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今日も生徒がやって来る。 肩に荷物を提げ、まるで時間を示し合わせたように。 足を引きずり、無言でうつむきながら来る者。 友と語り合い、弾けながら来る者。 そんな仲間が重なり合い、いつも教室に空気を創っていく。 普段の何気ない風景。 その接点には言葉があり、互いの熱がある。 子供たちは、何故ここに来るのだろう。 何を探しにここに来るのだろうか。 みな一日の営みを持ち、定時になるとここに集まって来る。 それぞれが得た今日の喜怒哀楽を背負い、ここに集まって来る。 嫌なことも、辛いこともあるだろう。 叱られ、落ち込んでいる時もあるだろう。 いいことがあり、弾んでいる時もあるだろうか。 そんな仲間たちが、席を並べ、テキストを開く。 35ページの連立方程式。 解かなくてはならない。 ここに来て座っている君は、解かなくてはならない。 ペンを持ち、答えを求めなくてはならない。 みながそうしているように、君も元気を装い、頑張っている。 教務のこと、指導のこと、試験のこと。 生徒たちを強制的に牽引していく、ありふれた風景。 どのブログを覗いても、そんな定石が当然のように語られている。 全国の塾で、生徒たちを追いやり、攻め続ける風景が見える。 子供たちは語らない。 最後まで語らない。 落ち込んでいても、どんなに嫌なことがあっても。 心にしまい、いつもギリギリの部分で自分と闘っている。 そして、ペンを持ち、健気に解いている。 答え合わせをし、間違えていても、 苦笑いをし、前を見て懸命に頷いている。 子供たちは、何故ここに来るのだろう。 何を探しにここに来るのだろう。 大人を信じない心を片手に。 大人を少しだけ信じ始めた、小さな希望を片手に。 成績を上げるため。 塾に籍を置き、生活の一部になったから。 そうだろうか、そんな事務的なことだろうか。 それは子どもたちの意志ではなく、大人たちが交わした諒解ではないのか。 もっと大きな、そしてもっと素朴なもの。 人としての、温度のある空気がそこにあるような気がする。 我々塾人は、その答えを議論しなくてはならない。 心の機微にふれ、子供たちにメッセージを送らなくてはならない。 今日も生徒がやって来る。 疲れても、遅れても、自分の席を探しに来る。 笑顔で迎えてあげると、ほんの少し笑顔をくれる。 頑張れよ。 心で語りながら、背中を押してあげる。 悩み、自分を見つめ、成長していく世代。 そんな君たちがここに集まり、素敵な時間を残していく。 でも、どんなに疲れても、 どんなに嫌なことがあっても、 35ページの連立方程式を解かなくてはならない。 ペンを持ち、何度もかき消しながら。 泣きそうな君、肩を落とした君、そして虚ろな君。 問題と向き合う表情に、明日が見え隠れする。 君たちに送るメッセージは、山のようにあるだろう。 だが、君たちの心を感じ、選んだ言葉は、きっと一つしかないような、 そんな気がする。 席は君のためにある。 探しにおいで。 そして、メッセージを一緒に探そう。 ここには、きっと温かい何かがある。
2007.09.30
『SSSランク・トライアル』本番の3日目。 対象は中学生全員、全学年同一問題、全100問。 合格点は中1が65点、中2・中3が80点。 曜日による一部の未受験者と、3名の欠席者を除き、答案が次々と上がってくる。 すべて埋めてくる者、空欄だらけの者。 準備の有無が、はっきりと答案に刻まれている。 試験中、答案の埋め方を観察して回る。 書き込むリズムに、ものすごい個人差がある。 クイズのように、次々に即答していく者。 ペンが止まり、長時間思案している者。 思い出しながら、何度も書き換えている者。 みな、制限時間の中で、懸命に自分と闘っていた。 中には、100問中、30問しか埋められない生徒もいた。 お前は一体どういう準備をして、ここに臨んでいるんだ。 点を取りたくないのなら、勝手にすればいい。 ただ永遠に、追試が続くだけのことだ。 全員が真剣に取り組んでいるものを軽んじる行為は、お前の器を小さくするぞ。 言っておく。 平均点は、見た感じかなり低そうだ。 前回と同一問題を相当出すと予告しておいて、この空欄だらけの答案はどういうことなのだ。 ニュースや新聞を見ていない生徒も目立つ。 この100問は、受験に向けて基礎となる知識群。 学校での履修云々とは別次元で行っている。 しっかり頭に叩き込め。 「あっ、これやった」「あの時の問題と同じだ」 1年生諸君。 数ヵ月後にその感覚を、幾つも味わうことになるだろう。 答案の内容分析は、全員が終わり、採点した後に行う。 追試の合格点は90点。 楽しみだな。 名無しが1名いた。 消去法で誰だか限定は出来るが、今回は0点として処理する。 試験のルールだ。 せいぜい追試では、真っ先に名前を書いてくれ。 そして学校の試験で絶対やらないよう、教訓として欲しい。
2007.09.29
私は 「本」 について、敢えて触れないようにしてきた。 語り始めれば、言葉が湯水のように溢れ、ブログの趣旨を変えてしまう。 そう思い、意識して別世界のものとして封印してきた。 GOAL通信は、子どもたちとの接点から生まれる物語。 その光や流れと向き合い、正も負も捉え、語ってきたつもりだ。 だが、最近になり、意識して避ける必要があるのだろうかとも感じている。 本というものは素晴らしい。 無条件で素晴らしい。 一冊ずつ手に取り、ページをめくっていた頃の記憶が、 本の表情や感触とともに、今も鮮明に焼きついている。 数え切れない人に本を紹介し、雑誌に書評を書いていた頃。 ブックフェアや読書感想文のコーナー企画を考え、まとめていた頃。 本の凄さと魅力に、取りつかれていた頃。 その当時の思いを、今の教育という現場に還元できないか。 封印しながらも、ずっとそんなことを考えてきた。 活字には、力がある。 たった一行で生き方を変えてしまうことがあると言う。 素敵ではないか。 子どもの頃に読んだ物語が、大人になると妙に懐かしい。 主人公がここでこうして、こう語った。 時間を超えたエネルギーが、いつもそこにある。 何と素敵なことだろう。 何千万冊という本に触れてきたこと。 そんなことは、今はどうでもいいことだ。 だが、何故だかモヤモヤした感触が拭えない。 子どもたちの活字離れ、国語の読解力の低下。 普段から本を読まない、だから感想文も書けない。 昔は一冊の本を、ボロボロになるまで何度も読んだものだ。 ものと情報が溢れている現代。 今の子どもたちに、与えられるものは何だろう。 それらとの接点に、有意な言葉がきっとあるはずだ。 本の読み方、探し方、選び方。 文章との接し方も、自分への役立て方も。 そして、子どもたちに伝えたい、本の世界の魅力について。 私の中に、使えるものがないだろうか。 そういったものを探しながら、少しずつ書いてみたい。 つたない文章で、取り留めなくなりそうだが。 書きなぐってみたい。
2007.09.28
生徒たちとの面談を進めている。 模試を返却し、学習や進路についての話をする。 様々な反応とリアクションがあり、今後の指針に繋がる貴重な時間だ。 成績について言うならば、とても単純な法則がそこにある。 伸びている者は、日々努力している者。 逆に努力をせずに過ごした者には、当然の結果が出ているということだ。 力があるのに、今回は落ちてしまった君。 最近数ヶ月の、家での様子を振り返ってみよう。 どうだろう、心当たりがあるのではないか。 成績というものは素直だ。 それを感じるのは、親でも先生でもない。 結果は君自身が受け止め、その理由は君が分析しなくてはならない。 毎年、急に成績を上げ、安定していく生徒がいる。 彼らに共通していることは、その前の期間を大切に過ごしているという点だ。 地道に努力し、力が付いた時に、シナリオのように開花する。 一気に来る。 その感触を知りたいのなら、今を充実させることだ。 反省し、自分を知り、戦略を練り、骨を折る。 そう、自分の明日のために骨を折るのである。 私は定期テストで200点そこそこの生徒が、最後は430点になったケースも見てきた。 塾の成果ではない。 本人が、他人以上に努力したのである。 軸をしっかり据え、目標を定め、しっかり汗をかいた結果なのだ。 何もせずに、望みだけ高い者よ。 逃げて、逃げて、ごまかし続けてきた者よ。 ゲームには終わりが来るぞ。 望みに陰りが見えてきた時、君ならどうする。 望みを落とし、さらに逃げ続け、楽になろうとするか。 望みを死守するために、熱い行動に出るか。 学びの岐路は、「左右」 ではなく 「上下」 なのだ。 険しい上り坂を選ぶか、それとも楽な下り坂を進むか。 迷った時に常に上を選べる者は、かたちを残せる者。 道標の前で、立ち止まり、 じっくり考えてみればいい。 明日が、明後日が、1か月後の空気が、君にとってどういうものかを。 学びというものは個人戦。 今まで何度も言ってきたが、最後に頼れるものは、自分の頭脳。 頑張ったという行為が自信の塊になるまで、自分の責任の下で研き続けるのである。 面談の席で、ある生徒が言った。 「次の模試はいつですか?」 納得いかなかったのだろう。 次こそは頑張って、好結果にしたいのだと言う。 長いこと面談をしてきて、久しぶりに聞く言葉だった。 伸びる予感を感じる。 自分のために、大きな壁を武器にしようとしている。 「よし、絶対頑張ろうな」 「はい」 その生徒は、いつにない笑顔で答えた。
2007.09.27
