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何回目か忘れましたが、今月更に2回、葛西臨海公園に行ってきたので、鳥の写真をアップします。最初は、小雨模様の悪天候の日モズ。百の舌を持つ鳥、何でそういう漢字をあてるようになったのかは知りませんけど。シロハラ。最近は鳥を見に行く度に毎回この鳥の写真をアップしているような。アオジ。目の前に出てきたので、どアップで写真が撮れました。コガモ。以前に逆光の写真をアップしましたが、やっと色がちゃんと分かる写真がアップできました。チュウヒ。タカの仲間の猛禽類です。ダイサギ。タシギ、だと思います。アオアシシギでしょう。シギの仲間はなかなか区別が難しいです。アオサギ。で、次は晴天の日に行きました。スズガモ。もう4月下旬ですが、だいぶ数が減ったとはいえ、まだまだカモ類はたくさんいました。カンムリカイツブリ。完全に夏羽になりました。カンムリカイツブリのペア。多分、右がオスで左がメスでしょう。コアジサシ。カモメの仲間です。カモメ類の多くは日本では冬鳥ですが、この鳥は夏鳥です。たくさん飛んでいました。チュウサギと思います。コチドリ。千鳥足などと言いますが、実際の千鳥は、よろよろ歩いているわけでは、もちろんありません。アオアシシギ。悪天候時のよりもだいぶ鮮明に写りました。カメラからの距離も近かったし。これもアオアシシギ。コサギ。今日の記事は、大中小サギとアオサギがそろい踏みです。で、今日は明治神宮に行ってきたのですが、もう冬鳥の大半は去っている上に、新緑がきれいで、ということは鳥の姿は木の葉に阻まれて探しにくくなってしまい、ろくな写真が撮れませんでした。野鳥には、夏鳥も冬鳥も、もちろん留鳥もいますが、おそらく関東以南の都市部では冬鳥のほうがずっと種類が多いのではないかと思います。水鳥は間違いなくそうですし、陸鳥も、どちらかというと冬鳥のほうが多いでしょう。加えて冬は落葉樹の葉が落ちるので、野鳥観察はどちらかというと夏場より冬場の方がシーズンです。特に、真夏(6月から8月)は、野鳥観察にはもっとも適さない時期(東京などの温暖地では、です)じゃないかと思います。
2017.04.30
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初めて一眼レフ(フィルムの)を購入したのが1999年でした。当初はカメラとレンズのセットを使っていましたが、このときのカメラ(Cannon NEW EOS KISS)もレンズ(EF28-80mm F3.5-5.6)も、売り払ってしまい、もう現存していません。その後、レンズが少しずつ増えていき、カメラの本体はEOS7(まだフィルムカメラ)に変わり、昨年2月、とうとうデジタル一眼レフ(EOS Kiss X7i)に移行しました。(左側がEOS Kiss X7iで、右側はフィルムカメラのEOS7です)手元には5本のレンズがありますが、そのうちの1本はまったく使っていないので、残りの4本で撮り比べてみました。その4本とはタムロンのSP AF 17-50mm F/2.8 XR Di II LD Aspherical [IF] (Model A16)昨年、デジタル一眼レフと一緒に購入しました。カメラ本体は中古ですが、このレンズは中古の在庫がなく、新品を購入しました。現在は最安値2万1千円台ですが、昨年2月当時は1万9千円台でした。キヤノンの一眼レフのキットレンズより、広角側が1mm広く、全域f2.8と明るく、その代わり若干重いレンズです。発売は2006年。もっぱら常用しているレンズがこれです。写真撮影にはもってこいなのですが、AFの際の動作音が大きくて、動画撮影には向きません。(動画に、作動音が入ってしまうので)キヤノンEF24-85mm F3.5-4.5 USM確か2001年に買ったように記憶しています。フィルムカメラで撮影した山の写真は、大半がこのレンズで撮影しました。フィルムカメラ用としては、結構広角ですが、APS-Cサイズのデジタル一眼レフ用としては、やや広角側が足りません。それでも、このレンズは現在でもよく使っています。前述のタムロンのレンズは作動音がうるさいけれど、このレンズは動作音がほとんどないので、動画撮影用にはもってこいなのです。発売は1996年で、すでに生産終了になっています。2001年当時、いくらで購入したのか、まったく記憶がありません。中古品は今も1万2千円くらいで売られているようです。キヤノンEF50mm F1.4 USM室内で子どもの写真を撮るようになると、f3.5のズームレンズとISO100か400のフィルムでは、暗くてまともな写真が撮れません。なので、f1.4という明るい単焦点レンズが必要になりました。子どもが生まれた直後の2003年に中古で購入しました。発売は1993年ですが、四半世紀近く経った現在も販売中です。現在の新品価格は4万円前後のようです。前述のとおり、子どもが小さいときは、家の中で撮った子どもの写真はほとんどこのレンズを使っています。しかし、50mmという焦点距離は、フィルムカメラには使いやすいのですが、デジタル一眼レフ(APS-Cサイズ)には、家の中では望遠過ぎて使いにくく、最近はあまり出番がありません。たまにフィルムカメラを持ち出すときだけ使っています。キャノンEF-S55-250mm F4-5.6 IS STM去年購入した、デジタル一眼レフ用の望遠レンズです。ダブルズームセットなどに付いているレンズですが、これは中古品です。1万9千円くらいでした。今では、新品でもそれより安いようですが。飛行機の写真や鳥の写真はこれで撮影しています。赤帯レンズとか白レンズと俗称される高価なレンズは持っていません。高価なレンズは重いので、山に持っていけないからです。というわけで、比較的安価な価格帯のレンズばかりですが、古いものから新しいものまで4種類で撮り比べてみました。被写体はこちらです。この写真はタムロン17-50mmF2.8で焦点距離50mm、f4.5で撮影したものです。以下、すべて焦点距離は50mm(EF-S55-250mmを除く)、ISO感度は100で統一してあります。この写真の中心部を等倍で表示すると、こうなります。f4.5f8 多分、この辺りの絞りが一番鮮明でクリアに写るのではないかと。このレンズのf値は2.8ですが、2.8まで絞りを開けると、かなりボケボケ(あるいは、被写界深度が極度に浅い)になってしまうので、実質3.2からしか使っていません。もっとも、山で撮影するのに2.8や3.2はまず使いませんけど。f2.8まで絞りを開いてみます。ピクセル等倍ではかなりぼけてます。等倍でなければ、まあ分からないですけど。f16、逆にここまで絞っても、やはり画質は下がります。続いて、EF24-85mm F3.5-4.5 USMを焦点距離50mmで撮影。f4.5、この焦点距離では絞り最大開放でこのf値になります。タムロンのレンズの同じf4.5に比べると、わずかに描写が甘いでしょうか。f8で撮影。単焦点のEF50mm F1.4 USMf4.5f8単焦点なので画質はよい、とされていますが、どうでしょう。EF24-85mmよりは少し鮮明なように思いますが、タムロン17-50mmと比べるとどうでしょう。わずかに鮮明かな、とは思いますが、決定的な差とは感じません。f2.5、本来このレンズの絞りはf1.4ですが、晴天の屋外なので、ここで、シャッタースピードが1/4000秒の性能上限に達してしまい、これより開放での撮影はできませんでした。続いて番外EF-S55-250mm F4-5.6 IS STM。このレンズだけ、画角60mmで撮影しています。55mmで撮影したつもりが、間違えていました。f4.5f8こうやって見比べてみると、設計が古いレンズ、新しいレンズ、ズーム、単焦点、多少の描写の違いはあり、あえて言うとEF50mm F1.4≧タムロン17-50mmF2.8>EF24-85mm F3.5-4.5となるかなと思いますが、決定的な優劣はないように思えます。ただ、今回の撮り比べでは差はわずかでしたが、EF24-85mm F3.5-4.5だと、撮った写真のピントが甘いなと思うことが(特に晴天の屋外以外の場面では)、より新しいタムロンのレンズより多いように感じます。あと、今回は中心部だけで比較しましたが、周辺部の画質は、古くて安いレンズほど悪くなる傾向はあるようです。前述のとおり、フィルムカメラの時代には50mm単焦点をよく使っていましたが、デジタル一眼では50mmは使いにくいので、もう少し広角の単焦点レンズが欲しいな・・・・・、などと言っていると、レンズが際限なく増えていくことになってしまうので、気をつけることにします。5本だって充分多いのに。
2017.04.29
