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終戦の日も過ぎて、今じわっとあのころが思い出される。おりしも文芸誌で私の戦後70年の特集作品を提出することになっている。8歳で迎えた終戦だが、いろいろありすぎて絞るのが難しい。生まれた家を焼かれたし、いとこたちが5人も行方不明になったまま骨壺もからっぽだし。たった一人残されてしまった祖母の苦悩も見ている。兄が殉死するということもあった。大戦の最も無謀なインパール作戦に従軍した叔父の記録もあるし、その叔父を待っていたもう一人の祖母に預けられた私は祖母の日々の生活から息子を待つ切実な思いに触れて過ごしていた。戦時中の過酷な出来事はいうに及ばない。一つに絞ることが難しい。
2015.08.20
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これも殺人的暑さと関係あるのかどうか。6月の妹が命を落とした動脈瘤破裂は確かに関係あるようだ。まず私の突然の臀部の痛み。医師によると、神経痛だという。前からじわじわと蝕まれていたのかもしれないが、連日連夜クーラーと扇風機の動く中での暮らしだったから、あながち熱さと関係ないとは言えないかも知れない。まして私は1昨年脳梗塞で3週間の入院治療をしている。どうやらこの病気は暑い夏に多いそうだ。心せねば。息子の介護に私は絶対元気でいなければならないのだから。ここにきて、夫の痛風がみえてきた。とうとう発症。まえから危険信号は出ていたのだが、昔からなのでつい油断してしまった。食事に気を付けるべきだった。好きなものがあれもこれもダメとは、ここにきて制限するのはちょっぴり哀れになってくる。妹のことがあったので、同じ病を引きずっていた友人は急ぎ手術をし、無事安心して生活ができるようになったようだ。水を飲むことを肝に銘じているわが家。もちろん胃瘻の息子にも忘れていない。水が欲しいと訴えることのできない息子なのだ。口で飲んでほしいのだが、どうもむずかしい。
2015.08.11
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