全19件 (19件中 1-19件目)
1
【米大統領選】トランプが最後の追い上げで大統領に? ヒラリーと1%差に迫る米大統領選の共和党候補者トランプ氏が、民主党候補クリントン氏を猛追している。米大手紙ワシントンポストとABCテレビが10月30日に発表した民間世論調査によると、トランプ氏の支持率は45%で、クリントン氏(46%)に1%差にまで迫った。2人の支持率は、10月23日の段階で12%開いていた。しかし、トランプ氏が6日間で猛追。投開票日の11月8日にトランプ氏が逆転する可能性も見えてきた。トランプ氏が急追している要因の一つが、クリントン氏の私用メール問題だ。FBIが再捜査することを明らかにした。世論調査は、この問題の影響についても質問した。クリントン氏に投票する可能性について、63%が変わらないと回答した。34%が「投票する可能性が減った」と答えた。ABCニュースは、有権者のうち約6割が『クリントンが勝利する』と予想している現状を分析。勝負が決まったと判断したクリントン支持者が「投票に参加しない可能性がある」として、クリントン陣営のリスクを指摘した。民間世論調査は10月25日から28日にかけて、成人1160人を対象に実施された。(以下略)---一連のテレビ討論でトランプは完全に失墜したと思いきや、クリントン(ヒラリー)の私用メール疑惑という敵失で、またも息を吹き返しつつあるのだそうです。もっとも、世論調査の精度が果たしてどの程度のものなのかは判然としません。調査対象が1160人というのは、サンプル数として充分とはいえないと思われるので。しかし、いずれにしてもはっきりいえるのは、トランプには問題が非常に大きいものの、対立候補のヒラリーも全然支持されてはいない、ということです。元々、ヒラリーとトランプのいずれも、高感度が非常に低いと言われています。その中で、良し悪しはともかくとして、トランプには熱心な支持者がいる。けれども、ヒラリーは、彼女自身への支持というより、トランプは嫌だ、という消去法的な支持に留まっているのが現実です。オバマは、結局たいした変革をもたらしはしなかったものの、それでも初当選の際、米国の何かを変えるのではないか、という期待感のようなものがありました。トランプも、米国を変えるのではないかというものは感じます。もっとも、それは期待感というよりは恐怖感というべきものでしょうけれど。それに対して、ヒラリーが何かを変えるだろう、という期待感は(恐怖感も)全然ない。それでも、おそらく大統領選で勝つのはヒラリーだろうと思います。ただ、ヒラリーに何かが期待できるかというと、何も期待できそうにありません。おそらく、大統領に当選しても、何か思い切った政策はできそうもないし、支持率も低迷するでしょう。そうすると、今回の大統領選ではヒラリーが当選しても、4年後は果たしてどうでしょうか。まあ、初当選もしていないうちから4年後の心配をしても仕方がないのですが、もはや既成のエリート政治家に醒めきった有権者が、今度こそトランプ支持に流れ込む、という事態は、そんなに低い可能性ではないように思えます。トランプ旋風が今回の大統領選限りの一過性の現象ならよいのですが、どうもそうではなさそうですしね。以前にも書きましたが、要するに米国が世界の覇者として君臨するだけの力を失いつつある、その象徴としてのトランプ旋風です。そして、そのような背景は、候補者の主義主張は正反対ですけれど、おそらくバーニー・サンダースの善戦にも共通するのだろうと思います。だとすれば、4年後に既成のエリート政治家の心胆を寒からしめるのは、トランプではなくサンダースのあとを継ぐ人物(サンダース自身は、今75歳なので、4年後はさすがに難しいでしょう)であってほしいです。米国の有権者でもない私が書くのも変ですけどね。
2016.10.31
コメント(4)
三笠宮崇仁さま逝去 100歳、天皇陛下の叔父昭和天皇の末弟で天皇陛下の叔父にあたる三笠宮崇仁さまが27日東京都中央区の聖路加国際病院で亡くなられた。死因は心不全。100歳だった。急性肺炎のため5月から入院していた。戦時中は旧日本軍の大本営参謀などを務め、軍紀の乱れや残虐行為への反省を促す発言をしていたことが戦後に明らかになった。オリエント史の研究者としても知られた。三笠宮さまの皇位継承順位は5位だった。2002年11月に三男の高円宮憲仁さまが47歳で、12年6月に長男寛仁さまが66歳で、14年6月に次男・桂宮宜仁さまが66歳で亡くなり、男性のお子さまは全員鬼籍に入っている。5月16日に急性肺炎で入院して以降、6月中旬に心機能が低下。最近は血圧も安定し、ベッド上で手足を動かすなどのリハビリをしていた。関係者によると、肺に水がたまるなどして、何度か危機的な状況もあったという。三笠宮さまは15年12月に100歳の百寿を迎えた。宮内庁によると、記録上、皇族方で100歳は初めてだった。三笠宮さまは1915年12月2日、大正天皇の四男として誕生。幼少時の称号は澄宮。学習院初、中等科を経て、陸軍士官学校、陸軍大学を卒業。戦時中は、支那派遣軍参謀、大本営陸軍参謀などを歴任。中国での日本軍の規律の乱れや残虐行為への反省を促す声を軍内部であげるなど、毅然とした姿勢を貫いていたことが戦後に明らかになっている。「軍は歴史の研究が不十分だったのではないか」との思いから、戦後は西欧史、そして古代オリエント史へと歴史研究を志し、47年から3年間、東京帝国大学文学部研究生としてヘブライ史を学んだ。54年に日本オリエント学会設立に参加し会長に。75年には中近東文化センター設立に加わり総裁を務めた。東京女子大、青山学院大などの講師、東京芸術大美術学部客員教授として教壇に立った。(要旨・以下略)---三笠宮が亡くなったそうです。何と100歳の大往生でした。引用記事にあるように、陸軍参謀として各地に赴任しています。旧軍の皇族軍人は、たいていの場合はお飾り的な立場でしたが、三笠宮は「若杉参謀」という偽名で、皇族の身分を偽って従軍していました。(それだって、もちろん知っている人は知っていたでしょうけど)その間に、日本軍の軍規の乱れ、占領地での不行跡について、かなり見聞したようです。1943年から44年にかけて南京に赴任していました。そのため、南京事件についても(1937年12月から38年にかけての事件ですから、直接の経験はありませんが)、経験者の話を聞くところもあったのでしょう。戦時中は、東条内閣打倒のクーデター計画に加担しています。更に、戦後は歴史認識や、旧軍に対する批判を公言しています。南京事件については、「最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係ありません。私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から『新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる』という話を聞いた時でした。それ以来、陸軍士官学校で受けた教育とは一体なんだったのかという疑義に駆られました」(読売新聞社「This is 読売」94年8月号)とインタビューに答えています。また、紀元節※復活に反対の論陣を張ったため、かつては「赤い宮様」などと右翼に攻撃されたこともあります。※「神武天皇」が紀元前660年(皇紀元年)2月11日に即位した、として、戦前は2月11日が「紀元節」として祝日になっていました。敗戦後紀元節はいったん廃止されたものの、自民党政権はその復活を図り、野党の反対を押し切って、1966年に「建国記念の日」として2月11日が祝日化して現在に至っています。ところで、紀元節で気が付いたのですが、「宮内庁によると、記録上、皇族方で100歳は初めてだった。」という記述、さすがの宮内庁も、現在はそのように認識しているのですね。いうまでもなく、戦前の皇国史観の元では、初代神武天皇127歳、5代目孝昭天皇113歳、6代目孝安天皇137歳、7代天皇孝霊天皇128歳、8代孝元天皇116歳、9代開化天皇115歳・・・・・・16代の仁徳天皇まで、12代が100歳以上生きたことになっています。当然、歴史的事実として今から2000年も前の時代に、そんな超高齢者がぞろぞろいたはずがありません。「皇紀2600年」というのは、そのようなまったく架空の年号であり、歴史学者としてそのような架空の年号に基づく紀元節を受け入れがたかったというのもも当然のことでしょう。ただ、三笠宮の学歴を見ると、学習院を経て陸士・陸大ですから、およそ国粋主義の塊のような教育を受けてきたはずです。そのような教育に染め上げられてしまう人と、染め上げられない人がいる、ということなんでしょうね。三笠宮は後者だったのでしょう。それにしても、子どもが3人先に亡くなるとは、親としては辛かったでしょうね。それも、3人とも長生きではなかったですから。100歳まで生きる、ということは、そういうことが起こりやすい、ということです。長生きが幸せとは限りませんね。ご冥福をお祈りします。
2016.10.29
コメント(2)
