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朝の9時過ぎに、突然大きな深紅のバラの花束が届いた。送り主は入都以来55年来の心の友である東海市在住のSご夫妻からで、金婚祝いの花束であった。同じ職種で同期入都は7名居たのだが、今もお付き合いさせて貰っている人は同窓生以外にはSさん一人になってしまった。Sさんの顔が浮かぶ度に赤坂プリンスホテルでの結婚披露宴に招待された、昭和39年10月10日を思い出す。Sさんは式の最中で見ることができなかったのだが、自分はブルーインパルスが上空に描く五輪の輪をホテルの芝生で眺めて開宴を待っていた。赤いバラはビゼーのオペラ、カルメンには小道具として無くてはならない存在である。ビゼーのカルメンで最も知られているのは、口に赤い一本の薔薇を咥えたカルメンが「恋は野の鳥」とハバネラを歌いながら登場するシーンであろう。しかしメリメが書いた小説(1845)はそれほど有名にはならなくて、しかもこのシーンには薔薇は登場しない。20世紀になってビゼーのオペラを翻案した100本を超えるほどの映画が作られたことから、世界的に「カルメン」が有名となった。ビゼーのカルメンには、ミモザに似た黄色の花を咲かせ芳香を持つ「カシー(金合歓キンゴウカン)の花束を抱えて、口に一枝を咥え…。」とあり薔薇は出てこない。奔放で情熱的なカルメンを象徴するため、オペラの上演や映画が製作される過程で赤い薔薇に代わったものであろう。バラは古くから人に気持ちを伝える花として人気があり、世界中で好まれている。特に真っ赤なバラは世界的にも人気が高く、女性へのプレゼントや還暦の花束プレゼントに赤いバラが使われる。赤色は目出度いとされることから、この色の花が喜ばれる。古来よりバラの花は権力の象徴とされ、気品や贅沢の代名詞でもあった。ローマ皇帝の暴君ネロは宴会に集まった客に大量のバラの花びらを振りかけ、薔薇の花を浮かべた風呂を客に振る舞ったとわれローマ帝国衰退の一因になったともいわれる。 イギリスのバラ戦争(15世紀)では赤いバラはランカスター家の紋章であり、白いバラは敵方ヨーク家の紋章であった。ランカスター家のヘンリー7世とヨーク家のエリザベスの結婚で戦争は終結し、ヘンリー家の新しい紋章が赤いバラの中央に白いバラをデザインしたものとなった。それ以来バラは、英国王室の象徴となった。ヴィーナス(アフロディーテ)が帆立貝から誕生したとき、空からは祝福のバラの花びらが降ってきた。アフロディーテが猪から攻撃を受けて瀕死となった恋人アドニスに駆け寄ろうとした際、転んで白バラの垣根の棘で受けた刺傷から落ちた血から赤いバラが生まれた。(ギリシャ神話)李白は詩に、薔薇を詠んでいる。不向東山久(東山に向わざること久し)薔薇幾度花(薔薇幾度か花さく)白雲還自散(白雲還りおのずから散ず)明月落誰家(明月誰が家にか落つ)。ゲーテは「野バラ」で、「野に一本のバラが咲いていました。そのみずみずしさ、美しさ。少年は、それを見るなり走り寄り、心はずませて眺めました。」の書き出しで、「お前を折るよ、赤いばら…。」と詩を書いた。この詩にシューベルトが曲を付けたのが、日本語で「野バラはみたり…」と歌われる有名な歌曲「野バラ」である。しかし実際には野バラ白花で、赤い花は咲かない。一般的な花言葉は「愛」だが、蕾は「処女」満開の花は「結婚」だという。これ以外に赤いバラには「熱愛」・赤の蕾は「潔白な望み」など、多くの花言葉が付けられている。Sさんご夫妻に、改めて感謝。
2016年03月31日

トマトは農家でも自家生食用としては、10本も作れば十分である。したがって10本以下を栽培する場合、手間不要で手軽であるため多くは購入苗を使って栽培する。ところが苗の値段が高くなっていて接ぎ木苗だと一本300円もしたり、実生苗でも150円程もする。我が家では生食しきれない分は、ピューレにして冷凍保存する。殆どは自家消費なのだが、食べきれない分は親戚や知人に分けて喜ばれる。そのため二つの畑に40本も植えるので、種から育てた方が経済的である。その上発芽してから成長する様子を、観察しながら育てるのも毎日の楽しみでもある。トマトの育苗はコツさえつかめば案外簡単で、自分好みの品種を種から育てられるのも面白い。播種は、定植予定の2か月前に行う。畑のある場所で晩霜が下りる時期が異なるが、定植を連休明けとすると3月初めには種蒔き作業を行いたい。前年落ちたトマトからでも4月中旬になると芽を出すほどトマトの種子には発芽能力があり、適温とされる温度より一段低くても十分発芽する。マニュアル本では室内での育苗を勧めているが、日差しが当たる軒下であれば十分育苗可能である。むしろ室内で過保護に育てると徒長してひ弱な苗になってしまうことがあるので、室外で育てる方が良い場合もある。マニュアル本では播種をポットに直接、あるいはセルトレーを使用する等の方法を紹介している。また濡らしたティッシュペーパーの上に置いて、芽出しをしてからポットに植える等の方法もある。我が家では簡便で管理も容易なので発砲スチロールの箱に用土を入れて育て、本葉2枚のころポットに上げる方法を取っている。肥料の無い用土に筋蒔きし、極薄く土を被せタップリと水を与える。発砲スチロールの箱を大きめのビニール袋にスッポリ入れて、昼間25℃の環境を保てば一週間程度で発芽する。トマトは寒さには意外に強く5℃あれば枯死することはないが、それ以下の低温に当たると成長が止まってしまうので注意が必要である。播種前にタップリ水をやれば、発芽後も暫く水不足に成ることは無い。徒長や根腐れ防止のため双葉が開いてからは乾かし気味に管理し、根の成長を図る。その後本葉が発生してくれば、育苗ポットへの植え替え時期である。この時期に晴天で直射が当たると、ビニールの中は50℃位にもなる。うっかり覆ったままにして置くと高温で蒸れてしまうので、覆いを持ちあげて温度調節をする必要がある。有機質や肥料分等を混ぜ込んで作った培養土を入れた育苗ポットに植え替えを行ってから、一日程度は強い光を避けて管理しその後は太陽の良く当たる場所で育苗する。条件さえよければ、一週間で一枚の本葉が増える。本葉の数が数枚になったら、追肥として薄めの液肥を与える。5月の定植までに、本葉が7枚以上で蕾がついている状態に育てば苗作りの成功である。昨年は往年の大型トマト、「ポンテローザ」一種類を作った。この品種は実が大きくなるのだが晩成で、肩が緑の儘で赤化しないので見た目が悪くその上酸味が強い。今年は新しく作出された大玉F1の「こくうまパーフェクトEX」と、同じくF1新中玉トマトの二種類の苗作りに挑戦中である。今年も今のところ順調に発芽し本葉が見えて来たので、間もなく鉢上げの時期となる。
2016年03月30日

