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今日は振替休日だが、授業は平常通りに実施する。 時間を調整しているクラスもあり、早速午前10時からもう始まっている。 子供たちはGW連休に突入し、ウキウキ気分だろう。 どこかに出掛けて思い出を作るのもいいことだが、学習についても何か手応えを残したいものだ。 欲張らず、ワンテーマ攻略がいい。 中学生なら、ちょうど「統一達成テスト」があるので、小学漢字の総チェックがオススメだ。 小学校で履修する漢字は、後々、作文や短文記述の問題で必ず必要になる。 曖昧なまま「ひらがな」でごまかし続けると、字数制限の記述などで苦労する。 小学生もこういう機会に、習った漢字の見直しをぜひ進めておこう。 こどもの日が近いが、こういった行事の色合いは年々薄くなっていくような気がする。 柏餅は食べるのだろうが、今や「兜」や「菖蒲」を飾る家も少ないだろう。 外を歩いていても、大きな「鯉のぼり」は見なくなった。 昔はけっこう庭の隅に、5、6メートルの棒が立っていて、4月中旬頃から鯉が泳ぎ始めたものだ。 マンションが建ち並び、庭のある家庭も減り、風情が変わったなあと思う。 この連休期間には、「昭和の日」「みどりの日」「憲法記念日」などの祝日もあるが、ただ休めるからバンザイではなく、一体何の日なのか調べてみてはどうだろう。 平成の前、昭和の日は何という休日だったのか。 そして憲法記念日については、「文化の日」も一緒に調べてみて欲しい。 こういう知識は、親がただ教えるのではなく、自分で辞書を開き、書きとめていくことに大きな意味があるのだと思う。 1年の祝日や行事の由来を、休み中にひと通り調べてみるのもいいのでは。 せめて行事の気分だけでもと、毎年、教室には小さな鯉のぼりが泳いでいる。
2007.04.30
授業では、生徒に様々な知識や情報を与えていく。 私は主に理科、社会担当しているので、それらは洪水のように溢れてくる。 授業の中身によっては、ほとんど休む暇もない。 生徒は知識が次々と押し寄せてくるので、記録したり、反芻したり、大変だ。 情報というものは量が増えると、次第にぼやけたものになっていく。 焦点が定まらないまま、ただ数だけ増えていく感覚。 見直すにしても、整理するにしても、何が重要なのかも分からない。 よく、「俺の言うことは全部重要だから、よく聞いてろ」と言う指導者がいるが、 私はそれは、ズレた主張だと思う。 私はよく板書をしながら、記号、ライン、囲みなどを書き込むことがある。 記号には「A」「S」「SS」「SSS」や、星印などを多用する。 重点を示すためだ。 特に「SSS」は、超頻出事項で、「知らないと試験を受ける資格がないと思え」ぐらいの檄を飛ばす。 「いいか、次の模試から受験までに100.0000000%出るぞ」 などと断言したりもする。 後で生徒のノートを見ると、SSSの記号と「チョーでるっ!!」などという書き込みがよくされているものだ。 指導者の言うことが100%重要なんてことはあり得ない。 重点というものは、授業の中で波のように行ったり来たりするものだ。 ここが重要で、これはその用語を理解するために知っておいた方が便利、というように、焦点を明確にしてあげる。 知識にメリハリを付けることで、見直しの手順も分かりやすくなるだろう。 何千もの問題に接していると、問いのパターンが見えてくるもの。 その分析まで生徒に示してあげる。 また、高いランクを付けたものは、後日必ずチェックするようにしている。 ただ示すだけでなく、目的は完全にマスターしてもらうことにあるからだ。 そこを信じ、しっかり身に付けた生徒は、必ず力を付けてくる。 まずは、覚えろよ。
2007.04.29
「あなたの学力を詳しく説明してください」 こう質問されて、本当に詳しく説明できる者はまずいない。 大抵の生徒は、「○○が苦手で、特に○○が全然分からなくて困っている」というように、自分の弱点を言ってくる。 塾というものが、勉強の悩みを相談し、サポートする機関だから。 それは確かに頷けるが、では学力というものは、弱点を確認することがすべてなのだろうか。 何故自分を語る時に、長所や得意な点には触れないのだろう。 勉強の質問をすると、中にはこんなケースもある。 飛び込み面談での、中2の女子との会話だ。 「苦手なのは、どういった部分?」 「全部」 「全部って、少しはできるヤツもあるだろ?」 「えーっ? ない、ない。だってバカだし」 「勉強するのって、嫌いか?」 「マジ、嫌い」 「じゃあ、何で塾でやってみようと思ったの?」 「うーん・・・・このままじゃヤバイっしょ?」 「そうか、少しずつでも自分を変えてみたいんだね」 「まあ、そうかも」 「でも、勉強嫌いなんだろ? どうする?」 「よく分かんないけど、教えてもらえば良くなるかなって」 「なるほどね、じゃあ、先生の言うことよく聞いて頑張れるかな?」 「えーっ、何とも言えないけど・・・」 「きみって素直だね、先生好きだよ」 「本当に?」 「先生も何とか力になりたいな。だからきみのこともっと教えてくれる?」 「うん、いいけど」 「じゃあ聞くよ、一番嫌いな科目って何?」 「数学でしょ、英語でしょ・・・・あと理科・・・」 「国語はどう?」 「好きじゃないけど、本はよく読む」 「そうか、漢字はどうだ?」 「うーん・・・・まあまあ書けるかも」 「ほう、いいね。社会はどんな感じ?」 「地理はそこそこ点が取れたけど、歴史は最悪」 「歴史って暗記ばっかりで面倒くさいよな。じゃあ地理は結構できるんだ」 「できるって・・・・あっ、あの記号とか好きかも」 「地図記号か?」 「そうそう、それ。お寺とか、工場とか。前、テストで95点取ったんだよ、凄くない?」 「へぇー、たいしたもんだね。先生より詳しいかもよ」 「あと、理科のさ、動物が出てくるヤツ、結構いけるかも」 「消化とか反射とか習うやつだね」 「あっ、それダメ。じゃなくて、カエルとか哺乳類とか出てくるヤツ」 「分類か。鳥が温かいとかやるやつだ」 「それって、恒温動物って言うんだよ」 「詳しいねぇ、結構知ってるじゃん」 「でもテスト悪いし、バカだよ」 「いや、そんなことないって。みんなが知らないこと色々知ってるし、頭いいよ」 「そぅお?」 「やれば、きっとびっくりするくらい伸びるよ。今までやらなかっただけだって」 「でも、一生懸命やるの嫌いだよ・・・」 「そうか、だったら、そんな気合入れてやらなければいいさ。あと、やろうと思っても、やり方が分からないんだろ?」 「そうそう、どうやったらいいか、よく分かんない」 「分かんないから、無駄な時間がどんどん過ぎてっちゃう」 「いくらやってもテスト最悪だし」 「でも、いい点取ってみたいだろ?」 「そりゃあ・・・・」 「だったら、先生にきみのカルテを作らせてくれないか」 「カルテ?」 「医者が書いてるやつだよ。きみの弱点も得意な点も、詳しく記録して、アドバイスしてあげる」 「そんなんで、勉強できるようになるの?」 「もちろん。成績を上げるためには、色んなデータが必要なんだ。そのかわり、生活とか遊びとか、勉強以外のことも正直に答えてもらうよ」 「遊びまで?」 「一日の使い方とか性格とかって、結構成績と関係あるんだよ」 「はいはい、でも親には言わないでね」 「そうか、バレるとまずいことしてたりする?」 「そうじゃないけど、勉強するってなったら、しないとうるさいから」 「大丈夫だよ。少しずつ、マイペースで頑張っていけばいい」 「はい、じゃあ・・・やってみる」 「よし、いいねえ。じゃあ色々聞くからちゃんと答えるんだぞ」 「オッケーです!」 話の流れの中で、必ず、できる部分を探っていく。 そして、拾って誉めてあげる。 生徒の表情が和らぎ、語りの 「リズム」 が変わる瞬間だ。 前半と後半の語調の変化にお気づきだろうか。 生徒は自分から得意なものは語ってこない。 何かしらのコンプレックスを持ち、この場に座っている。 苦手な部分のチェックで終えてしまえば、生徒の芽は拾えない。 我々はあら探しをする審査員ではない。 あくまでも可能性が先行している。 その可能性を伸ばせるものと、引っ張るものを、正しく捉えてあげる。 砕けた言葉で会話を楽しみながら、 自信を持たせ、明日への魅力を説明してあげる。 「やる気」 は、すべての根源。 そいつを引き出し、ルートに乗せてあげるのが面談の本質なのだろう。 そう思っている。
2007.04.28
