秋に咲く花は物珍しいが、万物が終焉に向っている感じがして淋しさが漂ってくる。この時期に今年の桜の花を思い起こし、来春に咲く花について思いを馳せることができるのも、たまたま十月に桜の花を見られた僥倖の故である。
2012年11月05日
中学生の頃、動植物に興味があって図鑑などでよく調べたものだ。その年頃の子の知識としては、かなり詳しかったと思う。教科の時間割に実習の時間というのがあった。校内の花壇や畑に、花や野菜を植え付けたり育てたりして、実体験を通して自然から様々な事柄を学ぶ時間なのだ。ある時の実習の時間中に、担当教師から「ネギは何科の植物か」という質問があった。もちろん正解は分かっていたのだが、少し剽軽ものだった私は「ネブ科」と答えたのだった。教師にこっぴどく怒られたことは、言うまでも無い。60年経った今でも鮮明に覚えている。ネギには関西で好まれる葉葱と、関東で多く好まれていた根深葱と言われる白ネギがあるが、信州伊那谷では葉ネギも白ネギもどちらも根深(ネブカ)と言っていたのだ。ネギは、古名を葱(キ)といい、根の部分を食用として利用していたことからネのキが転じて、「根葱」=ネギ・根深になったと言われる。ネギもタマネギもユリ科に属し、ユリ科には鱗茎や球根が発達するものが多く、また有毒なものも多い。子供の頃、猿にバナナやミカンなどを与えると皮を剥いて食べるという話の序でに、タマネギを与えると、鱗片を皮と思って次々剥がしてくが、最後まで剥いても実が出てこないので、ついには怒って人に投げつけると言う話を、至極真面目な話として何回も聞いた。果たして、猿はタマネギを食べないで鱗片を剥き続けるのだろうか。タマネギの栽培は9月上旬に種を蒔いて、11月上旬に定植し6月茎が倒れた頃収穫するのだが、我が家の畑では、定植後に猿が出てきて苗を引き抜いてしまう。抜かれないで残ったものも、年を越した頃になると、土から上に出ている茎の部分は全て千切って食べられてしまう。これはあの匂いの強い、ニンニクも同じだ。昔の話が本当なら、近年になって猿の食性が変わって来たということなのだろうか。タマネギを収穫する頃になると、山野に餌となる植物が増えてくるのか、肥大した畑のタマネギには悪戯しなくなるが、収穫して軒下で乾燥保存しているものには、手を出すことがある。冬期の食用として一年かけて栽培した畑にある長ネギも、来春植え付ける長ネギの苗も、どちらも冬の間に全てが猿の餌食となってしまう。動物園では風邪の予防と称して、猿に葱を食べさせるようになった。近頃は、冬季になって山野や畑に食べ物がなくなってくると、未だ完全には食べないとはいえ、収穫後畑の隅に捨てておいたサトイモの親芋を齧ったり、木瓜の実を取って散らかして行くようになった。従来は食べなかったものを食べるようになったとすれば、学習によって群の食性が変化してきたということなのだろう。やがては学習の結果が子孫に受け継がれて、従来食べなかったものまでも餌とするようになるのだろうか。防獣網でどのように囲って防いでも、猿には勝てない。3年ほど頑張ってみたが必敗で、昨年からは畑でのネギ苗作りを諦め、自宅でプランターに播種しているが今年も苗が大きく成長してきた。
2012年11月04日
柿にはビタミンA、C、の他、カリウムなどのミネラル成分が多く含くまれているので、栄養豊富な柿が食べられる頃になると、病人がいなくなることで、医者は商売あがったりになってしまうという譬えだ。11月の訪れとともに庭の柿の実が急に色づいて来た。それと共に、ヘタ虫などによって早くも熟してしまった柿を食べに、毎日ヒヨドリ、ムクドリ、メジロなどの野鳥が群れてやってくる。栽培している主人が味見する前に、メジロは控えめにチリチリチリと鳴きながら忙しげに実を啄ばみ、ヒヨドリとムクドリはけたたましい声で鳴きながら実を啄いて行く。決して堅い実には、嘴を付けない。食べ頃になったのを、どのようにして感知するのであろうか。いつも不思議に思うのである。柿は北海道と沖縄県を除いて、日本の全土で栽培されている。中国・韓国・ブラジル・メキシコなど世界各国でも栽培されていて、kakiと言う名前が通用するほど、ポピュラーな果実である。我が家の柿は40年前に植えた富有柿で、ほとんどタネが入らない種無しである。受粉しなくても実を結ぶ果実を単為結果といって、受粉が行われなくても子房壁や花床が肥大し無核果を作る。ミカン、バナナ、柿などに見られる。人工的には三倍体の技術を用いたり、ジベレリン処理を施し種無しの果実を作る方法が知られている。種の無いことで知られる平種無柿は、突然変異した種を作らない形質をもつ株からの株わけ、挿し木、接ぎ木で増やしたものである。柿の実を割った時、種の痕跡を残しているが、これは受粉後に胚の発育が止まったことを示している。これを、単為結果に対して偽単為結果という。