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学生の頃、海商法の老教授が、London に留学されていて、the suburbs of London の美しさを印象的に話されたことがあった。その時は別世界のように感じたものだ。然しずっと脳にインプットされていた。一度訪れて見たいと思うようになっている。先日妻とオアフに行き、グルコースを下げる為に幾つかの公園を歩いたが、何か大きな癒しを感じた。スタートは、仕事のつもりで歩いていたが、やがて、愉しくなった。そういえば、産まれた地も一度見てみたい。中国の青島だ。思えば歩きたい所が増えて来たようだ。すこし夢が増えたかも知れない。午後会社に出かけたが、思いがけず、寿退職した元部下だった女性から、花束がコメントをつけて送られていた。10名余りの知人から暖かい別離の宴もあったりして先ほど帰宅した。今家族とケーキを食べている。宇宙の中で、ヒトは種として小さな存在だが、歩くべきスペースがあるだろう。これから私も、walking を愉しみたい。ヒトは、未だ宇宙の中に、知的生物を知らないが、何処かにこの壮大な空間であれば、可能性はあるだろう。それがどうであれ、ヒトはそれを知らないまま種として消えるだろう。私たちも、ヒトとしての種の価値を尊重せねばならないだろう。仕組まれたストリーであったとしても、生命を全うすることは意味があるに違いない。個人の運不運に浮沈することなく、スローライフを目指したい。明日からまた新たな旅立ちをしたい。まだ、先はあるのだから。生きておられることそれだけでも幸運だと思う。
2005.06.30
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誰にも「知りたい情報がある。」が、正しい情報が得られるとは限らない。時にはハムレットの悲劇にもなる。これだけ情報が溢れているが、送り手も受取る側も選択がまだ未熟だと思う。中にはフィシュングもある。どうも回り道をしながら行かねば目標にはなかなかたどり着かない現実がある。年寄りが今更脳の勉強でもないが誰も答えてくれないから自分で遣るしかない。相応しい講座でもあればよいが、えらく高いものにつくだろう。必要なものは常に用意されている程、便利な社会ではない。酷く無駄なことをしなければ、遣りたいことができないようになっている。遣りたい勉強を遣る為に、まず遠回りをさせられる。そしてお前は無能だと思い知らされて、やっとスタート台に立つことになる。もうヤル気を失くしている。そんな青春だったようだ。足の速い奴しかレギュラーにはなれない。それが、IQなのではないか。他人に認めて貰い為に無茶をして潰れる奴を厭というほど見て来た。正しい情報をすぐ知ることのできるひとがどれだけいるだろうか。有能といわれる人たちが意外と底の浅い人物であることを知るにつれ、先行きの不安を感じてならない。彼らは、まだ突然変異ではない。唯の幻影でしかない。彼らの持っている情報とは人脈のそれでしかなく、ビジョンではない。相変わらず昔と同じ手法で、如何にも新規性を衒うだけだという気がする。カネで罷り通るだけでは少しも変わらない。政治家と同じだ。甘い見通ししかないだろう。科学を知らなければこれからは何もできないのではないだろうか。喩え経済でも政治でも。
2005.06.30
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誰も教えてくれない。対象となるテーマはあってもそれを遂行する能力が無視されている。これを評価できなければ、正しい選択は不可能にも拘わらず。キーとなる脳は、スキルされているだろうか。脳のしくみがどのようなものか学んでいるだろうか。IQは、知能ではない。学習する脳である大脳新皮質を如何に使うかだ。このユニークな資源こそ、すべてを制すると言っても過言ではない。余りにも、偏頗なひとへの評価が罷り通っていないだろうか。ひとびとが持っている学習能力がかけがえのない資源であり、これからの拠りどころとなるだろう。誰もみなこの困難かも知れないが、価値のある課題に取組もうとはしないようにおもえてならない。個性のある脳は、学習の仕方を結局は自分で学ぶしかないだろう。少し私自身は手遅れかも知れないが、これからも勉強したいと考えている。いつも都合がよくことは進捗しないだろう。修正の効かないものもあるだろうが、生きていれば大抵遣るだけの価値はあるだろう。今日から還暦とひとはいう。
2005.06.30
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そろそろ区切りの日が近い。明日だ。この前の旅行の写真をCDーRにしたので貰ってきた。その中でやはりハナウマ湾の写真が気に入ったので、PCの壁紙にしたところだ。明日最期の挨拶に会社に行くことになった。朝3時に起きて散歩をした。図書館から借りた本を読んで過ごしている。束の間の至福の時間だろうか。それでも良い。喩え元の木阿弥でも、この2ヶ月間を過ごせたのは感謝に値する時間だったろう。旨いコーヒーを飲んでいる。コーヒーをいくら飲んでも旨いとも思わずに暮らしていたのだから。自分を発見しなければ何事もつまらないよ。私たちの目は、実は脳で見ている。脳が認識もするし自覚もするのだ。唯多細胞の操縦士では、つまらない人生になるだろう。ひととして、為すべきテーマを発見できなければヒトという種の遺伝子のコピーの伝達者でしかないだろう。劣性遺伝子を承継するだけの役務を果たしただけとは言わないが、まあそのようなものだろう。誕生日が何だと言われるかも知れない。確かに通過点でしかない。今日と明日がどれほどの違いがあるだろうか。それでもひとは僅かな違いに震撼する。もう少し顔がどうとか、背が高かければとか、もっとカネが欲しいとか等、ひとの欲望はきりがないくらいにあるだろう。その欲望のために一生苦しんでいるひともいる。其れが何だとデッド・ロックを乗りこえて見せてくれるひともいるが。ひとは、苦難を得て知ることが多いだろう。ひととして、踏みとどまるだけの勇気を持ち得るだろうか。その気概をその前に身につけることのできるひとは寧ろ幸運かも知れない。無銭旅行や苦難に立ち向かうのも一見無駄なことをする若者のようだが賢明な奴かも知れない。いつか、それが彼の生きるうえで貴重な体験になるだろう。この社会の矛盾を知らずして正しい方向は判らない。否正しい方向さえないかも知れないが。物事を平面で捉えるようでは判断を誤るだろう。どんなに価値のあるものでもフレッシュでなければならない。生物はすぐにも酸化してしまう。新鮮な空気と水と太陽が必要だ。そして餌も要るだろう。宗教はひとを救うかも知れないが殺しもした。正しい歴史の認識も必要だろう。あまり硬直しないままで明日を迎えたい。21世紀は、何か偉大な発見をするだろうか。
2005.06.29
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世の中に興味のないひとは話題が少ないだろう。ひとりで空でも海でも見ていたくなることは誰にでもある。それでも、生きることを止める訳にも行かないし、細胞は限界まで生きようとするだろう。何せ会社を定年したし、入院したし、旅行もしたし、近年になく忙しい。それでも日常は変わらない。否仕事をしていない。それも、何時までも続かないだろうが。それでも、向上心だけはある。庭で朝顔が蔓を出したので昨日竹を添えたら、もう今朝は、蔓が竹に絡まろうとしている。生物は、なんとも見事なものだろうか。ペチュニアも花弁が重なるとすぐ枯れる。化学反応は、生命を支配している。観察することは、話題に事欠かない。脳細胞は再生しないと言われたが、実は再生もするらしい。そうであれば、どれだけ萎縮した脳も、可能性はあるだろう。グリア細胞にしてもその働きは、まだ充分解析されている訳ではない。まだ私たちに話題を提供してくれるだろう。ヒトは、科学に向かわねばならない。そこにしか未来はないだろう。ますますひとりで生きていけなくなる。これまで、狭い家族や学校や職場と言う空間でしか社会との関わりを持たなかった人類は、新たな交流のスペースを持とうとしているかも知れない。然し、未だ、本物ではない。仮想でしかない。ひとも、努力をしなければ、萎んだ花弁になるだろう。せめて他人の邪魔をしないぺチュ二アの勇気と潔さを持ちたいものだ。話題を多く持ち、ブログを愉しみたいね。未だ点ですが線になる日が来るかも。PS どうも考えが内向きに生きているのではないだろうか。対話も例えば、アフリカとかモンゴルとかのひとびとと普段の話ができるようになれば良いだろうね。言語の問題はあるけど、そのうち日本語も過去の遺物かも知れない。脳も宇宙にしても、既成概念を捨てなければ始まらないと思うよ。何か猫とか犬とかどうのというブログを観ていたら、ムカついてきた。
