全19件 (19件中 1-19件目)
1
「敵基地攻撃」早期検討を=ミサイル防衛能力強化も―自民自民党は29日、党安全保障調査会などの合同部会で、敵のミサイル基地を攻撃する「敵基地攻撃能力」保有の検討を急ぐよう政府に求める提言をまとめた。北朝鮮による弾道ミサイルへの対処能力を強化するため、米最新鋭地上配備型迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD)」など新規装備品の導入に向けた検討も促している。30日に安倍首相に手渡す。提言は、党安保調査会の下に設置した検討チームが中心となってまとめた。核・ミサイル開発を進める北朝鮮について「新たな段階の脅威に突入した」と指摘。専守防衛を逸脱しない立場から「敵基地攻撃能力」の用語は避け、「巡航ミサイルをはじめ、わが国としての『敵基地反撃能力』を保有すべく、直ちに検討を開始する」よう政府に求めた。---敵基地「反撃」能力、だそうですが、ことばの遊びとしか思えません。日本に向かってミサイルを発射したあとの、空っぽになった敵基地に「反撃」することに意味があるのか、と考えれば、名前は「反撃」でも、実際には先制攻撃であることは明らかです。敵基地攻撃能力については、少し前にも記事を書いたことがあります。敵のミサイル基地をすべて破壊できるような「敵基地攻撃能力」など不可能です。もしそんなことをすれば、撃ち漏らした敵から必ず報復攻撃を受け、大変な代償を払うことになります。しかし、自民党はそれでも「敵基地攻撃能力を保有しろ」と言っています。冷静な計算の上での安全保障策とは思えません。そのためのコストも、実行した場合のデメリットも思慮の外で、ただ単に勇ましさを求めているだけ、つまりネトウヨ的な感性だけで突っ走っているように思えます。要するに自己満足に過ぎません。目先の威勢の良さの代償として、危険に脅かされることになるのは国民です。しかも、敵基地攻撃能力は決して安上がりなものではありません。THAADもそうです。そんなものを導入すれば、かわりに他の何かを削減するか、または際限なく財政赤字を拡大するか、二つに一つです。現状の安倍政権の動向から見て、敵基地攻撃能力を導入するかわりに、防衛費の何かを削減する、とはならないでしょう。防衛費を際限なく拡大するつもりのようにしか見えません。その面でも、国民にとっては何のメリットもなく、負担だけがのしかかってくることになります。
2017.03.30
コメント(0)

「幅50メートルにわたり雪崩」=NPO法人現地調査-スキー場8人死亡事故・栃木栃木県那須町で雪崩が発生し高校生ら8人が死亡するなどした事故で、NPO法人「日本雪崩ネットワーク」が28日、那須山岳救助隊の依頼を受けて現地調査を行った。取材に応じた出川あずさ理事は、雪崩の規模について「幅50mにわたり、厚さ40~50cmの雪が動いた」と分析した。出川さんは同日午前6時半ごろから現場のスキー場に入り、約3時間にわたり雪の状態などを調査。高校生らが埋まった現場から目視で、雪崩発生地点を特定し、流れた雪がたまった「デブリ」も確認した。雪が割れた破断面は確認できなかったが、雪の状態などから幅50m、厚さ40~50cmの雪が動いたとした。縦にどれくらい動いたかはGPSを使って今後分析するという。現場は雪崩が起きやすい地形で、その真下を休憩場所として選んだために、多くの生徒が巻き込まれたと説明。短時間に大量に雪が降った直後で、雪の状態が不安定になっていたとの見方を示した。---なんとも痛ましい事故が起こってしまいました。栃木県の那須高原で、高校生の春山安全講習会で、まさかの雪崩による8人の死亡事故です。実は、私は先日上高地に行く前、「どこの山に登ろうか」と考えていた候補がいくつかあったうちのひとつが那須でした。天気が安定していれば、茶臼岳は簡単に登れる冬山入門の山とされているからです。結局、「やっぱり北アルプスがいいかな」と思って上高地にしてしまいましたが。上高地でも、3月という時期と積雪量から、雪崩の可能性は常に意識して、徳本峠(雪崩があり得る場所です)の一番上までは行かずに引き返しました。(帰宅時間との兼ね合い、という面もありましたけど)でも、那須は昨年5月に登ったのが初めてで、そのときは積雪皆無でした(昨シーズンは記録的暖冬で雪が少なかった)。まだ積雪期の那須に登ったことがないので、那須がそれほど雪の多い山域とは思っていませんでした。だから、那須岳で雪崩の可能性というのは、今回の事故までは考えたことはありませんでした。それに、スキー場で雪崩というのは、普通はあまり考えないものです。ただ、スキー場で雪崩が起きないのは、圧雪されているからです。しかし、現場の那須ファミリースキー場は、20日に今シーズンの営業を終了したそうです。それ以降は、新たに雪が降っても圧雪などはしていなかったのでしょう。圧雪された雪の上に新しく新雪が積もった状態は、かなり雪崩の起きやすい条件です。そもそも、こちらの記事によると、雪崩の発生地点はスキー場のコース外だったようですが、やはり凍った古い雪の上に新雪が積もり、表層雪崩が起きやすい条件だったそうです。この件で、主催者側にどの程度の責任があったのかは、現時点では私にはよく分かりません。※ただ、8人もの前途ある高校生が亡くなってしまった事実は、責任の程度がどうであれ、とてつもなく重いと言うしかないでしょう。仮に不可抗力だったとしても、関係者は一生重荷を背負っていくことになるのだろうと思います。※追記2に記しましたが、その後雪崩現場の地形図が明らかになりました。この地形で雪崩のリスクを考えなかったとするなら、相当に問題がある判断と言うしかありません。実際のところ、雪崩の現場の写真はいずれも航空写真なので、現場の斜度が分かりにくく、雪崩の危険性が明白な地形かどうか、私にはよく分かりません。↓この写真だと、現場の斜度は分かるのですが、この写真のどこで雪崩がおきたのかがよく分かりません。雪崩の場所は奥の樹林帯のどこかではあるのでしょう。そうすると、あの程度の標高差、樹林帯の中であることを考えると、「雪崩が極めて起きやすい地形」とは認識しなかったとしても仕方がない気はします。---追記1毎日新聞に別の写真が出ています。2枚の写真を照合すると、茶臼岳(上の写真の右側の樹林が切れた一番高い山)で発生した雪崩が、樹林帯の切れ目付近にいた高校生に直撃したようです。樹林の切れている、斜度のある雪面では、確かに雪崩リスクは高そうです。別記事によれば、雪崩に巻き込まれた人たちは尾根付近にいたそうです。普通は尾根上は雪崩に巻き込まれるリスクは低いと考えられますが、尾根と言っても幅が広くて、雪崩発生地点からの距離も短ければ、直撃されることもある、ということなのでしょう。※※追記2に記したように、地形図で確認する限り、実際には雪崩遭遇現場は、尾根ではなく単なる斜面のようです。---追記2(4月1日)たかさんへのコメントの過程で検索したところ、日本雪崩ネットワークのホームページに、さっそくこの事故の報告が掲載されていることを発見しました。それによると、赤い点線が問題の雪崩のコース、緑の点線が高校生たちが登ったコースで、赤い輪の辺りで雪崩に遭遇、青い点線は後日の別の雪崩だそうです。さらに、現場の地形図はこうなっています。この地図は、目からうろこでした。この地形図を見ると、遭難現場は尾根ではなく、単なる斜面の途中です。下から見た写真で尾根のように見えるのは、その向こう側が見えないことによる目の錯覚に過ぎないようです。一般的に、尾根の上で雪崩に遭うリスクは低い(どちら側かの斜面に流れていってしまうので)ので、先に「雪崩が極めて起きやすい地形とは認識しなかったとしても仕方がない」と書きました。しかし、これは下から見た写真による目の錯覚に基づくもので、実際には尾根ではなく単なる雪の斜面だったとすると、かなり雪崩リスクの高い場所だったことになります。現場にいたわけでもない私が、写真を頼りに現場の地形を想像したのとは違い、当事者は地図を持っていて、現場の地形を把握していたはずです。それにもかかわらず、これを尾根だと判断したとするなら、ちょっと救いようがない気がします。---いずれにしても、地形のこともさることながら、雪崩注意報か出ていたこと、現に降雪の最中だったことも含めて考えると、やはり雪崩に対する注意を欠いていたと言わざるを得ないでしょう。ラッセル訓練中だったそうですが、私の場合は、わざわざラッセルのための訓練はやったことがありません。ラッセルというのは、「ラッセル車」と同様、雪を掻き分けて進むことです。一人でやる場合もありますが、膝下ならともかく、膝より上まで潜る雪に対してのラッセルは、一人で連続して2時間も3時間もできるものではありません。だから、通常は複数人によるパーティーで交代で行います。複数のパーティーが一緒になってしまえば(前でラッセルをしていれば、後から来た登山者はすぐに追いついてしまう)、複数の団体・単独行者が混合状態になって交代でラッセルをします。2015年1月白毛門にて、前を行くラッセル集団に追いついてしまったところ。前方の集団がラッセルをしているのを見ると、わざと近寄らないような不届き(?)なグループもたまにあるらしく、そういうのは「ラッセル泥棒」などと呼ばれることがあります。ところで、この講習会の参加者が、誰も雪崩ビーコンを持っていなかった、ということが報じられています。正直に申し上げるなら、私も、雪崩救助の三種の神器とされる雪崩ビーコン、ゾンデはもっていません。雪かきスコップは持っていますが、自宅周辺の雪かき専用で、山に持っていったことはありません。(登山用の折りたたみ式軽量スコップなので、山にもっていくことは可能ですが)私の知る範囲では、山スキーは雪崩のリスクがより高いため、山スキーヤーはある程度雪崩ビーコンを持って入山していると思われますが、一般ルートを歩く登山者で雪崩ビーコンを持っている人は、非常に少ないと思われます。ビーコンやゾンデは、正確なところは分かりませんが、スコップを持っている登山者は、積雪量が比較的少ない八ヶ岳では、皆無に近いし、より積雪量の多い北アルプスでも、10人に1人くらいでしょう。もちろん、スコップがなくてもピッケルである程度雪を掘ることはできますけどね。雪崩ビーコンは、雪の下に埋まった人を捜し当てる役には立つものの、その前提は、誰か無事な(かつ、ビーコンとゾンデを持っている)人が捜索活動をしてくれる、ということになります。単独行やパーティー全員が雪崩に埋まったら、どうにもなりません。あれほどの大集団であれば、雪崩ビーコンは捜索の役には立ったでしょうが、それでも雪崩ビーコンがあれば命を落とした人の大半が助かったかといえば、その可能性は低いと考えざるを得ません。ビーコンを持って雪崩リスクの高い場所に行くなら、ビーコンを持たずに雪崩リスクの低い場所に行くほうが、よほど安全です。雪崩ビーコンはあったほうが良いのは確かですが、ビーコンがないことが決定的に重大な装備不足、とは言えないように思います。私自身は、幸いにも雪崩に遭遇したことはありません。(だから生きている)しかし、雪崩の怖さを体感することはあります。たとえば、膝まで潜るような深雪の中を歩いていると、歩いている間はふかふかの雪です。ところが、何かの事情で足を止めると、膝まで潜った足が抜けなくなることがあります。普通に歩いているときはなりませんが、下りで猛烈に飛ばしているときなど、動きが激しいときに急に足を止めると、そういうことが起こることがあります。ああ、雪崩のときに起こるのもこれなんだな、と思います。ふかふかの新雪でも、何らかの理由で激しく動かされると(動かされる、ということは圧縮されるということでもある)、動きが止まった数秒以内にカチカチに固まってしまう、という性質があります。そうなったら、雪ではなく氷の中に閉じ込められているようなものだから、自力では身動きができなくなります。私が、冬山の恩師(職場の元先輩)から聞き及んでいる範囲では、雪崩にあったら とにかく走って逃げろ 巻き込まれたら、必死で泳げ(浮力で上の方に浮き上がる可能性がある) 止まった瞬間に雪が固まる前に手を口の前に持ってきて空間を作れ(息の続く時間を稼げる)というのが対策の基本です。それも、まあ気休めよりはマシ、程度ですが。アイゼンワークの訓練とか、滑落停止訓練というのはあっても、雪崩脱出訓練というのはさすがにありませんから、それを練習で会得する、というわけには行きません。ぶっつけ本番しかない。それで実行できるのかどうかは謎ですけど。2014年1月谷川岳にて。雪の斜面に亀裂が入っているのが分かれます。こんなのは、いつ雪崩が起きても不思議はない状態です。これも、同じときの谷川岳です。雪が尾根の先の空中に張り出しているのが分かります。これを雪庇(せっぴ)と呼びます。雪庇が崩れ落ちると、その下側では雪崩が発生します。それと同時に、登山者が間違えて雪庇を踏み抜いたりすると、雪ごと転落してしまいます。そういう危険があるので、積雪期に稜線上を歩くときは、雪庇の下も雪庇の上も歩いてはいけません。必ず、雪庇の風上側で、稜線ラインからある程度はなれたところをあるかなければならないのです。この写真でも、トレース(踏み跡)が稜線からある程度はなれていることが分かります。トレースがない場合、どこまでが地面の上の雪で、どこからが雪庇の上なのかが、歩いている本人には分からないから、雪庇踏み抜きによる転落事故が、たまに起こることがあります。ともかく、冬山に絶対安全はない、というのが現実です。