4月からの新学年も軌道に乗り、中学生の意識に変化が見え始めている。 塾で学ぶということの位置づけの違いというか、感覚の違いというか、学年ごとの差が微妙に出始めている。 1年生は元気だ。 小学部での活気が、夜の授業になっても衰えることがない。 中学生活への期待がエネルギーになって出ている感じだ。 2、3年生は以前に比べ、静かに取り組んでいる。 真剣さが感じられ、とてもいい流れである。 その意識の相違は、教室のあちこちの空気をそのまま創っていく。 先日も中1生がはしゃいでいたので、いくつかのクラスを注意した。 中1生の視野はどうしても狭くなる。 質問のし方も、「先生! 先生!」と何でも連呼するのではなく、タイミングを見て的確にすることが大切だ。 そこが小学生と違うところでもあり、学習すべき学びの姿勢でもある。 6年生は今まで天下だったが、中1になると、周りは先輩ばかりだ。 真剣な先輩たちに対する気配りも、一緒の教室で学ぶ上で大事なこと。 視野を少し広く持って、気配りと集中のし方を考えてみよう。 そう告げたら、生徒なりに工夫してくれているようだ。 中2、中3生も、自分の向き合っている課題を、もう一度意識してみよう。 今何をしているのか、先生は何を説明しているのか。 テーマは目の前にある。 周囲の批評をしている場合ではない。 集中したいのに周りが気になるのなら、それは、「学び」に対する意識に変化が起きたということ。 学年特有の感覚でもあり、とてもいいことなのだ。 入試までの期間をしっかり捉え、毎日をアクティブに消化していこう。 統一達成テストの案内も教室に掲示した。 反応は様々だが、今回は意外とブーイングが少ない。 ゴールデンウィークをどう過ごすかで、結果は大きく変わる。 みんな分かっているはずなのだ。 やるか、やらないか。 達成の結果を、一人一人しっかりと受け止めたい。 本日は、明日実施の「北辰テスト」対策。 先ほど終了し、このあと理科の授業に入る。 数時間前から、雷と雹という悪天候。 それも受験生には関係ないことだ。
2007.04.28
専用のPCが故障しました。 連休中、更新がスムーズに出来ないかも知れません。 何卒、ご了承ください。 今晩、修理に再トライしてみます。
2007.04.27
本年の第一回『漢字検定』、『英語検定』の申し込みを受け付けている。 塾生にはもう浸透していると思うが、会場はこの教室だ。 わざわざ公開会場に行かなくとも、気軽に受けられる。 ぜひ限られた機会を有効に活用して欲しい。 中3生は内申に書ける資格として、もう定番である。 秋に第二回があるが、行事や他の試験と重なることも考えられる。 今回のチャンスを見逃さないこと。 それぞれ3級がグッドだが、漢検は4級でも意味はある。 英検の日程は、T中は修学旅行の翌日、T西中は修学旅行の前日になっている。 ハードか? こんなの全国に山ほどある。 重なってないことを幸運と思いなさい。 漢検や英検は、内申に書けば加点してくれる高校もある。 今までの学びのレベルを審査する意味でも、必ず受けること。 受験はもう始まっているのだよ。 中2生、中1生は、先日書いた「入試制度が変わる」ことを、念頭に置こう。 この件についてはまた詳しく書くが、ひとことで言えば、競争が復活の傾向にあるということだ。 受験で競り合う時に、自分は何を武器にすることが出来るか。 検定資格というものは、じっくり取り組みながら身に付けるられるものだ。 今から段階を踏んで合格しておくことが、後の入試で大きな貯金になる。 計画性を持ち、積極果敢に攻めて欲しい。 歩いて来れる教室で、友達と一緒に受検出来るぞ。 小学生は、自分の得意な方にチャレンジしてみよう。 英検は習ってないと辛いが、漢検はずっと下の級から受けられるぞ。 案内には対象学年が書いてあるが、あくまでも目安。 どんどん上の学年に挑戦して欲しい。 高校生、卒生も、自己の到達を知る意味で、ひとつ上級のカベにトライしてみなさい。 今回はすでに卒生の申し込みがあった。 初めて塾生の兄弟の申し込みもあった。 いいことだ。 失敗を恐れず、攻めていこう。 保護者の方も受検可能ですよ。 漢検は5月1日、英検は5月15日で一度締め切り、人数を把握する。 追加枠も若干設けるつもりだが、期日までに申請されたし。 直前は電話でも受け付けている。
2007.04.26
計算問題を20問解く時間。 ノート1ページ分の板書を写す時間。 過去問の大問を1つ解き、簡単に解説をしてもらう時間。 小テストを丁寧に3往復する時間。 漢字問題を50問やり、マルつけする時間。 教科書にラインを引きながら、10ページ黙読する時間。 社会の記述問題を、じっくり考えて3問解く時間。 プリント1枚の答え合わせをし、解答を記入する時間。 英単語30語を3回ずつ書いて練習する時間。 解りづらい設問の解説を、入念に5回読み返す時間。 理科一問一答を30問こなす時間。 10分の遅刻が何を意味するのか。 10分の頑張りが何をもたらすのか。 1日10分の積み重ねは、2か月で10時間になる。 6ヶ月なら30時間だ。 考えたことがあるだろうか・・・・ たかが10分のロスの積み重ねが、どんな結果を招くか・・・・ 30時間は10分の180倍。 それを先の例にもう一度当てはめてみるとどうなるか。 計算問題を3600問解く時間。 ノート180ページ分の板書を写す時間。 過去問の大問を180問解き、簡単に解説をしてもらう時間。 小テストを丁寧に540往復する時間。 漢字問題を9000問やり、マルつけする時間。 教科書にラインを引きながら、1800ページ黙読する時間。 社会の記述問題を、じっくり考えて540問解く時間。 プリント180枚の答え合わせをし、解答を記入する時間。 英単語5400語を3回ずつ書いて練習する時間。 解りづらい設問の解説を、入念に900回読み返す時間。 理科一問一答を5400問こなす時間。 1年なら、この倍になる。 計算7200問、漢字18000問。 仲間が1時間勉強したのなら、自分は1時間10分勉強するのだ。 その積み重ねがこうなる。 軽い気持ちで、いつも10分遅刻してくる者よ。 日々の気の緩みは、取り返せないほどの大きな歪みを生むぞ。 毎日の10分間。 その意味を、もう一度よく考えてみなさい。
2007.04.25
みんなへ・・・ 毎日起こしてもらい 当たり前のように おいしいご飯をつくってもらう 服が汚れれば洗濯してもらい 学校のものは揃えられ 重ねられ いつも綺麗なものが手元にある 毎日 元気に生活できる それは もの凄くありがたいこと 熱が出れば 看病してくれた 文句も 悩みも 何でも聞いてくれた 数え切れないほど 迷惑をかけながらも ここまで育ててもらった そんな君が 塾に通い 学ぶことが出来る いつも送り迎えしてくれる いつも汗を流して働いている いつも どんな時も 君を笑顔で迎えてくれる人 心配かけたよな ごめんな そんな気持ちを ぜひ 温かい言葉にしてください
2007.04.24
明日24日、『全国学力テスト』 が行われる。 色々な経緯があり、賛否渦巻く中の実施だが、やるからにはデータを最大限有効に活用して欲しいと思う。 今回の対象学年は、小学6年と中学3年。 教科は国語・算数、および国語・数学。 中3に英語がないが、読み書きソロバンの基礎力を調査する目的のためだ。 知識の定着を確認する問題と、適応力を試す応用問題とに分けて、各教科4限まで行われる。 問題はかなり平易と思われる。 平均点も高く出るだろう。 だが、普段より塾などで学んでいる者と、そうでない、学ぶことから逃げてきた者との差もはっきり出るに違いない。 ゆとり教育をどう受け止め、どう対応してきたかによって、 いわゆる 「二極化」 の構図が明確に表れるのではないだろうか。 特に中3生は顕著だろう。 私見だが、私はぜひ、「理社常識」 なる教科を取り入れて欲しいと思った。 最近感じることは、子供たちの常識が極めて不安な状態であるということだ。 社会生活をしていく上での、基礎となる常識。 これは、実際の教育現場でもとまどいを感じる部分であろう。 その辺の定着が確認できず、国算(数)だけというのは、残念でもある。 今回の受験数は、センター試験の4倍というもの凄い母体数だ。 トラブルがなければいいが。 国、自治体、学校単位で、結果を把握出来るというが、どう利用するのだろう。 仮に深刻な結果が出たら、さあ、教育現場は何をするのだろう。 問題用紙は生徒にくれるのだろうか。 回収されてしまうのなら、家庭でどう見直せばいいのだろう。 学力低下が深刻だと騒ぐ国。 定着を図るのが最終目的なら、見直し、解説もありではないのか。 具体的な計画が見えないままの実施は、不安でもある。 国のやり方は、いつもそうなのだが。
2007.04.23
『問題を解く』ためには、自ら「問題の世界」への扉を押し、 自力で前へ進んでいかなくてはならない。 扉は重く、力を蓄えなければ、簡単には開かない。 扉の手前には常に門番が立っていて、進めるかどうかの資格審査が行われる。 どれだけ知識を身に付けたのか、どんな道具を持っているのか。 審査の結果、合格ならば前進できるが、不合格ならば出直さなくてはならない。 知識のない者が問題を解こうとしても、解けない。 それは分かっているが、みな扉の向こうの知的世界に憧れる。 通過できた者は、資格のある上級者。 そうなりたいと思うなら、自分のレベルを上げてパスするしかない。 「問題の世界」には試験というものがある。 そこで成績が悪ければ、扉を開けて戻って来なくてはならない。 そしてもう一度、インプットをやり直す。 そんな仲間が、入り乱れ、周りにわんさか集まっている。 君の力はどのくらいか。 問題を解く上で必要な、最低限の知識と法則の習得。 どこまで自分で攻め込んできたか。 ここまでと、勝手にラインを引いてはいないか。 都合よく、覚えた気になってはいないか。 試験の評価は公平だ。 君のレベルはそのまま数字で出てくる。 解けないのなら、まだ力の蓄えが不十分だということ。 伸びる余裕があるということ。 ならば、何をする? 今日の5個の知識で、勝負できるかも知れないのだよ?
