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頂花から咲き始める 有限花序が全て開花山荘の庭のあちこちに、愛らしいワレモコウの花が目につくようになった。7月に地際か100cmも伸びた茎を、10cmほど残して上部を刈り込んだ。それが8月末にはまた刈り取る前の100cmを超える長さまで伸び、次々と枝分かれした先端にまるで猫柳の穂のような花を付けた。刈り込みをしないと2mを超える高さまで伸びた茎が、強い風雨で倒れてしまって見苦しくなるので、7月初めには一度刈り込むことにしている。ワレモコウは、その姿形からは想像もできない、バラ科の植物に分類されている。バラ科には草本から木本までの野草や栽培種、およそ90属2500種が含まれている。サクラ・ウメ・モモなど古くから花を観賞し・実を採る花木類、イチゴ・リンゴ・ナシ・ビワ・カリンなど果実を採取する木草本、さらには種子を食用にするアーモンドなどがよく知られている。草本の、オニシモツケ・ダイコンソウ・コキンバイ・ワレモコウ・アカエナ・キンミズヒキ・ワレモコウ・キジムシロはとてもバラ科とは思えない。ワレモコウは我が国では山野に普通に見ることができた植物で、15年ほど前までは山荘の近辺でも何処にでも咲いていたが、現在は自然のものは殆ど見かけなくなってしまっている。冬は太い根が地下茎の状態で越冬し、春に再び芽を出す多年草である。タンポポと同じように生長点が太くて短い土中の根にあるので、地上部を刈り取っても再び芽を吹く丈夫な植物である。山荘造成の盛り土に種が混じっていたらしく、突然芽を出し以後庭の到る所に広がった。穂は短い楕円形の濃いチョコレート色をしており、花弁は退化していて花に見える部分は萼である。萼は4裂し雌しべ一本に、雄しべは4本がある。花穂は見た目には柔らかそうだが、案外にガサガサとした硬い小さな松毬のような手触りに吃驚する。花の咲き方には無限花序といって花軸の下部から上方へ順次咲いていくものと、最後に生じた頂部の花がまず咲いて順次下に降りて咲いていく有限花序の二つがある。初めに頂花が咲いて花の数を限定するので、有限という。穂状に小花を咲かせる植物は一般的には下から先端に咲き進むものが多いが、ワレモコウは逆に先端から下に開花していく「有限花序」である。ワレモコウには、吾木香・吾亦紅・我亦紅・我毛紅など様々な漢字表記がある。よく知られたものは、「吾亦紅」の表記である。「名前を付ける際この花の色は何色だろうとの論議があり、茶色・こげ茶・紫などと夫々が言い張った。そんな時「私は紅だと思う。」と言う声が、どこからか聞こえてきた。長老には花が自分で言っているように聞こえたので、「花が自分で言うのだったら、自分も紅に見える。」と言ったことから「吾亦紅」となった。」のだという。そんな言い伝えを虚子は、「吾も亦 紅なりと ひそやかに」と詠んでいる。茶花としてシュウカイドウなどと取り合わせて活けられ、中秋の望月にはススキと共にワレモコウがよく飾られる。生花材料にするほか、逆さに吊るして乾燥させた後ドライフラワーにして飾っても楽しめる。
2016年08月31日

三分一湧水公園は、水元坂本家からその土地の寄付を受けて公園に整備され無料で開放されている。公園内には平成16年5月に、水力発電施設、風力・太陽光発電施設が造られた。北杜市のパンフレットでは、「三分一湧水(北杜市)周辺は公園として整備されており、園内には水力発電や太陽光発電、太陽光発電といくつかの種類の異なる小型風力発電のハイブリッドによる照明灯等、色々な新エネルギー設備が導入されています。公園を訪れる人は、これらの設備を直接見ることによって、新エネルギーのしくみを理解し、身近に感じることが出来ます。」と説明されている。12年前に公園内に竣工した水力発電は、水の圧力と速度を羽根車に作用させる構造の水車でクロスフロー水車と言われる。マイクロ水力発電は水の流れと落差があれば発電可能とされ安定した出力が得られる方式である。発電出力は1kwと極めて小さいので、工費は約600万円であった。発電された電気は、発電小屋内の鉄道ジオラマと吊り橋の照明に利用される予定であった。水源は三分一湧水の、3本の水路のうち左に別れる水路の水を使っている。取水桝に網をつけてゴミを除去し、VPφ200の塩ビ管で導水し落差7m・最大使用水量 0.03 ㎥/sの水圧でクロスフロー水車へ当てる設計となっている。北杜市は「人と自然と文化が躍動する環境創造都市」構想の中で、次世代エネルギーパークの、中心的な役割を担う中核施設と位置付けている。そのコンセプトは「新エネルギーの生産利用について、実際に見て触れることにより分かりやすく紹介する施設」としている。さらに「三分一湧水の歴史や水力発電、風力発電、太陽光発電の仕組み等が学べる。新エネルギー設備として、水力発電1kW、太陽光発電3.2kW、ハイブリッド街路灯5機を設置。三分一湧水は、環境省の名水百選に認定されており、環境・新エネルギーと観光をつなぐ施設として期待できる。また、園内には水力発電をはじめとした自然エネルギーを学ぶ施設が整備されています。三分一湧水は、昭和60 年の環境庁の日本名水百選に認定された「八ヶ岳南麓高原湧水群」のひとつであり、水争いが激しい頃に農業用水を3つの村に均等に分配させるため湧出口の分水枡に三角石柱を築き3方向に流水を分岐させたという伝説が残っている場所です。こうした水にまつわるストーリー性を有しつつ、自然や環境、農村文化をテーマにした体験プログラムを実施し、「自然」「水」について考える場となっていることから、本構想において、「水」の中核施設として位置付けることが考えられます。」とある。多くの自治体ではこの手の基本構想を作成するノーハウが無いため、学者や研究機関・開発事業者に半丸投げして報告書を貰い作成する場合が多い。受けた側は費用対効果や利用効率・普遍性などの基本調査すらしないままに、高邁な理想像を机上で作成することがままありフィールドでの実際運用の段階で機能しないことがある。三分一公園内に設置された風力・太陽光発電とこの水力発電所は、数年前にすでに発電を中止している。この施設を誰が管理するのか、役所の担当者さえも不明と言う。僅かながらでも住民税を納付している身にとっては、行政の無駄使いが気になるところである。100vの電気を10A使うと、1kwになる。1000wの電気製品を1時間使うと1kwhになり、電気代は1時間/10数円である。発電施設の故障やメンテナンス費用を無視してフル稼働し教育効果も算定に入れたとしても、初期投資600万円を回収するには気の遠くなるような年月がかかる。
2016年08月30日

