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今日は、都知事選投票日です。当ブログ読者のうち、東京都の有権者がどのくらいいらっしゃるかは分かりませんが、有権者の方は、是非投票に行きましょう。誰に投票してくださいとは言いませんが(私自身は鳥越候補に投票した)、棄権はやめましょう。追記:残念ながら、小池百合子がが当選したようです---「本当に飛んでる」…メーヴェ、初の公開飛行宮崎駿監督の作品「風の谷のナウシカ」に登場する飛行装置「メーヴェ」をモデルにしたジェットエンジン搭載の小型飛行機が31日、北海道滝川市のたきかわスカイパークで初めて公開テスト飛行した。メーヴェはドイツ語でカモメの意味。数百人がテスト飛行を見守り、「きれい」「本当に飛んでる」などと歓声が上がった。友人3人と見学に訪れた苫小牧市白樺町の会社員は「本当にアニメの中のよう。こんな時代になったんだと感動した」と喜んでいた。 ---「風の谷のナウシカ」公開は私が高校生の頃でしたが、多分、私が見た数多くのアニメの中でも、最も好きな作品のひとつです。少なくとも、宮崎アニメの中で一番好きな作品は何かと聞かれたら、ナウシカか未来少年コナンのどちらか、ということになります。もっとも、作品としては、劇場版より原作の漫画のほうが奥が深くて印象的でした。ただ、漫画とアニメという表現手法の違いから、空を飛ぶシーンはアニメ版(それも映画館の大きなスクリーンで見た場合)の方が印象深いのは、仕方のないところでしょう。この「実物メーヴェ」企画(実際には、万が一事故が起きた場合の影響を考えて、公式には「メーヴェ」という名称は使っていないようですが)、かなり以前から行われており、機体そのものは数年前には完成しています。YouTubeには、飛行試験の動画がいくつかあがっています。「風の谷のナウシカ」の世界には航空法という法律はありませんが、現実の日本では航空法の規定に従って、航空局の飛行許可を得ないと、動力付きの飛行機を空に飛ばすことはできません。(初代の機体は、無動力のグライダーだったので、航空局の許可は要らなかったようです)ナウシカに出てくるメーヴェは完全な無尾翼機で、本当にあの形で安定的に空を飛べるのかな?という疑問は抱いたことがあります。空を飛べる実物メーヴェは、「ほぼ」漫画/アニメの形態を模しているものの、よく見ると、小さな垂直尾翼が主翼についています。やはり、これがないと機体は安定しないのでしょう。そしてもうひとつ、アニメの世界よりかなり大きな機体です。アニメでの設定は、たしか重さが12kgくらいということになっていて、寸法は忘れましたが、人の身長との比較では3~4メートルというところでしょう。頭の上に機体を持ち上げて、走って離陸、なんてシーンもありました。あろうことか、ペジテのアスベルと二人乗り、なんてシーンもありました。でも、多分あのサイズでは翼面荷重的に無理があるのでしょう。無動力のハンググライダーでも、翼面積はもっと大きいですから。現実の機体は、胴体が人間の身長と同じくらいで、横幅はよく分かりませんが片翼だけでも人間の身長の2倍以上あるのは確実かと。つまり、7~8メートル、あるいはそれ以上あります。それに応じて主さまかなり重いはずで、人間が一人で持ち上げることなど、とてもできそうにありません。とはいえ、「風の谷のナウシカ」を見た人は、少なからず「あんなふうに空を飛べたら気持ちいいだろうな」と思ったに違いない(わたしもそうです)のですが、それを現実にしてしまうのは、容易なことではありません。その容易ならざることを実現してしまったこの主催者の方には、ただただ感服するよりほかありません。
2016.07.31
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父急死で預金が下ろせない!「口座凍結」の恐怖父親が入院先で亡くなったのは昨日のことだ。臨終の枕元で泣き崩れる母親の背中をさすりつつ、鈴木ケンスケさんは「自分がしっかりしなければ」と必死に自らに言い聞かせた。さしあたって葬儀代はどうしよう。母親の生活費など、当座かかる費用もある。「母さん、とりあえず、親父の通帳と印鑑を持って銀行に行ってきて。現金を引き出しておかなきゃ」ところが、しばらくすると母親から携帯に連絡が入った。何やら慌てふためいている様子だ。「ちょっと大変! お父さんのお金が引き出せないのよ。銀行の人がいうには、口座はしばらく凍結されるんですんって。ほかの口座もみんな使えないわ。いったいどうしたらいいの」親父の口座が凍結!? 家族の大切な財布なのに!? ――ケンスケさんは頭が真っ白になってしまった。名義人の死を伝えてはいけない? 新聞死亡欄や人づてなどで名義人の死亡を知ると、銀行はただちに口座の凍結をおこなう。ケンスケさんのお母さんのように、家族が銀行窓口に行き、「名義人が亡くなったので、代りに私が預金を引き出したいのですが」などと言ってしまった場合も同じだ。(以下略)---これは結構深刻な問題ですが、銀行によって対応には若干の差があるようです。父が死んだときは、母が銀行になくなった旨を伝えようとしたところ、小額の預金しかなかったある銀行は、暗に「預金を封鎖してしまうと引き出しができなくなるので、引き出してから伝えてもらったほうが」という趣旨のことを言われたそうです。もちろん、そうではなくて、亡くなったことを察知した途端に有無を言わせず封鎖してしまう銀行もあります。経験では、親族でなくて赤の他人から「亡くなりましたので口座を封鎖してください」と電話で連絡するだけで、口座は封鎖されてしまいます。そのことを知ったときは、逆にこれは悪用されたら怖いな、と思いました。赤の他人が「誰某は亡くなりました」と銀行に伝えると、口座が封鎖されてしまうわけですから。ひょっとしたら、本人は生きているのに、悪意を持った他人が「亡くなりました」と伝えて口座を使えなくするという嫌がらせだって可能かも知れません。本人が写真つきの身分証明書を持って「ふざけるな、俺は生きているぞ」と、怒鳴り込めば、封鎖は解除されるだろうとは思いますが、手間をかけさせ、不快な思いをさせることはできますから。そのこともさることながら、亡くならないまでも、脳出欠などで意識不明になって、カードの暗証番号が分からなくなって、預金の引き出しが不可能になる事態も起こりえます。起こりえるというか、そういうことはよく起こります。これもまた厄介な問題です。わたしは、相棒にはカードの暗証番号を伝えてあるのですが、どうも相棒はそういう事態を深刻に捉えておらず、私のカードの暗証番号を覚えてはいない様子です。まあ、相棒にも手持ち金はあるので、わたしに何かあったからといって、直ちにお金に困るわけではないですけど。我が家の場合、父が亡くなったときは、法定相続人(父の妻である母と、子どもである私と弟)は3人だけで、互いに常に連絡を取り合っていて関係も良好なので特に問題がありませんでした。しかし、世の中には、親子で縁が切れてしまって、互いにどこに住んでいるかも分からない人もいます。また、子どもがいない場合は親、親が亡くなっている場合は兄弟が法定相続人になりますが、兄弟の数が多いと、その中に一人でも連絡がつかない人がいると、どうにもならなくなってしまいます。連絡がついても、一人は東京、一人は北海道、一人は沖縄に在住、なんてことになったら、必要書類を集めるだけでも時間がどんどんたっていきますし、お金もかかります。なんにせよ、人間いつどこで、どんなことが起こるかわからないので、自分自身に何かがあったときに家族が、あるいは家族に何かがあったときに自分自身が、明日からの生活費もない、なんてことにならないよう、常日頃から準備はしておくべき、ということに尽きるかもしれません。
2016.07.30
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「犯罪ほのめかす人にはGPSを」元副議長が持論展開山東昭子元参議院副議長:「私どもも法律をきちんと作って、犯罪をほのめかした、主張した人物については、GPSを埋め込むようなこと。何がいいのかもちろん、これから議論すべきだと思いますけれども」自民党の山東元参議院副議長は、相模原の障害者施設で起きた殺傷事件を受けて、「人権という美名のもとに犯罪が横行している」と主張しました。さらに、犯罪をほのめかす人物にはGPSを埋め込むなど、犯罪防止に向けて法律を見直すべきとの考えを示しました。---相模原の事件は、痛ましい限りであり、この犯人の行為は、まったくもって許しがたい、かけらほども同情の余地はありません。とはいえ、さきの投稿でも指摘したように、このような事件を完全に抑止するというのは、現実的には極めて困難な、というより不可能なことといわざるを得ません。日本は、世界的に見てもっとも犯罪が少ない国のひとつであり、かつ現在は統計史上もっとも犯罪が少ない時代です。1954年には、殺人の認知件数が年間3081件もあり、わたしが小学生だった昭和50年代前半でも年間2000件程度はありましたが、昨年は933件ですから、1954年の1/3以下になっています。否、人口比で見れば、もっと大きく減っています。しかし、それでもまだ年間933件の殺人があります。もちろん、殺人0が理想ではありますけれど、その理想が実現可能かというと、人間というものの本質が変わらない限りは難しいでしょう。山東元参議院副議長が、「犯罪をほのめかした、主張した人物については、GPSを埋め込む」と主張したようです。しかし、副作用ばかりが大きくて、効果はまったく期待できません。そもそも、GPSを取り付けることで、何をどうしようというのでしょうか。今回の事件は、結果として、犯罪を公言していた人間が本当にその犯罪を実行してしまったわけですが、実際には公言はしても実際の犯罪には及ばない人も大勢いるし、逆に何も公言せずに犯罪に走る人も大勢います。そして、犯罪的行為を公言する人間というのは、多分そんなに少なくはありません。もちろん、人口比では極めて少数ですが、それが1万人に1人だったとしても、全国に1万人のアブナイ人がいる計算になります。わたし自身、そういう人と遭遇したことは、一度ならずあります。そういう人の中で、誰が本当に犯罪に及ぶか、なんてことは、事前にはなかなか分からないものです。この施設は監視カメラを増設してあったそうですが、それでも今回の事件は発生してしまいました。監視カメラに犯人の姿が映っていたからといって、その場で犯人を阻止することはできないからです。GPSも同じで、犯人がどこにいるかがわかったところで、イザというときに直ちに犯罪行動を阻止できるものではありません。そんなことをするには、GPSの発信元から数分以内の場所に、常時警察が待機していなければなりません。1人を相手だってそんなことは困難なのに、全国数千の「アブナイ(かも知れない)人」相手に、そんな体制を組むリソースが警察にあるわけがありません。監視カメラにしてもGPSにしても、犯罪が行われてしまった後に、直ちにその犯人を特定して、再犯を阻止する役には立つでしょう。しかし、この犯人、あるいは、秋葉原の通り魔事件や池田小事件、近年時々起こるストーカー殺人もそうですが、最初から逃げようなんて思っていない、ただ一回だけの犯罪を目的としているタイプの犯罪に対しては、何の効果も発揮しません。先の投稿のコメント欄に、「窓ガラスをすべて強化ガラスに変えるとか、予算面から考えても無理でしょうから」と書きましたけど、全国の「アブナイ(かも知れない)人」にGPSを付けてそれを常時監視するなんてことに比べれば、全国の襲撃対象(かも知れない)施設のガラスを強化ガラスに変えるほうが、まだしも費用も安いでしょうし、効果も期待できるでしょう。※今日の記事の趣旨とは外れますが、今回の施設、夜勤職員が5人いたと報じられています。そのうち何人かが犯人に縛り上げられたそうです。こういう施設の常として、男性職員より女性職員のほうが多かったでしょうから、刃物をもった犯人に直接抵抗はできなかったでしょう。それでも、捕縛を逃れて隠れた職員が何人かいたようです。その人たちが、直接抵抗はできなくても、火災報知機のスイッチを押すことはできなかったかなと思います。火災報知機が鳴り響けば、仮眠中だったという警備員も飛び起きたでしょうし、犯人も浮き足立って計画通りには予定が進まなかった可能性もあります。もちろん、結果論です。その場では動転してそこまで思い至らなかったとしても、責めることはできませんけど。警備員は69歳だったそうで、駆けつけたとしても、刃物を持つ20代の若者を取り押さえることができたか、逆に返り討ちにされてしまった可能性もありますし。