京都大徳寺山内の真珠庵には、多数の作品の中で最古とされる重要文化財の「紙本著色百鬼夜行図」がある。さまざまな妖怪変化が夜の道を練り歩く百鬼夜行の説話を描いた絵巻で、室町時代に土佐光信の筆により描かれたものとの伝承がある。捨てられた器物に年月を経て魂が宿り、付喪神になった器物の妖怪を中心に描いている。百鬼夜行図には数多くの作品があるが古典的な、草履と破れ傘の妖怪が描かれているものが多い。破れ傘の柄の部分が脚になり、素足に下駄を履いているものや傘の部分に一つ目があって、腕が二本突き出て口を開き赤い舌を出している図などがある。傘と言えば現代ではコウモリ傘を指すが、室町時代の日本に洋傘はなかったからどれも全てが番傘の妖怪であることは当然である。この破れ傘に見立てて、そのまま名前を「ヤブレガサ」と付けられた植物がある。漢名ではウサギの仔が傘に使うとして、「兎兒傘」の名前を持つ。ヤブレガサは、林地の縁などに自生する多年草である。芽出しの葉は綿毛を有するが、開葉とともに、無毛になる。キク科でも花は全く見栄えがしないが、春に萌芽する芽の姿に人気がある。若い間は根から葉を出す根出葉1枚のみで、花茎を伸ばさない。年数が経って栄養が蓄積されると、初めて花茎を伸ばす。見分けがつかないほどに良く似た植物に、モミジガサがある。萌芽した時は、ヤブレガサと同じような形をしている。こちらは葉が展開すると、モミジの葉に良く似た葉となる。モミジガサは山菜名を、シドケと呼んで山菜として珍重される。お浸し・汁物・和え物・天婦羅として食べられる。特有の強い香りと苦味があり、大人の食べ物である。破れ傘も同じようにして食べることができるが、モミジガサ程の人気はない。殆どの山野草は植えて数年から十数年で姿を消してしまうが、40年も前南信州の山から移植したヤブレガサは今年も元気に愛らしい芽を出した。自生地では50cmを超えるほどの草丈だったものが、我が家に来てからは精々30cmほどに矮小化してしまった。若芽を摘んで食べるほどの量は無いがそれでも毎年花を咲かせ、零れ種で勢力範囲を広げている。ヤブレガサは茶花としても愛されており開いた葉の一茎を採って備前種壺に、カノコユリ・マツムシソウ・オカトラノオなどと取り合わせて活けても趣がある。うっかりすると見過ごしそうな平凡な花にも、花言葉がある。ヤブレガサの花言葉には、「初恋」や「破れる」等がある。初恋は、ほぼ成就しないことから付けられたものであろうか。
2016年03月29日

50年近くも前、妻の実家に生えていた金魚椿の実生を貰ってきて植えたのが、2階の屋根を超えるほどにも伸びた。親木の、3倍もの高さである。今の時期咲き終えた花が盛んに散り毎朝掃き取るのだが、道路に張り出した枝から落ちる花が車に挽かれて見苦しくなる。この樹は4年毎に剪定をしないと、大きく枝を広げてしまう。近くに競争相手の樹木も無い所から、成長が早く元気も良い。ただこのツバキは何故か庭に植えられた他の5種類のツバキに比べて、有毒害虫チャドクガが発生する割合が最も高い。チャドクガは5月~6月と8月~9月の年2回発生し、幼虫の毛・成虫の鱗粉・屍・幼虫の抜け殻のどれに触れても丘疹を生じて我慢の限界を超えるほどの猛烈に痛痒い症状を発する。この症状を抑えるには、市販の抗アレルギー薬は全く効果がない。治療には皮膚の炎症を抑える外用薬の中で、ステロイドの配合が最も強いものでないと効果がない。市販薬にはないので、皮膚科を受診して処方して貰う必要がある。ステロイドのマイナス面が広く知れ渡っているためムーンフェイスなどの副作用を心配する人もいるが、使用期間が1週間程度と短いため必要以上に副作用を怖がることはない。剪定をした年から3年間はチャドクガが発生しないか発生しても2~3巣と少ないので処理も簡単だが、4年目になると年2回の発生で30巣ほどにもなる。徒然草の109段に「高名の木登り」があり、中学1年生の古典入門でこの段が使われていた。「高名の木登りと言ひし男、人をおきてて、高き木に登せてこずゑを切らせしに、いと危ふく見えしほどは言ふこともなくて、降るるときに軒たけばかりになりて、「過ちすな。心して降りよ。」 とことばをかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛び降るるとも降りなん。いかにかく言ふぞ。」と申し侍りしかば、「そのことに候ふ。目くるめき、枝危ふきほどは、己が恐れ侍れば申さず。過ちは、やすきところになりて、必ずつかまつることに候ふ。」 と言ふ。(その事でございますか。目がまわる程に高い危ない枝の上では、自分で落ちるのを恐れますから注意しなくても良いのです。過って落ちるのは、いつも安心できる高さになってからなのです)あやしき下臈なれども、聖人の戒めにかなへり。鞠も、難きところを蹴出だしてのち、やすく思へば、必ず落つと侍るやらん。我が家の金魚椿は、7mを超えるほどの高さになっていた。剪定の度に頭を止めるのだが、3年で2mも高くなる。当然剪定作業には、脚立や業務用高梯子を利用しなければならない。下の方は小回りが利く脚立を利用し、脚立を伸ばしても届かない所には2連梯子を使う。自宅で高い樹で剪定が必要になるのはカリン・モッコクとこのツバキの4本があり、山荘には玄関前にシンボルツリーとして植木屋が植えたカシワの木がある。山荘で脚立を伸ばして梯子にして剪定していて、下りる際梯子が樹からズレたため慌てて抱いた幹が滑って腕と胸・頬にひどい擦過傷を負ったことがある。それ以来木や屋根などの高い所へ上る度に、この徒然草の109段が頭に浮かぶようになっていた。前回剪定後4年経って大きくなり過たので、穏やかな春の日差しを浴びながら剪定作業をすることにした。脚立を使用して、下回りをカットする。届かなくなった中段は、脚立を伸ばして梯子にして使う。届くところを刈り終え他の面に移るため一旦脚立を下りはじめた所、立て掛けてあったツバキの枝が滑って脚立が倒れた。右手にコードに繋がれた2kgを超える重さのヘッジトリマーを持っており、万事休す。倒れる梯子を抑えようとして家内が下にかけ寄って来たので、咄嗟に「どけッ!」と叫んでいた。幸い脚立は、妻から50cmほどの所をかすめて倒れた。自分はと言えば地上にたたきつけられる前に、1.5mほどの高さから身を捻って飛び下りたため何とか怪我をしないですんだ。飛び降りる際体を捻ったことで、広背筋と両足の大腿筋に不快な痛みを感じるようになってしまった。アクシデントにすっかり作業継続の意欲が失せてしまい、トラ刈りのままに剪定作業を中止して落とした葉と枝を片付けて作業は止めた。翌日懲りずにアルミ製の2連梯子を引っ張り出して、今度は梯子の上部をロープでツバキの枝に結えてから作業を行った。「高名の木登りといいし男、人をおきてて、高き木に登せてこずゑを切らせしに…」と口中で呟きながら。
2016年03月28日
たかどのに のぼりてみれば天の下 四方に煙りて今ぞ富みぬる 新古今集「朕、高臺に登りて、遠に望むに、烟氣、域の中に起たず。以爲ふに、百姓既に貧しくして家に炊く者無きか。朕聞けり、古は聖王の世には、人人、詠徳之音を誦げて、毎家に康哉之歌有り。今朕、億兆に臨みて、玄玄に三年になりぬ。頌音聆えず。炊烟轉疎あり。即ち知りぬ。五穀登らず。百姓窮乏しからむと。邦畿之内すら、尚給がざる者有り、况や畿外諸國をや。」三月の己丑の朔己酉に、詔して曰はく、「今より以後、三年に至るまでに、悉に課役を除めて、百姓の苦を息へよ。」是の日より始めて、黼衣糸圭履、弊れ盡きずは更に爲らず。温飯煖羹、酸り食らずは易へず。心を削くし志を約めて、從事乎無爲す。是を以て、宮垣崩るれども造らず。茅茨壞るれども葺かず。…。顧みて身を責む。今百姓貧しきは、朕が貧しきなり。百姓富めるは、朕が富めるなり。未だ有らじ、百姓富みて君貧しといふことは。」…「今百姓貧しきは、朕が貧しきなり。百姓富めるは、朕が富めるなり」。…。それでもなお、引き続きさらに三年間税を免じた。六年の歳月が過ぎ、漸く税を課し、宮殿の修理を許した。「民、うながされずして材を運び簣(こ)を負い、日夜をいとわず力を尽くして争い作る。…。日本書紀中国にも似たような、「鼓腹撃壌」の語源となった尭帝の神話が残る。帝尭陶唐氏帝嚳子也。其仁如天其知神。就之如日、望之如雲。都平陽。茆茨不剪、土階三等。治天下五十年、不知天下治歟 、不知歟、億兆願戴己歟、不願戴己歟。問左右不知。問外朝不知。問在野不知。乃微服遊於康衢、聞童謡曰、立我烝民 莫匪爾極。不識不知 順帝之則(生活が成り立つのは、帝の人徳です。意識しないで帝が手本になっています。)有老人、含哺鼓腹、撃壌而歌曰、日出而作 日入而息。鑿井而飲 耕田食。帝力何有於(日の出で仕事をし、日没で休む。井戸を掘って水を飲み、畑を耕して食べる。帝の力など必要としない。)十八史略・西暦1300年ころ仁徳天皇は率先垂範して質素に甘んじ、租税の賦課を6年間免じて民の暮らしを豊かにした。自らは余りに質素な暮らしだったので、民衆の方から貢物を届けるほどであった。やがて6年を経て、村々に立ち上る竈の煙を見ることで民衆の暮らしが豊かになっていることを知った。中国神話では帝の尭陶唐が自ら質素な暮らしをしながら50年統治したが、民衆は自分のことをどのように見ているか知るため街に出た所、子供の歌と老人の歌を聞いて、民が満足した暮らしをしていることを知ったという。7月には、衆参同日選挙が実施される方向だとの噂がある。選挙に向けに、来年4月実施される予定の消費税2%の増税を実施するか先延ばしするかの駆け引きが与党内部でも検討されている。前回衆院解散時に与野党合意した議員定数の抜本的見直しが、議員の利害得失が先に立って一向に進展していない。統治者自ら先頭に立って、「質素・倹約」を率先垂範したという神話が残る国でもある。神話が示しているように先ず庶民の暮らしが豊かにならければ、国の繁栄もあり得ないのではないだろうか。自らの保身と欲の亡者になり下がっている多くの為政者は、国民の豊かさと幸せを何を以て推し量るのであろうか。
2016年03月25日

