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今週は塾内で模擬試験を実施している。 今まで、何百人の試験に立ち会ったことだろう。 真剣な表情で答案に向かう者、答案を埋められずに困り焦る者。 中には、諦めて伏せてしまう者もいる。 私は巡回し、彼らにそっと声を掛ける。 「まだ時間はあるぞ。見直せ」 私ができることは、そこまでだ。 今、目の前の空欄だらけの答案用紙が、お前の実力なのだ。 悔しかったら埋めてみろよ。 埋められないのなら、自分の力の無さを痛感するんだな。 試験は独りで挑み、結果を出す戦い。 今までに得た武器を装備し、得点と勝敗を争う舞台。 結果が出ないのなら、敗者なのだ。 力がないのだ。 そこに、感情を介入すべきではない。 そう思っている。 以前は、巡回しながら、励ましの声をよく掛けた。 「前より埋められるようになったね」 「頑張った結果が少しずつ出てきてるぞ」 生徒は悩みながらも、瞬間、表情を和ませた。 それはそれで、意味のある声掛けだったと思っている。 いつからだろうか。 試験に感情を持ち込んではいけないと思い始めたのは。 数百回の戦いを見てきて、自然とそうなっていた。 情けない答案を認めてはいけない。 この生徒には、まだ伸びる素養がある。 その思いは、私から温かい言葉を奪った。 どんなに頑張っても、どんなに苦労しても。 手元に残るものは、点数だけ。 試験は努力ではなく、結果がすべてなのだ。 結果を高めるための作戦すら学習なのだ。 そういうことを、この神聖な場所で感じて欲しい。 この日のために歩んできた汗を、「かたち」として残すこと。 それは、入試という舞台で力を発揮することと同じ。 やり直しは一切きかない。 試験は常に平等に、時間と闘う舞台。 だれの助けもなく、自力で立ち向かうもの。 日ごろの成果をペンで埋め、勝ってこそ本物の実力なのだ。 「まだ時間はあるぞ。見直せ」 そう言いながら、答案の仕上がりを確認して回る。 何度も時計を見る者。 そして、いつにない、真剣な表情。 問題用紙の陰にのぞく、書き込まれた答案。 温情を抑えながら私は目を細める。 「成長したな・・・」 そう心で語っている。
2007.03.31
時間が取れないので、夜更新します。 なお、塾生たちに報告ですが、先日書いた「統一達成テスト」は、5月連休明けに延期します。 新中学1年生にとって英単語が未履修である問題と、中学生活の安定時期を考えての延期です。 在校生も今から少しずつ見直しを進めておこう。 名前、掲示するからね。
2007.03.30
ある生徒に、訊いてみた。 「ここに知らない英単語が200ある。君ならこれをどのくらいの期間でものにする?」 ものにするとは、パーフェクトにするということを指す。 そこまで補足説明し、返答を待った。 その生徒は、何やら計算を始め、やがてこう答えた。 「2週間くらいあれば、覚えられると思います」 恐らく一日何個出来るかを計算し、全体から割ったのだろう。 以前にも数名、同じ質問をしたことがある。 返答は、みんな似たようなものだった。 結論から言おう。 そんな覚え方では、200はおろか、100、いや70さえもものに出来ない。 「全体を一気に走破せよ」 私が常に生徒に語っていることの一つだ。 全体を一つのかたまりとして捉え、一気に攻略していくのだ。 今の子供たちには、そういった感覚がほとんどない。 常に今の生活に沿った、現実的な数の足し算で済ませてしまう。 一日せいぜい何個だから、何日かかると。 私ならどうするか。 200程度の単語なら、1日あれば十分だ。 何も驚くこともない。 手順を踏み、真剣に取り組みさえすれば、誰でも可能なことなのだ。 コツは、まず全体を俯瞰し、入念に観察することから始まる。 必ず全体の隅々まで何度も目を通す。 次にその構成要素である単語一つ一つを書き出し、一気に演習していく。 今日いくつではない。 「200がひとつ」 なのである。 「1かゼロ」、そう思い定め、200と名の付いた集合体を制覇にかかる。 200を走破し終ったら、失敗したものを再度攻略していく。 そのサイクルを10回20回繰り返す。 適度に全体の見直しを取り入れ、攻めと守りのバランスを保つ。 やがて、手強いものだけ手元に残るだろう。 だが、その時には、敵はほんの数個になっているはずだ。 あとはリスト化し、仕上げの暗記を実践していく。 これは奇麗事ではない。 そんなの無理だと言う君。 暗記のペースを、自分の緩い生活に当てはめて考えてはいないか。 誰が普段のペース取り組めと言ったか。 攻略するための特別な時空間を捻り出さずに、何が出来ようか。 攻めること、そして攻略すること。 期限は自分の姿勢でどうにでも変わる。 1日1個なら、200日。 1日2個なら、100日。 1日5個なら、40日。 1日10個なら、20日。 1日20個なら、10日。 1日50個なら、4日。 そして、1日200個なら、1日なのだ。 他愛のない計算も、深い意味を持っている。 何のことはない。 もともと200という巨大なかたまりが1個ならば、そいつをやるかやらないかなのである。 「1かゼロか」 なのだ。 ばらばらに一つ、また一つとつまみ食いするから、終わらない。 甘えて納得するから、時間切れになる。 基準をまず全体に置くことの出来る人間は、必ず伸びてくる。 他者が驚く成果を出しまくる者。 その、可能性を決して諦めない視点。 成功のヒントはそんなところにある。 冒頭の質問に、君なら何と答える。
2007.03.29
『カレンダー』の使い方について述べる。 カレンダーはどの家にもあるが、「学習用カレンダー」を作っている家は少ない。 子供の成績を上げたかったら、カレンダーの有効活用を一度考えてみよう。 まず、家庭で使用しているものとは別に、もう一つカレンダーを用意しよう。 壁に掲示する、書き込みの出来るものがいい。 条件として、折り返していくバネ仕様のもの。 そしてなるべく、1学年をそのまま管理出来る、4月スタートのものがいい。 揃えたなら、学習にまつわる日程や項目をすべてそこに記入していく。 「試験日程」 「目標点」 「結果」 「学習計画」 「ノルマ」 「達成状況」 「入試データ」 「入試までの日数」 など、学びについての内容を、そこにすべて集約させる。 家庭の行事などの記入されているものに書き込んでも意味がない。 廃品回収や誕生日などと一緒に、試験日程を管理するから失敗する。 必ず「学びカレンダー」を独立して作ることだ。 月ごとに「具体的な達成目標」を立て、上部に朱書きする。 欄外も活用しよう。 テストの順位や偏差値を、さりげなく書き込んでおく。 雑誌の記事や、励みになる言葉を切り抜き、貼ってもいい。 志望校の写真、誓い、願い事、貼るのも書くのもすべて自由だ。 「学びカレンダー」は予定表であり、計画スペースである。 また、試験や成績や入試のデータベースでもある。 そして、他者にも見られる目標計画は、自分自身の公約となる。 毎日目にとまる数値や予定は、やる気を喚起させてくれるだろう。 掲示場所は、やはりリビングがいい。 バネのような折り返せる仕様がいいのは、過去の月を振り返れるからだ。 反省があれば、また欄外に書けばいい。 こうして出来上がった「学びカレンダー」は、魂の込められた絵馬のように心の支えになるだろう。 何度も眺め、ひも解き、色を使い分け自由に書き込んでいく。 やがて手垢で傷んだ頃、きっと君に笑顔が訪れる時が来る。 学習という世界に派生する様々なもの。 行動も技術も数値も管理も、そしてモチベーションさえも、 一つのテーマとして括り集約させていく、一手法である。
2007.03.28
勉強について悩み 苦しんだら 10年後のことを考えてみなさい 14の君なら 10年後は24歳 もう学生は卒業し どこかで働いているだろうか スーツを着て人と語り 仕事も生活も 若さを武器に きっと毎日が充実しているに違いない これから出逢う尊敬する人も 親も 白髪交じりの恩師にも みんな14の時があった 彼らはその後 時の流れの中で場数を踏み 経験を積み 今の深みがある 今 24歳のエネルギー溢れる若い人たちは ちょうど10年前14歳だった 勉強が嫌いで さぼってばかりで いつも親と喧嘩していた 成績が悪く 勉強なんてして何になると思っていた かと言って それに打ち勝つために毎日頑張ったわけじゃない ほとんどの人がそんな経験を持ちながら 今の生活を築いている 10年して振り返ってみると 当時の自分は子供だったなと思うものだ それは 誰もがそう思う その頃は 自分自身精一杯生きて 何かと張り合っていたはずなのに・・・ 不思議だよね きっと君も そう思う時が来るだろう 純粋で 熱い 馬鹿正直なもの ちっぽけだけど 何かいい感じなもの そんな自分の過去が 懐かしく思えるに違いない でもね みんなその後の10年で もの凄く大切なものを発見する 失敗や挫折を経験し 自力でそいつを乗り越えることの大切さだ みんな受験というカベにぶつかり 苦しむ でも逃げちゃいけない 悩みながら 涙を抑えながら 明日の自分のために向き合ってきた その明日が 次の明日を生み 大人の 「かたち」 が創られていく その経緯が自信となり 一回り大きな今の彼らがあるのだ 君たちがこれから10年の間に感じるであろう 出会いと発見 そのすべてを大切にして欲しい 今の苦しみには 必ず終わりがある 嫌なことも辛いことも やがて有難い思い出と感じる時が来るだろう どんなことも 10年後には 何とかなっているものなのだ 人生には その時々の舞台が用意されている 一つも無駄のない つながりのある舞台 だから 今の試練と堂々と向き合うのだ 精一杯 人としての力を見せるべきなのだ 勉強は そんな君の中心にある 一本の道なのだよ
