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国連日本人委員長を「即時解任せよ」慰安婦問題「不当見解」 「国民運動」が外相宛に署名提出国連女子差別撤廃委員会は今年3月、慰安婦問題をめぐる昨年末の日韓合意を批判する最終見解を公表した。これが日本政府の説明を無視した不当見解だとして、「慰安婦の真実国民運動」(加瀬英明代表)は28日までに同委員会の林陽子委員長(日本弁護士連合会所属)の即時解任を求める1万1532筆の署名を、岸田文雄外相宛てに提出した。「林氏を、同委員会の委員に推薦したのは日本政府に責任がある。国民の怒りは大きい。即時解任していただきたい」国民運動の幹事である拓殖大学の藤岡信勝客員教授はこう語った。~署名文は、《(同委員会は)日本政府代表の詳細な事実関係の説明を一切無視した》《日本の教科書への慰安婦問題の記述を求める、内政干渉も行った》と指摘した。さらに、同委員会が最終見解案に、皇位継承権が男系男子の皇族だけにあるのは女性への差別だとして、皇室典範の改正を求める勧告まで盛り込んでいたことや、林氏について、次のように厳しく批判した。《日本の国体や伝統・文化に敬意を払うことなく、いたずらに皇室を貶める》《国連委員会の分を超えた暴挙であり、断じて許されない》《林委員長を国連に推薦した外務省に対し、林氏の即時リコールを強く求める》《国会に対しては事実の経過と責任を明らかにするため、林氏を喚問するよう要求する》日本の国柄や歴史・伝統を無視した同委員会への激しい怒りといえる。前出の片山氏は「女子差別撤廃委員会の委員は国会の同意人事ではないが、極めて重要なポストだ。国連を、透明性・客観性が担保された完全無欠の機関であると妄信すること自体が間違い。(解任が難しくても)次に同じような人物が選ばれないようにしなくてはいけない」と語った。---記事をごく簡単に要約すると、「国連女子差別撤廃委員会の委員長を日本政府(とそれを支持する極右勢力)の言いなりになる人物に挿げ替えよ」ということです。そもそも女子差別撤廃委員会とは、国連人権理事会が設置している専門委員会のひとつです。その目的は、外務省のホームページによれば人権と基本的自由の保護・促進及びそのための加盟国への勧告大規模かつ組織的な侵害を含む人権侵害状況への対処及び勧告というものです。(それ以外にもいろいろあるけれど)大規模かつ組織的な人権侵害を引き起こすものは何か。基本的には権力を握る者です。イスラム国とか、麻薬マフィアそのほかの犯罪組織などのように、国家権力以外にも地域的、部分的な権力が人権を侵害する例はありますが、もっとも広範囲、大規模な権力は国家(政府)であり、人権侵害のもっとも大規模かつ深刻なものも、多くの場合国家によって引き起こされます。また、国家以外の権力による人権侵害を含めて、それに対処すべき一義的責任者はその国の政府、ということになります。(国家以外の権力組織が大規模な人権侵害を引き起こしているような事例では、政府が当事者能力を失っていることが多いのですが)つまり、人権を守るということは、否応なく政府に対して物申す態度が必要になります。国連人権理事会では北朝鮮の拉致問題やシリアのアサド政権による様々な弾圧も俎上に登っていますが、北朝鮮政府やシリア政府の意向に対して忠実な委員が、それらの問題についてまともに取り組めると思いますか?その人権理事会に政府の意向に忠実な人物を送り込もう、というのは、言い換えれば「わが国は人権に関して他国からの意見を聞く気はありません」と、国内外に声高に宣言するのと同じことです。ひいては、「わが国は人権を守るつもりはありません」ということにすら、つながるでしょう。極右安倍政権の熱烈支持者だけが大喜びして、世界は呆れるでしょうね。そういえば、10年くらい前にも似たことがありました。米国下院で慰安婦に関する決議が採択されそうになると、日本の自称愛国者たちが、ワシントンポスト紙に日本のネトウヨ言説を英語にしただけの意見広告を出した。そうしたら、米国下院の慰安婦決議は、不採択どころか、むしろ賛同者を増やす結果になりました。以前から何度か書いていますが、太平洋戦争当時から、自称愛国者の妄動が国を危うくしてきました。今回もその例に漏れず、です。日本の誇りを世界に発信などと、産経や、その系列の極右連中は言いますが、実際それを聞いた相手がどう思うか、なんてことは考えちゃいない。「世界に訴えている愛国者」の姿を、国内の支持者に見せたいだけです。自分たちだけが「国の誇り」に感動し、周りからどう見えるかは考えない。そんな自称愛国者たちの「日本の誇りを世界に発信」を突き詰めていけば、どこかの国の国営放送が、感情過多なアナウンサーの声で「偉大なる首領様」を褒め称える、あれと同じことになるでしょうね。それが歴史戦とやらの行き着く果てでしょうね。それは、わたしには「自虐」としか思えませんけどねえ。
2016.11.29
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フィデル・カストロ氏死去=キューバ革命の英雄、90歳―「反米」の精神的支柱1959年にキューバ革命を成し遂げ、反米勢力の精神的支柱として国内外に強い影響力を与えたフィデル・カストロ前国家評議会議長が25日、死去した。90歳だった。死因は明らかにされていない。実弟のラウル・カストロ議長が国営テレビを通じて「キューバ革命の最高司令官が今夜(25日夜)午後10時29分、死去した」と発表した。遺体はフィデル氏の生前の意向で火葬され、9日間の服喪期間を経て12月4日に埋葬される。葬儀委員会が26日に開かれ、詳細が公表される見通し。半世紀近く国を統治したフィデル氏が2008年に議長を退いた後、キューバはラウル氏を中心とした集団指導体制に移行しており、フィデル氏の死去が政権に与える影響は限定的とみられる。ただ、ラウル氏は既に18年の引退を表明している。米国と国交を回復した政権が世代交代を急ぐ中、カリスマ的指導者の死は、変化の時代を迎えた国民の動揺につながる可能性もある。---ついに、そのときが来てしまいました。90歳という長寿をまっとうしましたが、それでも亡くなったという事実には残念な思いを感じます。世界にはいろいろな政治家がいますが、その中でも私がもっとも尊敬する人の一人でした。カストロは、まず稀代の革命家でありました。ただし、その作戦は、冷静に考えれば無謀そのものです。1953年、130人の仲間とモンカダ兵営を襲撃したものの、あえなく失敗して80名が戦死、カストロは逮捕されました。しかし、有名な「歴史が私に無罪を宣告するであろう」という弁論(カストロは弁護士なので、裁判では自分で自分の弁護を行った)で死刑を免れてメキシコへの国外追放を勝ち取ります。そして、再度メキシコで同志を募り、グランマ号という中古の小型ヨットを購入し、同志80人あまりが舷側にしがみついてキューバに上陸作戦を敢行。しかし事前に情報が漏れていたため待ち伏せにあい、80名あまりの中で、上陸作戦を生き残ったのは、わずか12名です。その中に、フィデル自身と弟のラウル、アルゼンチン人の医師チェ・ゲバラもいました。たった12人が山中に取り残され、どこからの支援もなく、もはや滅亡は時間の問題だったはずですが、ここから彼らは大逆転で革命に成功します。周辺の農民を次々と味方に引き入れ、革命軍の勢力は急激に拡大、一方のバチスタ独裁政権側の軍の士気は低く、雪崩を打つように敗退、逃亡し、1959年1月1日、カストロの革命軍は首都ハバナに入り、革命が成功します。グランマ号上陸作戦からわずか2年、最初のモンカダ兵営襲撃失敗から数えても、5年半に過ぎません。致命的な失敗を2度も繰り返しながらの逆転勝利。もちろん、カストロが革命家として優れていたのですが、それだけではなく、当時のバチスタ政権が腐敗の極みにあり、軍の士気・規律も極度に低下して、いわば誰かがちょっと押せばすぐにも倒れる朽木の状態になっていたこと、そのために後ろ盾の米国も見捨てたこと、つまりカストロにとっての幸運も大きく作用しました。それに対して、革命が成就した後のカストロ政権は、目と鼻の先にある超大国米国と抜き差しならぬ対立関係に陥り、極めて不利な状況に陥ります。それまでもっていた幸運は、革命の成功ですべて使い果たしてしまったかのようです。が、それでも、世界一の超大国に対して一歩も引くことなく、キューバを生き残らせてきました。カストロが真に稀代の才能を発揮したのは、革命家としてではなく政治家としてであったのかもしれません。たまたま偶然、先日図書館で「カストロとフランコ-冷戦期外交の舞台裏」(細田晴子著・ちくま新書)という本を借りて、読んだところでした。スペインのフランコ将軍は、1936年、社会労働党(PSOE)と共産党を中心とする人民戦線政府に対して反乱を起こし、4年近い激しい内戦に勝って、以降死去する1975年まで独裁体制をしきました。フランコはナチスとムッソリーニの支援を受け、一方人民戦線は旧ソ連やメキシコ、世界各国の左派勢力から支援を受けていました。そのため、フランコ政権は旧ソ連とは国交断絶、その後社会主義国となった国々ともほとんど国交を結びませんでした。が、そのフランコ政権がただ1カ国、国交を維持した社会主義国がカストロのキューバだったのです。ファランヘ党(ファシスト)のフランコと社会主義者のカストロ、水と油のように見えます。実際、キューバ革命には、フランコに追われたスペイン人民戦線関係者も参加したし、革命後は人民戦線派の亡命者も少なからず受け入れていました。しかし、それにもかかわらず、フランコとカストロの、あるいはスペインとキューバの間には深いつながりがあったのです。