山梨県北杜市長坂町と小淵沢町には、豊富な湧水量を誇る「女取湧水」・「大滝湧水」・「三分一湧水」などの八ヶ岳南麓高原湧水群が点在する。三分一は、「サンブイチ」と読むが「サブイチ」とも呼ばれている。八ヶ岳南方の権現岳の水源林の水や雨水が成層火山の編笠山の火成岩等に浸透し、清里高原地下の帯水層を経て湧出すると考えられている。代表的な湧水地として、「女取湧水」・「大滝湧水」・「三分一湧水」などがある。JR小淵沢~小諸駅間を走る小海線は、山梨県唯一の非電化線である。途中の清里から野辺山駅間には標高1375mのJR鉄道最高地点を走り、野辺山駅は標高1345mのJR線最高駅として知られる。これら湧水群の一つ「三分一湧水」は小海線甲斐小泉駅の近くにあり、昭和60年(1985)名水百選のひとつに選定された。年間を通じ水温10℃前後の、日量8,500tの湧水量がある。名水百選に選定された「名水」とは、「保全状況が良好」で「地域住民等による保全活動がある」ということであり、「そのまま飲める美味しい水」という意味ではない。飲用には、消毒や煮沸が必要とされているものもある。民間には湧水の利用を巡って起きた下流の村々の水利争いを収めるため、武田信玄が湧出口に分水枡を立てて水を3等分するシステムを考案したとの伝説がある。この工夫によって湧水を三方向の村落に三分一ずつ平等に分配できるようになり、三分一湧水の名の由来となった。約80台の駐車場のそばに建つ「三分一そば」店の案内パンフレットにも、信玄伝説が載っている。観光ガイドなどでは今も多く目にするが史実は全く異なっており、信玄との関わりを示す資料はない。江戸時代中期に起こった水争いがきっかけとなって、現在の分水施設の原型がつくられたとするのが真実である。当初は木造の施設で、水を配分する石も自然石であった。木造の分水器は大正11年(1922)に、石積みの施設に改変された。昭和18年(1943)9月5日に高川の氾濫による土石流の押し出し(山津波)で、三分一湧水施設は土砂に埋没してしまった。昭和19年(1944)年に土砂から掘り出して復元して現在の施設が完成、その後戦後になってから石が三角形のものに置き換えられたという。現在は地区住民で組織する管理組合や地元住民によって管理され、農業用水として利用されている。湧水口近くでは多くの人が、ペットボトルやタンクに水を汲んで持ち帰っている。水質については、水温・電気伝導率・気温を24時間測定しリアルタイムで観測し水質調査実施とあるが、飲用適非の検査内容の公表は見あたら無い。地元では名水百選に選ばれた湧水だが、15年も前から上のペンションの影響で水質が悪化しており間違ってもそのままでは飲まないという。北杜市観光協会の「ほくとの観光ガイド」には、「※注 湧水は農業用水のため、飲用には適しません。」と明記してあるが、湧水口近くには飲用適非の看板は見当たらない。
2016年08月29日

オオマツヨイグサはヨーロッパで品種改良し作出された園芸種とされ、1870年代の明治初期に鑑賞用として渡来した。観賞用として栽培されたものが逸出して、海辺や河原などに飛んで各地で野生化した。秋に芽生えて、ロゼットで冬を越す。初夏から晩秋までの、長い期間花を咲かせる。秋に種を散布して、冬に枯れる越年の一年生植物である。6~8cmくらいもある黄色で大きな一日花を夕方に開き、朝には凋む。4枚の花弁は、心形をしている。40年ほど遅れて1920年代に原産地の北米から伝来したとされる、姿かたちがそっくりな同属のメマツヨイグサがある。メマツヨイグサは花径が2~3センチで、オオマツヨイグサの半分以下の大きさの花である。太宰が「…ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えず残つた。三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みぢんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかった。富士には、月見草がよく似合ふ。」と富獄百景に書いたのは、多分花の大きなオオマツヨイグサのことであろう。現在はオオマツヨイグサを、余り見かけなくなった。その原因は、メマツヨイグサに生育地を侵略されたためだとの説がある。山荘の周りに咲いているものは、全て小型のメマツヨイグサである。耕作放棄地・土手や崩れた山の斜面・河原などに初めに進出するパイオニア植物のため、うっかりしていると菜園にもメマツヨイグサが侵入してくる。近隣の放置された農地には、メマツヨイグサの夥しい群落ができている。夕方開花することから、「月見草」の別称で呼ばれる。竹久夢二は♪「待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬさうな」と作詞したが、初めは正しく「待宵草(マツヨイグサ)」と表記され、その後夢二自身が語感の良さから「宵待草」と改めたと伝わっている。 花言葉 人の良さ
2016年08月26日

山荘がある標高630mの山里には、8月中旬過ぎからあちこちの土手に可愛い薄紫のコバギボウシの花が見られるようになる。耕作地の土手草は農家の人に依って月に2回も丁寧に刈り取られるが、コバギウボシの株は刈り残す人が多い。ギボウシ(擬宝珠)は、アスパラガスと同じキジカクシ科に属する。カタカナでキジカクシと書くと何のことか判断に迷うが漢字では「雉隠し」と書き、茎の上部に葉が密生して雉の姿も隠してしまうところから付けられたものである。一般にギボウシは、山間の湿地などに多く自生する。若芽は山菜として珍重され花が美しく、日陰でもよく育つことから庭木の株元などに植栽される。ギボウシという名前はこの植物の包葉に包まれた若い花序が、擬宝珠に似ていることに由来する。葉は葉柄を有し幅広く、根出葉である。夏総状花序に紫青色の細長い花を多数着け、送粉者のマルハナバチなど大型のハナバチの訪花によって受粉する。ギボウシは江戸時代多数園芸品種として固定され、さらにこれがシーボルトらによってヨーロッパに紹介されてヨーロッパでも多くの品種が育成された。コバギボウシは日本固有種で北海道から九州までの広い地域に分布し、日当たりの良いやや湿った草原や湿原に自生する。花茎の高さは50cmくらいになり、一日花が下から上へと開花していく。花期は8月で、漏斗型の濃い紫色から淡紫色の花がやや下向きに咲く。コバギボウシとは対照的に株や葉・花がはるかに大きく、白い花を咲かせるオオバギボウシがある。どちらも食用になるが、一般的にはオオバギボウシが山菜ウルイの名前で販売もされている。コバギボウシは湿原に多く生育するが、周辺部の森林との境界付近あるいは開けた乾燥地にでも生育する。筒状花に雄しべ6本を持ち、全ての先が上向きに曲がる。雌しべの柱頭も上向きに曲がり、長くて花の外へ1.5cmも突出する。葉の形や大きに、変異が多い。コバギボウシは大型の花蜂が送粉者の他花受粉の花で、深夜から夜明けにかけて開く。開花しても雄しべと雌しべは離れており、花が終わった後も花の外に出たままである。葯と柱頭が離れているのは、自花受粉を避けるための仕組みとされる。花言葉 落ち着き 沈静 静かな人
2016年08月25日

