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本日は旧知の I 氏の個展に行って参りました。11月23日~30日で、今日が最終日。案内状を頂戴していたが、他用などもあって、最終日の今日になってしまいました。 会場は小生も昔は通っていた日本基督教団小阪教会。久し振りの訪問でありました。会場には I 氏も居られて、少しばかりお話できました。 今回の絵画は「イエスの見た風景」として描かれた一連の作品群を中心としたもので、聖書に登場する土地の風景などが礼拝堂内部の陰影と溶け合って、いい雰囲気を醸していました。何枚か写真に撮りましたがフラッシュの光が反射して絵の一部が不自然に光ってしまい、うまく写りません。よって、残念ながら割愛です。 案内状の絵ハガキに印刷された「ガリラヤ湖の丘」という作品だけ、掲載して置きます。原画の花の赤はもっと濃い赤なのですが、写真では朱色がかっているなど、色合いが少し違ってしまっていますが・・。(ガリラヤ湖の丘) ガリラヤの風かおるあたり、 「あまつ御国は近づけり」と、 のたまいてよりいく千歳ぞ、 きたらせたまえ、主よ、み国を。 たたかいの日にいこいの夜に、 みくにをしたうあつきいのり、 ささげられしはいく千度ぞ、 きたらせたまえ、主よ、みくにを。 憎み、あらそい、あとを絶ちて、 愛と平和は四方にあふれ、 みむねの成るはいずれの日ぞ きたらせたまえ、主よ、みくにを。 (讃美歌228番) 最近は讃美歌も新しくなっていて、我々が礼拝の時に歌ったものと随分違っているそうだが、これは新しい讃美歌にも残っているのだろうか。 小生の手許にあった古い讃美歌集から抜き書きしてみました。ガリラヤというとイエスの「神の国は近づいた」や「わたしについて来なさい」という言葉とかこの湖畔でイエスに出会った弟子たちがイエスにつき従って行く姿などと共にこの歌が思い出されるのであります。(日本基督教団小阪教会・礼拝堂) 上の写真に写っている自転車は小生のMTB。やはり、自転車でやって来たのでありました。 小生がこの教会に通い出したのは高校1年から2年になる春休みの頃。会堂建物は建て替えられて、小生が通っていた頃のそれとは随分趣が変ってしまっている。若草読書会のメンバーは皆この教会で知合い親しくなった人達である。 I 氏もこの教会で親しくなったお方であるが、同氏もかつては自転車(スポーツ車)であちこち走って居られたそうな。これまでそういうお話をしたことがなかったので、今回初めてそうと知りました。 通りがかりだという若い女性が絵画展を覗きに来られていましたが、教会建物も、信徒が礼拝に使うだけでなく、このような個展やコンサートやバザーや地域の方がフラリと立ち寄ることのできるような「催し」に開放するのはとてもいいことである。(同上) 教会を後にして帰途に。帰途は大東市の方まで回るなど遠回りの銀輪もみぢ散歩と相成りました。 (栗原神社の銀杏)(緩衝緑地・加納公園)(同上) <追記・注>縦長写真が横倒しになった歪んだ画像になってしまっていたので、2020年10月27日これらを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2011.11.30
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本日は成人病検診で、梅田の大阪中央病院へ出掛けて来ました。 年一回の健保組合が実施する検診であります。けん家持は現在まで(昨年まで)の処、全ての項目で「異状なし」でありましたが、さて、今年はどうでありましょうか。(大阪中央病院) これまでは毎回午前9時からの検診で、朝食抜きも苦ではありませんでしたが、今年は午後1時からの検診で、朝食抜きでお昼を過ぎるとさすがに空腹を覚えました。 検診が終了したのは午後2時15分。遅い昼食(朝食?)を、病院の向かいの毎日新聞社ビルの一階の喫茶店「オリオン」でとりました。 小生の席の斜め後ろの男性客が店のマスターと何やらお話されている。聴くともなしに聞いていると、大阪マラソンに参加されて完走されたらしい。また、明日香での何やらの催しの話もされていたので、お声掛けして暫くお話をしました。王寺にお住まいとかで明日香へは走って行くのだという。約25km。自転車では何と言うこともない距離であるが、これを往復「足で」走るとなるとかなりなもの。 明日香から芋峠を越えて吉野へ自転車で走ったことがあるとお話すると、この方は同じコースをランニングしたと仰る。小生と同じ位の年齢とお見受けしたが、お聞きするとランニングを始めたのは10年位前からとのこと。いやはや大したものです。 毎日新聞社にお勤めか、お勤めでいらしたよう。話題にされていた明日香の催しは主催者の一角に毎日新聞社も顔を出している。そんなことで、「行かれるならどうぞ」とその催しのチラシを1枚下さいました。(飛鳥アートプロジェクト2011)開催期間:2011年11月23日~12月25日 <追記・注>縦長写真(大阪中央病院の写真)が横倒しになった歪んだ画像になってしまっていたので、2020年10月27日これを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2011.11.29
