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今年も上期が終了、折り返しに入る。 公立高校の前期受験まで、あと残り219日。 中3生は、真剣に計画を練り、毎日の実践を手応えのある記録として残していって欲しい。 「まだ200日ある」なんて言っていると、あっという間だぞ。 夏休みの宿題の処理、2学期の中間・期末の対策、体育祭の練習、その他の学校行事、高校見学と個別相談。 こういったものを時間から外して考えると、日数はどんどん減っていく。 受験はあらゆるレースと同じ。 好スタートが成功のカギを握っている。 「○○高校に合格しますように・・・」 みんなの願いもだいぶ増えた。 では次に、君は何をすればいいのだろう。 今日をどんな記録にできるか。 実現させるのは自分しかいない。
2007.06.30
昨年の今頃は、『夏期休暇直前2weeks達成報告』というものに取り組んだ。 中学生が対象の、自由達成課題だった。 今年は視点を変えて、試験にしようと思っている。 ただの試験ではない。 期末試験の復元を実施する。 それも自校だけでなく、他校の問題も範囲として行う。 教科は英語と数学のみ。 まず、学年ごとに問題のコピーファイルを作り、全員に配る。 対策期間は2週間ほど与えよう。 7月末に、各教科40分程度の試験を実施する。 合格点は未定だ。 100点にするかも知れない。 他校の試験問題を手がけるというものは、以前から考えていたことだ。 同時進行で学んでいる他校の良問を、活用しない手はない。 自校の限られた問題は、たまたまそこが出たに過ぎない。 隣の学校の違う視点の問題を解くことで、より広く深い学習が可能になるだろう。 各学年の学校数は3~4校。 自校の問題だけでも約3割は解答できるはずだ。 対策期間で、授業中にも解答、解説に触れていく。 問題は全体のバランスを考えて、問いごとの完全コピーとする。 さあ、どこまで肉薄できるか。 基本定着のために、完璧を目指して欲しい。 成績はもちろん掲示する。 具体的な要項は、来週配布する予定だ。
2007.06.30
私はよく、業者と喧嘩をする。 生徒や保護者から見ると、温厚な塾長に見えるかも知れないが、それも時と場合による。 私が一番嫌うのは、営業の電話だ。 「○○ご担当の方はいらっしゃいますか?」 しかも非通知。 もう、この時点で、先を聞こうとも思わない。 個人塾に担当もクソもあるかよ。 初めから、「塾長さんお願いします」と言えばいいだろう。 どうせ手元に、トークのマニュアルがあるのだろう。 黙って聞いていれば、コピーだ投資だと延々と語り始める。 間に合っていると告げても、「今回は特別に・・・」などとまくし立てて来る。 責任者の私が「ノー」を出しているのである。 それ以上、何がある。 その一線を越えてさらにしつこく続ける相手には、私も黙ってない。 「しつこいんだよ、あんた。不要だと言ってるだろ!」 大体これで相手は切るが、非通知の場合は引きのトークもなくいきなり切るヤツがいる。 こういう電話は、授業中だろうがお構いなしに掛かってくる。 保護者からの可能性があるので無視するわけにもいかない。 電話番がいない塾の宿命だ。 そもそも私は、営業を電話で済ます姿勢が気に入らない。 顧客を拾いたいのなら、足を使えよと思う。 だから私は、逆に汗を拭き拭き訪ねてきた営業マンには、丁寧に対応する。 非通知で無作為に掛けまくり、名簿に墨を入れているヘタレ会社とは違い、人としての姿勢を感じる。 今、懇親にしている営業担当が何人かいるが、みなその大切なものを持ち、立場をわきまえた方ばかりだ。 縁が切れるとまずい業者でも、納得出来なければ談判する。 コピー会社とも、求人情報会社とも、教材屋とも、検定協会とも、何度も喧嘩越しの交渉をした。 ある求人情報会社とは、勝手に契約内容を変えてきたので、ふざけるなと言って縁を切った。 部長だか何だか、偉そうなヤツだったが、典型的なマニュアル人間だった(その後組織が改変され、人が変わったこともあり、再契約しているが)。 あるコピー会社も、サービス内容の変更に対し、手順を踏んだスジを通さなかったので、変更を無視し続けたことがある。 今日は、北辰図書と口論したが、どうしてこうも融通の利かないマニュアル人間ばかりなんだろう。 先日の英語検定協会もそうだが、私は別に理不尽なことを言っているわけではない。 「そういう決まりでやって来ましたので・・・」 だから何だ。 過去のことなどどうでもいい、私は今のことを言っているのだ。 目の前で、生徒が困っている。 あんたに生徒の表情が見えるのかい。 現場はここなんだよ。 今の社会は心が希薄になってきていると言う。 子供たちと共存しているこの業界。 心は大切でありたい。 私がこだわるのは、それが生徒のためだから。 生徒のためだから、生徒が困るから、譲れない。 そして、生徒の利益にならないものはいらない。 ただそれだけだ。 してあげられるのは私だけだから。 必要な喧嘩と交渉は、目に見えない運営の軸だと思っている。
2007.06.29
今月実施した『漢検』と『英検』の合否結果が、HP上の検索で判明した。 うーん、微妙だ。 やはり普段からしっかり取り組んでいる者が受かる、としか言いようがないだろう。 即興で詰め込んで臨んだ者、あるいは十分な準備をせずに合格の期待を抱いて受けた者。 彼らにとっては厳しい検定だったようだ。 得点の開きが、その状態を正直に示している。 漢検の最高は189点。 もう1級上でも合格ラインに届いたのではないだろうか。 残念なケースでは、138点で落としている者がいたこと。 あと、書き取り1問で合格である。 非情だが、検定の世界におまけはない。 1問のこだわりが如何に大切かを物語っている。 英検の最高は59点。 正答率9割を超えており、秋の上級受検をぜひ勧めたい。 不合格だった者も、次回必ず合格できるよう、準備を進めよう。 英検は明日あたりに、漢検は週明け火曜頃に結果が届くようだ。 英検・漢検、ともに合格だった者も結構いる。 みんな手応えで分かってると思うが、来週は面談が増えそうだ。
2007.06.28
授業のあと、2人の生徒に居残りを指示した。 中3女子と、中1男子。 いずれも、先週末のテスト対策を欠席したメンバー。 ちょっと気になる教科があり、どうしてもアドバイスしておきたかった。 中3の彼女は、全体の底上げが必要だが、特に理社の知識に課題があった。 時間がないので、社会の必出項目だけ指示した。 学校の数ヶ月の授業を、たった25分に凝縮した。 範囲は歴史の 「日清戦争」 から、「世界恐慌」 の前まで。 案の定、「下関条約」 も 「ポーツマス条約」 も 「ベルサイユ条約」 も知らない。 それだけではない、「遼東半島」 「台湾」 「三国干渉」 「日英同盟」 「辛亥革命=孫文」「八幡製鉄所」 「足尾銅山鉱毒事件=田中正造」 「バルカン半島」 「サラエボ事件」 「二十一か条の要求」 「ロシア革命=レーニン」 「国際連盟=ウィルソン」 「ガンディー」 「三・一独立運動」 「五・四運動」 「米騒動」 「本格的政党内閣=原敬」 「民本主義=吉野作造」 「大正デモクラシー」 「全国水平社」 「治安維持法」・・・・・。 何と、これらもほとんど知らないのだ。 これでどうやって点を取ろうというのか。 今ここに25の用語を列挙したが、私は今回この中から最低でも15は出るぞと豪語した。 関連の国や、地図や資料を押さえれば、この用語だけで軽く60点はいく。 時間がなくて触れられなかったが、「帝国主義」 「義和団事件」 「韓国併合」 「財閥」 「与謝野晶子」 「夏目漱石」 「黒田清輝」 「関東大震災」 「平塚雷鳥」 「普通選挙法」 まで押さえれば、範囲はほぼカバーできる。 家で真剣に暗記しろよ。理科はどうなのだ。 どうしてやらないのだろう。 試験は明日だというのに。 中1の彼は、英語が最大のネックだった。 塾内の統一テストの単語力を見て不安だったが、先週の追試でも一向にリカバリーされてこない。 呼び出して単語を書かせた。 「it」 「you」 「play」 「three」 「school」 などの基本単語が書けない。 一般動詞とbe動詞の区別が付かない。 両者を一緒に使い、疑問文が作れない。 「私はサッカーするですか?」「はい、それはそうです」 「これペンする?」「いいえ、私は違います」 こんな受け答えだから、どうにもならない。 本当の基本の基本だけ教え、時間切れになった。 最後でも、単語の筆記は10個も書けなかった。 前回の中間テストはアルファベットが書ければそこそこ点が取れた。 「期末は単語と英文だぞ」 とさんざん言ってきたのに、この出来栄え。 正直、相当厳しい結果が出るだろう。 どうしてやらないのだろう。 試験は明日だというのに。 やらなけりゃ、点など取れない。 用語にしても単語にしても、40、50覚えれば、面白いように点が取れるのに。 どうしてやらない。 どうしてここまで放っておく。 どうして聞きに来ない。 玉砕しかないじゃないか。 明日は試験だぞ。
2007.06.27
我々の知らぬ間に、子供たちは成長していく。 この場所で夢を語り、泣き、そして笑い。 真剣な表情で机に向かってきた、あんな小さかったおまえたちが。 力強い「正」の光を放ち始めている。 3年間、4年間、一緒に歩いてきた仲間。 からだの成長の奥に、自分だけで抱えてきた兆しが、 五感をまとい、悠々とここに弾けようとしている。 変化・・・・・ そのタイミングを、今の中2生に感じる。 受け身で甘えていた過去から、自分で学びを模索し始めたような。 そんなエネルギーの発露を、行動に感じる。 先生の逆指名が減り、塾の仕組みを受け入れようとする動き。 平日も対策後も、必ず見える自習する姿。 仲間と競い合い、無言の中に強さのようなものが膨らんできている。 今回の「北辰テスト」は、今日で受付けを締め切った。 受験生の中3よりも一人多かった中2生。 開塾以来、初めての現象だ。 何かが動いている。 何かが、おまえたちの軸を定めようとしている。 教室の営みは、そんなおまえたちの追い風でありたい。 攻めて来いよ。 大胆な姿は、きっと大きな財産を生む。 1年と少し前にはランドセルを背負っていたおまえたち。 難しいことなど分からなくてもいい。 素直に自分を探し、ここにぶつけにおいで。 可能性の原石のような中2生たち。 まだ13歳。
