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先日11月25日に自分自身の不注意から、足首を骨折及び靭帯断裂してしまいました。この際、たまたま居合わせた方、それに搬送先の病院に偶然居合わせた別の患者様のご家族様から、言葉に言い尽くせぬようなご好意をいただきました。人の好意が本当に身にしみます。もちろん、救急隊、消防団、搬送先の病院の方々にも本当にお世話になりました。関係するすべての方に感謝申し上げます。とりわけ、ご好意をいただいた方々には、自分自身の気が動転しておりまして、連絡先すらお伺いしておらず、何のお返しもできていないことを、お詫び申し上げます。この件の詳細につきましては、傷が治ってから、半年後か1年後か2年後かは分かりませんが、何かの機会に、そのときまだ当ブログを閉鎖していなければ(よほどのことがなければ閉鎖していないと思いますが)ご報告したいと思います。そのため、12月2日の上映会には行けなくなりました。12月9日のライブは、出演できるかどうかわかりません。ただ、私が出られない場合でも、ライブ自体は行われますので、予約も現時点では有効です。(当日の追記になりますが、出演することになりました)こういった事情のため、当ブログは、しばらくの間更新がかなり不定期になるかと思います。申し訳ありません。関係されるすべての皆様に感謝申し上げます。本当にありがとうございました、そして申し訳ありませんでした。骨折翌日の投稿はいったん削除しました。コメントいただいた方にはお詫び申し上げます。
2017.11.30
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客殺到、店内に押し込んだ 20年前、恐慌寸前だった日戦後日本で最も経済破綻が近かった日をあげるなら、ちょうど20年前の1997年11月26日である。多くの銀行で深刻な取りつけ騒ぎが起き、金融恐慌寸前となった。報じられなかった事実もふくめ、当事者たちの記憶をたどって改めて歴史に刻みたい。これからの私たちのために。あの日の記憶をたどると東京・日本橋にある日本銀行記者クラブの小窓から見えた曇天がよみがえる。この日全国の約20銀行の本店や支店に預金者が殺到した。これだけ広域に取りつけが起きた例は、終戦直後の混乱期を除けば戦後初めてだろう。午前10時ごろ全国各地の記者から取りつけが起きているとの電話が相次いだ。私は急ぎ東京駅近くの安田信託銀行(現みずほ信託銀行)本店ビルに走った。入り口に客の姿はなくホッとしたのを覚えている。だが扉を開けて、血の気が引いた。ふだんは客もまばらなロビーが、まるで満員の通勤電車内のように客であふれていた。外部に取りつけを見られるのは信用不安を広げるので厳禁だ。安田信託もその鉄則を守り、すべての客を無理にでも店内に押し込んでいた。この日の朝、仙台市に本店がある徳陽シティ銀行が経営破綻を緊急発表していた。その9日前、11月17日には北海道拓殖銀行が都市銀行で初めて破綻。24日には4大証券の一角、山一証券が自主廃業を決めた。大型破綻で預金者に高まっていた不安が地方銀行の破綻で一気に頂点に達した。このころ信用不安に見舞われた銀行の現場では数日で億円単位の預金が流出したところもあったようだ。「平時は1千万円ほどしか置かない支店に億円単位の現金を備えさせた」「山一証券の小さな支店に現金3億円を運んだ」。元銀行員たちの証言は生々しい。ーーー不定期ですが、ボチボチまた書いていこうと思います。次の記事は、今週中にできるかわかりませんが。1997年11月26日、多分このときの取り付け騒ぎと思われるものを聞いた記憶があります。当時いた部署の上司が、奥さんと電話していて、何とか銀行(名前は失念)が潰れそうだという噂で客が殺到しているので自分の預金も急いで引き出してもらう、みたいな話をしていたのです。日時を覚えていませんが、その上司が私の直属の上司だったのは1997年度の1年だけなので、多分この話と同じ出来事だろうと思います。ただ、当時このことはマスコミには一切報じられていないはずです。新聞のどこを読んでも、取り付け騒ぎのことは出ていませんでした。まだネット時代ではなかったので、全部の新聞を調べたわけではありませんが。破綻した金融機関の取り付け騒ぎは報じられても、まだ破綻していない金融機関のことは一切報じない、ああ、取り付け騒ぎを助長しないように自主規制しているんだなと、当時思った記憶があります。記事には、報じられなかった事実も含め、とあるので、改めてその推測のとおりだったんだなと納得しました。これ以降も、私の記憶ではみずほ銀行で、合併前の各銀行のシステムの違いに起因するシステム障害が頻発したことが顧客の不安を招き、取り付け騒ぎというような、一度に殺到するような事態ではなかったようですが、かなりの預金が引き出される事態がありました。何を隠そう、私自身も、当時みずほ銀行に持っていた定期預金を全部解約して普通預金に移してしまいました。(さすがに全部解約して現金で持って帰ろうとは思わなかったですが)その時の経験で、行員は預金の引き出しを妨げるような言い方は一切しませんせした。「現金でお持ち帰りですか?」と言われて、私の方が「いえいえ」と。下手な引き止め言動は信用不安を拡大しかねないという判断からそういう対応にしたのだろうと想像しています、以前、銀行は不良債権くらいでは簡単には潰れない、銀行が破綻するのは取り付け騒ぎが起こった時、というようなことを何かで読んだ記憶があります。そうなのでしょうね。ただ、日本は戦前の金融恐慌で取り付け騒ぎと銀行の倒産で大きな影響が出たことから、戦後はそのような事態を避けるべく細心の注意が払われてきました。ただ、それでも取り付け騒ぎは度々起きてきました。まったくのデマから火のないところに煙が立ってしまったのが、豊川信用金庫の取り付け騒ぎ。1997年といえば、まだインターネットが今ほどは普及していなかった時代です。それでも口コミは風のような勢いで広がり、20銀行なんて規模の取り付け騒ぎが起きた、ということは、これがもしも今だったらどうでしょうか。インターネットで、瞬時にそんな情報は全国に広まる。どんな対策でも支えきれないような規模の取り付け騒ぎになっているかもしれません。
2017.11.28