「津波襲来予見できた」大川小犠牲、学校に過失東日本大震災の津波で犠牲となった宮城県石巻市立大川小学校の児童23人の遺族らが市と県を相手取り、計23億円の損害賠償を求めた訴訟で、仙台地裁は26日、市と県に対し、計約14億2658万円の支払いを命じる判決を言い渡した。高宮健二裁判長は、当時、市の広報車が高台への避難を呼びかけていたことなどから、現場にいた教員らには「津波が襲来することを予見し、認識できた」とした上で、すぐそばの裏山へ避難させずに児童らを死なせた過失があったと認定した。訴えていたのは、死亡・行方不明となった児童23人の遺族ら29人。判決によると、地震発生後、教員らの指示で児童は校庭に避難した。児童らは校庭に待機後、約150メートル離れた交差点付近の「三角地帯」と呼ばれる北上川堤防近くの高台への移動を開始。川をさかのぼった津波が堤防を越え、移動開始直後に巻き込まれた。児童74人、教職員10人の計84人が死亡・行方不明となり、当時学校にいて助かったのは児童4人と教員1人だった。---この一件は、犠牲になったのがもっばら子どもたちばかりだったこと、行動が誤っていなければ充分救えたはずの命だったこと、などの点から、東日本大震災の2万人近い犠牲者の中でも、もっとも痛ましい出来事であるように思えます。地震発生の2時46分から津波の来襲まで、40分か50分の時間があったにもかかわらず、避難するかどうか、避難するとして、目の前の裏山に逃げるか、北上川沿いの堤防(いわゆる三角地帯)に逃げるかで教員の間で意見がまとまらず、やっとまとまったときには津波来襲直前、しかも、目の前の裏山ではなく、三角地帯に向かった結果、全員が波に飲まれて、児童78人中74人、教員11人中10人が亡くなる(行方不明含)という、無残な結果となりました。この悲劇をめぐっては、いろいろな背景が説明されています。小学校は海岸線から4kmも離れており、当時の津波予想ハザードマップではそこまで津波が来るとは予想されていなかったこと、そのため小学校自体が避難所に指定されていたこと、その避難所が危険になった場合、次はどこに逃げるのかは決められていなかったこと、しかし学校自体が2階建てで高さも10mに満たず、屋上もなかったこと、運の悪いことに、当日学校の最高責任者である学校長が不在で(自身のお子さんの卒業式出席のため休暇を取っていたと報じられています)、決定権のある人がいなかったこと、などです。確かに、津波の際の避難所に指定されていた公共施設自体が水没して、避難者に多くの犠牲が出た事例は、他にもありました。また、学校長も人間である以上、地震の発生を予知できるはずもなく、社会生活上必要な休暇を取ることが責められるはずもありません。ただ、この小学校は、海抜高度がほぼ0mの位置にあるそうです。そして、当時「6mの津波」という警報が発せられていました。ハザードマップの記述がどうあれ、近隣住民や保護者には「津波は学校まで来る」と思った人も少なくなかったようです。こちらの記事によれば子どもを引き取りに来た母親の一人は「2時40分ごろに学校に着いたのですが、間もなく巨大な揺れが襲ってきました。2時50分ごろ、先生と児童が次々と校庭に出てきて、間もなく点呼を取り始めました。このとき、先生数人が円形に向き合って話し合っていました。『6mだってよ』とか『10mか?』などと男の先生の声が聞こえてきました。『帰っていいですか』と先生たちに尋ねて、子供を親に引き渡す際の『受け渡し書』に署名をした後、一年生の友達も乗せてあげて3人で急いで逃げました」と証言しているので、教員たちも津波の予想高さについての認識はあったようです。一方、やはり子どもを引き取った別の母親は「地震の揺れが尋常ではなかったので、すぐに自宅を出発し、道路の亀裂を避けながら走って、3時少し前になんとか学校に辿り着きました。学校はまだ落ち着いた様子でしたが、校庭にいた娘は恐怖で泣いていました」道すがら聴いていた車のラジオでは、大津波の襲来を伝えていた。近くにいた担任教員に「6mの津波が来ます。逃げてください」と裏山を指差して促した。だが、担任は「落ち着いてください」と言うばかりで、行動を起こそうとはしなかった。 結局、担任に「周りの子が動揺するので、先に連れて帰ってください」と言われたので、3時5分ごろ、来た道とは別のルートを通って10分ほどかけて北上川沿いの自宅に帰った。と証言しています。なお、実際の津波は、6mどころか、石巻市鮎川で8.6m以上が記録されていてます。それ以上は計測不能で、実際には大幅に上回っていたかもしれません。しかし、予想どおりの6mの津波だったとしても、北上川の堤防よりは高いので、論理的に考えれば乗り越えると予想できたはずです。また、東日本在震災で津波に飲まれた学校は多数あるものの、児童・生徒に多くの犠牲者を出してしまった学校が大川小だけだったそうです。これらのことから考えて、やはり地震の後、津波が来ることが予見不可能だった、被害が不可抗力だったとは言い難いでしょう。前述の記事の証言によれば、教員の中にも「裏山に逃げる」という意見はあったようです。が、倒木や雪があって危険、登れない子どももいるかも、という否定意見が出て、全体の意見にはならなかったようです。議論は紛糾して、結論は遅れに遅れた挙句、北上川の堤防(三角地帯)に避難するという最悪の選択に至りました。彼らはその避難場所に着く前に津波に飲まれたのですが、着いていたとしても結果は変わりません。三角地帯も完全に水没したそうですから。刻々と津波が迫る中、40分以上の時間を空費した挙句、間違った結論を出したことは、最悪というしかありません。ただ、それが人間のもつ抗し難い性質の一つであることも事実です。津波警報が出ているけれど、本当に津波は来るのか、来ないんじゃないか、そう思った(あるいは思いたかった)から、一刻を争うという危機感が乏しかった。津波が来たらみんな飲まれて死ぬ、という、あまりに深刻すぎて想像もしたくないような危険性に実感がなく、子どもを裏山に避難させても結局は津波は来ず、けが人でも出たら、後で保護者からクレームが、というような「より身近に感じられる」危険性が判断を左右した、案外そんな心理だったのではないでしょうか。ある種の条件下では誰もが陥る可能性のある、心理的陥穽でしょう。教員の誰か一人でも、冗談じゃない、こんな議論をしている場合か、うちのクラスだけで裏山に逃げるぞ、と啖呵を切って単独行動に出れば、つられて動く他の教員や子どもも現れて、半分くらい助かったのでは、とも思うのですが、そうやって単独行動に出た挙句に津波が来なかったら後が怖いと思って動けなかったのかもしれません。いざというときに、やり直しのきかない、一度限りの行動を間違えずに行うことって、当たり前のように見えて、実は結構難しいことです。いずれにしても、法的責任がどうであれ、賠償額がどうであれ、予見可能性があったにしてもなかったにしても、手順を間違えなければ失われないで済んだ多くの命が失われたのは歴然たる事実です。次に同じことがおきたときに、手順を間違えないための検証は必要でしょう。私が個人的にこの一件から汲み取ったのは、避難マニュアルやハザードマップは参考にするにしても、そこに書いていないことも起こり、書いていない場所にも被害が及ぶことも当然あると認識すべき避難はとにかく時間が命希望的観測は、そこに根拠となるものがあるかどうかを理詰めで考えるべき群集心理、他人に流されるのではなく、自分が危険と判断したら、せめて自分自身とその影響力が及ぶ範囲だけでも、ただちに行動すべきといったところです。
2016.10.27
コメント(5)
鳥取で震度6弱 伯耆町の県道で土砂崩れ気象庁によると21日午後2時7分ごろ、鳥取県中部を震源とする地震が発生し、同県倉吉市などで震度6弱を観測した。震源の深さは約10kmで地震の規模はM6.6と推定される。震度6弱はこの他、同県の湯梨浜町と北栄町。鳥取市内や岡山県の真庭市、鏡野町では震度5強を観測した。鳥取県は災害対策本部を設置し、被害の確認を進めている。倉吉市では複数のけが人が出ているが、いずれも軽傷とみられる。現地消防によると、湯梨浜町で住宅1棟が倒壊したが、空き家でけが人はなかった。北栄町でも複数の建物が倒壊した。米子市では空き家1棟が倒壊、商店街でアーケードのトタン板が落下したため市が撤去した。鳥取県中部では、午後2時53分ごろにM5.0の地震が起きたほか、M4前後の地震が複数回起きている。震度6弱を観測した倉吉市では市役所庁舎が損壊して職員らは屋外へ避難。市内の同県中部総合事務所に災害対策本部を置いた。震度5強を観測した鳥取市内では消防によると、スーパーマーケットで調理中の店員が油をかぶり搬送された。また、ビルのエレベーターが緊急停止し、中に人が閉じ込められているという情報がある。鳥取県伯耆町によると、町内の県道の一部で土砂崩れが発生したが、車は巻き込まれていないとみられる。岡山県内の中国自動車道などでは一時通行止めにして、安全を確認した。 ---また、大きな地震です。東京では揺れが観測されなかったので、全然気が付きませんでした。