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原発処理費 40兆円に拡大 税金・電気代転嫁、国民の負担に福島第一をはじめとする廃炉や使用済み燃料再利用など原発の後始末にかかる費用が膨張している。国内の原発処理の経費は最低40兆円に上ることが判明。原発のある自治体への補助金等税金投入も1970年代半ばから2015年度までに17兆円に達した。すでに国民が税などで負担した分を除き、増大する費用は電気代や税で国民が支払わねばならず、家計の重荷も増している。原子炉や核燃料処理費がかさむのは危険な核物質処理のため。自治体補助金も「迷惑料」の色彩が強い。原発の建設・運営費も事故後は安全規制強化で世界的に上昇している。政府は福島事故処理費を13年時点で11兆円と推計したが、被害の深刻さが判明するにつれ、21.5兆円と倍増。電気代上乗せなど国民負担の割合を広げている。被災者への賠償金は、新電力の利用者も含め全国民の電気代に転嫁され、福島原発廃炉費も東電管内では電気代負担となる方向。除染も一部地域は17年度から税金投入する。1兆円を投入しながら廃止が決まった高速増殖炉「もんじゅ」も、政府は後継機の研究継続を決定。税金投入はさらに膨らむ。青森県の再処理工場などもんじゅ以外の核燃料サイクル事業にも税金などで10兆円が費やされた。核燃料全般の最終処分場の建設費も3.7兆円の政府見込みを上回る公算だ。自治体への補助金も電気代に上乗せする電源開発促進税が主な財源。多くの原発が非稼働の現在も約1400億円が予算計上されている。大島堅一立命館大教授によると1IWh当たりの原発の発電費は安全対策強化で上昇した原発建設費も算入すると17.4円と、水力(政府試算11.0円)を6割、液化天然ガス火力(同13.7円)を3割上回る。原発を進める理由に費用の安さを挙げてきた政府の説明根拠も問われている。---まったく、いったい誰が「原発は安価な発電手段」などと言ったのか。事故が起こればこれほど高くつく発電手段はありません。福島原発の廃炉作業に関しては、以前にも記事を書きましたが、現状ではどれだけの時間と費用を要するのか、見当も付かない状況です。チェルノブイリと同様に石棺というはなしもありますが、福島県がそれを断固拒否していますし、チェルノブイリの前例を見れば、強固に見える石棺も、数十年で老朽化して建て替えを余儀なくされる、最終的には核燃料を取り出さないと何万年もの間管理し続けなければならなくなる、といった問題があり、石棺なら安く上がる、とは言えません。(何万年も管理しなければならないのは、核燃料をどこに置いても変わらないのですが、中の見えない石棺の中のどこかに放置されているよりは、管理された貯蔵施設の方が多少なりとも「マシ」ではあるでしょう)ところで、この試算に対して、サンクコスト(埋没費用)を計算に入れるな、という批判が、例によって原発推進派の池田信夫などから出ています。サンクコストとは、すでに発生することが確定していて、今から中止しても取り返せない費用のことです。たとえば、すでに建ててしまった原子力発電所の建設費用とか、すでに発生してしまった事故の処理費用などを指しているようです。これらは、もう今から原発をやめてもお金は返ってこないんだから、原発のコスト計算から外せ、ということのようです。しかし、ならば原発以外の発電のコスト計算では、そういったサンクコストは費用から省かれているのでしょうか。例えば、建設済みの火力発電所や建設済みの水力発電所の建設費用はどうでしょう。資源エネルギー庁が算出している発電コスト計算には、「減価償却費(建設費に減価償却率を乗じたもの)、固定資産税、水利使用料、設備の廃棄費用の合計」が、まとめて「資本費」としてコスト計算に含まれています。建設済みのダムの建設費用を「サンクコストだから」と計算から除外したら、水力発電なんて、ダムや発電設備の管理経費とそれに伴う人件費しかかからないのだから、コストはとてつもなく安くなるに決まっています。前述の資源エネルギー庁の計算では、水力発電(一般水力)の発電コストは1kwh当たり11円、そのうち資本費が8.5円を占めています。原発だけ、サンクコストだからと費用の一部を原価から除外するなら、それはとうてい公正な比較とは言えません。もう1つの問題は、事故処理や廃棄物処理にかかる費用は、本当にサンクコストなの、ということです。福島の事故に関しては、確かにもうすでに発生が確定している費用です。しかし、だから事故処理費用はサンクコストだ、と言い切るには、「今後2度と同じような規模の事故は起こさない」という絶対の保証が必要です。池田信夫あたりは、無責任な放言屋だから、「2度と起こらない」と言うかもしれないけれど、実際にはそんな保証など皆無です。再度同じような事故が起これば、再度巨額の事故処理費用がかかるのに、事故処理費用がサンクコストなどと言い切ることはできません。廃棄物処理にかかる費用も同様です。確かに、今すでに存在する放射性廃棄物は、原発を停止しても処理や保管に費用がかかります。しかし、廃棄物の量がこれ以上増えないのか、さらに増えていくのかでは、費用は当然変わってきます。例えば、青森県の六ヶ所村に高レベル廃棄物の貯蔵施設(六ヶ所高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター)がありますが、すでにもう満杯に近い状態です。各原発内にある核燃料の貯蔵プールも、あまり余裕はなく、原発を東日本大震災以前のように稼働させるなら、10年ともたずに満杯になります。それまでに最終処分場を作るか、中間貯蔵施設を増設するしかないのですが、最終処分場が決まる見込みはまったくないので、結局は中間貯蔵施設を増設するしかない、ということになります。結局、新たな、膨大な費用が発生することになるわけです。それにしても、原発というのは、この種の後始末の問題を先送り先送りにしたまま、運転することを最優先してきた結果、凄まじい矛盾を抱え込んでいるのが現状です。進むも地獄、止まるも地獄、なのでしょう。ただ、原発を震災前のように稼働し続けると、(事故が起こらない限りは)数年くらいは問題を先送りできるものの、最終的には使用済み核燃料の置き場所がなくなることによって、破綻に瀕することになります。ならば今止まるべきだと、私は思うのですがね。
2017.02.27
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当ブログでは記事にしませんでしたが、北朝鮮の金正男暗殺事件、仰天しました。犯人が北朝鮮の工作員であることは確実でしょう。どういう意図に基づいてかは知りませんが、今の時代に最高指導者の兄弟殺しとはね。歴史的に見れば最高権力者の兄弟間の殺し合いなんていくらでも例のある話(頼朝と義経とか)ではありますけど、それを21世紀の今やってしまうというのは、さすがにねえ。それはともかくとして、またまた産経新聞にトンデモな記事が出ています。拉致被害者救出へ「自衛隊活用」の具体策検討 全国でシンポ開催北朝鮮による拉致被害者救出の具体策を詳細に検討した「自衛隊幻想 拉致問題から考える安全保障と憲法改正」(産経新聞出版)の著者で「予備役ブルーリボンの会」代表の荒木和博氏らが各地でシンポジウムを開き、「拉致は根本的に安全保障の最重要課題。自衛隊が拉致被害者を救出できる現実を知ってほしい」などと提言を行っている。同書は朝鮮半島有事を想定し救出へ自衛隊がどのような活動ができるかなどをシミュレーション。憲法や法制度の課題もあぶり出した。国防の根本へメスを入れる内容に「自分の国は自分たちで守らねば。今の法で日本は大切な人を守れない」「憲法改正しなければ拉致被害者は永久に帰還できない」などと、幅広い世代から反響が寄せられている。---よく読むと、結局のところ(産経新聞出版)の書籍の宣伝なわけですが、それにしても内容には仰天せざるを得ません。「自衛隊が拉致被害者を救出できる現実を知ってほしい」へえーーーー、知りませんでしたよ(爆)で、どうやって実行するのですか?拉致被害者の居場所をどうやって特定し、そこにどうやって、どの程度の規模の特殊部隊員を送り込み、当然予想される北朝鮮側の反撃を排除して「救出」して、どうやって撤収するのか、どの程度の部隊規模と装備と計画なのか、「現実」というなら、是非具体的に提示していただきたいものです。当然のことながら、すべての拉致被害者が今なお一箇所に集められて生活している、なんてことはあり得るはずもなく、北朝鮮のあちこちに分散して生活※しているはずです。仮にその居場所が突き止められたとしても(実際には、突き止められるわけがないけど)、それを同時に襲撃して救出することなど、いかに考えても不可能という以外の答えはありません。※生きているなら、ですがね。