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眼鏡が壊れました。 この2月に白内障の手術をしたことは当ブログを以前からご覧になっていらっしゃるお方はご存知かと思いますが、その折に人工レンズ(水晶体)の焦点距離をどうするかと医者にきかれて、30cm程度に合わせて戴くようお願いしました。読書とかパソコンを打ったり、字を書いたりが眼鏡なしで行えるようにというもの。自転車に乗ったりで遠方の視力を必要とする場合は眼鏡で補正するということにしました。 普通は遠方の視力を確保し、読書など近い距離は眼鏡でという選択をされるらしい。小生は中学時代から近視になり、眼鏡を掛けたり、外したりをしているうちに度が進み、20代後半頃からは常時眼鏡を掛けるようになりました。家持が満25歳というと天平15年(743年)ですから、まあ、その頃から寝る時以外はずっと眼鏡を掛けてという生活スタイルでありました。ということで、これまでのスタイルを踏襲しようとしたという次第(笑)。 小生の近視はかなりの強度にて、裸眼で物がはっきり見える距離、つまり水晶体の焦点距離は数cmといった処か。従って、これまで使っていた眼鏡は度が強過ぎて使えない。眼鏡を作り変えないといけないことになります。 ところで、ヤカモチもよる年波にて老眼が進み、普通に掛けている眼鏡では読書がし辛くなってきて、少し度を落とした眼鏡を作り、読書などの場合はそれを掛けるようにしていました。(遠近両用の眼鏡も作りましたが、どうもそれは使い勝手が悪く目が却って疲れるようでもあり、「近」には使わず「遠」専用で使い、「近」はこの度の緩い眼鏡を使用していました。)で、この読書用の眼鏡が幸いしました。 白内障手術後の眼で遠距離を見る時は、この眼鏡が丁度合うようなのでした。新しい眼鏡は何れ作るとして、暫くはこの眼鏡で間に合うか、と眼鏡の新調を先延ばしにして来ました。しかし、この眼鏡も随分昔に作ったものなので、くたびれていたのでしょう。一昨々日(28日)の夜に掛けた瞬間ハラリと下に落ちました。一瞬何事が起ったか呑み込めなかったのですが、足元には二つに割れた眼鏡が落ちていました。目から鱗ではなく、眼鏡が割れ落ちたのでありました(笑)。見ると左右のレンズ枠を連結する溶接部分がパックリ断裂していました。(且つては読書用であった度の軽い眼鏡) 上の写真は、外れた部分を重ね合わせて、見かけ上は壊れる前に近い状態にして撮影したもので、実際には、下の写真のように壊れています。(左右の眼鏡枠の連結部分が断裂しました。)(足元に落ちた状態はこんな風でもあったでしょうか。) もう十二分に働いた。これが寿命です。という感じで眼鏡君は往生を遂げましたが、人もこんな風に或る日突然音もなくハラリという感じで死にたきものにて御座候(笑)。いやいや、眼鏡君、長きにわたりお世話になりました。ゆっくりお休み下さいませ。 で、一昨日(29日)、瓢箪山駅前の眼鏡店に行って眼鏡を新調。今日(31日)出来上がって来たのが、この眼鏡です。(新しい眼鏡) 眼鏡なしでは、銀輪散歩も遠出は無理でしたが、これでもう大丈夫です(笑)。 今日で8月も終わり、明日から9月。待ちにし秋の9月なりけり。
2014.08.31
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本日は第5回ナナ万葉の会で、近鉄大阪線恩智駅前の喫茶店「カフェ・ド・ナナ」まで行って参りました。と言っても勿論、電車で、ではなく、自転車(MTB)で、です。 今回の参加者は男性2名、女性6名の8名。講師役の小生を含んで総勢9名の「こじんまり」とした会です。今回は男性の畑〇氏が「神」を詠った歌を紹介して欲しい、というご要望であったので、そのような歌を拾い出すこととしました。歌はそもそもが神に捧げるもの、或は神との問答、神の言葉として発生し、存在し得たものなのでもあるが、神そのものを詠んだ歌というのはそれほど多くはなく、神にかこつけての恋の歌とか天皇を神と讃える歌などの方が目に付くというのが万葉の歌である。ということで、ともかくも「かみ・神」という言葉を含む歌をランダムに万葉集から拾い出すということで「神の歌」ということとしました。畑〇さんのご期待には沿えていないかと思うが、万葉集がそのようであるのだから仕方がない(笑)。 で、小生の独断・勝手裁量で取り上げた本日の歌は次の通りでした。1.香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相争ひき 神代より かくなるらし いにしへも しかなれこそ うつせみも つまを 争ふらしき (巻1-13)2.香具山と 耳梨山と あひし時 立ちて見に来し 印南国原 (巻1-14)3.渡津海の 豊旗雲に 入日さし 今夜の月夜 清明こそ(巻1-15)4.近江荒都歌<略>(巻1-29)5.ささなみの 志賀の辛崎 幸くあれど 大宮人の 船待ち兼ねつ (巻1-30)6.楽浪の 志賀の大わだ 淀むとも 昔の人に またもあはめやも (巻1-31)7.おほきみは 神にしませば 天雲の 五百重が下に 隠りたまひぬ (巻2-205)8.おほきみは 神にしませば 天雲の 雷の上に 廬らせるかも (巻3-235)9.皇は 神にしませば 真木の立つ 荒山中に 海をなすかも (巻3-241)10.大君は 神にしませば 赤駒の はらばふ田居を 京師となしつ (巻19-4260)11.大君は 神にしませば 水鳥の すだく水沼を 皇都となしつ (巻19ー4261)12.住吉の 野木の松原 遠つ神 わが王の いでましどころ (巻3-295)13.今日よりは 顧みなくて 大君の 醜の御楯と 出で立つ吾は (巻3-295)14.天地の 神を祈りて 幸矢貫き 筑紫の島を さして行く吾は (巻20-4374)15.佐保過ぎて 寧楽のたむけに 置く幣は 妹を目離れず 相見しめとぞ(巻3-300)16.周防なる 磐国山を 越えむ日は 手向けよくせよ 荒しその道 (巻4-567)17.ちはやぶる 神の御坂に 幣奉り 斎ふいのちは 母父がため (巻20-4402)18.ちはやぶる 神の社し 無かりせば 春日の野辺に 粟蒔かましを (巻3-404)19.春日野に 粟蒔けりせば 鹿待ちに 継ぎて行かましを 社し留むる (巻3-405)20.わが祭る 神にはあらず ますらをに 著きたる神ぞ よく祭るべき (巻3-406)21.大船に 真楫繁貫き この吾子を 韓国へ遣る 斎へ神たち (巻19-4240)22.春日野に 斎く三諸の 梅の花 栄えて在り待て 還り来るまで (巻19-4241)23.白雲の 龍田の山の<略>高橋虫麻呂の長歌(巻9-1747)24.わが行きは 七日は過ぎじ 龍田彦 ゆめこの花を 風にな散らし (巻9-1748)25.島山を い行きめぐれる<略>高橋虫麻呂長歌(巻9-1751)26.い行相の 坂のふもとに 咲きををる 桜の花を 見せむ兒もがも (巻9-1752)27.山川も よりて奉れる 神ながら たぎつ河内に 船出するかも (巻1-39)28.玉かづら 実ならぬ樹には ちはやぶる 神ぞ著くとふ ならぬ樹ごとに(巻1-101)29.わが岡の おかみに言ひて 降らしめし 雪のくだけし そこに散りけむ(巻2-104)30.大汝 少彦名の いましけむ 志都の石屋は 幾代経ぬらむ (巻3-355)31.大穴道 少御神の 作らしし 妹背の山は 見らくしよしも (巻7-1247)32.天地の 神も助けよ 草まくら 旅ゆく君が 家に至るまで (巻4-549)33.思はぬを 思ふといはば 大野なる 三笠の社の 神し知らさむ (巻4-561)34.住吉に 斎く祝が 神言と 行くとも来とも 船は早けむ (巻19-4243)35.味酒を 三輪の祝が いはふ杉 手触れし罪か 君に逢ひがたき (巻4-712)36.石上 布留の神杉 神さびし 恋をもわれは 更にするかも (巻11-2417)(カフェ・ド・ナナと我がMTB) ということで、本日は写真がありませぬ。今日、店先で撮った1枚を掲載して置きます。右側の喫茶店がカフェ・ド・ナナ。左側の川が恩智川。手前の自転車が我が愛車のMTBであります。
