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ホリエモン政府批判「マジこんなんで起こすなクソ」堀江貴文氏が29日、北朝鮮が弾道ミサイルを発射したことで発令されたJアラート(全国瞬時警報システム)が迷惑だと苦情。ネット上で物議をかもしている。今日午前6時頃、北朝鮮が予告していた米領グアム沖でなく、北海道方面に弾道ミサイルを発射したことでJアラートが発令された。堀江氏はツイッターで「マジでこんなんで起こすなクソ。こんなんで一々出すシステムを入れるクソ政府」と非難。堀江氏はホテル住まいのため、館内で警報が鳴るのだという。堀江氏のツイートには反論も多数寄せられたが、堀江氏は「だから北朝鮮は本格的な実験しようと思ったら東に撃つしかないんだから、そんなのこっちでどうにもならんやろ。いちいちそんなんでアラート出すべきじゃねーんだよボケ」などと主張した。---わたしは、ホリエモンは嫌いだし、その主張のほとんどに反対です。が、今回のこの主張に限っては、そのとおりだと思います。昨日も書いたとおり、ミサイルの発射実験を行った北朝鮮の所業は許し難いものです。ただ、すでに過去何回もあったことであって、今回特別に何かが変わったわけではありません。そして、今回北朝鮮がミサイルを発射したのは、米国との挑発合戦の結果であり、日本は眼中になかったでしょう。ホリエモンが指摘するように、ミサイルの発射実験をしようと思えば、否応なく日本上空を通過する以外にない(もちろん、北朝鮮がミサイル発射実験を行うこと自体が国連決議に反してはいますが)のであって、「日本にミサイルを撃ち込む」ことなど現実的な可能性として考慮されていたわけではありません。もちろん、ミサイル発射に失敗して日本上空に落下してくる可能性はゼロではなかったでしょう。が、結果として日本政府は上空を飛びぬけたミサイルに対して破壊措置、つまり迎撃ミサイルの発射は行いませんでした。昨日の記事で「迎撃ミサイルを発射する暴挙だけは避けた」と書きましたが、よく考えてみれば意図がどうこう以前の問題です。問題のミサイルは北海道上空550kmを通り過ぎたと報道されていますが、迎撃ミサイルPAC3の最大射高は、せいぜい数十kmだから、届くわけがないのです。つまり、破壊措置が行われなかったということは、レーダーによる航跡確認などから、日本には落ちてこないと確認が取れていたことを意味しています。それなのに、何故Jアラートを発令して、朝の6時から多くの国民をたたき起こし※、電車を止めるような挙に出たのでしょうか。それも、北海道上空を通過したのに、北海道から長野県までの広範囲にわたって。※幸いにも、東京のほとんどはJアラートの対象外だったようで、わたしはこの迷惑な警報を聞かずに済みました。おそらく私の同僚も同様で、だから昨日職場でこのことがまったく話題にならなかったのでしょう。鳴っていたら、ちょっとは話題になっていたはずです。もっとも、足立区に住む知人の携帯はJアラートが鳴ったそうですから、多少の例外はあったようです。わたしはどうも、そこに政治的な意図を感じてしまいます。つまり、「危機」を煽ることで政権の求心力を回復したい、国民を戦時体制に慣れさせたい、そういった意図が潜んでいるように感じざるをえないのです。現実問題として、ミサイル一発のために北海道から長野までというのは、警報として意味を成していません。気象庁のサイトに、東海地震の予知について解説するページがあります。そこに地震予知とは、地震の発生時期、場所、そして規模の三つの要素を地震の発生前に科学的な根拠に基づき精度よく予測することです。例えば「1年以内に、日本の内陸部で、マグニチュード5の地震が発生する」というような幅のある予測はたいてい当たりますが、防災に直接役立つ情報としての価値はあまりありません。防災対策に結びつけられる地震予知のためには、三つの要素の予測幅がある程度限定されている必要があります。という記述があります。まったくそのとおりです。東日本/西日本のどこかで(いつか)地震が起こる、という予測は、そりゃ当たります。日本のどこかで毎日地震はあるんだから。でも、そんなものは何も予測していないも同然で、防災のための実効的な価値はありません。ミサイルへの警報も同じでしょう。「東日本のどこか」なんて、おおよそ無意味にもほどがあります。多分、そう書くと「破片が落ちてくるかもしれないじゃないか」という人が出てくるだろうと思います。ええ、破片が落ちてくる可能性はあります。だけど、高さ550kmの大気圏外から落ちてくるような破片は、大気との摩擦熱でたいてい燃え尽きてしまい、地上にまで届く破片は滅多にないでしょう。それに、地球の周りには多くの人工衛星と、それよりはるかに多くの破片(スペースデブリ)が周回しています。その中には大気圏に落っこちるものも多数あるし、中には燃え尽きずに地表まで達する破片もあります。だからと言って、大気圏に突入する人工衛星やその残骸に対して、いちいちこんな広大な面積にJアラートを発令しますか?上空を通過するミサイルだけにこんな対応をとるのは、明らかにバランスを失しているのです。以下追記netgeekというネトウヨ系サイトが、Jアラート発令を擁護する記事を書いています。【北朝鮮ミサイル】海に落ちたのに日本政府がJアラートを鳴らした理由大要、Jアラートが発令された発射4分後の時点で、もしミサイルの加速が終了していたら日本に落下する可能性があったのだから、Jアラート発令は当然だ、というものです。一見もっともらしいですが、ウソです。そもそも、具体的に今回のロケットの加速が何分で、何分までに加速が終了していたらミサイルが日本に落下する可能性があったのか、という数値が記事には載っていません。ロケットの加速時間、つまり推進剤の燃焼時間は、軌道から計算できます。わたしは物理学は苦手なので自分では計算できませんが、検索すれば燃焼時間は分かります。北ミサイル、燃焼時間短く…意図的か技術に問題北朝鮮が29日に発射した「火星12」とみられる弾道ミサイルについて、米政策研究機関「憂慮する科学者同盟」のミサイル技術専門家、デビッド・ライト氏は読売新聞の取材に応じ、飛行距離が推計射程より短かったのは、エンジンの燃焼時間が短かった可能性が高いとの見方を示した。~ライト氏は、5月の発射時のエンジン燃焼時間を151秒とした場合、燃焼時間を約8秒短くすることで、飛距離が2700kmになると分析。(以下略)---5月のミサイル発射の燃焼時間は151秒、今回は8秒短い143秒という計算です。Jアラート発令は発射4分(240秒)後ですから、それ以前にロケットの燃焼は終了していました。つまりこのミサイルが日本を飛び越えることはJアラート発令の時点ですでに確定していたのです。もちろん、日本側はレーダーで監視してミサイルの位置と速度を把握していたのだから、そのことは分かっていたはずです。したがって、上記netgeekの記事は明らかにデタラメです。
2017.08.30
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朝から、北朝鮮がミサイルを撃った、という報道。しかし、ネット上ではともかく、実世界ではたいして話題になっている気がしません。自宅で夕食時にはちょっと話題になったけれど、職場では誰もまったくその話はせず。ネット上でも、政治的に強い主張を持っている人(左右両方とも、もちろん私も含む)の間では話題になっていても、それ以外はさほど話題になっている印象がありません。もちろん北朝鮮の行動は悪い、非常に悪い。国民が餓死しかかっているのに、こんなことに膨大な国費を投入すること自体が異常。ただ、初めてのことではなく、過去に何回も北朝鮮のミサイルは日本の頭上を通り抜けています。これまでは、「人工衛星の打ち上げ」を自称していましたが、最近はそう偽ることがなくなってきた、というだけ。多くの人は、もちろん「良いか悪いか」と聞かれれば「悪い」と答えるに決まっているものの、「またか」という思い、慣れて関心を失った、というところではないでしょうか。それにしても、どうしようもない安倍政権も、さすがに頭上を通り抜けるミサイルに迎撃ミサイルを発射する暴挙だけは避けたようです。かなりいかれた内閣ではあるけれど、そこまではいかれてなくてよかった。と、言うわけで、ミサイルどこ吹く風と、夏休みの残りを使って、午後からいつもの葛西臨海公園に行ってきました。暑かった・・・・・。加えて、記事にしませんでしたが、今月他にも2回葛西臨海公園に行っています。その分の写真も合わせて。まず、8月12日コアオアシシギとタカブシギがいました。コアオアシシギです。アオアシシギとそっくりですが、それよりかなり小さいこと、嘴がアオアシシギはやや上に反っていて根元が太いのに対してコアオアシシギは嘴がまっすぐで細いこと、全体のシルエットもコアオアシシギの方がほっそりしていることが識別ポイントだとされます。ただ、野外では両者が並んでいないと大きさの差は分かりにくいし、見るアングルによってはくちばしの反りが分かりにくいこともあります。このときは、「コアオアシシギがいます」と鳥類園のスタッフに教えていただいたので区別できたというのが実際のところです。タカブシギ。これまたよく似たシギです。こうやって2羽が並べば一目瞭然なのですが。左がタカブシギで右がコアオアシシギです。つづいて、8月19日(夕方から瑞江のライブハウスで演奏でしたが、その前に同じ江戸川区内で鳥を見ていたわけです)ソリハシシギ鳥じゃない(笑)もちろんカブトムシ。だいぶ弱っていたようで、この後地面に落ちてしまいました。コチドリイソシギそして、今日。左はウミネコ、右はセグロカモメかオオセグロカモメ。多分セグロカモメと思います。こうしてみると、ウミネコは目つきが悪い(笑)ササゴイの若鳥。ササゴイとゴイサギは幼鳥同士も成長同士もかなりよく似ています。でも、図鑑と見比べて判断する限り、これはササゴイ。鳴かないので分かりにくいですが、オオヨシキリでしょう。アオアシシギ大き目の2羽がアオアシシギ、小さいのがキアシシギ。キアシシギそして、ついに登場しました、カワセミです。実は2羽いました。ブログにアップした写真は1羽だけですが。カワセミは、バードウォッチャーの間でもかなり人気の高い鳥です。色が綺麗であることがひとつと、シルエットがかなりアンバランスであることがユーモラスに見えることが原因でしょうか。まだカワセミ。そして最後に・・・・・・コムクドリ。名前のとおり、ムクドリの仲間ですが、数はムクドリよりずっと少なく、都会で見かけることはあまりありませんが、葛西臨海公園では、夏季に一定数が渡来するそうです。色はムクドリとはあまり似ていません。これもコムクドリです。それにしても、今日は暑かったです。
2017.08.29