2007.03.27
春休み明けに、『統一達成テスト』 を実施する。 対象は、新中1生を含む、中学生全員。 内容は 「漢字」 と 「英単語」。 漢字は小学校の復習、英単語は中1前半まで。 新中1生にも対応できるよう、すべて基本的な平易なものとする。 問題は漢字50問、英単語50問の、合計100問。 合格は上位15名まで。 ただし、70点以上であることを条件とする。 不合格追試は、同一問題で80点、追追試は90点を合格とする。 今回も全学年混合対決だが、個人別順位と得点を掲示する予定。 期日は4月の中旬を考えている。 中2は先輩に勝つチャンス。 どこまで肉薄してくるか、楽しみだ。 中3は後輩に負けられない。 プライドがあるのなら、漢字も含め、春休みに徹底演習すべし。 問題は、すべて定期テストや北辰での、基本となる部分。 満点を目指せよ。 新中1生も漢字の見直し、しっかりやっておけよ。 英単語も先取り、どんどんできるぞ。 新中1生に限り、試験範囲の単語リストを春休み前に配る。 4線もなく、ちょっとハンディがあるが、よく練習しておくように。 時の流れは速い。 ほら、ドキドキからもうすぐ一週間だぞ。 いよいよ制服を着た中学生だ。 (でもこれ、可愛いな・・・小6グループGJ)
2007.03.26
小学校では何度も100点を取っていた生徒が、中学に入ると取れなくなる。 中1の最初の定期テストでは、100点も幾つか出るだろう。 中学への導入として、全体的に易しく作られ、平均点が高いためだ。 だがそれも、英語か本当に得意としている教科に限られる。 2学期以降で100点が幾つも出るというケースは滅多にない。 中学になると年間のテストの回数も減り、一試験の範囲が一気に増える。 小学校の色刷りの確認テストとは、意味合いが根本的に違ってくる。 こなすべき量が増え、その分、計画に沿った対策が必要になるのだ。 問題は教科担当が作る。 基本の確認だけでなく、色々な応用力も試される。 回を重ねるごとに、満点を取らせない設問も増えていく。 生徒の目標は、当初の100点が90点になり、80点、75点と、どんどん下方修正されていく。 下方修正が慢性化してくると、歯止めが効かなくなる。 どのラインで踏ん張れるか、踏ん張るための努力を、得点に投資しなくてはならない。 よくある得点の推移をシュミレーションしてみよう。 得点は5教科で、設定はそれなりに力のある生徒である。 中1 1学期中間 397点 1科約80点。平均点の高い英語と得意の社会で稼いだ。 中1 1学期期末 365点 英語と数学のダウンが影響。平均73、まだ踏ん張っている。 中1 2学期中間 320点 夏休みのサボリが学習姿勢に出始める。部活の日々。 中1 2学期期末 368点 理社の単元で点が取りやすかった。親も上向きと少し安心する。 中1 3学期期末 304点 学年全体の復習問題に苦しむ。見直しの甘さを露呈。数学は最悪。 中2 1学期中間 346点 新学年で単元が変わり、奮起。英数不調も他でカバー。 中2 1学期期末 305点 新しい友達との遊びや部活に追われる。試験対策が疎かになる。 中2 2学期中間 261点 数学の連立、関数、英語の文法で、ともに30点台と最悪の結果。 中2 2学期期末 213点 英数さらに凹み、理科の電流でダメ押し。色々言われ意欲の低下が顕著。 中2 3学期期末 234点 学年問題で点が伸びず。目標がいつの間にか1科50程度になっている。 中3 1学期中間 238点 英数ともに不得意科目に。理科も運動で苦しむ。 中3 1学期期末 260点 公民で頑張るも、他が伸びず。入試問題の抽出に手が出ず。 中3 2学期中間 221点 部活引退するも、前学年の復習に追われ、好結果に繋がらず。 中3 2学期期末 245点 何となく流してこの結果。入試に向け英数が深刻な状態。 こんな感じだが、どうだろう。 中2で大きく凹ませたが、よくあるケースだと思う。 部活が軌道に乗り、友達との付き合いが楽しく、また、受験までには期間があり、気が大きく緩む。 成績が下がれば下がるほど、親からは勉強しろと言われ、ますます悪循環に陥っていく。 中3も夏になり、やっとヤバイことに気づき机に向かうが、穴だらけでお手上げ状態。 それはそのまま、学力テストや模試の偏差値に表れてくる。 最終的に受験志望校は、その偏差値グループからの選択という、下方修正を余儀なくされる。 どこがいけないのだろう。 中1の後半だろうか、中2の前半だろうか。 これは私の考えだが、中1の1学期ですでに中学全体の流れが決まってしまうような気がする。 まず早い段階から、テストの意味合いと位置づけを、しっかりと確立することが大切だ。 中学は小学校とは違う。 学ぶ量を把握し、それをこなしていく習慣を、姿勢として定着させていかなくてはならない。 それは中2でも中3でも同じで、学年の始めに見直すチャンスがある。 例のように、失敗した物や、あやふやな物をそのままにして通過していくと、受験年になって慌てることになるだろう。 テストは点を取るゲームではない。 自分のレベルを正しく把握し、検証し、次に繋げていくものである。 目標は絶対に、安易に 「下方修正」 してはいけない。 改善をもって、「上方修正」 すべきものなのだ。 これから中学入学を迎える生徒たち。 スタートは横一線、みな同じだ。 どこで差がつくのか。 それは正しい結果検証と、そのための処方箋をどう実行していけるかにかかっている。 日々の習慣化された努力が、しばらく後への投資になるのだ。 勉強ができると、様々な面で有利になる。 4月、5月を真剣に過ごし、ぜひ好結果を出して欲しい。
2007.03.25
昨日、中1男子の体験授業があった。 元塾生の弟さんで、優秀な子だ。 姉は受験の時に私立を単願し、現在は大学付属高校の1年生。 昨年春まで私もクラスを持ち、直接指導した。 先日お母さんが来られ、ぜひ下の子も指導して欲しいと言う。 成績を見ると、定期テストでは学年で3位や5位という実績。 模試の偏差値も、5科で63、3科では67に届いている。 でも、家では全然勉強しないらしい。 親御さんは公立志向なので、苦手な理社の強化が必要に思えた。 真剣にやったらどこまで伸びるのだろう。 正直、そう思った。 受験まで2年弱、本人にはまだ強い意欲はない。 ちょうど私の下の息子に状況が似ているなと思った。 学年ひと桁の順位を繰り返しながら、一向に気合が入らない。 大して勉強もしないくせに、5科で460台をさらっと取ってくる。 北辰テストの偏差値は3年になり、やや伸びて、70台も何度か出たが、安定しなかった。 結局兄と同じ高校を受けて撃沈したが、日々の安定した学習と計画性の大切さを痛感したものだ。 後で調べてみたら、偏差値の「アベレージ」は、兄と3違っていた。 この平均で3という数字は、簡単に埋められない大河のような開きがある。 受験は1校しか受けられない。 だから、力を蓄えながら、常にアベレージを意識したい。 最高と最低はカットし、核となる成績の推移を見る。 成績が上下どちらに傾いているのか、動向も見る必要がある。 この体験生は入塾することになったが、もっと科学的に成績を管理する習慣をつけさせたい。 まだ志望校が具体的ではないが、より高い所を目指していこう。 貪欲に攻めていけば、最高峰の攻略も夢ではない。 偏差値は65にカベがある。 それをクリアするには、人一倍の努力が求められる。 平均で65。 それを超えたら、68はすぐ訪れる。 だが70にさらに大きなカベがある。 息子たちで試みた様々な方法論。 今から2年間私に預けてくれるのなら、そのテクニックをギリギリまで刷り込みたいと思う。 親御さんも、私とこの教室に期待してくれている。 ぜひ開花させたい。 笑顔の似合う高いステージで。
2007.03.24