煙突とマストの間の最上階の部屋で昨年、結婚満50周年となった。家内の二人の兄と妹・従妹夫婦が同じ年に結婚しているので、昨年はそれぞれ5組の夫婦が結婚満50周年となった。一昨年は従妹夫婦の「全員が元気なうちに」との発案で、プレ金婚式を京都老舗料亭「京大和」で檀家総代をしている寺の住職夫妻を立会人として舞子・芸妓を入れて盛大に祝った。本番の昨年11月には地元ホテルの10階の個室で、子供と孫たちとで祝って貰った。その時お祝いとして、ロイヤルウイングのディナークルーズの高価なチケットを貰った。思いがけず金婚祝いを3年続けて行うことになり、51年目のポスト金婚式となった今年は大型客船でのディナークルーズで祝うことになった。宴会室は最上階5階の操舵室の隣にある12人定員のヴィップルーム「カサブランカ」で、ウェイトレスが乗船から下船するまでの間付きっきりであった。我々が部屋に入ると5階に上がる階段下にはロープが張られ、デッキも含めてプライベート空間となった。長寿社会になったためか、金婚式を祝う人の話を時々聞くことがある。ただ晩婚化や離婚の増加した分、寿命が延びた割には50年間連れ沿う夫婦の数は伸びていない。結婚を周年で祝う習慣はイギリスで行われていたものが日本へ伝わり、銀婚式・金婚式を祝う風習として定着した。一般にも広がったのは、明治27年に明治天皇が「大婚25年祝典」を催したことが契機になったとされる。日本で唯一のエンターテイメント レストラン船と銘打った大型客船が、ロイヤルウイングの船名で同名の会社によって横浜港で運行されている。この船は大阪と別府温泉を結ぶ航路の三代目「くれない丸」として、1960年から瀬戸内航路に就航していたものである。3000トンクラスの僚船5隻と共に、多くの新婚旅行客を別府温泉などへと運んだといわれる。しかし、長距離フェリーの増加や山陽新幹線の岡山駅⇔博多駅間の開業により、別府航路の利用客は1979年にはピーク時に比べて25%前後に下落した。そのため1980年に、別府航路をフェリーに譲り退役した。退役後1988年にレストランシップに改装され、横浜港大桟橋を母港とする横浜港東京湾クルーズ客船(2,876t全長86.7m・全幅13.4m・馬力2700×2基・法定定員630名)として一日4回就航している。レストラン船であるため、飲食物の持ち込みは禁止されている。当日の料理は四川料理の料理長のお任せコースで、中国飯店協会で最高料理人として認定された総料理人だという。香港コーズウェイベイ(銅鑼湾)の夜景クルーズは猥雑ではあったが、フリードリンクとブッフェスタイルの食事の他趣向を凝らした目を見張るような様々な雑技で楽しませて貰った。コーズベイのクルーズは手頃な値段の居酒屋のようなもので、ロイヤルウイングは上品で静謐な雰囲気の高級料亭に譬えることができる。12人の部屋では少し広すぎて寒々としており、次の機会にはせめて定員位の人数で利用して見たい。
2016年03月24日

今年の暖冬で9月に苗を植えたブロッコリーとスティックセニョールが今も次々側芽を伸ばし、食べきれないほどの収穫がある。頂芽一つで十分元を取り、側芽はおまけで3か月も収穫し続けている。不思議なことに冬から春にかけては大群のヒヨドリに葉を食害されてしまうのに、今年は畑に全くヒヨドリの姿を見ない。これも暖冬のせいで他にヒヨドリの食べるものがあって、畑の作物を襲わないのかも知れない。近隣の畑ではブロッコリーの側芽の収穫が間に合わなくて、巨大化した芽に花が咲いてしまったものも見られる。ブロッコリーは花を食用とする野菜で、キャベツの変異によって生まれイタリアで品種改良されて現在の姿になったとされる。これがヨーロッパ各地に広がり、19世紀後半頃にアメリカに伝わってから栽培が盛んになったと言われる。見たままの芽花野菜や緑花野菜などの和名があるが、今ではブロッコリー以外の名称を使う人は少ない。明治時代には日本にも伝来したが、本格的に栽培されるようになったのは昭和40年代以後のことである。良く似た野菜に、カリフラワーがある。ブロッコリーと同じ、アブラナ科に属している。昭和50年代後半なると緑黄色野菜が持て囃されるようになり、カリフラワーに代わってブロッコリーの消費量が急速に伸びた。ブロッコリーの名前は、イタリア語で芽・茎を指すBroccoに由来している。ルイ15世の公妾デュ・バリーがカリフラワーの花蕾を思わせる鬘を着けていたことから、カリフラワーのポタージュには「クレーム・デュ・バリー」の名がついている。カリフラワーはキャベツ類の花を意味する「kale flowert」が語源であり、和名でも花キャベツと呼ばれる。ケールの栽培変種として15世紀にイタリアやフランスで栽培されはじめ、やがてヨーロッパに広まると品種改良が進んだとされる。一般的なクリーム色の花蕾以外に、オレンジ・紫等の品種もある。カリフラワーは蕾が一つの塊のようになっているが、ブロッコリーは伸びた茎の先に蕾を作り側芽を多数発生し頂芽と同じように利用できる。カリフラワーは茎の肥大と花蕾が発育しないため、低い位置で球状の塊となる。収穫せず生育させても、他のアブラナ属のようには花茎が伸長しない。かつては、ブロッコリーより好まれたが現在ではカリフラワーは殆ど見られなくなっている。栽培に手が掛かり、花蕾がひとつしか育たないので収量も少ないことなども影響しているといわれる。スティックセニョールはブロッコリーと中国野菜のカイランを掛け合わせて、サカタのタネが開発した。主に花と共に伸びる茎も食べるブロッコリーとして、流通している。スティック・セニョールの花茎はブロッコリーより柔らかく、短時間で茹で上がるので注意していないと茹で過ぎてグチャグチャに成ってしまう。茎は、ほくほくして美味い。
2016年03月23日