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今村復興相、辞任へ 大震災「東北で良かった」と発言今村雅弘復興相が25日夜、所属する自民党二階派のパーティーで講演し、東日本大震災について「これは、まだ東北で、あっちの方だったから良かった。もっと首都圏に近かったりすると、莫大な甚大な被害があったと思う」と述べた。直後に撤回したが、同日夜、辞任する意向を固めた。安倍晋三首相は、後任に自民党の吉野正芳・元環境副大臣を起用する。今村氏は今月4日の記者会見でも、原発事故の自主避難者が故郷に戻れないことを「本人の責任」と発言。質問した記者に対して「出て行きなさい」などと言って質問を打ち切るなどし、激しい批判を浴びたばかりだった。萩生田光一官房副長官は25日夜、国会内で自民党の竹下亘国会対策委員長と会談し、今村氏が辞意を固めたことを報告した。二階俊博幹事長も記者団に、今村氏から「辞任したい」との電話連絡があったことを明かし、「辞表提出はやむを得ない」と語った。民進党は、「共謀罪」法案を審議している衆院法務委員会などすべての委員会について、26日午前の開会に応じない方針を固めており、国会運営が大きく混乱する可能性がある。(以下略)---引用記事のとおり、今村大臣はすでに辞任(事実上更迭)しましたが、この人の就任以来の言動は、いろいろな意味でダメを積み重ねてきました。記者から自主避難者について執拗に質問されて逆ギレし、「自主避難者は自己責任」と主張したのは、ついこの先日のことです。それからたいして日をおかずに、この発言です。これがそこらの床屋政談ならいざ知らず、復興担当大臣という立場で、2万人近い犠牲者を出した巨大災害を、「まだ、東北でよかった」などと言ってのけられる神経、それが他人に指摘されるまでは暴言だと気が付かない鈍感さは、信じ難い限りです。ちなみに、東日本大震災では、東京に限っても7名の死者が出ています。更に、千葉と茨城で各20名以上、栃木、群馬、神奈川でも死者が出ており、関東地方全体では60名以上の死者・行方不明者が出ています。私の記憶する範囲では、東京で地震による死者は、これ以前は久しくなかったと思いますし、関東全体としてもこれほどの犠牲者数は、関東大震災以降あったかな?と思います。東北の惨状とは比較にならないにしても、「よかった」などと言えるほど平穏無事な状況では、あのときはありませんでした。それにしても、今回はついに大臣更迭に至りましたが、安倍政権の閣僚、政府中枢にいる連中の暴言、失言は実に多い上に、そのほとんどは、放置状態です。特に、イデオロギーがからむ内容だと、絶対に辞任などしないですね。何しろトップである安倍自身が暴言癖を持っていますから。もちろん、今村大臣の暴言は論外であり、辞任は当然です。が、辞任すべきは今村だけなのか。安倍自身、というのはひとまず脇に置くとして、稲田朋美大センセイは、とても防衛大臣の任に耐える人材ではないと思うのですが、いつまで防衛大臣を続けさせるのでしょうか。その稲田は、ゴールデンウィーク中は東南アジアに外遊の予定だと聞きます。えっ?北朝鮮情勢が深刻なのではなかったの?その真っ最中に、防衛大臣が外遊ですか?この意味するところは、要するに、政府を挙げて「北朝鮮の脅威」を煽っているけれど、実はたいした危機ではない、ということでしょう。そうでないとしたら、そんな情勢下に外遊なんて、重大な職務放棄と言わざるをえません。
2017.04.27
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<仏大統領選>EU分断、予断許さず 2氏の決選投票にフランス大統領選の第1回投票が23日に行われ、即日開票の結果、EUとの協調を訴える中道・独立系のエマニュエル・マクロン前経済相が首位、EU離脱や「反移民」を掲げる極右政党・国民戦線(FN)のマリーヌ・ルペン党首が2位となった。いずれも過半数に届かず、両氏は5月7日の決選投票に進む。マクロン氏が開かれた欧州の統合推進を訴え、移民の受け入れにも寛容な姿勢を示すのに対し、ルペン氏はEU離脱を問う国民投票の実施のほか、厳しい移民制限を掲げる。決選投票はEUの命運を左右する選択となり、予断を許さない。今回大統領選は政治体制「第5共和政」が始まった1958年以来続いてきた保革2大勢力の候補がそろって敗れ、伝統的な対立構図が崩れた。FN史上最多となる約765万票を獲得したルペン氏は、地盤の北部エナンボーモンで23日夜、「歴史的な結果だ」と躍進に自信をみせた。一方、史上最年少の大統領を目指すマクロン氏はパリで「フランスと欧州に希望をもたらす」と訴えた。親EUの立場を取るが共に敗れた中道右派で共和党のフランソワ・フィヨン元首相と、左派候補で社会党のブノワ・アモン前教育相がマクロン氏支持を表明した。現職のオランド大統領も24日、マクロン氏への投票を呼びかけた。急進左派で左翼党のジャンリュック・メランション元共同党首は反EUの立場だが、決選投票での支持候補を明らかにしておらず、公約にルペン氏の主張と重なる部分が少なくないため、支持票がルペン氏に流れる可能性がある。---ルペンの躍進は予想されてはいたものの、首位にはならなかったという意味では予想の範囲を超えるものではなかったようです。社会党の候補者が得票6%と、極めて悲惨なことになったことは衝撃的ですが、オランド大統領の不人気ぶりからは、そうなることは予想できたことです。社会党公認候補という意味では史上最悪の得票ですが、首位となったマクロンと惜しくも決選投票には進めなかった急進左派のメランションは、社会党から離党した人物です。したがって、社会党「出身」という意味では、その勢力は依然として大きいと言えます。一方、「中道右派」の候補者フィヨンは、実のところかなり右寄りな主張の持ち主であり、もしマクロンとフィヨンの順位が逆だったら、右翼と極右の決選投票という絶望的な状況になるところでした。二人の得票を合計すると41%ですが、もう一人右派系の候補者ニコラ・デュポン=エニャンが5%近い得票率を得ているので、これらを合計すれば50%に迫るところです。決選投票の帰趨は、現状ではおそらくマクロンが優勢と思われますが、米国のトランプの例もあるので、確実なことは言えません。記事ではメランション支持層がルペンに流れる可能性を指摘していますが、それを言えばフィヨンも、本人はマクロン支持を表明しているものの、支持層がどちらに流れるかは即断できません。私は日本人なので、当然フランスの選挙に投票することはできませんが、もし自分に選挙権があったとして、もちろんルペンには絶対票は入れないでしょうが、マクロンに入れるかどうかも少々微妙なところはあります。まあ、それでもルペンよりはどれだけマシか分からないですけどね。
2017.04.25
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日弁連の左翼的政治活動を黙認するな 「日弁連意見書」の実態…「詐欺同然」と言いたくなる日本テレビ系「行列のできる法律相談所」の出演者として有名な北村晴男弁護士は9日、ツイッターで以下のようにつぶやいた。《弁護士になりたくて頑張った。弁護士会に入らないとなれないので、入会した。多額の会費も払い続けている。すると、会や会長の名前で意見書や声明が出される。中には、共産党や社民党等の主張にそっくりで、自分の主張と真反対なものがよくある。「俺は政党に入ったんじゃ無い!」と叫びたくなる。》(夕刊フジ)このツイートは話題を呼び、短期間で1万回以上もリツイートされた。私は以前から、日本弁護士連合会(日弁連)による左派偏重の政治活動を批判してきたが、日弁連への入会を義務付けられた日本の弁護士が、北村氏の主張を支持するには勇気がいるようだ。~日弁連のウェブサイトを見ると、会長声明・意見書等の中に「最新の意見書」というコーナーがある。「いわゆる共謀罪を創設する法案を国会に上程することに反対する意見書」、「本国憲法に緊急事態条項(国家緊急権)を創設することに反対する意見書」などが掲載されている。~これらの政治的問題は世論が鋭く対立している。新聞の社説なら分かるが、日弁連の意見書や会長声明に世論誘導の意図が読み取れるのは問題だと思う。~執行部の暴走を黙認してきた弁護士にも道義的責任がある。弁護士業が多忙なのは分かるが、自分が所属する組織内の正義も追及してほしい。---極右系の弁護士が、日弁連の「左翼的」な政治活動は許せない、と吹き上がっているわけですが、それを言うなら私だっていいたいことがあります。私は生まれたときから日本人で、多額の税金も払っていますが、時の政権の政策や主張は私の主張とは正反対のものばかり。とりわけ安倍政権になってからは特にそうです。嫌だからと日本人をやめることは、弁護士会を辞めること以上に不利益が大きいので、事実上できません。でも、そんなことを言ったって、自民党・安倍政権は選挙に勝って政権に就いたんだから、仕方がないよね。もちろん、選挙に勝ったから何でもあり、ではないし、選挙に勝った相手だから批判しちゃいけない、とも思わないけれど(だから、当ブログでは毎度口を極めて安倍政権を批判している)、根本的には選挙で安倍政権を負かさないと政策は変わらない。日弁連もそうです。日弁連の政治的主張が嫌だと。ならば、「政治的主張反対」か、更に踏み込んで「共謀罪賛成、安保法制推進」か知らないけれど、そういう主張を掲げて会長選挙に出ればよいのです。ケント・ギルバートは日本での弁護士資格はないのかも知れませんが、北村弁護士は選挙に出る資格はあるのでしょう。北村弁護士自身でなくても、その主張に賛同する誰かが出ればよいのです。日弁連会長の任期は2年、過去に会長の2期目に出馬した人は一人だけいますが(宇都宮健児弁護士)再選はされませんでした。そして、候補者が一人だけの無投票当選も、過去になかったと思います。出ても会長に当選できない、まして出馬する気もないとするなら、そういう主張は弁護士の中では少数意見ということですから(そういう主張への賛否を投票の基準とするかどうか、ということも含めて。多分弁護士会的には、司法制度改革への対応など、他にも重要な問題はあるのでしょうから)、仕方がないんじゃないですかねえ。まして、ネトウヨメディアという外圧を使って「左翼政治活動たたき」とは、弁護士の自治の風上にも置けない、としか言いようがないでしょうね。
