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日曜日にはリハビリがないからなのかな。いい顔してお母さんを大歓迎してくれたね。通じもあったらしいし、気分が良かったのかもしれないね。気管切開部から痰があふれていたのでちょっと心配なんだけれど。メガネを渡すと自分で慣れた手つきでかける事が出来る。でもすぐ投げようとする。「だめ、見えるようにかけおしなさい」というと、また上手にメガネをかける。「母さんの言う事わかっているんだ」と言った途端に遠くの方に投げてしまった。ゲラゲラ笑いながら。どこまでが本当なのか。ふざけているのか。頭の中をのぞきたいよ。手がいたずらして困る。加減をしないで叩くので看護師さん達も被害甚大である。股間に手を入れる、これはおむつを引っ張ってしまったり、刺激で尿が腕を伝わって尿漏れにつながる。枕や布団手ぬぐいを手当たりしだい放り投げる。寒いじゃないか。困ったものだ。手ぬぐいで片方だけ軽く拘束しているがもう一方で結構いたずらする。動かなかった手が動くようになったのだから大進歩なのだが、被害が多い。どうしたものか。隣の患者さんがつなぎの寝巻を着ているのを見て、これなら手を股間に入れられないと気付いた。さっそくネットで調べて購入を決めた。なぜもっと早く気がつかなかったのだろう。これなら少しは解決するかな。
2011.01.30
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風呂場を改築する為に、ショールーム見学をした。我が家の風呂場は古いわけではない。7年ぐらい前、祐二を自宅介護をするために改修したものだが、天井走行できるように天井にレールを敷設した為に部屋の高さに合わせたふろ場の天井であるため、あまりに高い天井の風呂場となってしまった。システムの風呂場ではない。作りつけのもの出入り口も機密性はない。そして冷たいタイル。息子が使わなくなった今、老人である私たち用に改修をしようという事になった。まだまだ使えるのだが、暮らしているものが不便である事を考慮して、改修実行という事にした。祐二がこの風呂を使ったのは数回、まもなく千葉療護センターに移ってしまって。あの時の改修費用はとてつもないものだった。あーあ、もったいない。
2011.01.23
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お正月以来初めて祐二の所に出かけた。笑顔の祐ちゃんには程遠かったね。はじめはとってもはしゃいでいたのに、急に泣き出したり、わめいたりして。言語のお勉強は少しもできなかったね。お通じの薬が入っていたというからお腹でも痛かったのかなあ。それとも母さんが見ていない方がいいのかな。それにしてもDVDを見せたら別人のように機嫌が良くなったのはなぜ。母さんが来ればDVDが見られる筈なのに、お勉強が先だったからなのかな。見ている途中でおしまいにしたら、辞めないでという感じで腕を掴んだから、ゆっくりDVDを見たかったのかもしれないね。母さんが出かけて行った時ぐらい、ご機嫌な笑顔でいて欲しいな。お勉強もいいところを見せてくれると嬉しいのに。今日、チッパチャップの飴無理やり口に入れたらまんざらでもない顔してたから、甘いのが分かったのかな。でも捨てられちゃったけど。
2011.01.21
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このところ毎日、お医者さん通いで時間が過ぎてしまう。お父さんがせっせと祐ちゃんに会いに行ってくれるので助かります。昔はお父さんと話しをするのが苦手だった祐ちゃん、今ではすっかりお父さん大好き人間になっているみたい。お父さんの来るのがとてもうれしいらしいね。握手したり手を叩いたり、キャッチボールをしたり、母さんの時より笑顔が多いね。お父さんも昔は祐ちゃんの事顔を合わせれば文句いっていたものね。今ではどんな小さな進歩でも大喜びしているお父さんの顔、とっても素敵な親子の顔だね。こんな状況から二人の関係はすっかり変わったみたいだね。祐ちゃん、お父さんの机には祐ちゃんが事故に遭った9年前から毎日、祐ちゃんを思って祐ちゃんの介護日記を記した大学ノートが6冊にもなっているんだよ。これはお母さんにもできないすごい事。祐ちゃんにも見せたい。
2011.01.19
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耳がふさがって耳鼻科に行ったばかりなのに、後頭部が痛くて、大学病院でCTをとったり主治医の診察を受けたり、首の骨のレントゲン撮影やら、あっちの病院こっちの医院で検査やら治療をしてもらうはめになった。首のヘルニヤらしい。暫く治療をする事になった。と思ったら、鼻血が出たり喉から血痰が出たり、またまた耳鼻科通院をする事になってしまった。薬が多いせいか胃袋の調子も良くない。胃潰瘍の兆候だと言われた。身体が悲鳴をあげているのだろう。見舞うはずの私がこんな調子では、祐ちゃんのところにもいけないよ。もっと近いところだといいんだけどね。こんな事言ってはばちあたりだね。自宅介護の人たちの事考えたら、病院で見てもらっている私はありがたいことなのにね。