2016.07.28
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阿比留記者に110万賠償とFB投稿削除命令 民進・小西参院議員の訴えフェイスブックに投稿された内容が事実ではないとして、民進党の小西洋之参院議員が産経新聞の阿比留瑠比記者に1100万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決が26日、東京地裁であった。金子直史裁判長は110万円の賠償と投稿削除を命じ、小西氏側が求めた全国紙への謝罪広告は認めなかった。問題とされたのは平成27年4月1日に阿比留記者が自身のフェイスブックで行った投稿。実名、所属政党名などを記さずに「また聞き」と断った上で「国会の指差しクイズ王」が「官僚時代に意にそまぬ異動で1週間無断欠勤したそうです」などと記述した。金子裁判長は、投稿の対象は「小西議員と理解される」と指摘。「再伝聞がもとの投稿で真実とは言い難い」と名誉毀損に当たると認定した。阿比留氏の話「主張が認められず遺憾です。控訴する方向で検討しています」---いろいろな意味であきれ果てた話で、この政治煽動屋がデマを飛ばして民事裁判に負けたのは、今回が初めてではありません。辻本清美議員に対する事実無根のデマ報道に関して民事裁判で負けています。(阿比留「記者」と産経新聞の両者が被告)それに続く二度目の民事裁判敗訴です。今回は、産経新聞の紙面ではなく、阿比留「記者」が個人としてフェイスブックに公開した文章が訴訟の対象です。曲がりなりにも「新聞」と称するものの使命は事実を報道するところにあるはずです。もちろん、人間だから、結果として間違えることはあるでしょう。しかし、最初から「また聞き」を根拠に、事実確認もしないで記事を書いて、挙句に裁判に訴えられて、「それはデマ」と裁判所に認定される。まともな言論機関なら、致命的なスキャンダルであり、その記者は懲戒免職モノではないかと思うのですが、阿比留「記者」が懲戒免職になった気配はなく、あろうことか、同じようなことを再度繰り返したわけです。要するに産経新聞はまともな新聞ではなく、有料のアジビラであって、阿比留「記者」は事実を報じることではなく政治的敵対者に打撃を与えることを任務とする煽動屋ということです。だから、記事の内容が事実であることより、嘘でも敵に打撃を与えることのほうが大事だ、ということなのではないでしょうか。それにしても、今回の訴訟は産経の紙面に掲載された記事が対象ではないとはいえ、自社の「編集委員」という肩書きの社員が起こした不祥事です。それについて、上記引用記事(産経新聞の報道)からは、なんら反省の姿勢が感じられません。もちろん、阿比留自身もそうです。今後も同じようなことを繰り返す気満々、なのでしょうか。さすがはアジビラです。まあ、それでも握りつぶさずに報道しただけマシかも知れませんが。
2016.07.27
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実は、子どもが昨日からサマーキャンプに行っています。その行き先が、相模原市緑区なのです。朝、ネットのニュースサイトで、相模原の障害者施設での事件を知り(新聞の朝刊には、まだ載っていなかった)、仰天して調べたら、相模原市緑区って、ものすごく広くて、事件のあった施設とうちの子が泊まっている場所は、直線距離で6~7kmは離れているし、犯人もすでに捕まっていたので、どうということはなかったのですが、一瞬だけギョッとしました。障害者ら刺され19人死亡26人負傷、男逮捕 相模原26日午前2時45分ごろ、神奈川県相模原市緑区の障害者施設、津久井やまゆり園から「ナイフを持った男が施設に来て、人が刺された」と110番通報があった。入所者19人が死亡し、重傷者を含む26人がけがをしているという。県警は、容疑者を逮捕した。県によると、容疑者は2012年12月から今年2月まで園の職員として働いていた。県警の調べに「ナイフで刺したことは間違いない」と容疑を認めているという。また、捜査関係者によると、「障害者なんていなくなればいい」という趣旨の話もしているという。県警によると、植松容疑者は同日午前3時ごろ、「自分がやりました」と1人で津久井署に出頭。カバンの中からは包丁やナイフなど計3本の刃物が見つかり、血液が付いていたものもあったという。施設の東居住棟1階の窓が割られ、近くにハンマーが落ちていた。県によると、植松容疑者は同日午前2時10分ごろに侵入。県警によるとその約30分後に園から「大変なことが起こった」と110番通報があり、その後、職員からの通報として「自分たちが縛られて、その間に人が刺された」という内容もあったという。(要旨・以下略)---何とも救いようのない、悲惨な事件です。報道を総合すると、犯人は、ごく普通の、むしろ周辺からの評判の良い好人物、しかし今年2月頃に、障害者の殺害を公言したり、殺害予告の手紙を衆院議長に渡すなどの行為があって、一時措置入院、施設も退職していたとのことです。措置入院歴があるとはいえ、心神耗弱やまして心神喪失が認められるような状況とはまったく思えないので、可能性としては死刑以外の判決が下りる可能性はほぼゼロでしょう。介護職(障害者の支援も大同小異)の勤務条件・待遇の劣悪さと、それに伴って人材の質が低いことはよく指摘されています。ただ、報じられている人物評からは、2月に前述の騒動を起こすまでは、人柄や能力に大きな欠陥があったようには思えないのです。あくまでも、報道から伺える範囲では、という話ですけれど。多分、わたしが採用担当者だったとしても、「忌避すべきヤバイ人格」とは思わなかっただろうと思うのです。それにしても、一人の人間が、銃器を使わずにこれほどの大量殺人が行えてしまうという事実にも衝撃を受けます。夜間であったことと障害者の施設であったことが、ここまで被害が拡大した原因でしょう。障害者と言っても知的障害者なのですが、身体障害との重複障害者も少なからずいるはずだし、そうでなくても、健常者ほどに機敏に行動できない人も少なくないでしょうから。施設職員も、夜勤体制だから人数は少なかったのでしょう。こういう事件を防ぐためになにができるか、というと、どうも対策が思い浮かびません。障害者の施設でも高齢者の介護施設でも、入所者の安全を確保するためのさまざまな努力は払っています。でも、それはもっぱら「事故対策」です。入所者がふらふらと施設から出て行って行方不明になる、という事態を避けるため、出入り口は施錠されている施設が多いですが、悪意を持った侵入者の侵入を防ぐことなんて、できない相談です。夜勤の体制を厚く、といいたいところですが、今だって人の確保ができないのに、できるわけがありません。「こうすべきだ!」って言えればよいのですが、そんな策があるわけもなく、対策のしようがない、それが現実といわざるを得ません。
2016.07.26
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前回の続きです。23日、この日は蓮華温泉に下山するだけ、という予定だったのですが、朝起きてみたら。快晴じゃありませんか。時間にも十分余裕があるし、この天気なのにまっすぐ下山することはない。なので、とりあえず展望のあるところまで行くことにしました。白馬大池を背に、チングルマの大群落です。時刻は6時過ぎくらいだったでしょうか。チングルマの花にも葉にも、朝露がびっしりです。目の前に雪倉岳が出てきました。この山にも、3回ほど登ったことがあります。いずれも雪倉岳避難小屋に泊まったのですが、今では「緊急時以外使用禁止」になっています。便利だったんだけどなあ。その避難小屋は、写真左端の稜線付近に、小さな白い点で写っています。小蓮華山、更に白馬岳に続く稜線。この日はそこまで行くつもりはありませんけど。稜線上の小ピーク、船越ノ頭に着きました。前日は、ここは素通りしたのですが、見晴らしが良いので、この日はここまでとしました。標高は2600m程度で、大池からは250mくらいの標高差だったようです。中央遠方の山が、白馬三山の真ん中の山、杓子岳。その向こう側に白馬鑓ヶ岳があるはずです。さらに、その左奥に唐松岳と五竜岳(いずれも、ちょっと分かりにくい)があって、左奥の2つのピークが鹿島槍ヶ岳(双耳峰と呼ばれる北峰と南峰)です。杓子岳と、その向こう側が白馬鑓ヶ岳のはずですが、白馬鑓はどうもよく分かりません。1999年に、白馬大池から雪倉岳+白馬三山を縦走したことがあります。もう、遠い昔になってしまいました。中央の2つのピークが、前述の鹿島槍ヶ岳・双耳峰(北峰と南峰)です。その手前に五竜岳と唐松岳があるはずなのですが、はっきりとは分かりません。おそらく、双耳峰のすぐ右隣の盛り上がりが五竜岳のはずです。そうすると、それより少し右に離れたピークが唐松岳で、そこから左に延びている尾根(写真を原寸大表示にしないと分かりにくい)が八方尾根、ということでしょうか。中央が雪倉岳、その右奥でガスに隠れそうになっているのが朝日岳です。朝日岳は1998年に一度だけ登ったことがあります。白馬大池を振り返ってみたら、びっくりしてしまいました。雲海の海からぽっかりと浮かび上がった、天空の城、ならぬ天空の池です。撮影はしませんでしたが、この場所で、前日に引き続いてまたケーナを吹きまくりました。白馬大池まで聞こえ・・・・・は、さすがにしなかったでしょうが。コマクサ。高山植物の女王などと呼ばれます。白馬大池まで戻ってきました。テントのフライは朝露でびしょ濡れだったのですが、この間(6時頃歩き始めて、大池に戻ってきたのが7時半頃)に日差しで乾いているかな、と思ったら、まだ乾いていませんでした。でも、仕方がないのでそのまま撤収、テントを片付けて、8時過ぎに白馬大池を後にしました。先ほどの写真では白馬大池が雲海から浮かび上がっていましたが、ということは、白馬大池から下山していくと、雲海の中にもぐっていく、ということになるわけです。ガスに中に雪倉岳の先端だけが見えています。大池から下り始めて10分も経たずに、登山道は完全にガスの中になりました。カラマツソウの群落。これはこれで幻想的です。先週の霧が峰・車山でもカラマツソウは咲いていました。高山帯ではなく、それより下の亜高山帯から山地帯にかけての花です。イブキジャコウソウ。森林限界より上にも咲いていました。小さな花です。タカネナデシコ。ナデシコで検索しても、本来の植物の名前はぜんぜん出てきません(笑)。本来のナデシコは、なでしこジャパンでも機動戦艦でもなく、こんな花です。海抜2000m付近、矮小化したカラマツとハイマツの低木林です。蓮華温泉まで下山しました。ここが海抜1400mあまりですから、白馬大池から標高差1000mに少し欠けるくらいです。疲労した体に、テント装備がこたえます。登山地図で、下山のコースタイムは2時間になっていますが、私は8時過ぎに歩き始めて10時半過ぎに到着したので、2時間半かかりました。やはり、下山のペースは登りより遅いのです。もちろん、蓮華温泉で風呂に入りました。気持ちよかった!!!疲れが吹き飛んだ。18年前、栂池→大池→雪倉岳→朝日岳→蓮華温泉と歩いたときは、蓮華温泉から大糸線の平岩に出て、松本経由で東京まで帰るのに、ものすごく時間がかかりました。しかし、今は糸魚川から北陸新幹線があるのです。12時少し前のバスで糸魚川に出て、そこから新幹線で上野まで、「はくたか」でたった2時間です。糸魚川にバスが着いてから、次の新幹線まで25分くらいしか時間がなかったのに、そのたった25分の間に、日本海が見たくなって、海岸まで行ってしまいました。それも、荷物を得いていけば良いのに、背中にザックを背負ったままで。間に合わなければ次の新幹線でいいやと思ってといたのですが、片道400mか500mほどの道のり、25分間で往復して、新幹線の到着に間に合ってしまいました。その代わり、土産物屋を探す時間がなくなって、お土産は買いませんでしたけど。
2016.07.25