2017.03.28
コメント(6)
昭恵夫人メールの辻元清美氏に関する記述、民進「事実に反する虚偽」と否定学校法人「森友学園」をめぐる問題で、自民党が24日に公表した安倍首相の昭恵夫人と籠池理事長の妻によるメールのやり取りについて、民進党は同日、メールの一部を「事実に反する虚偽のもの」だとする見解を表明した。民進党が指摘したのは、3月1日のメールで、同党の辻元清美衆院議員に関して記述された部分。「辻元清美議員が塚本幼稚園に侵入しかけたとされていますが、そのようなことは一切なく、そもそも同議員は塚本幼稚園の敷地近くにも接近していません。(中略)また、辻元清美議員が、作業員を下請け業者に送り込んだとされていますが、これも全くの事実無根です。これは、ネット上で流された根も葉もない噂を信じたためと思われますが、そのような事実は一切存在しません」としている。---問題のメールのやり取りというのは、以下の内容です。あきえさんを調べているといわれたそうです 将棋連盟から指導棋士の将号を返上しないと幼稚園にいくならやめよと言わないがやめて辻元清美が幼稚園に侵入しかけ 私達を怒らせようとしました嘘の証言した男は辻本と仲良しの関西生コンの人間でしたさしむけたようです---一連の森友学園騒動で窮地に追い込まれている安倍ですが、ネトウヨ陣営はこれで一矢報えるとばかりに、辻元の「疑惑」なるものに飛び付いているらしいです。いやあ、政治家ってのも大変だ、こんな馬鹿馬鹿しい妄想ですら、公表されればいちいち「事実無根」という当たり前すぎる弁明をしなければならないのですから。個人的には、安倍昭恵証人喚問と引き換えになら、辻元を証人喚問したって構わないとは思いますが、多分さすがの自民党だってこんな馬鹿馬鹿しい話で証人喚問を振りかざせるとは思っていないでしょう。実際のところは、籠池が安倍から100万円を寄付されたという話と、辻元がどうこうという話は、重要性及び信憑性に大差があります。いや、そもそも安倍から100万円寄付されたという話だって、それが問題になるのは、8億円値引きとつながっているからです。ただ単に安倍がネトウヨな幼稚園経営者に100万円を寄付しました、といだけで完結する話だったら、それが公職選挙法や政治資金規正法に抵触するものでない限りは、眉をひそめる程度の話に過ぎません。幼稚園に侵入しかけ、という話も同じです。仮にそれが事実だったとして、なんだというのでしょうか。およそ重大性のかけらもない。少なくとも、8億円の値引きと等価交換できるような代物ではありません。しかも、メールの文面をよく読むと「侵入しかけ」とあり、「侵入した」とはありません。住居侵入罪には未遂罪がありますが、それは塀を乗り越えようとしたとか、壁をよじ登っているなどの場合であって、ただ単に敷地あるいは入口に接近することが不法侵入の未遂罪になるのなら、この世の半分くらいの人が犯罪者になってしまいます。問題となっているのは民進党の議員が現場視察を行った際のことですが、そのときはマスコミ陣が大挙してこの視察を取り囲んで取材しています。いわば衆人環視の元での行動で、検索するとそのときの写真が何枚か出てきますが、工事中の小学校の入口近く(もちろん外側)から、スマホで撮影しているらしき写真がある程度で、「不法侵入」とのその未遂とも呼べるような代物はありません。もうひとつは、何ですって?「作業員を下請け業者に送り込んだとされています」こんなのは、明らかに妄想の類に過ぎないのであって(不法侵入云々もそうですが)、お話にもならないものです。おそらく、この話に飛び付くネトウヨの頭の中は、こういう理屈になっているのではないかと思われます。すなわち「籠池が安倍から100万円を寄付されたって、なんの証拠のなく証言だけで事実扱いして、証人喚問までしたじゃないか。だったら辻元だってこの『証言』だけで事実扱いして証人喚問できるだろう」多分、そんなところではないかと推測できます。しかし、そうはならないのですよ。籠池が安倍から100万円を寄付された、というのは、籠池が自分自身の体験を語っているのです。これは「証言」であり、証言には、証拠としての能力が認められます。もちろん、どの程度の信憑性があるかによって、証拠能力の高さは変わってきますが、偽証罪というペナルティを背負って、日時や細かい状況について具体的に矛盾なく証言しているので、ある程度証拠能力がある、と考えられます。それに対して、「作業員を下請け業者に送り込んだ」というのは、他人から話を聞いた、ということに過ぎません。それは証言ではありません、「伝聞」と言います。伝聞は証言でも証拠でもなく、原則として裁判での証拠能力は認められません。それでも、籠池(妻)が作業員本人から直接はなしを聞きいたなら、刑事裁判ではなく、一般的な事実の推定というレベルでは意味のある状況証拠になります。しかし、メールの文面には、100万円寄付の話と違って、なんら具体的状況への言及がありませんから、直接話を聞いたのではないことが明らかです。ただ単に噂話を元に書いているだけなけ。こんなものは、刑事裁判の証拠はもちろん、一般的な事実の推定の証拠にもなりはしません。こんな、明らかにどこからどう見たって信憑性皆無な話に飛び付いて、辻元憎しで吹き上がっているネトウヨ連中というのは、どう考えても「バカ」としか言いようがありません。まあ、好きに吹き上がっていろ、とも思いますけどね。さすがにこれは、安倍政権に対するひいきの引き倒し、以上のものにはならないでしょうから。追記菅野完氏のインタビューによって辻元議員の「侵入問題」は籠池妻→自分は見ていない、まゆみ(子ども)が見たと言っていたので、そうだと思った。籠池まゆみ→やはり見ていない、思い込みだった。と、メールの内容が実は無根拠であったことを認めています。https://www.youtube.com/watch?v=Xz2ViAC8MIohttps://www.youtube.com/watch?v=zalrUGQT6zg「作業員を下請け業者に送り込んだとされています」という文面については、問題の作業員自身が、この件を告発した作業員が、3月29日TBSラジオ『荻上チキ・Session-22』のインタビューに応じたそうです。こちらも、「告発じゃないですけど、告白というかたちでさせていただいた」「辻元さんの工作員というか、そういったかたちで現場の作業に入ったこともございませんし、辻元さんとの面識もございません」と明確に辻元議員との関係を否定し、最後には「安倍さん、総理大臣、日本の総理大臣ですよね、一生懸命頑張っていただいているのも、私自身は安倍さんをそういう部分では応援しておりますし。これ放送できるかはどうか別として、辻元さんは正直言って、大嫌いですし」「私自身がやっているのは生コン会社ではございませんので、逆に私が生コンのそういったその連合、あの、組合なのか何かわからないですけれども、逆に入らせていただきたいと言ったところで、まったく入れる余地もないと思いますし」と、「疑惑」を完全否定しています。つまり、この件は思い込みに端を発した伝言ゲームによるデマであることが確定したわけです。
2017.03.26
コメント(2)

先日、葛西臨海公園で野鳥の写真を撮った記事を書きましたが、あの記事を書く過程でネットで調べたら、葛西臨海公園には昨冬と今冬、ヘラサギとクロツラヘラサギという珍鳥が来ていることを知りました。先日は臨海公園内の鳥類園を歩いたのですが、この2種の鳥は鳥類園ではなく、沖合いの人工なぎさにいるようです。というわけで、また葛西臨海公園に行ってきました。今回はまず沖合いの人工なぎさ(西なぎさ)に直行。沖には多くの水鳥がいます。写真は左側の小さな鳥がハジロカイツブリ、右側の大きなカモがスズガモです。沖合いにはスズガモの大群です。探せば他のカモや他のカイツブリもいるのかもしれませんが、250mmのレンズでは、よく分かりません。もう、3月も後半、そろそろ冬鳥のシーズンも終わりに近くなってきました。葛西臨海公園の沖には、東西二つの人工なぎさがあります。西なぎさは橋で陸とつながっていて、誰でも立ち入れますが、となりの東なぎさは鳥たちの楽園ということで立ち入り禁止で、橋もありません。その東なぎさには、カモメ類の大群が休んでいました。背中の灰色の薄いのがセグロカモメ、濃いのがオオセグロカモメですが、丹念に探せばウミネコとかワシカモメ、シロカモメ、カモメとか、他の種類のカモメも混ざっているのかもしれません。とても分かりませんが。東西の人工なぎさの間の水路にて、2羽のハジロカイツブリ。求愛ダンスの類でしょうか。ハジロカイツブリ。前回よりはるかに至近距離で撮影できました。ハジロカイツブリ。右上が夏羽、左下は冬羽から夏羽になりかけです。そして・・・・・・・いました!今回最大のお目当てが、この2羽。ヘラサギとクロツラヘラサギです。かなり珍しい鳥ですが、2羽とも昨冬と今冬続けて飛来しているようです。サギと名がついていますが、サギの仲間ではなくトキ科です。ところで、どちらがヘラサギでどちらがクロツラヘラサギでしょうか。うーーーーーーーーーん?分かった!右側(くちばしの先端が黄色)がヘラサギです。ということは左側がクロツラヘラサギということになります。同じく左側がクロツラヘラサギ、右側がヘラサギです。クロツラヘラサギは、くちばしの黒い部分が目までつながっていて、ヘラサギは目まではつながっていない、写真を原寸大でよく見ると、確かにそうであることが分かります。ツグミ。これも冬鳥なので、東京で見られるのも後わずかです。他に、西なぎさ内にはハクセキレイとヒバリがいました。で、この後鳥類園に移動したのですが、もうだいぶ日が傾いてきてしまいました。日が傾いてきた上に逆光で色が分かりにくいですが、コガモです。ホシハジロの大群の中にポツポツと他のカモがいます。写真中央はオナガガモ。ハシビロガモとオオバンは、何度も写真を撮っているので今回は省略しました。カモを見ている間に、その手前のアシ原にも何種かの鳥が出入りしていました。これはアオジ。ホオジロの仲間です。ウグイス。あと、一瞬、アシ原の下を何かの鳥が動いていたのです。シルエットと大きさから考えて、クイナと思われますが、残念ながら二度と確認できず、写真を撮ることはできませんでした。今回確認した鳥は、ハジロカイツブリ、ヘラサギ、クロツラヘラサギ、オオバン、セグロカモメ、オオセグロカモメ、カワウ、キンクロハジロ、ホシハジロ、スズガモ、オナガガモ、ハシビロガモ、コガモ、オオバン、アオジ、シジュウカラ、ツクミ、ムクドリ、ハシブトガラス、ウグイス、スズメ、ヒバリ(声のみ)、メジロ、ヒヨドリ、ムクドリ、ハクセキレイ、クイナ(不確実)午後からのほんの1時間か2時間で、結構見られるものです。それにしても、そろそろ双眼鏡がほしいかな。一眼レフのファインダー内で見える像は、パソコン等に取り込んでから見る等倍の画像よりはるかに小さいのです。どちらがヘラサギでどちらがクロツラヘラサギかなんて、写真をパソコンに取り込んでそれを等倍で見てはじめて分かったことで、撮影しているときは、くちばしがへら状であることすら見えていません。(その場でカメラのディスプレイで確認しましたが)250mmの望遠レンズでのファインダー倍率は、5~5.5倍くらいです。(訂正、EOS KissX7iの仕様を見ると、50mmレンズ装着時のファインダー倍率0.85倍とのこと。つまり250mmレンズでは4.25倍です。)昔、野鳥の会に入っていたころ(小学4年から20代前半まで)は双眼鏡もプロミナ(スポッティングスコープ)ももっていたのですが、とっくの昔に影も形もありません。重くてかさばるのは要らないけれど、軽い双眼鏡(できれば1万円以下)を買おうかなと思案中。 (