2007.04.22
やる気が起きないというのなら 「やる気のない」計画を立ててみたらどうだろう 普通の計画とは逆に やる気を出してはいけない 勉強してはいけない時間の 計画を立ててみる さあ 月間計画だ 君はここぞとばかりに ほとんどを 「やる気のない時間」 にしてしまった 毎日自由に過ごせる ダラダラと 適当に時間を潰していればいい 天国だ 10日が経った まだ勉強というものは 何もしていない でも変だ 何かが変だ 教科書が ワークが 妙に気になる でも今は勉強してはいけない 「やる気のない時間」 君はスナック菓子をつまみ マンガを読み始めるが どうも落ち着かない 15日目 30分だけ計画に入れた勉強の時間がやって来た 妙な気分だった 君はワークをむさぼり読み 問題を解き 解答を何度も紐解いた 気がつくとあっという間に時間は過ぎていた また「やる気のない時間」が始まる 勉強はここまでだ 要点をまとめる時間が欲しい テストが近いのだ 計画表には あと10日まったく勉強時間がない えっ? ・・・・・? その翌日 計画表は新しいものに替わっていた 人間とは不思議なもので 「やらなくてはいけない」と思うと やる気が起きない 「やってはいけない」と思うと 無性にやりたくなる そんなものなのだ 時間があふれると 作業を後回しにしてしまう 部活や 家業で 机に向かう時間がない者は 限られた時間の使い方がうまい 計画が何のためにあるのか 守るためではない 我慢するためでもない 自分を向上させるために そのプログラムとして存在している そんなことを考えてみてはどうだろう 禁止され 枯渇の状態から見えてくる そのものの大切さ 嫌いな勉強にも きっとそれは見えるはずだ
2007.04.22
ドアはいつも開いている。 暑い夏の日も、 木枯らし舞う冬の日も、 いつも少し開けて君を待っている。 訪ねた仲間がスッと入れるように、 ここはいつも開放的にしたいから・・・ すき間から漏れる、明かりと笑い声。 一人、また一人とその輪に加わり、教室の顔が創られ、小さな鼓動を始める。 やがて訪れる、新しい仲間たち。 ドアのそばでそっと耳を澄まし、風を探してごらん。 温かい空気、感じるかい?
2007.04.21
私は 「塾」 という言葉が嫌いだ。 塾という韻には、閉鎖的な 「学び」 の姿勢が強く滲んでいる。 目的を持った有志が集まり、しゃにむに学んでいる姿。 そんなイメージがどうしても拭えない。 塾というものは本来 「専科」 であるべきだ。 その道の師がいて、自分を磨くために、ここに来て教えを乞う。 それがいつの間にか 「選科」 になり、学ぶ側が優位になった。 コースも、クラスも、教科も自由。 やがてそれは目的のずれた、複合集団を作っていく。 受け皿がマスプロ化すればするほど、本来の塾という姿からかけ離れていく。 以前にも書いたが、私はこの場所を 「教室」 と呼んでいる。 教室といっても、学校のようなものではない。 作り手である私やスタッフがいて、生徒たちがいる。 その関係には、様々なベクトルが存在している。 ここでは、講師主導のかたちがあれば、生徒主動のかたちもある。 両者がすぐ隣で、互いの構図を作っていく。 自然体なのだ。 示し合わさずとも、自ずとそうなっていく。 そして、そこから次の展開が始まる。 型に嵌めることが教育なら、わが教室は完全に邪道だろう。 何故なら、わが教室は生徒のリズムを感じるところから入っていく。 生徒の波長を探り、ゆっくり殻を開いていく。 主役は誰かということを常に考えている。 主役は講師でも私でもない。 言うまでもないことだ。 主役である子供たちの意識が、この教室とシンクロしていく。 そんな姿が似合う教室にしたい。 我々が知恵を与え攻め込むには、我々自身が心を磨かなくてはならない。 相手を思うこころ。 生徒の最高の笑顔を引き出せる攻め方。 様々な記録と成功体験が、ここに眠っている。 一律に教えるだけの授業。 そんな一方通行のやり取りなら、ビデオで済むことだ。 心を感じ、語り合うことの意味合いを、私は大切にしたい。 家庭環境も、今日あった出来事も、得手不得手も、みんな違う生徒たちが集まってくる。 光と空気が複雑に捩れていく瞬間。 リズムを感じ、手を差し伸べてあげること。 それは、ただ 「学びの舟」 に押し込むのではなく、乗り込む勇気を与えてあげること。 そして乗り込んだあとの素晴らしさを、丁寧に説いてあげること。 選択もタイミングも、すべて生徒の心にある。 「学び」 を生徒と一緒に、一から築いていく。 だからここは塾ではないのだ。 様々な目的を持った仲間が、自由に演じていける空間。 じっくりと、自分に必要な知恵と価値を探していける場所。 カバンにいっぱい詰め、みんな元気だ。 私が 「サロンという名の教室」 にこだわるのは、遊び感覚ではない。 小さな子供たちに芽生えた歪みを、共有してあげたい。 学ぶことって、ほら、こんなに素晴らしいんだよと教えてあげたい。 そのすべてを包含した場所を創ってあげたい。 知育も徳育も、才能を発見させながら描いていく。 才能を自信に、自信をかたちに。 各自のスタートとゴールを見守り、背を押し。 自ら学ぶことを知り、やがて巣立っていくまでの短い期間だけに、 みんなにそっと、安心のようなものを提供したい。 明日も、明後日も、歓声で賑わい、輝いている。 そして、いつまでも明かりがついている。 そんな教室を創ろうとしている。
2007.04.20
で いこう 気分が引き締まり モノトーンと緑の 調和した空気がいい マネキンを置けば まるでブティックだな 本当に置こうか・・・? そうしたら地元中学の制服を着せて 名前やプロフィールは みんなに決めてもらおう 今晩も 演出を手掛ける
2007.04.19
「物があふれ、情報があふれ、今の子供たちは裕福だな」 以前からそんなことを、漠然と感じている。 我々の世代は、今の子供たちを見ると、どうしても自分の頃と比較してしまう。 私は昭和34年生まれ。 ちょうど高度経済成長の時に、少年時代を過ごした。 小さい頃は、物があまりなかった。 裕福ではなかったので、欲しいものを手に入れたいという感覚もなかった。 小学生の頃は、外で友達とよく遊んだ。 ほとんど毎日、日が暮れるまで走り回っていた。 喉が渇けば、駄菓子屋になだれ込み、「おばちゃーん、水ちょうだい!」 と、みんなで競うように蛇口の横から直接水を飲んだ。 下校すると、ランドセルを放り投げ、母の蒸かした「さつまいも」をよく食った。 塩を掛けて食べる。それがおやつだった。 味は今でも覚えている。 市販のケーキなんかより、数倍うまかった。 着るものは決まっていて、帽子はみんなと同じジャイアンツだった。 悪友が集まると、よくヒーローになりきって遊んだ。 鉄人がいたり、8マンがいたり、ソランがスーパージェッターになり、飛雄馬がウルトラマンと戦っていた。 小遣いをためて何かを買ったという記憶もない。 新聞紙でヘタクソなグローブを作り、一人でボールキャッチをして遊んでいたら、母が誕生日に本物のグローブを買ってくれた。 うれしくて、毎日使った。 寝るときも手にはめて、まどろんでいた。 小学校高学年ぐらいになると、確かに欲しいものも色々と出てきた。 親に頼んでも、いつもうまくはぐらかされた。 友達の乗っている、方向指示器付きの自転車がうらやましかった。 友達の持っている、望遠鏡が、野球盤が、レーシングカーがうらやましかった。 でも、持っていない友達の方が圧倒的に多かった。 毎月のように新商品が登場し、世の中が潤っていく。 そんな時代に育ったから、欲しいものはどんどん増えていった。 少年期に欲しくてしょうがなかったもの。 今振り返ってみると、それらは無くても別に問題ないものばかりだから不思議だ。 もし親が何でも買ってくれていたら、どうだったろう。 欲求が満たされ、その時はうれしかったに違いない。 でも、何か大切なものを失ってしまったような気がする。 「我慢する」 ということを知らないで育った人間は怖い。 今の子供たちには、贅沢を絵に描いたような者がかなりいる。 早くから、娯楽や快楽の欲求を満たしすぎているように感じる。 店で子供が欲しいとダダをこねる。 よく見かけるが、「じゃあ今回だけよ」 などと簡単に買い与えてしまう親も少なくない。 子供が喜ぶ姿は、親もうれしいものだが、何かずれてはいないだろうか。 携帯にしてもゲームにしても、親が与えておいて、管理が出来ないと怒る。 目の前に楽しいものがあれば、それにのめり込むのが子供だ。 