ただ、関西在住のFB友達が何人か揺れたと書いていたので、関西で地震があったことだけは分かりましたが、そんなに大きいとは気が付きませんでした。幸いなことにこれまでのところ死者は報告されていないようです。最大深度は震度6弱で、複数の建物が倒壊というので、死者が出ていても不思議ではなかったでしょう。建物自体が倒壊しなくても、家具が倒れれば、その下敷きになる事態もありえます。金曜日の午後2時過ぎなので、多くの人が仕事か学校に行っていたことも幸運に作用したのでしょうか。もっとも、東日本大震災の4日後の2011年3月15日に、富士宮市で震度6強を記録する地震がありましたが、そのときも怪我人は出たものの、死者は出ませんでした。これは、富士宮市が東海大地震の想定震源域の只中にあり、地震対策がかなり進んでいたことも被害が小さかった理由として挙げられています。今回の鳥取地震はどうでしょうか。この地域も、過去、1943年9月10日の鳥取地震(M7.2、死者1000名以上)、2000年10月6日鳥取県西部地震(M7.3、死者なし)と、何度か起こっています。それだけに、地震対策もある程度は進んでいたのかも知れません。それにしても、今年は熊本地震に鳥取地震。日本に地震のない土地はないですねえ。ところで、今回の地震が、南海トラフの巨大地震の前兆ではないか、という意見もあるようです。確かに、1943年の鳥取地震の翌1944年と1946年に昭和東南海地震と昭和南海地震が起こっていますし、歴史を紐解くと880年の出雲地震のあと887年に仁和地震という南海トラフの巨大地震が起こっている前例もあります。ただ、この間、安政地震、宝永地震など、南海トラフの巨大地震は何回も起きていますが、その直前に鳥取や島根での大地震があったわけではありません。宝永地震の場合は、順序が逆で、宝永地震の3年後の1710年に仁和地震が起こっていますし、1872年浜田地震や2000年鳥取県西部地震では、その前後に南海トラフの地震は伴っていません。実際のところは、今回の地震が南海トラフの巨大(あるいは超巨大)地震につながるかどうかは、皆目分からない、というところでしょう。可能性がゼロと断定はできないけれど、高い可能性があるとも言えない、というところでしょう。ただ、過去の南海/当南海/東海地震の発生頻度から考えると、今後数年以内の巨大(あるいは超巨大)地震発生の可能性が高いとは言えません。過去、最短頻度での地震発生は、1854年安政東海/南海地震から、1944年の昭和南海地震、46年の昭和東南海地震までの約90年です。その昭和南海地震からまだ70年余りしか経っていない今すぐに、次の東南海/南海地震が来るかというと、さて、どうでしょうねえ・・・・・・。
2016.10.22
コメント(4)

大阪府警の若い機動隊員が、派遣先の沖縄・高江のヘリパッド建設反対派に対して「土人」と暴言を吐いた件(更に、別の警官が「シナ人」と暴言を吐く動画も公開されています)について、批判が高まる一方で、「反対派もひどい暴言を吐いているじゃないか」みたいなことを叫ぶ連中も少なくないようです。その代表例が大阪府知事であるわけですが、こういう連中は大いなる勘違いをしているとしか思えません。警官は、拳銃で武装する権限まで与えられて(実際に高江で拳銃を装備していたかどうかは知りませんが)、職務として給料をもらってそこにいるのです。持っている権力、権限が一般住民とは異なるのに、行動のレベルが一般住民と同じでよいわけがありません。権限、権力には、それに応じた自制、抑制が必須です。さて、そもそも反対派の運動が激烈を極めるのはなぜか?それは政府が高圧的に高江へのヘリパッド移設工事を進めようとするからでしょう。激烈を極める、と言っても、実際のところは、たとえば成田空港反対闘争のようにテロが起きているわけではありません。あくまでも非暴力的な反対が行われているに過ぎないのです。高江のヘリパッド移設問題は、沖縄北部の広大な土地を占める、米軍沖縄北部訓練場の一部返還の動きに付随して生じた問題です。この北部訓練場には全部で22箇所のヘリパッド(ヘリコプター着陸帯)があります。このうち、日本側に返還予定の地域には7箇所あるのですが、それを残りの部分に移設する(実際には、1つ数を減らして6箇所にヘリパッドを作る)、というのが政府の計画です。ここには、問題が二つあるように思います。そもそも、返還予定地域に7箇所のヘリパッドがある、ということは、差引15箇所のヘリパッドは、依然として米軍の演習場内に残るということです。北部訓練場の総面積78平方キロのうち、半分以上の40平方キロが返還されるのに、残りの地域に従前とほぼ同じ数のヘリパッドが何故必要なのでしょうか。15箇所ものヘリパッドが今後も残るのに、何故それでは足りないのでしょうか。せっかく訓練場の面積が減っても、上空を飛び交うヘリコプターの騒音は変わらない、ということになってしまいます。いや、変わらないどころではないのです。もう一つの問題はそこです。返還対象区域のヘリパッドは、概ね演習場の北方、人家から離れたところにあります。ところが、移設先は、高江集落を取り囲むように、人家にかなり近いところなのです。地図中の赤丸が返還区域内のヘリパッドであり、それらが高江からは遠方にあることが分かります。それをわざわざ、高江を取り囲むようにその周辺に移設するというのだから、高江の住民にとっては、何のメリットもない、どころかデメリットしかありません。自分の住んでいる土地を奪われることを望む人がいるでしょうか。奪われないまでも、目の前に、それも地区を囲むように6箇所ものヘリパッドを建設されて、そこに轟音のヘリコプターが発着し、あるいは上空を飛び交うことを望む人がいるでしょうか。それが高江が置かれている状況です。死に物狂いで抵抗するのは当たり前です。かつて、成田空港建設をめぐって、激しい反対運動が繰り広げられたことがあります。私は、新左翼過激派が加わった空港反対運動には、まったく賛同しかねます。当時の時点で羽田空港の容量がいっぱいで、新空港が必要だったことも分かります。私自身、過去7回の海外旅行はすべて成田空港を使っていますから、その恩恵は充分受けています。それでも、「空港のため」という大義名分の下に、高圧的に土地を奪われて地元の人たちの怒りや苦しみは、分からないことはないのです。自分がそれをやられたら、はらわたが煮えくり返るに決まっているから。新左翼過激派を味方に引き入れての反対闘争がやり方としてよかったとは思わないけれど、そのような事態を招き寄せたのが、当時の佐藤内閣の強硬姿勢だったことも確かなのです。結果として、泥沼の闘争が長引くことになりました。土地をめぐる恨みは恐ろしいのです。それでも、1960年代後半時点での新しい空港の必要性ならは私にも分かります。※もっとも、その場所が東京から遠い成田である必然性があったのかどうかは分かりません。その後の羽田の沖合い展開を見ると、同じことが当時できなかったのかな?という疑問は感じます。当時の土木技術では難しかったのでしょうか?しかし、高江へのヘリパッドについては、その必要性はとても認め難いのです。沖縄駐留米軍を縮小していくべきときに、返還される訓練場とほぼ同じ数のヘリパッドを維持し続けることに、合理性など見出すことはできません。そのような合理性を欠くヘリパッド移設のために高江の住民が犠牲になる必然性もまた、見出すことはできないのです。先にも書いたように、高江のヘリパッド反対運動は、成田とは違い、火炎瓶もロケット弾も飛び交ってはいません。ただ単に路上に座り込んでいるだけです。これほど非暴力的な運動もないのです。
2016.10.21
コメント(2)
機動隊員「ぼけ、土人が」 ヘリパッド建設抗議の市民に沖縄県東村高江周辺で進むヘリパッド移設工事現場の周辺で、抗議活動をしている市民に警察の機動隊員が差別的な発言をしたとして、沖縄県警は19日、「極めて遺憾だ」と謝罪した。発言の様子を映した動画は、18日にインターネットの動画サイトに投稿された。フェンスをつかんで抗議していた市民らに、機動隊員が「どこつかんどるんじゃ、ぼけ、土人が」と発言する様子が映っている。県警によると、発言したのは沖縄県警の要請で大阪府警が派遣した20代の男性機動隊員。18日午前9時50分ごろ、高江近くの県道付近で警備中に発言し、本人も事実を認めているという。沖縄では、沖縄戦時や本土復帰前、本土側が沖縄の人々を見下す言葉として「土人」を使っていたと認識されている。動画サイトには、機動隊員が市民を「シナ人」と呼ぶ様子を映した動画も投稿され、沖縄県警が調べている。県警警備2課の喜納啓信次席は「現場では冷静沈着で丁寧な対応を指導してきたが、発言は遺憾。このようなことがないよう改めて指導する」と話した。---私の相棒が先日沖縄に行き、高江にも足を運んだのは、先日も記事を書いたとおりです。その高江で、反対派に対してこんなことを叫んだ警官がいたそうです。土人、ねえ。要するに、相手を対等の日本国民とはみなしていない、ということです。