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大阪市長、姉妹都市解消を表明 慰安婦像の寄贈めぐり米サンフランシスコ市のエドウィン・リー市長は22日、民間団体が現地に建てた慰安婦像の寄贈を受け入れる決議案に署名した。これにより、像は同市の所有となり、寄贈の受け入れに反対してきた大阪市の吉村洋文市長は23日、60年にわたる両市の姉妹都市関係を解消する方針を表明した。像は慰安婦を表す女性3人が手をつないだ形で、高さ3メートル。地元の中国系米国人らの民間団体が9月にチャイナタウンに建てた。しかし、碑文に「性奴隷にされた何十万人の女性」「大多数は囚われの身のまま命を落とした」とあることから、吉村市長が「日本政府の見解と違う」と抗議。寄贈を受けた場合は「姉妹都市を解消する」と表明していた。これに対してサンフランシスコ市議会は今月14日、像と維持費の寄贈を受け入れる決議案を全会一致で可決。リー市長が24日までに拒否権を行使しなければ決議案が成立するため、吉村市長は書簡を送り、拒否権の行使を求めていた。リー市長は決議案に署名することで、支持する姿勢を明確にしたと言える。---バカなことをしたものだと思います。もちろん、大阪市長の側が、です。「性奴隷にされた何十万人の女性」「大多数は囚われの身のまま命を落とした」と表記されているのが、日本政府の見解と違う、のだそうです。慰安婦の数も死亡率も、諸説あるので実際のところはわかりません。確かに日本政府の見解とは違うでしょうが、このように意見の割れる問題について日本政府の公式見解に誰もが納得する、なんてことはあるわけがありません。日本国内でもそうですが、まして国外において大多数の人を納得させられるような説得力はありません。それなのに、日本政府の公式見解(に名を借りて、大阪市長、ひいては維新の会の政治的主張)の反するからと逆上して姉妹都市を解消する、というわけです。まあ、解消すればいいんじゃない?と思います。でも、それをすると何かが解決するのでしょうか。日本国内のネトウヨ層は溜飲を下げるでしょう。でも、それだけです。国内のネトウヨ層向けのポーズとして姉妹都市を解消することで、対外的なイメージが良くなることなどありません。かつて、従軍慰安婦に関する米国下院で121号決議(対日謝罪要求決議)が審議された際、日本のネトウヨ層が、法案可決を阻止しようと、ワシントンポスト紙に「THE FACTS」なる意見広告を掲載したことがあります。しかし、この意見広告はまったく逆効果で、むしろ121号決議の共同提案者を増やす結果となり、下院本会議では満場一致で可決されています。つまり、「THE FACTS」なる意見広告は、100%日本のネトウヨ層向けに「日本の『正しい歴史』を世界に広めてます」というポーズを見せるためのものであって、実際にそれを読んだ米国人がどう受け取るかということはまったく考慮の外という、自己満足に過ぎないものだったわけです。しかし、ネトウヨ系の人たちは、歴史から学ばない人たちですから、また同じことを繰り返すのでしょう。姉妹都市なんて儀礼的なものですから、破棄することで直接的な不都合は、おそらくないでしょう。不都合があるとすれば対外的イメージです。姉妹都市を破棄することで、対外的にイメージを悪化させるのは大阪市かサンフランシスコ市か。どう考えても大阪市の側としか思えません。まあ、そんなに像の設置が許せないと思うなら、姉妹都市なんて儀礼的なものじゃなくて、もっと実質的なものを破棄と言ってみたらどうかね、と思います。日米安保破棄、とかね。言えないでしょうけどね。安全保障という国の根幹部分で米国の下僕であることを是としておきながら、姉妹都市なんて枝葉末節の部分で解消だなんだと騒いだところで、説得力などあるはずもありません。
2017.11.24
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日曜日に、ボリビアで一番のケーナ奏者、ロランド・エンシーナスの演奏を見に行った話を書きましたが、その際にエストゥディアンティーナという音楽について少し触れました。中世のスペインで、学生が徒党を組んで音楽を奏でながら練り歩いて、学費のカンパを求める風習がありました。これがスペインの植民地支配とともにラテンアメリカにも広がっています。学生(スペイン語でエストゥディアンテ)が奏でる音楽だから、そのような音楽、あるいは演奏スタイルのことをエストゥディアンティーナと言います。ただし、現在のスペインでは「トゥーナ」と呼ばれることの方が多いですが。発祥の地スペインとラテンアメリカ各国に、それぞれちょっとずつ違った、でも互いによく似たエストゥディアンティーナ(トゥーナ)があります。まず、先日見た「エストゥディアンティーナ・ボリビアーナ」の演奏の元になったボリビアのグループ「ムシカ・デ・マエストロス」の演奏するエストゥディアンティーナ。この動画は以前にも紹介したことがあるかもしれません。クエッカという舞曲ですが、ケーナ、サンポーニャ、チャランゴというフォルクローレの定番楽器も入っていますが、それ以上にバイオリン、ビオラ、コントラバス、マンドリン、ホルン、コンセルティーナ(コンサーティーナ)といったヨーロッパ系の楽器が主役です。(余談ですが、この動画でのバイオリン奏者は日本人の小松早百合さん)こちらもボリビアのエストゥディアンティーナ。「コジャ・マルカ」というグループの演奏です。先ほどのムシカ・デ・マエストロスより小編成(とは言え9人編成は、一般的ないわゆるフォルクローレの編成よりずっと多いです)ですが、バイオリン・ビオラとホルンが欠ける以外はほぼ同じ楽器構成です。ただ、ボリビアのエストゥディアンティーナは、20世紀半ば頃、いったんほとんど廃れてしまった時期があるようです。それが、1980年代以降、再び盛んになるに際しては、ケーナやサンポーニャが加わる(スペイン起源の白人系音楽なので、先住民系の楽器であるケーナやサンポーニャは元々入っていなかった)などの改変が加えられています。で、本家本元スペインのエストゥディアンティーナ(トゥーナ)はこんな感じです。スペイン北部のサラゴサのトゥーナ。スペインとラテンアメリカの中継点となった島、スペイン領カナリア諸島カナリア諸島の中心都市ラス・パルマスのラス・パルマス大学のトゥーナ。左から4番目の弦楽器は、チャランゴのようです。カナリア諸島にもチャランゴがあるのでしょうか。あるいは近年に南米から入ってきたものかもしれませんが。メキシコラテンアメリカ最古とされる大学があるグァナファトのエストゥディアンティーナです。ベネズエラボリビアのエストゥディアンティーナに、ボリビアの「国民楽器」であるチャランゴが入っているように、ベネズエラのエストゥディアンティーナにはやはりベネズエラの国民楽器であるクワトロが入っています。エクアドルペルーこれを聞くと、要するにペルーの山岳地帯の典型的なスタイルの「フォルクローレ」は、すなわちエストゥディアンティーナなんだな、ということに気付きます。チリ「ラテンアメリカのエストゥディアンティーナとトゥーナの出会い」というテレビ番組中の演奏です。アルゼンチンどうやら、アルゼンチンではスペインと同じく「トゥーナ」と呼ぶようです。「エストゥディアンティーナ」とアルゼンチンで検索しても、子どもの鼓笛隊みたいな映像しか引っかかってきません。動画は、アルゼンチン北西部のフフイ(この場所自体、アルゼンチンにおけるフォルクローレの宝庫として知られています)の国立フフイ大学のトゥーナのようです。そして、なんとラテンアメリカ以外の国にもエストゥディアンティーナはあるみたいです。南北アメリカ大陸以外で、スペインの植民地だったことのある国といえば・・・・・・フィリビン背景、経緯はよく分かりませんが、フィリピンではどうやらエストゥディアンティーナは踊りになっているようです。でも、伴奏の音楽は確かにスペインのトゥーナ、ラテンアメリカのエストゥディアンティーナとほぼ同じものです。こうしてみると、「エストゥディアンティーナ」「トゥーナ」と呼ばれる音楽に不可欠な楽器はマンドリンかその類縁楽器(ギターもですが、ギターはどんな音楽にも使われますから)ということになりそうです。まあしかし、エストゥディアンティーナと言いつつ、どう見ても、何十年も前に「学生」は卒業しているだろう、という奏者も多いのはご愛嬌ということで・・・・・・。