ネズミの仲間であるリス(栗鼠)の名の語源は、漢語の「栗鼠」(リッソあるいはリッス)だとされる。別名に、木鼠(きねずみ)や栗鼠(くりねずみ)がある。ネズミの仲間とは何の関係もないのに、リスの名前がついた昆虫がいる。7月位から目にするようになる、トンボのリスアカネ(リス茜)である。リスアカネは日本で21種類が確認されているアカネ属のトンボの一種で、北海道から九州に分布し羽を除いた体幹が真っ赤なトンボである。リストンボのリスは人の名前由来で、スイスのトンボ学者Friedrich Risの名前からとったものである。7月頃から羽化が始まり、秋の深まる11月下旬頃まで見ることがある。アカネ属の中では最も薄暗い環境を好む種で、平地から丘陵地にかけての樹林に囲まれた閉鎖的な薄暗い池沼でよく見られる。アカネ属の中では最も薄暗い環境を好む種のため、水田やプールなどの明るく開放的な環境で見ることは稀である。アキアカネと異なり遠くまで移動することはなく、成虫になった後も羽化水域の近くに留まり体が成熟するまでその場所で摂餌活動を行う。未熟なうちは雌雄とも黄褐色の体色をしており、成熟した雄は腹部がやや朱色を帯びた赤色に、胸部は濃い褐色になる。雌は成熟しても体色が全体に濃くなる程度であるが、アキアカネなど他のトンボにも見られるように寒冷地では腹部背面の赤化する個体が現れることがある。雌雄とも成熟が進むと、顔面は濃い黄色になる。雄は水域近くに縄張りを持つが縄張りの範囲は狭く、他の大型のトンボが侵入してきた場合でも本種が優位に立つことが多い。産卵は水のない池畔の土や枯れ草の上に空中から卵を落とす方法で行い、水域では産卵しないのが特徴である。アカネ属の他の種に比較して、人に対する警戒心は比較的強い方である。トンボは幼虫期にすでに翅や外部生殖器の原形が成虫に近い形で存在し,脱皮ごとに次第に発達する。完全変態でみられる明確な蛹の時期がないので、不完全変態の昆虫である。八ヶ岳の南麓にある信玄が水争いを裁くために造ったと伝わる三分一湧水の森の中で、羽を休めるリスアカネを見つけた。一見ミヤマアカネと酷似していて、静止していないと同定することは困難である。羽を広げて静止しているのを観察すればリスアカネでは羽の褐色斑が先端部まであるのに対して、ミヤマアカネの斑は先端部から少し入ったところにあることで区別できる。 千編を一律に飛ぶ蜻蛉かな 河東碧梧桐
2016年08月24日

実体顕微鏡10倍虎の尾を踏むという諺があり、非常な危険をおかすことの譬えとして使われる。出典は易経の履卦三 ・四・五で、弱いものが強いものを踏む卦としてある。「若しも正道正法で修持して,則ち克己復禮。識神を煉化して元神と為し,則ち元神が自主せれば,煩悩化して菩提と成り。精を煉りて気と化し,則ち濁精化して淫慾生せず。淫慾生ぜざれば,則ち男は白虎を降し,女は赤龍を斬るなり。則ち無始劫来の水劫ここに避けられて,己を傷つかず亦人をも傷つかず。故に云う:虎の尾を履むも、人を咥(くら)わず。」強者と言われる「虎の尾」の名前が付けられた、サクラソウ科オカトラノオ・ヌマトラノオ、ゴマノハグサ科ヤマトラノオ、オオバコ科のルリトラノオ、タデ科のイブキトラノオ、シソ科のハナトラノオ、トラノオ(サンスベリア)など多くの植物がある。ほとんどは花穂や葉が、トラの尾に似ているとして付けられた名前である。しかしどの植物も虎の尻尾にそれほど似ているようには見えない。別名のカクトラノオの方が一般によく知られているハナトラノオも同様で何故、トラノオの名前が付けられたのか不思議である。シソ科のハナトラノオ(花虎の尾)は北アメリカ東部原産の多年草で、日本には明治末期から大正初期に観賞用として渡来し1912から10年ほどの間に広まった。丈夫で繁殖力も強い宿根草で、逸出して民家周辺で野生化しているものもある。花期は8月~10月で長い花穂に規則正しく並ぶ薄いピンクの花が、涼しげで美しい。花は下から順に上へと咲き進んでいき、花期が長い。寒暑に耐え日本の気候に順応して、放置しても勝手に増えて咲く丈夫な植物である。冬は地上部が枯れ、その後出た芽が冬越する。茎の断面は四角で、花も四方に規則正しく並んでいる。花穂を虎の尾に見立てて虎の尾、茎が四角なので「角虎の尾」となったとするのが通説とされている。花色には、ピンクと白がある。地下茎で横に広がって、よく増える。16年前山荘の庭隅に植えた一株が、今では3個所に群生し邪魔になるほどである。仏花として盆花用として広く利用されていたが、最近は花材としても見直され人気が出てきた。花冠は長さ2.5cmほどで淡紫色、下唇は先が浅く3つに分かれる。上唇の内側に隠れるように一本の雌しべと、雄しべはその両側に2本ずつ4本ある。雌しべと雄しべの花糸は白で、葯は黄褐色だがやがて黒くなる。花底で上唇と下唇が合弁して筒状になり、口を開けた動物の顔に見えなくもない。 花言葉 望みの成就 達成 希望 素直さ
2016年08月23日

百人一首の中には「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」の他、月を詠んだ歌が11首ある。花鳥風月の言葉があるように、日本人は昔から月を風流の対象としてこよなく愛してきた。中秋の名月という言葉は、よく知られている。名月を表すには、中秋あるいは仲秋の文字が使われる。旧暦の七・八・九月が秋の季節に区分されており、七・八・九月はそれぞれ初秋・仲秋・晩秋と区分した。八月は秋の真中にあるので八月の満月を、「仲秋の名月」や「中秋の名月」と称するようになった。中秋を付けないで単に名月と言っても、旧暦八月十五日の月を指している。八月は初秋・仲秋・晩秋の仲秋名月であり、中秋は七・八・九月の真中の十五夜月を意味している。中秋と仲秋は意味が異なるが、中秋の名月と仲秋の名月が旧暦八月の十五夜月を指していることには変わりない。2016年の満月は1月24日から数えて、12月14日までの間に12回巡って来る。今月8月は18日の18時27分が満月で、月の出は18時27分であった。山荘での楽しみの一つに甲斐駒の夏姿を見ることがあるのだが、今年の甲斐駒の山頂はいつも厚い雲がかかっていた。毎週2日ほどの滞在で、2か月以上も甲斐駒の山容の全貌を目にすることはできなかった。頭の上は青空が広がって強い夏の日差しがあるのに、19日も南アルプスの山塊は相変わらず雲に覆われており夕方から雨雲が空を覆った。6月21日(火曜日)の夏至の頃には、日の入りが19時頃であった。それから2か月後では随分日が短くなり、約30分も早い日没時間となっている。今にも降り出しそうな曇天の空に、十六夜の月の姿を見ることは期待できなかった。しかし雨雲に覆われていた空の雲が日暮れとともに切れはじめ、南の空には夏の大三角が輝き始めた。19日は日中30℃を超えたのに日没には気温23℃まで下がり、ツヅレサセコオロギに混ざって早くもエンマコオロギが鳴き出し秋の近いことを感じさせる。肉眼では満月にしか見えない19時17分月の出時間とされる十六夜の月が、7時半過ぎに東の空に昇った。雲の切れ間から地形が判別できるほどに煌々と輝いて、その明るさから空の星は全て消えて見えなくなってしまった。20日の早朝5時の夜明け前、久しぶりに雲の無い澄んだ空に甲斐駒と残月が揃って見事な情景を演出していた。こんな素晴らしい光景を大半の人は見ていないだろうと、勿体無いことだとしみじみ思いながら写真に収めた。月没は7時頃だが、6時前には有明の月は標高2,967mの甲斐駒の陰に隠れてしまった。日の出とともにあっと言う間に空を雨雲が覆い始め、8時には今にも降り出しそうな空模様となって南アルプスの山塊も全く見えなくなった。
2016年08月22日

