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1.ドローイング→アンカリングで、ストリングが唇の端に一定のところで当たるように。2.アンカリング→エイミングで、矢筋が通り、引いても上下左右にずれない肘の位置を決める。3.エイミング→リリースで、小指をトリガーに置き、完璧にずれないことよりも、押し手を弓を掴む動作をしないように開き、引き手の肘が後ろに飛ぶことをイメージし、肩甲骨で引くという意識を保ち続ける。4.リリース後、押し手をできるだけ保ち、姿勢も保ち続ける。以上が、昨日の三階近射で確認したことだ。今日はそれを射場で試す。午後から2時間半くらいの予定。
2020.02.29
昨日夕方、北海道知事は「緊急事態宣言」を発した。記者との問答の中での、「法的根拠は?」「ない」、というやりとりが、この宣言の性格を最も明瞭に語っている。すなわち、憲法22条で保障される基本的人権の一つである「移動の自由」は、法的根拠を持たないこの宣言によってまったく束縛されるものではない。ただ、新型肺炎の感染経路で小規模なクラスターが確認されたことで、道内では流行拡大の恐れが増したということが「宣言」の背景にある。要は「宣言」の中に含まれる、なるべく今週末は「外出」を自粛するという「要請」を、各個人がどう受け止めるかということだ。なお、この宣言によって公共交通機関がストップすることはない。で、自分はどう対処するかというと、基本的にこの宣言を鵜呑みにはしない。つまり、まったく外出しないという選択はしない。今週末に予定される「外出」は自粛しない。そもそも人混みへの外出ではない。こういう宣言がなくても、あえて人混みには外出しないつもりであったので、要は自己責任により判断するということだ。つまり日常と何も変わらない。今日も射場練習に出かけ、妻との外出も予定している。一方、首相の唐突な小中高の休校要請に対する自治体の反応はさまざまで、中には強い反発を示した首長もいた。それはそうだろう。むしろ唯々諾々と従う知事や市長の方がおかしい。そもそも文科省との話し合いすらなかったようだ。「スタンドプレー」と言われてもしかたない。専門家の中にも、その効果について懐疑的な意見も結構ある。何より現場の混乱は予想通りで、「右往左往」という言葉が一番適切だろう。マスコミの焦点は小学校低学年の共働き、あるいはシングル世帯に当たっている。そのため学童保育所がその対応に追われている。結局、学校で1,2年生は面倒をみるという自治体もあり、といって全員を登校させ授業をするわけにもいかず、という状況だ。自分の勤務先も二転三転、てんやわんやの状況のようだが、今は何の権限も責任もない立場なので、連絡を待つだけだ。ああしろ、こうしろとご託を並べる気はさらさらない。専任は今日も会議、おそらく紛糾し、管理職は強いリーダーシップが求められるところだが、どうなるか分からない。まあ、こういう時には、普段はどうにも使えない者がえらそうに意見を言うことが多い。昨夜、妻と話したのは、3年前に今の立場を選んでよかったね、ということである。続けていたら、多分徹夜に近い状況だったろう。トップはこういう事態になれば、とことん下の意見を聞き、最も正しい結論を出し、それを明言しなければならない。
2020.02.29
昨日は、午後1時から3時間ほど。特に点数は取らず、エイミングとリリース、フォロースルーの流れだけを、入念にチェックする。特に押し手の残るフォロースルーができているかどうか。できていれば、そこまでの射の流れがよかったということであり、できていなければどこかに問題がある。その問題を把握し次射で解決する、という練習を繰り返した。5,6人の仲間と雑談しながらなので、適当に休んで続けた。8点や9点の縁、という射は少なくなり、リカーブなら10点という直径4cm以内にはほぼ集まるようになる。感覚としては、右のベストの状態に近づいてきつつある。今日は整形、午後から所用。射場も閉まっているし、三階でちょっとだけという感じか。
2020.02.28
コロナウィルスの対応措置で、来週から春休みは全国の小中高で休校が要請され、関係者は慌てている。首相が「要請」を行うということは、官僚国家日本では上意下達の流れで、文科省→都道府県教育委員会→市町村教育委員会→各公立校という命令系統が即時に働き、おそらく例外なくそういうことになる。私立校は、そこから漏れているが、多額の補助金で経営が成り立っているのだから、自分のところはやりません、という声は上げられない。それより1日早く、北海道の知事が9日までの小中の休校措置を「要請」し、「政治は結果責任。責任は知事である自分がとる」と発言し、大いに評価されたのをみて、首相も尻馬に乗って唐突に「要請」をしたのではないかと勘繰っている。それで、「春休みまで」「高校も」というのが付加されたのではないか。国の決断は、都道府県の上をいくのだ、と言わんばかりだ。もちろん、ことは疫病の爆発的感染拡大に備えた緊急措置であり、疫学的に必要なら、それはいい。しかし、それならば、なぜ木曜日に「要請」し、月曜日から3月いっぱいは休校ということになったのか。せめて「要請」が月曜日で、来週月曜日からというなら、現場でも準備や代替措置の検討の時間があった。3月1日の「卒業式」は在校生の参加を見合わせて行うところが多いようだ。儀式が好きな現政権は、卒業式に関しては自粛を要請していない。縮小して行えということらしい。しかし、「緊急措置」ならば一日でも早い方がいいのだから、単なる儀式はやってもよし、というのは合理的ではない。北海道知事の「政治は結果責任」という発言も、一見格好良く見えるが、よく考えてみると休校措置が、感染に関してどのような影響を及ぼしたのかという結果は検証できない。もし、感染の増加が抑制されたとしたら、効果があったということになるだろうし、感染が爆発的に増加したとしても、だからこそこの措置が必要だったのだ、ということになる。つまり、どちらに転んでも知事の要請は評価される。首相は、この措置に伴うさまざまな問題については政府が責任を取ると言ったが、「さまざまな問題」というだけでは何も言ったことにならない。具体的な問題を想定して、この問題に関してはこのように、という見込みがなければならない。それを、関係する部署に想定させ、対応をある程度決めておくという最低限のことが、昨晩に要請して、今日中にできるとはとうてい思われないのである。一例を挙げておこう。「小中高」と首相は乱暴に一括したが、「小中」と「高」は、制度上まったく異なる。もちろん高校は義務教育ではない、という点だ。小中と違って、高校は一定の単位の取得が各学年の進級条件となっている。多くの高校では評定「1」の学習不振と一定の欠課時数を超えた場合、当該科目の単位を認定しない。それが幾つ以上あると、原級留置、つまり留年になるという教務規定がある。その評価の主たる資料となる定期試験は、来週というところが多い。多分、首相の頭の中にはそういうことは一つもない。まあ、なくてもいいのだが、せめて「進級に関しては現行の各校教務規定を弾力的に運用した上で決定する」という通知を都道府県教育委員会から出してもらわないと、公立校は動きようがないだろう。欠課時数なら、来週以降の授業がなくなることをどう反映するのか。年間35単位でみるのか、それとも3月の授業がないのだから、そこまでの実授業時数でみるのか、そういうことを「弾力的に教務規定を運用して決定する」という通知が一つあれば、公立各校で決められる。「様々な問題」は具体的には十を下るような数ではない。それを「すべて政府の責任で」というのは、「言うは易く行うは難し」の典型である。
2020.02.28