政治的イデオロギーの左右にかかわらず、不当に拉致された親族が死んだと認めたくない、生きていると思いたい、という気持ちは分かります。だけど、客観的に判断して、もう生きいるはずがない。個人の心情として「まだ生きている」と思いたいのは理解できますが、それに基づいて政府が、明らかに生きてはいない人の「救出作戦」などという失敗確実の博打を行うことなど、あり得ないでしょう。北朝鮮の拉致被害者に特定してではないですが、海外での「人質救出作戦」に関して、自衛隊(の代弁機関)が、過去に「そんなことは不可能だ」と明言したこともあります。2年前、「イスラム国」に拘束されて殺害された際、安倍が「人質救出を可能にする議論をこれから行いたい」などと発言した際のことです。朝雲新聞という新聞があります。読者の大半が自衛隊員とその関係者の、実質的な自衛隊の機関紙です。新聞以外にも、自衛隊員が持つ「自衛隊手帳」とか、「防衛装備年鑑」なども発行しています。この新聞がコラムで、国会での人質救出論に噛み付いたのです。こらについては、以前にも記事を書いたことがありますが、すでに元のコラムは削除されているので、改めて全文を引用したいと思います。過激派組織「イスラム国」による日本人人質事件は残念な結果となった。悔しい気持ちはわかるが、自衛隊が人質を救出できるようにすべきとの国会質問は現実味に欠けている。人質救出は極めて困難な作戦だ。米軍は昨年、イスラム国に拘束されている二人のジャーナリストを救出するため、精鋭の特殊部隊「デルタフォース」を送り込んだが、居場所を突き止められずに失敗した。作戦に際し、米軍はイスラム国の通信を傍受し、ハッキングもしていたに違いない。さらに地元の協力者を確保し、方言を含めて中東の言語を自在に操れる工作員も潜入させていたはずだ。もちろん人質を救出するためであれば、米軍の武力行使に制限はない。それでも失敗した。国会質問を聞いていると、陸上自衛隊の能力を強化し、現行法を改正すれば、人質救出作戦は可能であるかのような内容だ。国民に誤解を与える無責任な質問と言っていい。これまで国会で審議してきた「邦人救出」は、海外で発生した災害や紛争の際に、現地政府の合意を得たうえで、在外邦人を自衛隊が駆け付けて避難させるという内容だ。今回のような人質事件での救出とは全く異なる。政府は、二つの救出の違いを説明し、海外における邦人保護には自ずと限界があることを伝えなければならない。私たちは、日本旅券の表紙の裏に記され、外務大臣の印が押された言葉の意味を、いま一度考えてみる必要がある。(2015年2月12日付『朝雲』より)世界最強の米軍でさえできなかったのに、自衛隊に人質救出作戦なんて、できるわけねーだろ、と、一言でいえばそういうことです。「陸上自衛隊の能力を強化し、現行法を改正すれば、人質救出作戦は可能であるかのような内容」は国民に誤解を与える無責任な質問だと斬って捨てています。自衛隊の実質的機関紙が、正面からそのように指摘したわけです。当たり前のことを当たり前に指摘しただけ、ともいえますけどね。「イスラム国」を「北朝鮮」に書き換えても、まったく同じです。というより、腹の中ではそちらを念頭に置いてのコラムじゃないか、という気すらします。荒木和博の叫ぶ「自衛隊が拉致被害者を救出できる現実」なるものは、当の自衛隊自身の機関紙から、そんなものは不可能だと一刀両断されているような代物ということです。純軍事的な面に限ってもそうですが、それに加えて、やった場合は国際政治上の後始末が極めて高くつくことになるでしょう。つまり、ありていに言えば妄想でしかない、ということです。
2017.02.25
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座して死を待つなかれ 敵基地攻撃能力の保有へ機は熟している「わが国土に対し、誘導弾などによる攻撃が行われた場合、座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨だとは考えられない」鳩山一郎首相(当時)が衆院内閣委員会で政府統一見解を示し、敵基地攻撃能力の保有は合憲としたのは昭和31年2月のことである。統一見解は次のように続く。「誘導弾などによる攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾などの基地をたたくことは、法理的に自衛の範囲に含まれ、可能である」まだ日本が、現在のように北朝鮮や中国の弾道ミサイルの脅威にさらされていなかった時代でも、そうだったのである。それからミサイル技術は日進月歩し、正確性も破壊力も比べものにならない。にもかかわらず、情けないことに「わが国は敵基地攻撃を目的とした装備体系を保有しておらず、保有する計画もない」(今年1月26日の衆院予算委、安倍首相答弁)のが現状だ。長年にわたる政治の不作為により、国民の生命と財産は危険にさらされ続けてきた。もうここらで、政治は真摯に現実に向き合うべきだろう。自衛隊部隊の日報における「戦闘」の定義や意味について延々と不毛な論争をするよりも、よほど国民のためになる。安倍首相はこの1月の答弁で、敵基地攻撃能力の保有について「国民の生命と財産を守るために何をすべきかという観点から、常にさまざまな検討は行っていくべきもの」とも述べた。当然の話だろう。(以下略)---例によって産経の政治運動屋阿比留瑠比のアジ文です。もっとも、その2日前の産経新聞の「主張」に同じ趣旨の文章が出ているので、阿比留個人の意見ではないのでしょう。なるほど、政府の統一見解は確かに「わが国土に対し、誘導弾などによる攻撃が行われた場合、座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨だとは考えられない」というものです。だけど、法的に可能かということと、能力的に可能かということは別の問題です。産経は、集団的自衛権の問題についても、「世界中で集団的自衛権を認めない国は日本だけだ」などと主張していましたが、現実には法的な意味で認める認めないはともかく、能力的に集団的自衛権を発動できるほどの軍事力を持つ国は多くはありません。敵基地攻撃能力というのも同じことです。歴代政府としては、できる限りフリーハンドでありたい、手を縛るような言質は与えたくない、という意味でそのような政府見解を維持してきたのでしょう。しかし、現実的に敵基地攻撃能力を持つというのは、法律解釈上の可否とはまったく別の問題です。そもそも、産経新聞は、あるいは「検討を行っていく」という安倍首相は、具体的にどのような武器、装備を考えているのでしょうか?現状、日本は空中給油機を持っているので、保有する戦闘機はかなり長い航続距離を発揮することが可能です。多分、爆装して北朝鮮なり中国本土なり、ロシア極東まで行って帰ってくることは、できるでしょう。でも、引用記事を読む限り、阿比留は(産経新聞も)それは敵基地攻撃能力ではないと考えているようです。では、具体的に何がほしいのか。ミサイル(空対地ミサイル、または地対地ミサイル)しかありません。巡航ミサイル(トマホークなど)か弾道ミサイルでしょう。しかし、それによって相手国の基地を破壊できるのでしょうか。相手のミサイル発射台は当然ながら秘匿されています。多くの場合、ミサイルサイロは地下にあり、または車両に載せた移動式ミサイル発射台の場合もあります。これをリアルタイムで捕捉して対地ミサイルで破壊するのは、ほぼ不可能です。結局、敵のミサイル攻撃を先制攻撃によって破壊することは、核を使わない限り不可能なのです。核攻撃ならば、2kmや3km目標から外れても、標的を破壊することができますから。つまり、敵基地に対する先制攻撃手段を持つべき、というのは、意訳すれば「核兵器を持つべき」というのと同義です。しかも、核兵器ですら確実な手段ではありません。核を保有する各国は、敵国から核ミサイルが撃ち込まれても、その第一撃をかいくぐって、あるいは第一撃の着弾前にそれを探知して、反撃の核攻撃を行うべく、心血を注いでいるからです。米ロ中国、みんな同じです。北朝鮮だって、そのくらいのことは考える。たとえ核を用いても、先制攻撃で相手の核戦力を完全破壊することなど、いかなる軍事大国にも不可能なのです。たとえ先制攻撃で相手のミサイルの8割を破壊しても、生き残った2割に反撃されれば、その被害は破滅的です。だからこその「核抑止」です。つまり、「敵基地先制攻撃」という勇ましい言葉を実行すれば、その代償は恐ろしく高いものにつくのです。それにしても、「座して死を待つなかれ」なる言い分で、先制攻撃のために核を持ち、いざとなれば相手が先制攻撃をかける前にこちらから「敵基地破壊のため」に先制攻撃、もはや、それはただの侵略国家の振る舞いに過ぎません。日本がそのような国になるべきだとは、まったく思わないし、そのような無駄な装備に限りある予算を投入すべきではありません。引用記事には、「まだ日本が、現在のように北朝鮮や中国の弾道ミサイルの脅威にさらされていなかった時代でも」とありますが、1956年当時、すでにソ連は核爆弾を保有していました。まだICBMは実戦配備されていなかったけれど、実用化は時間の問題でしたし、そもそも朝鮮戦争の激しい戦火からまだ3年ほどしか経っていません。いまよりよほど東西冷戦の激しかった時代です。今は、日中関係も日朝関係もうまくいっていないけれど、明日にもミサイルが飛んでくる危険があるわけではない。少なくとも、冷戦時代に比べれば、その危険性ははるかに小さいのです。なんと言っても、冷戦時代、西側諸国に住んだり旅行するソ連人の数など、極めて少なかった(逆も同様)。しかし、今や中国人は世界中に住んでおり、世界中を旅行しています。日本も米国もヨーロッパも。もし、中国が日本に核ミサイルを撃ち込むとしたら、大変な規模の自国民殺戮にもなります。そのような行為は、いかに中国が非民主的であっても、躊躇せざるを得ないのです。