フヨウ(芙蓉)は学名のHibiscus mutabiliからもわかるように、多彩な花色があるハイビスカスと極めて近縁である。また属名mutabilisは、「変化しやすい」という意味である。もともと芙蓉とは、ハスの花の美称である。昔から美しい顔立ちの人を、「芙蓉の顔(かんばせ)」という。美人の顔立ちを、美しいハスの花に譬えたものである。日本で芙蓉と言えばほとんどがハイビスカスと同科のフヨウを指していて、ハスの花を芙蓉の名称で呼ぶことは無い。そのため「芙蓉の顔」の芙蓉をフヨウの花と取り違えているが、この熟語でいう芙蓉とはハスの花のことである。日本ではフヨウは芙蓉で通じるがハスと区別するため、あえて木芙蓉・水芙蓉と区別することもある。関東以南で観賞用に栽培され剪定しないで伸ばせば幹高5mにもなるが、多くは新梢を切り詰めて1.5mほどで抑える。寒地では冬に地上部は枯れ、春に新残った根から萌芽し一年で3mも伸びる。芙蓉にはピンクと白花の二種類があり7~10月に、直径10~15cm程度の朝咲いて夕方にはしぼむ1日花を次々と長期間咲かせる。綿・槿・ハイビスカスと同じように、花弁は5枚で回旋しロート状に開く。先端で円筒状に散開する雄しべの根元は筒状に癒合しており、その中心部から雌しべが延び雄しべの先よりもさらに突き出して5裂する。面白いことにハイビスカスと同科の花粉は、球状で表面に無数の短い多数の蕀を持っているのが特徴である。枝上で果実の爆ぜた姿は「枯れフヨウ」と呼ばれ、花材に用いられる。同じアオイ科のムクゲと違って変異が出にくく、品種は多くない。酔芙蓉は明け方純白で開花し、気温の上昇とともにピンクに変わる。酔芙蓉は、数少ない芙蓉の園芸品種の一つである。酔芙蓉は、人が酒に酔って次第に赤くなっていく様子に擬えて付けられた名前である。芙蓉と殆ど同じ花の形だが朝に開花したときは白花で、時間とともに次第に赤くなっていく。酔芙蓉は八重咲きが特徴とする説が尤もらしく唱えられているがそれは誤りで、八重咲きより大輪の花を咲かせる一重のものが存在する。我が家の酔芙蓉は八重咲きよりはるかに大輪の一重で、清楚な花の美しさはハスの花にも劣らずこちらを芙蓉の顔(かんばせ)の花といっても通用しそうである。花の色が時間とともに変化する植物として、バラ・綿・琉球朝顔・酔芙蓉などがよく知られている。これらの花色変化のメカニズムと理由は、現在あまり解明が進んでいない。花に太陽光・蛍光灯・LED光を当てるまたは遮光する。このそれぞれの検体に、低温・一定・25℃以上の温度環境を作る。紫外線の影響を調べるには、紫外線カット農業用フィルムを使うなどして調べてみる。バラ(チャールストン)は、花の老化や紫外線の影響でアントシアニンが生合成されて赤色になっていくことが解明されている。酔芙蓉の赤くなる原因について、「太陽紫外線の影響で活性酸素が生成されるので、活性酸素に対抗するために抗酸化物質のアントシニアンを合成する。」という説を唱える人がいる。しかし実際に遮光した器に入れておいても、真夏の頃には昼過ぎころからピンクに着色してくる。このことから、紫外線は変色と関係ないことが分かる。酔芙蓉の花色変化は高温の影響を受けた花弁で、アントシアニンの生合成が急速に進むことが原因である。温度が25℃以下ではアントシアニンの合成があまり進まないため、翌朝まで白色のまま残る。白き芙蓉 赤き芙蓉と重なりて 児のゆく空に 秋の雨降る 鉄幹花言葉 繊細な美 しとやかな恋人 富貴 微妙な美しさ
2016年08月18日

雄花の内部 花粉 結実後2か月瓢箪には大小さまざまな品種があり、長さが5センチくらいの極小千成から、2メートルを越える大長、また胴回りが1メートルを超える巨大瓢箪(ジャンボヒョウタン)などがある。瓢箪が三つで三瓢(拍子)六つは六瓢(無病)であるところから、瓢箪を集めると三拍子揃うとか無病息災として縁起が良いとしてお守りにされてきた。中国明代に八仙の起源を書いた小説、「四遊記」がある。別名「上洞八仙伝」とか、「八仙出処東遊記伝」とも言われる。民間伝承の八仙は漢代の仙人とされる、鍾離・張果老・韓湘子・鉄拐(てつかい)・曹国舅(そうこくきゆう)・呂洞賓(りよどうひん)・藍采和・何仙姑のことである。道教の仙人の代表的な存在で日本の七福神のように、中華社会では誰にでも受け入れられ信仰されている。唐代の道士とされる八仙の一人の張果老は、白驢に乗って一日に数万里を進んだ。休息する時は驢を紙のように折り畳んで腰の「巾箱」(頭巾を入れる小箱)に納め、乗る時は水を吹きかけると忽ち驢が現れたという。これが日本に伝わってロバはウマに巾箱が瓢箪に変わり、「瓢箪から駒」の諺が生まれた。NHKBSのコマの番組の挿絵に、独楽と瓢箪の絵が出ていた。これはシャレで書いた絵であったものと思われ、実際は瓢箪と独楽とは諺や故事と何の関わりもない。ウリ科植物は一本の株に雌花と雄花を着け、結実するためには雄花の花粉が雌花の柱頭について受粉することが必要である。瓢箪の花は夕顔と同じように夕方に開花して、太陽が昇ると凋む一日花である。瓢箪は花粉を飛ばさない虫媒花なので、蜂や蛾が花粉を運ぶ役割を担っている。。雄花の花弁の内部には細かな蕀が密生していて、花筒に入り込んだ虫が簡単に抜け出せない構造となっており、もがいている間に体中に花粉が付着するようになっている。菜園に植えた瓢箪へは人工授粉を全く行わなかったが、現在40cmもの大きな果実が8個なっておりさらに未だ雌花が数個着いている。瓢箪の果実は成長が早く一週間で重量・大きさともに見事なまでに育って、重量に耐えきれなくなった塩ビの支柱が真中から折れてしまった。支えをして補修しないと、やがて支柱ごと地面に瓢箪が落果してしまうかも知れない。結実してから収穫までの日数は、約50日程度でぼつぼつ最初に結実した4個が収穫時期を迎える。
2016年08月17日