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1.大学同期会 一昨日(11月25日)は、大学の同期の集まりが心斎橋でありました。 久し振りに夜の繁華街を歩きました(笑)が、何かしっくりしないのは、銀輪野歩きを専らとする生活が身についてしまったということでありましょうか。 さて、この同期会は入学年次を同じくする者の集まりであり、卒業年次は少し違う者もいますな。何年か前から集まり出して、最近は5月と11月を定例に集まっている。 関西に在住する同期で連絡のつく者たちに声掛けしての有志の集まりでありますから、同期会というのは少し僭越かも知れませんね(笑)。 現在声掛けしているのは23名。今回はそのうちの11名(小◎君、佐◎君、谷◎君、道◎君、古◎君、前◎君、守◎君、山◎A君、山◎B君、油◎君と小生の11名)が出席でありました。 小生の頃は法学部の1学年の定員が100名でありましたから、これでも10パーセント以上の人数にはなるのであります。2.中学同期会 本日(11月27日)は、中学校の同期会でありました。一昨日の大学のそれと違って、学年全体に案内しての、正真正銘の同期会である。(受付付近) こちらは、昼間の開催。会場は上本町のシェラトン都ホテル大阪。天気も問題なかったので、ヤカモチはMTBで出掛ける心算でいましたが、朝のんびりしているうちに自転車では遅刻かもという時間になってしまっていて、電車で出掛けました。 小生と同じクラスの者は、金◎、田◎、谷◎、森◎と小生の5名。前回の平成19年の同期会では全体で100名を上回る出席がありましたが、今回は50名余と半減。事前の声掛けが不十分であったようです。 学年全体では500名程度ですから、全体の出席率も10%程度であった訳で、我がクラスだけが低調というのではありませなんだ。それでも、同じクラスの面々は勿論、杉◎君、西◎さん、藤◎さん、石◎君、栗◎君その他色々と懐かしいお顔を拝見することができたのは嬉しいことでありました。 もっとも、顔を拝見しても誰とも分らぬ方が多く居られましたが、それは経年変化の故と言うよりも、一学年500名を超える多数の所為であったということにして置きましょう。 お開きは2時頃、二次会どうのこうのという声も何処かでしていましたが、ヤカモチは、「大阪秋の陣」の投票もあるので、帰途に。帰りは谷◎君と瓢箪山駅まで一緒になり、あれやこれやの雑談をしているうちに、駅に着きました。 帰宅してから府知事選の投票に行って来ましたが、さて、「大阪秋の陣」の結果はいかが相なりますやら。
2011.11.27
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第90回智麻呂絵画展 智麻呂絵画展もいよいよ90回と相成りました。 これもひとえに応援下さる皆さまのお陰と心より感謝申し上げます。 では、ごゆるりとご覧下さいませ。 <参考>他の智麻呂絵画展は下記から。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~(もみぢ葉)このたびは 幣も取りあへず 手向山 もみぢの錦 神のまにまに (菅原道真 古今集巻9-420 小倉百人一首24) 智麻呂絵画展第90回も、「取り敢えず」もみぢから始めることといたしましょう(笑)。 もみぢは形ととのひ色づき全きをのみ見るものかは。まだらに色づきてそこここに青きを残し、虫食いの跡などもありて形ととのはぬこそよきに・・と若草兼好は申されて居ります。(和菓子) 上の和菓子と下のわさび漬けは偐山頭火さんの手土産。 偐山頭火さんの前回のコメントで和菓子を挟んで「食う」か「描く」かで意見の相違を見たというのが、どうやらこの和菓子のよう。結局は「描く智麻呂と地頭には勝てぬ」と恒郎女様は「描くまで待とう」とされたことが、この絵より明らかとなりました(笑)。(わさび丸)(ラッキョウの花) 上は、当ブログ10月31日記事に掲載の写真を絵にされたものであります。 下は、偐家持の鳥取銀輪散歩のお土産でありますな。(ラッキョウ)(ザクロ) このザクロはカリフォルニア産のザクロにて、絵ではその大きさが分り兼ねますが、普通のザクロの3倍もある大きさであるとのことです。 恒郎女様曰く「PPT参加でこんな大きいのがやって来たら国内のザクロはひとたまりもない。」割れ柘榴は「笑い」の比喩とされるが、この巨大柘榴のそれは、恒郎女様には不敵な「嗤い」に見えたようであります。はてさて大和柘榴の運命や如何に。(ツワブキ) このツワブキは智麻呂邸の近くに咲いていたものと小万知写真集のツワブキとを参考に描かれたものであります。 凡鬼さんの句にツワブキはなかったかと凡鬼句集の冬の句を探索しましたら1句ありましたので、またまた同氏に無断で掲載です。 日和見を厭う心や石蕗の花 (凡鬼) ツワブキは石蕗と書くが、上の句では「石蕗」と書いて「ふき」と読ませているようですな。(ポインセチア) 上のポインセチアは小万知さんがお持ち下さったもの。この真っ赤な葉を目にすると心がもうXmasモードになって来ます。 (オンシジウム) (菊) 上の二つの絵は智麻呂さんが通って居られるデイサービスで描かれたものです。(アゼリア) 上のアゼリアは、香代女さんが先日の読書会の折にお持ち下さったものです。 アゼリアという耳慣れぬ名前。初めて知りましたが、ツツジによく似ていると思ったら、ツツジ科の植物のようです。 もみぢで始まった今回の絵画展でありますが、匂へる花で粋にお開きであります。 そこで偐家持も1首。アゼリアの にほへをとめと 咲く花の いま盛りなり 若草の里 (偐家持) 「にほふ(匂ふ)」は、元々は「丹秀ふ」「丹穂ふ」で、赤い色が美しく映え出ることを言ったのであり、視覚的な美しさを指している。現在の嗅覚的な「匂う」とは意を異にする。
2011.11.24