2007.06.26
学びにはドラマがある。 その機微を感じ、楽しめる人間は強い。 自分があり、取り巻く無限の知恵がある。 エジプト、ギリシャに始まり、中世、近代と築き上げられてきた知恵の泉。 そのほんの一部を触る程度の学びに、本来苦悩など似合わない。 だが我々は目の前の課題に押され、苦しむ。 知恵を溜め込み、解法を探り、明晰な頭脳を求めていく。 机を並べ、共通のテーマを広げ。 100の知恵があれば、100を理解することが計画となり。 評価の物差しに、背を追われるようになる。 周りではいつも歯車の音がしている。 学びのドラマを刻む不協和音。 自分がいて、悩む者がいて、前向きに楽しむ者がいて。 評価の数字が、意味のない顔をして記録を重ねていく。 無限の知恵の中で、ほんのカスのような進行形に戯れるように。 誰も疑うことなく。 100をなぞらえている。 90だ、65だ、40だと。 頭がいい、優秀だと。 「勉強が出来ること」と「頭のいいこと」は、根本的に違う。 こんな基本的なことを知らない人が、今でもかなりいる。 勉強の出来、不出来は、試験で量ることが出来る。 だが頭の良し悪しを量るスケールなど、この世のどこを探してもない。 勉強が出来るということを知らしめるためには、試験で高得点を叩き出せばいい。 単純な理論だ。 では、どうすれば高得点が出せるのか。 方法論は幾つもあるが、すべての基本として絶対に外せない一点がある。 それは、「高得点を取る」という前提の学習をするということだ。 曖昧な学びの積み重ねには、必ず限界が来る。 そうではなく、学びの塊に具体的な割り振りを与えていく。 知恵の足し算ではなく、知恵の全体を捉え割り算で攻略していくこと。 この感覚が身に付いている者は強い。 学習量は自分のペースではなく、すべきノルマが前提となる。 いくら勉強しても成績が上がらない。 こういう悩みの多くは、自分の緩いペースに酔っているケースだ。 敵の全体量を知り、そのすべてを物にする仕組み。 その基本は割り算にある。 自分の計画表をもう一度調べてみたらどうだろう。 勉強が出来る者には、免疫力の高い者が多い。 この免疫力とは、どんな角度の問いにも対応できる能力を指す。 よく応用力と言うが、それとは少し違う。 応用力とは、得たものを「発展形」の中で使い込み、解を導く力。 免疫力とは、得たものを道具として使いつつ、得ていないものまでをも探っていける力。 免疫力とは、 問いの「型」を見抜く力。 設問の「意図」を見抜く力。 常に「定石」を外さない力。 とっさに紙面に「ストーリー」を描ける力。 これらはただ単に知識を詰め込むだけでは育まれない。 プロの技に「熟練」という言葉があるように、感覚を研く訓練が必要だ。 様々な角度に順応できる懐を鍛えていく。 卓球のサーブがどう来るか、そしてそれをとっさにどう処理するか。 スポーツが体の免疫力を必要とするのなら、学びでは頭脳の免疫力が求められる。 免疫力を高めるには、まず知識を装備することが必要だ。 そしてそれを紐解く行為を反復していく。 10種類の問いをこなした者と、100種類の問いをこなした者。 試験の世界では、その差は歴然である。 先の割り算の話も、免疫力を鍛える上で基本となる。 足し算の積み重ねでは得られない、全体から入っていく力。 全体をバラバラに砕き、拾い、知恵の形を復元していく。 そんな作業は、いざ紙面を前にした時に、細部を見抜く底力として現われてくる。 学びにおけるドラマ。 そこにある無限の知恵に、さらに深いドラマがある。 ただ表面をなぞり、勉強の本質を知ったようなことを言う者よ。 簡単に頭が悪いと言い、逃げ惑う者よ。 自分のスタンスを失ってはいけない。 こうすればいいというヒントに溺れてはいけない。 一つの命題には、数え切れない腕があり、君の思考が繋がるきっかけを待っている。 可能性は、貪欲に知りまくり、知恵を的確に収納し、使っていくことで広がっていく。 攻め込んで、反復してみる。 そして、問題作成者の「型」を盗んでみる。 免疫力とはそんな辛抱の中で、湧水のように現れてくるもの。 勉強が出来ること。 それは結局、学びの加工と手順を知っているということ。 私はそう思う。
2007.06.25
七夕の短冊にひっそりと書かれていた。 「頭がよくなりたい」 「勉強が出来るようになりたい」 素直な気持ちだと思う。 自分の力が足りないことを知り、少しでもいい点を取ってみたい。 親に何度も言われてきた。 結局いつも友達に勝てなかった。 気が付くと点数をいつも折って隠していた。 そんな自分を、何とか変えてみたい。 簡単な方法などないということも知っている。 大人たちに、頑張るしかないと、何度も言われた。 でも、どうすればいいのか。 自分なりに精一杯やっても、結果は得られなかった。 少しだけでいいんだ。 勉強が出来るという感覚を味わってみたい。 親にも友達にも、自慢してみたい。 頑張るから。 素直な気持ちは、とてもいいことだ。 やり方が分からないのなら、やり方を探せばいい。 私はよく「リセットしてみよう」と生徒に言う。 ヒントは今までの失敗と成功にあり、それをどう料理していくかが大切なのだ。 よく失敗を改善しようとして、さらに失敗を重ねてしまう者がいる。 不明な苦手なものに向かい、迷路に嵌っていく。 方法が分からずに。 そんな感覚だ。 もっと小さな成功を意識してみたい。 小さな成功をしっかりと記録していこう。 そしてそれらを次に向けての「マニュアル」にしていこう。 失敗そのものを出来るようにするには、かなりの労力が必要だ。 失敗した部分を成功に導くのではなく、成功した部分を広げていく。 小さな成功のコツを大切にし、自分の学びの軸に据えるのである。 具体的なことを、次回(できれば今晩)に書こう。 向上心を持ち、正しく取り組めば、成績は間違いなく上がる。 スタンスと手順にヒントがある。
2007.06.24
テスト対策は夜10時前に終了。 今日は16時間教室に詰め、指導コマは7本。 正直、疲れた。 でも、参加生徒は前回よりも大幅に増え、士気の高まりが感じられる。 中3生も不参加の常連を除き、みな机を並べ頑張っていた。 相変わらず、試験5日前でも部活をやっている中学がある。 部活後に駆けつけてきたメンバーには、ロスのフォローを考えたい。 気になるのは、サボりと思われる中1生がいたこと。 週明けにちょっと話をしてみよう。 中1たちには、理科の指導中に、提出物の話をした。 中学は小学校と違う。 通知表の5段階の評定がどう付けられるか。 色々な観点があって総合的に決まる、その仕組みを簡単に話した。 テストでいくらいい点を取っても、評定3止まりの者。 何度も見てきただけに、早くから学校の求める基準を知っていて欲しい。 実技のペーパーもしっかり得点しろよ。 まだ私の話を真剣に聞いてくれる中1生。 2年後に武器になる成績記録を、しっかり残していこう。
2007.06.23
7月実施の「北辰テスト」の受付けが、週明け火曜日で締め切られる。 今回は、中3生と中2生が対象。 今日までの申し込みをまとめてみて、目を疑った。 現在7名の申し込みがあるが、全員2年生なのだ。 何と、中3受験生はゼロ。 ・・・・・・。 大丈夫なのだろうか。 みんな部活は今週の大会で引退じゃなかったのか? 7月は、本腰を入れて受験にシフトしていく、大切な月。 ちょっと心配ではあるが、あと3日、静観してみよう。 逆に、2年生の気合は熱い。 まだ2、3人は、増えそうな気配だ。 明日の期末テスト対策の時に、両学年に再度督促を行う。 そのテスト対策だが、今回はかなりの大所帯になりそうだ。 午前9時から午後9時半までの半日間。 参加率が高ければ、明日だけで50名以上が受けに来る。 その意欲に応えるべく、我々も構えて待つ。 「点を取りたい」 「点を取らせてあげよう」 その呼吸をうまく感じ取れた者には、必ず成功が待っている。 何度も言うが、攻めて来いよ。 自分のステージに、実感を探しに来いよ。 テスト対策に、息抜きはない。 そして、教室に100の熱き瞳を刻んで欲しい。 目標に向かい伸びる、一本の直線道。 一点を見つめ、100キロでぶっ飛ばせ。 日差し舞う風に、お気に入りの曲を流しながら。 フルアクセルで、爽快に・・・。 ハンドルは君が握っている。
2007.06.22
みんなの願いが 花を咲かせてきた。 あと2週間 どこまで増えるかな。 友達、勉強、将来のこと。 夢と願いの短冊が 仲間の輪を創り、 教室が華やいでいく。 22日は、一年で昼の一番長い日。 もうすっかり夏だ。
2007.06.21
「統一達成テスト」は合格するまで、何度でも繰り返す。 内容は小学漢字と中1前半の英単語。 出来て当たり前。 出来なければ前に進めない。 そこに妥協はない。 成績の悪い者よ。 お前たちが何故いつも点が取れないか教えてあげよう。 それは、目の前の課題から逃げるからだ。 常に中途半端で、常にいい加減で。 身の周りには、出来損ないの知恵ばかり散乱している。 今回の達成テストで合格できずに、次はないのだ。 これが出来ずに、学校のテストで点なんか取れないのだよ。 うだうだ言ってないで、やってみろ。 立ち向かい、自分の力で乗り越えてみろ。 いくら逃げても、解決なんかしやしない。 やると言ったらやるんだよ。 そして・・・ 今日ある女子が、3度目の追試を受けていった。 最初は28点だった2年生。 授業後に居残り、懸命に埋めた答案を、最後に私に持ってきた。 「頑張ったんだよ」 照れくさそうな笑顔。 その奥には、「努力したんだよ」という自信が感じられた。 みんなが帰った後、教室に一人残り採点した。 マルが続く。 前回失敗した部分も見事に改善されていた。 100点だった。 この子は自分でハードルを越えることを選び、実行してくれた。 最初、全然分からないと、投げていたおまえ。 自信の欠けらもなかったおまえ。 大きな一歩を刻んだな。 今日の照れくさそうな姿は、いつになく素敵だった。 やれば出来る。 出来ないのは、真剣に向き合おうとしないから。 簡単なことなのだ。 私が何故課題を出すのか、知っている子は知っている。 より複雑なことを学ぼうと、ゲートをくぐる時。 身につけていなければならない、最低の知識。 困るのは自分。 その大切さは、後に嫌というほど分かるだろう。 合格の達成感は、すぐそこにある。 やるか、やらないか。 やらないのなら、乗り越えるまで追試を繰り返すのみ。 20回でも、30回でも。 秋になろうが、何度でも、合格するまで。 階段の1段目は、外すわけにはいかない。