スズメバチの大群に囲まれ手振れ マイザー軟膏塗布2日後 標準原色図鑑全集昨年は庭の山椒の木に巣を懸けた攻撃性の低いコガタスズメバチを、最後まで駆除しないで見守った。暖冬の所為か12月晦日になっても、働き蜂が活動していた。今年の5月には道路を隔てた向かい側の家の道路上にはみ出したザクロの枝に、コガタスズメバチが巣を懸けた。通行の邪魔にならなければそのままにしておいたのだが大型貨物自動車が枝すれすれで通る高さで、通学児童もその下を通る。家主が長期入院中のため駆除は望めないので、代わって巣を除去した。近年人の生活圏に巣を懸けることが多くなったのか、年ごとにスズメバチの話題が増えているようにも感じる。山荘の畑は8月に入ってからの暑さと適度の降雨のため雑草の伸びが驚くほどで、除草後1週間もすると伸びた雑草で一面が緑一色になってしまう。畑の縁の1mも伸びた草を鎌で刈り取っているとき、右手甲の親指と人差し指の間がチクリとした。アリにでも咬まれたのかと思って見ると、軍手の上から黄色スズメバチがしきりに尻を動かして刺していた。よく見ると紙屑を燃やすための焼却炉の下の穴から、ハチが猛然と飛び出してきたのだ。今年になってから焼却炉を使用していなかったので、ちゃっかり不法占拠したものらしい。スズメバチは、アシナガハチやミツバチ・クマバチに比較して攻撃性が高い。攻撃は巣を防衛するためで、このハチは小型の割に凶暴かつ好戦的で積極的に刺してくることも多い。ハチはそのテリトリーに入らなければ、襲われることはまずない。うっかりあるいは知らずにテリトリーに入りこんだことにより、平成15年には人口動態統計上24人がスズメバチによる刺傷で死亡している。スズメバチに刺されることによっての死亡は、熊害や毒蛇より多いと言われる。スズメバチという名前は、巣の模様と雀の模様が似ていることに由来するとの説がある。ハチ類は植物の害虫の蛾や蝶の幼虫を食べるので一面では益虫だが、キイロスズメバチやオオスズメバチは積極的にヒトを攻撃して被害を与えまたニホンミツバチの巣を襲撃ししばしば全滅させるので害虫でもある。キイロスズメバチは、本州~九州に分布する。体長は女王バチ雄ハチが2.8cm・働きバチ2.0cmでスズメバチ属中最も小型である。逆に日本のスズメバチとしては営巣規模が最も大きく、一巣のハチも1000匹に達し巣の大きさが1mにも達することがある。初期には屋根裏や樹洞のような閉鎖空間に巣を作るが、巣が大きくなってスペースに余裕がなくなると、別の場所へ引越しして再営巣する習性がある。攻撃性が強く人の居住空間に適応しているため、日本では被害例が多いハチである。かつて世田谷区の住宅に数年にわたって営巣していたニホンミツバチの、蜜が入った巣板の一部を貰い受けて来て舐めたことがある。中に蜜に絡んだハチがいて、うっかり口の中へ入れたことで舌を刺されたことがある。しかし大人になってからはアシナガバチやコガタスズメバチの巣に近づいても、今回のように数百匹のハチの大群に囲まれ手袋の上から刺されたことは無い。しかも一旦戦闘モードに入ったキイロスズメバチは、50mも離れたところまで執拗に追ってきて威嚇しながら周囲を飛び回る。ちょうどガスの検針に来た人に見せるため、焼却炉を蹴飛ばしたとろあっという間に百匹近い群れが飛び出してきて5mほど離れて見ていたその人の右腕を刺してしまった。自分は次第に手の甲が赤く腫れて疼いてきたので、刺傷口を絞りながら水道水で洗い持ち合わせのステロイド剤マイザー軟膏を塗布した。一晩で腫赤はおさまったが、疼きと痒みが治まるまで5日を要した。焼却炉は山荘玄関への通路と駐車場を兼ねた入り口と、畑の境に置いてある。家内は、そんな危険なところには行けないと言っている。次回は心して、退治しなければと考えている。
2016年08月16日