この警官自身がネトウヨ思想に浸食されているのかもしれませんが、そうだとしても、東京や大阪で同様の抗議活動の現場で同じ言葉を吐くでしょうか。何らかの暴言は吐きそうですが、おそらくそれは別の種類の罵倒語であろうと思うのです。「土人」なんて言葉が出てくるのは、沖縄の人たちを同胞だとは思っていないからでしょう。大阪府警から派遣されてきた警官が、沖縄の人に向かってそういう発言をした、つまり本土の警察にとって沖縄は同胞ではない、という印象を沖縄県民に与えたことになります。そのことの影響は、決して小さくはないだろうと思います。それにしても、引用記事にあるように市民を「シナ人」と呼んだ警官もいたようです。しかも、これは「土人」発言とは別の警官のようです。一人の暴言であれば、本人の資質の問題かもしれませんが、複数の警官が同様の暴言を吐いているのは、個人ではなく組織の体質の問題です。警察だって公務員です。しかも、自衛隊ほどではないにしても武力を所持する権限を持つ公務員です。その立場の人間が、いくら頭に血が昇っても、住民に対して言っては絶対に許されない言葉というのはあるでしょう。そもそもそんなこと以前に、高江にヘリパッドを作ろうとすること自体、そのために県外から警察を動員していること自体に問題が大きいのですが。追記 この暴言に対して、案の定というか、大阪の松井府知事が擁護しているようです。松井知事、ツイッターで「出張ご苦労様」 差別発言問題沖縄県で大阪府警の機動隊員が差別的な発言をした問題で、松井一郎大阪府知事は19日夜、自身のツイッターに「ネットでの映像を見ましたが、表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様」と書き込んだ。---今まで、あれだけ自らの部下である公務員を攻撃してきた人間が、よりによって住民に対して「土人」呼ばわりした警官を「一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様」ですか。大阪維新の会が叫ぶ「公務員改革」とやらは、一生懸命職務を遂行すれば、住民を土人呼ばわりすることも許される、というものなのかい。たとえば大阪市役所の窓口で、いかにクレームがあったとしても、住民に向かって「土人」呼ばわりする職員がいたら、それを了とするのかい。まったくあきれ果てた話です。
2016.10.19
コメント(5)
「北方領土」で共産 二島返還で平和条約締結しないよう申し入れ共産党の志位委員長は、国会内で菅官房長官と会談し、北方領土問題を含む平和条約交渉で、ロシア側と歯舞・色丹の二島返還で合意したとしても、領土問題が最終的に解決したことにならないとして、平和条約を締結しないよう申し入れました。この中で、共産党の志位委員長は、北方領土問題を含む平和条約交渉について「歯舞・色丹の先行返還はあり得るが、二島返還で平和条約を締結することは、その後の領土交渉の道を閉ざすことになり、決してやってはならない」と述べました。これに対し、菅官房長官は「共産党の主張は受け止めた。四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するのが政府の基本方針であり、その方針は全く変わらない」と述べました。共産党は、北方領土問題について、党の綱領に「日本の歴史的領土である千島列島と歯舞諸島・色丹島の返還を目指す」と明記しています。---昨日の記事のコメント欄に(日本共産党の)主張の中で「それは違うんじゃないか」「そこは同意できない」という部分もたくさんあるのですが、それでも、消去法的ではあれ、入れようと思う党は共産党になりますと書いたのですが、そうしたら早速、「そこは同意できない」ことが出てきてしまいました。共産党は、北方領土問題について、引用記事にあるように政府の公式見解である北方4島返還ではなく、それより広い全千島返還を要求しています。論理的には、その主張は間違ってはいないと思います。千島列島の中で、択捉島と得撫島の間に国境線を引く根拠は乏しいですから。しかし、論理的には間違っていないけれど実現性はゼロです。ロシアが全千島を日本に引き渡すことなど、ロシアという国が崩壊してもないでしょう。もっとも、実現性がゼロという点では、北方4島返還だって大同小異ですけれどね。どうせ、どちらも実現不可能なんだから、より大きな主張を掲げたって、たいした違いはありません。しかし、歯舞・色丹の二島返還で合意しただけでは平和条約は締結するな、という主張は問題があるように思います。ロシア側は歯舞・色丹の二島返還以上を認める気はありません。ということは、現実的には、共産党の主張は「ロシアとは平和条約を結ぶな」ということになります。1956年の日ソ共同宣言は、日ソ両国は引き続き平和条約締結交渉を行い、条約締結後にソ連は日本へ歯舞群島と色丹島を引き渡すことを規定しています。「共同宣言」ですから、日本側はこの内容に合意しているのです。が、後になって合意を翻し、共同宣言に載っていない国後、択捉も含めた4島返還を掲げたため、北方領土問題は今に至るまで解決していません。共産党は歯舞・色丹の2島先行返還はありえるが、と言っているようです。しかし上記の日ソ共同宣言は、平和条約締結後に歯舞群島と色丹島を引き渡す、としているのだから、平和条約を締結するな、というのは歯舞・色丹も返還されなくてよい、ということになります。要するに、実務レベルでは歴代自民党政権と何も変わらないことを言っているわけです。今までがそうだったように、今後もそのような要求を掲げている限り、北方領土問題は永久に解決せず、1島たりとも帰ってこないでしょう。それで本当によいと共産党は考えているのでしょうか。むしろ、平和条約を締結して友好関係を確立した上で、領土の帰属は譲って千島列島については共同開発とか、自由往来などの権益を確保するほうが、よほど実利があると私は思うのですがね。
2016.10.18
コメント(6)
新潟県知事選 米山氏が初当選 再稼働反対派、安倍政権に痛手任期満了に伴う新潟県知事選は16日投開票され、無所属新人で医師の米山隆一氏=共産、自由、社民推薦=が、前同県長岡市長、森民夫氏=自民、公明推薦らの3新人を破り、初当選した。米山氏は現状での東京電力柏崎刈羽原発の再稼働に反対しており、政府の原発政策に影響を与える可能性が出てきた。投票率は53.05%(前回43.95%)。米山氏は出馬表明が告示6日前と出遅れたものの、再稼働に慎重だった泉田裕彦知事の路線を継承すると明言し、争点を絞って脱原発派を取り込んだ。与党が全面支援した森氏の敗北は安倍政権の痛手になる。与野党対決ながら、民進党が自主投票を決め、支援は野党間でばらつきがあった。しかし森氏との接戦が伝わると、民進党から脱原発を主張する国会議員らが有志で支援するようになり、終盤には蓮舫代表も応援のため新潟入り。野党統一候補が自民現職を降した7月の参院選新潟選挙区に続く勝利となった。初当選を決めた米山氏は新潟市内の事務所で、「原発再稼働に関しては、皆さんの命と暮らしを守れない現状で認めることはできないとはっきりと約束します」と述べた。(以下略)---正直なところ、結局は勝てないのではないか、と思っていたので、良い意味で予想外であり、驚きました。それだけ、原発再稼動に対する視線が厳しい、ということです。当然のことですが、むしろ東京あたりより原発に対する視線は厳しいのでしょう。投票率が前回より9ポイント上がった点も見逃せません。それだけ注目度が高かったということです。もっとも、前回の投票率が44%弱というのが異常に低かっただけ、とも言えそうです。それにしても、米山候補は民進党の衆院選立候補予定者だったにもかかわらず、民進党自身が推薦せず、という対応には首を傾げるしかありません。元々は自民党から維新の党に移り、かつては原発に賛成を公言していたこともある人ですが、それでも社民党と共産党は小異を捨てて推薦しているのに、当の民進党が推薦しないのです。要するに民進党の支持母体である連合が原発賛成だから、それに配慮したのでしょう。どっちを向いているんだよ、と思います。そういう意味では、「自民党は負けたが、民進党が勝ったわけでもない」と言えそうです。逆に言えば、沖縄と同様に、民進党抜きの野党統一候補でも自民党に勝てたことは、民進党の野党第一党としての存在意義に大いに疑義を投げかけたともいえます。それでも、党首の蓮舫自身が応援演説を行ったことで、ある程度はこの失策をカバーしたと思いますが。私は、基本的には野党の共闘を大いに支持しますけど、それは現在の野党各党に問題がない、という意味ではありません。各党とも、色々な欠点を抱えている。中でも、民進党に対する不満は、私の中では一番大きいといわざるを得ません。
2016.10.17
コメント(4)