塾という舟は今日も漂流していく 知恵という大切なものを乗せ 子供たちを乗せ 言葉と希望を船体に刻み ゆっくりと 急流の波を引き込んでいく 船頭で舵を取る塾長と バランスを取る講師たち 大きく揺れ 波しぶきが上がる 子供たちははしゃぐ 日差しに輝く水滴と 景色の素晴らしさに 何度も歓声が上がり 笑顔があふれる 岩をすり抜け 傾きながら 一体となり 熱い刻をきざんでいく しばらくしてだろうか 子供たちもやがて 自分の役割を演じ始める 誰が始めるわけでもなく 舟の一員として 船頭の思いを しっかりと受け止め その小さな自分なりの頭で 行動し始める 手を取り合い 知恵の荷物をしっかり抱え 力強い言葉を記録していく 大切なものが何なのか 守るべきものが何なのか 彼らの小さな予感は 集まり 重なりながら 大きな力になっていく 指示に従う体制を作ること 塾の考えを浸透させ 素直に行動させること 小さな組織なりに とても大切なことだと思う 先日の中3生慰労会でのことだ 盛り上がり 楽しく会話が弾むさ中 塾に対するコメントを書いて欲しいと 皆に用紙を配った時 全員が一様に、筆記用具を取り出し 黙々と書き始めた 盛り上がりを中断しても 誰も 何一つ文句も言わず 質問もなく 相談さえも一切せず 自分の言葉で 自分の力で みんな真剣に書いてくれた そのシーンが目に焼き付いて離れない 30秒前まで大声で笑っていたメンバーが まるで試験のように 紙面と向き合っている 鉛筆を握りしめ 考えながら・・・ 指示に従うという空気を 彼らは見事に実践してくれた たったそれだけのことで 今までの言葉が 教えが そして彼らと係わってきた 数年という期間そのものが 決して無駄ではなかったと 私は思った 塾の舟に大きな期待はいらない 他愛ない日々の営みに ひとつの価値ある流れを創ること 立場を理解し すべきことをしっかり行えば 温かみのある空気とともに 進む方向は おのずと定まっていくだろう 子供たちが自ら考え 演じる姿 それは この舟の進む方向の 大切な指標でもあり 我々にとっての励みでもある
2007.03.23
21日は高校進学の決まった 「卒塾生」 との慰労会があった。 夢多き高校への新たな旅立ちの前の、最後の集まりである。 一人一人、この教室で係わってきた日々を背負い、会話が弾む。 みんな元気だ。 普段と変わらない。 その弾けるような自分を大切に、いつまでも夢を追い続けて欲しい。 君たちの人生は、まだ、たかだか6分の1を過ぎたばかり。 妙味や美酒を味わう本番は、近未来に用意されている。 驕るなよ、そして真摯であれよ。 精一杯自分を出し、苦難を乗り越えて行くんだぞ。 心の中で一人一人に、そんな言葉を投げかけていた。 個人へのコメントはここでは書けない。 でも受験を経験し、苦しんだ分、みんな一回り大きくなったような気がした。 頑張ったもんな。 やり遂げたもんな。 辛さと涙は、次のステップに繋がるもの。 ここで仲間と揉まれたことを、想い出として大切にしまっておきなよ。 最後に塾へのメッセージを書いてもらったけど、 嬉しい言葉がかなりあった。 なすびよ、塾長はおちゃめでCuteか? まあ、いいか。 我がままで超超マイペースな、スーさん。 これまた我がままだけどボケをかます、ユッコ。 話し出すと止まらない、ユウキ。 笑顔の似合うシャイな心、テルちゃん。 天真爛漫なウルトラ元気人間、あゆ。 繊細と強さの両刀使い、ユリちゃん。 飾りのない何とも面白いやつ、ガオちゃん。 ユニークで超人類の肝っ玉、なすび。 そしてインフルエンザで来れなかった五郎や、他の仲間たち、 みんなありがとう。 立派になった姿、また見せにおいで。 塾長が疲れたら煎じて飲めるようにと、「アロエ」 をくれたガオちゃん、ユリちゃん。 大事にするよ。 ありがとうな。
2007.03.22
これは、去年の3月、中3卒生がホワイトボードに残したメッセージである。 最後の授業の後、ひっそりと書き記して、彼女は帰っていった。 先生へ やく1ねんかん お世話になり ましたぁ。 いっぱいめいわく かけてすみません でした。 だけどたのしかったヨッ!! 先生の教え方よくわかったぜ。 バカでゴメンね(下)(下) ありがとう。 とても明るい、いい子だった。 生徒たちが帰った後、ボードにメッセージが残っていることがよくある。 その言葉を見ると、我々がこの子たちに与えているものは何なのか、ふと考えてしまう。 巣立っていく前の、最後の言葉。 それは特に意味が深い。 我々はきっと、係わってきた日々の重みを感じてしまうのだろう。 「バカなんかじゃないよ」 「おまえの心は、誰よりも素敵だぞ・・・」 この時は、そう呟いていた。
2007.03.21
「親と子の感覚がずれている」 最近、そう思うことが多くなった。 成績に対し、親の期待は大きいが、子供はのんびりしていて意識が低い。 親は早くこうしなさいと指示を出すが、子供はまだ慌てることもないと思っている。 子供の行動が鈍ければ、親の不安とイライラは募り、指示はやがて管理に変わっていく。 管理された子供は、次第に「学ぶ」ことの本質を見失っていく。 表情は曇り、成績は自分の達成のためではなく、身近な人の評価のために変わっていく。 しかし、伸びない。 なぜ伸びないのか。 親も子も役割を間違えているからであろう。 学ぶのは子供であり、取り組むのも子供なのだ。 「どこまで自分から向き合っているか」という点が、大きな意味を持つ。 家庭で管理すればするほど、子供は受け身になる。 そして表面上をつくろい、逃避するようになる。 何が必要なのだろう。 課題や技術を説く前に、もっと言葉があるべきではないか。 小言や叱責ではない、モチベーションを高める言葉。 争点は、 「3時間させている」のか、 「3時間している」のか。 いかに自らやらせるかを考えた時、親の強い管理はマイナスに作用する。 「家でしっかりやっているのに伸びない」という親は多い。 しかしそれは冷静に考えた時、 「やっている」のではなく、「やらせている」のではないか。 「いくら言っても、本人にやる気が出ない」という親も多い。 それもよくよく振り返ってみれば、 本当に子供のペースや資質を配慮した、温かい声掛けだろうか。 塾に通えば成績は必ず伸びると、親は思う。 しかしそれは、家庭での姿勢ひとつでどうにでも転ぶ。 親の管理がどこまで介入しているのか、それともサポートに徹しているのか。 親が熱心になればなるほど、空回りしていく現実。 成績が伸びない状況を作っていては、いつまで経っても飛躍的な伸長は望めない。 結果が出ないと焦るのは、子供よりもむしろ親の方に多い。 どこまで待てるか。 どうしたら子供が「やる」ようになるのか。 小さい時からの経緯と環境が、子供の学習の概念をすでに築いているのだ。 共存すべき、本人なりの「学びのリズム」があるのである。 その個人差をしっかり受け入れることだろう。 子供はそれを漠然とひきずっている。 親はそれを破壊し、別の新しい形を求めようとする。 親子の感覚のズレはそんなところから始まる。 子供は塾で学びと闘っている。 家庭ではその労をねぎらい、背を押す配慮があればと思う。 成績が伸びない、あるいはやる気が起きないと塾をやめていく子供たちがいる。 親の感覚や波長に及ばないために、断ち切ってしまうケースだ。 とてももったいないと思う。 歯車を見直せば、必ず伸びるはずなのだ。 たった一言のセリフで、一気に変わるかも知れない。 塾との係わりがあるからこそ今がある、という側面も考えたい。 塾の役割を理解している親は強い。 塾の仕掛けを、ベクトルを、うまく利用していく。 攻めるのが塾であり、家庭はそのメンテナンスと割り切っている。 長いスパンで見た時、じっくり伸びてくるのは、なぜかそういう関係に多い。
2007.03.20
新学期も間近だというのに、今頃になってインフルエンザが流行っている。 地元の小中学が軒並み学級閉鎖になるほど、猛威を振るっている。 当然、塾にも影響がある。 授業の時間が近づくと、欠席の電話が次々と掛かってくる。 まあ無理して来られても困るが、教室はスカスカの状態でほとんど授業になっていない。 明日も中学では、全校で1時間ほど登校時間を遅らせるそうだ。 3月に入ってから、何だか冷え込みが激しい気がする。 この間は東京で初雪が降った。 周辺の桜のつぼみも、まだほとんど色付いていない。 週末は小学校の卒業式だが、卒業式はおろか、ひょっとすると入学式でまだ桜が咲いていないなどという珍事が起きるかも知れない。 せめて教室だけでも暖かい春の気分をと、桜を装飾してみた。 来週にはもっと賑やかに春の演出をしてみたい。 春はみなが元気に動き回る、夢を感じさせる季節。 早く温かくならないものか・・・待ち遠しい。
2007.03.19