前掲書によれば、二人ともルーツがスペインのガリシア地方にあるのだそうです。フランコはガリシア生まれ、カストロはキューバ生まれですが、祖先はガリシアからの移民でした。直接会う機会はなかったものの、二人には同郷の好がありました。そして、フランコは、左右の違いはあっても、自分と同じように(いや、もっと不利な条件から)実力で政権を奪い取ったカストロにひそかなる敬意を抱いていたようです。ただし、そういった個人の好悪の情だけでスペインとキューバの関係が維持されたわけではありません。もうひとつ、スペインにとって、キューバは特別な国であったという事情があります。キューバがスペインから「独立」(名目的な独立と同時に米国の半ば属国状態に陥ったけれど)したのは1902年です。南米、中米、メキシコの大半の国がスペインから独立したのは1820年代なので、スペインにとってキューバは、アメリカ大陸で一番最後まで残っていた植民地だったのです。その意味で、元々スペインとキューバには深いつながりと親近感があった。革命の時点で、キューバには50万人のスペイン人が在住していたそうです。更に、第二次大戦後フランコ政権のスペインは国際的に孤立していました。ナチスとファシストの支援を受けたフランコ政権は、第二次大戦中巧妙に立ち回ってナチスドイツ側で全面参戦せず、また戦後の東西冷戦で米国がスペインに基地を必要としたことから、米国の後押しで生き残りました。しかし、周辺のヨーロッパ諸国がフランコを心から許すはずがありませんでした。一方のキューバも孤立していた。米国と激しく対立し、その米国の息がかかった親米政権からは表向きは関係を切られて、アメリカ大陸の中に味方がいない(後述するように、メキシコとベネズエラからのひそやかな支援はありましたが)状況です。互いに、近くに味方がいない状況が、両国を結びつけたのです。その関係は、何度か危機に遭遇したものの、外交関係が断絶することはありませんでした。それどころか、スペインとキューバの経済関係は年々拡大していきました。その取引は、時には実質的にスペインによるキューバ援助に等しいくらいキューバ側に有利な条件だったこともあるようです。そのため、CIAの支援を受けるマイアミの反カストロ派がスペインの貨物船を爆破する、という事態すら起こっています。ところで、ストロは、元々キューバ革命を戦っていた頃は、単なる民族主義者であって、社会主義者ではありませんでした。その当時のキューバ共産党の中央指導部とは関係を持たず、むしろバチスタ政権に協力した過去を持つ共産党中央を嫌っていました。(バチスタ政権は、その初期にはキューバ共産党と連立政権を組んでいた)ただし、党中央の意向を無視して個人としてカストロの革命軍に馳せ参じた共産党員や関係者は大勢いました。その筆頭が、弟のラウルでしょう。兄フィデルと違い、弟のラウルは、革命前から共産党系の学生組織に所属していました。カストロは、当初は米国と全面的に敵対するつもりもなかったようです。ただ、キューバの真の独立を求めてはいた。つまり、政治的にも経済的にも米国に首根っこを押さえつけられた状態で妥協するつもりはなかったのです。そのため、キューバにおける権益を失うことを恐れる米国の激しい攻撃を招きます。カストロは生き残りのために旧ソ連に接近し、その過程で社会主義者を名乗るようになります。更に、自ら率いてきた革命派「7月26日運動」が旧来のキューバ共産党(当時は人民社会党という党名に改称)を併呑しました。よく言われるように、米国の対応が、フィデルを社会主義者に追いやった、という側面も否定できません。しかし、前述のとおり、フィデルが頼ったのは、決して旧ソ連だけではなかったのです。フランコ政権のスペインも頼った。そして、実はメキシコとベネズエラ(もちろんチャベス政権など、まだ影も形もない時代の話しです)もひそやかにキューバを助けていました。旧ソ連のキューバに対する援助は、キューバの特産品である砂糖を国際価格より高く買い取り、石油を国際価格より安く売る、という手法で行われました。しかし、その旧ソ連がキューバに販売した石油は、全てがソ連本国から送られたわけではないのです。どのくらいの分量かは知りませんが、ソ連がメキシコやベネズエラから買い付けてキューバに転売した石油もあったようです。メキシコもベネズエラも、ソ連が買った石油がキューバに行くことは知っていた。それでも平然と売っていました。そのような形で、裏側でキューバを支えた国は、少なくありません。そして、フィデルは、米国の経済的、政治的支配には屈しない、という目的のためには、手段を選びませんでした。ソ連の支援を受けつつも、ソ連だけの支援に頼り切ることはしなかった。頼れるものとは何とでも手を組み、また逆に貧しい国でありながらもずいぶんいろんな国に支援も行っています。冷戦末期のことですが、チェルノブイリの被爆者の受け入れも行っていました。それらの支援が、いつか自分の国に返ってくることもあると踏んでいたのでしょう。キューバがもっとも決定的な窮状に追い込まれたのは、旧ソ連が崩壊して冷戦が終わったときです。旧ソ連からの援助が途絶して、米国の激烈な経済封鎖はそのまま。かなりギリギリの状態まで追い込まれましたが、それでもしぶとく生き残ってきました。旧ソ連からの援助だけに頼りきっていたら、そのとき崩壊していたでしょうが、観光産業や、高い水準の医療を外貨獲得の手段として活用したこと、それまで耕作地の多くが砂糖とタバコの栽培に費やされていて、食料の自給ができていなかったものを、有機農法の拡大で石油の消費を伴わずに食料自給率を上げることに成功したことなどが作用したようですが、おそらく、このときがもっともフィデルの政治手腕が問われた時代でしょう。キューバ革命を成就し、その革命政権を、米国の支配に屈することなく維持し続ける、そのために取れる策は、何でもとった。稀代の現実的政治家です。そして、いわゆる独裁者にありがちな、引き際の誤りがなかった。自らの健康状態が衰えたと知ると権力の座を降りたため、彼の死によって政権が揺らぐこともないでしょう。後継者であるラウル・カストロも、再来年、2018年に引退することをすでに明らかにしているので、キューバ革命を成し遂げた老兵は、偉大な功績を残しつつ、静かに退場していくことにことになるのでしょう。謹んで、偉大なるフィデルに哀悼の意をささげます。
2016.11.27
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「替わってくれよ」優先席を巡り老人と若者が口論 ネットで論争にさまざまな人たちが利用する電車。見ず知らずの人たちが利用するため、トラブルが発生してしまうことも。その中でも「優先席」については頭を悩ませる問題であり、乗車中に「席を譲るべきだろうか」と考えたことがある人もいるだろう。これに関して、若者と老人による優先席でのトラブルが注目を集めている。■優先席だから席を譲るのは当然?ことの発端は、とある若い男性が自身のTwitterに老人男性とのやり取りを動画として投稿したこと。以下、動画内容を箇条書きで説明すると......・老人の男性が、カメラを回している若者の男性に指をさし、高圧的な態度で「日本語通じないのか?」と発言。それに対し、「もう一回言ってみろ」と言い返す・「替わってくれって言ってんだよ、席を」「優先席だから」と老人が若者に詰め寄る。おそらく、老人が席を譲ってくれるように若者に頼んだが、それを拒否したため口論になり、若者が撮影を始めたのだと思われる・それに対し若者も「なんでだよ」「そういう人に譲りたくないわ」と徹底して拒否・老人は「あなた日本人じゃないの?」「そこが優先席だってわかってんだ」と挑発的な態度。老人の横にいる人が仲裁するも、続けて「日本人じゃないのか」と発言動画投稿をした若者は、のちに以下のツイートをしている。私は優先席を譲りません‼︎なぜなら先日、今にも死にそうな老人に席を譲ろうとしてどうぞと言ったら「私はまだ若い」などと言われ、親切な行為をした私がバカを見たからです。今後とも老人には絶対に譲りません。(以下略)---問題の動画を見ましたが、非常に不快感を感じるので、ここにリンクは貼りません。相手の高齢者が高圧的なようにも見えますが、それ自体、都合の良い部分だけを切り取っている可能性が否定できませんし、そもそも、トラブルの相手の動画を公開するという行為自体に好感を持つことができませんから。優先席を譲らない理由というのが、全然理由になっていませんし。「今にも死にそうな老人に席を譲ろうとしてどうぞと言ったら「私はまだ若い」などと言われ、親切な行為をした私がバカを見た」という一例のみを以って、だから今後一切(すべての高齢者に対して)席を譲らない、というのは、先に結論ありきの取ってつけたような不自然さを感じます。優先席というのは、そもそもが高齢者や障害者、病気、怪我、妊婦などが優先して座れる席なので、健常な若者がそこに座って高齢者に席を譲らないのは、どう考えてもルール違反です。本人のツィッターを見ると、自称発達障害なのだそうです。あくまでも自称なので事実かどうかは分かりませんが、一連の流れからは事実である可能性は高そうに思えます。障害があるから非常識な行動を取ってよい、というものではありませんが、その一方で、発達障害や境界性人格障害などで非常識な行動を取る人がある程度存在するのも現実です。とはいえ、さらに驚くべきは、そのような非常識な行動に賛意を示す意見が少なからずある、ということです。確かに、動画だけを見れば、前述のように相手の高齢者も高圧的な態度のように見えますが、動画に写っている以前の時点でどのような経緯があったのかが分からない以上、動画だけで判断するのは早計です。ちなみに、私も、高齢者に席を譲るという行動はちょっと苦手です。なので、私は席が空いていようがいまいが、優先席には座りません。座っていなければ譲る必要もないので。ただ、優先席ではない一般席には、さすがの私も空いていれば座ります。そういうときに前に高齢者が立つと、さてどうしたものかと、正直言って思います。わざとらしかったり恩着せがましかったりする行動は取りたくないので、何も言わずに黙って立って、お礼の言葉など言われないうちに、即座にその場を離れてしまう(時には、目的地の駅に着いたから席を立ったように見せかける)ことが多いです。ま、そんなことを言いつつ、もはや私自身若くもないので、席を譲る立場より譲られる立場になる年になるのも、そんなに先のことではないかもしれませんけどね。