2014.08.27
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偐万葉・あすかのそら篇(その1) 本日は偐万葉初登場「あすかのそら氏」です。昨年12月にふろう閑人氏のブログであすかのそら氏のブログ記事がご紹介されていて、何気なくご訪問申し上げたのが最初。山歩きのお好きな、愉快でタフなお方です。同氏にも偐万葉風の諱を名乗って戴くこととし、明日香郎女様とさせて戴きました(笑)。 <参考>あすかのそら氏のブログはコチラから。 偐家持が明日香郎女に贈りて詠める歌15首青き山 見つつや行かむ 白雲の 流れ行くまま 春草の道(あさってのそら)み熊野の 道のくすの木 延(はふる根の 年深みかも 神(かむさびにけり(本歌)磯の上の つままを見れば 根を延へて 年深からし 神さびにけり (大伴家持 万葉集巻19-4159) (注)つまま=都麻麻。タブノキのこと。 (熊野古道)み熊野の 古りにし道を 行く妹を つつみてあるや 神の杉群(むら(大群杉持)恋ひ恋ひて 待ちにし春の 立ちぬれば 熊野ふる道 わが二人来し(明後日郎女)蟻もまだ い寝てぞあれば 春寒(はるざむの 熊野古道(くまのふるみち 人ぞ恋(こほしき曖昧は 模糊にし似たる われはモコ モッコはあすかの そらごとなれり(モコの郎女)似て非なる モッコモーコも アイマイミー 母が呼ぶ名は モコにしあれり(ドコモの郎女) (モコ)燻したる いぶかしきもの いぶせきも 味はいとよし またもはまれる(あすかのけむり) (注)いぶせき=きたならしい、むさくるしい。 (燻製に挑戦)二ペソツの 山に居るとふ ナキウサギ 声の恋(こほしみ 我は来にけり (二ペソツ山) (糠平湖遠望)糠平(ぬかびらの 湖(うみにしあるや 遠山の 裾に帯なす 青き影見ゆ知床に 向かふ三国の 峠道 蝦夷縞栗鼠の 迎へか来たる (シマリス)浜茄子の 花のときには あらねども をとめ二人が 花よ知床(エトピリカ)みほとけの います磯辺の 波の音(と)の 何やらかなし 知床岬(知床遍路)フラメンコ ならねあすかの くまよけの カスタネットに くまもよくらむ(熊のフラメンコ) (知床半島)さヒのクマ ヒグマの顔の いや近み 写真に撮らば 言寄せむかも(ヒのクマの女王)(本歌)さ檜隈(ひのくま 檜隈川の 瀬を速み 君が手取らば 言寄せむかも (万葉集巻7-1109) (注)言寄せむかも=噂になるかしら。 (ヒグマと遭遇)<脚注>掲載の写真はあすかのそら氏のブログからの転載です。
2014.08.26
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昨日(24日)の話です。 マウンテンバイクのチェーンがおかしくなったのか他の原因なのかギアチェンジがうまく行かない。と言うことで馴染みの自転車屋さんに持ち込んで調整して戴くべく預けて置いたMTBであるが、電話をすると修理が終わっているということなので、受け取りに行って参りました。やはり、チェーンが傷んでいたようで、新しいものに取り換えてくれていました。チェーンが新しくなって力の伝達効率がアップしたのか、ペダルを踏み込んだ時の感じがしっくり安定して、心なしか軽くなったような気がする。まあ、単なる錯覚、心理的なものに過ぎないのかも知れませんが・・。(新しいチェーン) チェーンが新しくなって白く目だっています。あらたしき チェーンになりて 踏む足も かろくぞなりぬ 枚岡の坂 (銀輪家持) (同上・後輪部分) 上の写真では一番大きいギアから3番目のギアにチェーンが掛かっていますが、これは坂道を上る時のもので、通常は後輪については一番小さいギアに掛けて走っています。前輪のギアは大きい程、後輪のギアは小さい程ペダルは重くなります。前輪のギアを一番大きいものにし後輪のギアを一番小さいものにした時が、一番ペダルが重くなりますが、ひと漕ぎで進む距離はその分、大きくなり、スピードが一番出ます。ということで、通常平坦な道を走る時はそのようにして走っています。(この部分勘違いして逆の説明をしていたようで、偐山頭火氏より電話で間違いを指摘されましたので、訂正しました。) 自転車屋さんを出て、少し遠回りして帰ろうと、枚岡神社の前までやって来ると、参道に提灯の列。(枚岡神社千灯明祭) 何事であるかと思ったら、「枚岡音頭復活千灯明踊り」と書かれた紙が路面に貼られていました。要は盆踊りのようです。生憎の天気で行われたのかどうかは、すぐに立ち去りましたので存じ上げません。それにしても、枚岡音頭というのは初耳。河内音頭なら知っているが・・。「復活」と言うからにはかなり昔にはあったものが忘れ去られて・・というのであるのだろうが、忘れるも何も少なくともヤカモチは枚岡音頭というのは聞いたこともない。(同上) さて、今日は高校野球決勝戦です。そろそろ試合が始まりそうです。わが大阪桐蔭を応援すべくTV観戦でも致しますかな。 では、どちら様も、「ごきげんよう、さようなら」。<追記> おめでとう大阪桐蔭高校 大阪桐蔭が高校野球夏の大会、見事優勝を果たしました。 下掲の写真は、一昨年の選抜大会での優勝の時に撮った写真の再掲載です。(深北緑地花逍遥・大阪桐蔭高校 2012.4.5.)
2014.08.25
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偐万葉・ふぁみキャンパー篇(その10) 本日は、シリーズ第218弾、偐万葉・ふぁみキャンパー篇(その10)であります。 <参考>過去の偐万葉・ふぁみキャンパー篇はコチラからどうぞ。 ふぁみり~キャンパー氏のブログはコチラからどうぞ。 偐家持が湯麻呂に贈りて詠める歌13首烏城(うじやう)行く 旅の烏(からす)の 背子なるか わが去年(こぞ)秋の 旅もぞ思(も)はゆ(旅の雀) 新潟や 富山の花の チューリップ 春は咲くなれ なにはの地にも咲くもよし 散るもよかりき 桜花 さながら咲きて さながら散れば(桜家持)はらはらと 散れる桜も ぽとり落つ 椿もよかり 花それぞれに(花家持) 粟ヶ岳 見つつも行かむ 加茂川の 奥に咲くなる 桜花見に万葉の 道とし聞かば そぞろ神 つきて保内に 恋ふるこの頃藤の花 咲ける盛りに 妹が家に 伊久里の杜と 恋ひつつぞ居り(本歌)妹が家(や)に 伊久里の森の 藤の花 今来(こ)む春も 常斯くし見む (高安王 万葉集巻17-3952)いからしの 神の桜の 今し咲き 背子行くらむか その花道を な恋ひそ 後(ゆり)もあはむと 思へこそ 越の夏野の 姫小百合花(注)万葉歌では「のちも」の意味で「ゆりも」と言う例がある。(本歌)夏の野の 繁みに咲ける 姫百合の 知らえぬ恋は 苦しきものそ (坂上郎女 万葉集巻8-1500) 岸和田の 謂れはこれと 今更に 教へられたり 越後の人に(迂闊家持) 田上の湯 ひねもす湯っ多里 湯っ多里かな はや紫陽花の 時過ぎたれば(田上湯人(たがみのゆひと))湯っ多里館 前にも言ったり したるかな ブログも時に のたりとなりぬ(田上蕪蕉(たがみのぶせう))(元句)春の海 ひねもすのたり のたりかな(蕪村) 松之山 鏡の池に 潜(かづ)く子の あはれと来(き鳴く 山ほととぎす(注)新潟県松之山には大伴家持伝説があり、それは家持と現地の女性との間に生 まれた少女が継母から苛められ鏡池に身を投げて死んでしまうというもの。 <脚注>掲載の写真はふぁみり~キャンパー氏のブログからの転載です。
2014.08.24