2017.11.22
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教育長「地毛が黒」と真っ向対立 “黒染め強要”高3提訴大阪府立高校の女子生徒が生まれつき茶色い髪を学校から黒く染めるよう強要されたとして裁判で府を訴えていますが、17日、教育長が会見し「生徒の髪の色は生まれつき黒だという前提で指導した」と真っ向から食い違う認識を示しました。訴状によりますと、羽曳野市にある府立懐風館高校に通う3年の女子生徒は生まれつき髪が茶色で、入学時に母親が学校側に配慮を求めていました。ところが、教諭らは黒く染めるよう繰り返し指導。女子生徒は頭がかぶれるほど黒染めを繰り返しましたが「不十分」と指導され、去年9月以降、不登校になりました。学校の校則によると「身だしなみについて」という規則の中で「染髪・脱色・エクステは禁止する」としていて、一連の問題に関し17日、教育長が初めて見解を述べました。「私どもは地毛が黒ということで、学校現場は指導した。その地毛が黒というのは3人の教諭が根元を見て確認した。中学時代はどうだったかという聞き合わせもした」一方で、この生徒をめぐっては今年4月、3年生に進級した際にクラス名簿に名前を載せず、教室に席がなかったことがわかりました。学校側は「生徒の個人情報に関わるので説明は差し控える」としていますが、今月14日から名簿に記載しているということです。女子生徒側は「学校から排除しようとしているとしか考えられない」と主張しています。---高校生側は「生まれつき茶髪なのに黒く染めさせられた」と言っていますが、学校側は「生まれつき黒だという前提」だそうです。どちらの言い分が事実なのかは私には分かりませんし、そこが問題の本質とも思えません。私が疑問なのは、何でそこまでやるのか?ということです。周囲を見回してみればすぐに分かることですが、今の時代女性の、少なくとも半分以上は髪を黒以外の色に染めています。若い世代だともっと多いかもしれません。そのことの良し悪しはともかくとして(わたしの相棒は染めていない)、そういうものなのです。その中で、高校生だけ髪の毛を染めることを禁じる根拠は、果たしてあるのでしょうか。そりゃもちろん、飲酒や喫煙、異性との性的な関係なら、高校生は禁止というのは分かります。法で(あるいは条例で)禁じられていることですし、そのことを別に考えても、若い肉体に悪影響があることは事実ですから。しかし、髪の毛を染めることは、どんな法にも条例にも反しません。だから、校則で禁じられていない学校も少なからずあるし、そういう学校の生徒は普通に染めています。私の母校もそうでした。30年以上も昔なので、染めている子は少なかったですが、皆無ではありませんでした。私が高校生だった頃、あるいはそれ以前には、世間に髪を染めている人は少なかったので、高校生が髪を染めていたら目立ちました。だから当時は茶髪・長ラン/ロングスカートは不良のトレードマークだった(笑・1980年代のはなし)。今、「茶髪は不良」なんて言ったら、世の中の女性の大半は不良になってしまいます。女性の髪の色をめぐる世の中の志向がこんなに変わっているのに、未だに「茶髪は不良」の時代の価値観のままに茶髪を禁じるのは、時代錯誤としか思えません。まして、地毛がどうなのか、とか、そんなことの確認にエネルギーを使って、その挙句にクラス名簿に名前を載せないとか、席をなくしてしまうとか(今月14日「から」名簿に記載している、ということは、それまでは名簿に載せていたなったことを認めているわけです)、それは学校自らが生徒をいじめているも同然、と言うしかないでしょう。
2017.11.20
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「ボリビア民衆オーケストラの魅力」というコンサートに行ってきました。現在ボリビアで最高のケーナ奏者(異論は却下!)であるロランド・エンシーナスと、その息子アドリアン・エンシーナス、甥のギタリスト、ジュリアーノ・エンシーナスと、日本の「エストゥディアンティーナ・ボリビアーナ」によるジョイント・コンサートです。第一部はエンシーナスを中心に5人のコンフント(小編成)スタイル、そして第2部がエストゥディアンティーナ・ボリビアーナとの大編成の「フォルクローレ・オーケストラ」でした。いや、実に素晴らしかったです。エンシーナスを中心とする小編成による第1部も素晴らしかったのですが、第2部、エストゥディアンティーナ・ボリビアーナの演奏が、完成度が高くてびっくりでした。エストゥディアンティーナ・ボリビアーナの演奏は過去何回か見たことがあるのですが(以前は「オルケスタ・エストゥディアンティーナ・ハポネサ・ボリビアナ」という長い名前を名乗っていました)、大きな声では言えませんが、その時々で演奏の出来不出来の差が結構ありました。今日の演奏は、わたしが聞いた範囲では過去最大に素晴らしかったように思います。もちろん、強力すぎる助っ人が加わった、ということもありますが、多分それだけではないでしょう。「エストゥディアンティーナ」というのは、直訳すると「学生の音楽」となりますが、スペイン語圏の各国で学生がが伝統的な衣装をまとってセレナーダを演奏する風習をこう呼びます(トゥーナと呼ぶこともあります)。スペインにもあるし、ラテンアメリカ各国にもあります。ボリビアにもある。今日の演奏は、撮影などはしていませんが、YouTubeを探すと昨年の同じ組み合わせによるコンサートの映像がありましたので、紹介します。演奏は素晴らしいですが、録音の音質があまりよくありません。エンシーナスは、左端で、ケーナではなくコンセルティーナ(コンサーティーナ)を弾いています。コンセルティーナというのは、アコーディオンやバンドネオンと同属の蛇腹楽器ですが、それよにずっと小型です。もちろん、元々は南米の楽器ではありません。私も弾いてみたいなと思ったのですが、これ以上新しい楽器に手をつけても、練習する時間が取れるわけがないので、やめました。音楽の上手い人の中にはいろんな楽器をすぐに演奏できる人がいますが、多分エンシーナスもその一人です。ケーナとコンセルティーナ以外に、私の見た範囲では、バイオリンも上手い。ただ、それ以外の一般的な弦楽器、ギターやチャランゴ、マンドリンなどを弾いているところは見たことがないですけど。では、エンシーナスのケーナはどんなものか。Villancico(ビジャンシーコ)というのは、ボリビアのクリスマスソングです。なんだか激しいクリスマスソングですが、南半球であるボリビアのクリスマスは夏なので、激しい曲でいいのです。素晴らしかったので、次の来日もまた見に行きたいなあ。(今回は、日本での最終公演が今日でした)