次年度からの「大学入学共通テスト」は、昨年暮れから迷走を続け、いまだにその全貌がよくわからない、という困った事態になっているが、まずもって、このテストがなぜ登場したのかを確認しておきたい。背景には「新学力観」と呼ばれる、高校では2022年度からの新学習指導要領の新たな考えに基づく大学入試改革がある。と書いただけで、このテストの奇妙さが分かろうというものだ。22年度から始まる新たな高校の学習に基づくテストを、なぜ20年度から実施するのか。センター試験や、共通一次試験では学習指導要領が変わる境目の年度の試験では、旧課程、新課程の両方の試験を作り、受験生に配慮した。始まってもいない指導要領の新学力観に基づく試験を次年度からやるというのは、どう考えてもおかしい。それは置いておくとして、「新学力観」の内容を一言でまとめれば、「知識」から「思考・表現」に重点を移すということだ。そう言われると、多くの人は「それは、そうだ」と納得するだろう。些末な教科書の隅にも書いていないような知識を問う大学入試、膨大な暗記を強いる勉強に対する拒否反応は、依然として強い。確かに現代は、そのような些末な知識は、ネット環境があれば、つまりスマホ一台あればすぐに調べられる。だから記憶しておく必要はない。しかし、例えば、鎌倉→室町と武士政権は続くのだが、その中で応仁の乱は歴史上どのような意味を持つのか、なぜ室町幕府は衰退したのか等々は、些末な知識ではない。これは理解していなければならない日本の中世史の根本である。どうも、そういうことまで意味のない暗記だと考えている人が多いように思う。そもそも「思考」は言語の産物であり、言語そのものだと言ってもいい。語彙が貧弱なのに、思考は豊かだなどということはあり得ない話だ。ある程度の語彙は、生活の中で身につくが、抽象度の高い語彙は、体系的な学習なしには身につかない。その最も効果的な方法は、教科書を通読することである。例えば、山川出版の日本史の教科書を通読すれば、主として政治史による時代区分、経済史、文化史などは理解できる。理解できたものは多少努力すれば覚えられる。もし、高校で教科書に沿って、さらに興味深いエピソードや詳しい史料を交えた授業に出会えれば、より十分な理解もできるし、暗記も容易だろう。そういう体系的「知識」の習得すら否定して、思考力だの表現力だの言うのは、愚か極まりない。もちろん、学習指導要領は「知識」の習得を否定していない。その上に「思考力」と言っているだけなのだ。それを「受験=暗記=無意味」という、それこそステレオタイプの見方しかできない者たちが、「新学力観」と騒ぎ立てている。騒ぎ立てた挙句の果てに、まず大学入試を変えてしまえと思い立ち、記述式の導入というどう考えても不可能なことを強行しようとした。それこそ「思考力の欠如」としか言いようがない暴挙である。
2020.02.27
昨日の出来事。午前4時。起き出して、最後の定期試験の解答用紙作成。問題は前日に作ってある。今は随分と便利になって、教科書原文はデータ化されている。そこに傍線を引いたり、空欄を作ったりして問題を作る。問題は、昨年度と同じ文章でも、毎年作っている。もちろん指導書についている問題は使わない。解答用紙の方は、昔と同じで、5mm方眼の用紙に定規をあてて作る。エクセルだとサイズ感がつかめない。B4一枚に収めるのが原則。6時くらい。もう一度寝る。DVDで海外ドラマをみると、なぜかよく眠れる。7時過ぎ。妻が起き出してきて、朝食。7時半からBSで朝ドラをみながら。コーヒーを自分が淹れ、妻がサラダを作る。パンは最初に起きた時にもう食べた。9時過ぎ。今日は一階の中掃除。中掃除というのは、普段の掃除よりちょっと丁寧にやる掃除で、一通り掃除機をすべての部屋にかけ、床部分は水拭き、といってもモップに専用のウェットティッシュを挟んでもので。トイレ、風呂掃除も。10時。三階射場で18本。11時。妻の耳鼻科に送っていき、職場に。仕事は、試験問題の印刷のみ。来週の試験だが、自分は一週間前に仕上げておく。中には前日に印刷するような教師もいるが、それはあまりにもぎりぎりだ。12時。診察が終わった妻と、昼食。今日は丸亀製麺。下手なうどん屋よりは美味しいし、安い。かけと天ぷら2点というのがいつもの流儀で、二人合わせて1200円くらい。定年後のささやかなぜいたくか。それからソフトバンクに寄って、妻のスマホが調子が悪いのを見てもらう。やはり充電部分の接続不良。代替機が出て修理。帰りがけに、いつものケーキ屋でアップルパイを二つ。14時。紅茶、アップルパイでおやつ。息子の誕生日なので、メールを。すでに孫の節句と合わせて、お祝いは送ってある。クラビノーバを買ったら、寝室のどこに置くかを検討。15時。再び三階で、24射。的を貼りかえる。時々位置をずらさないと、畳を抜けてしまう。15時半。昼寝。昼寝の友は海外ドラマ。目をつぶってリスニングがかろうじてできる程度のものがいい。そこに集中しているといつのまにか眠る。40分くらい。妻は二階でやはり昼寝。18時。起き出して、夕食。今日は鶏肉のワイン煮。ほうれん草と油揚げ、人参の煮びたし。7時から「東大王」。「光ちゃんみたいな頭のいい子は我が家には生まれなかったねぇ」「いや、孫が突然変異するかもしれない、ハハ」などと言いながら見ていた。どうも、この番組、昔のアメリカのクイズ番組と同じで、脚本がありそうな気がする。いくらなんでも早押しがすごすぎるし、展開がドラマチックすぎるのではないか。最近は少し懐疑的になって見ている。別にエンターテインメントだから、目くじらを立てる気はさらさらない。20時。風呂。21時。ソファでニュース9を見ていたら、ウトウトしだしたので、ベッドに。海外ドラマを見ながら眠りに。朝4時。目が覚めてしまう。しょうがないから、コーヒーとチーズトースト。それで、「新学力観」について書いた。それからこの記事。予定投稿にしておき、再びベッドに。多分、7時ころまで眠る。今日は買い物と弓。仕事はない。
2020.02.27
例の新型ウィルスは、連日感染者数が増え続けていて、不要不急の外出も控えるのが、世の中の動きとなってきた。娘夫婦の3月鹿児島旅行もキャンセルしたと昨日LINE。旦那の出張を絡めての計画だったが、その出張自体が自粛となり、やむを得ず。自分たち夫婦も中島みゆきのコンサートチケットは結局とれず、3月下旬はどこかにと思っていたが、やめておくことにした。道内小中学校には休校要請が出された。学校はウィルスにとっては絶好の感染環境なので、これもやむを得ない措置だろう。勤務先の卒業式も在校生は参加せず。短縮措置となるようだ。自分は式には頼まれるので出ているが、無理はしなくてもいい。会議などは「持ち回り」という方式があるのだから、そうした方がいい。電通本社は5000人がテレワークというから驚いた。テレワークも時差出勤もやろうと思えばできるということだ。皮肉なことだが、新型ウィルスが働き方改革を後押ししている。それにしても人が動かなくなれば、金も動かなくなり、経済は落ち込むのは必至で、オリンピック後どころか、その前に大不況が到来するかもしれない。それならそれで、過ごし方もあるだろうが、せっかく次年度からはもっと夫婦で出かけようかと話していた出鼻をくじかれた感もある。
2020.02.26
昨日は1時半から2時間。リリーサーはアパッチ、弓は左だけと決め、大体50射程度。矢は試合用のエウリプスに換えた。少し重いのだが、軽いFATBOYよりもむしろ安定する。小指の置き方も安定してきたし、ほぼセンターを狙って放せるようになってきつつある。今は、押し手の矯めも作らないし、フルドローから少し戻してまた引くというような小細工めいた射ち方はしていない。フルドロー、エイミングの後、まっすぐズレずに引く手の甲の角度だけちょっと微調整し、同時に小指を引っ掛ける感じに置いて、さらに肩甲骨で引くようにすると、ほぼ切れる。インナー10の完全な内側の射が数本あった。線をぎりぎりで食っていても10点は10点だが、内側にすっぽり入る文句なしの10点はやはり気持ちがいい。10-10-9が一番多かった。8点は暴発気味に3射くらい。点数は取っていないが285くらいのペースになってきた。右の一番いい時とあまり変わらない。変わったのは、フォロースルーがかなり安定してきたことで、これはいいことだ。少しだけだが、長いトンネルを抜けつつあるように思える。今日は弓休日。明日も勤務はないので、午後から弓。
2020.02.26
最近、このタイトルのクイズ番組をよくみる。見るからに頭の良さそうな現役の東大生が、東大や早稲田出身のタレント、あまり学歴は立派ではない芸能人や、中には東大出身もいるアナウンサーのチームと、さまざまな知識を競う。自分の脳トレにもなるから、妻と一緒にみるが、解答の半分は分からない。当然、芸能人チームはハンディがつき、結構いい勝負に毎回なるので、視聴率も悪くないようだ。問題は漢検1級レベルの超難読漢字、世界遺産を当てる問題など。よく知ってるもんだと感心するが、コメントを聞いていると、東大生たちは出題分野を勉強し覚えてくるらしい。それはそうだろうと思う。東大に合格するためには不要な知識である。しかし、この番組が成立するのは、東大生たちの圧倒的知識量に感心するということではなさそうな気がする。ひと言でいうと「あんな膨大な役にも立たない知識を暗記すること」に夢中になる東大生たちの愚かさ、幼稚さを陰で嘲笑するような世間の気分が、この番組を成り立たせているのではないかと思う。見ている方も、おそらくそこそこの学歴でリタイアした人が多いのではないか。そもそも若い人は今、あまりテレビなど見ない。また、ほとんどすべての答が分からないくらいの教養レベルなら、見ても面白くないだろう。まあ、自分たちは鈴木光ちゃんがかわいい、とか言う他愛ないファンなのだが。この番組に出ている東大生たちは、卒業後、医師になったり、役人になったり、大企業に勤めたりと、いろいろだろうが、やがてはその世界のリーダーになる確率が高い。そういう人間が、かくも些末な知識の獲得に夢中になる姿を、テレビで晒される。それを見て、あんな役に立たない知識を暗記して入るのが東大なら、意味ないじゃんとあざ笑う。そこに歪んだ現代のルサンチマンとカタルシスを感じる、というのは穿ち過ぎた見方だろうか。