2016.11.25
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「3・11」余震 今後もM7級警戒 気象庁が説明東北地方を中心に各地に津波をもたらした22日早朝の地震は、5年8ヶ月前の東日本大震災の余震だった。気象庁は「大震災はM9と非常に規模が大きかったため、その影響も長く続く。余震はまだ活発な状態で、今後も年1回程度はM7クラスの余震が起きてもおかしくない」と、日ごろの備えをあらためて呼び掛けた。東日本大震災の余震域は岩手県沖から房総沖にかけて、沿岸部から東の沖合200km以上の日本海溝付近まで及ぶ広大なエリアだ。この余震域では、2011年にM7・0~7・6の余震が計6回発生。12年12月7日にも三陸沖でM7・3の余震が起き、津波警報が出て宮城県石巻市で98cmの津波を観測した。13年10月26日には福島県沖でM7・1、14年7月12日にも福島県沖でM7・0、15年2月17日には三陸沖でM6・9と、津波を伴うM7前後の余震が毎年起きている。今回の地震のメカニズムは、北西と南東に引っ張られる力が働いたことによる正断層型。東日本大震災は陸側のプレートと海側のプレートの境界が大きくずれ動いて起きたが、今回はプレート境界より上にある陸側のプレート内部で発生したとみられる。陸側のプレート内部がおおむね東西方向に引っ張られる原因について、気象庁は「(大震災の発生時に)陸側のプレートが東へ大きく動いた影響が考えられる」と説明している。---昨日の地震は驚きました。実は、その瞬間はまだ布団の中でした。揺れ方から「遠くの大きな地震の可能性もあるな」とは思ったのですが、布団から出るのが面倒で、睡眠の続きを選んでしまいました。30分後起き出して、津波警報が出ていることを知ったときには、どちらかというと「やっぱり」という印象でした。今回の地震も、東日本大震災の余震になるのですね。あれから5年半が経過していますが、地震はまだ終わっていない、ということです。「余震」といっても、今回の地震の規模はM7.4もあります。4月に起こった熊本地震は1回目がM6.5、2回目がM7.3、1995年の阪神淡路大震災もM7.3ですから、ほぼ同規模なのです※。※いずれも気象庁マグニチュードの数値。米国地質調査所のモーメントマグニチュードでは、今回の地震と阪神淡路はいずれもM6.9、熊本地震の2回目がM7.0になります。ただ、震源が陸地から多少離れていたので、陸上での揺れは、最大深度5弱にとどまり、津波も最大1.4mだったので、人的被害はなくて済みました。もっとも、東京でも鉄道網が止まったり遅れたりしたので、朝の通勤はちょっと大変でした。私自身は遅刻しないで済みましたが。今後も、M7クラスの余震はまだまだ続く、ということです。東日本大震災のM9.0以来、、地震の規模に関して感覚がインフレーションを起こしていますが、M7クラスというのは普通に大地震です。今回は人的被害がなかったとはいえ、震源がもっと陸地に近かったり、もう少し規模の大きな余震であったりした場合は、揺れがもっと大きかったり、津波がもっと高かったりする可能性は充分に考えられます。2004年にあったスマトラ沖地震の場合は、その後、3ヵ月後にM8.6、3年後にM8.5、7年半後にM8.5という地震が続いています。余震と呼ぶにはあまりに規模が大きく、震源の位置も離れているので、これを「余震」とはあまり呼びませんが、スマトラ地震に連動して起きた地震であることは間違いありません。3.11の場合は、これまでのところM7クラスまでの余震しか起こっていないし、地震直後には確実視された、連動する火山噴火もほとんどありませんでした。(御嶽山や箱根の噴火を3.11と連動したと言い得るかどうかはちょっと微妙)でも、まだ終わりではありません。これからも余震、あるいは連動地震の可能性は、長く続くと考えざるを得ないし、スマトラ沖の例から考えると、それらの余震(あるいは連動地震)がM7クラスで収まるかどうかも、確実とは言えないでしょう。震災の1ヵ月後のことですが、2011年4月14日に読売新聞が「東日本大震災の震源域の東側で、M8級の巨大地震が発生する可能性が高い、早ければ1か月以内に津波を伴う地震が再来する危険がある。」と報じたことがあります。もう、やめてくれ・・・・・・(読売新聞の元記事はリンク切れ)結果として、「早ければ1ヶ月以内に」という部分の予測は外れたわけですが、記事の趣旨としては「明治三陸地震(1896年)の37年後、昭和三陸地震を起こしたメカニズムと共通している」という点に主眼があります。「1ヶ月以内」という部分は外れたにしても、全体としては、この予測は現在もまだ生きているのではないでしょうか。
2016.11.23
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昨日になりますが、紅葉の景信山と高尾山に登ってきました。毎年必ず登る高尾山ですが、昨日は登る前から混雑が予想されたこと、さすがに高尾山だけでは物足りないかなと思ったことから、景信山から登ることにしました。高尾山は数え切れないくらい登っていますが、実は景信山はかなり久しぶりで、いつ以来か覚えていませんが、少なくとも今世紀に入ってからは初めてだと思います。景信山の登山口となる小仏バス停です。家を出た時間があまり早くなかったのに加えて、途中山手線が遅れたり、京王線も遅れたり、高尾駅から小仏行きのバスも、渋滞のため遅れていたりで、結局小仏バス停に到着したのが11時10分過ぎになってしまいました。バスも満員だったのですが、途中で降りる人が多くて、終点の小仏まで乗った人は十数人というところだったでしょうか。すでに、バス停には下山してきて帰りのバスを待っている人も少なくない時間でした。京王線が満員で立ちっぱなしだったので、この時点で結構体力を消耗していたのですが、歩き出したのは上記の撮影データによると11時19分、小仏峠には11時分51分に到着しました。案外快調に歩いたようです。ギリギリお昼前に通過しました。紅葉真っ盛りです。更に景信山を目指します。昨日は晴れていて暖かかったので、汗だらだらです。昨日午前中は晴天でしたが、前日は雨だったので、登山道は濡れて滑りやすくなっていました。景信山に到着。12時15分に着いたようです。小仏バス停から1時間はかからなかった計算です。かなり人が多いな、と、このときは思いました。高尾山はこんなものじゃない、ということを後で思い知らされましたが。景信山山頂からの景色です。これも景信山からの景色です。先ほどの茶屋から少し先に進んだところからの撮影です。東京は広いねえ。アザミが咲いていました。こんな晩秋に咲くんだ?と思って調べたところ、アザミの仲間ってものすごくいっぱい種類があって、花期が秋の種類もあるようです。これが何アザミかは分かりませんが。これも景信山です。で、景信山から陣馬山へ向かうこともちょっと考えたのですが、時間もそろそろ1時になる頃だし、高尾山方面に引き返すことにしました。登山道は濡れてつるつるだし、足元は登山靴ではなくジョギングシューズなので、やや慎重に下りました。でも、実は小仏峠から景信山までは、たいしたことはなかったのです。小仏峠から城山方面の登山道が、泥沼と化していて、急斜面ではないので滑ったり転んだりはしませんでしたが、靴がドロドロになってしまいました。途中、眼下に相模湖が見えました。城山に到着。ここにも茶店があって、人は大勢いました。ここは通過しただけです。更に進むと、一丁平に到着。ここで、お約束の笛の練習です。(実は、この間、あまり人目に触れずに笛が吹ける場所を探しながら歩いていました)例によって笛一式を持っていきました。さすがにハードケースは持っていけないので、最小限ですけどね。それに、他の荷物が多くて、フルートはザックに入りきりませんでした。30分くらいみっちり練習。一丁平から更に高尾山に向かいます。このあたり、登山道沿いにモミジが紅葉真っ盛りです。紅葉台まで来ました。富士山です。夕方近いので、逆光になってしまい、シルエットしか分かりませんが、すでに冠雪しているはずです。そして、高尾山に到着・・・・・・山頂は、すごいことになっていました。ここは渋谷か原宿か、花見の時期の上野公園か、というくらいの混雑。人があふれています。前々から高尾山は人が多い山ではありましたが、こんな異常な混み方はここ数年ではなかろうか。10年前と9年前に、子どもと一緒に高尾山に来たのは、やはり11月の週末でしたが、混んではいたけれどここまでひどくはなかったように思います。それに、外国人が多い。これは、日本全体に訪日外国人が激増していることの反映でしょう。表参道を下山したら、ほとんど初詣の境内の雰囲気でしたよ。こんなことなら、景信山からこちらに向かわず、陣馬山に向かえばよかったかな、と思ってしまいました。今更言っても遅いですけど。ケーブルカーの乗車待ちは長蛇の列。もちろん、私は最初からケーブルカーを使うつもりはありませんでしたが、あれでは相当足の遅い人でも、ケーブルカーより徒歩のほうが速いだろうなと思いました。みんな同じことを思ったのでしょう。ケーブルカーの駅を過ぎても下山者の数は減りません。金比羅台から少し下ったあたりで、誰か怪我でもしたのでしょうか、パトカーと消防庁のバイク(消防車はここまで入れないのでしょう)が来ていました。結局、4時頃高尾山口駅に到着。しかし案の定京王線は超満員。もちろん立ちっぱなしで帰宅しました。山そのものは非常にライトな山歩きでしたが、行きと帰りで体力を消耗して、ヘトヘトになって帰宅しました。