2017.11.19
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維新・足立議員「石破氏らは犯罪者」「朝日報道は捏造」学校法人「加計学園」の獣医学部新設問題について審議した15日の衆院文部科学委員会で、日本維新の会の足立康史衆院議員が質問に立ち、自民党の石破茂元幹事長、希望の党の玉木雄一郎代表と立憲民主党の福山哲郎幹事長を名指しして「犯罪者だと思っている」と発言した。「総理のご意向」などと記された文部科学省の文書の存在を報じた朝日新聞の記事についても「捏造」と繰り返した。石破氏は国家戦略特区で獣医学部新設を認める条件について閣議決定した当時、地方創生担当相だった。玉木氏と福山氏は、一連の問題について国会で追及してきた。足立氏は質問で、玉木氏と福山氏について「献金もらってるんですよ。獣医師会から」と指摘。請託を受けてあっせんをしたり、国会で質問したりすればあっせん収賄などの罪にあたると主張した。さらに「何らかの権限がある」として石破氏の名を挙げ、「受託収賄、様々な疑惑が取り沙汰されている」と発言。3人について「わたしは犯罪者だと思っています」と述べた。犯罪と断定するだけの証拠は示さなかった。その上で、問題をめぐる国会の審議について、冨岡勉委員長に対し、「今の国会は疑惑ある国会議員を追及する場がない」として、質疑の機会を設けるよう求めた。足立氏はさらに、獣医学部新設計画について、内閣府から「総理のご意向だと聞いている」と言われたとする記録などを文科省が文書にしていることを報じた朝日新聞の報道を「捏造」とし、加計学園の問題が「捏造報道から始まっている」との自説を述べた。足立氏は経済産業省の元官僚で、現在3期目。国会で民進党に対し「アホ」と発言するなどして懲罰動議を出されたことがある。加計学園の問題をめぐる朝日新聞の今月11日付朝刊の社説に対し、ツイッターで「朝日新聞、死ね」と投稿していた。---20年前、閣僚が「南京大虐殺はなかった」だの「大東亜戦争は正義の戦争」だのと言えば、閣僚の地位を失いました。ところが、今はそういう極右系政治家がゴロゴロいるようになってしまいました。そして、今度は特定の新聞社名を挙げて「死ね」という政治家まで現れた。ということは、今はさすがにこの発言は大批判を浴びているけれど、このままいけば20年後には本当に政治家が朝日新聞を「殺す」日がきてしまうかもしれません。もっとも、朝日の前に産経が「死ぬ」かもしれませんけど。もちろん、政治的に弾圧されるという意味ではなく、経営が立ち行かなくなるという意味ですが。それにしても、確たる根拠も示さず、単なるネット上のデマをそのまま鵜呑みにして、新聞社や議員を名指しで「捏造」だの「犯罪者」だのと、言い方が滅茶苦茶過ぎます。それならば、「足立議員よ、お前も安倍を擁護するために、安倍から金をもらってそういう攻撃をしているんだろう、お前も犯罪者だ、ソースは俺の脳内だ」と言っても構わないことになります。「朝日新聞死ね」は、自分は死ねという言葉がよいとは思っていないが、「日本死ね」が許されるならいいだろ、と、要約するとそういう言い分です。アタマ悪いとしか思えません。そもそも、名もしれぬ誰かが「日本死ね」と書いたら国会議員が同じことをして良い、ということにはなりません。「日本死ね」の投稿に国会で言及した山尾議員も、「言葉は荒っぽいが」という留保をつけた上で引用しています。それ以上に重要なのは、日本人が「日本死ね」というのと、外国人が「日本死ね」というのは、意味合いや受け取られ方がまったく違う、ということです。自民党総裁(当時)である小泉純一郎が「自民党をぶっ壊せ」というのと、野党の議員が「自民党をぶっ壊せ」と言うのも、意味合いが違います。同様に朝日新聞の社員が「朝日新聞死ね」というのと社外の人間が「朝日新聞死ね」と言うのも意味合いが違います。しかも、「日本死ね」は、別にその言葉に主眼があるわけではなく、保育園落ちたの窮状に注意を向けるための枕詞でしかありません。つまり、明らかに日本人である誰かが、保育園に落ちた窮状を訴えるために「日本死ね」ということと、朝日新聞の社員ではない国会議員が、朝日新聞を非難攻撃する意図で「朝日新聞死ね」というのは、まったく同列におくことはできない、ということです。そういう要素を無視して、「日本死ね」が良いなら「朝日死ね」もいいじゃないか、というのは、字面だけを見てその奥にあるものを読み取れない、あるいは読み取ろうとしない人間、ということです。知性のかけらもない、と言うしかありません。それにしても、この手のネトウヨ議員が本当に増えてしまいました。首相からしてその手の人物なのだから、当然の成り行きではありますが、日本の将来は真っ暗と思ってしまいます。
2017.11.17
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以下の案内が来ております。私も参加する予定です。南京への道・史実を守る会は、「南京・史実を守る映画祭」と題し、2007年の南京事件70周年を期して制作された映画の上映会を行って来ましたが、この度、東京・四谷の四谷区民ホールへ場所を移し開催します。上映内容は、陸川監督『南京!南京!』、F・ガレンベルガー『ジョン・ラーベ ~南京のシンドラー~』。いずれも数々の映画賞を受賞し世界的に注目を集めた作品です。また、それぞれの映画上映の後にアフタートークとして戦後責任研究会 神子島健さんと大阪府立大学の永田喜嗣さんにご登壇いただきます。是非とも、皆様お誘いあわせの上ご参加ください。戦後責任研究会・「南京・史実を守る映画祭」実行委員会南京・史実を守る映画祭http://johnrabe.jp/2017年12月2日(土)第1回(映画+アフタートーク)12:30開場 | 13:00上映 | 15:30アフタートーク『南京!南京!』(陸川監督、2009年、中国、133分)第2回(映画+アフタートーク)16:30開場 | 17:00上映 | 19:30アフタートーク『ジョン・ラーベ 南京のシンドラー』(F・ガレンベルガー、2009年、独・仏・中、134分)アフタートーク神子島 健 (戦後責任研究会・成城大学)永田 喜嗣 (大阪府立大学)料金 一上映1000円全席自由席(前売り券無し、予約致しません)場所 四谷区民ホール(9階)交通地下鉄:東京メトロ丸ノ内線 「新宿御苑前」2番出口(大木戸門)より徒歩5分都バス:品97 新宿駅西口~品川車庫「新宿一丁目」下車■お問合せ 戦後責任研究会・「南京・史実を守る映画祭」実行委員会