2017.03.25
コメント(0)
「首相への侮辱」理由の証人喚問に批判「首相への侮辱」を理由にしたことを批判した。民進党の野田幹事長は18日、学校法人「森友学園」の問題をめぐり、自民党が「安倍首相への侮辱」を理由に、籠池理事長の証人喚問を決めたとして批判した。山梨・昭和町で野田氏は、記者団に「総理を侮辱したことが原因で、民間人を呼びつけるやり方は、あってはならない。そんな前例をつくってはいけない」と述べた。---野田は、民主党の中でももっとも嫌いな部類の政治家ですが、この発言に関しては、そのとおりだと感じます。森友学園をめぐる一連の騒動で、自民党は野党による籠池の参考人招致の要求を拒否し続けていました。ところが、トカゲの尻尾切りに遭った籠池が開き直って、安倍からの100万円の寄付の話などを始めた途端に、一転して参考人招致、どころかそれより強力な証人喚問を言いはじめました。もちろん、籠池は疑惑まみれの人物ですから、その疑惑解明のために証人喚問というなら結構なことです。ところが、自民党が籠池を証人喚問する理由は、疑惑の解明ではなく、「安倍首相を侮辱したから」なのです。この国は、首相を侮辱すると、国会に証人喚問されて吊るし上げをされるのか、疑惑解明のための参考人招致はやらないけれど、首相への侮辱を威嚇するための証人喚問はやるのか、こんな滅茶苦茶な話があるか、と思います。人間というのは、最初からの敵同士以上に、元は仲間同士から喧嘩別れして敵になった者に対して、強い敵意を抱く傾向があります。中核派対革マルの対立などはその際たるものでしょうが、ネトウヨ陣営もそれは同じなのでしょう。ついこの間まで仲間同士であったはずの籠池に対する自民党と維新の敵意の強さも、尋常ではないようです。で、周知のとおり、証人喚問は昨日行われました。籠池自身の発言は、これまでに発言していた内容とほぼ同じもので、特別に重要な新事実、というものはなかったように思います。特別に重要な新事実は、喚問した政治家の側に発覚しました。まず、自民党の西田昌司。籠池の発言の齟齬を突いて、「偽証罪になりますよ」と連発。確かに、籠池の発言には公然たるうそが含まれますが、そこは証人喚問にまで至った疑惑の核心部分ではないし、その部分で偽証罪で罪に問うなど不可能と思われます。にもかかわらず偽証罪偽証罪と言うのは、恫喝としか言いようがありません。そして、もう一人は維新の下地幹郎。籠池が、松井一郎大阪府知事にはしごを外された、と主張したのに対して、なんと、「松井さんはあんたにはしごをかけてあげたのに、あんたが自分ではしごから落ちたんだよ」だそうです。なるほど、そうですか、そうですか。松井府知事が森友学園のために「梯子をかけてあげた」つまり便宜を図ったことを自ら認めるわけですか。これは、なかなかに重大なことです。事実としては周知のことですが、それを維新の国会議員自らが堂々と認めたことが、です。二人とも質問ではなく恫喝、つまり、まさしく「安倍を侮辱する」籠池を黙らせようという意図がありありと言わざるを得ません。で、昨日の籠池の「首相夫人から100万円の寄付を受けた」という証言を安倍は否定しています。ということは、当然に「籠池はウソをついた」ということになるはずです。西田が「偽証罪」と連呼したからには、籠池を偽証罪で刑事告訴するのでしょうか?まあ、できないだろうと思いますけどね。ただ、確実に言えることがあります。それは、籠池は、うそが露見すれば偽証罪で刑事罰というペナルティを背負って証言していることです。一方、安倍昭恵、あるいは安倍晋三も、嘘が発覚しても、政治的責任はともかく刑事罰を課されることはありません。その両者の言い分が相反する場合、どちらを信用すべきか。少なくとも、より証拠能力が高いのは、偽証罪というペナルティを背負った証言のほうだと言うしかないでしょう。もちろん、安倍昭恵も証人喚問して、偽証罪のペナルティを背負って証言するなら、両者の証拠能力は同等になります。が、自民党は安倍昭恵の証人喚問は拒否しています。ところで、自民党はその安倍昭恵が籠池の妻とやり取りしたメール全文というものを公開しましたが、それが何と、「携帯を水没させた」のでその後の分だけなのだそうです。「水没」の正確な日時は分かりませんが、2016年6月4日のメールに「携帯水没でデータが一部飛んでしまいました。」という記述があるそうなので、その直前の時期でしょう。ほぼその頃に、森友学園は怪しげな値引きによって土地を購入しています。ということは、購入をめぐるやり取りは当然その前に行われています。その時期のメールは残っていない、というわけです。あまりのタイミングのよさに、笑うしかありません。以前の記事でもこのせりふを使ったような記憶がありますが、あまりに「李下にかんむりを正し」過ぎです。
2017.03.24
コメント(3)
籠池氏「首相から100万円寄付」政権側は否定学校法人「森友学園」に大阪府豊中市の国有地が評価額より大幅に安く売却された問題で、参院予算委員会の山本一太委員長らは16日、学園が旧国有地で新設をめざしていた豊中市の小学校用地などを視察した。学園の理事長退任の意向を示した籠池泰典氏は、学校建設に関連して「安倍晋三首相の寄付金が入っている」と視察団に語った。視察団の一員で民進党の福山哲郎氏は同日のテレビ東京番組で、15年9月に安倍昭恵首相夫人が学園の講演に訪れた際、夫人から「安倍首相からです」と言われ、現金100万円を受け取ったと籠池氏が視察団に説明したことを明らかにした。これに対し、菅義偉官房長官は記者会見で、首相からの寄付はないと断言した。菅氏は「首相に確認したところ寄付していないと。夫人や事務所など第三者を通じても寄付していないということだった」と強調。昭恵夫人の個人としての寄付の可能性については「現在、念のために確認しているところだ」と語った。籠池氏への法的措置を検討するかを問われると「必要に応じて、どのように対応するか首相が判断する」と述べた。この後、安倍首相も官邸内で記者団の問いかけに「官房長官が話した通りだ」と語った。首相周辺によると、昭恵夫人は「記憶にない」と話しているという。一方、山本氏らは用地視察に先立ち、大阪府庁と財務省近畿財務局、国土交通省大阪航空局の関係者へのヒアリングを実施。大阪府は、小学校の設置認可などを巡り、近畿財務局とやりとりが複数回あった、などと説明した。---今のところ、籠池の言っている「現金100万円を安倍首相からもらった」が事実かどうかは確実ではありません。ただ、わざわざそんなことでうそを言い出す必然性はありません。そして、動かぬ証拠とまではいえないにしても、ある程度蓋然性のある証拠(100万円を郵便局で入金した際の振込票)も出てきた。まあ、安倍の側が森友学園に対して寄付を行ったとしても、違法ではないということになるようです。ただし、法的責任と政治的責任は別です。ここまでの経過ですでに明らかなように、籠池という人物は人格、行動の面において、かなりヤバイ人物です。そのヤバイ人物が経営する幼稚園に、安倍夫妻が相当に入れ込んでいたことは明らかです。妻は名誉校長(辞任したけど)に複数の回数の講演、安倍首相のほうも、問題がおおごとになるまでは国会の答弁で「私の考え方に非常に共鳴している方」「妻から森友学園の先生の教育に対する熱意は素晴らしいという話を聞いている」と言っていました。安倍の100万円の寄付は、籠池の言い分が事実かどうかまだ断定できる状況ではありません。しかし、稲田朋美大先生(笑)に関しては、「森友学園の顧問弁護士だった」という籠池の証言に対して、稲田は否定したものの、実際に森友学園の代理人として民事裁判で出廷していた記録が出てきて、籠池の言い分の方が事実であることがはっきりしています。政治家には寄ってくる支持者も多いだろうとは思いますが、それにしても、安倍も稲田も、籠池に対して「大勢の支持者の一人」というレベルをはるかに超えた好意をあからさまにしていたことは明らかです。大勢の支持者の一人が頼んだからと言って、首相夫人が講演会なんかやってくれないし、顧問弁護士も引き受けないでしょう(稲田は政治家になる前のことだったようですが)。森友学園の行っている教育内容にも、理事長の人格や行動にも相当問題があることは明らかですが、それは問題ではなく「私の考えに非常に共鳴している」という部分だけが重要というわけです。つまり、自分の考えに賛同すれば、どんな人格でもOKということです。あるいは、別の言い方をするなら人を見る目がないということになるでしょう。あるいは、類は友を呼ぶということかもしれません。それが、自分に火の粉がかかってきた途端に、「私の考え方に非常に共鳴している方」から急転直下、「非常にしつこい人」と言い出しました。トカゲの尻尾切りです。教育勅語を金科玉条のように信奉する人たちは、教育勅語にはよいことが書いてある、と言っていますが、こういう露骨なトカゲの尻尾きりも、教育勅語教育の偉大なる成果なんでしょうかね。
2017.03.22
コメント(6)

昨日の続きです。小梨平のテント場、夜中は満天の星空で快晴だったのですが、明け方に近くなると、テントに何かが降り注ぐ音が。覗いてみると、いつの間にか雪が降り出してしまいました。あーあ、という感じです。5時に起きて6時に徳本峠に向けて出発する予定でしたが、うっかり寝過ごしてしまい、気が付いたら6時。しまった、とは思ったのですが、テントの外は相変わらず吹雪。こりゃ、とても徳本峠まで行けそうにないので、あまり「しまった」という気分にもならず、テント内でもたもたしていたら、急に外が明るくなってきました。見ると、晴れ間が出ている。こりゃ大変、朝食(インスタントラーメン)、テント内片付け(戻って来たら即撤収なので)ののち、出発したのは7時20分過ぎ。この時点で、もう徳本峠までたどり着くのは無理だろうという感じでした。小梨平から明神へ向かいます。カラマツ林に日差しがあります。頭上は晴れてきたのですが、穂高連峰は相変わらずガスの中です。明神岳が目の前のはずですが。明神館前に着きました。ここまでは、人が大勢歩いていました。トレースはかなりしっかりついていて、アイゼンもワカンもスノーシューも必要ない状態です。しかし、ここから徳本峠に向かう道に入った途端に、人がいなくなります。スノーシューで歩いた踏み跡はあるのですが、踏み固められているわけではないので、ツボ足だとズボズボと潜ってしまいます。そこで・・・・・・ワカンの登場です。これでしばらく進みましたが、次第に斜度が増してきました。ワカンだけだと滑るようになってきたため・・・・・・更にアイゼンも装着しました。もっとも、ワカン+アイゼンって、そんなに歩きやすくはないのです。上り下りはまだしも、トラバース(雪の斜面を横切る)はどうも歩きにくい。ウサギさん、どこに行くの?ひたすらのぼりが続く。写真左手に数人の登山者が写っています。実は、先行するトレースは、彼らがつけたものです。ここで引き返すそうで、雪の上でエビスビールで乾杯していました。ということは、この先はトレースなし。いや、正確に言うと、前日かその前にとおったらしい踏み跡が、昨晩から今朝にかけて降った雪の下に、所々うっすらと見えるような、見えないような。まあ、迷うようなところではないので、このまま先に進みます。歩き出したときから、テント撤収して帰宅する時間、日中気温が上がった場合の雪崩リスクなども考えて、10時半に引き返そうと考えていました。その10時半の時点で着いた場所がここです。峠はまだまだ遠いですが、今回はここまで。眼前の穂高連峰は、相変わらずガスの中ですが、視界はあります。私の前に踏み跡なく(いや、前日以前の踏み跡はありましたが、この日は私以外にここまで登ってきた人はいないようで)、私の後には自分自身のワカンの踏み跡がひとつだけ。しかし、それにしても結構雪崩の跡も散見され、気温に高いときと降雪直後は登りたくないなあ。登りは明神館からここまで約2時間、しかし下りは1時間でした。明神館まで戻ってきました。下りでもう一人すれ違ったので、この日と徳本峠を目指したのは、写真の団体と私とその1人、合計3パーティーだけだったようです。明神までは大勢の入山者がいるのに、徳本峠に向かう人はほとんどいないようです。ここで、ワカンもアイゼンも外しました。小梨平に戻ってテントを撤収、今度は県道上高地線を下山します。荷物は登り20kg、下りは水と食料をほとんど消費したので17kgくらいになったはずですが、ちっとも軽くなった感触がない。ザックが肩に食い込みます。大正池に到着。大正池から下は道路が除雪されています。この雪の壁が1mあまりです。道路は除雪されているといっても、積雪0ではなく、10cmか20cmは雪があるので、あわせると積雪130cmか140cmくらいでしょうか。大正池。目の前に穂高連峰があるはずなんですが、やっぱり見えませんね。