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高円の 田原の里に 立つ雲の 父と歩きし 遠き日もがも (偐家持) 今日は亡き父の七回忌法要を営みました。 上の歌は2005年11月、父の亡くなった時に詠んだいくつかの歌のひとつであります。 奈良の田原の里を父と二人で歩いたことや、その地にある志貴皇子の墓(田原西陵)の前で、笠金村が詠んだ万葉集巻2-230の歌(下掲)について父と色々と話をしたことなどなどを思い出して、詠んだ歌であります。 あれから、丸6年、早くも7回忌である。 6年前の11月24日の朝、父は何を思ったのでもあるか、金木犀の若木を近くの植木市で買い求め、それをせっせと庭に植え、その日の午後整形外科にリハビリに出掛け、その待合室で心臓発作を起こし、そのまま心不全で、あっけなくと言うか、慌しくと言うか、この世を去ったのでありました。 金木犀の花咲くごとに我をしのへと言ふらむか、であります。(田原西陵・志貴皇子墓) 田原の里は、「御魂鎮まる田原の里」と呼ばれるが、高円山の裏手の茶畑が広がる長閑な里である。志貴皇子の田原西陵とその息子の光仁天皇(桓武天皇の父親)の田原東陵がある。 霊亀元年歳次乙卯秋九月、志貴親王(しきのみこ)の薨(みまか)りましし時、作れる 歌一首並びに短歌梓(あづさ)弓 手に取り持ちて ますらをの 得物矢(さつや)手(た)ばさみ 立ち向ふ 高円(たかまと)山に 春野焼く 野火と見るまで もゆる火を いかにと問へば 玉ほこの 道来(く)る人の 泣く涙 霈霖(ひさめ)に降り 白たへの 衣(ころも)ひづちて 立ち留(とま)り 吾に語らく 何しかも もとな言ふ 聞けば 哭(ね)のみし泣かゆ 語れば 心ぞ痛き 天皇(すめろき)の 神の御子(みこ)の いでましの 手火(たび)の光ぞ ここだ照りたる 短歌二首高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに三笠山野辺行く道はこきだくも繁(しじ)に荒れたるか久(ひさ)にあらなくに (巻2-230~232)
2011.11.23
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本日はC社、A社、SC社、SH社で構成されるグループ企業OB会に出席するため、中之島まで出掛けて参りました。囲碁の会でご一緒させて戴いている大先輩の青◎氏からのお誘いで、初めてこの会に顔を出させて戴きました。小生出身のSH社の関係の出席者が少ないので、顔を出してくれとのことで、生憎と今日は何と言って予定も入っていなかったので、お断りする理由も見つからず、それでは、と顔を出させて戴くこととした次第。出席者で存じ上げている方は青◎氏の他にはどなたも居られない。皆さん小生よりもはるかにご年長の大先輩ばかり。各社の近況報告ということで、各社の担当役員が出席され、それぞれの最近の会社の状況のご報告がありましたが、我がSH社からは稲◎副社長が出席。彼とは若い頃から色んな場面で共に仕事をした仲であったので、話し相手がいるわいと、ちょっとひと安心(笑)。 会場がSC社の本社ビルであったので、SC社の総務グループ長の宮◎氏も顔を出して居られ、彼とも現役の頃は親しくさせて戴いていたので、久し振りに元気なお顔を拝見できたのは嬉しいことでありました。また、面識のあったA社の総務室長の岩◎氏のお顔も拝見できました。 帰りに地下鉄難波駅までご一緒させて戴いたA社ご出身の某氏は、犬養孝先生のファンで、犬養先生がお元気でいらした頃にはよく奈良などにご一緒されたということをお話されていましたのが印象に残りました。(中之島中央公会堂。右奥に見える建物は裁判所。) 少し早く着き過ぎたので、中之島公園を散策してから、会場に向かいましたが、裁判所の前を通った時に、その外周植え込み塀の一角に「佐賀藩蔵屋敷跡」という碑のあることに気付きました。 まあ、江戸時代の大坂は天下の台所、各藩の蔵屋敷がこの一帯に沢山あったのでしょうが、裁判所は佐賀藩蔵屋敷の跡地であったのですな。<参考> 江戸最高峰の磁器「鍋島」出土 大阪の佐賀藩蔵屋敷跡(佐賀藩蔵屋敷跡碑) <追記・注>縦長写真(佐賀藩蔵屋敷跡碑の写真)が横倒しになった歪んだ画像になってしまっていたので、2020年10月27日これを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2011.11.21
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偐万葉・童子森の母篇(その6) 本日は偐万葉・童子森の母篇をお届けいたします。 童子森の母さんは、長年可愛がって来られた白猫のシー君を亡くされるなどして暫くブログをお休みされていましたが、最近、仔猫のぼぼちゃんを新しい家族にお迎えになり、元気にブログを再開されました。 ということで、それを祝しての偐万葉であります。 偐家持が童子桜郎女に贈りて詠める歌17首併せ俳句1句 並びに童子桜郎女の作りたる歌4首併せ俳句3句昨日(きそ)にては 咲きそこねたる 連翹(れんぎやう)の 今日(けふ)は津軽の 妹とし咲きぬ (津軽咲麻呂)お岩木の 山美しく 日輪は きららなりけり アマリリス咲く をだまきは 俯き咲くに 妹が庭の をだまき凛と 空見て咲ける うしろ姿の寄り添ってゆくか (偐松柏木)津軽猫 白と黒なり 咲く花は 黄にて我らは フリーじゃわいな (津軽猫麻呂) 童子桜郎女の返せる句 何が何やら黄色花今も咲いている (津軽松柏母) 童子桜郎女の贈り来れる句と偐家持の付けたる脇句 分けあって 分けあって生きている 津軽母 (松柏木) 津軽の猫も しかとや言へる (霹靂火猫)日曜日 猫も撫で撫で 撫子の 花咲く朝や 母ひとりごち (猫麻呂) 夕べ咲き 朝(あした)萎(しぼ)める