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(承前) まだ朝が早いので裏口の従業員通用口から外へ。葡萄畑の横の急坂を下ってサンヒル柏原の下の道路に出る。高井田駅から大和川べりに出て暫し川べりを銀輪散歩。帰りに天湯川田神社が目に入ったので、久しぶりに立ち寄ってみる。 天湯川田神社は以前当ブログで記事にしていますので、一部は重複するかと存じますが、ご容赦を。 <参考>昨日のおまけ 2008.6.9. 富田林寺内町 2008.7.9.(天湯川田神社)(同上) 天湯川田神社に着いたのは6時を少し回ったばかり。しっとりという感じの朝の境内は人影もなく静寂。勿論、蝉の声もしない。 閑さや岩にしみ入る声もなし (蝉尾芭蕉) 狭い石の階段をかなり上って拝殿前の広場に到着。お伴のトレンクル君も写真に写っています。(同上・拝殿) 拝殿の裏に回ると春日造りの本殿。横顔しか撮影できませぬ。 祭神は日本書紀垂仁天皇23年9月の条の物言はぬ皇子こと譽津別皇子(ほむつわけのみこ)(古事記では本牟智和気または品牟都和気ノ御子)の逸話に出て来る天湯河板挙(あめのゆかはたな)(古事記では山辺之大鷹(やまべのおほたか)<注>「鷹」は帝ヘンに鳥と書く字であるがブログでは使えない字なので鷹と表記)である。この逸話は上の<参考>の「昨日のおまけ」の記事に記載していますので、省略します。下の「物言はぬ皇子」の写真でも読むことが出来ます。(同上・本殿)(同上・由来説明板) この神社の地は聖武天皇の時代には、河内六寺の一つ・鳥坂寺のあった場所で、塔心礎石が発掘されている。 (注)河内六寺=智識寺、鳥坂寺、三宅寺、大里寺、山下寺、家原寺(鳥坂寺塔跡説明板)(物言はぬ皇子) 拝殿の前には「物言はぬ皇子」の逸話を記した紙片と坂本龍馬の言葉を記した紙片が押しピンで貼り付けられていました。 物事を見る時には、時には高くから、時には目線を下げて、右左の横から或は後ろからと多角的に見ることが大事。されど、いつもそうとは限らず一面的に見て、必要以上に悲観的になったり、偏った断定や評価をしたり、ということに陥り勝ちなのが我々凡人というものである。そして、一面的評価を大声で断定的に叫ばれ、世の中の空気がそちらに靡くと、ついそれに流されてしまうという弱さを持っているのも我々なのであってみれば、そのことをよく心得た上で、何事にも対処すべきということになりますかな(笑)。(忠霊塔) 拝殿の左側には戦没者の慰霊塔もありました。「忠霊」とあるから兵隊さんだけを英霊として祀っているのですかね。 境内の木々にはアブラゼミがそこかしこに。近付くと声も立てずに飛び去り別の木に移動する。なかなか接近しての撮影を許してはくれない。(アブラゼミ) 境内からの帰りは横の急坂道をトレンクルで走り下り、石段の登り口前に戻る。石段前の神社の看板には藤原兼仲の歌が記されていました。兼仲さんは存じ上げぬ人。下の参考をご参照下さい。 <参考>広橋兼仲・Wikipedia(藤原兼仲の歌)春日の日 糸けき空を 今朝見れば 河田の森は 霞幾にけり(藤原兼仲)サンヒルゆ 朝開きして 吾が来れば 河田の森は 閑(しづかなりけり (柏原兼仲) 6時半頃にサンヒル柏原の部屋に戻ると、祥麻呂さんも起きて顔を洗って居られました。暫し祥麻呂さんと部屋で寛いでいるうちに7時となり、1階レストランへ朝食に。たっぷり朝食を食べ、珈琲もゆっくりと楽しみ、と贅沢な朝。 朝食後は、安福寺見学ツアー。それも3人のボランティアガイドさんが同行というもの。安福寺も既に記事にしていますので重複する部分は省略です。 <参考>安福寺から錦織公園まで 2009.11.1. 安福寺は一の門から二の門までが結構な坂。三の門の前は石段にて車椅子では無理。ということで、小生と智麻呂氏とは二の門の傍らの伯太彦神社で暫し時間を潰し、偐山頭火氏が車に戻るのに合わせて、一の門の前に待機の同氏の車まで智麻呂氏をエスコート、乗車戴いて偐山頭火氏に後はお任せ。本堂の皆を追いかける。 本堂でのご住職のお話が終わる前に滑り込み。後半の一部を拝聴仕りました。仏像の撮影もOKとのことなので撮影させて戴きました。仏像の知識はありませんが、この寺は浄土宗知恩院派であるから、本尊は阿弥陀如来でなくてはなるまい。(安福寺・阿弥陀如来座像) 可億上人の墓と変相殿の前で左に石段を登ると尾張公・徳川光友の墓がある。(尾張公・徳川光友公墓)(同上) 安福寺から玉手山公園に入り、大坂の陣戦没者供養塔、後藤又兵衛顕彰碑などを見学の後、駐車場に戻り、ホテルのバスで再びサンヒルに帰り「合戦弁当」で昼食。 昼食後売店で友人の深〇氏と利〇氏のことを思い出し柏原の名産品ということで河内ワインを買って送って置きました。東出雲の名産品と泉州の水茄子のお礼でした。 午後2時にチェックアウト帰途に。帰途も往路と同じメンバーで智麻呂邸まで。小生は智麻呂邸で暫く涼ませていただいてから、トレンクルで自宅へ。 以上で若草読書会夏之陣完結。最後までお付き合い賜り多謝。 <参考>玉手山周辺銀輪散歩 2013.5.13.
2014.08.22
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19日~20日と若草読書会夏之陣に参加して参りました。 春のお花見、秋の一泊小旅行というのが若草読書会の定番行事でありますが、今年は大坂之陣400年ということで、暦の上では秋とは言いながらまだまだ夏の残暑が居座っているこの時期となり、ホテルも後藤又兵衛が討死した小松山(玉手山丘陵の一角)が大和川を挟んで対岸、指呼の間に見えるという「サンヒル柏原」でありました。 本は菊池寛「大坂夏之陣」。講師は偐山頭火氏。 もっとも、本は「青空文庫」で読めるということで本を購入する必要もないと偐山頭火氏が選ばれたもので、作品論は棚上げ、もっぱら大坂夏之陣の戦闘や関連人物所縁の地の紹介をするというのが、その目的であったようです。作品については、菊池寛のこれは愚作と凡鬼さんが切って捨てられたのが記憶に残ります(笑)。 作品の評価にも力作、大作、秀作、良作、佳作、駄作、愚作、珍作、贋作、偽作など色々とありますが、小生の歌なんぞは最後の三つ、駄作、贋作、偽作に戯作を加えて笑作を振りかけた辺りが似合いと言うものであるでしょう。 19日午後2時の待ち合わせで偐山頭火氏と和麻呂氏が車で智麻呂邸にやって来て、智麻呂氏ご夫妻を車に乗せて柏原へという計画。小生はどちらかと言えば、MTBで行きたい処であったが、智麻呂氏の乗車の介助をすべく、車に同乗。ということで、自転車はMTBではなく、折りたたみのトレンクルを使って智麻呂邸に馳せ参じ候、でありました。 少し早目に智麻呂邸に行き、先にブログアップした第146回智麻呂絵画展を編集・加工したものを印刷に打ち出し、それを3部お持ちして、智麻呂美術全集にファイルしたり、智麻呂絵画展の作品についてなどをご夫妻と談笑しているうちに、偐山頭火氏、和麻呂氏、和麻呂氏の車に同乗の槇麻呂氏の3氏が到着、それぞれ車に分乗して出発。小生は偐山頭火氏の車に。同氏はMTBを後部に積んで居られました。チャンスがあれば走ろうという自転車族の習性という奴。いや、病気ですかな(笑)。(サンヒル柏原) サンヒル柏原に到着。 (サンヒル柏原1階ロビーのディスプレーも大坂の陣でした。)(同上) 又兵衛と伊達正宗の間にあるこの人形は何ですかね。 ロビーに入ると、自転車でやって来られた小万知さんや東京組の祥麻呂氏、リチ女氏、吾妻邦麻呂氏とその夫人吾妻郎女さんが既に来て居られました。また、凡鬼・景郎女ご夫妻も来られ、全12名が揃いました。 それぞれの部屋にチェックイン。小生は祥麻呂氏と同部屋。先ず智麻呂さんの入浴シャワーのお手伝いの後、お風呂へ。 各自入浴を済ませた後、午後5時から信貴の間で読書会。偐山頭火氏のお話を拝聴する。ご自身が銀輪散歩や旅行で訪問された後藤又兵衛、薄田兼相、真田幸村、木村重成など大坂の陣で散った武将たち所縁の地や史跡をパワーポイントを使って、映像と共に解説して下さいました。