2007.06.20
昨晩は教室に泊まったのだが、それでも仕事が終わらない。 ブログを見て回るどころか、自分の管理画面すら開いてる余裕がない。 今、辛うじて時間ができたので、画面に向かっている。 すでに44時間以上寝ていない。 寝ないでも何とかなるところが怖い。 こういうことをする度に、いつも 「受験生は根性ないなあ」 と思ってしまう。 例えば土日を使えば、徹夜してこれくらいの連続時間を作ることは可能だ。 でも、健康を理由にだれもやろうとしない。 44時間あれば、何ができるだろうか。 単語も漢字も理社用語も、膨大な量をこなすことができるだろう。 毎日2時間ずつなら22日掛かるものを、一気に処理していく。 こういうメリハリが絶対量を引き寄せ、力に繋がっていくのだ。 出来ないというきみ。 やってみたことはあるのだろうか。 非効率だというきみ。 自身でそれを立証したのだろうか。 効率なんて、そう簡単に落ちるものじゃない。 ちなみに私は65時間という記録がある。 効率は最後まで一定だった。
2007.06.19
中学の期末テストの範囲表が、ほぼ出揃った。 今回は近隣の5中学がすべて同じ日に実施、対策の日時をどうするか、大変困っている。 同学年でも、学校によって範囲がかなりずれている時がある。 社会・理科は単元が違えば完全にアウト。 別クラスでユニットを組み、時間をずらして指導するしかない。 そもそも我が教室は川口市の外れにあるので、隣の市の中学からも生徒が通っている。 教科書は英語以外全部違うときたから、たまらない。 さらに、何度も触れている授業進度の学校間のズレ。 これらがミックスされ、怒涛のシフト組みとなるわけだ。 今回の範囲を見て、やはり同学年でも履修している内容はバラバラなのだということが、改めて分かった。 意欲のあるみんなに1点でも多く取ってもらうため、何とか工夫しよう。 しかし2日間かけて、5科+保体の6教科しかない中学もある。 最大で8教科。 美術はここのところ、どの中学も試験がない。 昔は理論やデッサンなどがあったものだが、どうしてか。 作品提出物の絶対評価だけで成績が決まってしまうのも、どういったものか。 提出物といえば、5科もワークやノートの提出指定が多すぎる気がする。 しかも試験の当日にという指定つき。 もっとペーパーテストの比重を高め、真の理解度をはかるべきだと思う。 先生受けが良くて、ノートが綺麗なら評価もいい。 こういう流れは、正直私は好きではない。 と、言いながらも、評定は上げたいもの。 塾も得点と提出物の両方をフォローしなくてはならない。 「この提出物できてるのか?」 「当日提出だぞ?」 「自分でマル付けするってなってるぞ?」 こんなことを、みんなに言って回らなくてはならない。 何だか妙な時代になったものだ。
2007.06.18
課題に取り組むときには、締め切りを設けた方がいい。 提出物の場合には、普通何日までという期限が付いている。 これは、自分で何かを達成していくときであっても、同じだと思う 試験なども日時が決まっているわけで、これも一種の締め切りである。 課題をこなしていくとき、期限がなければノルマは見えない。 ノルマが見えなければ、ペースが計れない。 甘えの中で不十分な達成に終わってしまうのは、締め切りが曖昧だからだ。 ではどうすればいいか。 例えば、用語50語を覚えるとする。 その時に必ず、達成を確認する日を通達する。 5日間ならば、それが期限であり、締切日だ。 それをただ、「覚えてこいよ」などと締めを甘くするから、いつも失敗する。 これでは、やる者とやらぬ者の差が出るだけだ。 締切日にテストをするということは、全員に均一のノルマを与えるということだ。 達成度は、5日間の姿勢を素直に反映する。 この作業の大切さは、家庭学習においても同じだ。 家で課題に取り組むとき、どうしても親は干渉したくなるもの。 50覚えるにしても、観察していれば、大小必ず親の意見が割り込んでくるものだ。 「私ならこうする」 「こうした方が効率がいい」 だが冷静に考えてみれば、学んでいるのは子供。 親が学んでいるのではない。 しかも課題は、《50を覚えること》であり、《50の覚え方を工夫すること》ではない。 こういう時には、先の締め切りを取り入れてみると、効果を発揮するときがある。 50を覚えるという課題のみを与え、5日後に達成のチェックをするのだ。 覚え方は問わない。 すべて子供のやりたいように、やらせてみるのである。 どんなヘタクソな、非効率なやり方をしていても、絶対に口は挟んではいけない。 そして5日後のテストで、結果が出ていれば問題はない。 もし結果が出なければ、その時に初めて方法論を説いてあげる。 方法論は努力の途中に、やみ雲に与えてはならない。 量を誤ると、「頼り」と「迷い」を与えることになるからだ。 方法論は、結果を踏まえた反省の中に示してあげる。 あくまでも、改善のヒントという流れに沿って。 締め切りがないと、どうしても作業はルーズになっていく。 未達に対する意識を喚起させるために必要なもの。 そのひとつは、到達すべき目標ライン。 そしてもうひとつは、締め切りとしての期限だ。 入試というものも、受験日が締切日。 カウントダウンの感覚を、身近な学習に取り入れること。 それは、 期限付きの処理能力を高める上で、とても効果あることだと思う。
2007.06.17
旅に出よう 大事なものを そっとカバンに詰め 光舞う季節を目指し 木々の立ち並ぶ 深い森の中へ 独りで旅に出よう 現実社会で辛いことがあったなら その痛みをすべてさらけ出し しっかりとした歩みで 周りを感じながら ここの空気に 流されてみよう そして 泥濘する日差しの中 有刺鉄線を越え アスファルトを抜け 辿り着いたこの場所に いくつかの言葉を残してみよう 森の中は きっと自由だ 出来ないことも 知らないことも みんな自由に呼吸している きみは大木の根幹に腰掛け 自分が残してきた 旧いノートを開くのだ 感じるものがあるのなら 探ってみよう 五官を使い 手の平に 風を感じてみよう どんなに荒んでいても 今は 素敵だ 棄てたいものと後悔の淵に 今がある そして その向こうには必ず明日があり 刻まれる活字を待っている 旅のルートに決まりはない きみが詰めた カバンの中身と いくつかの 朽ちた道標を頼りに 自分だけの風を探しにいこう 森の奥に眠る 温かい光 それは仲間の予感 ここは そんな森への入り口
2007.06.16
受験生よ なるほど そういうことなんだ よく分かったよ 対策ゼミ開始時刻から すでに2時間 誰も来ない 誰一人連絡もない そうか 明日の大事な「北辰」 自信があるということなんだな 今日 対策があるのを知らなかった? 馬鹿言っちゃいけない ずーっとボードに書いておいたぞ しかも 試験の前日が対策だということは いつものこと おまえらの 意識の問題だ 部活? だったら部活 ずーっとやってろよ 部活で来れないなら 手順があるだろ 事前に報告もせず 当日 遅れるという連絡もせず ちょっと違うんじゃないか 時間を大切に思うのなら 動けよ 1時間でも教えてくださいと 頼んでみろよ 勝手に 自由にできて いつでもお膳立てしてくれる あのなぁ おまえらは受験生だぞ 7か月後には試験会場にいる 受験生だぞ 試験を受けるのは誰だよ 今の成績はどうなんだよ よく考えてみろ 早く来て準備をした私が 馬鹿だったようだ さきほど 用意したプリントは破棄した 午後来る予定の講師も ストップだな よく分かったよ おまえらの意識 やる気がないんなら 無理に設定はしない 残念だが 今後もう 北辰対策はやらないことにした お膳立てし 嫌々来てもらい 受け身でやっても意味がないから おまえらがどうしてもやりたいと思ったなら 個人で申し出なさい 1、2年生の対策は従来どおりやる 対策は 頑張りたいという意欲に応えるためにある 当然のように 「してくれる」 のではなく 自身を向上させるために 「していただく」 もの 勘違いしてもらっちゃ困る 安っぽい魂は 私は嫌いだ
2007.06.16
「全然わかんないんすけど」 「このへん出たら、超ヤバイ」 「学校の先生ったら、何言ってるかわかんないし」 「もう、今回、最悪~」 範囲表を見ながら生徒に訊くと、こんな答えが返ってくる。 全然わかんない・・・ 先生が何言ってるかわかんない・・・ あのなあ、 ばか言っちゃいけない。 そのための授業、どれだけやって来たんだ? このへん出たらヤバイって? じゃあ、いいこと教えてあげようか。 そこ出るぞ。 間違いなく出るぞ。 君はすべきことをしているか。 生活や姿勢を振り返り、よく考えてみなさい。 ここは君たちの不安な部分をフォローする場所。 何故、家でやらない。 何故、学校の授業を大切にしない。 塾に甘えていれば、そこそこ何とかなるという考えがある限り、 永久に成果など出やしない。 何故、取り組んだ汗をここに持って来ない。 取り組んで来いよ。 これだけやったと、足跡を見せてみろよ。 頑張っているかどうかなど、 授業の初めの3分で、全部バレバレだ。 全然わかんない。 全部わかんない。 あっ、そう。それはお気の毒に。 で、どうするつもり? 何もしなくても、塾が全部わかるようにしてくれるの? アクションの第一歩は、君が踏み出さない限りどうにもならない。 違うかな。 汗をかいて来いよ。 悩んで来いよ。 努力のかたちをカバンに詰め、ここに広げてみろよ。 選別と改善はいくらでもしてやる。 ヒントもターゲットも明確に与えてあげる。 だが、君はいつも手に何を持っている。 今日も空っぽのカバンを恥ずかしげもなく持ち込み、 何をしに来た。 手順を踏めよ。 迷路なんか無いんだ。 全然わかんないのなら、どうすればいい。 苦悩してみろよ。 語ってみろよ。 成果の話は、それからだ。