この異様なものは、2055年の日本の人口ピラミッドの予測である。 「国立社会保険・人口問題研究所」のHPから引用だが、何とも恐ろしい未来図が見えてくる。 2055年と言えば、今から48年後。 私はとうに死んでおり、今の中学生が60歳代前半を構成する頃だ。 グラフの人口構成の中心となる世代を見て欲しい。 何と、80歳代がピークになっており、55歳~90歳の間が異様に膨らんでいる。 数字を見てみると、社会の危機がもっと鮮明に読み取れる。 現在と2055年を比較してみよう。 100歳以上 5万人→60万人 老年人口 2600万人→3600万人 生産年齢人口 8300万人→5000万人 年少人口 1750万人→1000万人 高齢化率(65歳以上人口比) 20%→36% 老年人口とは65歳以上を指すが、人口数では2043年がピークになるそうだ。 いわゆる戦後ベビーブームの団塊世代の人口が異常に多く、その生存が老年人口の比率を押し上げている格好だ。 団塊世代亡きあとは、人口が急激に減っていく。 2055年のグラフで大きく膨らんでいるのは、団塊の子供たちにあたる第二次ベビーブームの世代。 今の30歳代前半が老年人口に参入して、老人国家のピークを迎える。 男女の人口バランスも2035年あたりから狂い始め、グラフがだんだん斜めに傾いていく。 2055年の80歳代女性の約80万人は、現在の0歳児の50万人弱と比べても脅威であろう。 もうひとつ注目したいのは、100歳以上の部分だ。 105歳以上が10万人、100歳以上は60万人にもなる。 この105歳以上には、団塊世代の生き残りが入っているということだ。 2007年問題という言葉がクローズアップされている。 ちょうど今年は団塊世代が60歳を迎え始める元年にあたり、今後3~5年の社会に大きな変化が想定されるというものだ。 今年から3年間だけでも約680万人の人が60歳を迎える。 企業も国の機関も、退職金に頭を抱えているそうだ。 また、それらの方が、次の仕事を円滑に探せるかという問題もある。 第二の人生を地方でなどと、誘致も盛んだが、不安定な老後を考えると賛否両論だ。 一方では、熟年の趣味や娯楽、生活スタイルなどに向けた産業が目に付く。 店の熟年向けコーナー、通販などの懐かしグッズ、雑誌の創刊など、往年の青春時代を喚起させる仕掛けが後を立たない。 私ももうじきその仲間に入ってしまうのだろうが、今でも70年代ソングなどと言ってるようでは、15年もすればきっといいお客さんだろう。 2007年問題を塾や教育産業として色々考えてみた。 結論として、ほとんど影響がないのではと思う。 この業界は、学童の人口、社会の教育における問題、風潮と景気などによって大半が決まってしまう。 特需効果が期待できるのは、一部の商魂たくましい産業だけと言えそうだ。 むしろ先の人口ピラミッドの「年少人口」の激減が気になる。 年少人口の今後の推移を見てみると、2000年から10年単位の推移は、 1850万人→1710万人→1510万人→1320万人→1200万人→1080万人 と、減少の一途である。 2055年には年度出生人口が男女合計で40万人強という状態。 教育はもちろん、世の中さえどうなってしまうのか、もう想像の域を超えている。 今の子供たちよ、 「いっぱい学び、世の中を変えてくれ」としか言いようがない。
2007.03.18
こんな事があるのだろうか。 今日届いた、今年のスケジュールを見て驚いた。 春の2大検定、『英検』 と 『漢検』。 その日程を見てみたら、何と今年は同じ日に実施されるではないか。 公開会場受検日は、いずれも6月10日(日)。 私の記憶では、近年このようなことはなかったと思う。 ともに数百万人が受ける検定試験。 協会は、互いに日程のすり合わせをしないのだろうか。 それとも仲が悪いのか。 今や学校での団体受検が主流とはいえ、一般の社会人はどうするのだ。 結局受検者が減り、互いの利益も損なうではないか。 わが教室も準会場になっており、早急に日程を組まなくてはならない。 準会場の別指定日は、英検が9日(土)、漢検が2日(土)・15日(金)・7月13日(金)のいずれか。 個室のない塾の場合、平日は組みにくい。 漢検を2日(土)に持ってくるか、英検を9日(土)にするか。 両方受ける生徒もいるので、配慮が必要だ。 2日連続だとやはり厳しいだろうな。 埼玉の場合、『北辰テスト』 のスケジュールも絡んでくるから厄介だ。 うーん、対策ゼミの日程を含め、頭が痛い。 でも何でこうなるんだ? 昨年は漢検の問題漏洩、そして今年は重複スケジュールですか。 協会さんよ、もっと配慮してくれと言いたい。
2007.03.17
先日、ある男子生徒のお母さんと面談した。 塾生ではない外部の方で、塾を探しているのだという。 勉強の話の中で、現在、他塾に通っていることが分かった。 駅前の進学塾だ。 なぜ転塾を考えているのかを訊いてみた。 大人数な上、やはりよく分からないまま進んでしまうという。 いつもの答えだ。 私がこんな感じでしょうと、授業や宿題の様子、そして息子さんの係わり合いについて話すと、まさにその通りだと苦笑していた。 この塾の広告には、いつもおいしい台詞が並んでいる。 私が見ても、作り方がうまいと思う。 大手なので露出も多く、この春も大きく 「無料」 や 「他教室の実績」 を打ち出している。 でも何故、いつもいつも、そこから私の所へ生徒が流れてくるのだろう。 何か内部や指導の仕組みなどに、問題があるのだろうか。 そんなことを考えていたら、お母さんの口からある言葉が発せられた。 退塾話を切り出した時のやりとりらしい。 「大人数に向いてないようなので、解らない部分を丁寧に見てくれる個別塾に移ろうと思うんです」 と、お母さんが切り出すと、何ともこう返されたらしい。 「個別はできる子には向いてるけど、できない子が行っても伸びませんよ」 えっ? そうなの? カリキュラムをどんどん進め、「これを全部やればできる」 などという指導なら、誰でもできる。 わが子にとって必要なものを、親身に見てくれる環境ならばこそ成績につながるはず。 お母さんのその思いと担当の言葉には、大きな開きがあったという。 無茶苦茶である。 少なくとも保護者がなるほどと思う、もっとましな言葉があるだろうに。 今まで大人数の集合形式でやっていて、伸びないから言っているのだ。 では、できる子なら何と言う。 「個別はできない子には向いてるけど、できる子はうちのような多人数で揉まれた方が伸びますよ」 とでも言うのだろうか。 お母さんは不審がり、悩み、そういうものなのかと私に相談してきた。 私は、お母さんの考えが正しいですよと告げ、その根拠を色々語った。 個に根ざした指導の素晴らしさを。 美辞麗句で生徒を網にかけ、勧誘を繰り返し、集まった生徒を並ばせるだけの授業。 そして内部では、肝心な生徒のケアに手が回らない。 もちろんそのシステムで伸びる生徒もいるだろう。 だが悩むのは、決まって下位の生徒たちだ。 その生徒たちにどうやって 「学びの手」 を差し伸べてあげるか。 それこそが、学力低下の中で求められている、我々塾人の責務ではないのか。 わが教室は、勧誘を一切しない。 飛込みで来られた方には、名前も控えない。 自分が逆の立場だったらと思い、そうしている。 だが、正しいことを正しく伝えれば、「縁」 はしっかり残っている。 体験後も電話はほとんどしない。 いずれも先方から 「ぜひ」 という電話が来て、今の生徒たちがある。 それだけに、結束力はあると思っている。 何よりも本人が 「ここでやってみよう」 と判断しているのだから。 一昨日も、卒生のお母さんたちと長時間会話をした。 その中で、「塾長さんって、ほんと商売っ気がないわね」 という話題が出た。 でもその雰囲気がいいのだと誉めていただいた。 ちょうど世代も同じなので、時として敬語もない会話を交わすこともある。 でも、そこには必ず共通の思いがある。 生徒のことだ。 親が子を思うように、塾がどこまで親身にその子を見てあげられるか。 他人の子を見てもしょうがないのである。 塾全体の方針がどうだろうが関係ないのである。 親はわが子をどこまで面倒を見てくれるかで、塾というものを判断する。 「下の子のことで・・・」 と、2年、3年してから再訪問をいただく。 その意味合いをしっかり受け止め、精進していきたいと思う。 先の塾は実際に見学したわけではないが、会話のやりとりは覆せない事実だ。 評判は巡り巡って、やがて地域に根ざす。 塾のカラーと本物の力は、生徒を吸い込み、「縁」 をつくっていく。 「縁」 は「縁」 を呼び、次世代のカラーにつながっていく。 今、教室には、元塾生、あるいは現塾生の兄弟姉妹が31名もいる。 友達の紹介まで入れれば、もうほとんどである。 有難いことだ。 一人一人に勉強の楽しさを伝え、成績を上げてあげたい。 生徒たちの表情を見て、つくづく、そう思う。 わが教室の一員として。 そして、同じ目的を持った仲間として。
2007.03.16
学年末試験の結果が、だいぶ出揃ってきた。 中1・中2のうち、5教科とも判明しているのは16名。 今回は、成績上位のメンバーもやや苦戦しているようだ。 90台=13 80台=15 70台=13 というのが、報告された数である。 学年のまとめとして、問題は前回の期末よりも難化し、平均点も低いようだ。 この結果、どう受け止めるべきか。 全教科振るわない生徒もいるので、実質は10名程度ではじき出している数だが。 1年生も、1学期のように高得点が簡単に取れなくなってきている。 それだけ問題も厳しくなり、日頃の完成度が問われてきているのだ。 明日、成績ボードに掲示し、全員に意識の喚起を促そう。 先ほど、4日に実施した「北辰テスト」の結果が届いた。 今回、中1生は5人が受験した。 受験まであと2年弱。 いよいよ偏差値で実力が測られる時が来たのだ。 4人は初めての受験だったが、普段の姿勢が見事に表れた。 塾でいつも真剣に頑張っているメンバーだ。 大きく伸びる可能性が感じられるので、敢えてここで成績を公表したい。 初めてなので失敗したという生徒よ。 それならば、次はもう1ランク上を狙うぞ。 5人の5教科の平均偏差値 60.12