玉井克哉(Katsuya TAMAI)「残業100時間は何が何でも悪いんじゃ〜、ガー」という人が次から次へと沸いてきて驚いているんだけど、そういう人は、震災の後の自衛隊員が何時間働いたか、想像つかないのかな。あのときに「けしからん、長時間労働は止めさせよ」と言ったんなら、首尾一貫するとは言える。賛成はしないけどね。---電通の新入社員が過労から自殺に至った件に関連して、少し前に武蔵野大学グローバルビジネス学科の長谷川秀夫教授が「月100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない」と言い放って批判を浴びました。うつ病というこころの病気の非を、本人に求める言い分です。風邪を引くのは本人が悪い、怪我をするのは本人が悪い、そして糖尿病から透析に至るのは本人が悪いという論理につながっているように思えます。確かに、100時間という残業時間に対する耐性は個人差があるでしょう。なんでもなくこなせる人もいるでしょう。しかし、耐性が低いのは本人の非なのか。そもそも、仕事の全体量を把握して、自分で仕事の段取りを組んで仕事をした結果残業時間が100時間というのと、全体像も分からないまま上司に命じられ、ただただ帰れないで100時間というのでは、精神的負担は相当違います。新入社員という立場で前者のような仕事ができたわけもなく、しかも上司によるパワハラもあったと伝えられる状況で、月100時間の残業で精神に変調をきたすのが、本人の責であるはずがなく、まして情けないなどと言えるはずがありません。と、思っていたら、今度は引用ツィッターのようなことを言う教授も現れたそうです。これも、言いたいことがまったく意味不明です。震災時の自衛隊員が何時間働いたかは知りません。私だって311のときは、地震翌日の午後まで、30時間ぶっ通しで職場と派遣先の避難所にいました(その間に2~3時間仮眠した)。確かに、30時間連続繁務でも、そのときはきついとは全然思いませんでした。仮眠は、薄い毛布1枚だけで、寒い体育館で横になっていたけれど、「寒い」とは全然感じなかったことも覚えています。しかし、いくら疲れを感じていなくても、体は正直です。翌日帰宅したらヘトヘトになって、泥のように眠りました。緊急時に、「火事場の馬鹿力」的に長時間労働に耐えられるとしても、それは結局のところ疲労を感じる神経が一時的に麻痺しているだけのことです。そんな状態をいつまでも続けることはできません。いくら非常時でも、それに耐えられるのは、せいぜい1~2週間ではないでしょうか。それを超えて非常状態が延々と続いたら、その「非常」はもはや非常ではなく平常です。災害派遣の自衛隊員は交代制だから、一人の自衛官が何ヶ月も(問題の電通社員は就職してから自殺まで8ヶ月)厳しい現場に派遣され続けることはないでしょう。一方、交代要員がいない被災自治体の役所の職員なんかは、延々と続く非常体制の結果、相当数の心の病気が発生したと聞きます。やはり、何ヶ月も、まして年単位に及ぶような超長時間労働は、心身を蝕むものであり、非常時であることを免罪符にして超長時間労働を容認することは、後に大きな傷跡を残すと言わざるをえないでしょう。
2016.10.14
コメント(3)
都内で一時58万戸停電 東電「原因はケーブルの出火」12日午後3時半ごろ、東京都内で停電が発生し、豊島区や練馬区を中心に都心部を含む約58万6千戸が一時停電した。東京電力によると、埼玉県新座市野火止7丁目の地下に設置された電力ケーブルで漏電、火災が起きたのが原因とみられるといい、午後4時25分ごろには復旧した。交通の乱れなどの影響が出た。東電などによると、同日午後2時55分ごろ、新座変電所と都心にある変電所をつなぐ電力ケーブルが通る「洞道」と呼ばれるトンネル内で火災が発生した。新座変電所から約1.9km離れた場所とみられるという。洞道への出入り口から黒煙が噴き出した。洞道は地下約6.2mに掘られ、内部には新座変電所から豊島変電所と練馬変電所へ計18本の電力ケーブルが通っている。各ケーブルには電圧27万5千ボルトの電気が流れている。この二つの系統を経由して電力が供給される地域は都心中心部の広い範囲に及び、東京地裁や国土交通省、文部科学省など霞が関の中央省庁も一時停電した。停電の影響で、西武鉄道は池袋線など10路線で一時的に運転を見合わせた。都営大江戸線も一時運行できなくなった。国土交通省によると、停電によって人がエレベーターに閉じ込められる事案が都内で51件発生。大部分は間もなく救出され、けが人はいなかったという。警視庁によると、新宿、杉並、練馬、板橋、港、中野、北の各区などで計約200カ所の信号機が一時機能しなくなった。警察官が手信号で対応するなどしており、大きな事故は確認されていないという。大規模停電を受け、経済産業省は12日、新座市の洞道などの現場に、電気事業法に基づく立ち入り検査を行い、原因究明に当たることを明らかにした。新座変電所では8日午後にも、変圧器の漏電が原因で短時間の電圧低下が起きたが、東電は12日の記者会見で「現時点では(今回の停電との)関係は確認できていない」としている。---ずいぶん大規模な停電だったようです。ただし、停電の大半は10分前後で復旧しています。もっとも時間がかかったところでも、1時間くらいで復旧しています。そういう意味では、被害は最小限度に抑えられた、とは言えます。もっとも、その原因が電力ケーブルで漏電で、問題のケーブルは35年も更新されていないとか。ある種の人災と言えますが、そのような古い電力ケーブルが全国にはまだまだたくさんあるのだそうです。ということは、今後も同種の事故が起こる可能性がある、ということでしょうか。大規模停電というと、思い出すのは10年前、2006年夏の大規模停電です。あの時は、通勤中に地下鉄が止まってしまい、大変でした。お盆休みで人が少なかったのが不幸中の幸いでしたが。あの時は、停電した軒数が140万軒だから、停電の規模も、それによる交通への影響も今回より大きかったようです。あの時は、クレーンを搭載した作業船が江戸川でクレーンを高圧電線に引っ掛けたのが原因でした。前回のときも今回も、たった1箇所のケーブルが切断(あるいは焼損)することで、こんな大規模な停電に至るのですね。ところで、この停電について、こんなことを言っている政治家がいます。都内の大停電「情報開示しない方がよいのでは」 山東氏山東昭子元参院副議長(東京都内での大規模停電について)~今朝、テレビで「埼玉のここで起きた火災によって、こんなに多くのところが停電をした」ということで、地図が出ていた。あれは報道の自由とは言いながら、情報は開示しないほうがよろしいんじゃないかな、という気がしている。日本は島国で、テロ対策でも性善説を唱えてきたが、ここに来て(五輪などで)世界からいろんな方がみえる時には、こうしたものは関係者だけにして、できるだけ隠すべき情報は隠し、開示すべきものは(開示する)、というメリハリをつけていくべきだ。---何を言っているのか、と思いますね。テロ対策という錦の御旗を掲げれば、何でも隠せる、隠してよいというつもりでしょうか。知らしむべからず、よらしむべしという、時代錯誤的な為政者感覚の最たるものです。何十万軒という規模で、停電という被害が出ているのです。それなのに、その原因や経緯を説明しない、ということがありえるのでしょうか。金を取って営業行為として電気を供給しているのに、その供給が途絶える事態を起こしても何も説明しない、などということは、どう考えてもありえないでしょう。それに、火災が起こっているのに、その事実を報じないということもまた、ありえないでしょう。実際問題として、そのような、何も知らせない対応は、流言飛語を招く大きな要因になるのですが、山東はそのような事態がお望みだ、ということでしょうか。
2016.10.13
コメント(2)
飛行機に立ち乗り客? 全日空機、離陸直前に発覚国土交通省は11日、全日空機が定員より多い客を誤って搭乗させ、1人が立ったまま離陸しようとするトラブルがあったと発表した。国交省は同日午後、同社を厳重注意する。トラブルは9月30日、福岡発羽田行きの便で起きた。国交省によると、父と一緒に搭乗予定だった息子が、間違って父親のチケットのバーコードを予約・発券サイトからダウンロードし、スマートフォンに表示させて保安検査場や搭乗口を通過した。父と同じバーコードが使われたため、「再通過」などのエラーメッセージが出たが、保安検査員らは読み取り機に複数回かざしたことが原因と考え、通過させたという。予約システム上では息子は「未搭乗」のまま。全日空はその席にキャンセル待ちの客1人を搭乗させた。当時は満席で、結果的に定員より1人多く搭乗してしまったという。駐機場を離れた後、立っている客がいることに乗務員が気づき発覚。飛行機はすぐに駐機場に戻ったという。---日本だと、これがニュースになるんですね。昔々、1989年に南米に行ったとき、ペルーの首都リマからクスコへ飛んだフォーセット航空機で、離陸から着陸までずっと床に座り込んでいる乗客(だったと思います、多分乗務員ではなかったと)がいました。あれは立ち乗り乗客だったんじゃないかと思います。私自身、その飛行機に31Aという搭乗券をもらって搭乗したら、なぜか座席が30番までしかなかったのですよ。あやうく私自身も立ち席乗客になるところでしたが、30番という席が予備席だったらしくて、乗客がいなかったのでそこに座ることができました。