2017.04.24
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先日、夏用の登山靴のソールを張替えました。8年半使って、かなり磨り減っていたのですが、ソールだけ新品になりました。靴も新品にしようかと思ったのですが、足になじんだ靴を取り替えるのは大変だし、新品よりはソール張替えのほうが安上がりです。それでも1万7千円もしましたが。で、さっそくどこか山に行くことにしました。いろいろ考えたのですが、谷川岳に行くことにしました。1月にも登りましたが、今回は山頂ではなく、麓からマチガ沢と一ノ倉沢を見上げるのがいいかな、なーんてプランを立ててみました。今回は全部各駅停車で、東京から往復330km以上をすべて各駅停車でという、のんびり山旅です。以前にも紹介したことがありますが、土合駅下り線ホーム。462段の階段を上る、「日本一のモグラ駅」です。今回は、このホームでケーナも吹いてきましたよ。猛ダッシュで登りました。地上の駅舎。さすがに4月も下旬なので、雪もだいぶ減りましたが、それでもまだ残っています。予報では晴れだったはずですが、曇りで時折雨もぱらつきます。(短時間の小雨程度でしたが)谷川岳ロープウェイ。1月に来たときは、これを使って山頂に行きましたが、今回は上には登りません。ロープウェイの麓駅からさらに先を目指すのです。が・・・・・・いきなり登山終了のお知らせです。除雪作業のため立ち入り禁止。が、あきらめるのはまだ早い。この道に平行して、もう1本の道があるのです。引き返してそちらに向かうことにしました。が・・・・・・雪解け水で川が増水して、橋が水没中。行って行けないことはないかな、とも思ったのですが、水流はかなり激しく、水深が読めず、流されたら最悪です。渡れたとしても足がずぶ濡れになるかもなー(厳冬期とは比較になりませんが、東京よりはずいぶん寒いです)、渡り切っても踏み跡がなかったら多分迷うだろうなあ・・・・・・、引き返すときもう一度渡るし・・・・・・。というわけで、ここも断念。結局、やっぱり登山終了です。が、さらにがんばって、マチガ沢と一ノ倉沢見物は断念して、谷川岳のとなりの山である白毛門に向かってみることにしました(去年の1月に登りましたが)。もっとも、元々本格的に登る予定ではなかったので、土合駅到着は10時、この時点で時刻は11時過ぎで、もう絶対山頂まではたどり着けない(というか、軽アイゼンしかもって来ておらず、ピッケルがないので、元々登れるわけがない)のは明らかでしたが。橋への下りが結構大変でした。アイゼン付ければ問題なかったけど、出すのが面倒で。で、結局この橋は渡ったものの、その先は10分も登ったところでで今日の行動は終了。だって、どう考えても視界のあるところまで登るのは無理だったし、アイゼン出すのが面倒なので急坂がちょっとね。例によってケーナとサンポーニャを持っていったので、その場でみっちり1時間練習。元々、今日はガツガツ登る予定ではなかったので、まあ仕方ないか。午前中は曇りで、時に小雨も降る天気でしたが、お昼を食べていたらだんだん明るくなってきました。でも、やっぱり北の朝日岳の方向はガスに閉ざされたまま。利根川の源流です。土合駅まで戻ってときました。白毛門方面は晴れています。白毛門も上の方はまだ雪がたっぷり。でも、下のほうはだいぶ溶けてきています。土合駅の駅舎の前に、オオルリがいました。水上駅まで戻ってきたら、蒸気機関車が来ていました。一瞬、SL列車に乗ろうかと(指定席がまだ残っていれば)思ったのですが、高崎まで2時間もかけて走るので断念、普通の各駅停車にしました。水上では、桜がやっと咲きはじめたところでした。まあ、今日はやや残念な結果でした。次回はゴールデンウィークにリターンマッチ!
2017.04.22
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ペンス氏「平和、力でもたらす」安倍晋三首相は18日、米国のペンス副大統領と公邸で会談した。ペンス氏は、核・ミサイル開発を強行する北朝鮮への対処に関し「平和は力によってもたらされる」と述べ、一層の圧力強化で解決を目指す姿勢を鮮明にした。両氏は、6回目の核実験や弾道ミサイル発射など、北朝鮮によるさらなる挑発行動の阻止に向けた連携強化で一致。中国の役割が不可欠だとして、影響力を行使するよう働き掛けを強める方針も確認した。ペンス氏は、北朝鮮問題解決へ米大統領は日本と韓国、中国と連携する決意だと説明。「中国には同じ行動を取ってもらえると期待」と述べ、国際社会による圧力強化の重要性を強調した。---私は、北朝鮮の核開発を是とするものでは、もちろんありません。大問題に決まっています。ただ、北朝鮮は何故核開発にこだわるのでしょうか。それはもちろん(彼らの主観では)身を守るためです。核を手放したら、たちまち米軍と韓国軍に攻め込まれてしまうかもしれない、中国も助けてくれないかもしれない-多分、そう思っているのではないでしょうか。「身を守る」対象が、北朝鮮という国なのか、そこに住む人々なのか、それとも金王朝と呼ばれる特権階級の人々だけなのかは一考の余地はありますが、ともかくも、彼らは彼らなりに、核という力がなければ平和は守れないと思って、ここまで来てしまったのです。私も、もはや「平和を守るためにはすべての武器を放棄して非武装国となるべきである」と信じるほどには「空想的平和主義者」ではなくなってしまいました。まったく力がなかったら、平和と独立を守ることは難しくなります、残念なことですが。しかし一方で、平和は力でもたらされるという路線もまた、それは北朝鮮のやっていることと、本質的にはあまり変わりがないと言わざるを得ません。力による平和というのは、相手より強い力をもっていなければ成り立ちません。力が衰えたとたんに平和は失われる、ということになります。無理もするし、とても疲れます。その究極的な姿は、たとえば北朝鮮であり、あるいはイスラエルでしょう。日々パレスチナとの間で紛争が絶えず、テロと報復の応酬と民族的な憎悪、どう考えても、心楽しく平穏な社会とは思い難いものがあります。言ってみれば、恐怖による平和のようなものですから。しかも、その路線でイスラエルは百年千年の安全が保障されているか?どう考えても無理だろうと思わざるを得ないのです。要するに、ごく簡単に言えば「力による平和」路線はどう見ても持続可能とは思えないのです。日本は平和ボケだと揶揄されることがありますが、では、平和ボケとは対極にあるイスラエルと、どちらのほうが生きやすいでしょうか。一長一短はあるでしょうが、少なくとも私は、テロにおびえたり兵役で戦争に行かなければならないイスラエルではなく、日本(もちろん、戦後の日本です)に生まれてよかったと、心の底から思います。もちろん、それは程度の差でしかない、という側面もあります。平和ボケと言っても、日本も何の力も持たずに平和を保ってきたわけではありませんし、これからもそうでしょう。が、それでも大筋の傾向として、最小限度の力は維持しつつも、それに頼るのではなく、対話と譲り合いを基調とする路線を選んできたから、「平和ボケ」でいられたのです。そのような路線のほうが、よほど持続性があるし、心穏やかでいられる、と私は思うんですけどね。
2017.04.20