2017.02.23
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陸自の最新型「16式機動戦闘車」は統合機動防衛力の大黒柱 南西諸島での展開も視野に~陸上自衛隊における即応機動体制の構築で“切り札”となるのが、昨年夏に装備化された「16式機動戦闘車」だ。この機動戦闘車は高速道路の走行や空輸も可能で迅速な前方展開への貢献が期待される。陸自は本州の戦車部隊を廃止して機動戦闘車部隊に置き換えていく方針だ。機動戦闘車の一番の特徴は、戦車並みの火力とタイヤを備えた装輪車としての機動力を兼ね備えている点だ。いわば双方の“いいとこ取り”をしたといえよう。主砲は105mm施線砲で現役の74式戦車と同じ威力を持ち、ライフル銃のように砲弾が回転しながら突き進むため、弾道は安定する。さらには最新技術の導入によって命中精度は大幅にアップし、走行中も射撃が可能となっている。一方、キャタピラで進む戦車と異なり、タイヤで走る機動戦闘車の最高速度は約100km/hに達する。これに対して戦車の最高速度は74式が53km/h、より新しい10式や90式が時速約70km/h。機動戦闘車は、戦車並みの火力を持つ車両として最も早い機動力を持つ。輸送面でも大型トレーラーが必要な戦車と異なり、機動戦闘車は高速道路も自走できるほか、重量を抑えているため、次期主力輸送機C2にも搭載可能。離島であっても素早く投入できる。機動戦闘車の大きさは全長8.45m、幅2.98m、高さ2.87m。重さは約26tだが、10式戦車の約44tに比べれば大幅に軽くなった。車体は三菱重工業が、主砲は日本製鋼所が製造した。---例によって産経新聞の自衛隊礼賛記事ですが、読んでいるうちに眩暈がしそうな気分です。要するに、自衛隊が配備するものは、どんなクズ兵器でも礼賛せずにはおられない、というわけでしょう。「戦車並みの火力とタイヤを備えた装輪車としての機動力を兼ね備えている~“いいとこ取り”」「重さは約26tだが、10式戦車の約44tに比べれば大幅に軽くなった。」だそうですが、そこにはひとつ、決定的な視点の欠落があります。何も犠牲にすることなく、44tが26tに軽量化できるものなら、世界中の戦車がそうしているのです。しかし、現実にはこのような「ゲテモノ戦車」が世界的に見て一般化することはありません。そもそも44tという10式戦車の重量自体、世界標準から見れば相当に軽量なのですが、その点は措くとして、44tが26tに軽量化した、というのは、防御装甲を省いた、ということです。つまり、戦車並みの火力と装輪車の機動力、そして装輪車並の防御力ということです。とてもじゃないけれど、敵の戦車(主力戦闘戦車)と撃ち合って、勝ち目のあるような代物ではありません。「施線砲はライフル銃のように砲弾が回転しながら突き進むため、弾道は安定する。」とか(現代の滑腔砲だって弾道の安定性は変わらないし、120mm滑腔砲の方が威力があるからこそ、日本でも世界でも戦車砲の主流はそちらになっています)、「走行中も射撃が可能」とか(何を今更、旧式の74式戦車だってそんな能力はある)、ここまで太鼓もちに徹する記事には笑ってしまいます。次期主力輸送機C2にも搭載可能、ともありますが、逆に言うと、C2にしか積めない、ということです。現用のC130輸送機は、最大搭載量19t、自衛隊の持つ最大のヘリCH47は同10t、これから高い買い物をしようとしているオスプレイは同9t。いずれも、この機動戦闘車を搭載することはできません。つまり、C2が離着陸できる長大な滑走路のあるところにしか空輸はできない、もちろん尖閣諸島になど空輸はできない、ということです。役に立たない上に、開発したばかりの10式戦車とも役割、能力が重複する「戦車もどき」を新たに開発したのは何故か。現行の防衛大綱で戦車の数が300両に制限されているからです。私は、当然この機動戦闘車も300両の中に含まれるのだと思っていましたが、何と、これは防衛大綱でいう戦車の数に入らないのだそうで、だからこんな代物を開発したのでしょう。つまり、かつてのワシントン軍縮条約を、旧日本海軍が、軽巡洋艦のふりをした重巡洋艦とか、すぐに空母に改造できる補助艦艇とか、様々な裏技で隙をつこうとした、それと同じことを今もやっているわけです。裏をかいた相手は、外国ではなく財務省であり日本国民ですけどね。私は、今の日本をめぐる国際情勢の中で、もちろん完全非武装にすべき、などとは思わないけれど、周辺国の軍事的能力から考えて、戦車300両というのは、まあ妥当な数だろうと(むしろ、もっと減らせるのでは、とも思う)思います。それを骨抜きにして、予算を無駄使いするための駒が機動戦闘車というわけです。その辺りの事情を全く無批判にただ礼賛するだけの産経新聞は、本当にどうしようもない。もっとも、何を今更な話ではありますけど。
2017.02.21
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鑑定価格より低く売却の国有地 財務省は適正価格と説明大阪・豊中市にあった国有地が、学校法人に鑑定価格より低く売却されたことをめぐり、財務省は衆議院予算委員会で、土地で発見された大量のゴミの撤去費用として8億円余りを差引いたもので、適正な価格だったと説明しました。この問題は、大阪・豊中市の約8800平米の国有地を、国が去年、大阪・淀川区の学校法人「森友学園」に、鑑定価格よりも低く売却したもの。17日の衆院予算委で財務省理財局長は、学園側に貸付けていた国有地に小学校を建設中、地中から大量のゴミが発見され、学園側が1年後の今年4月に開校が迫る中、ゴミ撤去の意向を示したと説明。理財局長は、鑑定価格の9億5600万円から8億円余をゴミ撤去費用等として差引き、1億3400万円で売却したとして「適正な価格で売り渡した」と述べた。安倍首相は「妻の昭恵が小学校の名誉校長になっていることは承知している。私や妻が、この認可あるいは国有地払下げに、事務所も含めて、一切関わっていないということは明確にさせていただきたい」「私や妻が関係しているということなれば、間違いなく総理大臣も国会議員も辞めるということは、はっきり申し上げておきたい。全く関係ない」と述べた。問題の国有地は国が一昨年、大阪・淀川区の学校法人「森友学園」に貸して小学校の建設工事が始まり、去年、国が土地を売却した。国の公開文書等によると、この土地の鑑定価格は9億5600万円だったが、売却代金はその14%の1億3400万円。鑑定価格と売却代金の8億円余の開きについて、国は「地下に埋まっているごみの撤去費用など8億円を差し引いた」としている。この売却代金をめぐっては、国が一時非開示とし、地元議員から「ごみの撤去に8億円もかかるとは思えず、売却代金は安すぎる。一連のいきさつは不可解だ」という声が上がっている。「森友学園」理事長は「国が提示した金額を受け入れただけで、鑑定価格の14%とは知らなかった」と法人側から国への働きかけを否定。この土地に建設中の小学校の名誉校長は安倍首相の妻の昭恵氏で「小学校の目的は愛国心の豊かな児童を育てることで、そのために就任していただいた」と述べ、国との土地取引きとは全く関係ないとし、「痛くもない腹を探られるようで不愉快だ」と話している。代金が一時、非開示となったことについては、「国が開示するかどうかを尋ねてきたので、開示されないほうがいいと答えただけだ」と説明。国は、ごみ撤去費用について、「法人側から小学校の建設工事でごみが見つかったという報告があり、ごみが埋まっていた深さや想定される密度などから、およそ8億2000万円と計算した。経緯や算出方法に問題はない」としている。