当時は、南米の国内線は自由席という例が結構多くて、私が乗った飛行機も、実質的には自由席だったのかもしれません。もっとも、今でも同じかどうかは分かりません。さすがに今は自由席制はないだろうと思うんですけどね。読んだ話では、旧ソ連の時代のアエロフロートの国内線にも、立ち席乗客がいたという話ですけどね。確か、椎名誠のシベリア紀行の著書(シベリアを題材にした複数の本があるので、そのどれかは分かりませんが)で、そんなことが書かれていたように記憶しています。そのことが記憶にあったので、ペルーの飛行機での経験も、それほど仰天したわけではなく、「南米も同じなんだ」でしたけどね。日本だと、立ち席乗客は言うまでもなく、自由席搭乗券だってありえません。おそらく、セキュリティ上もそんなのは大問題ということになるでしょうし。セキュリティということで言えば、かつて911までの米国の空港には、「出国手続き」というものがありませんでした。そして、国際線でも国内線でも、チケットカウンターで搭乗手続きをしなくても、パスポートも搭乗券も持っていなくても、ボーディングブリッジ脇まで行くことができました。もちろん、その間に手荷物のX線検査はありましたけど。だから、見送りの人が、ボーディングブリッジの脇で別れの挨拶、なんて光景は何回も見ましたし(さすがに、機内に入るところで搭乗券のチェックがあったので、乗客でない者が機内に入ることはできなかった)、私なんかマイアミ空港で、トランジットの間に売店を探してうろついていたら、うっかり空港の外に出てしまったことがありました。出国手続きがないから、出国済みの乗客の「再入国」を防ぐような仕組みもなかったのです。ちなみに、そのときは何事もなく再びボーディングブリッジまで戻ることができました。911まではそんなに緩かった米国の空港も、今は厳しいので、乗客でない人がボーディングブリッジ脇まで行くことも、手荷物検査済の乗客が空港の外に逆流することも、できなくなっているはずです。
2016.10.12
コメント(4)
阿蘇山 活発な火山活動続く 引き続き警戒を8日に爆発的な噴火が起きた熊本県の阿蘇山の中岳第一火口では、その後も活発な火山活動が続いています。気象庁は、今後も同じ程度の規模の噴火が起きるおそれがあるとして、火口から約2kmの範囲では、引き続き大きな噴石や火砕流に警戒するよう呼びかけています。8日未明に阿蘇山の中岳第一火口で発生した爆発的な噴火では、大きな噴石が火口か約1.2km先まで飛び、噴煙は高さ11,000mに達したことが確認され、気象庁は噴火警戒レベルをレベル2からレベル3の「入山規制」に引き上げました。この噴火に伴って火山灰が風に流されて北東の方向へ広がり、約6km離れた阿蘇警察署で降灰の厚さが3cmに達したほか、九州や四国の各地でも灰が降ったことが確認されました。また、北東側では小さな噴石が遠くまで飛ばされ、火口から4km先では直径7cmの噴石が確認されたということです。この爆発的な噴火のあと噴火は起きていませんが、その後も火山性微動や地震が観測されており、噴煙の量が多い状態が続くなど、活発な火山活動が続いています。気象庁は、今後も同じ程度の規模の噴火が起きるおそれがあるとして、引続き阿蘇山に警戒レベル3の火口周辺警報を発表し、中岳第一火口から約2kmの範囲では大きな噴石や火砕流に警戒し、風下にあたる地域では火山灰や小さな噴石などにも注意するよう呼びかけています。(要旨)---私が川俣に演奏しに行ったちょうどその頃、阿蘇ではやや規模の大きな噴火が起こったようです。300km以上先まで降灰があるとの予測です。もっとも、中国・四国・近畿の降灰予想は、0.1mm以下なので、金属板やガラスなど滑らかなものの上で指を滑らせれば、灰が積もったことが分かる、という程度だろうと思います。浅間山の噴火でも、東京まで灰が到達したことがあったと記憶していますが、それと同程度でしょう。(浅間山は東京都心から120km以上離れています)そう考えると、阿蘇山の持っている潜在的なリスクから比べれば、ごくごく小規模の噴火でしかない、とも言えます。それでも、一昨年の御嶽山の噴火よりははるかに規模は大きいはずですが、阿蘇山はこれまでも小規模の噴火を繰り返してきたため、元々火口近辺は立入禁止であり、また噴火の発生が深夜だったこともあって、今のところ人的被害は皆無です。今回の噴火は36年ぶりの規模なのだそうですが、1979年の噴火で死者3名が出ているので、前回の噴火はこれでしょうか。(このときの噴火の新聞報道は、子どもの頃おぼろげな記憶があります。ただ、37年前になるような気もしますが・・・・・)とはいえ、今後も同じ程度の規模の噴火が起きるおそれがある、というのはちょっと怖いですね。桜島もそうですが、今起これば日本破滅が確実なレベルの超巨大噴火を何回も起こしている山だけに、そういう事態が起こらないことを祈りたいです。(多分、今回の噴火がそういう事態に発展することはないでしょうけど)
2016.10.10
コメント(0)

毎年、福島県川俣町で体育の日の3連休に行われている、日本最大のフォルクローレ音楽祭「コスキン・エン・ハポン」に行ってきました。実は、先日ある人に、「今度コスキンでZABADAKのコピーバンドをやるんですけど、やりません?」と言われ、二つ返事でOKしてから、そういえばZABADAKって、一度も聞いたことがないぞ、と気が付きました。後で、他のメンバーから、「よくそれでOKしましたね」と驚かれました。自分でも驚きました。というか、初めての練習に参加して、激しく後悔しましたよ。※ZABADAKは日本のプログレ・バンド。リーダーの吉良知彦さんが先日死去しました。実は、日本のフォルクローレ界には結構ZSABADAKファンが多いのです。ま、ともかくも演奏してきました。6曲演奏したうちの3曲です。福島駅のバス乗り場。なんと、コスキン会場行の看板が。かつて、東北本線の松川駅から川俣まで、国鉄川俣線という鉄道路線がありました。1972年に廃止されているので、私はもちろん乗ったことがありませんが、その名残で、現在でも福島駅から川俣まではJRバスが結んでいます。おおむね1時間に1本走っています。ただ、かつてはこのバスはJTBの時刻表に載っていたのですが、現在は掲載されなくなってしまいました。メイン会場の川俣中央公民館。3日間、全部で約180グループが演奏する、という大イベントです。いつもなら、前庭でみんな練習しているのですが、このときは雨で、残念ながら外では誰も練習していませんでした。出演者控室。毎度のことですが、大勢の演奏者がめいめい練習しているので、すごいことになっています。我々のその一角で練習していましたが、そのうちに雨が上がったので外に移動しました。みんな、考えることは同じで、いっせいに外で練習です。我々は、人の少ない公民館裏手の駐車場脇で練習していましたが、あっという間に出演時間が迫ってきました。練習が足りん・・・・・・。実は、今回我々が演奏する場所は、先ほどの中央公民館のメイン会場ではなく、サブステージなのです。私が毎年川俣に来ていた前世紀(笑)には、サブステージなんてものはなかったので、コスキンのサブステージで演奏するのは今回が初めてです。公民館のメイン会場では1グループ2曲しか演奏できませんが、サブステージは1グループ30分演奏できるのです。その代わり、出てくるのは実力あるグループばかりですけど。(この写真は、実際には演奏終了後に撮影しています)で、我々の演奏はひとまず措いて・・・・・・我々の演奏は冒頭に貼り付けたとおりです。これは、我々の次のグループです。ケーナサークル・マユという名前でした。サブステージも3箇所ありますが、我々が演奏した絹倉のサブステージの演奏スケジュール。初心者グループもありますが、ベテラングループが圧倒的に多いのです。日本のアマチュア・フォルクローレ界で最高のケーナ奏者が最前列で見ていたりすると、私だってビビリます。アコイ・チュミチュリ。グループとしては、初めて聞きました。ケーナは福田さん。日本のアマチュア・フォルクローレ界で最高のケーナ奏者です。アコイ・チュミチュリの次のデュオ・マティスというグループです。打ち上げ、打ち上げ。先日、チリの練習帆船エスメラルダ号来航の際に購入したワインを持って行ったので、消費しました。福島市に移動して、打ち上げ第二弾です。我々Saballasとアコイ・チュミチュリ及びその周辺の人たちと一緒に飲みに行きました。私以外全員、福島に宿泊して、今日も出演です。私だけは、もう出番はないので昨日の最終1本前の新幹線で東京に帰ってきました。プログラムです。180グループの名前がぎっしりと書いてあります。まあ、掛け持ち出演も多いでしょうけど。でも、もちろん日本全国には180よりずっと多くのフォルクローレグループがあります。少なくともこの倍、おそらくそれ以上のグループがあるはずです。そう考えると、日本のフォルクローレ界の裾野は、決して狭くはありません。
2016.10.09
コメント(0)