2005.06.29
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亡き義祖母が、「往還ば歩け。」とことあるごとに言っていた。こそこそするな。往還を歩いていれば、他人が先ず安心する。滅私があるだろう。卑劣なことはいつも蔭で行われる。ひとは、ひとりでは生きていけないものだ。赤ん坊がそうだし、瀕死のひともそうだろう。ひとは吐瀉をするし、排泄もする。ナースの仕事を尊敬するのは、其の苦役が日常だからだ。誰かの世話になるのだ。どんなに体力のあるひとでもいつかはそうなる。臍の下で生計を立てるなかれ。どれだけ見栄を張り、虚栄を衒おうと、ひとの弱みを貪るものは汚い。『往還を行け。』だ。自分がどうであろうと、他人を安心させることだ。往還で野倒れ死ぬでも誰かが骨を拾うだろう。それくらいの社会ではあるだろう。官であろうと民だろうと差別はくだらない世間がするだけだ。朝の散歩をしていると元気が出る。たとえ下町の汚い路地裏を歩こうと、ここは往還だ。豪華なマンションで贅沢な暮らしをしようとそこは往還ではない。さっぱり裸で、下駄でも履いて歩きませんか。呼吸するだけの空気は腐るほど満ち満ちていますよ。
2005.06.29
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どうもブログが癖になり、余り肝心のことができていない。他人は、どうか知らないが、私も冗談が過ぎているかも・・・。半分興味本位で遣っているが、変なところに首を突っ込んだような気がしないでもない。昨年8月からブログを始めたので約10ヶ月になる。愉しく遣れば良いと思っているが、そうも言っておれずに苦言も言う。年寄りの冷水だ。「オレは、死ぬぞお・・・。」と叫んだとしても誰も歓ばないだろう。そんなにも大それて悪いことをしてきた覚えもない。怨まれるとしても妻子くらいだろう。どうも、まだ社会で「ゴマを擂る。」ことになりそうだ。他人を煙に巻くような話が好きなのだが、何時までできるか判らない。他人もどうも訳のわからないブログが多いので、少しは気がらくだが、真剣なひとは、止めた方が良いでしょう。ブログは、まるで創世記の「原始のスープ」だから、呑み込まれることになるでしょう。蛭が裏返しになるようなことにもなりかねませんよ。いやあ、私などは相当狸です。
2005.06.28
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5年目の更新だ。後回しが今日になった。昨日まで行くつもりがなかったが、妻から早くしろとせかされて今朝行く気になった。何度も行っているはずだが、5年も経過している。おまけに最近車で南区は行った事がない。やはり曲がる交差点を間違えた。午前の部の11時の締切までどうにか間に合い30分の講習を受けることができてほっとした。講師の話では、福岡県は、「全国一マナーが悪い県らしい。「福岡で運転ができれば、どの県でも運転ができる。」との陰口がされているとか。加害者になっても被害者になっても、家族離散が後を絶たたず、交通事故が原因で自殺者も多いのだという。また、一旦停止も100名に5名しか守られていないデータもあるらしい。こういう話を受講すると、流石にしゅんとなる。普段余り考えずに運転しているようだ。結構黄色信号で停止しないし、心当たりは随分ある話ばかりだ。それが当り前の土地柄であると思っていたふしがある。確かに、他県はそうでもないとすれば、福岡県は、マナーが悪いだろう。妻などは、怖くて市内には行けないと言って運転しないので呆れていたが、どうやら、私の認識が誤りのようだ。交通事故には縁がないつもりでいたが、確かに、取り返しの付かない事故が起きないとも起こさないとも限らないのだ。高齢者の運転もこれから深刻になるのではないだろうか。私にしても、70歳まで運転できるだろうか。あまり自信がない気がする。新しい免許証が平成22年まで有効とあるが、あと何回更新ができるだろうかと思いながら帰宅した。
2005.06.28
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日経コラムに「生きて虜囚の辱めを受けず」と六十年前のサイパンの悲劇を浸透していた恐怖が、死を招いたとある。これは、meme だろう。理不尽の極みとも言うべき集団死だという。このことばは、亡くなったひとびとの慰めになるだろうか。事後、評論するのは謂わば誰にでもできることだが、勿論それも必要なことだろうが、要は何故、満足に武器を持たない兵士が「バンザイ突撃」であり、女性や子供が崖から身投げしたのかだ。無残な戦争で片付けられてよいのかだ。もう二度とそうことは起こりえないと言う前提があるのであろう。戦時のマスコミは、戦争を寧ろ煽った側だ。平和になれば戦争を非難して憚らない。時流に乗っているだけに思えてならない。戦争に反対するひとたちもいただろうが、理不尽が罷り通っていたのも事実とすれば、かれらはどこで生きていたのだろうか。どこか違う場所で、戦争と闘っていたのか。それこそ無残に死んだひとびとの怨念の声がするようだ。過去のことを反省することは、大事なことだが其れに到るプロセスを解析しなければ同じことを繰り返すだろう。それは、そうなる理由があるからだ。また同じことをするように遺伝子は仕組まれているからだ。それは、meme が起こすだろう。戦後生まれのひとは、厭と言うほど戦争の話を聞いて育った。しかし六十年を経過して、戦争を知らない総理大臣がいる。もう実体験をした人たちが、その悲惨を伝える話をすることは少なくなるだろう。そして、戦争は風化してしまうのだろうか。憲法前文で「政府の行為によって戦争の惨禍が起こることがないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」と定めている。時代の無知と貧困が、空文にもするだろう。梅雨というのに雨が降らず、猛暑がつづく、これも温暖化の影響だろうか。
2005.06.28
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「エッジワース・カイパーベルト」や「セドナ」などの小惑星が見つかり出している。「太陽系第10惑星」たちだ。これからも「すばる」は、あらたな発見をするだろう。所謂、未解決の問題に対する課題は、いつかは解析される。寧ろ課題とさえされないまま埋もれている課題こそ重要だろう。まるで赤ん坊が、周囲の環境を学んでいるように科学の進歩は進むのだろうか。せめて、科学の進化を阻害しないことくらいしか、私たちにはすることがない。そして、科学の子供たちをより多く育てることだ。彼らをのびのびと育てることがひいては、未解決の課題をよりひろくテーブルに載せることになるだろう。「メーザー」は、太陽の最期を証明するだろう。ひとに「ヘイフリックの限界」があるように太陽も130億年を経過して、最期のときをむかえる。大規模なガスの放出がされる時にメーザーが出る。やがてちりにおおわれる。「有限の限界」と言う宿命を背負いながら、細胞もヒトも地球も太陽も、そして宇宙さえ存在しているのではなかろうか。腐りかけた私の脳でさえ、未だ知りたいことが、うれしいことに幾つもあるし、そして、日々新たなテーマが生まれ続けるだろう。ヘイフリックの限界まで。PS マクロに対してよりもミクロの世界が更に深い。殊に脳が凄いと思う。ヒトの知識などまだミミズの脳でしかないだろう。目のないミミズだ。これから、どうなるのだろうか。はかないものの中にも何かがあるだろう。価値は見出すものだ。その力を養うべきだろう。今日は酷暑だったが、その暑さに耐える花が、健気に見えた。
2005.06.27
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横浜は、人口355万の都市だ。ペリー提督が来航し、日本を震撼させた。文明開化をスタートさせてその息吹を日本国中に撒き散らしたのだ。その横浜には、明治5年新橋と横浜駅に汽車が走った。外国人居留地が「関内」にあり、「馬車道」を通って伊勢佐木商店街を行き来したという。テニス、ビール、アイスクリームが上陸したところでもある。生糸が輸出された。横浜と言えば、山下公園。これは関東大地震の焼土で造成された。あと、外人墓地、中華街、三渓園。東南の山手に「海の見える丘公園」もある。ここの展望台から山下公園や氷川丸本牧埠頭やベイブリッジが一望できる。それから名刹総持寺、金沢八景、横浜アリーナもある。そして、みなとみらい21「MM21」がある。186万平方メートルを対象としたプロジェクトだ。ランドマークビルは高さ296m。69階には展望フロアがある。晴天の日には富士山も見える。このビルは、2500億で建設された。今の評価は約1500億だ。恐らく日本一の評価損ビルでもある。横浜には、つきない魅力がある。歴史と新しい時代の息吹が忽然として私たちの前に立ちふさがり、目を奪われるように聳える。ひとは、数々の壮大な課題を実現させるだろうか。其れまでのパワーを持っているだろうか。Area MM21 は、当時よく歩いた。