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前回の続きです。地蔵岳から観音岳に向かう途中、オコジョが出てきました。しかし残念ながら、動きが速くてファインダーに捉えることができず、ただ1枚捉えたこの写真も思いっきりピンボケでした。無念です。改めて地蔵岳オベリスクを振り返ります。私たちが引き返したのは、まだまだたもとの部分でした。タカネビランジ。この花もあちこちに咲いていました。次に目指す観音岳です。矮生のカラマツと、その先に地蔵岳が見えます。このカラマツ、実は別の木の枯れ木の覆いかぶさるようにして生えています。熱帯の「絞め殺しの木」と呼ばれるつる性の植物を彷彿とさせます。言うまでもなく、カラマツは本来はクリスマスツリー上に成長する高木ですが、高山の過酷な環境下での成長のためにこうなったのでしょう。北岳、と言っても雲の中ですが。雲の直下に大樺沢の雪渓が見えます。右下は広河原。観音岳に到着。しかし、天気は相変わらずです。ガスの切れ目に時々地蔵岳が見えました。鳳凰三山の最後、薬師岳に到着です。天気は相変わらず。観音岳を先ほどの写真とは反対側から撮影しています。薬師岳の山頂も、地蔵岳オベリスクほど目立ちませんが、奇岩群が並んでいます。下の写真の岩の方が上の写真より位置が高いので、こちらが薬師岳の実際の山頂なのだろうと思います。薬師岳から5分ほど下ったところに、薬師小屋があります。当初計画時には薬師小屋に泊まろうと考えていたのですが、建替え工事で休業中、新装開業が、なんとこの日(8月26日)の晩からというので、鳳凰小屋宿泊に変更した経緯があります。我々は休憩のためにここまで往復しました。建物はできていて、トイレも使える状態でした。ただ、建物はもちろん出来ていましたが、一部の棟はまだ工事中だったみたいですけど・・・・・・。鳳凰小屋は水流が近くにあって水が豊富ですが、薬師小屋は稜線上なので雨水しかないようです。なので、鳳凰小屋の方が快適かな。(22年前に行ったときは、南御室小屋に泊まりました。そこも水は豊富だった記憶があります)地蔵岳から青木鉱泉への下山にかかります。濃密な亜高山帯林を急降下。シラビソを中心に、オオシラビソとトウヒ(高度が下がるとコメツガも)を若干交えた針葉樹林です。往路の御座石温泉からの道は登り始めが急登で、稜線に出てからはなだらかでしたが、青木鉱泉への下りは、上部が急勾配で、下のほうはなだらかでした。キノコはまったく詳しくないので、名前も毒があるのかないのかも知りませんが、なめこを大きくしたような色合いで目立つキノコでした。樹林の中に、でかい岩がドーンと現れました。この巨石が御座石温泉の由来となった「御座石」なのだそうです。アジサイ・・・・・・・ですよね。それ以外の花には見えないのですが、いくら標高が高いとはいえ、8月も終わろうという時期にアジサイ??(標高1500mくらいの場所です)林道に出ました。「薬師岳まで4時間30分」の表示の4を×で消して6に直しているのが笑えます。確かに、このルートを4時間半で登るのは無理だよね、とそのときは思ったのですが、昭文社の登山地図でも、標準タイムは4時間40分になっていることに、後で気が付きました。昨日紹介したチダケサシの色違い、見たいな花ですが、細部はずいぶん違うので、もちろん別の種類でしょう。名前は分かりません。で、林道は笛を吹きながら歩き、青木鉱泉でお風呂に入ったら、帰りのタクシーを待つあいだまた笛を吹き、この日はずいぶん練習してしまいました。青木鉱泉でビールを飲んでしまいましたが、350mmを1本だけなので、前日みたいにボロボロになることなく、普通に練習できました。ちなみに、今回は自重してケーナ1本とサンポーニャ(マルタサイズ)1組だけしかもって行きませんでした。塩ビ管サンポーニャにしようかと思ったのですが、音域が足りないので結局アシのサンポーニャ。転倒したら割れる(笑)と思ったけど、無事転倒することなく下山しました。もっとも、以前に酔って落として割ってしまい、修理済みのサンポーニャですけど。
2017.08.27
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高校の同期を中心とする4人のパーティーで鳳凰三山に登ってきました。実は、1995年に一度登ったことがあるのですが、それ以来22年ぶりです。8月25日に御座石鉱泉から鳳凰小屋へ、26日に鳳凰小屋から地蔵岳、観音岳、薬師岳を経て青木鉱泉に下山しました。御座石鉱泉からの登りは、最初が急登で、途中からなだらかな尾根道に変わります。花の名前は不詳です。チダケサシというそうです。ハリブキというようです。葉からとげが出ています。これもハリブキと思われます。まだ実がなっていないものです。これはホタルブクロです。鳳凰小屋には3時前に到着しました。小屋の写真を撮るのを忘れてしまいましたが、水が豊富でよい山小屋でした。夕飯は毎日カレーだそうです。ご飯が、多分圧力釜を使っていないためでしょうか(高さ2300mあまりの位置にあります)、やや芯が残っている感じでしたが、カレーは美味しかったです。小屋の前にはヤナギランが咲いていました。ヤナギラン例によってケーナとサンポーニャを持っていって、小屋の近辺で吹いたのですが、結構飲んでしまった後なので、ケーナは吹けましたが、サンポーニャは間違いだらけ。以前にも経験しましたが、ケーナは多少酔っていても吹けますが、サンポーニャはダメみたいです。翌8月26日に、青木鉱泉に降りてきてから、素面でまた散々吹きましたが。小屋から10分くらい下ったところで、富士山の絶景ポイントあり。夕焼けに染まる富士山です。で、一夜明けた今日8月26日、天気は朝方は悪くないけれど次第に崩れるというので、朝食はお弁当にしてもらい、朝4時に小屋を出発しました。当然まだ真っ暗で、ヘッドランプを頼りに歩きます。単独だったらそんな真っ暗の中で一人で歩き出すことは絶対になかったと思いますが、その辺りが4人パーティーの強みです。ただ、途中でルートを間違えてしまい、登山道ではないところをだいぶ登ってしまいました。明るくなったところで間違いに気づき、本来のルートに合流しましたが。(他にも間違えた人がいたようで、踏み跡はあったのです)明るくなって地蔵岳オベリスクが見えてきました。夜明け。すでに天気はあまりよくないのですが、日の出は見えました。朝焼けの地蔵岳オベリスク。オベリスクのてっぺんには岩登りの技術とザイルがないと登れませんが、オベリスクの肩までなら登れるかな、と思ったのですがここまでの登りで暑くてTシャツ1枚になってしまったら、結構寒くなってきた(荷物は下においてきた)、風も強いし、天気もどんどん悪くなりそう、などの理由で、ここで断念。登って登れないことはないですが、綿足しには晴天で風が弱くないと厳しいかな。というわけで、オベリスクの肩は次回の楽しみに取っておきます。オベリスクのてっぺんは、死ぬ覚悟を固めたらにします(笑)ホウオウシャジン。鳳凰三山の特産種だそうです。22年前に行ったときは9月下旬だったので花は記憶がありませんが、鳳凰三山はあまり花が多くない山と言われますが、どうしてどうして、結構花はありました。ただ、土壌が乏しいので、多くの花が密生して咲く、いわゆる高山のお花畑はないようです。ナナカマド、の仲間。紅葉はまだですが、実はなっています。続きは次回に。
2017.08.26
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ファンキー末吉とJASRACの対決についてはすでに記事を書きましたが、その後、これに関連するニュース記事を見ていて、若干気になる記述がありました。ファンキー末吉氏はJASRACに何を求めているのか風スランプのドラマーであるファンキー末吉氏が、JASRACの運営に関して文化庁に上申書を提出したというニュースがありました。~問題になるのは分配金がサンプリング調査によって計算される形態です。ライブハウスにおける生演奏がこれに相当します。サンプリングでやっている以上、多くのアーティストにカバー演奏されるスタンダード曲~以外は、分配の対象から漏れてしまう可能性が生じるのはやむを得ません。すべてのライブハウスにおけるすべての演奏楽曲を捕捉できれば理想的ですが、現実的にはそれは不可能であり、ある程度のアバウトさは避けられません。人件費など考えずにすべての演奏権使用料を正確に1円単位で分配せよ(ただし、事務手数料は現状維持)と言う人がいたとすれば、それはモンスターカスタマーの発想です。(以下略)---栗原潔という方の文章ですが、長いので、私が違和感を感じた部分に限って引用しました。要するに、ライブハウスの演奏楽曲をすべて把握しようとしても、事務量的に無理だからサンプリング調査で(当面のところは)仕方がないじゃない、という趣旨です。一見するともっともなようですが、「すべてのライブハウスにおけるすべての演奏楽曲を捕捉することは現実的には不可能」というのは何故なのか、どうも私には理解できないのです。確かに、1曲ごとの清算は書類を書くのは大変かもしれません。面倒だから包括契約にしてくれ、というライブハウスの経営者も少なくないかもしれません。それはそれでよいのです。バイキングがいい人はバイキングを、単品料理がいい人は単品料理を注文すればよい、というのと同じで、著作権料を払う側が選択できるようにすれば問題ないわけです。コンサートホールにおけるコンサートの場合は、包括契約ではなく、曲ごとの精算が基本となっています。ホールでのコンサートでできることが、ライブハウスではできないのは何故でしょうか。そこに合理的な理由はあるのでしょうか。コンサートホールは数が少なくて、ライブハウスは数が多いからでしょうか?日本にどれだけのコンサートホールとライブハウスがあるのか、その数字は知りませんけど、直感的には、両者を比較したら、ライブハウスの方が数は少ないだろう、と感じます。たとえば、毎年10月に日本最大のフォルクローレ・フェスティバルが行われる福島県川俣町には、立派な文化会館があって、大きなホールがあります。が、ライブハウスはありません。というのは、例としていささかミクロすぎるかもしれませんが、日本の市区町村のうち、市と区にはほとんど例外なく、大きなホールを要する文化会館、市民会館、区民会館、文化センター・・・・等々の施設があります。それもひとつの自治体に1個とは限りません。町村でも、さすがに「ほとんど例外なく」というほどではないでしょうが、前述の川俣町のようにコンサートホールのある文化センターは稀ではありません、それに対して、ライブハウスはどうでしょうか。どう考えてもそんな密度でライブハウスがあるとは思えません。また、大きな文化センターでは、ひとつの施設の中に、音楽公演が可能なホールが複数あるのは珍しくありません。しかし、ライブハウスは、まず1軒で演奏場所はひとつしかないでしょう。検索した限り、「日本最大のライブハウス」というこちらのお店(収容人数3100名だって、すげー)でも、スケジュールから判断する限り同時には1公演しかできないので、ステージはひとつなのでしょう。また、一般社団法人コンサートプロモーターズ協会のホームページに、同協会正会員による会場規模別公演数という統計が公開されています。これを見ると、「ホール」と「ライブハウス」の公演数は年によって違うものの、おおむね大同小異であることが分かります。もちろん、コンサートプロモーターズ協会正会員ということは、プロの音楽家の公演に限られるでしょうが、それでもある程度の指標にはなるでしょう。これらの数字から考えて、コンサートホールにおける音楽公演とライブハウスにおける音楽公演の回数は、そんなに大きな差はないだろうと思われます。したがって、コンサートホールでできることがライブハウスでは手間がかかりすぎてできない、とは思えないのです。ただし、収容人数の差はあるかもしれません。前述の、日本最大のライブハウスは収容3100人だそうです。コンサートホールとしても、この収容力は最大規模に近いのですが(日本最大のコンサートホールは東京国際フォーラムAホールで5000席以上もあるけれど、第2位以下は3000席前後)、平均的に見れば、ライブハウスよりコンサートホールの方が収容力は大きいでしょう。1000席前後のコンサートホールなんて、それこそ山のようにありますが、そんな規模のライブハウスはごくわずかでしょうから。収容力の差は売り上げの差であり、それは著作権使用料の金額の差にもつながります。だから、ライブハウスの著作権料の上がりは少ないのに、コンサートホールと同等の手間なんかかけたくない、という理由はひょっとしたらあるのかもしれません。納得したり賛同したりする気には全然なれませんけどね。