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前回の続きです。白馬大池にテントを張った後、12時少し前に白馬岳に向かって出発しました。荷物の大半をテントに残して身軽になった分、ペースは大幅に速まりました。ただ、天気は相変わらず、時々晴れ間は出るものの、曇り空が続きます。テントを張った以上は戻ってこなければならず、どんなに遅くなっても白馬岳へ、というわけには行きません。自分の中では、2時半まで歩いて着かなければ、そこで引き返そうと考えていました。さて、白馬大池から2時間半で白馬岳まで着けるでしょうか?ハクサンイチゲ。白馬大池と小蓮華岳の間での撮影です。この花も、場所によっては大群落を作ることがあります。昨年夏の南アルプス・北岳にはたくさん咲いていました。小蓮華山に到着。時刻は、1時10分を少し過ぎたくらいでした。空模様は相変わらずです。小蓮華山で5~6分休憩して、先に進みます。小蓮華山頂の数十メートル先で、ライチョウに遭遇しました。ウルップソウです。花期の終わりに近いようで、少し枯れかかった花ばかりでした。このまま、白馬岳まで曇り空かな、と思ったら・・・・・・急に晴れました。三国境を超えて、だいぶ白馬岳に近付いてきたあたりです。旭岳。北海道の大雪山にも旭岳がありますが、もちろん同名の別の山です。紛らわしいことに、近く(と言っても白馬岳からは丸1日かかるけれど)には朝日岳という山もあります。ここまでくれば、白馬岳は目前です。ミヤマシオガマ。少し枯れかかっています。そして、白馬岳山頂に到着。時刻は2時25分過ぎ。ギリギリ2時半までに目的地に到着しました。たおやかな稜線が杓子岳のほうまで続いています。もっと時間があれば、更に先まで行きたいけど、今回はここまで。非対称稜線といって、写真右側(富山側)はなだらかで、左側(長野側)は切り立った急斜面です。非対称稜線は、この写真だと更に分かりやすいでしょうか。上の写真とは山頂を挟んで反対側(わたしが登ってきたほう)を撮影しているので、左右が逆になりますが、富山側はなだらか、長野側は断崖絶壁です。イワオウギ。絶壁の縁に咲いていました。これも、ちょっと枯れかかっています。白馬大池まで戻らなければならないので、山頂であまりゆっくりしているわけにも行かず、2時40分過ぎには早くも下山を開始しました。黄色い花は似たものが何種類もあって、判別がつきにくいし、何種類かの植物が混生しているので、どの花がどの葉につながっているのかが分かりにくいのですが、おそらくミヤマダイコンソウだと思います。赤紫の背の高い花がヨツバシオガマ、その足元に生えているのがイワベンケイです。どちらも、枯れかかっています。例年ならば、7月22日というのは高山帯のお花畑は満開になったばかり(下手をすると、まだ早いくらい)の時期ですが、今年は暖冬少雪のため、残雪が消えるのが早かったのでしょう。例年より高山植物の花期がかなり早まっているようで、早くも枯れ始めている花が多いようです。オンタデ。早くも赤い実が結実し始めています。みんな白い花ですが、左上の花はチングルマ、右下はハクサンイチゲ、左下の小さな花(右上にも少しある)はアオノツガザクラです。上方の赤っぽい花はイワカガミじゃないかな。ミヤマアズマギク。低地に生えるアズマギクの高山型。わたしは、登りは地図のコースタイムよりかなり速く歩けるのですが、下りはあまり速くありません。今回もそうで、疲労してきているせいもあって、下山のペースが上がりません。よろよろ歩いていたら、足元で何かがパタパタっと動きました。なんだろうと思ったら、ライチョウでした。往路で見かけたのはメスでしたが、今度はオスです。帰路の途中から、再び雲が増えてきて、曇り空に戻ってしまいました。白馬大池が目前のところまで戻ってきました。ここでケーナを取り出して3曲くらい吹きました。が、さすがに疲労と唇が荒れているせいと風の影響で、あまりいい音は出ませんでした。結局、白馬大池に戻ってきたのは5時20分頃。帰りは所要2時間40分、登りより下りのほうが時間がかかってしまいました。もちろん、途中でケーナを吹いたり、休憩や写真を撮る頻度も、下りのほうが多かったせいもあります。それでも登山地図上のコースタイムは2時間40分になっているので、コースタイムどおりの所要時間ではありました。曇りとはいえ、この季節なので、まだまだ空は十分に明るい時間でした。至福のとき(笑)。ただ、問題があって、ガスバーナーが点火しないのです。やむをえずマッチで点火しました。ただ、完全な故障ではないようで、いったん火を消した後、バーナーが熱いうちに再点火すると問題なく着火するのです。また、帰宅後に家で試したら、(消火直後でなくても)問題なく火がつきました。点火プラグの発する火花が弱まって、風や低温の条件下では発火させられなくなってしまったのでしょうか。買い換えるべき時期なのかなあ。マッチも、寒いと結露の湿気を吸ってしまい、なかなか発火しないし。ま、ともかく食事を終えて、まだ空は明るいので、夕暮れの写真を撮ろうかと思っていたのですが、とりあえずその前にシュラフを広げ、いつでも寝られるようにしたついでに、一瞬横になったら、次の瞬間意識がなくなりまして、はっと気が付いたら夜中になっていました。というわけで、続きはまた次回。
2016.07.24
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先週日帰りで霧が峰の車山に行ってきたばかりですが、怒涛の2週連続山登りで、今週は北アルプスの白馬岳に登ってきました。事前の天気予報では、この週末はあまり良い天気ではなさそうだったのですが、仕事の都合、家庭の事情などを総合すると、先週と今週以外は、2日以上の日程で山に行くのは難しく、悪天候は覚悟の上で行きました。ただ、事前の予報で日本海沿いは比較的天気がよさそうだったので、もっとも日本海に近い山、白馬岳を選んだわけです。白馬岳に登るのは5回目ですが、最後に登ったのは2002年だったので、14年ぶりになります。行き先を決めたのは出発の前夜でした。山とは全然関係ない写真ですが、先日開業したばかりの、新宿の新しいバスターミナル、バスタ新宿からの出発でした。それにしても、「バスタ」とはね。「バスターミナル」の略なのでしょうが、スペイン語では「ひどい」とか「もうたくさん」という意味です。以前の西新宿のバスターミナルよりは、チケットカウンターも待合スペースも広くなりました。西新宿のあれは、「ターミナル」と呼ぶにはあまりに狭すぎました。いつも人であふれかえっていました。実は、どういう構造になっているのか、実際に行くまで知りませんでした。当然道路と同じ平面(1階)にバスが発着するのだと思っていたら、何と屋上が発着スペースだったんですね。スロープで登っていくわけか。というわけで、バスは金曜朝6時過ぎに栂池高原に到着。天気は曇りですが、そんなに悪い方向ではなさそうです。リフトとロープウェイを乗り継いで、標高1800mあまりの栂池自然園を歩き始めたのは9時頃でした。標高2000mあまりの天狗原に到着。時々晴れ間が見えるものの、どんよりした曇りです。高層湿原の地糖にワタスゲが咲いています。白馬乗鞍岳への登り。かすかな晴れ間から雪渓が見えました。アヤメです。天狗原にて。ナナカマド。これも天狗原にて。ワタスゲ。天狗原にて。天狗原は平坦な湿原ですが、しばらく行くと白馬乗鞍岳への登りにかかります。今年は、暖冬・少雪・春の高温で残雪がかなり少なくなっています。前回2002年も、ここを登ったのですが、かすかな記憶ではこの雪渓はもっと大きかったような。ヤマハハコ。ウスユキソウ(エーデルワイス)にちょっと似た印象で、実際、ウスユキソウとは属は違うものの、比較的比較的近縁同士(キク科)です。ただ、個人的には、初めてヤマハハコを見たのが、南アルプスのある山小屋のトイレの裏だったのです。そのため、わたしの中で、「ヤマハハコ=トイレの裏の花」という連想、どうも消えません。ヤマハハコに何の罪もないのに。森林限界より上の高山帯にもありますが、それより亜高山帯で見かけることが多いように思います。分布の下限は山地帯(ブナ帯)というので、結構低いところにも咲くようです。タカネバラ。名前のとおり、高山に生えるバラです。白馬乗鞍岳の山頂付近にて。イワギキョウ。これも白馬乗鞍岳の山頂近辺です。ハクサンシャクナゲ。ハクサンシャクナゲは花期の終わりに近いようで(暖冬の影響で高山植物全般に例年より花期が若干早まっているようです)、きれいに咲いている花は多くはありませんでした。白馬乗鞍岳を越えて、白馬大池が見えてきました。なにやら、どよーーんとした天気になってきました。と、思いきや・・・・・・11時頃、白馬大池(2380m)到着。今日の幕営地です。テント場でテントの設営にかかります。(写真は、まだテントを設営する前のものなので、私のテントは写っていません)空に晴れ間が見えてきました。エゾシオガマ。大池の幕営地周辺に大群落がありました。同属にはヨツバシオガマ、タカネシオガマなど赤~ピンク色の花が多いのですが、エゾシオガマは白。チングルマ。大池から小蓮華山~白馬岳方面に数十メートル行くと、そこはチングルマの大群生地になっています。ただし、記憶にある以前の白馬大池では、黄色いシナノキンバイが同じ場所で咲き乱れていたような。花期のちょっとしたずれで、2~3週違えばシナノキンバイの黄色い絨毯になっていたかもしれません。チシマギキョウ。先ほど紹介したイワギキョウと酷似していますが、花に毛が生えている点で区別できます。白馬大池に到着したのが11時頃。テントを設営して昼食を食べても、まだ12時でした。天気は、(この時点では)晴れではないものの、時々晴れ間が差す曇り、程度で、それほどの悪天候ではありません。そこで、荷物の量は最低限にして、白馬岳まで往復することにしました。以下、次回に続きます。
2016.07.23
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大橋巨泉さん死去 テレビ司会者、82歳テレビ司会者として知られた大橋巨泉さんが、12日急性呼吸不全のため千葉県内の病院で死去した。82歳だった。葬儀は近親者で営んだ。後日しのぶ会を開く予定。喪主は妻寿々子さん。東京都出身。早稲田大政経学部を中退後、ジャズ評論家、放送作家を経て1966年に深夜番組「11PM」の司会者に。「野球は巨人、司会は巨泉」のキャッチフレーズで売り出し、テレビにギャンブルとお色気の要素を持ち込んだ。万年筆のCMで「はっぱふみふみ」、食品CMでは「なんちゅうか、本中華」という流行語を生み出した。69年、全編作り込んだコントで構成された画期的なバラエティー番組「巨泉×前武 ゲバゲバ90分!」で故前田武彦さんと司会を担当し、高視聴率を稼いだ。その後も、「クイズダービー」「世界まるごとHOWマッチ」など数々の人気番組に出演。競馬やゴルフなど幅広い趣味を仕事にも生かし、多才なマルチタレントとして活躍した。90年に56歳で「セミリタイア」を宣言。レギュラー番組を降板し、夏はカナダ、冬はニュージーランドやオーストラリア、春と秋には日本の自宅で過ごし、ゴルフや釣り、ジャズ鑑賞を楽しんだ。海外で土産店「OKギフトショップ」を経営し、優雅な生活を記した「巨泉 人生の選択」はベストセラーになった。2001年の参院選では民主党の比例代表で立候補、初当選したが、党との意見の違いから、半年後の02年に辞職した。05年に胃がんがみつかり、13年には中咽頭がん。昨年11月、腸閉塞で入院。闘病生活の傍ら、「徹子の部屋」やラジオ番組などにゲスト出演し、週刊現代では16年7月9日号の最終回まで、休載を挟みながら連載コラムを続けた。(要旨)---引用記事にある週刊現代のコラム最終号を読んでいたので、かなり厳しい状況だということは想像がつきました。それにしても、時の進む速さを感じてしまいます。私が子どものころ、土曜の夜の「クイズダービー」は好きでしたね。それに、11PM、実は、ほとんど見たことはないのです。両親が居間でテレビを見ていて、11PMが始まると、わたしは起きだしていって、見ようとするのですが、「早く寝なさいっっっ」と叱られて、見せてもらえなかった。でも、時々ベットの中から音声だけ聞き耳を立てていたり(笑)。そういう家庭は多かったのではないでしょうか。何しろ、当時は子どもに見せたくない番組の代表例でしたから。1990年に「セミリタイア」したときから、すでに26年も経過しているんですね。その後、大橋巨泉の名が大いに取り沙汰されたのは、2001年の参院選のときだったでしょうか。41万票とって民主党ではトップ当選でしたが、本人にとっては予想外に少ない票でショックを受けた、というようなことを、後にどこかで語っていたのを読んだ記憶があります。そのこともあって、政界で長く活動しようという意思は、当選後早いうちに消えていたのかもしれません。ただ、これに関しては、選挙に勝った以上は、任期の間はがんばってほしかったという気はしますけど。でも、いわゆる「軟派」の代表例みたいな人でありながら、実は、その芯は硬派であることを知ったのは、このころになってからでした。紹介されている、週刊現代16年7月9日号は、ちょうど参院選の直前に発行されたものですが、コラムの一番最後で、彼は書きたい事や言いたい事は山ほどあるのだが、許して下さい。しかしこのままでは死んでも死にきれないので、最後の遺言として一つだけは書いておきたい。安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい。7月の参院選挙、野党に投票して下さい。最後のお願いですと書いています。この連載自体、4月から休載になっていたのは、とても原稿を書けるような体調ではなかったからですが、その彼が参院選の直前、最後の力を振り絞って(実際には奥さんの力なども借りて)書いたのがこの最終回、ということです。まことに残念ながら、今回は大橋巨泉の最後のお願いは実現しなかったけれど、いつかきっとその「遺言」が実現する日が来ることを祈りたいと思います。