(要旨)---この、「森友学園」というのは、一部で有名な塚本幼稚園を運営する学校法人で、幼稚園だけでは飽き足らず、小学校も開校するそうです。で、その塚本幼稚園というのがどのような運営方針か、引用記事の「小学校の目的は愛国心の豊かな児童を育てること」という発言からも、おおよその想像がつきますが、当ブログ常連コメンテーターのBill McCrearyさんが記事を書いておられます。またこの幼稚園か(塚本幼稚園のはなし)「教育勅語」や「五箇条の御誓文」の朗唱、伊勢神宮への参拝・宿泊…。大阪市淀川区に超ユニークな教育を園児に施している幼稚園がある。塚本幼稚園幼児教育学園。安倍晋三首相夫人が同園を訪れたとき、園児らのかわいらしくもりりしい姿を見て、感涙にむせんだという。さて、その塚本幼稚園の籠池泰典園長が、小学校運営に乗り出している。(以下略)要するに、安倍の大好きな極右復古主義者というわけです。別報道によると、理事長は例の日本会議の支部長なのだとか。この学校の名称は「瑞穂の國小學院」というそうですが、当初の予定名称はなんと「安倍晋三記念小学校」だったのです。安倍自身の弁明によると、その名称は断ったのだそうです。「安倍晋三小学校、断った」首相、国有地売却の関与否定「私の考え方に非常に共鳴している方から、(2007年に内閣総辞職して)首相を辞めた時に『安倍晋三小学校にしたい』という話があったがお断りした。まだ現役の政治家である以上、私の名前を冠にするのはふさわしくない。ところが、その断ったはずの「安倍晋三記念小学校」という名での寄付金集めが、2014年までは行われていたのだそうです。証拠となる寄付金依頼文と郵便振替用紙も、ネット上にアップされています。安倍はそれについて「知らなかった」そうですが、首相夫人が名誉校長に就任する小学校のこのような行動を、「知らなかった」で済むのか。というか、「週刊文春」の報道によると、学校側関係者は、安倍の内諾を得たと主張しているそうですが。知っていたにせよ知らなかったにせよ、結果として、いち学校法人が政府、安倍政権から大きな利益供与を受けている事実は動きません。自分はそれとは無関係だ、というなら、野党の追及に対して逆ギレする前に、最低限安倍の妻が「名誉校長」を即刻辞任すべきでしょう。それをせずに何を弁明したところで、何の説得力もない。現状は李下に冠を正しながら、「私はスモモを取っていません」と言っている状態です。それにしても、この森友学園が運営する塚本幼稚園、なかなか凄まじい教育内容です。具体的なところは、前述のBill McCrearyさんの記事や、そのものズバリ、「T幼稚園退園者の会」というブログがあるのでそちらに譲るとして、ひとつだけ紹介するなら、2015年の運動会では、園児に「日本を悪者にする中国や韓国は心を改めて。安倍(晋三)首相頑張れ」と選手宣誓させていたと報じられています。当然そのような教育内容に対する批判も数多くありますが、ネット上でこの幼稚園に対する内部告発と批判が広がると、「インターネット上での当園に対する誹謗・中傷記事について」なる文章をホームページに掲載したのですが、そこには専門機関による調査の結果、投稿者は、巧妙に潜り込んだK 国・C 国人等の元不良保護者であることがわかりました。という文面があります。(さすがに批判を受けて、今はこの文章を削除したようですが)なるほど、批判を行っている者が「元保護者」であるということは、幼稚園自らが認めているようです。上記日刊スポーツの記事によると、元在日コリアン(今は日本国籍)という保護者に対して、園長から「韓国人と中国人は嫌いです」という手紙を渡される、という出来事があったそうなので、その人のことを指しているのでしょうか。でも、この人は自分の出自については幼稚園側に伝えてあったそうなので、「巧妙に潜り込んだ」などというには当たらない。何でまた好き好んでこんな幼稚園に子どもを通わせたのか、とも思いますが、在日コリアンといっても考え方は人それぞれだし、妻の意向ではなく夫が主導で決めたのかもしれません。それに、上記「T幼稚園退園者の会」のブログを見ると、幼稚園に対する批判は一人二人じゃないようです。今の時代子どもの幼稚園を、何も調べず見学もせずに入園を決める親など、そういるものではありません。したがって、この幼稚園がどのような教育方針か、知った上で子どもを入れているはずです。この独特(笑)の教育方針に積極的に賛成か、他の条件などを天秤にかけて消去法的に選んだか、支持の程度は人それぞれでしょうけど、最低限「この教育方針に反対ではない」人しか子どもをこんな幼稚園には入れないでしょう。私は、自分の子どもをこんな幼稚園に入れようとは、120%絶対に思わないもん。それでも、何割かはこの幼稚園に耐えられずに子どもを退園させる、それくらいすさまじいということです。そして、それに対して「批判しているのはK 国・C 国」という、お決まりの、まるで脊髄反射のごとき無根拠ネトウヨ言動。こんな幼稚園、それを母体とする小学校に、安倍が「私の考え方に非常に共鳴している」というのだから、お話になりません。
2017.02.19
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<東芝>解体の危機 相次ぐ優良事業の切り売り東芝は14日に発表した2016年4~12月期決算の見通しで、米原発事業を巡る7125億円の損失を計上することで実質的な債務超過となった。同事業で不適切な会計処理の疑いが発覚し、この日は正式な決算発表を見送らざるを得なくなるなど、経営は混迷の度を深めている。半導体事業を分社化して、株式の半数超の売却を検討することなどで債務超過の解消を目指すが、相次ぐ優良事業の切り売りで東芝は事実上の解体の危機に直面している。「正しいとは言いにくい」。東芝の綱川智社長は14日の記者会見で、2006年に54億ドルを投じて米原発メーカー、ウェスチングハウス(WH)を買収した経営判断の是非を問われ、言葉を濁した。買収当時は新興国などの需要増加に伴う原発輸出の拡大を見込んでいた。しかし福島第1原発事故によって環境が激変。WHは08年に米国で4基の原子炉を受注したものの、当局による規制強化などでコストが膨らみ、東芝は今回の決算の見通しで、7125億円もの損失計上を余儀なくされた。このため昨年12月末時点で1912億円の実質的な債務超過となり、今年3月末までに事業の売却などで資金を調達し債務超過の状態を解消できるかが生き残りに向けた最大の課題となる。~東芝は15年の不正会計問題の発覚をきっかけに経営の悪化が深刻化し、16年3月期連結決算で4600億円の巨額赤字を計上。高い将来性のあった医療機器子会社を売却し、白物家電事業も売却するなどして再建を目指してきた。しかし今期も赤字見通しとなり、「虎の子」の半導体事業を手放すことになれば、東芝に柱となる事業はほとんど残らないことになる。一方原発事業について東芝は海外事業を縮小する方針で、綱川社長はWHの保有株売却も検討する姿勢を示した。しかし、原発事業を取り巻く世界的な環境は厳しく、買い手を見つけるのは難しいのが実情だ。---東芝をめぐる危機は何が原因か、非常に単純でしょう。つまり、国策に乗って原発に投資しすぎて、WHというとんでもない不良債権に、何千億円も投資してしまった。その不良債権ぶりが、東日本大震災を契機に露見してしまい、どうにもならなくなった、ということです。東日本大震災は、危機が露見する契機にはなったけれど、別報道によれば、WHは元々買収の時点で、そんな価値のないボロ企業だった、というのです。加えて、原発事故の後も原発にのめりこむ姿勢を改めようとしなかったことも、事態の一層の深刻化を招いたようです。失礼ながら、あれほどの大惨事を経験しながらなお、それまでの原発推進の姿勢を改めようとしない企業が、いや、企業に限らないでしょうが、危機に陥るのは、当然の報いと言わざるを得ないと私は思います。もちろん東芝だけの問題ではなく、原発推進を国策にした者、東芝を煽った者にも相応の責任はあるでしょう。具体的には、政府・経産省であり、WH買収の途中で手を引いたという丸紅(つまり、その時点でWHがとんでもないガラクタだと気が付いたのでしょう)でもある。ただ、子どもじゃないんだから、「騙されたんだから仕方がない」では済まない。丸紅が手を引いたときに、東芝自身も手を引く選択肢だってあったはずなんだから。いずれにしても、原発なんてものは、もはやリスク以外の何物でもない、と言うしかありません。事故が起きたら、その尻拭いは民間企業には-東京電力や東芝という世界に冠たる超巨大企業といえども-不可能なのです。結局、その尻拭いは国家が、つまりは我々の税金でやるしかありません。それでも原発推進をやめなければ、もう破滅するしかありません。
2017.02.17