2007.06.16
他県でこのブログを見てくれている、ある中2の女子生徒さんへ。 期末に向けた勉強、頑張っているみたいですね。 中2の1学期の期末は、人生で1回だけ。 悔いのないように、出来ることを思いっきりぶつけてください。 社会が苦手なようですが、社会には点を取るコツがあります。 少し伝授しましょう。 まず、範囲の教科書をしっかり読んでいますか。 1回や2回ではなく、10回ぐらい読むのです。 そして塾でコピーを取り、線や印を付けながらさらに読み込む。 図表や資料もしっかりマークしましょう。 そして次に、用語の一覧を自分で作ってみるのです。 問題集を解く前に、まず自筆でリストを作る。 これはとても大切な作業です。 用語は太字だけでなく、その周辺のものもカバーしましょう。 同時に漢字の筆記もチェックしていきます。 意味は教科書と対応させながら、おぼろげでもいいので確認していく。 そこまでやったら、ワークなどの代表的な問題を解いてみましょう。 用語を知っていると、意外と解けるものですよ。 解けない時はすぐ答えを見ますか? もしそうなら、ちょっと手順を変えてみましょう。 答えを見ないで、教科書を開いてください。 そして教科書から答えを探すのです。 どのへんの問題か、前後関係をとらえながら、自力で正解を探すのです。 この作業は、その問題以外の部分にも目が行き、全体の流れを定着させるのにとても役立ちます。 社会も理科も暗記と言いますが、本当の力は暗記によって得た知識をどう関係付けていけるかで決まります。 もちろん暗記だけでも、6割は取れます。 まずはしっかり用語を押さえ、基礎点を取りましょう。 次の発展学習は、塾長先生の指示をあおぎ、夏休みにじっくり取り組めばいいのではないでしょうか。 焦らず、取るべき点をしっかりゲットしましょう。 テストの点があるラインまでいくと、伸びなくなる。 みんな経験することです。 でも、それがあるからテストには終わりがなく、面白いのです。 点が伸び悩むのは、ほとんどが基礎の築き方の甘さによるものです。 ひとつイメージの例を挙げましょう。 立方体の積み木がたくさんあります。 それを集め、何段重ねられるかが、学力の差だとします。 やみ雲にどんどん上に重ねていけば、5、6段でぐらついてきますね。 1段目を粗末にし、たった1個しか置かないからです。 ではその1段目を4個にしてみたらどうでしょう。 ほら、かなり安定しませんか? 一番下の面積を広くすることで、2段目以降にも余裕が出てくるのです。 基礎を大切にする人は、この1段目から3段目くらいまでに入念に力を入れます。 もちろんそのために時間が掛かりますが、惜しみません。 ぐらついて7段目が積めない状態と、余裕で10段を超えていく状態。 長い目で見たとき、どちらが得か知っているからです。 では1段目を9個にしたらどうでしょうか。 もうイメージできますね。 ピラミッドは1段目が数百個。 そう、だからあんなに高く積めるのです。 土台になる基礎がないところに、知恵は重なっていかない。 そんなことを頭の片隅に置いて、学んでいく。 けっこう大切なことだと思うのです。 悩んだなら、塾長先生にうんと甘えたらいいと思います。 あなたのことを真剣に思ってくれる、大切な人。 きっと素晴らしいヒントをくれるでしょう。 私はあなたにお会いしていませんが、ぜひ頑張っていただきたい。 あなたの教室にも仲間がいて、私の教室にも仲間がいます。 みんな力を出し合い、助け合い、目標を目指しています。 今はそれでいいでしょう。 でも1年半後、あなたは一人で試験会場に向かわなくてはならない。 最後に頼れるのは「何」でしょうか。 今、進行形で進んでいる、一つ一つの積み重ねが、その鍵をにぎっているのです。 頑張りましょう。 力を惜しみなく出し切って、笑顔を大切にしていきましょう。 きっといいことがありますよ。 隣の県から、そっと応援しています。
2007.06.15
挨拶ができること 遅刻せず 時間が守れること 道具が揃っていること いつも前を見ていること 先生を敬い 教わる姿勢でいられること 堂々と質問ができること 宿題やプリントがきれいに揃っていること 仲間への気配りができること 指示を守れること 元気よく勉強以外の話ができること 掲示物や連絡に注意し 管理できること 常に時を大切にできること そして 居るべきときに ここにしっかり居るということ 成績などというものは どうあればいいかという 小さな意識で決まってくるもの 基本にこだわることに 君がすべき行為の 原型がある これらの項目に 自分を重ねたとき 何が見えるだろうか 可能性の光は 君が踏み込んでくるのを待ちながら こういったフィールドに軸を据え いつも 花開く準備をしている
2007.06.14
授業のない日は、教室をよく巡回する。 授業がどのように進んでいるかを見ながら、そのクラスのエネルギーを感じて回る。 何人もの講師が、同時進行で自分のクラスをまとめている。 中2の英語の隣で、中1の数学の授業が行われている。 その向こうでは、中3が真剣に英語を解いている。 私は、賑やかなクラスがあると、脇で腕組みして観察する。 生徒も気づき、何故か静かになる。 先ほどの元気はどこへ行ったか、図書室のように静まり返る。 私は何も言わずに、そのまま観察を続ける。 みんなワークに向かい、ペンを持ち、俯いている。 何とも違和感のある、似合わない光景。 講師にサインを送り、立ち去るが、暫くするとまた元気な声が聞こえてくる。 まるで、いたちごっこのような営み。 でも私は、これでいいと思っている。 ここは、苦虫をかみ締めたような表情で、味気ない学びを体験する場ではない。 いつも笑顔の隙間に「知」が飛び交う、活気のある教室。 監視された時に、姿勢を正そうとする意識が見えるだけで、もう十分だと思っている。 彼らは、すべき時は、自分のために真剣になれる。 そんなメリハリのあるクラスが、私の求める姿だ。 生徒たちも、ここの空気を知っている。 知りながら、自分の役割を演じている。 染まろうとするのではなく、自分も染める一員としてここに来ている。 受け身ではない、手探りしていく深い展開。 そんな空気は彼らの先輩たちが作り、彼らが引き継いできた。 静かなクラスがあり、元気なクラスがある。 程なくして、そのクラスの雰囲気が逆になる。 まるでアクセルを踏む力を調節するように。 まるで2時間のジェットコースターに乗っているように。 熱いメリハリを刻んでいく。 アップ&ダウン。 盛り上がる瞬間。 ワクワクする瞬間。 真剣にしがみ付く瞬間。 そんな展開を毎夜繰り返す講師の力は、実に凄まじい。
2007.06.13
前(今朝)の記事の補足をしたいと思います。 一部、親御さんを責めるような表現になってしまった部分がありますが、わたしの本意はそういうことではないので、もう少し説明したいと思います。 子育てというものは、親の責任のもとで行われるものです。 周囲の情報やヒントを頼りに、色々悩み、失敗と感動を重ねながら、ゆっくりと築いていくものです。 そこに評価が伴うマニュアルなどありません。 自らの愛情を注ぎ、成長した我が子は、親の誇りです。 私のいう「リズム」とは、その成長の過程で子供が吸収し、自然と表現できるようになった「型」のようなものです。 様々な家庭環境で、どのような受け止め方をし、どのような学び方をしたかによって、様々な型が生まれます。 子供たちが集まる塾などでは、その型が混ざり合って、一つの集合体を作っていきます。 個性がぶつかり合い、言葉が交錯し、そして役割のようなものが自然と生まれていきます。 そこに優劣はありません。 「うちの子はこうだから・・・」と、否定的に捉えずに、「だから○○ができる」と、考えてみる。 結構、大切なことだと思うのです。 子供はすぐに変われるものではありません。 資質をしっかり見てあげ、評価してあげる。 親から見て、歯がゆさがあるならば、 培ってきたリズムを受け入れ、まず肯定してあげることだと思うのです。 その上で、焦らずに改善の手を差し伸べていく。 逆に、他者にはない高い能力があるならば、 今のリズムを描き続けることに、自信を持たせてあげればいい。 子供は自然体の時が一番伸び伸びとしています。 軸が安定するからです。 もちろん向上し、成長していくためには、その軸を見直す試練も必要でしょう。 でもそれは、本人のために試練を与えることであって、親の過剰な期待であってはなりません。 試練と期待は違うのですから。 子供の育ってきた経緯は、親が一番知っています。 その足取りを称え、今持っている力を、リズムを、明日への道に導いてあげる。 親以外にその役割をこなせる人はいない。 そう思うのです。 迷いながらも子供が発信し続けている、価値のあるものを、 我々はしっかり守ってあげたい。 リズムを感じてあげたい。 そして、誉め、語ってあげたい。 それがどんなものだろうと、子供には罪はないのですから。
2007.06.12