下の写真は、その最後の部分、先の和麻呂氏の玉手山での演奏のビデオを皆で見ているところです。この演奏のことは当ブログでも紹介して居ります。 <参考>大坂夏の陣・小松山合戦まつり 2014.5.3. 昨年は彦根旅行で、テーマは万葉絡みでありましたが、関ヶ原の戦で功を挙げて彦根に封ぜられた井伊家所縁のあれこれを訪ねましたから、今回の夏之陣はその続編みたいな気もしますかな。(読書会風景) お勉強の後は向かいの部屋に移って宴会。宴たけなわの頃、当ホテルの支配人氏が河内音頭、小松山合戦のさわりの部分を歌って下さり、大いに盛り上がりました。プロ級の見事な歌いっぷりでありました。 当ホテルでは「大坂の陣プラン」という宿泊プランがご用意されているようでありますので、どうぞ皆さまもご利用下さいませ。 <参考>サンヒル柏原(柏原市健康保養センター)(宴会場)(サンヒル柏原の前庭から眺める夜景) 宴会終了後部屋に戻る前に庭に出て見るとご覧のような夜景でした。 正面に見える三つの小山は、右から允恭天皇陵、仲津姫陵、応神天皇陵です。仲津姫(仲姫とも表記)は応神天皇の皇后で仁徳天皇の母。(部屋からの夜景) 宴会の後、智麻呂ご夫妻の部屋に集合して二次会。10時を過ぎてからは、隣の和麻呂・槇麻呂氏の部屋に移って、三次会。途中で女性陣が引上げ、続いて凡鬼さんが引上げ、槇麻呂氏は既にその部屋で爆睡。偐山頭火、和麻呂、祥麻呂、吾妻邦麻呂、偐家持の5名が最後まで残り、12時前後に解散。 (注)三次会の部屋には高橋虫麻呂の長歌の額が飾られていました。 その写真を偐山頭火氏が送って下さいました<下記コメント欄の脚注参照> 祥麻呂氏は部屋に戻り床に就くと直ぐに寝息。小生は寝付かれずベランダでさ夜更けるまで、虫の声を聴きつつ、遠き街の灯を眺めながら煙草をプカリプカリ。(サンヒル柏原からの早朝の景色) 夜が明けました。むらさき立ちたる雲のほそくたなびきたる・・は枕草子の春の景色であるが、サンヒルの初秋の朝の空にもたなびきたるはいとをかし、でありますかな。 上の写真の右に見えるのが玉手山。下の写真では富田林のPLの塔が見えています。(同上)(同上)(同上・大和川) 西に目を転ずると、遠くアベノハルカスも見えています。眼下を大和川は悠々と流れて行く。 さて、折角に持参したトレンクルであるので、早朝の自転車散歩をすることにしました。と言ってもこの付近は日常的に銀輪散歩をしている地域なので、目新しいものは何といってもない。高井田横穴公園、高井田駅前の高橋虫麻呂歌碑、天湯川田神社、河内大橋の高橋虫麻呂歌碑、石神社など当ブログでは全て紹介済みである。川向うの允恭天皇陵、仲津姫陵、応神天皇陵も同様である。ということで、まさに散歩、何処とも決めずともかくも周辺をぐるぐる走り回ることとする。流石に日の出前の朝風はヒンヤリして心地よい。で、めぼしい立ち寄り先は天湯川田神社のみとなりましたが、それはページをあらためてご紹介することとし、本日はここまでとします。
2014.08.21
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本日はSS会。年に2回あるこの会。今年は新年開催のを欠席したので、何方とも1年ぶりの再会でありました。会場は大阪駅ビルの16階の中国料理ロドス。午後6時から。少し早目に家を出て、環状線・森ノ宮駅で途中下車し、鵲森宮(通称、森之宮神社)に立ち寄ることにしました。この神社の境内に大伴家持の歌碑があるということを最近知ったので、それを撮影するためである。 囲碁の例会に出る時には中央大通りを走ることが多く、この神社の近くをしょっちゅう走っているのだが、これまで一度も立ち寄らずに居ました。境内は極めて狭く、何と言うこともないのだが、聖徳太子創建と伝えられる由緒ある古社であり、祭神が聖徳太子の両親である用明天皇と穴穂部間人皇后というのも珍しい神社である。 詳しいことは、下記参考の鵲森宮公式ホームページをご覧下さい。 <参考>鵲森宮公式ホームページ (鵲森宮(かささぎもりのみや)・拝殿) この神社の境内には明治の中頃まで松の古木があって、その松は蓮如の松と呼ばれていたそうな。蓮如がこの地域に石山本願寺を築こうとした際に、この神社の境内にあった松の木の下に坐して、宗門の繁栄を祈ったと言い伝えられていたとのこと。 そう言えば、玉造口から大阪城本丸へと行く途中(梅林の南側)に蓮如上人顕彰碑と蓮如上人袈裟掛けの松というのもありましたですな。 さて、目的の大伴家持の歌碑はこれ。)(大伴家持歌碑)かささぎの わたせる橋に おく霜の しろきをみれば 夜ぞふけにける (大伴家持 小倉百人一首6) この歌は万葉集には掲載されていない。万葉調でもないから、家持が作ったものかどうかは怪しい。「家持集」268では「夜ぞふけにけり」とあり、新古今集620では「夜ぞふけにける」である。 さて、かささぎの森を辞し、大阪駅へと向かう。 (中国料理「ロドス」) 会場の「ロドス」に着くと世話役をして下さっている福〇氏が来て居られて、小生が一番乗り。続いて川〇氏が来られる。部屋に入って川〇氏と談笑しているうちに、松〇氏、古〇氏、中〇氏、石〇氏、辻〇氏、矢〇氏、福◎氏、山〇氏、早〇氏と来られて、本日の出席予定者12名全員が揃い、乾杯と相成りました。後は飲んだり、食ったり、談笑したりの、いつもの如き宴会。8時までのくつろいだ楽しい時間を過ごさせて戴きました。 矢〇氏は前回からの参加で、小生は前回欠席であったので、10年振り位の懐かしい再会でありました。皆さんそれぞれにお元気なのは何よりです(笑)。
2014.08.18
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偐万葉・童子森の母篇(その8) 本日も偐万葉です。ブログを長期に休止されているもう一人のブロ友の童子森の母さんの偐万葉もアップし、ひとまず閉鎖することと致します。 <参考> 過去の童子森の母篇はコチラからどうぞ。 童子森の母氏のブログはコチラからどうぞ。 偐家持が森華郎女に贈りて詠める歌16首ほかはつ恋の 実なる林檎の 赤々と 津軽の夕映え ひと恋ひしかり津軽猫 林檎初恋 我が事に 非ずとい寝て 餌待つらむか(偐猫持)(注)「林檎初恋我が事に非ず」は、藤原定家「明月記」の「紅旗征戎吾事に非 ず」のパロディである。 北国も 春になるらし 花咲きて 津軽むすめの 今し目覚むるやはらかき 風吹き来れば 津軽野の 桜カフェも 店始むらしあけぼのの 空うち染めて 咲く花の 津軽の富士も 人な忘れそ(本歌)見わたせば 雲居はるかに 雪白し 富士の高嶺の あけぼのの空(源実朝)いかにかと 吾家(わぎへの家紋 人とはば 朝日に匂ふ 桜花これ(本寄偐也(もとよりにせなり))(本歌)敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花(本居宣長)雨まじり 風は吹きつつ しかすがに 吾家(わぎへは春の 盛りなるらし猫たちも 花は摘まねど 爪つみつ 今ぞ津軽は 春と言ふらし(偐猫持) うらうらに 猫も昼寝の 花の庭 津軽は春の 盛りなりけり吾が言ひて 遣はせし春 やうやうに 着きて津軽に 花咲かすらし(浪花の春団治) 木瓜(ぼけ)の花 まづ咲くなれば あと追ひて わすれな草も 咲くものならし 森華郎女が作れる句に偐家持が付けたる脇句 無残でも 香りかはらぬ 桐の花(森華郎女) 雨に濡れつつ 赤川に咲く (偐家持)たとひ身は 津軽をとめに ありとても 渡島に散れる をのこ恋(こほ)しも(津軽郎女)(本歌)たとひ身は えぞの島根に 朽ちるとも 魂(たまは東(あづまの 君やまもらん(土方歳三)<参考>土方歳三辞世の歌、異説は以下の通り。 よしや身は 蝦夷が島辺に 朽ちぬとも 魂は東の 君やまもらむ 鉾(ほことりて 月見るごとに おもふ哉 あすはかばねの 上に照るかと我妹子(わぎもこの 庭にも咲きぬ 金花(くがねばな 千代の栄を 告(の)らむとならし(本歌)天皇(すめろぎの 御代(みよ栄えむと 東(あづまなる みちのく山に金(くがね花咲く (大伴家持 万葉集巻18-4097) 鬱々の われ励ますと 母の花 白きテッセン おほにし咲ける 白き蝶の 花とや咲きて 空高く きみ舞ふらむか 六月(みなづきの空ぬばたまの 夢にし見ゆる 面影は 白きガウラの 花とや咲きぬ <注>掲載写真は童子森の母氏のブログからの転載です。<追記>何たる偶然。17日に同氏はブログ再開されました。コチラ。 閉鎖BOXから早速、元に復します(笑)。