道具を与える時には、自制しながら正しく使いこなせるかどうかを、判断基準にしなくてはならない。 その判断を誤り、みんなが持っているからと与えるから、身の回りに物があふれていく。 サルの檻にバナナを散りばめて「いじるな」と言っても無理なのだ。 欲しくても手に入らない。 いわゆる、枯渇の状態をもっと体験させたらいいのにと思う。 我が少年時代は、誘惑に対する我慢の時代だった。 いつも枯渇の感覚の中で育ち、考えさせられた。 物を大切にすること。 物を長持ちさせること。 どんな小さなものも粗末にしてはいけないと、いつも母に叱られた。 すぐ手に入ったり、買い換えたりしない環境で、色々と学ばされたこと。 その 「心」 を、今この歳になって噛みしめる。 子供たちにとって大切なことは何だろう。 物がなければ工夫が生まれる。 物がなければ、すべきことが見えてくる。 我慢しながら学んでいく強さのようなもの。 成長期には、そんな凛とした空気が宝になるような気がする。 公園で拾った一本の棒切れ。 私たちはそれで日が暮れるまで遊べた。 相談し、意見を出し合い、ルールを決めていく。 発想を探りながら、何でも遊び道具にしてきた。 そんな感覚は、今の子供たちにもあると思いたい。 真剣な眼と野性的な姿が、やっぱり子供には似合う。 物はなくても、自然と心は潤うのである。
2007.04.19
どんなに疲れていても、どんなに具合が悪くても、 子供たちを忘れたことはない。 毎日、この教室に集まってくる仲間たち。 元気なやつ、沈んだやつ。 今日の出来事と言葉を持ち、色んな表情で空気を創っていく。 計画通りにはいかない愉しみが、そこにはある。 「お前ら、若いなあ」 もう何度、呟いたことか。 悩み、塞いでいる仲間を見ると、慰め言葉ではなく、そういって肩を叩く。 その言葉の意味は、今はまだ分からないだろう。 覚えていてくれるなら、10年くらいして思い出してくれればいい。 ほんの少し、温かい、大きな力を感じてくれればいい。 私の意識は常にこの教室にある。 私のすべき行為は、ここで仲間たちを感じてあげること。 教えること、諭すこと、導くこと、いや・・・・・ それ以上にもっと、いつも心を感じてあげていたい。 だからいつも、子供たちが忘れられない。 あいつ大丈夫かなあ、ここのところ元気ないよなあ。 あいつ元気になってよかったな、今日の笑顔最高だったぞ。 帰宅しても、どこにいても、彼らのドラマが追いかけてくる。 感情を感じてあげる。 そして一緒になって考えてあげる。 素敵だと思う。 この歳になって、多くの子供たちと出会い、そう思った。 私が創ったこの教室。 数々の思い出と記憶が染み付いた、この教室。 私が疲れたと弱音を吐く訳にはいかない。 でもちょっと体に来ている。 こうして画面に語る気力は残ってはいるが。 ここ4日の総睡眠時間は7時間。 昨晩は徹夜のため、すでに43時間起き続けている。 残りの仕事をせねば。 感じる心を守り続けなければ。 眼が開かない。 でも、負けるわけには・・・ 子供たちが待っている。
2007.04.18
こういうのって、本当にいいですね。 毎年書いてもらっている、卒生慰労会での色紙です。 今年は何だか「塾長」ネタが多い。 「ねろー!!」と言われても、おまえらが苦労かけるから寝れないのだ。 でも、みんな楽しかったと言ってくれて、感無量。 しかし今年の卒生は、結束力たくましく、凄まじいパワーだ。 高校でもその調子で、気合入れて頑張れよ。 そして遊びに来いな。ご馳走するぞ~。 ・・・・て言うか、4月になってもしょっちゅう来てるが。
2007.04.17
教室の改装は、第一段階が終了した。 什器と導線の骨格は出来たので、あとは細かい部分の改善と演出である。 その演出には力を入れたい。 塾生が魅力を感じる教室であると同時に、外部の生徒が見学に来て、とりこになるような個性を出したい。 地域にはない、いや県内にも、全国を探してもないような刺激的な広場。 その異空間で、生徒が生き生きと学んでいる。 最終の姿は、私でさえ想像し得ない素敵なものになるだろう。 5月の連休までには、すべてを完成させたい。 生徒が楽しみ参加できる、設備と仕掛けを工夫していく。 その工程は私の楽しみでもある。 童心に帰った自分がワクワクしながら、一つ一つを教室という箱に散りばめていく。 展開は、いつも計画を飛び越え、自由に走り出す。 どのようなものになるか、仕上がったらアップしたいと思う。 写真は先週までの風景。 子供たちの「サロン作り」はここから始まる。
2007.04.16
力を付けるということは、私は一点に集約する能力を磨くことだと思っている。 それは生徒たちの学びの世界にも、我々大人の処世術にも共通して言えることだ。 人は様々な場面を通じ、情報を拾いながら学んでいく。 様々な角度で、そして様々なアレンジをもって得た情報。 頭の中でくすぶっているそれらを、活用場面でどうやって繋げていくか。 結局、その 「まとめ方」 の差が、力の差となって表れてくるのだと思う。 ばらばらの知恵をかき集め、「かたち」 を作っていく。 パーツである知恵を一点に集約し、組み立てるのである。 簡単な模型のように。 生徒たちの 「学び」 に絞って考えてみよう。 勉強がよく分からないという生徒は、情報の保存・活用が下手な場合が多い。 下手というよりも、雑と言った方がいいかも知れない。 情報が頭に100あっても、バラバラにうごめいている状態。 法則性がなく、保存状態も悪く、しかも同列のまま放置されている。 この同列というものには、大きな意味がある。 情報を頭に収める時には、自分の中で収納すべき位置を決めなくてはならない。 位置付けとは、言い換えれば情報の 「質」 に 「強弱」 を付けることでもある。 知恵を構築する上で、この情報の収め方が密接に関係してくる。 論文の目次をイメージして欲しい。 表題があり、章があり、項目があり、さらに番号で細分化されていく。 このような、テーマや機能による関連と組み立てを、頭で行うのである。 何がメインで何がサブなのか。 グループとして、どこに収納したらいいのか。 そうしたことを意識し、幾つもの集合体を膨らましていく。 自分なりの感覚でいいのである。 いざ使う時に、道具として揃えやすい配列をイメージすればいい。 収めた地番がはっきりしているほど、スムーズに引き出すことが出来る。 情報や知恵としての道具は、複数のものを集めて使う場合がほとんどだ。 だからこそ、引き出しやすい、集めやすい構図を頭に描き、 常に一点に集約できる準備を整えておく。 その訓練方法をひとつ挙げてみたい。 情報を整理し、イメージをどう膨らましていくか。 我流ではあるが、何かヒントが得られればと思う。 B4の紙を何枚か用意し、まず、教科ごと、単元ごとにタイトルを打とう。 そして、その紙面に得た知識をどんどん書き込んでみよう。 順番も位置も意識しなくていい。 大切と思える用語、法則、公式、基本題とその解き方、図表、一覧、資料、あるいは試験で間違えた設問、その解説などを書いていく。 ある程度埋まったら、その紙をじっくり眺めてみよう。 そして次に、そのバラバラの情報・知識の配列を考えてみる。 メインとサブ、強弱を意識してみる。 点の知識を、線の知識に変えてみるのだ。 うまくいかなかったら、本当に線で結んでしまえばいい。 これを解くためには、これとこれが必要だ。 特にこれは重要で、他の問題にも必ず使う。 これはこういう問題の時に使うが、こういう問題の時には使わない。 強弱と関連性が見えてきたら、別の紙に書き直してみよう。 なるべく図式化し、イメージし易いものを作ってみる。 何でこんなことをするのかと言うと、これと同じことを頭の中で行うからだ。 その作業を、視覚を通じて練習するのである。 また、グループは互いに関係し合い、新たな情報を作っていく。 一つの情報から幾つもの情報を引き出せる仕組みを、頭に構築していかなくてはならない。 複雑ではあるが、慣れれば何のことはない。 分からないという生徒を指し、「分かろうとしない」 とよく言うが、私は違うと思う。 分かろうとしないのではなく、「情報の並べ方が出来ていない」 のだ。 分類、整理された情報は、とても使いやすい。 図書館の蔵書がすべてバラバラにシェイクされていたら、探しやすいだろうか。 頭の中も同じなのだ。 一点に集約させる技術は、そんなに大それたものではない。 いかに速く知識の道具を揃えられるか。 それは、日頃の収納管理の 「こだわり」 にかかっているのである。 力を付けるためにはまず、頭の整理から始めよう。 風化しそうな知識に、しっかりと地番を打ち、配列をアレンジしてみよう。 紙に描いた世界を、頭に焼き付けるのである。 メンテナンスは君にしか出来ない。
