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そうっと病室に入り、ベッドを覗き込む。これがこのところの私の祐二の見舞い方。あらぬ方を眺めていた祐二の顔が満面の笑顔に変わる。この顔が見たさに、なにがなんでも来たくなるんだよねえ。お父さんもそうなんだよきっと。今日は私が行くから、と、見舞うことを楽しんでいる。お父さんの祐二看護日記はもう大学ノート6冊ほどになってるよ。夕方、背中を丸めて、記録している姿を、わからせたいな。あははおほほの高笑いが四階の病棟全体に響いている。いつも声をかけてくれる若い男性介護士さんが、「ご機嫌だと思ったらお母さんが来てたんですね。さっきまでぶすっとしていたのに、同じ人とは思えないですよ」だって。いいおじさんになってしまったけど、本当は、かわいい私のそしてお父さんの末っ子。甘えん坊の祐二なんだよね。
2014.02.28
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特に何をしたでもないのに、朝起きた時からこの症状。痛いような重いような不愉快な感じ。何が背中に起きているのか。寝姿の不自然さ・枕の不具合ならまだいい。骨の異常だったら困ったことだ。洋服の形・下着の形まできになる。変な想像だが、乳房までが重い気がする。寒くなければ裸でいたい気分。
2014.02.26
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知り合いの家から、50点近くの着物一式が届いた。家を解体するために処分を依頼されたものだ。持ち主は3年前からこの世にいない。よくぞこれほどそろえたものだ。手入れも行き届いていてきちんと始末されていて感心した。すべてにメモ書きがあり、手にした相手に語りかけている。『これはどれどれと組み合わせる。こんなときに使用」など、おそらく娘を想定して語りかけているのであろう。それにしても、親の心子知らずで、今の時代、その心をくみ取れるほど利用されないものだろう。私の知る限り持ち主の娘たちは10年近くの間に、着物を着ている姿を見ていないし、関心を持っているようには思えない。人のことは言えない。私自身も、着物の仕立てをして暮らしを支えていた母の娘でありながら、残してくれた着物を粗末に扱っていた。今でこそ後期高齢の年になって、洋服で通してきた茶会に着物を着る気になってきたというお粗末な着物へのかすかな愛着の芽生えが生まれてきたという程度の意識しかない。母の思いを伝えることに使用、とひそかに、特に思いの伝わるメモのある一式を二人の娘の好みそうな品物を選んでみた。そのうえで、着物の選定のできる従妹にのちの処分を依頼する。
2014.02.23
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昨年末、私は突然、納得できないまま入院をし、点滴に支配される日々を過ごした。「元気そうだけど、どこが悪かったの」と会う人ごとに聞かれ、「うん、おつむをちょっとね」と答えていた。 我慢できないほどのことではなかったが、朝起きたら今まで感じたことのない右足の違和感が気になって、かかりつけの医院にでかけたことにはじまった。「脳の検査を依頼しました。すぐ行ってください。自分一人ではいかないでください」とかかりつけ医師。「検査の結果、入院治療を要します」と病院の脳外科医。 痛くも痒くもないのに少々力の入らない右足の状態は、脳梗塞の兆候だと言われ、家に帰ることも許されず心の準備もないまま即入院を強硬に言い渡された。最低で三週間の治療を要するという。 この前、脾臓の摘出をし、その上悪性のリンパ腫を引きずっている私にしてみれば、別の心配もあり従った。入院の日課はベッドを離れることもできず、多少くたびれかけた血管への点滴は長続きせず、何度も差し替えする始末。注射針に追いかけられる夢まで見た。「あなたのお名前は?」「ここはどこですか」「さっき見た五枚の絵の順番を言ってください」「並んでいた数字を逆に答えてください」「次の図形を見て、同じように描いてみてください」 等々の言語に関するリハビリ。何やら小学生にでもなった気分で答える私だった。どうやら言語のリハビリは必要なさそうだと、代わりにたくさんのクロスワードパズルや数独を渡された。退屈しのぎにはもってこいのありがたい楽しい宿題となった。手足のリハビリも、今までの運動不足を取り戻せるような充実したもの。 食事は上げ膳据え膳の栄養満点。言うことなし。 私は入院前、脳ドックを予約してあった。「先生、脳ドックの予約をしてあるんですが」「ドック以上の検査しているのですから解約したらどうですか。安い検査費ではないのですから」 この時、八万何がしかの支払予定が消滅した。やった、と内心私はほくそ笑んだ。心を見透かしたように医師は言った。この入院騒動が一歩遅れたら、命に係わる大事になっていたのかもしれないと。今は早期診断を感謝している。もちろんいち早く病を察知した能力も満更でなかったのだとちょっぴり思っている。更に、「先生、D病院におられませんでしたか、ずいぶん昔に息子がお世話になったK先生ではありませんか」「舘野さん・・・私の初めて担当した、あの青年の?」私の担当医が、十一年前研修医師として初めて担当したのが息子だったという縁といい、誰もが認める好感度ドクターと話ができるなどおまけの多い入院だった。
2014.02.12
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