2020.02.25
昨日の練習は2時間ほど。小指トリガーのアパッチは、例によってトラベル最小で切れやすくしている。最初30本は、一応点数を意識した。56-55-57-57-57=282。まずまず。8点が1本あったが、それよりも射のバランスがいい。押し手がきれいに残る。HBCでも同じにならないかと試したが、エイミングはあまり変わらないが、こちらは押し手が開く。おそらく、微妙なドローレングスの差だ。ただ、ほぼ同じに射てるのが分かったのは、収穫だった。今日は、午前は仕事。午後から少しゆっくりと射ってきたい。
2020.02.25
昨日は、試合後、かなりばてて、行こうかと思っていた地元のコンサートは見合わせ。妻の送迎だけにした。プロアマ半々のオーケストラでドボルザークなどの有名な曲を。ピアノがいつも行く人だったので、それで行きたかったが、なにしろ体がきつかった。息子の同級生もいたそうだが、音楽で食べていくのは大変だろうな、と話していた。帰りは近所のスーパーで弁当でも、と思って寄ったのだが、お寿司しかない。二日連続だけど、いいか、ということになり買って帰る。さすがに、体重が1kg近く増えた。今日から一週間は粗食にしないと・・・
2020.02.24
昨日は、280-278=558一応3点だけだが、左の自己ベスト。小指リリーサーで、久々に280が出た。前半30射は8点はなし。後半は3本出たが、10点も結構あった。3回目のおまけがあって、こちらは右で。やはり体幹が震えるが、まあ、適当なところで射って272。これも予想外によかった。ただ、右はやはり使えないことがはっきりした。現時点では、左のパフォーマンスを上げるほかないようだ。
2020.02.24
昨日は昼食を予定通り回転寿司で食べた。ランチ二種類とアサリ汁、ワタリガニ汁で2500円くらい。なかなか美味しかった。やはり安い。思ったより遅くなり、射場には2時くらいに。弓は左だけ持っていった。最初の30射くらいは赤はゼロ。その後、2本は赤だったが、中りはまずまず。リリーサーは、少しトラベルを短くした。切るのには、さほど苦労しない。改造した小指トリガーの掛かりも悪くない感触。心がけたのは無理に狙わず、引き続けて切る、押し手とのバランスを取る、リリース後に押し手を残すこと。試合でどれだけできるか分からないが、今日は90射の試合。最後は右でトライしてみるか。とにかく、気持ちよく引き手が飛ぶことだけを考え、楽しく射ちたい。
2020.02.23
昨日は、午前中、リサイクルショップに。妻の断捨離で段ボール箱で5つくらい。車の荷室が結構いっぱいになるくらい。査定に1時間近くかかり、引き取りは値段のつかないものも多くあって、680円。まあ、こんなものだろう。二階の楽器コーナーにYAMAHAのクラフィノーバが7万で出ていた。ちょうどいい大きさで66鍵タイプ。非常にほしかったが、とにかく置き場所の確保が先。広い家だが、気軽に使える空間は少ない。まず、自分が占有している一階のスペースは14畳のLDK、6畳の和室(ここにベッドを置いて寝室にしている)、6畳の洋室(物置代わり。冬は寒いので冷蔵庫代わり)。一階の居間は食卓テーブル、三人掛けソファ、テレビ、FFストーブ、リビングボードがあり、ピアノが入るスペースはない。アップライトのピアノは二階に置いてある。家を建てた当時は、二階居間が自分たち家族のスペースだったから、そこに置いたのだが、梁の補強に随分お金がかかった。今は二階の居間と八畳寝室が妻のスペース。その他に子ども部屋だった6畳が二間ある。その一つから階段が三階につながっている。寝室は、ベッドの位置を多少ずらすと何とか入るかもしれない。少し押し入れ側にやって、テレビ台もずらして居間との壁に・・・無理か。後は、洋室しか候補はない。とすると、弾く時は、冬はストーブを点けないといけない。もう少し安いタイプのも出ていた。こちらだと簡易な脚組なのでどこにでも置ける。しかし、音質がかなり違うだろう。ただ、車に積んで持ち運びは簡単だ。まあ、ちょっと時間をかけて考えるか。
2020.02.23
今日から、世間は3連休。勤め人にとっては「連休」は5月大型連休のゴールデンウィークをはもちろん、3連休以上だと何やら嬉しくなるものだが、4年前までは、休日出勤で連休にならなかったことも多かった。今は、セミリタイア状態なので、毎週3連休が来る。弓の試合に土曜日に行って、月曜日に帰ってくるというパターンが多いので、仕事は火水木金。それがミニマムで、行事日は休み。夏、冬、春は普通に2週間以上は連休。先週から2週間は、前期に向けた個別指導のため、5連勤が続いた。さすがに疲れ、火木の射場練習は休んだ。三階でもあまり射っていない。やっとそれが一段落し、来週から平時に戻る。いや、もう3年生がいないので、火、木のみの勤務。授業は1時間ずつ。なんやかんやで、来週は火のみである。3月の春休みまでは、こういう感じだ。来年度以降は、たいして変わらない非常勤だが、それでもさらに休日は多くとるつもりだ。サービスの個人指導は原則としてしない。管理職の相談にも、原則として応じない。仕事は、授業と放課後特講と教科会議のみである。まあ、あとは夏冬の講習くらい。今回は3日間で収めてもらうので、週4日の休み。4連休が毎週くる。こうなるとどこかに行きたい虫がうずく。とりあえず、手近な旅を妻と楽しみたい。給料だけじゃとても生活できないが、年金が職域加算部分が加わりフル支給になり、妻の年金も始まるので、去年よりも我が家のフローは少しは増えるだろう。あと、5年くらいはこういう働き方になるだろう。我が家の大黒柱は今や年金で、パート収入でそれを補っている二十代夫婦のような生活である。もちろん二十代夫婦と違って、あれがほしい、これがほしいということはない。今日は、午前中リサイクルショップで不用品を買い取りしてもらい、といってもせいぜい数百円だろうが、昼は店のそばの回転寿司。回転寿司としては好きな店だ。高いネタはあえて置かず、安くても美味しいネタが多い。そのネタ10貫分でやっと1貫分くらいが口に入る、なじみのすし屋には、さすがにもう気楽にはいけない。それは、もう特別な日の特別なご馳走だ。午後からは射場。仲間とあれこれ話しながら、明日の記録会に備えて射ってくる。射ちにいくのか、しゃべりにいくのか。まあ、半々というところだ。一応、左右の弓を積んでいく。
2020.02.22
昨日は、合わせて7人の小論文等の指導を午前中に終了。非常に疲れた。最後まで迷ったが、帰宅して昼食後、1時間程度昼寝。その後、再び出勤して7時限目の授業。昼寝で大分回復していたので、快調だった。夕方はもう射場には行く気になれなくて、直帰。結局、弓は1日車に積みっぱなしの状態。まあ、今週は仕方ない。来週は火曜日に授業と、29日の卒業式だけ。随分と時間の余裕ができる。試験作成をしなければならないが、楽勝だ。やはり、週に6日働くのは、相当きつくなっている。生活のためやむを得なければ、それはそれで慣れるのだろうが、そこには戻るつもりもない。来年度はこの時期でもそんなには働かないぞ、と思っている。そもそも、それほど「勤勉」ではない人間だ。興味を持ったことしか、継続的な努力はしてこなかった。プロテスタントの倫理では、「怠惰」の烙印を押されても仕方ないだろうが、近代個人主義者である自分は「なんで、それで悪いわけ?」と思っている。家事も分担しているし、十分ではないにしろ自分たちの生活を賄っていけて、孫にもそれなりのことはしてあげられる。生徒であれ、家族であれ、趣味の仲間であれ、顔の見える人間の「呼びかけ」には応えている。「責任」とは本来、そういう意味だ。呼びかけられないところに、のこのこ出ていく気はない。今朝は三時前に起きて、今日見る生徒たちのための予習を二時間半。これから、整形に夫婦二人分の診察券を出しに行く。午前中に整形、昼食後に出勤。老人になれば半径の狭いサークルの中で、それなりに充足して生きていけばいい。
2020.02.21
今朝も三時半に起きて小論文と二次試験問題の予習。さっきまでかかった。個人指導は午前中にして、一度帰って弓に行って、再度出勤、七時間目の授業と思うが、その元気があるかどうか。さすがに体力的にはきつい。右で射つと左肩が痛むので、この際しばらくは右射ちはストップすることにした。