日の丸 花柱 葯から飛びだした花粉16年前山荘の庭に、白い花びらで底紅一重咲きのムクゲの15cmほどの実生苗を一本植えた。今では幹周り30cmを超えるほどになり、円形の枝葉一面に花を着けている。一年で1m以上も枝を伸ばすので放置すると枝葉が茂り、樹高も10mを超えるようになってしまう。狭い庭に植栽するには、剪定が必須である。枝の刈り込みによく耐え当年の新梢の先に花を着けるので、細い枝を全て切り取ってしまっても開花してくれる。ムクゲ(木槿)は芙蓉の仲間で、ハチスやもくげなどの別名でも呼ばれる。夏の茶花として重要な花であるが、古い時代には縁起が悪いとして忌み嫌われたこともある。奈良時代に中国から、「木槿」の名前とともに伝来した。初め「もくきん」と音読みしていたものが、転じて「ムクゲ」と呼ばれるようになったとされる。「槿」一字でも、「むくげ」と読ませることがある。11世紀末から12世紀頃に日本で成立した漢字辞書[類聚名義抄(るいじゅみょうぎしょう)]には、「木波知須(きはちす)」の名前で記載されている。白に底赤の「日の丸」と言う花は、利休の娘お亀を母に持つ茶人千宗旦が好んだことから「宗丹木槿」の名前でも呼ばれる。ムクゲは7月から晩秋まで、白・紫・赤・絞りなど多彩な花を咲かせる。白氏文集の巻十五放言の「松樹千年終是朽 槿花一日自成栄」(松の木は千年の齢を保つがいずれは朽ち、ムクゲの花は一日の命だがその生を大いに全うする)は、白居易の詩を好む人にはよく知られた文句である。この語句が「わずか一日のはかない栄え」の意に取られて、「槿花一日の栄」「槿花一晨の栄え」「槿花一朝の夢」といった諺を生んだ。同属の多くの花は、早朝開花し夕方凋む一日花である。ムクゲも白居易の「槿花一日」から一日花との誤解があるが、朝花が開き夕方凋むを繰り返して一輪が2〜3日咲いている。樹皮を乾燥したものは、生薬の「木槿皮」である。抗菌目的で配合され、胃腸薬や水虫などの皮膚炎に使われる。花を乾燥したものは木槿花で、皮膚炎・胃腸炎・下痢止め等に用いる。長期間次々に咲くことから韓国では、「無窮花(ムグンファ)」の名前が付けられた。日本の国花は桜や菊とされるが、法律で定められたものではない。同じように韓国の歴史を象徴しているとして国花や国章に意匠化されているが、ムクゲを憲法や法律で韓国国花と定めたものは存在しない。夏の茶花として重要な花であるが、古い時代には縁起が悪いとして忌み嫌われたこともある。1536年に成立した華道書の「仙伝抄(1536年)」には、花材としてボケ・ヤマブキ・カンゾウなどとともに基本的には用いるべきではない「禁花」に数えられた。また仙伝抄に450年遅れて1693年に著わされた「古今茶道全書」にも、「嫌花」として名が挙げられている。このように長い間華道・茶道で忌花として扱われてきたが、1730年代の天文年間には活けられるようになる。しかし30年後には、再び禁花としての扱いが復活するなどムクゲの扱いが変遷した。江戸中期になって漸く一般的な花材として使われるようになり、千宗旦は花の儚さが茶道の精神にも合致するとして好んで使った。現代では、代表的な夏の茶花となっている。樹高1m程度の垣根にもするほどムクゲは萌芽力が強いので、春先までなら幾ら刈り込んでも夏には花が見られる。 花言葉 信念 新しい美
2016年08月10日

3がクマゼミデ4はミンミンゼミ(標準原色図鑑)8月8日の早朝から午前中にかけてミンミンゼミの声に似た、極めて大きく煩いセミの声が聞かれた。関西や沖縄では普通に聞かれるセミの声だが、相模原市に暮らして60年この地域では初めて聞いた。鳴き声はミンミンゼミの鳴き始めに似てジーという太い音が暫く続き、続いて「センセンセン…」と鳴く。その後に再び、「ジー…」という長い声が入る。他のセミは一区切りつくと鳴きやむが、クマゼミは間断無く鳴き続ける。芭蕉が岩に染みいると詠んだニイニイゼミや哀愁を誘うヒグラシ・ツクツクホウシに比べて、アブラゼミやミンミンゼミの声は暑苦しい。それに輪をかけて、クマゼミの鳴き声は騒々しい。その喧しさは、半端ではない。クマゼミは7月下旬~8月上旬の、最も暑い頃が発生のピークである。自然界ではクマゼミの成虫の寿命は2週間程度とされているが、飼育下では倍近く生きた例の報告がある。日の出頃から鳴き出し、午前6時頃~10時頃まで最も盛んである。那覇の首里城正門脇のユウナやフクギの幹に、真っ黒に群がって合唱が響き渡る。これだけのセミが鳴くと煩いよりむしろ壮観でさえある。ミンミンゼミとクマゼミの鳴き声の音はほぼ同じで、クマゼミの声を録音して速度を落として再生するとミンミンゼミの鳴き声になる。逆にミンミンゼミの鳴き声を録音して、速度を上げて再生するとほぼクマゼミの鳴き声となる。クマゼミは温暖な西日本~東海地方の太平洋側に多数発生するが、寒さの厳しい地域では越年できない。30年ほど前頃から南関東や北陸地方・東京23区などでも、クマゼミの鳴き声が確認され報告されるようになっている。クマゼミの分布域の北上・東進は温暖化が影響しているとの説や、木の根に卵や幼虫が付着した樹木を移植したという説などがある。昨日に続いて今朝も多分一匹のクマゼミが、早朝から騒がしく鳴いている。我が家を中心に100mほどの範囲を移動しているらしく、我が家を中心にあちらこちらから聞こえてくる。
2016年08月09日

鳳仙花の赤花は、昔から女の子が爪先を染めるのに用いた。沖縄では、「てぃんさぐ」と呼ばれる。民謡で「♪てぃんさぐぬ花や 爪先(ちみさち)に染(す)みてぃ 親(うや)ぬゆし事(ぐとぅ)や 肝(ちむ)に染(す)みり(鳳仙花の花で詰め先を染めて、親の言うことは心に染めなさい)」と歌われる。昔は植物の花で爪を染めたり、種子から採った粉を白粉として用いていた。白粉花はオシロイバナ科の多年草で、白粧花の名前でも呼ばれる。南アメリカ原産で、江戸の始めに伝来したものである。観賞用に栽培されるが、逸出したものが雑草のようになって広く野生化している。本来虫媒花で夕方開花し夜行性の虫を引き寄せるが、自家受粉でも結実する。英語名でFour-O'clock(4時)と呼ばれるのは開花する時刻から付けられた名前で、和名の別名「夕化粧」の由来ともなっている。(赤化粧はマツヨイグサ属の多年草。)しかし真夏の時期夕方4時には未だ開花せず、それより少し遅れて咲く。花は赤・黄色・白や絞りなど多彩で、香を焚いたような芳香がある。この花は、花弁を持たない。5cm以上もの長い花筒のラッパ状の花弁に見える部分は、実際は萼で基部の萼に似た緑色の部分は総苞である。蜜腺は基部にあり夜間開花する花であるため、スズメガなどの口吻の長い大型の夜行性鱗翅目でなければ吸蜜できない。夜間咲いたほとんどの花は、昆虫の助けを借りずに自家受粉し、日の出とともに凋む。受粉した後萼は基部を残して脱落し、一個の果実が萼の基部に包まれたまま熟し粉状の胚乳を有した黒い種子になる。白粉花の6本ほどの長い雄しべは、花が凋むと螺旋状に曲がる。弾けた葯から飛び出した球形の花粉は、雄しべの柱に付いている。花をよく観察しても雌しべが何処にあるのか、確認できない。寒地では越冬しないで枯れてしまうため一年草扱いだが、実は多年草で太く芋状になった根が暖地では生き残り地上部が枯れても翌春芽を出す。根や種子には熱によって分解しニコチン酸に変化する有毒物質のトリゴネリンを含み、誤食すると嘔吐・腹痛・激しい下痢を起こす。根は利尿・関節炎の生薬として処方され、葉は切り傷・タムシなどの民間薬として用いられる。 花言葉 臆病 内気 恋を疑う人が見ていない時間に咲いて凋むことが、人目を偲んでいるように見えるところから付けられたものであろうか。
2016年08月08日