2007.03.15
15日は、地元の中学校の卒業式が一斉に行われる。 中1の時、ブカブカの制服を着ていたあいつらも、春からは高校生。 身体の成長とともに、精神もたくましくなり、未来への大きな夢を感じる。 中学卒業は義務教育の卒業だ。 これからは自分の判断や行動に責任が伴う。 みんなしっかり自覚し、明日のために力強く飛び立てよ。 ここで一緒にやった様々なことを無駄にしないで。 毎年、卒業式の日は、生徒や親御さんが訪問してくる。 みんな何処かで打ち上げをやるんだろうが、よかったら遊びにおいで。 想い出や愚痴、聞いてあげるぞ。 高校にはどんな出逢いが待っているか、楽しみだろう。 発見や喜びがあれば、挫折や悲しみもあるかも知れない。 でもそんな色々なものがぎっしり詰まった素晴らしさが高校にはある。 社会経験をして、今より少し大人の恋をして、君たちは成長していく。 ここまで我がままを訊いてくれた「お母さん」に感謝しろよ。 そして立派になって、親孝行するんだぞ。 10年もすれば、今度は君たちが親になる。 正門で、あるいは証書を持って記念撮影をする時。 その時のお母さんの気持ちを、ちょっとだけ考えてあげよう。 アルバムを開き、想い出や将来のこと、親子でじっくり話してみな。 卒業式の日には、そんな姿が昔から似合うものだ。
2007.03.14
多忙で、ゆっくり書いている暇がありません。 現在も教室で奮闘中。 やがて窓から朝日が射し込み、写真のような幻想空間になるでしょう。 それにしても、何だか塾という感じじゃないですね。 今年はもっと奇抜な手を加え、さらにワクワクした空間を創りたいと思ってます。 「えっ? これが塾?」 子供たちが目を丸くして見回すような世界。 来月までに、その一歩を手がけたい。 夜から朝へ。 誰もいない教室は、今日も、まるで生き物のように呼吸している。
2007.03.13
人と人として、生理的な温度や波長のようなもの。 その見えないものを、我々は嗅覚を頼りに捉え、接し、語ってきた。 笑顔を励みに、成功を美化しながら。 その裏にある陰の部分を、どこかに溜め込んでもきた。 私は一度、自分の過去の生徒ファイルを紐解いてみたいと思う。 生徒一人一人の表情や仕草、汗、悩み。 もはや記録にない「それら」に、陰と陽を捉えながら。 そして、今の仲間たちに還元できるものを突き詰めてみたい。 子供たち一人一人には人格があり、それらはみな違う光を放っている。 子供たちはその光を操り、我々の前で演技をする。 我々は感動し、拍手を送る 「観客」 なのか。 我々は採点、評価する 「審査員」 なのか。 我々は共に盛り上げ演じてあげる 「ゲスト」 なのか。 我々は指導し、シナリオを描くべき 「演出家」 なのか。 我々は彼らの足場を作り、背後で見守る 「裏方」 なのか。 果たしてどれなのか。 考えてみたい。 10月14日に書いた、我々は・・・・という記事の一部である。 この数日、この記事の最後で触れたスタンスについて考えている。 今まで多くの子供たちと出会い、語り合ってきた。 数え切れない小さな係わり合いと共に、ここまでやってきた。 人と人の本音が溶け合う、泥臭い風景も時にはあった。 我々は常に彼らを見て、そこに熱いものを感じている。 可能性のような。 見えない光のような。 そして、日々成長し、構築されていく 「得体の知れない力」 を感じている。 彼らの舞台は、その力によって少しずつ変化していく。 今日もこの教室で幕が上がり、彼らは自由に演じ始める。 輝かしい、素直な表情で。 我々の周りの空気に、凛とした流れを作りながら。 先の5つのスタンスは、いずれも抱え持っている本質のようなものだろう。 だが実際の現場で、私が演じる役割を考えた時、 果たして何が出来るだろうか。 指導者という立場に甘え、自分しか見えない一介の大人になってはいないだろうか。 彼らのステップはフィルムを刻み、この目の前にある。 そこに楔を打つべきが、我々の仕事。 温かい、人としての楔。 悩んだならば処方箋となり、迷ったならば道標となる。 そんな地味な係わり方を、彼らの明日に指し示していきたい。 ただの傍観者であってはならない。 そう思いながら、まだ頭の中のイメージはくすぶり続けている。 今日も幕が上がる。 ゆっくりと、力強く。 彼らの笑顔は、何かを語っているようだ。 我々の気付かない、本物の何かを。
2007.03.12
塾生たちは、今から1か月を真剣に過ごして欲しい。 3月も10日を過ぎると、学校の授業は履修範囲の調整に入り、慌しくなる。 教科書が終わらない学校も出てくるだろうが、全体的にペースは速くなり、自学の姿勢が問われる時期でもある。 小学生ならば、まだこれから学年の確認テストがあるだろう。 その手応えも踏まえて、しっかり現学年の見直しをしておきたい。 特に6年生は、小学校で習った全範囲を総ざらいし、弱点を埋めておこう。 小学配当漢字はしっかり書けるだろうか。 四則算や単位計算、文章題の立式はぬかりないだろうか。 中学はそれらの基本を踏まえて、一気に進んでいく。 後手になると見直す時間もなくなり、大変なことになるぞ。 弱いのならこの1か月で、しっかり追いついておこう。 あと6年生は、英語のアルファベットは大文字小文字とも書けるように、最低限の練習はしておきたい。 中学生も1年間の復習を入念にしておくこと。 絶対、甘く見るなよ。 苦手はそのまま受験の不利に繋がっていく。 中1でやったことは中2で、中2でやったことは中3で再び使っていくぞ。 新学期になると、その内容を追うことで手一杯になる。 だから定期テストが終わった今が、リカバリーのチャンスなのだ。 中学では「勉強してるよ」という言葉は通用しない。 「どれだけ定着したか」「どれだけ結果がでたか」 テストで力を証明出来て、初めて勉強してると言えるのだ。 時間が掛かるのなら、人一倍練習しなくてはならない。 そのことをよく踏まえて、この1か月を過ごしてみよう。 壊れそうな知識は塾で修復しなさい。 反省点はないか。 この1か月は、1年で最も大切な期間。 本人次第で、いくらでも逆転できるのだ。 個別の質問、歓迎してるぞ。
2007.03.11
ある生徒から電話が来た。 「この前のテストで、理科で分からない所があるので教えて欲しいんです・・・」 中1の、いつも頑張っている女子生徒だ。 色々考え、悩み、親御さんのアドバイスもあって掛けてきたのだと思う。 でも私は、その健気な前向きの姿勢を嬉しく思った。 素直に有難いと思った。 電話を掛けるということは、勇気のいることだ。 しかも自分で、しっかりと語り。 自分のことだから、子供自身に行動させる。 見守るという立場に徹している、親御さんの考え方も素晴らしいと思った。 来週の日時を指定し、個別で見てあげると告げた。 そう約束したら、「ありがとうございます」と、電話の声も何か嬉しそうだった。 やる気のある、根性のある素晴らしい子だと思う。 学習には、失敗や挫折が必ず訪れる。 そこで大事なものは、もやもやしたものに挑んでいける「負けん気」。 諦めてしまう、いや、逃げてしまう生徒は多いだろう。 そこに立ち向かっていける勇気は、自分を変える「芯」を作るはずだ。 この子はきっと大きく伸びると思う。 そして、出来る限りの力を与えてあげたいと思う。 不明ならば、解らずに迷ったなら、いつでも言いなさい。 ひとりで悩むことはないんだよ。 ここは、気軽に何でも語れる、 そんな仲間たちの広場なのだから。 一本の電話が、一言のセリフが、 自分を大きく変えてしまうことがある。 君たちの可能性は、掴みきれないほど周りにある。 まず、動いてみよう。 その一歩は、100%君を前進させるはずだ。 塾長は待っているぞ。 他愛のない話だが、 語っておきたいと思った。
2007.03.10