2017.08.24
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米イージス艦衝突、不明10人捜索=また第7艦隊所属-シンガポール東部沖米海軍はシンガポール東部沖を航行中のイージス駆逐艦「ジョン・S・マケイン」(9000t、全長154m)がタンカーと衝突し、乗組員10人が行方不明、5人が負傷したと発表した。現場海域で捜索が続いている。米海軍は6月中旬にも静岡県・伊豆半島で同じ第7艦隊所属のイージス駆逐艦が衝突事故を起こしている。米海軍は21日、全世界での艦隊の一時運用停止を発表した。第7艦隊によると、事故の報告があったのは日本時間21日朝。衝突はシンガポール領ペドラ・ブランカ島の北方で起きたとみられる。駆逐艦は左舷の船尾付近を大きく損傷し、乗組員の寝台区画や通信室などが浸水したが、自力航行でシンガポールに到着した。事故は、駆逐艦が寄港のためシンガポールに向かう途中に発生した。負傷した5人とも命に別条はない。衝突現場付近には、シンガポール海軍の艦船やヘリコプターが派遣され、捜索救難活動が行われている。また、衝突は南シナ海のマレーシア領海内で発生したとしてマレーシア海軍も捜索に参加している。衝突したのはリベリア船籍のタンカー(約3万t、全長183m)で、台湾から約1万2000tの重油を積載し、シンガポールに向かっていた。シンガポール海事港湾庁によると、船首部分にやや損傷はあるが、重油の流出は起きていない。乗組員も負傷していないという。---引用記事にあるとおり、第7艦隊所属のイージス艦は、6月に静岡沖で事故を起こしたばかりです。この事故の過失責任について、日本の海難審判はまだまだ結果が出るのは当分先と思われますが、等の米軍自身は早々に、自らの過失があったことを認めたも同然の状況です。米イージス艦事故、艦長ら解任 米海軍、過失認める静岡県の伊豆半島沖で6月、米海軍横須賀基地に配備されている米イージス艦「フィッツジェラルド」とフィリピン船籍のコンテナ船が衝突した事故で、米海軍は17日、艦長と副艦長ら3人について「指導力への信頼が失われた」として解任したと発表した。事故当時に見張り番だった乗組員ら十数人も処分されるという。海軍は事故原因は調査中だとしながらも、「衝突は回避できたものだった」と分析。周囲の警戒監視のための見張りのチームワークなどに欠陥があったとし、イージス艦側の過失を認めた形だ。---イージス艦とコンテナ船の衝突時の位置関係から考えて、当初からイージス艦側に回避責任があったのに回避しなかった可能性が濃厚と見られていましたから、案の定の結果です。しかし、よりによって、この処分が発表されたわずか3日後に、またも衝突事故というのはどういうことでしょうか。しかも、これがすべてではありません。今年に入って、他にも2隻のイージス艦が、東京湾と日本海で座礁事故と衝突事故を起こしています。あまりに事故の頻度が高すぎるといわざるを得ないでしょう。シンガポールでの事故は、衝突した2隻の位置関係が分からないのでどちらに過失責任があるのかはわかりませんが、写真で見る限りイージス艦は左舷側に穴が開いているようなので、位置関係からはタンカー側に回避義務があった可能性が考えられます。追記その後の報道によれば、衝突直前にイージス艦の操舵システムが異常をきたして制御を牛田なっていた、とのことです。とすると、今回も事故の主因はイージス艦側であった可能性が高いようです。ただ、今回もイージス艦側は大損傷して行方不明者(おそらく死亡)が10人も出ているのに対して、タンカー側は人的被害が出ていません。このあたりは前回の事故と同じです。現在の軍艦の構造的な弱さを如実に示しています。
2017.08.22
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昨日の演奏、無事(かどうかは分かりませんが)終了しました。2曲YouTubeにアップしています。君をのせて出会いところで、2曲アップしたうちの「君をのせて」は、言うまでもなくジブリアニメ「天空の城ラピュタ」のテーマ曲ですが、アップして30分も経たないうちに「動画には著作権で保護されたコンテンツが使用されています。」という通知が来ました。自分で演奏した動画である限り、この通知が来ても動画が削除されることはなく、広告が表示されて、その収益が著作権者に払われるだけです(この記事を書いている時点では、まだ広告は表示されていませんが)。正直なところ、自分の動画に広告が表示されるのは、好みの問題では「邪魔」と思うのですが、自分自身が権利を持っていない以上、これは言っても仕方のないことです。もっとも、広告が表示されるようになった後、その広告収入がどうなるのかは、私には分かりません。YouTubeは、JASRACなど各国の著作権管理団体と契約を結んでいるので、JASRAC管理楽曲の広告収入はJASRACを通じて権利者に支払われていると思いますが、どのような形でいくらくらい、権利者に支払われるのか、その算定が公正なのかどうかは知るよしもありません。ネット上の動画は再生回数などを自動的に把握するのが簡単なので、そんなにデタラメな分配はしていないのだろうと思うのですが、あくまでも「だろう」に過ぎません。「JASRACからの分配、1円もない」 爆風スランプ・ファンキー末吉さん、文化庁に調査求めるロックバンド「爆風スランプ」のドラマー、ファンキー末吉さんが8月18日、JASRACがライブハウスから徴収した著作権料の作曲者らへの分配を適正にしていないなどとして、調査と業務改善命令を出すよう求める上申書を文化庁に提出した。JASRACの仕組みでは、「コンサートホール」の場合、演奏者がJASRACの管理楽曲ごとに使用料を支払い、使われた音楽の作曲家など著作者本人が、曲ごとに使用料を受け取る。一方、末吉さんによると、「ライブハウス」は管理楽曲ごとではなく、月額が決まった「包括使用料」として著作権料をJASRACに支払っている。その際、JASRACは実際に演奏された曲を把握することなく、一部の「モニター店」での演奏実績を基にしたサンプリング調査によって作曲家などへの分配を決めているため、実際に演奏された曲を作った作詞・作曲者には「正しく分配されていない」と訴えた。実際、自身も爆風スランプと別のバンドで2000年からの10年間に全国のライブハウスで計204回のライブを開き、自ら作曲した曲を演奏したものの、それに対する分配が「1円も入っていなかった」と強調。「じゃあ、(分配する金額を算出するための)サンプリング店はどこにあるのかと(JASRACに)聞いたら、それは言えないと」と話し、全国で名だたるライブハウスの何百本かのライブを集計したが、その中にモニター店は一つもなかったと説明した。(以下略)---当ブログでは、JASRACが強硬に推奨する「包括契約」の問題を何度か取り上げたことがあります。そこでも指摘したことですが、包括契約で集めた著作権使用料は、「いつどこでどの曲を演奏した」が把握されない「どんぶり勘定」なので、それをどのように配分するかは、完全にJASRACの胸先三寸なのです。JASRACの言い分によれば、JASRACと契約した「モニター店」における実績に基づいて分配するのだそうですが、その調査が公正なのかどうかは分かりません。確かに、「そのモニター店はどこだ」と聞かれても、答えるわけには行かないのは分かります。モニター店が分かってしまえば、関係者がお店に様々な働きかけを行って、演奏実績を操作できてしまうからです。かつて、テレビの視聴率調査において、テレビ局関係者が視聴率調査会社のモニター対象世帯を割り出して、買収によって視聴率を操作しようとした事件がありました。日本テレビ視聴率買収事件モニター店が分かってしまえばそれと同じことが起こる-という理屈は分かるのですが、そもそもの前提として、JASRACの調査にはビデオリサーチのような信用性がありません。ビデオリサーチは、視聴率調査の結果を公表しています。どの番組のいつの視聴率は何パーセント、ということはよく報道も刺されます。その調査手法、サンプリング数や地域配分なども細かく公開しています。視聴率ハンドブック - ビデオリサーチところが、JASRACの「モニター店」調査は、調査結果すら公表されていないし、ましてその調査手法、サンプル数もその内訳もまったく公にはされていません。「調査に基づいて配分しています」と言っているだけで、肝心の調査の結果も手法もまったく明らかになっていないのです。「JASRACが本当にモニター店のサンプリング調査をやっているなら」という前提(あるいは仮定)の上での話ですが、容易に想像できるのは、「モニター店」はおそらくライブハウスなどではなくカラオケボックスであろう、ということです。カラオケボックスは演奏曲目をコンピュータ管理しているから、それを集計するのはそれほど困難ではない(というか、人気ランキングはどこのカラオケボックスでもやっている)からです。一方、ライブハウスで演奏曲目を把握するのは、手作業になり、手間がかかるので(お店にも頼みにくいので)おそらくやっていないのではないかと思います。ファンキー末吉の「全国で名だたるライブハウスの何百本かのライブを集計したが、その中にモニター店は一つもなかった」という説明も、この推測を裏付けます。そうだとすると、カラオケボックスにおけるモニター調査の結果からライブハウスの著作権使用料も分配している可能性が高いと思われます。カラオケボックスは、お客が歌って楽しむ場所で、ライブハウスは演奏者がお客に音楽を聞かせる場なので、両者の性格は基本的に違います。当然歌われる(演奏される)楽曲の傾向も、かなり異なります。一般論で言えば、カラオケボックスで歌われる曲は、世間一般に認知度の高い曲が中心です。世間的にまったく知られていない曲はそもそもカラオケに入っていないのですから、歌いようがありません。それ以前に、器楽曲はカラオケでは絶対に歌われません。当たり前ですが。一方、ライブハウスは曲の知名度、歌か器楽曲かの制約は何もありません。実際、マイナーなジャンルの知られていない曲、無名の音楽家のオリジナル曲が演奏される確率は、カラオケボックスよりはるかに高い。それなのにカラオケボックスのモニター調査の結果でライブハウスの著作権使用料を分配しているとするなら、メジャーなヒット曲ほど実際の演奏実績より多くの著作権使用料の配分を受けている可能性が高いでしょう。言い換えるなら、マイナーな音楽の著作権使用料は正しく支払われず、メジャーな音楽の権利者で山分けされる(下手をすると、JASRAC自身の内部留保にされている可能性も)傾向がある、のではないかと思われます。あくまでも推測に過ぎませんが、JASRACが調査手法について何も明らかにしていない以上は、この推測を否定できる材料はありません。