米人はオクラの莢を夫人の指先に擬えて、Lady's fingerと呼ぶそうである。オクラは北東アフリカ辺りが原産地とされ、エジプトでは紀元前から食用にされていたと伝わっている。日本への伝来は幕末から明治初期頃とされるが、食用野菜として認知されるようになったのは極新しく1960年代になってからである。今でこそ長芋や納豆と三大ネバネバ食品として人気だが、伝来した当時はそのネバネバや青臭さが敬遠され余り普及しなかった。ハイビスカスと同じ、アオイ科の植物である。オクラは英語名も「okra」で、由来はガーナ地方の言語で呼んでいた名前とされる。原産地や熱帯では多年草で何年も同じ木が繰り返し果実をつけるが、寒い日本では冬に枯れるので一年草である。これは、綿花と同じ性質である。オクラが全国的に普及する昭和50年代以前から食べられていた地域では、「ネリ」の名前で食用とされていた。また輪切りにした断面が蓮根の輪切りに似ているところから、「陸蓮根」と呼ぶ場合もある。現在は当該地域以外ではオクラであり、ネリ・陸蓮根・青納豆などの名称は通じない。極めて果実の成長が早く、開花後4日を過ぎて莢が肥大するとともに種子も堅くなり食品としての価値を失う。黄色に中央が赤色の、トロロアオイと似た花をつける。日の出前に開花し、昼には凋んでしまう。莢の表面に肉眼では確認出来ない程に細くて鋭いトゲが生えており、指に刺さることもあるので注意が必要である。生のままあるいはさっと茹でて小口切りにし、醤油、鰹節、味噌などで食べることが多い。煮物・天ぷら・炒めもの・酢のもの・和えもの・スープなどに利用される。オクラとハイビスカスが極めて近縁である証拠に、葯が弾けて飛び出した球形の花粉に金平糖のように微細な刺構造を持つ共通点がある。
2016年08月05日

今年の関東は30℃を超す日はあったものの、未だ真夏のじりじりと焼けつく暑さは無い。暑さはこれからが本番で庭の藤袴の蕾も未だ堅いというのに、早くも庭の茂みの下でか細く秋の虫が鳴き出した。古今集1020に「寛平の御時、きさいの宮の歌合せの歌」として、在原棟梁の「秋風に 綻びぬらし藤袴 綴り刺せてふ きりぎりす鳴く」がある。作者の「ありはらのむねやな」は業平の長男で、五位筑前の守。898年没秋風が吹いて、藤袴の花がほころんできたようだ。(それを見て)つづりさせというきりぎりすが、(袴の裾が綻びているから、綴り刺せと)鳴いている。藤袴の開花を衣服のホツレに見立てて、詠んだ歌である。ここでいう「きりぎりす」は、蟋蟀の古名である。農作業がぼつぼつ始まろうかという時期に鳴き始めるので、繕いものをして農繁期や冬に供える時期が来たことを教えているのだという言い伝えから綴れ刺せ蟋蟀という。エンマコオロギはコロコロコロと鳴くが、この虫形コオロギの鳴き声はリィリィリィリィリィである。古人はこの鳴き声が「肩刺せ 裾刺せ 綴れさせ」と聞こえたと言うが、意識して聞いてもとてもそうは聞こえない。一般的にはエンマコオロギの鳴き声がよく知られるが、ツヅラサセコオロギの鳴き声は寂しく聞こえなぜか郷愁を誘う。万葉集には、夕月夜心もしのに白露の置くこの庭にこほろぎ鳴くも秋風の寒く吹くなへ我が宿の浅茅が本にこほろぎ鳴くも蔭草の生ひたる宿の夕影に鳴くこほろぎは聞けど飽かぬかも庭草に村雨降りてこほろぎの鳴く声聞けば秋づきにけりこほろぎの待ち喜ぶる秋の夜を寝る験なし枕と我れはなどの歌が見られる。この場合の蟋蟀は蝉も含めた、秋に鳴く虫を総称した名称と考えられている。キリギリスでは平安時代に藤原良経が詠んだ、「きりぎりす 鳴くや霜夜のさ筵に 衣片敷きひとりかも寝む」(こおろぎが鳴いている。こんな霜の降る寒い夜に、むしろの上に衣の片袖を自分で敷いて独り(さびしく寝るのだろうか。)が百人一首にあり有名である。キリギリスはススキなどの草むらを好みしばしば明るい外灯の下では夜でも鳴くことがあるが、日中に鳴く虫である。蟋蟀は暗がりの床下や部屋隅でも鳴くが、多くは夜に鳴く。この時代にきりぎりすと出てくるのは、コオロギとされている。英語名「The Grasshopper and the Ants(バッタとアリ)」は、1934 年制作のディズニー映画では「アリとキリギリス」になっている。
2016年08月04日

挿し木したハイビスカス 葯が弾けて飛び出した花粉 花茎の棘に付いた花粉沖縄の知名定男は、「赤花」という歌を作詞した。本人の他に、ネーネーズもカバーしてこの歌が広く知られるようになった。♪夏の日差しに 真っ赤に咲く赤花 なぜ人は扶桑華と言うんでしょうか 美らく美らく咲あちょる赤花 赤く赤く咲あちょる赤花ちゅらあく ちゅらあく 咲あちょおる赤花 赤く赤くさあちょおる 赤花ここでいう赤花とはハイビスカスのことだが、別名仏桑華と言われるアオイ科の植物で沖縄では赤花ともいわれ庭や路端の到るところで咲いている。元は扶桑華(ふそうばな)の名前であったが、仏前に供える習慣があったことからやがて仏の文字に置き換わって仏桑華(ぶっそうか)になったとの説がある。アオイ属には極めて多くの種があって、8000以上もの園芸品種が知られている。一般的にハイビスカスと呼ばれるものは高さ 2mほどの熱帯性の低木で、葉は卵形~楕円形で先端は尖っている。関東地方の花期は戸外では夏から秋だが、温室で加温されていれば周年開花する。一重や八重で垂下するもの・横向きのもの、あるいは上向きに開花するものなど変化に富んでいる。花色も多彩で、白・桃・紅・黄・橙黄色・絞りなど様々である。花茎が5cmと小さいものから、20cm以上の大きなものまで多彩である。朝顔咲きが多いが、大きく反り返えって開くものもあり花柱は長く突出する。よく目立つ大きな花は花弁が5枚で筒状に合体した雄しべの先にソラマメ形の葯がついていて、雌しべは5裂する。人工的に授粉すると結実する場合があるが、自然環境下では受粉しても結実しないことの方が多い。慶長年間(1610年頃)に薩摩藩主島津家久が琉球の仏桑花を家康に献上したのが、本土へ渡来した最初とされている。種子ができ難く挿し木が容易なので、挿し木で増やす。6月~7月が挿し木の適期で、ハイビスカスは切り取ると傷口に癒合粘液を分泌する。この粘液は発根を妨げるので、水中に2時間ほど漬けて切り口をよく粗い流した後川砂を用土にした鉢に挿す。根がでるまでは、日陰で乾燥させないように管理する。在来系は容易に根付くが、大輪系は発根し難いものが多いとされる。ピンク色の種類はハイビスカスとフウリンブッソウゲとを交配させたもので、コーラル系と言われるハイビスカスでやや下向きに花が咲く。我が家には20年も前から育てている赤と黄色の鉢に加えて、渡嘉敷島から枝を取ってきて挿し木した二種二鉢がある。挿し木した一鉢は絞りの大輪花弁が花底まで乖離して、鬼百合のように反りかえって咲く。他は、桃色に近い花である。大輪絞りの見事な花が、殆ど毎日咲く。何回か種を取ろうとしたが、決して結実しない。ホテルサンフラワーの入り口の、この花の親木にも種を着けたのを見たことは無い。実体顕微鏡で見ると葯が開いて飛び出した花粉は真円に近い黄色をしており、艶々した花粉の表面には極小さな刺状の毛が密生している。アオイ科の芙蓉・ムクゲ・綿花・オクラなど全て一日花で、花粉も似た形をしているのも面白い。
2016年08月03日