2005.06.27
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生きるとは、生甲斐のある生活を営むことだろう。少なくとも社会はそのために法の整備をはじめその他あらゆる努力をしなければならない。ヒトは無抵抗な状態で産まれて来るのだ。そのために親がいなければならない。家庭という環境はかけがえのないものだ。人格形成の過程で障害があると取り返しのつかないことにもなる。殊に幼児の場合は重大だ。それだけ社会が成熟していなければならない。ところが、其れが一番遅れているところに現代の社会の悲劇があるのではないだろうか。身勝手な自由が「自由」ではないことは誰でも判るが、案外其れが自分では判らないものだ。権利の濫用や公共の福祉、生存権の概念は、抽象的で判り難い。法は元々抽象的な条文でできている。それを解釈するのは、結局は裁判官の裁量でしかない。その時の社会的政治的状況で変わることにもなる。ひとりひとりの人間に、最適の生甲斐を示せるような環境はできそうにない。だから余程努力しない限り生甲斐を得て生きることは難しいであろう。自分流は、自己満足でしかない。宗教家の悟りはあるにしても其れは別の世界だ。どこにでも哲人はいるだろう。其れは未だマイナーでしかない。私たちが求めるものは、多くの人が生甲斐を得て、自分らしく生きることのできる社会のことだ。それができないのではない。それを成就させる、点を線にする能力がないだけだ。私たちの脳細胞は、その可能性を秘めているのにむざむざ「腐った林檎」にしているのではないだろうか。智慧を出すことを懼れるな。「無知と貧困」が万里の長城のように、前に聳えているだろう。
2005.06.27
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高齢者は、それなりに相応な生活をしているだろうか。複雑な思いを拭い得ません。どうみてもあれだけ家族を大事にして、これまで遣って来られたことの対価を受けているとは思えません。例えば、知り合いの、おふたりの80歳過ぎの寡婦ですが、昔の生活が嘘のようです。夫々あれだけ立派に家庭を築いて来られたのに、今は、ホームとひとり暮らしです。なんでなのかよく判りません。この社会ではそれが当り前なのか。高齢者は、厄介者でしかないのでしょうか。何故、相応しい生活ができないのか。それだけの資格は、充分あるひとたちなのにです。我慢強いひとたちだけに何も言わず耐えておられるように思えてならない。介護と言うが、本当の介護だろうか。ケアはどこまで本気で取組まれているか。甚だ疑問だ。責任は、誰にあるのか。子供たちは、どうすべきか再考すべきではないか。ホームにはいり、何もしなくなり、ボケが出ているように思えてならない。その伯母は。一度自宅に帰られたら、私にソーメンを食べさせたいと世話を焼かれたが、驚いた。家庭であれば、世話をする相手がおれば、治るかも知れないと思ったものだ。ことは単純には勿論行かないだろうが、放置すべきではない。あとでどれだけ悔やんでも、ことは過ぎるのだ。言いたいのはそのことだ。前回「禁煙」の話をしたが、本意は、死にたくなければ止めなさいだ。ひとは、どちらを選択すべきかを決めなければならない時がある。それを先延ばしにしているだけだ。そして、其れにも時間がある。いつか、いずれ自分にもふりかかるだろう。
2005.06.26
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空気は澄んでいるし、緑と少しのスペースもあるのだから・・・。これから行く先はいくつもある。ハワイでデンドロビウムを観たではないか。Dendrobium の花色はピンク、赤、白等、まるで、可憐な少女のような美しさだった。原産地は、オーストラリア、ニューギニア。また会いたいね。できれば、ハワイで遭いたい花だ。ロケーションの良いベランデで、好きな時間を過ごして美味いビールも飲んだのに、もう意気消沈してしまっては、申し訳ないよ。せめて、元気出して、空元気でも良いから、山野を歩き回るさ。そのうち何かに出遭うだろう。それが何であろうと構わない。それが、自分の人生だろうからね。喜怒哀楽なんて所詮脳のなせる反応だろう。脳のホルモンが、快楽を生み出すのだ。マインドなんて操られた意識でしかない。疲労する脳を抱えたひとたちが、まぼろしを追いかけるだけだ。せめて、ヘイフリックの限界とテロメアの圧縮が来るまでは、元気を出そうよ。これから、郷里の熊本まで家族とドライブします。福岡IC から 菊水ICそれから、玉名の義母にハワイのお土産を届けて、国道208号経由で、熊本市内の両親の墓参りをする。そういえば、途中に田原坂がある。公園になっているよ。「雨は降る降る人馬は濡れる・・・」そういえば、やけになると何時もこの歌を歌っていたなあ。そのあと、伯母の見舞いだ。まあ私なりの役目を果たそうと思う。
2005.06.26
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朝3時過ぎ、犬を連れて散歩して来た。そよ風が吹いていて爽快だった。もう働いているひとがいるので、確かに朝なのだろう。田舎の道なら真っ暗だろうが、福岡市の朝の3時でも散歩はできる。度々の浪人をしているが、案外気にしていない。好きなことが出来るのは良いが、いつまでもそうさせてくれるような甘い社会ではないだろう。先日入院した時、DM患者で禁煙できないと言われる方がいた。「医師は止めたが良いと言われるのですがもう10回以上挑戦したができない。」と言われる。みるからに誠実そうな紳士だ。喫煙者だけでなく、その周囲のひとにも影響する。医師は、やめた方が良いと言っているのではなく、本当は禁止なのだ。強く言わないのは方便でしかない。何せ煙草は、国で売っている。いまはJTだ。国民の健康がどうのという前に、煙草は禁止すべきだろう。何の為の「禁煙」だろうか。人体に悪い影響があるだろうではなく確実に悪い影響があると判っていて売り続けるとしたら、犯罪行為ではないのか。アメリカでは、裁判にもなる。国家は、「悪」を為さないという神話は、もうどこの世界でも通用しない。環境汚染や温暖化にしても、天に唾を吐くようなことばかりしていないか。私たちの周囲を、「矛盾」が大津波のように押し寄せている。
2005.06.26
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時々違和感あるなあ・・・と。まあそんなものでしょう。どうせあたしゃそんなものですから。どうして、図書館に机がないの。あるのはテーブル・・・しかない。何故パソコンできないの。飯も食わずに本を読めってか。何故原書がないの。エリートだけしか読む必要ないってか。アホでも勉強したい時もあるよ。政治が嘘をつくのは常識だ。学者も正しいことを教えるとは限らない。何で知るの。たまには真剣に考えたくなるよ。でもその環境がない。野球やサッカーの観戦があるってか。ドーパミンが、快楽を呉れるのは一時のことだし、カネもすぐなくなるよ。何が愉しくて生きているのと訊かれて絶句する。あーオレは駄目だ。人生間違えた。もう遅いよ。手遅れだ。おしまいだァー・・・ね。この社会は、不公平なのだ。だからこんな狭いスペースしかないのだろう。一方通行しかないのだろうか。振り向いても誰もいないよ。
2005.06.25
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1万3000年前までホモ・フロレシエンシス(フロレス原人)が存在した。インドネシアのフロレス島の場合、体格はさほど重要ではなく、小さな島では食料が乏しく、カロリー摂取は負担になり、身長1mの小型化に向かった。人類の進化にも本流から外れた種が存在したことを示している。ドマニシ原人とフロレス原人の頭骨の相違の発見は、人類進化の研究に於ける最新の成果だ。私たちの世界は、あらゆるものを生み出す「スープの海」だろう。正義とか悪とか裁けるだけの能力を何のデータなしに判断することなどできはしない。ひとは、自分のスペースで自分の仕事をすべきだろう。そのための努力をすべきだ。未来に続くよりよい仕事を求めるべきだろう。
2005.06.25
