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晩秋から初冬の時季に、ぱらぱらと通り雨のように降る雨は「時雨」と言われる。またこの時期に出る虹は、俳句の季語で「時雨虹」と言われ冬の季語とされている。虹といえば夏ということで「夏の虹」という成句はあまり聞かないが、「冬の虹」は俳句に詠まれたりして成句として成立している。「虹」は夕立の後に出ることが多いので、俳句では夏の季語とされている。冬に出る虹は、夏の虹にくらべて物淋しい。冬季にはあまり虹を見る機会が無いが、冬の虹は時雨の空に半円を描いて立ち上がったりする。虹は雨上がりで空気中に十分な水分があり陽射しが強く、しかもい太陽の位置があまり高くないなどの条件が揃えば夏に限らずいつでも発生する。夏と異なり冬の場合戸外での活動が少なくなる分、空を見上げる機会も減ることから実際には虹が掛っていても見逃してしまうことも多いのだろう。11月22日からは、「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」。曇り空が多く日差しも弱くなるので、虹を見ることが少なくなる時期とされている。春夏秋冬の4つの季節を、それぞれ6つに分けた24の期間を「二十四節気」といっている。これをさらに初候・次候・末候の5日ずつにわけて、気象の動きや動植物の変化を表したのが七十二候である。七十二候は気象の動きや動植物の変化を知らせるものとして、古代中国で考案された。二十四節気で「小雪」に当たる11月22日から二週間程は、虹蔵不見(にじかくれてみえず)・天気上騰地気下降(てんちじょうとうしちかこうす)・閉塞而成冬(へいそくしてふゆをなす)といわれる三つの候に分かれる。虹蔵不見が示しているように冬に向かうと曇り空が多く日差しも弱くなるので、虹を見ることが少なくなる時期とされている。初冬のこの時期には、雨が雪に変わることも虹が見えなくなる大きな理由の一つである。12月22日は日本海で発達した960hpaの低気圧に向かって、20℃を超える南の風が吹き込んで時ならぬ嵐となった。翌日早朝山荘の冬囲いに向かったのだが、前夜からの高温状態が続きしかも湿度が高かったこともあって20号線甲府バイパスは信号の色が殆ど判別できないほどの濃霧に覆われた。竜王を通過する頃漸く霧は薄れたが、雪に覆われているであろう南アルプスは強風に湧きおこる雪雲で麓まですっかり覆われて見えなかった。韮崎に入って甲斐駒と中山の間から柳沢の集落方面が見通せる場所まで来た時、まさに「冬の虹」を見つけた。虹の脚は位置的に山荘辺りに思えたのだが、車が進むに連れて虹も次第に奥えと逃げて行くように見えた。車の通行があって路肩に駐車できなかったので、10分ほど走って漸く駐車場所を見つけてカメラを向けたのだが色は最初見たときよりかなり薄く褪せてしまっていた。頭上は青空なのに甲斐駒に掛った雪雲が甲州名物の強風で東方向に流され、昨夜の名残で外気温8℃と高温のため大粒な雨となって時雨のように横殴りに吹き付けていた。強風とこの時期には珍しい高温の朝という条件が整って飛ばされた雪が雨となり、早朝の虹の出現となったものであろう。虹を見るのは夏の季節が多いとの印象だが冬の虹は珍しいこともあって、より一層美しく得したように感じる。「時雨虹」をじっくり鑑賞でき、一日得した気分であった。
2016年12月28日