一般的に、富有柿はこの単為結実力が弱く、種子の形成力が強い品種と言われている。たしかに種を持つ富有柿が多いが、木により種子形成の力にも差があるのだろう。その代わり、我が家の柿は青柿の頃から熟すまでを通じて、落下するものが多い。完全に受粉しないことが原因となっているのであろう。 柿の渋味は水溶性のタンニンが原因で、このタンニンは熟すとともに不溶性となることによって、舌に渋みを感じなくなり甘く感じるようになる。甘柿の実にあるゴマといわれる黒い点々は、不溶性タンニンが酸化したものである。同じ甘柿でも、寒さが早く来る地域では樹上では糖度が上がらず、場合によっては渋が抜けない。寒冷地は、甘柿の栽培には適していない。渋柿は、成熟してもタンニンが不溶性とならないので、生食するにはアルコール、炭酸ガス、熱湯で渋を抜く必要がある。このほか干し柿にしても渋味は抜ける。干し柿では、戦後の食糧難の時代に、唯一手に入った甘味であり、子供の頃の冬のおやつであった信州伊那谷特産の市田柿が有名である。 青葉の中に橙色に染まった鈴なりの柿を見ると、鳥に食べられてしまう前に味わいたいものだと思うが、未だ微かに渋みか残っていて実が堅く食用には不向きなのだ。毎年、勤労感謝の日頃に収穫しているが、その頃収穫した柿は、どこの富有柿より甘くて旨いと思うのは手前味噌故だろうか。
2012年11月03日
5月初めに、60株植えたサトイモが大きな株に育って豊作になった。種芋は、現役時代の勤め帰りに、世田谷区内の八百屋で食用として売られているものを買ってきて植えて以来、12年間継代して守っているものだ。形や大きさ、食味がモチモチとした粘質であることからからみると、土垂と言われる品種と思われる。白州のこの地は、南アルプスを構成している花崗岩が崩れてできた砂質地で、今も大雨が降ると川の水が山から大量に白砂を運んで来る。近くには、甲斐駒ケ岳の前衛の山梨百名山、標高1,660メートルの日向山がある。ウイスキーと水を製造している、麓のサントリー白州工場から見上げると、この山の稜線の右側に広大な白砂の山肌が見える。南アルプスの麓一帯の畑は、砂質地で乾燥する地帯である。サトイモは25℃~30℃の高温多湿の環境を好み、乾燥には弱い。したがって本来この地は、灌漑ができなければサトイモの栽培には向かない土質なのだ。今年の夏の関東甲信地方は、日照が多く異常なほど少雨であったため、乾いてしまった畑のサトイモにとっては、厳しい生育環境になった。葉が枯れて、茎が50センチに満たないようなサトイモ畑が多かった。そんな状況下において、我が家の畑のサトイモは近隣の人から、地域で一番の出来と褒められるほどに大きく成長した。我が家の水道は、名水百選41番白州・尾白川の水と同じ、南アルプス甲斐駒ケ岳の伏流地下水を汲みあげて使っている。サトイモが人に褒められるほどに育った理由は簡単である。夏の間、毎週一回昼夜にわたって水道水で灌水していたのだ。家族は、随分高価なサトイモだと笑う。水だけでなく、往復の高速代とガソリン代が、一回の往復に8千円程必要となるからだ。この地は、数年前から猿・猪・鹿・ハクビシンなどが出没するようになって、ほとんどの作物が収奪されてしまうようになってしまった。そんな中で、サトイモには、猪も猿も手を付けない。最初20株程の栽培であったのだが、動物に荒らされる種類の作物作りを止めたため、その分空いた畑の部分に作付けを増やした結果、年々作付け量が増え今では当初の3倍の60 株以上を栽培するようになったのだ。沖縄には同じサトイモ科で、葉や茎がサトイモに似た「クワズイモ」が自生している。クワズイモはシュウ酸カルシュウムを含んでいて、粘液が皮膚や粘膜を刺激する有毒植物である。サトイモ科の植物の多くは、触れた時に痒みやえぐみの原因となるシュウ酸塩を含み、有毒のものが多い。園芸店では同属の植物が室内観葉植物として売られているが、扱いには注意が必要である。また、クワズイモを誤食したことによって中毒を起こした例が、北海道と京都で報告されている。動物がサトイモに手をつけないのは、シュウ酸カルシュウムによる痒みとえぐみのある植物であることを知っているからであろう。 サトイモは一年の栽培期間中に一個の親芋から、子芋、孫芋とできることから、子孫繁栄の縁起物として正月料理には欠かせないものとなっている。 子供の頃信州の実家では、広い玄関の土間に開けられた地下室の「ムロ」と言われる貯蔵庫があって、秋に収穫した牛蒡・人参・里芋・長芋などの根菜類はここで貯蔵、保存されていた。そのようにして保存しても、年を越して暫らくすると腐ってしまうものもあったように記憶している。私には、もちろんムロなど無いので庭に深さ1.5メートル 、直径2メートル程の穴を掘り、タマネギの入っていた網袋にサトイモを小分けして入れた後、土を山型に被せてから雨水が入らないようにビニールで覆っておく。