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あす故郷の熊本に行く。 両親の墓参りと義母へのハワイ旅行の土産を持って行く。それと伯母の見舞いにホームにも寄るつもりだ。行程300キロ位になるだろう。家族で行くので運転の交代ができるので楽になった。いざとなれば、妻娘に任せて缶ビールも飲める。父母の墓は北部町にあり、畑の中にある。それでも周囲に住宅が建ち出している。他人の庭の横を通ることになってしまった。昔からの墓地だが父母も肩身が狭かろう。お盆の前だが、私の定年の報告をしたいと思っている。死んでも親を頼りにしている気持ちは変わらない。聞いて貰うだけでも気持ちが癒される想いがする。母は享年53歳だった。慣れない介護をしたが、その厳しさに絶句したことが度々ある。そして、私は母から人の死を学んだ。というよりも学ばせてくれたのだろうと信じたい。父は、心筋梗塞だった。一瞬で身罷った。生前父は「俺は、ポックリ死にたい。」とことあるごとにいい、熊本の「ポックリ寺」に参拝していた。そのとおりになり、驚愕した。母と同じ命日にだった。義母は、最近足を痛め出歩くことが不自由になり、書道教師も自宅だけでしている。83歳で未だ仕事をしている。身体は小さいが気迫の女性で圧倒される。旅行前に報告すると『私もね。足が良ければご一緒したいけどね。」と笑った。そして、伯母は、あの懐かしい慈愛に満ちた伯母は、老人ホームにいる。少しアルツハイマーが出ている。まるでわが子のように可愛がってくれた。その優しさはまるで太陽のようで言葉では表現できない。ひとつひとつの思い出が、宝物のようだ。何とも恥ずかしながら、このひとたちに何の恩返しもできていない。明日何があろうと、わたしは、耐えるしかない。それだけの恩を父母や周囲のひとびとから受けていると思う。そして、あすは、Only God knows it.
2005.06.25
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そのことを肝に銘じておくべきだろう。その認識なしに物事を見ているとすれば、ひとは人生の選択を誤るだろう。相手が誰であろうと、よく観ることだ。本当のことは見えにくいのだ。観ようとしなければ見えないことが多いものだ。何度も繰り返して子供は、確かな知識を蓄積するように、ひとは知ることを躊躇すべきではない。苦難は寧ろ豊かな人生の糧にもなるだろう。そうしようとしないだけですべてを棒に振るような人生にしてはならないだろう。親や子や兄弟やまして他人の生命を奪うような事件が多発している。個人だけに責任を押付けることはできないが、責任は個人で負わねばならないルールがある。犯罪や貧困や無知がどうして改善されないだろうか。多くのひとびとが日々の苦役に耐えて、少しでもと努力しているのに、中々だ。価値の多様化ですまされないのではないだろうか。自分に戻ることが問われるだろう。
2005.06.24
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「自由からの逃走」をやめてから・・・。その間あっという間に過ぎた感じだ。「もう退屈したでしょう。」と言われるが、自分ではそうは思わない。遣ること、したいことはこれからだ。遣りたいことの何分の一もできないだろうけれど、可能な限り好きなことをしたい。自由であることは何とこころを豊かにするだろうか。物欲に囚われて何もできない者は憐れでしかない。自由を求めようとしないものには自由の悦びは判らないだろう。古人は、生命を賭して自由を求めて止まなかったのだ。現代人は寧ろその自由から逃走しようとする。それは、平穏な日常を欲してだろう。ただそれだけのために自由は棄てられて良いのだろうか。何故、この社会は、腐敗の海だろうか。澱みは、どれだけの価値があるだろうか。動物は、動くことによってリスクを多く抱えるだろうが、可能性も拡げたではないか。酸素がなくなり、いまの生物の時代が終わる時が来るだろう。未来は、過酷な運命も齎すに違いない。選択肢を誤れば、忽ち生命の危機になるだろう。先ず自分の「ヘイフリックの限界」を予測して、これからの人生を考えたい。そのための時間だと思う。
2005.06.24
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Do little 先生は、素晴らしい先生だ。人間は大きいことをしようとしても、所詮小さいことしかできずそのために却って、苦しまねばならない。God knows. は、ひとにはわからないの意だ。ひとのすることは、すべてちいさいものでしかない。孫悟空がお釈迦様の掌の上で飛んだように、ひとの一生などヘイフリックの限界を超えることはできない。ひとが大きいことをしようとするほど多くのひとを踏み付けにすることにもなる。偉大なひとなどいない。ただ、勇気があるかであろう。他人のために犠牲になることは尊いことだ。それが勇気ではないだろうか。勇気のある人はどこにでもいる。それをいつ使うかだろう。子供にとって親は、勇気のあるひとだろう。自分を犠牲にして育ててくれる。わたしたちヒトは、さまざまな苦難とながい歴史と多くの犠牲の上に、生きていると思う。だから、大きいことができるのではない。
2005.06.24
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ツアーのホノルル観光で、市内とオアフ島一周のガイドは、日系のコンシェルジュだった。二人ともベテランで、興味深い話もありホノルル事情が垣間見れた気がした。二人とも日本に里帰りしており、日本の事情にも堪能だ。市内のコンシェルジュは、沖縄に駐留米軍に在籍していたらしい。戦闘機で沖縄からホノルルまで来たこともあると言っていた。何もなかった土地に外来種が棲み付き、太古と違う風景だという。今更カメハメハ大王像でもないだろうという。宮殿もパスされた。陸軍墓地では、鬼塚飛行士の墓地をバスの中から案内した。少し手際が良過ぎていたようだ。翌日は、中年女性のコンシェルジュで、25年前に移住したらしい。この仕事も長いようで、説明も豊富な知識に驚かされた。HAYATT REGE-NCY WAIKIKI からダイヤモンドヘッド・ハナウマ湾・ハロナ潮吹き穴・ノース・シュアを巡り、ドール・パイナップル・プランテーションを体験してワイキキに戻った。どうやら、日本の旅行社もこういうコンシェルジュがいるからどうにか人気を保っていたのではないかと思った。短い時間で説明するのは余程両国の事情に詳しい人でないと勤まりそうにない。現地のフロント・デスクの対応の貧弱さをカバーしているだろう。然し、もうそれも通用しなくなるかも知れない。弱小フロントは淘汰されるのではないか。コンシェルジュのいらない時代が来るのではないだろうか。観光メニュも、ちと時代遅れのようだ。食事も肉や新鮮フルーツが出れば歓ばれた時代ではない。デナーセイルもランチクルーズも同じ所をみせているだけだ。何故こうも日本人は頭が悪いのだろうか。せめて、一年経てば、見直しが必要だろう。何時までも同じことをしていて勤まる話などないのだ。コンシェルジュの巧みな話に耳を傾けながら思った。
2005.06.23
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明確に自分の周囲を把握できているかと言えば覚束ない。部分的に理解していても全体から観れば間違うかも知れない。QOLも問題は、どこに視点を置くかで違うだろう。ブログを観ているとその相違は、歴然とする。フェロモンで操れるのは、飢えた狼だろうし、舌足らずの言葉で、絵文字ばかり駆使するのも中味のない、日常の表象だろう。DMでいうQOLも謂わば、ひとなみの食生活でしかない。柵とは何を指すのだろうか。社会との係わりや、家族との交流も宗教を持たない者に取っては、謂わば「聖書」のない暮らしを続けることだろう。法規範にしても、最低の道徳を示すだけだ。殺すな、虐待するな、盗むな、強姦するなでは、この社会は複雑過ぎる。何の指針にもなりはしない。自分の内外をどうしなければならないかを自己責任にしているのは、まだヒトが生存競争の原理から抜け出せないからだろう。死ぬ自由はあってもQOLはないのだろうか。偏頗なシステムに翻弄され多くの無駄な血が流される。生物は、生きるためには多くの条件を満たさなければならない。殊に、ヒトはそうである。この複雑系は多くの犠牲の上に生き延びることができるだろう。ひとはヒトに対して狼でしか生きられない状況を、まだ克服できていない。戦争はその証左だろう。私は、綺麗な女性を見ると複雑な思いがする。餌食にならないために彼女はどう身を守るだろうか。そのための備えができているのだろうか。狡猾なハンターがそれだけが生甲斐で生きている殺し屋がいるだろう。少なくとも自分の不幸を他人に押付けても恥じない輩もいるだろう。QOLとは、自分に取って何だろうか。これから、ヘイフリックの限界に向けて、悩ましい日々が続くだろう。諸氏もコーヒーブレイクしませんか。