2016.11.21
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JR北海道 資金不足限界に 維持困難路線5割公表在来線の総延長の約5割を「維持困難な路線」と公表したJR北海道。その背景には、経営安定基金の運用低迷に加え、安全投資負担が重くなったことがある。国鉄分割民営化で発足したJR「3島会社」のうち九州は株式上場を果たし、明暗が分かれた格好だ。「民間企業として維持できるレベルを超える路線は赤字削減や路線のあり方を相談させてほしい」。札幌市内で記者会見したJR北の社長は苦渋の表情で自治体に協力を求めた。過疎化が進む広大な北海道で、JR北の経営難自体は当初から予想された。このため国は6822億円の経営安定基金を設け、高い利率の運用で赤字補填を狙った。しかしバブル崩壊後に運用益は減少し、当初見込との差は累積約4500億円に上る。不動産事業などの多角化も、JR九州ほどの成功には至らなかった。資金不足は安全面にしわ寄せされ、2011年石勝線で特急列車の脱線炎上事故、13年函館線で貨物列車の脱線事故が発生、レール検査データ改ざんも発覚。利用者の信頼を失い、安全投資でさらに資金不足となる悪循環に陥った。老朽化した車両や設備の修繕を含む安全投資には16年度以降、毎年350億円必要で、今夏の台風被害も追い打ちとなった。今後、JR北は沿線自治体と路線維持の費用負担などを協議。自治体が鉄道施設を保有する「上下分離」方式も検討する。しかし、自治体は「公共交通を採算性だけで判断すべきではない」「自治体財政も厳しく負担はできない」と反発の声が上がる。見直し対象となった日高線沿線の新ひだか町の酒井芳秀町長は「路線区間ごとの協議は地域格差も生む。道全体の問題として、道や国の責任で将来を見据えた振興策を検討すべきだ」と指摘した。JR四国をはじめ、JR他社も地方に多くの赤字路線を抱える。地域の公共交通をどう整備し、誰が費用を担うのか。JR北の苦境は、北海道だけにとどまらない、重い課題を突きつけている。---これは、かなり厳しい状況のようです。廃止路線はわずかですが、上下分離方式で鉄道施設を手放したいとする路線には、石北本線、釧網本線、日高本線(いずれも全線)、宗谷本線(名寄-稚内)、根室本線(釧路-根室)など、特急も走る長大な路線が含まれます。加えて、引用記事にはありませんが、近い将来北海道新幹線が札幌まで延伸すると、函館本線の大部分(おそらく小樽-札幌間を除くすべて)が第3セクター化され、現在は函館と札幌をつなぐ大幹線である室蘭本線も一挙にローカル線化します。そうすると、ひょっとすると、長万部~東室蘭間も手放そうと考えるかもしれません。そのときには、JR北海道に残る在来線は室蘭本線・千歳線の室蘭-札幌、函館本線の小樽-旭川、石勝線・函館本線の千歳-釧路、宗谷本線の名寄まで、札沼線の北海道医療大まで、函館本線の新函館北斗-函館、だけになってしまうかもしれません。いや、宗谷本線と函館本線も、将来的には危ういかもしれません。とはいえ、JR北海道の経営状態が危機的である、という現実はいかんともし難い。放置すれば経営破綻という事態もありえそうです。今夏の台風被害も痛かった(未だに函館本線は復旧しておらず、札幌-釧路間の特急は運行できない状態)ようです。もともとJR発足時の分割の仕方に無理があったのは明らかです。JR3島会社と呼ばれる北海道、四国、九州は、最初から経営が厳しいのは明らかで、JR四国は北海道より悪いとも言われる経営状態ですし、成功といわれるJR九州も、不動産業務など他業務の成功でかろうじて黒字を保っているものの、鉄道事業自体は赤字です。(JR北海道も、他業務で黒字を稼ぎ出しているが、本体の赤字は補いきれない状態です)全国1社、せめて全国を2分割(NTT東西のように)程度にすべきでした。が、覆水盆に還らず、今からJR東日本、西日本に合併させようとしても、絶対に不可能でしょう。そうすると、非常に残念なことですが、国の更なる支援がない限りは、一部路線の廃止や上下分離は避けようがないのかもしれません。2005年7月釧網本線川湯温泉駅川湯温泉駅には足湯があります。小さな駅ですが、夏場は観光客がそこそこ利用しますし、駅近辺にはしゃれたお店も点々とありました。同じとき、釧網本線標茶駅での撮影です。この駅で下車したわけではなく、列車行き違いで停車時間が長かったのだと思います。かつては、この駅から標茶線が分岐していました。2006年夏、富良野線上富良野駅のノロッコ列車です。SL復活運転を除くと、この富良野線と釧網本線のノロッコ列車が、JRグループで最後まで残った機関車牽引の客車列車です。結構込み合っていた記憶があります。同じく上富良野駅のノロッコ列車。ディーゼル機関車終点でも機関車の付け替えはせず、往路は牽引運転2007年7月、釧網本線原生花園駅(臨時駅)このときも、乗客はそこそこ乗っていたように記憶しています。おそらく、観光シーズンはよいのですが、それ以外の時期がガラガラなのでしょう。2008年7月、またも釧網本線の塘路駅。この頃、4年続けて毎年北海道に行き、2006年富良野以外はいつも道東で釧網本線に乗っていました。釧網本線知床斜里駅2008年7月これも同じく釧網本線知床斜里駅です。これ以外に、2003年旭岳に登った際に千歳空港から旭川まで、はるか昔1987年に札幌まで行ったとき上野から東北本線・青函連絡船、往路は函館本線、復路は室蘭本線を経由して札幌まで往復したことがありますが、残念ながらそれらの写真はありません。
2016.11.19
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韓国の民主主義が羨ましい!?日本の一部ネット上で話題に韓国・朴槿恵大統領の退陣を求め、126万人ともいわれる人々がデモに参加したが、これに対し日本語のツイッターでは「韓国の民主主義が羨ましい」といった声が多数書き込まれた。そして、彼らは韓国のマスコミと検察が十分に機能して権力を監視している、と続ける。ヤフーリアルタイム検索で「韓国 民主主義 羨ましい」と入れれば、こうしたツイートを多数見ることができる。また、13日に放送された『Mr.サンデー』(フジテレビ系)では、キャスターの宮根誠司氏が、韓国の民主主義が成熟しているといった趣旨のコメントをした。米大統領選では、リベラルメディアとリベラル知識人、大都市やエリート大学のリベラル学生によるトランプ氏及びトランプ支持者への「見下し」が目立った。結果、トランプ氏の勝利の後、全米各所で反・トランプデモが発生し、トランプ支持者が高校生であろうとも殴られたり卵をぶつけられたりもした。日本のネットの一部では韓国とアメリカのこうした状況を「羨ましい」という声が出ているのである。「アメリカにせよ韓国にせよ、政治への不満を即行動で示せる民主主義力の高さは本当に羨ましいですね」と書く人もおり、そして日本批判に繋げる。昨年の安保反対国会前デモは民主主義の象徴とされている。「民主主義ってなんだー!?」「これだ!」といった呼びかけもあった。しかしながら「デモ=民主主義」と言われると途端に混乱してくるのである。そもそもデモをやらざるを得ないほど民主主義が足りないからデモをするのでは? デモ=民主主義論者は「自由に人々が主張できる環境こそ民主主義である」と述べる。だったら日本の差別主義者が「在日特権を廃止しし、在日韓国・朝鮮い人を本国に強制送還しろ!」と主張し、朝鮮学校への補助金に反対するなどしていたことも「民主主義」になるのだろうか。(以下略)---制度的な意味での民主主義、個人の自由という面では、どう考えても韓国の状況が「うらやましい」などと言えるほど優れているとは思えません。大統領を批判する記事が気に入らないからといって、外国の新聞の特派員を裁判にかける(産経新聞ソウル支局長)なんて、いくら産経が極右のクズ新聞でも、言論の自由の風上にも置けません。が、しかし、こういうことをやらかす大統領に対して、国民が反旗を翻し、100万人単位の人たちが反対デモに参加、という国民の反応は非常に健全であり、うらやましいと思います。日本で同じような事態が発生したとき、100万人単位のデモ参加者があるでしょうか。(しかも、韓国は人口が日本の4割あまりしかいないので、人口比で考えれば韓国の100万人は日本では二百数十万人に相当します)ちなみに、私自身も昨年は何回か国会前の集会に参加しましたが、「デモが民主主義」と言われると、それは若干違うように思います。まあ、集会の場でのスローガンとしては許容範囲でしょうが。デモは言論の自由、集会、結社の自由に属することで、民主主義そのものではなく、民主主義を担保するための政治的自由の発露の重要な手段です。つまり、デモ=政治的自由というほうが正しいのではないかと思います。もちろん、政治的自由と民主主義は車の両輪みたいなものです。政治的自由のないところにまともな民主主義など育ちません。デモをやると当局が解散を命じたり、参加者を逮捕したり、まして銃弾が飛んでくるような状況だったら、政治的自由はまったく保障されていないし、当然民主主義もない、ということになります。韓国の、民主主義や政治的自由を守る制度、政治環境ははいささか危うい、少なくとも日本人がうらやましがるようなものではないと思いますが、このような事態に際しての国民の反応は、極めてまともであり、うらやましいなと感じます。結局のところ、民主主義の制度がどれだけ優れていても、それを生かすも殺すも人々の意識次第、ということでしょう。もっとも、日本における民主主義や政治的自由を守る制度が、今後どうなっていくのか、いささか危うい状況になってきました。何も民主主義や政治的自由に限ったものではないでしょうが、人は手元にないものを手に入れるためには必死になりますが、空気のようにあって当然と思い始めると維持する努力を怠りがちになる、そんな傾向があるようにも思えます。