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埼玉で人並みの生活、月収50万円必要 県労連が調査埼玉県内で人並みに暮らすには月約50万円の収入が必要で、子供が大学に入ると支出が急に増え、奨学金がないと成り立たないとする調査結果を、県労働組合連合会(埼労連)と有識者がまとめた。「賃金の底上げとともに、教育や住宅の負担を下げる政策が必要」と指摘している。回答者の7割以上が持つ物を「必需品」とし、それを持つ生活を「普通の生活」と定義。回答者がよく買い物をしている店などで実際の価格も調べた。こうした積算で、次の各モデルの結果が出た。いずれも夫は正社員で妻はパート勤務、車はない設定。【30代夫婦で小学生と幼稚園児】さいたま市郊外で月5万5千円の賃貸住宅(2LDK約43平米)1カ月の生活費は▽食費約10万8千円▽交通・通信費約3万8千円▽教育費約2万7千円などの計約43万円。たとえば洗濯機は約6万円を法定減価償却期間6年で割り、月額836円とするなど、家具・家事用品の月額負担は1万8356円と積算。08年の前回調査と比べ、教育費と教養娯楽費が合計3万円近く増え、交通・通信費も1万円余り増えるなど、約6万8千円増。この支出のためには額面月収約50万円(年収約599万円)が必要。しかし埼玉県内の30代男性の平均年収は約411万円。【40代で中学生と小学生】30代より食費と教育費がそれぞれ約1万円増える一方、教養娯楽費は約1万3千円減り、額面の月収は約54万円(年収約647万円)が必要。平均の485万円との差は少し縮まる。【50代で大学生と高校生】東京の私大に通わせる前提で教育費が40代より9万円多い13万円、交通・通信費も約5万円と大幅増。教養娯楽費を30代より少ない約2万8千円、全体の支出は約58万円で、額面は約68万円(年収約821万円)。実際の平均は545万円。---細かいところを挙げれば、疑問の残る数字はありますけれど(たとえば洗濯機の法定減価償却期間は6年でも、実際にはもっと長い期間使えるものですし、逆に家賃は、東京23区内ではないとはいえ、家族4人ならもっと高い気も)、こういう調査って大事だなと思いますし、いろいろと参考になります。月収50万必要という見出しだけだと、一瞬、「そんなにかかる筈がない」と思いそうですが、手取りではなく額面支給額であること、ボーナスも含んでの計算であることを考えると、そんなに外れた金額とは思えません。たとえば、家族4人で夫の年収が額面で400万(ボーナス込とすれば、月給約25万、社保・税金を引けば手取り20万ちょっと)だったら、妻は働くでしょう。そうしないと生活はかなり苦しいですから。私は埼玉県ではなく東京の住人で、しかも賃貸ではないので家賃はかかっていない(ローンはありましたが)ので、一概の比較はできませんが、ざっと見て、やはり大学の学費がドカンとかかるのは明らかです。比較的学費の安い国公立大でさえ、初年度の学費・入学金は80万円以上だし、私大では文系でも100万円を超えます。直接大学に支払うお金以外にも、通学定期代や教科書、教材代その他いろいろなお金がかかるので、月13万(つまり年間156万円)というのは、初年度にかかる費用としては、充分に考えられる額だなと思います。もっとも、入学金がかかるのは初年度だけなので、2年生以降はもう少し安く上がるのでは?という気がしないでもありませんが。30年前に大学生だった私は、私大でも初年度50万円台、2年生以降は40万円台(当時としても、下から指折り数える学費の安い私大ではありました)でしたし、弟は国立大だったので、初年度の学費は30万円台だった記憶があります。それでも、両親は「国立でも学費はこんなに上がったの?」と驚いていましたが。何しろ、両親の時代(1950年代)には、国立大の学費は1万何千円だったそうですから。もちろん、1950年代と80年代、そして今では物価水準も異なります。ただ、それでも、平均所得の伸びをはるかに超える勢いで学費が上がっていることは明らかです。私が学生だった時代と現在では、平均月収に2倍もの差は絶対にない(ほとんど増えていないか、下手すりゃ減っているかも)のに、大学の学費だけは2倍近くに上がっているのです。で、こういう話を書くと、大要「貧乏人は大学に行くな」的な言い方をする人が出てくるわけです。その延長線上で、文系の大学なんて(ごく一部の高偏差値大学以外は)要らない、みたいなことを言う人もいる。残念ながら、大学に行けばよい就職先が保障される、というわけではないのですが、しかし、大学に行かないと就職のためのスタートラインにすら立てないのが現実です。もちろん、高卒や専門学校卒でも就職はできますが、選択肢はかなり制約されます。子どもの頃から「この仕事をしたい」という明確な意思があるならともかく、そうでないなら、子どもを持つ親としては、できるだけ幅広い可能性を確保してあげたいと思うのは人情というものです。我が家の場合、子どもは1人だし、中学まで公立なので、ここまでは学費はあまりかかっていません。高校はどうだろう。私立には中高一貫校が多くなっているので、中学が公立である時点で、高校も公立(都立)の可能性が高いですが、絶対ではありません。仮に高校・大学と私立だったとしても、医大、音大でない限りは、我が家は学費の工面は大丈夫でしょう。ただ、これだけ少子化が問題になっている時代に、学費は上がるばかり、それに対する「解決」が「貧乏人の子は大学に行くな」だとしたら、少子化はどんどん拡大するばかりでしょうね。
2017.04.18
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昨日ですが、秩父の美の山(蓑山)に行ってきました。山頂まで自動車道が来ている山ですが、もちろん下から歩いて登りました。いつも単独で山に登っていますが、今回は高校の同期の仲間と総勢12人で登りました。単独ではない山登りは10年ぶりくらいです。その10年前も、子どもを連れて高尾山に登っただけなので、家族以外の仲間と一緒の山登りとなると、14年ぶりくらいになります。登山口の秩父鉄道親鼻駅。例年よりは桜の開花時期はかなり遅れましたが、23区内のソメイヨシノは、ほぼ終わりに近いですが、寄居やこの親鼻では、今が桜の真っ盛りでした。スミレ、あるいはその仲間でしょう。一人で登ったら、多分1時間かからずに山頂に着いたでしょうが、みんなでワイワイガヤガヤと話しながらゆっくり登るのも楽しいものです。高校の同期なので、みんな同い年。すみません、この辺り、花の名前がよく分かりません。※コメント欄でじゅら♪さんとSERRANITOさんにご教示いただいたところでは、キイチゴのようです。マムシグサ両神山(1723m)が見えます。山頂直前。下はゴルフ場みたいですね。で、山頂には11時過ぎに到着。朝は快晴でしたが、やや雲行きが怪しくなってきました。秩父の象徴、武甲山。しかし、石灰石の採掘のため、山容は激変しています。残念ながら、自然破壊の象徴といわざるを得ない姿です。東京都の最高峰雲取山(2017m)と、その周辺の山々。今年は西暦と雲取山の標高が同じなので、登る人がすごく多いらしいです。これも花の名前が分かりません。※コメント欄でじゅら♪さんにご教示いただいたところでは、ムスカリのようです。日本の在来種ではなく外来種なのですね。このあと、山頂付近でみんなで宴会。ワインのフルボトルが、全部で4本も出てきた!(そのうちの1本は私が持っていったのですが)例によってケーナとサンポーニャも持っていったのですが、吹く前に酔っ払ってしまいました。そのあとで吹いたのですが、正直なところケーナは酔っていても何とか吹けるのですが、サンポーニャは酔っていると全然思うように吹けないのです。いやー、参った。これからは、酔っていてもサンポーニャがちゃんと吹けるように精進するぞ(あれっ、なんか違う?)しかも、実は落として割っちゃった。もちろん、帰宅後に修理しました。よくあることですし、ある程度その事態に備えて、サンポーニャはメインで使っている笛ではなく、予備を持っていきました。ケーナは、滅多なことでは割れないので、メインで使っている笛を持っていきましたが。親鼻駅では桜は満開でしたが、美の山山頂では、まだ5分咲き6分咲きというところ。満開は来週くらいでしょうか。桃の花でしょうか。八重咲の・・・・・・なんでしょう。やはり桃でしょうか。それにしても、サクラや桃がバラ科というのが、なんとなく納得できてしまいます。結構酔っ払っていましたが、転んだりすることなく降りてきました。皆野駅まで戻ってきました。SL急行「パレオエクスプレス」が走ってきました。花畑(西武秩父)到着。ここで更に打ち上げ。武甲山が目の前です。採掘現場も目の前。やはり、痛々しい姿です。話は違いますが、西武秩父駅の駅舎は建て替えられたばかりですが、その外観が、最近話題の、森友学園の建設中の小学校とあまりに似ていると一部で話題らしいです。今回、写真は撮っていませんが、言われてみると確かに。森友学園は完成することはなさそうですが、西武秩父駅はすでに完成して使われています。それにしても、楽しかった。一人の山登りも大好きですが、気のあった仲間とわいわい登るのも、楽しいものです。
2017.04.16