2017.03.20
コメント(2)

昨日の記事がアップされていた頃(あれは予約投稿です。最近、予約投稿をよく使っています)、実際には上高地に向かう車内に下りました。昨年夏の白馬岳以来のテント山行、それも積雪期、荷物が20kg以上になってしまいました。これは上高地とは関係ないですが、特急あずさから撮影した南アルプス甲斐駒ケ岳です。何駅から撮ったか忘れました。多分小淵沢ではなかったかな。一気に飛ばして、釜トンネル入口。ゴールデンウィークから11月までは上高地までバスが入りますが、冬季は道路が閉鎖されています。そのため、釜トンネル入口からひたすら歩きます。と言っても、実は上高地までたいした距離ではありません。釜トンネル入口が海抜1315mだそうで、上高地が1500mなので、標高差たった185m。水平距離は8km程度です。しかし、好天の予報の3連休のせいか、登山者がとても多いです。上高地側の出口です。全長1300mほどのトンネルで、標高差100mほど登ります。ということはトンネルを出たとこから上高地までは、もう標高差100mもない、ということです。トンネルを出たら、しかしすぐ次のトンネルが待っていました。冬の上高地は3回目ですけど、こんなトンネルあったかなあ。釜トンネルしか記憶がないんだけど・・・・・・と思って検索したら、去年7月に開通したばかりのトンネルなんですね。どうりで記憶がないわけだ。トンネルの中で笛を吹きたかったけど、登山者が多すぎて、やめました。穂高連峰が眼前に見えます。が、実は穂高連峰がはっきり見えたのはこのときだけでした・・・・・・。上高地へのメインルートは上高地公園線ですが、私は梓川をはさんで対岸の工事用の道路を行きました。実は、間違えてこっちに入ってしまったのです。(はじめて冬の上高地に行ったときも同じ間違いをしたのに、我ながら学ばない人間です)間違いには、100mか200m行ったところで気が付いたのですが、こっちの道は登山者がまったくなかったし、行きと帰りで別々の道の方がいいかなと思って、そのまま進みました。ただ、未舗装ですが除雪されていたのでドロドロの道でした。途中、エナガとコガラ、シジュウカラの群れに遭遇したのですが、写真は撮れませんでした。西穂高登山口です。一見バス停のようですが、夏場もここにバスは来ません(笑)。見たところ、トレースはありません。15年前に、やはり3月に職場の先輩に連れられて西穂山荘からここまで下山したことがありますが、やはり踏み跡のない雪のうえでだいぶ迷った記憶があります。単独で、しかも登りではとても無理。田代橋を対岸に渡る途中より。上高地の無人のホテル群(実際には従業員は多少いるようで、まったく無人ではない)同じく穂高連峰のアップですが、すでにガスに隠れてあまり見えなくなっています。赤い屋根で有名な帝国ホテル。ここも無人と思いきや、工事中でクレーン車と除雪車が動いていました。上高地バスターミナル。ここは無人でした、と言いたいところですが、テントを張っている人がいました。河童橋と穂高連峰。河童橋から撮影した焼岳です。ガスに隠れ気味の穂高連峰と違い、こちらはよく見えます。同じく河童橋から撮影した梓川と穂高連峰です。穂高連峰、稜線のあたりはもう全然見えません。小梨平の幕営場に着いたら、すげー、テントがいっぱい。20張りまで数えてあとは数えるのはやめちゃいましたが、50張り以上、ひょっとすると100張り?人が多いわけだ。はじめて上高地に幕営したのは一昨年の年末でしたが、年末休みでも10張りくらいしかテントなかったけど・・・・・・多分、年末より気温が暖かくて幕営しやすいせいなのでしょうね。今回はケーナとサンポーニャを持っていきましたが、あまり人が多いと練習しにくい。なので練習場所を求めて、河童橋を渡って対岸へ。そうしたら・・・・・・ニホンザルの群れに遭遇。結局、この場所でみっちり30分ほどケーナとサンポーニャの練習をしました。それにしても、20kgの荷物と言っても、標高差たった185mを登っただけなのに、結構疲れました。続きは次回。
2017.03.19
コメント(2)

えー、オスプレイと言いましても、ヘリコプターと飛行機のあいのこの出来損ないのアレではなく・・・・・・その名前の由来となった、羽毛で覆われていて羽ばたく生き物の方のオスプレイ、つまり和名ミサゴのことです。先週末のことですが、江戸川区の葛西臨海公園鳥類園に鳥を見に行ってきました。管楽器ケースを手に、午前中鳥の写真を撮って、そのまま午後は某グループの練習でした。今回に始まった話ではありませんが、野鳥観察にはいつも片手に管楽器ケース、なんて人は、そうそういないでしょうね。メジロです。ハシビロガモ。えさを食べているところです。あまりかっこよい姿とは言えませんが・・・・・・。ハジロカイツブリ。撮影時点では、カイツブリの仲間の何か(ただし、普通のカイツブリではないことは分かった)としか分からなかったのですが、帰宅後に画像を拡大して図鑑と照らし合わせて確認しました。夏羽の個体と冬羽の固体が入り混じっていますが、夏羽の個体で識別できます。右から6羽目(中央一番奥)が夏羽。3羽目もそうかな。タカの仲間の何か、です。実は、チラッと見て、トビと誤認してしまい、あまりちゃんと写真を撮らなかったのです。尾の形状が燕尾型、つまりトビに見えたのです。しかし、帰宅後に写真を見たら、トビじゃないじゃん。さて、何でしょうか。ノスリかなとも思うのですが、ノスリにしては尾が長い。やや逆光気味で模様が分かりにくいこともあって、私には判別が付きません。オオタカの若鳥?詳しい人、教えてください。追記:後日気が付いたのですが、おそらくチュウヒだと思います。ハシビロガモ、先ほどの写真よりはかっこよいです。ホシハジロの大群。中に1羽だけカルガモが混ざっています(中央右よりオレンジの足)。オオバンも何羽か。ホシハジロです。オオバン。カモの群れに混ざっていますが、カモ類ではなくツル目クイナ科です。おなじみのハクセキレイ。ノスリ。スズガモ。ホシハジロとキンクロハジロ(都心の公園などに多く渡来する)、このスズガモは互いに近縁です。英名オスプレイ、和名はミサゴ。タカ科の猛禽類です。写真を撮った際は多分そうだろうとは思ったのですが、同定は帰宅後に写真を検討してです。逆光気味で判別しにくいのですが、画像補正をかけると、顔の黒い帯が判別できるので、ミサゴと分かりました。考えてみると、軍用機には猛禽の名前がよく使われます。イーグル/鷲、ホーク/鷹、ハリアー/チュウヒ、ファルコン/隼といったあたりが定番でしょうか。しかし、同じ猛禽でも、フクロウはあまり軍用機の名前には記憶がありません。こちらは野鳥の王国。対岸はネズミの王国です。私は野鳥の王国のほうが好きです。ホオジロ(オス)オオジュリン。ホオジロの仲間。オスの夏羽は頭が黒くて特徴ありますが、冬羽は地味。茂みの中を動き回るオオジュリンをかろうじてファインダーに捉えました。この日確認した鳥はハジロカイツブリ、カルガモ、ハシビロガモ、ヒドリガモ(多分)、ホシハジロ、キンクロハジロ、スズガモ、カワウ、オオバン、ミサゴ、ノスリ、キジバト、ヒヨドリ、オナガ、ハシブトガラス、ムクドリ、ツグミ、シロハラ、ハクセキレイ、スズメ、ホオジロ、オオジュリン、メジロ、ヒヨドリ、シジュウカラ(声のみ)ここは、また行ってみたいです。このときは、午後から練習があったので、鳥類園を見ただけですが、沖合いの西なぎさにも多くの鳥がいるそうです。次回は是非そとらも見に行ってみたいものです。
2017.03.18
コメント(0)
山岳救助ヘリ 有料化へ 埼玉県議会に条例改正案埼玉県の防災ヘリコプターが山岳遭難した登山者を救助した場合、遭難者から手数料を徴収する見通しとなった。県議会の自民党県議団が2日、関連の条例改正案を開会中の定例会に提案、本会議で可決、成立の予定。公的な防災ヘリの山岳救助が有料化されるのは全国初。自民党県議団は、手数料を燃料費相当の5万円程度と想定。同県議団政調会長は「危険を冒す山岳救助に要する費用は、遭難者に一定の負担を求めるのが公平だ。有料化により登山者の注意が喚起され、無謀な登山の減少につながる」と説明した。改正案では、手数料の対象は林業従事者らを除く登山者など。徴収額は知事が告示で定める。県境近くの遭難で他県の防災ヘリに救助された場合には手数料がかからないが、ある埼玉県幹部は「公平性の問題もあるため、調整する必要がある」と話す。全国の防災ヘリの山岳救助出動件数は15年が1345件で、11年の921件に比べ約1.5倍に増加。埼玉県では15年度に11件出動し、うち5件で救助が行われた。埼玉県警もヘリを持っているが、県警は主にパトロールや捜索活動に当たっており、救助は県の防災ヘリが担っている。日本山岳協会の西内博遭難対策委員長は、防災ヘリを呼ぶケースの大半は、予期せぬ出来事に遭遇した場合だと指摘。「有料化よりも、登山道の整備や自然リスクの教育に力を入れてもらいたい」と話している。ーーー時々拝見させていただく豊後ピートさんのブログで、この件を知りました。元々、2010年に有料化案が出たものの、航空法との関係で一旦頓挫していたものが復活したようです。航空法では、航空運送事業を「他人の需要に応じ、航空機を使用して有償で旅客又は貨物を運送する事業」と定めているため、防災ヘリで救助した遭難者から手数料を徴収すると有償での運送に該当する可能性があり、その場合は事業許可が必要かもしれない、というのが頓挫の理由でしたが、優勝での運送には当たらない、という何らかの判断が出た、ということなのでしょう。登山で遭難者が出るたびに、2ちゃんねる的な世論から遭難者たたきや、救助ヘリコプターを有料化しろ、という話が出てくるわけですが、それがとうとう条例になろうというわけです。まず、整理しておきたいのは、今回は警察や消防のヘリが飛んだ場合の有料化案です。言うまでもありませんが、民間のヘリが飛んだ場合は、最初から有料です。ただし、かつては東邦航空という山岳輸送ヘリの大手が、盛んに救助ヘリを飛ばしていましたが、事故を起こして現在は撤退しており、現在では山岳遭難の救助は、事実上警察と消防のヘリしか行っていません。もっとも、山岳遭難で出動するのはヘリだけとは限りません。地上からの救助隊は、もちろん警察の山岳警備隊は費用はかかりませんが、遭対協などの救助隊には費用がかかります。わたし個人としては、遭難救助保険に加入しているので、万が一の場合にも費用の心配はあまり必要ありませんし、無謀登山はしないように心がけています。しかし、そういった個人的な事情を除いて考えると、救助ヘリの有料化案にはちょっと賛成できません。以前、救急車の有料化という話が持ち上がったことがあり、それについて意見を書いたことがあります。救急車の有料化?救急車の有料化も救急ヘリの有料化も、発想の根本は共通だろうと思います。そして、問題点も同じです。救急車の有料化案の場合は、「軽症患者の場合は」という条件でしたが、埼玉県の救助ヘリの場合は「林業従事者らを除く登山者など」という条件だそうです。受益者負担という観点で考えるなら、林業関係者を除外する意味が分かりません。また、必ずしも登山の領域でなくても、自動車の入れないような場所で急病者が出た場合は、ヘリが出動せざるを得ないことがあります。それこそ、観光地の散策路、遊歩道や、山間部の住民の日常生活圏内でも、救急患者が自力ではまったく動けない状態なら、そういうことは起こりえます。「登山」と「非登山」の境界はそれほど明確ではありません。それをどこで線引きするのか、あるいは線引きせずすべて料金徴収の対象といるのか、どちらにしても問題は生じるでしょう。