テストは子供が受けるものだ。 範囲を知り、点を上げようと勉強し、 努力を重ね、本番で汗をかきながら答案に向かうのは、 誰でもない、子供たちだ。 その事実を、そんな簡単なことを、どれだけの親が理解しているだろう。 成績が悪ければ、細部にまで踏み込み、点を取らせようとする。 成績が良ければ、もっと点が取れるはずだと粗を探し始める。 そんな親がいないだろうか。 テストは親が受けるものではない。 スポーツで言えば、監督やコーチの立場。 動き、記録を刻んでいくのは、主役である子供なのだ。 失敗したならヒントを与え、力になってあげる。 ぎこちない学習をしていたなら、別の視点で流れを変えてあげる。 子供のクセを知り、性格を知り、常に片腕になれる。 それが出来るのが、身近な存在である親なのだ。 テストは、親が満足する点を取るゲームではない。 子供が受け、自力で点を取り、子供自身が受け止めていくものだ。 それは、大人に成長していくための試練。 得点を超えた、財産をつかむ訓練でもあるのだ。 親が基準になると、得点が一人歩きしていく。 70点取れば、もっと頑張れば80点取れるはずだと。 80点取れば、ここは出来たはずだと、次のノルマが90点に。 次々に降りかかる課題に、子供の意欲はどんどん下降していく。 親は気付いていないが、目的がいつからか得点のコレクションになっていく。 まるで、自分が受けているかのように。 そして、こうすれば点が取れるという幻想を、すべて子供に注ごうとする。 注がれた子供はたまらない。 山積された課題と、監視の嵐に、勉強の味気なさが飽和を迎え始める。 親が熱心になればなるほど、予定通りにいかない時の落差は激しい。 「なんで、あんなにやったのに、出来ないの!」 「誰のために、毎晩教えてるの!」 「お母さんを悲しませないで!」 誰も、悲しませようとなんかしていない。 誰が毎晩教えてくれと頼んだと言うのか。 あんなにやったのに? 強引に仕向けただけで、本当は何にもやってないのだ。 子供の意思で学びと向き合う時間を、どれだけ与えたと言うのか。 テストは何点だろうが、自力で臨み、結果を受け止めてこそ意義がある。 学習方法がまったく分からない。 いくらやっても点数が上がってこない。 その時こそ、親が方法論を説いてあげればいい。 反省に立ち会い、ヒントをどんどん与えてあげる。 だが、飽くまでも、それを実践するのは子供。 親は結果だけを見て、サポートに徹していればいいのだ。 その領分を超え、ラインを跨いでしまうから、子供の芽がつぶれてしまう。 学びの過程は、子供が刻んでいくもの。 自力で悩み、コツをつかみ、乗り越えてこそ、次に繋がっていく。 テストの本番で、必死に汗をかくのは子供だ。 点を知り、結果を受け止め、次の行動に移していくのも子供だ。 当たり前のことを正しく捉え、力になってあげる。 それができる親は強い。 そして、そういう家庭は自然と空気が整っており、 自ずと子供の成績も、上がってくるものなのだ。 私はそう思う。
2007.09.26
もう1年が経つ。 この日、そして小雨の降る翌日。 楽しいはずの風景が、一瞬にして暗闇になった。 園児4人が亡くなり、保育士を含む17人が重軽傷を負った痛ましい事故。 この数を見て、危険運転以外の何が考えられるだろうか。 人が往来する、子どももお年よりも行き来する裏道。 犯人はカセットを入れ替えるために脇見運転をしたが、当時の速度から危険運転致死傷罪は適用されず、懲役5年で結審している。 ここ1年、色々な報道や意見が飛び交った。 法改正に向けて、被害者の方たちの署名活動も行われた。 だが国の動きは散漫だ。 路駐の取り締まりも導入の時だけで、最近は巡回車もほとんど見ない。 先日、道交法が一部改正されたが、どう改正されたのか、ドライバーたちに十分浸透しているとは思えない。 何とかしましょう。 前向きに対応しましょう。 その時の言葉が、政治の混乱で人が代わりウヤムヤになっていく。 どこが美しい国なのか。 安心して暮らせる環境は、もはや望めないのか。 子どもたちに係わる仕事をしていると、その思いはやはり特別だ。 地元では犯罪も事故も、絶えず起きている。 授業は夜なので、治安を考えた車の送り迎えも増えた。 先日は、生徒が遅く自転車で帰ると、途中でパトロールに職務質問されたという。 しかも30分も。 警察は状況判断が出来ないのだろうか。 塾帰りのカバンを持った中学生よりも、もっと目を光らせるべき対象があるだろう。 保護すべき対象と、摘発し変えていくべき対象。 普通の生活が安心して出来る地域づくりを、地方が国が率先して取り組んで欲しい。 無人の保育園は今も売りに出されたまま、ひっそりと佇んでいる。 その前を通る度に、当時の園児たちの元気な姿が思い出される。 何度も繰り返される、忘れた頃に起きる痛ましい出来事。 未然に防ぐための叡智は、一体どこにある。 奇しくも新総理が、 今日、この日に決まる。
2007.09.25
29人の生徒と面談した。 休むことなく、一気に。 夕方から4時間、話しっぱなしだった。 模試を返しながら、生徒ごとに語りのリズムを変える。 内容も展開も、シナリオを超えた駆け引きがそこにある。 責める。 褒める。 励ます。 檄を飛ばす。 生徒と向き合い、学びを語り、幾つもの空気を創っていった。 私が教場を歩く。 生徒たちは、今日試験が返されるということを知っている。 目を伏せる者、問題を解いている素振りを見せる者。 まるで声が掛かることを恐れるかのように、不自然な仕草だ。 そんなものは、もう何百回も見てきた。 私は歩みを止め、腕組みする。 その影は生徒の視野に入っているはずだ。 「次は・・・・お前だ」 ナマハゲに捕まった子供のように、観念する表情。 私が先に面談席に着くと、後からトボトボと生徒がやってくる。 面談中、うつむく者もいれば、快活に語ってくる者もいる。 「何だ? この答案」 「お前、高校行きたいんだろ?」 厳しい言葉を浴びせながら、反省と明日への展望を描かせる。 頑張った生徒には賞賛を与え、自信を持たせてあげる。 中1の反応、中3の反応。 塾と係わりながらのドラマが、そこにある。 毎回、同じことをやり、もう数百人。 生徒にとっては、自分を省みる貴重な儀式でもある。 半べそをかいている子もいた。 「勉強のやり方が分からない」 ならば、こうしてみなさい。 こうして、こうやり、ここをこうして、こうやってみなさい。 泣くのは、やることをやり、限界を悟った時。 お前には、まだまだ余裕があるだろう。 答案の埋め方を見ると、試験中の闘いの様子が見えるようだ。 「お前、試験中こうだっただろ」 記入の手順も、 時間との闘いも、 適当に書いたのか、 分からずに空白なのか、 それとも時間切れだったのか。 そんなこともみんな分かってしまう。 結果を受け止めることは大切だが、それに流されるな。 結果を操作できる「強さ」を身に付けなさい。 自分の軸をしっかり据えて、すべき作業をまとめてみるのだ。 頑張った生徒は、今回も伸ばしてきた。 伸びる要素は全員が持っている。 伸びるか否かは、その軸の強さと、実行の機敏さ。 明日からではない。 今から変わってみよう。 今日帰宅し、反省して、必死で見直す者が何人いるか。 2人だろうか、3人だろうか。 いや10人だろうか。 ただ渡すだけでは芽生えない可能性を、 語り、互いに空気を感じながら、拾っている。 また来いよ。 悔しさも嬉しさも、どんどん体験し、日増しに大きくなっていく。 元気で笑顔が似合う、君たち。
2007.09.25
今日は祝日(振替休日)だが、授業は平常通り行う。 生徒たちは間違えないように注意して欲しい。 先月に実施した模試も、今週中に返却する。 一人ずつ面談するが、課題のある生徒には厳しいことも言うので、心得ておくこと。 中には、前回から偏差値で10伸びている生徒もいる。 そういう生徒は、コツをしっかりファイルすることだ。 模試はその時点での実力の測定であり、通過点に過ぎない。 常に言っている、リカバリーと明日への改善がすべてである。 私の授業の空き時間を使うので、返却は週後半になりそうだ。 今週は、中学生には「SSSトライアル」も水曜から実施する。 2学期が始まり、中間まで間延びした期間。 模試の結果で自分を省みて、テストで学びのリズムを見直していこう。 さあ、頭を活性化させるとき。
2007.09.24
うちは余り自塾の宣伝をしない。 前も言った。 宣伝も営業なので、良さを分かってもらうには必要なのだろう。 でも何故か、率先してやる気になれない。 「成績を必ず上げます」 「地元NO.1」 よく言うよ。 色々な宣伝文句を見ると滑稽に思えてしまう。 政治家の公約ではないが、言うからには為し遂げる責任が伴う。 どこまでその意識が行き渡っているだろう。 では、「必ず」 上げてもらいましょうか。 大手などは、社としてのコピーが統一して使われる。 「○○○」と言えば、それが全校舎の共通イメージとなる。 そして「実績の幻想」 が、一人歩きしていく。 塾生のコメントも、合格実績も、全教室のものが一元化され、ブランド力へと加工されていく。 だからいつも 「おいしい」 セリフが並ぶが、それは地元の校舎が発した言葉ではない。 わが地元にも「○○合格ランキング1位」という塾がある。 だが、そのデータの出所を見ると、何ともお粗末だ。 手元にあるその資料では、有効データが用いられているのはたったの3塾。 その中でトップなので、埼玉県1位らしい。 しかも他の2塾は硬派の進学塾で、難関私立に多数合格者を出している塾。 ただそれが、データとして分析されていないだけのことだ。 埼玉に塾が幾つあるかご存知だろうか。 それらを細かく拾い上げて、より精度の高いデータとしてまとめたものなら何ら問題はない。 だが、そうではないデータも、市場には混在している。 そのデータはある雑誌が編集したものなので、塾に責任は問えないだろう。 だが、これは塾人としての考えだが、たったの3塾でよくも看板文句に使えるものだと思う。 この楽天ブログにも埼玉の塾が多数あるが、どう見てもそちらの方が上ではないか。 ただデータに加わっていない、と言うか、取材されていないだけのことだ。 ちなみにうちも同様にデータ分析してみたところ、何のことはない、その塾より上だった。 そんなもんだ。 問題なのは、消費者はそういう裏事情を知らないということだ。 広告で宣伝すれば、そういうものだと思ってしまう。 自己防衛が大事だと言われるが、防衛しきれない部分がある。 そのためには、我々塾の関係者が、より正確なPRをし、説明の義務を負うという姿勢が大切だ。 他塾を批判しようとは思わない。 塾人として、伝えるべき事実を正しく伝えたい。 大切な子どもたちを預かる、責任の伴う機関ゆえに、そう思うだけだ。 わが教室は、派手に宣伝し、闇雲に生徒を集めようとは思わない。 何度も書いているが、教室をよく見ていただき、よく知り、その上でじっくり考えて決めていただいている。 生徒を親身になって見るということは、難しいことだ。 だからこそ、ここを必要とし期待していただいた方には、丁寧に指導していきたい。 仮に淘汰され、傾いたとしても、 何点上がったなどという細かい事実を、大げさに宣伝に使おうとは思わない。 最低限の言葉で、地道にやっていくつもりだ。 そしてそのエネルギーを、直接生徒に投げかけていきたい。 内部の結束と信頼こそ、強い経営力に通じるものだと思っている。 私は塾名を掲げて、語っている。 常に真剣に、子どもたちを見守る。 その姿勢に偽りはないと、ここに宣言する。