チャーシューは主にラーメンの具として出されるが、手間を惜しまなければ家庭でも簡単に手作りしてストックして置けば冷蔵庫で1週間保存可能である。ご飯のオカズ・冷やし中華やチャーハンの具、あるいは酒のつまみに利用できて重宝である。チャーシューは叉焼と書き、日本名では焼き豚と呼ばれる。ラーメン店でチャーシューとして提供されているのは、焼かずにタレなどで煮て作られた煮豚であって厳密には焼き豚ではないものが殆どである。日本でチャーシューといわれている焼き豚は、中国で「叉焼肉」と呼ばれる食べ物が由来とされる。中国語でチャーシューローと呼ばれるのは串焼肉で、日本の焼き豚とはかなり異なった食べ物である。焼き豚は豚の肩ロースや豚バラ肉のブロックを使い、タコ糸で縛ってタレに漬け込んだ後焼いて作る豚肉料理である。豚肉のブロックと、味噌・生姜・塩・醤油・砂糖・はちみなどを適当量混ぜたタレを作る。我が家では一昼夜このタレに漬けこんだ後230℃のガスオーブンで30分焼くのを基本にしているが、普通は4~5時間漬けてから焼くようである。30分したら串を刺して焼け具合を見て、必要ならさらに数分加熱する。残ったタレに胡椒やオイスターソースなどを加えて味を調えた後煮詰めて、切り分けた焼き豚にかけて食べる。急いだり手間を省く場合は豚肩ロースかバラ肉のブロックを、塊のまま醤油・砂糖等で煮るのだが圧力鍋を使えばさらに手軽にしかも短時間で煮豚を作ることができる。豚の肩ロースの塊500gに対して、生姜一片・ニンニク適量・醤油150ml・味醂80ml・日本酒80mlさらに蜂蜜少々・鷹の爪など好みの香辛料を加え調味液を作る。肉のブロックに焼き豚のようにタコ糸を捲くと形が整うが、省いても大して変わらない。圧力鍋に調味液と肉・長ネギの緑の部分1本分を千切って入れ、肉がヒタヒタに浸かるように水を加え中火にかけ蒸気抜きから蒸気が噴出したら弱火にして12分加熱する。12分経ったら火を止め、安全弁が下りるまで放置する。安全弁が下りたら蓋を開けて、弱火で煮汁が半量になるまで煮詰めて完成である。そのまま放置して冷めると溶けだした脂肪が白く固まって煮豚に再付着するので、熱いうちに肉を取り出して別容器に移せば溶け出した脂と分離することが可能である。先週に続いて昨夜また2kgの肩ロースのブロックが手に入ったので、今朝は台所掃除をしながら得意の煮豚を作った。ひこじいの山賊料理は調味料が目分量のため、作るたびに微妙に味が異なる。しかし味付けに失敗したことは無く、いつも“美味い”と言って食べてもらえる。煮物料理のコツは最初から分量の調味料全てを入れるのではなく、最初は少なめに入れて仕上げまでの途中に最低3回は味を見て好みの味に修正するのがコツである。今日の煮豚もまた格別な味に仕上がったと、自画自賛している。
2016年12月27日

立春は節分の翌日、立春・立秋は休日でしかも彼岸で墓参と重なっているため人の記憶に残っている。また夏至と冬至は、一年で最も昼間の長い日と逆に最も短い日として殆どの人が理解している。冬至は太陰太陽暦では11月中のことで、太陽の黄経が270°に達した日である。太陽暦では毎年12月21日あるいは22日に始まり、小寒の1月5日また6日の前日までの約15日間である。新暦では、この期間の第1日目が冬至である。この日北半球では一年で昼が最も短く、夜が一番長くなる。冬至とは「日短きこと至(きわまる)の意味で一年のうち太陽の出ている時間が最も短い日を表しており、逆に一年で夜が最も長いということになる。この時期、太陽光は弱まり植物は休眠に入る。収穫が途絶えることで、農耕生活には厳しい冬の季節が訪れる。そのため昔は冬至を、生命が終末を迎える時期と考えていた。しかし一方ではこの日からは再び日照時間が長くなり始め、新しい太陽が輝き始める日でもある。したがってこの日を「一陽来福」と言い表し、万物の再生を願って太陽の誕生日とするような観念が芽生えた。二十四節気の中では今でも、冬至には昔からの風習が残っている。この日は北半球の世界では、春を呼ぶための様々な儀礼が行われる。西欧の陽気回復を祝う風習が、クリスマスの起源となったとも言われる。我が国では現在も無病息災を願って、この日に風呂に柚子を入れてゆず湯に入る。さらに厄を払うためとして、カボチャや汁粉を食べて体を温め、無病息災を願う。柚子は融通がきく冬至は湯治に通じるとの語呂合せで、柚子を入れた風呂に入るようになったとの説がある。それとは別にもともとは開運の儀式を行う前の禊に、柚子が使われていたのだとの説がある。