2005.06.23
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June 16. 19:50 in 2005.The JAL Fukuoka Airport time.The medical certificate of the doctor who presented beforehand is useful,It seems that it is a priority seat. Becase, it was hospitalized for 1month until 3 days before. It should go in the honeymoon 25 years beforebut it wasn't possible to have gone after all."The Hawaiian sightseeing" became the dream of the wife.Barely, a chance was made but was hospitalized in the sickness to the arrowhead. It thought that I wanted to achieve a promise many years absolutely.ヘイフリックの限界が来る前に、約束を果たさねば後悔するに違いないと思った。二人の娘が、やっとこの春に就職した。この先は晴耕雨読をして暮らす計画も儚い夢のようだ。これからも厭なこともしながら、暮らして行かなければならないだろう。然し想いの外、ハワイ観光は愉しい思い出の旅になり、妻にも活力を与えたようだ。「また何処かに海外旅行をしようよ。」妻は、何度も呟いていた。次回の旅行に向けて歩き出すのも良いかも知れない。と私も思うようになっている。
2005.06.23
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ROYAL KONA を買い込んだ。土産用と自分用だ。ホテルでは毎朝コーヒーを勧められるし、一日数杯飲み出した。コーヒーはカローリーがないし飲み出すと旨くなって来た。どうやら、当分飲めるだけの量は確保している。さて、自分はこの旅行で何かを学んだだろうか。ひとつ違う営みを知ったからと言って何ほどでもないが、異文化を知ることは意味のないことではない。ただそれがどれだけの成果に繋がるかは簡単ではない。交流は綺麗事ですまない側面も持つだろう。関わることは恋愛も同じだ。知らなければ苦しむことなく過ごせたかも知れない。あるブログの訪問者は、歌舞伎町でサービス嬢を職業にしており、赤裸々な日常の一コマを記述されている。何の為にされているか不明だが、生々しい男たちの愚かさがみえる。性の前に、他愛もなく屈服される男たちがいる。嘲笑され、揶揄され軽蔑されてゆく。コーヒーの苦さは、人間の醜悪さを突き破る旨さなのかも知れない。利己的な遺伝子は、男たちに子孫を残すように要求し、脳はそのために快楽のホルモンを提供するのだ。それを餌にしている女たちがおり、スポンサーがいる。誰もが餌にし餌になるだろう。そういう社会にコーヒーは存在している。コーヒーの馨しい匂いを嗅ぐたびに、日々の営みの重さに震える思いがする。ひとは、まだ旅を続けなければならない。愚かな者を相手にすべきではないだろう。利用するものは利用されてもいるだろう。やたら、苦いコーヒーを飲んだ。
2005.06.22
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白いブルメリアが到るところに植えられている。ハワイではレイに使われる。種によって白から黄色、桃、赤まで変化があるらしい。レインツリーは、Monkeypod tree, Saman ともいう。常緑高木で傘型。例の「これは何の木、気になる木・・・」だ。黄色のハイビスカスがワイキキの海岸通りにも咲いていた。Kalakaua Ave.でペチュニアが街灯ごとに鉢植えされていた。自宅の庭と同じ花なので嬉しくなった。花を愛するひとのこころはどこでも同じだと思うと何とも言えず癒されるものだ。ビキニの娘や素足で歩く姿を見かけたし、少なくとも昼間は一見平和な観光地だ。色んな人種が夫々の想いで生きているのを実感した。そして、優しく然も強かに、植物は自分のテリトリーを守って生きているのだ。ハイアットのホテル内の人工滝の花壇にデンドロビウムの花が一段と綺麗だった。花には似合わないモデルだが、花の前で数枚の写真を撮って貰った。----- Original Message ----- 送信者 : 宛先 : ??????@msn.com 送信日時 : 2005年6月22日 10:29 件名 : 22日の日記
2005.06.22
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Thak you,I really enjoyed my stay. 実は、日本語で通じる。ABC storesも何でも売っている。コンビニで大抵ワイキキではそうだ。でも、外国だ。勘違いしそうになる人が多いようだ。妻が、Ala Moana S.C.で靴を買ったが日本語が通じないし、片方だけしか店に出していないなど、文化の違いは歴然だ。物を置いていたら直ぐ無くなるのがこちらでは常識だそうだ。ガイドの説明を聞いていたら、これは酷いところに来たなという感じだが、日本人が甘ちゃんなのだそうだ。訳もなく笑うなだ。或る意味「他人には厳しく、身内にはどこまでも優しい。そして自身に対しては無制限に甘い。」のだ。これは、利己的な遺伝子と同じだ。それによって、ヒトは生き延びてきたかも知れないとすれば、細胞に根ざした人間の本性だろうか。日本人のコモン・センスなど島国から一歩出たら、マイナーでしかないと嘲笑されるだろう。そんな事実を新婚さんや観光客がどれだけ実観しているだろうか。一時の体験としか感じないとすれば、無知の為せることと言われても仕方ない。学ぶことのできない者に明日はないだろう。ホテルのべランダで、毎夜ビールを飲みながら夜景を愉しんだ。オーシャン・ビューではない部屋だったので、見えるのは、殆どが向かいのホテルの多くのベランダだったが、明かりが幾つも見えて消えることがなかった。ベランダで明け方まで過ごしたい気持ちが伝わってくるような光景だった。これがハワイ式ホテルのサービスなのだろうと感じた。次々と米本土からジェットが飛来していた。6月になり夏の休暇で、MIRAMARは、家族客で溢れていた。「こどもは、可愛いねー。」と妻が呟いた。
2005.06.22
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知れないと妻が言う。まるで現実とは違う世界ではないだろうか。美しい風景と優しいひとで溢れているように思えるという。旅行パックは、日本人向けに仕組まれておりかなりキャリアを積んだ内容になっているようだ。然し、もう無理が来ているように思えた。時空の違いが、どちらかを置いて行くだろう。ただ、自然の姿は、売り物にはならない。それは、一瞬のことだ。いつまでも食べられるものではない。そのために払う対価をどれだけのひとが持つだろうか。勘違いしている若者たちが海外旅行に浮かれて現実を見失い短絡的な生き方をしているように見える。ちやほやされることがうれしいだけではないはずの老人たちのグループを見かけた。移民たちは、働く為に長い航海の末に辿り着き苦渋を嘗め尽くした土地だし、パール・ハーバーでは、戦争と言う現実を目の当たりにしただろう。その土地を福岡から、八時間余の快適なジェットで行けるのだ。そして、空港会社の都合でこの秋にも廃止となるらしい。福岡・ホノルル間は、もう経済の問題だ。ワイキキ海岸に海水浴をしたが塵ひとつない見事な空間だった。汚い海水浴を観てきただけに別世界の想いがした。これはプールサイドではないのだと。どうも私は、いつもおのぼりさんだ。大阪の時も、東京の時もその落差に脳の働きが停止してしまう。自分が、少しも世の中のことを認知しているのではないことはよく知っているつもりだ。寧ろ自分の非力さに日々怯えて生きている。それでも時々吠えたくなるのは、これは性癖のなにものでもない。観光ガイドをみれば、昔からのことを知っているひとたちが腐るほど書いているだろう。利便性がどれだけ良かろうとそれだけだ。どうやら、この旅行が、月面着陸した宇宙飛行士のような気分になったのは、鬼塚さんの墓に飾られた多くの花輪を見た所為だろうか。ホテルから、早朝 Ala Wai Canal のサイクロードを歩いて、動物園の横を通り、Kapiolani Park を散策した。突然雨になり虹が立つのを観ることができた。ジョギングをしているひとと挨拶しているとずっと昔からここにいるようにな錯覚がした。