2017.08.20
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本日、フォルクローレ・ライブやります。都営新宿線瑞江駅下車 HOTコロッケ米南部の英雄像や記念碑、撤去相次ぐ トランプ氏は異議米バージニア州シャーロッツビルで白人至上主義団体が反対派と衝突した事件を受け、奴隷制存続を主張して南北戦争を戦った南部連合の英雄像や記念碑を撤去する動きが各地で進む。トランプ大統領は~これに異議を唱えた。南部の白人保守層の共感を引きつける狙いだ。シャーロッツビルの事件は南部連合の英雄、リー将軍像の撤去がきっかけだった。「美しい像や記念碑を撤去することで、我々の偉大な国の歴史と文化が引き裂かれるのを見るのを悲しく思う」。トランプ氏は17日にこうツイートした。一方、バージニア州のマコーリフ知事は16日の声明で「記念碑は団結を促すものであるはずだ。だが、シャーロッツビルの事件で南部連合の指導者をたたえる記念碑は嫌悪や分断、暴力の発火点になったことがはっきりした」と指摘。「州内の地方自治体や議会に対し、記念碑を撤去し、博物館など適切な場所に移すように奨励する」と述べた。同知事はこれまで撤去を支持しない考えを示していたが、事件を受けて態度を変えた。ノースカロライナ州のクーパー知事も撤去すべきだとの考えを表明。ほかにも、ブッカー上院議員(民主党)が連邦議事堂にある南部連合の象徴を撤去するための法案を提出する考えを示すなど、像や記念碑を撤去したり、撤去を求めたりする動きが事件後、各地で相次いでいる。(以下略)---米シャーロッツビルでの白人至上主義団体と反対派の衝突は衝撃的な事件でした。日本のマスコミは、白人至上主義団体とか極右団体とだけ伝えています。朝日新聞にいたっては、「双方の参加者らの中にはヘルメットや防弾チョッキを着用し、盾を持つ重装備の人たちもおり、大勢が棒や素手で殴り合う衝突が起きた。」と、報じています。これだけを読めば、トランプが「どっちも悪い」と言ったことが、真実味を帯びて聞こえてしまうかもしれません。が、実態は白人至上主義団体の実相は、そんなものでは済まなかったようです。写真はこちらのツィッターより引用です。ヘルメットや盾どころではない、軍用の突撃銃※をもった集団が「デモ行進」しているのだから、これは恐ろしいのひとことに尽きます。極右民兵、ミリシアと呼ばれる集団です。米国では銃所持が自由とはいえ、オバマ政権やクリントン政権は、この種の軍用銃だけでも規制しようと手を尽くしていた事実があります。いくら米国でも、このような武装をした私兵集団が街中を闊歩するのは恐怖でしかありませんし、警察の持つ拳銃では、とても対抗できないでしょう。※厳密には、米国でも一般販売される軍用突撃銃は全自動射撃、つまり機関銃のような連射機能が省かれています。しかし、今や米軍制式銃でも連射機能は3発までに制限されているし、一方民間銃は簡単なヤミ改造で全自動化できると言われています。もちろん、白人至上主義団体が全員こんな武装をしていたわけではないし、結果的に彼らが発砲したわけではないですが、代わりに車を暴走させて反対派を轢き殺す輩が現れたわけです。どう考えても、全面的な非難を浴びてしかるべきと思うし、米国でも多くの人がそう思ったようですが、トランプはそう思わなかったわけです。彼の支持層が、まさしくこういう連中だからでしょうが、どこぞの首相と同じで、全国民のためではなく、支持層のためだけの政治がしたい、ということなのでしょうか。批判を浴びて、トランプは渋々白人至上主義団体を非難する声明を発したものの、それが本心からのものではないことはあまりに歴然としています。加えて、此の期に及んで、まだリー将軍の像撤去に反対しているあたりも、手の施しようがありません。大統領就任以来迷走を続けるトランプ政権が、決定的にミソをつけたのは間違いないでしょう。任期途中の辞任もあるのでは、と思えます。それにしても、米国での騒動に続き、スペインでも自動車の暴走で十数人が轢き殺される事件が起きました。これもテロ、どうやらイスラム国によるもののようです。今朝は、新聞を開くと世界のテロに関する記事ばかり。日本の現状には数多くに不満はありますが、それでも、この種のテロが非常に少なく、それ以外の犯罪も含めて治安が良い、という点では、非常に良い社会であると感じます。もちろん、日本にもオウムのテロはあったし、秋葉原の無差別殺人(一般に「テロ」とは言われませんが、実質的にはテロと同等でしょう)など理不尽な通り魔犯罪はありますが、それでも殺人の件数は米国よりはるかに少ない。「平和ボケ」という否定的な言い方をする人もいますが、私は平和であることほど素晴らしいことはないと思いますね。
2017.08.19
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「空襲から絶対逃げるな」トンデモ防空法が絶望的惨状をもたらした1928年7月から政府は大規模な防空演習を各地で実施した。航空機の模擬戦闘や消火訓練など華やかな防空ショーが国民を魅了する。1937年3月に制定された「防空法」は、この防空訓練への参加を国民の義務とした。1941年11月に防空法が改正され、空襲時の避難禁止と消火義務が規定された。つまり「逃げるな、火を消せ」という命令だ。違反者は最大で懲役6ヵ月の処罰を受ける。1941年12月19日内務次官通達「防空強化促進に関する件」は、「空襲に対し万全の備えを必要とする所以を強調し、こぞって国土防衛に参加せんとする精神の振起に資する教育の実施」を指示している。11月27日読売新聞は「傍観は立派な犯罪」の見出しで、「国民の一人一人に国土防衛の重大義務が背負わされることになった(中略)国家的義務として一人の逃避者も許されない」と訓示。同紙12月18日付も「一億防空の義務」と掲げて「老いも若きも、働ける者はすべて防空従事者として敵弾に体当たりの意気込みで」、「日本国民の義務として米英撃滅に邁進しよう」と号令をかけた。かつて政府は、空襲から身を守るため丈夫な防空壕を建設せよと指示していたが、防空法改正により避難禁止と消火義務が定められると方針転換する。内務省は「国民防空訓」を発表し、家庭用の防空壕は作らないよう指示。新聞は「勝手に防空壕を掘るな」「避難、退去は一切許さぬ」と報じた。内務省「防空待避所の作り方」は床下への設置を奨励。これでは頭上の猛火に向けて床下から這い上がることは不可能である。実際に多くの人が床下で命を落とした。いかに命令されても、空襲の恐怖が広まれば逃避者が続出する。そこで政府は2つの情報隠蔽をおこなった。第一は、空襲の危険性や焼夷弾の威力の隠蔽。政府は焼夷弾の爆発実験で威力を確認したが、あっという間に家屋が全焼した事実を隠し、2分で消火と発表した。第二は、実際に起きた空襲被害の隠蔽である。国防保安法や軍機保護法により、空襲の被害状況を話すことは処罰対象となった。報道も規制された。スパイに知られないためというが、政府の狙いは、敗色濃厚であることを隠して「この戦争は正しい」、「日本は神の国だから必ず勝つ」と言い続けること。そのためにスパイよりも国民が真実を知ることを恐れたのだ。地方へ移住する「疎開」も厳しく制限された。1944年3月3日閣議決定「一般疎開促進要綱」は、防空目的で自宅を強制撤去された者や高齢者・幼児・病人などを疎開の対象者と認め、学童以外の疎開は制限され続けた。新聞も「君は疎開該当者か 帝都の護りを忘れた転出に釘」「疎開足止め」「一般疎開は当分中止」と報じ、国民は空襲の危険が迫る都市に縛られた。更に、「焼夷弾手掴み 初期防火の神髄」という真偽不明の武勇伝や「手袋の威力 焼夷弾も熱くない」という防空総本部指導課長のトンデモ談話が紹介される。1945年3月10日東京大空襲後も政府方針は不変「初期消火と延焼防止最後まで頑張れ」(3月15日朝日)「死の手に離さぬバケツ 火よりも強し社長一家敢闘の跡」(読売報知3月14日)「消火を忘れた不埒者」(読売報知 4月16日付)「防火を怠れば処分」(読売報知4月28日)と記事が続いた。1945年8月6日・9日原爆投下後も、防空総本部発表の原爆対策は「軍服程度の衣類を着用していれば火傷の心配はない」「新型爆弾もさほど怖れることはない」さらに「破壊された建物から火を発することがあるから初期防火に注意する」という。(要旨)---恐ろしい時代であった、と言うしかありません。太平洋戦争の犠牲者は、一般に310万人と言われます。このうち軍人の犠牲者が230万人、民間人が80万人、そのうち原爆を含む本土空襲によるものが、おおむね50万人前後と見られています。ただし、空襲による犠牲者数は諸説ありますし、犠牲者は民間人だけではありませんでした。(空襲に限らず、各戦場での戦死者数も不明確な部分は多々あり、310万人という犠牲者数も実際には概算程度のものです)米軍の油脂焼夷弾の威力はすさまじく、その1個でさえ、木造家屋1戸が全焼する前に消火するのは至難の技です。そして、焼夷弾は38発を1つの大型爆弾に集束し、B29は、これを1機40発、つまり1520発も積んでいるのです。しかも、そのB29が、1機ではなく、何百機という単位でやって来るのです(3月10日の東京大空襲では300機以上)。それに対して、バケツリレーだの火叩きだのが、何かの役に立つわけがありません。にも関わらず、軍と政府は、国民に対して逃げるな、火を消せと命じたのです。それは、明らかに不可能なことであり、言い換えれば死ねと言っているのに等しい。およそ合理性のかけらもありません。焼夷弾の威力を知らなかったわけではなく、引用記事にあるように、入手した焼夷弾の燃焼実験で威力を知っていたのに、それを隠蔽してこういうことを言い続けたのです。さらには、広島の原爆投下を受けてもなお、「軍服程度の衣類を着用していれば火傷の心配はない」「新型爆弾もさほど怖れることはない」とは、どういうことでしょうか。当時の日本軍、政府が、軍人は言うまでもなく、民間人の命も、虫けらのごとく軽く考えていたと言わざるをえないでしょう。もっとも、この頃にはほとんどの国民がこの種の大本営発表をまったく信じていなかったでしょうけど。もし事前の住民疎開と空襲時のいち早い避難を積極的にすすめていたら、50万前後の空襲犠牲者は、その半分とまでは言わないにしても、2割やそこらは少なく済んでいたでしょう。もっとも、それを行うような日本だったら、あのような無謀な侵略戦争に突き進むことはなかったでしょうけど。それでも、政府は小学校(当時国民学校)3年から6年生の子どもだけは、学童疎開を行いました。亡父が、敗戦時小学校4年で、まさにこの学童疎開経験者でした。これはこれで、食糧事情が劣悪の極みで、大変な飢餓状態で、大変厳しい生活だったと言います。しかし、疎開が認められたのは6年生までなのです。3月10日の東京大空襲では、その直前に6年生が疎開を終えて東京に帰ってきていました。小学校卒業のためです。その結果、下町地域では、帰宅したばかりの6年生の多くが空襲で命を落としています。12歳の子どもでも、小学校を卒業したら空襲の下でお国のために死ね、ということです。私の母は、敗戦時一年生だったので、学童疎開は経験していませんが、実家が川崎で、激しい空襲を経験しています。東京の空襲は焼夷弾でしたが、日本鋼管の製鉄所がある川崎への空襲は、爆弾を主体としたものだったそうです。家も焼け、祖父はその前に亡くなっていたので、祖母は母と叔父を連れて疎開をしています。逆に言えば、小学校一年(母)と未就学(叔父)の二人の子を抱えた母子家庭ですら、家が焼けてなくなるまでは疎開は簡単にはできなかったのです。母は、一歩間違えれば空襲によって亡くなっていたかもしれないし、そうなっていたら私という人間も生まれてこなかったでしょう。父も、疎開していたものの、疎開先で戦闘機の機銃掃射を受けたりしたことがあったようですし、疎開中にやはり家は焼失しています。両親(私の祖父母)は無事だったけれど、もしそうでなかったら、戦災孤児となって、父の運命も変わっていたかもしれません。2度と決して、「空襲から逃げるような卑怯者は懲役」などという時代にしてはならない、そもそも空襲に脅えなければならないような時代にしてはならない、と私はおもいます。