また、救急車有料化案の場合も同様ですが、「誰かが遭難した」という第三者からの通報しかなくて、本人の意思確認が取れない場合は料金を取るのか取らないのか、取るとしたら誰から取るのか、それとも、意思確認が出来なければ出動しないのか。かつての民間救助ヘリはそうだったわけですが、公的組織である警察・消防の運営する救助ヘリでそういうことがあり得るのでしょうか。また、料金を課した場合もそれを支払わない人が、救急車有料化の場合よりはその割合は低いでしょうが、それでもある程度は発生すると思われます。そうやって料金を徴収しても、その額は、年間の出動回数が11回、うち実際の救助が5回で1回5万円ということは、年間25万円に過ぎません。有料化は収益を出す目的ではないにしても、そのために要する事務的な手間とのバランスが取れているようには思えません。自民党県議団は、有料化によって登山者の注意が喚起され、無謀な登山が減少すると考えているそうですが、これも実際には極めて怪しいでしょう。無謀登山をする人は、自分が無謀とは思っていないものですから。むしろ、無謀ではない登山者に対して萎縮効果を生む可能性があります。(救助ヘリ有料化案は、山岳遭難すべてを対象とするもので、「無謀な」登山に限定した有料化ではありませんし。もちろん、無謀とそうでないものを区別する基準などありませんから、有料化となったら、そうならざるをえないでしょう)結果として、登山者一般に対しては萎縮効果を生み、しかし無謀登山に対する抑止力にはならない、という無意味なものにしかならないだろう、という気がします。これら多くの問題があるため、私の記憶では、最初に救助ヘリ有料化の話が出た際は、埼玉県の行政当局はこの案にまったく消極的で、自民党の一部議員の独走によって条例案が進んでいたように思います。(あいまいな記憶ですが)今回はどうなのでしょうか。議員提案による条例案のようなので、やはり行政当局は、少なくとも積極推進という立場ではなさそうですが。いずれにしても、例えば生活保護受給者叩き、安易な救急車利用者叩きなどと同様に、一部の問題のあるケースを極大化して全体を攻撃する、昨今のネット世論的な風潮乗った動きが、登山の分野にも波及してきた、ということなのでしょう。
2017.03.16
コメント(4)
「聖徳太子」守れ つくる会が次期指導要領案で要望 「日本主体の古代史ストーリーが崩壊する」文部科学省が2月に公表した小中学校の次期学習指導要領改定案について、「新しい歴史教科書をつくる会」(高池勝彦会長)は7日、現行の「聖徳太子」を「厩戸王」との併記とした歴史用語の変更を取りやめるよう求める文書を文科省に提出した。文書では、「厩戸王の呼称になれさせようとしている」と指摘。「律令国家形成の出発点となった聖徳太子を抹殺すれば、日本を主体とした古代史のストーリーがほとんど崩壊する」と批判している。改定案では、人物に親しむ小学校で「聖徳太子(厩戸王)」、史実を学ぶ中学で「厩戸王(聖徳太子)」に変更。文科省は、歴史学では「厩戸王」が一般的としている。---従軍慰安婦問題をめぐる論争の争点の1つに、従軍慰安婦ということばは、当時はなかった、後世の造語だ、というのがありました。実際には、歴史学用語で、後世の造語なんて、掃いて捨てるほどあります。江戸時代、鎌倉幕府、明治維新・・・・・・。そして、聖徳太子もその一例です。後世、聖徳太子と呼ばれている人物は、生きていた当時はそんな名ではなく、厩戸王だった。だから、歴史教科書では、いわば両論併記で厩戸王(聖徳太子)と書くように変更しようとしたわけです。ところが、これに対して、従軍慰安婦については、「当時はそんな言葉はなかった」と叫んでいる「つくる会」などの極右系の人が、今度は「聖徳太子を守れ」と、それとは正反対のことを言い出している。ご都合主義の極みです。で、その理由が「日本を主体とした古代史のストーリーがほとんど崩壊する」なのだそうです。「あたらしい歴史教科書をつくる会」は、歴史を「科学ではなく物語りだ」と公言してはばかりません。その延長線上で、「聖徳太子が消えたら古代史のストーリーがほとんど崩壊する」ということなのでしょう。しかし、そもそも、歴史が科学ではなく物語りだとすれば、学校の歴史の授業は廃止して、国語の授業に統合すべきだ、ということになります。確かに、「科学」という単語には理数系のイメージが強いきらいはあります。が、要するに、資料と論理的考察に基礎を置く学術、学問であって、空想や妄想の類ではない、ということです。聖徳太子(と後世呼ばれることになる厩戸王)という人物が存在したことはほぼ確かですが、その業績とされる十七条憲法や冠位十二階の制定、遣隋使派遣などについて、実際には聖徳太子がどこまで関与していたかは、かなり疑わしいと考えられています。本当は、日本の歴史に名を残すような特別な実績があるわけではない、単なる皇族の一人(もっとも、「天皇」「皇族」ということばも後世に使われはじめたものだが)に過ぎなかったものを、「日本書紀」が、天皇の権威を高めるために、スーパースターのような人物に仕立て上げた、というのが実相であるようです。資料からそのような事実が明らかになれば、歴史教科書をそのように書き換えるのは当然のことです。ところが、「つくる会」をはじめとする極右勢力は、それを是としないのです。歴史は物語りだから、自分たち好みの「古代史のストーリー」を崩壊させるな、というわけです。それは資料にも事実にも基づかない単なる空想、あるいは妄想と呼ぶべきものであって、学問の名には値しないものです。そのような妄想が崩壊するのが怪しからんという話は、「知ったことか!」としか言いようがありません。
2017.03.14
コメント(2)
朴槿恵大統領、韓国憲法裁が罷免を決定 疑惑発覚から半年で韓国憲法裁判所は、10日11時から開廷した朴槿恵大統領に対する弾劾審判の宣告で、「友人の崔順実の国政介入を可能にした職権の濫用」を理由に裁判官8人全員一致で大統領の罷免を決定した。韓国の憲政史上、弾劾審判は2004年の盧武鉉大統領に続き2度目だが、盧大統領の際は否決されており、現職大統領が罷免されるのは史上初である。憲法裁は朴大統領の弾劾理由として、・国民主権主義と法治主義違反・大統領の職権乱用・言論の自由の侵害・生命権保護義務違反・賄賂など刑事法違反などの5つの要点にまとめて審理した。そのうえで憲法裁は、朴大統領が国民主権主義と法治主義、刑事法を違反したと判断した。 パク大統領が崔順実に国政に関する文書を渡し、ミール・Kスポーツ財団の設立や募金に関与し、崔順実の知人の会社に便宜を図ったという。 朴大統領が崔順実の蓄財行為に加担し、そのため法を犯した、というのが憲法裁の最終的な判断だ。一方で、憲法裁は朴大統領が職権を乱用して公務員人事に介入したかどうか、言論の自由を侵害しているかどうかなどは明確でないため、弾劾理由に認められないとした。 また、セウォル号事故と関連して「国民の生命が脅かされる災害が発生したとして、朴大統領が直接、救助活動に参加しなければならないなど具体的かつ特定した行為義務まですぐ発生したと見ることは難しい。大統領職務を誠実に履行しなかったというのは弾劾審判の判断の対象になっていない」と説明した。(以下略)---ある程度は事前に予想されていたようですが、現大統領の罷免は良い意味でちょっと驚きました。報道によると、韓国の憲法裁判所の判事は定員9名、1月末に1人定年で退任したため現在は8人ですが、その全員一致による罷免決定ということです。引用記事にある5つの弾劾理由のうち国民主権主義と法治主義違反と賄賂など刑事法違反の2点について認め、大統領の職権乱用、言論の自由の侵害、生命権保護義務違反の3点については判断を避けた、ということです。それでも弾劾成立、それだけ、この2点に関して罪は深いということでしょう。引用記事中にあるように、大統領への弾劾裁判は盧武鉉に次いで2回目です。盧武鉉の際は、国会の議席では与党は少数だったため、国会議員選挙の直前に、野党の数の力で無理矢理弾劾裁判が開始された面があります。大統領を弾劾裁判にかけることで選挙を有利に運ぼうという思惑があったのでしょう。しかし、これが結局国民の目には多数野党の横暴と映り、総選挙は盧武鉉与党の圧勝、弾劾裁判でも罷免は否決され、盧武鉉は政治的には大勝利を収めました。もっとも、盧武鉉の絶頂期はそのときで、それ以降はひたすら人気凋落の一途で、最後は退任後に自殺に追い込まれる結末となってしまいましたが。今回は、朴槿恵は国会議席数では与党が圧倒的だったにもかかわらず、国民の間に朴槿恵への怒りが渦巻き-ということはつまり、それだけ彼女のやったことがひどかったということですが-それを見た与党陣営の大半が離反して弾劾賛成に回ってしまったわけです。今回の罷免の理由としては否認されたものの、セウォル号沈没事故の際の不手際や言論の自由への侵害なども、政治的には多くの国民、与党政治家を離反させる要因になったはずです。言論の自由への侵害という面では、やはり、産経新聞ソウル支局長への起訴騒動を抜きにして語るわけには行かないでしょう。元々、朴大統領の父親の時代には、産経新聞と韓国の保守派は隠然たるつながりがありました。あの不祥事が40年前だったら、産経は一切口をつぐんで何も言わず、それどころか反朴派を攻撃する言説を展開したに違いありません。丁度、今の安倍政権に対してそのような態度であるように。それを、この一件でご破算にしたわけです。もう、韓国は保守派もそうでないものもすべて敵、と、そういう路線に変更した、ということです。この路線変更にあたって、どれほどの慎重な計算があったのでしょうか。どうも、ネトウヨ的な思考の浅さで、勢いで突っ走っただけ、のように思えます。とはいえ、思考が浅かろうがバカであろうが、言論の自由はあるわけで、産経の記事がどれほど思慮の浅いものであっても、だから刑事罰というのは、近代民主主義国として、いかに考えてもマトモな行動ではありません。どうも、諸記事によると、これは朴の直接命令によるのではなく、周囲が朴の胸中を忖度してやったことのようですけれど、「政権」としてやったことに違いはありません。まあ、この件はさすがに無罪になりましたけど。http://www.asahi.com/articles/ASK3C5CLNK3CUHBI01H.html朴槿恵氏は、11日も夜まで沈黙を守り、ソウルの大統領府(青瓦台)にとどまった。大統領府関係者は、罷免の衝撃が大きく、次の行動に移れないようだと明らかにした。意思疎通を欠く「不通」と呼ばれた政治スタイルで周囲の意見が耳に入らず、罷免を受け入れられない様子が浮かび上がった。---別報道によると、12日夜にやっと退去したとのことですが、判決が出てから2日間にわたって、衝撃が強すぎて次の行動に移れない、という状態が続いたとすれば、その面でも大統領としての資質がなかった、というしかないでしょう。資質のない人間が大統領に当選してしまったことは間違いでしょうが、資質のなさが明らかになって以降、市民の力で大統領罷免にまで追い込んだことは、うらやましいと思わざるを得ません。
2017.03.12
コメント(2)