端午の節句に香りが良い菖蒲湯に入るように、冬に旬を迎える柚子の強い香気が邪気を払うのだという考えもあったとされる。「桃栗3年柿8年 梅は酸いすい13年 柚子の大馬鹿18年…」の言葉があるように、柚子は種を播いてから実がなるまでに長い年月がかかるので長年の苦労が実るようにとの願いも込められているのだという。我が家には植栽してから50年になるハナユの木があり、毎年大量に実を着ける。柚子より小粒だがそれなりに柑橘特有の芳香があり、十分柚子の代用になる。我が家も子供たちが家を出てしまった現在、正月に始まり七夕・盆などの飾りなどの習慣が無くなった。しかし正月に特別料理を食べるのと同じように、自宅の庭でなった柚子を入れた風呂に入る習慣を今も続けている。柚子湯の効能として血行促進・風邪の予防・美肌効果などが上げられているが、最も期待できるのは芳香によるリラックス効果であろう。誰が言ったのか温かな柚子湯に浸かりながら「一陽来復」と唱えると、より大きな幸せがやって来るとの言い伝えがある。 吾子はみな 柚子湯の柚子を 胸に抱き 山口青邨
2016年12月22日

養老4年(720年)に成立した日本書紀に、仁徳天皇が皇后に贈った「つぎねふ山代女の 木鍬持ち打ちし大根 根白の白腕 枕かずけばこそ 知らずとも言はめ」という歌ある。ここで言う「於朋泥(おほね)」は、今のダイコンのことである。於朋泥に、「大根」という漢字をあてた。室町中期には、「おおね」から「だいこん」と呼ぶようになったとされている。現在はその作付け・収量とも減少傾向にあるが、それでも食卓に乗る中では最も親しまれている野菜である。おろし・煮物・漬け物・サラダ・切り干し・刺身のつま・おでん・炒め物など様々な方法で調理利用される。時期無し大根などもあって通年出回るが、一番おいしいのは冬の時期の大根である。大根は日本に200品種以上もあると言われているが、1970年代になるとそれらの中で使いやすい青首大根がその殆どを占めるようになった。紀元前3000~2000年頃にはすでにだいこんがエジプトで食べられていたとされ、日本へは中国、朝鮮半島を経て伝播したと考えられている。煮物にする場合は茹でて、下拵えをする。味の浸み込みが良くなるので、だいこんは輪切りにして皮を剥いて置く。茹でる際米のとぎ汁や米糠、または米少量に、鷹の爪1~2本を加えて弱火~中火で30分ほど煮る。このようにして下拵えをしただいこんはおでんはもちろん、鶏肉・豚肉・牛肉・ブリ・イカなどの食材と煮て良く合う。昨日黒豚の三枚肉2kgほどが手に入ったので、菜園で採れただいこんを使ってブタとだいこんの煮物を作ることにした。今朝4時からだいこんの下拵えと並行して、ブタの三枚肉の処理を行った。ブロックのままの三枚肉にショウガ一片を加えて中火で約1時間煮た後、流水で良く洗う。さらに柔らかにするため、圧力なべに移し蒸気が噴き出してから10分火にかける。熱いうちに鍋から出して下拵えしてあっただいこんと合わせ、醤油150ml・酒20ml・みりん200ml・沖縄黒糖かたまり4個・アゴのだし汁1500mlを鍋に入れ煮汁が3/1ほどになるまで弱火にかける。トロトロのだいこんと三枚肉の煮物は、色艶良く味も絶品に仕上がった。ひこじいの山賊料理も、一段と腕を上げたものだと自画自賛している。
2016年12月20日