2017.08.17
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まさかお前も ⁈ 文春砲はリベラルに転向したのか?週刊文春の東洋経済オンラインに対する砲撃をきっかけに、最近の文春砲の「劣化」「左傾化」について論評したばかりだが、ちょっと驚いてしまったのは8月11日の文春オンラインで、あの菅官房長官の天敵、東京新聞社会部記者、望月衣塑子氏のロングインタビュー記事を掲載しているではないか。もちろんロングインタビューを載せたからといって、その媒体が必ずしもその人物を応援しているとは限らない。しかし、私は記事本編を読む前のある一か所を見た時点で、インタビュアーおよび文春オンライン編集部の望月氏に対する価値観が伺えてドン引きしてしまった。それは冒頭の写真のキャプションだ。「望月衣塑子さん」と「さん」付けしている。なぜ「望月氏」でも「望月記者」でもなく、「望月さん」という柔らかい呼称に敢えてしたのか。もうこの時点で彼女を好意的にみていることがわかる。ちなみに、内容についてアゴラ執筆陣の梶井彩子さんはこんな感想を寄せてきた。~11日深夜の時点ではトップページにも「目玉」記事のように表示していたくらいだから~かなり力を入れていることがわかる。~文春がオンラインという社内の新興媒体とはいえ、インタビュー全体を読んで貰えば、「反権力のヒロイン」としての望月氏を持ち上げているように感じる読者のほうが多いだろう。~それにしても、「文春の左傾化」が取りざたされていることは拙稿でも取り上げたばかりだが、望月氏のインタビュー記事を大々的に連載で載せた時点で、私は一線を越えたようにしか思えなかった。ただし、文春の左傾化については懐疑的な見方も結構ある。週刊文春が、加計学園問題を本格的に報じ始めた頃、別の大手出版社の週刊誌記者経験のあるネットメディアのある重鎮が「左だろうが右だろうが、面白いと思う方につく」と語っているのを見て、私もその頃は良い意味でも悪い意味でも文春に政治的な軸はなく「そんなものか」と思ってはいた。ただ、週刊文春本誌ではなく、文春オンラインとはいえ、上記の「反権力ありき」「反政権ありき」のカラーが色濃い記事が増えてくるようになると、花田紀凱さんや勝谷誠彦さんらの保守論客が週刊文春の一時代を築いた頃の伝統はすっかり影を潜め、変質が進んでいるようにしか思えなくなる。(以下略)---池田信夫の主催する「アゴラ」の編集長、新田哲史の文章です。池田や新田が左翼を嫌って攻撃するのは、奴らの勝手です。好きにそうすればいい。嫌いなものを嫌いだと公言するのは言論の自由ですから。私も池田や新田が嫌いだし、批判記事を多数、当ブログにアップしています(無名のいちブロガーに、彼らと対比できるような社会的影響力はないけれど)。ただし、「左翼は嫌いだ」は好きにすればよいのですが、「嫌いなものは左翼だ」は話が別です。自分が嫌いなものを何でもかんでも「左翼」呼ばわりする行為は、ひとことでいって、「アタマ悪い」としか思えないものです。新田によれば、最近の文春は「劣化」「左傾化」しているのだそうです。しかし、結局のところその根拠は「安倍政権に敵対的だから」ということでしかないのですから、嗤うしかありません。新田は、望月衣塑子記者へのインタビュー記事が、望月記者のことを「さん」づけしているというだけで、「ドン引き」したというのです。記事の内容に関しては、「アゴラ執筆陣の梶井彩子さん」の批判的なツイートを論評抜きでそのまま引用しているだけ(「さん」付けを批判したそばから、自分は「梶井彩子さん」と書いているのは笑えますが)。新田自身の言葉では、インタビューの中身については何一つ論評していません。いやはや、「さん付け」だけでここまで吹き上がった記事を書いてしまう新田に対して、私も「ドン引き」しますよ。わたし自身は、原則としてはこのブログで人名に関しては原則として敬称をつけないことにしています。ただし、それは絶対不変の原則ではなく、ときによって「さん」「氏」などの敬称をつけることはありますし、肩書きがあればそれをつけることもあります。安倍に敬称をつける気はまったくないけれど、「安倍首相」と書くことはもちろんあります。私のような個人の趣味のブログでは名前の呼び捨があっても、商業メディアでは、生存している人物を呼び捨てにすることはまずありません(例外はスポーツ記事)。何らかの敬称または肩書きをつけるのが普通です。ただ、その基準は各社の裁量によりまちまちです。さっと見回した限りでは朝日新聞 学徒出陣で海軍航空隊員となり、戦死した林尹夫さん 安倍晋三首相夫人付の政府職員だった中小企業庁の谷査恵子氏 ウィリアム・グリーンさん。日本への空襲を重ねた「第500爆撃群団」の元技能軍曹読売新聞 2人は会社役員田中良一さんと妻の佐智子さんとみて身元の確認を進める ホロコーストを生き延びたイスラエル・クリスタルさんが11日、亡くなった日本経済新聞 東大法でも揺らぐキャリア形成 首席女子も悩む処方箋 元財務省の山口真由さん 米著名投資家ジョージ・ソロス氏の率いるヘッジファンド、ソロス・ファンド・マネジメント毎日新聞 「水俣条約」の第1回締約国会議に、胎児性水俣病患者の坂本しのぶさんが参加する 新閣僚に聞く五輪担当相・鈴木俊一氏産経新聞 下宮圭太郎さんが14日、山中で心肺停止の状態で発見された 櫻井よしこ氏が野田聖子総務相をバッサリと、同じ新聞でも敬称はまちまちですが、割合では「さん」が多い。おそらく、基本は「さん」で、政府の要人や経済界の中枢にいる人など、特別な事情がある場合だけ「氏」という傾向があるようです。望月記者を(言い換えればインタビューの相手を)「さん」付けするか「氏」と呼ぶか、それは好みの問題という以上のことはないでしょう。確かに、文春のインタビューが望月衣塑子記者に対して好意的という新田の印象自体は、おそらく間違っていないと私も思います。で、それの何が問題なのでしょうか?前述のように、他ならぬ新田自身が、望月記者に対しては「氏」、アゴラ執筆陣の梶井に対しては「梶井彩子さん」と、両者に対して敵対と好意の意図を明らかにしています。当然マスコミ各社だって、取材対象に対して好意的、敵対的という意図の差が記事に表れることはあるでしょうし、それが悪いこととは思いません。2ヶ月ほど前に、新田の「“権力寄り”のメディアはあっていい」という記事を批判したことがあります。「権力寄りのメディアはあっていい」か?この記事の中で新田は「“権力寄り”のメディアはあっていい」と言っています。その一方で「反権力のヒロイン」を好意的にみている、という「印象」だけで、文春は「劣化」「左傾」だというのです。つまり、新田にとっては「権力寄りのメディアはあってよいが、反権力のメディアはいらない」ということです。メディアのあり方として、そのような考えを持つジャーナリストを、ジャーナリストと言えるのか、新田自身が(表向きは)否定するただの権力への迎合屋とどこが違うのか、私には分かりません。実際のところ、現在の文春が相当に「反安倍」に舵を切っているというのは確かでしょう。だけど、「反安倍」(つまり反政府)はイコール「左傾」なのでしょうか?反政府がイコール左傾だとするなら、民主党政権時代に大声で反政府(反民主、反鳩山)を叫んでいた読売や産経は、大変な極左新聞ということになってしまいます。また、自民党内でも、石破や中谷からは、かなり辛らつな安倍に対する批判が出てきていますし、安倍批判票の受け皿になった都民ファーストの会なんてものもありますが、彼らも「左傾」しているのでしょうか?要するに安倍政権が狭い意味での「左翼」以外からも総スカンを食いつつあり、だからこそ都議選での自民党の歴史的大敗が起きたわけです。にもかかわらず、「反安倍」=「左傾」=「劣化」というのは、まったく頭の悪すぎる言い分であって、言っている人間自身が「劣化」しているとしか思えないのです。もっとも、劣化というのは元々優れたものの性質が悪化することを指すので、最初から劣化している状態のことを劣化と言うのかどうかは、定かではありませんけどね。
2017.08.15
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スカイツリーの足元、墨田区の墨田公園でボリビア・フェスティバルというものが開催され、知人が出演するというので行ってみました。第2回だそうで、つまり去年から始まったイベントのようです。目の前で見上げると、スカイツリーは確かにでかい。で、この暑さでどれだけの人が集まっているのかと思ったら、これが大変な盛況でした。オルケスタ・エストゥディアンティーナ・ハポネサ・ボリビアナスペイン語圏では、学生が伝統的な衣装をまとってセレナーダを演奏する風習があり、トゥーナあるいはエストゥディアンティーナ(エストゥディアンテはスペイン語で学生のこと)と呼ばれます。ボリビアにもあります。同じくオルケスタ・エストゥディアンティーナ・ハポネサ・ボリビアナカポラルの踊り。まずは子どもたち。カポラル。元は「サヤ」という黒人の踊り(少数ですがボリビアにも黒人はいます)からアレンジを重ねた踊りで、今のボリビアの都市部ではもっとも人気がある踊りらしいです。女性のダンサーのスカートは年々短くなっていく、らしい(笑)会場を何周か回っていました。今日はそんなに猛暑ではありませんでしたけど、それにしたってこの陽気にこの衣装で踊るのは、暑そうです。司会者も踊ってます。司会者は、スペイン語はペラペラだったけど、多分ネイティブではなく日本人の発音のスペイン語、日系人ではなく日本人じゃないかな。トダ・ラ・ビダ。個人的には日本のアマチュア・フォルクローレグループの中ではトップクラスに上手いグループ(特に歌が)だと思います。少なくとも私より上手い。何だか、途中で一人増えたような。ボリビアから、このイベントのために来日したフォルクローレ歌手ロクサナ・ピサさん。恥ずかしながら、存じ上げませんでした。が、Facebookで友達の友達になってました。YouTubeで検索すると、動画も上がっていました。ロクサナさんの歌をバックにトバスの踊り。このくらいの衣装なら涼しそうです(笑)ボリビア人の歌手。いわゆるフォルクローレではありませんでした。トリは、やはりフォルクローレではなく、日本のサルサバンド「ラ・プレーナ」。ボリビアのイベントらしく、予定では6時終了でしたが、6時の時点ではまだまだ彼らの演奏が続いており、後ろ髪を引かれつつ、帰宅しました。ちなみに、写真はあまり撮りませんでしたが、もちろん食べ物や飲み物の屋台もたくさん出ていました。もっとも、ボリビア料理よりもペルー料理の方が多かったような。まあ、それも当然で、東京周辺にはペルー料理店はたくさんありますが、ボリビア料理店はほぼありません。そして、スペインのパエリアを出す屋台もあったようです。そして、何故かトルコのケバブまで。まあ、美味しければよいのです。暑いのでカキ氷がおいしかった。そして、泡の出る麦茶も・・・・・・。(結局、この3日間毎日アルコールを口にしてしまいました)楽しかったです。が、暑かった。これで猛暑日だったりしたら、さすがにきつかったでしょう。来年も行きたいな♪