わすれ草 ならずありけり なほ恋ひにけり (ニッコウキスゲ) 童子桜郎女の返せる歌1首 わすれ草 花の命は みじかくて 誰に届ける 月夜のおもい (松柏林の母)年ごとに わすれ挿し木の 花しみみ 咲きて知るなり みやこわすれと (津軽郎女) のむほどに ほどろほどろに ゑふもよし どちとしのめる さけこそさけよ (酒田山頭母)雷も 火事もオヤジも 何あらむ なゐも避(よ)くなる ははにしあれり (三日酔の母) 童子桜郎女の返せる句 歳重ね荷重く猫背で歩く北の野辺 (松柏木の母)シー君の いづち行かめや 文月(ふみづき)の 朝の光の 今し悔しも (元歌) 愛し妹を いづち行かめと 山菅の 背向に寝しく 今し悔しも (万葉集巻14-3577) 君のごと 白きムクゲの 咲きぬべし わが泣く涙 干なくぞあれる (元歌) 妹が見し 楝の花は 散りぬべし わが泣く涙 いまだ干なくに (山上憶良 万葉集巻5-798)悲しみも 立ち止まること なくあれば 近くもあらな 歩まれる日の 秋の葉の 匂へるごとや 山ガール なりてぞわれも 久渡寺山(くどじやま)なり (秋山郎女) 言はむすべ せむすべ知らぬ 花さへも 酔ひてや今宵 頬染むらむか (下戸花麻呂) (元歌)言はむすべ せむすべ知らず 極(きはま)りて 貴きものは 酒にしあるらし (大伴旅人 万葉集巻3-342) 童子桜郎女の返せる歌2首 ほろ酔いを 花にたとえし 人ありて 旅人(たびと)の歌も おもしろく読む この世にし 楽しくあらば こむ世にも 聖楽しむ ネコとならなむ身も蓋も なきゴミなれど 蓋ありて 磨けばそこし 花も咲くらむ (津軽釜足) 童子桜郎女の返せる歌 釜蓋よ めぐりあったは これも縁 化粧直して わが門まもる (釜童子)打ち捨つる 枝にしあれど 実の惜しと 飾ればこれも Xmasツリー (剪定家)にゃんつうか すべてこの世は こともにゃし にゃふにゃふにゃと 眠る・し・あ・・は・・せ・・zzzz (ぽぽ麻呂) 初雪は 心ときめく シクラメン 咲き始(そ)む朝に 淡くぞ降り来(く)ともしかも まどろむ猫の すはすはと 今し明けゆく 薄雪の朝 (偐猫持) (注)掲載の写真は全て童子森の母さんのブログからの転載です。
2011.11.17
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本日は先月19日に続く2回目の万葉ウォークでありました。今回は大阪市内の万葉ウォークで、コースは以下の通り。 JR天王寺駅集合10:30出発→松虫塚→安倍晴明神社→阿倍王子神社→ 晴明ヶ丘公園(経塚)→北畠公園(北畠顕家墓)→播磨塚・小町塚→ 万代池(昼食)→粉浜駅前犬養万葉歌碑→住吉公園・芭蕉句碑→住吉大 社→浅沢神社→霰松原史蹟・万葉歌碑(15:15解散)<行程約8km> 参加者は30余名。前回に続き、案内役として参加。小生の拙い説明の下ではありましたが、お天気にも恵まれ、皆さん笑顔で元気よく歩かれ、楽しいウォークを共に楽しむことができました。 行程に挙げられているそれぞれの場所は、先月23日の下見と、以前に個人的に行った銀輪散歩の記事で紹介していますので、写真の掲載や説明は省略します。当該記事をご参照下さい。 <参考>「万葉ウォーク下見・すみのえの霰松原」2011.10.23. 「大阪市南部銀輪散歩(2)」2011.7.16. 「同 (3)」2011.7.17. 「同 (4)」2011.7.18. 「銀輪散歩・住吉公園まで」2011.10.17. 小生は8kmのウォークだけでは物足らぬことになろうかと、小型軽量の折りたたみ自転車「トレンクル」で出掛けることとしました。解散した後、自宅までサイクリングしようという魂胆であります(笑)。 自宅を8時10分に出発。集合場所のJR天王寺駅には9時14分に到着。少し早く着き過ぎたので、駅近くの喫茶店で珈琲タイム。10時過ぎに駅構内の集合場所に行くと、この企画の主催者であるNPO法人の事務局の東◎氏と◎圓氏がもう来られていました。間もなく西◎氏も来られ、参加者の皆さんも集って来られました。お顔に見覚えがある方が多いのは、先月のウォークにご参加戴いた方が今回もご参加戴いているからでしょう。 下見の時と同様に天王寺駅から解散地点までは自転車を押したり、担いだりしながらのウォークでありました。(松虫塚を見学する参加者の皆さん。) 帝塚山3丁目の万代池公園で各自持参のお弁当で昼食。池の中之島で、望遠レンズを装着し、三脚で固定のカメラを構えて、熱心にファインダーを覗いて居られる方が居られたので、お邪魔にはならないだろうと思われるタイミングを測って、声をお掛けすると、鷹が池の中の小島の木の上にとまっているのだという。ファインダーを覗かせて戴くと、くっきりと鷹の雄姿が見えました。近くに居た他の参加者の皆さんも何人かは、ファインダーを覗かせて戴いていました。 今回とり上げた万葉歌の主なものは次の通りです。み熊野の 浦の浜木綿(はまゆふ) 百重(ももへ)なす 心は思(も)へど 直(ただ)にあはぬかも (柿本人麻呂 巻4-496)(熊野の浦のハマユウが幾重にも重なっているように心には思っているが、直には逢えないことだ。)島隠れ わがこぎ来れば ともしかも 大和へ上(のぼ)る 眞(ま)熊野(くまの)の船 (山部赤人 巻6-944)(島隠れに漕いでくると、うらやましいことだ。大和へ上ってゆく熊野の船は)御食(みけ)つ国 志摩の海人(あま)ならし 眞熊野の 小船(をぶね)に乗りて 沖(おき)辺(べ)こぐ見ゆ (大伴家持 巻6-1033)(天皇のお食事の材料を奉る国である志摩の海人であるらしい。熊野の小船に乗って沖の辺りを漕いでいるのが見える。)