都市部では殆ど見かけなくなったが標高630mの山荘がある山里では、夏になると時折ムカデを見かけることがある。今年は3月5日が、24節季の啓蟄だった。しかし3月中は寒暖が往き帰するので、この頃這い出す虫は蟻かモンシロチョウ・テントウムシ位である。彼岸前にジャガイモの種芋を植えるための畑の準備で枯れ木を整理していたところ、冬眠中のムカデに遭遇した。ムカデは百足とも表記され、別に蜈蜙(ゴショウ)・蜈蚣・蝍蛆と表記されることもある。百足の文字通り足の数が多く、小動物を捕えて餌にしている。100cmが1mだが、centiはもともと百を意味するラテン語だという。ムカデは英語でCentipedeで、ラテン語の百centiと脚(ped)を組み合わせたものである。まさに百足の意味で、捉え方は万国共通と思われる。ムカデの語源としては脚が対になって向き合っているところから、「向ヒ手」あるいは「対手」、数が多い手を意味する「百手」が転じたものとする説などがある。漢字の百足は当て字で中国からこの文字が伝わった際、ムカデの読みを当てたものである。人目につきやすいのは、トビズムカデやイッスンムカデなどである。頭部に1対の触角と口器があり、体節には顎の形の顎肢がある。全てのムカデは顎肢に毒腺を持ち、この毒を使って小動物を捕食する。続く体節毎に1対の歩肢があり、体節は奇数が多く偶数は少ない。ほとんどは20対前後だが、文字通り100対を超える種もある。夏季に良く活動し人家にも入り込むので、うっかりすると噛まれることがある。噛まれると毒によって腫れて痛むが、死亡した例は報告されていない。ムカデの毒は蜂毒に類似しており、ヒスタミン類似物質と溶血性タンパク質を含有している。したがって、体質に依っては噛まれて軽度のアナフィラキシーを発現することもある。漢方では生薬名を蜈蚣といい、平肝・止痙・解毒消腫の効果があるとされる。365種の薬物を収載した「神農本草経」(4~5千年前に編纂された中国最古の薬物書)の下品(毒が強く長期服用が不可能な治病薬)に載っており、古くから害虫の毒・悪血を去り・小児ひきつけ・蛇傷に用いられたりした。ムカデを油に入れて溶かし込んだものは、日本でも擦り傷・切り傷・刺創、火傷など外傷に効果があるとされ古くから民間薬として利用されてきたので、年配者では利用経験のある人も多いと思われる。子供の頃には戸棚の隅の置き薬の箱の隣に、何十年も油とムカデを継ぎ足して作ったムカデ油の瓶が置いてあった。傷を作るとこのムカデ油を、いつも祖母が塗ってくれたことを思い出す。今では保健衛生思想の普及や創傷薬の開発などで、全く目にすることは無くなった。すごく不衛生に思えるのだが不思議に化膿したことはなかったから、それなりに効果があったのであろう。ムカデ油の作り方は、至極簡単である。半分ほど食用油の入った瓶に生きたままのムカデを入れ、2カ月程すると中のムカデは油に溶ける。この油は古いほど良く効くと言われ、ムカデを見つける度に捕って来て継ぎ足ししていた記憶がある。使用する油は人に依って胡麻油や大豆油が良いとする人もあるようだが、実家では菜種を栽培していたので菜種油を使っていた。頭と足を去って粉末としたものは、栄養ドリンクに配合されている場合がある。中国産のムカデを刻んだもの100gが、ネットで税込28,000円と高価な値段で売られている。清少納言はムカデをひどく嫌っていた様子を、枕草子に書いている。「故殿の御服のころ」に、「屋のいと古くて、瓦葺なればにやあらむ、暑さの世に知らねば、御簾の外にぞ、夜も出で来臥したる(いできふしたる)。古き所なれば、蜈蚣(むかで)といふもの、日一日(ひひとひ)落ちかかり、蜂の巣の大きにて付き集りたるなどぞ、いと恐ろしき。」(建物がとても古くて瓦葺のせいだろうか、暑さがこの世のものではないほど暑いので、御簾の外へと夜も出てきて寝ることになった。古い所なので、ムカデというものが、一日中上から落ちてきたり、蜂の巣の大きなものに蜂がたかっている様子など、とても恐ろしい。)とある。
2016年03月22日

甲斐駒山頂やや左の星形は、ポジ形の「白い星」である。この雪形は4月下旬頃まで見る事が出来る。麓の實相寺の神代桜が咲く頃になると、この雪形は槍を小脇にした騎馬武者の姿に変わる。ただ地元の人の多くは雪形やその変化に、あまり関心が無く知らない人も多い。雪形とは降雪によって岩肌と積雪によって山肌に現れる模様を、物の形に見立てて名づけたものと定義している。多くの山の名前は、雪形に因んで付けられたものが多い。現在のように暦や予報が発達していなかった時代には自然暦として、田畑の仕事や漁を行う時期の目安に用いられてきた。雪形という言い習わしは、昭和の初めになって広く認知されるようになった比較的新しい言葉である。それ以前は形の呼び名で呼ばれるだけで、それらを総称する語は無かった。季節が冬から初夏へ移るに伴って、雪形の姿は変化する。現れる星形によって、田植や種蒔きなどの農作業の目安にされてきたものが多い。雪形には「ポジ型」と「ネガ型」と分けられている。ポジ型は、山肌の窪地になっている部分の残雪によってでき、ネガ型は雪が解け山肌が黒く浮き上がってできる。甲斐駒山頂に現れる☆形は、ポジ形の白い☆である。積雪時には殆ど見られるが、融雪が進むと槍の騎馬武者に変化する。甲斐駒ケ岳山麓に位置する北杜市白州町と韮崎市武川町一帯は、魚沼産こしひかりと双璧の「武川米」として知られるブランド米だという。稲作農家は甲斐駒ケ岳山頂を眺めて、星が槍武者に変った頃に田植えをしたのだという。16日に山荘から眺めた甲斐駒ケ岳の山頂には、2日前に積もった新雪で星形がクッキリと見えていた。しかし最低気温が連日零下を記録する春未だ遠い山里だが、日中は10℃を超すようになり漸く凍土が融けた。例年地元の農家からは5月萌芽してから晩霜が下りるとして、三月末にジャガイモを植えるのは早すぎると言われる。しかしジャガイモの場合、軽い霜であれば黒死した芽が復活するので収量は変わらない。雑草が少し緑になって来た畑にジャガイモの植え付け場所を除いて苦土石灰を撒布し、電動カルチベーターを使って耕耘した。月末に植えれば甲斐駒ケ岳の雪形が、槍の騎馬武者に変わる頃には発芽の揃った畑が見られる予定である。
2016年03月18日