2007.04.15
今年の中3受験生の理社のレベルを見てみると、何とも情けない状態だ。 公立高校を受験するのなら、早期に対策を立てるべきであろう生徒が、相当数いる。 いや、と言うか、ほぼ全員である。 中には新中1生にも負けそうな、かなり重症なメンバーもいる。 今のところ、私の理社の授業を志願してきたのは1名。 おいおい、みんな大丈夫なのか? 用語を漢字で書けるのか? 化学式も反応式も完璧か? 歴史の教科書の索引を見てみろ。 何語あると思う。 さて、『理社一問一答テスト』をいつやろうか。 中間対策の前、やはり連休中がいいだろうか。 私の一問一答は半端じゃないぞ。 とりあえず、理科200問、社会300問。 この時期はまず、7割の正解を合格としよう。 夏休み後半で8割、年末で9割と、合格基準は高くなっていく。 いいか、今のうち、教科書用語の暗記をしっかりやっておけよ。 いざテストの時、「全然分かりません」という失態は一切許さない。 そういう者には、何度も追試が待っている。 部活だろうが何だろうが、夜来て受けさせる。 土曜も深夜までやる。 高校に合格したければ、自分に挑戦せよ。 合否のカギは理社の得点力なのだ。 真剣に学べ! 3年生は、内申に繋がる3年の内容もしっかり押さえなくてはならない。 1学期にやる「運動とエネルギー」と、「憲法」はそれなりに厄介だぞ。 これらの単元は、攻略のコツを塾で学ぶかどうかで、もの凄い開きが出る。 私の授業は、まだ空きがある。 真剣な仲間たちよ、早いうちに申し出なさい。 私の空いているコマを中2生に取られ、定員になっても知らんぞ。 もう既にその動きがある。 忠告しておく。
2007.04.14
中学2年の理科は、『電流』を学習する。 1年の『地震』が終わらず、2年にずれ込んでいる学校もあるようだが、終わり次第、次はこの電流を習うだろう。 今から言っておくが、この電流はやっかいだぞ。 理科が分からなくなるのも、毎年受験生が苦しむのも、この電流だ。 入試の三大苦手単元の筆頭とも言える。 電流は、「静電気」「回路」「オームの法則」「電力・熱量」「磁界」「電磁誘導」の順に学習する。 大体が、オームの法則の計算問題でつまずき、磁界と電流の関係やグラフが出てきた段階で、さっぱり分からなくなる。 今まで定期テストで80点以上取っていた生徒が、平気で30点台に落ち込む。 だが、それは逆に、しっかりやって理解さえすれば、誰でも上位に食い込める可能性があるということだ。 まず理論や法則をしっかり理解する。 そして、公式を使った計算題を何度も解いてみる。 みんな興味がなく、面倒くさいと諦めるからいけない。 きっちりやって、コツが分かれば難しくはないのだ。 補習やるから、つまずいたらすぐ相談しなさい。 試験前になって慌てるなよ。
2007.04.13
春の改装を手がける。 昨年は4月末の連休期間に行ったが、今年は少し早くしよう。 ちょうど今は、新学期が始まり、気分を新たにする時期。 生徒が楽しめ、そして落ち着いて学べる、 刺激のある変化に富んだ空間を、早く創りたい。 今晩から始め、週明けには完成させる予定だ。 ああしよう、こうしよう。 色々考えはある。 また、生徒たちが欲しいもの、教室にあったらいいなと思うもの。 そういうものも聞き出し、設備や演出に反映させていきたいと思っている。 教室の主役は子供たち。 その顔も、活力も、子供たちが創っていく。 我々は教室は教務力で決まると思いがちだが、果たしてそうだろうか。 教室には、子供たちの生き生きとした姿が似合う。 我々はその案内人であり、演出家。 そんなことを常に考えている。 教室の力は、子供たちの心のあり方で決まる。 また明日も来たいと思える教室づくり。 帰る時に交わす、活気ある笑顔と言葉。 そんな日常風景に、ヒントがあるように感じる。
2007.04.13
どんなに努力しても、結果が出ない。 こんなに頑張ったのに。 こんなに力を注いだのに。 こんなに時間を掛けて、やり遂げたのに。 何故かいつも、結果は平凡なまま。 悔しい。 こんな筈ではない。 君はまた頑張るが、なかなか成績は伸びない。 時間との闘いが、平凡な結果だけを作っていく。 君は何度も繰り返す。 自分のやり方を信じて。 でも、結局手元に残った物は何なのだろう。 こんなに努力したんだよ。 こんなに頑張ったんだよ。 自問自答の心の中に、 「やっている」という抽象的な行為だけが、空しく張り付いている。 結果が出ない悔しさ。 成果が出ない歯がゆさ。 「努力は必ず結果につながる」 そんな言葉を辿りながら、また机に向かう。 「頑張ろう」と自分に言い聞かせ、ペンを握る。 そしてまた繰り返していく。 こんな生徒はいないだろうか。 結論から先に言おう。 これは、いわゆる 「作戦のミス」 である。 学びにおける、典型的な戦略ミスである。 こんなことを繰り返していても、永遠に結果は出ないだろう。 何がいけないのだろうか。 反省と改善がない点だ。 結果を求めるならば、行為を検証し、より良い形を模索していかなくてはならない。 失敗をデータとし、そこに工夫を重ねていく。 何ができて、何がダメだったのか。 その分析から次のアクションが始まる。 工夫改善のないところに、大きな発展はない。 自分の行為に常に肯定的な者は、失敗を都合よく自己解釈する。 そして、泥沼の螺旋に嵌っていく。 自分の行為に常に否定的でいられる者は、思考に余裕がある。 それは、より自分を高めようとする姿に繋がっていく。 「失敗を否定するのではなく、成功を否定する」 それは言い換えれば、 「成功を肯定するのではなく、失敗を肯定する」 ということでもある。 その感覚を持ち、工夫に時間を掛ける。 結果を出したいのなら、自分の経緯を綿密に辿り、一度リセットすることだ。 そして、肯定すべき失敗を塗り直していく。 学びの手順も、姿勢も、効率を考えなくてはならない。 今までのやり方でダメなのなら、180度変えてみればいい。 道具も攻め方も、根こそぎ変えてみればいい。 そこから1つでも2つでもヒントが見つかればいいのだ。 手応えのある型が見えたなら、自分だけが大切にしていけばいいのだ。 改善とはそういうもの。 反省なきルーティンに成長はない。 点を取るためには、点に向かうベクトルが必要なのだ。 方向がずれたなら、点に向けて力の匙加減を変えなくてはならない。 力の強さも、配分も。 「こんなに頑張ったのに」と言いながら、結果が出ないのは、 実は頑張っていないのである。 方向がずれたまま、そこに力を注いでるのである。 どうすればいいか。 何をどう改善すればいいのか。 自分の作業を、一度遠くから俯瞰してみなさい。 第三者の視点で、冷静に全項目を評価してみなさい。 そして、部分の改善ではなく、ゼロから構築していくのだ。 真っ白な紙に設計していくように。 土台から描き、「学び」 を再生していくのである。 君が後生大事に持っている 「学び」 の方法論。 そんなに素晴らしいのなら、こだわればいいだろう。 だが、歯がゆさを感じているのなら、何か楔を打たなくてはならない。 改善は模倣から始まるとよく言われるが、 その前にすべき、大切なことがある。 具体的に知りたいのなら、訊きなさい。 ヒントはここにまた書くが。
2007.04.13