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NHKが日の丸を中国国旗の下に 岸信夫外務副大臣「あってはならない」NHKが3日に放送した番組「ニュースウオッチ9」の中で、日本の国旗を中国の国旗の真下に表示していたことが13日、わかった。岸信夫外務副大臣は同日の参院内閣委員会で、独立国の国旗を上下に位置させることについて「下の国旗は下位、服従、敵への降参などを意味し、外交儀礼上、適切ではなく、あってはならない」と答えた。自民党の有村治子参院議員の質問に答えた。映像は航空自衛隊の戦闘機の緊急発進急増に関する特集の中で使用された。有村氏は「NHKはどこの国の公共放送か」と述べて批判した。NHK広報部は産経新聞の取材に対し「上空を飛行する中国機に対し、スクランブルをかける自衛隊機のイメージをわかりやすく示すため、両国の国旗と機体の画像を使って放送した。国の上下関係を示す意図はなかった」と説明した。---「問題」の映像は、このようなものだったそうです。どう見ても何が問題なのか、さっぱり分かりません。これを見て「中国の国旗が上とはけしからぬ」と吹き上がる人のメンタリティは、私には理解できない。普通に考えて、中国機が上空から領空に接近してくる、それに対して自衛隊機が緊急発進して上昇する、という状況を画面にすれば、こうなるのは当たり前で、これを「どちらが上位」などと解釈すること自体、意識過剰の極みとしかいいようがありません。あるいは、揚げ足取りともいえますが。むかし、「天皇機関説」に対して「天皇を機関車にたとえるとはけしからん」などと吹き上がった軍人がいたそうですが、何やらそれとおなじにおいがします。ネトウヨが吹き上がるのはいつものことですが、それに自民党の政治家が乗っかって、一緒に吹き上がる・・・・・・のも、残念ながら今となっては「いつものこと」と化しているのが、今の日本の異常な状況です。みんなで一緒に国粋主義ごっこ、その先に待っているのは、どう考えても心楽しい未来ではありません。
2017.04.14
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シリア攻撃「化学兵器」と断定…巡航ミサイル59発米軍は米東部時間6日夜、シリア西部のシャイラット空軍基地に向け東地中海洋上の駆逐艦2隻から巡航ミサイル「トマホーク」計59発による攻撃を行ったと発表した。同基地は4日に北部イドリブ県で多数が死亡した空爆を行った航空機が飛び立った場所だという。トランプ米大統領は「独裁者のアサドが罪のない市民に猛毒の神経剤で恐るべき化学兵器攻撃を行った」と断言。攻撃を指示したと明らかにした。1月に発足したトランプ政権によるシリアでの本格的軍事攻撃は初めて。ロイター通信によると、米国防当局者は今回のシリア攻撃は「1回限り」だと述べた。米中首脳会談のため訪問中のフロリダで記者団に声明を読み上げた。ミサイル攻撃は「米国の枢要な国家安全保障上の利益を守り、致命的な化学兵器の拡散と使用を防ぐものだ」と説明。「シリアでの惨劇に終止符を打ち、テロを撲滅することを、全ての文明国家に呼びかける」と述べた。米国防総省によると、攻撃では駐機中の戦闘機に加えて燃料倉庫や防空システム、レーダー施設も標的になった。シリア軍の空爆能力を無力化する狙いがある。同省は「民間人の犠牲を避けるため細心の注意を払った」としている。標的の基地にはロシア軍部隊も駐屯していたが米国防総省は声明で「ロシア軍には事前に攻撃を通知した」としている。ミサイルもロシア軍の駐留地点を避けて行った。---内戦の続くシリアで化学兵器が使用されたことについて、米トランプ政権はこれをアサド政権の軍による行為と断定して、巡航ミサイルによる攻撃を行いました。化学兵器を、それも一般市民に向けて使ったのであれば、確かにそれは言語道断の行為です。が、本当に化学兵器がアサド政権の軍によって使われたのか、というのは、かなり疑問の余地があるように思えます。国境なき医師団によると、患者の症状は神経ガス特有のものであるとのことです。なので、実際に化学兵器が使われた可能性は高そうです。しかし、問題はその化学兵器を使ったのは誰か、です。米国とその支援を受けるシリアの反政府勢力は、使ったのはアサド政権だと主張していますが、そう即断できるだけの明確な証拠はないように思えます。状況から考えると、シリアのアサド政権が反体制勢力に対して化学兵器を使うメリットはほとんどありません。現在、シリア内戦はアサド政権が勢力を盛り返し、反政府側に掌握されていた拠点都市を次々に奪回するなど、かなり有利に戦闘を進めています。化学兵器に頼らないと勝てない状況ではありません。むしろ、化学兵器を使えば、国際社会を挑発して、アサド政権は自らの立場を悪くするだけです。また、アサド政権が持っていた化学兵器は、化学兵器禁止機関(OPCW)の監視の下で、昨年1月に完全に廃棄されたと発表されています。もちろん、政権や軍部というものは、とりわけ独裁政権にあっては、必ずしも常にもっとも合理的な選択をするとは限らないものです。また、政権が軍を(あるいは軍中央が末端を)完全にコントロールできず、勝手な行動に走る、ということもあり得るでしょう。化学兵器の廃棄も、OPCWの目を欺いて一部を隠匿した可能性はあるでしょう。だから、アサド政権が化学兵器を使うことは非合理的だから、絶対にありえない、とまでは言いません。しかし、化学兵器を使用したのがアサド政権の軍以外の勢力、という可能性も、充分に考えられます。そのあたりは、厳密な検証が必要だと思います。しかし、米国は、化学兵器使用の報から2日後には、制裁のミサイル攻撃を行っています。2日間でどのような検証が行えるでしょうか。とても、そんな時間があったとは思えません。というか、米国はすでに、シリアの隣国イラクで、フセイン政権が大量破壊兵器を隠匿、アルカイーダをかくまっていると主張してイラク戦争を起こしたけれど、実際にはそれらの疑惑がまったくウソだった、という前歴がすでにあります。米国が(だけに限りませんが)主張する攻撃の根拠には、非常にうそが多いのは明白で、今回の件もとてもではないけれど、額面どおりに受け取ることは、とてもできません。
2017.04.13
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先日告知した、所沢の航空公園での演奏ですが、断続的な雨の中、演奏してきました。5曲演奏したうちの1曲です。風が強くて、風の音にかき消され気味な音になってしまいました。動画の撮影はしなかったので、谷川岳とその前の週にお花見に行った際のさくらの写真を組み合わせた動画にしました。ステージの裏手はさくらの森です。断続的な雨、それに激しい風。よく中止にならなかったなと思います。ステージには、屋根がついたので、楽器はそれほど濡らさずに済みました。でも、客席には屋根はありません。そして、お客さんはほとんどいません(涙)。我々の演奏の際は、少しお客さんはいましたが、10人くらいだったと思います。しかも、いすは濡れているので、誰も座っては見ません。まあ、この天気では仕方がないですけどね。風の強さがわかるかと思います。よく演奏したなあ。晴れていれば、桜はもっとも見頃なタイミングだったと思います。今年は、3月後半が非常に寒かったので、さくらの満開時期はずいぶん遅くなりました。例年だったらもう半ば散っていてもおかしくなかったところです。終了後は、ここでお花見。と言っても、近くに屋根のあるスペースがあったので、そこでやりましたが。寒かったけど、楽しかったです。このグループ、11年前の2006年に結成し、もう11年続いています。途中で中心メンバーの海外転勤で3年ほどのブランクはありますが。当初は、うちの子は2歳(中心メンバー夫婦の子どもも同い年)で、練習にも本番演奏にも、ずっと子どもを連れて行っていました。最近まで、このグループの練習にだけは同行していたのですが、とうとう昨年あたりからは、おとーちゃんの音楽活動には付いてきてくれなくなってしまいました(涙)ま、それが子どもの成長というものですね。ところで、ステージに屋根があったので楽器をあまり濡らさずに済んだと書きましたが、私だけはサンポーニャを首から下げたまま、レコーダーの設置場所を探して歩いたので、結構濡らしてしまいました。それに、1年くらいメンテナンスをしていなかったので、だいぶ汚れ、また横木を止める糸も緩んできたので、帰宅後にメンテナンス。普段は何の手入れもしません。汚れが溜まってきたときだけ。今回はほぼ1年ぶりではないかと。しかも、さすがに疲れてしまって、4組あるサンポーニャ(標準的なマルタと、その1オクターブ下のサンカを各2組ずつ)のうち、最も使用頻度の高いマルタ1組だけメンテナンスをして終わってしまいました。
2017.04.11