苦しくも ふりくる雨か 三輪が崎 狭(さ)野(の)の渡りに 家もあらなくに (長忌寸意吉麻呂 巻3-265)(辛いことに雨が降って来たことだ。三輪が崎の狭野の渡りには、家もないというのに。)(注)この歌は藤原定家の「駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野のわたりの雪の夕暮」の本歌となったもの。 家にあらば 妹が手まかむ 草まくら 旅に臥(こや)せる この旅人(たびと)あはれ (聖徳太子 巻3-415)(家に居たなら妻の手を枕に寝ていたであろうに、旅に倒れて横たわっている旅人の何と哀れなことか。)住吉(すみのえ)の 粉浜(こはま)の四時美(しじみ) 開(あ)けも見ず 隠(こも)りてのみや 恋ひわたりなむ (巻6-997)(住吉の粉浜の蜆のように、殻を閉じて開けようともせず、ずっと心に秘めて恋い続けるのでしょうか。)住吉(すみのえ)の 浅沢小野の かきつばた 衣(きぬ)にすりつけ 着む日知らずも (巻7-1361)(住吉の浅沢小野に咲く杜若、その美しい色を衣に摺り付け染めて着ることのできる日はいつのことやら)霰(あられ)打つ 安良礼(あられ)松原 すみのえの 弟日娘(おとひをとめ)と 見れど飽かぬかも (長皇子 巻1-65)(霰が打つあられ松原は、住吉の弟日娘と一緒に眺めると、見飽きないものだ。)草枕 旅行く君と 知らませば 岸の埴生に にほはさましを (清江娘子(すみのえのをとめ) 巻1-69)(草を枕に旅するお方と知っていましたら、岸の黄土で衣を染めて差し上げましたのに。) 霰松原公園で、上の「住吉の粉浜のしじみ・・」の歌をみんなで犬養節で朗唱して、解散といたしました。参加者の半数以上の方は路面電車(チンチン電車)に乗りたいと、安立駅に向かわれました。 小生は南海本線住之江駅に向かわれる方々を駅までご案内、皆さんをお見送りしてから、トレンクルで家路に。帰宅は午後5時10分。 参加者の皆さん、ODI事務局の皆さん、共に楽しい時間を過ごさせて戴きました。有難うございました。またご一緒に歩く機会がありますように。
2011.11.15
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偐万葉・英坊篇(その3) 本日は偐万葉シリーズ第120弾、英坊篇(その3)であります。 <参考>過去の偐万葉・英坊篇はコチラからどうぞ。 英坊2さんのブログはコチラからどうぞ。 偐家持が英麻呂に贈りて詠める歌18首並びに英麻呂の詠める歌6首 英麻呂の贈り来れる歌仇のがれ 辿りついたは カンナ花 次に移ろう 金木(きんもく)の花 偐家持の返せる歌蟷螂(たうらう)の 鎌怖ろしも 秋寒く カンナ衣(ごろも)に 夏恋ふわれは (バッタ屋の偐(げん)さん) 英麻呂の作れる歌とつくにの 色の彩(は)えたる 花をみて おなじ匂ひも ここに咲くらん 偐家持の返せる歌秋たけて 花にも深き 色あれば もみぢ待つ間の すさびにあらじ 英麻呂が贈り来れる歌五勝かち 油断召さるな 囲碁の界 伏兵もいる 猛者もいるかも (遅松) 偐家持が返せる歌勝つはよし 負くるもよしの 烏鷺いくさ 白黒つかぬ世 白黒つけて (白野黒麻呂) 英麻呂が贈り来れる歌雲をつく 大(おほ)の鳥居の はるか奥の 拝殿から拝す 三輪の神山(かむやま) 偐家持が返せる歌神山(かむやま)に まゐり来(こ)しかも 越(こし)の人 かしこみ神(みわ)の 素麺召せや (三輪素麺店)万葉(よろづよ)に 語り継がむと 名に負へば 越にし人は 詠ひ継ぐがね (高岡の家持君)昔見し 越の舞台を 今日見れば いよよさやけく はなやぎにける (大伴偐旅人) (元歌)昔見し 象(きさ)の小河(をがは)を 今見れば いよよ清(さや)けく なりにけるかも (大伴旅人 巻3-316) 英麻呂の贈り来れる歌芳しい 花の匂いの 金木犀 手をのばすのも まよいはばかる 偐家持の追和せる歌いづかたや 背子が手折らぬ 木犀の 今しわが屋に 香の流れ来て 英麻呂の贈り来れる歌引けばでる 知識の束には 止みはなし 湧きでのあかし 噴き出る清水 偐家持の返せる歌噴き出づは 駄洒落戯れ言 よしもなき ことにしあれば をこの沙汰なり秋たけて 越の大空 水なけど 鰤群れるらし 雲ぞたなびく (鰯雲鯖麻呂) もの言はぬ 石にありとも 達磨絵の 君が手練れに ものし言ふらし (偐旅人) トマトまた 青き林檎の 浮き出でて 君が手練れの 技にしあらむ 来し旅も やがて果つらむ うらぶれて 秋の夕日の 見らくしよしも 秋の香も 外国(とつくに)たより 赤松の 里山見つつ 嘆くは誰ぞ (偐待つだけ) (注)秋の香=松茸のこと熊出づと 杖に鈴つけ 二上の 秋の滝道 ちりりんの音 (偐熊持) 菊と聞く 花もとりどり 和(あ)へものに よしとふ花も 菊と聞くなれ (菊麻呂)消えた筈 諦めないで もう一度 親父のこはさ 示してもがも (頑固親父) 橿の実の 一人行く兒の いそいそと 衣の柄も 磯菊ならむ (菊松姐さん) (注)橿の実の=「一人」の枕詞み仏の 傘もかくやの 傘松の 陰に憩はむ 南無阿弥陀仏 (専念家持) (注)掲載の写真は全て英坊2さんのブログからの転載です。
2011.11.12