10年来同じ方法で保存している。こうしておくと、翌年の植え付け時期まで、食用も種用も腐らず収穫した時のままの状態で保存できる。栄養的には消化吸収されやすく、サツマイモやジャガイモに比較して熱量が低く、ビタミンCやビタミンB1、B2が含まれている優れた野菜であるとされている。サトイモ料理の際、時として手の皮膚が痒くなることがある。これはサトイモに含まれるシュウ酸カルシュウムの針状結晶が皮膚にささるためと言われている。サトイモの生を齧ると痺れ感のほかにエグミを感じるが、このえぐみにはシュウ酸カルシュウムの他、アミノ酸のチロシンが酸化して生成される、ホモゲンチジン酸も関与しているのではないかと言われている。今年は約70キログラムも収穫した。収穫時には親戚からも応援が来て、収穫後は新芋を使った芋煮鍋で盛り上がった。知り合いと親戚に30キログラム程お裾わけした残りは、庭に保存して来年5月頃までの食料にするのだ。
2012年11月02日
今年の梅雨入りは6月8日で、平年並みだった。梅雨明けは7月17日と例年より若干早かったものの、こちらも2010年までの30年間のほぼ平均日と言える範囲であった。梅雨明けした7月の上下旬は、太平洋高気圧の勢力が非常に強く、高気圧に覆われたことと、南からの暖かい空気の流入によって記録的な高温が続いた。加えて関東甲信地方の一部では、7月下旬から少雨状態が続いてほとんど降雨が無く、降水日・降水量とも平年を大きく下回った。東京都では、取水制限がされるなどの影響があったほか、多くの街路樹や植え込みでは水不足で枯死するものがでた。この高温傾向は10月になっても続いた。長い真夏の暑さの中で、いつ秋が来るのだろうか、今年は秋が来ないのだろうかと思いながらの毎日であった。しかし、気づかない間に暑さから解放されたと思ったら、もう暖房の必要な気候になってしまった。夏が長くなり冬の寒さは例年通りにやって来て、秋の季節が短くなっているように感じる。人は、秋の到来を目や耳、肌で感じる。古今和歌集には、秋の訪れを詠った有名な歌がある。秋立つ日よめる◎秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる 藤原敏行朝臣季節の移ろう様子を視覚と聴覚のずれを利用して、立秋の日に見事に詠みとった歌である。また、新古今和歌集には、この歌を本歌とした次のものがある。◎吹く風の 色こそ見えね高砂の 尾の上の松に秋は来にけり 藤原秀能秋の到来を聴覚で感じ取った話は、枕の草紙の「虫は」の段にも出てくる。「いま秋風吹かむをりぞ来むとする。待てよ。」といひて、逃げて往にけるも知らず。風のおとを聞き知りて八月ばかりになれば、…。とある。 いにしえ人も猛暑の夏は、涼やかな風をもたらす秋の季節の来ることを、心待ちにしていたに違いない。喧しく鳴いていた蝉の声が、いつの間にか虫の音に取って代わり、その虫の声もしなくなった頃ススキの原を渡る風は既に秋の風になっている。夕暮れ時、取り込み忘れた風鈴の音が、風に吹かれて淋しく聞こえるのも、秋の季節の故であろう。 鳥の鳴き声でも、秋の近いことを感じる取ることが出来る。もっとも顕著なのが、百舌鳥の高鳴きである。高い木の枝先に止まって「キィー キィー キチキチキチ」と独特の高音で鳴く。百舌鳥の高鳴きの初声を聞くと、秋を感じるのだ。百舌鳥は、秋から冬の季節には雄も雌も一羽だけで縄張りを作る。一度確保した縄張りに侵入してくるものがあれば、激しい縄張り争いをする。百舌鳥の高鳴きは、縄張りを宣言しているのだ。やがて、11月には縄張り争いも終わる。昔から、晩霜が終わりとなる頃を八十八夜の別れ霜といい、初霜の降りる頃は、百舌鳥の高鳴き七十五日と言った。つまり百舌鳥の高鳴きの声が聞こえてから、2か月半で霜が降りると言い習わし、農作業の目安にしたのだろう。因みに今年は、南アルプスの麓では、未だ猛暑が続いていた8月の下旬に、百舌鳥の高鳴きを聞いた。日に日に色彩が変わる山の色、ススキの穂、日増しに緑の葉の中で色濃くなってくる柿の実などを目にしても、秋を感じることができる。色着いた実がたわわに実った柿の木に止まった百舌鳥が高鳴きしている様は、正に一幅の絵であり秋本番である。我が家では地下水を水道として給水している。夏の間は冷たくて、3分と手を漬けていられなかった水道の水が、いつの間にか暖かく感じられるようになっているのだ。秋の到来が密やかにやってくるのと異なり、冬の季節は一気に荒々しくやってくる。ある日突然霜が下り、氷が張りおどろおどろしい颪が吹くようになるのだ。
2012年11月01日
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