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指導要領に「銃剣道」 「武道の一つ」「戦前か」 「ヒゲの隊長」後押し2021年春に中学で実施される新学習指導要領の本文に、保健体育で必修の武道の選択肢として「銃剣道」が初めて明記された。戦前の軍事教練の流れをくみ、インターネット上で賛否が渦巻いている。銃剣の使い方を武道としたのが銃剣道だ。明治期に伝わったフランス流銃剣術に日本の槍術などを取り込んだもので、小銃を模した「木銃」で相手に突きを入れる。剣道のように打つことはできない。突く場所は致命傷を与える左胸と喉など。その部分を守る防具を着ける。戦後はスポーツとして再出発し、1980年には国体競技となった。全日本銃剣道連盟によると全国の連盟会員3万人の大半は自衛官か元自衛官だ。銃剣道部を持つ高校は全国で15校程度。中学では全国でただ一つ、神奈川県平塚市の市立中学校で教えている。~木銃の長さは166cm。旧軍の三八式歩兵銃に銃剣を装着した全長に由来する。~文部科学省が2月に公表した新指導要領案には、文科相の諮問機関「中央教育審議会」の伝統や文化を重視する答申を踏まえ、現行要領より武道に力を入れる表現が入った。武道9種類のうち8種類(柔道・剣道・相撲・空手道・なぎなた・弓道・合気道・少林寺拳法)を明記。銃剣道は「授業の実施率が低い」として省かれた。ところが3月末の完成版に銃剣道が入っていた。実は、案の段階で国民の意見を募るパブリックコメントの手続きで、銃剣道明記を求める意見が数百も寄せられていた。元陸上自衛官で「ヒゲの隊長」こと自民党の佐藤正久参院議員は取材に「記載はあり得るのかと文科省に聞いたらパブコメに意見を、というので、自民党議員や自衛隊OB、自分の支援者に呼びかけた」と説明する。~---学習指導要領に銃剣道を明記する、という話については、少し前の記事で取り上げました。敵性言語に軍事教練事実上自衛隊員の自衛隊員による自衛隊員のためだけの競技を学校教育に持ち込むことは、どう考えても望ましいとは思えません。ということについて、記事を書いたのですが、それに加えて問題なのは、銃剣道という競技が現在でもなお、自衛隊において重要な訓練項目であり続けている、という現実です。確かに、現在でも銃剣という装備は、世界的に見て廃れているわけではありません。日本に限らず、どこの国の軍隊でも、小銃(突撃銃)には銃剣を装着できるようになっていますし、歩兵の基礎訓練として銃剣による戦闘訓練も行われているそうです。弾丸が切れても、銃が故障しても、戦闘力を完全には失わない、歩兵のいわば最後の砦だからです。でも、そうは言っても、銃剣による格闘技の重要性は、現代戦においては、銃剣というものが発明された当時(前装式銃の時代)から比べて、かなり低下していることは間違いありません。それにもかかわらず、世界的に見て異様なくらい、戦前の日本軍は着剣突撃を極度に重視していました。根本的な理由は、銃弾が足りないからです。米軍が自動装填式の小銃を大量配備しても、日本軍は最後までボルトアクション式の連発銃(連発銃とは言うものの、ボルトを手で操作して排莢と次弾装填を行う)にこだわったのも、銃弾が足りないからです。ところが、ひとたびそのようなドクトリンが完成すると、えてして手段と目的が逆転するものです。弾薬が足りないからやむをえず着剣突撃に頼ったのに、着剣突撃という精神力があれば銃弾が足りないことなど問題ではない、という話にすりかわり、銃弾を増産することよりも、着剣突撃を厭わない兵隊の頭数をそろえることのほうを優先するようになります。その結果が、南方戦線における、バンザイ突撃による死屍累々です。銃弾を製造するには金かかるけれど、兵隊を徴兵で引っ張ってくるのはタダだからでしょうか。そこに、軍事的な合理性はありません。だから日本は負けたわけですが。現在の自衛隊は、旧軍の失敗に学んでいる部分もありますが、どうも、軍事的合理性より精神性を優先するあたりは、あまり旧軍の失敗を学んでいるようには思えません。前述のとおり、現在でも銃剣の役割は消滅していないとはいえ、基礎訓練という部分を越えて、「銃剣道」などという武道として訓練するほどの重要性があるとはいえないでしょう。しかも、引用記事にあるように、木銃の長さ166cmというのは、着剣した38式歩兵銃の長さに由来するとか。当然のことですが、現在の自衛隊が装備する64式小銃や89式小銃の長さは、38式とは異なります(89式は38式より30cmほど短い)。にもかかわらず、38式小銃の長さに由来する木銃で訓練することにも、合理性があるとは思えません。さて、話は変わりますが、集団的自衛権の憲法解釈が変更されて安保法が強行採決された2~3年前、安倍政権やそれを後押しする産経新聞などが、さかんに、安保法制がとおっても徴兵制など導入されないのだ、と言っていました。徴兵制は、本当にありえないのか彼らが本音で「徴兵制など不要」と思っているとは、私には信じられません。それについては当時の記事にも書いたとおりです。しかし、更に付け加えるなら、「プロ集団でないと、現代戦で必要な兵器は扱えない」(その話自体も、相当にマユツバですが)というような軍事的合理性に基づく判断ではなく、「若者の精神修養」だの「愛国心を養うため」といった、精神性を優先して徴兵制の導入が決められることになるのでしょう。一連の銃剣道をめぐる騒動、自衛隊における銃剣道の位置付けなどを見ていると、そうなるとしか思えません。
2017.04.09
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百田尚樹氏「中国文化は日本人に合わぬ。漢文の授業廃止を」日本はなぜ、中国の脅威を感じながらも適切な対抗策を取れないのか。作家の百田尚樹氏は、その背景には日本人の勘違いに基づいた「中国への憧れ」があると語る。中国の尖閣諸島への“侵略”は日に日にエスカレートしています。ただし、意外かもしれませんが、尖閣周辺の東シナ海や南シナ海で暴れ回る中国に対峙しようという時に、もっとも弊害になっているのが日本人の「中国への漠然とした憧れ」です。皆なんとなく『史記』が好きだし、時代作家は『三国志』を書きたがる。江戸時代の儒学者はとくにそうですが、長い間、日本人の間には中国は「歴史ある偉大な国」「文明的ないい国」だという誤解があった。そもそも、なぜ学校で「漢文」の授業があるのか。英語と違って使う機会なんてないし、あれは趣味の世界だと思うんです。子供の頃から誰でも知っている「中国4000年」という言葉も、あの国への無意味な憧れを生んでいます。〜そもそも中国文化は根本的に日本人には合いません。例えば故事にある「宋襄の仁」は、紀元前の宋の国の襄公という人が、参謀から「敵が川を渡っている最中だから、今攻めれば勝てる」と進言されたのに、「そんな卑怯なことはできん」と相手が川を渡り終えてから正々堂々と戦って、負けたという話です。無用な情けということで、中国では「大バカ者」という意味です。上杉謙信の美談となっている「敵に塩を送る」なんてメンタリティは中国人には通用しません。どんな手を使っても、とにかく勝ちさえすればいいというのが中国の文化なのです。かつての日本は、今よりももっとうまく中国とつき合ってきました。中国の力が強大だった時は遣隋使や遣唐使を遣って制度や文化を取り入れましたが、それも平安時代になったら「もう中国の文化はいらん」とやめました。〜それを考えれば、現在も中国に対する漠然とした憧れを持つことはやめるべきだし、そんな勘違いを育む漢文の授業も廃止したらいいのです。ーーー「中国文化は日本人に合わぬ」から漢文の授業廃止を、だそうです。いやー、バカすぎでしょう。確かに、漢文を学校の授業で習う必要があるかどうか、一考の余地はあると、私も思います。でもね、漢文は単なる中国文化ではないのですよ。いちいち説明する必要もないと思うけど、元々日本にあった文字は中国から入った漢字だけです。その漢字を改良して、ひら仮名、カタカナという表音文字が登場したのは、平安時代頃だし、それ以降も公的な文章は漢文(調)であり、インテリのたしなみとしても漢文の素養を求める時代が長く続きました。いわば、欧米文化圏におけるラテン語のような存在が、日本の漢文です。以前に記事を書いたように、歴史教科書から「聖徳太子」の名が削除されようとした際に、右派層が大騒ぎしましたが(続報を取り上げませんでしたが、なんと、右派層の大騒ぎによって、この変更は取り消されてしまい、聖徳太子が復活してしまいました)、厩戸王と呼ばれていた人物を「聖徳太子」と名付けた最初の記録は何でしょうか?それは日本書紀です。では、日本書紀はどんな文章か?漢文です。日本書紀(原文)に送り仮名はありません。すべて漢字だけの漢文です。近年の例で言えば、国士様連中が大好きな教育勅語だって、漢字かな混ざり文ですが、文体は完全に漢文調です。国語の授業で漢文があるのは、日本の古典(の一部)が漢文だからです。漢文の授業を廃止してしまえ、というのは、「日本書紀など読める必要はない」ということ。そういった背景を踏まえたうえで、しかしそれほどまでに古い時代の古典が読める必要があるか、日本書紀なんか(原文で)読めなくたっていいじゃないか、欧米だって、高校でラテン語を教えているのか?限られた授業時間のリソースは、もっと現代文や、比較的現代文に近い古典に充てるべきだ・・・・・ーということであれば、冒頭に述べたように、それは賛否はともかくとして、一考に価する意見ではあるでしょう。しかし、「中国文化は日本人に合わぬ」から漢文の授業廃止を、だなんて、日本の文字文化のルーツを否定するような言い分です。それこそ、古いものをすべて否定しようとした中国の文化大革命を笑えません。それを、一応は物書きを名乗る人間が口にするのだから、どうしようもない。なお、余談になりますが、上杉謙信が敵に塩を送ったなんてのは、別に美談ではないし、「正々堂々」などという発想に基づくものでもありません。上杉謙信は、武田信玄に、塩をタダでプレゼントしたわけではありません。市価より高い値段で売りつけたのです。つまり、敵とさえ商売に励む、商魂たくましい、というお話です。日本の戦国時代のいくさが、中国よりも正々堂々としていた、なんてのはまったくの幻想に過ぎません。渡河中の敵を攻撃せず、川を渡り終えた敵を「正々堂々と」攻撃して負けた、なんてエピソードは、現代の軍事の常識から言っても、大バカ者でしょうね。自衛隊の指揮官が、こんなエピソードが「美談」だと思っているとしたらヤバイでしょう。渡河作戦中、あるいは上陸作戦中の敵を、渡河前、上陸前に攻撃しなくてどうするんですか。