2016.11.17
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中田宏氏「生活保護でパチンコ」おかしい 自分のカネで遊べ “人権派”曰く、生活保護費でギャンブルに興じるのは「人として当然の権利」らしい。だが、前・横浜市長の中田宏氏は「自由と権利」が一人歩きする日本社会の風潮を疑問視する。「生活保護費でパチンコ」を禁じる地方自治体の試みが潰されたことをご存じだろうか。大分県別府市は昨秋、市の職員らがパチンコ店などを巡回。生活保護の受給者を見つけたらまず口頭注意、複数回繰り返した場合は書面での警告を経て保護費の一部の支給を1~2か月間停止していた。大分県中津市も同様の手順を経て、パチンコなどで遊ぶ受給者の保護費の一部を1か月分、減額していた。この対応に「当然だ」「よくやった」との声がある一方、「パチンコは個人の自由だ」「人権侵害につながる」と猛反発したのがいわゆる“人権派”の面々だ。結局、厚労省が「受給の停廃止は不適切」との方針を示し、今年度から両市はこの施策を中止した。日本国憲法第25条は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定める。生活保護制度は国民にとって最後の砦で、重要なセーフティネットであることは言うまでもない。だが、判例がないので私の価値観に基づいて言うが、パチンコが「文化的最低限度の生活」に必要とは思えない。私の基準では、金銭の増加によって精神的な満足を得る行為、つまりギャンブルは憲法第25条の範疇に入らない。ゆえに映画や演劇に保護費を使うのはOKだが、パチンコや競馬はダメであり、「馬の走る姿が美しい」などと訴えても、保護費で馬券を買った時点でアウトなのだ。生活保護法が定める制度の趣旨は、諸々の理由で生活が困窮した人を保護し、その自立を支援することだ。だが、困窮の度合いに応じて支給される生活費をパチンコに投入すれば、さらに生活が困窮する可能性が高い。これは元々の趣旨にもとる行為ゆえ、遊ぶなら公金ではなく自分のカネで遊ぶべきである。(以下略)---パチンコが「文化的最低限度の生活」に必要とは思えない。私の基準では、金銭の増加によって精神的な満足を得る行為、つまりギャンブルは憲法第25条の範疇に入らない。とのことですが、ことは法律の解釈である以上、「オレ様定義」は通用しません。「映画や演劇に保護費を使うのはOKだが、パチンコや競馬はダメ」だそうですが、現実には、世の中には生活保護受給者が映画や音楽を楽しむことすら「許せない」という人たちが存在します。何故映画や演劇はよくて、ギャンブルだけがだめなのか、そのところが合理的に説明できているようには思えません。正直に言えば、私もギャンブルが「健康で文化的」な生活とは思いません。でも、何が文化的という客観的な指標はないのです。誰も明確な指標などもっていないでしょうし、もっていたとしても、万人が一致することなどありえません。つまり、「何が文化的と考えるかは人それぞれだ」ということです。別の言い方をするなら、最低限度の衣食住に上乗せする何か、各自の好きなこと(好きなもの)が「文化的」ということです。生活保護に関する規定の中にパチンコ(あるいはギャンブル)をやってはいけない、という規定はありません。生活保護費をどのように使うかは、各々の保護受給者の自由裁量にゆだねられており。生活が破綻しない限り(もちろん、法令にも触れない限り)において、どのように使おうが、個人の自由であって他人にとやかく言われる筋合いのものではありません。というのが、原則論、タテマエ論、スジ論です。ただし、それはあくまでも原則論です。現実には原則論が通用しないようなことも多々あるそうです。問題になるのは「生活が破綻しない限り」「法令に触れない範囲」という点です。月々の生活保護基準の範囲内で破綻なくやりくりできる人であれば、ギャンブルをとやかく言う必要はありません。しかし、現実には破綻なくやりくりできない人がかなり多いと聞きます。だいたい、生活保護に至る過程で、様々な依存症に陥る人は少なくありません。一番多いのはアルコール依存でしょうが、薬物依存やギャンブル依存、そのほか様々な依存も多いと聞きます。そういう人が、きちんとやりくりなどできるわけがありません。生活保護法には以下のような規定があります。(生活上の義務)第六十条 被保護者は、常に、能力に応じて勤労に励み、自ら、健康の保持及び増進に努め、収入、支出その他生計の状況を適切に把握するとともに支出の節約を図り、その他生活の維持及び向上に努めなければならない。 生活保護を受けながらギャンブルにお金をつぎ込んで生活が破綻してしまうような人は、この規定に反しているということになります。ただ、依存症というのはある種の病気ですから、能力的にこの規定を守ることができない、ということになるのでしょうが。そしてもうひとつ、生活保護には収入認定というものがあるそうです。生活保護は、最低生活費(保護基準)に対して収入の足りない部分を補う制度です。まったく無収入なら、生活保護基準の全額が保護費としてもらえますが、収入が月5万円あれば、保護基準から5万円を引いた額が支払われる、という仕組みです。つまり、毎月「今月の収入はいくら」という申告(収入申告)を行って、それに基づいて翌月の保護費を計算するそうです。ギャンブルに勝ってお金が入ったら、もちろん、それも収入です。申告しなければなりません。つまり、本来的には生活保護受給者にとってのギャンブルは、勝ったらその分だけ生活保護費は減額、負けたらその分は自腹で持ち出し、という、本人にとって何一つ得にならず、損にしかならないという、楽しくも何ともない代物なのです。ちゃんと申告をする限りは、ね。が、そういう人がちゃんと申告していますかね?まあ、99%申告していないでしょうね。だとすると、それは生活保護法違反ということになります。これらのことを考え合わせると、生活保護受給者(に限らず貧困層一般に)のギャンブルはよくない、かなりよくないことは明らかです。が、ギャンブルがいいか悪いかということと、それを理由に保護停止とか保護費の減額という不利益処分を課すことが適当かどうかは、別の問題です。法令の根拠もないのに「オレ様定義」で不利益処分を課せば、不服審査で負けるに決まっています。それが火を見るより明らかだから、厚労省は「停廃止は不適切」と言っているのでしょう。市長という行政組織のトップにいた人間が、その程度の法律感覚もないのでしょうか。では、ギャンブルにお金をつぎ込んでしまうような困った受給者には、どう対応すればいいのか。長期的で完璧な解決策はないようです。基本的にはケースワーカーが金銭管理をする、生活保護費を1か月分まとめて渡すのではなく、「週払い」と言って毎週に分けて渡す(時には「日払い」ということすらあるとのこと)そうですが、これはケースワーカーの負担も重いし、長期間維持するのは難しい場合が多いようです。結局は、本人自身がそのツケを負うことになるようです。つまり、ギャンブルに1か月分の生活保護費を注ぎ込んでしまったら、あと1ヶ月はひもじい思いをしていてください、ということです。それで目が覚めればよいのですが、たいていは、それでも目が覚めないものらしいです。そうなると、健康を害するか住む家を失うか、野垂れ死にするか、それも本人の選択の結果である以上は、仕方がないことです。ただ、子どもがいたりすると、「本人の選択」と言っているわけにいかないので、非常な厄介なものらしいですが。
2016.11.15