2017.11.16
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共産・志位氏、首相批判「晩餐会に野党招かなくなった」「かつての自民党政権は首相主催の晩餐会に、野党党首も招待し、超党派でもてなしたが、安倍政権になって一切なくなった」。共産党の志位和夫委員長は11日付のツイッターで、トランプ米大統領をもてなす6日の夕食会に野党党首を招かなかった安倍晋三首相に苦言を呈した。2000年から党委員長を務める志位氏はツイッターで「私も招待があったときは必ず参加した。米国のブッシュ大統領と挨拶、ツーショットの写真を撮ったこともある」と振り返り、首相に「見直した方がよいと思う」と求めた。同党によると、第1次政権を含めて安倍政権で志位氏が招待されたことは一度もないという。---正直なところ、野党党首が外国要人の晩餐会に招待されているかどうか、ということは特に注目していませんでした。が、外国要人を「日本国として」歓迎する、というのであれば、確かにその歓迎の主体は与党だけの独占物ではないはずです。そのあたりについて、かつては自民党にも良識と配慮があったから、晩餐会に野党党首も招待していたのでしょう。何で普段反米的な主張を掲げる共産党の委員長が米国の大統領の晩餐会などに出るのか、という意見もあるでしょうが、それが政治の本来の姿だと私などは思うのです。親しき中にも礼儀あり、という言葉がありますが、対立する間柄でも一定の礼節はあってしかるべき、ということも言えるのではないでしょうか。かつて55年体制下で、自民党と社会党は表では激しく対立しながらも、裏では常に交渉と妥協が行われていた、というのは、今日では批判的に言及されることが多いようです。確かに「やり過ぎ」な面は否めなかったのでしょう。しかし、政治とは完全勝利と無条件降伏ではない、という見地から考えれば、対立する問題について遺恨を最少限度におさえ、政治を円滑に進めるための合理的な手段でもあったと思います。安倍は、お友達優遇、と言われますが、裏返せばお友達以外、特に「敵」と認定したものに対しては徹底的に攻撃的な態度を取ろうとする、ということでもあります。与野党の質問時間の配分、首相でありながら国会ですぐキレる、首相自らヤジを飛ばす、などのことは、すべてそこにつながっているのだと思います。この件も同様です。「敵」である野党は政治的に切り捨て、外交の儀礼的な場さえ同席したくない、というわけです。個人の友達関係なら、意見の違う奴とは没交渉、でもいいでしょう。しかし、政治とは、そういうものではない、と私は思います。あれだけ激しく対立していた冷戦時代の米ソでさえ、国交断絶したことはないのです。そうでなければ、戦争以外に政治的な対立を解消する術はなくなってしまいます。否、戦争中の当事国同士でさえ、裏では交渉チャンネルを維持している例は、多々あるのです。
2017.11.14
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高校同期の仲間と谷川岳の一ノ倉沢に行って来ました。と言っても、もちろん、一ノ倉沢を登ったわけではありませんよ。見に行っただけです。行きの上越線車内より。紅葉真っ盛りで、絶景です。水上駅で乗換え。ここも紅葉の盛りでした。土合駅到着。実は、今回はシークレット企画で、行き先は秘密、なのでした。しかし、わたしは(幹事だったわけではないけれど)行き先がここであることを事前に割り出していたので、ニヤニヤしながら見ていたら、皆さんこの階段を見て仰天していました。ホームから地上まで標高差70m、JR東日本の「一生に一度は訪れたい駅」ランキング堂々の1位だそうです。私は、一生に一度どころか、今年だけで3回目ですが。最初に通過しようとしたルートは、この状態。実は、4月にも来たことがあって、そのときも同じ状態でした。わたしはジョギングシューズだし、他のメンバーも布製の登山靴なので、ここはあきらめました。今日の関東は晴天でしたが、北部の山沿いは曇天で、土合駅に到着したときは霧雨でした。待つ間に雨がやんだので出発したのですが、この後再び降雨。谷川岳ロープウェイの駅でしばし待機し、(メンバーに初心者も多いので)あきらめて引き返そうかとロープウェイ駅を出たところで、晴れ間が出たので「やっぱり行こう」と反転。谷川岳ロープウェイの脇を通って目的地である一ノ倉沢へ。まず、マチガ沢に出ます。雨はやんでいますが、天気は相変わらずどんよりです。マチガ沢。見てのとおり、わずかながらすでに冠雪しています。マチガ沢から、更に一ノ倉沢を目指します。本日の同行メンバーは私を含めて8人でした。谷川岳ロープウェイの山麓駅から一ノ倉沢までは舗装道路なのですが、なんとそこをバスが走っているのです(10人乗りくらいの小さな車両でしたが)。運賃は500円だそうですが、片道料金か往復料金かは聞き忘れてしまいました。多分片道だと思いますけど。ゴジュウカラがいました。コゲラ。一ノ倉沢に到着。相変わらずどんよりと曇っています。谷川岳は、世界でもっとも多くの遭難死者を出した山(800人以上)としてギネスブックに載っていますが、そのほとんどはこの一ノ倉沢の岩壁で発生しています。今となっては信じられないことですが、戦前から昭和40年代にかけて、この岩壁のあらゆるルートで「初登頂」をめぐる競争が過熱、より困難なルート、より困難な季節(厳冬期)を求めた結果です。あらゆるルートが登りつくされてしまったこと、かつて一般の日本人には不可能だった海外登山が困難ではなくなったため、より困難な登山に挑む人はヒマラヤなど海外に向かうようになったため、そのような初登頂競争は沈静化し遭難も減りました。もちろん、今も岩登りでここを目指す人は数多くいます。私の冬山の師匠も、一ノ倉沢を登っていますが、私は絶対登れないだろうなあ。ここで昼食。そして沢の水を沸かしてコーヒーをいただき、わたしは例によって笛を練習。次第に晴れてきました。しかし、風は強く、かなり寒いです。一ノ倉沢方面も雲が減ってきました。しかし、山頂部にかかるガスが晴れることは、ついにありませんでした。帰路再びマチガ沢を通過。行きはどんより曇っていましたが、帰りはだいぶ晴れていました。それにしても、東京から往復とも各駅停車、所要は片道4時間。現地滞在が7時間くらいだったので、現地滞在時間より列車に乗っている時間の方が長かったです。でも、素晴らしい景色を眺めることができました。
2017.11.12