殆どの人には知られることも無い、ヤマモモの花がひっそりと咲いた。6月に熟す実の艶やかさに比べて、花は貧相で全く目立たない。樹の下を通り過ぎても、花とは認知できないほどである。(参照; 2014年06月27日「ひっそりと楊梅の季節」)ヤマモモという名前は山に自生しモモに似た果実を着けることが由来との説があるが、その果実はモモとは全く異なる。別名に山桜桃・火実などがあって、古代から和歌にも詠まれている。縄文初期の遺跡からは、種子が出土している。日本におけるヤマモモの記録としては出雲風土記・続日本書紀(797年)に「楊梅」の名前で現れ、深江輔仁の本草和名(918)には「也米毛毛」と表現されている。これらから考察すると平安時代以前に、和名として定着していたと推察される。楊梅は漢名で、そのまま日本読みにしてヨーバイとも言われた。古事記上巻「神代の物語」黄泉国退去に「また後にはかの八くさの雷神に、千五百の黄泉軍を副へて追はしめき。ここに御佩の十拳の剣を抜きて、後手に振きつつ逃げませるを、なほ追ひて黄泉比良坂の坂本に到る時に、その坂本なる桃の子三つをとりて持ち撃ちたまひしかば、悉に引き返りき。ここに伊耶那岐の命、桃の子に告りたまはく、「汝、吾を助けしがごと、葦原の中つ国にあらゆる現しき青人草の、苦き瀬に落ちて、患惚まむ時に助けてよ」とのりたまひて、意富加牟豆美の命といふ名を賜ひき」とある。古事記に出てくる桃の子を、ヤマモモのことだとする説がある。銀杏などと同じ雌雄異株で花期は3〜4月、数珠つなぎに小さな桃色の花弁4枚の目立たない花をつける。6月、黒味かかった赤色の果実を着ける。暑さには強いが、高冷地の零下10度以下の寒さに当たると枯死してしまう。関東以西では、公園や街路に一般的に植えられている。都市部には雄株が随所に植栽されているため、雌木一本でも良く結実する。果実は若干松脂臭いが甘酸っぱくて、生食できる。径3cmにもなる大粒で酸味の強い瑞光や酸味の少ない森口・秀光などの栽培品種がある。樹皮は生薬の楊梅皮(ようばいひ)で、タンニンを多く含んでいるので止瀉作用がある。その他にも消炎作用もあるため、筋肉痛や腰痛用の湿布薬に配合される。やまももの枝を使う高知県の漬け漁は有名で、ヤマモモの枝葉を束ねたものに浮きを付けて海中に沈めておきヤマモモの枝葉に集まった小魚を狙ってくるシイラを巻き網で捕る漁法である。実は前年の枝の葉の脇に着くので、果実を採るには剪定の時期と切り取る枝に注意が必要である。実を成らせる場合は、3月~4月に花の様子を見ながら花を落とさないように剪定を行う。鎌倉時代初期の公家・歌人で小倉百人一首の撰者でもある藤原定家は、「玉ほこの 道行く人に ことつてて 楊梅おくれ 白川の人」と詠んでいる。 花言葉 教訓・一途・ただ一人を愛する
2016年03月16日

例年より一週間ほど早く、アセビの花が満開となった。開花は早かったのだが、3月中旬になって32年振りと言われる寒気が入って来た所為か退色しないで綺麗な色を保ったまま咲いている。ツツジ科のアセビ(馬酔木)は、東北地方以南に自生し、あしび、あせぼとも呼ばれている。古くはアシビが通称とされ、他にもアシミ・アセミ等の呼び名がある。名称は、アシジモ(脚癈)・アシミ(悪実)・アシビ(遊び)が由来との説がある。東大で森林植物学講座を担当した、森林植物学・民俗学者の倉田悟(1922~1978)の著書「日本樹木方言集」では153の方言をあげている。漢字で馬酔木と書くのは、馬が葉を食べれば含有する毒に当たり酔ったように脚がふらつくところからとされる。酔狂な人が馬が酔っぱらうほど鱈腹飲ませて観察したとは思えず、「人が酒に酔ったように馬がふらつく」が、正しいのだろうと思われる。1978年カリフォルニア北部シャスタで200頭のうちの20頭の羊が大量流涎・激しい下痢と嘔吐・腸から大量出血し内2頭が死んだとの報告がある。しかし実際には草食動物の殆どは、食べない。そのため、牧場などには残されたアセビの群落ができることがある。以前はアセボトキシンと言われた有毒成分グラヤノトキシンIなどを、全草に含有する有毒植物である。血圧低下・腹痛・下痢・嘔吐・呼吸麻痺・神経麻痺などの、中毒症状を表すと言われる。回復は早く、致命率は低い。大伴家持は、「伊氣美豆尓 可氣左倍見要 佐伎尓保布 安之婢乃波奈乎 蘇弖尓古伎礼奈(池水に、影さへ見えて、咲きにほふ、馬酔木の花を、袖に扱入れな)池の水に影を映して美しく咲いている馬酔木の花を、袖に入れましょう。」と詠んでいる古くから日本で親しまれた花であり、万葉集にはこの他にも九首が詠まれている。葉を煮出して、便所の蛆殺しに利用されたという。白花が基本種で園芸品種には赤花やピンク花などがある。ツツジ科の特性で、挿し木で簡単に殖やすことが可能である。美しい樹を見付けたら、一枝採って挿しておけば容易に発根する。半日陰でも開花するので、都会の庭の片隅でも咲かせることができる。花言葉 犠牲 献身 あなたと二人で旅をしましょう
2016年03月15日

平成28年1月から、マイナンバーによる利用制度が始まった。国民に番号がふられたのは、住民記録システムの個人コードに次いで二回目である。「利便性・効率性・公平公正」のための通称マイナンバーと言われる個人番号と通知カードが、当初の予定を大幅に遅れて昨年の12月8日に届いた。11月中に届くとされていたのだが、ソフトの誤りや発送事務の齟齬があって大幅に遅れていた。この通知は原則本人が直接受領しなくてはならず、不在の場合は郵便局に持ち帰って一定期間保管し、その後は自治体に戻されるという。戻された場合受け取りには本人が直接出向く必要があることから、その面倒を避けるため発送開始がされたという11月から家を留守にできなかった。住民記録システムは住民記録を根幹にした税・国民健康保険・選挙などのシステムで、昭和63年から運用が開始された。接続を拒否した自治体もあって、必ずしも基本設計通りの成果を上げていたとは考えられない。これは自治体の事務における、個人情報の効率化を目指したシステムであった。住民側からは殆どがその恩恵にあずからなかったと思われ、このシステムに投下された経費を上回る行政効果を挙げることができたのかは甚だ疑問である。平成十一年度から平成十五年度までの間に住民基本台帳ネットワークシステムの構築に要した導入経費は、3402300百万円および年間の経常費用は年間経常経費1517800百万円の莫大な経費を要したとしている。(首相答弁書)1月のマイナンバー制度の施行に合わせ、住民基本台帳カードは個人番号カードへ引き継がれた。個人番号は基本的には住民記録システムの住記カードと同じで、とりあえずは受け取っておけば国民としての義務は完了する。住記カードを作る作らないは任意であり、作らなくても特段の不便はなかった。マイナンバー制度における個人番号カードについても、作成するかどうかについては任意である。ただし今回の制度では「マイナンバーを証明する書類・身分証・行政サービス・行政手続きのオンラインサービス・コンビニでの証明書の取得」などに利用でき、さらに今回だけ交付無料というので申請しておいた。3月も中旬になって、「個人番号カードの交付準備ができたので、予約してください。」と通知があった。パソコンで予約をして、取りに行った。交付の際の必要書類に住民基本台帳カード(持っている人)があって、「個人番号カード交付手続き時に、返納していただきます。」と記載されていた。岐阜市ではこの事業に関わる職員の残業代が一律3割カットされ、社会問題に成ったためその後埋め合わせがされた。いつまで続くかは分からないが、一か所の交付事務だけで9名が従事していた。この事務は第2・第4土曜日の8時半~12時にも行われていて、職員の残業手当も膨大になると思われる。導入コストについて「システム構築費などの初期費用2700億円に加え、運用開始後も維持費などで年300億円程度が必要になる見通し」(5/2付時事通信)と報じている。見切り発車的マイナンバー制度の導入だが、折角鳴り物入りで膨大な経費を投じて作った制度とカードなのだから、国や自治体が利用するだけでなく可能な限りの付加価値を付けて国民の利便性アップに努めて貰いたいものだ。
2016年03月14日