2020.02.20
今朝は三時に起きて、一つだけ見てなかった小論文。もう、今週になると多少の不出来には目をつぶり、25日からの前期試験に向けて、書ける!という自信をつけてやる。直前まで、できない、できないと言い続けられると、生徒だって嫌気がさしてくる。そういうことが分からない教師も多い。教師が生徒をダメにすることは、スポーツの世界でも、学業の世界でもよくあることだ。そういう教師に限って、できないことを吹聴して回る。自分の責任を回避するためだ。そういう人間性はどこから出てくるのか。理解に苦しむ。終わると三時半。いくら何でも早すぎるので、もう一度寝た。起床七時。自分としては珍しいほどの朝寝坊だ。朝食はレーズンパン、コーヒー、トマト、ブロッコリー。
2020.02.19
次年度の仕事内容が大体決まったが、時間は今までと同じ。給与はさらに3割くらいダウンする。まあ、今までが20時間勤務とはいっても実質10時間はなかったくらいなので、それはそれでしょうがない。ただし、今やっている小論文の指導のようなことは、もうしないように、と思う。指導もできるし、効果もあるのだが、いくら何でも、もうごめんだ。その代り、一つ面白い授業を担当するので、それを自分の集大成として、形にして残したい。自費出版でもいいし、どこかの学会誌への発表でもいい。それから、地元の塾で高校生相手の指導をしてもいいとも考えている。すでに頼まれてはいるのだが、せいぜい週1回がいいところだ。あるいは、これはこちらから声をかけてみないと分からないが、他校であと3コマくらいなら、掛け持ちも可能だ。
2020.02.18
リリーサートリガーの上に、長さ4cm、径が5mmくらいの金属パイプを載せて、接着剤でくっつけた。思いのほか、しっかりとくっついていて、紐で試してみても剥がれる気配はない。今朝は、9時出勤、雪かきもないので、三階で試射をしてみたい。多分、小指のかかりが早くなり、遠くなっても、射てるのではないか。トラベルを長くしたが、まだ足りないかもしれない。実際に射ってみないと、感触は分からないのだが、ダメなら何とかして剥がさなければならない。今週は、土曜まで射場練習はなし。三階で今日と木金はある程度できる。日曜日が記録会なので、そこまでには安定させたいのだが・・・
2020.02.18
今季初めてというくらいの雪だ。除雪を毎年頼む方に、昨日のうちに電話連絡しておいたが、車に乗るところまでは、何とか自力でやらないといけない。なにしろ、雪で玄関が十分には開かないほどだ。今日は夫婦で肺炎球菌の予防接種を予約してある。午前中、なるべく早い時間に行って、帰ってから昼食→出勤の予定。除雪は何時になるかよく分からないが、夕方までには終わっているだろう。明日は9時30分までの出勤。今週まではとにかく仕事で目一杯。弓の方も土曜日までは三階で近射しかできないだろう。
2020.02.17
昨日は、買い物→職場に忘れ物を取りに→練習。10時半から2時間程度。左を中心に、右はちょっとだけ。まだアパッチのトラベル調整がピタッと決まらない。小指トリガーをもう少し長くしたいのだが、その方法も模索中。金属の径の細いパイプを被せるというのが良さそうだが、注文通りのものがあるかどうか。今週はそれを探したい。
2020.02.17
今日は4時くらいからPCに向かっていた。何をしていたかというと、卒業式式辞の代筆。今の校長は、卒業式も無理なようで、代行に頼まれて書いた。本来なら自分のすべき仕事ではないのはよくわかっているのだが、代行が他のことでいっぱいいっぱいなのは分かるし、長年一緒に働いてきた後輩なのだから、頼まれれば、しょうがないなぁ、と思う。30分もあれば先生なら、と言うが、それは文章というものを知らない者の言いようだ。ここに書いているような雑文でさえ、評論や倫理学講義のカテゴリーは時間がかかる。まして、卒業式と言う公の場での式辞である。それは式辞だから、形式は決まっているのだが、文章は形式が整えばいいというものではない。たっぷりと2時間かかった。この辺りは、数学の教師は特に分からない。文章が証明問題みたいに単純に書けるわけがない。基本的に言葉で生きているのに、その言葉を数学言語でしか操作できない。可哀そうな人生だと思う。それくらいなら、画家や音楽家が、言葉になると全然ダメという方がはるかに魅力的だ。200年前の曲名が並ぶクラシックのコンサートになら喜んでいくが、200年以上前にすでに証明されている数式の説明など、金をもらっても行きたくない。不思議なことに、同じく言葉を扱うはずの英語の教師にも分からない。二次試験の小論文などで英語が絡むと、現代文ができないから書けないとほざくバカがいる。じゃあ、オマエ、この文章どういうことが書いているの?と聞けば、説明できない。現代文ができないのはオマエだと言いたくなる。まあ、だいたいがそのレベルの大学教育しか受けていない。そもそも生徒はできないから、指導を求めるのであり、英語の教師だって母国語は日本語なのだから、オマエが教えろと言いたくもなる。しょうがないから、こっちは朝から英和辞典を引きながら、たっぷり予習をして教えることになる。ところが、国語の教師にもそういうことができないのも多い。あきれるほど国語が出来ない国語教師。そんなのがゴロゴロいる。保護者向け学校便り、生徒会編集の生徒会誌の原稿を頼んできたのは、係の若い国語教師だ。まあ、しょうがない。それなら、それこそ20分くらいで書ける。久々に仕事でフラストレーションがたまったので、ここでもちょっと吐き出した。しかし、それにしても「文は人なり」とはよく言ったものだ。どの文章も代筆だから、自分の署名はないのだが、できあがった文章を読めば、それは紛うかたなく、自分の文章なのだ。アクの強い、毒気を潜ませた文章だ。
2020.02.16
昨日は退勤11時半。昼食抜きでそのまま射場に。例によって左右の弓を交互に。右は、やはり狙うと体幹が震える。押し手を止めるという動作は、どうしても狙う場合に必要で、それが長くなると、腰を中心にした体幹が震えるのだ。左では、そういうことは起こらない。手術をしたのは首なのに、なぜ体幹なのか。どうもよく分からない。震えても9-9-8くらいのレベルでは中るのだが、これでは使えない。一度、やめて様子を見るか、このまま左右で続けるか、ちょっと迷うところだ。震えるにしろ、射てないわけではないので、身体のバランスを考えると比率は減らしても続けるのがいいようにも思う。左は安定してきた。ほぼ黄色は外さない。今日は久しぶりに三連的を貼って射つ予定。
2020.02.16
今日は世間では土曜休日だが、小論文指導も佳境に入ってきたので、出勤。今日は9時から3人。大体1人1時間の枠だが、回を重ねるたびに上達し、飲み込みも早くなってきているので、実際は11時台に終わるだろう。朝に車に左右の弓を積み込み、昼食はコンビニのおにぎりくらいにして、そのまま射場に行く予定だ。管理職時代は、休日出勤が当たり前のように続いていたが、今日は今年度初の、ということになる。たまになら、自分もがんばってやってるな、という気分にもなる。
2020.02.15
昨日は午前中2時間。左右交互で。小指リリーサーのトラベルを初めていじった。少し短くして反応を速くする。少しだが中りの精度は上がってきた。今までと違い、狙いは保持できるので、楽しい。しかし、練習再開から6日連続なので、今日は休みにした。過ぎたるは何とやら、でダメになるのは練習過多が原因のことが多い。というか、整形にこれから診察券を出し、午前中に妻と行く。帰ってから昼食、出勤で帰宅は5時くらい。今日は射ちたくてもその暇がない。
2020.02.14
今朝は3時に起きて、小論文添削。3人分で2時間半。なかなかしんどい。こういう仕事は、職場でもするがほぼ家でやることが多い。場所は居間の食卓テーブル。6人掛けなので、広さは十分ある。PCが端にあるから、ちょっと調べるのも便利だ。この時間なので、妻はもちろん二階で寝ている。試験対策ではあるのだが、ノウハウを教えるというよりも、手持ちの知識を増やすことが第一だ。小論文は「どう書くか」よりも「何を書くか」だ。知っていることは書けるが、知らないことは書けない。ちょっと手間がかかったのは「読書」の効用についての問題文。問題文中に「読書を法律で定めることに異論もあるだろうが」という一節があり、確か「読書推進法」というのが昔あったな、と思った。調べてみると「子どもの読書推進に関する法律」というのが平成13年に施行されていた。あまり効果があったとも思えないが、こういうのは調べておかないと駄目だ。昔から、家には仕事用の机はない。断然食卓テーブルの方がいい。コーヒーを飲みながらでも、場合によってはビール片手にでも、下調べをしたり、入試問題を解いたりする。センター試験の難易度を見る時に、ビール一缶飲んで間違わなかったら、難しくないという判別法をしていたこともあった。今、テーブル上には、すでに添削した三冊のファイルと、明日の朝までにはしなければならない二冊。読みかけの本『老いのゆくえ』(黒井千次)、飲みかけのコーラのペットボトル、昨日の夕刊の広告などが載っている。それと年金通知はがきも。この雑多な感じは嫌いではない。