稲田氏「教育勅語の精神、取り戻すべきだと今も思う」稲田朋美防衛相は8日の参院予算委員会で、天皇を頂点とする秩序をめざし、戦前の教育の基本理念を示した教育勅語について、「日本が道義国家を目指すというその精神は今も取り戻すべきだと考えている」と述べた。社民党の福島瑞穂氏に答えた。学校法人「森友学園」が運営する幼稚園で教育勅語を素読させていることに文部科学省が「適当ではない」とコメントしたことについて、稲田氏は2006年10月の月刊誌で「文科省の方に『教育勅語のどこがいけないのか』と聞きました」と擁護していた。福島氏は「今もこの考えを変えていないのか」と問うた。稲田氏は「教育勅語の精神である日本が道義国家を目指すべきであること、そして親孝行だとか友達を大切にするとか、そういう核の部分は今も大切なものとして維持をしているところだ」と述べた。---狂っている、としか思えません。教育勅語は、以下の文面です。朕󠄁惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇󠄁ムルコト宏遠󠄁ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦󠄁相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ以テ智能ヲ啓󠄁發シ徳器ヲ成就シ進󠄁テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵󠄁ヒ一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ是ノ如キハ獨リ朕󠄁カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺󠄁風ヲ顯彰スルニ足ラン斯ノ道󠄁ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺󠄁訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵󠄁守スヘキ所󠄁之ヲ古今ニ通󠄁シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕󠄁爾臣民ト俱ニ拳󠄁々服󠄁膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶󠄂幾󠄁フ現在でも、どこぞの幼稚園児が暗誦させられているそうですが、当然その意味は分かってはいないでしょう。私ですら、よく分からないところが点々とあります。では明治や大正、昭和初期の子どもなら、この難解な文章が理解できたのでしょうか。大多数の子どもは、理解出来ていたわけがありません。当時、口語としての日本語は現在とそんなにかけ離れたものではありませんでした。このような漢語調の文章と、普段使う日本語との乖離はあまりに大きく、とても理解できるものではありません。そういった、難解さにかかわる部分はひとまず措くとしても、勅語というのは、天皇が「臣民」に対して与える言葉です。臣民とは天皇に支配される人々、ということです。人民でも民衆でも市民でも、国民ですらない、臣民。その時点で、天皇主権の権化のような文章であり、主権在民という民主主義の基本原則と、根本的に相容れないものです。「朕󠄁惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇󠄁ムルコト宏遠󠄁ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ」(天皇家一族の祖先が、日本に道徳を作ったのだ)というわけです。そんなわけないでしょう。天皇教という狂信的宗教の神話に過ぎない代物です。「我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス」(わが臣民が忠孝に尽くし、心をひとつにして世の中を美しくしていくことが、わが国の「国体の精華」で、教育の淵源はここにあり)というのです。虫唾が走る、といわざるを得ません。私は、今の天皇家に恨みは何もないし、嫌いでもないけれど、言葉を交わしたこともない人たちに対して「忠孝を尽くす」ことを要求されるいわれも、心をひとつにせよと強いられるいわれもありません。「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦󠄁相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ以テ智能ヲ啓󠄁發シ徳器ヲ成就シ進󠄁テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵󠄁ヒ」(父母に孝行を尽くせ、兄弟、夫婦は仲良く、言動は慎み深く、広い範囲に博愛の手を差し伸べ、勉強して仕事を覚え、人格を向上させ、公益のために尽くし、法律を守る)というあたりは、一見当たり障りのない道徳を並べているように見えますが、それらはすべて天皇のために、なのです。では、たとえば北朝鮮の偉大なる領主様のために、「両親に孝行し、兄弟夫婦は仲良く・・・・・・」という内容だったとしても、「内容は正しい」というのでしょうか。そもそも入口が主権在民と相容れないのに、その部分だけ切り取って「内容は正しい」ということに意味があるのでしょうか。そして、実際にはこの勅語が一番言いたいのは、その部分ではなく、その後の「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ」万が一の事態が起きたらお国のために奉仕して、皇国の命運が永遠に続くことを助けろ、という部分でしょう。何しろ、「12の徳目」の中でこの部分が一番、圧倒的に文字数が多いのですから、12の徳目の中でここを一番重視していることは明らかです。稲田朋美やそのほかの「教育勅語はすばらしい」と言っている連中が一番重きを置いているのもこの部分でしょう。要するに、「天皇陛下万歳」と言って喜んで死んでいってくれる国民を作りたい、ということです。およそ、「自由」「民主」を名乗っている党の政治家が言うべき言葉ではありません。
2017.03.10
コメント(2)
村上春樹さん新作、「南京事件」犠牲者「四十万人というものも」で波紋 中国・人民日報サイトも報道先月発売された世界的な人気作家、村上春樹さんの長編小説「騎士団長殺し」が思わぬ波紋を呼んでいる。戦争中に旧日本軍の占領下で起きたとされる「南京事件」の犠牲者数に触れた登場人物のセリフなどについて、近年の歴史研究に照らして疑問視する声がインターネット上で噴出。小説と歴史書は別物だとする擁護論も多く、想定外の“場外戦”が展開されている。「騎士団長殺し」は妻に突然別れを告げられた肖像画家が遭遇する不思議な出来事をつづった物語で、戦争の負の記憶にも光が当てられている。論議を呼んでいるのは第2部、謎に包まれた登場人物「免色」のセリフ。ある人物の過去を語る中で〈南京虐殺〉に触れ、主人公の肖像画家に対し、日本軍が降伏した兵隊や市民の大方を殺害したなどと説明。〈おびただしい数の市民が戦闘の巻き添えになって殺されたことは、打ち消しがたい事実です。中国人死者の数を四十万人というものもいれば、十万人というものもいます〉と語っている。南京事件の犠牲者数について中国側は「30万人」と主張。日本では近年の研究でこれが誇大だとの見方が定着しており、「事件」というほどの出来事はなかったとの意見もある。(以下略)---何か問題ありますか?何も問題ないと思いますけど。実際のところ、南京で日本軍による大規模な不法殺害があったことは、疑問の余地もなく明白な事実です。ただし、その犠牲者数はよく分かりません。今となっては、それを検証することも不可能です。私自身の見解では、南京事件で不法殺害された者の数は、10万人前後であろうと考えています。研究者でもなんでもない人間が、出版された書籍から拾った範囲での判断に過ぎませんけど、最低限、数万以上の単位であったことに疑問の余地はないと思っています。いずれにしても、村上春樹の著作は小説です。しかも、40万人という者も10万人という者もいる、という記述、つまりあくまでも人数に諸説ある中での一例として挙げている数字に過ぎません。確かに中国政府の公式見解は30万人なので、40万人はそれより多いですが、だから何でしょうか。いちいち、中国の公式見解に数字を合わせる義務も必然性もないでしょう。そんなことを言い出せば、日本政府の公式見解だって1日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています。2先の大戦における行いに対する、痛切な反省と共に、心からのお詫びの気持ちは、戦後の歴代内閣が、一貫して持ち続けてきたものです。そうした気持ちが、戦後50年に当たり、村山談話で表明され、さらに、戦後60年を機に出された小泉談話においても、そのお詫びの気持ちは、引き継がれてきました。というものです(外務省ホームページ「歴史問題Q&A」)が、その日本政府の公式見解に反して、「事件というほどの出来事はなかった」という主張を述べる者もいれば、村山談話なんか破棄してしまえと主張する者もいます。いる、というより、産経新聞自身がその当事者の一人であるわけです。日本政府の公式見解と違う(より過小評価する)ことを書く人がいて何の問題もないのだから、中国の公式見解と違う(より過大評価する)ことを書く人がいても、何の問題もありません。そもそも、南京大虐殺の犠牲者については確かに諸説ありますけれど、少なくとも「事件というほどの出来事はなかった」などという話は、極右言論空間ではともかく、まともな歴史学の世界では相手にされるような代物ではありません。それでも、そのような主張をする自由はあります。それが許されて、40万人という主張(実際には主張ではなく、様々な説があることの例として触れられている数字)が許されないというのは、まったく理屈にあいません。
2017.03.09
コメント(0)
安倍首相「妻を犯罪者扱い」=共産追及に不快感「妻をまるで犯罪者扱いするのは極めて不愉快だ」。学校法人「森友学園」への国有地払い下げ問題をめぐり、安倍晋三首相は1日の参院予算委員会で、「名誉校長」だった妻の昭恵さんと学園側の関係を追及する共産党の小池晃書記局長に、声を荒らげて不快感を表明した。小池氏は「以前から昭恵夫人は籠池泰典理事長を知っていたのか。首相自身はいつからの知り合いで何回会っているのか」などと追及。首相は「私は公人だが、妻は私人だ。(妻が)いつ知ったかは承知していない」と答弁した。 小池氏は「すぐに分からないなら、あす、また質問するので、おうちに帰って(夫婦で)お話ししていただきたい。首相夫人だから明らかに公人だ」と引き下がらなかった。---山本太郎氏「アッキード事件」発言に安倍首相不快感自由党の山本太郎参院議員は2日の参院予算委員会で、安倍晋三首相の昭恵夫人が、学校法人「森友学園」が開校予定の小学校の名誉校長を辞任したことなどを念頭に、「アッキード事件」と発言、首相が「その言い方は限度を超えている」と、強い不快感を示す場面があった。~首相も答弁に立ち、「少し言葉の使い方に気をつけていただきたい。『アッキード事件』という言い方は、限度を超えている。この問題の核心とは関係なく、人の名誉を傷つけるために、委員会の場を活用することは不愉快、遺憾であるということは申し上げておきたい」とくぎを刺した。---安倍は国会答弁でもすぐに声を荒げて激発するようですが、その激発の仕方は、筋違いとしか思えません。「妻は私人」なんて言い分は、まさしくそうです。そもそも、森友学園が安倍昭恵に名誉校長を依頼したのは何故か。誰がどう考えたって、「安倍晋三の妻」だからに決まっています。安倍晋三の妻ではない一個人の安倍昭恵に、誰が名誉校長を依頼するか(そもそも、名誉校長なんて称号は聞いたこともない、というのはひとまず措くとして、ですが)という問題です。そもそも、妻は私人だというなら、首相外遊の際にどうして妻が首相に同行し、空港での送迎やら歓迎晩餐会などに一緒に出てくるのか。あれは公私混同ではないのか、妻の分の航空運賃は自費で払っているのか?加えて、その後の報道によれば、首相夫人には公務員のスタッフが5人(正規公務員が2人と非常勤が3人)も付いているんだそうですね。こういうことを考えれば、首相の妻が私人だ、などという理屈が成り立つはずはないのです。で、もうひとつ、山本太郎議員の「アッキード事件」発言に対しても、安倍はやはり「その言い方は限度を超えている」と、怒りをあらわにしたとか。首相という立場になれば、どうあれ他人の非難や揶揄は免れないものです。何もないときなら、その矛先を奥さんにまで向けるべきではないでしょうが、前述のように、いくら安倍が叫んだところで、首相夫人は私人ではないので、何らかの疑惑が生じれば、非難や揶揄の矛先が向けられるのは当然です。アッキード事件というネーミングセンスの是非はともかくとして、それに対して「限度を超えている」などと開き直っている場合ではないでしょう。加えて、引用記事にはないけれど、その後安倍は山本太郎を評して「人として根本的にダメ」と発言したらしいですが、「人として根本的にダメ」なのは果たしてどっちかな、と私は思いますね。ただし、アッキード事件というネーミングが、一連の問題の本質を突いているかというと、私はちょっと違うのではないかと思います。つまり、安倍昭恵が開校予定のこの小学校の「名誉校長」に就任していたことは、大いに問題ですが、それは別に安倍昭恵個人の問題ではないからです。前述のとおり、あくまでも夫である安倍晋三の名代として名誉校長に就任していただけのことであって、問題の本質は安倍晋三自身、あるいは安倍夫妻にある。もちろん、山本太郎のほうもそれは承知の上で、「妻は私人」などというふざけた逃げを打つ安倍に対する皮肉として「アッキード」と言ったのでしょうが、この言葉だけが独り歩きすることは、問題の本質をはぐらかすことになりかねないように思います。それにしても、今回の一連の騒動からも改めて思うのは、こういう、右に振り切れちゃった系の人たちって、本当に安倍晋三が大好きで大好きで仕方がないんですね。いくら好きでも、「安倍晋三記念小学校」なんてネーミングは、まともな人なら遠慮すると思うのですが、それを遠慮しないところが「右に振り切れちゃった」系の特徴でしょうか。まあ、類は友を呼ぶというところでしょうか。国有地の格安払い下げの問題も、もちろんひどいのですが、そもそも幼稚園で行われている、ほとんど虐待まがいの「教育」、これが「右に振り切れちゃった」系の理想とする教育像ということなのでしょう。だとすると、彼らの理想とする社会は、北朝鮮とたいして変わらない、ということになりそうです。学校に特定の個人、それも現職の政治家の名を冠そうとする辺りも、感性が似ているような。