子供の持つリズムは、家庭環境で育つ。 正の方向も、負の方向も。 みんな家庭の流れを無意識に身に纏い、ここに集まってくる。 どんなに繕っても、そのリズムはそいつのもの。 あいつのものでも、こいつのものでもない。 最初の面談で、お母さんが言う。 「この子は無口で、人見知りが激しくて、慣れるまでに時間がかかる方で・・・」 「うちの子は集中力がなくて、飽きっぽくて・・・」 「この子ときたら、人の話を聞かないし、反省もしないから・・・」 そうだろうか。 以前は聞き流していたセリフが、最近はやけに引っ掛かる。 生まれた時から、無口なヤツはいない。 生まれた時から、人見知りなどしやしない。 生まれた時から、集中力がなかったわけではない。 生まれた時から、飽きっぽかったわけではない。 生まれた時から、人の話を聞かなかったわけではない。 生まれた時から、反省しなかったわけではない。 遺伝でも何でもない。 親との係わり合いの中で、環境がそういう空気を作り、染まってきたから。 子供は正直だ。 親の姿を観察し、親の言葉や行動をまね、家庭で安定しようとする。 飽きっぽい子供がいるなら、それは親がそうだから。 人の話を聞かない子供がいるなら、それも親がそうだから。 親と同じ空気で居ることが、肯定であり、最も落ち着くこと。 リズムはそんな自学習を経て、自然と染み付いてくるもの。 リズムは居場所を決める。 リズムは発散する言葉を決める。 リズムは行動の複雑さを決める。 他者と係わり合い、自分のスタンスを探すとき。 そして、ここで2時間の時を過ごすとき。 文節で5000語話す者がいれば、たった50語の者もいる。 あちこち動き回り足跡を残していく者がいれば、下駄箱と机の往復だけの者もいる。 快活さも、寡黙さも、受け答えも、表情も。 すべてその根底には、本人の気づかないリズムがある。 14歳ならば、14年の環境の流れがその背後にある。 だが、忘れてはいけない。 リズムというヤツは、何が正しいかなど、本来は誰も知らないのだ。 経験があるのなら、自信を持てばいい。 他人の中で、今の位置づけを意識してみればいい。 正の方向も、負の方向もない。 どんなに繕ってもリズムはそいつのもの。 あいつのものでも、こいつのものでもない。 自分らしくあること。 自分の力でで何を引き寄せればいいかを、考えてみること。 居場所を受け入れ、足場を固めてみよう。 少しだけでいい。 まず、発信してみよう。 リズムは、自分を決定付ける切り札でもあるのだ。
2007.06.12
七夕も近くなり、みんなの願いをまた飾ろうと思う。 将来のこと、友達のこと、勉強のこと、受験のこと・・・・ 何でもいいぞ。 普段の想いを、いっぱい短冊に書いてみよう。 そして、一人一人の願いを、みんなの力で実現させよう。 夢いっぱいの広場。 明日から始めるよ。
2007.06.11
生徒2対先生2というシステムを、考えている。 1対1のクラスがたまたま隣り合わせになった時のことだ。 それぞれ別の教科を学んでいる、マンツーマンクラス。 講師が途中で入れ替わり、別の教科を学ぶことも可能ではないかと考えた。 ならば2組が合体してしまい、機能を持たせることも可能ではないか。 例えば英語と数学の2対2のクラス。 それぞれ1対1のマンツーマンを進め、決められた時刻に先生が入れ替わる。 時間内で、そのスイッチを何度か行う。 仮に月曜英語、木曜数学のマンツーマンならば、その両方を2対2にしてしまうということ。 1授業で複数教科を学べ、週の総時間数は変わらない。 テンポよく授業が進むため、集中の持続の面でも利点がある。 だが、これはまだ、あくまでも発想の段階。 具体的な仕組みがまとまり、導入するようになれば、また報告したい。 リスクもあるはずだ。
2007.06.10
今日実施した英検は、3級~5級。 途中リスニングの時に激しい雷雨があったが、トラブルにはならずに何とか終了。 修学旅行シーズンのため土曜実施が出来ず、本日日曜の実施となった。 日曜は試験時間を公開会場と重ねなくてはならず、勝手がきかない。 級がクロスすると、リスニングの音も耳障り。 次回は何とか土曜実施に持っていきたいところだ。 中1、中2のメンバーが意欲的なので、秋は4級、5級が増えそうである。 今から単語やフレーズに積極的に触れ、耳慣らしも進めておこう。 NHKラジオの基礎英語なども、期末が終わったらチャレンジしてみるといい。 テキストもCDも、バックナンバーは書店で売っている。 2か月分くらいを反復すると、かなり力になるはずだ。 さて、今日の出来はどうだっただろうか。 中3生は、次回の秋が受験前のラストチャンス。 今から受検級の計画をしっかりと立てておこう。 解答用紙に向かう真剣な姿は、いつ見てもいいものだ。
2007.06.10
例えば、『キャプテン翼』 全37巻が目の前にある。 例えば、『DRAGON BALL』 全42巻が目の前にある。 例えば、『SLAM DUNK』 全31巻が目の前にある。 今、PCの脇に、そいつらはズラッと並び、こっちを睨んでいる。 全部で1.5メートルはあるだろうか。 先日、息子に「○○の場面は何巻目か」と質問したら、見事にその巻を一発で引き当てた。 他のコミックで試してみても、結果は同じ、すべて的中した。 彼の頭には、各巻のストーリーが映像として詰まっているのだろうか。 まるで巻ごとの展開の細部が、一つ一つの情報としてナンバリングし収納されているようだった。 学習というものも、これに似ている気がする。 情報をどう収納し、必要なときにどう引き出せるか。 それは、全体と細部を常にバランスで捉えることにヒントがあるのだろう。 コミックならば、展開の節目に区切りをイメージしていく。 学びおいては、それは「くくり」であり、「インデックス」というものにあたる。 どんな知恵も、引き出しが粗末ならば機能しない。 全体の幅から、配分を捉え、細かい収納ケースに丁寧に収めていく。 コミックの何ページに何が書いてあるかが、記録として残せるのなら、 知識をイメージ化することは、決して不可能ではない。 何処に何があるか。 頭の中の無数のインデックスを、さらに機能化し、何度も使いこなし、改編していく。 そんな作業にどこまでこだわれるか。 学力という物差しの前では、 結局その意識や労力の差が、試されるのだろうと思う。
2007.06.10
おどける仲間がいる。 気遣いできる仲間がいる。 率先して学びを引っ張る仲間がいる。 脱線の音頭を取れる仲間がいる。 字を丁寧に、綺麗に書ける仲間がいる。 話題にすぐ乗ってくる、いつも笑顔の仲間がいる。 リアクションの素敵な仲間がいる。 どんな問いに対しても、元気に答えられる仲間がいる。 そして全員、いつも「ありがとう」の言葉を忘れない。 素敵な中1女子のクラス。 別々の中学2名ずつで、4名の編成だ。 大きな可能性がこぼれそうなほど、光るリズム。 今日の営みを嬉しそうに語る、生きた表情。 学ぶときは真剣に向き合い、 そして間違っても力を抜かず、失敗を衒いなく演じる姿。 不安だらけで訪れたこの場所で、 小さな意欲がエネルギーになり、 今やっと、このクラスの中に溢れはじめてきた。 学びの領域から、生活の空間まで、 彼女たちの交わす言葉の奥は、いつも無数の期待と夢で弾けている。 健気な夢。 そんな空気を感じるとき、 それぞれの役割が、そっと温かいドラマを描きはじめる。 教室のクラス編成を行うのは私の仕事。 でも、その後のリズムの編成は生徒の仕事。 流れは主役が創り、かっこいい伝説を残していくもの。 毎日が未知への約束のもとにあり、 ここに仲間の放つ光と、自分だけの発見を求めに来る。 素敵なクラス。 彼女たちの「かたち」が目の前にある。 流れがここにある。
2007.06.09
重い内容が続いたので お気に入りを ひとつ 100均で売っていた ちょうど写真が実物大ぐらいの かわいいやつ 何か よく分からないけど 明日への夢があって こういうのって好きだ 夏はもうそこまで来ている 日記帳を埋めるのはこれからだな
2007.06.08
その瞬間、言いたいことが山ほどあったが、グッとこらえた。 語り始めたら止まらなくなる自分の姿が過ぎる。 午後7時前に電話が鳴った。 今日、授業のある中3生からだった。 「今日、塾休みます」 「どうした?」 「修学旅行の準備で忙しくて」 「準備? 修学旅行って月曜からだろ?」 「荷物を明日学校に持って行かなくちゃいけないんです」 「はあ?」 「○○も休むって言ってました」 「言ってましたって、あのなぁ」 「多分、後で電話すると思います」 「・・・・あっ、そう」 暫くしてその○○さんから電話が来た。 「あの、今日塾休みたいんですけど」 「理由は?」 「修学旅行の荷物をまとめなくちゃいけなくて・・・明日までなんですよ」 「あのさあ、塾と修学旅行って別のものだぞ」 「はあ・・・・」 「そんなのスケジュールが分かってんだから、計画的に出来なきゃしょうがないだろ。受験生なんだから」 「ええ・・・・」 「お母さんは知ってて、許可してるのか?」 「はい、まあ」 「そうか・・・・じゃあ、よく分かった」 こんなやりとりだった。 この前の日曜に、塾との係わりや親と子の意識について記事にしたばかり。 そこでも修学旅行と欠席連絡について触れた。 どうしてこうなるのだろう。 こんなものなのだろうか。 今後のために、以下は本音を語らせていただく。 失礼な表現は、お許し願いたい。 本人にも親御さんにも、私が守って欲しいと思うものを、ぜひ解っていただきたい。 一体、塾を何だと思っているのか。 正直、私は電話口でワナワナ震えていた。 少なくとも2人は受験生。 内申の決まる大事な期末まであと3週間。 前回の定期テストの反省を踏まえ、巻き返さなくてはならない立場のはず。 中間、何点だったよ。 部活に追われ、30分でも貴重な時間。 塾ではそんなきみのために、先生が準備をして待っている。 それを自分から放棄し、旅行の準備だと? 来週はその修学旅行で授業が1回つぶれる。 繋ぎの貴重な授業を放棄すれば、10日も塾がないじゃないか。 その間、自分で本気でやるのかよ。 どれだけやり遂げて、力はどこまで伸ばせるのだよ。 思い出の学校行事は大切にしたらいい。 だが、おまえたちは同時に受験生なのだ。 塾と関係を持ったなら、それは受け入れるべく生活の一部であり、 自らの責任で、甘えを払拭していかなくてはならないのだ。 親が許しただと? おまえは自分で納得できる時というものに、どこまでこだわっている。 みんな辛くても、自分に負けまいとここに集まってくる。 発見があるかないか。 そんなものは、自分の姿勢で、意識で、どうにでも変わるものなのだ。 参加せずに逃げるのは自由だ。 だが、それは後に大きな歪みになって返ってくる。 今回は特別などという理屈は、弱いものの常套句。 捨ててはいけない魂があるのだ。 楽をしたいと思ったら、それを打ち消すために動きなさい。 