2017.08.13
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北の危機目前、安保関連法「どうして急ぐ」とかしましかったマスコミは不明を恥じてはどうかもし2年前の9月に、集団的自衛権の限定行使を容認する安全保障関連法が成立していなかったらと考えると、盛夏であるのに寒気立つ。北朝鮮が米領グアム周辺への中距離弾道ミサイル発射計画を公表し、ミサイルの日本上空通過も予告した件である。危機は目の前に迫っている。小野寺五典防衛相は10日の国会閉会中審査で、北朝鮮が実際にミサイルを発射した場合、安保関連法に基づき集団的自衛権を行使できる「存立危機事態」に認定し、自衛隊が迎撃することは可能だとの認識を示した。一部の新聞は「拡大解釈」だとの悠長な懸念を伝えたが、なに相手にすることはない。「日本の安全保障にとって、米側の抑止力・打撃力が(攻撃を受けて)欠如することは、日本の存立の危機に当たる可能性がないとはいえない」。こう淡々と述べた小野寺氏の説明は分かりやすかった。グアムは、日本有事の際の米軍来援の拠点なのだから当然である。安保関連法案の審議時には、多くのマスコミやテレビコメンテーターらが「なぜ今なのか」「どうして急ぐのか」「議論が足りない」などとかしましかったが、当時もそれ以前も北朝鮮は着々と核・ミサイル開発を進めていた。少しは自分たちの不明を恥じてはどうか。(以下略)---北朝鮮のやっていることは、酷いの一言に尽きます。「グアム沖にミサイル発射」というのは挑発の域を超えています。逆の立場で米国(以外の国でも同じですが)が北朝鮮の領海のちょっと先にミサイルを撃ち込んだら、自分たちはそれをどう考えるのか、ということを、ちょっとは想像力というものを働かせてみろ、と思います。北朝鮮の火遊びは今に始まったことではないけれど、今回のはあまりに度を越している。度を越しているといえば、一方の当事者米国トランプ大統領の反応もまた度を越しています。残念ながら、北朝鮮が滅茶苦茶なのは元々なので、いかんともし難いのですが、トランプがその挑発に易々と乗って、挑発合戦を行うのは、あまりに思慮が足りなすぎます。米国も覇権主義で侵略的な国ですが、それでもその行動や言動には、もう少し高度な計算や思慮かありました、これまでは。残念ながら、トランプのおつむの程度が、金正恩より上であるようには見えません。筋論で言えば、万が一北朝鮮がミサイルを発射する場合、それが日本に向かって落ちてくるならそれを迎撃することは、やむをえないことではあります。ただし、現実に迎撃する能力があるかどうかは、また別の問題です。PAC3が弾道ミサイルを打ち落とす実用的能力があるかどうかは未知数である上に、その射程距離は短い。したがって、PAC3を西日本に展開というのは、「対策を取っています」というポーズ以上のものではありません。で、例によって産経の引用記事です。「もし~集団的自衛権の限定行使を容認する安全保障関連法が成立していなかったらと考えると、盛夏であるのに寒気立つ。」だそうですが、夏風邪でもひいたのかい?と言いたくなります。まあ、昨日今日は盛夏にしてはずいぶん寒いのは確かですが(笑)そんな私でも、もし今まだ稲田朋美が防衛大臣だったら、ちょっとヤバかったんじゃないか、とは思いますけれど、安保関連法の有無とは今の事態とはさして関係がありません。日本に向かって落ちてくるミサイルを迎撃するのは、個別的自衛権の問題であって、集団的自衛権は無関係だからです。安保関連法がなければ迎撃できない、などということはまったくありません。実際に、安保関連法が成立するはるか以前から、北朝鮮のミサイル実験の際に防衛大臣から破壊措置命令が出てPAC3が展開することはありました。したがって、このような言い分はタチの悪いデマに過ぎません。もっとも、前述のように、法的にはともかく能力的に、北朝鮮のミサイルを迎撃できる可能性は低い。これもまた、安保法があろうがなかろうが、何も変わりません。別に、日本の防衛力が低いからということではなく、米国ロシアも含めて、世界のどこの国も、自国に向かって飛来する弾道弾を高い確度で迎撃できる手段など持ち合わせてはいないのです。PAC3は言うまでもなく米国製ですが、日本よりもっと国土の広い米国は、日本以上に弾道弾に対して手のうちようがありません。安保法制があればPAC3の射程や命中精度が突然向上するわけではないのです。「少しは自分たちの不明を恥じてはどうか」という言葉は、産経自身に向けられるべきでしょう。能力の点は措くとして、法律的には個別的自衛権で問題なく対応できることを、わざわざ集団的自衛権を行使できる「存立危機事態」に認定というのは、「拡大解釈」だという「一部の新聞の懸念」(検索した限りは朝日新聞のようですが)は当然です。つまり、日本上空のミサイルを迎撃、という以上のことをやろうとしているのではないか、と疑わざるをえないからです。それが、ミサイル発射に対する報復攻撃に参加、などというものでないことを祈るばかりです。
2017.08.12
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今日は「山の日」ですが、練習の予定が入ったので、山には行っていません。天気もあまりよくないし、多分どこの山も混んでいるでしょうし、7月に遠方の山に2回行って、今月末にも山に行く予定があるし。でも、三連休最終日は天気が回復するようなので、ひょっとしたら日帰りでどこかの山に行くかも知れませんが(未定)というわけで、今日は山に行っていませんが、過去に登った山の写真の中から、当ブログでは(多分)まだ紹介していないものなど。まず、2008年8月に登った五竜岳と唐松岳。初日、遠見尾根を登って五竜山荘で幕営、翌日唐松岳まで縦走して八方尾根を下山したのですが、五竜から唐松までの稜線が、テントを担いでいる身にはなかなか厳しいルートでした。小屋泊まりの荷物なら、そんなことはなかったでしょうけど。唐松岳に向かう稜線上から撮影した五竜岳。同じく五竜岳。上の写真より唐松よりから撮影したものです。唐松岳。鹿島槍、五竜、不帰ノ嶮、この山の南北には、結構険しい山が連なっている中で、唐松岳のみは初心者向きの山です(八方尾根からの往復に限る)。立山連峰を望む。立山の北隣、剱岳を望む。唐松岳頂上小屋付近から山頂を望む。続いて、その前年2007年8月に登った、南アルプスの仙丈岳(仙丈ヶ岳)。このときも、テントを担いでいったのですが、事前調査不足で、北沢峠の幕営場以外は全山幕営禁止であることを北沢峠に着いてから知りました(涙)。できれば稜線上に泊まりたかったので、北沢峠に幕営せず、テントを担いで山頂直下の仙丈小屋に泊まりました。寝具持参の素泊まりなので、宿泊費は結構安かった記憶があります。小仙丈付近から山頂と小仙丈カールを望みます。典型的な氷食地形で、かつて氷河時代に、ごく小規模ですが氷河が存在した証拠です。北沢峠を挟んで反対側にそびえる甲斐駒ケ岳。北岳から見る甲斐駒ケ岳と、山容が全然違います。仙丈岳山頂から大仙丈岳方面を望みます。大仙丈岳の向こうは、長い仙塩尾根。野呂川乗越、三峰岳(みぶだけ)を経て塩見岳に至る、長い長い尾根です。ここから三峰岳までは、歩く人は格段に少ない。塩見岳から野呂川乗越までと野呂川乗越から仙丈岳までを別々の機会にですが、それぞれ1度だけ歩いたことがあります。その写真は、ほとんどパソコンに取り込んでいないので、またいつか別の機会に。翌朝、小屋から山頂は目の前なので、夜明け前に再び山頂へ。右手前は北岳、左奥は言うまでもなく富士山です。日本最高峰と2番目に高い山の共演。下山時、馬の背付近から撮影したものです。藪沢カール。やはり氷河に削られた氷食地形で、その末端付近に仙丈小屋が立っています。仙丈岳は、更に先に触れた大仙丈岳側にも大仙丈カールがあり、つまり氷河時代には3つの氷河をたたえた山だったわけです。他にもまだ色々な未公開の山の写真はあるのですが、パソコンに取り込んでいなかったり、取り込んであっても、昔のスキャナで、解像度が低かったりするので、そのうちに時間があれば取り込みなおして公開したいと思います。
2017.08.11
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安倍首相、核禁条約「我が国のアプローチと異なる」安倍晋三首相は9日、訪問先の長崎市で、国連で採択された核兵器禁止条約について「条約は、我が国のアプローチと異なるものであることから、署名、批准を行う考えはない」との方針を改めて示した。同市で開かれた平和祈念式典などに出席した後の記者会見で語った。首相は「真に『核兵器のない世界』を実現するためには、核兵器国の参加を得ることが不可欠だ。しかし、条約には核兵器国が1カ国として参加していない」とし、「核兵器国と非核兵器国の隔たりを深め、『核兵器のない世界』の実現をかえって遠ざける結果となってはならない」と主張した。---長崎の平和記念式典にて、長崎市長が、核兵器禁止条約の交渉会議にすら参加しない日本政府の対応を強く批判しています。それに対して安倍は、あくまでも核兵器禁止条約には参加しないと言い放ったのです。口先では「核兵器のない世界の実現をかえって遠ざける結果となってはならない」などと言っていますけれど、本音は違うことは明らかです。「真に『核兵器のない世界』を実現するためには、核兵器国の参加を得ることが不可欠」だと安倍は言ったそうですが、では、安倍は、いや、それ以前の日本政府も同じですが、核兵器保有国(特に米国)を核廃絶に向けたプロセスに参加させるために何らかの働きかけを行ったことがあるのか。ないでしょう。それどころか、昨年8月、当時の米国オバマ政権が「拡声器先制不使用宣言」を検討していた際、これに反対したと報じられています。核を先制使用すべき、ということ?その後、安倍は「どうしてこんな報道になるのか分からない」と言い張ったものの、反対と明言したかどうかはともかく、少なくとも賛成ではないことは明らかです。核保有国である米国自身が核に対して、多少自制的な態度をとることに対してすら賛成しようとしないのが、我らが日本政府の態度です。つまり「核兵器のない世界など来てほしくない」と考えているわけです。「条約は、我が国のアプローチと異なるもの」と言いますが、この条約の当初案は、核保有国、「核の傘」に依存する国に対して、かなり融和的な内容でした。条約には核による威嚇の禁止という文面がありますが、これは会議の最終段階で付け加えられたもので、当初案にはありませんでした。それはつまり、核による威嚇を明示的に禁止すると、核抑止力(その根幹は、わが国に攻撃をかけてきたら核兵器をぶち込んでやるぞ、という威嚇の論理)に依存する国が条約に参加できなくなるからです。そうならないように、核の傘に依存する国も、そうでない国も、みんなが参加できる条約を目指して、最大限の配慮をしてきたわけです。それにもかかわらず、核保有国とその同盟国の大多数は、条約に参加しない、どころか議論に参加することすらしようとしなかったわけです。「これだけ配慮してもソデにするなら、核抑止を是とする国々にこれ以上配慮する必要はないよね」-と、参加国が思ったかどうかは定かではありませんが、結果として最終段階で「威嚇の禁止」が盛り込まれました。日本を始めとした、核抑止に依存する国々が参加していれば、また違った内容の条約になったかも知れません。しかし、議論にすら参加しようとしない時点で、「どんな内容だろうと、どんなアプローチだろうと、核廃絶や核の禁止には反対だ」と態度で表明したも同然なのです。