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春節も続く中国人客減 富士山麓の土産物店など悲鳴「団体客が前年の半分以下に1月27日から始まった中国の旧正月にあたる「春節」休暇は、2日で幕を閉じるが、山梨県の富士北麓エリアでは宿泊施設や土産物店から「客数が激減した」「爆買いがなくなった」と悲鳴が上がっている。県によると、中国人の宿泊者数は昨年10月、前年同月比49%減の3万4640人と3年2カ月ぶりにマイナスに転じ、11月も3万820人(同32%減)と落ち込みが続いている。春節期間中、日帰り客も多い大規模施設では例年並みに集客を確保したものの、“爆買い”を含め、中国人の姿はめっきり減っている。関係者は今後もこの傾向が続くのか、気をもんでいる。(以下略)---産経新聞としては、大嫌いな中国人が日本に来なくなることはうれしいのかもしれませんが、日本経済への影響は無視できないものがあります。が、しかし本当に中国人観光客が減っているのかどうかは、ちょっと、いや、かなり疑問の余地があります。私自身、週末のたびに都心の公園で笛の練習をしていますけど、相変わらず中国人の観光客は多いですよ。引用記事には、山梨県における中国人宿泊者数が昨年10月は前年比ほぼ半減、11月も1/3減というすさまじい減少ぶりとされているのですが、日本全国の来日中国人数の統計では、まったく違う数字が出ています。日本政府観光局統計 2003-2016年訪日外国人これによると、訪日中国人は昨年10月は前年比13.6%増、11月は同19.2%増(11月以降は推計値)なので、訪日中国人は、むしろ増えているのです。ただし、昨年1月までは前年比倍増ペースで訪日中国人が増えていましたから、その勢いはほぼ止まった、とは言えそうです。伸びが止まっただけで、減ったわけではありませんが。全国では訪日中国人の数は堅調なのに、山梨県の宿泊者数は大幅減、これはどういうことかというと、このような分析があります。宿泊業界大混乱、中国の団体旅行客はどこへ消えた?~静岡県文化・観光部が行った調査によれば、2015年に静岡空港を利用した中国人客は97%が団体ツアーの客だったという。だが、そうした団体ツアーの利用客がめっきり減ってしまった。~在上海日本国総領事館によれば、2012年は、訪日客に占める団体旅行客の割合が80%弱だった。ところが、2015年になると団体旅行客は50%弱まで減り、代わりに個人旅行客が50%強にまで増えた。~---要するに、団体ツアー客がみんな個人旅行に取って代わった、ということなのです。日本にも「富士に一度も登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿」なんて言葉がありますが(私自身、無雪期の富士山は、一度登ったら、もういいやと思います。積雪期はまた違いますけど)それは外国人旅行者にとっても同じなんじゃないでしょうか。団体旅行で必ず行くような定番の観光地は、個人旅行でもわざわざ何回も行こうとは思わないものなのではないでしょうか。だから、限られて定番観光地に集中していた中国人観光客が、各地に拡散した、その分だけ限られた観光地の中国人客は減少した、ということでしょう。これも、体感的に思い当たる節はあります。前述のとおり、都心の公園で笛の練習をしていると、相変わらず中国人の観光客は多いのですが、いわゆる旗の下の団体旅行はめっきり減ったように感じます(皆無ではありませんが)。毎年1月に水上温泉に行っていますが、今や1日に5往復しか旅客列車が走っていない超ローカル線の上越線水上-長岡間に中国人観光客(もちろん個人旅行)が乗っていたりするのです。ありきたりの定番コースでは飽き足らなくなった、ということでしょう。宿泊施設に関して言えば、より安価な民泊に流れたようです。どうも、昨年の春節あたりは、とんでもない高値を吹っかけた宿泊施設もあったようなので、より安価な宿泊施設に流れるのは、これは当然の成り行きというしかないでしょう。いずれにしても、局所的な大幅減はあっても、日本全体で見ると中国人観光客は減っていないというのが実際のところです。ただ、民泊云々も含めて、中国人の一人当たりの日本での消費金額が減っているのは確かなようです。訪日外国人の2016年消費額3.7兆円、1人当たり支出は減少観光庁は17日、訪日外国人旅行者の2016年の旅行消費額が前年比7・8%増の3兆7476億円だったと発表した。旅行者数の増加に伴って過去最高を記録したが、為替レートや買い物動向の変化で1人当たりの旅行支出は同11・5%減の15万5896円となり、前年の支出額を下回った。中国が4・1%増の1兆4754億円で、消費額全体の39・4%を占めた。1人当たりの旅行支出は、中国が18・4%減の23万1504円だった。ただ、観光庁は1人当たりの旅行支出の減少について、円高基調だった為替レートの影響が大きく、現地通貨ベースで換算すると、必ずしも支出の意欲が減退していないと指摘する。(要旨)---為替レートの変動による部分も含めて、「爆買い」なんてものはある種のバブルみたいなものなんだから、それが永続しないのは、ある意味当然です。むしろ、「爆買い」が止まっても訪日中国人の数は安定的に推移している、というのは凄いことだと思いますよ。もし、局地的な動向ではなく、日本全体で中国人観光客が急減してしまったら、日本経済に与える影響はかなり深刻なものになるでしょう。
2017.02.15
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安倍首相、訪米日程終え帰国の途にアメリカを訪問していた安倍総理大臣は、トランプ大統領との首脳会談や「ゴルフ外交」などの一連の日程を終え、帰国の途につきました。出迎えの際のハグと19秒間にわたる握手で、安倍総理とトランプ大統領との首脳会談は始まりました。「握手してハグした。そういう気持ちになったからだ。良い絆があるし、とても気が合う」(トランプ大統領)共同声明には、アメリカの日本に対する防衛義務を定めた日米安保条約第5条が沖縄県の尖閣諸島に適用されると明記。その後、一緒に大統領専用機などを乗り継ぎ、別荘があるフロリダ州へ移動した両首脳はゴルフを楽しみました。18ホールではとどまらず、移動した別のゴルフ場でさらに9ホールを一緒にプレーしました。「(トランプ大統領は)米国は常に100パーセント日本とともにあるということを明言されました」(安倍首相)さらに、北朝鮮による弾道ミサイル発射を受けて急きょ行われた記者会見にもトランプ大統領が同席。安倍総理は改めて日米同盟の強化で一致していることを強調しました。一方、一連の費用はトランプ氏が個人的に支払うということで、安倍総理が今後、トランプ氏に毅然とした姿勢を示すことができるのか、内外から厳しい視線も向けられそうです。---国際的にも評判のよろしくない新大統領の元に真っ先に駆けつけて、「濃密な」2日間のゴルフ会談、つまり、日本はいつでも米国の一の子分ですよ、どうぞごひいきに、と一生懸命アピールした、ということです。訪米前に、こんな報道もありました。公的年金、米インフラに投資 首脳会談で提案へ政府が10日に米ワシントンで開く日米首脳会談で提案する経済協力の原案が1日、明らかになった。年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が米国のインフラ事業に投資することなどを通じ、米で数十万人の雇用創出につなげる。対米投資などで米成長に貢献できる考えを伝え、トランプ政権との関係強化につなげる。---この件は、果たしてどうなったのでしょうか。年金が日本の株式投資に使われている、アベノミクスの現状はすでにかなり危ういものです。ところが、それに加えて、安倍は年金積立金を米国での投資に使おうというわけです。インフラ事業といえば聞こえがいいけど、例のメキシコ国境の壁も、インフラといえばインフラでしょう。もし、あのようなものに日本の年金積立金が投資されるとしたら、悪夢としか言いようがありません。そんなものへの投資ではないとしても、資金の償還や利率、リスクの程度はどうなのか、といったことがきちんと検討されたうえでの話ならともかく、その辺りを軽視して、政治主導で「トランプ政権との関係強化」ありきで年金積立金を投資に回すとしたら、日本人の年金資産を米国の貢物にするのか、と言われても仕方がないでしょう。しかし、それだけの「貢物」を持っていっても、どうも私の目には、その「19秒の握手」の間のトランプの表情が、あまり楽しそうな感じがしないのです。まあ、これは私の思い込みかもしれないので、実際のところはどうだか分からないですけど。それでも、「訪米の成果」を強調するあたりは、属国根性が丸出しであるようにしか思えないのです。たとえば、こんな論評があります。安倍トランプ会談を批判する人にこそ「本当の成果」を教えよう米国の腰巾着である安部政権の、そのまた腰巾着である高橋洋一の言説です。くだらないので引用はしませんが、「本当の成果を教えよう」という大言壮語とは裏腹に、中身は、「違いない」「想像してみよう。」「だろう」「かも知れない」「占ってみよう」のオンパレード。事実ではなく、想像、それも限りなく妄想的な。およそ、報道にも論評にも値しないようなこんな文章でなければ、今回の訪米の「成果」を褒め称えることは難しい、ということなのでしょう。