2020.02.14
といっても、弓の話ではなく、「結果オーライ」というタイトルを冠した、2019-2020中島みゆき全国ツアーのチケット。3月の札幌の二つの公演は、先行1、先行2、一般の3回のチャンスをすべて逃した。やはり、地元だし人気が高い。3回目に外した時点で、4月の盛岡の一般が申し込み可能だったので、一応あまり期待せず申し込んでおいた。もちろんホテルも予約は入れた。札幌の方は、全部外れた時点でホテル予約キャンセル。ホテルといえば、札幌オリンピックマラソンのホテルも、夫婦二人分、トリバコ経由で何とか確保した。やはりちょっと遠くて高かったが、それほどでもなかった。娘夫婦の広いマンションにとも思ったが、そこは今までの子ども家族との付き合い方の原則、「もたれかからず、甘えず」を通したかったのでよかった。もちろん、何か美味しいものを買っていって、新居に訪問し、半日孫と遊ぶということにはなるだろう。近所の人にも、中にはそういうポリシーの人がいて、孫のところに行くと宿泊費含めて、大体10万くらいはかかるね、というのが相場らしい。娘家族のところにでも、息子家族のところにでも泊まるというのが多数派ではある。考え方の違いだから、それはそれでいい。5月の歌舞伎は席が取れている。連獅子。さて、抽選が外れて、暇になった3月下旬をどうするか。どうもだらだらと過ごしそうな気もする。甲子園?というのがちょっと頭を過るが、多分家でテレビ観戦だろう。今日は、かかりつけ医→射場→用事→仕事、となかなか忙しい。明日も、明後日もエクストラで仕事を入れている。前期まであと2週間、頼まれたら引き受けざるを得ない。
2020.02.13
どうやら、ターゲットパニックでもなさそうなので、このカテゴリーも今日で終わり、次回から普段の練習日誌に戻ることにしたい。小指リリーサーは、薬指に小指が引っかかって、なかなかトリガーボタンに触れないということが起きる。そこで昨日は中指と薬指にテープを巻いてくっつけてみた。あまり効果なし。二本の指がまとめて小指の方にいくと、やはり引っかかる。それよりはリリーサーを握る時に、小指を離しておく。そして小指を立てるような形でドローイングするのがいい。小指が当たる位置もまだ一定しない。そういう細かいところにも注意して、今日は午前中1時間半くらいは射場に。
2020.02.13
小論文指導の中で読んだ文章にヨーロッパとアメリカの労働時間比較をテーマにしたものがあった。アメリカ人が書いたものである。要点は、(1)ヨーロッパでは年間労働時間は1500時間弱、アメリカでは1700時間強である。(2)しかし、ヨーロッパでは労働評議会が退勤時間を厳しくチェックしていて、休日は本当に休みであり、金曜日はランチ後の退勤が普通など、申告した労働時間が実際の時間より多いと思われる。(3)これに対して、アメリカは成果主義が浸透しており、休日でも関係なく労働し、有休も取らず、祝祭日も実際は働いていて、支払いのないただ働きも多い。つまり、申告労働時間よりもかなり多く実際は働いている。(4)以上のことを勘案すると、ヨーロッパ人を怠け者と揶揄するアメリカ人の方が、実は時間当たりの労働生産性が低いと推測できる。確かに、アメリカのテレビドラマなどを見ていると「こいつら、いったい一日に何時間働いているんだ?」と思うことが多い。自分や妻の知人も、とにかく長時間働く。プライベートもビジネス仲間とのパーティを頻繁に開き、それも仕事といえば仕事になっている。「ワーカホリック」(仕事中毒)という米語は、ヨーロッパ語にはあまり見られない。「金を稼ぐ」ということに最も貪欲なのはアメリカ人のようだ。ところで、日本の年間平均労働時間は1800時間弱が平均でアメリカ並みだが、これにはからくりがあって、派遣・パート労働の比率が高く、また60歳代、70歳代の人口ボリュームゾーンでの就業率が高い。当然、この年代だと短時間勤務が多いので、平均労働時間を下げている。自分は、週20時間だからその一人だ。来年度は12時間くらい。年間を均せば、8時間。さらに、いわゆる「現役世代」の労働時間は、サービス残業などを考えれば、やはりアメリカと同じく過少申告となっているだろう。平均賃金も実質では下がっていて、先進国中では下位グループである。さて、日本とアメリカとヨーロッパ、豊かな生活はどちらにあるのか。
2020.02.12
昨日は、午前中に三階で36射。ドットを8mmのものに換える。かなり大きいが、今はこのくらいがいい。昼前に射場に。どうもターゲットパニックではなさそうな気もするので、的紙を1枚だけ貼って、左右両方で。赤に外れるが、「狙えない」という感じはない。小指トリガーのアパッチは、どうやら使えそうな感じだ。しかし「狙いがまだ不正確」ではある。今は、だが「正確に狙う」ことよりも、フォームを優先。最後まで引き続けることを課題にした。うまくいくと10-10-9も出る。左のピープ位置が、どうもしっくりこない。本来の位置より上にある感じだ。確か、ひと月くらい前にそういう調整をした。その時は、結局最後まで引くことができていなかったのだが、今は引くとレンズサイトが上って行く。それで分かりかけたような気がするのだが、この現象は今まで悩んでいたドットが下がっていくことの裏返しではないかということ。押し引きの伸びがない状態で詰まり気味になると、サイトが上る代わりに、ドットが下がっていくのではないか。そのドットを押し手で上げようとすると、引きが弱くなり、射のバランスが崩れる。Dループが長くなり、リリーサーの形状もフックの位置が遠くなったので、ドローレングスは長くなった。そうすると、詰まっていないので、ピープの本来の位置を見ようとする。その結果、サイトが上る。だからピープ位置を下げればいい。射場ではピープが上ることは気にせず、引きを最優先して射った。ピープが上ると矢は6時9点に。しかし、ドット自体はセンター付近を維持している。帰宅後、三階でピープ位置を下げたが、これでどうなるかはまだ分からない。ちょっと射った感じでは悪くない。予想外だったのは、右の方がよく中ったことだ。やはり、右腕の方がうまく引けるのではないか。ポンドは弱いが、あと5ポンド上げられれば、50mでも使える。右への再転向も見えてきた。久しぶりに弓仲間とも話して、やっぱり射場はいいものだと思った。明日も、ちょっと忙しいのだが午前中に行きたい。今日は妻を歯医者まで送ってから、仕事。小論文4人の指導。多分、4時くらいまではかかりそうだ。
2020.02.12
昨日は、30射を午後、もう30射を夕方に。最初、右の弓のポンドアップ。ドローレングスを長くしたら、1ポンド落ちたので、35ポンドに戻した。ばね量りなので、どうも落ちたというのが納得いかないのだが、とにかく半回転して1ポンドアップ。多少きつく感じるが射てる。左右とも、まだ狙うのは早かった。それよりも、まだ考えなければならないことがある。まず、押し手の方向。右は少し内側にしないと安定しない。肩からまっすぐ的に伸ばし、そこから5度くらい内側に。いわゆるグリップ、頭、引き手の肘で作る三角形が少し大きくなる形だ。左は、それよりも小さい。次にスタンス。今まではストレートだったが、オープンにして試してみる。右はその方がいい。左はややオープンくらい。夕方の練習は、アンカリングのあと目を閉じて射ってみた。この方が射の感覚を確認しやすい。途中から的を貼り、センターにつく感じから目を閉じて射つ。右でも左でも、矢は右に外れる。さすがに4mだと的内ではあるが2点分くらいずつ右に。理由を考えたが、結局右手の方が左手よりも強く、右で射てば引き手が、左なら押し手が強くなるのだとわかった。ということは、右で射つ時は少し強めに押し、左の時は押し手を柔らかくして力を抜くという感じが必要だ。どうもターゲットパニックではなさそうな気もするので、今日は二週間ぶりくらいになるが、射場に顔を出してみることにした。大体20cm四方の紙を貼って、そのあたりを射つ練習。左右交互にということになる。
2020.02.11