2017.03.07
コメント(4)

1月末に行ったばかりですが、また明治神宮に行ってきました。自宅から近いのと、いつも練習の後、午後に行ってばかりなので、たまには朝から行ってみようと。6時過ぎに起きたのですが、まず6kmランニング、それから朝風呂に入って朝食食べて、結局明治神宮着は9時でした。北池には水鳥はマガモしかいませんでした。ツグミ。年によっては、私の家の近所でも見かけることがありますが(たいてい、鳴き声だけ)、今冬は自宅近辺では遭遇しません。アトリ。潅木の中に、結構な数がいました。今冬は渡来数がかなり多いらしいですが、前回1月に来たときは見ませんでした。今回は、たくさんいました。樹林内で動きが速いので、ファインダーに捉えるのが大変でした。2羽ともメスのようです。メジロ。前回は、すごくピンボケの写真を1枚撮れただけで、あまりにひどいのでブログにはアップしませんでした。今回は何とかまともな写真が撮れました。外国人(多分ドイツ語)の老夫婦が双眼鏡とカメラを持って空を見上げているので、何がいるのかと思ったら、オオタカでした。いや、撮影した時点では「猛禽類」という以上は分からなかったのですが。左の鳥もおそらくオオタカです。オオタカ。何だかずいぶん羽が抜けているような。換羽期??ハクセキレイ。昔は東京の都市部ではキセキレイの方か見かけることが多かった気がするけれど、今は圧倒的にハクセキレイ。羽田空港のターミナルビルにまで住み込むほど、都市に適応しています。エナガ。これも前回はピンボケ写真が1枚撮れただけでしたが、今回は何枚かまともな写真が撮れました。とはいえ、望遠レンズの視界におさめるのは至難の業です。これもエナガ。ずいぶん飛んでいたのですが、ほとんどファインダーに捉えられず、捉えられてもピンボケで、まともに撮れた写真は何枚もありません。オオタカ、1羽目。3人ほど写真を撮っている人がいて、「何がいるんですか?」と聞いたら、オオタカだと。自分ひとりでは、とても見つけられなかったところです。それで、先ほど飛んでいたのがオオタカだったのだと分かりました。皆さん、400mmとか600mmとかのすごいレンズをつけていましたが、私は250mmなので、ファインダー越しに見ても小さくしか見えません。が、帰宅してパソコンで見ると、ちゃんと写っています。そして、先のオオタカから十数メートルのところに、もう1羽のオオタカが止まっていました。トリミングしてあるので分かりにくいですが、これも葉の間のわずかな視界から捉えたものです。先の3人の方、よく見つけたなあ。多分、降りてきたところを見たからなのでしょうが。こちらは1羽目のオオタカです。ヤマガラ。今日はシジュウカラはファインダーに捉えられず(いっぱいいたのですが)、ヤマガラだけ撮影できました。ヤマガラ。アトリ。先ほどとは別の場所で、再びアトリの群れに遭遇しました。またメスです。シロハラ。ツグミの仲間です。地上に降りて、落ち葉を掻き分けながらガサゴソとえさ探しをしている鳥は、たいていキジバトなのですが、そこに時々シロハラとか、アトリが混ざっているわけです。このシロハラも、キジバトのすぐ脇にいました。アトリ。今日一番近距離から、ピントもしっかり合った状態で撮影できた写真です。が、写っているのは背中・・・・・・。オスでしょうかね。またまたアトリ。左下がオス、右上がメス。結局、本日確認した鳥は、マガモ・オオタカ・キジバト(写真なし)・メジロ・エナガ・シジュウカラ(写真なし)・ヤマガラ・ヒヨドリ(写真なし)・ハクセキレイ・ツグミ・シロハラ・ウグイス(写真なし)・アトリ・スズメ(写真なし)・ハシブトガラス(写真なし)の15種類。もっと粘れば、まだまだ見られたでしょうけど。前回1月のときは、これに加えてカルガモ・コゲラ・ビンズイがいました。ところで、山歩きとバードウォッチング、かなり近いのに、実は相容れません。山は、体力のある限りひたすら歩く、速く歩く。カメラは標準~広角レンズ。バードウォッチングは、速く歩いちゃダメ。止まってじっとしていないと、小鳥の声も姿も分かりません。カメラは望遠レンズ。水鳥など大型の鳥はファインダーに捉えやすいですが、小鳥は動きが素早くて、ファインダーに捕らえるのは至難の業。時間をかけて、シャッターチャンスをうかがうしかありません。山登りしながらバードウォッチングなどした日には、山頂はるか以前に時間切れになることは確実です。
2017.03.05
コメント(0)

先日、アルゼンチン・サンバについて記事を書きました。今日は、現在アルゼンチンのフォルクローレではサンバと人気を二分するチャカレーラについて書いてみたいと思います。まずは、何はともあれ、チャカレーラとはどんな音楽か、聞いていただければと思います。時のチャカレーラ、歌っているのはスーナ・ローチャ。実は、曲の構成が非常に単純で、前奏-テーマ-間奏-テーマ-間奏-テーマ-テーマという構成で1番、これを2回繰り返す(1番と2番)だけです。たいていの場合、前奏と間奏は同じメロディーで、テーマ(1番の間に4回繰り返される)も同じメロディーなので、2種類の短いフレーズをただひたすら繰り返す。踊りを知らないと、自分が今どこを弾いているか分からなくなりそうです(笑)ただ、この曲は、最後のテーマ、つまりサビの部分だけメロディーを変えています。そういう意味ではチャカレーラとしては、ややイレギュラーです。メロディーとしては非常に単純ですが、チャカレーラのリズムは非常に独特のものです。譜面にすると6/8拍子で、このようになります。でも、これを「タンタカタン」と取ってはいけないのです。「カットカトッ」と取らないといけない。譜面にするなら、こう書いたほうがより分かりやすいでしょう。6/8拍子ですが、2拍子と3拍子が同時進行しています。2拍子(上記のカタカナ表記の「カ」の部分)は、ギターはカット、ボンボ(太鼓)は枠打ち、3拍子(同上「トッ」の部分)はギターは低音弦、ボンボは皮をたたくことで弾き分けます。で、サンバと同様に、このチャカレーラも本来は舞曲です。曲は、サチャペーラ(野生の梨)こんな踊りです。サンバ(及びその祖先筋のクエッカ、マリネーラ)と違って、ハンカチは使いません。両手を挙げて、指でリズムを刻みながら踊る。男性はサパテオ(靴さばき、タップダンスのようなもの)、女性はサランデオ(スカートさばき)が見どころです。通常のチャカレーラは前奏・間奏が6小節か8小節、テーマが8小節ですが、これは「チャカレーラ・ドブレ」と呼ばれる、間奏が8小節、テーマが12小節の、ちょっと長目のチャカレーラです。それでも、演奏時間は3分には届きません。チャカレーラはとても短い音楽で、普通は2分台の前半、2分を切る演奏も珍しくありません。サンバもそうですが、6/8拍子系の舞曲は踊りの構成(何小節で回転して、何小節でサパテオをして等々)がきっちりと定まっています。チャカレーラ・デル・ビオリン(バイオリンのチャカレーラ)踊っているのはタンゴダンサーのようです。チャカレーラは本来2番までしかありませんが、この音源は3番まであります。やはり、普通の長さのチャカレーラはたまりに短すぎるからでしょうか。アルゼンチンのダンス音楽といえばタンゴは有名です。タンゴも、広い意味ではフォルクローレ(民族音楽)の一種には違いないのですが、日本でもアルゼンチンでもタンゴとフォルクローレは別のジャンルとして扱われます。タンゴは、大都会であるブエノスアイレスで発展した音楽であり、一方フォルクローレは、田舎で発展した音楽です。前に紹介したサンパは、ペルーで生まれ、ボリビアとチリを経てアルゼンチンまで伝播した音楽(サマクエッカ、マリネーラ、クエッカ)の系統です。チャカレーラの方は、起源はよく分かっていないようですが、アルゼンチンのサンティアゴ・デル・エステーロで生まれたのは確かなようです。19世紀半ばにはすでに存在したようです。現在のアルゼンチンは、南米の中でも特に白人の比率が高い国ですが、そうなったのは19世紀末以降の話です。それ以前、特に首都ブエノスアイレス以外の場所では、メスティソと呼ばれる、白人と先住民の混血が人口の多くを占めていました。彼らの多くは牧畜に従事する漂泊民で、「ガウチョ」と呼ばれていました。サンバやチャカレーラはそういった時代と環境の中で誕生した舞曲です。実際のガウチョは19世紀の間に消滅していますが、その育んだ音楽は今に残っているわけです。踊り手の衣装、特に男性のそれは、ガウチョの衣装そのものです。サンバもチャカレーラも、6/8拍子なので、基本的にはスペイン起源の白人系音楽(南米先住民の音楽に3拍子系はない)ですが、そこにある程度先住民の影響が加わっています。もっとも、ボリビアの音楽ほどには先住民の血は濃密に受け継いではいません。いわゆるアンデスのフォルクローレで使われる、ケーナやサンポーニャ、チャランゴといった楽器は、アルゼンチンではフォルクローレと呼ばれる音楽の中でもかなりマイナーな存在です。ここまで紹介してきたYouTubeの映像でも、そういったアンデス・フォルクローレの楽器が使われている曲はほとんどありません。ラ・ビエハ(古きチャカレーラ)チャカレーラ・トゥルンカ(欠けたチャカレーラ)と呼ばれる、イレギュラーなコード進行の曲です。コード進行が普通の逆順で、それをフレーズの最後に強引にぶった切って終わらせています。チャカレーラ・デル・ランチョ(掘っ立て小屋のチャカレーラ)だいたいにおいて、スペイン語は早口で機関銃のような言葉ですが、とりわけチャカレーラの歌詞は、メロディーの中に「これでもか」というくらいの言葉を詰め込んでいます。ギターを弾きながらだと舌が回らないくらい。ギターを弾きながら歌詞を間違えずもつれずに歌うのは、結構難しいです。(サンバのほうがよほど簡単です)郷愁のチャカレーラところで、アルゼンチン・サンバに関してボリビア南部にも広がっていると書きましたが、チャカレーラも同じです。サンバは、元々ボリビアから伝播したクエッカから発展したものですが、ボリビア人に言わせると、チャカレーラもボリビア起源だ、ということになります。ボリビアのチャコ地方(もっとも、その多くは1920年代のチャコ戦争によってパラグアイ領になりましたが)の舞曲だからチャカレーラだ、というわけです。ただ、これはちょっと苦しい説明だろうなと思います。とはいえ、ボリビア、特にその南部でも盛んな音楽であることは確かです。0分50秒付近からチャカレーラ2曲のメドレー。その後ハンカチを振りながら踊っているのは別の音楽(クエッカ)です。曲名は、「エスタンパ・チャケーニャ(チャコの風景)」となっていますが、オリジナルのタイトルは違うと思われます。ボリビアのチャカレーラは、それほど詳しくないので。音楽的には、ボリビアのチャカレーラはアルゼンチンとまったく同じですが、踊りの構成が若干異なるようです。なお、チャカレーラとリズム的にはほとんど同じで、構成が若干違うだけの部局がアルゼンチンにはたくさんあります。たとえばガトガトは猫のことです。手のしぐさが猫に似ている、というのですが、それを言えばチャカレーラも同じかも・・・・・・。エスコンディードエスコンディードとは、スペイン語でかくれんぼのことです。レメディオリズムはチャカレーラと同じですが、振りながら踊ります。つまりサンバやクエッカとチャカレーラの折衷のような踊りです。マランボチャカレーラそのほかの踊りの核心部であるサパテオ(靴さばき)の部分だけを踊りにしたものです。ガウチョが馬のひづめの音を真似て遊んだのが始まり、なのだと思います。見よう見まねでやると足を捻挫してしまいます。(足をひねっているときは、必ず反対の足に重心をかけている)伝統的には、この映像のように男性だけの踊りです。今は女性も踊りますけど。「曲」というものはなくて、通常はギターでC-D7-Gというコード(別の超でも構わないですが)でストロークを刻んでいるだけです。その上に、このように即興のメロディーが乗っかることもあります。おまけチャカレーラです。ギター(ストローク)弾いているのは私、2番目に紹介した曲と同じサチャペーラという曲です。ちなみに、私はギターは弾けますが(ストロークしか出来ませんけど)、踊りは踊れません。踊りに関しては、耳学問です。