2005.06.21
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捻くれているかも知れないが、どうもあちこちで見え隠れするものが気になります。どうも面白いけれど、やがて哀しいものが感じられて来る。移民の歴史もある。血を染めたひとたちを愚弄することはできない。そういえば、不思議な松や樹木が目を引いた。ハワイではそれが当たり前なのだろうが、傘のような樹が目立つ。そして、花が咲くものが多いようだ。ひとのこころを荒ませるものがあるとすれば、それは、不平等があり、無知と貧困に起因すると思う。客観的にみれば何でもないことが、この社会ではいまだに罷り通る為体だ。大きな嘘が見えないのは、見ようとしないからだ。そんなはずのないことが到るところにあるだろう。親だから、先生だから、親友だから嘘を付かない筈はない。無知や貧困やごまかしはどこにでもあるだろう。何故、観光するだろうか。
2005.06.21
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一寸旅行してました。頭が時差呆けしてます。ぼちぼち頭の整理をするつもりですが、針の穴から覗いたようで、実はよく判らないのではないかという気がします。空が高くて、Oahuは、美しい島でした。それだけは確かです。妻も満足してくれたようですし、まあ良かったと思っています。Oahu島は、どこか沖縄の風景に似ていると思いました。基地の街だからでしょうか。市内は、殆ど雑草を見かけませんでした。それで虫も少ないのでしょうか。戦後駐留米軍が、殺虫剤を散布して廻った話を思い出しました。どうも虫がきらいらしい。世の中には、好きになれない奴も多いですが、好きな奴といつも一緒が良いというのもどうなのでしょうか。まあこれから、再スタートをばするつもりです。
2005.06.21
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空は何故蒼く見えるか。何故蒼い海を見ると懐かしく思えるのだろうか。科学的に説明が付くものと付かないものも多いが、知ることは愉しいことだ。日本という狭い島国も棲んでみれば、奥行きの深い場所でもあるだろう。ひとつのことに嵌り込んで終わる人生もあって良いだろう。家庭を大事に生きるひとも否定さるべきではない。何が価値があるのかはひと夫々だ。法に従っていれば、倫理に反しない限り自由な社会だが、それだけではすまない社会でもある。単細胞では、すまない現実がある。ひとは、科学にシフトしてゆくに違いない。その先に何があるだろうか。興味はつきない。紺碧の海を見ることができるだろうか。これから、出かけます。みなさまの夢もいつか叶いますように・・・。
2005.06.16
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あちこちの紫陽花が美しい。箱根鉄道沿線や明月院の紫陽花も綺麗だが、ぽっんと咲いているのもよい。それでも一輪ということはなく、いつくか咲いている。紫陽花ロードは、何とも言えず心が癒されるだろう。結構種類も色々だ。青色だけでなく、白や紫も素敵だ。色が変化するので見ていて飽きない。梅雨が今年は未だだが、雨の中の紫陽花も風趣がある。病院の周囲を歩いて、庭先の花を愉しみに散歩したが、最近自宅に帰り、散歩で紫陽花探しを始めた。紫陽花に囲まれたお宅を拝見すると羨ましいと思うが、そこまでするには中々だろう。相当年月が必要だろう。よく知らないが手入れも大変だと思う。これからがいよいよ紫陽花が綺麗な時期だと想う。若い頃は、紫陽花の咲く頃は、いつも何か鬱積とした世界で悩んでいた気がする。それがいつか懐かしいものに変わり、そして今は、かけがえのない郷愁を感じさせる花になった。ひとのこころを裏切らないことだ。
2005.06.16
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どうにか用意も完了して、あとは妻が起きるのを待つだけ。勿論冗談だけど、殆ど今回の旅行の準備は彼女がしてくれた。こういうことにはえらく熱心だ。まあ遊ぶのは誰でも好きだろう。要は、そこまで持っていくことできるひとかどうかだろう。明日の心配をしても仕方がないと言えば、無責任のようだが実際そうではないだろうか。どれだけ備えても津波でもあれば防ぎようがない。其れほど、安全な世界ではない。この社会では、ひとの生命は尊重されているだろうか。病院に行ってよく観察すれば、そのことを感じるはずだ。学校や企業でもそうだろう。解らないとすれば、解ろうとしない自分がいるだろう。たとえ解ったとしても其れが何だろうか。それは認識でしかない。然し、そこから始まるだろう。いつも何処かに向かう自分がいる。それは、長い旅になることもあれば、すぐ終わる体験もある。それを自覚しているだろうか。私は、これから何を始めようとしており、其れに対する意味はなんだろうか。自分は、何を目標にしているだろうか。それは、自分の人生でどれだけの意味があるだろうか。其れに対して、自分には何ができるだろうか。大抵失望に終わり、自戒する羽目になるだろう。それでもそれが自分の軽薄さの証であることを思い知るだろう。そうして、苦い思い出がいくつもあることになる。旅立ちの前に少し変な話になったが、これでも、多寡が25年間夫婦をやって来た歴史がある。育ちも考えも違う知らないもの同士が偶然一緒になり、鋳型に嵌め込まれるような生活を始めるのだから、忍耐なくして続かないだろう。それを易々と遣る人もいるが、それも怖いところがあるだろう。まあ殺しあわない程度に議論してはどうだろうか。今度の旅行で、普段では訊いていないことも訊けるかも知れない。そちらの方が少し怖い気もしないではないが・・・。厚い雲が立ち込めているが、意外と気分の良い朝でもある。
2005.06.16
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この歳で、ハネムーンと言うことでもなし、まあどちらかと言えば修学旅行の気分かな。娘が、服を準備してくれて、どうやら新入生の出来上がりみたいだ。謂わば、第二の人生のスタートのようでもあり、そろそろ準備完了か。911の後遺症もあるようで、何を言われるか判らない向きもあるし、妻は、今日起きた北米沖の地震を心配したりと慣れない時間を持余し気味だ。明日の夕方から出るので、ブログも暫く休止です。ネタを仕入れて来たいがその余裕があるやら・・・。ところで、ガイドブックを観ているうちに、やはり海に入りたくなって来た。どんな海か一度くらい覗きたくなった。やはりおのぼりさん気質は抜けません。喧しい引率なしの旅行なので、愉しんでまいります。では、しばらくさようなら。
2005.06.15
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ひとは、同じ場所に止まることはできない。常に呼吸をし食わねばならないのだ。生きているとはそういうことではないか。平穏であろうとするのは、希望でしかないだろう。私たち夫婦でさえ、ひとなみの試練を超えて来ただろう。やっと、定年前のセンチメンタル・ジャニーをする。誰にも祝福されなくとも良い。あるのは今日という一日を生きていられることだろう。僅かな時間を少しでも拡げようとひとは苦難を背負い込んでいる気がする。他人がどうであろうとわが身をふりかえり為すことはないかを考えるべきだろう。欲を掻けば掻くほど視野は狭くなり、深みに嵌るかも知れない。然し、このままでもいられない。チーズを探しにネズミにならなければならないが、それも良いだろう。ひとの介護をしてみれば良い。酸素を呼吸して、肺を動かし、食べ物が美味しいと思えるだけでも充分幸福感にひたるだけの謙虚ささえあれば、どこででも活きて行けるだろう。
2005.06.15