2016.07.21
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昨日は、夜相棒が外出していて、仕方がないので私が夕飯を作っていたら、バタバタしているうちに、ブログの更新を忘れました。ご多分にもれず、我が家の食事は、だいたい相棒が料理しているのですが、休みの日などは相棒が出かけると、わたしが料理することもよくあります。正直言って、自分でも料理が上手いとは思えませんが、一応は子どもにダメ出しをされない程度のものは作ることができます。昨日はこれ。チャーハン(我が家的にはそう呼んでいますが、まあピラフでしょうか)とトマトスープらしきもの(笑)実のところ、何とかの一つ覚えという奴で、この手の炒め飯(ケチャップライスだったりドライカレーだったり)を作ることが一番多い気がします。茶そば。シンプルなことおびただしい。汁の作り方はまったく適当で、出汁もそのときそのときの気まぐれで、昆布だったりかつおだったり、このときは煮干です。我が家は、普段そんなに魚を食べていないのですが、実は子どもは魚が大好きでして、わたしが料理するときは魚をリクエストされることが多いです。タラのホイル焼きと豚汁。ホイル焼きの続き。カジキのムニエル。このときは3人前作っているので、相棒がいたようですね。ぶりの照り焼き。ハンバーグ。でも、子どもに作らせてます。自家製ハンバーグ、でもポテトサラダは既製品を買ってきたようです。しかしな、なぜか味噌汁だけ3人前。多分作りすぎたのだと思ういます。ケチャップライスを作ったら、誰かが「オムライスがいい」と言い出したのでした。じゃあ、言い出した人が作りましょう、と。だから、子どもはオムライス、おとーちゃんは普通のケチャップライスこんなものまで作ったことがあります。ポテトチップスです。意外に面倒で、1回しか作りませんでしたけど。わたしが作る定番は、炒め飯系と豚汁、カレー、スパゲッティーミートソースなのですが、カレーとスパゲッティの写真は、すぐに出てきませんでした。探せばどこかにあるはずですが。で、以下はおまけ。わたしが作ったものではありません(手伝ったけど)が子どもが作ったガトーショコラパエリア。実は作るのは簡単です。これは、何かの記念日に作ったご馳走パエリア。こちらは、パプリカとベーコンだけの普通のパエリア。そんなに頻繁ではないけれど、年に2~3回はパエリア作りますね。パエリア鍋をほしいと思ったんだけど、相棒に「そんなものいらない、土鍋かホットプレートでできる」と言われてしまいました。ごもっとも。写真はホットプレートですが、土鍋のパエリアもおいしいです。
2016.07.20
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なぜ今、反乱か トルコ軍、過去3度権力を奪取トルコでは1960年、71年、80年と過去3回、クーデターなどで軍が権力を奪取した。政党政治の混乱や経済の長期低迷、政教分離の危機などを理由に、軍がこのままでは国内の秩序を維持できないと判断した時だった。また、トルコは国民の圧倒的多数がイスラム教スンニ派だが、1923年に共和国として建国し、厳格な政教分離で公の場から宗教色を排除する世俗主義を国是とした。以来、軍は「世俗主義の守護者」を自任。97年には、司法権力とともに親イスラム政権に圧力をかけて退陣させた政変も起きている。---トルコのクーデター未遂事件の報にはびっくりしました。過去にクーデターが何度も起こっていることは知っていましたが、今頃起こるとは思わなかったので。わたしは、この地域のことに関してはまったくの素人です。だから、確信を持った発言は何もできないのですが、YouTubeで、道路を封鎖したクーデター派の部隊(反乱軍)が市民に取り囲まれて、挙句の果てに戦車から引きずり出されて殴られて降伏する映像を見ると、違和感を感じるのです。相手は戦車ですよ。素手の一般市民が勝てるような代物じゃないはずです。それなのに、取り囲まれて戦車から引きずり出されて殴られても反乱軍は1発も撃たない。どう考えても不自然です。(空中に向けた威嚇射撃は盛んにしていましたが)空砲しか持たず、実弾を携行しなかったとしか思えません。クーデターの成否なんて紙一重で、勝てば官軍、負ければ賊軍です。今の日本でさえ、内乱罪の首謀者は死刑か無期懲役。トルコだって同じじゃないでしょうか。それなのに、実行部隊に実弾を持たせなかったとするなら、あるいはそうでなかったとしても、抵抗を一切排除しようとしない、という時点で、最初からクーデターを成功させる気なんかなかったのではないか、と思えてしまうのです。戦車を取り囲む一般民衆の側も、戦車を怖がるそぶりがまったくないのがどうもね。フランスでトラック暴走テロがありましたが、動く自動車は、生身の人間にとっては凶器です。しかも、戦車の重さはトラックの比じゃありません。動画に写っていたドイツ製のレオパルド2戦車は60tもあります。そんなものが動き出したら、怖くて逃げるでしょう。フランスのテロだって、みんな必死で逃げているじゃないですか。何で逃げないの?踏み潰されるかも、撃たれるかも、という恐怖は感じないの?そうはならないということをあらかじめ知っていたんじゃないかって思えてしまうのです。どうも、自作自演という言葉が頭にチラついて仕方がないのです。もちろん、単純ではないでしょう。引用記事にあるように、世俗主義の守護者を自認する軍と、イスラム主義(復古主義あるいは保守主義ともいえる)を志向するエルドアン大統領の間に緊張関係が存在するのは、おそらく事実でしょうし。首謀者は「本気」のつもりだったけれど、情報が事前に漏れて体よく利用された、とか、いろいろなパターンが考えられます。ともかく、表に出てきている事象だけが事実のすべて、というわけではない気がしますし、「民衆の力が軍部の暴虐に勝った」という単純な図式でもないような気がしてしまうのです。まあ、完全な素人なので、自信はまったくありませんけど。
2016.07.18
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昨日の続きです。車山高原から車山山頂を経て、八島ヶ原湿原まできました。アカバナシモツケだそうです。晴れてきました。このあたりはもう八島ヶ原湿原の周回コース上です。正面の木はミズナラシシウド。これもあちこちに咲いていました。一応草本なのですが、かなり巨大に成長します。これもシシウド。人の背丈より高いです。アヤメの仲間。ノハナショウブのようです。アヤメ・カキツバタ、ノハナショウブ、似ていて、ぜんぜん区別が付きません。写真湿原周回ルートの一番北側に咲いていました。その周囲に咲いている、ねこじゃらしみたいなものは、イブキトラノオのようです。ヤナギラン。山火事や伐採などで森林が破壊されたとき、真っ先に侵入してくる先駆植物。八島ヶ原湿原です。尾瀬ヶ原のように、湿原の内部を通る遊歩道はありません。外側をぐるりと一周します。広さは1キロ四方くらい。ここは、多分高校の林間学校で来たことがあると思います。なんとなく記憶があるような。遊歩道の周りは花がたくさん咲いていますが、意外に湿原の中には花はあまり見えません。(見えないだけかもしれませんが)ニッコウキスゲ(ゼンテイカ)。八島ヶ原湿原は、全体が鹿よけ柵で囲まれているので、ここだけは柵越しではなくニッコウキスゲを見ることができます。場所によってはそこそこの群落になっていました。ノハナショウブ。この写真を元に、アヤメの仲間のいろいろな写真をネットで検索した結果、ノハナショウブということが分かりました。霧が峰には多いらしいですが、八島ヶ原湿原では、そんなには見かけませんでした。クサフジのようです。これが、調べても調べても何の花か分からなくて。イワオウギに似ていると思って(花の付き方と葉が対生であること)、イワオウギがマメ科であることから「マメ科・八島ヶ原湿原」で検索して、やっとたどり着きました。多分、間違いないと思います。ヤマホタルブクロ。八島ヶ原湿原をぐるりと一周して、車山の肩へと引き返します。車山の肩に着く直前、振り返って八島ヶ原湿原方面を撮影。中央やや右の、一番遠方の明るい黄緑色の一角が八島ヶ原湿原です。撮影場所からは、湿原の一番手前まで1.5kmあまり、一番奥までは2.5kmあまりの距離です。晴れ間が出たので、車山の山頂が姿を現しました。車山が海抜1925m、八島ヶ原湿原が1600mあまり、この高度だと、通常はシラビソ、オオシラビソ、コメツガ、トウヒの亜高山帯針葉樹林が広がるものですが、ここでは森は部分的にしかなく、ひたすら草原です。再び車山の肩まで戻ってきました。密生するニッコウキスゲ。これも、電気柵が写らないように撮るのがなかなか大変でした。ニッコウキスゲ。このあと、バスの時間を待つ間にまたちょっと歩いて、3時半過ぎの最終バスで帰路に着きました。昨日山に登ったいろいろな人の報告を見ると、森林限界(約2500m)を超える高い山は、雲海を突き抜けていい天気だったようです。車山は、ちょっと高さが足りなかった。でも、まあまあ悪くない天気で、花を満喫することができました。
2016.07.17