2017.03.04
コメント(2)
白骨化遺体に結核蔓延…西成あいりん地区ホームレスの絶望(上)白骨化遺体に結核蔓延…西成あいりん地区ホームレスの絶望(下)長いので引用は避けますが、釜ヶ崎(大阪市西成区)の現状についてのルポです。聞きしにまさる、とはこのことでしょう。度々生活保護関係の情報を教えてくれる、福祉事務所関係者の知人も、東京の住人なので、さすがにここまでの状況は経験がないようです。ドヤ街と言えば、東の山谷、寿町、西の釜ヶ崎と言われますが、保護率(人口に占める受給者の割合)は、山谷のある東京都台東区が4%台(東京の中では最も保護率は高い)、寿町のある横浜市中区が6%台に対して、大阪市は全体で5%台。大阪市全体で東京の台東区より保護率が高いのだから驚きですが、西成区に限ると、25%にも達します。ところが、記事を読むと、人口の25%にも達する保護受給者※ですら、実は西成の中では比較的恵まれた立場であるようです。※統計上は人口の25%なのですが住民の25%が保護を受けているという表現は不正確でしょう。全国から要保護状態の人たちが集まった結果そのような数字になったので、分母である人口は住民の数なのに対して、分子である受給者の相当部分は住民ではない住所不定者ですから。路上生活者の多くは、病気や怪我になったら医者にかかるという発想がない、犯罪にあったら警察に届けるという発想がない、そして、生活の困ったから生活保護を受けるという発想もない、というわけです。もっとも、以前知人から聞いた話を総合すると、この話は全面的に真に受けてよいのかどうかは分かりません。知人によると、いわゆる住所不定者の大半は、たいていの場合、それまでの人生で、一度は生活保護を受けた経験がある(と思われる)のだそうです。ただ、それを簡単には認めない人も多いようですが。彼らはたいていは無償低額宿泊所とか、厚生施設などに入所することになります。しかし、そのような施設は集団生活であり、起床、就寝、食事時間など時間の決まりがあり、当然飲酒は禁じられています。その暮らしに耐えられないと感じる人は、すぐ出て行ってしまうようなのです。それで生活保護は打ち切りになり、「もう生活保護なんてこりごり」となっている人が、相当の割合を占めるようです。もちろん、程度は様々で、1度保護を受けてもう二度と、という人もいれば、普段は路上にいて、金がなくなったり健康を害したときだけ福祉事務所へ、という人もいれば、自称「路上生活」でも、実際はA市で失踪して保護打ち切りになると翌日にはB区の福祉事務所へ、なんて人も少なくないそうですが。おそらく、ですが、路上生活者、住所不定者の中には、知的障害か精神疾患、あるいはその両方を持っている人が相当の割合を占めるのだろうと思います。リンク先の記事には、路上生活者に高卒以上はほとんどいない、とあります。これは、知人の感触ともかなり一致するらしいです。路上生活者の学歴については聞いたことがありませんが、生活保護受給者全般に、中卒率がやたらと高い、4割か、下手すると5割超えるかも、という話を聞いたことがあります。路上生活者に限れば、その割合が更に上昇するであろうことは想像に難くありません。必ずしも西成に限らないですが、生活保護費をもらった途端、それをお酒に替えてしまう、パチンコ屋に走ってしまう、その他諸々の不摂生な生活を送る生活保護受給者の姿が、批判的に報じられることがあります。確かに、そのような生活保護受給者の姿は、納税者から見れば腹が立ちます。ただ、引用記事にあるような生活をしてきた住所不定者が何らかの事情で生活保護を受けたとしても、そういう暮らししかできないことは、ある意味当然です。モラルの問題というより、能力の問題です。病気なのです。それも、死に至るまで治らない不治の病です。比喩ではなく、アルコール依存症は癌より死亡率が高い、とも言われます。怠惰になりたいと思って怠惰になる人、依存症になりたいと思って依存症になる人、精神疾患になりたいと思って精神疾患になる人はいません。もって生まれた資質や環境(親や家族の生活)によってそうなってしまうのです。それを「けしからぬ」といっても、がんになった人を「けしからぬ」というのと同じくらい、言ってもどうしようもないことです。しかし、こういう状況になってしまった人を救うのは、非常に困難です。病院に行く発想がない、体調が悪ければ酒で治す、という人を、まともな社会生活が送れる状態に戻すことは不可能です。ごく若いうちならともかく、そのような生活で40代50代に至ってしまった人は、残念ながら社会生活能力が「ご臨終」になっています。末期がんがどうにも治せないのと同じように、こういう状況に至ってしまった人の社会生活能力を生き返らせることは、不可能です。前述のように、そのような状態に至った人が生活保護を受けたところで、施設の規則を守ることができないから、すぐに失踪したり指示違反で、保護は打ち切りになるか、死亡廃止になるか、いずれにせよ、こういう状態の人が安定的に、長期間生活保護を受け続けることは困難なようです。紹介記事にも、西成区の死亡率の突出した高さが示されていますが、多分それは、生活保護を受けている人に限っても同じでしょう。なお、程度の差はあっても、山谷や寿町も、状況はそう大きくは変わらないでしょう。私は、寿町は行ったことがないけれど、山谷は数回行ったことがあります。南千住の駅前や大通りは、再開発でとても綺麗になっていますが、住んでいる人の中身は同じですから、朝っぱらから路上でたむろして酒盛りをしている集団がいたりして、やはり異様な光景と思います。まことに残念ながら、このような状況を、すぐに改善する、というのは不可能なことのように思います。対症療法で何とかなることではない、大元から、つまり、路上生活者が路上生活者になる前、もっと言えば、子どもの頃からの支援体制を何とかしないと、社会生活能力がご臨終になった後では、何をどう変えることもできないのが現実でしょう。それにしても、西成での結核の蔓延ぶりも恐ろしいものを感じます。以前に比べると少し下がったのだそうですが、それでも383.7(元記事には単位がありませんが、人口10万人当たりの数字です)。2010年にはそれが600を越えていたとのことです。世界最悪の結核蔓延国ジンバブエとほぼ同水準、現在の数字でも、アフリカの、結核罹患率の非常に高い国々と互角の状態です。しかも、生地の様子から察するに、表面化しない潜在的な結核患者がそれ以外にも相当にいるのではないかと思われます。(もっとも、それはアジアアフリカの発展途上国も同様かもしれないですが)話は変わりますが、昔、「じゃりんこチエ」という漫画がありました。私は原作漫画は読んだことがなくて高畑勲監督の劇場アニメを見たことがあるだけですが。当時は何も知らずに面白いと思って見てましたけど、少し前にYouTubeに上がっているのを見て(もう削除されています)、ドキッとしてしまいました。これって、まさしく西成が舞台です。いやー、もう単純に笑えない。現実には、チエのような環境に育って、チエのようにまともで強く育つ子ばかりではない、というより、そうならない子の方が多いはずですが、チエはグレて不登校になり、家でを繰り返して万引きして児童相談所から児童養護施設に入所しました、では漫画にならない(別ジャンルの話にはなりそうですが)ですからね。
2017.03.02
コメント(4)

サンバというと、たいていの人がブラジルのカーニバルの音楽を連想すると思いますが、実は、アルゼンチンにもサンバと呼ばれる音楽があります。と言っても、ブラジルのサンバとは、そもそも綴りが違います。ブラジルのサンバはSambaであり、アルゼンチンのサンバはZambaです。(中南米のスペイン語では、SもZも発音は同じですが、スペインでは発音が区別されますし、ポルトガル語ではZは英語と同様にザ行音なので、明確に異なります)音楽的にも、両者はまったく異なったものです。論より証拠、ではありませんが、アルゼンチンサンバがどういった音楽か、まずはお聞きいただければと思います。サンバ・デ・バルガスという曲です。記録のある最古のアルゼンチン・サンバがこの曲だ、ということになっています。1906年に発表された曲です。実際には19世紀からサンバと呼ばれる舞曲はあったのですが、録音も譜面もないので、今には伝わっていません。上記の演奏は踊りがありませんが、本来的にはアルゼンチン・サンバは舞曲です。ロサーノのサンバこのように、男女がペアになって、ハンカチを振りながら踊ります。この舞曲は、大元はペルーで19世紀半ばに起こった「サマクエッカ」(19世紀末にマリネーラという名前に改称される)がチリとボリビアに「クエッカ」という名前で伝わり、それが更にアルゼンチンまで広がったものです。各国、各地域ごとに踊りのスタイルや衣装は若干異なりますが、男女のペアがハンカチを振りながら踊る、という基本は共通です。個人的には、ボリビアの主都ラパスのクエッカと、アルゼンチンのサンバは、メロディアスな曲が多くて、とても好きなのです。音楽としてはどちらも大好きなのですが、踊りの洗練度はアルゼンチン・サンバの方が上かなと思ってしまいます。以下、思いつくままにアルゼンチン・サンバの名曲を(踊りつきの映像も、そうでない映像も)挙げてみたいと思います。ハンカチを振りながらそのものズバリ、ハンカチを振りながら踊る様子を歌にした曲です。あなたへのサンバアルゼンチンを代表する作曲家、アリエル・ラミレスは、サンバの名曲を何曲か作っていますが、そのうちのひとつです。サンバ・デ・アモール・エン・ブエロきれいな翻訳が思い浮かばなかったので、カタカナにしてしまいましたが、「空を舞う愛のサンバ」くらいの意味になるでしょうか。女性歌手タマラ・カストロの代表曲だったのですが、34歳の若さで亡くなってしまいました。コンサートツアー中の交通事故でした。踊りの上手い人は、普段着で踊っても映えるものですねえ。亡くなったタマラ・カストロを偲び、本人の自演も。(子どももいたのに、ご主人も一緒に亡くなってしまったのです)トゥクマンの月巨匠アタウアルパ・ユパンキの代表曲。多分、サンバの名曲を1曲だけ挙げるとするなら、一般的にはこの曲があげられるのだろうと思います。しかし、わたしは個人的には、サンバの代表曲を1曲だけ挙げるとしたら、こちらを取ります。アルフォンシーナと海ただ、この曲は、踊り向きの曲ではないですけれど。(踊りではなく歌で聞かせるサンバを「サンバ・カンシオン」などと呼ぶこともあります。)カーニバルの香り現在のアルゼンチンのフォルクローレ界を代表するミュージシャンであるペテコ・カラバハルの曲。おまけラ・ノチェーラ私の友人たちの演奏と踊りです。ちなみに、前述のとおり、アルゼンチン・サンバはボリビアから伝わってきたクエッカから発展した舞曲ですが、それが逆流してボリビア南部にも広がっています。アルゼンチンには、もうひとつ、チャカレーラという舞曲があります。これについても、そのうちに気が向いたら紹介するかもしれません。さらにもうひとつおまけ日本にも、アルゼンチンサンバを原曲とするヒット曲があります。灰色の瞳元々、長谷川きよしと加藤登紀子のデュエットで知られた曲ですが、こちらの版の方が、ギターの弾き方がアルゼンチンサンバに近いので(それでも、どことなく違いますが)。
2017.03.01
コメント(0)
全19件 (19件中 1-19件目)
1