2017.02.13
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八ヶ岳の硫黄岳に登ってきました。と、言いたいところですが、残念ながら悪天候のため、途中で撤退しました。朝、茅野駅でデジタル一眼レフをケースごと落っことしてしまって、こんなことになってしまいました。キャップがフィルターにめり込んでいて、ピッケルでこじ開けてフィルターを外してみたら、見事に割れてました。でも、レンズ本体は無事だった。これが割れていたら、私の山登りは、登る前から「終了」状態になるところでした。それに、2万円近くしたレンズが壊れなくて不幸中の幸い。フィルターがなかったら、レンズは即死だったでしょう。登山口の美濃戸口。このあたりはいつも雪はところどころにしかないのですが、木曜日の降雪のせいか、それ以前から降雪が続いていたのか、雪はたっぷりありました。美濃戸でこの雪の量。北沢を登ります。針葉樹林帯の中をひたすら登ります。横岳大同心が一瞬姿を見せました。赤岳鉱泉に到着。アイスキャンディーこと、アイスクライミング用の人口氷壁がお出迎え。私は登ったことがないんですけどね。そして、本日。昨日も今日も、下界は晴天だったようですが、残念ながら八ヶ岳は悪天候でした。当初は、硫黄岳から天狗岳に向かうつもりでしたが、トレースはなさそう。なので硫黄岳に往復するだけにとどめることにしました。樹林帯の中を登ります。この後、先行する登山者に追いつきましたが、このときは他の登山者は見当たりませんでした。稜線に出ました。すばらしい視界です。(笑)風は、この時期の八ヶ岳としては、それほどひどくはなかったですが(八ヶ岳で冬に本当の強風のときは、人の体が吹き倒される、まっすぐ歩けない、10回行けば5回以上はそういう風に遭遇します)、下界の基準で言えば充分に強風。視界は50mあるかないか。雪も降っているし寒い。赤岳鉱泉の玄関前の温度計がマイナス14度でしたが、ここの気温はわかりません。標高差などから考えて、マイナス16度以下のはずです。先行者は登っていきましたが、私はここで撤退。登っても何も見えないし、過去に何回か登っているので、視界もないのに登頂にこだわる理由もありません。クリスマスツリー街道。よくある話ですが、赤岳鉱泉まで降りてきたら晴れ間が出てきたのです。赤岳も、一瞬だけ全容が姿を現しました。赤岳鉱泉からそのまま北沢を下るのではもったいないので、行者小屋まで行って南沢を下ることにしました。この辺りの雰囲気がとっても好きなのです。そうしたら、再び晴れ間が出てきました。やっぱり、日差しのある雪景色は美しいです。また、赤岳が姿を現しました。でも、山頂付近がこれ以上天気がよくなることはありませんでした。おおむね2000mくらいから下は、天気はまあまあよかったんですけどね。八ヶ岳は何回も、というか何十回も行っていますけど、北八ともかく、南八ヶ岳でこんなに雪の量が多かったことはあったでしょうか、ちょっと記憶にありません。上のほうは天気が悪かったけれど、でもたっぷりの雪と遊べた2日間、楽しかったです。
2017.02.11
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「9条上問題になるから『武力衝突』使う」 稲田防衛相南スーダンのPKOに参加する陸上自衛隊の日報で現地の「戦闘」が報告されていた問題に絡み、稲田朋美防衛相は8日の衆院予算委員会で「戦闘行為」の有無について、「事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」と述べた。PKO参加5原則では、紛争当事者間の停戦合意が参加の条件で、「国際的な武力紛争の一環として行われる、人を殺し、または物を破壊する行為」という、政府が定義する「戦闘行為」があった場合、自衛隊はPKOに参加できない。稲田氏の発言は「参加ありき」で現状を判断しているとも受け取られかねない内容だ。民進党の小山展弘氏に答えた。稲田氏は一方で、日報で報告された昨年7月に大規模な戦闘について、「法的な意味における戦闘行為ではない」との従来の政府見解を述べた。また、防衛省が現地部隊の報告文書をいったん「廃棄した」としながら公表したことについては、「文書管理規則にのっとり管理している。隠蔽との指摘は当たらない」と答えた。---まあ、元々この人は憲法第9条を守ろうなんて意識はかけらほどもないのでしょうが、それにしても「事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」とは、何という言い分でしょうか。憲法9条の上で問題になるのは言葉ではなく、そのような状況そのものでしょう。その昔、戦争と言うと不都合だから事変と呼び、撤退なのに転進と呼んだどこかの国がありました。その挙句に300万人の犠牲者とともに惨憺たる敗戦を迎えましたが、同じ過ちをまた繰り返そうということでしょうか。日報が、いったん「廃棄した」と言ってから、やはりありましたというのも、これを隠蔽と呼ばずして何を隠蔽と呼ぶのか、と思います。「文書管理規則にのっとり管理している。」なら、廃棄したといっていたものが出てくることはありえないし、そもそも昨年7月の日報が、まだ年度も終わらないのに廃棄されているとしたら、「文書管理規則にのっとり管理」などしていないことが明白ですは。隠そうとしたけれど隠し切れなかった、つまり隠蔽しようとしたのです。 それにしても、稲田、弁舌はなかなか立ちますが、弁護士としての実務的能力はかなり怪しい。そして、政治家としての能力も同様というしかないようです。その弁舌も、攻めるときは立派だけど、守りに入るとグダグダでどうしようもない。稲田といえば安倍と同じような歴史認識の、極右の女王みたいな人間ですが、危機管理能力は全然ないようです。とてもじゃないけど、防衛大臣など務まる人間であるようには見えません。
2017.02.09
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福島原発2号機「1分弱で死亡」の毎時530シーベルト東京電力は2日、福島第1原発2号機の格納容器内部で撮影した映像を解析した結果、グレーチング(金属製の格子状足場)に穴が2カ所見つかり、内部の放射線量は最大毎時530シーベルト(推定)だったと発表した。第1原発事故で観測された線量としては最大。大きい穴は1メートル四方で、もう一つは不明。ともに溶融した核燃料が落下し、足場が陥没してできたとみられる。東電は月内にもカメラが付いた「サソリ型ロボット」を投入して内部調査する計画だったが、二つの穴はともに走行ルート上に位置する。第1原発で過去に測定された最大線量は、2号機内部の毎時73シーベルト。東電は数値には30%程度の誤差があるとしている。人間は積算7シーベルト被ばくすると死ぬとされ、毎時530シーベルトは1分弱で死ぬほどの高いレベルだ。---毎時530シーベルト、3割程度の誤差があるというから、370から690シーベルトの間、ということです。誤差の下限だとしても、とてつもない放射線量であることはまちがいありません。事故からもうじき6年という年月を経てなお、人間がそこに近づくのはまったく不可能な状態です。格納容器内というと、元々高い放射線量のようなイメージがありますが、実際には定期点検時には作業員が立ち入る場所です。ということは、人力による廃炉作業はまったく不可能ということです。たとえ宇宙服を着ても、こんなところで人力による作業はできないでしょう。では無人機械ならできるのか?そんな機械があるのかどうかが問題ですが、作業に失敗して新たな漏出でも起ころうものなら、目も当てられない事態になります。何しろ密閉されていないので、漏れ出すことを止める手立てなんかないのです。そう考えると、何もできない、ということです。内部の撤去作業なんか、何もできない。チェルノブイリの石棺のような手しかないかもしれません。福島県は、石棺という方式には絶対反対のようで、その気持ちは大いに理解できるのですが、それ以外の手で廃炉作業をやろうと思っても、誇張ではなく100年かかるかも、いや、100年では納まらないかもしれません。もっとも、石棺では地表と大気中に対する放射能の漏出は止めることができても、地中への浸透を止めることはできません。土壌と地下水、ひいては目の前の海への放射能の流出を止める手段はない、ということになります。そういう意味では、石棺は「頭隠してなんとやら」でしかないのかもしれません。ところで、毎時530シーベルトという数字には、何故30%もの誤差があるのでしょうか。別報道によると、遠隔カメラには線量計が付いていないことから、画像の乱れによって放射線量を推定したとのことです。いや、内部を映像で確認することも大事だけど、放射線量を確認することだって大事だと思うのですが、何故線量計をつけなかったのでしょう。何らかの技術的制約があってできなかったのなら仕方がありませんが(毎時530シーベルトでは、普通の線量計では測定上限を超えそう)、どうも肝心なところが抜けている、という印象を受けます。人類は、なんと大きな間違いを犯してしまったのか、と思います。