いつから総合力というものが問われるようになったのだろう。 教育の歴史を辿る気はないが、子供たちを見ていてつくづく罪だなあと思う。 定期テストで見られるものはいつも決まっている。 全科で何点取ったか。 学年順位も、その全体の力で計算される。 受験においても、その流れはまったく変わらない。 公立ならば、5教科で何点取れたか。 その合計のみで合否が決まる。 提出する内申点も、9科45点満点で何点か。 結局、総合点で高い者が勝つ仕組みになっている。 今回の生徒たちの受験を振り返って、この総合力というものの意味合いを考えずにはいられない。 受験の準備段階から幾度も模試を受け、偏差値で縛られてきた生徒たち。 国英社はいいが、数理が悪すぎる。 5教科の合計でこれだけだから、偏差値は幾つ。 当然志望校は、みなその偏差値で可能な範囲に限定されてきた。 英語が秀でていても、社会が満点でも駄目なのである。 合計でラインに届いていなければ。 思えば私が小学生の頃から、その 「総合力幻想」 というものはあった。 40年近くも前は、個人情報だプライバシーだなどという考えはなかったので、いつも得点が教室に貼り出されていたものだ。 小学校では100点の掲示もあったが、中学では常に合計点の掲示だった。 私は理科の定期テストで、学年トップを7回取ったが、5教科の合計ではいつもクラスで5番前後だった。 数学が大嫌いで、常に足を引っ張っていた。 理社とも学年トップを取った時も、数学が55点。 単科では勝てても、総合力ではなかなか勝てなかった。 こういうケースは今の生徒たちにも多いと思う。 今、子供たちの 「無気力さ」 が問題になってきている。 だが元を辿れば、それは教育の仕組みに欠陥があったからではないだろうか。 最近、特にそう感じる。 子供たちは勉強は必要だと分かっていても、目的が見出せない。 それは学習難度の増す、上級学年ほど顕著である。 本来勉強とは、重ねながら興味を膨らませ、 自らの知恵や精神を育む土台にしていくものだ。 無気力が蔓延し 「学び」 の仕組みが崩れてきたのは、 勉強の動機や価値というものを時間をかけて説かずに、画一的な知識を植え込んできたからではないのか。 興味を考慮せずに、全員に平等なメニューが与えられる。 選り好みが出ない方が不思議だろう。 画一的な知識を与えていくことは、悪いことではない。 その与え方が問題なのだ。 全員にスタート地点から知識を与え、そこから好奇心や個性に応じて道を設けていく。 教科への関心、意欲の持ち方、あるいは努力によって点数に差がついたとしても、何も悪いことではない。 だが学校教育はそういった 「個性」 よりも、「平均的な総合力」 を評価してきた。 全体の力こそすべてだと。 それならばと、みな、家で塾で全体の底上げを図ろうとする。 ターゲットは、来る日も来る日も不得意科目だ。 子供たちは苦手な味気ない教科を、必死に頑張ろうとする。 そして得意科目の能力や興味をを活かせないまま、やがて勉強そのもののやる気を失っていく。 全科70点の者は認められ、95点や40点と波のある者は認められない。 罪である。 勉強の目的は、平均的な 「いい子」 になることであってはならない。 特定のジャンルに長けた者を、その分野でじっくり育てていく仕組みこそ必要なのだ。 大学では専攻が選べるが、中学、高校でどれだけの生徒が 「総合力幻想」 により、資質の芽が摘まれてしまっているか。 大学受験の科目にしても、もっと専攻に沿った教科の比重を高めるべきだろう。 考古学にどれだけ英語が必要だというのか。 教科により、一定ラインに達していればよしとする足切り制度。 専門分野の知識のみで合否判定をする仕組み。 改善の策は色々あるはずだ。 将来のスペシャリストを育てようという動きがある。 最近こういった動きは特に目立つが、肝心な教育のプロセスが伴っていない。 「総合力幻想」 が根強くはびこっている限り、それも砂上の楼閣であろう。 何故なら子供たちは、 学習における 「長所」 を磨く暇があれば、何よりも 「短所」 を磨かなくてはならないからだ。 みんなそれが勉強の優先順位だと、勉強の姿だと、教え込まれてきた。 「学び」 の悦びを知るべき、 小さい時からずっと・・・ 苦手科目にどっぷり浸かり、勉強の興味を失っていく子供たち。 その、虚ろな眼を見るたびに、何とかして欲しいと思う。 この仕事をしていて、つくづく感じる。
2007.03.10
身近な道具の2つ目として、『高校受験ガイド』 の購入時期について述べたい。 これは飽くまでも私論であり、参考意見と思っていただきたい。 普通はそろそろ志望校を決めなくてはならない、中3の夏ごろに買われる方が多いだろう。 と言うのも、年度の新版が書店に並ぶのは、大体5月から6月ごろ。 前年度のデータが載った類書を、じっくり比較してから決めたいということもあるだろう。 中には5月に入荷した時点ですぐ購入される方もいる。 学校見学の準備と、何よりも偏差値を知り、志望校の絞込みを早く進めたいからだ。 さあ、果たしてこの程度の買い方で、意識が高いと言えるだろうか。 ズバリ言わせてもらうが、全然ダメである。 そもそも受験ガイドは、データを調べ、志望校を決めるだけのものではない。 受験への意識付けとして、常備すべきものでもあるのだ。 購入する時期は中1の夏休み前が望ましい。 そしてリビングに置いて、何度も開き、受験への意識を高めていく。 前にも書いたが、我が家では食事の後によくそれを開き、ボロボロになるまで使い込んだ。 購入したのは、やはり中1の時。 下の子にとっては、小6の時になるが、一緒になってよく見ていたものだ。 それを中3の5月まで使い、受験年には新版を新たに揃えた。 2年も使っていると、探したい高校が何ページにあるかまで分かってくる。 高校ごとの細かいデータもインプットされ、自ずと行きたい高校が絞られてくる。 そんなこともあり、我が子に関しては、2人とも中1の冬には志望校がほぼ決まっていた。 その経緯として、ガイドの存在は大きい。 中3で購入した新版は、前年のデータのチェックだけで、ほとんど使用しなかったものだ。 中身など、毎年ほとんど一緒で、旧版でも十分である。 だから、出来るだけ早い時期に揃えたい。 子供がもう中1でないのなら、新版を待たずに、すぐ書店で買われることを勧めたい。 春に中学に入学するのなら、新版を待てばいいだろう。 そしてどんどん使い込み、受験への意識付けをすべきだ。 行きたい高校を早期に決めさせることには、意味がある。 「行きたい」 が 「行くものだ」 に転化し、 当然行かなくてはならないという、暗黙の雰囲気が作られるのである。 あとは子供が動き出す。 公約をもとに。 中3の秋になって、「あんた高校どうすんの?」 などと言っている家庭はないだろうか。 もっと仕向けなくてはダメだ。 親の意識が子を、子の進路を、そして子の将来を変えるのである。 その手頃なアイテムとして、受験ガイドの扱い方をぜひ一考して欲しい。 書棚や押入れにしまい、親が管理するのではなく、 リビングにそっと置き、子供に自由に閲覧させるのである。 可能性はどんどん広がっていくだろう。
2007.03.09
学年更新を済ませた、春からの新しい名簿が出来た。 「あいつももう中学か」 「お前もとうとう受験生だな」 学年がひとつ変わるだけで、何だかすごく成長したように感じる。 毎年春は、「よし、やるぞー」と、みんな気合が入るものだ。 でも5月連休あたりから、少しずつ何かが狂ってくる。 気がつくと、目標を見失い、 目先の楽しいことに、いつの間にか夢中になっている自分がいる。 自分の「甘え」に気付き、修正できる生徒は大丈夫だろう。 それができない生徒は、夏を過ぎたあたりで慌てる。 「甘え」が大きければ大きいほど、修正に苦しむ。 よく目標と計画を立てろと言うが、 それは言い換えれば、自分自身の「学びの貯金」という口座を作ることだ。 そこにどれだけ知恵と情報を残していくかは、 自分の日々の努力にかかっている。 でも、この貯金が普通の貯金と違うのは、どんどん消えていってしまうことだ。 コツコツと貯めても、放っておけば、いつの間にかゼロになっている。 いや、場合によってはマイナスの「借金」になっているかも知れない。 そこから這い上がるのがどれだけ大変か、経験すれば分かるだろう。 だから出来る時に、みんな精一杯頑張らなくてはならない。 「時を大切にしなさい」とは、そういう意味だ。 いかに立派な目標を掲げても、実践しなければ意味は無い。 実践こそ、君を強くする最大の攻めなのだ。 そして実践したなら、必ず反省してみること。 反省し改善を加えていくことで、学びの効率を発見していくのだ。 今日一日の甘えが、貯金を減らしていく。 明日からでいいのかな? 桜が咲き、花びらが舞う頃、君は新しい学年の教室にいる。 学校で、塾で、何をしたいのか、いや何をすべきなのか。 そして、貯金できる期間は何日残されているのか。 口座に残っている足跡を見ながら、 じっくり考えてみるのも悪くない。
2007.03.08
私はいつも 子供たちに向けてメッセージを送っている 感じたことを 今伝えてあげたいことを つたない言葉にして 語りかけている それは 目の前の子供たちを仲立ちとした 全国の仲間に向けてのメッセージでもある ちょうど今 子供たちは受験と闘い 大きな山を越えようとしている 自分で選んだ道をしっかり見つめ 自力で這い上がろうとしている 素晴らしいことだと思う 大人は言う 時期が来ればみんな経験するものだと でも実際は そんな簡単なもんじゃない 未知の闇には 苦しいことも辛いこともいっぱい 君も 君も そいつと向き合い 精一杯頑張っている 私はそんな子供たちの健気な姿を 表情を 応援したい 受験というものは 初めて訪れる大きなハードル 手強い そして逃げ切れない 人生の一部だ 汗をかき 悩みながら みんな少しずつ自分を高めていく 君はこの舞台で何を得るだろう 何を発見するだろう 目標があるのなら それに突き進んでいけばいい 目標がはっきりしないのなら まず 今日を大切にしよう 受験の舞台には 計り知れない可能性が溢れている 君の周りのそいつを その手のひらで掴むのだ 厳しさも 温もりも みんな君の未来のためにある しっかりと掴み 受け入れる強さを持てばいい 受験は合否がでて終了ではない 合格した者も 及ばなかった者も みんな一線に並び そこから新たな号砲が始まるのだ 仲間を知り 心を分かち合い 励まし合い 苦しみを背負い ここまでやってきた その行為と経験の意味は やがて舞台を降りる時に分かるだろう 「GOAL通信」というタイトル その意味は 受験や卒業を超えた人生に向けたもの ハードルを切り抜けたなら 一気に白線を走り抜けるのだ 力を緩めず 常に前を見据え 君のために待っている 新たなゴールを目指し 正確な一歩を しっかりと刻んでいこう 受験で得たものは君の宝だ 誰のものでもない 大切に仕舞い いつか必要になったなら 君が自由に引き出せばいい そして 次の試練を乗り越える武器にすればいい 先輩たちがそうであったように 芽はやがて成長し 枝葉を付ける 君たちの聡明な瞳は まっすぐ伸びる幹のようだ どんどん伸ばせよ そして太い幹に葉を茂らせ 大輪の花を咲かせよ 卒業とともに 次の世界に巣立っていく 全国の子供たち そして 今なを受験と闘っている仲間たち 数々の涙と体験は 決して無駄ではない 君たちには いつも夢を描いている姿が似合っている その熱き心と 素晴らしき未来に向けて そっと メッセージを贈りたい