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朝から、近くのゴルフ場周辺を散策した。断酒して1ヶ月経過したが、体調は良い。FPGもそう悪くはないし、明日は海外だ。余り無理して怪我でもしたらと慎重だ。案外気が小さい。ところで、昔の話だが、ゴルフ場の支配人にされそうになったことがあった。その時は、ワンマン社長の一声で決まったから、満更冗談でもなかった。一年くらいあちこち九州中を走り回ったものだ。本命は福岡市で、図面もできていた。市の位置指定が必要だったが下りそうにないことがあとで判り頓挫したが、社長が急死しなかったらどうなったか判らない。社長は本気だったと思う。何度も、現地を視察していた。その後バブルや総量規制で不動産融資はお荷物となり、ながいトンネルに入ることになる。私はゴルフは遣らない。社長に言わせれば「こいつは、ゴルフもやらない男だから・・・適任だ。」一時は、その気になりバックまで購入し、素振りを練習したりしたが、すぐ飽きてやめてしまった。その時は、不動産融資に疲れていたので、支配人も良いかも知れないと思ったが、もし実現していたら、あとは悲惨なことになっただろう。当時、1コース造るのに1億円と言われていた。ひとの運命も、会社でさえ、ひとつ間違えば、地獄コースになる。今朝は少し遠くまで歩こうかと思っていたが、急に途中で引き返した。無理しても良いことはない気がしたからだ。他人に引き摺られないようにみなさまも気をつけられよ。
2005.06.15
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会社員をして生活した。思えば恥かしいことばかりが去来する。それは、理由があったにせよ。結果として問われるだろう。プロセスが問題だと学生時代は思っていたが、現実はそうではない。多寡が田舎の会社ではないか。それも思い上がりだったようだ。奇しくも会社の経営者の日常や遣り方を観て来たが、酷いものだ。これでは早晩傾くと思ったがそのとおりになった。いまあるものはのこり滓のようなものだろう。それでも容をなすように思うひとがいたとすれば、残影を観ているだけだ。ネガティブな考えを否定する傾向がある。何でも積極的でないと認めようとしない。ひとを敵味方で判断する。敵の中にも聞くべき意見があるだろう。一体敵とは何ぞや。聞く耳をもたない人は、つぶれる。情報は、あらゆる方向から収集すべきだからだ。わたしたちの現在は決して万能ではない。むしろ「原始のスープ」の中にいるだろう。恥をかかずに生きれるなどと思い上がってはならない。他人の後ろから行くべし、そして強かに明日の行方を見通すエネルギーを見出すのだ。明日は、どんな世界だろうか。一面今日の延長でしかないように見えるがそうではないだろう。破滅の道をたどることになるかはまだわからない。その可能性は常に付き纏うリスクであるが、運がよければ乗越えるだろう。これまでも幾度もデッドロックを超えてきた歴史がある。然し、そのラッキーカードもいつかなくなるだろう。何故他人の後ろを歩くのだろうか。本命はそうするからだ。情報は使わねば紙切れでしかない。データをつくり其れを収集し、それをインテグレートすることが必要だからだ。はじめから一人でできる時代ではない。アンカーマンが誰であろうと、その価値は、評価されるだろう。それにしても、未だに「恥の文化」などと言うフレーズが何とも淫靡である。
2005.06.14
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散歩してきました。もう田植えをしてますよ。水を張り苗が整列した姿は、小学生が校庭で並んでいるようでどこか郷愁に近い。生物は水で生きているのだと言う想いがしてくる。もうひとは思い上がりを捨てなければならない。都合の良いように社会を歪曲してはならないだろう。衒いを捨てて「生物としての往還」を歩かねばならないのではないだろうか。人種とか、国家とか囚われない「若い苗」をそだてるべきだろう。この世界のひずみを糺すとすれば、もしその希望があるとしたら、其れしかない気がする。散歩しながら、通勤するひとたちと違う方向に歩いている自分が不思議である。なるほど、当然という先入観で歩いていたが、反対方向に歩く道もあったのだと。それでも、すぐに殺されることもないのだ。すぐ「生き死」にを口にするのも短絡的だなァ・・・。視野を拡げねば。
2005.06.14
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飽食の時代になり、日本人は、何を失っただろうか。旨いものを食べることで何が幸せなのだろうか。快適な空間が、何を齎すだろうか。私たちの目の前にあるのは一時の幻想の世界ではないか。一汁一菜でも生きてきたではないか。飢餓の永い歴史が私たちの遺伝子の中に承継されて、その遺伝因子は、過食と運動不足により、DMを発症させている。たったこれだけのことで一生を棒に振るひとたちがいる。むざむざと多細胞を腐らせるのは許されることではない。生命を全うするのは、ひとの生涯の最後の責務ではないか。昆虫でも、動物でも、植物でも、微生物でもそしてセルでさえ為すべき運命に従うのだ。その潔さは何だろうか。どうも、何かが足りない。そんな気がします。
2005.06.14
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誰も皆安穏ではないが、何かを頼りに生きているかも知れない。其れが本当はどんなもので、何を為そうとしているのか、判らないのに、信じられないが信じたいと願うだろう。自分は何者なのか。本当は何も知らないのに知ったふりをしているだけのひとたちがいる。底の浅い哲学のままでしかない。喩え一時の流行でもいつまでも同じではないように、ただの偶然でしかないのに、如何にも自分の力であるように思うのは笑止だ。手には何も持たずに行け! 過去を引き摺るな。どこにも戦場はあるだろう。願うだけでは平和はない。死臭の漂う中を歩かねば、明日に至る道にはない。明日からの日々は、それこそ糸の切れた風船たるべし。幸いなる哉。
2005.06.13
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何故老人が生きているのだろうか。何か意味があるだろうか。それは、優しいからなのだろうか。鋭敏な感受性なのだろうか。ヒキャル☆さん、という。郷里の熊本出身のピチピチの歌手のひとから掲示板に書き込みがあり愕いている。殆どアクセスのないブログで、時雨れてゆくものの戯言だ。これから、旅の準備のために近くのイオンに買出しにまいります。くだらいことが好きなのです。それと歩かねばならない運命を背負い込んでいる。ひとは、つねに動きながら考える動物かも知れないと近頃思います。でも、リスクも増えるでしょう。虎穴にいらずんば虎子を得ず。夢は大きいほど忍耐と努力が要ります。子供の頃近くの金峰山を見ては、あの向こうにアメリカがあると思ったものでした。無知の海に溺れては明日は来ません。もう庭に向日葵が咲いています。サフィ二アが鮮やかです。が、
2005.06.13
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外に新聞を取りに出たら朝靄が立っていた。休刊日だ。昨夜洗った愛用のシューズが未だ乾いていないので陽の当たりそうな場所に置き、風のないとばりに包まれた幻想的な朝靄の中を歩きたくなった。これからSMBGをしてグルコースを調べて良ければ歩くことにしよう。病院から機種が第一号の新機種を貸与されたばかりだ。 ACCU-CHEK Compact と言い、メモリー機能が充実している。散歩中断。和白干潟を見てきた。靄で沖が見えず然も干潮だった。干潟から雁ノ巣方面まで歩くつもりだっだが、景色も見えないので歩くことに専念した。それと思えば今日は月曜日で、通勤客もちらほらしだした。他人が苦役にあるのに、自分だけが好きな時間を過ごすと言うのも少し罪悪感がするものだ。それでも、割り切るしかないのかも知れない。時間を無駄なことに浪費しないで遣いたいものだ。どうやら、今日は、一日暑くなりそうだ。旅行のガイドブックでも読んで過ごすことになりそうだ。昨夜は、夜少し歩いた所為か、低血糖になりかけたので、ブドウ糖と炭水化物を1単位を摂取したが、朝のFPG125mg/dl だった。
2005.06.13
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何となく旨さが分かると言うか。20日間の空白が雑然とした机上を物語っている。貧弱なるケアシステムしか構築されておらず誰も黙して語らない。 どれだけ窮屈な世界かは覚悟しなければならないし、もう経験もしている。晒し者になる可能性もないとは言えないだろう。不可抗力の事態も、 アクシデントもある。戦前の話を訊くと背筋が凍る思いがした。到底私たちのように軟弱に育てられた世代にその時代を生き残れる自信はない。 そしてこれから、あまり考えてもいなかった露骨に差別される側に立たされるだろう。差別する者にするなと言えるだろうか。歴史は、ひとがどれだけ 残虐であったかを示しているし、いまも其れは変わらないだろう。元来ヒトは、利己的な遺伝子で繋がっているだろう。私たちに、ナースの優しさはいらない。 せめて「ヒトとしてのスペース」が欲しいだけだ。不要であれば、生きて行く必要がない。さっさと消えるだろう。何かを為す価値があるかも知れないという 想いがあるからこそ、生きたいと思うだけだ。同情などいらない。それくらいの誇りはある。 <終> ----- Original Message ----- 送信者 : 宛先 : ??????@msn.com 送信日時 : 2005年6月12日 10:28 件名 : 12日の日記