今年は暖冬だった影響からか、例年より少し早めにムスカリの花が咲きだした。ヒアシンス科またはユリ科に分類されるムスカリは、有史以前に日本に定着したとされるツルボと近縁の植物である。葉の形は全く異なるが、葉の間から一茎を伸ばして先端に穂状に花を群がって咲かせるところはムスカリもツルホも良く似ている。ムスカリは約40種ある中で、花が長めの壺形で全体が白色・先端の口の部分が褐色のモスカツム種は強い芳香がある。ムスカリの属の名前はモスカツム種の放つ芳香に由来し、ギリシャ語の「麝香moschos」から来ている。花がブドウの房のように見えるところから、英語ではグレープヒヤシンスと言われる。3~5月に花を咲かせた後、葉がだらしなく伸びる。その後葉が枯れて球根で夏を越すのは、水仙やチューリップと同じである。一本の花茎の上に、壺形や長楕円形の花を房状に咲かせる。花色には青紫・白・黄・黄緑などがあるが、アルメニアクムという濃い青紫色の花を咲かせる種が一般的である。これを芝サクラと群植したり、チューリップと組み合わせて植えるのも互いに引き立て合って美しい。アルメニアクムには花茎の下部の花には果実を着けるが、上部の花にはタネができない性質がある。ムスカリを日本で見かけるようになったのは1980年代で極く新参の植物だが、繁殖力が旺盛なこともあって現在では公園などで普通に見られるようになった。雑草化して、路傍に群生しているのを見ることもある。15年前に山荘の庭に、30球程のムスカリを植えた。植えっ放しなのだが今では吃驚するほどに殖え、植えた所から30mも離れた場所で花を咲かせるようになった。強風か鼠などの小動物が、種子を運んだのではと思われる。花言葉 失望・失意ムスカリの花色は濃い青で、紫色が悲しみのシンボルとされるところから付けられたという。1月30日・2月26日の誕生花
2016年03月10日

焼き物では、しっとりした白地に赤や緑で彩色を施した柿右衛門・今右衛門や有田なども魅力的だ。しかし何故か釉薬を使わないで窯の中の炎と土が偶然に作り出した、一見無骨な肌を持つ備前焼に魅せられ、折りに触れて集めるようになった。この世に、同じ景色の作品が二つとして無いのも面白く魅かれる所以でもある。もとより資金が潤沢にあるわけでは無く、何十万円もする高価な鑑定書付きの作品をおいそれと買うことはできない。それでも永年の収集品がぐい呑みや茶碗・花器・茶器の小物から、10kgを超す大壺まで数えて20点ほどにもなった。備前焼には、釉薬をかけて焼いたような白い模様ができる。これは釜の中で松の炎や灰が降りかかった場所にできるもので、胡麻と言っている。焼成の際窯の中の何処に作品を置いたかによって、胡麻のでき具合が異なる。窯の中は場所に依って温度が異なり均一では無い。このため灰の溶け具合が異なることから現れるもので、流れ・カセ・黒胡麻等数種のものがある。他の焼き物より倍以上の、2週間にもわたって窯の火を焚き続けることで胡麻が定着する。さび色・青色・灰色・金彩や銀彩は桟切といわれ還元(酸欠状態)窯変の一種で、人工的には炭を入れて燃焼させることにより人為的に酸欠状態にして作る。昔は偶然が重なって自然に誕生したが、現在は加熱の後木炭を使って桟切焼・緋襷焼・青焼などを人の手で容易に作ることが可能になった。窯の床部分に作品を寝かせて焼成すると床に接した面には自然の桟切りができ、上の面に半溶け状態の灰が降り積もるため表面がツブツブ状態になる。灰かぶりといって、これも珍重される。表面に走る赤い筋を緋襷というが、現在は殆どが人為的に藁を巻いてから焼成することで作っている。緋襷は窯入れ際運搬するために作品に巻いた藁を取り忘れたことから、偶然生まれたとされている。緋色の模様は藁のアルカリと、粘土の鉄分が反応して生じたものである。登り窯では鞘や他の作品の中に入れて炎を遮断して焼成しないとできないので数が少なく貴重とされたが、加熱の後炭を入れて燃焼させることにより人為的に酸欠状態にして作ることが可能となった。現在多くは登り窯ではなく、ガス窯や電気窯を使用して作られている。備前長船の土は非常に鉄分が多く、耐火度に劣る。三石では耐火度が強い土が採れるので、この土で耐火煉瓦が焼かれる。長船と三石の中間に位置する備前伊部の土は三石のような強さと、長船の耐火度の弱さを併せ持っていてヒヨセ粘土と呼ばれ備前焼の陶土に適している。古墳時代に朝鮮半島から伝わった「焼締め」方法で赤い須恵器が伊部で作られ、これが備前焼のルーツになったとされる。岡山県備前市伊部が備前焼発祥地で千年の歴史があり、四百を数える備前焼の窯があって五人の人間国宝が誕生している。室町時代には、大衆食器の擂鉢や甕が多く焼かれるようになった。備前焼は古備前の伝統が生かされた作品が、名品とされる。昨日大壺を購入したので暫く振りで所蔵品を出して並べ、一人で眺めて悦に入っている。
2016年03月09日

蓮は泥より出でて泥に染まらずの出典は、北宋の儒学者周茂叔の「愛蓮説」である。水陸草木之花,可愛者甚蕃。晋陶淵明独愛菊。自李唐来,世人盛愛牡丹。予独愛蓮之出淤泥而不染。濯清涟而不妖、中通外直,不蔓不枝,香遠益清,亭亭浄植,可遠観而不可亵翫焉。予謂菊,花之隐逸者也。牡丹,花之富貴者也。蓮花之君子者也。噫!菊之爱,陶後鮮有聞。蓮之愛,同予者何人。牡丹之愛,宜乎衆矣。昔はハスの花と睡蓮を区別しないで、蓮華と呼んだ。スイレンは水面に葉と花を浮かべるが、ハスは水面より葉と花茎を高く伸ばして早朝に開花し昼には閉じる。ハスはレンコンを分岐して株を殖やすが、スイレンは種子で殖える。ハスの花は、開花後4日目で花弁を散らす。蓮はレンコンから育てるのが一般的だが、種子から育てることも可能である。一昨年採取した古代蓮の種を義兄から貰い受け、4月に播種した。殆ど100%発芽したが育て切れないので間引いて、最終的には1鉢1株だけを残した。レンコンの植え付けは芽が動き出す前の、3月下旬から4月初旬が適期である。3月も中旬となり植え替えの時期を迎えたので、大きな鉢に植え替えるために養生鉢から取りだした。ピーナツの半分ほどの大きさの種から未だとても蓮根とまでは言えそうにもないが、地下茎が20cmになり10芽も付いている。既に用意していた直径40cm深さ30cmのスイレン鉢をハス鉢に転用し、用土は田土・赤玉・荒木田・牛フン堆肥と腐葉土を混ぜて作った。鉢底から20cmまで用土入れ、水は土の上10cmまで入れる。抜き取ってあったレンコンを、鉢の壁に沿って鉢底まで沈め地下茎を巻いて植え付けた。生育の初期は肥料過多で株が腐ることがあるため、施肥は少なめにする。立ち葉が出る頃になったら、追肥を与える。植え付けの終わった鉢は、日当りの良い場所に置き日を十分に当てる。生育期の水深は20cmを目安にして初期はやや浅めにするが、寒い地域では寒さ対策として深めにする。地下茎が太く大きく育つことを願ってアブラムシの発生と、水不足に注意してやがて大輪の花の咲くのを楽しみにして育てたい。周茂叔は牡丹と比較して「蓮を愛する人で、私と同じぐらいの(蓮のことを愛している)人はどのような人でしょうか。」と言っている。蓮には牡丹と異なった、清々しさと崇高さを漂わせた素晴らしさがある。
2016年03月08日