2007.03.08
「スーさん」 というのは、私が勝手に付けた 《あだ名》 だ。 「す○○」 という名前なので、みんなには 「スーちゃん」 と呼ばれている。 去年の春の対策授業で、私がふざけて 「スーさん」 と呼んだら、みんな大爆笑だった。 そう言えば、あの時はまだ中2だったな。 以来、おまえのことを、いつも 「スーさん」 と勝手に呼んできた。 おまえは、ベトナムの山案内人みたいで嫌だと、いつも膨れていたよな。 でも私の感覚では、その呼び方が何故だかピッタリだった。 スーさんは、いつもわがままだった。 もの凄くわがままだった。 プリントを配れば、見もしないですぐに 「無理!」 と言い、 解らない問題があれば、その都度 「だって分かんないんだもん!」 と怒っていた。 苦手なジャンルをやる時は、「私をいじめてる~」 とか、ぶつぶつ言っていた。 いつも文句ばかり言っているので、私との間が親子みたいだと仲間に言われたよな。 そのくせ、いつも 「塾長~」 と一番甘えていたのも、おまえだった。 私立も決まらず、色々相談に乗ったこともあった。 考えてみればここ1年、敬語を使われたことがなかった。 「○○だよね」 「○○でしょ?」 「○○なの!」 の連発。 塾長の威厳もないが、それはそれで、また別の嬉しさがあった。 おまえがここに来たのは、中1になって間もない頃だった。 話しかけると、うつむいてモジモジしていたおまえ。 恥ずかしがりやで、返事も出来なかったおまえ。 あれから約3年。 あのチビすけが、とうとう高校生かよ。 昨日塾に来て、第一志望校合格の報告をしてくれた時、本当に嬉しそうだったな。 最後はずいぶん頑張ったから、期待はしてたけど、いい結果が出てよかったな。 前期がだめでも、志望校を変えなかったおまえ。 自己採点厳しかったから、心配していたんだ。 私が見ている理社も、文句ばかり言ってるから結局ボロボロだった。 でも努力が形になって、本当によかった。 あのカッコいい表情、いつまでも忘れるなよ。 スーさんが卒業し、いなくなってしまうと、何か教室が淋しくなるな。 色々な思い出、おまえもしっかりカバンに詰めておけよ。 教室はずっとここにある。 淋しくなったら、いつでも訪ねておいで。 親子の感覚で、文句を聞いてあげるから。 最後の最後まで 「スーさん」 と呼ばれるのを嫌がっていたおまえ。 でも、もう一度だけ呼ばせてもらうぞ。 「スーさん」 本当によかったな。 おめでとう。
2007.03.07
交差点で信号待ちしていたら、通りを隔てた向こうから何やら声がした。 「塾長~、合格したよ~!」 自転車に乗ったKさんだった。 1週間前に書いた、あの『Kさん』だ。 大きな声で何をやっている。 周りの人が振り向こうが、まったく気にしない。 あのなあ・・・ 最後までマイペースで、底抜けに明るいヤツ。 そうか、やっと決まったか。 3年の間に、泣いた時もあったけど、よかったな。 おまえのその荒削りなところが、とても心配だった。 本当におまえらしい何よりの朗報、ありがとうな。 元気さを忘れず、大きくなれよ。 それにしても、聞きづてを入れてもまだ5人しか判明していない。 みんな何をしているのだろう。 敢えて難しいところに挑戦し、ダメだった子もいた。 人一倍努力していただけに、残念でならない。 倍率も高かったが、ほんの2、3点で明暗を分けたようだ。 でも頑張りは無駄ではないぞ。 ここまでの努力がきっと形になり、高校で花開くだろう。 電話口で、君はしっかり、 「ありがとうございました」と語ってくれた。 まだ15歳。 心配するな。 発見はこれからだ。
2007.03.06
公立高校、後期合格の吉報が入ってきた。 電話の向こうの弾む声。 本当に嬉しそうだった。 よかったな。 この日のために、頑張ったもんな。 おめでとうな。 (午後、その後の経過をここに追記します)
2007.03.06
世の中に塾は多数あれど。 本当に納得できる塾と出遭えた生徒は、何人いるのだろう・・・・ 毎年この時期になると、周辺の塾のチラシを眺め、思う。 毎日のように折り込まれるチラシ。 「わかる!」 「とにかく伸びる」 「ここが違う!」 「○○名合格!」 「入塾金サービス」 「1か月授業料無料!」 「他と比較して下さい!」 一体何を基準に選べばいいのだろう。 塾を探している親子にとって、こういった文言はどのように映っているのだろうか。 大手の塾は、この時期に、とにかく生徒を集めようと動き出す。 どこも、無料や割引のサービスで必死だ。 複数の教室を併記した共同のチラシを、本部主導で月に6回も7回も撒く。 話を聞きに行けば、セールストークが待っている。 危機感を煽り、ここでやれば伸びると。 生徒本人が気に入れば別だが、何の気なしに入塾してしまう者も多いだろう。 親が決めてしまうことも・・・・あるいは合格実績だけで。 悲劇は暫くしてやって来る。 どういう経緯を辿るか。 昨年の春 ここ で述べた。 わが教室には、よく他塾から移ってくる生徒がいる。 みんな元気がない。そして、笑顔がない。 表情が疲れている。 親のタイプは三つだ。 子のすべてを管理しようとするワンマンか。 子のわがままに頭を抱え、面談で口論を始めるタイプか。 子のやる気のなさに無頓着な、塾に通えば伸びると思っているタイプか。 いずれも痛い状態である。 塾のシステムに乗れば成績は伸びるはずだった。 何の疑いもなく、わが子も乗れると思っていた。 子も親も、もっと早く 「学び」 の素晴らしさに出遭っていたならと思う。 学びには笑顔が似合うのに。 子供に合った塾が、チラシの活字だけで判断できたら苦労しない。 実際に教室を見学に行く。 しかも抜き打ちで、虚飾のない生の授業を見るべきだ。 いくつかを比較し、じっくり考えればいい。 最大の要素は、子供の波長に合っているか。 そして責任者が、親身にわが子の指導、教育を考えてくれているか。 複数の子供を同じ型にはめることは出来ない。 そんな当然のことを、平気でやっている塾もある。 以前に書いた こういう塾 も、実際にはあるのだ。 ここで取り上げた生徒は、その後わが教室で元気に学び、先日の高校受験で、推薦合格を決めている。 お母さんからは、丁重なお礼の言葉をいただいた。 何より、生徒が最後に見せた、照れくさそうな笑顔が爽やかだった。 塾の環境はみな違う。 通うのは生徒であり、生徒が主役なのだ。 そのことをしっかりと捉えている塾なのかどうか。 美辞麗句の網に掛かり、のちのち後悔しないよう、本質をしっかりと見極めたい。 そして、子供なら、 自分が自由に泳げ、しっかり係わり合いの持てる塾を。 親なら、 わが子を安心して泳がせ、笑顔と力を引き出してくれる塾を。 じっくりと見定めて欲しい。 わが教室は、チラシはあまり撒けないが、 子供たちに掛ける心は、どこにも負けないと思っている。 いま教室を埋めている生徒たちは、みな、活気のある授業を体感し、 塾と係わり合う喜びを、ここで初めて知った仲間たちだ。 沈んだ子供の顔は、もう見たくない。 正しい塾人は、みんなそう思っている。
2007.03.05