政府、二重国籍対策へ 安倍晋三首相「書類証明も必要かもしれない」と対応を表明安倍晋三首相は6日の参院予算委員会で、二重国籍者が外相、防衛相など外交・安全保障に深く関わる役職に就く可能性について「問題点を整理しなければならない。研究したい」と述べ、政府として対策を講じる方針を明言した。閣僚や首相補佐官については「(二重国籍でないことを)戸籍など書類で証明してもらうことも必要かもしれない」と述べ、外国籍を外すことが望ましいとの考えをにじませた。現行法では、二重国籍者は外交官にはなれないが、国会議員や政務三役、公務員は禁じられていない。自民党の有村治子元女性活躍担当相は、国家機密を知る立場にある防衛省職員や要人を警護する警察官などに二重国籍者が就ける点を指摘し「外国のスパイによる典型的な標的が重国籍者だ。安全保障上、万全の態勢といえるのか」と質問した。首相は「指摘の通り、国家機密や交渉にかかわる人々は、適切な人物を選ぶよう運営してきた。しかし、そのように運営されない可能性も排除されない」と述べ、研究が必要だとした。(以下略)---蓮舫の二重国籍「問題」が自民党の一部議員にも飛び火と報じられている一方、同じ自民党内では、このように二重国籍を敵視するようなやり取りが行われています。国籍法が現行のように改正されたのは1984年のことですが、その当時二重国籍者の被選挙権については、参院法務委員会でのやり取りがありました。その際は、公明党の飯田忠雄議員が「二重国籍者に被選挙権を無制限で認めるということは政治上障害が起こらないか」と追及したのに対して、政府側(自治省選挙課長)は「これまでのところ二重国籍者が選挙権を行使する、あるいは選挙によって選ばれる、公職についたことによって何らかの障害が生じたという事例は承知していない」と答弁しています。改正の時点で二重国籍者の選挙への立候補は当然に想定されており、そこに問題はないという判断が確立していたこと、そもそも「日本は二重国籍を禁止」という俗説と違い、明らかに容認する姿勢であること、そして、当時の公明党は、国籍法を父系主義から父母両系主義に変えることに反対の姿勢であったこと、など、いろいろと示唆に富む内容です。いずれにしても、「二重国籍者が公職についたことで何らかの障害が発生したという事例は承知していない」という答弁を覆すような、何らかの障害がこの32年の間に生じた、という記憶はありません。有村治子の「外国のスパイによる典型的な標的が重国籍者だ。」という主張にもびっくりです。何の根拠があってそんなことを言うのか。国籍という属性だけで、他人をスパイの温床呼ばわりするのは、二重国籍者に対する低劣な排外主義でしょう。ところで、蓮舫は父親が台湾人、母親が日本人ですが、同じ取り合わせの極めて著名な政治家が外国にいます。米国のオバマ大統領です。オバマは、父親がケニアからの留学生、母親が米国人です。ただ、蓮舫は出生時点では日本の国籍法が父系主義だったため、その当時は外国籍でしたが、米国の国籍制度は生地主義なので、ハワイ生まれのオバマは出生時点から米国籍を持っています。ただ、ケニアの国籍制度は今の日本と同じ父母血統主義なので、父親がケニア人であるオバマはケニアの国籍も取得できたはずです。実際にケニアの政府当局に出生の届出をして国籍を取ったかどうか、取ったとしてもそれをその後放棄したかどうかは分かりませんが。オバマの国籍「問題」も、米国の極右から盛んに攻撃対象にされました。オバマは自分が米国内で生まれた(=米国籍がある)ことは証明しましたが、ケニア国籍の有無に関する攻撃は無視して現在に至っています。蓮舫も、あのように右往左往することなく、二重国籍への攻撃など無視すればよかったのに、と思います。
2016.10.07
コメント(2)
稲田氏と菅氏、白紙領収書に自ら金額 自民、慣例化か他の国会議員の政治資金パーティーに出席した際に白紙の領収書を受け取り、支払った会費などを自らの事務所で記入することが自民党国会議員の間で慣例化している疑いがあることがわかった。政治資金規正法は、金額を「記載した」領収書を受け取るよう義務付けているが、参院予算委員会で指摘を受けた閣僚2人は「法律上の問題はない」と主張。専門家は「これは領収書とは呼べない」と指摘している。白紙の領収書への記入を認めたのは、稲田朋美防衛相と菅義偉官房長官。共産党の小池晃書記局長が2人の資金管理団体あての複数の領収書のコピーを示し、「それぞれ筆跡が同じだ」などとして、自ら書き入れていると指摘した。これに対し、稲田氏は日付、あて名、金額を事務所関係者が記入したことを認め、「主催者のいわば『委託』を受けて正確に書き込んだ。何ら問題はない」と答弁。主催者側がパーティーで一人ずつ金額を確認すると、対応に時間がかかることを理由に挙げた。一方で「これからはしっかり、どういった形ができるか検討したい」とも述べた。この日示された稲田氏の資金管理団体「ともみ組」あての領収書は10枚で、金額はすべて2万円。小池氏によると、同一人物が書いたとみられる領収書は2012年からの3年間で約260枚、約520万円分あったという。資金管理団体「横浜政経懇話会」あての領収書について同様の指摘を受けた菅氏は、「事務所で日付、あて名、金額を記入したものが存在している。(政治資金)規正法上、問題ない」と述べた。その後の記者会見では「指摘をされないよう気をつけていく方法を考えたい」と述べた。小池氏によると、筆跡が同じ菅氏の団体あての領収書は約270枚、約1875万円分見つかったという。一方、政治資金規正法を所管する高市早苗総務相は答弁で、「個別の事案についてコメントは困難」としつつ、「発行側の(領収書)作成方法には規定がない。国会議員は双方の事務所で入出金額が記録されており、事実と異なる記入というのはまず発生しないと考えられる」とした。---いやー、白紙の領収書用紙に日付、宛名、金額を自分で書いていたというのもびっくりですが、それが違法じゃないという言い分にもびっくりです。高市総務相は、「発行側の(領収書)作成方法には規定がない。」と答弁したそうですが、そもそも領収書とは「お金を受け取りました」という証明であるわけで。お金を受け取った側ではなく払った側が自分で金額を書き込んだ領収書が、本当に証明になるのでしょうか。ためしに税務署で聞いてみるとよいのではないでしょうか。確定申告の際に提出する領収書は、白紙で受け取って自分で金額を記入したものでよろしいでしょうか、と。あるいは、一般の企業でもいいでしょう。必要経費の立替払いの精算は自分で書いた領収書を提出してもいいですか、と。多分、それで良いですよという税務署や会社はないのではないかと思うんですけどねえ。「国会議員は双方の事務所で入出金額が記録されており、事実と異なる記入というのはまず発生しないと考えられる」のだそうです。それが本当かどうかは私には分からないけれど、結果に間違いがないからインチキをしてもよい、というものではないでしょう。そのような行為自体が、政治資金に対する信頼性、透明性の担保を損なう行為ですから。言ってみれば「私の熱心な支持者30人分の票は私が代筆しました。熱心な支持者だから、私に投票を委任してくれたのです。それに、次点とは1万票も差があるから、30票で結果は変わらないです」というようなものです。何と言っても、白紙の領収書に自分で金額を記入という行為は、今富山市議会で議員が次々と辞職に追い込まれている政務活動費不正取得問題と、まったく同じことなのです。一方では地方議員が次々と辞職に追い込まれているのに、同じことをやっても国会議員はのうのうとしていられる、というのは信じ難いことです。
2016.10.06
コメント(2)
首相「現行区割りで解散可能」…衆院予算委一票の格差を是正する「0増6減」の新しい選挙区が来年5月に固まる前の衆院解散について、安倍晋三首相は衆院予算委員会で「一般論」と前置きしつつ、「現行の公職選挙法等の規定のもとで内閣が衆院の解散を決定することを否定するものではない」と述べ、可能だという見解を示した。ただ、「私自身が衆院の解散を考えているかといえば、全く考えていない」と付け加えた。民進党の後藤祐一氏への答弁。政府の審議会は来年5月27日までに新しい区割り案を勧告。その後、法改正を経て、新しい区割りで衆院選を行うのは来夏以降となる。それ以前に衆院を解散すれば、最高裁が違憲状態とした現行のまま選挙を行うことになる。首相はこの日、民主党政権下で閣議決定された質問主意書への答弁をもとに「従来から一定の答弁である」と述べ、区割りが変わる前の衆院解散は可能との認識を示した。---現在の区割りで行われた2014年の総選挙は、最高裁で違憲状態という判決が出ています。であれば、その定数配分がそのままで解散総選挙を行えば、それも違憲になるはずです。確かに公職選挙法上は可能かもしれませんが、公職選挙法より憲法のほうが上位であり、その上位の法律に反する状態と認定されている選挙が行えるという理屈は理解不能です。解散権を制約されたくないという政治的都合は分かりますが、だから政治的都合のままに何をやってもよい、というものではないでしょう。それにしても、一票の格差の修正問題という点でも、小選挙区制が問題の多い選挙制度であることが分かります。(小選挙区制の問題はそれだけではありませんが)かつての中選挙区制でも、あるいは比例代表制でも、一票の格差の是正は技術的に簡単です。その選挙区の定数を増減すればよいだけだからです。よほど極端に大きな差になってしまって、その選挙区の定数を1まで減らしてもまだ格差が是正しきれない場合は別にして、それ以外は選挙区の区割りをいじる必要がありません。それに対して、小選挙区制は定数の増減という調整手段がないから、区割りを変えるしかありません。これは、利害調整が難しいため、票の格差是正がやりにくい。結果として票の格差が長時間放置されることにつながります。今が10月で、票の格差是正になんで来年夏までかかるのか。もちろん、選挙区の定数増減も議員の利害とまったく無関係ではありませんが、選挙区の区割り変更に比べたらはるかに楽でしょうし、周知期間も短期間で済むでしょう。中選挙区制や比例代表制だったら、2014年総選挙の違憲状態判決による定数是正は、とっくに完了していた可能性が高いでしょう。