2005.06.12
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馴染みの理容室に行くと「もう退院されましたか。」と言うので訊くと私のブログを観ましたとのこと。こちらは空に向かって唾を吐くようなことばかり書いているので、そう言われると聊か恥ずかしい。所謂意識的な認識は、皮質の感覚野から隣接する連合野に行く経路で起こる。ここで一致したときに刺激が起こる。そして認識プロセスは、時々混乱もする。深刻な認識障害のひとは、この社会は恐怖だらけの異様な場所だという。通いなれた道が、突然はじめての場所に思えることもあるし、deja vu もある。ひとは移動して学ぶのだろう。ふと思った。植物は花という戦術を用い、動物は、種の存続の為に違う政略を取っている。それぞれ現存するのは「理由」があるだろう。ひとは深刻な認識障害を起こさない為にも取り巻く環境を知るために自分の棲む世界を外からみることも、時には必要なことかも知れない。勿論今度の旅行は、そんなものではない物見遊山だ。ちとその先が気がかりでもあるが、まあ時には、妻との旅行も良いだろう。新婚からの約束だから・・・。
2005.06.12
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DM教育入院にはやはり失望した。地域の医療環境が多少判ったが、遅れていることが判っただけだ。そして恐らく改善の見込みは薄い。土台国がネガティブだ。ここでも利益が優先して、自己責任という施策が罷り通るだろう。これも生存競争の由縁だろうか。そして、公共サービスは地域差を拡大している。何故九州は、今も僻地なのだろうか。もう新幹線ができて大阪や東京が日帰りできるというのに、生活レベルの格差は是正できずにいる。その間に、多くのひとびとがそのことの為に苦しまねばならない。これも差別なのだろうか。恵まれた環境ですくすく伸びてゆくグループとそうでない大多数とこの社会は構成されているだろうか。私は、凡人である。これから、またただの老人になるだろう。或いはAlzheimerが待ち構えているかも知れないし、DMで憤死するかも知れない。QOL と健康で文化的な生活に対して、大いなる不安を感じている。
2005.06.12
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どうにか退院しました。1クール2週間ですが、昨日まで、食事と運動療法を続けました。折角の機会ですから専門医からアドバイスを貰いたいと思いましたが、どうもその気が医師にはないようでした。患者からお願いしなければならないらしい。兎に角、福岡市東方地区で、彼がDMのリーダー的存在らしいから、多忙なのでしょうが・・・。同病の人たちに聞いてみたのですが、殆ど説明がされないらしい。何度も悪くなれば入退院を繰返していると言います。できる人は良いでしょうが、できないひとはどうするのでしょうか。これでは、野放しでしかない。と言うより放置でしょう。治療もクソもない。よくそのことが判りました。誰も人工透析などというQOLでは堪らない苦役でしょう。それでも其れにいたるプロセスは、回避できるかも知れません。その努力をすべきでしょう。ところが、環境は、劣悪としか言いようがない。誰が悪いと言うのではありませんが、哀しくなります。恐らく、何れ別れてきた入院患者たちは、人工透析をすることになるでしょう。同室の老人が名残惜しそうに見送ってくれました。
2005.06.11
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昨夜は、強風が吹いて雨が降った。入院中は晴天が続き気分よく散歩ができた。同室の方と別れの挨拶をした。お世話になったナースたちにも昨日からお礼とお別れをした。「おめでとう」と言われる。慣例なのだろうが退院して終わる訳ではない。気を引き締めねばなるまい。退院して元に戻ったのでは仕方がない。これからのことは、誰にもあるだろう。目先のことを遣らねばならない。それを遣るだけだ。ここに入院してどれだけのことを得たかは自分次第だろう。そこがどんなに宝庫であろうとそれに気付かなければ唯の出来事でしかない。病巣が見つからないだけかも知れない。真剣に何かを探す気持ちがなければ、何も見えて来ないだろう。あと妻が来て支払いを済ませて帰宅します。
2005.06.11
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以前六本木ヒルズを見に行った時、最上階の全フロァー二階部分を米国の銀行が借りていると聞いた。テナントとしては最高家賃を支払うのだと言う。あらゆるところで、外国資本に捻じ伏せられているシンボルに思えた。政府も財界も知的所有も更には文化さえ踏み躙られているのではないだろうか。それは、日本人の意識の問題ではないか。当り前だとする思いがあるからそれを受け入れるのだろうか。あとでは取り返しの出来ないものもあるというのに。強者の言うことだけを正しいものとしているのではないか。それに追随するとすれば、ひいてはそのツケは国民が払わねばならなくなる。正しいデータを作らねばならない。そして収集することだ。それから全てが始まるのではないか。日本人に何が起ころうとしているだろうか。或いは、日本人と言う民族が、この世から消滅する序章であるかも知れない。日本人は、この目の前の危機に対してどう闘おうとしているだろうか。力を失くして行く ageing のなかでそのことが気懸かりでならない。
2005.06.11
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昔と違う論理が動き出している。まるでホテルに入院するような清潔な病室が好まれるのだろうか。確かにこんなところで・・・というような病室も以前にはあったものだ。古参のナースが威張っていたり、患者を見下したような医師もいた。採算を度外視したような経営もなされていたが、医師と患者との溝は埋まってはいない。ピン撥ねが罷り通るような薬漬けも続いている。医師が薬の洪水に付いていけないでいる。どれだけ、副作用や、患者が使用する他の薬との弊害を理解しているだろうか。医師が替わるごとに薬も替わったりする。正しいデータをどれだけ持っているのだろうかとこちらが不安になる時がある。何の為の総合病院なのだろうかと思う。充分に特性が活かされていないのではないか。個人病院と変わらない医療ではないだろうか。専門医が、DMのすべてが専門ではないはずだ。とてもひとりひとりを詳しく診療できないのが事実だとしても、入院患者もそうだとしたら、治療する考えがないのと同じだろう。病院経営は、採算を重視する体制に変わりつつあるようだ。何れ、私立病院化するだろう。患者が医師を指定して、治療を受ける時代が来ると思う。
2005.06.10
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野鳥の声が聞こえるし、朝の水辺は爽快だ。水草も生き生きとしている。波紋が出来たのでよく観ると鯉が数匹泳いでいた。緑に囲まれており、入り口の掲示板に「昔の池を取り戻しましょう。」と書かれている。もう数名のひとたちが散策していた。小さな池だが憩いの場になっている。手造りの花壇があり、紫陽花が咲いていた。そういえば、病院の周辺は紫陽花が多いようだ。あちこちで咲いている。それこそ、箱根や、明月院の比ではないが、生垣に咲く紫陽花は何とも言えずこころを癒してくれる。紫陽花も色々種類があり、それぞれに趣がある。どうも私は子供の頃に好きな女の子がいて、それと紫陽花が重なってくる。紫陽花があるとそんなひとが住んでいるのではないかと思ったりしたものだ。どうも幼稚なところが抜けない。ヒカルのCDを発売前に買ったり、ハリー・ポッターシリーズ5巻を売出日に買っている。病院にもDVDを持込んでいる。まあそんなものです。
2005.06.10
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