2017.02.07
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音楽教室から使用料徴収へ JASRACが方針決定楽曲の著作権を管理しているJASRAC=日本音楽著作権協会が、来年以降、楽器の演奏を教える音楽教室から使用料を徴収する方針を決めました。対象となる教室は9000か所におよび、通知を受けた事業者は「教室での利用は使用料が発生するケースには当たらない」などと反発しています。JASRACは~これまでにカラオケ教室やダンス教室をはじめ、音楽を教えるカルチャーセンターなども対象としてきましたが、楽器の演奏を教える音楽教室についても来年1月から対象に加える方針を決め、先月から教室を運営する事業者に通知をしているということです。使用料は、使った楽曲の数や回数にかかわらず使用料を支払う「包括契約」の場合、受講料収入の2.5%を提案しています。JASRACによりますと、徴収の対象は事業者が運営する教室で、個人運営の教室からは当面、徴収はしない方針だということです。~著作権の問題に詳しい福井健策弁護士は、「使用料が発生するかは、教室で生徒が練習することが、著作権法の『公衆に聞かせるための演奏』に当たるかどうかがポイントだ。例えば、お客さんに演奏を聞いてもらうケースなどはこれに当てはまる。一方、音楽教室で、生徒が上達するために繰り返し練習することが当てはまるかというと、法律上、微妙なケースで、カラオケやダンスホールとは違い、思い切った法解釈をしているとも感じる」としています。---JASRACのやり口に関する批判は、過去に何回か記事を書いたことがあります。今回の場合、問題点は2点あるように思います。ひとつは、引用記事中で福井健策弁護士が指摘するように、「教室で生徒が練習することが、著作権法の『公衆に聞かせるための演奏』に当たるかどうか」という問題です。もちろん、練習の成果を披露する発表会などの場は、著作権料の対象となりえるでしょうし(一般公開か関係者のみ対象か、にも左右されるでしょうが)、従来もそのような取り扱いが行われていたものと思います。しかし、教室で教える、あるいは練習すること自体を著作権使用料支払いの対象とするのは、いささか無理がありすぎる言い分ではないかと思います。もっとも、類似の前例がないわけではありません。社交ダンス教室でCDを流す行為が著作権使用料の対象になるかどうかが争われた裁判が過去にあり、その判例では、社交ダンス教室でCDを流すことは『公衆に聞かせるための演奏』と認定されて、JASRACが勝訴しています。その前例から、楽器教室からも著作権使用料を取れるとJASRACは踏んだのでしょう。ただ、社交ダンス教室ではダンスを学ぶのであって、伴奏曲はその道具に過ぎません。一方、楽器教室は、その曲を習得すること自体が目的です。そのために講師が実演することはあるでしょうが、それを「聞かせるため」と言い得るのか、大いに疑問を感じます。上記の判決は2004年のことだったそうです。それから今回の動きまで12年以上も要したのは、社交ダンス教室の判例が楽器教室にも適用できるかどうか、さすがのJASRACもあまり自信がなかったからではないでしょうか。(※訂正・追記あり)それでもやる、というのは、音楽に関連して、少しでも営利目的のものからは、多少の法的アクロバットは厭わず、何が何でもマージンを取り立ててやる、ということでしょうか。NHKの取材に対して福井弁護士は「思い切った法解釈をしているとも感じる」というオブラートに包んだような言い方をしていますけれど、要するに限りなく恣意的な法解釈ということでしょう。※訂正:その後の報道等によると、JASRACが音楽教室から使用料を取ると言い出したのは今回突然ではなく、業界と10年近くにわたって交渉を続けてきたようです。ただし、あの、訴訟好きのJASRACが10年も訴訟を起こさなかったのは、やはり裁判で勝てる自信はなかったからでしょう。そして、もうひとつの問題は、過去にも何回か指摘したことですが、「包括契約」というやり方です。私は、フォルクローレというマイナーなジャンルの音楽のアマチュア演奏者であり、過去には演奏に対してJASRACから請求が来た場合もありました。(私自身がJASRACから直接請求を受けたことはありません。主催者やお店に対してです)そのときに知ったのは、JASRACは、何が何でも包括契約を押し付けようとすることです。確かに、使用した楽曲を報告するのは利用者側にとっても煩雑なので、双方が包括契約を望む場合はいいでしょう。しかし、利用者側が楽曲ごとの個別契約を望んでも、JASRAC側は強硬に包括契約を迫る傾向があります。今回の音楽教室の話も、「包括契約の場合、受講料収入の2.5%を提案」とあるので、やはり包括契約を迫る気満々なのでしょう。フォルクローレという音楽の世界においては、チリ・アルゼンチンの曲はたいていJASRACに登録がありますが、ボリビアは音楽著作権に関して非常に立ち遅れているので、著作権登録がされていない曲が多いのです。私自身に関係した例では、20年ほど前、ある場所で15曲ほど演奏した際、主催者が包括契約を断固として拒否、楽曲ごとの個別契約をしたところ、15曲中実際に著作権料が発生したのは6曲だけだったと聞いています。フォルクローレに限らず、民族音楽の世界ではこういう例は相当多いはずです。そして、アマチュアの音楽家の自作曲もJASRACに登録などありません。最後に、著作権者の死後50年(日本以外の多くの国では70年)経過すると、著作権の保護はなくなります。いわゆる「クラシック」と呼ばれる音楽の大半(すべてではない)は、すでに著作権保護期間が終了しています。バッハやモーツァルトやベートーベンは問題ありません。おそらく、クラシック系の楽器の場合、練習曲は著作権切れのクラシック曲が相当多いものと推測されます。また、譜面を用意するので、どの曲を教材に使用したか、証明も可能です。それでも包括契約を迫るのでしょう。そのほうがJASRACにとって楽だからでしょうね。おそらく、教室を運営する事業者にとっても同様だから、著作権使用料を取ることが決まってしまえば、包括契約で押し切れると踏んでいるのでしょう。私は、音楽を愛するものの一人として、正当な著作権使用料を払うことにやぶさかではありません。しかし、包括契約では、実際に演奏した曲の著作権使用料が、正当な権利者に支払われることは絶対にありません。どの曲を演奏したのかが管理されない(分からない)のだから、当たり前です。「初恋サイダー歌われすぎ問題」「しほり」氏の作曲でJASRACに楽曲登録されている「初恋サイダー」という曲を、いわゆる地下アイドルが様々なイベントで歌っており、それが「歌われすぎ」と揶揄されるくらいなのに、その著作権使用料が作曲者の元には支払われていない(2014年3月の著作権使用料が、イベント2531円でライブハウス0円)ことをしほり氏自身が問題提起しています。それも包括契約のせいです。JASRACの言い分では、包括契約の楽曲使用料は、無作為抽出されたモニター店での実績に基づいて配分されるのだそうですが、そこに恣意的な操作がないのか、検証のしようもありません。フォルクローレを演奏するための著作権利用料が、演歌やなんとか48の作曲者に払われたり、ましてや業界団体やJASRAC自身の利益のためだけに使われるのでは(JASRACには、過去に裏金騒動や不明朗な会計処理の問題、天下りの理事長などの問題もありました)、何のための著作権使用料か分かりません。JASRACのホームページには、JASRACの事業目的として、「音楽の著作物の著作権を保護し、あわせて音楽の著作物の利用の円滑を図り、もって音楽文化の普及発展に寄与すること」と書いてあります。だけど、このようなやり方が「音楽の著作物の著作権を保護」「音楽文化の普及発展に寄与」と言えるのか、私には大いに疑問です。音楽産業の利益を守ること(それ自体が悪いことだとは必ずしも思いませんが)とJASRAC自身の儲けの確保だけが目的で、そのために音楽文化の芽を摘んでも仕方がない、結果的にJASRACのやっていることは、そういうことであるように思えます。