卵(タマゴ)と書けば、一般には鶏卵が思い浮かぶ。辞書的には、卵(ラン)は雌の生殖細胞に対して使うとされている。タマゴは玉子とも書くが、こちらは生物の卵(ラン)を指さない場合などに多く用いられるとされる。しかし両者の使い方に、厳密な区分は無いという。鶏卵は昔から物価の優等生としての地位を守っており、現在も一個20円ほどで購入できる。日本人一人の年間消費量は、300個前後になるとの試算がある。現在一般に流通している鶏卵は洗卵した後卵殻の割れ皹、異常卵の有無について目視や機器による検卵が行われ割れ卵や異常卵が除去されている。異常卵といわれる複黄卵・血斑卵(血が混ざった卵)・肉斑(ミートスポット)などの卵は検卵の過程で殆ど除去されるので、販売卵がクレームの対象になることは殆ど無くなった。異常卵として分類除去される卵の多くは、衛生上は全く問題の無い場合が多い。卵黄が2つ以上入っている複黄卵は、ただ黄身が複数入っているだけで正常卵と全く同じである。卵黄が2つ以上入っている卵に当たっても気味悪がったりクレームの対象としたりすることはなく、むしろラッキーと考える人がほとんどである。採卵鶏は孵化後4か月ほどで産卵を開始するが、初めは産卵器官が成熟しきっていないため産卵初期は産卵リズムやホルモンの機能が不安定と考えられる。したがつて、初産開始2週間~2か月程度の期間に複黄卵の産卵が多い。複黄卵発生の機序として複数の成熟した卵胞(卵黄)が同時に排卵される場合と、先に排卵された卵胞が未だ卵管上部にあるときにさらに排卵される場合などが考えられる。2か月を経過する頃になると産卵リズムやホルモンの分泌が安定するため、次第に複黄卵の産卵は少なくなる。二黄卵の発生は統計的にはかなり高率で1%程度とされているので、確率的には二人家庭では年に5回ほど当たっても良いはずなのに殆ど遭遇することない。日々膨大な量の卵を扱う養鶏業者にとって若鳥の卵であること、卵の大きさや形状などから複黄卵を見分けることは経験的にそれほど難しいことではない。採卵された卵は、出荷前に洗浄され目視と検卵機による厳格な検卵が行われる。その際除去されてしまうので、一般の流通過程では殆ど目にすることは無い。こうして除去した複黄卵だけをパックして、10個400~800円程度で販売している採卵業者もある。昨夜、今年二回目の二黄卵に当たった。中玉であったことから若鳥の産卵したものであったことは間違いなさそうだが、一般的に言われるやや大きめ・形が歪という範疇に当てはまらない他とほぼ同じ大きさ形状の卵であった。二つのそれぞれの黄身の大きさは一つの卵のそれより当然小さかったが、何故か得した気分になった。
2016年12月19日

紅小町 寒寿光キクにはノコンギクやヨメナなど凡そ350種の野菊と、非常に多くの栽培菊(イエギク)がある。栽培菊はさらに、観賞用植物として日本で発展した品種とヨーロッパを中心に育種された洋菊の二系統がある。もともと日本に栽培菊は無く、奈良時代の終わりから平安時代の初期頃に中国から導入されたと推定されている。享保2年(1717)新井白石著「東雅」には「キクは古くククと呼ばれまたこの植物(菊)は、カハラヨモギ・カハラオハギとも呼ばれていた。」とある。東雅にもあるように、ククが転化してキクとなったとする説が有力である。菊は皇室の家紋となっており桜と共に日本国民に広く親しまれてはいるが、法立で「国花」として指定されているわけではない。江戸時代に定められた5つの式日(祝日)には、1月7日の人日の節句(七草の節句)・3月3日の上巳の節句(桃の節句)・5月5日の端午の節句(菖蒲の節句)・7月7日の七夕の節句(笹の節供)・9月9日の重陽の節句(菊の節句)の五節句がある。新暦は、旧暦に比べて約1か月のタイムラグがある。旧暦で9月9日に当たる重陽の節句は、新暦ではちょうど一か月後の10月の9日であった。重陽の節句に欠かせないのは菊だが、一般に菊と言えば10月から11月の晩秋にかけて咲く花の印象がある。昭和22年まで11月3日は明治天皇の誕生日で明治節と呼ばれ、「明治節の歌」が唄われた。その3番の歌詞は、「秋の空すみ 菊の香高き…。」で始まる。この歌詞から11月3日が文化の日になった後も、この日は「菊香る文化の日」と呼ばれている。普通キクの花はこの時期に花を咲かせるが、秋咲きのこれらのキクが霜と寒さで既に枯れてしまった後の12月中旬から1月にかけて咲く種類がある。これらは、寒菊と呼ばれている。寒菊という名前は冬の寒い時期に花を咲かせる菊という意味で、特定の種の名前では無い。