2017.04.08
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稲田朋美はもう「限界」かもしれないいま、日本で最も火だるまになっている女性が2人います。一人は前回のテーマでお届けした首相夫人、安倍昭恵さん。そして、もう一人は本日のテーマで取り上げる防衛大臣、稲田朋美さんです。「女性初の総理」ともてはやされた入閣当時が懐かしいですが、それにしてもなぜここまで「炎上」したのでしょうか?自衛官の命を預けてもいいのかほれほれ見てみい、安倍晋三首相、ワシがこの連載で予想した通りやないか。やっぱ、稲田朋美防衛相は、めがね違いやったやろ。今や首相自らのケツにまで火の粉ふりかかってそれどころやないか。~安倍首相も意外やったか。自らの政権を危うくするのは「安倍政治を許すな」と毎週金曜日に国会前で騒ぎ立てるガキどもや秘蔵っ子の防衛相をいじめる野党のセンセイ方より、国家どころか自らの危機管理能力もない防衛相や、「アベ首相、アキエ夫人ガンバレ」と園児に言わせていた、自称・保守の一家やったんやから。安倍首相も父上の盟友やった竹下登元首相時代の「ホメ殺し」の教訓忘れとったんか。(宮嶋茂樹)---ネトウヨ業界、安倍信者業界では、互いにとかげの尻尾切りに必死のご様子です。安倍は籠池について「私の考え方に非常に共鳴している方」「妻から森友学園の先生の教育に対する熱意は素晴らしいという話を聞いている」と言っていたのが、1ヶ月もたたないうちに「非常にしつこい人」に変わり、更には証人喚問での「偽証罪」で刑事告訴を画策中らしいです。そして稲田朋美もまた、明らかに籠池と親しかった過去を隠して「関係ありません」と、やはりトカゲの尻尾切りに必死です。しかも、そのウソが簡単にバレちゃった。もっとも、トカゲの尻尾切りに必死な稲田自身が安倍に切られるときも、そう遠くはないかもしれません。「誇りある歴史」だの「美しい国」だのと言ってネトウヨを煽動している人たちが、いざ都合が悪くなると煽動された信者を簡単に切り捨てる。いや、もちろんあのような人物をこの期に及んで擁護し続けるとしたら、それも問題ですが、明らかに親しかった人物なのに、まるでずっと疎遠だったかのように言い繕う態度は、ありていに言って非常に見苦しい、美しくない。それこそまさしく、歴史の修正です。間違った過去は間違ったと認めたうえで、その誤りをただす、ということができないのは、どうやら自分自身の身の上に関しても同じであるようです。彼らが信奉する教育勅語には、「朋友相信し」とあるけれど、それを実行するつもりはないようです。結果的に、安倍や稲田のそのような保身優先の態度を見て、安倍信者のネトウヨであった籠池も、100年の恋が醒めちゃったのでしょう。引用記事は産経新聞のiRONNAというサイトです。その産経新聞は、森本学園疑惑の矮小化と辻元清美への疑惑なすりつけに必死です。しかし、腹の中ではやっぱり、ネトウヨの無根拠デマに端を発した辻元清美への「疑惑」なすりつけが無理筋であることは分かっているのでしょう。実に正直に、「日本で最も火だるまになっている女性」2人は安倍昭恵と稲田朋美であって辻元ではない(笑)ことを認めています。それにしても、引用記事の宮嶋茂樹の文章。こいつは今やネトウヨの親玉みたいな奴ですが、この記述は、表現はひどいけれど、そのとおりではあると思わざるを得ません。「自らの政権を危うくするのは~野党のセンセイ方より、国家どころか自らの危機管理能力もない防衛相や、「アベ首相、アキエ夫人ガンバレ」と園児に言わせていた、自称・保守の一家やった」無能な味方は有能な敵より恐ろしいものです。無能な、というのは、必ずしも能力がないとは限らず、間違った(味方として期待されるのとは異なった)方向に能力を発揮することも含みます。歴史的に見ると、日本の進む道を誤らせ、日本を危機に陥れたのは、たとえば2.26の青年将校であったり、対米開戦直前の軍部強硬派であったり、参謀本部で作戦立案に当たったエリート参謀であったり、聖戦完遂を叫んで降伏反対のクーデターまで起こそうとした狂信的軍人であったり、要するに、政権、あるいは軍の内部に位置する人たちであって、外部にあって政権や軍に敵対的な立場の人たちであったためしはありません。現在でもそれは同じでしょう。
2017.04.07
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4月9日(日)所沢の航空公園「第32回市民文化フェア」で演奏します。さくらコンサート さくらステージ午前11時00分~11時30分ティエラ・クリオージャ週間予報だと、天気がちょっと心配ですが・・・・・・会場地図「さくらステージ」と「よってけステージ」の二つのコンサート会場がありますが、地図内12番、さくらステージで演奏します。---先日、日曜日の午前中に、またまた葛西臨海公園に行ってしまいました。今回は、午後から別の用事(花見)があった上に、笛の練習が中心だったで、鳥の写真はついで、西なぎさに1時間足らず板だけですけれど、それでもいろいろな写真が撮れました。もう4月ですが、人工なぎさの沖には、まだまだスズガモの大群。スズガモの・・・・・中に、他の鳥も混じってました。中央の2羽はカンムリカイツブリです。東なぎさには、サギの群れが。写真右端の一羽(遠方の2羽も)はアオサギ。その左に数羽群れているのはコサギ。写真左の、大き目の2羽は、多分ダイサギでしょう。サギの1羽が飛んできました。コサギです。足の指だけ黄色いのと、夏羽だと後頭部から伸びる飾り羽が特徴です。もっとも、この写真では足の指は水の中だし、そうでなくても泥が付いていて黄色く見えないことも多いですが。皇居のお堀とか、明治神宮など都心の公園でも見かけることのあるサギです。ウミアイサ、風変わりですが、カモの仲間です。同じく、ウミアイサ。私にとっては初めて見る鳥です。マガモ。ありふれたカモせすが、陸ガモ、淡水ガモと言われる仲間なので、海上にいることはまれです。ヒドリガモ。同じく、ありふれた淡水ガモですが、海の上にいました。海ガモ(キンクロハジロやホシハジロ)が内陸の河川や湖沼にいるのは普通ですが、逆は比較的珍しいと思われます。渡りの準備でしょうか。カンムリカイツブリ。夏羽になっています。東なぎさのカモメを撮影しましたが、カモメではない鳥が混じってました。白と薄灰色の鳥はカモメ類ですが、中央奥に黒と白の鳥がいます。ミヤコドリと言います。割と珍しい鳥です。実は、撮ったときはまったく気づかず、あとで写真をパソコンに取り込んでから、等倍で見ていて気がつきました。みやこどり(都鳥)という名は、古語では現在のユリカモメを指すと言われます。もっとも、実際には現在のユリカモメとミヤコドリ、どちらの例もあるようです。標準和名なんて定まっていない時代ですから、年代によって地域によって、名前の混同、、変動は避けられないでしょう。これも、初めて見る鳥でした。で、これまでのデジタル一眼レフだけで鳥を見てきたわけですが、とうとう双眼鏡を買ってしまいました。KOWA SV25-8という双眼鏡です。名前のとおり、対物レンズが25mm、倍率8倍です。小さくて、安い。5000円もしませんでした。登山の友、一眼レフとともに持つ、ということを考えれば、これよりかさばる双眼鏡はありえないだろうと。むかし、KOWA製のフィールドスコープを持っていましたが、その頃から光学機器の品質には定評がありました。やはり、一眼レフの望遠レンズのファインダーとは大差があります。何と言っても、像が立体的に見える!って、双眼鏡だから当たり前ですけど。安いので、レンズキャップが接眼レンズ側しかないですが、まあ実用上はあまり問題ないでしょう。日中の開けた場所では、十分に明るいです。
2017.04.05