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在英インド高等弁務官の「インドの独立は、英国が日本に勝ったおかげ」発言に鼻白む冷や水を浴びせられた思いがした。インド独立の英雄、チャンドラ・ボースがシンガポールに「自由インド仮政府」を樹立して74年にあたる10月、ロンドンのホテルでボースの娘、アニタ・ボース・プファフさんが開いたパーティーで在英インド高等弁務官が「独立は英国が日本に勝って成し遂げられた。ボースの評価が定まらないのは帝国主義、日本と組んだから」と発言したのを耳にしたからだ。インド国民軍を指揮して日本軍とともにインパール作戦を戦ったボースは終戦直後、台北で不運な事故でこの世を去った。英国は戦後、インド国民軍を反逆罪で処罰しようとしたが、国民が蜂起して大暴動に発展し、英国は統治権を返還した。インド国民軍の活動が「間接的に300年の植民地支配を終わらせた」とされ、初代インド首相のネール氏も「独立は日本のおかげで30年早まった。この恩は忘れてはならない」と述べている。くだんの高等弁務官は駐在する旧宗主国に配慮したのだろうか。英国の歴史観に基づき発言したようだった。アニタさんは来年早々、インドのモディ首相に会い、東京・杉並の蓮光寺に眠る父の遺骨を祖国に持ち帰る計画を進めている。しかし、肝心のインド政府の歴史認識が異なれば、日本人として協力する気がうせてくる気がしてならない。---ネトウヨ系の連中は、何故かインドを持ち上げたがるものです。本質的には、インドと中国が対立しているから、敵の敵は味方ということに過ぎないと思うのですが、そこに「インドはいかに親日国か」という尾ひれをいっぱいつけて自らの「インド愛」を粉飾しているのでしょう。しかし、その実、インドは日本に対する特別な親近感を抱いているわけでもない(もちろん、敵意はないでしょうが)し、まして戦前の軍国日本に対する親近感など、あるわけがありません。ネルー(引用記事には「ネール」とありますが、日本語では「ネルー」が一般的では?)の「親日的」な発言を引用していますが、しかし、ネルーは、日露戦争で日本がロシアを破ったことに一度は熱狂したものの、後にはこう書いています。日露戦争のすぐ後の結果は、一握りの侵略的帝国主義グループにもう一国を加えたというに過ぎなかった。その苦い結果を最初になめたのは、朝鮮の民衆であった。日本と朝鮮の両国は、中国に莫大な借りものをしたわけだ。あるものはインドからも受け入れたが、インドから来たものは、すべて中国の手をつうじて伝えられ、中国の精神によっていろどられたものであった。気の毒な小国朝鮮は~日本に併呑され、その帝国の一部にされているからだ。しかし朝鮮は、いまも自由を夢み、独立をもとめて戦っている。日本のほうは、いましきりに活躍して、新聞はその中国攻撃の記事で埋まっている。ごく当然の認識と思いますが、ネルーを持ち上げたがるネトウヨ系にとっては不都合な真実であることでしょう。にもかかわらず、勝手にインドに親近感を抱いた挙句、そのような事実を知ると「冷や水を浴びせられた思いがした」だの「鼻白む」だの、アホか、としか思えません。「高等弁務官は駐在する旧宗主国に配慮したのだろうか。英国の歴史観に基づき発言したようだった。」なんてのもね、日本の侵略を侵略と断じる歴史観は、何もイギリスだけの専売特許ではありません。自分にとって都合の悪い意見をすべて「敵」(欧米列強)の歴史観と断ずるのは、ひと言でいってアタマが悪い、としか思えないものです。だいたい、今更インドがイギリスに配慮する必要性など微塵もないでしょうし。それに、そういう言い方をするなら、来日直前に「リメンバー・パールハーバー」と発信したトランプに対しては産経は何を言ったのか。ただただ安倍とトランプの関係を持ち上げるだけで、何も言わなかった。それこそ、現宗主国に配慮して、何も言わなかったんでしょ?ちなみに、彼らが「インド独立のための大義の戦い」にしたがるインパール作戦がどれほど悲惨なものであったかは、戦史を知るものには今更説明不要でしょう。無謀な作戦、ずさんな補給計画、撤退を禁じる現実離れした作戦指導によって、大量の戦死者、戦病死(餓死)者を出したのです。大義どころか、そこにあったのは泥水と生きながら蛆虫に喰われる肉体、そして白骨死体の行列、地獄という以外に表現しようのない世界でした。
2017.11.10
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トランプ氏「日本の膨大な兵器購入、重要」日米首脳会談安倍晋三首相は6日、来日中のトランプ米大統領と東京・元赤坂の迎賓館で首脳会談を行った。北朝鮮に対する圧力を最大限に高めることで一致。安倍首相が提唱する「自由で開かれたインド太平洋戦略」を共通の方針として掲げることでも合意した。良好な同盟関係を示したものの、米側が貿易赤字の解消を求める通商問題は継続協議とした。~首脳会談では、日本が米国製の防衛装備品をさらに購入していくことも議題となり、会見でトランプ氏は「非常に重要なのは、日本が膨大な兵器を追加で買うことだ」と指摘。米国での雇用拡大と日本の安全保障環境の強化につながるとの考えを示した。首相も会見で「日本の防衛力を質的に、量的に拡充していかなければならない」とした。---「北朝鮮は危険だ」というのは、現状そのとおりですが「だから米国製の兵器をもっと買え」というのは、「危機を煽って金儲け」という本音が丸見えといわざるを得ません。なるほど、日本が米国の兵器をたくさん買えば、米国の雇用拡大にはなるかもしれませんが、それで日本の安全保障環境が強化されるわけではありません。大量の兵器が国家の安全を保障するわけではありません。北朝鮮は(国力との比率では)巨大な軍備を整えていますが、それであの国は安全を保障できているでしょうか。むしろ、分不相応に巨大な軍備(米国に比べれば取るに足らないものですが)がゆえに、いつ米国に叩き潰されるかと脅えなければならせない状況に陥っているように見えます。その米国は、世界一の軍事大国ですが、それによって安全が保たれている、というより、世界中の反感を買って、テロの標的になっているのが現実と思わざるを得ません。我らが祖国日本を振り返ってみても、史上もっとも強力な軍備を整えていた1940年代初頭、日本は安全どころか破滅への道を転落することになりました。巨大な軍備は、安全への道ではなく、なお一層の他国不信とその末には破滅への道が待ち受けているのが現実です。さしあたって、日本はすでに防衛費が冷戦時代も上回って過去最高額になっているわけですが、それでももっと米国製の武器を買え、ということは、「その代わりに国産兵器を買うのをやめる」ということでなければ、更に際限なく防衛費を増やす、ということになります。打ち出の小槌でもあって、お金が沸いてくる、というのでなければ、そのように際限なく防衛費を増やせば、代わりに別の予算を減らす、ということになるでしょう。もっとも、安倍政権は国債という「打ち出の小槌」を振り回してどんどん財政赤字を増やすことに熱心なようですが。それにしても、来日直前に「真珠湾を忘れるな」と言われても何も言わず「米国製兵器をもっと買え」と言われると、「ご主人様、仰せのとおりに」という寸法です。そのくせ、トランプの次の訪問国韓国に対しては、トランプの歓迎夕食会に元慰安婦を呼んだ、「独島エビ」なるものを使った料理を出したというだけで、外務大臣が抗議した、というのです。そりゃ、安倍政権にとっては元慰安婦も独島エビも快くはないのでしょうが、日本の要人が招待されているわけでもない夕食会に誰を呼ぶか、どんな料理を出すかなんてことを、いちいち他国に文句を言える筋合いのものなのか。そんなことに文句をつけるなら、「真珠湾を忘れるな」に少しは反応したらどうなんだ、と言わざるを得ません。まったく狂った政権、狂った外務大臣だよ。