2007.09.23
もう何年も前になるが、息子の中学の体育祭を見に行った。 息子が中3と中2の時だ。 その中で、「部活対抗リレー」というものがあった。 それぞれ部活の時の格好で、代表される道具を持ち、それをバトン代わりにリレーしていくというものだった。 ひとり100メートルを走るのだが、どう見ても明らかに部活によるハンディがあり、それがまた愉快だった。 記憶の限り、バトンを復元してみよう。 サッカー部は、試合のユニフォームにサッカーボール。 ハンド部、バレー部、バスケ部も同じだったと思う。 野球部はボールとグローブだったか。 陸上部はまったくハンディなしの、普段どおりのリレー。 卓球部はラケットで球をリフティングしながらという演出だった。 息子は情報文化部で、確か制服でキボードを持って走っていたように思う。 剣道部などは悲惨で、防具をフル装備し、竹刀を渡していた。 結果は確か、陸上部ではなくハンド部が1位だったと記憶している。 剣道部はお約束の最下位だったが、みなの拍手を浴びていた。 その時は、もっとハンディを工夫すれば面白いのにと思った。 例えば、バスケ部やサッカー部はドリブルをしながら、陸上部は砲丸を持ちながらなど。 でも今は、ちょっと考えが変わった。 あれは順位を意識しない余興だったのだから、あれで良かったのだろうと。 このことを思い出し、ふとハンディについて考えた。 ハンディは誰でも持っているものだ。 得手不得手も、性格も、生活環境も、それぞれみな自分の枠の中で頑張っている。 そこで、その与えられた舞台で、懸命に汗をかき生き抜いている。 不利な状況も当然あるだろう。 でも、それを卑屈に思ってはいけない。 その状況ですべきことを、しっかりこなしていけばいいのだ。 自分の器を超えたものに染まれば、ひずみが出る。 無理をせず、迷わず。 そんな姿勢が、何よりもすがすがしい。 剣道部が袴をひらつかせ、最後にゴールした瞬間。 そして、それを称える観客の拍手。 順位ではないのだね。 結果を超えたものもあるんだね。 記憶を辿りながら、 何か忘れかけていた大切なものを、思い出した気がした。
2007.09.22
『SSSランク・トライアル』 の本番を来週実施する。 先月のプレ・テストの出来は非常に悪かった。 各自、見直しはしているだろうか。 同一問題も幾つか出すので、注意されたい。 今回は準備すべき内容やポイントを列記し、事前に生徒に配っている(写真)。 小学校で習った基礎的な知識や常識は、試験前にチェックしておこう。 常識的な問題を多く出す。 不明なものは調べたり、親に聞いたりして、準備を入念に。 また、入試に向けて色々学んでいく上で、ベースになる部分の理解度を調べる。 そんな問題もかなり出す。 時事問題も3問出すから、ニュースをよくチェックしておこう。 また今回もブーブー文句を言っている者がいた。 「習ってないのが何で出るのさー」 あのな、何度も言わせるなよ。 これらは全部、受験に係わる重要な知識で、外して通れないのだ。 数ヵ月後にすぐ習い、いやというほど試験で試される。 そんな知識を先取りするということは、君自身が優位に立てるということ。 また実際は、常識問題が大半。 それらはみな、小学校で一度習ったものだぞ。 まあ、文句を言うのは構わないが、追試にならないよう頑張って欲しい。 リストも配り、しかも大半は習った内容。 不合格の時、「習ってないものが出たから」という理由が通用しないということを、ここで先に伝えておく。
2007.09.22
先月実施した模試が返ってきている。 個別の成績表を眺め、色々分析していく。 教務用として届くものに、全生徒が成績順にプリントされた一覧がある。 中3生の場合は、3教科判定と5教科判定の2種類。 その表を見ていて、思った。 3教科の順位も、5教科の順位も、その名前の配列がほとんど同じなのだ。 理科・社会が得意で、5科だと順位を上げてくる者。 あるいはその逆に、3教科型で力を発揮してくる者。 この時期になると、得手不得手がはっきりしてくるものだが、今年はちょっと様子が違う。 できる生徒は全教科安定しているが、できない生徒は全教科深刻なままだ。 「やっているか、やっていないか」 苦手云々ではなく、根本的な姿勢の差がそのまま出ている。 やらない者は科目が増えチャンスが増えても、結局やろうとしない。 そんな傾向が数字にはっきり出ていた。 受験生として、残された期間をどう活かし、どうフィニッシュへ持っていくか。 君たちの姿勢で100%決まる。 来週から返却していくが、答案をよく分析してみなさい。 ヒントはすべてそこにある。
2007.09.21
問題を解く時に、印や記号を書き込み、線を引きなさいといつも言っている。 囲みやアンダーライン、様々な記号を、自分だけのルールで使い分けていく。 理科などでは、問題文(条件文)にキーワードとなる用語や数値が必ず書かれている。 では、その用語や数値がなぜ書かれているのかを考えてみよう。 何故だろう。 簡単である。 その用語と数値を使って解く問題だからだ。 「15秒後に」 「東の方角に」 「ヨウ素にひたしたら」 「「6ボルトの電圧を」 「底面積20平方センチの」 「同じ距離に」 「ある気体を加えたら」 「室温が22度の」 「液体が赤く変化した」 「1秒間に50打点を記録する」 すべて、これらの条件設定を踏まえて解いていく問題なのだ。 観察、分析、計算。 理科の問題などは、作られ方が決まっている。 だから数値や条件をしっかり押さえさえすれば、あとは法則どおりの答えにたどり着ける。 理科の苦手な生徒は、こういった重要なキーワードを目で追って解こうとする。 目で追うから、条件が多数になり複雑になると、関係が読めなくなってくる。 その防御のためには、印や記号、ラインというものが効力を発揮する。 例えば、光合成の対照実験の問題で、 「試験管Aは日光に当て・・・」 の、「試験管A」 が分からなければ、この問題は私であっても解けない。 だから条件である「試験管Aは日光に当て」に、しっかりラインを引くのである。 曖昧ではなく、的確に捉える。 だからこそ、しっかりと、的確にラインを引くのだ。 私がこれほど言っても、未だに印や線を使わず、悶々とにらめっこしている生徒がいる。 あれもこれも眺めながら、何を用いて解けばいいのかが分かっていない。 このクセは、他の教科にも共通して表れてくる。 国語や社会のような文章主体の教科では、視点が散漫なので語句の繋がりが分からない。 そのため、「何を問われているのか」 という、問題の意図が把握できない。 数学の文章題などもそうだ。 こういう生徒の療法として、ある実験を試みようと思っている。 恐らく全国どの塾でもやっていない、取り組みだ。 線や印を付ける練習にもなり、 何よりもキーワードを見つける視点を、感覚的に育てていく訓練になるだろう。 次回に詳報する。
2007.09.20
私にとって生徒の笑顔は、エネルギー源である。 人はみな、付き合いの中で仮面をかぶり、何かを我慢している。 あいつにも、こいつにも、そして私にも。 何かしらの悩みや苦しみがあり、不安を抱えながら生きている。 そんな仲間がここに集まり、互いに見詰め合い、語る。 笑顔の似合う空気が次々と生まれ、輝きはじめる。 素敵だと思う。 今日の夜、私にとって、忘れられない出来事があった。 私の中の不安や苦悩、そして希望と光が混ざり合い大きく揺れた日。 教室の笑顔が表なら、裏で起きた 「人」 としてのドラマ。 でも、ここでは触れないでおこう。 明日のために、そっと心にしまっておこう。 そう決めさせてもらった。
2007.09.19
子どもの心が解らない 生徒ではない 息子のことだ 美辞麗句も 綺麗ごとも 強制力も通用しない そんな世界がある 長いこと子どもと接し 育ててきた自負 会話の中に いつも大きな夢を描いてきた そんなものが 力ない紙切れになって ひらひら舞っている 大人の世界があり 子どもの世界があり その接点で交わした言葉の数々が 風化した記憶の淵を越え 今この目の前で どうにもならない と 語りだした 理詰めで済まない課題を いくつも抱え 私の言葉も 存在も 明日のない 否定形の結末を待っている いつから こうなってしまったのか 互いの疑問をあざけるように 深いミゾがそこにある 息子よ 何故解ってくれない おまえの人生は 確かにお前が決めればいい 父はどうしようなどとは思っていない だがな 引けよ 一歩さがって 未来を俯瞰せよ こんなにも恵まれた環境で 何を手探りしている 自由を求めるのなら 理性を汚すな 岐路に立ち悩んだなら 責任の果てを見据えなさい 親と子の関係は お前が望んでも永久に切れない どんなに荒んでも 落ちぶれても その前提に 互いの営みがあるのだ あと2年4か月 おまえが大人になったなら 選択の重みに涙すればいい それまでは どんなに格好つけても 自分で変えられない 苦しみとジレンマが 巨大な壁になって お前を縛り続けるのだよ いつまで甘えている とことん堕ちるか 息子よ お前には 生きていくための荷物を もうほとんど渡した 紐解き 料理し 活用するのは 今の「人」としてのお前だ 目を覚ませよ 目先に溺れ 大局を見失うなよ しっかりと足元を固め エネルギーを蓄えよ 父は お前の過去も未来も誇りに思いたい だから 価値ある 棄てられないものを 一生賭けて悔いのないものを 守り 永遠に 強く生き抜いて欲しい お前ならできる 父はいつものように そう信じている