昨日は1月の胃カメラ検査の精検結果を聞きに、病院に。糜爛があり、そこを切除して精検に出したのだが、「異常なし」とのこと。最初にモルト型リンパ腫が見つかってから、大体1年経った。放射線治療終了からは半年。去年7月の検査で「寛解」という診断だったので、そう心配もしていなかったのだが、それが確認された形。いずれにしても、ここからあと8回くらいは半年ごとに胃カメラを飲むことになる。その後、放射線科の医師のところに。こちらはこちらで20回の放射線治療の経過観察で、主として問診。問題なし。放射線科は消化器科に比べると患者も少なく、結構のんびりしている。最初に診てくれた、ホームドクターの孫弟子という医師は転勤してしまい、今は彼の弟子の院長が主治医として診てくれている。大腸検査が来月に決まった。これも去年から1年経った。こちらは癌ではなくポリープがあったので切除。それでも年1回は検査するようだ。いずれにしても「一病息災」の典型のようなことになったが、毎回健康診断をしてもらっているみたいである。総合受付には、いろいろな診療科の待合ロビーがあって、高齢者の夫婦連れも多い。ご主人が手を貸してやっと奥さんを連れていく姿があったり、そうかと思えば、奥さんに当たり散らしている初老の男もいる。奥さんは嫌気がさしたのか、二列前の席に座ると、「こっち来い!」と怒鳴りつけている。それでも奥さんは頑として動かない。どちらが病気なのか、と考えたが、多分奥さんの方だ。名前を呼ばれるのを聞き逃さないように受付を見ているから、そう思った。そうかと思えば、看護師が何度も説明しているが、一向に理解していない様子の高齢男性がいる。少し認知症のようだ。これで一人で病院に来るのはきついだろう。診察二回、検査説明一回の間で、いろいろな人たちを見た。自分は彼らにどう映っているのか、とふと思って苦笑した。大体2時間で会計、保険請求のための診断書の依頼など、すべて終わって職場に。小論文など5本、預かってきて、今日の内にじっくりみて、明日指導する。
2020.02.11
昨日、妻が行ったのは、県人会の新年会。高校の生物部の先輩がたまたまいて、お呼びがかかった。その方の話だと、県にゆかりがあれば県人会には出られるそうで、会費は一家族2000円と格安。新年会と花見、餅つくりが定例行事だそうだ。自分も大学・大学院と7年間はそこで過ごしたのだから、一応「縁(ゆかり)」はある。今年は、花見にでも参加してみようかなと思った。職場と射場と孫だけでは、いかにも世間が狭い。しかも、職場の比重が来年度からは一段と軽くなる。大学同窓会と重なる人も多いらしいので、そちらの方も考えている。70代以上の年上の方が多いのだが、これからリタイア組が暇を持て余して増えてくるのかもしれない。今日も気温は―10℃。先日の胃カメラの検査結果を聞きに、朝の内に病院に。放射線科の経過観察もある。それから職場によって、小論文などを生徒から受け取り、明後日指導。というわけで、今日も結局は、職場と弓と病院。たまにはそうでない場所と人も必要なのだ。
2020.02.10
妻を迎えに行って、帰宅してから再々度三階に。左右で12射ずつ。テープを縦にも貼って2平方cmの四角を作り、狙ってみる。狙うとどうしても、背中の快感、引き手が飛ぶ感じが減少する。この辺はもう実戦的問題なのだが、理想形は引いて狙いを定めていく過程での発射である。今日も、本数は少し抑えて、やってみる。
2020.02.10
我々は出来事をそのまま記憶しているかというと、決してそうではない。2001・9・11の世界貿易センターにハイジャックされた一般機が突っ込んだテロ。もう20年も前のことだが、その映像は衝撃的だった。自分は、夜中にたまたまテレビをつけたら、そのシーン。てっきり映画だと思ったのだが、そうでないと分かり、これは戦争になると確信した。戦争はイラクとの中東戦争、アフガニスタン紛争になったが、幸い中東を越えては拡大しなかった。さて、その衝撃的シーンを見たのはいつか。半年後の調査では、73%のアメリカ人は9・11当日に見たと記憶している。しかし、実際のテレビ放映は9・12翌日である。衝撃的で生々しい記憶ほど、そういう記憶違いが起こるそうで、脳神経学者のネイビーによれば、その原因は「想起する」、つまり「思い出す」ことにあるそうだ。記憶には「記憶する」「保存する」「想起する」という三つの局面があるが、9・11という日付が、あらゆるメディアで報じられるうちに「9・11に自分はあの事件をテレビで見た」という虚偽記憶が生まれるということらしい。ネイビーは、それは必ずしも悪いことばかりとは言えず、例えばPTSDなどの自然な治癒にあたっては、虚偽記憶が有効に作用することもあるのだ、という。しかし、その考えには賛成できない。「憎悪」「恐怖」などの負の感情は、むしろ虚偽記憶によって、強化されていくのではないか。自分の経験した残虐なシーンは、思い出すたびに、その残虐さを増幅していくということの方が、いかにもありそうなことだ。あるいは記憶自体を「抑圧」するという防衛機制が働く、というのはフロイトがすでに指摘している。記憶が共有され、その出来事について、誰かと話をすることで想起されるときにも、記憶は変形されやすくなる。特にそこにいない第三者を非難するような場合、その人間の言動の酷さが誇張され、その誇張された言動が再記憶され、虚偽記憶となる。我々の人間関係の中では、常にそういうことが起こっているといっていい。だから、「過去から切り離された今を生きる」という実存主義のテーゼは、一面の正しさを持っている。大切なのは「現在の他者に対する記憶」ではなく「現在の他者との関わり」自体だ。もちろん関わりたくもない記憶のある他者もいるだろうが、それはそれでしかたがない。「関わらない」というのも一つの「関わり」の在り方である。
2020.02.10
昨日から試しているAPACHEという古い古いリリーサー。調べてみたら、現在は、ハンティングのスタビライザーの名前になっている。和訳は「ならずもの」。子どもの頃、「ローレンジャー」という西部劇を見ていたので、てっきりインディアンの部族名だと思っていた。ひどい差別用語だったとは知らなかった。このリリーサーは引っ掛けるタイプではなく、カチッと閉じるタイプで、左の弓のDループがボロボロでうまく入らないので交換した。1cmくらいDループが長くなったのだが、とりあえずいいところを見つけるまで、と思いそのままにしておいた。APACHE自体もフックの位置が遠く、実質的にドローレングスが長くなっている。ふと気づいたのは、エイミング後、下がるのは別にターゲットパニックではなく、ドローレングスを短くし過ぎた結果ではないかということだ。引き手が後ろに飛ぶ気持ち良さも、そのためか。そう考えて、午前中、左右を5射×5回。昨日より1本多くクィバーに入れて射つ。左の方が、引き手が飛ぶ。それで、右の方のドローレングスを一つ伸ばした。すると、こちらも背中の快感を感じることができた。11時過ぎに、妻を県人会の新年会に送って、初めての中華店で昼食。五目あんかけ焼きそば。評判のいい店だったのだが、やはり美味。950円は、いつも食べに行くホテルより少し安い。帰ってから、20射。畳にテープを貼り、さらにその中に2cmほどの青いビニールテープを貼った。その帯から下がらないように射つ。下がらない。下がりそうになったら、引けば上がってくる。そして発射する。左肩がちょっと痛い。レフティの時、つまり引き手の時が痛む。右の時は、大丈夫だ。震えは昨日より少ない。右も少しずつポンドアップできたらいい。本格的エイミングは、もう少し確かめてからにするが、ドローレングスで解決するなら、ラッキーだ。左肩にモーラステープを貼って、迎えの連絡を昼寝しながら待つことにする。
2020.02.09
さっき確かめたら、今朝の気温はー11.8℃。今季一番の冷え込みだった。予報で分かっていたので、水道の凍結防止のため、昨夜は初めて水を落とした。10年くらい前に床下の断熱を直して以来、ほとんど水を落とすことはしなくなったのだが、それでも―10℃以下になると、念のため落とす。全部の水道を出しっぱなしにして、スイッチを入れるだけの簡単な操作だ。最近の住宅は断熱性能もよく、そういう心配もないようだが、同年代に建てた家では、凍って水道管が爆発し大変なことになったところも結構あった。それなのに、水を落とすのがえらく面倒な操作になっていた。我が家も一階は、以前は床下のバルブを二か所締めるというやっかいな操作だったが、直したのを機にスイッチ一つで電動モーターが水道管を閉じてくれる。朝も寒いので、ストーブは24℃設定。いつもより2℃高くした。道内でも一番寒いところはー34℃という予報。子どものころは、そういうのは普通だったが、最近では珍しい。やはり温暖化なのか。
2020.02.09