俳句や文学の世界ではこの時期に咲くキクは、霜菊・初見草・霜見草・雪見草・秋無草などの名前でも呼ばれる。秋に咲くものと異なり花も葉も小さいものが多かったが、現在は改良されて大輪・小菊・八重咲き・変わり菊・スプレーマム・ポンポンマムと種類も品種も豊富になった。霜枯れて庭に花が無くなってから咲くので、生け花材料としても貴重な花である。寒菊は秋咲きのシマカンギクやコギクなどを、冬咲きに改良したものが多い。寒菊は春に植えると背が倒れるくらい高くなってしまうので、7月頃切り戻しを行うと草丈を低く抑えることができる。今年も畑の隅に植えた一株が大きく育って、蕾が漸くほころび始めた。これから1月中旬まで約1か月の間、目を楽しませてくれると思われる。 寒菊や 日の照る村の 片ほとり 蕪村蕪村が真冬に斜光を受けて咲く様子を詠んだ寒菊とは、どんな色のコギクだったのであろうか。
2016年12月15日

北杜市白州町の「サントリー白州蒸溜所」内にある歩道脇の松の木に、21日保育園の年長組園児10人が愛鳥活動として巣箱を取り付けたことが地域のニュースとなった。各自が好きな絵を画いた巣箱を、松の幹の約2mの高さに取り付けた。園児による巣箱の設置は1988年から続けられており、今年は29回目の行事だという。昨年の今頃はボール紙で作った巣箱が、3m以上の高所に架けられていた。今年は木材で作られた三角屋根の、きちんとした巣箱に代わった。白州蒸溜所の森の一部はバードサンクチュアリとなっていて野鳥の渡りの中継点にあたり、季節ごとに様々な多くの野鳥が訪れることでも知られている。ここでは、約50種類の鳥が確認されているという。良く観察される野鳥として、ウソ・カケス・アオゲラ・シジュウカラ・コゲラ・アカゲラ・ホオジロ・キビタキ・ジョウビタキ・ホオジロ・カシラダカ・ホトトギス・ツバメ・センダイムシクイ・サンコウチョウ・コジュケイ・ヤマガラ・ベニマシコ・ウグイス・カワセミ・ルリビタキ・ヒガラ・クマタカ・ヒガラ・シジュウカラ・ガビチョウ・スズメ・カラス・モズ・キジ・ムクドリなどが挙げられている。これらの鳥の中で人工的な巣箱を利用する野鳥は、ヒガラ・ヤマガラ・シジュゥカラ・スズメ・ムクドリ・ミミズク・アオバズク・フクロウなどである。これらの鳥の中でも最も多く巣箱を利用するのは、シジュウカラである。スズメの場合テリトリーを持たないので、棟の屋根瓦の間などにはまるで新興住宅街のように隣り合って巣を作る。ヤマガラの場合はシジュウカラの数倍も広い、2~4haほどの広さが縄張りとされる。シジュウカラは1ha(100m × 100m)ほどのテリトリーを作るとされているので、巣箱が利用されるには巣と巣の間隔は直線距離で57m以上離れていることが最低限必要となる。しかも巣箱を利用する野鳥には、巣箱の穴・大きさ・巣箱の底から穴までの高さなどそれぞれに好みがあって、無暗に寸法外の大きさの巣箱を作っても目的とする小鳥が利用してくれない。シジュウカラ・ヤマガラは巣穴の直径2.7cm、穴の位置は底から1.5cm、箱の高さと奥行き15cm程度の大きさの巣箱が好まれる。この巣箱を、地上から2.5m程度の高さに設置する。ヒガラでは、2.7cmと若干小さめの穴が良い。巣穴がこれより大きいと、スズメやムクドリに占領されてしまう。スズメの場合子育てにテリトリーを作らず、棟の屋根瓦の間などにはまるで新興住宅街のように隣り合って巣を作る。スズメ用なら巣穴の大きさを2.8cmと大きく開け、民家や建物に近接した地上3m以上の高さに架設する。近い所に巣を掛けても巣箱が利用されるので、隣の巣箱との間隔を気にすることは無い。最も良く人工巣箱を利用するシジュウカラは1ha(100m × 100m)ほどのテリトリーを作るとされているので、効率よく巣箱が利用されるためには隣の巣との間隔は少なくとも必要とするテリトリーを造るのに十分な間隔を空けることが必要となる。したがって密集して、むやみに巣箱を架設しても利用されないので無意味である。