9月25日の川口園児殺傷事故から、もう7か月近く経つ。 教室のすぐ近くで起きた事故。 そこは、 いつもポスティングをし、塾生も周辺に居住している地域だった。 その様子は、当日と翌日の記事に書いたが、3日ほど前に悲しい事実を知った。 被害に遭った 『小鳩保育園』 が、閉園していたのだ。 しばらく振りに園の前を通ると、「テナント募集」 の幟が何本も立っている。 園内には什器もなく、がらんどうで、看板も外されている。 看板の文字の跡だけが外壁に残り、痛々しかった。 新学期を前に、方針を固めたのだろう。 園児の身内や保育士の心を考えれば、確かに存続は辛い。 少数の支持者もいただろうが、同じ場所で新学期を迎えるにはリスクが大きすぎる。 また一つ、子供たちの夢が消えていった。 そう思うと、残念だ。 園は毎年、越谷でお花見会を行っているらしいが、今年はなかったのだろうか。 看板に書かれていた、園の保育テーマを思い出す。 『安らぎと感動のもてる子供達』 素敵な言葉だと思う。 一所懸命に子供たちに接し、笑顔を共にしてきた保育士さん。 そして、発見と感動の中で生き生きと動き回る子供たち。 園にも子供たちにも、その家族にも、何の罪もない。 瞬間の悪夢が、何ともやるせない。 犯人には業務上過失致死傷罪が適用され、刑は意外と軽かった。 4名の命を奪い、トラウマを残し、多数の夢を打ち砕き、さらに園まで潰しておいて、この程度かと思う。 遺族の方々は、今も「危険運転」と「過失」について、憲法221条の見直しに向けた活動を行っている。 その気持ちを汲み、私も敢えてここに記事として取り上げた。 風化させてはいけないと思う。 街の安全や治安は、人と人が協力し合って根付かせていくもの。 そして不幸があったとしても、それは犯罪や事件というニュースだけで片付けられるものではない。 その続きがあるのだ。 何の罪もない者が、狂った歯車を背負わされる。 今回の閉園を知り、その根の深さを感じた。 園から移っていった子供たち。 何年か後、うちの塾生になるかも知れない子供たち。 明日を夢見て、大きく育てよ。 いつまでも、「安らぎと感動」 を忘れずにな。 こんな塾の親父も、そっと見守っているから。
2007.04.12
中3生の意識が心配だ。 新学期の最初の授業は遅刻する。 中には来ない生徒もいた。 理由は、「忘れてた」。 北辰テストは申し込まない。 塾内模試は欠席する。 期限までに受けに来いと言っても、来ない。 小学生が、中1・中2生が、100%しっかり受けている模試。 春休み、これだけ時間があっても受けに来ない。 英検、漢検も、中3生は反応がほとんどない。 T西中の生徒たちよ。 北辰は今回受けないと、次回は修学旅行でつぶれるんじゃなかったのか。 私立で使う9月の前に、7月の一回しか機会がないぞ。 それでいいんだな。 申し込んできた生徒も、大半は親に言われて持ってきただけ。 そして、未だに一度も受けていない生徒がいる。 受けないから、いつまで経っても偏差値が見えない。 塾に居ながら、学習診断も進路指導もできない。 お前ら、何をやっている。 受験を、どう位置づけている。 試験会場で闘うのは誰だ。 誰なんだよ。 受験は逃げ腰で闘えるほど、甘くはない。 志望校、受験校、進学校は、みな別次元のもの。 それを同じにしたいのなら、動けよ。 自己診断し、結果に叩きのめされ、奮起してみろよ。 今やらずに、いつやる。 計画があり、準備があり、そして努力があり。 結果は、自分の力と頭で築いていくものなのだ。 また全員集めて、檄を飛ばさなくてはならないのか? そんな情けないことをさせるのか。 受験生だろ。 受験するのは親じゃない、お前だぞ。 自分のことだろ。 もういい加減、解れよ。
2007.04.11
こういう笑顔のために この教室の日々がある こういう笑顔を引き出すために 我々の研鑽がある 笑顔の先にある 夢あふれるプラスの世界 ともに学びながら 語りながら その温もりを すべての生徒と分け合いたい ここは みんなのための憩いの場 明日のために思いっきり笑える 君だけの刻を そっと 大切にしていこう 笑顔があふれた教室は いつも素敵だ
2007.04.10
生徒に攻め込んでいく。 久々に、その感覚を味わった。 攻め込むとは、相手の領域に踏み入ること。 休むことなくテーマを与え続け、思考させ、答えさせていく。 曖昧な返答は矯正させ、正しい点になる返答を反復させる。 マスターしたなら、暫くしてまた同じ問いで攻めていく。 スピードがあり、刺激がある。 やがて、質問の途中でもう答えが出始める。 さらに攻める。 別の角度から。 そして、あらゆる攻撃に耐えられる防御線を張っていく。 弱点が出れば、徹底して叩きのめす。 「こんなことも知らないのか」 温情は一切ない。 分かっても、分かっても、「遅い」と踏み込んで行く。 生徒の表情は緩やかだが、時折、鋭くなる。 鋭くなければ対応出来ない気迫。 緊張が脳を飽和させ、大量の言葉を残していく。 それでも、攻める。 徹底して、休みなく攻め込んで行く。 質問と応答が阿吽の呼吸になり、やがて知の飛び交う空間になっていく。 昨日の理科の授業は、N君との1対1の初授業だった。 知識の豊富な、レベルの高い生徒である。 導入の1問1答テストで、すでに9割近くは出来ていた。 ならば知識がどこまで深いか、試してみる。 私の表情は終始和やか。 問いかけ、雑談を交えながら、攻め込んで行く。 まだまだ曖昧だ。 だが、凄くいいセンスを持っている。 きっと中2の今から磨いていけば、かなりのレベルに到達するだろう。 初めのやり取りで、そう思った。 質問があり、受け答えが堂々とできる。 質問の視点もいい。 伸びる資質である。 どんな問いにも対応できる、強さと速さ。 彼にそんな深い免疫を作るのが私の仕事。 攻め込まれた彼も、負けじと、どんどん答えていく。 私の懐は、まだ半分。 これでもかという用意は幾らでもあるぞ。 理科のテキストも、積み重ねればお前の身長くらいある。 何をどうしたらいいか。 攻めに対して、守りはどう描けばいいのか。 今度はその牙城の築き方を教えてあげよう。 最後にもらした「つかれたー」の言葉。 真剣に学んだ、本音だな。 また攻め込むぞ。 高速の、素敵な2時間だった。
2007.04.10
埼玉県の高校入試の仕組みが、いよいよ変わるようだ。 7日の朝刊にも載っていたが、以前2月21日に私が書いた内容を、さらに発展させた形になっている。 実施時期は、平成21年度の入試から。 今春、中2になる生徒からが対象で、これはほぼ決定のようだ。 大きな変更は以下の点。【前期試験】 実施を、2月中旬~下旬に遅らせる(現在は2月上旬実施)。 合格者を募集人員の80%以上とする(現在は普通科の場合25%程度)。 5教科の学力検査を必須とする(現在は指定校のみ総合問題を実施)。 調査書の提出を必須とする(現在同)。 面接・作文・適性検査は高校側の選択とする(現在同)。【後期試験】 実施を、3月上旬~中旬に遅らせる(現在は2月末に実施)。 合格者を募集人員の20~10%とする(現在は普通科で約75%)。 3教科の学力検査を必須とする。 調査書・面接以下の扱いは、前期に準ずる。 さあ困った。 このように、実質、前期で入試が決まってしまうらしい。 後期の3教科というのもよく分からないが、前期に5教科の筆記を持ってくるとは予想外である。 よく見ると、今の前期と後期が入れ替わった構図だ。 総合問題が廃止されることから、特に後期に作文を課してくる高校が増えるのではないか。 前期は本番の学力重視、後期は内申重視。 後期は人物本位の選別となり、倍率も上がるだろう。 受験生は何が何でも前期で決めなくてはならない。 その心理は恐らく、志望校を落とした安全策に動くような気がする。 今からしっかり学力を上げ、余裕をもって入試に臨みたい。 今回の改変は、中高の授業や学校行事の充実のために行うらしい。 時期を遅らせ、3学期をより中身のあるものにしようというわけだ。 だが、公立が動くと私立も動く。 私立高校がどう日程を組んでくるか、要注意である。 教育局は、県民の意見を聞いて5月に決定するらしいが、今回の報告でほぼ決まりだろう。 今回の動きを図にしたものとして、「公立高校入試制度の改善について・骨子案」というものがあるので、ここをご覧いただきたい。 さあ、新中2生たちよ。 制度変更元年は、何が起きるか分からないぞ。 偏差値、倍率も読めなくなり、受験地図が微妙に動く。 今後の情報をしっかりキャッチし、長期対策を立てていこう。
2007.04.09