芋と言われて先ず浮かぶのは、「サツマイモ・ジャガイモ・サトイモ」であろうか。日本原産の自然薯はそれほど一般的でないためか、食べたことの無い人も多い。サツマイモは1597年中国経由で宮古島へ苗を持ち帰ったのが、日本初への初上陸とされる。ジャガイモは1600年頃、オランダ船によりジャカルタ港より運ばれた。サトイモの日本への伝来はこれらよりずっと古く、イネよりも早い縄文後期と推測されている。サトイモは条件さえ合えば、比較的簡単に栽培できる野菜である。高温・高湿を好むが、寒さと乾燥には弱い。15℃で発芽し、生育適温は25~30℃とされる。土壌が乾燥すると、食味の悪く小さな芋を数個しかつけない。さらに過度の乾燥が続くと、茎葉が枯れてしまうことがある。センチュウなど病害虫の被害が出るので、連作は避けなければならない。種イモには腐敗や傷がなく、形の良い大きなものを選ぶ。特に切り口に赤いスジや斑点が見えるものは乾腐病に感染しているので、種芋には絶対に使わない。直植えでは発芽まで1か月以上とかなりの日数がかかり、しばしば途中で芋が腐ることがある。こうなると畝が歯抜けになってしまうため、芽出しをしてから植え付けることが推奨されている。時季を選ばないと寒さに逢って腐敗したり、発芽後に晩霜被害を受け全滅することもある。直植えは地温が上がる5月に、7~8cmの深さで芽を上向きに植える。ジャガイモの場合自家栽培の芋はウイルスに感染している可能性があるので、必ず「種芋」を購入する必要がある。一方サトイモでは乾腐病と腐敗が無ければ、自家栽培の芋を種芋として用いることが可能である。また種イモ用でなくても、八百屋で食用に販売されている芋でも使用可能である。現に我が家では、15年も継代栽培している。一個ずつポットに入れ、または発砲スチロールにギッシリ並べて芽出しする方法等がある。その他に直接畑に並べて植え、ビニールで保温することも可能である。15℃以上を保つことができて、自分に合った煩雑でない方法を選んで行えば良い。植え付け後霜に当たると、茎葉が黒く変色して芋も腐ってしまうことがある。芽出しができたら晩霜の心配が無くなってから、畑に植え付ける。去年は適度に降雨があって、サトイモはどこでも豊作になった。我が家でも百kgを超える収穫があり、親戚や知人に送って感謝された。10月末に収穫したサトイモを玉葱の袋7つに分け庭の日の当たる場所に掘った1.20cmの深さの穴に入れ、土を山形に埋め戻し雨が入らないようにビニールを架け保存している。若干早いとは思ったが3月に入って急に春めいてきたので、芽出しのために取り出した。離れた畑に直植えでは毎日の管理が難しいので、芽出しのために発泡スチロールのトロ箱を使用した。箱の底に5cmほど土を敷いた上に既に芽が動き始めたものもある芋をキッチリ並べて入れ、上には2cmほどの培養土を被せて箱全体をビニールの袋でスッポリ包み日当たりの良い縁側に置いた。順調にいけば5月初めまでには、芽が10cmほどに成長する筈である。山荘にある我が家の菜園は、標高630mを超える南アルプスの麓にあるため5月10日過ぎても晩霜が降りることがある。天気予報を参考にして晩霜の無くなる頃を見計らって、移植することになる。長ネギは前年8月に苗作りの播種をし、苗は4月定植して10月から収穫する。1年を超えて14か月と野菜では栽培期間が最も長いが、サトイモも芽出し作業から数えれば8か月の長期にわたる栽培となる。
2016年03月07日