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メキシコ国境、すでにあった壁 ブローカーが明かす実情そびえる柵の高さは約5メートル。細かく張り巡らされた鉄格子には、指先がやっと入るほどの隙間しかない。米国と国境を接するメキシコ北部の町ティフアナ。毎週末、1日4時間だけ柵越しの会話が認められる。米国に住む家族と会おうと、多くの人が集まる。「目の前の娘を抱きしめることもできない」。11月初め、マリア・バルガスさんは、ここで5年ぶりに娘のエイミーさんと再会した。マリアさんは2002年、娘を連れて米国に不法入国して働いていたが1人だけ強制送還された。顔を合わせた母子は泣き続け、鉄格子を挟んで互いの手のひらを重ね合わせた。米国側から1歳の息子を連れて姉に会いに来たフリアン・コロネルさんは「トランプは国籍や文化の違いで、分断と憎悪をあおっている。とても悲しいことだ」と嘆いた。ティフアナ市内の別の場所では、二重、三重に柵や壁が国境沿いに張り巡らされていた。80年代までは簡素な金網だったが、90年代から不法移民対策として米政府が建設を進め、米同時多発テロ以降にさらに強化された。今では両国の国境、約3200キロの1/3に金属製の柵や壁がある。それでも、米国を目指す人の流れは止まらない。海岸近くの国境の柵には、太い鉄格子の間に石がはめ込まれていた。「米国に渡ろうとした人たちが足場にした」と、地元の男性が耳打ちしてくれた。霧が深い夜には、集団で柵を越えようとする人たちの姿があるという。匿名を条件に取材に応じた密入国ブローカーの男は、1人7千ドルで道案内をしていると説明した。柵を越えるほか、砂漠を横断したり車の荷台に入って越境したりする方法があるという。「トランプが壁をつくりたいなら、つくればいい。空まで届く壁をつくったとしても、乗り越えてやる」---そう、現物を見たことはないのですが、米墨国境にはすでに巨大な壁があることは、知識としては知っていました。トランプは今更何を言っているのかなと思ったのですが、要は現状よりもっと巨大な壁を作る(それも、メキシコ政府に費用を負担させて!)ということなのだろうと思います。なお、米国との国境近辺は、メキシコの中でももっとも治安の悪いところですから、この取材も、そして取材対象の親子も、結構危険が伴うと思われます。かつて、国境の壁といえば東西ドイツが有名でした。当時、東ドイツは国民が西側に逃亡しないように壁を築いたのです。壁は共産主義の抑圧の象徴とみなされ、冷戦の終結、壁の崩壊は共産主義の敗北を意味した-当時はそう思われていました。しかし、ちょうどその頃、資本主義の総本山である米国もまた、隣国との間にせっせと壁を築いていたわけです。これは、資本主義の限界の象徴ではなかったか。米墨国境の不法入国対策は極めて厳しいものがありますが、それでも、その警備をかいくぐって非常に多くの人が米国に不法入国して働いています。そして、米国の経済(特に農業)も、そのような労働力に依存しているのが現実です。現在、スペイン語圏でスペイン語話者がもっとも多い国はメキシコ(1億2千万人)ですが、ではスペイン語人口第2位の国はどこか。これまでは第2位はスペインでした。しかし、最近米国が逆転したと報じられています。スペイン語人口で米国が世界2位に、スペイン本国抜くスペインの総人口4770万人(スペインでは、母語がカタロニア語、ガリシア語、バスク語の人も、全員が学校教育でスペイン語を学ぶ)に対して、米国のスペイン語話者は5260万人(バイリンガル1160万人を含む)だそうです。また、話者人口以上に放送などの分野で米国のスペイン語での発信力は強力です。この記事を配信しているCNNも、24時間スペイン語でニュースを放送しています。今回の大統領選でトランプが勝ったのは、こういう傾向に危機感を募らせた白人の支持によるのでしょう。しかし、いくらトランプでも、中南米の人々の米国への流入を止めることはできません。法律は、どんなに厳しくすることもできるでしょうし、壁を何重に築くこともできるでしょう。しかし、まさに引用記事にあるように、「空まで届く壁をつくったとしても、乗り越えてやる」ということになります。現在米国の人種構成は、白人63.7%、黒人12.2%、ヒスパニック16.3%、残り約5%はアジア系、先住民系系など、となっています。しかし、白人の人口増加率は低く、ヒスパニックのそれは高い(黒人はその中間)ので、2050年には白人の割合が5割を切ると予測されています。それを「国がのっとられる」と表現するなら、そもそも200年前300年前には先住民から白人が乗っ取った土地です。いずれにしても、米国の選挙におけるマイノリティの比重は、これからどんどん大きくなっていき、白人の比重はどんどん小さくなっていくのです。今回の選挙では、白人のそのあたりの危機感を上手く炊きつけたため、それに対立候補のヒラリーがあまりに不人気だったこともあって、そういう白人層の排外意識が選挙の勝利に結びついたようです。しかし、白人の割合が今後どんどん減っていくことが明らかである以上、ここ数年はともかく、20年後30年後も同じ選挙結果が繰り返されるものではありません。当選したトランプが、選挙中に叫んだ過激な主張を本当に実行するのか(まあ、明らかに実行不能な主張もありますが)、多少はトーンダウンするのか、今の時点では分かりませんが、過激な主張を本当に実行した場合、支持層は狂喜乱舞するかもしれませんが、何年か、あるいは何十年か先には、それに対する強烈なしっぺ返しが待ち受けている、ということになりそうな気がします。
2016.11.13
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トランプ大統領で、いいじゃないか 東京本社編集局長・乾正人ついに「驚くべき日」がやってきた。シリア難民の大規模流入をきっかけに欧州を席巻した排外主義と一体化した反グローバリズムの大波は、英国にEUからの離脱を決意させ、米国の支配階層を直撃した。いや、打ち砕いた、といっても過言ではない。トランプ氏勝利で日本の株価は暴落し、円が急騰したのもむべなるかな。TPPのお蔵入りが確定的となったばかりか、日本の安全保障の先行きも「日本がタダ乗りしている」と日米安保を誤解する米最高司令官の登場によって予見不能となった。蛇足ながら、日本の外務省はまたも下手を打った。先月から今月にかけて話を聞いた高官や有力OBの誰一人として「トランプ大統領」を予測していなかった。某高官などは「接戦ですらない」とまで断言していた。外務省の楽観的な見通しも後押ししたであろう9月の安倍晋三首相とクリントン候補との会談は、失策としか言いようがない。彼らの予測のもとになった各種世論調査は何の役にも立たず、クリントン候補に異様なまでに肩入れした米メディアがいかに嘆こうが、さいは投げられたのだ。だが、モノは考えようである。トランプ大統領で、いいじゃないか。トランプ流の「在日米軍の駐留経費を全部出せ」といったむき出しの本音には、日本も本音で向き合えばいいのである。大統領になったらそんなむちゃな要求はしないだろう、という幻想は捨てなければならない。いよいよ米軍が撤退する、となれば、自衛隊の装備を大増強すればいい。その際は自前の空母保有も選択肢となり、内需拡大も期待できる。沖縄の基地問題だって解決に向かうかもしれない。トランプ氏が“容認”する日本の核兵器保持は、唯一の被爆国という国民感情が強く、現実的ではないが、中国をにらんだ外交カードとしては有効だ。(以下略)---いかにも産経らしい主張です。徹頭徹尾安倍は擁護するのですね。「安倍晋三首相とクリントン候補との会談は、失策としか言いようがない。」と認めつつ、それは外務省の楽観的な見通しのせいだ、外務省が下手をうったせいだ、というのです。決して安倍自身の失策だとは認めないわけです。確かに、外務省というのは、頭の先からつま先まで「日米同盟が大事」で凝り固まった、どうしようもないところだと思います。でも、トランプ当選を予想できなかったことは仕方がない。私だって当選するとは思わなかったですし、米国でも共和党支持の保守系メディアも含めて、トランプが当選するとは思っていなかったのだから。しかし、予想がどうあれ、当選もしないうちに、有力な候補者の片方だけと会談すると決めたのは安部政権でしょう。両方と会談する、どちらとも(選挙前には)会談しない、という選択肢はあった、というかそのほうが普通だろうと思います。それがどの程度外務省の意向を受けてのことだったかは知りませんが、決めたのは安倍であり、実際に会ったのも安倍であり、外務省を含む日本政府のトップに立っているのも安倍である以上、下手をうったのはまず安倍でしょう。そこを何もいわず外務省だけを批判するのでは、安倍は何の実質的権限もない外務省の操り人形だ、ということになってしまいます。いずれにしても、トランプはもう当選してしまった。この結果は覆りません。その前提の上でこれからの日本の進む道を決めなければなりません。今まで日本は、米国という虎の威を借りて対中強硬路線を突き進んできたわけですが、そのやり方は、トランプを待つまでもなく現在のオバマ政権だって「いい加減にしろ」と思っていたのが現実でしょう。トランプだって、すべての主張を簡単に実行に移せるわけではありませんが、方向性としては在日米軍を撤退させる(少なくとも縮小させる)ことを志向するでしょう。その代わりに日本は何をするかが問題です。産経新聞は、「その代わりに自衛隊を大増強しろ」と叫んでいるわけです。でも、もう一つの選択肢があります。「虎の威」がなくなったんだから対外的強硬論を控える、という選択肢です。虎の威がなくなったのに、やり方を変えるのではなく、自分ひとりで今までと同じやり方を続けようとする、それこそ硬直思考の極みとしか思えません。そのようなやり方は、破滅への道につながりかねません。もっとも、米国という超軍事大国は別格として、日本の自衛隊、特に航空自衛隊と海上自衛隊は、少なくとも正面装備は非常に強力です。世界の先進国といわれる国々でも、こんな規模の海空軍を持っている国は、数少ない。かりに中国軍が日本に対して急迫不正の軍事的侵攻を企てたとして、それを撃退できないほど弱体な自衛隊ではありません。それだけの規模の自衛隊があって、なお大増強が必要だという感覚が、私には理解不能です。それに、そんな予算がどこにあるのか。安倍政権になって、すさまじい勢いで財政赤字が増えているのに、その財政赤字を更に増やすということでしょうか。
2016.11.11