自分を高めていく気力があるのなら、遅れてでも来るのだ。 荷物など、夜、いくらでも準備できるだろう。 塾の束縛から逃げて、楽をしたいだけじゃないか。 違うか、おまえたち。 しかもおまえたちは、学校で塾の欠席を示し合わせている。 私はそれが、断じて許せない。 ここは個人で参加し、自分を大切にする者の集まり。 仲間同士でどうのこうのという場所ではないのだ。 そしてもっと残念なのは、親御さんがそれを認めてしまっていること。 準備が間に合わないなどというのは自己責任。 決められた塾のスケジュールとは、まったく関係ない。 ならば、なぜ今日すべきノルマを果たさせ、自覚を促さないのか。 荷物など、塾から帰宅後、いくらでもやらせればいい。 そもそも、間に合わないということ自体、ありえないだろう。 塾の2時間超の時間があれば終わるのなら、その分夜更かしすれば済むこと。 泣こうがわめこうが、一人でやらせればいい。 間に合わなければ、旅行当日、手で持っていけばいい。 一人だけ恥を掻けばいい。 本人の計画のなさが原因なのだから。 それと別の次元で、塾は動いている。 失敗の補填に塾を休ませても、何の解決にもならない。 自分で妥協している限り、通塾の本当の意義は見出せないだろう。 それは親にも言えることだ。 何のための塾なのか。 何のための係わり合いなのか。 受験生よ、取り巻く人々を大切にして欲しい。 みんなおまえたちの、合格の笑顔が見たいのだ。 今日は特別ではないのだ。 アクシデントではないのだ。 意識でどうにでも変わるものなのだ。 おまえたちの仲間は、今日、みんな授業を受けに来たぞ。 何が大切か考えて欲しい。 甘えが反復される前に、考えて欲しい。 おまえたちなら出来る。 だから、 これから受験までの期間、 築かなくてはならない軸のようなものに、 こだわっていて欲しい。 塾長のこだわり以上に、こだわって欲しい。 そして何故ここに、こんなことを書いているのか、 じっくり考えて欲しい。
2007.06.08
県公立高校の入試制度改善の方針が、ほぼ決まったようだ。 4月に発表された骨子案から、一般の意見を参考に一部変更されている。 大きな変更点は、開始年度が1年延びたことだ。 他は、ほぼ骨子案に準ずるものとなっている。 詳細は5日に発表された、県公立高校入試制度の改善の方針についてをご覧いただきたい。 下部資料より、県民の声、改善の図解なども見れる。 平成22年度入試からということは、対象は現中1生の入試からだ。 これで現中2生までは現行の制度での入試となるが、中2生が免れたことは、良かったと言えるのだろうか。 内申でほぼ決まってしまう今の前期試験が、改善後は5教科の入試に変わる。 今後の頑張りで挽回できる、このような実力勝負の制度を喜んだ者も多かったのではないか。 塾生にも、5科になることを知り、これからは理科・社会を頑張るという生徒が何人もいた。 何だか、イベントが流れたようで、今後の士気の低下が気がかりだ。 それにしても、開始年度を変えてくるとは。 しかもたった50通の意見の中に、延期を希望する意見があったというだけで。 さすが、県教委だ。 二転三転、また変わることないですよね。
2007.06.07
定期試験の前になると、いつも自習に来る中2生がいる。 以前紹介したS君だ。 夕方に食事をかき込み、夜7時を回ると教室を訪れる。 中間テストが終わり、誰もががほっとしている時。 彼は重いカバンを持ち、今日も来た。 「自習に来ました」 「おう」 「あっ、あと、中間の結果が出ました」 彼の差し出した成績個票には、学年順位が印刷されている。 443点、学年21位。 彼の通う中学は、学年生徒数が300人もいるマンモス校だ。 「自己ベストだな」 「はい!」 彼は微かな笑顔を見せ、そのまま教室の隅に消えていった。 彼は期末の勉強をしていた。 試験までまだ3週間以上。 誰一人として意識していない次の試験と、彼は真剣に向き合っていた。 声を掛けられないほどの集中力。 「こいつ、やるなぁ」 色々な生徒を見てきたが、彼ほど伸びる可能性を感じる生徒はいない。 今回、順位は30位以上上がったようだ。 だが、彼の妥協点はこんなものではない。 以前ひと桁が目標と言っていたが、実現も夢ではないと感じた。 きっと彼自身が自分で引き寄せるだろう。 彼は先日の塾内統一達成テストでも、上級生を差し置いて、塾内3位を取っている。 しかも友達が追試を受ける時には、自分も率先して居残り、追試を受けていった。 合格にもかかわらず、挑戦し続ける姿勢。 94点では納得せず、彼は満点を狙っているのだ。 先週末の漢字検定でも、解答用紙をいち早く埋めたのは彼だった。 可能性のかたまり。 そんな形容が似合うS君。 目標順位まで、あと20点。 秘策を講じてあげようか、それとも努力を暫く見届けようか。 「ありがとうございました」 2時間という刻をカバンに詰め。 彼はいつものように、9時過ぎに去っていった。 意欲を超えたエネルギーが、余韻を残していた。
2007.06.07
坂を上るときには ペースが落ちる 自転車ならばギアを変え 負荷を軽くする 勉強の上り坂に差し掛かったとき きみならどうするだろう 越えなければならない一本道 ここまで順調だからと 少しペースを落とす者 遅れ気味だからと 一気に走り抜けようとする者 いずれも よくある光景だが みんなこれで失敗する 順調ならば 逆にペースを上げることを考えてみよう 要の部分で油断し 気を緩めてはいけない 緊張を解き 調整するのは 平坦な部分 上りでは あえて自分に強い負荷を与えてみる そして一気にものにしていく 反対に遅れてしまっていたら 無理をせずペースを落とすことを考えてみよう 焦って上り切ろうとしても 体が付いていかない 取り戻すタイミングは むしろ坂ではない平坦な部分 上りでは 負荷を軽くし 切り抜けることに専念する 油断は順調なときに生まれる 貯金があるから 少しぐらい甘えてもいいだろうと 焦りは遅れているときに生まれる 何とかここで取り返そうと空回りしながら 坂というものは そのドラマが最も凝縮された地点 負荷をいつどのタイミングで与えたらいいか 一般論の逆に ヒントがある場合がある 自分の学びのレースを 達成度で冷静に捉え マップに落としてみよう 負荷の調節がうまい者は いつもトップ集団にいる
2007.06.06
中学生の中間テストの結果がほぼ出揃った。 今回は100点はなかったが、最高98点は6人が記録。 90点以上は全部で38だった。 以下は上位の成績である(5科430点以上)。 5科 3科1位 462点 285点 (96・94・95・88・89)2位 460点 282点 (91・98・93・90・88)3位 459点 275点 (83・97・95・90・94)4位 457点 280点 (91・98・91・96・81)5位 448点 269点 (81・90・98・89・90) 448点 265点 (83・91・91・85・98)7位 443点 259点 (82・98・79・93・91) 443点 261点 (88・86・87・86・96)9位 432点 240点 (72・84・84・94・98) トップは1年生。 小学生の時からしっかり築いてきた力が、中学最初の定期テストで花開いた。 今までの塾での姿勢を考えると、当然とも言える結果だ。 今回は1、2年生の頑張りが目立った。 2年生には、ここ1年間の自己ベストを出した者がかなりいる。 学年の節目でうまくリセットできたようだ。 わが教室には成績上位の者から下位の者まで、色んな生徒がいる。 もちろん入塾テストもなく、5科で100点に届かない生徒でも受け入れている。 そして彼らの資質を大切にし、個別指導を通じ、育てていく。 今、上位の生徒も、決して皆が優秀だったわけではない。 この塾環境の中で、自分から平凡を超えるものを求めてきた結果が、数字になって出ているのである。 その求めていく姿勢をここでは大切にする。 そして個人レベルで、目標をはるかに超える点へと伸ばしていく。 成功の笑顔は、いつも爽やかだ。 今回の成績は到達点ではない。 手応えのあった者も、なかった者も、みな自分の道の通過点なのだ。 仲間たちの狭間に、ここに、きみだけの物語がある。 未知の可能性を秘めたストーリーがある。 描くのはきみだ。 視野をしっかり捉え、道の中心に最高のシナリオを描いていこう。 一息つく間もなく、期末がすぐ始まる。 どこまで肉薄できるか、さあ、勝負の時だ。
2007.06.06
成績の悪い子は、自分の分析が下手な子だ。 そしてもう一つ、テストの意味合いをよく理解していない子だ。 テストで40点を取った時、何故40点なのかにこだわれるかどうか。 残りの60点にどこまで真剣になれるか。 その差が、今後の成績の方向を決めていくのだと思う。 成績の悪い子は、決まって暗記量が足りない。 テストの答案を見て、もし暗記をもっとしていたら、何点取れたかを研究して欲しい。 40点の答案も、2倍暗記していれば60点。 ほぼ完璧に覚えていれば80点だったかも知れない。 何も問題練習をしていなくても・・・ 分からない、苦手だという前に、覚えることを見直してみるのは価値がある。 暗記量が増えると、アベレージは必ず上がってくる。 それは、問題を解く時に使える道具を装備するということだ。 問題に向かうのが面倒なら、まずその知的武装を高めてみる。 知識が貧弱な時と比べて、答案がどう変化していくか、よく体感してみることだ。 間違いなく得点は上がっているだろう。 苦手と言いながら、単なる暗記の差だったということはよくあること。 学びの初めは、誰もが知らない新しいものばかり。 テストは、それらをどこまで覚えたかを調べるものだ。 いい加減な覚え方をしながら、成績のいい者などいないのである。 自分の成績を分析するといって、大きく構えることもない。 まず覚えることから入ってみよう。 繰り返し、正確に頭に残すために、時間をかけてみよう。 問題の型を学び、応用力を磨くのはその次の段階。 解く上で、暗記による知識は、最後まで必要なものなのだ。 暗記さえしていれば、答えられた問い。 幾つあるか、答案を調べ、可能得点をシュミレーションしてみて欲しい。 次のハードルですべきこと。 それが何なのか、何に時間をかければいいのか。 君にも見えてくるはずだ。