2011.01.13
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娘の誕生日と我ら夫婦の結婚記念日は同じ日である。娘が長女として誕生したのは結婚2年後の昭和38年の松の内である。「もしかして金婚式?」娘は息子とメールでやりとりするなど、何やら動き出した。家族ぐるみで温泉行きを企画しているもよう。じじばばとの親子での家族旅行には思い出がある。私の父と母が健在であった時、子どもたちが小中高校に在学中、初めての新幹線旅行を我々夫婦が企画したものだ。あれから35ん年が経っている。あの時、今の境遇があろうとはよもや想像だにしなかった、祐二の可愛い姿がアルバムに残されている。あの時の祐二と同じ年齢の孫が、私たちを楽しませてくれるという。感慨深い。
2011.01.09
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昨日はとんだ一日だった。早朝突然耳の穴がくっついて開かなくなってしまった。音が遠くできこえる。山の方に行った時、気圧の関係でよくこのようなことはあるが、たいてい耳を押さえてから離すとポンと音がして元に戻るのだが、何回試しても元に戻らないますますくっついてしまうような感じであった。突発性難聴か。いささかあわててしまった。近くに耳鼻科はない。夫や嫁さんが通ったことのある隣町まで出かけた。順番は40番、凄い混みように驚いたが、待ったなしの状況なのでひたすら待ち続けた。耳垢でふさがっていたとは。私の耳はアメ耳であるため奥の方で取りきれないまま溜まっていたのだとか。なんとも恰好の悪い話だ。いつもきれいに拭っていたはずなのに、綿棒でふき取るたびにあめ状の垢を押しこんでいたようだ。自分で奥の方まで耳かきを入れないようにする事。2カ月に1回はお掃除しに来て下さい、と申し渡された。首から上の痛みと言い耳が聞こえなくなることといい、病気上がりのこの時になんでこうなるの。
2011.01.07
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ひと月前からの後頭部の痛みが、日ごとに強くなって、今日は病院に向かった。予約なしの再診だったが、担当の医師は1番目に診察をしてくれた。かつて同室に入院していて先ごろ亡くなったSさんは良く首が痛いと言っていた。同じ悪性のリンパ腫だった彼女の事が思い出されて、もしかして私も、という思いが頭をかすめた。脳のCTの結果問題ないという。痛み止めと湿布薬をもらって帰った。様 子を見て今後神経内科で見てもらうよう勧められた。まずはリンパ腫と関係なさそうなので、一安心。でも痛いんだよね、後頭部から首にかけてが。
2011.01.05
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午後2時介護タクシーのお迎え。6日間の我が家滞在が終わる。おりしも年賀の挨拶に訪れたヤマトの久美子さんの力を借りてベッドから車いすに移った祐二、すこぶる不機嫌。それでも車に移してわが家を出発した。珍しく泣き声など出したり大声でわめいたりして運転手さんを心配させたのは、家を出たことが不満なのか、疲れたのか不明のまま病院へ向かった。道々結構混雑していた。祐二を看護師さんに託して早めに家路にむかう。6日間の疲れがどっと出てきた感じ。全介護の祐二の世話は、重労働だ。なにしろ体は大きいし、訳は分からないし、少しばかり手が動くようになって介護の邪魔をするようになったり、母さんも父さんもくたくた。でもね、顔を覗くと、たいていはニコニコ笑顔で両手をあげて喜びを表してくれたので、つい幼子に接するような気持ちで頭をなでたり、顔をなでたりしてしてしまう日々だった。本当は家にずっといてもらいたいんだけどね。
2011.01.04
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30日に介護タクシーで8か月ぶりの祐二の帰宅。何度か同乗してくれた運転手さん、「ずいぶんしっかりしてきましたね。見違えました』と言っていた。この前は5月の連休中であった。私は脾臓の摘出という大きな手術を10日にひかえていた。あれから8か月久しぶりの外泊、今回はどんな反応を示すだろうか。期待と不安を持っての帰宅であった。晦日、大晦日と絶好調で介護も余裕しゃくしゃく。顔の見えない時はアーアーと声を発して呼ぶ気配。「いるよー、なーに」と返事して顔を出すと「は、は、は、」と高笑いして満面の笑顔をみせる。歌が大好きな祐二といっしょに紅白歌合戦を視る。興奮して胸をたたくこと数回。小学一年生の時からかけていたメガネなのに、かけることもほとんどないままになっている。かけてやるとすぐ投げてしまうのだが、手渡すと自分で以前のしぐさでちゃんとかけた。両手が使えるようになったのは凄い進歩。でもね、介護の邪魔をするのが困るんだよね。近づく人の腕ををむんずと掴んですごい力で引き寄せ、両手で抱え込んで離さない。その顔がまた嬉しくてたまらないって言った表情。嬉しいのは分かるんだけど爪を立てるので痛いんだよね。
2011.01.02
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