2016.10.04
コメント(2)
安倍晋三首相、北方領土交渉でEEZも考慮「2島先行返還」を明確に否定せず安倍晋三首相は3日の衆院予算委員会で、ロシアとの北方領土交渉について、「四島の問題は、島だけではなくて水域も含めて考えていかなければならない。ロシア側との間で粘り強い交渉を行っていきたいと」と述べた。返還された場合のEEZの拡大や漁業資源確保などを念頭に、意義を強調した形だ。首相は12月の日露首脳会談で交渉を前進させたい意向だ。予算委では、民進党の前原誠司元外相に歯舞群島と色丹島の「2島先行返還」を最低条件とするとの一部報道について問われると、「指摘のような事実はない」と否定した。ただ、前原氏が「2島先行返還がありうるか」と続けると、首相は「四島の帰属問題を解決して平和条約を締結する考えに変わりはない」と述べるにとどめた。(以下略)---先日、読売新聞が、北方領土問題について、政府が2島返還を最低限とする方針を決めたと報じています。今日のこの報道は、産経の記事見出しは「2島先行返還を明確に否定せず」ですが、「(2島返還について)指摘のような事実はない」とも言っているので、肯定しているのか否定しているのかはいまひとつはっきりしません。でも、交渉が始まる前からそういうことを公言はしないでしょうから、おそらく「2島先行返還」という報道どおりの方針なのでしょう。北方領土問題については、以前にも何回か記事を書いたことがありますが、日本国内での政府の公式見解(4島返還論)の根拠、正当性は極めて薄弱であるように思います。一方、2島返還(歯舞と色丹)については、根拠も正当性もあります。また、実現の可能性も、歯舞と色丹は返還される可能性は充分にありますが、国後と択捉が日本に変換される可能性はゼロです。だから、日本が4島返還と主張し続けている限りは、北方領土は絶対に帰ってきません。その方針を改めて2島返還で妥協するならば、これは大英断です。が、安倍の支持母体であるネトウヨ層がこれを受け入れるかどうか、というところです。先行返還なんて言っていますが、後から国後・択捉が帰ってくる可能性はゼロです。ただ、交渉は引き続き継続、みたいな文面でも入れられれば、国内的には「2島で終わりじゃない」というポーズがつけられる、という程度の話です。そんなことよりも、国後と択捉に関しては、領土的主張はあきらめて、実利的を追求したほうがいいんじゃないでしょうか。たとえば、今みたいな官製ビザなし訪問団ではなくても、常時日本人はビザなし渡航を認めるとか、資源、あるいは観光資源を共同開発するとか、国後択捉はあきらめる代わりに、その分EEZは少し広目の水域をくれとか。
2016.10.03
コメント(2)

実は、先週のことですが、相棒が一人で沖縄に行ってきました。私はまだ沖縄にいったことがないのに、相棒が先に一人で行くなんて。しかも、「良い時間帯がないから」と、LCCを使わず、JALの高い航空券で行っちゃった(それでも、正規航空券よりはだいぶ安かったようだけど)。まあ、私の財布からお金を出したわけではないので、あまり文句も言いませんでしたが。次は俺も連れて行け!!というわけで、一人で行く代わりに写真をブログで使わせてもらうことにしました。行き先は、沖縄北部の高江です。私自身が行ったわけではないので、解説等は最低限に。沖縄の花、ハイビスカスヘリパッド(ヘリコプター着陸帯)の建設現場です。地元の住民が大勢座り込んでいます。相棒は、座り込み自体には参加していませんが。品川ナンバーです。警視庁の護送車ですね。高江の周辺の自然。ヘゴかその仲間の木性シダですね。静かな青い海。ここに、バタバタと米軍のヘリが飛び交うのは、あまりに似つかわしくないように思います。読谷村のチビリガマ。こんなところで、大勢なくなっています。沖縄戦の犠牲者数は、通説では18万8千人あまり、そのうち県外からの部隊の犠牲者が6万5千人あまりで、沖縄出身者の犠牲が12万人以上、そのうち民間人の犠牲者が9万4千人とされています。ただし、民間人の犠牲者数の計算には疑問の余地があり、実際にはもっと多くの犠牲者が出ていた可能性が高いようです。沖縄戦の戦死者通説の数字を採用したとしても、当時の沖縄本島の人口の5人に1人という膨大な数の死者が出ています。しかも、その後の米軍軍政、復帰後も全国の米軍基地の半分が沖縄に集中している現状、その基地の一部を返還するのに、交換条件が同じ沖縄県内で別の場所に基地を移設というやり方(高江のヘリパッドも、辺野古への基地移設もその意味では同根)、いずれも日本政府が沖縄を差別的に取り扱っているといわれても仕方がない状況と言うしかないでしょう。沖縄の米軍基地の中で、米軍にとって本当に絶対必要なものは那覇基地だけです。普天間基地なんてものは、海兵隊という、存在意義も定かではない軍にとって「あると都合が良い」という程度のものに過ぎません。高江のヘリパッドに至っては、たんなる訓練用で4機分にすぎません(6機分建設予定のうち、2機分はすでに完成して、運用されています)。いずれも、米軍にとって、嘉手納基地ほど死活的に重要なものではありません。そんなもののために、地元の反対を押し切って強権的に工事を進めるのは、許し難いことですし、そういうことをやっていると、結果として米軍にとって一番大事な嘉手納基地の存続を危機にさらすことになるんじゃないでしょうか。ま、それはそれとしてですね。この間4日間、我が家は父子家庭。思う存分羽を伸ばし、いやいや、何でもありませんってば。男の手抜き料理定番、カレーライス私も、気持ちだけは沖縄に飛ぶ(笑)父子家庭第二弾。カレイのムニエル。よく考えると、前日の残りのカレーもあるので、カレイとカレーという駄洒落な取り合わせになってしまった。第三弾、タラのホイル焼き第四弾・・・・・・は、手抜きで外食。
2016.10.02
コメント(6)

事前に告知をしませんでしたが、川崎市産業振興会館というところで、演奏してきました。教会が主催するイベントで、去年に引き続きの演奏です。我々は3曲演奏しましたが、我々以外は全部踊りのグループでした。今回は全部のグループを撮影したので、その一部ずつをアップしました。最初に我々のエストレージャ・アンデイーナの演奏で「ラ・マリポーサ」その後、コスタリカの踊り、ペルーの踊り、メキシコの踊り、ホンジュラスの踊り、パナマの踊りと続いて、最後に再び我々のグループの演奏で「ボリビアニータ」(都合上、実際に演奏した順番とは違っています)となっています。ホンジュラスの踊りというのははじめて見ました。もっとも、パナマとコスタリカの踊りも、去年のこのイベントで初めて見ましたが。いずれの踊りも、衣装、サランデオ(スカート裁き)、サパテオ(ステップ)が、ボリビアやアルゼンチンの踊りと非常に近いし、曲やリズムもいわゆるフォルクローレとそっくりです。特に動画中のコスタリカの曲とパナマの曲の1曲目は、アルゼンチンとボリビアの曲と雰囲気もリズムもそっくりです。コスタリカの局は、歌詞の中で「コスタリカ、コスタリカ」と連呼しているので、それと分かりますけどね。カメラを持っていかずにiPad miniだけしかなかったので、写真はほとんど撮っていません。リハーサル時と終了後にちょっとだけ撮影しました。ペルーの踊りのグループです。ところで、今日を最初に、来週土曜日は福島県川俣のコスキン・エン・ハポン(フォルクローレではない曲をフォルクローレの楽器で演奏)再来週日曜日は足立区の教会で演奏(ティエラ・クリオージャ)その翌週も日曜日に中野区で演奏(ティエラ・クリオージャ)怒涛の10月、4週連続演奏です。更に3週間あけて、11月12日にも鶴見で演奏(エストレージャ・アンディーナ)この中で何と言っても一番恐ろしいのは、来週の川俣です。何しろ、一度も演奏したことがない、どころか2ヶ月前まで聴いたことがなかった曲を6曲も演奏するのです。うまく行くんだろうか。
2016.10.01
コメント(0)
全19件 (19件中 1-19件目)
1