2007.06.05
試験がいつなのか分からない。 試験の範囲表など見たこともない。 返されたテストの点数も分からない。 「見せろと言っても子供が提出しないから」で、片付けている。 成績表のコメントなど書いたことがない。 子供が部屋で何をやってるか分からない。 テストの反省会などしたこともない。 テストファイルの点検もしたことがない。 学習計画にも立ち会ったことがない。 学校への提出物の確認などしたこともない。 ノートの点検はもう数年やっていない。 カバンの私物チェックはもちろんしない。 携帯はみんな持っているからと、自由に使わせている。 ただ漠然と勉強しなさいとだけ繰り返している。 通知表の点を見て、初めて、「何よこれ」などと言っている。 怒涛の流れである。 断言するが、これで順調に成績が伸びたら奇跡である。 親の意識がどこまで子供に及んでいるか。 成績というものは、本人の頑張りとともに、周囲の姿勢によっても大きく変動するものなのだ。 お母さん方と面談すると、必ず出る成績の話。 この時期は外部からの飛び込みが多いが、驚くことに自分の子供の成績をしっかり把握せずに、成績の相談をしに来る方がかなりいる。 この前の試験は何点でしたかと訊くと、こんな答えが返ってくる。 「見せろと言っても見せないんですよ。かなり悪いと思いますけど」 「確か・・・30点・・・いや、20点ぐらいだったかしら」 「もう返されるころですか? まだ返されてないって言ってますけど」 「30点もなかったような・・・ちょっと忘れました」 「理科は良かったって言ってますが、他は悪かったそうです」 質問の答えになっていないことに、お母さん方は気づいていないのだ。 点数はおろか、試験日すら知らない。 しかも子供の申告を、そのまま真に受けているだけの人もいる。 と、言ってますが・・・・・? 自分で確認しないのだろうか。 のんきすぎると言わざるを得ない。 テストは1週間もすればほぼ全部返却されている。 必ず答案を受け取り、点数を確認する。 それは、義務教育で学校に通わせている親の義務でもある。 こういった習慣がついてしまうと、子供もテストの管理が雑になる。 まあまあの結果だけ親に見せ、あとは捨てる。 見直しなどするはずもないので、また同じ結果を繰り返す。 「あんた、ちゃんと勉強してんの?」 「やってんじゃん」 いつも登場するのは、何の意味もない、のんきな会話だ。 ひとこと言っておくが、こんな会話を繰り返していても、成績が上がる要素は何ひとつない。 親の管理力は強すぎてもマイナスだが、あまりに弱いともっとマイナスになる。 最低限試験日を把握し、範囲と提出物を確認し、学習計画を提示させる。 そして答案は返却日に必ず提出させる。 成績が悪いのなら、それをしっかり受け止め、対策を協議しなくてはならない。 悪いからとうやむやにして誤魔化し続けても、得は何もないのだということを、語り合わなくてはならない。 塾に相談に来るときは、最低限、どういう経緯があって何点なのかということを、正確に把握していて欲しい。 医者に相談するときに、どんな症状なのか分からずに行くだろうか。 結果を管理しないから、子供のテストに対する姿勢がルーズになる。 ただ受け、他人事のように流されていく。 点数の記憶も曖昧で、後日に素点を復元できない。 塾では結果を書いて提出させるが、相変わらず点が思い出せない者や、忘れたなどと誤魔化す者がいる。 いつも決まったメンバーだ。 趣旨を受け入れず、いつまでも同じことを繰り返すのなら、所詮その程度の器なのだ。 そう見なすしかない。 だが、その行為の発端はどこにあるのか。 「何となく」を当然のように繰り返してきた、家庭における空気ではないか。 試験というものの意味合いを、もっと親子で語り合って欲しい。 いやなもの、面倒なものという感情の評価ではなく、その価値を語り合って欲しい。 なぜこんなハードルがあり、なぜ点を取ることにエネルギーを注がなくてはならないのかを、じっくり語り合って欲しい。 結果など悪くてもいいのである。 奈落の底を見るくらいに、うんと恥をかけばいい。 その受け止め方の問題なのだ。 結果に至る努力の経緯をよく振り返り、反省し、次につなげていく。 だから正確に結果を集計できる仕組みを、親子間に築かなくてはならないのだ。 試験直前に、範囲に書かれた教材を学校に忘れたら、取りに行かせる。 返却された答案や成績表を提出しなければ、食事も与えない。 そんな気概を持った親がどれだけいるだろうか。 子供にとって守るべき義務とルールを、大いに自覚させて欲しい。 親の覚悟は、子供の行動に微妙に表れてくるもの。 ルールを反故にする時は、カミナリのひとつも落とせばいい。 子供がどういう学びをしているのか。 目標は正しく描かれているか、意欲はどうなのか。 しっかり数値で捉え、言葉を与えていく。 そして、言葉を受けていく。 成績のステップは、親子間の 「正しい意識」 の仕組みから始まるのである。
2007.06.04
昼過ぎ、仕事のことである講師に電話した。 いつも頑張ってもらっている、力のある講師だ。 わが教室には、様々な講師がいる。 元教師のベテラン、4年制大学を2つ卒業した者、海外の大学を修了した者、教員を目指す大学生、高校の非常勤を並行している者、家庭教師の経験が豊富な者、他に職を持つ者。 色々な講師の放つ色彩とエネルギーが教室に溶け込み、生徒の波長を受け止めている。 今日電話で話した講師も、他に職を持つ先生だ。 先生(以下、先生と言う)は、学ぶということに、強い理念を持った人だ。 豊富な指導歴に裏打ちされた経験と技術を、いつも授業に具現してくれている。 私の考えや方針もよく理解してくれていて、教務に無駄のない、能力のある先生だ。 先生は深夜から朝まで仕事をし、昼前後に仮眠をし、さらに他の教育の仕事と並行させながらここに来てくれている。 睡眠は毎日、4~5時間だろうか。 「しっかり寝ないと、体こわすよ」 私が言うと、 「塾長こそ睡眠取ってくださいよ」 と、切り返され、日曜ぐらい仕事を離れゆったりしてくださいと、逆にアドバイスされた。 確かに私も睡眠時間は短いが、この先生の気遣いが何だか嬉しかった。 今日の用件はシフト上の依頼だったが、了解をもらえた。 私から持ちかける話は、いつも負担を掛けるようなことばかりで、済まないと思う。 先生は指導上のことで、悩んでいる。 生徒の姿勢、やる気、塾に通う目的。 そういった根本的な部分に絡んだ、指導の機微に係わる悩み。 先日も面談したが、片手落ちな活路が見えたままだ。 教師でも、熱心な人ほど悩むというが、自分に正直すぎるのかも知れない。 真摯なことは素晴らしいこと。 でも、人を扱う上では、心に余裕があった方がいい。 完璧に理想どおりにはいかないし、そこにこの仕事の妙味がある。 相手は生徒という人間だ。 十数年という育ちの中で、環境に染まり、複雑な異なる経験を持ち、すでにリズムを携えている。 塾にはそのリズムを持って訪れ、みんな我を主張する。 わがままも、やる気のなさも、寡黙な姿勢も、彼らにとってはそれが自然なのだ。 間違えてはいけないのは、彼らには罪はないということ。 我々はその前提で規律を提示し、知恵を与え、大人に向けて教導していく。 学びにおける価値には、個人差がある。 一律にこれが正しいということはないのだ。 だが、一つの方向を示し、生徒の指針としていくことは必要だろう。 その指針は私が描き、先生に与えたい。 だから先生は、それを使いやすいようにアレンジし、生徒一人一人の「個」にぶつけて欲しい。 先生も感情のある人間。 自然の表情で、人間的に接していけばいい。 誉め、叱り、語り合う中で、指導の軸が生まれてくる。 軸を探すのは先生であり、生徒はその軸を掴みにまた集まってくる。 譲れない学びの哲学を持っているのなら、それを武器にすればいいだろう。 生徒のやる気はみな違う。 それは一律にくくれないものであり、また、くくってはいけないものだ。 学びというものを、塾というものを、 親御さんがどう思っているか、本人がどう思っているか。 その根本を考える前に、まず今日の営みを互いに語り合ってみる。 そんな他愛のない会話から、指導の流れが見えてくることがある。 今日明日を性急に捉えずに、受け身になってみる。 待ちながら、生徒のリズムを引いてみるのだ。 ゆったりと流れを感じてみよう。 無意識な流れは、やがて根本へのヒントを運んでくるだろう。 生徒の姿や表情は、自分の心や姿勢の鏡。 生徒が攻めてくれば、受けてあげる。 生徒が守りに徹していれば、語ってあげる。 生徒が笑っている時は、不思議と自分も笑っているものだ。 そんなものなのだ。 先生には色々負担を掛けるが、高い資質をぜひここにぶつけて欲しい。 押しながら、引きながら、先生の魅力の詰まった空気を作って欲しい。 本音で語られることは、私にとっても有難いこと。 先生のステージを可能な限りサポートしようと思う。 子供たちは待っている。 温かい、それでいて芯のある、余裕のある表情。 先生の素敵なその姿を、待っている。 力を貸してください。
2007.06.03