2017.08.10
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「日本人」を定義してみてください蓮舫議員の国籍問題を巡って、再び「日本人」とか「国籍」について議論が高まっています。では、そもそも「日本人」とはどう定義できるのでしょう?恐らく多くの方が最初に思いつくのは、「日本国籍を持っている人」あるいは「日本国籍しか持っていない人」でしょう。ではノーベル物理学賞を受賞した米国籍の南部陽一郎博士や中村修二博士を「日本人が受賞した」とした報道や安倍首相は間違いだったのでしょうか? また、日本人とフィリピン人から生まれた人(新日系フィリピン人)は最大で30万人程度いるとされています。その多くは、日本人父から認知されておらずフィリピン国籍しか持っていませんが、中には、日本人父親から認知され、あるいは両親が婚姻していて、日本国籍しか持っていない人もいます。名前も日本風の場合が多いですが、彼らの多くは、生まれも育ちもフィリピンで、日本語は一切分からず、日本に来たことも一度もありません。でも日本国籍しか持っていません。彼らは「日本人」でしょうか?日本国籍を持って「日本人」として国連に勤務している人の中には、外国生まれ外国育ちで、日本語はほとんど話せず、立ち居振る舞いや考え方も食生活も、完全にアングロ・サクソン系という国際機関職員が少なからずいます。でも彼らは日本国籍を持っています。彼らは「日本人」でしょうか?アメリカのピューリサーチセンターが2016年に日本人成人約1000人を対象に電話アンケートを行ったのですが、「真の日本人であるために、1日本語が話せること、2日本生まれであること、3日本の習慣や伝統を理解していること、それぞれどれくらい大事だと思いますか?」という問いに対して、以下のような結果となったそうです。「日本語が話せること」:とても大事70%、まあまあ大事22%、あまり大事でない5%、全く大事でない2%「日本生まれであること」:とても大事50%、まあまあ大事27%、あまり大事でない14%、全く大事でない8%「日本の習慣や伝統を理解していること」:とても大事43%、まあまあ大事47%、あまり大事でない8%、全く大事でない1%~一般的に日本には、「より100%ピュアな日本人であればあるほど良い」のような「純血思想」とでも言うべき考え方が根強いような気がします。昨年「DNAの旅」という面白い実験がデンマークで実施されました。公募17万人から選ばれた67人のDNAサンプルを検査したところ、非常に面白い結果となりました。被験者は「私はイギリス人で、多分世界一の国だ」とか「私は100%アイスランド人で、君たちよりも偉い」とか「私はクルド人でトルコ政府はキライ」、「僕は100%アフリカ人で誇りを持っている」、「私は誇り高いバングラデシュ人で、インドとかパキスタンはちょっと・・・」と言っていました。DNA検査の結果を見てみたら、その人達の多くが実は「混血」で、「キライ」と言っていた相手のDNAが混ざっていたとのことです。日本も古来から、中国や朝鮮半島との往来が盛んでした。日本文化や伝統の多くは、大陸から輸入されたものにその起源があります。今、日本に住んでいて「私は100%ピュアな日本人だ!」と誇らしく思っている人こそ、DNA検査を受けてみたら良いのではないでしょうか?~---非常に示唆に富む、面白い記事です。ただ、非常に長いので一部の要旨を引用しました。前文はリンク先をご覧下さい。法的には、日本人とは、日本国籍を持っている人、ということに尽きます。生まれた時から一度も日本にきたことがなく、日本語も話せないとしても、日本国籍を持っていれば日本人です。また逆に両親あるいはそれ以前の代から日本に住み、日本生まれ日本育ちで日本語以外の言語を解さなくても、両親いずれも日本国籍を持っていなければ、法的には日本人ではありません。(私は、そのような血統主義のみの国籍制度が望ましいとは、必ずしも思いませんが)。しかし、引用記事のアンケート結果にあるように、法的にはともかく、「真の」日本人であることの定義として別のものを挙げる人がこんなに多いのが現実です。通常、世界において民族の分布図と国境線が完全に一致することはありません。ある民族が国境線をまたがって複数の国に住んでいる、とか、逆に複数の民族が同じ国の中に同居しているとかは、ごく普通のことです。ところが、日本は、日本国の領土と日本民族の居住地域の一致度が非常に高い。もちろん、在日韓国・朝鮮人もいるし、逆にブラジルや米国には多くの日系人がいるけれどその割合は日本に住むに日本人に比べてかなり低いものです。そのため、国籍と民族の混同がしばしば起こります。だから、日本国籍があっても日本語を解さないと(あるいは日本語が母語ではないだけでも)、「日本人ではない」扱いになってしまうのではないでしょうか。引用記事の後段も、面白い話であり、当然の話でもあります。日本人ともっとも近い遺伝子集団は、韓国(朝鮮人)であり中国人す。これは歴史的経緯を考えれば、当たり前のことです。人類は、日本で誕生したわけではありません。アフリカで生まれ、そこから全世界に広がっていったのです。日本にやってきた我々日本人の祖先は、大半は中国大陸から直接、あるいは中国大陸から朝鮮半島を経由してやってきたのです。それ以外には、シベリアからサハリン経由、フィリピンや東南アジアから沖縄列島経由が考えられますが、その割合は高くはありません。日本人の祖先は、概ね二重構造と言われます。最初に日本に住み始めたのは縄文人と言われる人たちで、南方系と見られています。(縄文時代より前、最終氷期にはすでに日本列島に人は住んでおり、おそらくは彼らが縄文人の祖先、少なくとも祖先の一部だったと思われます)その後で日本に来たのが北方系の弥生人です。縄文系の血筋を現在もっとも色濃く残しているのは、沖縄と北海道(アイヌ)であり、次いで九州南部と東北です。歴史的に見れば、沖縄や北海道だけでなく、南九州や東北も大和朝廷に服属しない異民族でした。つまり、日本の中心部からは「純血の」縄文人は駆逐され、南北端だけに生き残った、それも次第に端へ端へと追い詰められていったわけです。でも、縄文人は弥生人に駆逐されて日本の中央部では消滅した、というわけではありません。縄文人は弥生人と混血を重ねて同化してしまったのです。それが、我々日本人の大多数の祖先です。この弥生人こそが、中国大陸から稲作文明とともにやってきた人々です。中国大陸からどのような経路をとおったのかは完全に明らかではないものの、すでに述べた経緯を考えれば、沖縄~九州経由やシベリア~サハリン~北海道経由でないことは明らかです。朝鮮半島経由と考えるのが妥当でしょう。しかも、中国から朝鮮半島経由で日本に人が流入したのは弥生時代だけではなく、それ以降も、7世紀頃まで続いています。(渡来人)現在の皇室も渡来人の血を引いているといわれ、確か皇后がそう言及したことがあったと記憶していますが、それは皇室が何か特別な血を引いているということではなく、日本人のほとんどが、多かれ少なかれ渡来人の血を引いているのです。というより、弥生人も含めて考えれば日本人のルーツは7割方韓国・朝鮮人や中国人と共通です。したがって、遺伝的に見て日本人の大多数ともっとも近い民族集団は韓国・朝鮮であり、中国ということになります。その日本人の中でもっとも韓国・朝鮮・中国と遺伝的に遠縁なのは、沖縄とアイヌです。その沖縄やアイヌにしても、相対的に縄文の血を色濃く受け継いでいる、ということであって、「純血」の縄文人であるわけがありません。日本に限らず、世界のどこでも同じですが、今の時代に「純血の」民族集団なんてものは存在するわけがありません。血筋の上でも文化的な面でも、です。それが存在するように考えるのは、妄想というものです。
2017.08.08
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この暑いさなかに、葛西臨海公園に鳥を見に行ってきました。朝7時に家を出たのですが、朝なら涼しいと思ったら、死ぬほど暑かった。管楽器ケースを持っていったけど、あの炎天下で練習は、ちょっと考えられないな、と。9時過ぎまでは曇っていたのですが(曇っていても蒸しましたが)、その後晴れました。しかし、こんなに暑い盛りの真夏でも、すでにシギの渡りは始まっているのです。秋は、見えないところから始まっています。大きい2羽はアオアシシギです。手前下の2羽は何でしょう。アオアシシギとそっくりの模様(特に右側のシギ)だけど、明らかにアオアシシギより小さい。多分、コアオアシシギだと思うのですが、顔を羽根にうずめたままで、顔とくちばしが分からないので、絶対確実ではありません。オナガ。珍しい鳥というわけではありませんが、こんなにバッチリと写真が撮れたのは初めてです。キアシシギ。アオアシシギ。ゴイサギの若鳥。キセキレイ昔は東京で見るセキレイはこのキセキレイが多かったように思うのですが、今はハクセキレイが席巻していて、キセキレイは初めて写真に収めました。ハクセキレイに追い回されていて、たまたま一瞬目の前の岩に止まったところを撮影したものです。ダイサギ。キアシシギハクセキレイ(親)先ほどのキセキレイや、さらに別の鳥も追い回して追い払っていました。ハクセキレイ(子)巣立ったばかりの若鳥です。ソリハシシギ。初めて写真におさめた鳥です。走るソリハシシギコチドリ何の鳥か分かるでしょうか。この写真だけでは絶対分からないと思いますが(ピンボケしているし)実はカワセミです。なんとハクセキレイに追い回されて逃げ回っていました。その間に一瞬クロマツの枝に止まったところを、とっさにシャッターを切ったら、画面の中に入っていました。カワセミの若鳥です。この直後に、またもハクセキレイの攻撃を受けて逃げていってしまいました。ハクセキレイ、同属のキセキレイを攻撃するのは分かるのですが、まったく類縁関係が遠く、餌も異なるカワセミをあんなに攻撃するのは何故だろう。しかし、シギやチドリは全然攻撃しないのです。アオアシシギまた新しいシギが出てきました。イソシギです。日本のシギのほとんどは旅鳥、つまりシベリアやアラスカで繁殖して、渡りの途中で日本に立ち寄るだけです。中にはそのまま日本で越冬するシギもいますが、日本で繁殖するシギは、ごくわずかしかいません。その、ごくわずかの日本で繁殖するシギのひとつが、このイソシギです。鳥類園から人工なぎさに移動。暑い。しかも、東なぎさとの間の水路で釣りをしている人がいて、シギ類がまったく寄り付かない。東なぎさには、カワウを中心に水鳥がこんなにいっぱいいますが、遠い。ところが、隣で観察していた親子が「ダイシャクシギがいます」と教えてくれました。斜めのパイプの下で頭を左側に向けている鳥がそうです。いやー、この距離でよく判別できるなあ、とびっくりです。シギの仲間であること、それも相当に大型であること(カワウと比べても、少し小さいだけ)は分かりますが、教えてもらわなかったらとても分かりません。これもダイシャクシギ。やはり先に観察していた親子に教えていただきました。これは、極端に長くて下向きに湾曲したくちばし(チュウシャクシギよりくちばしはずっと長い)で、それと分かります。腰が白いのも判別できるので、確かに間違いない。もっとも、撮った写真を後で等倍で見て「なるほど」と分かっただけで、その場では8倍の双眼鏡でもカメラのファインダーでも、そこまで見えていたわけではありません。周辺にいるほかの鳥はカルガモです。というわけで、遮るもののない日差しの中、11時過ぎには帰路に着きましたが、全身汗でびしょびしょ、帰宅後にシャワーを浴びました。