2014.08.16
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偐万葉・カコちゃん08篇(その7) 偐万葉にアップのブロ友さんでブログを更新されなくなって久しい方がお二人いらっしゃいます。歌の数も結構溜ったまま下書きに放置されていますので、お盆休みを利用してこれをアップしてしまうこととします。 カコちゃん篇はひとまずこれを以って閉鎖とします。 <参考>過去の偐万葉・カコちゃん08篇はコチラからどうぞ。 カコちゃん08さんのブログはコチラからどうぞ。 偐家持がカコの郎女に贈りて詠める歌12首青き靄の 静寂(しじま)に明けぬ あらたまの 深山(みやまが池の われの初春(偐カコ女) (元旦)春来(こむと まづ描く花は チューリップ 我妹の春の 花にあるらし (チューリップ)わたつみの いろこの宮の 奥ふかく 今日か咲くらむ クリスマスローズ(三田(サンタの)黒人(クロヒト))(注)クリスマスローズ=キンポウゲ科の植物で別名ヘレボルス・ニゲル。ニゲル は「niger」で「黒」の意であるから、サンタクロース も「三田」の「黒人」で平仄が合っているという次第。 (クリスマス・ローズ)ブリテンの 島ゆ流れて ヘレボルス 西風吹かば 恋ひてぞ咲かむ(貴種流離)黄の花は 父の背中を 追ひし日の 野にも咲く見き 大地の色に (黄色の花)をとめらは ワルツ踊るや 美しく 青きあぢさゐ 八重にし咲きぬ(偐ヨハン・シュトラウス2世)百重千重(ももへちへ ドナウの岸辺 寄す波の 花と咲きぬる 青きあぢさゐ(同上) (紫陽花)風吹かば 風にし向かへ コスモスの ここだも咲かな 秋の花われ(秋桜女)風吹かば 風にし向かへ ガーベラの 花はここだも 我にぞ咲かむ(弁明家持)風吹かば 風にし向かひ われもまた ここだ咲かなむ ガーベラの花(ガーベラの娘子) (ガーベラ)疾(とくや疾(とく 春風蝶(てふも 舞ひ来よと 妹待つらむか すみれ花咲く遠山の 雪も光の 春ならむ すみれの花の 妹が家(やに咲く (すみれ)(注)掲載の写真と絵はカコちゃん08氏のブログからの転載です。
2014.08.15
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偐万葉・ふらの篇(その3) 最近は銀輪散歩のネタも不足気味。本日も偐万葉とします。 シリーズ第215弾、偐万葉・ふらの篇(その3)です。 <参考>過去の偐万葉・ふらの篇はコチラ。 furano-craft氏のブログはコチラ。 同氏開設の木力工房・富良野麓郷庵(富麓庵)のHPはコチラ。 偐家持がふら麻呂に贈りて詠める歌13首春さり来(く) 雪とけ始(そ)めど 笹の葉の 寒きに過ぎて 枯れぬぞくやし(隈笹持)雪の上(へ)の 笹は枯れぬも 埋(うづ)もれて ときにそなへよ 春は近しも (偐春待) この春は ただひたすらに どろやなぎ のぼりのぼりて ゆかなといへる われ立てば い行きはばかれ 白雲も 富良野の森の タモの木われは(タモ麻呂)高々に 枝さしのべて 大空へ 伸びてぞ行かな タモの木われも(森部タモ人) 麓郷の 森にいだかれ ふろく庵 鹿も狐も 栗鼠も友なり(麓麻呂)わが鹿と きみをば待たむ 春されば 尋(と)ひ来(こ)よ森の わが富麓庵へ(麓麻呂) 黒々と 土の道こそ うれしかり 春の迎へと なせし道これ(偐富良持)森深く のこるはだれは ありつつも 富良野やうやう 春となるらし(偐富良持)(注)はだれ=まばらに降る雪、まだらに残る雪のこと。 富麓庵の 道も春べと なりぬれば ひと尋(と)ひ来(こ)よや わが待つ森へ(偐富良持)背子が家(や)に 並ぶ木菟(つく)かも みそさざい いづへの家(や)にか 並びてあらむ(富良野宿祢)(注)木菟=みみずくのこと。 われこそは 猿田彦なり 森の道 案内せむとや まかりこしたり(偐猿丸)おっさんと 時に呼ばるる ことあれど 森の壮士ぞ おほろかにすな(偐森丸)(注)壮士=をとこ おほろかにすな=おろそかにするな。粗末にするな。 <脚注>掲載の写真はfurano-craft氏のブログからの転載です。
2014.08.14
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第146回智麻呂絵画展 本日は智麻呂絵画展であります。どちら様もごゆるりとご入場、ご覧下さいませ。 <参考>他の智麻呂絵画展は下記から。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~ お盆だから、こんな絵も画いてみました、とのことで、先ずは仏画と蓮の花の絵であります。(仏像画) 恒郎女さんのご友人が仏画の模写を習って居られて、その模写した絵の写真を送って来られました。その絵は智麻呂氏の絵心に触れるものがあったようで、その絵をデッサンされました。模写の模写ですから、モシャモシャですな。南無阿弥陀仏。南無模写陀仏。仏様を描いたら、蓮華も描かずばなるまい。ということで、次は蓮の花の絵。(蓮の花) 実は、この蓮の花のモデルは小生がお持ちした写真でありました。ブロ友の「ふろう閑人」さんが同氏のブログの7月29日の記事に掲載されていた智積院の蓮の花の写真です。智積院と智麻呂、語呂が合うと言う訳でお持ちしたのではなく、その美しい花姿は智麻呂氏の絵心を動かすものがあるのではないかと思ってのものでありました。 すると、予想通り、このような絵になっていたという次第。下にその写真を貼り付けて置きます。 (参考)ふろう閑人氏の当該ブログ記事はコチラからどうぞ。(モンステラ) これは観葉植物のモンステラ。先月7月は智麻呂氏の誕生日でありましたが、そのお祝いも兼ねて、そして最近に買ったばかりの乗用車を自慢すべく(この部分は恒郎女さんのお言葉を借用して居りまして、ヤカモチ館長の言葉ではありませんので誤解なされませぬように)、智麻呂邸を訪れた末のお嬢様・三の姫様がお持ちになった鉢植えだそうです。 当日は、その車に乗せて貰ってアベノハルカスに出掛け、食事をご一緒されたということで、喜んで居られました。 小生は失礼にも「里芋ですか」と言いかけたのですが、モンステラも若い時はあの独特の葉の切れ込みや穴がなくて、里芋みたいな葉っぱなんですな(笑)。モンステラ いまだ幼し 切れ込みの 葉にもなくあり 里芋のごと (偐家持)(花と蝶) 森進一の歌の題名と同じタイトルになってしまいましたが、見ての通り、花と蝶であります。これは、図鑑か何かから絵にされました。 そして、次は蝉です。クマゼミとアブラゼミ。朝に鳴くクマゼミと午後から夕方にかけて鳴くアブラゼミです。 閑さや 岩にしみ入 蝉の声 (芭蕉 「おくのほそ道」)の蝉はニイニイゼミでしょう。アブラゼミ説もあるが戴けない。万葉に登場する蝉は全てヒグラシ。クマもアブラも風流とは無縁の蝉である。 蝉の声がうるさいので絵に描いてみた、とのこと。動機も風流に欠けるのはこの二つの蝉とあっては致し方ないですな。(蝉)蝉しぐれ ききつつ背子が かく蝉は 朝はクマゼミ 夕べはアブラ (藤沢蝉平)(茗荷) この茗荷は偐山頭火氏が自宅の庭に生ったので、と手土産代りにお持ちになったもの。食べ過ぎて忘れてしまってはいけないと、食べる前に絵にされたのは賢明でありました。 茗荷でも食ふか 風が吹く (誰田山頭火)山頭火風に1句、吟じ候、ニセ家持も、であります(笑)。(酸漿A) このホオズキは、デイサービスの施設「アンデスのトマト」のお友達、坂〇さんが、智麻呂さんの画材にとお持ち下さったもの。上のAは施設で描かれたもの。下のBは自宅へ持ち帰って花瓶に活けて、ゆっくりと描かれたもの。 本日、ヤカモチ館長が智麻呂邸を訪ねた折にも、アトリエには、このホオズキが花瓶に活けられてありました。(酸漿B)(リンドウ) このリンドウもアンデスのトマトで描かれたもの。(ムラサキツユクサ) 上のムラサキツユクサと下のズッキーニは当ブログ「偐万葉田舎家持歌集」の記事に掲載の写真を絵にされたものです。 その元の写真が掲載されている記事を下に貼り付けて置きます。 (参考)ムラサキツユクサはコチラ。 ズッキーニはコチラ。(ズッキーニ) 本日は以上です。最後までご覧下さり、有難うございました。またのご来場お待ち申し上げて居ります。