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3連休なので、山に登ってきました。当初予定では、1泊2日でテントで山に登る予定だったのですが、昨日までの天気予報で、あまりよい予報ではなく、特に明日以降がよくない予報だったので、テントはやめにして日帰りに変更しました。そうすると、選択肢がかなり限られてしまいます。あれこれ考えた挙句、超手軽ながら花が多い、霧が峰の車山に行くことにしました。臨時あずさ。またも、懐かしい189系です。5月には旧「あさま」塗装の189系に乗りましたが、これは塗装が違う、また別の編成のようです。3連休だけに満員でしたが、何とか自由席に座ることはできました。途中は端折って、車山高原に付きました。海抜1500mくらいで、1925mの車山山頂まで標高差500mほどです。リフトが動いていますが、そんなものに乗ってしまったら、山登りではなくただの散歩になってしまうので、歩いて登ります。(実は、もうひとつ先のバス停は海抜1800m以上あるのですが、同じ理由でひとつ手前で降りました)ウツボグサです。カラマツソウ。一部の花はまだつぼみです。いわゆるニッコウキスゲの大群落。各所に大群落が広がっているのですが、実はそのほとんどが電気柵に囲まれています。鹿の食害から守るためだそうです。電気柵の外側にも、ニッコウキスゲは皆無ではないものの、かなり少ない(電気柵沿いの、わずかにその外側にはある程度咲いていますが)今や、日本全国で鹿が増えすぎて、深刻な食害が起こっています。特に北海道では深刻なようです。本州でも、面積が狭くて厳しい環境下にある亜高山帯~高山帯の植生に深刻な影響があります。車山の頂上直下。振り返ると眼下に白樺湖が見えます。山頂直前、ウスユキソウが咲いていました。ヨーロッパアルプスのエーデルワイスの仲間です。エーデルワイスは絶滅寸前ですが、日本のウスユキソウは、どこの山にもたくさん生えています。ただし、花びら(実際は葉ですが)がエーデルワイスのように細くないので、ちょっと太ったエーデルワイスですが。これも同じ場所のウスユキソウです。山頂に到着。神社になっています。山頂の標識。海抜1925mですが、1900m目前くらいまでリフトで来られるので、ほぼ誰でも登れる山です。そういう意味では、ありがたみはあまり・・・・・・。天候も、このとおりです。山頂から先に進みます。「車山の肩」というバス停が見えてきました。前述の、もうひとつ先のバス停は海抜1800m以上あるというバス停です。黄色い絨毯になっているのが分かります。ニッコウキスゲの大群落です。が、それ以上に駐車場に車があふれかえっています。ここでも、ニッコウキスゲの群落は電気柵に守られています。鹿の食害という事情なのでやむをえないのですが、写真を撮るには、電気柵のワイヤが何とも邪魔で。何とか少しでも高い位置から撮影して、ワイヤが写らないようにするのはなかなか大変です。ニッコウキスゲと書いていますが、実はこれは俗称であり、正式な標準和名はゼンテイカといいます。ただ、多分「ゼンテイカ」という名は、一般的にはほとんど知名度がありません。私自身、歩いている間ずっと、「ニッコウキスゲの正式名称は何だったっけな、セン・・・・、いや違う、うーーん、思い出せない」という状態(笑)ノアザミ。車山高原を歩き出したのが10時半、山頂の時間は11時半ころだったでしょうか。車山の肩にはちょうど12時に着きました。まだまだ時間はあるので、八島湿原まで行くことにしました。しかし、車山の肩から沢渡までの下りが、登山道の土がつるつるで滑りやすく(さすがに転びはしなかったけど)、ちょっとペースが落ちました。カラマツソウです。今日はずっと曇りでしたが、このあたりから、時々晴れ間が見えるようになりました。以下次回に続きます。
2016.07.16
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一昨日の記事に南沙諸島をめぐる仲裁裁判所判決について書きましたが、今更ながらこの裁判のフィリピン側代理人をつとめた米国の弁護士、ポール・ライクラー氏のことを知りました。かつて1896年、中米のニカラグアが米国による侵略を国際司法裁判所に訴えた際、そのニカラグアの代理人を務めた人物とのことです。米国は、中南米諸国、特に中米とカリブを自国の裏庭扱いしてきました。そこに反米的な政権が成立すると、容赦なく介入を行って、政権をつぶしてきたのです。1954年には、グアテマラのアルベンス政権をそのようにして潰したし、60年代にはカストロのキューバにも侵攻作戦を試みましたが、これは失敗に終わりました。1973年には、チリのアジェンデ政権を、これは直接的な軍事介入ではありませんが、反アジェンデ派を支援して、クーデターを後押しします。そうした中、1979年ニカラグアでは、腐敗の極みにあったソモサ独裁政権への反対運動から、サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)がゲリラ戦に勝利し、政権につきました。しかし、1980年に成立した米国のレーガン政権は、サンディニスタ政権をキューバ、ソ連の手先という名目で、猛烈な圧迫をかけます。要するに米国の意のままにならない政府が気に入らないということと、当時、隣国エルサルバドルでもファラブント・マルティ民族解放戦線(FMLN)が激しいゲリラ戦を展開していたことから、ニカラグアの影響がエルサルバドルや、さらに他の国にも及ぶことを恐れたのです。(ドミノ理論)米国のCIAに支援された旧ソモサ政権の残党グループが、もっぱら隣国ホンジュラスを拠点に、度々ニカラグアに攻め込みました。スペイン語で反革命(contra revolucionario)の頭文字をとって、コントラと呼ばれます。この状況下で、ニカラグアのFSLN政権は、国際司法裁判所に米国の侵略行為を訴えたのです。そのニカラグア側代理人が、今回の仲裁裁判のフィリピン川代理人、ポール・ライクラー弁護士だったわけですか。米国の侵略を国際司法裁判所に訴えるに当たり、あえて米国人の弁護士に代理人を依頼したニカラグアのサンディニスタ政権も、それを引き受けたライクラー弁護士も、どちらも勇気がいる決断だったと思います。今の日本なら、ネトウヨに「反日弁護士」などと言って滅茶苦茶に攻撃されるでしょうし、冷戦時代の米国だって、少なからずそういうことはあったはずです。余談ですが、この時米国が持ち出した理屈が、集団的自衛権なのです。つまり、ニカラグアは「革命の輸出」を行っている、ホンジュラスに侵攻しようとしている(前述のように、米国の支援を受ける右翼ゲリラのコントラは、ホンジュラスを拠点に、そこからニカラグアに侵攻していました)、だから、ホンジュラスを守るための自衛権の行使である、というわけです。歴史的に見て、集団的自衛権なるものは、ほとんどの場合、このように大国が小国を攻撃するための口実になっています。裁判の結果は、ニカラグアの完勝でした。米国の言い分は退けられ、米国によるニカラグアへの干渉は国際法違反である、という判決が出ました。ポール・ライクラー弁護士は、自国政府と戦って、依頼人であるニカラグア政府に勝利をもたらしたのです。が、それに対する米国の反応もまた、今回の中国と同じでした。まず、この問題に関して国際司法裁判所の管轄権は及ばないと主張し、それが否認されると、以降裁判への出廷を拒否し、判決の受け入れも拒否したのです。判決は米国のニカラグアに対する賠償も認めましたが、その支払いも拒否しました。ニカラグアは国連安保理に判決履行を求める決議を出しますが、米国の拒否権によって不成立、国連総会での決議は成立したものの、そのすべてを米国は無視しています。その米国は、こんなことを言っています。米 仲裁裁判の判断には拘束力 中国に従うよう促す南シナ海を巡る国際的な仲裁裁判で示された判断に対し、中国側が「無効だ」などと強く反発していることについて、アメリカ政府は判断には拘束力があるとして、中国にこれ以上強硬な対応を取らないよう改めて強く求めました。~中国政府は外務省の幹部が「判断は紙くずであり拘束力はなく無効だ」と述べるなど、強く反発しています。これに対して、ホワイトハウスのアーネスト報道官は「判断は最終的なもので、拘束力があるということが政府の見解だ」「国際社会において、国際法やルールに従うことは決定的に重要だ。もしも、より大きな国が規範を犯したり、いばりちらしたりしたら大きな混乱につながる」と述べて、改めて中国側に裁判所の判断に従うよう促すとともに、これ以上強硬な対応を取らないよう強く求めました。---この主張自体は、発言主の属性を度外視すれば、まったくそのとおりです。中国はこの判決に従うべきだと、わたしも思います。しかし、自らの過去を棚に上げてそれを言う資格が、米国にあるのか。あえて言えば、中国の今回の仲裁裁判所判決に対する対応は、米国の行った先例に倣ったものでしかないのです。結局のところ、中国だろうが米国だろうが、大国はみんなわがまま放題だ、ということに尽きるのです。ただ、中国と米国の違いは、国際的な影響力です。米国の傍若無人な振る舞いは、批判は多かったものの、国際世論から批判の集中砲火を浴びるというほどではありませんでした。日本政府(当時は中曽根政権)などは、米国のこの態度を一切批判していません。一方、今回の中国の態度は、各国政府からもマスコミからも国際世論からも袋叩きです。中国は大国になりましたが、それでも世界各国の首脳部やマスコミに対する影響力が、当時の米国と現在の中国では大差がある、ということです。中国は、そのあたりの力の差を読み違えて、安易にかつての米国の真似をしている傾向は否めません。なお、ニカラグアでは、米国が判決受け入れを一切拒否する間に、サンディニスタ政権側もコントラ側も疲弊しきってしまいました。当の米国すら、コントラ支援の財政負担に耐えられなくなり、1989年に停戦となりました。純軍事的には、米国からの支援を絶たれたコントラの全面敗北でしたが、ニカラグア全土があまりに疲弊しきってしまったため、サンディニスタに対する民心も離れ、1990年の大統領選でサンディニスタは敗北、親米右派の新政権は、結局賠償請求を取り下げてしまうという結末になりました。戦後のニカラグアは混乱を極め、旧コントラ側、サンディニスタ側ともに内部分裂を起こし、一時期はいずれの側も首脳部の統制が末端まで及ばない事態も生じましたが、かろうじて再度の内戦、無政府状態、破綻国家という事態は避けられ、これ以降はずっと選挙による政権交代が続いています。サンディニスタ下野後、3代にわたって右派政権が続いた後、2006年にサンディニスタのダニエル・オルテガが大統領選に勝利、16年ぶりにサンディニスタが政権に返り咲きました。このとき、実は副大統領となったのは、元コントラの司令官だった人物です。その3年後の2009年には、エルサルバドルでもFMLNが大統領選に勝っています。かつて、ゲリラ戦ではついに親米右派政権に勝てなかったFMLNは、選挙では親米右派に勝つことができたわけです。
2016.07.15
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<南シナ海>「九段線」中国の権益認めず 仲裁裁判所南シナ海のほぼ全域に主権や権益が及ぶとした中国の主張に対し、フィリピンが国連海洋法条約違反などを確認するよう申し立てた仲裁裁判で、オランダ・ハーグの仲裁裁判所は12日、中国が主張の根拠としてきた「九段線」について、フィリピンの主張を認め「資源について中国が主張する歴史的権利には法的根拠はない」とする判決を下した。南シナ海の人工島で実効支配を進める動きについて、国際法上「ノー」が突きつけられた中国の「全面敗訴」に近い形で、中国政府は猛反発した。~中国は九段線の主張を背景に、南沙諸島の七つの岩礁で人工島造成を行い、滑走路などを建設し軍事拠点化を進めていると批判されてきた。判決により、造成を継続することに対しては「国連海洋法条約違反」として、国際社会の批判が強まる可能性が大きい。判決ではさらに、七つの岩礁について、いずれも排他的経済水域が設定できる「島」ではなく「岩」か「低潮高地」と認定した。これにより、周辺海域での資源開発への主権的権利も中国は主張できなくなった。(以下略)---中国政府はこの判決に怒りくるっているようです。一方日本のネトウヨは狂喜乱舞していますが、ことはそう単純でもありません。「岩」判定に反発、台湾も裁定を「受け入れない」 蚊帳の外に不満台湾の総統府は12日、南シナ海をめぐる仲裁裁判所の裁定に対し「絶対に受け入れない」との声明を発表した。声明は、仲裁裁が南沙諸島で台湾が実効支配する太平島について「岩」だと認定したことに反発。裁判の過程で台湾側の意見が求められなかったことにも不満を表明した。(以下略)---日本のネトウヨくんたちが愛してやまない台湾もまた、こと南沙諸島の領有権に関しては中国とほぼ同様の主張で、あまつさえ、岩を「島」として実効支配もしているわけです。そして、日本はどうか。仲裁裁判決、沖ノ鳥島の扱いにも将来的に影響か日本政府は、12日の仲裁裁判判決が、中国やフィリピンの兵士らが居住する南沙諸島に島はないと認定したことについて、日本の沖ノ鳥島などの扱いにも将来的に影響を及ぼす可能性があると見て、判決文を詳細に検討している。同様の島を領有する各国にも判決は影響を与えそうだ。今回の判決の法的拘束力は当事国のフィリピンと中国にしか及ばない。ただ、日本政府は「今後他国から仲裁裁判に訴えられる可能性もあり、深刻だ」と見ている。中国は沖ノ鳥島を「岩」だと主張し、韓国も同調している。国連海洋法条約では、沿岸から200カイリの排他的経済水域が認められる島を「満潮時においても水面上にあるもの」などと定義している。一方で、「人間の居住または独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的経済水域または大陸棚を有しない」と記されている。---南沙諸島の領有権争いがどうなろうと、少なくともそこが日本の領海や経済水域にはなりようがありません。その限りでは日本に直接関係のある話ではありません。が、この判決内容は、日本に直接関係します。