2017.11.08
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先週の10月29日、中野区新井区民活動センター「あらいまつり」での演奏を、今更ながらYouTubeにアップしました。(音声のみ)実は風邪で調子が悪く、風の踊りというより風邪の踊り状態になっておりました。なので笛の調子も主観的には最悪だったのですが、録音を聞くと(リズムが危ういところはありますが)自分で思っていたほどにはひどくない。「笛が鳴らねー!!!」と思っていたのは、鼻が詰まって耳が遠くなっていただけかも・・・・・・。で、先週演奏したばかりですが、今週も練習がありました。練習の後、中野の四季の森公園で「チャランケ祭」というものをやっていたので、足を運んでみました。沖縄とアイヌ、日本の南端と北端の音楽、踊りと料理などのイベントです。実は、2年前にも来たことがあります。そのときは家族3人でしたが、今回は練習がえりなので私一人。大盛況です。午前中の練習で、もちろん朝食は食べていったのですが、笛をバンバン吹いてヘロヘロです。まず、アイヌ料理「ハルコロ」の特製鹿肉シチュー。「ハルコロ」は新大久保にあり、来日したチリ人のFB友達(!)に教えてもらって一緒に食べに行ったことがあります。まだ足りないので・・・・・・沖縄そば。お腹がいっぱいになったところで、演奏と踊りを見に行きます。エイサーの団体がいくつも出ています。こちらは和光小学校のエイサー。私立ですが、小学校でもエイサーをやるところがあるのですね。和光鶴川小学校のエイサー。ペウレ・ウタリの会。アイヌの踊り。このイベント、一番最初は上記の「ハルコロ」と中野の沖縄料理店「あしびなー」の金城さんが中心になって始めたイベントなのだそうです。その金城さんの主宰する「中野新道エイサー」とは、毎年「あらいまつり」でご一緒させていただいており、先週も一緒に演奏しました。この日の出演していたのですが、時間が4時過ぎというのであきらめてしまいました。先週見たし。この3連休は晴天でしたが、10月後半はかなり冷え込んだので、東京の紅葉もぐっと進みました。ちゃんと調べていませんが、感覚的には例年より紅葉が少し早い気がします。都心の紅葉は、いつもは11月後半、下手すると12月になることもあるように思います。このまつり、今年で24回目だそうです。来年も見に行こうかな。
2017.11.06
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「リメンバー・パールハーバー」 トランプ氏つぶやく「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」。アジア歴訪を前に米ハワイを訪れているトランプ大統領は3日夜、76年前の旧日本軍による真珠湾攻撃の追悼施設「アリゾナ記念館」を訪れた後、自身のツイッターで、こうつぶやいた。トランプ氏はメラニア夫人と共に船で、真珠湾攻撃で沈没した戦艦アリゾナの上に建てられたアリゾナ記念館を訪問。ハリス太平洋軍司令官に案内されながら、犠牲者に献花し、慰霊した。「リメンバー・パールハーバー」は、第2次大戦中、日本が真珠湾を奇襲したことを受け、米政府が国民を戦争遂行に動員する標語として使われた。トランプ氏はツイッターで日本には言及しておらず、真意は不明。「我が国の偉大な軍に感謝する」とねぎらい、ハワイに到着してから同記念館でメラニア夫人と献花するまでの様子を収録したビデオも投稿した。---「真珠湾を忘れるな」自体は、不思議でもなんでもない話ではあるでしょう。ただ、一国の元首が、来日直前のタイミングでそれを言うのは政治的に何も考えていないのではないかという疑念を強く抱かせるものです。そしてまた、それに対して何も言わない安倍信者たち。中国要人が来日直前に「南京大虐殺を忘れない」と言ったら、やつらは火がついたように吹き上がるに決まっているのに、相手がトランプだと何も言わない。まあ実に分かりやすい話ではあります。それで、ネトウヨの機関紙産経新聞は果たしてどのように報じているのかなと思って検索したところ、産経のサイトのどこを探しても見当たらないのです※。「歴史戦」とか言って米国やカナダでの慰安婦像の設立に対しては狂気じみた執念で報じているのに、トランプの「リメンバー・パールハーバー」の呟きは報じない。つまり「真珠湾のことは忘れろ」というわけです。(ちなみに、読売新聞は報じています)まあ、こんな支持者に囲まれた首相が支配する国に対してなら、トランプが何も考えずにつぶやいても反発を恐れたりする必要がないのもうなずけます。※訂正 その後、産経新聞もこの件を報道しました。トランプ氏きょう来日 ハワイ訪問中にツイッターで「真珠湾を忘れるな」ハワイ訪問中に真珠湾攻撃の犠牲者を慰霊する「アリゾナ記念館」を視察したトランプ米大統領は3日、ツイッターに「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」と投稿した。第二次大戦で対日非難として用いられた言葉だが、投稿の真意は不明。---真意は不明もへったくれもないと思いますけどねえ。
2017.11.05