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本日は囲碁例会の日。いつものようにMTB(マウンテンバイク)で梅田まで。往路は快調でしたが、復路で、チェーンが切れてしまいました。と言っても幸いなことに自宅から数十メートルの処まで帰って来ていましたので、事なきを得ました。 さて、囲碁はというと、本日の出席者は青◎、竹◎、福◎、平◎、荒◎、村◎の各氏と小生の7名。戦績の方は福◎、村◎両氏に負け2連敗、少し休憩して、部屋に置いてあるパソコンで当ブログを開いたら、小万知さんのコメントが新着で入っていたので、その返事を書く。気分転換が功を奏したか、次の荒◎氏には中押しで勝ち、1勝2敗。 いつものようにアポロカフェで昼食を済ませた後、囲碁会場の部屋に行く前に、少しスカイビルの花野を散策しました。目にした花などをアップして置きます。先ず、白いガウラ。前々から咲いていたのでしょうが、今回初めて気付きました。ビル風で花が盛んに揺れるので、撮影するのに骨が折れましたが何とか1枚だけは見れる程度に写っていました。(白いガウラ) もう一つ薄紫色の花も咲いていましたが、これは多分サフラン。しかし、この花は今頃咲くのでありましたかな。(サフラン) サフランの隣にはイソギクが蕾を付けていました。この花は、花よりも葉を観賞すべきもののようでありますが・・。(イソギク)(同上) ランタナは未だ花を付けていますが、実が下の方から青く色付き始めていました。(ランタナの実)(同上) 最後は風にそよぐ尾花です。里山らしい表情を見せています。(尾花がうれに吹く風の・・) 里山(花野)を出て、ワンダースクエア(中庭)に行くと、早くもクリスマスツリーの設置工事が始まっていました。スカイビルにドイツ領事館が移転して来て以来、毎年、この時期になると、ワンダースクエアでドイツ・Xmas・マーケットが開催される。ツリーの準備と共にその準備も始まっている。もうそんな季節になったのですな。(Xmasツリー) <追記・注>縦長写真(Xmasツリーの写真)が横倒しになった歪んだ画像になってしまっていたので、2020年10月27日これを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2011.11.09
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偐万葉・ビグジョン篇(その8) 久し振りの偐万葉です。シリーズ第119弾、ビッグジョン篇・その8であります。 <参考>過去の偐万葉・ビッグジョン篇はコチラからどうぞ。 ビッグジョンさんのブログはコチラからどうぞ。 偐家持が交野歩麻呂に贈りて詠める歌18首併せ俳句1句浜栲(はまたへ)は 青く澄みたる 秋空の 色にし咲きて 吾(あ)が恋益さる (注)はまたへ:浜栲(「ハマゴウ」と読み、「はまたへ」は偐家持の造 語。)、クマツヅラ科の常緑小低木、海浜植物、青い花 が咲く。栲は「コウゾ」のこと。白栲(しろたへ)、荒栲(あらたへ)、栲縄(たくなは)など の枕詞がある。よし人は ぬすびと萩と 名を呼べど 荒地にわれは めげずや咲かな (萩本盗人麻呂)ぬすびとと わが名呼ばれぬ 萩しぐれ (萩尾芭蕉)秋雨に 濡れにし衣 盗人と などてゆゑなく 萩をし呼ぶや (冤罪法師) )()()朝(あした)でき 夕(ゆふべ)は消(け)ぬる 疣草の 汁も効かざり たこに魚の目 (疣麻呂) (元歌)朝(あした)咲き 夕(ゆふべ)は消(け)ぬる つき草の 消(け)ぬべき恋も われはするかも (万葉集巻10-2291)草深み 継ぎて咲くらむ 野辺の道 アキノノゲシの 見らくしよしも 秋ふかみ 百舌鳥も鳴くらし 人恋ふと ほつ枝に風の 寒くも吹けば (中百舌鳥家持(なかもずのやかもち))わが里の をそのコキアは こきあかに ならずありけり まだらの黄なり (河内濃赤人(かはちのこきあかひと)) 吸音板 音のみならず 空き缶も 吸引すとは お釈迦様でも (缶麻呂)外国(とつくに)ゆ 来たりしからに 隼人瓜 瓜実顔も ややねぢれける (今来瓜人(いまきのうりひと)) 千成(せんなり)と 言へるは名のみ 百成(ももなり)も 生らず我家(わぎへ)の 隼人(はやと)瓜(うり)はも (瓜の売麻呂) そばの実は とれぬみぞそば そば近く 花をよく見ば これ金平糖 (こん平)むらさきも 白もよかりき ほととぎす 花は匂へど 鳥は鳴かざり (卯ノ花モドキ)たまくしげ 二上山に 咲く花の 匂ひ恋(こほ)しき ときは来にけり (小伴家持(をとものやかもち)) (元歌)玉くしげ 二上山に 鳴く鳥の 声の恋しき 時は来にけり (大伴家持 巻17-3987) 面河(おもご)の もみぢ始(そ)む道 遍路道 出会へる人の みな懐かしき (偐歩麻呂)大の字に なれどまぐはし うすももの 色にし咲ける 大文字草 朝顔の 花に似たるも 薩摩芋 妹にし喩へむ をこもあるまじ (芋麻呂)雀売る 伏見は嫌と 淀の川 くだりてそこに 雀瓜生(な)る (枚方雀) 秋空の 青き色にし 咲くらむ竜胆 また野菊 ツリガネニンジン アキノタムラソウ (畑上憶良) (注)掲載の写真は全てビッグジョンさんのブログからの転載です。
2011.11.07
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本日は午後から雨との予報であったので、朝のうちにと朝食を済ませてから墓参に行ってまいりました。 道すがらに可憐なピンクの花が咲いていました。以前、ブロ友の木の花桜さんがブログでご紹介されていた、ガウラという花ではないかと、写真に収めて来ました。(ガウラ) この花は4枚の花弁が片方に偏り、その反対側に長い蕊が白く伸びているという特長のある形をしている。木の花桜さんがアップされていたのは白い花でしたが、今日見掛けたのはピンクの花。以前にも目にしていたのだが、ガウラという名を知ったので、撮影してみることとしました。 まあ、ここまで書いて「これはガウラではない。」と言われたのでは身も蓋もないこととなるが、まあ、その時はその時です(笑)。 