2007.09.18
英検と漢検の申し込み締切りが迫っている。 英検が今月の27日、漢検が10月の1日だ。 今回も卒生や、塾生の家族からの申し込みを頂いている。 とても有難いことであり、塾の輪の広がりは何よりも嬉しい。 わが教室は、あまり派手に塾の宣伝をしない。 チラシの折込も滅多にやらない。 ここ数ヶ月、のぼりも立てず、ポスティングもしていない。 美辞麗句や囲みこみをするような塾とは、一線を画したい。 とにかく、足を運んでいただき、教室を、生徒を見て欲しい。 面談し、体験し、納得の上で決めていただければいい。 そして仲間になったなら、目的に合わせて最高の応援をしたい。 その方針は今後も変わらないだろう。 今日、その滅多にない折込をした。 9月も半ば。 中間試験の足音も近づいて来るころ。 小学生ならば、2学期の気の緩みが出るころだ。 悩みや不安があったら、気軽にここまで来ていただきたい。 うちは、しつこい勧誘は一切しない変わった塾(笑)。 名前を聞かずに2時間も相談に乗ることもよくある。 すべては、子供たちのため。 頑張る勇気を教え、頑張る姿を応援したい。 そして、お子さんの最高の笑顔を、お母さんに見せてあげたい。 小学生も、中学生も、受験生も、きっかけは行動で掴んでみよう。 久しぶりに、のぼりも立ててみようか。 うーん、そうだな。 素敵な出会いが生まれるように。
2007.09.17
最近は昔より、親子の関係が疎遠になったとよく言われる。 コミュニケーションの断絶を指して言うのだろうが、私は疑問に思う。 親子の関係で見る限り、今よりも昔の方が距離があった。 距離というか、「親」と「子」の間に越えられない壁があった。 大人は絶対であり、子供が意見しようものなら笑われた。 子供はそんな大人からあらゆることを教わり、自分を築いていくしかなかった。 だが、どんなに学んでも、どんなに経験を重ねても、そこにはいつもラインがあった。 それは越えてはいけないものであり、時間が掛かるものだと教えられた。 大人になるということは、歳を重ね若輩を教導できる器になること。 直接ではなくとも、そんな匂いがどこの家庭にも常にあった。 ある物が欲しいと、子供が言う。 私の子供のころは、「そう」と言われるだけで、ほとんど相手にもされなかった。 しつこく言えば、「宿題やったの?」とはぐらかされ、いつも親の方が一枚も二枚も上だった。 生活も、立ち振る舞いも、常に主導権は親が握っており、子供は未熟な脇役だった。 子供はそんな親を崇め、頼り、非力ゆえに観念したものだ。 今はどうだろう。 果たして親の威厳がどれほど子供を操作しているだろうか。 欲しがればすぐに買い与え、文句や我がままを受容してしまう。 子供が意見すれば、親は考え、悩み、挙句に子供の機嫌を得ようとする。 そんな家庭はないだろうか。 親と子の間にある、越えられないライン。 それがいつの間にか曖昧になり、距離感が保てなくなってきている。 幼児からの躾と学習のあり方が、そのまま思春期に表出してくる。 あることを親が言いくるめ、反対し、子供が黙ってうなずく時。 昔ならば、「そうか、ダメか」という感覚で、親の考えを受け入れざるを得なかった。 また、そういう経験を何度も重ねていると、親がどう言うかという予測が立ったものだ。 そしてその予測は学習であり、次の行動のヒントに繋がっていった。 それが今は、子供が黙って聞いてうなずく時は、面倒くさいというサインでもある。 意見すればこじれ、余計な話が割り込んで長引き、面倒なことになる。 だからもう初めから話し合おうとせず、避けようとするのである。 視線を逸らし、上の空で聞き、「はい、はい」とうなずく子供。 そんな子供には会話の意思などあるはずもなく、また親の意見に納得しているとは到底思えない。 親子の立場の位置関係に課題があるのだろう。 私は、今の親子関係は距離を近付けすぎていると思う。 子供の目線に合わせてあげる。 子供と同じ土俵に立ち、考えてあげる。 こういう意見を教育書で見掛けるが、それは時と場合による。 子供が悩んだり、岐路に立たされた時には、それも有りだろう。 だが、普段の生活でのべつ幕なしにその関係を保っていると、子供の精神は自ら育つことを忘れてしまうものだ。 思考や挫折がなければ、判断力を失い、強さを失う。 友達感覚の親子も多いが、親子の間には常に一線を保つべきだろう。 「ダメなものは、ダメ」 「そう、自分でよく考えてみな」 突き放されることで、子供は未熟なりにも頭を使う。 親が出るのは、その後だ。 これでもかというくらいに、大人の凄さを見せ、叩きのめしてあげればいい。 子育てで「手を差し伸べる」という行為は、端から助けてあげることではない。 家庭内で、常に互いの立場を明確にすること。 そしてその立場なりの「強弱」をしっかり保つこと。 その関係性が守られて初めて、「手を差し伸べる」という行為が生きてくる。 冒頭の、親子の関係が薄れ、疎遠になってきているという意見。 そうではなく、むしろ親子の関係が近付きすぎ、精神の繋がりが疎遠になっているのではないかと思う。 親がいくら歩み寄っても、子供との精神は共有できない。 親はうるさい存在であり、目の上のたんこぶであっていいのだ。 その関係が自然にできる家庭は、いつも軸が座った樹木のように安定している。 昔のような、目に見えないライン。 観念に似た空気。 今、どれだけの家庭が持っているだろう。 子供は観念することによって、学び、奮起し、強くなっていく。 そう思う。
2007.09.16
自分自身をプレゼンしてみなさい。 以前、勉強に煮え切らない受験生に、真顔で質問したことがある。 その生徒は「プレゼン」という意味が分かっていたが、自力で表現できず、言葉に詰まってしまった。 自分をPRせよと言われて、すらすら語れる子供は少ない。 そんなことは分かっている。 私が意図したことは、大きく次の二点だった。 一つは、いざ語ろうとすると思うように言葉が出ない。 その現実を知り、日々何となく過ごしてしまっている、今の自分を見詰めよということ。 もう一つは、問われたときに最初に思い描いたものを、良かれ悪しかれ自分なりに突き詰めてみるべきだということ。 そういう姿勢を大切にしていこうということだ。 私は常日頃、子供たちに、目標や夢を持ちなさいと言っている。 目標や夢というものは、今現在の迷いを楽にさせる。 目標や夢というものは、自身を浄化させる。 夢のない子供ほど、可哀想なものはない。 PRせよと言われ、夢が真っ先に描けた子供は、きっと目が輝いているだろう。 もしも最初にマイナスイメージが思い付いたのなら、それが今の君の姿なのだ。 ならば、そこを変えていけばいい。 今日からの行動で。 誇れるものを語れるということは、素敵なこと。 数ではない。 君にとっての「そいつ」をしっかり掴み、プレゼンして欲しい。 君は、毎日何をしている。 君は、他人に負けないものをどれだけ持っている。 君は、いつ何処でどんな努力を注いできた。 君は、自分をどれだけ大切に感じている。 子供たちにとって大切なのは、過去ではない。 間違いなく未来なのだ。 目を輝かせ、語ろう。
2007.09.15
いつも「GOAL通信」をご訪問いただき、有難うございます。 子供たちへのメッセージを軸に、学びのこと、教育のこと、 そして教室でのエピソードなどを織り交ぜ、 ここ1年半は、毎日休むことなく書いてきました。 ですが、色々と事情があり、どうも毎日の更新が厳しくなりそうです。 短文を埋めて形だけ更新しても意味がないでしょうから、 書ける時にじっくり書き込んで記事を公開したいと思います。 今晩からの更新は、可能ならば行います。 落ち着きしだい、徐々に元のペースに戻れるとは思います。 その間、ご理解頂けたら幸いです。
2007.09.15