小学校で培うべき常識を知らない。 そんな子供が最近増えた。 体験不足なのだろうか、学ぶ姿勢の問題なのだろうか。 それとも家庭環境や、コミュニケーションの問題なのだろうか。 中学生として具えておくべき、ある一定の常識がある。 中学ではそれらの説明や確認はせず、知っているものと見なして進んでいく。 常識とは、言い換えれば一種の情報である。 情報量が足りないと、様々な場面でハンディを背負う。 先日も「水の沸点は何度か?」と質問をしたら、30度位という答えが返ってきた。 明日から中3になる生徒だ。 おまえそれなら、水を飲んだら、体温でいつも沸騰してしまうだろ。 でもその生徒には、温度の感覚がないのだろう。 風呂の湯温も、気温さえも30度を超えるのに、そう答えるのだから。 以前にも、常識の危機について書いたことがある。 この記事を見ていただければ、よく分かると思う。 太陽が西から昇る。 東西南北の並びが分からない。 猫が卵を産む。 何世紀の計算ができない。 原爆を知らない。もちろん、広島・長崎も。 まず、家庭内で、もっと常識について語るべきだろう。 学校の学習に支障のない程度の情報を、しっかり身に付けておきたい。 それは家庭での作業なのだ。 それらを知らずに、方程式や英文法を学ぶ。 歴史の背景や、理科の理論を学ぶ。 そして点数を追い続け、勉強を「させて」いく。 何か、間違ってはいないだろうか。 機械は機能で、その作業力が決まる。 脳を機械に例えるならば、知識と情報の量はそのまま性能に繋がっていく。 何を頭に蓄え、どう使いこなしていくか。 それは生活そのものから刺激を受け、教えられていくものだ。 語りかける。 疑問を解決していく。 これは知らないとまずいというものを、親が区分してあげる。 そして何度も投げかける。 そうやって、基本的な常識ラインからまず築いてあげるべきだろう。 語り合う空間が出来ていないのなら、 まず、親が意識して作って欲しい。 学びのエネルギーとは、難しいことを知ることではない。 知恵のキャッチボール。 それは、自信の第一歩なのだ。
2007.04.08
試験というものは、常に1回しかない。 失敗したからもう1回、というわけにはいかない。 それはみな知っており、そのために準備のドラマがある。 1回のチャンスをものにするかどうかは、本人の意思にかかっている。 自己ベストを出す。 いや、絶対に90点を取る。 すべてはその意思によって描かれる数値に帰結する。 平均点でいいと思えばそれまでだ。 きっと平均点はおろか、30点もいかない、最悪の結果が待っているだろう。 1回しか挑めない試験。 では、納得のいく結果を出すためにはどうすればいいのだろう。 試験は、スポーツの大会と似ている。 両者とも、本番の舞台で好結果を出すことがすべての目的。 失敗も反省も、その日のために描くべき道筋。 北島が、浅田が、室伏が、ウッズが強いのは何故なのか。 練習をしたからだろう。 他者に負けない訓練をしたからだろう。 だが、簡単に考えないで欲しい。 そこには自己を律した、血の滲む反復が100%ある。 そこには数え切れない失敗が100%あるのだ。 失敗から這い上がり、型を学び、迷路の果てに今の栄光があるのだ。 そんな当たり前のことを真剣に考えようとしない、今の子供たち。 試験で点を取りたい。 でも、勉強はしたくない。 何もせずに点が取れれば、みなそうしている。 人としてすべきことは何か。 自分を高めるために踏ん張っている姿は美しいもの。 点を取りたいのならば、まず照準を定めなさい。 そして、その一定領域に自力で攻め込んで行きなさい。 攻めるために知恵を磨き、工夫し、一つ一つを武器にしていく。 力を付けるという行為は、格好いいものではない。 失敗だらけの、泥臭いものなのだ。 試験で納得のいく結果を出したい。 ならば、体の限界まで攻めてみなさい。 500回も、1000回も練習してみなさい。 圧力の計算が解らなかったら、解るまで何度も演習するのだ。 100回やったって、いいじゃないか。 解れば終わりなのだよ。 解って初めて、試験で点が取れるのだよ。 たった1回の試験。 その本番で成功するためには、練習で何度も成功させなくてはならない。 自分から挑んで学習し、知恵を集め、自信を築いていくのだ。 浅田が3回転半を1000回成功させても、本番で失敗する。 勝負とはそういうもの。 それを克服するためには、どうするか。 そう、 さらに練習を重ねるしかない。 1点ごとの可能性を高めていくしかないのだ。
2007.04.07
苦手教科は虫歯に似ている。 放っておけば、どんどん悪くなる。 やがてそれは周囲を侵し、手が付けられなくなる。 結局いつかは治さなくてはならないのに。 何故かみな、後回しにする。 治療が早ければ、短時間で済むだろう。 でも痛み出してからでは、時間を割いて何度も通わなくてはならない。 いざ治療を始めてみると、他にも虫歯が見つかるものだ。 その数は、放置期間が長ければ長いほど多い。 しかも深刻だ。 いつかやらなくてはならない行為を、どう実践していくか。 そして優先順位をどう置くか。 定期的に自分をクリニックできる人は、時間の管理がうまい人だ。 虫歯が嫌なら、毎日歯を磨けばいい。 苦手教科も常にケアし、早期に芽を摘み取れば、深刻になることはない。 後回しにし、目先の楽しいことに溺れているから、やがて付けが来る。 結局、やる羽目になり、逃げ切れない。 時間、労力、効率・・・・・ どうすべきか、よく考えてみよう。
2007.04.06
この2日間で、問い合わせが8件あった。 今日は5組と面談し、来週には6名の体験授業が予定されている。 明日も3名の生徒と会い、面談する予定だ。 新学期が迫り、保護者の動きも活発になってきている。 チラシを投入し、ブログで塾名も公開し、ここ数日は待ちの状態に入る。 新しい子供たちとの出会いは、いつになっても素敵だ。 様々な過去を背負った君たちと、ここで出会い、仲間になっていく。 子供は正直で、期待と不安を素直に見せてくれる。 最初の面談で勉強についての説教を始める塾もあるようだが、うちは違う。 心を開かせ、笑ってもらう。 塾という場所は、そんなに堅苦しいものではない。 そんなイメージを子供たちに作ってもらう。 勉強についての指導は、後にいくらでもできる。 塾を始めた頃は、面談のマニュアルに沿って進めることに懸命だった。 勉強法や生活のヒントなど、知ってる限りのことを語り、子供や親御さんを頷かせようとしていた。 考えてみれば、親子が塾に足を運ぶということは、相談を受けたいということ。 だから、聞き手に回らなければならない。 それを忘れると、押し付けがましい説教になる。 悩みを聞くために質問し、受け答えの中で笑顔を引き出してあげる。 最近はこの感覚が自然になった。 何のマニュアルもない。 すべて自然体である。 最初の面談で笑った子は、ほとんど間違いなく入塾する。 体験の前に、もう入ろうと思っている。 不思議だが、後に多くの塾生から聞いたことなので、本当なのだろう。 安心させ、波長を感じてあげることの大切さ。 いかに立派なシステムを持っていても、型に嵌っていてはダメなのだ。 システムを使うのは子供なのである。 導入は子供に合わせて手順を踏むことを忘れてはいけない。 だから初めの面談で、難しい話はできるだけ避けたい。 面談で切り札を出し切ってしまう塾は弱い。 勉強の本論は、あとでいくらでも語ってあげる。 その用意がある塾は、強いと思う。 塾というものは、子供たちのサークル。 参加し、仲間と触れ合い、語り合い、学びの意味を共有していく。 塾の扉はそんなに重いものではない。 気楽に遊びに来てくれればいい。 焦らず、ゆっくりと、自分を見つめ直してみよう。 頑張るなどという漠然としたものはいらない。 まず学びの空気を感じることから始めてみよう。 そして 「築く」 という感覚を具体化させていこう。 きっといいことがあると思う。 そして、時間が自分を成長させていることに気が付くと思う。 塾生にもみな、初めがあったように。 大事なものを育てながら、笑顔が似合う時が訪れるだろう。 ここには、そんな空気がいつもある。
2007.04.05
新しいブログについて、形だけ整えました。 内容については、じっくり手を加えていきたいと思います。 以前、わが教室がFC系列の塾であることをここに書きました。 その時に頂いた温かい期待の言葉が、今も忘れられません。 塾の仕組みはみなバラバラですが、塾の質は、結局は生徒に対する心のあり方で決まってしまうのではないでしょうか。 今回、塾名を掲げましたが、この教室は全国で最も「名学館らしからぬ塾」だと思っています。 看板は名学館ですが、中身は私が演出する別世界。 ルール無視の独断作業も多々あります。 広告も、講師採用も、教材も、日程も、授業運営でさえも、すべて私の判断。 ここは大手と違い、個人裁量に任される個人塾なのです。 私は既成のマニュアルを信じません。 マニュアルというものは、現場で作るものだと思っています。 日々、生徒と接し、示されたベクトルに沿って築いていくものだと思っています。 だからこの教室では、マニュアルは毎日が進行形なのです。 そしてそれは、生徒たちの笑顔と重なるものでなくてはなりません。 笑顔があり、次のステップに繋げていく。 簡単なことのようですが、奥行きのある大変な作業です。 サロンのような教室にしたい。 以前に書きましたが、私の最終目的は今も同じです。 子供たちが悩み、考え、その思いをこの広場で共有していく。 学びながら、心の繋がりの大切さも感じていく。 そんな空間を求め、少しずつ工夫を加えています。 巣立っていく生徒の言葉には、その行為が正しいということがよく伝わってきます。 大きな自信と、限りない夢。 学ぶことの素晴らしさを、この環境に集約し、実現させたい。 今後も、また明日も来たくなるようなワクワクする空間を創っていきたい。 そんな思いを、そっと描いています。 ブログではこれからも、今までどおり、出来事や思いを綴っていきます。 気が向いたら訪ねてみてください。 きっと、熱の入った言葉を語っていると思います。