2017.08.06
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エストレージャ・アンディーナ/リリオ ジョイントライブ8月19日(土)午後6時30分~出演 エストレージャ・アンディーナ/リリオ場所 HOTコロッケ 都営新宿線瑞江駅下車徒歩3分料金 チャージ料なし、飲物含め1500円以上のオーダーHOTコロッケエストレージャ・アンディーナ(この演奏の際と、メンバーに多少の変更があります)リリオ(の前身グループ「インティ・キージャ」)(やはりメンバーに異動があるようです)
2017.08.05
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本命に断られ…文科相「なんで俺?」 内閣人事の舞台裏安倍晋三首相が政権浮揚をかけた内閣改造・自民党役員人事。自ら「結果本位の仕事人内閣」と称した閣僚名簿だが、悩み苦しんだ末の跡がにじむ。問題を抱えるポストにはことごとく経験者を起用。来年の総裁選への思惑も絡み、局面打開とはほど遠いものとなった。2日夕、自民党の河野太郎衆院議員に安倍晋三首相から電話が入った。報道各社が内定した閣僚の顔ぶれを次々と伝え始めていた時間帯だった。結局、「外相」の連絡を受けたのは深夜だった。当初想定していた岸田文雄氏の留任構想が狂い、外相選びは最後まで難航した。閣僚経験のあるベテランは「外相なんて一番最初に決まっていないといけない。珍しい改造の流れだな」と言う。政権にとっては下落が続く支持率を下げ止め、「落ち着かせる」のが当座の目標。首相にとって失敗できない人事だったが、水面下の調整は首相の思惑通りには進まず、「遠心力」を印象づけた。文部科学相は、人事の焦点の一つ。首相は7月31日、大臣経験者の伊吹文明・元衆院議長とひそかに会談し、就任を打診。だが、固辞された。結局、2年前に「政治とカネ」の問題で農林水産相を辞任した西川公也氏に代わり、「緊急登板」させたことのある林芳正氏を今回も起用した。林氏が所属する岸田派の若手は「困ったときの林大臣。大本命に断られて時間がない中で、ふさわしい人がいなかったのだろう」と解説。林氏本人も周囲に「なんで俺なんだろう」と漏らしたという。党幹部の一人はこの経緯について、「断るような人のところに要請してはいけない。内閣の威厳にかかわる」と苦言を呈する。ーーー沈む船からはネズミも逃げ出す、と言いますが、安倍政権の内閣改造も同じことなのでしょう。支持率の激しく低下する政権が内閣改造を行っても、閣僚就任を固辞する政治家が多かったようです。そもそも、稲田防衛相を内閣改造まで引っ張って、さり気なく交代させる目論見は、改造数日前に稲田が辞任に追い込まれたことで、破たんしていました。もっとも、改造までもったとしても、とてもさり気なくとはならなかったでしょうが。巷間言われていた小泉と橋下の入閣も、結局は実現しませんでした。彼らの政治的主張への賛否は別問題として、入閣しなかったことは賢明な判断でしょう。議員である小泉はともかくとして、今はタレントである橋下は、高額のギャラを捨てて、いつ退陣するか分からない(少なくとも来年12月までには選挙があるので、それまでの可能性が高い)内閣の閣僚になるのは、あまりに割が合わないでしょうから。私がちょっとだけ驚いたのは、河野太郎の外相と野田聖子の総務相です。河野太郎は、安倍政権で以前にも入閣しているので、引き受けたことは不思議ではないけれど、あの安倍が、河野太郎、というか河野洋平の子を外相に任命するとは思わなかったので。引用記事にもあるように、岸田に留任してもらえず、他の候補にも断られ、引き受ける人がいなかった、ということなのでしょう。韓国では、河野洋平の息子であることから、好意的反応があるようですが、それは買いかぶりじゃないでしょうか。確かに安倍や稲田よりははるかにマシですが、しょせん「安倍政権の」外相に過ぎないわけでですから。河野洋平のような姿勢を望むのは無理でしょう。野田の場合は、閣僚を引き受けたこと自体も驚きです。一昨年の総裁選での出馬断念で、双方に相当の遺恨があったはずなので。いずれにしても、稲田をもっと早く更迭しておけば状況は違ったかもしれませんが、この期に及んでの内閣改造は「苦し紛れ」の印象しかありません。一般的に、内閣改造を行うと支持率は上がるが政権への求心力は下がる、と言われるそうです。今回の内閣改造はどうでしょう。そりゃ、支持率の数パーセントくらいは上がるかもしれないけど、大きな効果があるとはとても思えません。もちろん、わたしは安倍の一刻も早い退陣を願っているので、大きな効果などあってほしくありませんけど。そして、求心力の低下も明らかです。外相という重要ポストが最後まで決められない(引き受け手がいない)という状況がそれを証明しています。
2017.08.04
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読売新聞の大誤報「第五福竜丸」ビキニ環礁の核実験で被曝した第五福竜丸の久保山愛吉無線長の死因は肝炎である。放射線障害で肝炎になることはありえないので、彼の死因は「死の灰」ではなく、輸血で感染したウイルス性肝炎と推定される。~1954年3月に、この事件を読売新聞が「邦人漁夫 ビキニ原爆実験に遭遇 23名が原子病」というスクープで報じたため、久保山の死因が核実験の死の灰だという誤解が世界に広がった。~第五福竜丸の悲劇の原因は核実験ではなく、輸血を行なった東大病院の医療過誤である疑いが強いのだ。しかし輸血を行なった医師が、その後、放射線医学総合研究所の所長になったため、この経緯は明らかにされなかった。放医研の調査結果が公表されたのは2000年代になってからで、ここでは輸血が原因と報告している。この件については病理解剖の詳細なデータがあり、少なくとも久保山の死因が死の灰ではないことは100%確実である。したがって読売新聞の大スクープは誤報であり、専門家もそれを指摘してきた。しかし読売はそれに答えず、いまだに「語り継ぐ 福竜丸被曝60年」といったキャンペーンを張っている。慰安婦問題と同じく、いったん世界に広がった誤解を解くことは容易ではない。政府がやると「隠蔽工作」などと疑われて逆効果になることも、慰安婦で経験した。世界の誤解を解くには、まず読売がみずからの報道を検証し、第五福竜丸事件の真相を明らかにすべきだ。---「反・反原発派」の新自由主義礼賛者池田信夫が、相変わらずの主張を繰り返しています。背景を無視して現象の一断面のみを切り出して、「久保山の死因は放射能じゃない」と言い募るのは、「木を見て森を見ず」ということに尽きるのではないかと思います。確かに、久保山の直接的な死因は、輸血によって肝炎ウィルスの感染した頃による肝障害である可能性が高いと、現在では言われています。だけど、それを言うなら、癌だってインフルエンザだって、その他の多くに疾病だって、最後の最後、直接的死因は心不全だったり肺炎だったり、老衰だったりすることは多々あります。それと同様のことでしょう。池田は簡単に、「東大病院の過誤」と書いていますが、これは特定の医療機関の過誤責任に帰する問題ではありません。1950年代当時、輸血に使用する注射器はおろか、注射針ですら、使い捨てにはしていませんでした。殺菌はするものの、複数の患者で使い回しが普通でした。また、輸血用の血液も、現在のような献血ではなく、売血、つまり血を売ることが多かったのです。そのような医療環境の下で、輸血を通じて肝炎やその他のウィルスに感染することは、いわば不可避だったのです。それは、どこの医療機関でも同じです。強いて言えば、そのような状況を許してきた当時の厚生省の責任でしょうし、突き詰めれば注射器1つ使い捨てにするだけの医療費を投入できなかった当時の日本の貧しさ、無償の献血では輸血に必要な血を賄えず、金銭を対価に払わなければ血液が確保できなかったという当時の日本の状況の問題です。しかし、それでも、必要に応じて輸血は行われてきたし、それによって何らかの疾病に感染して、それですぐ死ぬ人が大勢いたわけではありません。にもかかわらず久保山は亡くなった。普通だったら死ほどではないのに、放射線障害によって免疫力が落ちていたことが原因であろうことは、容易に想像できるでしょう。では、輸血をしなければよかったか?もちろん、輸血をしなければ肝炎ウィルスに感染することはなかったでしょうが、放射線障害で造血機能に異常をきたしている状況で、輸血なしで生命を維持できたのでしょうか?それはそれで、死者が出たのではないでしょうか。ひょっとしたら久保山ではない別の人だったかもしれないけれど。私は医者じゃないし、もし医者だったとしても、その場で診察に立ち会ってでもいなければもし輸血をしなければどうだったか、何てことは分からないですが、(感染症のリスクがあっても)輸血が必要だ、と考えた当時の医師の判断を、誤っていると考える根拠は何もありません。結局、現在の医療水準だったら、久保山は命を取り留めたかもしれないけれど、当時の医療水準ではどうしようもなかった、ということに尽きるのではないでしょうか。大量の放射能で免疫力が失われていなければ、輸血で命が失われることもなかったし、そもそも輸血を受ける必要すらなかった、ということを考えれば、最後の直接的死因が肝炎だったとしても、そんなことは問題の本質ではなく、久保山は放射線障害で亡くなった、というのが本質でしょう。それにしても、「世界に広がった誤解」とは、どういうこっちゃ、と思います。第五福竜丸事件で、久保山は放射能を浴びたころが原因で亡くなった、そこに、何の誤解もありません。癌死だって、最後の死因は心不全だろ、みたいな屁理屈をこねて、「久保山の死因は放射線障害ではなく肝炎だ」などと主張する方が、よほど問題の本質を偽って、大きな誤解を招くことになります。もっとも、池田信夫がこの種の「木を見て森を見ず」の論法で本質を偽ろうとするのは、今回に限ったことではありませんが。
2017.08.02
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