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米大統領選について、先月末の記事で、それでも最終的にはヒラリーが当選するだろうと書いたのですが、残念ながら大はずれになってしまいました。まさかの、トランプ大統領誕生です。私は、ヒラリーがよい、とは思いませんが、トランプが最悪、とは言えます。そのトランプが当選してしまった。そのトランプを徹底的に嫌いながらも、当選を早い段階から予測していたのが、映画監督のマイケル・ムーア。ドナルド・トランプが大統領になる5つの理由を教えよう残念ながら、予測のとおりになってしまいました。それが米国民の選択なのだからしかたがありません。いろいろと滅茶苦茶なことが予想されますが、あえてよいことを探すなら、安倍政権が強行しているTPPは、米国が批准せず、お蔵入りになる可能性が高そうです。そして、在日米軍基地はどうなるでしょう。トランプは全面撤退を示唆しています。そうなるなら、私も賛成です。しかし、トランプは在日米軍の駐留経費をもっと日本が負担しろとも主張しています。安倍政権はどちらを選ぶでしょうか。おそらく、駐留経費の負担増で在日米軍の引止めを図るのでしょう。それは、最悪の選択と私は思います。もっとも、冷戦時代からイラク戦争くらいまでは、在日米軍は米国自身の世界戦略のために日本にいました。日本は、米国が引き起こす戦争に巻き込まれたり、加担させられたりすることを警戒すべき状況でした。しかし、今は状況が変わってしまった。日本自身が中国と事を構えるために、米国の助力を期待する、という構図です。米国の本音としては、冗談じゃない、そんな火遊びにわが国を巻き込まないでくれ、というところでしょう。それが選挙結果にも現れたのではないでしょうか。口を開けば日米安保が大事と言っている人たちは、結局のところ米軍の助力をアテにして火遊びをしようとしていたに過ぎません。その米国が「火遊びは自分だけでやってくれ」と言い始めた今、日米安保至上主義者はどうするつもりなのか。「思いやり予算」を増額して、あるいは「自主防衛」で防衛費を2倍にも3倍にも増やして火遊びを続行するつもりなのでしょうか。それは、冗談ではないと私は思いますけど。こういった面で、おそらくヒラリー大統領だったらあいまいに何年か先送りできた問題が、トランプ大統領になってしまったおかげで、待ったなしになってしまった、ということろでしょうか。でも、どのみち遅かれ早かれそういう選択を迫られるときは着たのではないか、とも思います。まあ、しかし、4年後に米国も、そして日本も世界も、どういうことになっているのか、やはりちょっと怖いものを感じます。
2016.11.09
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一昨日のことですが、久しぶりに羽田空港に飛行機の写真を撮りに行ってきました。天気もよかったし、かなり日没も早まってきている時期なので、夕暮れ時を狙っていきました。ANAのB777です。時間が4時25分、だいぶ日が傾いてきています。まったく知らなかったのですが、政府専用機がいました。いまや日本では貴重なB747です。誰か要人が外国に行くか帰って来るかしたのかな?と思ったのですが、思い当たる節がありません。それに、空港の警備も特に厳しくはなかったので、特に要人を乗せる目的ではなかったのでしょう。安倍が乗るなら、罵声のひとつくらい、いえ、何でもありません。政府専用機を直接見るのは初めてです。国際線ターミナルに日が沈みます。JALのB737。このくらいのサイズだと分かりませんが、すでに結構暗いところに250mmの最大望遠なので、ISO感度が高くて、オリジナルサイズだと、やや画像が荒めです。(ただ、撮影データを見ると、ISO感度が500になっているけど、そんなISO感度あったかな??)日が沈む。月は昇る。ANAのB787-9海上保安庁の飛行機が、何機か立て続けに降りてきました。スターフライヤーのA320シンガポール航空のB777-300政府専用機ふたたび。だいぶ暗くなってきた空を、着陸機が4機数珠繋ぎです。夕焼けの国際線ターミナル。4時50分頃です。日は沈みましたが、まだ西の空は赤い。暗い場所で明るい光源があるときは、かなり露出をマイナス補正しないと、光がハレーションを起こしてしまいます。これで-3補正です。機体は真っ黒。何の飛行機か、さっぱり分かりません。時刻は5時7分頃なので、実際にはここまで真っ暗ではありません。国際線ターミナル。JALのB767-300。露出補正なしだと、こんなに明るく撮れてしまいます。(実際の空は、このときこんなに明るくありません。時刻は5時13分)同じ場所で露出補正-3.3だと、こんな夜景になりました。まだ、ここまで真っ暗だったわけではありませんが、でも、上の写真よりは実際の明るさに近いかな。それにしても、暗い場所での撮影は、どうしても手ブレが起こりやすい、上記の例で分かるように露出の感度が正しくなりにくい、ピントが合いにくい、ISO感度が上がるので画面が荒れる・・・・・・いろいろと難易度は高いです。何を隠そう、アップした写真の陰には、失敗写真もいっぱい。その点、デジカメだと多少失敗写真が多くても、気にする必要もなく撮影ができます。
2016.11.08
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「理想はサザエさん一家」啓発 24条改正巡り改憲運動を展開している保守団体「日本会議」は、憲法24条を改正すべきだとの主張を強めている。背景には伝統的な家族を理想とする心情がにじむ。家族のあり方は憲法で定めるべきか--。「サザエさんが今も高い国民的人気を誇るのはなぜでしょう」。日本会議の関連団体が制作した啓発DVDの一場面。ナレーターは24条により家族の解体が進んだ結果、さまざまな社会問題が起きているとして、3世代同居のサザエさん一家を理想と持ち上げた。「個人の尊重や男女の平等だけでは祖先からの命のリレーは途切れ、日本民族は絶滅していく」。日本会議の政策委員を務める伊藤哲夫氏は9月、埼玉県内の講演で、改憲テーマの一つとして24条を取り上げた。安倍晋三首相のブレーンも務める伊藤氏は「家族の関係を憲法にうたうべきだ」と力説した。こうした家族観は自民党改憲草案や安倍政権と通底する。首相は先月5日、国会で「家族は社会の基礎を成す基盤。憲法にどう位置づけるかは議論されるべきだ」と答弁した。改憲に意欲を燃やす首相と、それを支える日本会議。両者が24条に言及したことで、9月に発足した市民運動「24条変えさせないキャンペーン」は警戒感を強めている。呼びかけ人の一人、山口智美・米モンタナ州立大准教授は「憲法で家族を定義し、法律があるべき家族像を示すことは、単身者や子供のない人、性的少数者など多様であるべき生き方を否定し、人権を侵害することにつながりかねない」と指摘している。---憲法第24条とは、この条文です。婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。極めてまっとうな内容が書かれている規定だと思うのですが、日本会議によるとこの条文が家族の解体によるさまざまな社会問題の原因だ、ということのようです。果たしてそうでしょうか。私にはとてもそうは思えません。サザエさんのような3世帯同居家族を家族の理想と考えるのは、個人の趣向としては自由ですが、現実には、家族の形としては、これはかなり稀な例です。言うまでもなく、サザエさん一家は、波平とフネの夫婦、その長女サザエと夫マスオ、その子(孫)タラ、長男カツオと次女ワカメという世帯構成になっています。「マスオさん」という言葉が妻の実家に同居する夫婦を指す場合がしばしばありますが、それは、そのような例がかなり稀であることの証左です。さらに、そこに、まだ未婚の波平夫婦の子ども(カツオとワカメ)も同居している。3世代同居といっても、たいていの場合は親夫婦、子ども夫婦、その子というパターンであり、子ども夫婦以外に別の子どもも同居している例は、これまたかなり稀でしょう。サザエさん一家のような家族構成がトラブルなく円満に生活するには、ある程度広い家が必要であり、日本の都市部ではそのような恵まれた住居に住める人はかなり限られています。2LDKのマンションでサザエさん一家が暮らしていることを想像できますか。それに、おそらく日本会議に代表される極右勢力には、昔の日本はよかった、昔の日本は大家族だった、だから大家族が日本の理想だ、というような単純な図式があるのだと思われますが、それは専業主婦幻想と同じで、まったく事実無根です。内閣府のホームページにある世帯類型別構成割合の推移によれば、1920年の時点で全世帯に占める核家族の割合はすでに54%もあります。2000年にはそれが58%ですから、核家族の割合は微増したに過ぎないのです。それに対して、3世代同居世帯(を中心とする大家族)は、当時の時点でも39%ですから、すでに少数派です。それが2000年には14%ですから、更に減少したのは確かですが、別に戦前だって大家族が日本の主流ではなかったのです。これは、理屈で考えれば分かることです。昔は子どもの数が多かった。しかも平均寿命は短かった。仮に子どもが5人いたとしても、結婚後に親と同居できるのは1人(配偶者の親を含めても2人)だけです。しかも、子どもが多いので長子から末子までの期間が長く、かつ平均寿命が短いので、末っ子が大人になる頃には親は亡くなっていることが多かったのです。つまり、日本会議の言う「理想はサザエさん一家」というのは、ものすごく現実から遊離した考えなのです。そして、それが家族の形として目指すべき理想であるようには、私には思えないのです。前述のように、住宅事情にも左右されるし、そうでなくても、親夫婦と子夫婦の同居には、しばしば軋轢が伴うものです。もちろん、軋轢がない場合もあるし、多少あっても許容範囲であることも多いですが、同居しないほうが関係良好、という例は少なくはありません。どのような家族の形が望ましいかは、10人10色、人それぞれであり、それを国家が「このような家族の形を理想とすべし」と決めてかかることは、大いに問題があります。まして、そのような家族の形を理想とする価値観を憲法の条文にすれば、家族をめぐる社会的な問題が解決の方向に向かう、とはまったく思えません。それに、「個人より家族」「小さな家族より大きな家族」という考え方は、より危険な方向を助長しかねないように思います。つまり、その方向性の行き着くところは「国家は家族(のようなもの)である」ということになるでしょう。個人より家族が大事、の行き着くところも、個人より国家のほうが大事、家族(国家)の和を乱すような人間はつまはじきにされて当然、ということになりかねません。