2007.04.04
ブログのあり方を変えようと思う。 今までは塾名も語らずに、 思いを綴ってきた。 だがそれも根本から改めようと思う。 影の声ではなく、塾名を背負った声に変えていく。 デザインもリンクも、全部見直したい。 楽天から出て行った方も多いが、正直私には興味がない。 楽天の中で、新しい関係を作ればいいと思っている。 楽天外として一部リンクを貼るつもりだが、それもほんの数名だろう。 私の記事に興味がある方は、自由に訪問していただければいい。 そもそもこのブログは、同業に向けて発信しているものではない。 日々の業務や、経験、記憶から、自分の思いを綴っている。 生徒や親御さんへのメッセージというスタンスは保つつもりだ。 私はまだ楽天に残る。 9万以上のアクセスに応えるべく、しっかりした記事を書いていきたい。 独りよがりで断定的な内容が多いが、それでも支持していただけるのなら光栄。 以前にも書いたが、FCである以上、冠を付けると色々規制が発生する。 書きたいことが書けない。 マニュアル外の運営をしている。 だが今の私はそんなものクソ食らえという感じだ。 それだけ、この場で熱いことを語ってきたつもりだ。 私の考えは過去ログにすべて記されている。 規制が何だ。 目の前に子供を感じ、接しているのは自分だ。 思いは語ればいい。 子供たちを思う心は誰にも負けない。 明日からも、それをそのまま活字にしていきたいと思っている。 春、新学期のスタートを前に、 4月4日、新生「GOAL通信」を立ち上げます。
2007.04.03
教科書を捨てないでください。 教科書には学びの足跡があるのです。 線を引き、落書きと染みのある教科書も。 手垢に汚れ、破れ、痛々しい教科書にも。 みんなその時に考え、悩み、ページをめくってきた過去があるのです。 君は何年もの日々を積み重ね、今、新しいことを学ぼうとしている。 でもその後ろには、自分が辿ってきた道があることを忘れてはいけない。 発見を重ねた、少年少女時代。 つまらないことも、興味のあることも、 こんなに大切だよと教えてくれた。 教科書はその中心で、しっかりと、君の成長と共に歩んできたのです。 そんな教科書を、紐でくくり捨てないでください。 学年が替わる春。 明日への期待と共に、昨日までの歩みも大切にして欲しい。 そして数年間の足跡を、そのまま棚に残してください。 学年の区切りは、学びの区切りではありません。 教科書は何度も戻り、開き続けるものなのです。 教科書を大切にすることは、自分の学びを大切にすること。 何年も経ち、やがて本当に使わなくなった時、 その時は、そっと箱にしまってあげよう。 小さい頃の想い出と共に。 それは、君だけの、君しか知らない温かいもの。 書き込まれたヘタクソな字には、君の原点が眠っているのです。 旧い教科書は、君が走り抜けてきた知のストーリー。 何度も紐解き、向き合ってきた学びの物語。 だから、ぜひ大切にして欲しいのです。 紐でくくる前に、汚れた表紙を眺めてみよう。 そして、ページをめくってみよう。 棚に残すことの意味が、きっと分かると思います。
2007.04.03
この春巣立っていったある女生徒から、手紙をもらった。 3月の終わり、年度の最終日。 その本当に最後の授業が終わったあとだった。 彼女はこの4月、第一志望の高校で新しい学生生活を迎える。 意志をしっかり持った、頑張り屋さんだった。 夜、独りになってから、何度も読み返した。 不覚にも、涙が出てきた。 塾人にしか分からない嬉しさ。 係わってきた者にしか分からない喜び。 こんな塾長のために書いてくれた健気な姿を思うと、 何故かやるせない気持ちでいっぱいになった。 ゴメンな。 塾長はその気持ちをメッセージとして、 ここに書かずにはいられない。 今度、手紙書くよ。 だから、おまえも元気で頑張れよ。 そしてまた笑顔を見せにおいで。 少し大人になったおまえと、二人だけで、 ゆっくり語り合おう。 ・・・・・・・・・ 1年半、本当にありがとうございました。 2年の夏休み、初めて塾で私と母さんと塾長で面接(みたいな感じでした・・・)をしたときは、「どうしよ・・・話しずらいし苦手な感じだよ・・・。」とか思ってました(謝)。 けど! 講習とか質問をしたりすると、すっっっっごく丁寧にわかりやすく教えてくれて・・・最初に思ってたようなことはいつのまにかふっとんでました。 授業でも感謝したいことでたくさんです! 塾長の授業がなかったら、きっと私今でも経済水域が何海里かも、衆議院議員が何人かも知らなかったかもしれません・・・。 他にも、講習で配られた資料や問題をこの前整理してたら、ものすごい量になってビックリ! 大切な内容を選んで1つ1つ作ってくれたんだなぁって改めて思うと、本当に感謝してます! なんて言葉じゃ全っ然足りないぐらい心から感謝してます!! 私はうるさいし物覚えも悪くてあんまり良い生徒じゃなかったけれど、これでも塾で得られたものはたっっっくさんあったと思います。 塾はいい思い出がいっぱいで・・・・楽しかったです。 でも、楽しくていいところだったからって、せっかく受かった高校に追いつけなくなってまたお世話になります、なんてことにならないようにしたいな、と思います。 本当に本当に本当にありがとうございました。 倒れない程度にぎりぎりまでがんばって下さい。 それでは、 ○○ ○○ (○○じゃないです、○○ですよ/笑) ・・・・・・・・・ 我々がこの仕事を続けていけるのは、子供たちがいるから。 そして彼らの笑顔に励まされるから。 巣立っていく時、生徒たちは何を感じているのか。 想い出を背負い、夢を分かち合い、ふと波長が合うとき。 何とも言い表せない幸せを感じる。 おまえも、おまえも、立派に成長したよな。 そんな子供たちの背を、そっと押してあげよう。 みんなの素敵な表情は、私の宝。 明日を夢見る、笑顔と言葉たち。 ここに残された大きな足跡とともに、 私はいつまでも忘れない。
2007.04.03
先週の塾内模試。 新中2生を見ていて、ある変化を感じた。 「分かんない」 「習ってない」 「全然できない」 「もう、最悪」 「やばいよ、どうしよう」 こういった台詞が消えたのだ。 以前は、ほとんどの生徒が口にしていた。 中学を1年過ごし、少しずつ試験の意味が分かってきた彼ら。 力もしっかりと付けてきた。 自分を基準に正当化したり、逃げたりしていても進歩はない。 そんなことが、おぼろに分かってきたのだろうか。 試験結果は恐らく、まださほど素晴らしいものではないはずだ。 納得がいかない、出来ない問いが、山のようにあったはずだ。 でも彼らはそれを口にしなかった。 姿勢の変化が互いの緊張感を生み、全体の空気を作っている。 そんな気がした。 試験に向かう表情を見ると、その生徒の今後が判るものだ。 真剣な眼で活字を追い、何度も問題用紙をめくる。 めくっては解き、また戻っては確認する。 その紙をめくる音の頻度が、成績を保障していくような気がする。 今回彼らはその第一歩を見せてくれた。 漠然としてではあるが、そう感じた。
2007.04.02
近くの小学校の裏手です。 一気に花開きました。 期待と夢と光あふれる、 進級、進学の季節。 みんなはどんな想いを抱いているだろう。 学年が替わるごとに、文具を揃えたこと。 桜咲くころ、 ランドセルには、いつも新品のノートが入っていた。 名札や持ち物の学年は、上から何度も書き替えた。 薄いマジックの跡が、幾重にも重なっていた。 下校途中の菜の花畑。 薄い日差しの中、帽子で蝶をよく追いかけた。 風化しつつある、少年の日。 そんな旧い記憶が、ふと甦った。
2007.04.01
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