2014.08.11
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偐万葉・閑人篇(その3) 台風接近にて雨。雨の日は偐万葉。本日は偐万葉・閑人篇(その3)です。 <参考>過去の偐万葉・閑人篇はコチラから。 ふろう閑人氏のブログはコチラから。 偐家持が閑麻呂に贈りて詠める歌15首ほか (替歌)「春草を召せ」 ユキノシタに タラの芽ヨモギ イタドリ摘みつつ わが背子帰る 夕餉のおかずは 妻の手作り 天麩羅はこれぞ 春野の草 (元歌)「青葉の笛」 一ノ谷の 戦敗れ 討たれし平家の 公達あはれ 暁寒き 須磨の嵐に 聞こえしはこれか 青葉の笛からたちの 強き香のする 蝶の子と 棘の痛さよ 遠き日もがな翔ぶがごと 君はも行くや 日向なる 可愛岳(えのだけ)万年山(はねやま) ともしきろかも見が欲しと わが恋ひ来れば 万年山(はねやま)は みやまきりしま 果てなく咲ける(偐閑麻呂) 背子もまた 心斎橋に 吾は梅田 同じき雨に 降られけるかも塔見つつ み寺の道を わが来れば 今し咲き始(そ)む リンデの花は (菩提家持)(注)リンデの花=リンデンバウム(Lindenbaum)の花岩根ふみ 枝折(しをり)の道ゆ わが来(こ)しに 越後駒はも 雲にし隠(かく)る雲にしも 心あるらし 今ぞ見ゆ 見つつ帰らな 越後駒が嶺(ね)越後駒 咲くは姫射干 衣笠草 白山小桜 日光きすげ花越しに 雲立ち昇る 越後駒 幸(さ)きくぞあり待て また来)む日まで あしも引く 八つ峰(を)の道の 険(けは)しみと かなし迂回の 道も険しき (険家持)(本歌)あしひきの 八峯(やつを)の雉(きぎし) なき響(とよ)む 朝明(あさけ)の霞 見ればかなしも (大伴家持 巻19-4149)燻製で 縮むは知れど 若竹の かくもとわれは 気付かざりけり (閑縮人)素麺を 流す若竹 すべからく 泥縄式に 割りて備へよ(竹不精)たちばなの 花にも実にも 似つれども いやからたちは 棘ぞうとまし(橘諸弟)(本歌)橘は 花にも実にも 見つれども いや時じくに なほし見が欲し (大伴家持 万葉集巻18-4112) 花まちの うらに隠(こも)りて 廟あると 知りては末に あはむとぞ思ふ (花街院)(本歌)瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ (崇徳院 詞花和歌集229 小倉百人一首77)われはもや 流しとげたり 孫たちの 嬉し笑顔の 素麺流し(閑素麺) (注)写真はふろう閑人氏のブログからの転載です。
2014.08.09
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偐万葉・ひろみ篇(その1) 本日はシリーズ第213弾、偐万葉・ひろみ篇であります。ひろみちゃん8021さんは偐万葉初登場ですが、今年6月からブログ交流が始まり、やがて中学の同級生であったということが判明するという愉快な偶然となったブロ友であります。と言っても小生は何故か1296歳の超高齢になってしまいましたので、彼女とはいつの間にやら随分の年齢差になって、その差も今ではもうよくは分からぬという妙なことになって居ります(笑)。 <参考>ひろみちゃん8021氏のブログはコチラからどうぞ。 偐家持がひろみの郎女に贈りて詠める歌14首 並びにひろみの郎女が作れる歌1首薄桃に 咲くもあるなり ノウゼンの 雨に濡れたる 見らくしよしもほととぎす いかにかあらむ 佐保山に 卯の花くたし 間なくし降れば(注)卯の花くたし=5~6月上旬、梅雨に先駆けて降る長雨のこと。走り梅雨に近 いか。「くたし」は「腐し」と書く。(本歌)卯の花も いまだ咲かねば ほととぎす 佐保の山辺に 来鳴きとよもす (大伴家持 万葉集巻8-1477)今咲ける 定家葛の 花よけど 無きて惜しきは 家持葛(注)定家葛=万葉では「石綱(いはつな)」「都多」と詠われている。右足は 左程()上がらず 己()が家(や)の 敷居高みか 鈍(おそ)のつき指梅ならず 咲くやこの花 何の花 ハイビスカスに その他もろもろ (咲くやこの花館一日館長) (咲くやこの花館のハイビスカス)難波津に なるやこの実の テンコ盛り 汝(なれ)も食ふべと なるやこの実は (生るやこの実館長) (同上・ライチ)記事中に あるや我が歌 驚きの 今日の記事はも あるや我が歌(本歌)難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花 (古今集仮名序)億年を かけてこの身は かくなれり 伊達や酔狂 吾が事に非じ(原案)「紅旗西戎吾事に非ず」(藤原定家 明月記) (同上・サボテン)戯れ歌も 楽しからずや 咲く花に なれるその実や いやその葉さへ(戯家持)高々に 待つらむ秋は 大空ゆ 尾花が末(うれ)に 風とやなり来(くひつじぐさ はすにあらねど うちひさつ みやこのみてら いろどりさきぬ(偐八一)ひつじぐさ はすときほひて さくてらの いけへめぐれば べんてんましぬ(偐八一) (喜光寺の睡蓮) (同・睡蓮と弁天堂) ひろみの郎女が贈り来れる歌1首かしましい 蝉も鳴く朝 猫の声 むさぼる朝寝 水差す腹立ち 偐家持が追和せる歌1首朝床に 聞けばうるさき クマゼミと 朝鳴きすなる 庭の野良猫(猫丸)(本歌)朝床に 聞けば遥(はる)けし 射水川 朝こぎしつつ 唱ふ船人 (大伴家持 万葉集巻19-4150)ちはやぶる ふるべふるべの ふるみたま 妹が道草 みそなはすらむ(石切の布留人) (石切神社)(注)掲載の写真はひろみちゃん8021氏のブログからの転載です。)
2014.08.08