山荘へ来客があった時は、良くこの工場の見学に出かける。この工場の見学会と無料試飲は以前から好評でいつも見学者で満員であったが、NHKの朝ドラ「マッサン」の放映があってからは一層混雑するようになって事前予約が必要な時季が設定されている。工場の敷地にはバードサンクチャリ―が設けられており、出入り自由なため野鳥観察するには絶好の場所でもある。しかし保育園児達が巣箱を架ける場所は、バードサンクチャリ―の区域外の連日多数の見学者が朝から夕方まで通行する通路脇の松林である。しかも巣箱が、僅か20~30mの間の樹木毎に密集して架けてある。異種間の野鳥は相手をあまり気にしないことが観察されているが、同じ仕様の巣箱を利用するヤマガラの場合はシジュウカラを気にするようである。広い樹林が広がっているのだから少なくとも巣箱は57m以上の間隔を取り、絶えず人が通行する場所を避けて設置した方がシジュウカラも落ち着いて営巣できるのではないだろうか。これでは折角園児たちが一日掛りで架けた巣箱も、その多くは無駄になってしまうのではないか。来年巣箱掛けの行事を行う前までに29年間の成果をまとめて、記念すべき30回目の事業に生かして欲しい。
2016年12月08日

12月2日 北杜市 12月3日 相模原市12月2日は月齢2.6の鎌のような三日月が雲一つない薄暮の冬の西空に、少し離れた左上方の金星の傍に上った。山荘から見る上弦の月は薄墨で描かれたような南アルプス甲斐駒ケ岳の左端上に浮かび、月・金星・甲斐駒の名役者揃って幻想的な画を描いた。月の欠けて暗くなっている部分が地球に照らされてうっすらと見える地球照を伴った幻想的な細い月と金星の競演は数ある月と惑星の接近の中でも随一の美しさと言われるが、その背景に甲斐駒ケ岳の稜線が写り込んで素晴らしい眺めとなった。三日月と金星が最も近づいたのは、翌日の3日の夕方から宵にかけてであった。3日には自宅に帰ってきていたので、二階のベランダから天空を眺めることとなった。空に多少の雲はあったものの月と金星を眺めるには全く支障が無く、幸い南西の空に月齢4の細い月とその下方に金星とが並んでいるのを眺めることができた。12月13~15日頃には、ふたご座流星群の活動がピークを迎える。今年はちょうど満月の時期にあたり条件は最悪だが、月と離れた方角を見渡せば流星を見られるかもしれない。雲さえなければ今の時期の宵の東の空には、明るく色鮮やかな冬の星々が見え始めている。物言わぬ空に向かって、来し方を偲び行く末に思いを馳せるにはいい機会である。次は、1月2日に月と金星が接近する。多分朝から箱根マラソンを見ながら炬燵で飲んだ酒に酔って、空を見ることは忘れてしまっているのだろう。
2016年12月07日

分類学上セセリチョウ科・アゲハチョウ科・シロチョウ科・シジミチョウ科・シジミタテハ科・タテハチョウ科に属するものを蝶と呼び、それ以外は蛾と区別している。蛾から進化したものが蝶で日本には240種ほどだが、蛾は5,500種以上も確認されている。20年ほど前まで関東では見かけなかった青黒い金属光沢の縁取りにヒョウ柄模様の美しい「褄黒豹紋」が、2004年頃から関東で目撃されるようになり以後かなりのスピードで北上し分布を広げている。ツマグロヒョウモンは亜熱帯産のチョウで南西諸島から関西にかけて生息していたのだが、最近では東北南部でも見かけられるようになっているという。ツマグロヒョウモンの雌の派手な美しい模様は、熱帯のカバマダラという毒チョウによく似ている。毒を持つチョウは、鮮やかな色をしたものが多い。昆虫を餌とする天敵は、本能的に毒のありそうな模様を持つチョウに近づかない。カバマダラに似ることで、あたかも毒蝶であるかのように天敵を欺くために進化してきたと言われる。カバマダラは熱帯産の蝶なので北進を続けるツマグロヒョウモンにとっては進化の成果が役に立たなくなってきており、目立つため逆に鳥に食べられやすいのだという。