家庭菜園の栽培作物の定番はナス・トマト・キュウリで、少し畑に余裕があるとこれにジャガイモなどが加わる。ところがこれらの野菜は、連作障害を受けやすいことが知られている。したがって数年ごとに耕作者が変わる市民農園などでは、前年作にどんな野菜を栽培したのか分からない。また、庭先などの狭隘な畑では定番の夏野菜を毎年栽培することが困難となる。近年はバイオ技術による抵抗性種子の開発で病害虫に強く多産性のF1種子が販売されるようになったので、初心者でも比較的容易に育てやすくなっている。現在は連作や病害虫に強い近縁の親木にこれらの野菜を接ぎ木した苗が大量に売られるようになって、この接ぎ木苗を購入することである程度連作が可能となった。市販の定植可能まで育てられた苗は実生でも150円以上で、これが接ぎ木苗になると300円以上と高価である。1~数本であればそれほどには感じないが、二十本もの接ぎ木苗を購入するとかなりの出費になる。余りに高いと、野菜そのものを購入した方が、むしろ安価になってしまう。ナスは播種してから発芽するまで長時間かかるが、トマト・キュウリは比較的発芽とその後の育苗が簡単である。山荘の菜園には、毎年25本ほどのトマトを植える。大量の収穫で食べきれない果実は皮を取り去って煮詰め、自家用ピューレを作り一年分のシチューやミートソース作りに重宝している。今年は家内からミニトマトも作って欲しいとのリクエストがあり、大玉に加えて早生種のミニトマトとの2種を取り寄せた。3月中旬に播種して、育苗し連休明けに定植した。山荘の菜園は70坪ほどあるので、二人掛りビス止めで組上げて作った骨組に雨除けのためのビニールを掛けて25本のトマトを栽培する。今年は自宅近くの狭い菜園でも、ダメ元で25本の苗を植え昔ながらの屋根なし栽培を行ってみた。今年は、二つの失敗があった。播種した際に識別の記しをしたはずなのだが、育苗ポットを何回も移動しているうちに大玉とミニの両者がすっかり入れ替わってしまっていた。この事実が分かったのは、花芽が着きはじめてからである。ミニトマトの苗を40本も植えてしまったのだが、着花してからではどうしようもない。7月中旬を過ぎて、山荘の菜園のトマトも色着き始めた。ところが山荘の菜園を一週間留守にしている間に、サルの集団に襲われ収穫期のトマト全てを収奪されてしまった。これが、二つ目の失敗である。幸いダメ元で植え殆ど手を加えず放置したままのミニ菜園のトマトが次々に赤くなり、とても食べ切れない。しかしトマトピューレを作るには十分な量ではなく、今年は購入したものを使う以外にない。例年に比べて極めて少ない量だが、皮を除いて潰したトマトを琺瑯鍋に2杯分煮詰めた。それでも、数回分利用可能なピューレが完成した。山荘周辺では猿害が年々激しくなってきており、来年は山荘の菜園でのトマト栽培をどうするか思案中である。
2016年08月02日

大乗仏教の経典般若心経は、仏陀の「空と悟りの思想」を説いたものである。嫉妬や恨みのこもる鬼女の能面を般若の面と言うが般若の真意は、「智慧」と同義語で仏教のさまざまな修行の結果得られた智慧(さとり)のことだとされ、般若の語感から想像される鬼女とは関係ない。玄奘三蔵が天竺から持ち帰ったサンスクリットの経典が漢語に訳され、600巻ほどに纏められたものを大般若波羅蜜多経という。この中から空の思想に関する部分のみを、278文字に短く纏めたものが般若心経である。般若心経を含む般若経典は、浄土真宗と日蓮宗以外の宗派の多くで読まれている。釈迦の教えの一つに、「四諦」がある。「諦」は真理のことであきらめではなく、四つの正しい生き方を説いたものとされる。人生は「苦」であり苦とは「割愛」で、苦を滅した境地が「悟り」であるという。悟りに到達する方法は「八正道」の実践と説き、これは「苦集滅道」といわれることもある。人生は即ち苦であるという苦諦とは自分の思いとおりにならない苦しみや悩ましいことで、苦には「四苦」「八苦」があると説いている。自分の人生において思いのままにならない根本的な四つのことには、生苦・老苦・病苦・死苦の四苦があってこれは生・老・病・死とも言われる。この四苦に愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦を加えたものが八苦と言われるもので、熟語の四苦八苦の由来となった。愛別離苦とは親子・夫婦など愛する人との生別または死別による苦痛や悲しみのことで、怨憎会苦は怨み憎む者であっても会わなければならないことの苦しみをいう。求める物が得られない苦しみや悲しみが、求不得苦である。五蘊盛苦とは生きているだけで苦しみが次々と湧き上がってくることで、五蘊は次の五つを言う。「身体」機能が活発であるために起こる苦しみが色(しき)、外からの刺激を受ける心の機能は受(しゅ)、見たものについて何事かをイメージする心の機能が想(そう)、イメージしたものについて、何らかの意志判断を下す心の機能が行(ぎょう)であり、これらから状況判断を下す心の機能を識(しき)という。これら色・受・想・行・識のそれぞれに執着することが、苦しみだとする。朝晩仏壇へご飯と水を供える際、般若心経を唱えるようになって久しい。仏教について学んだこともなくまして門前の小僧でもないので、教義については全く分からない。般若心経を唱えて四苦八苦から逃れられると思うわけでもないが、無心になって経を唱えることで何か自己満足している自分がいる。某寺の写経用紙が送られてきて久しいが、日頃パソコンに世話になってばかりで筆の持ち方もすっかり忘れてしまった現在まだ納経できずにいる。
2016年08月01日
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