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(承前)残暑お見舞い申し上げます。 本日(7日)は立秋。今日から秋ということで、残暑となりますが、庭のクマゼミはかしましく鳴いて、今日も暑くなりそうです。どちらさまもご自愛専一、ご健勝にお過ごし下さいませ。 さて、昨日(6日)の囲碁例会の帰途、大阪天満宮の境内に立ち寄ったことは、昨日の記事末尾の記載でご承知の通りですが、その折にこんなものを見つけました。 本殿西側にある休憩所の裏に「菅家廊下」と表示された入口がある。入ってみると、菅原道真公縁起絵巻とでも称すべきものがありました。以下、付された説明板の文章(青字)を転記貼付して、これをご紹介することと致します。何やら「紙芝居」の雰囲気です(笑)。(菅公縁起1・幼少の菅公<1>)〔菅公は幼少から学問に励まれ、5歳の時に「梅の花」という和歌を詠まれ、11歳の時には「月の夜に梅の花を見る」という漢詩を作られるなど小さな時から非常に文才を発揮されました。〕(注)「梅の花」の和歌 梅の花 紅の色にも 似たるかな 阿古がほほにも つけたくぞある 「月の夜に梅の花を見る」の漢詩 月耀如晴雪 (月の耀きは晴れたる雪の如く) 梅花似照星 (梅の花は照れる星に似たり) 可憐金鏡転 (憐れむべし金鏡転り) 庭上玉房馨 (庭上に玉房の馨れるを)(菅公縁起2・幼少の菅公<2>)〔菅公の学問の上達と健やかな成長を祈って母堂は観音様に日参されました。又、元服の時には「久方の月の桂も祈るばかり家の風をも吹かせてしがな」という和歌をお詠みになって前途を祝福されました。〕(菅公縁起3・弓術の場)〔菅公は学問と同時に武術にもすぐれ、弓道の会では百発百中の腕を示されました。〕(菅公縁起4・渤海の朝貢使)〔39歳の時、渤海国の使者を接待された菅公の詩才には一同驚いたということです。〕(菅公縁起5・讃岐守の仁政<1>)〔(欠落)〕(注)この部分の説明板は欠落していました。讃岐守時代に詠んだという「寒早十 首」を記載して置きます。 何人寒気早 何人にか、寒気早き 寒早老鰥人 寒は早し、老いたる鰥(やもめ)の人 転枕双開眼 枕を転がし、双(なら)び開く眼 低簷独臥身 簷(のき)を低(た)れて、独り臥す身 病萌逾結悶 病萌(きざ)しては、逾(いよいよ)悶えを結び 飢迫誰愁貧 飢迫りては、誰に貧を愁ふる 擁抱偏孤子 擁抱(ようほう)す、偏へに孤(みなしご)なる子 通宵落涙頻 通宵(つうしょう)、落涙頻りなり(菅公縁起6・讃岐守の仁政<2>)〔また、旱魃(ひでり)に悩む農民を救うため、山に登り、雨乞いの熱祷を捧げられました。〕(菅公縁起7・手向山八幡宮参拝)〔宇多天皇の御伴で、手向山八幡宮参拝の時「この度は幣も取り敢へず手向山、紅葉の錦神のまにまに」と詠まれました。百人一首に出ている有名な和歌です。〕(菅公縁起8・恩賜の御衣)〔昌泰3年9月、清涼殿に於いて、諸卿と一緒に「秋思」という題を賜って詩を作られましたが、それが大へん立派な出来ばえでしたので、醍醐天皇のおほめにあづかり、天皇お召しの御衣を頂戴されました。〕(菅公縁起9・紅梅殿)〔藤原氏の妬みで太宰府に流されることになり、庭前の梅に「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」と歌を詠み、九州にお立ちになりました。〕(菅公縁起10・道明寺の別れ)〔大阪の道明寺では伯母君の覚寿尼と尽きぬ名残の一夜を語り明かし、一番鶏の声にあわただしく出発されました。〕<参考>銀輪散歩・白鳥神社、誉田八幡、道明寺天満宮 2013.10.19. 宝塚・伊丹銀輪散歩(その3) 2014.2.6.(菅公縁起11・大将軍社参拝)〔途中難波碕に立ち寄られ、大将軍の森にお祀りしてある大将軍社(当天満宮摂社)に参拝されました。〕(菅公縁起12・配所の月)〔配所ではひたすら謹慎の日を送られ、毎年、宮中で行われた詩会を偲び「恩賜の御衣」と題し、有名な詩を詠じられました。〕(注)去年今夜侍清涼 (去年の今夜、清涼に侍す) 秋思詩篇獨断腸 (愁思の詩篇、獨り断腸) 恩賜御衣今在此 (恩賜の御衣は今此に在り) 捧持毎日拝餘香 (捧持して毎日餘香を拝す)(菅公縁起13・安楽寺)〔配所生活三年、遂に59歳でなくなられました。その御遺骸は安楽寺の境内に葬られ、お社が建てられました。即ち太宰府天満宮です。〕(菅公縁起14・都府楼全景)〔1000年前、天智天皇の御代に作られた太宰府政庁の全景です。菅公はこの政庁の権帥(ごんのそつ)という名目でしたが、政府には勿論預ることなく只瓦の色のみを配所から御覧になっていました。〕 <参考>菅原道真・Wikipedia
2014.08.07
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本日は囲碁例会。少し早目にMTBで家を出て、武庫川まで銀輪散歩して来ました。目的は、契沖の歌碑を訪ねるというもの。先般、尼崎市の琴浦神社まで銀輪散歩したことはブログでご紹介しましたが、もう少し先まで行けば、契沖の歌碑があるということを帰宅後に知ったので、今日はそれを訪ねてみようというもの。 <参考>囲碁例会・尼崎市の琴浦神社へ 2014.6.11. コースは琴浦神社へのそれと同じ、国道2号線をひたすら西へ、というものなので、重なる部分は省略です。尼崎市に入り、庄下川に架かる玉江橋を渡った処で左折、阪神・尼崎駅にご挨拶してから、再び国道2号に戻ることとする。(阪神電車尼崎駅) 阪神尼崎駅から西に1km余で蓬川。よもぎ川かと思ったら、よも川と読むらしい。Yomogawaと表示されていたように記憶します。川の両岸が緑地になっている。川に沿って左折、南へ。下の写真は帰途に撮影したもので、国道2号は上流(写真奥)にある。往路は橋を渡って、左側の公園を下って来ました。その左側の公園で見つけたものは。(蓬川) はい、これ。阪神電車の車両でした。(蓬川公園の阪神電車車両71型74号) 尼崎競艇場の西側にある水明公園にも同じ車両が展示保存されているそうなので、ついでにそちらにも回ってみることに。 琴浦通りに出て、右折、西へ。琴浦通りは先回の琴浦神社へ行った時に走っている道なので、勝手知ったる、という気分。ひとまず琴浦神社に立ち寄り小休止。琴浦神社は琴浦通り(東西の道)と道意線(南北の道)とが交差する辻の西北角にある。 目指す契沖の歌碑は琴浦通りをそのまま西へ行った処にあるのだが、道草して道意線を南下し尼崎競艇場にご挨拶。(尼崎競艇場) 競艇場の北側の道を西に進むと水明公園がありました。確かに同じ型の阪神電車旧車両が展示保存されていました。(水明公園の阪神電車車両71型71号) 水明公園で暫し休憩してから、再び琴浦通りに出て左折、西へ。 尼宝線と琴浦通りが交差する角に「口ノ開公園」という小さな公園があり、その一角に契沖歌碑はありました。(契沖歌碑)武庫の浦の わだのみさきに よる浪の ここにもかくる 天の橋立(契沖歌碑説明板) 契沖さんと言えば、万葉代匠記であるが、ヤカモチは不勉強でこの書物読んでいません。著作も読まずに墓参りでもないですが、契沖の墓なるものは、以前訪ねて居りますので、その記事を下に貼り付けて置きます。 <参考>囲碁例会・契沖墓 2013.9.11. 青雲会囲碁・奈良街道と契沖墓所 2013.9.14.(武庫川橋) 契沖歌碑を後にし、琴浦通りを更に西へ。200m余で武庫川に出る。尼崎市は此処まで。武庫川を渡ると西宮市である。 この武庫川橋の辺りに渡し(西新田の渡し)があったらしい。秀吉の中国大返しの折、この付近まで秀吉一行がやって来た時、一人の農夫が対岸の雉が慌ただしく飛び立つのを見て、明智軍が待ち伏せしていると秀吉に知らせ、秀吉はその忠告に従い、道を変えて難を逃れた、という言い伝えが残っているらしい。 まあ、この種の言い伝えは古来からありますので真偽の程は、であります。(この付近に「西新田の渡し」があったらしい。)(武庫川橋から阪神電車武庫川駅を望む。) 阪神電車の武庫川駅は川の上にあるという珍しい駅です。(崇徳院町名標識) 先回、この「崇徳院」を見て、神社か何か、崇徳院所縁の何かが近くにあるのだろうか、と思ったものですが、これは町名標識の石で、この辺りの町名が崇徳院と言うのでありました。何故そのような地名になったかは、上記参考の6月11日の記事をご覧下さい。(琴浦通り・旧中国街道<崇徳院3丁目付近>) さて、囲碁例会ですが、今日の出席者は、竹〇、平〇、福〇、村〇の各氏と小生の5名。小生は、少し遅れての会場到着であったので、村〇氏と竹〇氏と対局しただけ。村〇氏に負け、竹〇氏に勝ち1勝1敗。炎天下を走っての直後の碁はやはり、ちょっと雑になります。 帰途は大阪天満宮に久しぶりに立ち寄りました。境内の芭蕉句碑を掲載して置きます。(芭蕉句碑・大阪天満宮境内)行年や 薬に見たき 梅の花 (芭蕉)
2014.08.06