2016.11.06
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iモード携帯が販売終了へ ドコモ、サービスは継続NTTドコモは2日、従来型携帯電話(ガラケー)でインターネットを使える「iモード」に対応した端末の販売を在庫がなくなり次第終えると発表した。11~12月の見通しという。iモードのサービスは今後も続ける。ドコモは昨年6月から、スマホと同じ「spモード」という方式でネットにつながるガラケーを発売している。iモードはドコモが世界に先駆けて開発し、1999年にサービスを始めたが、iモード用につくられたホームページしか表示できないのが弱点だった。ドコモは自由にネットが楽しめるスマートフォンの登場に合わせ、10年からスマホ向けのネット接続サービス「spモード」を始めていた。---ついに、ガラケーが終わる日が来てしまいました。実際のところは、需要はまだあると思いますけれど。私自身は、2008年秋に初めてFOMA携帯に乗り換え(それまではmovaだった)、去年の年末に機種変更で新しいガラケーに変えたばかりでした。まだ1年も使っていないので、あと5年は使えると思いますけどね。以前から何度も書いているように、私はガラケーとiPad mini(とモバイルルータ)の3台持ちで、ガラケーは通話とメール専用です。メールも、以前はやり取りする相手は何人かいましたが、現在はほとんど相棒とのやり取りにしか使っていません。それ以外の、家の外でのネット通信はすべてiPad miniで行っています。このiPad mini(初代)も、気が付けば購入から3年半、iOSが新しくなるたびにどんどん動作が重くなってきましたし、最新のiOS10はアップデートの対象外です。(とはいえ、iOS9の最新バージョンにアップデートしてから、気持ち動作が軽くなったような)通信料は、ガラケーは一番安い料金プランで、以前の機種は1600円あまりだったのですが、機種変更してから少し安くなって今は1300円、iPAD mini(というかモバイルルータ)のほうはMVNOで月975円なので、合計して通信料は2000円台前半です。もっとも、相棒は通信料4000円くらい(私と同じ組み合わせなのですが、なぜか相棒のガラケーの料金は私より高い)、自宅の固定電話とフレッツひかりが6500円くらいなので、家族全体では月の通信料は1万円を少し超えます。が、それでもドコモで普通にスマホを契約するよりはかなり安いでしょう。というわけで、今使っているガラケーが使えなくなる頃には、どうしたものでしょうね。iモード対応のガラケーは消えるけれど、引用記事が「スマホと同じ「spモード」という方式でネットにつながるガラケー」と紹介している、アンドロイドOSを使ったガラケー形のスマホ(いわゆるガラホ)は今後も続くようです。あれの料金プランはどのようなものなんでしょうか。ガラケー並の料金プランならば、次はガラホに乗り換えます。そのときにガラホがあれば、ですけどね。機種はスマホでもガラホでも何でもよいのです。今のガラケー並の料金でさえあれば。もし料金大幅アップということになれば、そのときは通話もまとめてMVNOに引っ越すまでですね。MVNOは、以前は通話料は大手キャリアより特に安くはなかったのですが、最近はいろいろな割安な通話プランが出てきているせいもあって、通話料も大手キャリアより安くなりつつあるようです。ま、今のガラケーから乗り換えるのは、前述のとおり5年くらい先でしょうけどね。先代の携帯は、ちょうど7年使いました。思い返すと、初代と2代目(いずれもmova携帯)は各4年半、3代目7年、携帯に関しては、私はやたらと物持ちがよいのです。
2016.11.04
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ドキュメント御嶽山大噴火 --生還した登山者たちの証言を中心に救助現場からの報告と研究者による分析を交え緊急出版!2年前に起きた御岳山の噴火、当時この噴火について、当ブログでも何回か取り上げました。そしてこの本も2年近く前に発行されたものですが、今更ながら読んで見ました。御嶽山の噴火は、60人以上の死者・行方不明者を出し、実質的には史上最悪の山岳遭難※でした。※史上最悪の山岳遭難は1902年に起きた八甲田山雪中行軍遭難事件(死者199名)ですが、これは陸軍の訓練中の遭難事故であり、狭義の山岳遭難とは少し外れるように思えます。規模としても史上最悪ですが、この遭難にはもう一つの大きな特徴がありました。それは、個人の努力では防ぎようがない、対応しようがない、努力のしようがない、ということです。遭難といえば、通常は道迷い、疲労、低体温症、滑落・転落、雪崩、高山病といったところが主だった原因です。これらは、装備の選択や訓練、経験などによって、そのリスクを完全になくすことはできないものの、ある程度減らすことはできます。雪のあるところを歩く限り、雪崩のリスクはゼロにはならないけれど、谷筋は歩かない、デブリを見たら雪崩地帯と思って引き返す、などの注意によって、かなり減らすことはできます。しかし、火山の噴火ばかりはどうしようもありません。噴火間近といしう予報があればともかく、それがなかったら避けようがありません。雪崩や大荒れ、台風、大雪などと違い、予想ができません。また、経験や訓練で避けられるというものでもないし、噴火被害を避けられる装備、というのもあまり思い浮かびません。実際、この本に登場する生還者はいずれも、生死を分けたのは偶然だと言っています。噴火の際にいた場所が噴火口に近かったかどうか、たまたま身を隠す物影、逃げ込む山小屋などが近くにあったかどうか、たまたま噴石が当たらなかったかどうか・・・・・・。それでも、背負っていたザックで頭を守ることで生き延びた人はいるから、頭を防護することは大事です。ただし、では登山用のヘルメットをかぶっていけば大丈夫なのかというと、普通の落石より噴石ははるかにスピードが速いので、難しいのではないか、という意見が体験者の中にありました。それでも、ないよりはマシでしょうが。軽トラック並みの巨大な噴石の下に、何人も下敷きになっていたそうですが、そんなものが落ちてきたら、どんな防護策も意味を持たないでしょう。つまり、結局は登山中の噴火に対しては、噴火が予知されたらその山には登らない、という以外の有効な対策はない、ということになります。ところが、この予知がまた難しい。噴火にはマグマが直接噴出するマグマ噴火と、マグマに接近して熱せられた地下水が爆発する水蒸気噴火があります。マグマ噴火は、地下のマグマの動きが伴うので、前兆現象がより明瞭で比較的予知しやすい(多分)のに対して、水蒸気噴火は大きな地盤の動きが伴わないので、前兆現象が明瞭ではなく、予知が困難であると言われます。そして、御嶽山の噴火は水蒸気噴火でした。一応は噴火の1ヶ月ほど前から火山性地震の増加は報じられていたものの、それほど深刻とは捉えられておらず、より直接的に噴火の前兆現象となる火山性微動は、噴火の本当に直前数分前に初めて観測されたようです。逆の言い方をすれば、火山噴火としては極めて小規模の水蒸気噴火だったから、火口の至近にあれほど多くの人がいても、あの程度の被害でとどまった、とも言えます。火口の本当にすぐ近くにいても、物陰や山小屋に逃げ込んで助かった人は大勢います。あれが、マグマ噴火だったら、周辺数百メートル(噴火の規模が大きければもっと)の範囲では、文字どおり1人も助かってはいないでしょう。火砕流が、御嶽山の事例では温度が100度に届くかどうか、という程度だったので、かがみこんで防護の姿勢をとった人は、多くが助かっています。マグマ噴火だったら、火砕流は数百度なので、山小屋に逃げ込んだとしても、蒸し焼きです。つまり、根本的には、山で噴火に巻き込まれないための確実な対策は、活火山には登らない、ということしかないのが現実です。対策としてはあまりに実も蓋もない話で、そうすると、日本の多くの山には登れない、ということになります。富士山も箱根もダメです。それでは、あまりに面白くないので、結局は、いざという時はあきらめるしかない、と割り切りつつ山に登る、ということになるでしょうね。まったくの余談ですが、私も2012年8月に御嶽山に登ったことがあります。そのとき、たまたま二の池本館に泊まりました(予約したわけではなく、たまたま宿泊しただけ)。支配人の小寺さんは、お会いしただけでもなかなかに印象深い方で、しかも、その後二の池本館のホームページを見たら、ますます印象が深まりました。(山小屋の支配人である一方、山小屋閉鎖期間中はアジアを旅している方)噴火の際、真っ先に「あの人は無事か」と思ったのですが、幸いにして無事だったのはもちろん、一躍時の人として、テレビ局の取材を受けていました。残念ながら、二の池本館は営業不能に陥ってしまったようですが、いつか復活したら、泊まりに行きたいな。噴火前の二の池御嶽山三の池近辺
2016.11.02
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