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残業上限「月100時間未満」=政府が働き方実行計画-安倍首相「歴史的な一歩」政府は28日、働き方改革実現会議を首相官邸で開き、実行計画を決定した。長時間労働を是正するため、残業の上限を「月100時間未満」と明記。「同一労働同一賃金」を推進し、正社員と非正規労働者の賃金に差をつける場合は企業に説明義務を課す。労働政策審議会の審査を経て秋の臨時国会にも関連法案を提出、2019年度の施行を目指す。安倍晋三首相は「日本の働き方改革にとって歴史的な一歩だ」と強調。法案の早期提出に意欲を示した。同計画の進捗状況を点検する「フォローアップ会合」の設置も表明した。長時間労働の是正では、残業の上限を原則「月45時間、年360時間」とし、繁忙期は例外的に(1)月100時間未満(2)2~6カ月の月平均80時間(3)年720時間(月平均60時間)(4)月45時間を超える場合は年6カ月まで-とする。違反企業には罰則も科す。残業に実質的な上限規制を設けるのは1947年の労働基準法制定以降、初めて。現在は残業規制の適用対象外となっている運輸・建設業には、法施行後5年間の猶予期間を経て、それぞれの実態に応じた上限規制を導入。医師に関しては、同5年後をめどに他の業種と同じ規制導入を目指すとしている。(以下略)---繁忙期限定とはいえ、月100時間の残業を法的に容認するのが残業「規制」になるのか、と私は思います。引用記事のなかの残業上限の条件が複数あって分かりにくいですが、もっとも長いスパンでの時間制限である年間720時間というのが最終ラインということになるのでしょう。月平均にして60時間までの残業が年間通して容認されるのが、残業規制の名に値するのでしょうか。平日は1日も欠かさず、毎日2時間残業しても、月に40時間あまりにしかならないのです。それでも、猛烈なブラック企業に対しては、「ないよりはマシ」な残業規制にはなるかもしれませんが、逆に、現状ではそこまで残業の多くない企業では、この「規制」があだになって、「そこまでは残業させてよい」となってしまう可能性も危惧されるところです。しかも、この甘い残業規制ですら、運輸・建設業(もっともブラックな業界)は5年間先送り、かつ「それぞれの実態に応じた上限規制」というのです。これより更に甘い残業規制しか導入しない、ということでしょう。結局、残業規制と言いつつ、働いている当事者の側の意向ではなく、働かせている企業側の主張だけに基づいて、彼らの意に反しない範囲でのみ規制を考えるから、こういうことになるのでしょう。それで、「働き方改革」なんて、言葉に偽りありでしょう。働かせる側の都合だけに配慮している時点で、働き方改革ではなく、働かせ方改革(改革の名に値するかは謎ですが)でしかありません。
2017.04.03
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パン屋「郷土愛不足」で和菓子屋に 道徳の教科書検定初めての小学校道徳の教科書検定が終わり、8社の24点66冊が出そろった。本来、「考え、議論する」を掲げたはずなのに、文部科学省が検定過程で付けた数々の意見からは、教科書作りに積極的に関与しようとする姿勢が浮き彫りになった。高校の地理歴史や公民の教科書でも、集団的自衛権や南京大虐殺などの記述が、文科省の指摘に従って横並びになった。「しょうぼうだんのおじさん」という題材で、登場人物のパン屋の「おじさん」とタイトルを「おじいさん」に変え、挿絵も高齢の男性風に(東京書籍、小4)▽「にちようびのさんぽみち」という教材で登場する「パン屋」を「和菓子屋」に(同、小1)▽「大すき、わたしたちの町」と題して町を探検する話題で、アスレチックの遊具で遊ぶ公園を、和楽器を売る店に差し替え(学研教育みらい、小1)――。いずれも文科省が、道徳教科書の検定で「学習指導要領の示す内容に照らして、扱いが不適切」と指摘し、出版社が改めた例だ。おじさんを修正したのは、感謝する対象として指導要領がうたう「高齢者」を含めるためだ。文科省は「パン屋」についても、「パン屋がダメというわけではなく、教科書全体で指導要領にある『我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ』という点が足りないため」と説明。「アスレチック」も同様の指摘を受け、出版社が日本らしいものに修正した。(以下略)---少し前の記事ですが、小学校の道徳の教科書でパン屋を登場させたら、「指導要領にある『我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ』という点が足りない」と指摘されて、和菓子屋に変更だそうです。パン屋を登場させると、郷土の文化への愛着が足りない、と指弾される、どう考えても、それは狂信的としか表現できないものです。サッカーを敵視するイスラム過激派と何が違うのか。日本でも、七十数年前、英語は敵性言語だといって、野球の「ストライク」「ボール」を「よし」「だめ」に言い換えた時代があったわけですが、同じことがまた繰り返されようとしている、としか思えません。更に、こんな報道もあります。中学武道に追加の「銃剣道」とは? 旧日本軍訓練の流れ31日に告示された中学校の新学習指導要領で、中学校の保健体育の「武道」に新たに盛り込まれた「銃剣道」。松野文科相は同日の会見で「競技人口や国体種目であることなども判断材料としてほしいとの意見を踏まえた」と述べたが、旧日本軍の戦闘訓練に使われていた「銃剣術」の流れをくむだけに、波紋が広がっている。公益社団法人・全日本銃剣道連盟によると、競技では、面や胴など剣道に似た防具を身につけ、銃の形をした木製の「木銃」でのどや小手、肩などのポイントを突き、「一本」を狙う。「旧日本軍の戦闘訓練のイメージがあるので様々な意見が寄せられるが、今は目的も性格もまったく違う」と連盟副会長の鈴木健さんは話す。鈴木さんによると、銃剣道の歴史は明治初期、フランスから伝わった西洋式銃剣術にさかのぼる。その後、日本古来のやりの技を土台として研究が進み、戦前は旧日本軍の訓練に用いられていた。---私は、元々中学も高校も柔道が必修に学校で、しかもその柔道が超絶弱かった人間なので(元々、体育は全般に非常に苦手でしたが、特に柔道と持久走はダメでした)、武道によい印象は抱いていませんが、それでも柔道と相撲は世間一般的にある程度浸透していることは事実です。それに比べると、剣道は、一部の学校教育(私の弟は、剣道必修の高校に通っていましたが)以外では、あまり世間に浸透しているとは思えません。が、ことは学校教育における話なので、その点はやむを得ないでしょう。しかし、銃剣道となると、世間一般にも学校教育にも、まったく浸透していない「スポーツ」です。国体種目である、というならレスリング、ボクシング、フェンシングも国体の競技種目です。武道・格闘技系以外では、ゴルフ、ボーリング、馬術とか、高校生の雪崩事故があったばかりですが、登山も国体競技に入っています。ライフル射撃、なんてもの。競技人口も理由に挙げていますが、柔剣道についてのWikipediaの記述によると一般部門も存在し排除されているわけではないが積極的な勧誘は行われておらず、自衛官が競技人口の大半を占め役員の多くも元幹部自衛官、一般部門も元自衛官や子息が多いなど事実上『自衛官の競技』という状態である。つまり、全国22万数千人の自衛隊員(とその関係者)の間でだけ普及しており、世間一般での普及率は皆無に近い、ということです。いくら軍事訓練とは違うといったところで、現実に自衛隊員の、自衛隊員による、自衛隊員のための競技であることが歴然としています。しかも、銃剣道を学習指導要領に入れることをごり押ししたのは、陸上自衛隊出身の佐藤正久参院議員です。自衛隊のいわば利益代表者がそのような要求をしていること自体、この競技が自衛隊員のためのものであることを如実に示しています。学校を兵舎にしたい、ということかと言いたくなります。道徳教科書のパン屋→和菓子屋にしても、武道に銃剣道を持ち込むことにしても、要するに日本全体を安倍流の保守イデオロギー、軍事優先的考えを如実に示したもので、その進む先に、心楽しい未来図はまったくない、というしかありません。先に、太平洋戦争中、野球の「ストライク」「ボール」を「よし」「だめ」に言い換えた、というエピソードを紹介しましたが、それがもっとすさまじいところまで行き着くとどうなるか。1942年に、「第1回全国中等学校野球大会」が開催されています。戦時下で夏の甲子園大会が中止された間に開催されたもので、会場こそ甲子園球場だったものの、文部省の意向によって、それまでの(そして戦後復活した)夏の甲子園大会とは別の大会と位置づけられ、しかもそれが1回だけで終わったことから、「幻の甲子園」と言われます。で、この大会は完全に軍部の主導で、ユニフォーム(いや、ユニフォームという言葉自体「敵性語」だろうから、なんと言い換えたのでしょうか)のロゴにローマ字は禁止で漢字のみ、「突撃精神に反するから」と死球が来ても打者がよけることは禁止、当たっても死球にならない、選手(これも選士と言い換えたそうですが)は原則9人のみで、立てないほどの大怪我でない限り選手交代は禁止、そして失策をすると大会役員の軍人が殴りかかる、というすさまじいばかりの内容です。この大会に出場した後に戦没した選手も少なくないですが、戦争を生き延びても、立てないほどの大怪我でない限り選手交代は禁止というこの大会の規定のために肩を壊し、選手生命を絶たれた人もいます。今ならありえない、狂気に満ちた時代の出来事、と言いたいところですが、残念ながら今ならあり得ないかどうか、定かではなくなってきてしまいました。
2017.04.01
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