そこに気が付かずに、中国叩きの一環としてだけの動機で判決を喜んでいるネトウヨくんたちは、バカとしか思えません。さすがに日本政府はネトウヨ君たちよりは注意深いので、今回の仲裁裁判が日本にとって喜べるものではないことに気づいています。冒頭の引用記事に、こうあります。判決ではさらに、七つの岩礁について、いずれも排他的経済水域が設定できる「島」ではなく「岩」か「低潮高地」と認定した。島と岩と低潮高地とはどう違うのか。低潮高地とは、干潮時には海面上に姿を現すけれど、満潮時には水没してしまう陸地(と呼べるかどうかはともかく)のことです。島は「自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、高潮時にも水面上にあるもの」です。ただし、それがあまりに小さな場合は、「人間の居住又は独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的経済水域又は大陸棚を有しない」と規定されています。(国連海洋法条約の規定による)低潮高地は国連海洋法条約の上では、単なる海です。領海も排他的経済水域もありません。そして、人工的に埋め立てられた島も同様です。一方、「岩」は領海は設定できるが排他的経済水域は設定できません。島は、普通の領土であり、領海も排他的経済水域も設定できます。南沙諸島は、今回の判決で7箇所のうち4箇所を岩、3箇所を低潮高地と認定したようです。いずれにしても島ではないので、排他的経済水域は設定できない、というわけです。そうすると、沖ノ鳥島についても、排他的経済水域が設定できるかどうかが問題となるのは明らかです。沖ノ鳥島は、満潮時でも常に海面上に姿を現しているので、低潮高地ではないことは確実です。だから、日本の領土であり、領海もあります。ただ、これを「島」と呼ぶのは、いかに考えても無理です。この写真でさえ、「島」と呼ぶには無理があることは歴然としています。しかも、これらの「陸地」はいずれも人工的に補強工事を行った後のものです。前述のように、人工島は国際法上は存在しないのと同然です。(南沙諸島だって、中国は滑走路つきのどでかい人工島を造成している)補強する前の元々の「島」はどのようなものだったか。どう見たって「岩」です。「人間の居住又は独自の経済的生活を維持すること」ができるはずがありません。にもかかわらず、日本政府は従来これを「島」だと強弁してきました。ごく簡単に言えば、国連海洋法条約には岩とは何かという定義はないからこれは島だ、というのです。人間の居住又は独自の経済的生活を維持、というのが定義じゃないの?と思うけれど、確かに、何平米以上、海抜何メートル以上という定義ではないですからね。ソロテンなら人が暮らせる?(笑、無理ですけどね)今回の判決で、島と岩をどこで区切ったのかは分かりませんが、いずれにしても、それは島ではなく岩だと断定したのですから、もし沖ノ鳥島に関しても同様の裁判が起こった場合は、ほぼ確実に岩と認定されると考えるしかないでしょう。もっとも、では沖ノ鳥島に排他的経済水域があって、それがどれだけのメリットかというと、かなり怪しげです。沖ノ鳥島自体は浅瀬でも、その周囲は深さ何千メートルの海です。その海底に資源が眠っているといったところで、採掘手段があるのか、あったとして採算が取れるのかといえば、まず無理です。では漁業はどうか。東京都の統計によると、沖ノ鳥島周辺での漁獲量は、17トンから31トン。万トンではなくてトンですからね。ほとんど顕微鏡的な漁獲量しかありません。つまり、排他的経済水域に固執する経済的な意味は皆無に等しいのが実態です。もっとも、南沙諸島だって、経済的価値は大同小異と思いますが。
2016.07.13
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<参院選>首相、民進に改憲議論促す 来月3日にも内閣改造安倍首相は11日党本部で記者会見した。10日開票の参院選では、憲法改正に前向きなおおさか維新の会などを加えた改憲勢力で参院の3分の2を超えており、首相は民進党の岡田克也代表を名指しして国会の憲法審査会での議論に応じるよう求めた。首相は会見で岡田氏に対し「安倍政権の間は憲法改正しないと言っているが建設的な対応とは言えない」と指摘し、「どの条文をどう変えるべきか議論すべきだ」と述べた。その上で「憲法審査会で、政党にかかわらず議論が深まり収れんすることが期待される」と改めて述べた。改憲項目を具体化するための党内や与党内調整に関しては「どのように議論していくか、司々の議員に任せていきたい」と述べ、自身の考えは明らかにしなかった。---「どの条文をどう変えるべきか議論すべきだ」というのは、憲法を変えるべきだという主張の政党が行うことであって、変える必要はないという政党がそんな議論に乗る必要はないでしょう。「憲法を変える」という枠組みの中での議論に乗らないことを「建設的な対応ではない」と言われても、今の憲法を大事に思っている人(党派)に、この憲法をぶっ壊して新しい憲法を作ることに「建設的」に対応しろと言われても、冗談じゃないわけです。そもそも、「どう変える」ということについて自分自身の考えを明らかにしないで、どの条文を変えるかをこれから議論というのはどういうことか。憲法を変える、でも、どこを変えるかは後回しということは、不具合があって必要性が合って変えるのではなく、ただ単に憲法を変えること自体が目的化している、ということです。いや、安倍政権の本音は、そうではないでしょう。「こう変えたい」という確固たるものは持っている。それは、自民党の憲法草案に書いてある。凄まじい内容としか言いようのない、国家主義の塊です。しかし、さすがの自民党も、あれをいきなり掲げたら国民投票で多数の賛成は得られないという自覚はあるのでしょう。だから、最初は本音を全部は出さないで、鎧の上に衣をまとった改憲案を出そうと考えているわけです。そのようなやり方は不誠実のきわみと思いますけど、憲法改正は、国会だけでは決まりません。国民投票がいります。重要なことは、最初に出してくる改憲案は終着点ではない、ということです。更にその先の改憲案がある、自民党が考える改憲案の終着点は自民党自身の改憲草案に書いてあるとおりである、ということを肝に銘じたうえで、国民投票に臨むべきでしょう。
2016.07.12
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参院選の結果は、憲法改正に賛成していると言われる無所属も含めれば2/3に達してしまったようです。その点では、私にとって非常に残念な結果に終わりました。私自身は、比例区は社民党(個人名ではなく党名での投票)、東京選挙区は共産党の山添候補に投票しました。どちらも、さいわい死票にはならずに済みました。全体としての結果は残念でしたが、民進党は32議席、事前の予測からすれば、大善戦と言えるでしょう。改選議席に対しては17議席減ですが、前回参院選の17議席から比べれば、倍に近い伸びです。(旧日本維新の党で前回参院選に当選した議員で、民進党に鞍替えした人はいません)その一方で、当初は躍進が予想されていた共産党は、後半で失速して6議席、改選議席に対しては3議席増ですが、3年前の参院選に対しては2議席減に終わりました。これに関しては、ちょっと残念な結果です。例の「人を殺す予算」発言が大きく響いたことは間違いなさそうです。ただ、比例区での得票を見ると、得票率、得票数ともに前回参院選より伸ばしています。一昨年の衆院選に比べると、得票率は微減ですが、得票数ではほぼ変わっていません。つまり、もっと大きな伸びが事前に予想されたところからいうと、物足りないにしても、逆風の下でも、急激に伸張したこの3年間の党勢は維持できている、ということです。そして、その共産党と民進党・生活の党・社民党の協力体制は、かなりの効果を生んだといえます。32の1人区で自民党21勝対野党11勝、もちろん自民党が勝ったのですが、野党がバラバラだった前回は1人区で野党が2勝しかできなかったことを考えると、大変な差です。もし野党共闘がなかったら、野党は1人区では沖縄・岩手・山形以外は勝てなかったのではないでしょうか。当然、次の衆院選でも、野党共闘という動きが出るでしょうし、すでに共産党は次の衆院選でも、と言っているようです。基本的には、私もその動きは歓迎します。ただ、その前にはっきりさせておくべきことがあるように思います。前述のように、共産党の政策委員長の「人を殺す予算」発言で共産党の勢力の伸びが止まった、と言われます。これが40年前なら、その発言で勢力の伸びが止まることなどなかったでしょう。つまり、今や共産党に期待する層ですら、その少なからぬ部分は、自衛隊は必要だと考えている、ということです。何を隠そう私だって自衛隊は必要と思っています(なんて、今更もっともらしく書かなくても、これまでに何度もそのことは当ブログに書いてきましたが)。とすると、自衛隊は憲法違反と規定する綱領はそのままでいいのか、ということを考えざるを得なくなってくるだろうと思います。すでに、実質的にはこの綱領はお蔵入りも同然ですが、だとすれば、お蔵入り同然の綱領を掲げ続けることが得策なのか、と思わざるを得ません。私は、党員ではないし、熱心な支持者でもありませんが、半分くらいの票を投じてきた「うっすらとした支持者」としては、自衛隊の存在は認めたうえで、その規模は必要最小限度とする、将来の理想としては非武装国家を目指す、米国の言いなりはやめる、という、軽武装国家、平和主義国家としての実を取ることを志向すべきではないかと思うのです。今のままでも、今と同程度の得票(2012年までの低迷期から比べれば、得票は大幅に伸びてはいる)は維持できるでしょうけどね。衆院選でも民進党と共闘を考えるなら、それをやらなければ右翼陣営からいいように叩かれる(まあ、どうせやっても叩かれると言えばそれまでですけど)ように思います。
2016.07.11
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今日は、参議院議員選挙の投票日です。アベノミクスの功罪への評価、貧困問題、憲法を変えることへの是非、平和を巡る問題、原発回帰への是非、TPPへの賛否、など、争点は数多くあります。そのどれをもっとも重視するかは、人それぞれでしょう。何党に投票せよ、ということは私は書きませんが(そもそも、私は固定的な支持政党がないし、今日は特定候補への投票呼びかけは公職選挙法違反になる)、私自身は日本国憲法を守る、ということを最大の基準として投票先を選びました。(すでに投票は済んでいます)今回は、参院選ですから、たとえ自公の議席数が0になったとしても(そんなことはありえませんが)、政権が変わることはありません。また、半数改選で、今回非改選議席も自公が多数を制しているので、自公が多少敗北しても、与党が参院で過半数を切ることすらありません。そういう意味では、政権の選択という選挙ではありません。(私にとっては残念なことですが)選挙結果がどうであっても、自公政権はこのまま続きます。ただ、いろいろな意味で強権的な方向に「この道を力強く前へ」もっともっと進むのか、「いや、そりゃちょっと待て」とブレーキをかけるのか、政権は変わらなくても、その差は大きいと私は思います。投票の基準は人それぞれですし、当然私とは間逆の主義主張の人も大勢いるでしょう。しかし、何を基準にするにしろ、そして何党に投票するにしろ、投票には行くべきだと私は思います。与党が勝つにしても野党が勝つにしても、投票率が下がれば、政治は否応なく劣化します。いや、すでにかなり劣化してきているように思いますが、それが更に進行します。その結果は、すべての人に災難として降りかかってくることになります。どうせ選挙に行ったって何も変わらない、と思うかもしれません。でも、実際には、みんなが選挙に行かなければ、政治は何も変わらないどころか悪いほうに(あるいは、自分が望まない方向に)変わるでしょう。すべて他人任せで、日本という国がどうなっていこうがまったく構いません、一切異議申し立てもしません、というのであれば棄権もやむをえないかもしれませんが、政治に対して何らかの意思があるのなら、それは、投票しない限り絶対実現しないし、あるいは今実現しているとしても、投票しなければそれを維持することはできません。改めて、皆様、是非投票には行きましょう!