今朝書いた通り、三階で。右35ポンド、左41ポンド。自宅のばね量りなので、実際は+3~4ポンドある。4本×2=8射で小休止。16射で少し長めの休憩。左右交代。右。狙わなければ、ほとんど震えない。さらに、押し手を少し内側に持っていくと、まったく震える感じがなくなった。左。これも同じ。ただ、どうしても下がる感じがする。途中でアパッチというえらく古いリリーサーを試してみた。小指トリガー。昔、別の小指トリガーも使ったような記憶もあるが、覚えていない。左右とも、小指で落とそうとすると、まったく下がらない。リリースの瞬間、腕が後ろに飛び、背中が開放された気持ち良さがある。10年くらい前、パラの金メダリストとメル友だったが、彼女はアーチェリーの魅力をリリースの時の開放感と言っていた。その意味が今にしてやっと分かった気分だ。左右を4回ずつやり、おまけにアパッチであと1回ずつ。少し高さを意識したが、このリリーサーだと下がることはなく、むしろ上がっていく。これはいいかもしれない。明日は畳にガムテープを貼って、高さだけを意識して射つ予定。3時ころに終了して、風呂、ビール。なかなか心地よい時間だ。
2020.02.08
予定では明日まで弓から離れることにしていたが、一日早く、今日から始動することにした。といっても、今日は三階に運んだ弓を出し、近射が十分できるよう畳5枚を入れ替え、もちろん掃除も。なにしろ藁がすごい。後は、まず右で射つことから始めたい。もともとのレフティではないので、こちらの方が近射ならいいだろう。実質ポンドは35くらい。このくらいだと保持できる。フォームのチェックだけを考え、決して狙わず、アトランダムに20射くらい。その後、左の弓をポンドダウンして20射。実質を40ポンドくらいまでは落としたい。十分に間を取って、休み休み。ウォーミングアップとクールダウンは丁寧に。リリーサーは、実戦を考えればSPOT・FOGだろう。トラベル調整も多少は必要かもしれない。これは右左でボタンを入れ替えるのが多少は面倒だ。一日一日の記録、気づきを毎日ここに書くことにしたい。
2020.02.08
昨日は、午前中、妻と整形に。帰りがけ、注文しておいたバースデイケーキを受け取る。息子夫婦の長女1歳と嫁さんのお母さんの名前を入れてもらった。偶然、誕生日が同じ。これは孫からのプレゼントみたいな僥倖だ。これから、十年くらいは、孫と誕生日を一緒にできる。ついでに息子夫婦の飼っている二匹の猫のうち一匹も同じ誕生日。トリプルのバースデイだ。とはいえ、北と南では、さすがに、こちらからも行けず、向こうからも来られず、北は北、南は南での誕生会となった。午後6時に伺う。いつものようにビール一箱と今回はケーキも。お母さんの実家の沖縄から、いろいろと送られてきたそうで、今回は沖縄料理。ソーキ、麩チャンプルーなど。美味しかった。7時ころ、タブレットでビデオ電話。孫娘は、何とか餅の上で立てた。餅の上に草履を履いて立つ、というのが向こうのやり方らしい。途中、娘に妻が電話し、この前と同じリレー中継。こちらの方は三歳。何だか分からないまま、仮面ライダーになりまくっていた。一時間くらいビデオ電話。楽しい時間はあっという間に過ぎ、9時前に、食べ残したご馳走をたくさんいただいて帰宅。嫁さんの実家とこれだけ仲良くしているのは珍しいそうで、皆に驚かれる。
2020.02.08
昨日、今朝と、どうも体がふらつく。朝起きた時が、一番ひどい。昨日は、一昨日、日本酒を飲み過ぎたのかと思い、ワイン少々と控えめな晩酌にしたが、今朝も昨日ほどではないが、多少ふらつき感が残っている。血圧かな、と思い昨日も今朝も朝一で測ったら、140台。いつもせいぜい120の自分としては十分高いので、ちょっと用心が必要だ。昨日は珍しく仕事が遅くなり、最近は根詰めて仕事の準備をしているので、おそらくその影響だろう。二泊して十分な日程は取ったのだが、試合では惨敗、その後、孫とも遊び、翌日6時間の長距離ドライブというのもきつかったといえばきつかった。やはり、年齢的なものが大きいのだと思う。弓の方は、昨日車から三階に運び、ケースから出してもいない。昨日、遅くなったので理事会も欠席。弓から完全に離れている。それも生活ペースを狂わせている一因には違いないのだが、これは目的あってのことなので、これでいい。日曜日まで触らないことにしている。仕事の方は、現在のトップが体調不良で休み続けており、それでいろいろと相談されることが多い。加えて受験生の指導が例年の通り、イレギュラーに入ってくる。昨日は、授業を挟んで、ほぼ4時間ノンストップで3人を指導。大変なのは例年のことなのだが、これも年々、心身にこたえるのかもしれない。まあ、次年度からは弓も仕事も、さらに適度にということになりそうだ。そこまで頑張らなくても、十分楽しく暮らしていける。
2020.02.07
【1】英文 「誤認」についての説明、和訳、傍線部についての考え【2】文章+表 数値記入、コントロール群の役割記述、虚偽記憶と実験の照応【3】日本語文 歌枕の意味、なぜ「宇治」が感慨を呼ぶか、傍線部説明【4】【1】~【3】を踏まえて「記憶の変容」の功罪について、考えることを記述指定字数は【4】が最大で400字以内。 これが、今日指導する三人のうちの一人の「総合問題」の内容。英語、心理学、古文などの知識が必要で、もちろん日本語の読解力、表現力も問われる。 英語については精読し、ほぼ解答済み。後はざっと読んでおく。それでも準備に一時間はかかる。指導は一時間を超えるだろう。他の二人は四〇分くらいだから、合計三時間。他にレギュラーの授業が一時間ある。 こういうのは毎年のことで、なかなかきついのだが、他にできる教師もいない。だからやりがいもあるのだが。
2020.02.06
2・9に試合があった。地元の記録会だが、確か妻が新年会なので、欠席にしておこうと思う。2・23にも記録会。一応、この試合までに、ターゲットパニックを克服するという目標を立てることにしたい。まず、最初の一週間は、射たない。煙草や酒と同じで、ターゲットパニックは弓に依存しすぎることが原因である、という仮説に基づく。極力、弓から離れる。できれば、射たないだけでなく弓や的を見ない。そういうわけで、弓は車に置きっぱなしにしておくか、三階に引きあげてしまう。弓の代わりに、別の筋トレを自宅で。年齢なりのものを。やはり、下半身強化がいいのでスクワット系。幸い、仕事もやろう思えばいくらでもあるので、暇を持て余す心配はない。次の日曜から、的を貼らない近射で、フォームを一から見直していく。このカテゴリーはうまくいけば2・23で終わりになるが、最短ひと月と思っていたので、もう少し延びるかもしれない。
2020.02.04
昨日は7時ころホテルを出発し、1時くらいに帰宅。走行530km。燃費は16.5くらい。二泊三日だが、試合も酷かったこともあり、また冬道走行だったので、いつもよりは疲れている。ホテルの二泊もよく眠ったし、孫ともそう長くは遊ばなかったのだが、結構きつかった。途中道の駅に寄って、野菜やホタテ、別の駅ではいつももアップルパイを買って帰った。今朝は5時くらいに目が覚めて、今、コーヒーとチーズパン。これから、小論文を一本見て、10時くらいに出勤。昼食後指導なので、帰宅は2時半くらいか。やっと日常が戻ってきた感じだ。
2020.02.04
惨敗、予選すら勝ち上がれなかった。まあ、明日からじっくりターゲットパニックを克服しようと思う。とりあえず、今週は弓から離れて仕事中心の1週間。
2020.02.03