自動車の欠陥は車を持たないで運転もしない人には殆ど影響が無いが、車を持って運転している者にとっては重大関心事である。エアバックのように運転装置に関係無い場合、運転していても常日頃は殆ど気にならない装置であり機能でもある。日本を代表する自動車部品メーカータカタのエアバックは、アメリカでは異常破裂で10人が死亡しており日本では2011年9月以降14件1人が怪我を負っている。国内メーカーの殆どがこの欠陥エアバックを装着した車を製造していて、15年からリコールを始めている。日本では平成22年6月最初のリコールが届けられ順次リコール対象車種が拡大したが、所有車は平成27年5月に次の内容でリコール対象車として届け出がされた。「助手席用エアバッグのインフレータ(膨張装置)において、市場回収品を調査した結果、インフレータ容器に気密不良のものがあることを確認した。そのため、長期間使用する過程で大気中の水分がインフレータ内部に浸入してガス発生剤が吸湿し、エアバッグ展開時に正常に展開しないおそれがある。全車両、予防的措置として、当該インフレータ容器の気密点検を行ない、気密不良のものはインフレータを新品と交換、または、助手席エアバッグの機能を停止するとともに、助手席サンバイザ部に当該エアバッグが作動しない旨の警告を表示する。また、交換用部品が準備できた段階で、年式の古いものから順次新品と交換する。なお、交換部品については全数回収して原因調査を実施する。」リコール届け出から日にちを置かず近くのディーラーから、「点検して気密性不良の場合はインフレーター(エアバック展開用エア充填装置)を新品に交換し、機密性不良が認められない場合はそのまま使用していただきます。」という内容点検案内が届いた。しかし対象車の数が余りに多く、交換用代替品が間に合わないのだという。点検後長男が運転して気がついたのだが、点検のために外す際ドライバーを差し込んだと思われる傷跡やパネルを無理に押し込んだことによりできたとしか考えられない10cmもの亀裂がインパネのあちこちに付いていたのだ。点検を任せたディーラーに連絡すると、営業が来て写真を撮って持ち帰えった。その後事業所で写真を見ながら協議した結果として、経時劣化によるものと結論が出たと連絡があった。点検前にはきずは無かったのだし物が当たる場所でも無く、今までフロントパネルに皹が入った経験も無い。もしこれがディーラーの言う経時劣化によるものなら、それもまた欠陥に外ならない。一言の謝罪があれば許したのに、非常に残念であった。所有車は点検結果では気密性があるとして、交換見送りのままになっていた。しかし国内で破裂負傷事故の発生があって、気密性があっても事故につながる恐れがあるとして、部品が納入されるまでの間一時的に作動停止の措置をしたいので入庫点検して欲しいとの連絡が12月初めにあった。放置していたところ50日後の1月末にインフレーターの交換目処が立ったので、交換したいとの連絡が入った。指定された営業所の乱暴な作業をするメカニックに信頼性が無くディーラーの前回の対応もあり、区域外の別のディーラーに連絡したところ誠に親切に対応してくれた。ただ部品確保するまで2か月を要するとのことで、然もインパネについては新品と取り換えると言われむしろこちらが恐縮してしまった。国内メーカーのリコール費用はインフレータ―1個当たり8000円で計算すると4000億円を超えるが現在は自動車各社がほぼ全額を肩代わりしているのだという。タカタの純資産は昨年12月末で約1451億円とされ、タカタは自社の責任が明確な一部のリコール以外は合理的に見積もれないとして多くの費用計上されていない。既に現時点で2550億円がマイナスとなっている計算である。リコール経費が自動車各社から全額請求されれば、債務超過になるのは明らかである。これまで米国でのリコール数は約2900万個で、さらに9000万個のリコールが追加されれば追加費用は1兆円超に及ぶと試算されている。米国内では、エアバッグの異常破裂との関連が疑われる硝酸アンモニウムを火薬として用いたインフレーターが、最大1億2000万個使われていることが明らかになっている。各社がリコールに要した費用をタカタに請求すると、国内分だけでも数千億円規模の負担になる可能性がある。かなりの経費を投じても6年前の初めの事故を徹底検証していれば、少なくとも経営を圧迫するほどの苦境には至らなかったのではないだろうか。トップの判断力が欠除していたと言われても仕方ないところである。
2016年03月03日
芥川龍之介の作品に、黄粱夢がある。中国で黄粱(コウリョウ)というのは、小鳥の餌にもされる粟のことである。芥川のこの作品は、中国唐代の伝奇小説「枕中記」を題材にしたものである。「…これであなたの人生の執着も、熱がさめたでしょう。得喪の理も死生の情も知って見れば、つまらないものなのです。そうではありませんか。」盧生は、じれったそうに呂翁の語を聞いていたが、相手が念を押すと共に、青年らしい顔をあげて、眼をかがやかせながら、こう云った。「夢だから、なお生きたいのです。あの夢のさめたように、この夢もさめる時が来るでしょう。その時が来るまでの間、私は真に生きたと云えるほど生きたいのです。あなたはそう思いませんか。」呂翁は顔をしかめたまま、然りとも否とも答えなかった。」人一生の儚さを表す言葉として、枕中記から取ったよく知られた「邯鄲の夢」という言葉がある。その他には、邯鄲夢の枕・一炊の夢・黄粱の夢・南柯(なんか)の夢・南柯一夢・南柯一睡・槐安(かいあん)の夢・槐夢など同じ内容を意味する様々な言葉がある。これらは人の栄枯盛衰は所詮夢に過ぎないとして、その儚さを表している言葉として使われる。このように同じ意味を表す言葉が多数生まれたことを考えると、枕中記が日本の文化や価値観に長い間影響を与えていたことを窺い知ることができる。枕中記では、「盧生欠伸而寤。見方偃二於邸中一、顧呂翁在レ傍。主人蒸二黄粱一尚未レ熟。触類如レ故。蹶然而興曰、豈其夢寐耶。翁笑謂曰、人世之事亦猶レ是。生然レ之。良久謝曰、夫寵辱之数、得喪之理、生死之情、尽知レ之矣。此先生所三以窒二吾欲一也、敢不レ受レ教。再拝而去。」とあり、読み下しは(盧生欠伸して寤む。見れば方邸中に偃し、顧みれば呂翁傍らに在り。主人黄粱を蒸して尚お未だ熟せず。触類故の如し。蹶然として興きて曰く、豈にそれ夢寐なるか、と。翁笑いて謂いて曰く、人世の事も亦た猶お是くのごとし、と。生、これを然りとす。良久しくして謝して曰く、夫の寵辱の数、得喪の理、生死の情、尽くこれを知れり。これ先生の吾が欲を塞ぐ所以なり、敢て教えをうけざらんや、と。再拝して去る。)となる。「槐夢」の槐は音でカイ・エと読み、訓ではエンジュである。中国原産の高木で、日本へは古い時代に朝鮮から伝来したとされている。古代中国で「エス」と呼ばれていたものが「エニス」になり、「エンジュ」に転化したといわれる。エンジュが別名コヤスノキと呼ばれるのは、神功天皇がこの木にすがって応神天皇を出産したという伝説が由来である。そのためエンジュは、安産のお守りとされている。大気汚染など公害に強く花も美しいことから、街路樹や庭木として植えられている。ハリエンジュに遅れて7月、枝先に円錐花序の白色蝶形花を多数開かせる。養蜂業では、重要な蜜源植物となっている。木質は固く材の表面に凸凹が出るので、床柱や床框などに使われる。唐代の奇伝書に、李公佐の短編小説「南柯大守伝(なんかたいしゅでん)」がある。これを元に1606年頃、明の湯顕祖(とうけんそ)が戯曲「南柯記」を書いた。内容は唐の淳于壅が自宅の槐の木の下で酔って寝ていたところ、夢の中で二人の使者の迎えを受けて槐安国に行き国王の娘を娶って、南柯郡の太守となり20年の栄華の時を過ごした。目覚めてみると槐安国とは槐の木の下の穴にある蟻の国であり、南柯郡はその木の南向きの枝であった。これから南柯(なんか)の夢・南柯一夢・南柯一睡・槐安(かいあん)の夢・槐夢の言葉ができた。これらの何れの言葉も単に人の世の栄枯盛衰は夢のように儚いものだと悲観論に終わっているが、芥川の「黄粱夢」では前向きなむしろ逆の意味を持たせて終わっている。人生をどのように、どんな覚悟で生きようとするかは人それぞれである。昨日から、来年度大卒見込み者への企業説明が始まった。何れ採用面接が始まって面接課題に「枕中記」とこれを翻案した「黄粱夢」の二つのどちらを選ぶか問われたら、多くの学生は芥川の黄粱夢の方を支持するのではないだろうか。
2016年03月02日

臘梅や 枝まばらなる 時雨ぞら 芥川龍之介文人画に寓意をこめてつけた画題を、謎語画題(めいごがだい)と称している。竹に梅は「歳寒二雅」で、松に南天を配して「蒼松寿古」と題するなど一捻りしている。明治十七年(1884)に編纂された清水信夫編「現今東京名家謎語画題一覧表」では、蝋梅・松・水仙を描いたものに「春芽一束」と題が付けられている。広辞苑では玉梅・蝋梅 ・茶梅(さざんか)・水仙を「雪中四友」としており、別に蝋梅・水仙・梅・寒椿を雪中の四花として挙げているものもある。此処に出てくる蝋梅は中国原産の4mの高さになる落葉低木で、江戸時代初期に中国から伝来したものである。真冬に咲く黄色の花と香りを愛でて、庭園に植樹される。寒い時期に葉のない枝に花を咲かせ、独特な芳香がある黄色い花をやや下向きに咲かせる。花期は1~3月で、花の大きさからは想像できないほどの大きな実をつける。香りの主成分はシネオール・ボルネオール・リナロールなどの気品のある芳香油で、多くの人に好まれ化粧品や香料の原料ともされている。蝋梅の花や蕾から抽出した生薬「蝋梅油」は、火傷・解熱・鎮痛・咳を鎮める効果もあるとされる。ロウバイは漢名の「蝋梅」由来で、蝋細工に似た光沢と質感の梅に似た花を咲かせるところからつけられたとの説がある。さらには陰暦の12月(臘月)頃に咲く、梅に似た花からつけられたという説もある。態々断ってロウバイは蝋梅で、臘梅と書くのは間違いと解説している書物がある。臘は冬至の後の第3の戌の日に、猟の獲物を祖先や神々に供える祭りを意味している。陰暦12月の異称が臘月で、この頃に咲く梅に似た花だからこの名前が付けられたという説もある。この第二の説が正しければ、強ち「臘」の字が間違いとも言い切れない。黄色いウメに似た花を咲かせるところから黄梅花(おうばいか)、あるいは中国から伝わって来てウメに似た花を咲かせるとして唐梅(からうめ)あるいは南京梅(なんきんばい)などの別名がある。今冬は12月~1月と稀に見る暖冬で、年を越しても落葉しない草樹が多く目についた。当然終わっているはずの花が正月を越えても咲き残っていたり、休眠中であるはずの花木に時季外れの花が咲いたりした。山荘は標高630mにあって南アルプスから吹き下ろす風が寒気を運んでくるので、冬季は連日零下5℃を下回り寒い日の朝は-10℃にもなることがある。こんな場所なのでロウバイの開花は毎年3月下旬だったのだが、今年は既に満開となっている。2月下旬は寒の戻りで寒い日が続いたが、結果的には暖冬であった証拠であろう。2月末に山荘の駐車場に車を止めて下りると、傍らに植えてあるたった一本のロウバイから特有の芳香が一面に漂っており、山は未だ深い雪に覆われているのにその香りで春の近いのを体感させられた。 花言葉 先見・慈愛・ゆかしさ
2016年03月01日
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