もう随分昔の話になる。 私が中学生の時、同じクラスにY君という生徒がいた。 彼とは結構仲が良く、色々悪さをして遊んだもんだ。 彼はとても優秀で、定期テストでは何度もクラス1位を取っていた。 学年1位もあったと思う。 あの頃の試験は今と違い、平均点がやたらと低かった。 科目によっては、30点台、40台が当たり前。 そんな中で彼は、常に5科で450点以上をたたき出していた。 中2の2学期の中間テスト。 私は理科で92点を取った。 平均点が辛うじて30点台に届くという、出来の悪さだった。 先生が答案を返し終わった後に、クラスに90点以上が2人いると告げた。 まず私の名が呼ばれ、その後でY君の名が呼ばれた。 先生のコメントには続きがあった。 「Y君の場合は、学年トップですね。満点だから」 この時の周りの空気を、私は今でも覚えている。 満点?・・・・ 何とも形容できない敗北。 93点、94点ではない、満点なのだ。 そして 「あわよくばトップを取れるかも知れない」 と思った自分が情けなかった。 彼はその翌日返された数学も満点だった。 5科で468点。 クラス平均が240点程度のなか、抜きん出た成績だった。 私の目標は決まり、せめて得意の理科だけは負けまいと、必死に勉強した。 ノートにまとめ、カードを作り、懸命に覚えた。 そして期末試験。 返された私の答案は、97点。 先生が全員に配り終えてから言った。 「今回は前よりは出来は良かったけど、90点以上は3人ですね」 まず、I君の名が呼ばれた。 私の意識の中では、もう一人は間違いなくY君であろうと確信していた。 何故なら試験の後、「簡単だったよな」 と語っていたから。 そして、やはり、Y君と私の名が続けて呼ばれた。 最後に先生が言った。 「今回はK君が最高点でした。同点がもう一人いますけど、学年トップです」 何だか目の前が真っ白になるような、不思議な気分だった。 Y君はすぐ後ろの席だったので答案を見ると、95点だった。 僅差だが、初めて彼に勝った瞬間だった。 残念なことに、彼は3学期の途中に転校してしまう。 私はその後、理科の定期テストでは、6回すべて1位を取った。 今考えると、たぶん点を取るコツを、自分なりに知ったのだろうと思う。 そして理科の深みと、楽しみを知り、今、生徒たちに教えている。 彼の存在がなかったら、今の私はないのかも知れない。 彼が3年の終わりまでそばにいたなら、 たぶんそれはそれで、流れが変わり、今の私はないだろうな。 そう思う。 理科に目覚める起爆剤になったY君の存在。 35年経っても忘れられない。
2007.09.14
理科の学年配当について。 前の改正で、中学から高校へ移行されていた単元。 その中の幾つかが、再び中学へ戻るそうだ。 何だか、行ったり来たり、大変なこった。 そこには、化学変化で外せない「イオン」も含まれているらしい。 これは評価できるが、ならば何故上級学校へスライドさせていたのだろう。 そして何故元に戻すのか。 納得できる理由説明を、文科省はいつもしてくれない。 難解だから、発展的内容だから。 そういうものを詰め込むと「苦手」になる生徒が増える。 前の改正の根拠はそこにあったはずだ。 ならば、数年が経った今、発展的内容を学ぶ土台が中学に出来たというのだろうか。 どう見ても、学力低下に端を発した「安易な発想」にしか思えない。 世論も酌み、学力を上げるために、与える知識を増やそうというのか。 だが、学力は低下しているのである。 そこに新しい内容を盛り込み、十分な履修が施せるだろうか。 「イオン」は化学を学ぶ上で、外せないものだ。 中学生に理科を教えていて、指導要領外なので深入りできず、苦労することが多々あった。 そもそも学年配当を操作したこと自体、間違いだと思う。 戻すのは結構だが、文科省はその根拠と正しい理由説明をすべきだろう。 どうメリットがあるのかを添えて。 記事の「科学と人間生活」についてもよく分からない。 現在の「理科総合」と大差はないと思えるが。 そもそも私は、理科が苦手な生徒のためにという部分がズレていると思う。 理科が「苦手」なのではなく、「興味がない」のである。 そういう子どもたちをどこで作ってしまったのか、根本から考え手を加えていかない限り、いつまでも堂々巡りを繰り返すような気がする。 カリキュラムを学年移動しても解決にはならないだろう。 単元のくくり方を見直し、仕組みそのものを変えていかない限りは。 それだけ、理科離れは深刻だ。 実際に生徒が理科を学ぶときの空気に、そう感じる。 国が出す最終決定に、期待せずにいられない。
2007.09.13
小学5、6年生を対象に、『英語ノート』 なるものを配布するらしい。 文科省の来年度の概算要求に、その制作費、約4億5000万円が盛り込まれたそうだ。 小学英語は、平成11年春から必修として正式導入の予定だが、その2年前、平成9年度より一斉配布に踏み切るという。 学校の現場では、「総合的な学習の時間」 の一環として、その副教材の使用を進めていく予定らしい。 2年後なので、今の3、4年生が初めとなるわけだ。 文科省と中教審に、敢えて個人的意見を言わせてもらう。 まったく無意味である。 国税を使うなら、もっと気の利いたものがあるだろうと思う。 国際化で英語の需要が増えたからといい、慌てて2年前倒しし、中途半端なノートを配布する意味がどこにあろう。 予定される内容を見ても、「あいさつ」 「自己紹介」 「コミュニケーション」と、中学の内容と何ら変わりはない。 しかも一部180円という予算で、CDまで付くというから、どれだけ薄い地味なものなのだろう。 小学校で焦って取り組む価値があるとは、とても思えない。 本来気軽に触れていくべき、楽しむべき導入英語。 「お勉強」として括るようなイメージが、教材やコンセプトに漂っている。 いっそ 「ドラえもんの○○」 の方が、どれだけマシだろうと思う。 文科省は以前 『心のノート』 という、副教材を作ったことがある。 これも結果として、当初の意図に反し、活用し切れない失敗作だった。 その二の舞を、予算を掛けてまで、またやろうとしている。 英語を取り入れるなら、計画通り平成11年からでいいではないか。 その年度に向けて入念に準備を進め、成功させればいいのである。 焦る必要など、毛頭ない。 そもそも、学習内容ばかりが先行し、指導する教師たちの配備や教育が出来ているのかという疑問もある。 総合学習の導入の時もそうだった。 現場から出た意見や叫びを聞こうともせず、結局、いまだに十分機能しないままだ。 その総合学習は、次回の改定で削られようとしている。 主要教科の時間を削ってまで、「自ら考える力」 なるものを掲げたものが。 学力低下が叫ばれれば、いとも簡単に再び主要教科にすげ替えられる。 その総合学習の時間で 「英語ノート」 をやるのなら、相当な準備が必要だろう。 だが文科省は机上での方針や計画ばかりで、現場の傷みを知らない。 現場の実務に則していないものが、とても大成功を収めるとは思えない。 繰り返すが、中途半端な改革は混乱を呼ぶだけだ。 「英語ノート」 の導入など、まったくもって不要であろう。 ここで英語の要不要論を始めると長くなるので避けるが、私は英語は別にやってもいいと思っている。 ただそれは、他教科との配分が正しく打ち出されてのことだ。 英語の前にすべきことは山のようにある。 普段から中学生に接し学習指導していると、子どもたちに欠けている部分が見えてくる。 小学生のうちにこれをもっとやって欲しい。 小学生からこれをしっかりやり、知っていて欲しい。 そんなテーマが、単元が、幾つもある。 日本人でありながら、日本語の知識が余りにも弱い。 「常識」 「ことば」 「敬語」 「日本文化」。 こころの教育と共に、大人になり社会へ出て行く上で、外せない大切なものだ。 こういったものをしっかり学び、考え、成長していける場所。 それが本来の小学校の姿であろう。 私は、円周率を100桁そらんじる子よりも、 ことばが正しく使える子を称えたい。 中学の単語にやたら詳しい子よりも、 礼儀正しい挨拶が出来る子を称えたい。 使うあてのない公式を幾つも知ってる子よりも、 目の前の友達に気配りの出来る子を称えたい。 小学生ですべきことは何なのか。 小学校から英語を必修にするのなら、教科の配分には最大限の配慮をして欲しい。 小学高学年は、人格が形成される大切な期間。 学力幻想に追われ、徳育を蔑ろにしてはいけない。 そして、 人を育てることを忘れてはならない。
2007.09.13
「何か問題ください」 自習に来ている生徒から、よく言われる言葉だ。 以前なら、「おっ、やる気があっていいな」 と、気軽に問題を見繕ってあげていた。 だが・・・・最近は変わった。 こういう尋ね方をされた時は、私自身が構えるようにしている。 「何か」 って、どういう意味なのか。 自習なのだ。 君には今までの経緯があり、計画があり、そして今すべきことがある。 攻める内容を決めるのは君自身であり、私ではない。 これをやりたい。 この単元を克服したい。 このテーマの総演習をしたい。 このような具体性を持って語らずに、果たして密度の濃い問題演習が出来るだろうか。 自習は時間つぶしではない。 貴重な時間に、踏み込んで学ぶのは君なのだ。 選んで与えてくれるのを待つのではなく、自ら攻略の尖端に君臨しなくてはならない。 だから、 たかが問題プリントとはいえ、生徒の姿勢によっては安易に与えないようにしている。 堅物か? いや、目的をよく考えてみな。 私に 「理科の問題ください」 などと尋ねても、あげないぞ。 理科の問題など、数千枚もある。 全部やるのかよ。 今後は、尋ね方を工夫してみなさい。 ターゲットが明確ならば、泣きが入るくらい、いくらでも与えてあげる。 それが問題と向き合う 《自習》 ってもんだろう。
2007.09.12
「うり坊」 と 「ブロック」 です。 ただの演出(展示)なので、特に意味はありません。 でも、みんな手にとって、結構楽しそうに和んでいます。 勉強の合間に息抜きできる、奇抜な発想。 今後も工夫し、取り入れていきたいと思っています。
2007.09.11
『挫折禁止』 『リアルドラえもん』 も、健在です。 下の白いものは、 自習用のデスク。 挫折禁止を見ながら、 リアルに睨まれながら自習する。 多分、 どこもやってないでしょうね。 私は「集中」「努力」「静粛」といった、 堅苦しい漠然とした貼り紙が嫌い。 自然と、こういったスタイルになっています。
2007.09.11
教場風景です。 縦横90°のラインを崩し、斜めの動線や机があちこちにあります。 前からそうですが、意識して崩してます。 塾通いも授業も単調になりがち。 器に変化を付けると、不思議と学びまでが活気付きます。 空間の一部である壁や天井にも、もっと手を加えていきたい。 発見があり、和み、また来たいと思える教室。 子どもたち一人一人が輝き、元気になれる教室を模索しています。
2007.09.11