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先日シグマの100-400mmの望遠レンズを購入して以来、一度使っただけで、週末は雨続きでそれ以降なかなか使うチャンスがありませんでしたが、やっと今日の東京は晴天でした。(深夜に雨が降ったようですが)で、葛西臨海公園に行ってきました。アオアシシギアオアシシギ西なぎさに行ってみたら、目の前スズガモに大群がいました。冬到来です。スズガモの大群・・・・・・・のように見えて、よく見ると、違う鳥も混じっています。ホシハジロとカンムリカイツブリが混ざっていました。あとは、キンクロハジロもいっぱいいます。で、西なぎさの東端には、数十人のバードウォッチャーが群がっていました。(実は、帰路に撮ったものですが)何がいるのかなと思ったら、昨日珍鳥オニアジサシが飛来したので、今日もそれを待っているのだとか。確かに葛西臨海公園鳥類園のブログにオニアジサシ目撃情報が出ています。ミサゴがいました。先月来たときもミサゴを確認しています。ミサゴの後ろに数羽のシギかチドリがいます。さてなんでしょう。さすがに分かりませんが、比較的小型の種類でしょう。ハマシギかな。左から2羽目はチドリ類(メダイチドリかシロチドリ)のようにも思えます。この距離でも種類が特定できるシギがいました。ダイシャクシギです。400mmだと、遠距離でもそこそこ大きく写ります。ただ、鮮明に、とはいきません。東なぎさと西なぎさのあいだの水路にカイツブリの仲間が入ってきました。多分ハジロカイツブリでしょう。(ハジロカイツブリは目が赤いはずですが、それは確認できませんでした)ダイシャクシギ。今日は他の鳥が少なかったので、すぐにそれと分かりました。鉄の鳥。英国航空のB777-300だと思います。(最近、生きている鳥ばかりで鉄の鳥の写真はしばらく撮っていませんでした。鉄の鳥は被写体が馬鹿でかいので、400mmもの望遠はいらないかも・・・・・・)メダイチドリカンムリカイツブリはるか遠方の海上の杭に猛禽類が止まっていました。ミサゴかもしれませんがとても判別がつきません。ミサゴだとすると、先ほどの写真の個体とあわせて、2羽以上いることになります。で、オニアジサシは???実は、「昼ごはんまでに帰る」と相棒に約束してしまったもので、帰る時間までに姿を現さなかったのですよ。午後まで粘れば飛来したかなあ、どうだったのでしょうか。私は、多分今シーズンは見る機会にめぐり合わないだろうなあ。で、シグマ100-400mm使用2回目の感想。前回はカメラを構えたときに「重い」と感じたけど、今回は慣れたせいか構えても重いと感じませんでした。ただ、400mmではファインダー内の像がどうしても揺れます。実は、前回の撮影のあと、一脚を購入したので今回もって行ったのですが(2000円もしない安くて軽いもの)、一脚を使ってもファインダーの揺れ具合は手持ちとそれほど変わらない気がしました。手振れ補正機能はもちろんあるのですが、キャノンの55-250mmは手振れ補正でファインダー内の像の揺れが止まるのですが、このレンズはどうもそんな感じがしません。単に250mmより大望遠だからかもしれませんが。それから、ケンコーのテレコンも持っていったのですが、使ってみたところ先日の試写とは違って、オートフォーカスが迷い続けてピントがあわず、やむをえずマニュアルフォーカスで撮影しました。テレコンは、このレンズには「おまけ」みたいなものと解したようがよさそうです。
2017.11.03
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野党の質問時間削減に枝野氏反発「とんでもない暴論」政府・自民党が野党の国会での質問時間を減らすことを検討している問題で、立憲民主党の枝野幸男代表は30日午前、党本部での会合で「とんでもない暴論とも言える主張。一刻も早く取り下げ、建設的な議論ができる状況を作って欲しい。一切、我々として妥協する余地がない」と述べ、検討の中止を要求した。枝野氏は、議院内閣制の日本の国会では、与党議員が国会への提出前に法案や予算案の事前審査を行っていることを指摘。「(政府から)先に全部細かく説明を受け、いろんな主張を潜り込ませておいて、審議の時には同じようにさせろというのは全く論外。議院内閣制の基本が分かっていない」と批判した。菅義偉官房長官は30日午前の記者会見で「国会議員が等しく質問できるよう、各会派に議席数に応じた質問時間の配分を行う。それは当然のことだ」と反論した。---報道によれば、もともと与党対野党の質問時間は与党4対野党6でしたが、民主党政権時代に野党の自民党が質問時間の増を要求して現在の与党2対野党8が定着したとのことです。自分たちが野党のときは野党に質問時間を手厚くしろ、与党になったら野党の質問時間は削ってしまえ、とはとんでもない言い分です。そもそも、本来的には、与党に国会質問などいらない、というのが私の意見です。与党とは政権を握って政策を実行するのが仕事(役割)です。一方、野党とは、政権の外側で政権をチェックするのが仕事です。たとえば、何らかの行政課題について役所(企業でも同じ)が住民説明会をしたとします。質疑応答の時間があるとすれば、それは住民が役所に対して質問をする時間です。それを、「役所の職員にも質問させろ」などと言って、身内の職員のための質問時間枠を設ける、なんてことは、ありえないでしょう。役所の内部で疑問があるなら、説明会の前に別の場所で解決しておけよ、ということに当然なります。それと同じことです。「政府」と「与党」は一体なのだから、わざわざ国会で質問しなくたって、事前にいくらでも質問できるのです。実際に、法案は国会への提出に先立って、与党審査を行うのが日本の国会の慣行です。そうやって政府・与党内での様々な意見集約を経て、法案や予算案は国会に提案されているのです。ひとたび国会に提案された以上は、与党とは質問する立場ではなく質問に答える立場なのです。それなのに、与党の議員が、自党の党首がトップを務める政府が提案した法案、予算案について質問する、というのは、質問者が自党の政策、提案内容も知らない不勉強であるか、またはお手盛りのヨイショ質問であるかのどちらかということになります。まあ、前者に類する無能議員もいるかもしれませんが、与党の質問の大部分は後者でしょう。だいたい、質疑応答というのは質問者と回答者の立場が異なるから成り立つのです。質問者と回答者が同じ立場だったら、原理的にお手盛りのヨイショ質問しかありえず、そんなものは実質的には「質問」の体をなしていないし、内実としてクソ面白くもなありません。実際、与党質問では、質問時間が余ってしまい、般若心境を唱えて時間を潰した議員もいました。まあ、言い方を変えるなら、これは安倍が野党の厳しい質問を受けたくない、お手盛り質問がいい、ということです。相変わらずどこまでもわがままな首相です。そうは言っても、現実に国会の質疑、特に予算委員会の質問や本会議の代表質問はテレビに写るので、テレビに出ることで有権者にアピールしたいと考える議員がいるのはやむを得ないことです(本来、「与党」の議員がアピールすべきはそんなことではないとは思いますが)。だから、本来的には与党に国会質問など不要とは思いますが、そういった現実も考慮すれば与党議員にも多少の質問時間を配分すること自体は、やむを得ないとは思います。が、議席数に比例配分の質問時間、なんてのはどう考えてもおかしいのです。そんなことをすれば、国会質問の半分以上はお手盛り質問になり、それこそ般若心境を唱えるような時間の潰し方をする与党議員がぞろぞろ出てくることになります。国会質疑が形骸化することは明らかです。
2017.11.01
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