羽を畳んで止まるチヨウの種類をタテハチョウ科といい、この科に属するツマグロヒョウモンは4月~11月の間に年4回~5回発生する。前翅の長さは38mmになり、モンシロチョウより1cmほども大きな美しいチョウである。ツマグロヒョウモンの食草は、スミレ科の植物である。我が家の庭には半野生化したタチツボスミレ・ニオイスミレがあちこちに生えており、ときどき黒色の体色の背中に一本の赤い筋が入って、刺とげの生えた幼虫を見かける。スミレ株に数匹の幼虫が付いて食べられ、葉脈だけになってしまった株を見ることがある。今年は、11月24日に時ならぬ積雪があった。最低気温は24日から1℃・O℃・3℃と真冬並みであった。12月に入って、一転比較的穏やかな日が続いた。暫く暖かな日が続いた12月4日に、風が当たらない陽だまりの羊歯の葉の上に言葉とおり羽を畳んで止まるチョウを見つけた。未だ羽化して間もないと見え、軽く触れても飛び立たない。触ると畳んだ羽を広げ褄黒豹紋の特徴の、美しい模様を見せた。大雪と寒波の後気温が平年並みかやや高めに推移したため、時ならぬツマグロヒョウモンの羽化となったものであろう。折角羽化したのに、我が家の霜枯れた庭には吸蜜のための花が無い。近くに雄が飛翔している姿も、見られない。はたしてこのチョウは、次世代へと命を継ぐ役割を果たすことができたのだろうか。
2016年12月06日

五節句の一つに、端午の節句がある。その始まりは奈良時代からとされ、端午とは月の始めの午の日のことであって、必ずしも5月に限られた行事ではなかった。午の読みが五に通じることから毎月5日を意味するようになり、さらに5が重なる5月5日が端午の節句となったものである。もともとは日本では田植えをする早乙女と呼ばれる若い娘達が、小屋に籠って穢れを祓う「五月忌み」という風習があった。これに中国から伝来した端午が結びつき、「端午の節句」になったといわれている。端午の節句には、かしわ餅が付きものである。上新粉と片栗粉を混ぜてつくった「しんこ餅」を、かしわの葉を二つ折りにして包み蒸して作る。このようなかしわ餅は、寛永年間(1624~1644)に作られるようになったと伝わっている。かしわ餅に使うかしわの葉は新芽が芽吹いてから古い葉を落とすため、「子供が産まれるまで親は死なない」と縁起を担いで、かしわ餅を食べて「子孫繁栄」を願うものである。また枯葉が冬になっても落葉しないのはこの木に葉守りの神がいるためと考えて神聖視し、祭祀にもカシワの葉を用いまた縁起樹として庭先に植えられた。(…柏木いとをかし。葉守の神のいますらんもかしこし。兵衛の督・佐・尉などいふ(柏木は衛府の官の異名)もをかし。)枕草子第40段「花の木ならぬは」節句行事は中国伝来の風習であるが端午の節句に食べるかしわ餅は、日本で生まれた食べ物が節句の風習と結びついたものである。初めの頃は塩餡の餅であったが、江戸後期になると小豆餡や味噌餡が主とになっていった。この頃類書「守貞漫稿」と言われる江戸・京都・大阪の風俗を解説した百科事典が、喜田川守貞によって編まれた。この守貞漫稿には5月5日の項には「男児生まれて初の端午には粽を配り、二年目よりは柏餅を贈る・・・江戸にては初年より柏餅を贈る」「赤豆餡には柏葉表を出し、味噌には裏葉を用いる。」とある。かしわは柏・槲・檞と書き、九州以北の山野に自生する。落葉樹だが秋に落葉しないで枯れて茶色になった葉は、新芽が出るまで残る枝に残る。そのため、「子孫繁栄」の縁起樹とされ庭園にも植えられる。カシワの名前は、炊(かしい)葉を語源とする説が有力である。昔はフキやハス・ホウノキの葉と同じように、食器として使われていたものである。「大御酒のかしわの葉を握とらしめて 古事記 中訓」「…もてきぬ女かたより そのみるをたかつきにもりて かしはをおほひて いたしたるかしはにかけり…」(その家の女の子たちが浜辺に出て、浮ミルが波に打ち寄せられていたのを拾って、家の中に持ってきた。