玄関入り口からの生徒目線です。 ここでスリッパに履き替え、掲示物に目をやります。 入り口左手は、北辰のポスターと、この秋に投下するチラシです。 右手の陰には授業で使うホワイトボードを設置。 お知らせや検定類の告知で埋まっています。 その左側から正面までのスペースは、標本・実験器具・卒生の色紙などが連なります。 前の記事の写真に写っています。 正面は 「新聞記事」 と、「100点のゴールをめざせ」 のコーナー。 生徒の成績掲示に、必勝扇子を添えました。 シンボルの 「うり坊」 もいます。 全体として秋の彩りを散りばめ、季節感を出したつもりです。 夜、疲れた生徒が踏み入る空間。 そこは味気ないものではなく、何か引き付けるエネルギーを込めてあげたい。 そんな思いが、刺激的な色合いに転じたようです。 生徒たちの初日の反応は様々で、驚き、見入る者も多数いました。 みんなの目の輝きを大切にしたい。 いつになく、そう思いました。
2007.09.11
改装後のコミュニティの部分だけUPします。 詳細はまた後ほど。
2007.09.10
成績を上げるために、絶対に必要なものがある。 それは、自分を知るということだ。 自分の得手、不得手を、自分自身が知るということである。 得手、不得手と言っても、科目云々ではない。 私が言うのは、科目の中身である細かい 「単元」 であり、その理解度を判定していく、様々な 「試験の型」 のことだ。 この単元が弱い。 こういう型の問題に弱い。 この手の問題は任せておけ。 あるいは、ここは強いが、こいつはいつもダメだ。 得手、不得手というものは、本来こういった細かい部分の集合体で顕れてくるもの。 科目単位で、簡単に片付けられるものではない。 よく 「数学が苦手だ」 と言うが、あなたはその数学のどこが苦手か、細かく分析したことがあるだろうか。 興味がないと言うのなら、なぜ興味がないのか分析したことがあるだろうか。 今までの試験を広げ、何が出来て何が出来なかったか、科学的に分析したことがあるだろうか。 自分を知るということは、こういった作業の反復によって見えてくる「型」のようなものだ。 試験の結果を受けて、「次は悪かった数学を頑張りたい」 と言う。 よくあるコメントだが、果たしてどう頑張り、どう結果に繋げていくのか。 方策を導き出し、効率よく実践しない限り、勝機にはほど遠い。 そのためにはまず入念に、かつ客観的に自分の力を知り、攻めるべき 「型」 を知ることだろう。 試験が返されて、あなたはどこを見るだろう。 得点はもちろんだが、×の部分にばかり目が行かないだろうか。 そして×の部分を弱点とし、そこばかり見直そうとしないだろうか。 私の理論は、失点だけでなく、得点した○の部分にも目を向けよというものだ。 試験は総合的な力を計測するもの。 その判定が具体的にどう出ているかを、よく分析しなくてはならない。 「何が出来て、何が出来なかったのか」 「何が出来たから、この得点なのか」 失点だけでなく、集合体である得点の細かい要素に目を向けてあげる。 そういう視点が、以降の試験のベースを築いていくのである。 自分を知るということは、自分の良し悪しを冷静にさらけ出すこと。 試験後に報告書を書いてみなさい。 これは得意なので出来た。 これは適当に書いたらまぐれで当たった。 これは知っているのにミスった。 これは問題をよく読まずに大失敗した。 これは二択で迷い、裏目に出た。 これは直前にやったヤツがたまたま出て答えられた。 あなたの答案には、○×を超えた試験中の経緯が込められている。 そういったものをすべてさらけ出し、事務的に報告してみなさい。 そして、よく分析し、次に向けて何が必要とされているのかを調査するのだ。 得手、不得手というものは、その作業の中で見えてくる指針のようなもの。 「得手」 を守り、「不得手」 を攻めていく。 総合的に得点をあげるためには、その両者のバランスが大切だ。 自分の力を知り、記録するという行為に、そのヒントがある。 常に失敗ばかり気にする者は、伸びない。 成功に視点を向けられる者は、そこに次へのステップを刻める。 あなたは、どうだろうか。
2007.09.09
メンテで記事が飛んでしまったため、再度簡単にまとめたい。 9月も1週間が過ぎ、もうじき秋かなと思っていたら、厳しい残暑である。 暑いとはいえ、君の周りで時はゆっくり進んでいる。 セミの声も、晩夏の「ツクツク法師」や「ヒグラシ」に変わった。 2週間後には秋分を迎え、季節は確実に冬に向かっていく。 春から夏に蒔いた種が、芽を出すのが秋。 さあ、どんな芽が幾つ出てくるのだろう。 芽が出たなら、水をやり、しっかり育てたい。 周りがどうだろうが、仲間がどうだろうが関係ない。 自分だけのの生命に、しっかりと向き合い、「かたち」 を残していこう。 伸び悩む者は、早く収穫しようと焦り、中途半端な実りしか残せないもの。 慌てず、辛抱強く育て、品評会の日を待とう。 まだ種を蒔ききれていない君は、残暑続く今のうちに追い込もう。 学びの収穫には時間が掛かる。 今日の努力も、すぐには結果には出ないものだ。 だが不思議なもので、努力を重ねれば必ず 「かたち」 を得る時が来る。 よく合格体験記で「努力は必ず報われる」という言葉が登場する。 あるいは「信ずる者が勝つ」という言葉もある。 「それは合格したからそう言えるんだ」と反論する者。 よく考えてみよう。 合格者が、これほどまでに口をそろえて言うということを。 それは、合格者は少なくとも「何かを信じ、努力していた」ということだ。 君の信ずるものは何か。 自分の前の芽をしっかり見詰め、その答えを確実に大きくしていこう。 受験生よ、県教育委員会が出している『なるほど・ザ・入試』は見たか。 自分の進路は他人が敷くものではない。 自分で調べ、研究し、自分で道を確認しなくてはならない。 お膳立てを待っているのではなく、選択と決断を自らの手でしよう。 どんなレースも出遅れればハンディを背負う。 この長月。 君のレースはもう始まっているのだよ。
2007.09.08
地元のある中学は、明日が体育祭である。 新学期が始まったのは今週の月曜。 台風でほぼ1日つぶれたから、練習をしている暇がない。 おまけに大雨でグランドがぬかるみ、土を撒くなど大忙しらしい。 今日も用具の準備やテント張りが間に合わず、明日の当日に早く集合してやると言う。 練習も不十分なら、プログラムに沿った総合演習も不十分。 グランド整備も後手になり、ちょっと心配だ。 うーん、そもそも始業式の週末に日程を組むこと自体、ちょっと厳しいのではないか。 小学校との絡みもあるのだろうが、実質、練習が4日では無謀である。 組み体操、ダンス、踊りなど、十分完成されていればいいが、せっかくの舞台が未完成では可哀想だ。 競争ものは入退場さえきっちり出来れば何とかなるだろうが、趣向を凝らした競技の段取りや安全注意がうまく行き渡っているか、心配でもある。 まあ、余計なお世話だと言われれば、まさにそうなんだが。 私が中学生の頃は、何だか随分長期間練習したような記憶があったもので。 今はこうなのかなと、ちょっと思った次第だ。 でも、明日早い、その中学のメンバーたち。 一人も休まず、今しっかりと塾の授業を受けている。 みんな頑張り、いい傾向だ。 明日は、ぶっつけ本番の方が、ドラマがあって盛り上がるかも知れないな。 怪我のないように力を出し切ってこい。
2007.09.07
予定のまま滞っていた教室改装を、今日明日で行う。 ややマンネリ化しつつある教室。 新環境で気分をリフレッシュし、学習効率のよい秋を迎えたい。 写真は1年以上前のものだが、ヒントとして使えるものがありそうだ。 落ち着けて、刺激的で、また来てみたいと思える空間。 できたら素敵だ。 数日前に書いたコンセプトを軸に、 学びの 「サロン」 の追求を続けよう。
2007.09.07
まだ風が強いが、雨は11時ごろには峠を越えそうだ。 平野部の雨量は意外と少なく、市の防災監視カメラを見ても、洪水もなく比較的平穏だ。 山間部では記録的な雨になっており、しばらくは河川の増水が心配されるが、今のところ大きな被害もなく、幸いである。 都市部は大雨に弱いと言われる。 首都東京は治水に計画性があるからまだいい。 私の住む埼玉東部などは、その点が曖昧で、よく洪水に見舞われる。 周辺は昔、ほとんどが水田だった。 そこをコンクリートで固め、宅地にし、水路を埋めて道路にしていった。 水を集める細かい河川に乏しいので、許容量を超えた雨が一気に降ると、河川に流れる前に下水が溢れる。 台風などの強烈な雨が通り過ぎると、決まってあちこちで冠水する。 土嚢があちこちで活躍するが、床上の規模になると焼け石に水だ。 河川が氾濫していないのに、道路や町の一角が池になる。 こういう記録が何度も繰り返されている。 ならば治水工事を進めるかというと、現実はその逆で、土を固め、マンションや商業施設がどんどん増築されている。 被害時には、道路の側溝の亀裂から水が吹き出ていたりする。 水脈や土壌を考えているのかと思う。 土は水を吸収し、水田は水を溜める。 雨水の氾濫を防ぐには、知恵が必要だ。 地形も地質も、あるいは古来からの土地利用も、その知恵の前提にあるもの。 こういう土壌で、こういう気候だから、水田があったのだ。 開発を進めるからには、それ以上の防災対策をしっかり確保して欲しい。 人間がどんなに賢くても、自然の摂理にはかなわない。 雨が降れば、水は重力に従って低地に集まる。 地形も水脈も、操作できない。 みんなの周りは大丈夫だろうか。 学校は普通どおりなのかな。 あとで確認しよう。
2007.09.07
台風のため、本日の授業はすべて中止としました。 生徒、講師とも、先ほど連絡済みです。 警報が出ており、今後数時間でさらに悪化することが考えられるからです。 生徒たちの安全確保のためですので、ご理解ください。 なお今回の台風は、雨風ともに強いので、自宅においても注意をお願いします(深夜の外出は危険です)。 以上連絡いたします。 塾長