2016.07.10
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最初にお断りしておきますと、私自身は三宅候補には投票していません(すでに期日前投票済)。もし私に2票あれば三宅候補にも投票するのですが、残念ながら1票しかありませんので。ただ、私が「選挙運動を見てみたい」と思ったのは唯一三宅候補だけなのです。正直なところ、私が実際に票を投じた候補ですら、その選挙運動には、全然興味がありません。しかし、三宅候補の「選挙フェス」は見たいと思いました。なので、選挙戦最終日の今日、行って見ました。場所は品川駅です。いきなり、駅でチラシを配っていたのが、なんと昔の演奏仲間でした。演奏仲間と言っても、一緒に演奏したことはあったかな。1回か2回あったかな。直接会ったのも十数年ぶりですが、FB友達なので、彼が三宅候補の選挙運動に参加していることは知っていました。ただ、ここで会うとは思わなかったけど。彼とは握手したけど、実はもう別の候補に投票したとは、申し訳なくて言えませんでした。ちょっと、よく分からない内容の詩を朗読されていた女性。名前は聞きそびれました。小説家の島田雅彦と三宅候補聴衆はかなりの人数です。名前を聞きそびれましたが、R水素の話をされていました。1万人が集まっている、と言っていましたが、そのときは「いや、1万人はいないのでは?」と思ったけど、改めて聴衆を見ると、それに近い人数は集まっていそうです。2階テラスも人が鈴なりで、写真を撮るのもなかなか大変でした。応援弁士、植草と名乗っていたような気がします。経済学者の植草一秀でしょうか。応援弁士、生活の党から比例代表に出馬している姫井由美子候補。かつて、「姫の虎退治」で片山虎之助に勝った人ですね。当然、山本太郎も応援に駆けつけるのでしょうし、ひょっとしたら小沢一郎も?と思ったけど、時間の制約により、ここまでで帰路につきました。演説に多くの人が集まっても当選するとは限りません。そもそも、私自身からして、演説を聞きには行ったけど、投票はしていないわけで、そういう人は少なからずいるでしょう。前回都知事選の際、細川候補は演説の聴衆の数では舛添候補を圧倒したものの、選挙結果は、舛添の半分にも満たない得票で3位落選でした。ただし、細川は負けたとはいえ95万票取っています。一人しか当選できない都知事選と違い、参院選東京選挙区は6位以内に入ればよいのです。過去の選挙では、参院東京選挙区の当選ラインは60万票台。定数が1人増えているから、当選ラインは下がるかもしれません。都知事選の細川候補は、小泉元首相との二人三脚で多くの聴衆を集めましたが、今回の三宅候補は、少なくとも私がいた時間帯には、一般的な知名度がそれほど近い人はいませんでした。それでもこれだけの人が集まっている(山本太郎か小沢一郎が参加したときはどの程度の聴衆だったのかは、興味あるところ)。ひょっとして当選できるでしょうか。あまり期待するとダメだったときにがっかりするので、期待はしませんが、私が票を投じた候補者ともども当選することを願っています。
2016.07.09
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「支持政党なし」ってどんな党?7月10日に投開票される参院選に「支持政党なし」という政党が参加しているのをご存じだろうか。比例区の投票用紙に「支持政党なし」もしくは「支持なし」と記載すると、この政党の候補者が得票することになっている。共同通信によると政党「支持政党なし」は、2014年の衆院選比例北海道ブロックで、社民党の約5万3千票を上回る約10万票を獲得したことが話題となった。今回の参院選では、佐野秀光代表と本藤昭子・九州地区代表の2人が比例代表全国区に立候補しているほか、北海道、東京、神奈川、大阪、熊本の4選挙区で候補を擁立している。「支持政党なし」の公式サイトでは「国会に出されます全法案につき党員にネット上で賛否を計り、賛成が多数な法案は賛成、反対が多数な法案は反対、にと議員の意志はまったく無視し、党員の方々の使者となりきるつもりでございます」と、独特の政治手法を訴えている。無党派の人が「支持政党はありません」という趣旨で、間違えて投票する可能性も考えられるが、大丈夫だろうか。総務省選挙課にハフポスト日本版が取材したところ、「公職選挙法では、他の政党とまぎらわしい党名や、代表者名を想起される党名については認めていないが、『支持政党なし』については法律上の瑕疵はない」とコメントしている。---いきなり無関係な話で恐縮ですが、毎年10月に福島県川俣町で行われている「コスキン・エン・ハポン」という日本最大のフォルクローレのイベントがあります。毎年100以上のグループが参加するのですが、もう20年近く前になるでしょうか、ここに「休憩(5分間)」という名前のグループが参加したことがあります。最初、私は出演グループのリストを見て、「ふーん、今年は途中に5分間の休憩を入れたんだ」と思ったのですが、よく見たらそういう名称のグループだったわけです。そのときは、うまいネーミングだと思いました。ついでに、実は演奏もかなりうまかったのです。「支持政党なし」という名前の党のことを聞いて、まっさきに思い浮かんだのは、その「休憩(5分間)」のことでした。ネーミングのセンスが合い通じるものがありますから。ただし、合い通じるのは、ネーミングのセンスだけです。国会の選挙はお笑いイベントではありませんし、前述の「休憩(5分間)」が、私の中でよい意味で印象に残っているのは、演奏もうまかったからです。しかしこちらの「支持政党なし」が政治家として一流になれるかというと、疑問符がいっぱいつきます。トリックプレーじみた名前は、音楽グループならば(実力が伴っていれば)好印象を抱きますが、政党としては、あまり好印象を抱けないのです。「政策一切なし」というのは、どうも、私の目には政党として失格であるように思います。政党、あるいは政治家というのは、基本的には自らの主張を掲げて、それに対してより多くの支持を集めるのが役割と思うからです。もちろん、支持の具合によって主張を変える、ということはあるでしょう。重要なことは、自らが主体的に政策を提示して、それに対する賛否を問う、ということです。しかし、政策一切なし、つまり何一つ主体的な主張はしない、ということは、そのような政党の基本的な役割(だと私が勝手に思っているだけではありますが)を放棄する、ということです。それで責任ある政治が行えるのか、私は大いに疑問を感じます。それに、「政策一切なし」という「党」に投票するということは結果的にその党に白紙委任する、ということです。投票した人の思いをどれだけ裏切ったとしても、それは「公約違反」にはならないわけですから。ネット投票で賛否を決めると言うものの、その精度、水増し投票の可能性などを考えると、信頼性には大いに疑義があります。当選後に何をやるか、あるいはやらないか一切分からない候補者に投票する気は、少なくとも私にはありません。ついでに言えば、党首の佐野秀光は、こんなことを公言しています。そもそもが今の国会をみれば誰だって解るのは、与党の自民党と公明党の言う政策以外は、全て絵に描いた餅ですからなるほど、そういうことですか。ならば、「与党の自民党と公明党の言う政策以外は、全て絵に描いた餅」だと考える人なら、この党に投票しても裏切られる可能性は比較的低いかもしれません。しかし、その考えに不同意の人が投票すると、後で悲しい思いをする可能性は、結構高いんじゃないかなと思います。
2016.07.07
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民進・岡田克也代表を「デマ」と批判 自民・高村正彦副総裁、安倍首相での9条改正可能性は「ゼロ」自民党の高村正彦副総裁は参院選の結果、憲法改正発議に必要な議席を改憲勢力が確保した場合、憲法9条を改正する可能性について「10年先などの将来は知らないが、(当面)ゼロだ」と強調した。そのうえで「改憲勢力が3分の2を取れば、安倍晋三首相が憲法9条を改正する」などと訴える民進党の岡田克也代表を「デマの類い」と批判した。高村氏は「首相は『憲法9条の改正は国民の理解が得られていない』と再三言っている」と説明。「おおさか維新の会も9条改正は『時期尚早』。公明党はもともと自民党とスタンスが違う」と述べ、改憲勢力とされる各党が現段階での9条改正を否定していると強調した。(以下略)---憲法は変えても9条は変えません、というのですが、その信用度はゼロと言わざるを得ません。だって、発言をよく見てみると、「10年先などの将来は知らないが」という留保つきです。確かに、憲法改正発議に必要な議席を取った後、いきなりは9条改正は言い出さないかもしれません。それをやれば、国民投票で負ける可能性があるからです。でも、だからといって、自民党に憲法第9条を変える意思がない、などという話は、とうてい信ずることができません。なぜなら、自民党が公表している憲法改正草案には、第9条「改正」が明記されているからです。自民党が、憲法第9条を変えるつもりはない、変えるという話はデマだと、本当にそう主張するなら、まず「あの憲法改正草案は誤りなので撤回します。新しい(9条をそのままにした)草案を出しなおします」と表明することです。でも、そんなことは絶対するはずがない。自民党にとって(安倍政権にとっても)第9条こそが憲法改正の本丸であり、最終目的地がそこであることは明らかです。政治情勢上「今はまだ」9条改正をいうのは得策ではないというだけの話で、「安倍首相は憲法9条を変えない」と言われても、そっちこそデマでしょうというしかありません。そして、9条もさることながら、今自民党がしきりに言及している緊急事態条項も、この憲法の精神を完全に変えてしまう、致命的な内容です。今回の参院選、もちろん憲法だけが唯一の争点ではないけれど、極めて重要な争点のひとつであることは明らかです。そこについて口を閉ざして何も言わずに、選挙後になって憲法を変えてしまおうという魂胆は、不誠実のきわみであると私は思います。
2016.07.06
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「日本死ね、言っている場合じゃない」 自民・稲田氏1億総活躍社会はどんな社会ですか? 日本はGDPの200%もの借金を抱える借金大国。あれせえ、これせえ、と言ったってできない。あれかこれか、優先順位を付けてしかできない。それを、あれしてくれなきゃ活躍できない、これしてくれなきゃ活躍できない、国はあれもこれもどれもこれも、やれと。それもできないなら日本死ね、なんて言っている場合じゃないんだと思う。みんなでこの国をよくする運動が1億総活躍社会ですね。私たちは、国だけに任せるんじゃなく、自分だけが幸せだけじゃなく、みんなが幸せで初めて幸せだと感じられる民族だ。---「GDPの200%もの借金を抱える借金大国」と、第三者のように言っているけれど、その借金の大半は自民党政権が作ったものです。もちろん、自民党のみの責任に帰するわけではないけれど。あれかこれか、全部はできないから優先順位が必要というのは、そのとおりではあろうと思うけれど、その中で働く女性が子育てをしやすくするための施策というのは、かなり優先順位の高い部類であろうと私は思いますけどね。で、そもそも根源的に「みんなでこの国をよくする運動が1億総活躍社会」なのだそうですが、稲田のいう「この国をよくする」の定義と、私とでは、相容れないであろうことは確実です。稲田が思うような「国をよくする」ことのために活躍なんて、私はいやです。幸せの定義だって人それぞれであって、「自分だけが幸せだけじゃなく、みんなが幸せで初めて幸せだと感じられる」という話も、政治家が言うと非常に押し付けがましい。どんなときに幸せを感じるか、なんてのは人それぞれであって、政府が価値観を押し付けるようなようなことをすべきではないでしょう。