親御さんから連絡が入る。 「今日は○○なので、塾を休ませます」 理由は、健康上・学校や部活絡み・私的なことと、様々だ。 わが教室では、病気や学校行事による欠席については、振り替え授業を考慮設定している。 塾に行きたいのに、熱が出て行けない。 ちょうど宿泊行事に重なり、行こうにも行けない。 飽くまでも、そういう意欲のある生徒に対する救済措置である。 だがこの理由に関しては、各家庭や本人の意識によって、ラインが異なるものだ。 だるい、かったるい、疲れた。 これらを病気と見なす親御さんがいれば、「何言ってんの」とはなから相手にしない親御さんもいる。 遅くまで部活をやってきて疲れた。 線引きが難しいテーマだ。 通えるかどうかは、本人が一番分かっている。 部活と兼ね合っていくことを前提とした塾通い。 遅くなる、疲れるということは、想定の範囲だろう。 親のOKが出て、しめしめと思う生徒も多いのではないか。 子供の甘えを親が認めてしまうと、ズルズルと同じことを繰り返す癖がつくものだ。 ぐったりしていれば別だが、通えるのであれば遅れてでも顔を出す。 その辺の規律をしっかりと設けている家庭は、私は、塾というものと上手く共存している家庭だと思う。 塾というものは学びに 「行く」 場所。 定時になれば、生徒のために用意された学習が、そこで開かれる。 自分のために始まる授業を、受けに 「行く」 のである。 それを大切に思い、奪いに行くかどうかは、本人の意思と家庭の理解で決まる。 修学旅行などの宿泊行事でも、その意識の違いははっきり表れてくる。 「明日から修学旅行で、朝早いので・・・・」 「今日、修学旅行から帰ってきて、疲れたと言っているので・・・・」 親御さんからの連絡だが、これでいいのだろうか。 一方では、修学旅行からお土産を持って、遅れながらも塾へ直行してくる生徒もいる。 家に寄っていないので、当然、食事もしていない。 後でお母さんに聞くと、「時間の決まっている塾に、地元にいるのなら足を運ぶのが当たり前です」とおっしゃっていた。 塾は受け入れ側なので、家庭の方針に言及できる立場ではない。 だが、ともに係わっていく上で、家庭が塾をどういうスタンスに置いているかは大きな意味を持つ。 どの家庭も、学ばせるために、成績を少しでも上げるために子供を塾に通わせている。 「学びに行く」という行為を、親御さんがどこまで前向きに考えているか。 子供の甘えを聞きながらも、決められた生活のスケジュールを守ることの意義を、どこまで伝えているのか。 塾との連携で、要になるポイントだと思う。 子供に自分自身の立場を教えてあげ、役割を守れるようにサポートしていく。 子供は、自分の役割は何だろうと考えてみる。 今、すべきことは何なのだろうと。 可能性は、動くことによって見つかるのである。 辛抱し、頑張ることで、新しいドラマが見つかる。 大人は仕事を休めない。 主婦ならば、家事は休めない。 子供たちにも同じように決められた仕事がある。 休むということは、他者から遅れるということ。 リスクを背負ったなら、取り返すために行動が必要になる。 だが、大抵の生徒は授業内容も宿題も確認しようとしない。 休んでも、次の授業で、自分のために特別に一からやり直してくれる。 そういう甘えがある限り、成績は伸びてこないものだ。 決められた日時に、きっちり攻め込んでいける生徒が強いのである。 行事の多い6月。 意思をしっかり持ち、自分の足跡をここに印しに来て欲しい。 5分、10分の発見のドラマは、家にいては見つからない。
2007.06.03
土曜は「漢字検定」を準会場として実施した。 受検者は回を追うごとに増えており、みんなの意識の高まりを感じる。 今回は、9級から準2級まで、幅広い実施となった。 検定中はみんな真剣だ。 沈黙の中で、必死に解答用紙を埋めている。 30分で終えてしまう者から、空欄だらけの者まで、力の差にはもの凄い開きがある。 さあ、結果はどうかな? さて、前回は事前に一部の解答がネットで出回り問題になった。 ある学校が、指定日の前日に実施してしまったからだ。 今回の土曜日実施は、準会場のみのもの。 時間は会場が自由に決められる。 何かいやな予感がしてネットを覗くと、早速答えの書き込みがあちこちに。 うちの受検生とは関係ない級だが、昼過ぎから始まり、7時頃には解答を列記する者まで現れる始末。 土曜日は部活の兼ね合いから、夜に実施するところも多い。 午前や昼に実施する団体は、その点を踏まえ、受検が済んだ者に当日は絶対に問題を漏らさないよう指示しなければならない。 そもそも何で問題用紙も回収しているのか。 認識の薄い団体と、非常識な受検生がいることが残念である。 今回も漢検の協会に連絡を入れた。 前回の時はTVのニュースや新聞ネタになり、協会は、漏洩部分を削除して採点するという苦肉の策で対応した。 どうも私の連絡が発端だったようだ。 今回はどうなるのだろうか。 公開受検日と違い、受検者も圧倒的に少ないとは思うが。 協会の対応を見てみよう。 だが、何かしらの防御策を講じない限り、今後もまたトラブルは絶えないだろう。 真剣に受検している者が可哀想である。
2007.06.03
1年生の元気がいい。 金曜は今、14名の1年生が集まってくる。 先輩たちの間に分散し、それぞれのクラスで、それぞれの科目を学んでいる。 中学生活にも慣れ、だんだん個性が強く出始める頃。 その空気が、いい感じで教室の中に溶け込んでいる。 塾が楽しい。 勉強が楽しい。 頑張りたい・・・・ 漠然としたものが、少しずつ現実として見え始め、素振りに表れてくる。 ジャージ姿が、いつの間にか嵌るようになった。 指示すれば、素直に受け入れ。 仕掛ければ、真剣に喰らい付いて来る。 小さな身体に未知をいっぱい抱え、染まっていない。 しかし、笑顔は忘れない。 温かく強い「正」のエネルギーを感じる。 他校の仲間とも、カベがなく語り合い、盛り上がり。 授業では無限の可能性を模索している。 大半が小6からの繰り上がり組だが、みな3月の頃と比べだいぶ中学生らしくなった。 学びへの意識も、存在も。 先日行われた初めての定期テスト。 450点超えの4名を初め、全体として明日への可能性を示してくれた。 ここで一緒に取り組んできた地道な努力が、少しずつ形になっていく。 素敵な瞬間。 あそこでも、ここでも。 つぼみが膨らみ、開花を待っている。 今日の授業は、1年生の女子4人クラス。 世界の国の位置も、都道府県もほとんど知らない。 でもみんな懸命に向き合おうとしている。 姿勢はやがてそれぞれの価値を高め、手元に残るだろう。 彼女たちの眼を一人一人見て、 可能な限り機会を与えてあげたいと思った。 素直にそう思った。 ここには、様々な知恵と言葉がある。 貪欲に吸収できる今。 それらを知る機会を与えてあげたい。 元気に挨拶し、笑いの絶えない君たちに。 学びにも、発見にも、 いい感じの波長を託したい。 ここはみんなのコミュニティの場。 夢も悩みも、共存できる温かい空間。 語りにおいで。 知恵を探しにおいで。 先輩たちがそうしたように。 ここでは遠慮なんていらない。 未知の力を秘めた、小さな翼たち。 君たちはいつも素敵だ。
2007.06.02
試験の得点をカードに書いて提出させる。 得点のいい者はスラスラと書くが、得点の悪い者はすぐに書こうとしない。 「まだ返されていません」 「忘れました」 「たぶん、これくらいだったような・・・」 ごまかそうとする姿勢が見え見えだ。 点を書かせる時は、いつもオープンでやっている。 他人に見られないように極秘でやりとりするなど、一切しない。 個人情報もクソもない。 それが本人の姿勢から来た、戦績であり、現状だからだ。 仲間より悪かったら、次回に奮起すればいい。 負けることの恥ずかしさを知り、反省をエネルギーにしていけばいい。 仲間より良かったなら、優越感に浸ればいい。 それだけ努力したのだから。 そして勝つことの方程式を、再び次のエネルギーにしていけばいい。 試験の得点も教室にはどんどん掲示していく。 自分と闘い、頑張った生徒には、その努力を形にして称える。 だから90点以上は実名で貼り出す。 先日の塾内テストでは、不合格者も実名で掲示した。 まずいと思うなら、今日から考えを変えればいい。 納得いかないのなら、悔しいのなら、改善に向けて動けばいい。 成績のいい者にとっての賞賛と勲章。 そしてその逆の者にとっての刺激と触発。 互いに揉まれ、上昇を目指すうえで、共通のモチベーションなのだ。 試験の得点などというものは、本人次第でどうにでも変わる。 取ろうという意識と努力と工夫が、その得点のレベルだったということだ。 100点を取る者は、100点に帰結すべく努力をしている。 50点を取る者は、50点に帰結すべく努力をしている。 だが、その時の本人の意識は大きな意味を持つ。 「50点の努力しかしませんでした」 「50点の努力をしました」 「50点もの努力をしてきました」 飽和試験対策量とでも言おうか。 個人の引く技量のラインには、ものすごい開きがある。 試験はいわば勝負の世界。 力がなければ結果は出ないだろう。 ではその力はどうすれば引き寄せられるのか。 なぜこんなにも個人差がついてしまうのか。 自分の引いているラインをよく観察してみなさい。 冷静に分析してみなさい。 みなが10やっているのに自分は7しかやっていない。 それでは勝てないのだ。 50点の答案は、その完成度の判定なのである。 そうなるべく労力の注ぎ方なのだ。 いくらやっても、50点が限界なのだ。 飛躍したいのなら、労力の絶対量を増やさなくてはならない。 ここまでという自分のラインを、再度引き直すのである。 学び方を今までの延長線に置いている限り、いつまで経っても上昇はない。 反省し、悔しい思いをした。 ならば、次にすべきことはまず工夫だ。 工夫し、方法を模索し、エネルギーのベクトルを変えていく。 どうしたらいいではなく、目前の課題を叩きのめすことから始めるのだ。 10やればいいのかな? ではなく、12、13と挑んでいくのだ。 点数をカードに書く時、悪いとみっともない。 また何か言われるかも知れない。 だが、その恥ずかしさは誰のせいなのか。 よく考えてみなさい。 恥ずかしいのなら、自分で闘い、模索していくのだ。 他人はヒントになっても、動くのは自分でしかない。 順位の発表は、自分の相対的な力を知るためにある。 得点の公表は、数値を反省として捉え、自己診断するためにある。 手元の50点の答案と、塾内順位。 それらをヒントにし、次に活かせるかどうか。 それは、自らの意識変革にかかっている。 50点はやがて、40点にも70点にも変わっていく。 どっちに転ぶか。 何だかんだ言っても、 今日ひとつ目標を達成できる者が強いのである。 点を引き寄せる起点は、今日であり、今なのだ。
2007.06.01
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