2007.09.06
私は理科を指導しているが、「筆算」 というものをほとんどしない。 こと中学理科に出てくる単純な計算には、筆算など不要だと思っている。 「圧力」 「平均の早さ」 「密度」 「湿度」 「露点」 「オームの法則」。 地震の 「P波の速さ」 「発生時刻」 「震源からの距離」 「初期微動継続時間」 などもそうだ。 いずれも簡単な分数計算であり、式を立てれば答えが見えてくる。 私はいつも 「関係式」 や 「比例式」 を立てるか、分数のまま暗算で解いている。 50近い私が出来るのだから、頭の柔らかい君たちに出来ないことはない。 なぜそうしてるのか。 それは計算ミスを防ぐためであり、またその方が速いからだ。 オームの法則のように、公式に当てはめると、分母が小数になる場合がある。 《「0.5A」 の電流に 「6V」 の電圧を掛けると抵抗は何オームか》 こんな問題の場合、生徒たちは決まって 「6÷0.5」 を筆算で処理しようとする。 もちろん教科書も、学校の指導も、テキストの解説もそうなっているのだから、それはそれでいい。 でもその筆算によって桁がずれ、計算ミスをする生徒が必ずいる。 だったらいちいち計算しないで、式をじっくり眺めてみろと私は思うのだ。 オームの法則は R=V/I 代入すれば R=6/0.5 「0,5分の6」 という分数をじっと見詰め、答えが見えてこないだろうか。 そう、分数を書き換え、分母を1にした時の分子が答えになるのだ。 「6/0.5」 は、「12/1」 のこと。 だから答えは12になる。 分母が 「0.3」 や 「0.02」 と複雑な問題の時は、まずそいつを整数にしてあげる。 分母、分子の両方に10や100を掛けて、分母を整数にしてから、分母を1にすべく暗算をする。 このやり方が慣れてくると、計算の速度も正確さも確実に上がる。 地震や運動の問題は、「み・は・じ」 しか使わないので、関係式を立てれば簡単に正解が見えてくる。 時間が1.8倍なら、距離も1.8倍。 距離が3.5倍なら、初期微動継続時間も3.5倍。 運動の場合も同じだ。 《1秒間に50打点打つ記録タイマーで、テープを5打点ごとに切ったとき、2枚分の時間は何秒か》 1秒→50打点 2枚分は10打点だから、 答え←10打点 このように、単位を付けた数値を使い、関係式を書いてみるのだ。 何のことはない、単純な比例法則なのである。 比例式を立てるなら、「1 : 50 = x : 10」 でいい。 それをゴチャゴチャかき回し、筆算で解こうとするから迷路にはまるのである。 それでも分からなければ、1打点の時間を求め、10打点分掛ければいい。 こういうやり方を生徒に説明すると、結局理解度の高い者しか飲み込めないというオチがある。 私の説明不足もあるだろうが、やはり演習を重ねなければものに出来ない。 だが、計算ミスが常態化している生徒には、一つの改善方法であろう。 理科の計算は至って単純。 よりシンプルに捉え、関係性を見抜くことだ。 最後に圧力の公式の変形を書いておく。 すでに説明したが、何度も公式を使った問題演習を重ねること。 いいな、受験生。 0.2パスカルなどという答えが出たら、変だと思えよ。 積み木のような物体が出てきたら、迷わず2の公式を使え。 1 圧力(Pa)= 力(N)/面積(平方m) 2 圧力(Pa)= 力(N)×10000/面積(平方cm)
2007.09.06
台風9号の接近に伴い、断続的に雨が降っています。 台風の予測進路を見ると、ちょうど関東に向いています。 気象庁では、関東地方は明日6日の午後から暴風域に入り、夜間に上陸と予報し、本日以降の大雨に対する警戒を呼びかけています。 明日の授業をどうするか。 夜に接近というタイミングなので、微妙です。 推移を見ての判断ですが、状況によっては休校もあります。 前回は3年前だったでしょうか。 やはり夜に直撃となり、風雨の強まった夕方(5時頃)に休校を決めました。 今回も5時過ぎあたりで判断します。 始業時に風雨がさほどでなくても、授業後の帰りの状況まで想定しなくてはなりません。 気象庁の警報が出ていて、悪化しそうな時(警報解除の見込みが立たない時)は、生徒の安全を考えて休校とします。 先月「お知らせ」という用紙を郵送してますが、そちらにも台風についての記述がありますので、見ておいてください。 注意してください。
2007.09.05
先日やった「常識テスト」での問題。 『現在の内閣総理大臣の名前を、フルネームで漢字で書きなさい』 中学生43人中、書けたのはたったの3人だった。 こんな感じだ。 正解 3名 空欄 4名 安部しんぞう(5名) 安部普ぞう 安倍晋造 安部さん 小泉 安部総理 あべしんぞう(7名) 安部信ぞう 安倍総理 安倍しんぞう(4名) 安べしんぞう 安平純一 安倍まさし総理 あべこうたろう 安倍普三(2名) あべそういち 阿部 安倍○三 安部晋三(2名) 阿部晋三 安部普三 ※ ○は存在しない漢字。 ひらがなは△としたため、書いた生徒が多かった。 新聞やニュースを見てるのかなと思う。 実施したのは、ちょうど参院選の最中。 この名前の露出は、恐らく当時一番だったと思う。 言えても書けない。 その典型だろう。 親御さんたちも、果たしてどれだけ書けるだろうか。 それにしても、正解がたったの3人というのは、ちょっと考えさせる。 細川護熙なら分かるが、「安倍」にしても「晋」にしても、難しい字ではない。 果たして今やったら、どれくらい書けるか。 ちょっと興味がある。 実は、月末のトライアルで、再度出題するつもりでいる。 私が見たいのは、どれだけの生徒が見直し、書けるようになっているかということ。 全体のパーセントではなく、リカバリー率を知りたいのだ。 今回の常識問題では、人物をかなり出す。 そう言えば、前回の「野口英世」もひどかった。 『現在発行されている1000円札の肖像に使われている人物を、フルネームで漢字で書きなさい』 この問題は、空欄の生徒が11名いた。 お前ら、小遣いもらってないのか? ヒゲのおっさん、何度も見てるだろう。 正解も16名と多かったが、福沢やら夏目やら、お約束の解答も目に付いた。 また、「ひでよ」ではなく、「ひでお」と思っていた生徒が8名もいた。 最初の失敗は構わない。 だが、知らなかったなら、間違えて覚えていたのなら、そこを起点に修正していこう。 常識というもののラインには、個人差がある。 今回私が示しているのは、中学生として知っておくべき最低のライン。 「水の沸点」も「選挙権の年齢」も「日周運動の原因」も、知らないと入試で困るものなのだ。 そういう問題を、発見学習として、君たちにぶつけたいと思っている。 月末では、国語や言葉の問題も出題するぞ。 普段の生活で得た様々な知識を、紙面に素直に表して欲しい。 得点には、家庭の空気が、そして君自身の学ぶ姿勢がそのまま出るだろう。 家庭での会話、大切にしろよ。 親は君たちにとっての知恵の宝庫だ。
2007.09.05
質問を投げかけると、思い付きですぐ言う子がいる。 問題を解いた後でも、口頭で訊く場面でも、条件反射のように言葉が飛び出てくる。 速くていいのだが、合っためしがない。 例えば 『南北戦争』 が正解の時、こんな感じのやり取りが始まる。 「日露戦争!」 「おい、お前、それ日本とロシアだろ」 「じゃあ、日清戦争」 「お前なあ、アメリカだぞ?」 「アメリカ? ええと・・・あっ、アヘン戦争!」 「中国だよ」 「え~? 分かんない。先生、ヒント」 「方角がつく」 「方角? あっ、分かった、西南戦争!」 「あのなあ、それ西郷隆盛~! 日本じゃないか?」 「ポツダム・・・・は、宣言か」 「南北戦争だよ」 「南北戦争? 何それ、知らね~」 はっきり言って、無駄な時間である。 知らないのだから、知識を与えることに徹するべきなのだろう。 それにしても、よくもこう思い付きで言えるもんだと思う。 頭にひらめいた文字が、そのまま口から出ているだけだ。 江戸時代の条約を訊いても、「ベルサイユ条約」。 帝国議会の衆議院を訊けば、「正倉院」。 場所や時代を考えろよな。 ただ語尾が同じだけじゃないか。 即答がすべてじゃない。 踏みとどまって、考える習慣をつけなさい。 グループで問題の答え合わせをすると、記号選択の問題なども思い付き合戦となる。 誰かが 「ア」 と言い、間違っていると、「ウ」 だとか 「エ」 だとか適当な言葉が飛び交う。 その証拠に「じゃあ、エ」と、余計なセリフが付いていたりする。 「じゃあ」ってことはないだろう。 お前だけ特別で、試験で答えをいくつも書けるのか。 答案は○か×かなのだ。 ×ならば、言い直しは効かないのである。 答えるチャンスは1回だけ。 そう肝に銘じ、熟考して解く習慣をつけなさい。 いいか。 それは仕上げに差し掛かった受験生にとって、生命線でもあるぞ。
2007.09.04
新学期の授業が今日(3日)から始まった。 生徒は誰一人欠席せず、講師たちのテンションも上がる。 夜7時半から9時半。 中学生が集まる時間帯は、いつになく凄まじいエネルギーに溢れていた。 夏休みボケや体調不良の生徒がいないか心配していたが、杞憂だった。 真剣な眼差しで向き合う生徒、そして熱い空気。 2学期の船出は、37名全員の期待と勇気を乗せ、ゆっくりと動き出した。 明日もまた、約30名を乗せ、第二便が出航する。 夢と笑顔をカバンに詰め、弾けるようにこの学びの場に来い。 そして、一緒に輝く瞬間を探しにいこう。 どんな悩みも、ここの空気は受け入れてくれる。 いっぱい持って来いよ。 嬉しいことも辛いことも、分かち合える仲間が必ずいる。 舵を取る私は、広大な海を見詰め、姿勢を正そう。 背後の君たちのざわめきと大きな波。 私には、その生命感ある力を感じるだけで十分だ。 揺れながら、景色を楽しみながら、ゆっくりとゆっくりと。 熱い学びを追いかけていこう。 講師がいて、君たちがいて。 君たちが主役であり続ける、明日からの航海が待っている。 何度も見てきたこの教室で。 私自身が感じたことのない、愛おしさと光のようなもの。 いつになく素敵な瞬間が、躍動していた。 航海に相応しい、君たちの力ある表情。 その一つ一つが、この時間に、ここにある。 思いっきり演じろよ。 つくらずに真っすぐ進めよ。 机も椅子も、君たちが学ぶために、ずっとここにある。 喜びも汗も涙も、すべてが君自身を証明するように。 素晴らしい船出が待っている。 乗り遅れるなよ。 そして学びながら、知恵を手に、可能性を探しに行こう。 一人一人が、広い海原に視野を定めながら。 君の言葉を刻んでいこう。 それぞれに、溢れる魂を込め。 教室が言葉を語り始めるように。