それにしても、夏から秋へと花期の長い花のようですな。(チカラシバ) これは雑草のチカラシバ。万葉の芝草はこのチカラシバだと言われています(単に雑草のことを言っているのだという異説もありますが。)。立ちかはり 古き都と なりぬれば 道の芝草 長く生ひにけり (田辺福麻呂歌集 巻6-1048) この処、ナナカマド、ハクサンボク、アズキナシ、ツリバナ、イバラなどと赤い実の写真が続いていますので、ナンテンの実も撮ってみました。(ナンテン) さて、次は、何という名の木かは知らないのだが、木の葉を拡大接近で撮ってみました。上空高くから撮影した航空写真には見えませんかね。葉脈を道路に見立てて・・というのはやはり無理がありますか。(葉のマップ) 墓地にあった低灌木の木の葉です。見て居ると段々畑をはるか上空から眺めているみたいでなくもない。 <追記・注>縦長写真(チカラシバの写真)が横倒しになった歪んだ画像になってしまっていたので、2020年10月27日これを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2011.11.05
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1.囲碁例会 昨日(2日)は囲碁例会でMTBで梅田まで銀輪往復。 例によって、梅田スカイビルの花野を散策してから、囲碁会場に向かいました。花野にある稲田は丁度稲刈りが終わったようで、ちょっとビル街とは思われぬ光景が広がっていました。(梅田の里山・梅田スカイビルの花野にて) 先月の囲碁例会の時には未だ色づいていなかったナナカマドやムラサキシキブがかなり色づいて、秋らしくなっていました。(ナナカマド)(同上) (ムラサキシキブ)(同上)(ツワブキ) そして、ツワブキの花も。 ハクサンボクの実は真っ赤に色づいていました。(ハクサンボク)(ハクサンボクの実) さて、本日の囲碁例会出席者は前回と同様に、青◎氏、竹◎氏、福◎氏、平◎氏と小生の5名。平◎氏と竹◎氏に勝ち、福◎氏に負けて2勝1敗。 これで、今年に入ってからの成績は34勝27敗。今年の2~4月の成績が6勝15敗と低迷し、どうなることかと思われましたが、その後少しずつ調子が上向いて、何とか今年も借金なしで年を越せそうですな(笑)<参考>囲碁例会。アズキナシの実ほか 2011.10.12. 囲碁例会・吊り花とナナカマド 2011.10.6.2.万葉歌碑除幕式 本日(3日)は、交野市市制施行40周年記念事業の一環としての、天野川七夕万葉歌碑除幕式があるというので、この歌碑建立に中心となって関わって居られる友人の茨田童子さんからのお誘いで、参加して来ました。 勿論、自宅からMTBです。約1時間40分掛かりました。歌碑は天野川に架かる交野橋の少し下流(北側)左岸の公園内に設けられていました。(歌碑除幕式) 記念事業実行委員会の佐藤委員長のご挨拶、交野市の中田市長ほかの来賓のご挨拶などの後、除幕が行われました。 また、茨田童子氏から歌碑についての説明がありました。万葉集には七夕の歌が132首あるが、「天の川」、「彦星」、「織女」の三語が全て詠み込まれた歌は3首のみで、その中でも「天の川」で始まる歌はこの歌のみであったので、これを歌碑の歌としたこと、この歌碑は全国では2052件目、大阪府内では35件目の万葉歌碑になること、などが説明されました。 最後は皆で犬養節で歌を朗唱して閉会となりました。(歌碑)天の川 梶の音(と)聞こゆ 彦星と 織女(たなばたつめ)と 今夜(こよひ)逢ふらしも (柿本人麻呂歌集 巻10-2029)(同上 写真提供:茨田童子氏) 茨田童子氏から歌碑の写真が送信されて来ましたので追加掲載して置きます。(追記4日8時)(天野川<交野橋付近>) 少し早く着き過ぎたので、天野川沿いを銀輪散歩しました。 天野川の名が示すように、「天の川」であり、この地には七夕伝説がある。以前にも取り上げているので、ここでは省略します。 茨が赤い実を付けていました。万葉では「イバラ」と言わず「うまら」と言っています。芋も「うも」ですから、古代の「う」はいつの間にか「い」に音が変化したようですな。(イバラ)(同上) 式典終了後、予ての約束通り、友人のオガクニマン氏と会うべく、枚方市へと向かう。天野川沿いの道を、下流へとMTBを走らせる。 第二京阪道の下を潜って少し下流にある逢合橋のたもとに新しい歌碑が建っていたので、近寄ってみると、これも七夕の万葉歌。揮毫者は小生も面識のある万葉うたがたり会の岡本三千代さんでありました。裏面の記載を見ると、今年の7月に建立されたもののようです。(逢合橋万葉歌碑)彦星と 織女(たなばたつめ)と 今夜(こよひ)逢ふ 天の川門(かはと)に 波立つなゆめ (巻10-2040) オガクニマン氏とはいつもの、商工会議所向かいの喫茶店で落ち合うべしであったが、近くまで来て道に迷い、少し遅れて午後2時28分到着。 「枚方の道は好き勝手な方向に走っているので分り難い」と自分のいい加減さを棚に上げて、道の所為にしましたが、オ氏からは「道に迷っているのか。」と電話を頂戴する始末でありました。 午後4時位まで彼と、とりとめもない話と言うか、お喋りで時間を潰し、暗くなってはと帰途に。野崎辺りに差し掛かったころには暗くなりかかり、石切近くではすっかり暗くなっていて、午後5時52分の帰宅でありました。<参考>オガクニマン氏のブログはコチラからどうぞ。 茨田童子氏のホームページはコチラからどうぞ。 万葉うたがたり会のホームページはコチラからどうぞ。 同ブログはコチラからどうぞ。 星田妙見宮万葉歌碑除幕式 2010.12.23. 七夕・七夕(続) 2008.7.7.