(5)ヒューマニズムの限界 「隣人愛」に端を発するキリスト教のヒューマニズムは、キリスト教圏の西欧国家の世界への拡張戦略、すなわち植民地主義、帝国主義によって、もはや信じられなくなっている。 弱者に手を差し伸べるカトリックの精神は、皮肉なことに、カトリック教会がいかなる政治的権力もなくしてしまった現代において、最もよく発揮されている。法王は核廃絶、貧困の解決などを世界に訴えるが、そこにはそれを実現する力の裏づけはない。 一方、西洋近代を形成した「人間中心主義」という色彩の強いヒューマニズムも、とっくに破綻している。自分たちを救済するはずだった人間は、原子力爆弾を落とし、フクシマの事故をもたらし、環境を破壊し、未来の人類の生存の危機を招いている。さらにそこから派生した「個人主義」は共同体の否定という方向に進み、地域のコミュニティの崩壊、家族の崩壊へと向かっている。(6)「ヒューマニズム」の再評価 しかし、だからといって「ヒューマニズム」に代わる思想が現れたのか、というとまったくそうではない。 まず、キリスト教の隣人愛に基づくヒューマニズムを批判する思想があるとすれば、それは民族主義だろう。自民族の間では、隣人愛を説きながら、先住民族を含む異民族を激しく攻撃し、排斥しようとする思想である。その思想はキリスト教圏国家にあっても、現代では根強い。 そもそも「隣人」を「敵」とみなすのか、「仲間」とみなすのか、という選択を前にして、「敵」とみなす方を支持する人はいないだろう。その人は、敵を殲滅する生涯を送ることになる。現代社会でも、一部の人はそういう生涯を送っている。また、日本でも戦国時代などは、そういう人間が多くいた。 しかし、ヒューマニズムが「状況倫理」(特定の状況で生まれ、普遍性を持たない倫理)であったとしても、それを自らの生き方とすべきである。私は隣人を敵とは見做さない。少なくとも「顔の見える」隣人は仲間である。それが共同体の中で生きる個人の正しい在り方と考えている。そして、その共同体は外に向かって開いていなければならない。共同体は異なる他者を排斥してはならない。 キリスト教はすでに「世界宗教」であるが、世界に広まるべきはキリスト教の信仰・教義ではなく、あるいはアジアやアフリカに疑似西洋近代社会を構築することではなく、キリスト教の「隣人愛」の倫理である。他者を自己を脅かす敵と見るか、それとも仲間と見るか、それが分水嶺である。 この視点は、疑似西洋近代社会である日本のような国で生まれ育った者の方が、そこにどっぷりと浸かっている者よりもはるかに持ちやすい。 キリスト教の団体、修道会であれ、プロテスタントの宗派であれ、そういう団体が、アフリカなどに小学校を建設し、読み書きを教える。もちろん、金儲けなど考えてはいない。しかし、そこで教えられる言語は英語、フランス語などであり、決して現地語ではない。やがて、フィリピンのように現地語と公用語が併存する疑似近代社会が生まれる。タガログを小学校教育に入れようとしたフィリピン政府の方針に、最も激しく反対したのは修道会だ。彼らは現地の文化を野蛮と見なし、それを伝承するタガログなどなくなればいいと思っている。世界に通用する英語を自在に操れるようになることが、彼らの幸福につながると本気で信じている。そこに悪意はないが、自分が帝国主義時代の植民地政策と同じことをしているという自覚もまた、ない。 日本人である自分は、フィリピンの国際教育会議に出る機会があり、非常におかしいことだと感じた。そのことをある修道女に話したら、彼女は肩をすくめただけだった。つまり、彼女らの意識では、いつまでも現地語にしがみついている日本人はしょうがないやつら、ということであるらしい。しょうがないのは自分の方だとは、絶対に考えない。 だから、隣人愛だけは広めるべきだが、それが近代西欧の押しつけになってはならないのだ。亡くなった中村哲氏は、特定の言語や文化の押しつけをせず、アフガニスタンの人たちがどうしたら貧困から抜け出せるかだけを考え、実践した。そこにはいかなる押しつけがましさも感じられない。「現地」の顔の見える人たちへの直接的な隣人愛の実践が彼の生涯だった。また、彼は自分の実践をほとんど語ろうとはしなかった。語る場合は、次の支援の資金を得る場合に限られていた。 もはやヒューマニズムは、個々の人間が限られた場面で、限られた人に向かって発する、非常に矮小化された思想に堕してしまっているが、それでもその思想を支持するべきだし、日常の生活圏、つまり仕事仲間や家族に向かって実践していくべきだと考えている。誰もが中村氏のような人生を送ることはできないが、足元の生活の中で、多少のヒューマニズムを発揮することは決して難しくはない。
2020.02.03
(3)「世俗化」の原義 「世俗化」とは、日本語では多様な意味があるが、その原義は「神中心主義」から「人間中心主義」への移行である。ヨーロッパ近代は、そのことによって作られた。 聖書はルター以来、その時代の「国語」で書かれるようになったし、「地動説」が現れ、神学でも人間の「自由意志」の是非が議論され、「進化論」が現れた。一般にはあまり知られていないかもしれないが、カトリック教会が「進化論」を異端として排除することをやめたのは1962年である。それほど、人間中心主義は隣人愛を教義とするキリスト教と敵対的である。 「人間中心主義」は、人間が神に代わって人類の救済を実現していこうとする歴史観を持つにいたる。その究極の形がマルクスだろう。こうして、人間中心主義は科学をその武器として、キリスト教と戦ってきたのだが、科学の客観的真理を求める態度は、やがて人間自身の限界、科学自身の限界も明らかにする。そして、世界には絶対的救済者はいなくなった。 私は、ニーチェの「神は死んだ」はその意味に解釈可能だと考えている。近代に成立したネイション・ステート(国民国家)は、内部では民族純血主義による少数民族の迫害(ナチズムはその典型だ)を行い、外部では植民地帝国主義の覇権争いが世界規模の戦争を引き起こした。現代でも、イスラム対西欧社会の争いは、十字軍の聖戦の比ではない規模で続いている。(4)人間中心主義の隣人愛 現代、キリスト教の「隣人愛」の精神は、国家によってではなく、それよりは比較にならないほどの脆弱な力しか持たないNGOやNPOが局地的に発揮しているに過ぎない。国家はそれに理解を示しているかのようなポーズをとり、若干の補助もするが、その一万倍はある軍事費を削減しようなどとは決して考えない。 やはり、人間の人間に対する愛情には限界があり、自分の顔の見えるコミュニティの外の人間に対しては、若干の寄付くらいはするが、現地に直接に行ってボランティアをすることはない。そういう奇特な方には頭が下がる思いだが、自分はやはり周囲の人間を大事にする方を選択する。 「人間中心主義」の隣人愛の及ぶ範囲は、決定的に狭い。
2020.02.02
(1)ヒューマニズム=人道主義 「ヒューマニズム」という外来語に、いいイメージを持つか、どうか。それは哲学や倫理学を多少勉強したか、どうかで大きく異なる。 一般には「ヒューマニズム」とは、「人道に基づく振る舞いの基盤になる人間尊重の精神」というふうに受け取られており、それは当然倫理的な行いの基盤でもある。ボランティアの精神も、ヒューマニズムによるものだ、と言って、誰か異論を唱える人がいるだろうか。 そしてこの精神がキリスト教の「隣人愛」の精神に端を発するものだ、という了解も、一般的である。「隣人」とは文字通りの意味ではなく、世界中で貧困や病気に苦しむ人のことで、その人たちに愛の手を差し伸べるのが「隣人愛」の実践である。つまり、「隣人愛」はその性質をグローバルに拡張していく。 北朝鮮のような、グローバル社会のはみ出し国家に対しても「人道的支援」は行う方がいい、と思う人は今はそういないだろうが、以前は多数派だった。アフリカの最貧国に学校を建て、給食によって栄養状態を緩和する、そのための一定額のサポートを呼びかけるCMがよく流れるが、自分がその支援をするかどうかはともかく、それが悪いという人は今もいないだろう。 つまり「人道主義」と訳される「ヒューマニズム」は、人間の善性を信頼し、その発揮によって世界を善き方向に導く思想、というように一般には理解されている。(2)ヒューマニズム=人間中心主義 もちろん、その理解が間違っているわけではないが、「ヒューマン」は元来「人間」であり、「ヒューマニズム」という語が現れた時、「人間」に対置されていたのは「神」であった。 「神」とはもちろんキリスト教の「神」であり、イエスの思想の中心は「隣人愛」であった。「隣人愛」は「神」の「人間」に対する完全な「愛」から見れば、甚だ不完全で未熟な愛とされている。人類を救済するのも、その歴史を導くのも「神」であり、中世ヨーロッパは、まさに「神中心主義」だったのだ。 中世都市の一般的な形は、ランドマークである教会の塔を中心として放射状に道路が伸びていくもので、教会は現世のコミュニティの中心でもあった。「カノッサの屈辱」が象徴するように、法王の権力は、時に王権をはるかに凌いでいた。聖書は「神の言葉」であるラテン語でしか書かれなかったし、それを解することは法王ー司教―司祭という教会内部だけでなく、社会の上層階級にとって必須の教養であり、隣人愛を差し向けられるべき、当時の庶民階級にはラテン語は無縁の言語だった。 「神中心主義」から「人間中心主義」に。これが、ヨーロッパ近代思想史のエポックである。
2020.02.01
あと30分で。車をホテルの駐車場に入れ、ホテルに荷物を預け、できれば馴染みのカレー屋に行って・・・と考えるとこの時間でないと余裕がない。弓はもう車に積んである。後はスーツケースとリュック。雪の異常に少ない冬だが、それでも安全運転で。妻はひょっとしてら今日、青森のコンサートだそうだ。それぞれに楽しむ時もあれば、一緒の時もある。
2020.02.01
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