2017.02.05
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急に思い立って、山に登ってきました。かなり出遅れたので、手近で簡単に登れる山、ということで、丹沢の大山に登ってきました。かなり出遅れたので、伊勢原駅着が9時50分過ぎ、バスで大山ケーブルカーに着いたのは10時半を回っていました。そこからひたすら歩いて(もちろんケーブルカーは使わず)、男坂経由で大山阿夫利神社着が11時10分頃でした。大山阿夫利神社からの展望実は昨晩、職場の前の同僚と飲み会で、結構飲んだため、かなりヨレヨレでペースが上がりません。男坂の急坂がきつかった。大山阿夫利神社から山頂までの途中にて、富士山が見えました。残念ながら、このあと西側に雲が増えたため、以降富士山は全然見えませんでした。パラグライダーが飛んでいました。写真はありませんが、ハンググライダーも飛んでいました。楽な山を選んだはずが、前夜の飲み会のせいで、キツイことキツイこと。山頂には12時15分着。大山阿夫利神社から1時間あまりでした。パスの終点からは、トータルで1時間45分。多分、体調万全だったら、1時間半くらいで登れたのでは。(と、負け惜しみを言ってみる)人は多かったです。実は、10年くらい前にもやはり2月に大山に登ったことはあるのですが、そのときは激しい降雪で、登山者はほとんどいませんでした。ケーブルカー側は南斜面なので、標高1000m以上にわずかな雪があるくらいで、ほとんど積雪はありません。山頂も、南側には雪はありませんでした。写真左が塔ノ岳、右が丹沢山です。塔ノ岳にしようかとも思ったのですが、昨冬登ったし、家を出た時間も遅かったので、大山にしました。電波塔。山頂の北側に立っていました。同じ大山でも、北側はやはり雪が目立って多いです。この電波塔、何の看板もないし、ネットで調べてもどういう目的か分かりませんでした。ただ、手前の鹿の食害防止フェンスには、横浜エフエム放送とありました。建物とフェンスの設置者が同じだといると(食害防止フェンスなので、無関係かもしれませんけど)、ラジオの放送塔でしょうか。で、この建物の脇で、例によって笛を吹きました。山頂の東側。東京方面です。下山中。登山道の中でもっとも雪が多かったのがこの辺り。それでもこんなものです。夫婦杉だそうです。大山阿夫利神社まで戻ってきました。が、更に下ります。登りは男坂でしたが、下りは女坂にしました。女坂の途中で、再びケーナとサンポーニャを吹きました。今日もって行ったすべての笛がこちらです。下山開始が1時18分、バス停まで戻ってきたのが3時過ぎだったので、下山も1時間45分くらいかかったようです。ただし、途中で笛を吹いていた時間が20分以上、それに土産物屋で買い物をしていた時間もあったので、実質的な下山時間は1時間20分くらいだったでしょうか。簡単な山の割には疲れました。前夜に飲み会があったときの山登りはきつい、ということを痛感しました。いや、昔はそんなことなかったのですが、年齢ですねえ。
2017.02.04
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対米従属の謎:どうしたら自立できるか (平凡社新書)非常に興味深く読みました。著者の松竹伸幸氏は、元々共産党で安全保障政策を立案する担当者だったとのことです。しかし、共産党の安保政策に疑問と矛盾を感じて退職し、現在はかもがわ出版の編集長です。こういう経歴の共産党離党・除名経験者(松竹氏が共産党を離党したかどうかは知りませんが)には、そのまま極右に走って、産経新聞などの御用メディアお抱えになる例も少なくないのですが、松竹氏はそうではありません。氏の立場を極めて簡潔に説明するなら、武装中立を志向する護憲派、というところでしょう。自衛隊は日本の安全保障上必要だが、日米安保は将来的にはなくしていくべき、しかし日本国憲法(特に9条)とその精神は大事にすべき、というものです。実のところ、私自身の現在の主義主張に、かなり近いのです。で、その松竹氏の最新作がこちらです。非常に考えさせられる内容でした。日本は、戦後一貫して米国の言いなりになってきたわけですが、その中でも特に象徴的な出来事が本書で紹介されています。2004年8月13日、沖縄国際大の校舎に米海兵隊ヘリが墜落する事故がありました。このとき、米軍は墜落現場を封鎖して、日本の警察、消防、行政関係者、被害を受けた大学の関係者すら立ち入りを拒んで自分たちだけで捜査を行い、その状態が機体の残骸搬出まで数日間続きました。墜落現場は、いうまでもなく日本の領土であり、米軍基地内ではありません。たまたま夏休み中なので大学には人が少なく、人的被害は日本側には出ませんでしたが、大学の校舎という財産が破壊される被害が生じているにもかかわらず、日本側に一切何の捜査も行わせない。およそ独立国における出来事とは思えませんが、日本政府は日米地位協定に基づき、問題ないと言っています。しかし、それから27年前の1977年9月27日に横浜で起きた海兵隊のRF-4ファントム墜落事故の際は、経過は異なりました。この事故は、住宅地の真っ只中に、離陸直後で燃料を満載した偵察機が墜落し、民家20戸が炎上、幼い兄弟が翌日に死亡、その母親も全身やけどの重症から、4年後に亡くなりました。兄弟が亡くなる直前、「パパ、ママ、バイバイ」と言ったという逸話は、私も子どもを持つ(もう幼児じゃないけど)親なので、ちょっと胸が塞がれる思いです。その経過はともかく、この事故の際も沖縄国際大のときと同様、事故直後は米軍が墜落現場を封鎖して、日本側官憲の立ち入りを拒み、住民を追い払っています。しかし、この米軍の態度が報じられると世論が沸騰、米軍による封鎖は1日で終わり、翌日には日米合同の現場検証が行われています。(ただし、機体残骸の搬出が当日のうちに終わったことも、米軍が翌日の合同検証に応じた理由かもしれませんが)更にその9年前、1968年6月2日には、福岡の九州大学電算センターに米空軍のRF-4ファントム※墜落事故が起こっています。このときは、たまたま事故が日曜日だったこともあって、墜落現場に人はおらず、人的被害はありませんでした。この当時は学生運動華やかなりし時代で、九州大はただちに抗議声明を出し、大学の自治を理由に米軍の校内立ち入りを拒絶しました。日本政府は、国立大学である九州大学の姿勢を、渋々かも知れませんが黙認し、結局機体の搬出し事故の5ヵ月後、米軍ではなく、日本の警察機動隊の手によって行われました。※余談ですが、F-4ファントムは本来戦闘機であり、製造・配備されたうちの大半は戦闘機型ですが、どういう偶然か、日本で墜落事故を起こした米軍のファントムは、2機ともレアな偵察機型でした。つまり、米軍機が日本で墜落事故を起こした際の米軍による日本の主権無視は、1968年→1977年→2004年と、時代を経るにしたがって酷くなる一方なのです。巷間いわれるのは日本は戦争に負けて米軍に占領されたんだから対米従属は仕方がない、ということです。確かに対米従属の原点はそうでしょう。しかし、それだけが理由なら、敗戦から時間が経つほど対米従属の度合いは多少なりとも減少していくはずです。自衛隊の装備・能力だって、1968年→77年→2004年を比べれば、どんどん強力になっているんだから。それなのに、事実は正反対で、時を経るほど従属状態は酷くなっていくのです。本書によれば、かつては官僚や与党(自民党)の中枢に、対米自立を志向する人が少なからずいたのに、それがどんどん減って、対米従属を是とする人ばかりになった、ということが少なからぬ理由を占めているようです。皮肉なことに、安全保障面の対米従属を是とする人に限って、「日本の誇り」だのなんだのと言いたがる傾向があるように私には思えます。「大東亜戦争は正義の戦い」なんて言っている人が「米軍基地は出て行け」というのを聞いたためしがありません。口では「対米自立」なんて言う人ほど、総論賛成各論反対で、具体性のないイメージだけの「対米自立」を掲げつつ、安全保障面の個別具体的な部分では、てんで対米自立ではないのです。産経や産経お抱え文化人の大半がそうです。それでいて、相手が中国韓国だとやたらと威勢の良い攻撃姿勢をとるのは、米国に対しては何もいえないのでそれを中韓に向けようという、ある種の代償行為でしょうか。安倍政権なんて、その典型例ではないかと思います。
2017.02.02
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