成績を上げるためには、まず知識が必要だ。 そのために、みな、「暗記」 というインプットを繰り返す。 そして次第に、その知識を使い、「解く」 という作業に移っていく。 ここでは当初、インプットの 「質」 と 「量」 の差が、そのまま結果になって出てくることが多い。 知っていれば解けた。 知らないから解けない。 知識の定着を問う問題などには、単純明快な原理である。 今期も生徒たちに色々な仕掛けをしてきたが、その過程である発見があった。 一度やった同一問題を、再度解かせた時だ。 間隔は3か月ほどだろうか、前回やった時はほとんど出来なかった設問。 それが、格段に正答率が上がっているのだ。 同じ問題ならば当然と思うだろうか。 だがこの定着には大きな意味があると、私は思っている。 「解く」 という行為を繰り返していくと、似たような問題に出くわす。 生徒は、前に同じような問題をやったなと思いながら、その時の解法を探ろうとする。 ヒントを探し、紙面に形を作ろうとする。 同一問題ならば、それは見事に重なるだろう。 知識が解く上での 「道具」 ならば、 知識を駆使して行う解法は 「手順」 であり 「技術」 である。 解くためにはこの技術の上達が必要だが、そのためには、基本の反復という作業が最も効果がある。 我々は問題を与える時に、一度やったものをリストから除外するのが一般だ。 《間違ったところをよく見直しておけ》 と告げて。 だがこれには大きな落とし穴がある。 一度やったからといって、生徒が理解しているとは限らないのである。 見直しも、しない生徒はまったくしない。 暫くしてから試すと、当然のごとく、やはり理解していない。 「同じような問題、この前やっただろ」 という師のセリフは、計画の甘さそのものである。 いわゆる 「重要問題」、「ベタ問題」 の正答率を上げるにはどうすればいいか。 簡単である。 その問題を反復させることだ。 「解法」 も、そのまま 「知識」 として定着させてしまうのである。 その過程で 「同一問題の仕掛け」 が意味を持ってくる。 同じ問題であれ、満点を取れば、生徒は自分の上達を実感でき、自信に繋がっていく。 そういったストックを幾つも作るのである。 核になる問題の解法が、即答レベルにまでマスター出来れば、類似題の正解も飛躍的に増えてくる。 次にはその類似題も反復させていく。 よく応用が利かないと言うが、応用が利かない生徒は、ほとんど間違いなく基本を疎かにしているものだ。 そういう生徒ほど、基本の同一問題の刷り込みが必要に思える。 「解く」 という作業は、回数を重ねていくと、 やがて 「知らなくても解ける」 という感覚が芽生えてくる。 応用力というものだが、それは問題形式が変わっているだけで、実は解き方を知っているのである。 その根幹には 「重要問題」 や 「ベタ問題」 の定着度が必ず存在している。 今期の指導を通じて、問題の与え方を自分なりに工夫してみようと思った。 知識分野に偏っていた定着の確認を、形式を持った問題にまで広げてみる。 一度やったから。 いや、重要ならば何度でもやる。 見た瞬間にすぐ解法が 「知識」 として閃くまで。 成績を上げる技術のヒント。 来期は、戦略的に色々与えていこう。
2007.03.04
今日は中1、中2生の「北辰対策」がある。 中3生の授業も、3月在籍組を除いて今日で殆ど終了。 完全に主役が引き継がれた感じだ。 中2生にとっては、いよいよ受験態勢の開始。 結果を出す必要のある秋口の北辰まで、もう半年となった。 この3月は、2年生までの総ざらいをしっかりやっておけよ。 3年生になると、内申対策で、復習している暇がなくなる。 来週から生徒の個別面談を始めるが、 ヒントをしっかり聞いて、受験の計画と実践に活かすことだ。 学習のコツは、時間の掛かる暗記物を先にどんどん進めること。 1年生もそうだが、どうせ春からやらなくてはならない上級学年の内容を、早くチェックしなさい。 数・理・社の教科書の下調べ、英単語・漢字のリスト作成、やっておくとかなり役に立つぞ。 それを「攻めの勉強」と言うのだ。 いいか、受験で苦しむ者は、暗記が後手になり攻めきれない者だ。 知識が乏しいから解けない。 解けないから、受験直前になって慌てて覚える。 そして不十分なまま、しかも「解く」という練習も出来ずに、時間切れとなる。 そうならないように、早く攻めて、試験に対応できる武器を装備しよう。 勉強は運動と同じ。 練習を重ねた者が力を付けていく。 毎日の計画を大切に消化していこう。 1月受験まで、 2年生は、あと10か月。 1年生は、あと22か月。 2年生よ、君らは10か月前に何をしていた。 ちょうどゴールデンウィークの頃、のほほんと遊んでいたのではないか。 それから10か月。 10か月などあっという間だということを、しっかりと自覚しておきなさい。 1年生も侮ってはいけない。 時は確実に君の前から消えていっている。 昨日の時も、今日の時も、そして受験前の時も、 価値は一緒なのだ。 今日の奮起、期待している。
2007.03.03
最近、こちらの先生の記事を拝見して、なるほどと思った。 先月の終わりごろの記事で、「子供の誉め方に」ついて述べられている。 簡単に言うと、「子供との会話では、誉め言葉は最後に持ってくるように意識しよう」というものだ。 例として、テストの点を見た時の感想の言い方が挙げられている。 「英語はすごくいいんだけど、理科がね・・・・」 「理科は悪かったけど、英語がすごくいいね!」 いずれも、「英語が良く、理科が悪い」ということを言っているのに、聞き手の感じ方はまったく変わってくる。 前者では、英語の良さよりも、理科の悪さが強調されてしまう。 子供は、英語の得点を誉めてもらえると期待していたのに、逆に否定されたような格好だ。 聞き手によっては、英語は「このくらい取れて当たり前」のようにも聞こえる。 後者は、逆に、理科の悪い点を英語を誉めることで打ち消し、英語の良さがとても強調されている。 聞き手にも、「よく頑張ったね」と誉めてもらったプラスの印象が残る。 なぜ、ちょっとした言い回しで、こうも印象が変わってしまうのか。 それは言葉の途中の「けど」という、打消しの表現に原因がある。 打消しや否定の語は、その前の内容に掛かるものであり、後の言葉を引き立たせる。 「AだけどBだ」は、Bに主眼が置かれた言い方というわけだ。 なるほど、我々が普段使っている表現にも、確かにそういった感覚はありそうだ。 言っている方は気付かなくても、言われた方の捉え方は大きく違ってくる。 特に子供に対しての声掛けは注意が必要だろう。 「お前はすごく性格はいいんだけど、勉強はいつもダメだな」 「お前は勉強はいつもダメだけど、性格はすごくいいよな」 さあ、どちらの方が子供にプラスのストロークを与えるだろう。 順序が違うだけで、同じことを言っているのである。 いかに「誉められた」という印象を与えてあげ、次の行動へのモチベーションに繋げていけるか。 大人の気配りひとつで、随分変わってくるのではないだろうか。 ちょうど今、中学生は学年末試験が返される時。 結果に対し悪い点を強調しても、強い意欲は芽生えて来ない。 いつもの感想の言い方について、ぜひ一度考えてみてはどうだろう。 「前回より10点上がったけど、まだ平均以下じゃないの!」 「まだ平均以下だけど、前回より10点上がったね!」 もうお分かりですね。
2007.03.02
年季の入った黒い手提げカバン その外側にぶら下がっている湯島天神のお守り 引き出しの奥で眠っている大切な人からの手紙 部屋の隅の名も知らない観葉植物 何度も開いた去年の教科書たち おどけた顔でポーズをとる棚のマスコット人形 3年前友達と撮った公園の記念スナップ 書棚で傾いている使い古した英語の参考書 失敗した手袋のイニシャルの刺繍 誕生日にもらった紅い洋風のキャンドル 小学校6年の途中で止まっている日記帳 その表紙の懐かしいビーズの刺繍 壁に貼りついた入選の2枚の賞状 手垢のついた古めかしいケースのない国語辞典 お気に入りの絵が底に眠る白いマグカップ 夕陽に映えるデュシャンの水彩画 そして 思い出として残る机の小さな小さな傷・・・ 道に迷い 悩んだとき そっと目を閉じてみよう きみが思い描く ありふれた部屋の風景たち 心の道標は いつも そんな身近にあるものだ
2007.03.02
受験もひと段落し、在校生のテスト前の授業日程変更も重なり、今日は夜まで授業がない。 中1・中2生の学年末試験は、ほぼ今日で終了した。 1、2学期が不振だった者は、どこまで好結果を出せたのだろう。 来週前半で結果が揃ってくるだろうが、対策期間の反省は必ずするように。 特に今回は、科目によっては学年の復習の色が濃い。 見直しが不十分だった生徒は苦戦したのではないか。 気になるのは中2生だ。 ここのところ全体的に真剣さが感じられ、各人の奮起が楽しみでもある。 先輩たちの受験も終わり、いよいよ自分たちの番だという雰囲気が出始めた。 毎年のことだが、このバトンタッチの期間は、不思議と教室が静かだ。 試験前には、自習に来て、自己と闘っている仲間もいた。 モチベーションの上昇が、好結果に繋がることを期待している。 受験というものは時が来ればやってくる。 あと何日だろうか・・・・ そういう意識も、先輩たちの様子を見ながら芽生えて来たのだろう。 今、力がないからといって、諦めてはいけない。 みんな似たようなものなのだ。 力を付けるには、自分自身で技を磨き、攻め込んでいかなくてはならない。 毎日の実績を記録してみよう。 努力した、頑張った、汗の実績を。 限られた時間の大切さが、きっと分かるだろう。 これからは君たちに、沢山のメッセージを与えていく。 どう思い、どう使うかは、君しだいだ。 今年の桜は先輩たちのために、 そして、来年の桜は君たちのためにある。 1年は早いぞ。
2007.03.01
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