2016.07.05
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「国歌歌えない選手、日本代表じゃない」森喜朗氏「国歌を歌えないような選手は日本の代表ではない」。東京・代々木の体育館で3日にあったリオデジャネイロ五輪の代表選手団の壮行会で、2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が来賓のあいさつでそう述べた。壇上には選手ら約300人が登壇。森会長は、直前の陸上自衛隊中央音楽隊の松永美智子陸士長による国歌独唱時の様子を振り返って「どうしてみんなそろって国歌を歌わないのでしょうか」と問いかけ、サッカー女子の澤穂希さんや、ラグビーの五郎丸歩選手が君が代を歌い、その様子を見て国民が感動した、と述べた。「口をモゴモゴしているだけじゃなくて、声を大きく上げ、表彰台に立ったら、国歌を歌ってください」と選手団に呼びかけた。場内ではみんなで声を合わせて歌う「斉唱」ではなく「国歌独唱」とアナウンスされ、ステージ上のモニターにも「国歌独唱」と表示されていた。---そもそも「独唱」っていうんだから歌い手さん以外の人が一緒に歌うことは最初から想定されていなかったのでしょう。それなのに声をあわせて歌え、というのはかなり状況をわきまえない要求です。幸いなことに、私は間違ってもスポーツの分野で「日本代表」になる可能性などないので、「国歌独唱」というときに君が代を斉唱させられることはないでしょう。歌えと言われても、私は歌いたくない。子どもの卒業式と入学式でも、歌いませんでした(式典を乱すつもりはないので、起立はしましたけど)。まあ、銃を突きつけられて歌えと強要されたら、命は惜しいから歌うでしょうがね。というところで、ひとつ思い当たったことがあります。<バングラテロ>コーランで選別…暗唱できぬ人を襲う「ここから助け出してくれ!」「無事を祈っているよ」。バングラデシュの首都ダッカで1日(日本時間2日未明)起きた人質テロ事件で、人質になったバングラデシュ人の兄は、弟と約8時間にわたってメールで連絡を取り合った。悲痛な叫びを伝えてきた兄の安否を気遣う弟が、地元紙「デーリー・スター」の取材に応じた。脱出した人たちによると、人質は武装集団にイスラム教の聖典コーランを暗唱させられ、できない人が襲われたという。---一方では、君が代を歌えないと日本の代表ではないと叫ぶ元首相、一方ではコーランが暗唱できないと殺害するテロリスト、凶悪さの程度には大差はあるものの、どうも方向性としては同質のものを感じざるを得ません。踏み絵を踏めない奴は敵だ、と。要するに自分の価値観と相容れないやつは排除する、ということです。多様な価値観を認めるという広さがない。権力を持つものが自らの権力でそれを行うか、権力はないが武器を持つものが、テロ行為でそれを行うか、という違いはあっても、本性は果たしてどれだけ違うものやら、です。
2016.07.04
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内相「実行犯は高学歴の裕福な家庭出身」 ダッカ事件バングラデシュの首都ダッカで1日夜に武装集団がレストランを襲撃して客らを人質に立てこもった事件で、菅官房長官は日本人7人が死亡したと発表した。日本人1人は救出された。犠牲者は警官2人を合わせて22人。バングラデシュ当局の捜査や地元報道によると、外国人を標的にしたテロとの見方が強まっている。亡くなった人質の20人は、日本人7人、イタリア人9人、バングラデシュ系米国人1人、インド人1人、バングラデシュ人2人。武装グループは、店内にいた客・従業員をバングラデシュ人と外国人、あるいはイスラム教徒とそれ以外の人たちとに分けようとし、聖典コーランの一節を暗唱できなかった人などを殺害したという。治安部隊の突入作戦で実行犯の6人が殺害され、1人が逮捕された。救出された13人のうち1人は日本人で、そのほかは主に店員のバングラデシュ人だった。犯行後、過激派組織ISバングラデシュを名乗る組織がインターネット上に犯行声明を出し、「5人の戦士が周到な準備と調査を経て、十字軍諸国の国民を襲撃した」とした。バングラデシュ警察当局は、実行犯はISではなく、7人のうち少なくとも5人は同国の過激派組織「ジャマトゥル・ムジャヒディン・バングラデシュ(JMB)」などのメンバーで20歳代。捜査・監視対象の名簿に載っていたとしている。カーン内相は、「いずれも高学歴の裕福な家庭出身。神学校で学んだ者はいなかった」と語った。---何とも気が滅入る事件です。殺された日本人は、JICA関係の仕事で滞在していた人が多かったようです。バングラデッシュは知りませんが、ラテンアメリカでJICAに関係する仕事をしていた知人もいるので、まったくぞっとします。亡くなった方には謹んでご冥福を申し上げます。それにしても、「コーランの一節を暗唱できなかった人を殺害」という短絡ぶりは、恐るべきものです。「君が代を歌えなかったら殺す」っていうのと同じくらい無茶苦茶です。しかしながら、こういう事件をどうやって撲滅、あるいは事前に阻止できるのか、というと、ほとんど絶望的であろうと考えざるを得ません。今回の件はISとは別組織の犯行のようですが、あるいはISともつながりはあったのかもしれません。いずれにしても、確実にいえることは、「浜の真砂は尽きずとも」ではありませんが、ISが仮に撲滅されても、それに取って代わってテロ活動を行う組織はいくらでもあるのだろう、ということです。テロ組織を撲滅しようと、欧米諸国が軍事介入を行えば行うほど、テロ活動を行うイスラム過激派が勢いを増しているのが現状です。この種の過激組織が勢力を持つ経緯はともかく、より直接的に凶悪なテロを簡単に実行できる理由は、簡単に武器が手に入るからです。欧米諸国が、敵対する勢力を撲滅しようと、自ら軍事介入を行うだけでなく、対抗勢力に武器の供与を行うと、その武器が簡単に横流しされる。最悪の場合は、欧米から武器の供与を受けた対抗勢力が欧米に敵対する勢力に化けることもあります。アフガニスタンのタリバンや、シリアのISがその例です。そう考えると、テロを撲滅するのに一番効果的な方法は、武器の流入を遮断することではないか、という気がします。「味方」に対して武器供与しても、前述のとおり、その多くは「敵」に横流しされるのですから、敵も味方も関係なくすべての勢力に対して武器の流入を遮断しなければなりません。ただ、武器流入の遮断にどこまで実効性が伴うかはかなり心許ないことも事実です。水漏れだらけの可能性も大いにありますし、自力で武器弾薬を製造できるくらいの組織に対してはあまり効果がなさそうです。
2016.07.03
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「都知事、しょうもない人ばかり選んで…」自民・二階氏自民党の二階俊博総務会長私は、東京都の人は、国際都市・東京に住んでいるんですから、もっとしっかりしてもらいたいと思う。東京都はもっとリーダーにならないといけない。それを(都知事に)しょうもない人ばかり選んでね。交代、交代って。色々な意見を言ったり、新聞へ投書したり、意見を言ったりするのは、半分以上、東京都の人なんですよ。ここら(和歌山県)の人でも、あんなことをする人はいない。そりゃ、してもらってもいいんだけど、そういうことをする暇が無い。東京都の人なんかね、暇にあかして書くんです。そして、投書をいっぱいして満足している。そんなことで満足する暇があったら、自分たちから選ぶ知事候補ね、もうちょっとしっかりした者を選んだらどうですか。本当にあれじゃあ選挙を何回やってもね。「今度こそ」と言っているが、「今度こそ」になるかどうか。しっかり我々も注目しないといけない。---自民党は「しょうもない人ばかり」を都知事選に推薦して申し訳ありません、という趣旨かと思いきや、なんと、「しょうもない人ばかり」を選んだ東京都民に対する批判のようです。いや、恐れ入った。確かに、辞任に追い込まれるような人物※を立て続けに選んだ東京の有権者にも責任はないのか、という視点は必要だとは思います。※ただし、以前に記事を書いたように、私は舛添には投票はしなかったけれど、就任以降に行った政策は、最近の都知事の中ではもっともマトモだったと思っています。それを一般有権者がいうのは当然です。舛添(その前に辞任した猪瀬も)を推薦も支持もしなかった党の政治家が言うのもいいでしょう。しかし、よりによって、自民党の政治家が言う資格があるのか。自分たちの党が舛添(その前に辞任した猪瀬も)を推薦し、全面支援し、投票してくださいと散々選挙運動をおこなった、その責任を棚に上げて、東京は「しょうもない人ばかり選んで」とはね。まったく恐れ入りました。まあ、二階は和歌山が地盤の政治家だから、東京の自民党を「自分たちの党」とは認識していないのかもしれないけれど、ならば、党を割って出た後でこういうことは言ってくれ、というところです。
2016.07.02
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安倍首相「自衛隊員に謝罪がない」 共産・志位和夫委員長に安倍晋三首相は30日、三重県伊勢市で街頭演説し、共産党が防衛費を「人を殺すための予算」と発言した藤野保史衆院議員を政策委員長から事実上更迭したことについて「志位和夫共産党委員長は街頭演説を昨日も行ったようだが、一言も自衛隊員や家族に対する謝罪がない」と強く批判した。---以前に記事を書いたように、私も「人を殺すための予算」発言は失策だったと思います。撤回したのも当然です。私自身も、これまた過去何回も書いているように、見果てぬ将来の夢としての非武装中立という理想は捨てるつもりはないけれど、現下の国際情勢の下では、自衛隊は残念ながら必要、と考えます。そのことはともかくとして、この失言に対してここぞとばかり自民党は攻撃をかけているけれど、「一言も自衛隊員や家族に対する謝罪がない」という言い草に対しては、違和感を禁じ得ません。「人を殺すための予算」は、政治家の発言としては失言ですが、世の中にはおおむねそのような言葉が満ち溢れていることも事実です。かつて、郵政解散のとき、自民党はここぞとばかり公務員攻撃を行いました。いわく、「役人天国」いわく「役人の無駄づかいの温床」などなど。そのとき、首相は小泉でしたが、安倍は官房長官の要職にあったのではなかったか。今は、当時ほどには公務員を悪し様に攻撃はしていないですが、代わりにおおさか維新がそういう役目を果たしています。自衛隊員だって公務員です。(「士」は非常勤公務員のようなものだが、「曹」以上は正規職の公務員)役人天国というなら自衛隊だってそうだし、無駄づかいの温床とは、まさしく自衛隊です。1機で200億円以上のオスプレイなどは、その典型です。ところが、公務員を悪し様にののしる人に限って、自衛隊や警察のことはののしらない、「役人の無駄遣い」を批判する人に限って自衛隊の無駄遣いは見ないフリをする傾向が強いように思います。でも、国民の税金で成り立っている、という点において、自衛隊も警察も霞ヶ関の高級官僚も市役所の職員も、違いはありません。自民党は、「役人天国」とか「役人の無駄づかいの温床」などの発言について、一言でも公務員や家族に対して謝罪をしたのでしょうか?していませんね。ならば、今回の件でも、自衛隊員や家族に対して謝罪を行う必要などないでしょう。それとも、自衛隊というものはアンタッチャブルで、一切批判を許さない存在であるべき、と思っているのでしょうか?それこそ、批判を許さぬ存在ほど腐敗堕落を増殖しやすいものはありません。
2016.07.01
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