2011.11.03
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第89回智麻呂絵画展 智麻呂絵画ファンの皆さま、長らくお待たせ致しましたが、本日第89回展を開催させて戴きます。皆さま多数のご来場お待ち申し上げます。 <参考>他の智麻呂絵画展は下記から。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~(谷中の菊) これは東京ご在住のリチ女さんからの贈り物。 智麻呂氏としては二度目の小菊挑戦でありますが、何度も下書きを重ねてやっと完成したという、時間も労力も相当に費やした力作であります。花のひとつひとつの濃淡の微妙な違いを描き分けるという、丁寧且つ緻密に描かれた傑作であります。 <参考>昨年の「谷中の菊」(第66回智麻呂絵画展参照) 万葉に登場する「百代草」は諸説あって、ツユクサ、ヨモギ、リュウノゥギクなどとする説と共に、ノジギクという説も有力説としてある。父母が 殿の後方(しりへ)の 百代草(ももよぐさ) 百代いでませ わが来(きた)るまで (生玉部足国(いくたまべのたりくに) 巻20-4326) (父母が住む建物の後ろに生えている百代草。その花のごとく 百歳までも長生きして下さい。わたしが帰って来るまでは。)(秋の葉の匂へるときに・・) 朝の散歩で拾い集めた落ち葉。この季節には必ず登場する智麻呂氏定番の絵のひとつでもあります。(エリンギ) エリンギも、「食材にするはしばしぞ待て」との智麻呂様のお達し。恒郎女様のお料理のお献立も、このお達しによって、内容を変更するか、調理開始の時期を遅らせるかしなければならないという次第(笑)。えりんぎの はごたへもよし あきたけて ほどほどさむき かぜのなほよし (偐家持)(五智果) これは、八尾市の老舗菓子舗、桃林堂の砂糖漬菓子、五智果です。偐山頭火氏の手土産であります。 口直しならぬ「筆直し」にせよとて、上の「谷中の菊」と格闘されていた智麻呂さんの許に、お持ちになったようだが、その効果があったのか、その後に小生がお訪ねした時には、見事菊はもう完成していたのでありますな。 それもその筈、「智」が5人助っ人に来て「六地蔵」ならぬ、「六智麻呂」になった訳ですから、はかどるのは当然でありますな。 然らば偐家持は、郎女様のために、桜林堂(?)に出向いて、「五恒果」を探して参りましょうか(笑)。(夫婦茶碗) これはご夫妻の金婚式を祝って、東大阪市(だったかな?)が贈ってくれたものらしい。智麻呂の 涼しき藍に 寄り添ひて くれなゐ匂ふ 恒郎女(つねのいらつめ) (偐家持)(カボチャ) これは前回の絵画展に登場のカボチャが二つに切られた図です。 切った処も描いてみたい。 智麻呂氏の創作意欲が旺盛なことの表れであり、結構なことですが、恒郎女様にとっては、ラップしなければならないという訳で、手間が増えるだけのことでありまして・・(笑)。 <参考>切られる前のカボチャは第88回智麻呂絵画展参照絵をはよし 恒にせかるる 智かぼちゃ われても末に 食はむとぞ思ふ (崇徳園) 瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ (崇徳院 小倉百人一首77) (注)はよし=大阪人でない方のための注記です。はやくして、の意 はやくしろ→はやくおし→はやうおし→はようし→はよし(キバナコスモス) この花のことは10月20日の日記に記載して居りますので、それをご参照下さい。 <参考:「銀輪花遍路(その11)・ザクロとサンシュユの実ほか」(ブルーサルビア) この絵は智麻呂氏がデイサービスに行かれている時に、そこで描かれたもの。花はブルーサルビアだと思いますが違っていたら訂正します。(柘榴) これは、智麻呂氏のご友人にして智麻呂絵画のよき理解者でもある寺◎氏がお持ち下さった、同氏のお庭のザクロであります。(おかげ芋) これはわが地元の菓子舗、寿々屋さんの芋菓子で、秋限定の商品です。枚岡神社の秋祭りの時期になると販売されますな。鳴門金時、栗その他を材料に製造されています。勿論、材料などの詳しい内容は存じませぬが、なかなかに美味なのであります。 ということで、先般10月20日に智麻呂邸を訪問した際にヤカモチが手土産に持参したものであります。早速に絵になっていましたが、なかなかリアルに描けているので、寿々屋さんにプレゼントしたい位であります。わがあるは 妹がおかげの おかげ芋 気取らず美味に ありてあるなれ (偐家持)
2011.11.02
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