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偐万葉・ビッグジョン篇(その24) 本日は偐万葉・ビッグジョン篇(その24)です。 <参考>過去のビッグジョン篇はコチラ ビッグジョン氏ブログはコチラ 偐家持が歩麻呂に贈りて詠める歌14首並びに歩麻呂が返せる歌1首道の辺に濡れて真白きドクダミの 花にもうれひかなしみあらむ百千(ももち)咲き雨に濡れたるあぢさゐは 背子が夢(いめ)にも昨夜は咲くや雨降れば似合へる花やあぢさゐは 額田の園こそ咲きまさりけれ 三輪素麺流す長さもなきなれば 我が庭なにを流さうべしや(庭素麺) 柿の木の隼人瓜なら秋待つも よしと兼相(かねすけ)嫌味重太郎(大坂秋の陣)(注)兼相=薄田隼人正兼相。大坂夏の陣で討死した豊臣方武将、岩見重太郎と 同一人物とも言われる。 (柿の木に絡む隼人瓜)そぞろ神のつきたるならし近江なる 己高山(こたかみやま)にまたも行くわれ(偐歩人)さみだれのときにあらねば居張瀧 苔にし偲ぶ水の音かな(偐修験者)(本歌)五月だるる中にも清きいばり瀧 心の垢も落つる水垢離 山伏の影も絶えたる枯れ滝の 辛(から)き坂道汗こそたぎつ(朕ギス汗)木之本の古きみ寺のあとふみて 来(こ)しやこたかのみ山さやけし(偐歩人)秋されば行きて見が欲し木の本の 鶏の足なるもみぢのみ寺 歩麻呂が返せる歌1首嵐吹く己高山(こたかみやま)のもみじ葉は 鶏の足なるみ寺なりけり (ウオーキング法師) かなし児らが行きにし日より片男波 和歌の浦はもさぶしくありぬ (紀憶良)(注)かなし児ら=昭和15年3月和歌浦沖で遭難した旧制和歌山中学漕艇部の生徒 8名のこと。 (八魂歌碑)(本歌)荒雄らが行きにし日より志賀の海人(あま)の 大浦(おほうら)田沼(たぬ)はさぶしくもあるか(山上憶良 万葉集巻16-3863)波高く風もや吹くにさかしらに 行きにし児ろや沖に袖振る(紀憶良)(本歌)官(つかさ)こそさしてもやらめさかしらに行きし荒雄ら波に袖振る(同3864)沖つ鳥和中とふ船帰り来ば 浪早(なんぱ)の崎守早く告げこそ(紀憶良)(注)和中=旧制和歌山中学 浪早の崎=雑賀崎の南側、和歌浦・片男波海岸から紀ノ川河口へと北上する 際に最初に通過する岬、浪早崎のこと。和中ボート部8名は片男波海岸か ら紀ノ川に向かう途中で遭難した。(本歌)沖つ鳥 鴨とふ船の帰り来(こ)ば 也良(やら)の崎守(さきもり)早く告げこそ(同3866)(注)掲載写真はビッグジョン氏のブログからの転載です。
2014.08.04
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今日は墓参。雲が厚く垂れ込め、湿った風が吹いて、という余り快適とは言いかねる朝。月例の墓参りでありました。先月の墓参で見かけたルリタマアザミの花がどんな具合かと、それが植えられていたお宅のお庭を覗いて見ましたが、何と全て切り取られて花は跡形もなしでした。きっと摘み取られて花瓶に・・ということなんでしょう。残念。 <参考>墓参・花散歩 2014.7.6. で、本日の花は、ヤブガラシにも負けず、洋種ヤマゴボウなどと並んで沢山の花を咲かせていた黄色の花。ルドベキアという名であったかと思うが、ヒマワリを小型にしたような花。これは他人様のお庭ではなく、道の辺の野に咲き群れていたもの。(ルドベキア) ヤブガラシは先月にも写真を掲載しましたが、今日は蜂さんが蜜を吸っていました。この小さな花に花蜜があるのかどうかは知らぬが・・。(ヤブガラシと蜂) そのヤブガラシの実は直径5ミリもあるかないかの小さなものだが、アップで撮影すると、何やら青い林檎とかに似ていなくもない。しかし、この実は林檎のように赤くなったりはせず、熟すと黒くなるのですな。(ヤブガラシの実)(同上) そして、これはパラボラアンテナではなくアメリカ芙蓉。 大きな花。大き過ぎる(笑)。(アメリカ芙蓉) それに負けぬ位の大きさなのが、このモミジアオイ。どちらも、道脇の家の庭先に咲いていたもので、ヤブガラシとは出自も育ちも違う、いかにも花らしき立派な花なのであります。(モミジアオイ) 墓地の片隅のアカメガシワの雄花も先月よりも格段に立派になっていました。近くには残念ながら雌花の咲く木はありませんでした。(アカメガシワの雄花) ここにも蜂が。これにも蜜があるのでしょうか。(同上) 今日は空気中に含まれる水分が多い所為か、いつもより景色が近くに見えます。少しカメラを左(南)に振ると、あのアベノハルカスも見えます。(墓からの眺め)(同上) 足元にはコマツヨイグサが咲いていました。富士には月見草が似合うと言ったのは太宰治。墓にも結構似合っています。(コマツヨイグサ) そして、ヘクソカズラも。ヘクソカズラも万葉集に1首歌があって、一応万葉植物であるのは愉快なことです。(ヘクソカズラ)(今日の言葉) 毎度墓参りの折のお寺の山門の言葉。今日はこれでした。 まあ、道に迷ったら「道を知っている人」に尋ねるのは当たり前のことですが、色々な思いからそれをしないで、更にも迷い道へと・・というのはままあること。素直に尋ねることが大切です。しかし、道を知ったかぶりの人、知っていると思っているだけの人もいますから、そこの処は自己責任ということとなります(笑)。うつせみは 数なき身なり 山川の さやけき見つつ 道を尋ねな (大伴家持 万葉集巻20-4468)渡る日の 影にきほひて 尋ねてな 清きその道 またも遇はむため (同上 同4469) 上の歌2首は大伴家持さんが病に臥し、無常を悲しみ、修道を願って作った歌と万葉集の題詞にあります。さて、偐家持は如何なる道を尋ねむや。
2014.08.03
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本日は恒例の青雲会囲碁大会の日。会場は昨年と同じく「マイドームおおさか」の8階サロン会議室。午後1時開会。参加者は、三〇、中〇、山〇、宮〇、新〇、藤〇、藤◎、岩〇、金〇、廣〇、若〇、五〇、安〇、玉〇の各氏と小生の15名。トーナメント戦にて抽選の結果、小生の最初の対戦相手は藤◎氏。これに勝ち1回戦は突破。2回線の対戦相手は藤〇氏。これにも勝って準決勝まで進出しましたが、ここで新〇氏に敗北。3位決定戦に回り、金〇氏と対戦。これも敗れて結局4位となりました。昨年も4位でしたから2年連続で「惜しくもメダルに届かず」と言うことになりますかな(笑)。 決勝戦は新〇氏と五〇氏との争いとなり、新〇氏が2度目の優勝を果たされました。 熱戦が続き、全ての対戦が終了したのは予定の「5時過ぎ」というのを大幅に超えて6時半近くとなっていました。 終了後は1階のレストランで懇親会兼表彰式。例年の通りです。 (優勝者・新〇氏<右>) <参考>第10回青雲会囲碁大会2013 2013.8.10. 青雲会・第9回囲碁大会 2012.8.11. 第8回青雲会囲碁大会 2011.8.13. 青雲会囲碁大会で優勝 2010.8.14. 懇親会終了後は、堺筋本町駅に向かう人達と別れて、山〇氏、若〇氏、廣〇氏と小生の4人は谷町4丁目駅へ。同駅で反対方向にお帰りになるお三方と別れ、小生のみ南方向へ。谷町9丁目で乗り換えて近鉄奈良線で帰宅。上本町駅でやって来た急行電車に乗ったので、石切駅まで行って折り返すということにしましたが、折り返しの電車がなかなか来ず、却って時間を要したかも、でした。(近鉄電車・石切駅) すると、こんな電車が向かいのホームに停車しました。 電車に書かれている万葉歌も何やら今日の日に似合っているではないか。春日野の 浅茅が上に 思ふどち 遊ぶ今日の日 忘らえめやも (万葉集巻10-1880) まあ、今日は春日野ではなく松屋町筋の「マイドームおおさか」でしたから、松屋町の ビルのサロンに 囲碁のどち 競ふ今日の日 忘らえめやも (偐家持)でありますが。
2014.08.02
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