2007.09.04
2学期が始まったが、みんな調子はどうだろうか。 毎年9月は、夏休み明けで生活のリズムが狂い、体調を崩す生徒が出る。 月半ばに行われる「体育祭」の練習が重なることも大きい。 数日、残暑も落ち着いているが、早く生活の流れをつかみ、いつものように元気に教室に来て欲しい。 学期のスタートは学習においても節目だ。 1学期の反省、そしてそれを埋めるべく夏休みの計画。 達成度はどうだっただろうか。 学年はあっと言う間に折り返しになり、日時はどんどん過ぎていく。 まとめてやろうとすると、どうしても「無理」が生じる。 昔から言われている、コツコツやることが、何だかんだ言っても近道なのだ。 小学生は、早いうちに漢字と計算の総ざらいを進めておきなさい。 小6の英語は慌てずに、年末からで間に合う。 ただ漢字と計算の基礎は、中学からの学習の流れを決定的にする。 各学年とも、前の学年までの弱点の塗り絵を、しっかり実行しファイルしておこう。 中1、中2生は、学習の二つの流れを意識してみよう。 弱い単元の見直しと、先取り学習だ。 夏休みに頑張った生徒も多いだろうが、弱点の見直しは特に大切だ。 学習は通過したら終わりではない。 後の模試や受験で、すべての理解とバランス力が問われる。 期間を考えれば、リカバリーは十分できる。 週単位、月単位で、慌てずに計画と実践を重ねていこう。 そして、この教室に軸を置き、どんどん質問しよう。 定期テストはすぐに来るぞ。 先取り学習は、入試を意識したものだ。 中学では、結局3年間で教科書の内容をすべて習う。 学校のペースに合わせ、待つのではなく、先に目を向け、下準備を施すのである。 結局やるのだ。 先行していれば、定期テストにも有利。 成績が芳しくない生徒は、決まって学びが「受け身」で「後手」になっているもの。 学期の節目に当たり、戦法を工夫してみよう。 攻めることで、開花の可能性を高めてみよう。 中3生は、これからが勝負だな。 再三言っている「暗記」を、限界までこなしていこう。 知識の量は、知識の重み。 教科ごとに優秀な生徒をイメージしてみよう。 みんな詳しく、そして解くのが速い。 それは「知っている」ことと、その知識を慣れるまで使い「練習している」からなのだ。 方法論はこのブログで色々述べてきた。 過去の記事をクリックし、ヒントを探してみなさい。 2学期の成績は、公立の合否を占う、極めて大切なもの。 人生にこの機会は一回しかないぞ。 自分らしく、カッコいい記録を残してみなさい。 そろそろ高校見学や相談会で慌しい季節を迎える。 計画は入念に。 わが教室は硬派な進学塾ではない。 かと言って、単なる補習塾でもない。 個別や少人数という環境で、学びのクリニックから受験合格までを手掛ける。 この新学期から秋に向けて、外部からの塾生を募集している。 1学期の成績が思わしくなかった生徒。 学習のし方が、よく分からない生徒。 今の塾でいまひとつ伸び切れていない生徒。 悩んでいないで、気軽に相談に来て欲しい。 そして教室の生徒たちの様子を、じっくり見学して欲しい。 中3受験生もまだ間に合う。 毎年、秋からの入塾で成績を伸ばし、合格し、巣立っていった生徒が何人もいる。 あきらめない、そして自分の目指す方向をしっかり見続けること。 忘れがちだが、とても大切なことだ。 可能性はみんな持っている。 その力を引き出し、自分だけの笑顔に転化させていく。 この教室にはそんな生徒たちが今もいる。
2007.09.03
試験の時、漢字筆記で悩む生徒が多い。 国語の漢字問題、文章記述の問題、作文、英文和訳、理社の用語筆記。 確かに漢字は色んな場面に出てきて、知らないと大変困る。 理社などにも、最近は短文でまとめさせる問題が増えた。 「注意すべき点をまとめなさい」 「なぜか、理由を述べなさい」 「違いについて簡潔にまとめなさい」 こういう問いに字数制限が付いてくると、漢字力の有無が明暗を分ける時がある。 何故なら、模範解答は「漢字を適切に使った」字数で設定されているからだ。 例えば、グラフを読み取る記述問題で、答えがこうだったとしよう。 「耐久消費財が急速に普及した点」 14字なので、恐らく設問としては15字以内となるだろうか。 これが、もし漢字が分からないと、字数に収めるのも大変だ。 「たいきゅうしょうひざい」 とすれば、それだけでもう11字。 「たいきゅう消費ざい」 でも、すでに9字だ。 さらに 「普及」 が書けなければ、致命傷である。 仕方なしに冒険し、「対久消費財」 とか 「耐久消費材」 とか書いて×になる。 何のことはない。 漢字で書けるように、準備しておけばいいのである。 こういう生徒は、普段から漢字を使う習慣が付いていない。 テストで書けなくても、問題集で間違えても、一向に改善しようとしない。 中には、答え合わせすら、ひらがなで書いている者もいる。 試験のための漢字力を付けるには、押さえるべきものをはっきりさせることが必要だ。 リスト化するのである。 誤記や書けなかったものを、一冊のノートに集約するのだ。 そして定期的に書いて覚えていく。 「福沢論吉」 も 「倉屋敷」 も、一回目まではいい。 だが、それを5回も6回も繰り返していては、入試に勝てない。 答え合わせの時に赤を入れるだけで、完璧に頭に入ったら苦労しない。 そうではなく、頭に収納すべき「一覧」を、具体的に作成するのである。 「てん」 を打つ漢字、打たない漢字。 「しめす扁」 と 「ころも扁」 の区分。 「大」 と 「太」 の区分。 こういう紛らわしいものも、リストを作ればいとも簡単にものに出来る。 たった一回の作業で、飛躍的に得点力が増す。 なぜやらずに、いつも本番で悩んでいるのかと思う。 正確な漢字の力は、作文などの文章を書くときに必ず現れる。 入試の記述は「ひらがな」でも○と言う者がいるが、それは間違いだ。 漢字は5科共通のもの。 上記のような例もあるが、巡りめぐって、得点のベースになったり明暗を分けたりすることもあるのだ。 書けるということは、相手に対し優位に立てるということ。 用語問題も純粋な書き取り問題も、押さえるべきリストを早急に作って欲しい。 何度も書いて、部屋にも貼っておこう。 いかに適当に取り組んでいるか。 またテストせねばならないかな。 模試の答案を見て、そう思った。
2007.09.02
「あるのは知っていたけど、時間が分からなかった」 金曜の北辰対策の途中に、ある受験生が来て、私に言った言葉だ。 今回の北辰は受験生たちの集大成。 私立合格の確約に繋がる、本当に大切な一回。 お前もそれは知っているはず。 知りながらも、まだそんな寝言を言っているわけだな。 プリントを配り、連絡ボードにも大きく書き、3日前には口頭でも伝えたこと。 あるのは知ってただと? 時間が分からなかっただと? お前には口がないのか。 聞いて確認するということさえも出来ないのかよ。 模試の残りを受けに来たお前は、結局対策には途中参加すらしなかった。 「模試は対策の後にして、今は対策に参加しろ」 「でも、このあと行くところがあるんで・・・・」 そういう理屈をこねるのなら、勝手にすればいい。 所詮、対策など眼中にないのだろう。 今回の北辰の意味合いを知りながら、そんなスケジュール管理をしているのなら。 自分の成績を把握しながら、そうしたいのなら。 好きにしろよ。 だがな、点が取れずに困るのはお前だぞ。 スラスラと解けるのかよ。 何だ、この提出された答案は。 適当に埋めた記号と空欄と、自信なく書き込まれたほんのわずかな記述と。 こんなんで、日曜に戦えると思っているのか。 一人で模試をやり、その後お前はどうした。 対策の問題をくださいと言ってくるわけでもなく。 そそくさと逃げるように帰ったよな。 本気で点を取りたいのなら、土曜にいくらでも演習の時間は取れただろう。 だがお前は土曜も来なかった。 対策に参加し、その後も夜まで自習し、土曜も6時間頑張っていた仲間との差。 感じるかどうかは、もうお前の心次第だ。 高校を受けるのはお前。 逃げてごまかし続けて、その因果を受けるのもお前。 目先の自由をむさぼる者は、後の大きな自由をつかめない。 先日のチェックテストでは、悲惨な結果だったのではないのか。 暗記せよと指示を出したが、やったのかよ。 いや、やっていれば模試はもっと埋められたよな。 いつまでごまかす。 お前の死ぬ気は、こんな腑抜けな毎日なのか。 ヘタレと笑われても、ペンを持てないか。 自分を考えろよ。 自分を大切にしろよ、受験生。 すべきタイミングがまた去っていく。 中途半端な生き様がカッコいいか、悪いか。 判断はお前次第なのだ。 時はもう返ってきやしない。
2007.09.02
自習しに来た中2生が、ボードに書き残したスケジュール。 二学期に向けての準備学習をしていたようだ。 自分を律し、集中している様子が伝わってくる。 59分・・・・・? おお・・・この徹底した時間管理。 私も見習いたい。
2007.09.01
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