この家の大奥様から、そのミルを高坏に盛って、柏の葉でおおって差し出してきたが、柏にこう書いてあった。)植木屋の説明ではカミキリムシや葉を食害するケムシ類が唯一の害虫としているが、実はナラハウラマルタマフシが寄生すると美観を損ね退治するはかなり難しく厄介である。マルタマフシは葉裏に、極小さな円形の虫瘤を多数付ける。これを虫癭といい虫が植物に産卵や寄生した際に出す泌物によって、植物組織が異常発育してできる。ブナ科同属の葉裏の主脈および支脈には、しばしば光沢のある虫癭ができる。初めは葉に付いている部分が平らで半球形をしており、大きくなると球形に近くなる。各葉裏にびっしりと付いた虫癭は、誠に見苦しい。虫癭は6月上旬から出現し、成熟したものから地上に落下する。地上に落下した虫癭の中の幼虫は、幼虫室の内壁を餌として成長して終齢に達する。成虫は晩秋から初冬にかけて羽化し、越冬芽に産卵する。卵で越冬し、翌春孵化というサイクルを繰り返す。越冬芽に産卵することが分かれば、対策は簡単である。黄葉して葉が垂れ下がる頃に、今年伸びた枝を全て切り落として焼却することで生活環を断ちきることが可能となる。そのため毎年この時期に新梢を切り落として、マルタマフシの防除に努めている。今年も5時間かけて、剪定と切り落とした枝葉の焼却を終えた。 花言葉 自由、愛は永遠に、愛想のよさ
2016年12月05日
鹿柴空山不見人 但聞人語響 返景入深林 復照青苔上(静まり返った山中に人の姿は見えず、ただどこからか人の声だけが聞こえる。夕日が深い林の中にさし込み、青い苔の上を照らしている。)王維(699年~759年または701年~761年)この漢詩の題の「鹿柴」は王維の別荘にあった、柴を用いて鹿を囲い込むために作られた垣根のことだが詩の内容とは関係が無い。この詩に詠まれたように人の耳は、ときとして静寂の中に時を刻む時計の振り子の音や虫・鳥の声だけを聞くことがある。江戸時代の民謡を集めた山家鳥虫歌の和泉の項に、王維の鹿柴と同じ趣向で「声はすれども姿は見えぬ 君は深山のきりぎりす」とある。この時代にキリギリスというのは、現代の蟋蟀のことを指していた。男の訪れを待つ女心のやるせなさを、山中で姿を見せないで鳴く閻魔蟋蟀に擬した歌である。これが寛永(1624~1644)のころになって吉原の遊女が歌いはじめた「片撥」に受け継がれると、「声は聞けども姿は見えじ、君は深みのきりぎりす」(噂にあなたの名前はよく聞くが、ちっとも訪ねて来てくれない。)のように変化した。宮城県民謡の「定義節(じょうげ)」では、キリギリスが「…藪に鶯 声ばかり」と変化している。鶯も大きな声で鳴くが藪の中を素早く移動するので、一般的にはその姿をじっくり見る機会は少ない。それらはやがて「本質は存在するのにその姿が見えないもの」の代表として身近な屁が取って代わり、「音はすれども姿は見えず、ほんにおまえは屁のようだ」となる。この言い回しは講談や落語などで使われ、広まっていったとされる。「音はすれども姿は見えず…」はよく理解できるのだが屁を使って、容易・たやすい・とるに足らない・問題にしていないという意味で何故河童と屁が使われるのか少し理解に苦しむ。屁の河童の由来となった言葉は、「木端の火」の木端が河童になったのだという。木切れや薪の切れ端の木端を薪にしても火力が弱く火持ちしないことから、「たわいもないこと・はかない」ことに譬えて「木端の火」という言い回しの言葉があった。一方屁理屈・屁とも思わぬなどのように、屁はつまらないことの代名詞として使われる。そんな木端と屁が合体して、河童の屁あるいは屁の河童となったとする説がある。人の体からは口からと尻から出るガスとがあるが、口から出るゲップには食傷気味についていう「ゲップが出るほど…だ。」のように使う以外の言葉が見つからない。
2016年12月01日
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